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日本社会における過労死問題を考える 小鮒

日本社会における過労死問題を考えるkatosemi/semi/4thyPDF/kobuna.pdf1 目次 第一章 はじめに 第二章 日本における長時間労働の実情 1.日本人の労働時間の推移

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日本社会における過労死問題を考える

小鮒

1

目次 第一章 はじめに 第二章 日本における長時間労働の実情 1.日本人の労働時間の推移 2.過労死問題について 第三章 過労死の実例と問題性 第四章 過労死に陥る要因 1.時間外労働(残業)に関する法的な整備 2.労働の二極化 3.日本的働き方と便利化する社会 (1) 情報技術の発達 (2) 過剰な消費社会 第五章 是正に向けた対応策 第六章 今後に向けて何が必要か ―日本の働き方について― 第七章 おわりに

第一章 はじめに

現代日本においては特に顕著であるが、年々「過労死」をはじめとした長時間労働の問

題が社会で大きな関心を寄せる出来事となり、その重要性は年を経るごとに増加しており、

対応が迫られている。最近でも某大手広告代理店の新卒社会人の女性が過労死した事件の

判決などが大きく取り沙汰されており、世間でも目を背けることのできないことであるこ

とは確かである。私をはじめとして、大学を卒業して新卒の社会人として世間に踏み出そ

うとしている学生においてはさらにその関心性が高まり、他人事ではないと感じている人

も少なくないのかもしれない。最近では国や法令によって制度が整備され始めていると感

じる人も多いだろう。そして、以前から叫ばれていた「過労死」においての危険性や悲惨

さを多くの人々が認知し、それに対した動きがより本格的なものになってきているのは良

い兆候であるだろう。 それにも関わらず、いまだに所謂ブラック企業についての噂や新聞の記事などを目にす

る機会は多いと私は感じている。ネットでブラック企業と検索をかければ、そこには数多

くの記事が存在している。なかには、都道府県ごとに近年監査で指摘を受けた企業を一覧

で見ることができるようなサイトを見かけたときには大きな衝撃を受けた。そもそもこの

「過労死」というのはその性質上、責任問題があいまいになりやすいものである。その認

2

定方法にも是非が問われていて、判決が出るまでに莫大な時間と費用が掛かってしまうこ

ともある。そしてこれが一番大事なのであるが、それほどまでの経過をしても「過労死」

と認められないことがあるかもしれないということだ。私の個人的な意見を言わせていた

だくと、これほど恐怖を感じることは少ないだろう。 そして、以前ほどではないがいまだに残る大きな問題もある。それは、長時間労働に対

する世間の動きが抑制する方向にではなく、問題が生じた際における姿勢や対応に対して

の反応のほうが注目視されかねない現状である。私はこのことに関して大きな疑問を抱か

ざるを得ない思いとともに、失望感や憤りを感じた。「過労死」が認められないことは何よ

りも避けなければならないことであるという認識は決して間違っていない。現状に対して

の正しい対処策であると胸を張って主張することはできる。この労災認定は先述あったと

おり曖昧になりやすく、はっきりとさせなければならない問題であるからだ。だがしかし、

そもそもそのような「過労死」が蔓延するような労働環境の整備において、長時間労働な

どの過重負荷を発生させない、避けるための動きがこれほどまでに消極的であるのはいか

がであろうか。日本の景気も以前と比べれば良いとは言い難く、厳しい時代となっている

ことは間違いない。しかし、だからと言って「過労死」などが起こることの免罪符になる

訳は決してないことは言わずもがなであろう。私はこの世間の風潮に抵抗するための第一

歩を、まずは踏み出していきたいと思う。それが本論を書くに至った経緯と主な目的であ

る。未だ社会での経験も浅く、労働の現場において深い知識や経験を持っていないからこ

そ、純粋に実態や問題に取り組んでいきたいと思うのである。他人事では無く、これから

の日本社会を背負っていく代表となるだろう私たちや未来の若者のためにも、この解決や

対処が困難ではあるが解決策を考えていくことが必須である問題について、深く考えてよ

り良い労働環境を求めていきたいと私は思う。

第二章 日本における長時間労働の実情

1.日本人の労働時間の推移 近年になって、日本では長時間労働が注目を集め問題となっている。そして世間では残

業時間が多く、さらに特別手当の発生しないサービス残業をすることを余儀なくさてしま

う、いわゆるブラック企業という言葉も登場しており、多くの人々が耳にしたことがある

であろう。そのような現状にある日本であるが、果たして実情はどのようになっているの

であろうか。そこで次のグラフを見てみる。これは、近年の日本人と諸外国の労働時間と

の比較をグラフに表しており、各国の一人当たりの年間における平均総実労働時間を示し

ている。1988 年に労働基準法が改正され、それが施行されたことが転換点となり、労働者

の労働時間は減少傾向に向いていた。それでも、1995 年程まで残念なことに首位を維持し

3

続け、それ以外の諸外国との間には大きな隔たりがあった。2009 年度について着目してみ

ると、その労働時間は 1,714 時間となっているが、それ後には再び増加している傾向がみ

られる。表に出ている各国についても、労働時間に大きな変化は見られず、横ばいの状態

が続いている。2015 年はアメリカ 1,790 時間、イタリア 1,725 時間、イギリス 1,674 時間、 スウェーデン 1,612 時間、フランス 1,482 時間、ドイツ 1,371 時間などとなっており、現

状に置いて日本はほぼイタリアと同様であるということが図から判明する。しかしながら、

現状でも依然として労働時間が長いという事実は変わらない。それは後述するが、政府の

政策などでも大きく話題にされ、積極的に改善されるべき課題の一つに挙げられているの

は周知の事実であろう。 図 1 主要 7 か国における労働時間の推移

(出典):データブック国際労働比較 2017 より

2.過労死問題について まずは、「過労死」についての定義をはっきりと定めたいと思う。簡潔に述べてしまえば、

働きすぎたことによる疾患などによって死に至ることであろう。実際、先ほどのグラフで

もいえることであるが、どのくらい働けば死に至るのか、などといった明確なデータを出

すことは現実問題としてとても困難な事象である。いわゆる月平均 80 時間以上の時間外労

働をボーダーとした過労死ラインというものは存在するが、因果関係を確定することは容

易ではないと筆者は考える。ここではその定義を人事労務用語辞典から引用して論を進め

たい。それによると、「過労死とは、臨床医学用語ではないが、一般的に長時間労働などの

過重な業務により生じる労働者の脳出血・脳梗塞、心筋梗塞などの疾患(脳血管疾患およ

び虚血性心疾患〔脳・ 心疾患〕、循環器系疾患)による死亡をいう。脳・心疾患は、労働

4

者の業務が私生活や素因(遺伝的、体質的にある特定の疾病にかかりやすい状態)、基礎疾

病(現在の疾病発祥の基 礎となる病的状態)等の要因ともに発症過程に何らかの関係をも

つと考えられており労働関連疾病(作業関連疾病)と呼ばれる。これらの疾患が「業務に

起因する事が明らかな 疾病」である場合に業務上の疾病として労基法の災害補償または労

災保険法の保険給付の対象となる。業務上の疾病であるか否かの判断については認定基準

(行政解釈)が示され ており、2001 年 12 月には疲労の蓄積をもたらす長期間の過重業務

も業務による過重 負荷として考慮される事になり脳・心臓疾患の労災認定が増加している

1。」とある。また、厚生労働省をはじめとして、政府も「過労死」の認定を改定し続けてい

る。しかし、その全てにおいて共通する事柄として、過労死等に至った従業員の勤務状態、

「過重負荷」の有無が何よりも重要視されている 2。 現在での労働時間についての労災認定基準は「発症前一ヶ月以内間に月 100 時間を越え

る時間外労働があったこと、または発症前二ヶ月間から六ヶ月間にわたって一ヶ月あたり

80 時間を越える時間外労働が認められる場合は業務と発症の関連性が強い 3」として認定

される可能性が増す。ここでも「過重負荷」として精神的な負荷も考慮されることになる。 では次に、「過労死」、「過労自殺」の件数の推移を見てみる。次のグラフは、平成 7 年度

から 22 年度までの簡易的な就業者の脳血管疾患、心疾患による死亡数を表すものである。

これを見ると、平成 7 年度には年間約 52,000 件の死亡件数であったが、平成 22 年度には

約 30,000 件にまで減少している。これは、過労死によって命を落とした人だけのデータで

はない。しかしながら、年間でこれだけの人々が業務中に脳・心疾患によってなくなって

いるということを考慮に入れてほしい。それを踏まえたうえで、次のグラフを見てほしい。 図 2 就業者の脳出血疾患、心疾患による死亡数

1 中條毅 p36 2 岩出誠 p147 3 http://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/040325-11.html

5

(出典):平成 28 年版過労死等防止対策白書より引用 図 3 脳・心疾患によった過労死等の労災補償の認定件数

(出典):平成 29 年版過労死等防止対策白書より引用

これらから判明することは、過労死の件数自体は平成 22 年度でも約 30,000 件とまだま

だ多いが、昔と比べると減少傾向にある。しかしながら、それによって労災認定されてい

るものはごく僅かでしかないということだ。減少したとしている平成 22 年度を例にとって

も、過労死によって死亡した従業員が労災認定されたのは僅か 106 件しかない。つまり、

おおよそ 300 分の 1 の割合でしか労災認定されていないということになる。この数字をみ

た誰もが少なすぎるという印象を抱くであろう。そして、そもそものところ労災として請

求するは現状ではどのくらいあるのであろうか。以下のグラフでは、年間当たりに労災請

求された件数を示している。 図 4 脳・心疾患の請求、決定及び支給決定件数の推移

6

(出典):厚生労働省「平成 28 年度過労死等の労災補償状況」、別添資料 1 脳・心臓疾患

の労災補償状況より引用

平成 27 年度を例に挙げると請求件数は 795 件であるのに対し、支給が決定した件数は

251 件となっている。おおよそ 3 件に 1 件が労災認定されるという計算になる。以上のこ

とから、「過労死」における死亡件数に対して請求件数・認定件数が少なすぎるのである。

このことが意味するのは、世間に出ている問題以外にも隠れた問題が山のように存在して

いるということだ。年間で数件がニュースで取り沙汰されただけでも世間を大いに震撼さ

せているが、現状を見てみるとそれ以上に業務で「過剰負荷」を感じ、耐えきれずに訴え

出てきている人々が多いのである。この事実が如何に由々しき問題であるかは明らかであ

るだろう。現代日本の現状はこのようになっているということをより多くの人に流布させ

ていきたい。

第三章 過労自殺の実例と問題性 過労死についての概要を述べたところで、近年世間をにぎわせた「過労自殺」を事例の

一つとして考え、この事件がどのような経緯において生じた問題であるのかを考察してい

く。 日本でも有数の大手広告代理店である企業に新入社員であった A さん(女性・24 歳)は、

2015 年に東京大学文学部を卒業し、同年の 4 月に入社したばかりであった。A さんはイン

ターネット広告を取り扱うダイレクトマーケティング・ビジネス局のデジタル・アカウン

ト部に配属されていた。試用期間が終了すると業務量が急増していくばかりで、提出した

異勤届けも受理されずに労働時間は増えていく一方であった。彼女の事件では様々な要因

が重なり、その結果として 2015 年 12 月 25 日の朝、会社の女子寮から身を投げ出し、享年

24 歳という若さで帰らぬ人となった 4。なぜこのような悲惨な事件が起こってしまったの

であろうか。 A さんが入社した企業は、日本最大手ともいえる広告代理店企業であり、従業員数 47,324

人(連結。単体では 7,261 人)、売上総利益は 7,620 億円(2015 年 12 月期連結決算)にも

なる事業規模を誇っている。これは世界全体で見ても第 5 位に入っており、そこからもこ

の企業の規模の大きさ、名前の浸透性をうかがうことができる。 そのような日本有数の企

業に入社し、「国を動かすような様々なコンテンツの作成にかかわりたい」と述べていた Aさんを取り巻く環境や事件が起きた現状について調べてゆきたい。

4 北健一 pp10-11

7

前述のとおり、デジタル・アカウント部に配属された A さんの主な業務は、「ネット広告

のデータを集計・分析してレポートを作成し、顧客の企業に改善点などを提案しそれを実

行すること」であった。本採用前の試用期間にも深夜に及ぶ残業はあったが、それが顕著

になったのは、10 月に本採用されて以降であった。彼女の母の発言によると、土日出勤、

朝 5 時帰宅で週に 10 時間しか寝ていないということもあった。会社に記録された入退館で

のログによると 10 月 25 日の週では、日曜日の午後 7 時半に出社し、水曜日の午前 0 時 42分まで会社に残っていたことが明らかとなった。またその途中で会社を出たのは 17 分ほど

だけであり、遅くまで残業していた水曜日も朝の 9 時半に再び出社している。驚くことに、

この週における残業時間は累計して 47 時間を越えていた。このような状況に陥った背景と

しては人手不足があったこともあり、記者会見において電通幹部もその事実を認めている。

A さんが所属していた部署は人員が 14 人からわずか 6 人へと人員削減が行われており、彼

女はそれまで担当していた保険会社に加え、証券会社も新たに任せられたことによって仕

事量が目に見えて増加し、大きな負担となっていた。 また、広告代理店という業界全体に言及できてしまうことであるかも知れないが、A さん

が所属していた企業の文化にも焦点が当てられた。いわゆる体育会系の性格が会社全体に

存在しており、滅私奉公を求める社風があったと立教大学の砂川教授が供述している。世

間でも有名となっている規則はその存在が広く浸透しており、その企業を表す文化のうち

の一つであると考えられる。これはその社員の行動規範として従業員の教育に使用してい

る社訓であり、社員手帳に現在でも記載されている。この心得が定められたのは 1951 年の

出来事である。これは長時間労働を助長するようなものではないが、当時と時代も状況も

変化しているのに、その文化だけは根強く残ってしまったことを示していると筆者は推測

している。そして、そのような社風においてパワハラなどのハラスメントが繰り返された

事実も今回の事件の一因となっている。A さんは上司から「君の残業時間の 20 時間は会社

にとって無駄」と決め付けをされ、さらに別の日には「女子力がない」「髪がボサボサ、目

が充血したまま出勤するな」などとまで言われたこともあった 5。もちろん件の企業で、す

べての職場にこの風土が蔓延しているとは限らない。しかしながら、A さんの職場において

は紛れもない事実であり、それが彼女を自死へと追い込んだことは認めなければならない

ことである。本件では過労自殺とされているが、過労死においてもメンタルにおける負荷

は重要な問題なっている。 上記したことに加え、主要とされる要因以外にも様々な要因が絡み合っているものの、

このような状況の下、A さんは入社してわずか一年以内に自死という道を選択してしまった。

この事件は 2016 年 9 月 30 日に、東京にある三田労働基準監督署によって労災認定がなさ

5 北健一 pp22-23

8

れた。彼女の仕事量が劇的に増加した 2015 年 10 月 9 日から 11 月 7 日の間の所定外労働

時間の総計は約 150 時間にも及んだ。認定した三田労基署は「仕事量が著しく増加し、時

間外労働も大幅に増える状況になった」とし、心理的負荷による精神障害で過労自殺に至

ったという判断を下した 6。事件が起きてから約 1 年という歳月を経て、ようやく労災認定

がなされたのである。現在では昔と比較して労災認定における過労死・過労自殺基準も見

直しが進み、低く設定されるようになった。しかしながら、認定に至るまでには未だに時

間と労力を要するのである。改善された現代であってもこのような現状である。それでも

この状態になるまで多くの時間を費やしてきたことを考えると、悲惨な現実は急変せずに

この環境が当分の間は続いていくだろうことが用意に想像できる。

第四章 過労死に陥る要因 過労死の原因としてまず一つ確実に挙げられることは、その労働時間の長さである。こ

のグラフは、正社員における残業などの所定外時間での労働時間の推移を示すものである。

パートなどの短時間労働者や非正規での雇用形態を含めると、全体的には労働時間は減少

している。しかしながら、非正社員の一人当たりの労働時間は減少しているのにも関わら

ず、正社員一人当たりの労働時間には 1990 年以降から大きく変化することは無いという現

状が問題として挙げられる。逆にこのグラフからは月 40~79 時間の残業時間については

2009 年から増加傾向にあることが調査で判明している。加えて、月 80 時間以上残業をし

ている正社員・職員の割合もほぼ横ばいの状態を維持していることが分かる。 図 5 長時間労働者割合の推移(正社員)

6 北健一 p11

9

(出典):内閣府 「平成 29 年度年次経済財政報告第 2 章 第 1 節」から引用 ではなぜ人々は残業をするのか。それを次に説明していく。日本人の労働者における残

業する理由については、以下の項目を参照してみる。これは、小倉一哉著「エンドレス・

ワーカーズ」にあるグラフで、JILPT による調査から算出されたものだ。複数回答有で母

数は 1049 件のこの調査では「業務量の多さ」が首位に来ていて、約 6 割となっている。こ

こから判明することは、残業の理由としては様々存在しているが、その傾向と してどちらかといえば会社・企業や仕事の状況から残業せざるを得ないということが主な

理由として挙げられていることであろう。残業することによって発生する手当や意欲的に

働いている人の割合は少なめという印象が強い。つまり、様々な要因によって仕方なく残

業をしている人々が大多数を占めているということになる。 図 6 残業する理由

(出典):小倉一哉著「エンドレス・ワーカーズ」p69 から抜粋引用 以上のことから、人々は残業を好んで行っているのではなく、せざるを得ない環境に置か

れているということが判明した。では、次に具体的にはどのような要因が複合的に起因し

ているのか、その環境や背景にあるものを考察していく。 1.時間外労働(残業)に関する法的な整備 それでは、現状の労働時間について、日本で取り決められている仕組みを考えていきた

い。現行の労働基準法の第三十二条には、以下のような記述がある。

・第三十二条 使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働

させてはならない。

10

○2 使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を

超えて、労働させてはならない 7。

このように第三十二条において、一週間につき 40 時間、一日当たり 8 時間と定められて

いる。しかし現実的には時間外労働が発生するのは、日本企業で働く場合では常態化して

いる。そのように、所定労働時間を超える場合には以下の条文が適応される。

・第三十二条の二 使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある

場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては

労働者の過半数を代表する者との書面による協定により、又は就業規則その他これに準ず

るものにより、一箇月以内の一定の期間を平均し一週間当たりの労働時間が前条第一項の

労働時間を超えない定めをしたときは、同条の規定にかかわらず、その定めにより、特定

された週において同項の労働時間又は特定された日において同条第二項の労働時間を超え

て、労働させることができる 8。

この要項に則る場合では、前述の所定労働時間を超えて働くことができる。ではここで、

時間外労働(残業)を定義する。前述の通り、労働基準法では週 40 時間、一日 8 時間の労

働時間を越えて働かせてはならないと定められている。これが法定労働時間である。この

法定労働時間を超過して従業員が働く場合所定外労働となり、これがいわゆる「残業」と

呼ばれているものである。この規定を超えて従業員を働かせる場合には、雇用側は超過時

間数に応じて通常の賃金率を超える割増賃金(残業手当)を支払うことが義務付けられて

いる。この割増賃金は現状法定で 25%以上であると定められている。またさらに、一カ月

で 60 時間を超過するような場合においては、その率を 50%以上に引き上げると、2010 年

に施行された改正労働基準法で定められている。このように、日本における労働時間は法

律によってはっきりと厳格に定められているが、企業や労働者などの実際に現場で働いて

いる人々に関していうと、そうではないことは日本企業と労働者を取り巻く環境において

昔から言及され続けている問題である。 以前からもサービス残業について追及され続けているが、なかには「固定残業代」として

月給の中に予め残業代を含んでいるとして、過労死ラインに達する長時間労働を課す企業

も問題となっている。みなし残業やサービス残業というと、それはかねてより危険視され

7http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=322AC0000000049&openerCode=1#54 8http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=322AC0000000049&openerCode=1#54

11

続けている日本企業における悪しき習慣・文化といえよう。このサービス残業とは、語彙

としては二つの意味を含んでいる。第一に、上司から残業命令を受けていないのにも関わ

らずに労働者が自発的に残業を行うという意味であり、第二に、残業賃金を請求せず、た

だ働きをするとの意味である。日本では法律によって時間外労働(残業)について明文化

されているのは上記の通りである。しかしながら、やり方によっては労働者に上限を超え

た労働を課せるような仕組みになってしまっており、労働者の健康確保のための制度にな

っているとは言い難い。それを顕著に体現化しているものが労働基準法第三十六条「時間

外・休日労働に関する協定届」、通称「三六協定」と呼ばれているものである。その条文は

以下の通りになっている。

・第三十六条 使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合にお

いてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の

過半数を代表する者との書面による協定をし、これを行政官庁に届け出た場合においては、

第三十二条から第三十二条の五まで若しくは第四十条の労働時間(以下この条において「労

働時間」という。)又は前条の休日(以下この項において「休日」という。)に関する規

定にかかわらず、その協定で定めるところによって労働時間を延長し、又は休日に労働さ

せることができる。ただし、坑内労働その他厚生労働省令で定める健康上特に有害な業務

の労働時間の延長は、一日について二時間を超えてはならない。

○2 厚生労働大臣は、労働時間の延長を適正なものとするため、前項の協定で定める労働時

間の延長の限度、当該労働時間の延長に係る割増賃金の率その他の必要な事項について、

労働者の福祉、時間外労働の動向その他の事情を考慮して基準を定めることができる。

○3 第一項の協定をする使用者及び労働組合又は労働者の過半数を代表する者は、当該協定

で労働時間の延長を定めるに当たり、当該協定の内容が前項の基準に適合したものとなる

ようにしなければならない 9。

この条文を端的に説明すると、前述の第三十二条の原則の例外として法定労働時間以上

の残業や休日出勤を従業員にさせる場合に、従業員の過半数が加盟する労働組合ないしは

労働者代表と会社が労使協定を交わして労働基準監督署に届け出を提出しなければならな

いということである。この「36 協定」で定めた範囲内であるならば、残業をさせても刑事

罰に課せられることは無いということが保証されている 10。以前には延長に対しての上限は

存在していなかったが、98 年の労働基準法の改正や、09 年の「時間外労働の限度に関する

基準」において、週 15 時間、月 45 時間、年 360 時間と限度時間を定めた。ただしこの改

9http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=322AC0000000049&openerCode=1#54 10 北健一 p19

12

正は告示として発表されており、法的な拘束力を持たない目安時間とされている。この制

度自体には違法性は存在していないが、上限時間に違反している企業の数が少なくないと

いうことが問題となっている。またこの「36 協定」には、「労働時間の自己申告制」が認

められているという点が違反企業を生み出してしまう背景にある。原則として、労働時間

は労働者が自ら確認して記録をとるか、またはタイムカードなどを用いて客観的な記録を

するが、労働者自身の自己申告も認められているのである。 実際、事例として挙げた事件の企業においてもこの「自己申告制」による労働時間の協

定違反が背景には存在した。某企業が労基署に届け出た上限は通常月 70 時間、特別な事情

がある場合では月 100 時間としていた。ところが A さんの実際の労働時間は、入退館を処

理するゲートには月 100 時間を超過している記録が存在していたが、自己申告に基づく記

録では月 70 時間に収められていたことが判明している。つまり、協定では労働時間の上限

は確かに定められているのであるが、この「自己申告制」を容認してしまう限り、やり方

によってはいくらでも残業時間を引き延ばすことが可能となっているのである。

この規範の在り方と、企業の残業改ざんを容易に行ってしまう体制が引き金となって、こ

のような違反行為が後を絶たないという結果を生み出してしまっている。

2.労働の二極化

本章の始めにも少しばかり触れた問題である、非正規の従業員の労働時間はここ最近で

減少傾向にあるが正社員の労働時間は変化をみせていないという「二極化」がある。第二

章にある通り、日本の労働時間は年々減少していることが調査で判明している。しかしな

がら過労死の問題は依然として残り続け、現代においても未だに問題が起き続けている。

労働時間は減少傾向にあるのに、このような現状に陥っているという点に着目したい。

「二極化」は 1990 年頃には問題とされ、研究が進められた。その時代、日経連(当時)

が 1995 年に発表した『新時代の「日本的経営」』では、労働力を以下の 3 つに分類した。

A.長期雇用の正社員、B.有期雇用の低年俸契約社員、C.パート・アルバイト・派遣の三類

型である。そこでは、正社員を絞り込んで契約社員やパート・派遣などを大幅に増やすこ

とによって、雇用の流動化と人件費の引き下げを促進する方針を採択したことが「二極化」

の原因とされている 11。これは、グローバル化が進んでいく環境で日本の国際的競争力に

刺激を与えようと、雇用形態の柔軟化を狙った政策であった。しかし正社員の減少をもた

らしたことで、労働者間での格差を引き起こしてしまった。以下の 2 つのグラフがそのこ

とを示している。図 7 の表は、日本全体での総労働時間を示すものである。まず初めに、

この調査は正規・非正規の区別のない、純粋な労働者全体の統計結果となっていることを

考慮したい。これを見ると、労働者全体の労働時間が減少していることが分かる。平成 28

11 森岡孝二「働きすぎの時代」p124

13

年度では前年比 10 時間の減少となり、4 年連続減少となっている。次に、図 8 の正規・非

正規別の総労働時間を示したグラフに注目していく。これは、一般労働者を常用労働者で

パートタイム以外の雇用形態の人としている。一般労働者の労働時間は過去 20 年以上、平

成 21 年度を除いて年間 2,000 時間以上となっており、1993 年と同じ水準を維持し続けて

いるという統計結果である。それに対して、パートタイム労働者の労働時間は約 1,100 時

間と一般労働者のほぼ半分程度であり、その水準も年々減少している動きが見受けられる。

さらに、パートタイム労働者の比率について注目すると、平成 27 年度からは 30%を超える

値となっている。これは、総労働者のうち、10 人に 3 人以上がパートタイムとしての形態

で働いていることになる。つまり、パートタイムでの雇用形態の人が増加したことが要因

となって、日本全体の労働時間の減少を引き起こしているといえる。 以上のことから、労働時間の「二極化」が進行していることが分かる。それは、過労死

に陥るほどの過重労働者が存在している一方で、失業・過少就業を余儀なくされ、仕事を

探している「産業予備軍」の人々がいるという、二重構造が生み出されていることを意味

している 12。このことが、過労や長時間問題を引き起こしている背景にあると考える。ま

た事例にもある通り、女性の過労問題もここ最近では増加の一途を辿っている。特に、大

企業や 30 代男性では週 60 時間以上働いている人の割合が高まっており、総務省の「労働

力調査」でも述べられている。この人たちは、労働時間が長時間化するにつれて有給休暇

取得日数も減少する割合が高まるという報告がある。このように、正社員の業務負荷が上

昇し、長時間過密労働が助長されたことで過労死とワーキングプアが併存する状況に陥っ

ている 13。 図 7 年間総実労働時間の推移(パートタイム労働者を含む。)

(出典):厚生労働省 過労死等防止対策白書より 12 http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/627/627-01.pdf 13 森岡孝二編「過労死のない社会を」 p31-32

14

図 8 就業形態別総実労働時間とパートタイム労働者比率の推移

(出典):厚生労働省 過労死等防止対策白書より 3.日本的働き方と便利化する社会 日本企業の伝統といえば、「終身雇用」、「年功序列」、「企業別組合」といういわゆる三種

の神器である。この考え方・企業の在り方は現代日本では見直しが進められている風潮が

あり、人々の働き方の幅は広がっている。しかしながら、この昔ながらの慣行を依然とし

て維持している企業も少なくはない。川人氏によると、現代日本企業の在り方は明治時代

に国力増強のため、明治維新を遂行したことから始まったとしており、長時間労働を必要

なものとする考え方はその過程の中で確立されたもので、現在まで維持され続けていた。

この日本独特の労使関係である、企業の経営体制としての三種の神器は、高度経済成長期

における原動力として注目を浴びた。しかし、その経済成長の要因としては欧米諸国に劣

らぬよう、長時間労働を経営システムに組み込んでいた。このことから、日本の長時間労

働というものは明治時代から端を発したものであり、そのなかで定着したものであって、

長い間継続されたそのシステムを変革することは大きな決断であるとしている 14。 しかしながら、欧米諸国にも劣らぬ経済成長をみせた日本であるが、現在では長時間労

働しなければならないという社会的な背景がある。それは情報技術の発達と日本の過剰な

サービス性をもたらす消費社会の存在である。 (1)情報技術の発達 パソコンやインターネット等、今日における情報通信産業はあらゆる分野・産業に必要

不可欠なほどに浸透している。現代ではコミュニケーションツールとして、そして労働者

14 https://www.nippon.com/ja/currents/d00310/

15

の働きを軽減する労働手段として考えられる。しかし、実際はその存在によって時間ベー

スの競争の激化を促して仕事のスピードを速めた。コストの削減やより高い付加価値の創

出をもたらすため、商品としての財やサービスの種類とともに仕事量を増加させていると

いえよう。それは、情報産業に関わる新たな専門的・技術的職業を生み出している一方で、

多くの業務を単純化しアウトソーシング(外部委託)を普及させた。このことによって正

規雇用者の仕事が、パート・契約社員に代替することを可能としている。その結果として

労働の「二極化」を推し進めることになった 15。 また、スマートフォンや携帯電話といった情報ツールは、業務時間と個人の時間の境界

線を曖昧化させている。これらのツールは家や出先など、時間や場所を問わずに個人に仕

事をさせる機会を増やしている。どこにいても仕事と個人の時間を結び付けることによっ

て、仕事がいつまでも付きまとう状況を恒常化させたことが、精神的ストレスの一因とな

っている。情報化によって仕事は増加していくが、人手は変わらず、個人の業務負荷をも

たらしているのだ。こうした働き方の変化により労働の長時間化の促進など、新たな労働

問題を生み出す要因へと変貌しているのである。

(2)過剰な消費社会 日本では「お客様第一」を掲げる企業は数多く存在している。それは、この過剰な消

費社会を表す一つの記号であるかもしれない。高度経済成長期を過ぎた日本は経済的に高

い発展をみせ、人々の生活水準も向上した。また、前述の情報技術の進化も伴い、消費的

なライフスタイルが大衆的現象となったことで、品質や価格、そして利便性を追い求める

ようになった。そうした結果、アメリカと同じような「消費社会」を形成するに至ったの

である。それは、現状にある情報技術のさらなる発展が継続している現代で、より多くの

消費活動が期待され、また求められるようになるのは言うまでもないだろう。それは、人々

のライルスタイルの多様化と生活時間の変化を反映した結果であるのだ 16。 企業の付加価値創出の一つとなる利便性の追求により、深夜業務や 24 時間体制が求め

られたことは、長時間労働を助長する要因の一つであると考えられる。コンビニエンスス

トアや運送業などは「ジャスト・イン・タイム制」の考えなどと相まって、24 時間体制の

利便性・即時性を追求する過剰なサービス競争を生み出し、労働の長時間化を招いている。

それは、単にその店舗の従業員だけでなく、運営に関わる全ての産業分野の労働者(流通・

運輸・各種サービス等)の人々の労働時間にも影響を与えている。

現代では長時間労働による過労死はもちろん好印象を与えるものではない。それを踏

まえて、そういった現状を改善しようとする動きがみられる。その事実に反して、未だに

15 森岡孝二「働きすぎの時代」pp52-53 16 森岡孝二「働きすぎの時代」p84

16

改善案が効果をあまり発揮していないのは、このような情報技術の革新や消費社会の拡大

が背景にあると考察する。では実際、どのような対策がなされているのであろうか。次章

では、現行の過労死や長時間労働への対応策を論じていく。

第五章 是正に向けた対応策

年々増加する長時間労働・過労死に対して、この状況を改善しようとする動きは活発に

なってきている。日本全体で考えられている政府が打ち出す政策や、企業側が行う取り組

みにもその傾向がうかがえる。本章では、現在これらの問題に対して考えられている改善

策を論じていく。 1.政府の方針 2016 年 9 月、安倍首相は「働き方改革推進室」を設立し、従来の働き方を見直し、改革

する取り組みに乗り出した。この政策の主眼は、「日本経済の再生に向け労働制度の抜本的

改革を行い、労働生産性を向上させ多くの人々に豊かな生活をもたらすこと」であるとし、

日本経済の成長戦略の一手段として捉えられている。その内容としては、①同一労働同一

賃金などによる非正規雇用の処遇改善、②賃金引き上げと労働生産性の向上、③長時間労

働の是正、④様々な環境整備などのことを掲げた。長時間労働を引き起こす要因となって

いた「36 協定」もこの案において見直しが進み、時間外労働の上限を月 100 時間未満、2~6カ月平均で 80 時間以内にする(この原則を上回る特例は年 6 回を上限とする)と定めてい

る 17。また、労働者の生活時間・睡眠樹幹を確保することを目的として、勤務終了後に一

定時間以上の休息時間を設ける「勤務間インターバル」の導入にも取り組むようにしてい

る 18。このような政策の下、長時間労働が常態化している現行の制度を是正する策を講じ

ている。 この残業時間規制計画は急激な変化による弊害を避けるため、早くても 2019 年 4 月に施

行されることが目指されている。企業体制を変化させることは即自的にはできないため、

長期的な視野からの遂行が必要である。そのため、各企業はこの改革に対する準備が要求

される。 しかし、このような政策を立案している政府であるが、一部の法案では長時間労働改善

の流れに逆行しているとの声も上がっている。それが「特定高度専門業務・成果型労働制

17 http://www.kantei.go.jp/jp/headline/pdf/20170328/05.pdf 18http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/jikan/interval/

17

(高度プロフェッショナル制度)」の創設についてである。これは「残業代ゼロ法案」とも

呼ばれており、2017 年に働き方改革実行計画案の中に組み込まれ、限定的な範囲で適用・

検討されることとなった。この制度は、昆氏曰く労働基準法第 41 条に『年収 1,075 万円以

上かつ、高度の専門的知識を要する仕事をする労働者を対象とし、労働基準法の「労働時

間、休憩、休日及び深夜の割増賃金」についての規定を適用しないものとする』という項

目を追加するとして、①金融商品の開発業務、②金融商品のディーリング業務、③アナリ

ストの業務(企業・市場などの高度な分析業務)、④コンサルタントの業務(事業・業務の

企画運営に関する考案又は助言の業務)、⑤研究開発業務等の人々を対象としている 19。 現在では年収や職種などの項目が指定されている。しかし、この要件水準は制度創設時の

ものであり、徐々に引き下げられるとする見方や意見は多い。安倍首相も基準となる年収

を将来的に引き下げる可能性があることに言及している 20。 以上のように、政府は是正策を講じる一方で一部の人々の労働時間上限を撤廃するといっ

た矛盾する方針を採っている。 2・ワークシェアリング 欧米において成功した実績を持つ、「ワークシェアリング」の導入も有効視している意見

も存在する。この「ワークシェアリング」は、端的に述べると「仕事を分かち合う」とい

う意味であり、長期的な視点から多様な働き方を実現させるものとして考えられている。

これは、雇用の創出や失業削減、生産性の向上、短時間勤務などの時間短縮などに効果的

な対策だとされている。実際にフランスやオランダにおいて導入され、一定の効果が得ら

れたことから、その形式を日本の環境に合わせる形で取り入れようと考察する意見もある。

しかし、現在でこそ長時間労働に対しても効果をみせるとされるが、そのような国で「ワ

ークシェアリング」が実践導入された背景には、若年層の失業率の改善を推し進めること

があった。そこでより日本にマッチしたものにするべきであるのだが、後述にある違いか

ら本当に効果が得られるのか、懐疑的な見方もある。 日本と前述の欧米諸国には、決定的な違いが存在している。その具体例としては、いわ

ゆる同一労働同一賃金制がその一つである。これは、フルタイム労働者とパートタイム労

働者が同様の職務をする際の時間当たりの賃金の格差をなくすものだ。またそれ以外でも、

オランダでは年金や社会保障、雇用期間、昇進といった様々な面での労働条件格差を禁止

している 21。日本では正規・非正規との間に明確な違いがあり、そこに給与や待遇に多く

の差が生じてくる労働環境が特徴の一つとして認識される。一方フランス・オランダなど

ではこの考えが浸透しており、フルタイムとパートタイム間での賃金・休日休暇や保険と

19 昆弘美 p13 20 佐々木亮 p44 21 森岡孝二「働きすぎの時代」p167

18

いった待遇での格差は限りなく少ない。そのためこれらの国々では比較的パートタイム労

働者の比率が高くなっている。そのような環境が整備されたことに、成功の秘訣を見るこ

とができる。しかしながら、日本のこのような状況でワークシェアリングを導入すると、

労働時間の短縮によって労働者の賃金低下を招く恐れがあるという課題がもたらされる。

さらに言えば、正社員においては福利厚生費など固定的な部分も存在しているため、一概

に人件費が減少するとは言い切れない。そのため、企業側も慎重な対応をみせている。ま

た、日本では以前からの雇用慣行が色濃く残る状況に置かれている。そこでオランダでの

成功に裏づけされる、ワークシェアリング最大の強みである柔軟な働き方を可能にする仕

組みをまずは構築せねばならない。またそれ以外でも正規・非正規間での均等待遇を保障

する規範を第一に考えることが重要条件となっている 22。 以上のことから、日本の現状ではこの制度を導入・実現するには難しい。しかし、日本

型のワークシェアリングでは、女性や高齢者の方を活躍させることに関心を持っており、

そういった点では恩恵を得られる可能性がある。即自的な運用は期待できないが、もしも

「働き方改革」で同一労働同一賃金などの様々な制度・体制が実現していった場合には、

日本でも新しい「ワークシェアリング」の有効活用を期待することもできる。 3.24 時間体制の見直し 主に小売店や飲食店、物流、最近ではサービス業にまで、幅広く 24 時間体制が普及して

いるが、現在では見直しがなされている場合も存在する。外食産業の大手である「すかい

らーく」や「ロイヤルホスト」はこの時流にいち早く参加を決めた。その目的は「従業員

のライフワークバランスの推進」や労働環境の改善が挙げられる。深夜勤務であった従業

員を他の時間帯に割り振ることによってサービスの質を上昇させるねらいであった。その

結果、客数の増加につながったとしている 23。また、大手コンビニエンスストアの「ファ

ミリーマート」でも着手が始まっている。これらの背景としてあるのは、近年上昇を続け

る人件費の削減に向けた動きと、深夜帯での人手不足が要因となっている。このような動

きがみられるようになったのは他には、2015 年度に大きく問題となった某飲食チェーン店

でのコスト削減を目的としたワン・オペレーション問題にも起因するだろう。社会批判を

浴びたことで企業イメージの低下招き、その年度では多大な業績不振をもたらしてしまっ

た結果を受けて、企業側も対応に乗り出したのであろう。 店舗の営業時間はそこで働く従業員のみならず、運送やその他サービス業などのあらゆ

る業種にも作用される。今までの消費社会という根本的な要因に対する、労働時間改善策

の一つであるだろう。 22 根本孝 p149-151 23 https://news.infoseek.co.jp/feature/restaurant_24/

19

第六章 今後に向けて何が必要か ―日本の働き方について―

今までの章では、日本の働き方やそれに伴った動きなどがみられた。しかし、対応策が

考慮された現在においても未だ改善が必要とされる部分も存在している。それでは、今後

の日本での労働時間の是正には、どのようなことが必要となるのか。本章ではそのことに

ついて言及したい。筆者が考察する要点については「法整備の見直し」、「業務改善と働き

やすい職場作り」、「24 時間体制是正の促進」を主眼として論を展開してゆきたい。 ・「法整備」の抜本的な見直し 本論でも言及した「働き方改革」などを代表する政府の方針には確かに労働時間の規制

が含まれている。しかし、筆者の意見ではそれは十分な政策ではないと考える。その理由

はいくつか存在する。まず、事例に取り上げた「過労自殺」の要因ともなった「労働時間

の自己申告」を改める項目がどこにも存在しないことである。現在ではタイムカードなど

での管理が基本に置かれているが、この規制がなされない限りサービス残業の蔓延を許し

てしまう一因になってしまうだろう。日本に普遍している雇用慣行の是正を目指している

ならば、この要素の改革は必須であると筆者は考察する。また、時間外労働の上限の最大

が月当たり 100 時間未満という規定が追加される見通しであるが、この点も見直されるべ

きであろう。現在政府が公表している「過労死ライン」を見ると、月 80 時間を超える時間

外労働をした場合と記されている。このことから、現在議論されている改革内容に疑問を

抱かざるを得ない。時間外労働時間の上限は「過労死ライン」の範囲内に留めるべきであ

る。またフリーランスやアライアンスといった、企業に雇用されていない人々に対する解

決策なども考えられる必要があるだろう。そういった意味でも今後に向けて調整が要され

る。 ・「業務改善と働きやすい職場作り」 多くの企業が時短改革に関心を抱いているであろうが、それが行き過ぎた結果、管理職

などに多くのしわ寄せが向いてしまうことが予想される。事例にも取り上げたが、職場に

おけるハラスメントなどの心理的な問題は過労死・過労自死につながる大きな要因となっ

てしまう。ハラスメントなどに関する規制をする法律は日本には存在していない。効率化

を求めて労働生産性を引きあげることも重要である。しかし、まずは業務や仕事の在り方

自体を考え直し、働きやすい職場環境を実現させることに意識を向けなければならない。 ・「24 時間体制是正の促進」 前述のように、関連する様々な職種に影響を与える 24 時間体制の是正は以前よりも重要

20

視されている。しかしながら、コンビニエンスストアを例に挙げてもファミリーマートで

実施されたのは実験と位置付けられ数店舗である。また、多くのコンビニ店舗はチェーン

本部の直営店ではなく、本部とフランチャイズ契約を交わした独立事業主が運営している

ため、この体制の見直しはそれほどの広がりを見せていない 24。現代での過剰ともいえる

サービス社会の構造を改革することは困難な問題である。様々な点において改革が必要と

なるのは想像に難くない。実際に職種によって偏りはあるが、働き方に取り組み成功した

事例もある。不便だとする声もある一方で好評だとする意見も一定数あがっている。根絶

すると考えることは難しいが、人々の生活スタイルの変化を考慮すれば、この風潮が普及

することは現実的な範囲だろう。 本論では以下の「法整備の見直し」、「業務改善と働きやすい職場作り」、「24 時間体制是

正の促進」という 3 点に着目した。しかし、その全てを実現させるためには日本特有の考

え方や慣行、意識改革がなによりも重要となるだろう。それはただ単に政府や雇用主側の

努力だけではなく、雇用者側としても、「働くこと」について考えを深めていくことが必要

だと考える。

第七章 終わりに

本論では、「過労死・過労自死」の実例とその労災が生じてしまう社会構造や制度を述べ

てきた。そしてそれらの長時間労働や過労問題に対しての現行の制度などについて論じた

が、それらは以前から述べられており、解決策なども幾度も検討されていた。本文にもあ

る通り、この問題に取り組んでいこうとする政府や人々の姿勢は年々深刻さを増している

ように思える。しかしながら、その提示されている改善案においても問題点が存在してい

ることは筆者の結論にある通りだ。社会的構造が異なっている他国のようにするべきだと

は言えないものの、現在の日本には依然として多くの改善すべき制度や仕組みがあること

は明確である。また見本とされているフランスにおいても現在様々な問題が生じるような

風潮がある。もはや日本国内だけにとどまらず世界的な問題であり、対応や打開策の実行

が迫られている状況にあるのである。 そのことは、本論の作成時にも過労問題のニュースが絶えなかったことからも裏付けさ

れる。対応策などは見直され、対策が進んでいるように見える。しかしそれらは即自的な

効力を持たず、救済できない人々が大勢出てきてしまう。「働き方改革」がそのいい例であ

ろう。一見すると制限が厳格化されているようにも思えるが、その実は今までとあまり変

24 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/102700177/102700002/

21

わりがなく、問題が生じてしまう構造を残してしまっているのである。また、導入してか

ら実行に至るまでに大幅なタイムラグがあることも大きな問題点であるだろう。今まで培

ってきた日本の社会構造を根底から変えるような制度・構造をまた一から構築しなおすこ

とが前提条件として必要であると考えると、仕方なく思えてしまう。しかし、その言葉だ

けで片付けてよい問題ではないのである。それらも改善の余地があると筆者は考えている。

今すぐにでも実行されるような、影響力のある制度の導入が急がれねばならない。そのこ

とに加え、労働時間の増加を促すような方針を再度考えなおすことが先決である。そして

長時間労働を許してしまう法整備の是正や今までの日本企業の在り方の見直しなど、改善

すべき点は数多くある。それ以外にも存在するだろう改善点に取り組んでいくことが今後

の日本の行く末を決定することにおいて重要であると筆者は考えている。そのためにも政

府・雇用者側のみならず、労働者の視点からも問題に向き合うべきなのである。 現在日本のみならず、全世界が参加し対策してゆかねばならない問題であるが、やはり

より柔軟に対応策の議論を進めていかねばならないと筆者は考える。そのためにはより多

くの人々に現状を伝え、周知のものとしていくことが第一であると思われる。大勢の人々

が「過労死」やそれに伴う労災問題について、興味を抱くことを祈っている。卒業論文と

してこの題材を選択したことは良い決断であったと思える。本当に多くのことを考える良

い機会の創出を感じることができたうえ、今まで学んだことをより深く調べることができ

た。これまでご指導いただいた先生や多くの方に感謝の意を表したい。

参考文献・論文

・岩出誠 「社員の健康管理と使用者責任 -健康診断、私傷病・メンタルヘルス、過労

死・過労自殺をめぐる法律問題とその対応」労働調査会、2004 年。 ・小倉一哉 「エンドレス・ワーカーズ 働きすぎの日本人の実像」日本経済新聞出版

社,2007 年。 ・北健一 「電通事件 なぜ死ぬまで働かねばならないのか」旬報社,2017 年。 ・昆弘見 「あなたを狙う「残業代ゼロ」制度」新日本出版社,2016 年。 ・中條毅 「人事労務管理用語辞典」ミネルヴァ書房、2007 年。 ・根元孝 『ワークシェアリング「オランダウェイに学ぶ日本型雇用革命」』,ビジネス社,2002年。 ・森岡孝二 法政大学大原社会問題研究所 「労働時間の二重構造と二極分化」、2011 年

11 月 http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/627/627-01.pdf ・森岡孝二「働きすぎの時代」,岩波新書,2005 年 ・森岡孝二、今野晴貴、佐々木亮「いのちが危ない残業代ゼロ制度」,岩波書店,2014 年

22

・森岡孝二編「過労死のない社会を」,岩波書店,2012 年

参考 URL

・厚生労働省 「脳・心臓疾患の労災認定 ―「過労死」―」 http://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/040325-11.html ・厚生労働省「平成 28 年版過労死等防止対策白書」

http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/karoushi/16/dl/16-1.pdf ・厚生労働省「平成 29 年版過労死等防止対策白書」

http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/karoushi/17/dl/17-1.pdf ・厚生労働省『平成 28 年度過労死等の労災補償状況 別添資料 1「脳・心臓疾患の労災補

償状況」』 http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11402000-Roudoukijunkyokuroudouhoshoubu-Hoshouka/28_noushin2.pdf

・首相官邸 働き方改革の実現「働き方改革実行計画概要」 http://www.kantei.go.jp/jp/headline/pdf/20170328/05.pdf

・内閣府「平成 29年度年次経済財政報告―技術革新と働き方改革がもたらす新たな成長―」

http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je17/index.html ・データブック国際労働比較 2017 「6.労働時間・労働時間制度」 http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2017/ch6.html ・電子政府の総合窓口 e-Gov 「労働基準法」

http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=322AC0000000049&openerCode=1#54 ・川人博 「日本の過労死とその防止策」

https://www.nippon.com/ja/currents/d00310/ ・勤務間インターバル 「勤務間インターバルとは」

http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/jikan/interval/interval.html

・Rakuten Infoseek News 『転換期にある?企業の「24 時間体制」』 https://news.infoseek.co.jp/feature/restaurant_24/ ・日経ビジネスオンライン「ファミマ、24 時間営業の見直し着手」 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/102700177/102700002/