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〜2007.2.24 市⺠アカデミー3期 名⽔「広島の⽔」探訪〜
名水「大町観音水」を訪ねる
武田山(たけだやま)
古市公⺠館から⽬の前に⾒える⾼さ410.9mの⼭が武⽥⼭です。頂上からは広島市内のビルや天気の良い⽇には四国の⼭々まで⾒わたせます。この⼭は、甲斐の国(今の⼭梨県)の武⼠であった武⽥⽒が、安芸の国の守護職(今の県知事のような職)
に任じられ今から約700年前に、ここに銀⼭城(かなやまじょう)というお城を築いたので武⽥⼭と呼ぶようになりました。三本の⽮のお話しで有名な⽑利元就(もうりもとなり)によって今から467年前の天⽂10年(1541)にせめほろぼされるまではこの武⽥⼭が広島の中⼼地だったのです。ところで皆さんは「お城」というとどんな姿を思い浮かべますか?
きっとすぐ浮かぶのは広島城(ひろしまじょう)でしょう。では、この武⽥⼭にも広島城のようなりっぱな天守閣(てんしゅかく)がそびえたっていたのでしょうか?正解は「 」です。バツ
銀⼭城は広島城よりも古い時代に建てられた⼭城(やまじろ)です。⼭の尾根を削って平らにした陣地をいくつも作り、⽊の柵で囲っていました。この陣地のことを曲輪(くるわ)といい、地⾯をV字型に堀りさげた堀切(ほりきり)や⼭の斜⾯に縦に溝を掘る竪堀(たてぼり)などを作り、敵が攻めてくるのを防いでいました。⼭全体が要塞(ようさい)で、50ちかい曲輪や堀切などが確認されています。昭和31年(1956)には、標⾼250m以上が広島県史跡に指定されていて、頂上の館跡(やかたあと)には柱を建てた岩の⽳や不思議な岩のくぼみ「鶯の⼿⽔鉢(うぐいすのちょうずばち)」を⾒ることができます。また、「⼭のどこかに⾦の茶釜が埋められていて⽬印に⽩南天(しろなんてん)の⽊が⽣えている」などの伝説の多い⼭でもあります。
河内神社(こうちじんじゃ)と金蔵寺跡(きんぞうじあと)
古市公⺠館を出発し武⽥⼭へ向かい、ユアーズを通りすぎて家の間を右にまがると正⾯に⽯段と⿃居(とりい)が⾒えてきます。この河内神社は銀⼭城があったむかしは、⼭すその河内⾕(こうちだに)にあり武⽥⽒からあつく尊敬されていましたが、武⽥⽒がほろんだあとは神社もさびれていきました。いつの時代かははっきりしませんが、ある時、村のある⼦どもが突然、「お宮をたてなさい。そうすればこの⾥
は病気から守られるでしょう」と不思議なことを⾔いいました。これは神のお告げに違いないとおどろいた村⼈はすぐにお宮を建てお祭りし、それからこの⾥に悪病の伝染することがなかったといいます。この神社の奥には観⾳堂(かんのんどう)がひっそりと建っていて、この観⾳堂が明治の中ごろまであったガ
ガラ⼭の中腹に、これからたずねていく⼤町観⾳⽔があります。
まちづくりプランプロジェクト(安佐南中学校区)
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神社の⽯段の前を左にまがり⽥んぼの間を通っていくと舗装路に出ます。今は団地になって家が建ち並んでいる左⼿の丘の上には、⽑利元就が銀⼭城をせめた時に陣をしいたと伝わる⾦蔵寺(きんぞうじ)があったといわれています。⼤町観⾳⽔へは右の⾕道を上っていきます。段々畑
や⽥んぼの広がるのどかな⽥園⾵景をながめながら進むと正⾯に県営住宅のアパート、その上には安佐南中学校の⽩い校舎が⾒えてきます。⾞に気をつけて進んでいきましょう。
登山道入口
坂道をのぼりアパートを通りすぎて、⺠家の間をさらにすすむと安佐南中学校の運動場の裏に到着します。前を⾒上げると丸太の⽴派な登⼭道⼊⼝の標識
が皆さんを出むかえています。いよいよここから⼭道に⼊ります。ケガをしないように、もう⼀度⾜⾸をまわして体を
ほぐしておきましょう。⼭ではマムシとスズメバチにも気をつけなくてはな
りません。草むらに不⽤意に⾜をつっこんだり、⽊の枝などをふりまわして葉っぱをたたいたりすると思わ
ぬ被害にあうことがあります。スズメバチを⾒かけたら、ぜったいに⼿で追い払ったりせずスズメバチが⽴ち去るまで静かにじっとしていましょう。
ちびっこ弓場
沢ぞいの道をしばらく進むと⼿づくりの橋があらわれます。この橋は今⽇皆さんを案内する⾼⽊さんがパイプをくんで作った⼿づくりの橋です。橋を渡りしばらくすすむと右⼿に分かれる標識が⾒えてきます。⼩さい橋を渡ると左⼿の⾕間に「ちびっこ⼸場」の看板があり、⽵の
⼸⽮と的(まと)が⽤意されています。武⽥⼭の⼭頂ふきんには「⼸場跡(ゆみばあと)」という曲輪(くる
わ)があります。これは細⻑い曲輪の形から連想してつけた名前で実際に⼸の練習場があったわけではありませんが、2年前に地元のボランティアの⼈たちによって⼸⽮が置かれ、訪れた⼦どもたちを喜ばせています。「ちびっこ⼸場」は、⼤町観⾳⽔に⼤⼈と⼀緒にきた⼦どもも退屈し
ないように、この⼸場跡を参考にして⾼⽊さんが⼿づくりしたものです。もちろん、⼦どもだけでなく保護者の⽅も⼦ども時代に帰ってチャレンジしてみてください。⾔うまでもないことですが、次にくる⼈のために使ったあとは元どお
りに⼸⽮は⽚づけておきましょう。また、いくら楽しくても持って帰ってはダメですよ。
まちづくりプランプロジェクト(安佐南中学校区)
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まちづくりプランプロジェクト(安佐南中学校区)
観音堂跡(かんのんどうあと)・大町観音水
ちびっこ⼸場であそんだあとは、スギの⽊のあいだの⼩道を進みます。1〜2分でひらけた場所に到着し、休憩⽤の⽊のベンチが置かれています。ここが観⾳堂跡(かんのんどうあと)で、めざす「⼤町観⾳⽔」はもう⽬の前です。武⽥⼭にあった銀⼭城(かなやまじょう)の殿様が、可部の⾼松城(たかまつじょう)を訪れる際には、ここに
あった観⾳堂に必ずお参りしたそうです。すぐそばの岩からわき出す清⽔(しみず)で、殿様や家来だけでなく連れてきた⾺ものどをうるおしていたと伝えられていて、この⽔を飲むと「胃腸が良くなる」と評判でした。観⾳堂は明治の中頃に河内神社に移されて⽯垣だけが残り、いつしか⽔場への道も草⽊に埋もれ、訪れる
⼈もないまま⻑い年⽉が過ぎ、地元の⼈からも忘れられた“幻の⽔場”になっていきました。この“幻の⽔場”がよみがえったのは平成17年の
夏のことでした。河内神社の総代⻑で⼤町富⼠団地町内会⻑だった⿊河寿美夫(くろかわすみお)さんが呼びかけ、⼤町地区の皆さんによって⽔場までの道が整備されたのです。久しぶりに姿をあらわした⽔場は、昔と変わること
なくこんこんと豊かな⽔がわき出していました。この地にあった観⾳堂にちなんで「⼤町観⾳⽔(おおまちかんのんすい)」と名づけ、⽔を汲みやすいようにパイプ
を取りつけ⽔場までの案内標識も整備し、昔の⽔場を知る⼈や登⼭者が少しずつ訪れるようになりました。平成18年3⽉に⽔の鑑定で全国的に有名な広島国際学院⼤学の佐々⽊健(ささきけん)先⽣に検査をお願
いしたところ、「まれにみる軟⽔(なんすい)の名⽔といってよい。お茶、コーヒー、料理に最適の万能の名⽔。屋久島、縄⽂⽔(じょうもんすい)の⽔質と近似(きんじ)している⽇本⼀の⽔質レベルである。」との鑑定をいただきました。また、保健所にも⽔質検査に出しています。4⽉には、町内会の総会でこの⽔場を紹介したり、回覧板でやチラシを回したりして団地の⼈たちにも広く知
られるようになりました。地元の⼤町⼩学校では総合学習の教材としてもとりあげられるようにもなりました。また、⽔場のすぐ下には安佐南中学校があり、
⽣徒たちは⽔を汲みにくる⼈たちといつもさわやかなあいさつを交わしています。地元の⼈たち
(注意:腕章がない⼈は安佐南中へは、腕章をつけて⽔汲みとあわせて学下りる階段の道は通れません)
校周辺の⾒回りもおこなっています。今では、いつ⽔を汲みに⾏っても必ず誰かに出
会うほどにぎわっている私たちの町の“お宝”なのです。
-軟⽔と硬⽔-
ミネラル分を多く含む⽔を硬⽔、少ない⽔を軟⽔と呼び、硬度を⽬安に区分しています。硬度は、 ⽔1リットル(L)に溶けているカルシウムとマグネシウムの量を、炭酸カルシウム(CaCO3)の 重量(mg)に換算した数値(mg/L=PPM)で表します。⽔域を分類するための⼀般的なガイドラインによると、軟⽔は「硬度0〜60mg/L」、中硬⽔は「硬 度61〜
120mg/L」、硬⽔は「硬度121〜180mg/L」、⾮常な硬⽔は「硬度181mg/L以上」としてい ます。硬度による⽔の特徴は、地下⽔が通過する地層のちがいによって表われます。⼤町観⾳⽔は花 崗岩の
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まちづくりプランプロジェクト(安佐南中学校区)
硬い岩質でミネラルがあまり溶け出さない硬度10の「軟⽔」です。軟⽔には沢⼭のメリットがあります。まず、洗濯がよく落ちる。洗剤が少なくて済む。これは 軟⽔が⾮常に
溶出⼒が強いからです。2番⽬、出汁をとったら⾮常においしい。料理に⾮常に いい。お茶、コーヒーにおいしい。野菜とか料理をしたらミネラルが沢⼭溶け出て健康によいと いうメリットがあります。しかも変質しにくく腐りにくいのです。
おことわり⽔質検査は毎年⾏っておりますが、検査の結果はあくまでも検査⽇の⽔の状態を⽰すものです。
⾃然のわき⽔ですから天候や季節によって状態は変わりますので、おなかの弱い⽅は少量試飲して確かめるなど、飲⽤はあくまでも⾃⼰責任でお願いします。
大町古墳(おおまちこふん)とガガラ山
観⾳堂跡から「ガガラ⼭へ」の標識があり登りの⼭道が伸びています。この道は、⼀昨年の12⽉に整備された道です。武⽥⼭をまじかに⾒ながら登るとても景⾊のよい
道で、しばらく汗をかいて登っていくと「⼤町古墳」の標識があり、そばの1m四⽅の⼤岩の下に60㎝×60㎝の⽯組の空間があるのがわかります。(財)広島市⽂化財団のホームページ「ひろしま昔
探検ネット」(http://www.mogurin.or.jp/maibun/K/K-9.htm)にもこの場所が紹介されています。今から1400〜1500年前の古墳時代は、武⽥⼭の
⼭すそが海岸線で⼈々の⽣活の場となっていました。武⽥⼭周辺の⾼さ90〜100mあたりには数多くの古墳が発掘され、⼈⾻も⾒つかっています。この⼤町古墳は⼤⼈の⼈⾻を納めるには⽯室が⼩さすぎるので、⾚ちゃんが埋葬されたものか、あるいは
お祈りやお祭りの舞台だったのかもしれません。古代の⼈になったつもりでここから眺めると、⾊々な想像がわき楽しくなります。ガガラ⼭は地図には名前が載っていない⼩⼭で標⾼は205.6mです。地元の⼈に話をきくと尾根筋(おねす
じ)に⼤きな岩がたくさんころがっていることから、「ガラガラ⼭」がなまって「ガガラ⼭」になったということです。昔は⼭頂に⼤きな⼀本の松が⽣え、これがこの⼭の⽬印で
した。今では⼭頂は⼤町地区の⼈々により雑⽊が切り払われ、ベンチが置かれ、松林の向こうには武⽥⼭トンネルから伸びる⼭陽⾃動⾞道が⾒おろせます。
昨年11⽉2⽇、この⼭頂の約60m奥の場所から出⽕、約2アールを焼く⼭⽕事が発⽣しました。懸命な消⽕活動によって⼤きな被害は出ませんでしたが、たった⼀⼈の不注意な⾏動が重⼤な結果をまねきます。本⽇、ヘリコプターも参加した林野⽕災消防訓練が武⽥⼭で
実施されていますが、⼀⼈ひとりが⽕災予防には⼗分気をつけましょう。
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目薬峠(めぐすりとうげ)
ガガラ⼭から武⽥⼭に向かっておりていくと峠に出ます。ここも地図に名前の載っていない峠ですが、地元では武⽥⼭にかかった雲がこの峠から吹き下ろしてくる様⼦から『吹通し(ふきとおし)』と呼んでいました。『⽬薬峠(めぐすりとうげ)』というのは実は最近つ
けられた名前です。ガガラ⼭を下りこの峠から右⼿に進むとわずか数分で武⽥⼭団地です。有名な“安の⽬薬”(かつて安地域で作られていた
⽬薬で全国的に知られていました。この⽬薬は⽩⾊のクリーム状の塗り薬で、⾙殻の容器に⼊れて⾚い紙に包んで売られていたそうです)をこの峠を越えて
⼤町や古市地区に売りに来たかどうかは定かではありませんが、⼤町・古市地区と安地区の⼈々の交流がこの峠を越えて進み、武⽥⼭が安佐南区を“さえぎる”⼭から安佐南区を“結ぶ”⼭に育ってほしいという願いが込められています。
登山道出口(大町コース登山口)
峠をおりて沢ぞいの道をすすんでいくと、来る途中に曲がった観⾳堂跡への分かれ道にもどってきます。もう⼀度、ちびっこ⼸場、観⾳堂跡をとおり、おみやげに⼤町観⾳⽔くんでいきましょう。帰り道は観⾳⽔から奥へ伸びる道をすすんでいき
ます。静かな⼭道ですぐ下はに団地が広がっているのを忘れてしまいそうです。この⼭道は、わずか三年前まで台⾵で倒れた⽊が数メートルをおきに横たわる荒れはてた道でしたが、「⼤町アルキニストクラブ」など⼤町地区の皆さんの⼿によって、このような快適な散策路(さんさくろ)に⽣まれ変わりました。道沿いの
樹⽊に取り付けられた樹名札(じゅめいふだ)は、昨年12⽉の「樹⽊ウォッチングと名⽔を楽しむ会」で、森林⽣態調査研究所 ⼭下容富⼦先⽣の指導を受け、とりつけたものです。出⼝は団地のはしで、登⼭道わきには平成17年の冬、被爆桜⼆世(ひばくざくら2せい)の苗が植えられてい
ます。被爆桜⼆世は広島市役所の中庭で原爆で焼かれ幹だけになっても芽を出しつづけたソメイヨシノを接⽊して配られたもので、平和の尊さを私たちに伝えています。8⽉6⽇早朝、⾼⽊さんは平和公園の中にある原爆供養搭(げんばくくようとう)に⼤町観⾳⽔を献⽔(けんすい)し、「熱い、熱い」と⾔って⽔を求めてさまよい亡くなっていった⼈々に祈りをささげました。皆さんも、⼤町観⾳⽔をいただく時にいつまでも変わらず⼤町観⾳⽔をおいしく飲むことができるよう環境の
こと、そして平和のことを考えてみてほしいと思います。
(解説・写真:畑野 康)
(おことわり)このテキストは昨年12⽉2⽇に実施した安東公⺠館と共催事業「親⼦で⾏く⼤町観⾳⽔とガガラ⼭探検」で
使⽤した解説を⼀部修正したものです。
まちづくりプランプロジェクト(安佐南中学校区)
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