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54 家とまちなみ 79〈2019.5〉 「光と影の共存、美しい集落のエッセンス」 サンタニュス、ソスペル、リュセラム、ペイユ (フランス、プロヴァンス=アルプ=コートダジュール) 旅で出会った世界のまちなみ 写真・文: 江川直樹 (関西大学 教授) ントンからバスだけで行くことのできるお薦めの集 落が、サンタニュスである。午前と午後の便しかな いし、バスも10人も乗れば満員の小さなバスだが、客が 多い時は増便するか、バスの大きさをもう少し大きめのも のにする。しかしちゃんと車椅子でしっかり乗り込める仕 様になっている。約11kmの距離を800mほど、つづら折 れの急峻な山道をのぼるので、大きなバスでは行けない。 写真で「ホテル」と書いてあるのは村役場だ。(in France)a city hall or townhall. なのである。小さなも のだが、造りはしっかりしている。人口は1,157 人(2014 年)。 レストランやバーも数軒ある。バスからは、集落近くの道 が広がった所で降ろされるので、どうやって集落に行った らよいか一瞬迷うほど。訪れた時は、集落をひと通り歩い て、見晴らしのきく広場から素晴らしい眺望を楽しもうと する間もなく、一瞬のうちに霧に包まれてしまい、真っ白 のガスの中に。仕方がないので食事でもしながら霧の晴れ るのを待つことにした。 ランチコースは、メインが兎か牛。牛はないだろうと聞 いてみると猪のことだった。生まれて初めて兎を食べるこ とに。兎年なので、共食いだ。地元の白ワインに、前菜が テリーヌで、メインが兎のシチューとさらにパスタ、デザ ートもたっぷりあって、おいしかったのだが、結局、3カ 月ほどの調査中、まっとうな食事はこれだけ、ほとんどの 食事は前菜だけでぼくには十分だった。 霧の中で集落を歩き回ったが、結局霧はなかなか晴れ ず、バスで下界に戻ったら下は結構良い天気。山を仰ぐと 白い雲、翌日は晴天で再訪することになったが、サンタニ ュスの裏山からのマントン湾を望む絶景は本当に素晴らし く、充分再訪の価値があった。 hotel de villeは町役場 光と影に溢れた見事な風景 サンタニュス SaintAgnes フランス、コートダジュール(Provence-Alpes-Côte d'Azur)

「光と影の共存、美しい集落のエッセンス」 · 56 家とまちなみ79〈2019.5〉 同じくマントンからバスで行けるのが、ソスペル。山 に囲まれた緑のベヴェラ川沿いにある。1975年に

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Page 1: 「光と影の共存、美しい集落のエッセンス」 · 56 家とまちなみ79〈2019.5〉 同じくマントンからバスで行けるのが、ソスペル。山 に囲まれた緑のベヴェラ川沿いにある。1975年に

54 家とまちなみ 79〈2019.5〉

「光と影の共存、美しい集落のエッセンス」サンタニュス、ソスペル、リュセラム、ペイユ

(フランス、プロヴァンス=アルプ=コートダジュール)

旅で出会った世界のまちなみ ❷

写真・文:江川直樹(関西大学 教授)

マントンからバスだけで行くことのできるお薦めの集落が、サンタニュスである。午前と午後の便しかな

いし、バスも10人も乗れば満員の小さなバスだが、客が多い時は増便するか、バスの大きさをもう少し大きめのものにする。しかしちゃんと車椅子でしっかり乗り込める仕様になっている。約11kmの距離を800mほど、つづら折れの急峻な山道をのぼるので、大きなバスでは行けない。

 写真で「ホテル」と書いてあるのは村役場だ。(in France)a city hall or townhall. なのである。小さなものだが、造りはしっかりしている。人口は1,157人(2014年)。レストランやバーも数軒ある。バスからは、集落近くの道が広がった所で降ろされるので、どうやって集落に行ったらよいか一瞬迷うほど。訪れた時は、集落をひと通り歩いて、見晴らしのきく広場から素晴らしい眺望を楽しもうとする間もなく、一瞬のうちに霧に包まれてしまい、真っ白のガスの中に。仕方がないので食事でもしながら霧の晴れるのを待つことにした。 ランチコースは、メインが兎か牛。牛はないだろうと聞いてみると猪のことだった。生まれて初めて兎を食べることに。兎年なので、共食いだ。地元の白ワインに、前菜がテリーヌで、メインが兎のシチューとさらにパスタ、デザートもたっぷりあって、おいしかったのだが、結局、3カ月ほどの調査中、まっとうな食事はこれだけ、ほとんどの食事は前菜だけでぼくには十分だった。 霧の中で集落を歩き回ったが、結局霧はなかなか晴れず、バスで下界に戻ったら下は結構良い天気。山を仰ぐと白い雲、翌日は晴天で再訪することになったが、サンタニュスの裏山からのマントン湾を望む絶景は本当に素晴らしく、充分再訪の価値があった。

hotel de villeは町役場

光と影に溢れた見事な風景 サンタニュス SaintAgnesフランス、コートダジュール(Provence-Alpes-Côte d'Azur)

Page 2: 「光と影の共存、美しい集落のエッセンス」 · 56 家とまちなみ79〈2019.5〉 同じくマントンからバスで行けるのが、ソスペル。山 に囲まれた緑のベヴェラ川沿いにある。1975年に

55家とまちなみ 79〈2019.5〉

住居下のトンネル路地は光と影の見事な風景

光と影、人のいる気配が素晴らしい集落内の路地

奥行きの薄いレストランの窓越しにテラス席が見通せる

裏山に抱かれるような集落の外観

自分たちの集落が見える場所のあることが重要

Page 3: 「光と影の共存、美しい集落のエッセンス」 · 56 家とまちなみ79〈2019.5〉 同じくマントンからバスで行けるのが、ソスペル。山 に囲まれた緑のベヴェラ川沿いにある。1975年に

56 家とまちなみ 79〈2019.5〉

同じくマントンからバスで行けるのが、ソスペル。山に囲まれた緑のベヴェラ川沿いにある。1975年に

1,828人と最低となった人口は、1999年には2,885人、2010年には3,527人と増えている。大変気持ちの良い集落で、ロヤ−ベヴェラ線(国有鉄道[SNCF]。メルヴェイユ電車で50分ほどでニース駅からも行ける)沿線の村の中では、大きいほうである。 標高約350m、海岸と山岳部のちょうど中間に位置し、マントンからは約20km、ニースからは約40㎞の距離だ。山中の川沿いの集落で、サルデニア王国時代の遺産で要

塞化された橋のある中世の面影を残す村である。現在では川のこちら側の新しい集落と一体となっている。 ここで知ったのが、毎日午前中に広場で展開される市場の秘密。近郊の生産農家が来るのだが、どうやらそれだけではなく、村の店もその時間は広場で一緒に店をやっているようだ。他の町でも、土日の路上市場の際に、既存の店の前に仮設形式の出店が開いていて、もともとの店の邪魔にならないのかと思っていたのだが、何とその時間帯は後ろの店が前に仮設の店舗を出している場合もあって、なるほどなぁと感心した。

川沿いの城壁のような集合住宅の生活感が表現する美しさ

山中の川沿いの集落 ソスペル Sospelフランス、コートダジュール(Provence-Alpes-Côte d'Azur)

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57家とまちなみ 79〈2019.5〉

要塞化された橋から垣間見える色鮮やかな建物

毎日市場となる午前中の公園

気持ちだけが揃っているような建物の外壁

川に面するとこうなるんだと言わんばかりの気持ち良さ

何気ない階段やバルコニーが光と影に美しく浮かびあがる

Page 5: 「光と影の共存、美しい集落のエッセンス」 · 56 家とまちなみ79〈2019.5〉 同じくマントンからバスで行けるのが、ソスペル。山 に囲まれた緑のベヴェラ川沿いにある。1975年に

コートダジュールの山間には、山頂にへばりつくように発達した「鷲の巣村」と呼ばれる魅力的な集落が

80以上点在しており、ニースからも多くの鷲の巣村にバスで行くことができる。ちょうど調査の時期はバスセンターが工事中で、街中の各所にバスの出発地点が分散されていて、行き先ごとのバス停とタイムスケジュールを調べるのに大変だったが、ニース駅前のインフォーメーションにずいぶんと助けられた。 訪れた小集落にも、ほとんどすべてといってよいほど、同様のインフォーメーション(オフィス・ド・ツーリズモ)があって、こんなに小さな人口過少集落でどうやっているのだろうと思ったが、どうやら日頃は村の学芸員のような仕事をしているようで、おそらく、村の歴史やなんかの整理をしているのだろう。ほとんどが若い女性で(もちろんおばさんの場合もあったが)、皆、英語が喋れる。フランス人は英語がわかっても喋ってくれない等というのは過去の話で、おかげでずいぶんと助かった。「この村からどこそこの村に行きたいのだが……」等と聞いてみると、「そんな方法はないと思うが……」と言いながらコンピューターで探しまくり、結局、「何時のバスでどこそこに行き、どこそこの停留所で待てば、何時にどこそこ行きのバスが

来る。もっとも、帰りのバスは今日はないけれど」などと、彼女たちも初めての質問に戸惑いながらも丁寧に調べてくれる。人口が何百人という小集落にそんな学芸員がいるというのが素晴らしい。 前号で述べた「フランスの美しい村」協会は、人口の少ない(2,000人以下)けれども美しい村同士で連携しているようだが、そんな取り組みがこのような仕組みを育んできたのかもしれない。日本でも参考にすれば良いのにと、つい思ってしまう。 ニースからのお薦め小集落は、ペイユ、リュセラム、コアラーズなどいくつもあるが、写真はリュセラムのオフィス・ド・ツーリズモだ。リュセラムは、15世紀後半から塩の道の通過点として繁栄した山あいの小さな村で、ニースからトリノにむかう鉄道の谷にそって25kmほどバスで山に入ったところ。バスは1日に4本程度出ている。人口は1,285人(2016)。大きな山の谷底ちかい斜面にへばりついていて、段々畑のように上から下に広がった鷲の巣村の部分と街道を挟んで平地の市街とで成り立っているのが特徴で、細い路地は中世から変わっていない。城壁のなかの「古い村」は狭いので、車は城外の駐車場に停める。

ニース近郊の鷲の巣村 リュセラム Luceramフランス、コートダジュール(Provence-Alpes-Côte d'Azur)

正面に明るい塔を望むこれぞ鷲の巣村の路地

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59家とまちなみ 79〈2019.5〉

ダイナミックな崖上の集落と谷沿いの平坦部の住居群

驚くような場所のテラスがうらやましい

人口1,300人足らずの集落のインフォーメイション

小さな辻広場に面した光と影が同居する美しい外壁

日当たりも見晴らしも良い教会の裏庭の墓地

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60 家とまちなみ 79〈2019.5〉

同じくニースからバスで行けるのが、モナコの北15kmの山間に立つ鷲の巣村ペイユ。バスは、ニー

ス駅前からトラムに乗り、Vaubanにある長距離バスターミナルから出ている。観光化されていない鷲の巣村の良さが凝縮されているような佇まいの気持ちの良い集落で、ニースからさほど遠くないにも関わらず、まったく観光地化はされていないし情報もほとんどなく、それゆえにお勧めの集落だ。 写真を見ればわかるのだが、どの集落に行っても小さなスケールの光と影が共存している。つまり、光と影のある路地や広場になっている。私自身が集住環境を設計する際に一番気をつけているのがこれで、時間の流れの中に光と影の見える、いや感じられる風景を存在させることで、集落の細やかな構造とそこに住む人々の優しい気持ちが浮かび上がってくる。決して大きな箱ではなく、あくまでも隙間のある小さな群状の集合なのだ。 建物の外の中庭のようなところにある屋外のレストランで食事を楽しんでいるのは地元の住民だが、光と影や広場と大木との対比が素晴らしく、同じ場所で子供たちが遊んでいるし、ただベンチに座ってそれらを眺めてい

る女性がいる。同じ場所にいろんなことをやっている人がいるというのは大切で、ぼくたちが学生たちと一緒に、人口減をなげく過疎地や団地、ニュータウンなどの地域再編プロジェクトでやっている365日開いているコミュニティ拠点そのものの屋外版で、いつまでも居ることのできる気持ちの良い場所だ。 朝着いた小型のバスは、村の入口広場の木陰に夕方までそっと停車していて、乗務員は他の日はきっとニースの忙しい路線を走っているのではないかとつい思ってしまうほどののんびりさ。前号でも述べたが、ニースのバスは客の数や距離に関係ないところが素晴らしく、そんなことを考えてしまう。

多様な要素が混在して共棲する集落内の小広場 ペイユ Peilleフランス、コートダジュール(Provence-Alpes-Côte d'Azur)

江川直樹(えがわ・なおき)早稲田大学大学院修士課程修了。1977〜82年現代計画研究所(東京)、1982年同大阪事務所開設、2004年〜関西大学建築学科教授。日本都市計画学会賞(計画・設計賞)、都市住宅学会賞、日本建築士会連合会賞(作品賞)他多数

鷲の巣村には必ずある光と影のトンネル路地

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61家とまちなみ 79〈2019.5〉

こんな行為とその気持ちがひとけ(人の気配)を表出する

時代を超えて気持ちが連続する陽光と生花に溢れる墓地

この何気ない風景こそが集落を訪れる理由でもある

多様な要素が混在して共棲する集落内の小広場

訪れる道から垣間見える美しい鷲の巣村