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日本法の源流をたどって――19世紀ドイツ歴史法学派...日本法の源流をたどって――19世紀ドイツ歴史法学派 明治期における西欧法の継受

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日本法の源流をたどって――19世紀ドイツ歴史法学派

明治期における西欧法の継受

わが国は二度の大きな外国法の継受を経験しました。一つは古代における中国・律令法

の継受であり、もう一つは明治期における西欧法の継受です。日本近代法の形成という観

点からすると、明治維新とその後の絶対主義権力による西欧法、とくにドイツ法の受容が

決定的に重要な意味をもつことになりました。

明治期における西欧法の継受は、歴史的にはまずフランス法、ついで英米法という変遷

をとげ、最終的にはドイツ法へと収斂していくことになりました。こうした歴史的展開は、

明治 10 年代における当時の政権の政策転換とも結びついています。

法律学を学ぶ上でもっとも基本的な法律は民法という法典です。民法典が施行されたの

は、1898(明治 31)年 7 月 16 日ことで、それから 115 年ほど経ちます。その間に第 2 次

世界大戦後の大改正、平成 16 年の口語化に伴う改正と、時代の変化に合わせて大きく変

容を遂げてきました。民法典の基本的な骨格は、パンデクテン方式と呼ばれる、総則、物

権、債権、親族、相続という五編から構成されています。この総則と各則との組み合わせ

による体系は、実は18世紀西欧において考案され、とくに19世紀のドイツ法律学を通

じて精緻化されたきわめて理論的な産物です。

18世紀西欧における自然科学と法律学

18世紀にヨーロッパ大陸法のなかでも、ドイツ法に特有な法学的方法が登場します。

それは当時支配的になりつつあった「自然法」という新しい科学方法論に立脚した考え方

で、幾何学的方法を入れて法律学の体質を大きく変えることになりました。ユークリッド

幾何学が定理から結論を引き出すように、法律学も一つないし複数の所与の根本規範から

の分析的判断によって、大小の諸法規=命題を導き出されるという考え方が定着してきま

す。このようにして三段論法を用いて個々の諸命題ないし諸概念は相互の従属関係にある

ピラミッドの体系に構成され、そのため個々の命題は、論理的手順で最終の上位命題から

導き出されなければならないとされます。このようにして現在の民法の「総則」

(Allgemeiner Teil)から各論にわたる法学システムの原型がつくりだされました。そうし

た状況の中で「権利」、「義務」、「物権」、「債権」、「所有権」、「契約」、「法律行為」、「故意」、

「過失」などの法的諸概念を構成し、またこれらの諸概念を組み合わせて、いわゆる「理

論構成」することが法律学の基本的課題になったということです。

このように法律学は18世紀のヨーロッパ的規模での自然科学の擡頭に触発されて、予

測可能性という要請に応えた法律学の合理化運動にほかならないのですが、それがとくに

ドイツにおいて、こうした典型をみるにいたったのは、法の形成の担い手が、イギリスや

フランスのように実務法曹よりも、大学の法学者であったことに大きく依拠しています。

19世紀ドイツ歴史法学

19世紀に入ってドイツの法律学は歴史法学派によって近代私法学が樹立する段階を迎

えます。それは当時のカント的観念論、ゲーテ的古典主義などの思潮に法律学をのせ、と

もすれば実用性に陥りがちであった法律学を新しい時代の学問レベルに高める革新運動で

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した。この革新運動は、歴史法学派の巨匠サヴィニー(1779~1861)によっても従来の法学

における体系的方法という方向性は阻止されるどころか、おし進められることになりまし

た。このようにして、数学者が数や代数的記号を用い、定理・命題を組み合わせて形式的

に操作するのと同じように、法解釈学はいろいろの法の概念を駆使して徹底した形式論理

的な推論を行なう方式に向かいます。こうした方法論が自然科学による思想の変革への対

応のあらわれであることは、18世紀の自然法学者が自然科学者でもあったことや、さら

に、19世紀後半のイェーリング(1818~1892)が化学とか生物学の分析方法を大胆に導

入して「構成法学」の樹立に寄与したことにもうかがえます。

ドイツでは、こうした法学的伝統が19世紀後半になり、学問の専門化の状況を迎えて、

法律学は「概念による計算」の傾向が前面にでて、実践的な理性や社会的評価や倫理的宗

教的法政策的および国民経済的考慮は、法律家の任務ではないとする論理実証主義が支配

的になっていきます。その精神構造はドイツ民法典(BGB)の第一草案の編纂にあたっ

て指導的役割を担ったヴィントシャイト(1817~1892)の『パンデクテン教科書』によっ

て典型的に表現されているといえます。

私たちが勉強する法律学や民法典は歴史的に見るとまさにこうした同時代の西欧法そし

てその法律学からさまざまな影響を受けて成立してきたものです。今回は、日本法の源流

を求めて、19世紀ドイツ歴史法学とその影響下にある3人の法学者を紹介したいと思い

ます。