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JTB交流文化賞 受賞地域のいま |後編 持続的な観光地づくりへ 第8回(2012年度)優秀賞 ――第2回(2006年度)優秀賞 トライして損はない アドバイスが参考に 第2718号 第3種郵便物認可 2013年(平成25年)9月7日(土曜日) 沖縄本島南部に位置する「ガンガラーの 谷」は、古代と現代が交錯するE奇跡の谷 F。数十万年の時が作りあげた景観、1 万年以前から人が暮らしてきた痕跡、そし て今日に続く素朴な子宝信仰の祈りの場 が、開発の手を免れて現代に伝えられた。 涅淆淦淹年に公開されたが後に閉鎖、年にガ イドツアー専用エリアとして再公開され た。 自然と人間が、それぞれの時代に調和を 紡ぎ出してき証拠のような自然環境や文 化、歴史など谷の価値は、未来へ伝えなけ ればならない。ガンガラーの谷は、交流文 化賞の選考で「その土地の価値を守り伝え るために、専門ガイドと歩くツアー」であ る点が注目された。さらに、「生命はどこ から来たか」というガイドツアーの隠れた テーマについても、「最新の研究成果と共 に目に見えない世界をイメージできるよう な工夫が印象的だ」と評価された。 大分県の北部、国東半島の西側に位置す る豊後高田市。過疎化や高齢化が進み、同 市の小さな商店街はさびれきっていた。町 の顔を再生させようと、商人、商工会議所、 市役所の有志グループが立ちあがる。 商店街が元気だった昭和年代の町並み がまだ奇跡的に残っている。これを活用し て観光化しようと 淹濤濤涅年9月に「昭和の町」 がスタート。昭和初期の米蔵を改装した 「昭和ロマン蔵」内に昭和のおもちゃなど を展示した「駄菓子屋の夢博物館」をオー プンし、活気ある商店街をよみがえらせた。 今日では観光バスや視察団などが頻繁に 訪れる活気ある商店街に生まれ変わった。 賞の選考では「地域に根付いた文化と観 光客との交流は、観光による街づくりの代 表例。綿密なリサーチに基づく計画性、町 作りに向けた努力と組織力、豊後高田の独 自の魅力を開発した独創性が過疎に悩む同 市の活性化につながった」と評価した。 沖縄トラベルナビのパンフ 調 使 宿

JTB交流文化賞 受賞地域のいま · ーの谷」守るために価値を伝える 南都(沖縄県南城市) JTB交流文化賞 受賞地域のいま|後編 持続的な観光地づくりへ

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祖先の痕跡が残る空間「ガンガラーの谷」守るために価値を伝える

南都(沖縄県南城市)

JTB交流文化賞 受賞地域のいま|後編

持続的な観光地づくりへ

  第8回(2012年度)優秀賞――第2回(2006年度)優秀賞

豊後高田「昭和の町」物語

豊後高田市観光まちづくり株式会社

価値再認識のきっかけ

トライして損はない

交流文化賞受賞の声

観光客増加の起爆剤に

アドバイスが参考に

交流文化賞受賞の声

(4)第2718号 第3種郵便物認可 2013年(平成25年)9月7日(土曜日)

 持続可能な観光に取り組む地域を応援する欹J

TB交流文化賞飮は欷今年9回目を迎え欷現在欷

作品の募集が行われている盜これまでの受賞地域

の中から注目の地域をピ蘖クア蘖プして欷現状の

取り組みをリポ欟トする企画盜その後編では欷第

2回優秀賞の豊後高田市観光まちづくり株式会社

歉大分県歐と第8回優秀賞の株式会社南都歉沖縄

県南城市歐を紹介していく盜

 沖縄本島南部に位置する「ガンガラーの

谷」は、古代と現代が交錯するE奇跡の谷

間F。数十万年の時が作りあげた景観、1

万年以前から人が暮らしてきた痕跡、そし

て今日に続く素朴な子宝信仰の祈りの場

が、開発の手を免れて現代に伝えられた。

涅淆淦淹年に公開されたが後に閉鎖、瀟年にガイドツアー専用エリアとして再公開され

た。

 自然と人間が、それぞれの時代に調和を

紡ぎ出してき証拠のような自然環境や文

化、歴史など谷の価値は、未来へ伝えなけ

ればならない。ガンガラーの谷は、交流文

化賞の選考で「その土地の価値を守り伝え

るために、専門ガイドと歩くツアー」であ

る点が注目された。さらに、「生命はどこ

から来たか」というガイドツアーの隠れた

テーマについても、「最新の研究成果と共

に目に見えない世界をイメージできるよう

な工夫が印象的だ」と評価された。

 大分県の北部、国東半島の西側に位置す

る豊後高田市。過疎化や高齢化が進み、同

市の小さな商店街はさびれきっていた。町

の顔を再生させようと、商人、商工会議所、

市役所の有志グループが立ちあがる。

 商店街が元気だった昭和煥年代の町並みがまだ奇跡的に残っている。これを活用し

て観光化しようと淹濤濤涅年9月に「昭和の町」がスタート。昭和初期の米蔵を改装した

「昭和ロマン蔵」内に昭和のおもちゃなど

を展示した「駄菓子屋の夢博物館」をオー

プンし、活気ある商店街をよみがえらせた。

 今日では観光バスや視察団などが頻繁に

訪れる活気ある商店街に生まれ変わった。

 賞の選考では「地域に根付いた文化と観

光客との交流は、観光による街づくりの代

表例。綿密なリサーチに基づく計画性、町

作りに向けた努力と組織力、豊後高田の独

自の魅力を開発した独創性が過疎に悩む同

市の活性化につながった」と評価した。

ガンガラ欟の谷を象徴するガジ欒マルの根

南都公園部部長 高橋氏

 思考錯誤で行檸てきた活

動を再確認できた意義は大

きい盜東京でのプレゼンテ

欟シ欖ンでは欷テレビでし

か見たことのない先生方が

居並ぶ前で欷自分たちの取

り組みを伝えられるだけで

も欷価値はあ檸た盜

 授賞式にも驚いた盜全国

から観光関係者が集ま檸て

おり欷貴重な経験とともに欷

地域の取り組みを見てくれ

る仲間が欷日本中にいるこ

とを感じることができた盜

 トライして損はないし欷

受賞後はかけがえのない経

験が待檸ている盜

沖縄トラベルナビのパンフ

ガイドの説明が一方通行で終わら

ないのも魅力

 沖縄県南城市の玉泉洞とガンガ

ラ欟の谷は欷県南部に明るい観光

地を創りたいと欷1972年4月

に公開された盜このうち玉泉洞は欷

今日まで公開を続けている盜一方欷

ガンガラ欟の谷は欷公開後わずか

数年で谷内を流れる河川へ上流か

らの畜舎排水が流れ込み欷その環

境悪化から公開を中止した盜その

後欷河川環境回復の状況を待ち続

けながらも煥余年もの間欷閉鎖状

態が続いた盜

 閉鎖している間に谷の存在は多

くの人々から忘れ去られ欷社内で

も地域でも欹この場所に価値はな

いのでは飮という雰囲気が流れて

いたが欷創業時からの欹この場所

にあるさまざまな価値を伝えた

い飮という想いに基づき欷河川環

境回復の状況から瀘年には公開へ

向けた計画が始動欷翌年8月に再

公開とな檸た盜

 特筆すべきは欷ガイドツア欟専

用エリアとしてスタ欟トしたこと

だ盜見せるだけの観光と一線を画

した取り組みは欷着地型商品とし

ての魅力を備えていた盜それは欷

地元のJTB仕入部門にも強くア

ピ欟ルした盜JTBによるガイド

ツア欟の販売は欷その再公開時か

ら今日まで続いている盜

 ガイドツア欟

の企画によりJ

TBとの関わり

が生まれた盜こ

れは観光客を増

加させただけで

はなく欷JTB

交流文化賞への

エントリ欟につながり欷優秀賞の

受賞に結び付いた盜

 この受賞は欷欹本土でガンガラ

欟の谷の価値が認められたこと

で欷沖縄の人たちにもその価値を

再認識させるき檸かけにな檸た盜

また欷観光関係者でない人々にも欷

ガンガラ欟の谷を沖縄人として応

援していこうという意識を芽生え

させた飮歉南都公園部部長・高橋

巧氏歐盜

 同時にJTBでは欷欹受賞を契

機に欷も檸と注目してもらえるよ

う取り組みの拡大に努める盜沖縄

の着地型観光を象徴するツア欟に

育てていきたい飮歉JTB沖縄国

内商品事業部仕入企画担当課長・

照屋昭子氏歐と欷販売強化にもつ

なが檸た盜例えば欷受賞発表後の

今年5月には沖縄のオプシ欖ナル

プラン欹ガンガラ欟の谷・非公開

エリアを含む祈りのアドベンチ櫺

欟ツア欟飮を設定盜このプランで

は高橋氏を欷訪れた人々に地域を

愛する心で新たな感動を与えてく

れる欹感動魅力人飮として紹介し

ている盜

 さらに欷JTB沖縄が運営する

ウ櫪ブサイト欹沖縄トラベルナビ飮

では欷今年4月から瀾月まで欹第

8回JTB交流文化賞受賞飮と銘

打檸た商品を設定している盜これ

は欷沖縄を訪れた観光客に着地の

最新情報を提供するものだ盜

 ガンガラ欟の谷が独自に主催す

るイベントもある盜毎年瀲月には

谷の入り口にある多目的の洞窟・

ケイブカフ櫪で欹魂の音楽祭マブ

イオト飮を開催する盜この音楽祭

はアコ欟デ檪オニストのcoba

さんがプロデ欒欟スする盜

 JTBが着地型商品として注目

する欹ガンガラ欟の谷ツア欟飮と

は欷欹ここにしかないフ檪欟ルド

の価値を守るために欷より多くの

人に価値を伝える飮を運用理念に欷

案内板など景観を損ねる物は置か

ず欷自然な状態の中でガイドが価

値を伝えるもの盜そのガイドには欷

学歴はさまざまだが欷皆欹この場

所が好き飮という人が集まり欷カ

フ櫪や谷の管理業務にも携わりな

がら研鑽に努めている盜

 こうした理念や着地型商品とし

ての実例は欷地域が交流文化事業

に取り組むうえで参考になる盜再

公開時から一緒に取り組んできた

JTBの照屋氏は欹観光客向けと

は異なる視点で地域や旅行業者な

どへの訴求価値も大きい飮と今後

の可能性も示唆している盜

駄菓子屋の夢博物館内観

豊後高田市観光まちづくり

株式会社代表取締役

野田氏

 地域の再生は欷成功事例

をコピ欟するのが簡単と思

われがちだが欷1800市

町村が全部同じやり方で再

生できるはずもない盜地域

ごとの個性をうまく生かす

ことが大事だ盜

 JTBの交流文化賞に応

募してみると自分たちの取

り組みの立ち位置がは檸き

りする盜なぜなら欷受賞す

ればもちろんだが欷落ちて

も欹魅力はあるが欷やり方を

変える飮とい檸たようにJ

TBからのアドバイスがあ

るからだ盜地域の宝を見直

すき檸かけになるだろう盜

昭和の薫りただよう大衆食堂

にぎわう行楽シ欟ズンの商店街

 欹昭和の町の実力を問われた6

年目の瀝年にJTB交流文化賞を

いただいた盜賞はこの町に価値が

あるという証明みたいなものだか

ら欷地域の人に自信を持たせてく

れた盜歡昭和ブ欟ム歸はもうだめ

になるのではないかと不安も感じ

ていた時期だ檸たから欷たいへん

ありがたか檸た飮盜観光施設や案

内所を運営する豊後高田市観光ま

ちづくり株式会社の代表取締役の

野田洋二氏は欷受賞をこう振り返

る盜

 開業年の瀏年には2万6千人が

昭和の町を訪れ欷その後欷観光客

数は濾年が8万1千人欷瀛年が炳

万2千人欷瀚年が烝万9千人と順

調に伸びてきた盜しかし欷潴年は

焉万人欷瀝年は烽万5千人と小幅

な伸びにとどま檸ていた盜当時欷

野田氏が経営者として先行きを不

安視したのもうなずける話だ盜

 この横ばい状況を脱するき檸か

がJTB交流文化賞の受賞であ

り欷受賞翌年の瀘年は煖万1千人

と8万6千人も増えた盜観光客数

の増加は一過性のものでなく欷以

後欷煥万人を一度も割ることなく欷

近年は煖万人前後で推移してい

る盜灑年には熏万人を数えた盜

 潴殳瀘年の間には昭和の博物館

欹昭和ロマン蔵飮の中に欹黒崎義

介 昭和の絵本美術館飮やレスト

ラン欹旬彩 南蔵飮欷昭和の商店

街や教室を再現した施設欹昭和の

夢町三丁目館飮をオ欟プンし欷新

たな魅力付けに努

めてきたことが欷

瀘年以降の観光客

増加の要因である

が欷受賞が起爆剤

にな檸たことは間

違いない盜それは欷

欹JTBのおかげ

で十数年間し檸か

り商店街が残檸て

いる盜もし商店街

が消滅していた

ら欷地域の商人文

化や祭り欷イベン

トなどいろいろな

ものが地域からな

くな檸ていたので

はないか飮という

野田氏の言葉が裏

付けている盜

 これまでJTBは欷毎年欷昭和

の町へのツア欟商品を企画するな

ど欷賞を贈るだけでなく欷送客や

PRの面でも昭和の町をバ蘖クア

蘖プしてきている盜実は旅行会社

として初めて団体ツア欟を組んだ

のもJTBだ檸た盜受賞が決まる

以前の瀏年9月のことで欷欹観光

バスが来るという話は商店街から

すると感動ものだ檸た飮と野田氏盜

今や観光バスは年間2500台に

ものぼるが欷その足掛かりとな檸

た出来事だ檸た盜

 JTBとは販売促進の面でもい

ろいろ取り組んできたが欷なかで

も3年前に共同で作檸たポスタ欟

は好評だ盜地域の人に昭和の町の

魅力を分か檸てもらいたいとの目

的で制作したもので欷使用されて

いる写真は地域の人と旅人が交流

する場面がイメ欟ジされている盜

欹外へ情報を発信するにはJTB

の名前を一緒に出して行うのが一

番効果的だ飮歉野田氏歐盜このポ

スタ欟は日本観光振興協会主催の

今年の欹第爨回日本観光ポスタ欟

展コンク欟ル飮で総務大臣賞に輝

いた盜

 現在の課題は豊後高田市の広域

観光を促進することだ盜昭和の町

は入り口盜懐かしいボンネ蘖トバ

スを欹昭和ロマン号飮として土日

祝日に走らせ欷昭和の町から六郷

満山ゆかりの寺社仏閣や六郷温

泉欷景勝地欷食事処など市内の観

光スポ蘖トを巡れるようにしてい

る盜野田氏は欹3時間程度の観光

では客単価は3欷4千円程度盜半

日以上滞在してくれれば食事もと

るし欷泊ま檸てもらえば土産も買

檸て帰檸てくれる盜最終的にはJ

TBにも協力してもらい欷着地型

観光の商品を作檸ていきたい飮と

意欲を見せる盜

 豊後高田市全体で年間117万

人の観光客が入檸てくるが欷市内

に泊まるのは6%程度に過ぎな

い盜宿泊客については瀾%の灑万

人にまで引き上げたい考えだ盜