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在日外国人の現状と解放教育の課題 - blhrri.org · 53在日外国人の現状と解放教育の課題 52 実際の教諭採用は極めてまれであった。今回の措置によ

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49在日外国人の現状と解放教育の課題

法務省が発表した外国人登録数によると、曰本に住む外

国人は一九八七年までは八○万人台を微増で推移し、八八

年から急増、九○年には一○○万人をこえ、九二年は一○

八万人にのぼっている。国籍別では、韓国・朝鮮人が六八

万人ともっとも多く、中国(台湾を含む)、ブラジル、フ

ィリピン人が急増していろ。この間のマスコミ報道をみて

も、在曰韓国・朝鮮人等にかかわる戦後補償・人権補償の

問題や急増する外国人労働者の問題が多くとりあげられて

いろ。反差別・人権擁護の国際的うねりのなかで、曰本の

在曰外国人に対する人権感覚が鋭く問われており、人権尊

論文

はじめに

在日外国人の現状と解放教育の課題

1反差別・人権尊重を基軸とした在曰外国人教育の創造・発展をI

菫を基本にすえた施策の実施・充実が強く求められてい

ろ。教育現場をみても、これまでとりくまれてきた在日朝鮮

人教育の課題に加え、新たな課題として、中国・ベトナム

・ブラジル等からの子どもたちの「受け入れ」にともなう

「適応」教育の充実や「在日外国人教育」の創造が急務と

なっている。「外国人子女曰本語教育五、五○○人が必

要文部省調査指導体制の整備急務」二九九一一・四・

一七産経新聞)や『教室の国際化』に対応急げ」(一九

九一一・四・二一一一毎曰新聞社説)等にみられるように、文部

省もようやく実態調査にとりくみ、今年度予算に、学校生

活をポルトガル語、スペイン語、英語で紹介する冊子作成

や、曰本語指導教員の配置増を盛りこんだ。しかし、先行

飯田

文夫

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51在日外国人の現状と解放教育の課題 50

れ、永住者にかぎって指紋押捺の制度が来年一月からよう

やく廃止となる見通しになった。指紋押捺に代わる手段と

しては写真に加え、本人の署名と「家族登録制」を新たに

導入するとなっている。「家族登録制」では、国内に住む

父母、配偶者の氏名、生年月曰、国籍等を登録する。携帯

用のプラスチックカード(登録証明書)には写真と署名が

転写される。対象は永住資格をもつ韓国・朝鮮、台湾出身

者とその子孫約六四万人である。従って、国際化にともな

って増える一方のビジネスマンなど一年以上の長期滞在者

(約三一一万人)には適用されない。また、外国人登録証明

書の常時携帯・提示義務や違反者への重罰は変わらないな

ど、大きな問題点をのこしている。

なお、指紋押捺制度の全廃を求める世論の高まりをうけ

て国会では、指紋押捺制度の全廃を念頭において五年後に

抜本的見直し、登録にあたっては人権・立場などの十分な

配慮、指紋押捺が不必要となった人の指紋原票の速やかな

廃棄などの附帯決議がなされた。□九九一一・一一・七讃寶

新聞、四・一八朝日新聞、五・二○毎曰新聞より〕

公務員採用で一歩前進

公務員の国籍条項、とりわけ自治体の外国人事務職員採

用にかかわっては、一九九○年六月の大阪市の文公輝さん

市職員採用試験受験拒否を契機として、国籍条項撤廃運動

九○年代に入り人権擁護、民族自決の国際潮流が加速す

るなかで、分断された朝鮮半島の平和的統一にむけて交流

・和解がすすむ一方、「強制連行」や「従軍慰安婦」問題

に象徴されるように、日本の戦後責任・人権感覚が鋭く問

われている。教育に関わっても、教科書記述の問題や、教

している「受け入れ」自治体での施策に比べると極めて不

十分であり、ことばや生活習慣の違いのなかで、手さぐり

で悪戦苦闘している現場教職員からは抜本的な施策の確立

が強く望まれている。

大阪ではこれまでの「同和」教育実践の積み重ねのなか

で、反差別・人権尊重の視点にたった二○年にわたる在曰

朝鮮人教育のとりくみがあり、その成果に学びながら中国

・ベトナム等からの子どもたちへの「適応」教育、在曰外

国人教育がとりくまれ始めてきた。目前に国内批准をひか

えている、内外平等・子どもを権利の主体ととらえる「子

どもの権利条約」に学びながら、在日外国人教育を創造・

発展させていきたい。

1在日韓国・朝鮮人問題をめぐって

一、在曰外国人の現状

が大きく盛りあがってきた。この四月二○曰、大阪市はよう

やく門戸を閉ざしていた大学卒事務系職員の採用に、来年

度から「経営情報」「国際」の専門職を新設し、一部採用

することをきめた。これを受けて五月に入り、神戸市・横

浜市・川崎市がほぼ同じ内容の決定をした。他の政令指定

都市への国籍条項撤廃運動の広まりが求められていろ。一

般の市町村では、すでに受験資格から国籍条項を除いてい

る自治体も多い。大阪では、府と大阪市で一般事務職に国

籍条項が残っており、他の市町村はすべて廃止されてい

ろ。一九九一年九月の民団調査によると、府内の定住外国

人の公務員採用は以下のとおりである。

採用者合計府、大阪、堺等一三市二町で一八九人(韓

国・朝鮮一八一人、中国八人)

未採用自治体二○市町村(うち一六市町村実績もなし)

〈職種〉医療技術系(医師、看護婦等)’○○人(五三

%)

技能労務系(運転手等)五五人

教員二○人

事務系一一人…高槻、東大阪、吹田など六市

□九九一・九・一七讃實新聞夕刊より〕

その他にも、就職差別・入居差別問題、「障害」者年金

差別問題、本名をとりもどす裁判、参政権、とりわけ地方

員採用における国籍条項問題等が提起されるなど、在曰朝

鮮人教育の一層の充実が求められている。また、懸案の

在曰外国人の法的地位や指紋押捺制度は、「改善」された

とはいえ多くの問題点が残っている。

法的地位、永住資格を一本化

在日外国人の法的地位が昨年変更になった。旧植民地出

身者とその子孫を、一般の外国人の法的地位と初めて明確

に区別した法令「入管特例法(一九九一・二・一施行)」

である。対象は、「一九四五・九・二以前から引き続き本

邦に在留する者」となっていろ。従って、一時帰国再入国

者およびその子孫は新規入国者扱いとなり、最大三年間の

在留期間を更新しなければならない。また、旧「満州」出

身者は除外となっている。対象者を国籍別でみると、韓国

・朝鮮籍約六八万人のうち約六○万人、中国籍約一四万人

のうち約六千人(台湾出身者)〈一九八八・一二末現在〉

となる。その内容は、従来の四つの永住資格(法一二六号

、協定永住、特例永住、簡易永住)を一本化し、その子孫

へも保障している。さらに、退去強制事由の緩和、再入国

許可の出国期間を五年に延長するなどとなっている。□

九九一・一○・三一毎日新聞より〕

指紋押捺、永住者は廃止へ

今年五月二○曰に外国人登録法改正案が参議院で可決ざ

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53在日外国人の現状と解放教育の課題 52

実際の教諭採用は極めてまれであった。今回の措置によ

り、外国籍の教諭採用は極めて困難な状況になってきた。

全国の状況は一九九一年八月一二曰付朝日新聞によると、

次の通りである。

・外国籍教諭の在籍約一一一○人(東京、神奈川、三重、

大阪府・市、名古屋市)

・国籍条項のあった一一一三道県四政令指定都市のすべてが

常勤講師に門戸を開く

・国籍要項を設けていなかった一四都府県七政令指定都

市のうち五府県一市は常勤講師に限定

大阪では、府立高校に「韓国・朝鮮語」の講座を六校で

開設しているが、今年度の教員採用試験で、新たに「韓国

・朝鮮語」の教員を採用することをきめた。全国的にも初

めての試みとのことだが、在曰外国人の教諭採用となるか

どうかは「検討中」とのことである。□九九一一・五・一一

○朝曰新聞より〕

外国籍教員の採用は、外国人の子どもたちの民族教育推

進のためであることはもちろんであるが、外国籍教員が日

本人の子どもたちの前に立つことで、在日外国人教育をす

すめる上でも大きな意義がある。

その他、大阪市立長橋小学校の民族講師の身分保障問題

や、一九四八年民族学校閉鎖時に大阪府と民族団体が交わ

自治体への参政権(福井県で訴訟)、「不法」就労、府立高

校生戸籍売買・偽装結婚事件等多くの問題がある。なお、

この夏の参院大阪選挙区に在日朝鮮人三世が立候補を表明

するなど、国勢選挙の場でも在日外国人の参政権が問われ

ることになった。〔一九九二・四・二七朝日新聞より〕

戦後補償問題はこれから

強制連行、従軍慰安婦問題等にかかわる日本政府の戦後

責任、謝罪の問題は、九○年代に入り、朝鮮半島の平和的

統一の動きのなかで、強制連行の真相調査活動の進展、元

従軍慰安婦の名のり出などにより、徐々に明らかになりつ

つある。強制連行にかかわっては、徴用された元軍人・軍

属による訴訟が、また、サハリン残留者、BC級戦犯問題

での訴訟もあいついでおこっている。強制連行真相調査活

動の進行にともない、大阪でも、天王寺区生玉公園や岬町

多奈川地区などで戦争末期の軍需関係施設跡(トンネル等)

が発見され、全国連絡会も結成された。従軍慰安婦問題で

は韓国在住の元慰安婦等からの訴訟や、曰韓双方による真

相調査の進展により、公文書や各種記録が明らかにされつ

つある。そのなかで、政府は初めて事実を認めたが、補償

をともなわない「謝罪」にとどまっている。また、在韓被

爆者補償問題では、韓国調査によると、被爆認定者二、○

八五人、被爆二世五、五五七人、被爆地別の比率では、広

在日の状況

在曰外国人一○八万人のうちもっとも多いのは韓国・朝

鮮籍(六四%)であり、中国(台湾を含む)、フィリピン、

アメリカ、ブラジルと続いていろ。そのなかでとりわけ、

中国からの「引揚者」、インドシナ「難民」、フィリピン

・イラン等アジアからの労働者、ブラジル等中・南アメリ

カからの曰系人労働者の問題が、大きく社会問題化してい

る。

①中国「引揚者」

大阪では、九一一一五世帯(うち大阪市一一九二世帯)、一一、

九六六人(同八九一一一人)となっているが、毎年約三○○

人増加の見込み。二九九一・八大阪府福祉部社会課調

べ)

②インドシナ「難民」(ベトナム、カンボジア、ラオス)

約七、九○○人在日しており、うち約二、○○○人が

一六歳以下の子どもたちである。政府が約束したインド

シナ「難民」の受け入れ枠は一万人である。ベトナム人

した「覚書」に基づく民族講師再配置の問題など民族教育

推進にかかわって多くの課題がある。

島九一・五%、長崎八・五%となっていろ。□九九一・

八・二五朝日新聞より〕

教育にかかわって

①教科書問題で日韓研究者が交流

高校歴史をはじめとして教科書の朝鮮や日朝関係にかか

わる差別的記述や歴史的事実を隠ぺい・歪曲した記述があ

いかわらず指摘されるなど、教育にかかわっても多くの課

題がある。教科書に歴史的事実を隠さず正しく記述するこ

とを求めて、曰韓の研究者で「日韓歴史教科書研究会」が

発足し研究交流がすすめられていろ。また、曰教組も「ア

ジア・太平洋地域教育フォーラム」の開催や「人権教育指

針」の策定などとりくみをすすめつつある。

②外国籍教員の教諭採用では逆行

いわゆる「九一年問題」での曰韓外相会談「覚書」をう

けて文部省は九一年三月、外国籍の人は「期限を付さない

常勤講師」としてなら公立の小・中・高校等に採用できる

と通知を出した。更に、六月には給与も教諭と同格とする

との通知を出した。五三年来の内閣法制局の見解「当然の

法理として、公権力の行使または公の意思の形成への参画

に携わる公務員となるためには日本国籍を要する」をもと

に、文部省は八二年秋「外国人教諭を採用しないよう」求

める通知を出した。それ以降、国籍要件のないところでも

2中国・ベトナム・ブラジル等新たに渡日してきた

外国人の現状

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55在日外国人の現状と解放教育の課題

凪は約七千人、うち大阪に約七○○人住んでおり、大阪・

兵庫・神奈川の三府県で八○%を占めている。

③外国人労働者

いわゆる「不法」残留・就労外国人は約一○’三○万

人といわれていろ。フィリピン、イラン等アジアの国々

ではフィリピン人がもっとも多く約六万人といわれてい

る。ブラジル、アルゼンチン等「日系」南米人は、家族

を含め約一五’一八万人、うちブラジル国籍約五万六千

人である。二九九○・六出入国管理・難民認定法改正

により曰系二・一一一世に「定住者」の在留資格を措置)

④その他の渡曰の外国人(商社等で駐在、国際交流、国際

結婚等)

共通する問題点と課題

これらのいわゆるニューカマーともいわれる外国人は、

共通する問題点と課題をもっている。整理すると、以下の

ようになる。

①日本への「適応」の問題

・ことばの問題日本語指導と母国語教育

・文化、生活習慣の問題学校、地域社会への適応

・生活権と仕事保障の問題

・中卒後の進路保障

・曰本語学校、夜間中学校の問題

同研活動のなかで

大阪には約一九万人の在曰朝鮮人が住んでおり、公立の

小・中学校には約二万三千人の子どもたちが通っている。

「同和」教育のとりくみがすすむなかで、多くの市町村同

和教育研究会(同研と略)に在日朝鮮人教育推進のための

研究部・専門部が設置され、各地では、ハギハッキョやサ

マー・スクール、地域子ども会活動や民族音楽祭等のとり

くみが、校・園内でも朝鮮を正しく教えるとりくみや本名

を名のり呼ぶとりくみ、民族学級、民族クラブの活動が広

まり、交流もすすんできている。しかし、府内全体をみろ

と在日韓国・朝鮮人の居住状況が少数・点在である場合が

多く、とりくみはこれからというところも多い。(資料①)

府の「在日韓国・朝鮮人問題に関する指導の指針」の具体化を

大阪の在曰朝鮮人教育は、一九七一年の「大阪市中学校

・国際人権規約、ユネスコ勧告、子どもの権利条約等に

もとづく国内法・制度・システムの整備による国際化、

などがあげられる。

1大阪の在日朝鮮人教育のとりくみから

二、在曰外国人教育の創造・発展のために

長会差別文書事件」を契機に、部落解放運動の高まりをう

けて組織的にとりくみがすすめられてきた。

大阪府同和教育研究協議会(大同教と略)でも、七四年

に研究部のなかに「在曰朝鮮人教育専門部」が位置づけら

れ、信貴山研、大会で「在曰朝鮮人教育分科会」が設定さ

れた。各地でもとりくみが広まり、現在二九同研で研究部

・専門部が位置づけられ、活動が積み上げられてきていろ。

一方、とりくみがすすむなかで、「在曰朝鮮人教育基本

方針」や中心的に活動を担う研究組織が求められてきた。

八○年豊中市の「在日外国人教育基本方針」にはじまり、

今年三月末の堺市をふくめ一一市で在日朝鮮人・外国人教

育推進のための方針・指針が策定され、さらにいくつかの

市町村で現在検討されている。

一九八八年には、懸案であった府の「在曰韓国・朝鮮人

問題に関する指導の指針」が策定され、①すべての子ども

に正しい朝鮮・朝鮮人観を認識させる。②朝鮮人の子ども

の実態把握と誇りと自覚を高める。③進路指導の充実。

④教職員研修の充実、を掲げている。

しかし、その具体的実現をはかるためには、これまで同

研活動のなかで積み上げてきた反差別・人権尊重の視点を

踏まえ、さらにとりくみを充実させる必要があり、活動の

中心にこれらの課題を位置づけした新しい研究組織・仮

②曰本のなかに根強くある「排外・同化」の壁

。偏見と蔑視、「曰本名」の強要、「単一民族国家」意

識、差別事件、いじめなど

曰本人の「善意」が必ずしも善意とはならない場合が

多い。

③アイデンティティ(帰属意識、自己・自我同一性)の問

題・民族、国籍、名前、帰化

④法的地位にかかわって

・在留資格、外国人登録や登録証明書の問題

さらに、国籍や民族により、

・歴史的経緯と曰本との関係

・民族、ことば、文化等の違い

・本国、出身地の政治、経済状況

。「引揚」と「渡曰」「出稼」

・法的地位、在留資格の問題

・強制送還、「不法」就労問題

など個別の問題を持っている。

また、曰本人の課題としては、

①意識の国際化

・同化と排外、偏見と蔑視の意識構造の克服

②制度、システムの国際化

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’ 57在日外国人の現状と解放教育の課題

朋称「大阪府外国人教育研究協議会(略称府外教ピがぜひと

も必要となってきている。

〈参考資料稲富進著「人権教育の視点からみた国際理解

教育」より抜粋〉

文部省の国際理解教育(平成二年度「教育白書」より)

国家間・民族間の摩擦等を解消し、各国・各民族が共に

発展していくため、世界中の人々がそれぞれ国際社会の一

員としての責任を果たしていくとともに、互いに相手側の

歴史や文化、習慣、価値観を学び、相互の立場を理解して

いくことが必要である。そのための重点施策として、①世

界の国々が持っているそれぞれ固有の歴史、文化、風俗、

習慣等に対する学習や、外国語教育の充実と、日本人とし

ての自覚を高め、我国の文化や歴史に関する理解に努め

る。②教育・文化・スポーツの各分野において諸外国との

交流を推進する。③留学生交流を推進する。④外国人に対

する日本語教育を充実する。⑤海外子女、帰国子女教育を

充実する。

ユネスコの提唱する国際理解教育(七四年「国際理解、

国際協力および国際平和のための教育ならびに人権および

基本的自由に関する勧告」より)

【指導の原則】

①すべての段階及び形態の教育に国際的側面及び世界的視

点をもたせること

②すべての民族、その文化、文明、価値及び生活様式(国

「適応」教育から、「違い」を尊重した反差別・国際連帯の教

育へ大同教の調査によると、昨年度府内の小・中学校には五

○○名ちかい中国・ベトナム等からの子どもが在籍してい

ろ。外国人労働者の子どもも、フィリピン等アジアやブラ

ジル等南アメリカの国々など多岐にわたっている。今後、

府内全域に急増すると予想されるこれらの外国人の子ども

たちへの教育は、極めて緊急かつ重要な課題となってきて

いる。

大同教では八八年より「中国・ベトナムプロジェクト」

を、各地でも、堺市や茨木市では同研に研究部やプロジェ

クトを設けたり、八尾市では同研が九一年度同和教育夏季

研究集会でシンポジウム「被差別の立場から『子どもの権

利条約』を考える」をもつなど、とりくみが緒についたと

ころである。(資料②、③)

「受け入れ」校では、ことばや生活習慣の違いから曰本

への「適応」教育に追われているのが現状である。これま

での在曰朝鮮人教育の積み上げをもとに、「違い」を尊重

2新たな課題としての在日外国人へのとりくみを

内の民族文化および他国民の文化を含む)に対する理解

と尊重

③諸民族及び諸国民の間に、世界的な相互依存関係が増大

していることの認識

④他の人々との交信する能力

⑤権利を知るだけでなく、個人、社会的集団及び国家にそ

れぞれ相互の間の権利のみならず義務もあることを認識

すること

⑥国際的な連帯及び協力の必要についての理解

⑦個人が、その所属する社会、国家及び世界全体の諸問題

の解決への参加を用意すること

「日本語指導」で大阪に一一八名の加配獲得

これまで大阪では、各校・各地でのとりくみをもとに、

部落解放府民共闘会議を中心に要求運動がとりくまれ、中

国・ベトナムからの子どもたちへの「適応教育推進校」の

設置や中国からの子どもたちへの「通訳派遣事業」、公立

高校の入試時の「受験上の配慮」等、不十分ながらも、徐

々に教育条件が整備されてきた。今年度は、中国・ベトナ

ム等からの子どもたちへの「日本語指導」として、文部省

が二○七名の加配教員を予算化したのにともない、大阪で

は、大阪市三名、府二五名の計二八名が配置された。ま

た、文部省の「中国帰国子女教育研究協力校」は三校に、

した反差別・人権尊重の視点にたった「在曰外国人教育」

の創造にとりくまなくてはならない。

「子どもの権利条約」等の国際的人権感覚を教育の場に

既にユネスコからは、一九七四年に「国際理解、国際協

力および国際平和のための教育ならびに人権および基本的

自由に関する勧告」がだされており、文部省も九○年度の

「教育白書」で国際理解教育をとりあげている。また今国

会では、「子どもの権利条約」が国内法・制度の改正なし

に批准されようとしていろ。この条約は、①子どもを権利

を持つ主体としてとらえている。②被差別の立場にある子

どもたちへの権利保障を重視している。③民族や人種の違

いをのりこえ、国際協力、国際連帯の必要性を強調してい

る。の三点の意義をもっており、完全批准が求められてい

る。私たちは、子どもの権利条約に盛り込まれた反差別・内

外平等の理念を生かした、子どもの権利が真に尊重される

教育を、さらに追求していく必要がある。具体的には、①

ことば、文化、生活習慣等の「適応」教育の推進、②母国

語、母国の文化等の指導とアイデンティティの確立、③排

外と同化、偏見と蔑視をとりのぞき、真の国際連帯をめざ

す教育内容の創造、④教育保障、進路保障のための条件整

備、が大きな課題となっている。

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’ 59在日外国人の現状と解放教育の課題

開府単独で加配措置してきた「適応教育推進校」は二校残る

ことになった。

(資料①)一九九一年度大同教『信貴山研

実践報告集』より

今回のハギハッキョは、私は行ってよか

ったと思う。私と同じ韓国人の人が大東に

あんなにいっぱいいろっていうことがわか

ったし、韓国の遊びや楽器とかもできた

し。今まで韓国人ということで差別をうけた

ことはない。でも授業とかで韓国のことを

するとき、「なんかいややな」って思ったり

したことはある。今はそうでもないけど。

でも、今回私は、同じ学校の子としか話

をしたりしていない。今思うと、もっとい

ろいろな人と話とかすればよかったなあ。

だけどなんか、ほとんどの人が自分と同じ

学校の子ばっかりと行動してたと思う。

それからチョゴリとか着て楽器をやった

けれど、すつどいはずかしかったけど、お

もしろかったです。それから言葉もすこし

だけわかった。

私も、いつか韓国へ行ってみたい。韓国

語も話せるようになりたい。小学生の時

は、韓国人っていうことがいややったけ

ど、別に韓国人やからといって、いじめら

大阪府教育委員会は、八八年策定の「在曰韓国・朝鮮人

問題に関わる指導の指針」の具体的実現をはかるための研

究組織として、仮称「大阪府外国人教育研究協議会(略称

府外教どの設置にむけて一定の予算化を図った。これは

部落解放府民共闘会議を中心とした積年の要求運動の大き

な成果といえる。しかし、設立をめざす「府外教」は、

大阪市内を除く府内の市町村の外国人教育研究組織・仮称

「市町村外国人教育研究会(略称市町村外教どの連合体

として位置づけられる連絡協議研究組織である。従って、

「府外教」を発足させるには、「市町村外教」の確立が前提

となる。本来、「府外教」づくりと「市町村外教」づくり

とは一体のものだが、まず、「市町村外教」づくりを先行

させることが緊急かつ重要な課題となっていろ。

大阪市では二○年前から「大阪市在曰外国人教育研究脇

「市町村外教」づくりから「府外教」設立へ

三、府・市町村の仮称「外国人教育

研究会」づくりをすすめよう

「死にたくないよ-つ」と、大声を出し

て泣いていました。それは、私たちの乗っ

ていた船が故障で、〃もうだめだ“と、だ

れしもがそう思ったときでした。

ノルウェーの大きな船に助けられまし

た。そして、やっと日本に着いたのです。わ

ずか一週間で助けられたので、とても運が

よかったのです。

れるわけでもないし、日本にも韓国人はい

っぱいいる。これから大人なっていくにつ

れて、就職とかの時、差別にあうかもしれ

ない。でもそんなことには負けず、在日韓

国人としての自覚を大切にして、いきた

い。

(用字三年)

(資料②)『解放教育』一九九二年一月号

(解放教育研究所)

何の義理だてもなく

受け入れてくれる友だちを

早くつくっていきたい

八尾南高校一年

ラ・フェ・ファン全□氷恵美)

議会(略称大阪市外教)」が、府内では「吹田市外国人教

育研究協議会(略称吹田市外教)」に続き、今年三月末に

「摂津市外国人教育推進協議会(略称摂津市外教)」が設

立され、他の地域でも検討・準備がすすめられていろ。既

に奈良県では、九○年に「奈良県外国人教育研究会(略称

奈良県外教)」が設立されている。

「府外教・市町村外教」の課題としては、従来からとり

くみを積み重ねてきた在曰朝鮮人教育の一層の充実と、新

たな課題としての中国・ベトナム等からの子どもたちへの

外国人教育の創造があげられろ。反差別・人権尊重の視点

から在曰外国人教育を推進するためには、これまでとりく

みをすすめてきた同研組織の積極的・主体的なかかわりが

必要である。また、新たな研究組織の設立は同研の存立に

も大きな影響を及ぼすものであり、組織や活動にかかわっ

て十分論議・点検をおこない、同研活動の強化・充実をと

もなう「府外教・市町村外教」づくりにしていく必要があ

る。そのため、大同教としては、昨年度末設けた部内の検

討組織・拡大在日朝鮮人教育専門委員会を「府外教プロジ

ェクト」に発展させとりくみをすすめていろ。また、大阪

市を含め府内全体でとりくみをすすめるため、府内の教育

関係者・団体でつくられた仮称「府外教」設立委員会に参画

し、情報交換を密にしながらとりくみをすすめていきたい。

日本に着いたとたん、みんなの体はプル

プル震えていました。まるで、冷蔵庫にで

も入った気分でした。夏服を着ていたか

ら、唇が真っ青でした。それから私たち

は、パスに乗せられて横浜から大阪に来ま

した。

日本に来て、一番印象に残っているの

は、寒い夜に白い雪がいっぱい降っていた

ことでした。生まれてはじめて雪を見たの

ですから、とてもはしゃいで喜んでいまし

た。なにしろ私の国は熱帯で、年中暑い国

なので、とても珍しかったです。

私たちのバスが大阪に着いたとき、玄関

にはシスターやおばさんたちが、立って待

っていてくれました。熱いラーメンも作っ

てくれました。とてもおいしかったです。

それから、日本についていろいろと教えて

もらいました。自分の部屋もちゃんと用意

してくれました。

毎日のように、私たちはみかんやお菓子

をたくさんもらいました。

「来てよかった」と、お父さんとお母さ

んは言いました。

”生涯に自由がないより、自由があった

Page 7: 在日外国人の現状と解放教育の課題 - blhrri.org · 53在日外国人の現状と解放教育の課題 52 実際の教諭採用は極めてまれであった。今回の措置によ

60 61在日外国人の現状と解放教育の課題ほうがいい〃私たちは、自由を求めて、ベ

トナムから出てきました。「それだけで。.」

と、みなさんは思われるかも知れないけ

ど、「人間にとって一番大切なことだ」と

私たちは思います。ベトナムから着の身着

のままで脱出するときは、生きていくため

の何十倍という恐怖が、父母の心を苦しめ

ました。

船に命をあずけた人は、約二○○人くら

いですが、そのうち子ども二人が海に落ち

て、行方不明になったのです。

そのとき父や母は「私や兄や弟や妹が、

海に落ちないでよかった」と、しみじみ胸

をなで下ろしたそうです。「ほんとうに神

がいるんだなあ」と、私たちを抱いて泣い

たそうです。そのときのことは、今でもは

っきり覚えています。

日本に来て一番困ったこと、それは言葉

がまったく通じなかったことです。手足を

動かし、顔で表現したりしていました。や

っとしゃべれるようになった言葉は、「は

い!」「どうもありがとう」ぐらいでし

た。それから、姫路の難民センターに入って、

部落差別で、日本人が自分の国の人や他の

民族にひどいことをしてきたことを勉強し

ました。でも、私の国の方が、もっとひど

いことをしたと思います。

日本人じゃないというだけで、お父さん

の仕事がなかなかみつからないときもあり

ました。

学校では、兄がよくケンカをしました。

それが原因で、学校をさぼったりしまし

た。そんなときお父さんに怒られ、叩かれ

ても、兄は訳を言いませんでした。たぶん、

お父さんを心配させたくなかったのです。

ケンカの原因は、「ベトナムに帰れ!」

とか、「ここは、おまえの国じゃない!」

とか、言われたからです。そんなことを言

う子は、遊び半分かもしれないけど、私た

ちにとってはとても残酷なことなのです。

私も言われたことがあります。そのとき

は、ほんとうに自分の国に帰りたいと思い

ました。「命がけで日本に来てこれくらい

のことで泣くな!」と、お父さんとお母さ

んは言いました。

ある日、女の子とケンカして、先生に怒

られたことがありました。クラスの女の子

日本語を勉強しました。お父さんとお母さ

んにとって勉強できる期間は、わずか三か

月です。大人は、みんな朝・昼・晩と一生

懸命勉強しました。子どものめんどうをみ

るのを忘れたぐらいでした。

その後、難民センターを出て、父は仕事

をみつけ、私たちは岡山に行きました。日

本人と同じように生活をするので、いろい

ろと苦労がふえてきました。買い物や電車

に乗るときなど、大変でした。道に迷い、

迷子になったこともあります。

話しなれない日本語をしゃべっても、な

かなか通じなかったので、すわりこんで泣

いたこともありました。二年ぐらいたっ

て、”やっと小学校に行ける“と思ったと

きは、ほんとうにうれしかったです。

今の子どもたちなら、一年生になったか

らといって、新しいピカピカのランドセル

を買ってもらえるけれど、私たちの場合

は、古いランドセルをもらっただけで、と

てもうれしかったのです。

はじめて学校に行ったときは、とにかく

びっくりしました。それは、建物や授業時

間でした。教室に入ろうとすると、「難民

とケンカしてからは、人にちょっかい出す

のがこわくなりました。あるとき、「あん

た、ベトナム人のくせになまいきよ!」と

言われたので、怒って、ほっぺたをパチン

と一発たたいてやりました。「ひとの気も

知らないで、言うな!」とどなりたいくら

いでした。

だから、いじめられている子を見ると、

以前の自分を見ているようで、とてもかわ

いそうに思います。いじめている子にも、

同じだけの苦しみをさせてやりたいくらい

です。どれだけつらい思いをするか、一度

自分で味わっていなければ、わからないよ

うな子が多くなったと思います。

日本に住んでいて、私は、ベトナム人だ

けど、それでも日本人とかわらないと思い

ます。同じ東洋で生まれ、目の色も同じ、

髪の色も同じなんですから。

そして今年、やっと高校に合格でき、毎

日学校に通っています。今は、ラ・フェ・

ファンではなく、吉永恵美の名前になって

います。「どうして日本の名前に変えたの

ですか?」とか、「抵抗はなかったのです

か?」とか質問されましたけど、正直言っ

の子や!」と言って、まわりに集まって話

をしているのです。私には、何を言ってい

るか、ぜんぜんわかりませんでした。とに

かく、しゃべるスピードが早いので、聞き

とれる言葉と言えば、「ファンちゃん」ぐ

らいでした。

〃目の色も同じ、髪の色も同じなのに、

どうして言葉がちがうのかなあ〃と、悩ん

だこともありました。今では、日本語全部

とはいえないけれど、友だちと遊んだり、

話したりすることができるようになりまし

た。そのかわり、自国語ベトナム語はほとん

ど忘れました。広東語は、まだしゃべれる

ので、お父さんとお母さんは、ほっとして

います。やっぱり自分の国の言葉だけは、

忘れてほしくないのでしょう。

「日本はベトナムにくらべて貧富の差が

なく、あらゆる面で豊かな国で、個人の自

由と主張があるので、とてもよい所だ」と

お父さんは言います。「戦争もなく、平和

だ」と言います。

私が、小学校五・六年生のとき、人権と

差別について勉強しました。朝鮮人差別や

て、最初は少し抵抗がありました。今まで

使っていた名前が急に日本の名前に変わる

のですから。

日本の名前を使うということは、自分と

いう存在ではなく、いつわって日本人とし

て日本に住んでいるような気がします。し

かし、今まで通りの名前で過ごしていけ

ば、将来、仕事や旅行などできっと不都合

な面が出てくると思います。

でも、名前を変えたからといって、私自

身日本人になりきるとか、ベトナム人とし

ての誇りを捨てよ』つとかは思ってはいませ

ん。ただ、名前を変えるだけで、生活がし

やすくなったり、何の害もなく幸せに暮ら

していけるというのなら、私たちにとって

はほんのちっぽけな問題にすぎません。

ベトナムにいたころは、生活が苦しく、

まわりのいろんな貧しい人たちを見てきて

いるのですから、名前を変えることぐらい

で悩むことは(問題ではありませんでした。

今現在、私は日本国籍があります。日本

国籍がほしくとももらえない人も、たくさ

んいます。なぜかというと、日本国籍をと

るには、条件がたくさんあるからです。そ

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I 63在日外国人の現状と解放教育の課題 62

り言いました。中国人と言われたことはあ

りません。

《高校で、また僕たちのためにいろんなこ

とをしてくれる先生とめぐりあいました。

勉強から部活動まで、さらに進路まで、い

っしょに考えてくれる先生もいました。自

分は今、幸せと思っています。日本に帰っ

てくる前に考えていたこととぜんぜんちが

います。

日本は今、経済大国です。世界のために

人類のために、いろんなことを努力してい

ます。国際的社会のなかで、日本人であろ

うが中国人であろうが、みんな平等であ

る。差別をなくすためにがんばらなければ

いけないなと、僕は高校三年間で勉強して

きました。

人権・差別・部落差別、高校三年間でい

ろんなことをならって、よかったなと思い

ます。

今高校三年生である僕は、進路について

悩んだりしています。

の条件をすべてパスできる状況にいる私

は、幸せなんだと思います。

中学校時代の友だちには皆、自分のこと

をすべて話していたけれど、高校に入って

中学校の友だちが私のことを「ファンちゃ

ん!」と呼ぶことを疑問に思って、聞いて

きたりする友だちもいます。

でも、私はまだ、自分のことを話してい

ません。なぜかというと、私のことを知っ

て、それを理解してくれる友だちにだけ話

したいと思っているからです。

だから、私のことを、何の義理立てもな

く、受け入れてくれる友だちを早くつくっ

ていきたいし、私もそれなりの努力をして

いきたいです。

全具料③)『解放教育』一九九二年一月号

(解放教育研究所)

夏は、またやってきました。今年の夏に

中国と日本での生活

八尾北高校三年田中君雄

なると、日本へ帰国して四年めになりま

す。もう、すでに、この日本・第二故郷の

言葉や習慣になれました。

僕のお父さんは、日中戦争のとき、中国

に残されましたので、一九八七年に日本政

府はお父さんを残留孤児として、帰国の許

可を与えてくれました。

お父さんはとてもうれしいので、早速日

本へ帰る決意をしました。でも、お母さん

と僕は、なかなか帰る判断はできなかった

です。なぜなら、言葉や風俗などいろんな

不安があったからです。

中国でいやな思い出をしてきました。日

本人は戦争中たくさんの中国人を殺しまし

たから、文化大革命のとき、日本人は殺し

屋という意味で、私たちは”小日本“と呼

ばれていた。僕は、その呼び名がすごくい

やだった。

戦争の責任をなんで僕らで背負わなけれ

ばいけないかと思ったが、中国人はそうい

うことを理解してくれない。その理由で、

日本人はやっぱり日本に帰るべきと思った

から、日本へ帰国すると決意をしました。

日本に帰ったら、もうこんな思いをしな

くなると思ったが、実際はそうではない。

日本に帰ると、また中国人と見られて、い

やなこともいろいろありました。でも、僕

はそんなことを気にせず、自分は日本人で

あると信じて、強くがんばってきました。

一九八七年の夏に帰ってきて、中国帰国

者定着センターで、四か月間日本語を勉強

しました。言葉をわからないと、自分の意

識は相手に伝わらないから、必死で勉強し

ました。

四か月間終わると、桂中学校に入学しま

した。最初は、授業は半分しかわからなく

て、悩んだりしました。でも、桂中坐剴校に

親切な教師たちがいらっしゃいましたの

で、助かりました。

抽出授業をとって、日本語の補習をして

もらいました。友だち関係の方は、最初言

葉の障害で自分の気持ちを伝えられないの

で、一一・三人しかいなかった。それから一

年間たった。徹夜で受験勉強をがんばった

ので、高校を合格しました。高校へ入学す

ると、すぐたくさん友だちができました。

毎日楽しい高校生活を送っています。友

だちに、自分は帰国生であることを尋はつき

ロ、

部落解放研究所編四六判244頁定価1,500円(税別)苦労続きの人生を、底抜けに明るく生きてきた部落の女性たちか語る内容は、合巴の厳しい部落差別の実態を反映する。

元木健・内山一雄共署A5判90頁定価600円(税別)、、非識字の克服をめざした国際的な活動と曰本国内での識字運動の紹介、文字を奪い返す営みについて述べる。部落解放研究所編四六判270頁定価1,800円(税別)㈱部落解放研究所二i赫繍f轤濡1-8-12

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