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協賛日本における“価値に基づく医療” 進化を遂げるコンセプト エコノミスト・インテリジェンス・ユニット 報告書

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協賛:

日本における“価値に基づく医療”進化を遂げるコンセプト

エコノミスト・インテリジェンス・ユニット 報告書

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1© The Economist Intelligence Unit Limited 2016

日本における “価値に基づく医療” 進化を遂げるコンセプト

目次

本報告書について 2

はじめに 3

第1章:日本における医療の対費用効果 4

第2章:医療技術評価[HTA]の導入に向けた取り組み 8

おわりに 12

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2 © The Economist Intelligence Unit Limited 2016

日本における “価値に基づく医療” 進化を遂げるコンセプト

ご協力をいただいた下記の皆様(アルファベット順に掲載・敬称略)には、この場を借りて御礼申し上げます:

〇 東京大学 公共政策大学院         医療技術評価・政策学 特任教授 鎌江 伊三夫

〇 慶應義塾大学 医学部           医療政策・管理学教授 宮田 裕章

〇 東京大学 医学系研究科          国際保健政策学教授 渋谷 健司

本報告書は EIUが独立した立場で作成しており、その中で示される分析結果や見解は、必ずしも協賛企業の見方を反映するものではない。本報告書の作成にあたっては、Andrea Chipman が執筆を、Martin Koehring が編集を担当した。

2016年7月

「日本における “価値に基づく医療”」は、ギリアド・サイエンシズの協賛の下でエコノミスト・インテリジェンス・ユニット[EIU]が作成した報告書である。“価値に基づく医療” は、診療アウトカムをコストとの関係性から評価するコンセプトだ。本報告書では、日本における医療の費用対効果、医薬品の価格設定・保健償還に対する制度的アプローチ、そして医療技術評価[HTA]の試行的導入と今後の方向性という3つの観点から、このコンセプトについて検証を行った。

本報告書の作成に際し、EIU は同テーマに精通する日本の3名の専門家を対象として、詳細にわたる聞き取り調査を行った。その内容は、報告書の随所に引用されている。

本報告書について

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3© The Economist Intelligence Unit Limited 2016

日本における “価値に基づく医療” 進化を遂げるコンセプト

はじめに

深刻な医療財源の逼迫が予測される現在、政府は健康アウトカムの向上に取り組んでいる。その中で、“価値に基づく医療”[Value-Based Healthcare = VBH]というコンセプトの重要性がますます高まりつつある。可能な限り低コストで最善のアウトカム実現を目指す VBHは、すでに多くのヨーロッパ諸国で取り入れられており 1、日本でも部分的な試験導入という形で活用の試みが始まっている。

日本はまだ、VBHの包括的導入という段階に至っていない。しかし、政府内外のリーダーは、その重要性を十分認識している。塩崎恭久 厚生労働大臣の諮問機関「保健医療 2035」策定懇談会が、2015 年 6月に発表した政策提言書では、保健医療の価値向上が3つの主要ビジョン

の1つとして掲げられた 2。同提言書は、“量の拡大から質の改善” へ、“行政による規制から当事者による規制” へ、“キュア中心からケア中心へ”、“発散から統合へ” というパラダイム・シフトを提唱している。将来の医療制度においては、需要に応じたインプットではなく、患者・社会に提供される医療サービスの “価値に応じた評価が行われる” べきだ、というのが懇談会の示すビジョンだ 3。

本報告書では、医療提供者の裁量範囲、価格設定・保険償還に対する制度的アプローチ、医療技術評価[Health Technology Assessment = HTA]導入への取り組みと今後の方向性といった観点から、日本における医療の費用対効果について検証を行う。

1 The Economist Intelligence Unit, Value-based healthcare in Europe: Laying the foundation, 2016. 本書は下記リンクよりダウンロード可能(英語):https://www.eiuperspectives.economist.com/healthcare/value-based-healthcare-europe-laying-foundation

2 厚生労働省『保健医療2035』策定懇談会『保健医療2035提言書(概要)』2015年6月本書は下記リンクよりダウンロード可能(日本語): http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/hokeniryou2035/assets/file/healthcare2035_proposal_150609_summary.pdf

3 同上 p. 3

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日本における “価値に基づく医療” 進化を遂げるコンセプト

第1章:日本における医療の費用対効果1日本の医療制度はこれまで、サービスへの公平

なアクセス、そして医療機関と規制当局の密接な協力関係を重視する形で構築・運営されてきた。同国における “価値に基づく医療”[VBH]へのアプローチを検証する際には、こうした文脈を考慮に入れる必要がある。

1961年に国民皆保険を実現した日本では、約1800 ある全国の自治体が国民健康保険の運営を行う。公的機関あるいはその他保険者によって運営される国民健康保険・組合健康保険など

への加入は、全ての国民に義務付けられている(医療費が原則無料となる生活保護受給者を除く)。民間保険も市場を確立しているが、その役割は差額ベッド代など、公的医療保険の対象外となる費用の補完に限定されている 4。

企業の正社員とその被扶養者は、職種・年齢に応じて組合健康保険へ自動加入し、収入額に応じた保険料を支払う。雇用者が保険料の半分を負担する同保険の場合、月収に占める保険料の割合は3.12%から 9.62%と、運営主体によって大きな開きがある。低所得者世帯に対する医療費の負担軽減措置や、1ヶ月間の医療費の自己負担が一定額を超える場合に年収に応じた払い戻しを行う高額療養費制度、75歳以上の後期高齢者の医療費を公費・現役世代の支援金により軽減する後期高齢者医療制度なども施行されている 5。

健康アウトカムと医療制度の持続可能性

日本の医療制度は、一見高い費用対効果を誇っているように見える。世界銀行のデータによると、日本における医療費の対GDP比は 2014年時点で 10.2% と、OECD 加盟国平均 12.4%を下回っており、国際的に見ても穏当なレベルにある。しかし、人口の高齢化が他国よりも急速に進んでいる(そして今後もその傾向が続く)こともあり、1995 年時点で 6.6%だった医療費の

4 Goddard Health, Japan Market Information, 2012.

下記リンクよりダウンロード可能(英語): http://goddardhealth.com/general.html

5 Ikegami, N, Yoo, B et al, “Japanese universal health coverage: evolution, achievements, and challenges”, Lancet 2011; 378: 1106–15.

65才以上の高齢者が人口に占める割合(%)

図1

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日本ドイツ英国米国ロシア中国ブラジルインド資料:エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)

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日本における “価値に基づく医療” 進化を遂げるコンセプト

割合はOECD平均値[9.2%]よりも急激な伸びを示している(図1参照)。またOECDのデータによると、医療費に占める医薬品の割合は 2011年(入手可能な最新データ)時点で 21%に達している。これはOECDに加盟する32ヶ国の中で、10番目に多い数字だ。

しかし日本の医療制度が、世界的に見てすぐれた健康アウトカムを実現していることは確かだ。エコノミスト・インテリジェンス・ユニット[EIU]が 2014 年に 166 ヶ国を対象として行った、医療費とアウトカムに関する調査結果にも、その傾向ははっきりと現れている 6。対象国を国民全体の健康アウトカムに応じて6つのカテゴリーに分類・評価した同調査で、日本はティア 1に選ばれ(ティア1=最も高いレベル ティア6=最も低いレベル)、アウトカム指標でも第 1位にランクされた。経済力の高いOECD加盟国としては医療費を低いレベルに抑えており、費用対効果に関する指標でも比較的良好な成績を収めている。また日本はティア 1諸国の中でも、健康アウトカムが医療費レベルを上回る国の 1つとなっている(図2参照)。

日本が良好な結果を残した一因として、EIU が挙げているのは、比較的健康な食事と生活スタイルだ。政府が医療サービスや医薬品の価格抑制に向けた施策を行い、質の高い医療への事実上のフリーアクセスを実現するなど、医療制度はすぐれたアウトカムと低い医療費の実現に大きく貢献している。また、40才以上の加入が義務化されている介護保険制度により、高齢者は比較的低コストで長期にわたり介護サービスを受けられることも、この結果に寄与しているという 7。

だが、これまでの成功を生んだ制度のあり方は、現在日本が直面する課題の要因にもなっている。日本の平均寿命は、2014 年時点で 83.6 才[世界銀行調べ]と、香港[84.1 歳]に次いで世界2番目に高く、OECD加盟国の平均値 80.2才をはるかに上回っている。しかし、人口の高齢化、高血圧・糖尿病など慢性病患者の増加や医療技術の進歩は、同時に医療コストの上昇圧力も生み出している。東京大学公共政策大学院の医療技術評価・政策学特任教授 鎌江伊

い さ お三夫氏 に

よると、日本で医療費の総額管理制度が導入されていない現状も、(医師による柔軟な裁量を可能

6 The Economist Intelligence Unit, Health outcomes and cost: A 166-country comparison,2014.

本書は下記リンクよりダウンロード可能(英語):http://www.eiu.com/public/thankyou_download.aspx?activity=download&campaignid=Healthoutcome2014

7 同上 p. 12

EIU健康アウトカム指標 ティア1 [2014年]アウトカムと医療費の比較ランキング

図2

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ルクセンブルク

ノルウェー

ベルギー

オランダ

ドイツ

オース

トリア

フィンランド

カナダ

英国

アイルランド

ギリシ

スイス

スウェーデン

フランス

オース

トラリア

ポルトガ

ニュージーランド

マルタ

チリ

日本

イスラ

エル

スペイン

イタリア

アイスラ

ンド韓国

コスタリ

キプロス

シンガポール

アウトカムのランキングが、医療費レベルのランキングを上回る

医療費レベルのランキングが、アウトカムのランキングを上回る

資料:EIU・世界保健機関[WHO]

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日本における “価値に基づく医療” 進化を遂げるコンセプト

にする一方で)医療費増加の要因になっているという。

価格設定・保険償還へのアプローチ

日本では、医療サービス提供者に対する診療報酬が、主に出来高払い方式で支払われる。米国・ヨーロッパでは、(VBHをベースとする制度の根幹ともいえる)アウトカム評価・成果主義モデルが広まりつつあるが、こうした仕組みを積極的に取り入れる動きは国内であまり見られない 8。EIU の分析によると、人口の急速な高齢化や医療費の上昇は、将来的な経済成長にブレーキをかける可能性が高く、高い費用対効果を誇る医療制度の持続可能性にもマイナス影響を与えかねない 9。コンサルティング企業マッキンゼーが作成した報告書は、医療政策の改革が行われなければ、日本は 2020 年までに 19.2 兆円、2035 年までに 44.2 兆円の財源不足に陥ると警鐘を鳴らしている 10。

日本の医療制度には、医療費抑制の仕組みが数多く取り入れられている。2年ごとに実施される診療報酬改定など供給サイドの価格規制 11、アジア最高レベルともいわれる厳格な医師向け診療ガイドライン、受診者の一部医療費自己負担などはその一例だ。窓口負担率は、入院患者・外来患者・処方せん薬にかかわらず一律で3割(介護ケアでは1割)に設定されており、残りの7割は保険によりカバーされる 12。また、医療費が一定額を超えた場合に、自己負担分が1%へ引き下げとなる制度[高額療養費制度]もある 13。

日本では、医師・医療機関への診療報酬、医薬品・医療機器価格の見直しをつうじて、医療費の削減を図ることが多い。しかし、こうしたアプローチだけでは医療サービスの需要抑制は難しく、医師不足や医療の質の低下も招きかねない。マッキンゼーによる前述の報告書は、「日本では、

あらゆる分野に対して一律に価格のマイナス改定を行う傾向が見られる。このアプローチは政治的には理にかなっているが、提供されるサービスの相対的価値を考慮に入れていない。そのため、ベストプラクティス推進や効率・質の低いケアの抑止には、ほとんど効果がない」と指摘している 14。

社会保障の充実・安定化を視野に入れ、消費税率 10%への引き上げも検討されてきたが、今年6月には過去 2年で 2度目の延期が決定した。政府が安定財源を確保できなければ、人口の急速な高齢化に対応し、医療財政の健全性を維持することはますます困難になるだろう。

政府の取り組みは、ジェネリック医薬品の普及という面でも改善の余地がある。2005 年から 2013年(入手可能な最新データ)にかけて、日本におけるジェネリック医薬品の普及率は、数量ベースで 17%から 28%へと急増した 15。しかしこの値は、OECD加盟国の平均値 48%をはるかに下回っている 16。政府は医療費抑制策の 1つとしてジェネリック医薬品の普及に取り組んでいるが、処方する薬剤の選択は医師に委ねられているのが実情だ。また、高齢者による医療需要の拡大を考えても、こうした方策だけで制度の維持・改善に必要な財源を確保できる可能性は低い。

東京大学の鎌江教授によると、医療従事者のコストに対する説明責任の欠如は大きな問題だ。「政府は医療のプロフェッショナルとして医師の責任を尊重しながら、ジェネリック医薬品の利用拡大を促している。だが、医師は依然として(ジェネリックより高価な)先発品の選択権を持っており、医療技術や医薬品の調達にも限られた役割しか果たしていない。医療の費用対効果に関する意思決定は、ほぼ全てが政府に委ねられているため、あまり関心を払わない医師が多い」という。

12 Ikegami et al, “Japanese universal health coverage”.

13 同上

14 Henke et al, “Improving Japan’s health care system”.

15 Japan Generic Medicines Association, Generic Share (%) by MHLW Drug Price Survey, http://www.jga.gr.jp/english/country-overview/genric-share-by-mhlw/

16 OECD, OECD Health Statistics 2015.

8 Henke, N, Kadonaga, S and L Kanzler, “Improving Japan’s health care system”, McKinsey Quarterly, March 2009. 本書は下記リンクよりダウンロード可能(英語):http://www.mckinsey.com/industries/healthcare-systems-and-services/our-insights/improving-japans-health-care-system

9 EIU, Health outcomes and cost, p. 13.

10 Henke et al, “Improving Japan’s health care system”.

11 Goddard Health, Japan Market Information.

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日本における “価値に基づく医療” 進化を遂げるコンセプト

こうした制度上の問題は、医療サービスの非効率にもつながっている。特に入院治療の分野でその傾向が顕著に見られると指摘するのは、慶應義塾大学医学部 医療政策・管理学教授の宮田裕章氏。同氏によると、冠状動脈バイパス手術の平均入院期間は、日本で 28日、米国で 7日と大きな開きがある。この両極端な入院日数は、ともに患者へ悪影響を及ぼしかねないという。「コストとアウトカムを検証し、価値に基づいて入院期間を評価すれば、年間 100 億米

ドル(約 1兆円)を削減することも不可能ではない。日本では、過剰診療・過剰入院、過剰診断が蔓延しているのが現状だ。」日本における国民1人あたりの年間平均受診件数は 14回と、その他先進国の3倍を超えており、医療財政の大きな負担となっている 17。

次章では日本における医療財政改革の展望、特に価格設定・保険償還プロセスへの費用対効果評価導入に向けた取り組みについて検証する。

17 Henke et al, “Improving

Japan’s health care

system”.

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日本における “価値に基づく医療” 進化を遂げるコンセプト

現在のところ、日本には医療技術評価[HTA]を統括する公的機関が存在しないが、いくつかの組織ではHTAに類似するプロセスを取り入れている。例えば、保険償還・価格設定にまつわる決定を行う際には、有効性・安全性・社会的利益といった面の評価が行われている。

医療機器・医薬品に関する基準の制定・施行は、主に厚生労働省が行っており、承認を受けた品目は承認品目一覧に収載される。医療材料の保険適用判断や償還価格の決定も、同省が統括する。

医薬品医療機器総合機構[PMDA]は、ヨーロッパの欧州医薬品庁[EMA]や米国のアメリカ食品医薬品局[FDA]にあたる組織で、厚生労働省所管の独立行政法人として安全性・有用性といった観点から新薬・医療機器の承認審査などを担当する。

透明性の問題と科学的根拠

中央社会保険医療協議会[中医協]は厚生労働大臣の諮問機関であり、保険者や、医師・歯科医師および薬剤師、自治体・看護師・臨床検査・企業など各分野の代表者で構成されるメンバーが、保険制度・診療報酬の改定などについて答申を行う。だが、同協議会による答申の客観性には、疑問を投げかける関係者も少なくない。「中医協

は、医療技術の価値について独自の基準に基づいて評価している。だが、こうした基準は、必ずしも客観性を担保した科学的方法で設定されていない」と指摘するのは東京大学の鎌江教授。「その結果、結局、下される決定は内部の価値判断に基づいた主観的なものになりがちだ」という。

中医協の外部組織である薬価算定組織は、薬価基準収載品目リスト[薬価基準]に収載されている医薬品価格の算定・再算定を審議する機関だ。企業は医薬品・医療機器の価格を独自に決定することが認められていない。薬価は厚生労働省・中医協の承認を経て、通常 60 ~ 90 日以内に薬価基準へ収載される。

新薬の薬価算定には、類似薬効比較方式と呼ばれる方法が用いられる。これは、既存の医薬品を比較対照薬に選び、1日あたりに必要な用量の薬価が、対照薬の1日あたりの薬価と同じになるよう算定する方式だ。既存薬よりも優れた有用性などが確認できる新薬には、加算[補正加算]が行われることもある。また米国・英国・ドイツ・フランス 4 ヶ国の平均価格と一定の隔たりがある場合は、価格調整が行われる[外国平均価格調整]18。

類似薬のない新薬に関して用いられるのは、原価計算方式と呼ばれる方法で、製造(輸入)

第2章:医療技術評価[HTA]の   導入に向けた取り組み2

18 Pacific Bridge Medical, Japan Drug Regulatory Overview, 2014, p. 58.

本書は下記リンクよりダウンロード可能(英語):http://www.pacificbridgemedical.com/wp-content/uploads/2015/04/Japan-Drug-Regulatory-Overview-2014.pdf

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9© The Economist Intelligence Unit Limited 2016

日本における “価値に基づく医療” 進化を遂げるコンセプト

原価、販売費、研究開発費、営業利益、流通経費、消費税などを加えた額を薬価として設定する 19。薬価は医療機関に支払われる保険償還価格で、厚生労働省が承認する医薬品それぞれについて設定されている。いくつかのヨーロッパ諸国のケースと異なり、日本では制定された薬価と医療機関の受け取る償還額に差がなく、地域による違いもない 20。

新薬には、画期性、有用性、市場性、小児向けといった基準に従い、補正加算が行われる場合がある。特に高い画期性・有用性が認められる医薬品には、それぞれ最大 120%・70%が加算される 21。しかし鎌江教授によると、薬価の算定・再算定は必ずしも科学的根拠に基づいて行われるわけではない。そのために、内部関係者にしか解らないようなプロセス・算定基準で評価が行われることも多く、透明性の向上が課題となっている。

価値の再定義

日本では、アウトカム・ベースのエビデンスやコスト要因を意思決定プロセスに導入する取り組みが始まってまだ間もない。鎌江教授によると、「昨年まで医療技術の価値は、臨床上のアウトカムや有効性という観点でのみ考えられていた」という。「しかし今年 4月からは、医薬品の薬価算定について費用対効果評価の試行的導入が始まった。これは、日本の医療価値という概念を大きく変える流れだ」と同氏は指摘する。

診療アウトカムに関するデータは、豊富に存在する。宮田教授によると、日本では様々な疾患に関し、上市後 90 日時点のアウトカムに関するデータが 15 年分以上蓄積されている。こうしたデータを活用すれば、治療のガイダンスとなるエビデンスを医師に充分提供できるという。「根拠に基づく医療という概念は、世界的に進化を遂げている。クラウド技術の普及によって、

医師がデータ入力を行うのとほぼ同時に、ベストプラクティスを共有することが可能となった」と同氏は語る。

厚生労働省は現在、既存医薬品の薬価再算定を対象とし、費用対効果に重点を置いた医療技術評価の導入について検証を進めている。これは2014 年に政府が、費用対効果手法によるHTAの試行導入を決定したことを受けたものだ。

東京大学 医学系研究科の国際保健政策学教授を務める渋谷健司氏によると、2018年度の診療報酬改定では、より幅広い品目を対象として費用対効果評価の導入が予定されており、現在専門家グループによって枠組みの検討が行われている。しかし、評価の実施に必要な人的資源の確保や、強力な政治的コミットメントの必要性など、技術面・運用面での課題は必ずしも解消されていない。

また、HTA のさらなる活用が具体性を帯びてきた現在でも、不透明な部分は数多く見られる。例えば、どのような評価指標を用いるのか、あるいは医療効率化の推進に向けたインセンティブの価値をどのように数値化するのか、といった点だ。政府は現在、生活の質(Quality of Life = QOL)を医療機器・医薬品の価格再算定を行うための指標の 1つと定めており、製薬会社はQOLの改善をエビデンスとして提出する。しかし、鎌江教授によると “QOL の改善” を明確に定義する公的ガイドラインは存在しない。「政府は、(中医協による)薬価算定プロセスの中で、広範な社会的利益を評価基準の1つとして重視するようになってきた。だが、客観的な根拠という意味で不透明な部分も多い。広範な社会的利益を評価する際に、どのようなエビデンスが検討されるのか、外部関係者にはわかりにくい」と同氏は指摘する。新薬や新たな医療技術の経済的評価という分野でも、評価方法の全容は依然として明らかになっていない。

19 同上 p. 62.

20 EIU, Value-based healthcare in Europe.

21 Kamae, I and M Kobayashi, “Value-based Pricing and the Principle of the Incremental Cost-Effectiveness Ratio: The Case and Potential in Japan”, ISPOR Connections, October 2010.

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日本における “価値に基づく医療” 進化を遂げるコンセプト

鎌江教授によると、「(中医協の)ガイドラインは、企業による費用対効果分析では、主たる効果指標としてQALY[質調整生存年]を用いるよう定めているが、同時に ICER[増分費用効果比]を使った評価の提出も求めている。」英国では費用対効果の目安として1QALY あたり2万~3万ポンドという上限を設けており、この値[閾

い き ち値 = Threshold]を上回る医薬品に対する

保険償還は行われない。一方で日本の政府関係者は、臨床アウトカム評価に上限額を設けない意向を示しているが、この方針を額面通りに受け取れるかどうかは疑問だという。「公的指針として一元的な閾

い き ち値(上限)を設けることはないかもし

れない。しかし、中医協が暗黙の了解として上限を設定するかどうかは別の問題だ」と同氏は指摘する。

東京大学の渋谷教授は、価格決定システム自体を見直す必要があると考えている。「大枠の上限の下で政治的交渉を行う」のではなく、透明性が高く、合理的で根拠に基づいたプロセスの下で価格を決定する仕組みを確立する必要がある、というのが同氏の見解だ。例えば現在、急性期患者の治療費は、出来高払い部分と病名・治療内容によって1日あたりの定額が定められた包括部分を組み合わせて計算する、いわゆる包括支払い方式[Diagnosis Procedure Combination = DPC]で算定されることが多い。品目ごとの価格見直しや診療報酬請求書の審査など、これまで薬価抑制のために用いられてきた手法は、こうした入院ケアの実情に合わなくなっているという。DPC はその他多くの先進国で採用されているDRG[Diagnosis-Related Group]方式と似たアプローチで、日本では2003年に導入された。現在、政府は外来診療での同方式採用を視野に入れ、検討を進めている。

また渋谷教授は、日本の医療制度のひずみを解消する必要性を強調している。例えば、外来診療や薬剤処方の利益率は、急性病入院診療よりも

高いレベルにある。医療制度の重点は、キュアからケア・予防医療へ、量から質へ、発散から統合にシフトするべきだ、というのが同氏の見方だ。

一方、鎌江教授は「日本の医療制度は現在、出来高払い方式から入院・外来いずれも定額支払い方式へと移行しつつある」と指摘する。「定額支払い方式の下では、医師による細心のコスト管理が求められる。政府の方針である以上、好む好まざるにかかわらず、医師はこの流れを受け入れなければならない。」

宮田教授によると、ある抗ガン剤の公的負担は年間200億ドル(約2兆円)に上る可能性がある。最先端の高額医薬品の分野では、より多くの患者に恩恵をもたらす品目の特定に向けてさらなるデータ活用が求められる。「こうした先進医薬品は、世界の医療だけでなく、(日本の)医療財政にも大きな変化をもたらす可能性がある」という。日本では現在、医師が処方した医薬品と、その対象となった患者に関するデータベースが構築されつつある。将来的には、医薬品の処方・使用に関する公的ガイドラインを政府が作成することも可能だという。「日本の医療制度は患者に多額の投資を行ってきた。今後は、ケアの質と医療財源のバランスをより注意深く見極める必要がある。」

現在検討が行われている新たなHTA体制の下では、あらかじめ決められた基準(現時点では不明)に基づき選ばれた医薬品に関する調査書類の提出が製薬企業に義務付けられる。提出されたデータの妥当性を検証する役割は、厚生労働省の既存下部組織内に設置される専門部署あるいは新組織が担う可能性が高い。同組織のメンバーは、医療従事者、保険関係者、患者グループ代表、医療経済専門家などで構成され、薬価の経済評価を担当する中医協委員も加わる予定だ。

現在試験的に導入されている費用対効果評価は、収載済みの医薬品・医療機器の価格再算定に重点

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日本における “価値に基づく医療” 進化を遂げるコンセプト

を置いている。だが将来的には、医療に関わる手技や看取りケアの算定などにも適用される見込みだ。鎌江教授によると、政府が医薬品の経済評価を重視する方向に舵を切っていることを考えれば、このような分野にも費用対効果評価が適用されるのは時間の問題だ。だが、取り組みが実現するのは、少なくとも4~6年先になるという。

医療財政のイノベーション

価値やアウトカムに基づく医療を推進する主な目的は、最も革新的かつ有望な医療技術により多くのリソースを配分し、持続可能な方法で財源を確保することにある。

前出の政策提言書 “ 保 健医療 2035” では、2020 年までに実現を目指すビジョン・アクションとして、医療技術評価の制度化・施行、現場主導による医療の質の向上支援、「ゲートオープナー」としての “かかりつけ医” の育成・全地域への配置、という3つを掲げている。2035年までの実現を目指す項目として挙げられているのは、医療提供者の技術・医療用品の効能など(医療技術)を患者の価値を考慮して評価し診療報酬点数に反映すること、そしてベンチマーキングによる治療成績の改善だ 22。

こうした提言の中で最も重視されている点の1つは、医療関係者が “価値に基づく医療” の推進に大きな役割を果たすことだ。既に述べたとおり、日本の医療提供者は定められた診療ガイドラインへ忠実に従う傾向がある。だが渋谷教授によると、医療学会などが作成するガイドラインには「大きな質のばらつき」が見られるという。例えばガイドラインの中には、*GRADE システムが提案する基準を取り入れたものと、取り入れていないものがある。また相対的効果を考慮に入れたものもごくわずかだ。

渋谷教授によると、日本の医療制度が抱える問

題は、2つの矛盾する特徴によって複雑化しているという。それは、医療サービスが“自由放任主義”的なアプローチで運営・提供される一方、保険償還価格は “供給側による厳格なコントロール” の下で一元的に決定されているという点だ。「患者価値に重点を置き、サービス提供と診療報酬の仕組みが抱える矛盾を解消することは極めて重要だ」と同氏は指摘する。

医療需要の伸びを考えれば、最も革新的な先進医療ソリューションへのアクセスを拡大することは重要だ。そのためには、政府が新たな仕組みの模索、あるいはその他の方法で財源を確保しなければならない。鎌江教授が方策の1つとして挙げるのは、保険適用外の対象になりうる価値の低い治療法や医薬品を特定することだ(そのためには、HTAの仕組みが不可欠となる)。しかし、こうしたアプローチには、一部の患者や医師側から反対の声が上がる可能性があるという。「これまでのところ、日本で医療財政の問題を真剣に考えているのは、政府を中心とした一部関係者にとどまっている」と語るのは宮田教授。「医師たちはこの問題を認識しはじめているが、患者はまだ深刻に捉えていない」という。

今回聞き取り調査の対象となった専門家が指摘するように、日本は医薬品・医療機器の革新性をより的確に評価するだけでなく、医療サービスの提供体制を改善し、コスト効率の向上を図らなければならない。例えば現在、広島県では “新地域医療再生計画” と呼ばれるプロジェクトが実施されている。宮田教授によると、診断・治療をフェーズごとに管理する仕組みの導入や、医療連携体制の強化といった試みの結果、同県のがん生存率は全国トップレベルまで改善したという。「我々は質とコスト効率の両方を改善することができる。両者はトレードオフの関係にない。政府がトップダウンで行うのではなく、現場の医療関係者によるボトムアップのプロセスをつうじてこれを実現することが重要だ。」

22 厚生労働省『保健医療2035提言書(概要)』p. 4~5

*GRADEシステム2000年に設立された国際ワーキング・グループが、従来システムの欠点を補うために考案した医療評価システム

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日本における “価値に基づく医療” 進化を遂げるコンセプト

となるだろう。また、人口の急速な高齢化と慢性疾患患者の増加により、大きな価値をもたらす革新的医療への財源確保がますます重要となっている。

政府は、VBH 推進の一環としてインセンティブを拡大し、医師によるコスト抑制努力を後押しする必要がある。また早期段階にあるHTAの仕組みを確立し、革新的医療技術・サービスに関して、よりバランスが良く透明性の高い価格設定・保険償還システムを実現し、各分野で診療ガイドラインの質を高めるといった取り組みを進めることも求められる。医療提供者に大きな影響を及ぼすこうした方策を打ち出せば、最も効果的に相対効果モデルの導入を実現できる可能性が高い。医療サービスへの需要が高まる今、政府は将来の医療財政のあり方について抜本的な再検討を迫られているのだ。

“価値に基づく医療”[VBH]というコンセプトを包括的に導入する試みは、日本ではまだ早期段階にある。政策提言書 “保健医療 2035”が、VBHを未来の医療制度の中核的存在と位置付けたのは、つい昨年のことだ。

政府は現在、費用対効果評価という考え方を医療制度に取り入れようとしている。しかし、医療技術やサービスの価値を検証する具体的方法は、依然として不明な部分も多い。様々なステークホルダーの関与を促すため、価格設定や保険償還の仕組みの透明性向上も必要だ。特に、これまでコスト管理に積極的な役割を果たしてこなかった医師は、アウトカムに基づく意思決定やコスト面への配慮という考え方への認識を、今後さらに高めることが求められる。こうした新たなコンセプトを患者や支払側にも浸透させるためにも、さらなる取り組みが必要

おわりに

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