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平成28年
島根県芸術文化センター「グラントワ」小ホール
◆石見神楽特別公演(多田神楽保存会)
※できるだけ乗り合わせでお越しください。
[講師]広島大学名誉教授 三宅紹宣氏
幕末の転換点となった幕長戦争――幕府軍は、兵力数はもちろん、装備においても総合的には長州軍より優れていた。それにも関わらず長州藩が勝利できたのはなぜか。これを、益田を舞台に行われた石州口戦争に探り、日本における戦争の近代化を考察する。 略歴)1949年広島県に生まれる。広島大学名誉教授。博士(文学)。主要著書に『幕末・維新期長州藩の政治構造』(校倉書房、1993年)、『幕末の変動と諸藩』(編著・共編著、吉川弘文館、2001 年)、『幕長戦争』(吉川弘文館、2013年)がある。
勇敢な殉死をとげた岸静江国治を称えた創作神楽。岸と大村の立ち回りが見どころ。
第二次幕長戦争(1866年:慶応2年)は、長州藩の大島口(瀬戸内方面)、芸州口(広島方面)、石州口(島根県西部)、小倉口(北九州方面)の四方面(四境戦争とも呼ばれます)で戦闘が行われました。石州口では、浜田藩をはじめとした幕府軍は、大村益次郎が指揮する長州藩に、各地の戦いで敗退し、浜田城が落城し、幕府領石見銀山まで制圧され、幕府側の敗北が決定的なものとなりました。高杉晋作が指揮し小倉城を落城させた「小倉口」とともに、幕末の大きな転換点となった戦いでした。
浜田藩と津和野藩の境の関門。6月16日、大村益次郎は開門を要求したが、守将岸静江国治は拒否し、長州藩の通過を防ごうとしました。長槍の名手だった岸は、銃撃を受け討ち死にしました。岸の潔い最期に感動した長州藩は、手厚く葬るように地元に依頼したと伝わり、関門跡から300m離れたところに、岸の墓もあります。
6月12日(日)会場
多田公民館場所
みやけ つぐ のぶ
マイクロバス(グラントワ⇔法要会場間)のご利用について[集合場所]グラントワバス停(レストランポニィ側) (グラントワ正面入口入って右のバス回転場)[集合時間]9:30[募集人数]20名(1名様以上催行)[利用条件]当日午後、グラントワで開催する特別講演会に参加すること。※お申し込みは市観光交流課0856-31-0331へ直接ご連絡ください。 募集人員になり次第、募集を打ち切ります
扇原[演目]
幕長戦争石州口の戦い
[12:30~13:20]
[10:00~11:30]
◆特別講演会「石州口戦争に見る日本の近代化」[演題]
[13:30~15:00 ]
150周年記念事業
入場無料
グラントワ内で同時開催!◆浜田藩士岸静江国治150回忌法要
益田市・益田市教育委員会主催
公益社団法人益田青年会議所主催
一般参列可能
時は幕末
岸静江、扇原関門で討ち死に
益田川を挟んで、幕府軍は萬福寺に浜田藩、医光寺に福山藩が陣取り、長州藩は妙義寺に陣取りました。6月17日に激しい銃撃戦になり、長州藩の銃は射程距離が長く、旧式銃の幕府軍は劣勢となりました。福山藩が敗走し、浜田藩は挟み撃ちにされ敗走しました。萬福寺の本堂の柱には長州藩が撃った弾痕が残されています。
激戦 益田口の戦い
岸静江は天保7年(1836)、群馬県館林で生まれる。 慶応2年(1866)6月16日朝、横田を出発した村田蔵六(後の大村益次郎)の指揮する長州軍は、扇原関門に迫り開門を要求。関門の隊長である静江は、僅かな部下と農民とともに防備についていたが、これを拒絶。石州口の戦いの火ぶたが切られることとなった。 圧倒的な兵力を有する長州軍の前に、静江は部下と農民を逃がし、一人関門を死守するが敵弾を受け、31歳の若さで壮絶な戦死を遂げた。 勇敢な戦死者に長州軍から費用が出され、静江は多田地区民により手厚く葬られたと言われます。
﹇会場﹈グラントワ中庭
食ブース・歴史ブース・体験ブース等の
益田の魅力を発信するブースを用意しています
益田市観光交流課 お問い合せ ☎0856-31-0331
石州口作戦図(山口市立歴史民俗資料館所蔵)一般に「石州口作戦図」として知られる史料。石州口の戦いでは大村益次郎が参謀として作戦をたてました。敵陣の寺を襲撃し、退路には伏兵を置いて、敵兵に打撃を与えるなど、敵兵の退路を想定し、そこに敵兵を誘導するように計画されています。
刃長48.9 ㎝、反り0.6 ㎝、「源 祐正作」の銘の新刀。祐正は、摂州 ( 現大阪 )の江戸後期の刀匠である。 岸が岸家に仕えていた中村友太郎に「この刀はお前に預けておく。生きて帰ったら、もらっていくし、討ち死にしたら形見にやる」と言って渡したものである。
石州口の戦い~浜田藩士岸静江国治と浜田藩~
6月5日(日)~7月31日(日)特別展
[場 所]益田市立歴史民俗資料館[入館料]300円(高校生以下無料)[休館日]火・水曜日(祝日を除く)、 祝日の翌日(土・日・休日を除く)
[定員] 80名(両日とも) [申込] 必要申込、その他詳細は益田市立歴史民俗資料館0856-23-2635まで
5/28(土) 9:00~12:00(受付8:30~)上黒谷出発 → 横田・小木の河原参加料:100円集合場所未定
石州口の戦いでは、益田市多田町の扇原関門や益田市街地で戦闘が行われました。この戦いにより、幕府側の敗北が決定的となり、時代は明治維新へ大きく動きました。石州口の戦いで戦死した浜田藩士岸静江国治を中心に戦いを紹介する企画展です。
岸静江国治脇差・拵きししず え くにはるわきざし こしらえ
長さ65㎝、幅 19.5 ㎝。当世具足時代の典型的な五本篠籠手。
岸静江国治着用籠手 一双きししず え くにはるちゃくよう こ て
(多田自治会所蔵)
全長 121.3 ㎝、銃身長 96.4 ㎝、口径 1.4 ㎝、銘なし。 浜田藩より領民に貸し出された「お貸し銃」で、幕長戦争で使われたもの。 銃口から黒色火薬と弾丸をこめ、銃身の後方にある火門孔に置いた点火薬に火縄の火をつけて点火、発射させる。 銃身長 1mでの有効射程距離は 200mくらいである。発砲速度は 1 分間に 1 発程度であるが、命中精度として 30mで野球のボールぐらいの大きさの的に命中させることができる。
火縄銃 ひ なわじゅう
(多田自治会所蔵)
縦45.5 ㎝、横 6㎝。
「郭公 夢なりけりな 初こゑを 人傅にだに 聞かでききぬる 國治」
岸静江国治直筆の
和歌
きししず え くにはるじき ひつ
わ か
(浜田市所蔵)
(浜田市所蔵)
ほととぎす
ひと づて
~石州口の戦い 長州軍の進軍路を歩く~
街角ウォーク
第1回
6/11(土) 9:00~12:00(受付8:30~)横田 → 多田・扇原関門跡 →(バス利用)資料館見学参加料:400円(特別展 石州口の戦い~浜田藩士岸静江国治と浜田藩~の入館料を含む)集合場所未定
集合場所から出発点、ゴールから出発点(集合場所)まではバス移動を予定しています。
第2回
◆会場へのアクセス ◆会場周辺図
191
54
JR益田駅益田市立
歴史民俗資料館
萬福寺
医光寺
島根県芸術文化センター「グラントワ」
至 広島
至 山口
中国自動車道
JR山陰本線
浜田自動車道
山陽自動車道
萩・石見空港
山口県
広島県
島根県
益田市
日本海
9
9
191
191
315 187
津和野町
浜田 I.C
戸河内 I.C
広島北 JCT
広島 JCT六日市 I.C 広島駅
11 13
千代田 JCT
JR山口線萩市
[広島方面から]◇自家用車で中国自動車道「戸河内IC」から 約70km(約2時間)
[JR益田駅から]◇石見交通バス「グラントワ前」下車 徒歩1分◇徒歩 15分
※チラシ持参で入館料割引 300円→240円
平成28年