19
Kobe University Repository : Kernel タイトル Title ワグナーの「國家社會主義」とケインズ學派の經濟・財政思 (Comparison Keynesian Economic and Fiscal Doctrines with Ad. Wagner's State-Socialism) 著者 Author(s) 花戸, 龍藏 掲載誌・巻号・ページ Citation 国民経済雑誌,92(6):1-18 刊行日 Issue date 1955-12 資源タイプ Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 版区分 Resource Version publisher 権利 Rights DOI JaLCDOI 10.24546/80040377 URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/80040377 PDF issue: 2021-04-18

Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

  • Upload
    others

  • View
    0

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

Kobe University Repository : Kernel

タイトルTit le

ワグナーの「國家社會主義」とケインズ學派の經濟・財政思想(Comparison Keynesian Economic and Fiscal Doctrines with Ad.Wagner's State-Socialism)

著者Author(s) 花戸, 龍藏

掲載誌・巻号・ページCitat ion 国民経済雑誌,92(6):1-18

刊行日Issue date 1955-12

資源タイプResource Type Departmental Bullet in Paper / 紀要論文

版区分Resource Version publisher

権利Rights

DOI

JaLCDOI 10.24546/80040377

URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/80040377

PDF issue: 2021-04-18

Page 2: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

ワグナーの「國家枇會主義」とケインズ學派

の経清•財政思想

この小論はケイ芝ス学派が全く新しい理論と政策を提示しつ4も、そのうちに、かつてのドイツ学説の再生かと思われるほどの思想を

展開していることに注目したいわば私のメモである。さて多くの学説がそうであるように、論題の示す二つの学説も、それぞれ時代の背

景とその国の基盤をもつている。即ちワグナーの説は、一八七一年に成立したドイツ帝国における資本主義の発展に伴う労資の抗争、国

内の分裂を調整統一して、先進資本主義国家に対抗する課題を担ったものであり、ケイ

yズ派(この稲ではケインズとハンセンを研究す

る)は、高度資本主義の英•米における一九――10年代の不況の克服と失業の救済によって資本主義を維持するために唱えられた学説であ

る。かようにこれらの学説は課題ないし問題意識を同じくしないために、理論と政策を異にするのであるが、これと同時に両説は、多く

の面において近似性ないし共通性をもつている。それらの理由については以下の叙述において徐々に明かとなるであろう。そこでまず両

説の異同を便宜のために若干の項目にわけて説明する。その叙述、引用等は紙幅の関係でつとめて簡略にした。

ノヽ

左記は引用した文献であるが、頭書のアルハベットはそれぞれの文献の符号である。そして原書の引用頁は算用数字で、邦書と訳書の

ー(

それは日本数字で表わした。

Page 3: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

J. M•

Keynes, The General Theory of Employment, Interest and Money, 1936. (ffi

嘩fへm洪〗{)

b)

Keynes, Laissez-Faire and Communism, 1926.

c) Keynes, Essays in Persuration, 1931.

d) D•

Dillard, The Economics of J. M•

Keynes, 1948.

ClfflJ-*:MwO

e) A. H•

Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編R)

f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944.

g) Hansen, Economic Policy and Full Employment, 1947. (,、j

ヽ涸洪専C)

h) Hansen, Monetary Theory and Fiscal Policy, 1949. (1j、淘•6淵遥琴)

Ad. Wagner, Finanzwissenschaft, Erst er Teil, 1883.

栞fA9

}苔注翌湮醤忠°

a

)

(2)

'c'.i 0

両学説における相違性

(

1

)

経済理論の出発点ーーウグナーは資本主義の弊害の原因を「国家市民時代」における自由放逸の利己心に求め、利

己心が果して人間の唯一の動機であるか、

またこれを制御し得るかどうかを問題とする。氏は人間動機を利己心と他愛心

とに大別し、前者を更に四分して、経済的利己心の外に刑罰•賞賛に関する勤機、名誉・権勢慾、活動慾をあげる。そし

R

て氏は分析した人間動機論を基礎として理論ことに政策論を展開した。ヶインズは他愛心の範囲の拡大を否定しないが、

経済的利己心を前提として、

不況と失業の原因を主として有効需要の不足に求め、そして有効需要の決定要因を究明し、

これを氏の理論と政策の基本原理とした。ヮグナーの説が政策論において、

ケインズのそれが理論において、それぞれ特

徴をもつていることは留意せられるべきである。

◎ D~.=OJfo

◎b) p. 60 (~/~J{)

Page 4: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

(

2

)

政策主体ーーヮグナーは「国家社会主義」を実行するために、個人や政党を超越する強力な国家を要求するが、そ

の国家は立憲君主政体である。そして政治を行うものは政府であり、国民は憲法に基いて政治の特定部分に時として参与

するに過ぎない。従って政府と議会とは別個のものであり、こA

では未だ民主政治は行われない。ヶィンズの念頭にあっ

た政策主体は、国家と個人の中間にある半自治団体であるが、これは最後には議会を通じて表明される民主主義の主権に

従わねばならない。氏のいう「中央統制」がこの民主主義によることは勿論である。そして議会政治を動かす政党につい

R

て氏は、保守党を頑固派、労働党を破壊党として斥ける。労働党への参加問題に関連して、「階級闘争に際して私は教育あ

るプ生チョプジーの側に立つ」という。氏は結局条件付で自由党を推すのである。即ち日う「もしもそれ(自由党)が強力

な指導者と正しい綱領をもちさえすれば、将来の進歩にたいして最良の道具となるであろう」と。

ハンセンの民主主義に

ついては説明を要しないであろう。

◎ j)'ー~l\A・llllo減°

◎b) P・60. c) P・331.

◎ c) p. 327.

⑤ c)

p. 324.

@ c) p. 325.

(

3

)

経済政策ーーワグナーの「国家社会主義」は協同体利益(全体利益)に照らして、自由資本主義と社会主義の長短

を取捨するのであって、経済政策の主要目標は、生産的見地において「自由国民所得」を最大ならしめ、分配的見地にお

いては、平等な生存権を有する下層階級に対し「生存慾望」の充足と軍要な文化財に参与せしめて「人間らしき生活」を

なさしめるにある。このために社会は、所得の不平等を制瞑する権利と義謗とを有する。そしてその政策綱領は、(イ)自

R

由資本主義に対して社会政策的規制を加えること、(口)企業の国有•国営化、(〈)「社会的」財政・租税政策等である。

ケインズは現代社会の欠陥として、不完全犀用と官・所得の不公平な分配とをあげる。そして氏の雇用増加政策の綱領

は、(イ)社会の消費性向を引上げる累進課税、(口)民間投資の眼界効率の変動を補整し且つその変動量を減ずるための

公共投資及び民間投資の公共統制、(ハ)貨幣供給を統制し且つ利子率を引下げるための強力な貨幣当局である。これらを

(3)

ワグナーの「国家社会主義」とケインズ学派の経済•財政思想

Page 5: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

R

要約すれば、消費性向と投資誘因との間の調盤のための中央統制となる。

ハンセンの経済政策目標とその手段は基本的に

ノヽ

はケインズのそれと同じであるがやや多面的である。即ち氏における政策の最高規準は、(イ)完全扉用、(口)社会的優

R

先性に従う公共支出、(ハ)インフレ、デフレの防止、(_-)社会的・経済的に最も有利な所得分配である。また、総需要

(4

を保証するための手段は、貨幣的•財政的統制、就中、均衡のとれた賃銀・価格政策、独占の統制、高ぎ生産力の増進、

R

技術的進歩、殊に社会的統一と結合である。

右に述べた学説における経済政策に関して特記すべきは、

政策目標が単に経済問題に終止しないで、これを起えた究極

目標にまで遡つていることである。即ち、

ワグナーは国家目的として自由放任の「国家市民時代」の法治・権力目的の外

R

に文化•福祉目的をあげて、文化の発展や国民の福祉増礁を経済•財政政策の究極目標とする。ハンセンは完全雇用計画

R

が「基本的人権ー生命、自由及び幸福追求の自由ーを含んでいる」といい、また「将来の社会的計画化が、吾々の社会秩

序を管理する合理的民主主義方法となり得るような法律の準則を発展せしめねばならない。かくして吾々は、人格的個人

的自由という不減の人間的価値と結付いた進歩、安定および完全雇用の高き目標に達成し得るのである」と論ずる。ディ

ラードはケインズ解説において、失業が多くの人々の創造的労働の威厳と人格の自己実現の可能性を否定する、として犀

用政策と人格の実現とを関連せしめる。

要するにこれらの学者の政策目標は、経済問題であると共に、社会問題であり、文化問題でもある。

j) --;\‘~~沖減°

p. 218、9.

=Ji. 川ぃIL。

p. 326. 川~汁ー減°

j) -ー,llllll、’̀7パ減。

◎ g) Preface vii. f¥:5(ー減°

@ a) p. 372

亙臣互減°

@ j)~==·

~.=J\減°Rd) p. 327. 川い沈ー減。

@ g) P・16'. ー

j/減° ◎

a) p. 379. ~7"

t

〗I。

Rg) p. 28.

=: tll減。

@ g)

@ d)

(4)財政政策ー|ーワグナーは「財政学の課題が、国民生活に対する国家給付の価値と私経済に対するその費用との間の

適正な関係の必要性を見失わないことにある」として、まず財政と私経済との関連を説き、予算については後述するごとく

Page 6: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

済、第一二正義または公正な租税分配、

均衡維持を最高原則とする。そして財政収入政策は、宜要性の順序に列挙された氏の租税諸原則(第一財政政策、第二国民経

R

第四租税行政)において見る如く、まず国庫収入を確保し、これとともに経済・社会政策

目的に適合せしめるのである。ヶィンズの財政政策(公共支出、借入、課税)は経済政策の一環をなし、従ってその政策目標

が雇用(国民所得)の増進にあることはいうまでもない。

R

加の道具として利用されるに至った経過を説明する。しかし氏は財政政策の目標を雇用問題のみに誤定しない。即ちその

ハンセンも「財政政策の役割」において、財政政策が雇用量増

著「財政政策と景気循環」において、「本書は……変遷しつ

Aある政府の役割について論じ、就中、国民所得とその分配を

調整する手段としての財政政策を主題としている」といい、また「財政政策の新しい型」として、(

a

)

私経済における変

R

勤の対抗策、(

b

)

完全雇用の維持増進、生活水準の向上策をあげる。ヶィンズの経済政策盆既述)およびハンセンの財政政

策の目様について特に留意すべきは、国民所得とその分配の調幣との二者を併列していることである。ヶィンズ派の理論

にあっては、分配の調整↓社会消費性向の増大↓雇用(国民所得)の増加となるのであるから、

政策目標としては完全雇

用のみをもつて足りる筈である。にも拘らずヶィンズ、

ハンセンが、完全雇用と分配調盤とを併列して、両者を別個のも

のとして取扱っているのは、雇用問題を離れても分配調整の必要を認めるものと解すべきである。ヶインズは一九二

0年

著の「乎和の経済的帰結」においても、既に富の分配の不乎等を問題とし、貯蓄という菓子を大きくすることのみに専念

した第一次拙昇大戦前の資本主義の不合理性を批判している(同原書、

一九ーニ0頁)。

かくの如く国民所得の増加とそ

の分配調整とを政策目標とする限りにおいて、両氏の説は既述のワグナーのそれと差異がない。併しながら、

ワグナーの

財政政策論とケインズ派のそれとは次の点において異る。即ち、(イ)ヶィンズ派はワグナーが問題としなかった完全雇用

ないし経済の安定を極めて軍視して、これを経済•財政政策の主目標とする。(口)ヮグナーが財政政策(国庫収入)原

(5)

則を最優位におくに反して、

ケインズ派は財政政策を経済政策の手段とみて、財政政策の自律性を認めない。このことは

ワグナーの「国家社会主義」とケイツ・ス学派の経済•財政思想

Page 7: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

後述の均衡予算の是非論と直接的に関連する。

(ハ)ヮグナーが収入とくに租税収入を軍視するに対して、

ケインズ派は

政府支出に宣きをおき、公債の役割を高く評価する。

(6)

◎i

)

s. 19.

◎ j)

ー回0減に

T。◎ e) p.

117. --:liJ{。④ e) Introduction vii. Pf, 噂l減。

◎ f)

p.

182.

(5)企業の国有•国営化ーワグナーはその「国家社会主義」を別名「部分的社会主義」と称して企業の一部の社会化を

主張する。氏は経済を生産部門と広義の流通部門に大別し、前者は例外は別として私経済に委すが、「協同需要」の対象と

なる流通部門の多くを社会化すべきものとする。ヶィンズは社会主義の主張する生産手段の社会化が、完全雇用に近い状

R

態を確保し得る唯一の方法であることを認めるが、「国家の引受くべき重要な事項は生産用具の所有でない」とする。

ハン

センはこの点ヶィンズに比して一歩前進せるものの如くである。氏は経済の安定と資源の完全雇用のために、

生産消費の

両面における公私混合の「二重経済」制度(後述)を提唱する。そして生産部門に於て鉄道と公益事業の官営(また炭鉱の

R

国有化にも反対しない)、商・エ•金融業の民営を主張する。

g) P・81.

:fL=:Jl。

(

6

)

均衡予算ーワグナーは予算の収支均衡をもつて財政政策の最高原則とし、この原則実現のために、経常費と臨時費

◎ j)

-:::3.E.、,0}減°

◎ a) p. 378•四汁ーI[o◎ e) p. 404. iz:g唄

I

苔減。

の支弁方法について次の如く説く。

(第一)その作用(効果)が年度内に終る経常費は、経常収入を以て支弁すべきであ

る。かくすることによって、(イ)財政上慢性的なそして常に増大する国庫の不足を妨ぎうるのみでなく、(口)生産(権

R

利保誰その他の国家給付)と消費(国家給付より享ける国民の慾望満足)との間の均衡を期待し得る。

(第二)その作用が長期に

わたる臨時費は、その支出による国家給付が、将来国庫収入を増加せしめ、或は国家・国民経済の生産力を増大せしめる

R

が故に、これを公債によって支弁しても財政の均衡を乱さない。

I吾々はこA

に氏の長期均衡予算の思想を一応読みうるがーし

かしかA

る場合でも公債を無条件に認めるべきでなく、公債の性質と臨時費の性質とを吟味して、公債による場合を最小

Page 8: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

限度に止むべきである。例えば国家の設備・営造物の新設改良等を目的とずる「国家経済的投資」に要する臨時費の支弁

は、その作用が長期的であるから、当然公債により得る如くであるが、この経費支出によって生ずることあるべき将来に

おける有利な作用の如きは、これを確認することは困難であり、従ってこれは経常収入(租税)によって支弁するを可と

すると。

次に、財政を経済政策の手段とし(既述)、

しかも政府支出の国民所得に及ぼす効果を高く評価したケインズ派が、年度

毎の予算均衡という固定観念に捕われないことはいうまでもない。即ちハンセンはいう、「若し政府の財政連用が、経済・

公共政策への道具として考えらるべしという立場に全面的に加担するならば、均衡予算という概念は、

たとえいかに定義

されようとも、右の政策沢定にあたつて何等の役割を果たし得ない筈である。予算が均衡化されねばならぬというドクマ

によって束縛されていたのでは、支出•公債および租税のある与えられたプログラムに関し、その経済的有効性を公平に

判断し得ないであろう」。

またいう「総需要と総供給との均衡を維持するためには、財政伸縮性の準則が必要である。均

R

衡予算のドグマは経済安定の要求に殆んど合致しない」と。更に氏は「長期的見地における不均衡予算は、完全雇用に対

する必要条件ではなく、社会的効用の基準に従う公共支出及び租税構造の予算に及ぼす影喘は、赤字、余剰または均衡と

なって現われるのである」というo

右のハンセンの所論において見るごとく、

ケインズ派にとつては、

経済政策目標の達成こそが主眼であって、これがそ

の手段たる財政とくに予算に与える影響の如きはいわば副作用に過ぎないのである。

④i

)

s. 166・

◎ e) p.

188, -:hfLJlo

◎i

)

s. 131

◎i

)

s. 149. 151.

@i) s. 151.

@ g) p. 330.

=3_;¥-f(減。

◎ g) p. 79.-80.

ノヽ

辻0減°

(7

ワグナーの「国家社会主義」とケインズ学派の経済•財政思想

Page 9: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

両学説における共通性

(8)

(1)倫理・心理・政治・社会的要素の導入ー(イ)倫理ーワグナーはスミスが経済学から排除した他愛心を、氏の人間

動機論や経済組織論において見る如く、経済学の中に採入れる。そして他愛心からなる倫理協同体を到達すべき究極目標

とした。ヶィンズ、③

の他を問題とする。

ハンセンもその著作の多くの箇所において主として平等の意味ではあるが、「社会的正義」、「公正」そ

R

(口)心理ーヮグナーにとつて経済学は「応用心理学」であり、人間動機の分析も心理的であった。

また氏が資本主義に対する社会主義の批評に根本的に賛成すると断言しながら、社会主義に反対したのも人間の「心理的

性質」であった。ヶィンズ理論における「独立変数」は「三つの基本的心理的要因」であり、氏はまた群衆心理ないし社

会心理を問題とする。

(ハ)政治ーワグナーの「国家社会主義」という学説は、抽象的理論の産物でなく、所与の政治・

R

道徳•技術・経済その他の諸要素に依存する近代社会発展の所産であり、また例えば所有権の制限は人間の心理、政治そ

の他を顧慮して沢定せらるべきものとせられる。ヶィンズも例えば政治的実際的困難の伴う伸縮的賃銀政策を避けて伸縮

的貨幣政策を選ぶ如くである。

(二)社会ーワグナー説における大きな特微の―つは、経済生活を二つの観点から考察す

ることである。その第一は「自然的叉は純経済的観点」であり、第二は「社会的・歴史的」観点である。ヶィンズが社会

的心理を問題としたことほ既に述べたが、例えば「次章において考察する主観的要因は::・・人間性質の心理的特質と社会

の慣行及び制度を含んでい

5」というごとく、社会制度を問題とする。

◎ j)~01:

減°◎

a) p. 33.

耳ー減oP・95. ~

ー汁減0p. 267.

:::::=:::::Ji0 p. 355.

iz:9=1LJi。c)p. 335. 344. g) p. 23.

=-! い日[°

p. 137. ーし

]ij/J四°@j)ーしiーfLJiocj)ーしいいいいII。

@

a) p. 154. ーしj/’下1II。

@

D~o:n:Ji。@

j)ーし。{い]I。Ra)p. 129.

ー比汁減

0

p. 268. tllllll減

0

d) p, 218.

=:::::r!:9]{。p.245

.=いfハziII。

@

j)ーし

ll

〗I。

®a)p. 91

・ーしllII。

(

2

)

反共産主義と反自由主義(反革命と新自由主義)ー共産(社会)主義はワグナーにとつてその実現は「地上に天国

Page 10: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

R

を夢みるものであり」、ケインズに対しては「不合理にして且つ陰気な学説」であった。また両学説にとつて自由放任主義

ワグナーの「社会時代」の到来、ケインズ、ハンセンの新自由主義の開始であか。かように両説は自由放任

は終焉して、

主義を否定するが、財産・所得の完全な平等化を意図する社会革命に対しては否定的である。即ちこれらの学者は共に、

私有権も、富の不乎等も、階級の区別も原則として日翌認する。この帳りに於て保守主義であって、基本的には資本主義社

会の現状維持論者である。ヶィンズが消費性向と投資誘因を統制する理由は、これが「現存の経済的諸形式の全面的な崩

壊を回避する唯一の実行可能な手段である」からであり、ハンセンにとつて現在の社会制度は「容易に変更し得ないし、

R

また現在のところ多くの場合、変えることが綴ましくない」からである。要するにこれらの学説の意図するところはディ

ラードが適切に表現せる如く、大革命を回避するための小革命である。

◎ j) -==減。

(g)

h) p. 47.

R

j

)

-OE. 減°④c) p. 335. g) p. 14.

ーし古減oP・17.

=0減。◎j)

ーーー

p. 37 4. [Z9 E.1(. 減

0

h) p. 166.

-:fL--1: いI[0

e) p. 184.

ーし1L'

ー1四°@a) p. 380•四1fハ下1II。

6)e) p, 237 -8. =n. --1::;J{°@d) P・

233-4. =:_7(7L減。

(

3

)

国民経済への財政の導入(国家統制の是認と混合経済の提唱)ーワグナーの国民経済粗織は、(甲)私(個人主義)

経済、(乙)協同経済(特に強制協同経済)、(丙)慈善経済の三つである。これらは既述の氏の人間動機論に照応するもの

であって、(甲)は利己心、(丙)は他愛心、(乙)は主としてこれら以外の諸動機によって支配される。氏の三経済組織は

三重経済制度であるが、そのうち(丙)は倫理上最高価値をもつ理想的なものであっても、これに対して多くを期待し得

ないで、

たゞ他の組織を補完するに過ぎない。国民経済において重要な地位を占めるのは(甲)と(乙)とである。それ

故に、氏の経済組織は実質的には二重経済制度といい得る、そして氏における国家(財政経済)は国民経済における強力

な支配的肢体である。即ち国家は国民経済の中に入り込んで自ら生産経済を営みながら分配の調整者となるのである。

ノヽ(9

ケインズが消費と投資を統制する理由は、普通の人が(社会の主要な一部分の人逹であるにしても)、営利につよく耽つ

ワグナーの「国家社会主義」とケインズ学派の経済•財政思想

Page 11: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

R

ている眼りにおいては「競技を規制と制限の下で演ぜしめることが賢明にして分別ある政治道である」からである。かく

してケインズにあっては、財政は統制の一重要手段であるから、必然的に財政が経済学の対象となるに至る。

ハンセンは

(10)

経済の安定・資源の完全利用と投資•所得•消費を調整するために、生産・消費両面における公私混在の「二重経済」制

度を提唱するが、この二霊経済のうちで二軍生産経済は生産手段の社会化を、二重消費経済は所得•消費の社会化を指向

するぶかくてハンセンにおいても、国民経済における政府活動ないし財政の役割が増大する。氏がその著の財政学に付し

た「国民経済における国家・地方財政」という書名からも明かな如く、

いまやヮグナー(ドイツ)流に、財政が「国民経

済」の中に吸収されて、その構成要因となったのでおる。たゞしハンセンは、

ワグナーが径済組織の一っと見た慈善経済

を否定する。曰く「慈善及び福祉事業に対する寄附は、強力且つ自立民主主義は……個人的寄附に依存することを希望し

ないであろう」と。

◎ j)~.=:

回ヽ~出減。lllll減。

◎ a) p. 37 4.

IZ:9 li*Jl。@ e) p. 401. 12:9i!!lI£ 減°

Rg) p. 228. いい注臣減°

(4)

私経済組織の軍視と国家統制の限異ーワグナーの三つの経済組織のうちで霊要なものは、協同経済(特に強制協同

経済)と私経済とであったが、前者の協同経済は、人間の経済性質や経済行為その他現在までのあらゆる経験に微してみ

ても「たゞ特定の場合にのみ有効適切に私経済に代置され又はこれを補完するに過ぎない」。

かくて氏における国民経済

の主要部分は依然として私経済組織である。それは、利己心に基くこの組織が、

R

る。

生産を増加せしめる長所をもつからであ

ケインズにおいても、消費性向と投資誘因に対する中央統間以外には「経済生活を社会化すべき理由は従来以上に存し

R

ない」。

かA

る中央統制に於ても「なお個人の発意と責任の働く分野において、個人主義の伝統的諸利益が依然としてそ

の効力をもつ」のである。

ハンセンの見解も同様である。即ち私的企業を基礎とする自由社会において行われる況合休制

Page 12: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

は、氏にとつて純粋な私的企業怪済ではない。

R

る」

「しかし、その最も特徴的な性格は依然として市場若しくは価格体制であ

ワグナーもヶィンズ派も右に見た如く、私経済組織を国民経済の枢軸とするかぎり、統制に誤異を付することは当然で

生産意慾ないし営利心を阻害して資本主義経

R

済の根幹を脅すごとき統制は許されないのである。ヮグナーが「国家社会主義の樹は天まで成長せず」というとき、統制

ある。この点に関するそれぞれの学説からの引用は省略するが、要するに、

が無限でないこと、換言すれば氏の説が、社会主義にまで伸張しないことを言表したものである。

◎ j)~=n.

減。

@ j) ,ー

,ll減。・

◎ j)

-=-. -:Ei."ft. 減。@ a) p. 379.

耳汁

l減。

④ a) p. 379.-80.

iz:97'tllllII。◎ g) p.

26.

=:OJ{。

(

5

)

個人価値の外に社会価値の是認ー自由放任の私経済に対して国家が何等かの統制を加えるとき、個人価値の外に社

会価値を前提としていることはいうまでもない。ヮグナーにとつて国家(協同体)は、その成員に対してヨリ高きもの、

ヨリ持続的なものであり、そして氏の学問休系の頂点に、「協同休利益」ないし「全休利益」によって表

R

現された社会価値がおかれ、これがあらゆる政策の基準となる。また、自然的自由と所有の自然権を否定して、社会的正

R

義と社会安定のために経済諸力を統制する必要を説いたケインズも「一般理論」の多くの箇所に於て、「社会的利益」「社

会的費用」を問題とする。さらに、「+九批紀中葉の原子論的個人主義」を否定して「民主主義計画化」を説くハンセン

R

も、「社会的効用」、「社会的優先性」、「文化的社会価値」を政策基準とする。

ヨリ霊要なもの、

◎ j)~

〇汁減。

◎ b) p. 57.

@ c) p. 335.

p. 325.

=::ft=:Jlo p. 328.

=::ft*Jl。◎ g) p. 14・

A汁減°

@ a) p. 145. ート

ElllII。p.164. ート

1L~J炉

p.

219.

=-: ハ1i〗I。p.

271.

:::::=-!: いII。

⑤ g) p. 216.

=~1LJ{。p.

53. *.=い]I。p.138. ~1£;\J{

。p.

183.

(11)

lll減

0

P・164.

-:tuz:g減o・p.189.

==o:N。

(

6

)

労働価値説の採用と企業利潤の日翌認

l

ヮグナーは共産主義に反対したが、

マルクスの労働価値説を採上げる。即

ワグナーの「国家社会主義」とケイyズ学派の経済•財政思想

Page 13: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

ち氏における生産費は、凡ゆる種類の労働からなるが、これらの異質的労働を一定の労働の種類に制約すれば、結局「社

(12)

会的に必要な労働量即ち労働時間(マルクス)として理解し得る」という。併しながら氏のいう労働は、直接間接に参与

する労働を含み、殊に企業家は企業の真の頭脳として高く評価されて、適正な企業利潤が是認されるのである。

ケインズは経済諸量の測定単位として、労働単位(時間)を採用するが、氏はその理由の一部を、凡ゆるものは「労働

によつて生産されると云う前古典~の教義に私は同感である」ということに求める。そしてその労働には、企業者および

その助力者逹の個人的労働が含まれるのである。かくの如く氏は、古典学派の意味における労働価値説をとるが、しかし、

R

ワグナーと同じく労働のうちに企業者の精神労働を包含せしめて、企業利潤を是認する。ハンセンにあっても「私的企業

R

は確実性、生存及び適当な幅の利潤が残るのでなければ機能することが出来ない」また「会社利潤は利潤経済を刺激しそ

の機能を保証するのに十分でなければならない」のである。

◎ j)

--t:;. 減°

◎ a) p. 213..-4 . .=:Ji/¥Jl0 ◎ g) p.

48. E.1: い減°

④ g) p. 255.

=:tti¥Jl。

(

7

)

特定の階級利益擁護の否定と非生産者の軽視又は否認ー純粋な自由個人主義と強制の伴う共産主義と共に否定して、

両主義の中道を歩むヮグナーとケインズ派の両説が、資本家または労働者という一部特定階級に加担しないことは容易に

首肯し得るところである。ヮグナーの政策論は、

生産の増加をはかると同時に、富における分配の不平等を矯正するにあ

った。そして分配を調節して下層階級の地位を向上せしめるためには、上層階級はその犠牲とならなければならない。併

しながらかA

る政策を行う碑由は、労働者という特定階級の保護のためでなく、「全体利益」を増進するためである。従っ

て既に見たように、その調整ないし統制には一定の阪界があった。氏にとつては、資本家階級も労働者階紋も「全休利

益」に奉仕すべき義務を有するのであって、両階級の存在は「全体」のために必要不可欠である。かくて氏は、「全体」に

奉仕しないか若しくはその程度の小なるもの、例えば景気•投機利得者や相続財産の収得者の如き不労所得者、即ち非生

Page 14: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

産者は否定され又は軽視されるのである。

ケインズは働きたい意慾のある者に職を与える完全雇用を政策目標としたが、

しかし氏は労働者階級のみに加担するも

のではない。ディラードが適切に解説せるごとくヶィンズは、何等かの積極的意味における或は党派的意味における組織

R

労働者を弁護するものでなく、氏は賃銀の引下にも引上にも反対しているのである。そして氏は、ワグナーの否定した投

機業者の外に、金融業者特に金利生活者を軽視してその「極楽往生」を説いた。これらの人々は不労利得者即ち不生産者

である。つぎにハンセンは、高消費にして過剰貯蓄のない経済において十分な総需要を保証するためには、高賃銀と低利

R

潤を目標とすべきものとするが、しかしこの場合でも適正利潤が残るという前提に立つている。また、安定的賃銀政策と

して、生産力に伴う賃銀増加を許しても、それ以上の賃銀の引上げを認めていない。

◎ d) p.

218. =:.::::~J:{0

. @ g) p. 48. E.-1::;]l。

◎ D~o*

・ー[四

•llll出演。

Rg) p. 13. ~1£Ji{0

e) p. 324. =:E~Ji{

(8)

国民経済全体としての概念の採用と概念内容の拡大ーワグナーは個人的見地のみでなく国民経済的に立ち、従って

国民財産・資本・所得概念を採用した。そして個人の財産・所得が減少しても、それが他人に移転されるに過ぎない場合、

またはそこで有利に利用されるときは、国民経済全体としての財産・所得は減少せずまたは増加する場合があることを説

く。また、国民所得・資本の二重計算を避けた。ヶィンズにおける「国民所得」棚念も、ワグナーにおけるとほゞ同じ意

味における概念である。

つぎにヮグナーは有形財とならんで国家の作出する無形の価値たる国家給付を経済財とし、また投資の概念を甜経済に

R

おける意味とは異る「国家経済的投資」にまで拡大した。ヶィンズも無形のサービスをも財として経済学の対象とし、ま

た「商業的収益」と何等の関係がなくとも、将来において社会的利益を伴うであらうと仮定された政府支出を

R

資」と称して、投資概念を拡大した。ディラードの解説によれば、救済金や奨励金のごとき消費支出も「人間に対する投

「公共投

(13)

ワグナーの「国家社会主義」とケインズ学派の経済•財政思想

Page 15: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

R

資」となるのである。これは実に、全休主義社会観をとるアンドレェが、厳業教育費を「人的資本」と称する説と組通ず

R

ハンセンは基本的には有影財を宣視するが、同時に無影財の軍要性を強調する。氏はスミスの有形財や不生産労働の

る。

(14)

所論に対して鋭く批判して、凡ゆるサービスの生産性を力説する。かくて氏にとつては、価格機構の外にある効用または

サービスも、広義の課税所得ないし担税能力となり、また実に、「生活における時間的余裕それ自休が、衣食をより豊かに

することよりも宣要な経済財となる」のである。氏のかA

る無形財論は同時に政府活動の生産性論となるのであるがこれ

は次項で述べる。

◎ j)~~=·

~~Ji.

・ー回l減。

186. =~E,.J.(0

◎i)

s. 152.

◎ a) p. 163. ~ft;*減。

Rd) p. 107. ~’ー

{ziII

◎ j) =:~:li減°

@ g) P・

◎ e) p. 16'8-9. ---f::;IZ]J{。◎ e) p. 152. ~1£::,'(ia{

(

9

)

国家経費の生産性ー経済財既念を無形財にまで拡張する前項の所説は、直接的に国家経費の生産性論に導かれる。

ワグナーは「吾々が国家及び財政経済を経済全体として考察すれば、主として有形財より無形財(公共施設、労務給付)

の転換過租が生ずる」として、いわゆる「国家新生産説」を唱えると同時に、国家財政が国民経済における生産に対して

有利な作用を与えるものとした。

ケインズにおいても、公共支出が乗数効果を通じて幾倍かの国民所得の増加をもたらすものであり、非自発的失業が存

在する場合には、「浪費的」な公債支出(借入によって調達された資金の公共投資)でも、「結局において社会を富まし得る」

R

ものである。そして「ピラミッドの建造も、地震も、戦争でさへも、……富の増進に役立つ可能性がある」のである。

/、

ンセンは生産性に効用創出と能力増進の二種ありとする。この場合前者をもつて物財又はサービスからなる実質所得の流

R

れの創出を、後者を以て、労働の生産性を高めて実質所得の流れを増大するごとき新生産手段の創出をそれぞれ意味し、④

しかも、「ある国民の真の富は、物理的資産のうちに成立するものでなく、高き実質所得を作出する能力のうちに存する」

Page 16: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

R

という。かくて氏は効用ないし能率を増加せしめる政府支出の幾多の例を庇げて、政府活動の生産性を力説する。特記す

べきはハンセンが、

政府支出に(イ)効用創出、(豆)能率増進の外に(ハ)所得創出の効果ありとし、その例として戦争

支出をあげていることである。そして曰く「即ち戦争は、その非常時中において雇用を増進するばかりでなく、住宅建築

R

やその他の投資領域に不足を蓄積させることによつて、戦後において民間投資を刺激することもあろう」と。これはまさ

にヮグナーの軍事費生産性論と全く同じ思想である。

ハンセンは更に次のごとくいう、「国家にとつては、支出の増加がし

R

ばしば国民所得全体を増加し、その国の財政状態を改善するものである」。「政府投資は……担税能力を増すものである」

と。これらの所論は、国家(政府)活動↓国民経済の涵養↓税源の増加↓財政収入の増大という循環過程を表わすもので

あって、実にドイツのユスチやシュタインの国家「再生産説」の再現である。

◎ j)~

鳳口ぃ減。◎

a) p. 129・

ーし臣臣減°@e) p. 149.'ー

zilll減0p. 169. ーし

ct互J!0f

)

p. 185.

◎ e) p. 150. -

:Ii川5II。p.151・ーし

zizi〗log) P・185.

=-E..J!。@

e) p. 150. ーしzi下1II。

ー回lll減。

e) p.

170. |し{臣〗炉®j)固・回団〗I。

④ g) p. 185. =~]i}t。

◎ j)~tlllll

涵°@

e) p. 140.

(10)国家経費膨脹の原則の是認

li即項でのべた国家経費生産性説は、この経費膨脹の原則に直接につらなる。なぜな

ら、国家経費が生産的であれば必然的に国費の膨脹が是認されるからである。「国家新生産説」を主張したヮグナーが、「財

政需要増大(国家行為拡大)の原則、即ち普通にいう経費膨脹の原則を唱えたことは周知である。氏は発展する文化国家

行ひ、

及び公共団体の行為は外延的にも内包的にも拡大し、これらの団体は益と多くの行為を引受け、

ヨリよく協同慾綴を充足するが、この事実は数字の証明するところであるとした。氏のこの原則は事実の認識であ

ヨリ有効に、

ヨリ完全に

るとともに氏の政策論でもある。

(15)

R

ケインズは「消費性向と投資誘因との粗互関係を調整しようとする仕事に伴う政府諸機能の拡張」を認め、またこれと

R

同じく「完全雇用を確保するために必要な中央統制は、もちろん政府の伝統的機能を著しく拡大するであらう」というo

ワグナーの「国家社会主義」とケイ芝ス学派の経済•財政思想

Page 17: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

政府機能の拡大と「公債支出」の生産性を説くヶィンズが政府支出の膨脹を是認し且つ主張することについては説明を要

しないであらう。

ハンセンは「政府支出の変遷」という章において、

まづ二十世杞特に一九―四年以後における政府の役

(16)

割とその支出が西欧諸国を通じて急速に進展した票実に注目し、ついで一九一三年以降のアメリカ政府の経費膨脹とその

内容の変遷とを詳細に検討する。これのみでなく吾々が氏の「財政政策の新旧」と題する章における「政府活動の範囲」、

R

「社会的並に経済的計画化」、「消費の新しき辺躁」、その他で述べている所論を見るとき、

ハンセンにおける国費膨脹の事

実認識とその政策論とを容易に看取し得るのである。

◎ j)ー

::::0減。

a) p.

380, 耳汁

lll減。

a) p. 379. ~~=Jl。

@

g

)

p. 14. ー

A汁減に

1。

g) p. 45.

:li=:Jl。

④ e) p.

118. ートー{いIIE[1ハ0

◎ e) p.

114. ーし

tlII。

(三)簡明性、確実性、

(

1

1

)

租税原則特に租税目的論ー(イ)租税原則ーハンセンは租税諸原則として、(一)租税の充分性、(二)負担の公正、①

(五)(租税に)附着の伸縮性をあげる。

および行政・服従における経済性、

(四)経済の健全性、

これらの原則のうちでヮグナーの学説に対して著しい差異ないし特徴をもつているものは、主して景気対策としての租税

R

を論ぜる(四)の経済の健全(安定)性の原則である。これ以外の租税原則に関する氏の説明は従来の学説におけると大

R

同小異である。

(口)租税目的論ーー_ワグナーは租税概念を、

「純財政的意味における租税」

と「社会政策的意味におけ

る租税」との二種に分ち、後者を国庫収入目的をもつと同時に叉はこの目的とは無関係に社会政策目的に役立つ租税であ

ると定義したのであった。租税に対して国庫収入目的と同時に収入外の目的を認めることは例えばュスチやスミスにおい

R

て既にその例を見るのであるが、収入外のみの目的を有する租税概念を規定したのはワグナーをもつて噛矢とする。元~ヽ

純粋自由主義者は収入外の租税目的を如何なる意味においても認めないのであるが、経済の統制論者であるケインズは、

R

収入外の租税目的を是認する。例えば氏は、市場の流通性を減少せしめる如き取引に対する移転税を、また、金融家、企

R

業家その他の者の智能技術等を、合理的な報酬で社会の奉仕的仕事に就かしめ得る如き直接諜税の計画を、それぞれ是認

Page 18: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

しまたは提案せるごとくである。

つぎにハンセンが、収入外目的のみの租税をきわめて鮮明に主張していることは特に注

目すべきである。氏は景気の不況期には累進所得税を、活況期においては給与税や売上税を諜すべしとするのであるが、

給与税に関して次にごとくいう。

「吾々はここで安定を得ようとする努力にだけ関心をもつているのであるから、問題の

租税は政府の経常予算にとつて、結局において何等かの収入を得ることを目的としたものではなくして、

容易ならしめようとするものであることは明かである」と。

たゞ経済安定を

◎ f)

p. 250.

El減。

◎ f)

p. 250. 254.

@ f

)

p. 250. 254.

j)

ーし四

aoJr。

◎ a) p. 377.

S:liiL減°

@e) p. 293.

::::=OJ!。

@ j)

-=:-i::; 減。

◎ j) =:iz:9・沖沖減。

@ a) p. 160.

ワグナー、ケインズ派の両学説における異同点は右にあげた諸項目につきず、また、異のうちに同、同のうちにも異があるのであるが、

とにかく上述によって両説の異同を概略的に知り得たであろう。そこでこれらの異同点の若干を回顧しながらそれぞれの学説の主な特徴

を述べて結言としたい。

まず両説の差異から述べる。ドイッ理想主義の流れを汲むワグナーは、氏の人間動機の分析に於ける他愛心やその他の諸動機によって、

経済的利已心を克服せしめようとしたのに対して、ケイ芝ス派は経済的利己心に基いて生ずる経済現象の因果関係の中から主要因を選び

出し、私経済に一定のルールを与えて、自由資本主義の弊害を緩和しようとした。そしてワグナーの説が理論的であるよりも政策論的で

あるに対して、ケインズのそれはきわめて理論的であるとともに政策論的であった。つぎに、自由資本主義の欠陥を、ワグナーが主とし

て富の分配の不平等において見たのに対して、ケインズ派は分配問題の外につよく不完全派用において見た。しかも不完全服用はこの学

派にとつて、資本主義経済や社会の・存立を危くするものであり、従って経済の安定ないし完全賑用の実現こそが基本的人権を別とすれば、'‘

すべてに優先する政策目標であった。かくてワグナーが国家ないし財政を私経済よりも優位におくに反して、ケインズ派にあっては、財

ワグナーの「国家社会主義」とケイ芝ス学派の経済•財政思想

Page 19: Kobe University Repository : Kernel · Hansen, Fiscal Policy and Business Cycles, 1941. (誤聡遥編 R) f) Hansen and Perloff, State and Local Finance in the National Economy, 1944

政はその経済政策目標に対する手段に過ぎないこととなったのである。

次に、両説における大きな共通点は、国家(政府)による私経済の統制である。かくて、自由主義者によって経済の領城から排除され

(18)

た国家が再び登場し、それが「国民経済」の構成要因となる。そして国民経済における国家財政の重要性を説いて、これを経済学の対象

とするためには、経済概念を拡大する必要があり、そのために従来とは異る内容をもつ生産性ないし投資の概念を採用するに至ったので

ある。吾々はこ4

に、概念のうちに潜む理念ないし政策意図を読み得るのである。それはともあれ両説が、「国民経済」の中に私経済と財

政(政府経済)とを包含せしめ且つ「二重経済」制度を説くことは既述の如くであるが、しかし国民経済の基柱は依然として市場経済即

ち私経済組織であった。そしてこの組織に於て生産に寄与するものは、資本家階級と労働者階級であったが、両説がョリ重視するのは前

者である。ヮグナーが講演•著作において力説したものは、社会政策即ち労働者陪級の地位の向上であったが、氏の「国家社会主義」と

いう学問体系に於て重要な地位を占めるものは、氏のいう「企業の真の頭脳」である企業家即ち資本家隋級である。ケインズがその政策

目標とする「完全犀用」は一見労働階級に加担するものの如くであるが、氏は陪級闘争において「教育あるプルヂョアジーの側に立つ」

のであったし、また、伸縮的賃銀政策をさけて伸縮的貨幣政策を選んだのも、資本家の立場を擁護する意図であったといい得るであろう。

なぜなら、インフレを伴う貨幣政策は、これに対する労働者の抵抗を不可能にし、且つ彼等の実質所得を滅少せしめるに反して、資本家

は企業利潤の増大を期待し得るからである。かくして両学説は、国家統制の必要を主張しつさも、結局において自由資本主義国家の維持

発展を念願したものであると云い得るのである。

(附記ー本稿は文部省科学研究贄による研究の一部である)