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ISSN 2186-5043 新渡戸文化短期大学 学術雑誌 第1号 新 渡 戸 文 化 短 期 大 学 2011年 第1号

新渡戸文化短期大学 学術雑誌 - nitobebunka.jp · ・2%オレンジg ・アニリン青:0.4%アニリン青1%酢酸水溶液を 作成し,使用時1%酢酸水で3倍希釈する。

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ISSN 2186-5043

新渡戸文化短期大学 学術雑誌

第1号

新 渡 戸 文 化 短 期 大 学

2011年

第1号

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目 次 新渡戸文化短期大学学術雑誌 01

病理組織染色(アザン染色)におけるリスクの軽減・・・・・・・・・1 -劇物の必要性についての検討-

尾 形 隆 夫 横 尾 智 子 熊 谷 佑 子

石 橋 里 佳 髙 嶋 眞 理 髙 濱 眞紀子

半 藤 厚 司 藤 田 和 博

本学の微生物検査学実習における危機管理・・・・・・・・・・・・・5

柴 田 明 佳 松 村 充 森 田 耕 司

叶 一 乃 河 西 美代子 髙 嶋 眞 理 近 藤 陽 一 中 原 英 臣

原病學各論 - 亞爾蔑聯斯の講義録 - 第38編・・・・・・・・・・・11

松 宏 近 藤 陽 一 松 崇

松 金 子 近 藤 陽 平

原病學各論 - 亞爾蔑聯斯の講義録 - 第39編・・・・・・・・・・・・21

松 宏 近 藤 陽 一 松 崇

松 金 子 近 藤 陽 平

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1)OGATA Takao,

新渡戸文化短期大学 連絡先:〒164-8638 東京都中野区本町 6-38-1

YOKOO Tomoko,KUMAGAI Yuko,ISHIBASI Rika, TAKASIMA Mariko,TAKAHAMA Makiko,, FUJITA Kazuhiro

病理組織染色(アザン染色)におけるリスクの軽減

-劇物の必要性についての検討-

Reduction of the risk in the pathology organization staining (azane staining) - Examination - about the need of the hazardous materials

尾 形 隆 夫 1)、横 尾 智 子 1)、熊 谷 佑 子 1)、石 橋 里 佳 1)

髙 嶋 眞 理 1)、高 濱 眞 紀 子 1)、 藤 田 和 博 1)、

要 旨 環境意識が強まる中、臨床検査分野特に病理検査学領域では、環境に関しての意識がはなはだ薄い状況にあった。

ようやく昨年平成20 年3 月1 日から労働環境衛生法により病理検査室内のホルムアルデヒド濃度の規制が施行

されるようになった。これにより今まで鼻をつくホルマリン臭が常にしていた病理検査室は、発ガン物質とも言

われるホルマリの大気中濃度0.1ppm 以下という厳しい規制により今までにない快適な作業環境になってきてい

る。しかし、組織染色を施すにあたりいまだ人体に有害な物質を使用している状況である。また、使用済みの薬

品の処理にもコストがかかり経済面や処理の煩雑さにロスを感じている。そのような中で危険物質や有害物質を

使用しないですむものなら省きたいと考え、今回病理組織染色の中のアザン染色に注目して、その染色に使用さ

れる劇物を使用しないで染色を試み、アザン染色において劇物であるトリクロル酢酸と過マンガン酸カリを使用

しなくても良いことを明らかにした。

キーワード:環境意識、労働環境、危険物、劇物、コストパフォーマンス、リスクマネージメント

I. はじめに 環境意識が強まる中、臨床検査分野特に病理検査

学領域では、環境に関しての意識がはなはだ薄い

状況にあった。ようやく昨年平成 20 年 3 月 1 日

から労働環境衛生法により病理検査室内のホル

ムアルデヒド濃度の規制が施行されるようにな

った。これにより今まで鼻をつくホルマリン臭が

常にしていた病理検査室は、発ガン物質とも言わ

れるホルマリの大気中濃度 0.1ppm 以下という厳

しい規制により今までにない快適な作業環境に

なってきている。しかし、組織染色を施すにあた

りいまだ人体に有害な物質を使用している状況

である。また、保管管理上のコストや使用済みの

薬品の処理にもコストがかかり経済面や処理の

煩雑さにロスを感じている。そのような中で危険

物質や有害物質を使用しないですむのもなら省

きたいと考え、今回病理組織染色の

中のアザン染色に注目して、その染色に使用され

る劇物を使用しない染色を検討した。 アザン染色に使用される劇物8)9)には媒染で用

いられる重クロム酸カリウム(別名二クロム酸カ

リウム、ピロクロム酸カリウム K2Cr2O7)とトリ

クロル酢酸(別名トリクロロ酢酸 CCl3COOH).

分別に使用されるアニリン・アルコールに用いる

アニリン(別名フェニルアミンまたはベンゼンア

ミン C6H5NH2)が含まれる.

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II. 方法 10%ホルマリン固定、パラフィン包埋した肝臓5

例、腎臓5例を用い、劇物指定である媒染剤(重

クロム酸カリウムとトリクロル酢酸)とアニリ

ン・アルコールによる分別を行わないで,アザン

染色を行った。各反応液と反応時間の検討を行っ

た。 反応時間はアゾカルミン 5 分、10 分、30 分のそ

れぞれに関してリンタングステン酸 10 分、60 分

また、其々対してオレンジ G 液 1 分、30 分、其々

にアニリン青 5 分、30 分を行った。 表1のように 24 通りの方法を比較検討した. 【使用した染色液】10) ・0.1%アゾカルミン G 液 (100mlに対し酢酸

1ml 添加) ・2.5%リンタングステン酸 ・2%オレンジ G ・アニリン青:0.4%アニリン青 1%酢酸水溶液を

作成し,使用時 1%酢酸水で3倍希釈する。

III. 結果 劇物を使用する場合と劇物を使用しない場合と

比較した結果、目的物が染め分けられている染色

結果となった。アゾカルミン 5 は染まりが弱すぎ

た。オレンジ G30 分ではアゾカルミンの色素が落

ちてしまった。アニリン青 30 分では強染してし

まった。 リンタングステン酸には 60 分入れた方が鮮鮮明

に染色された。アニリン青は5分では細い細網線

維が良好に染まらない場合もあった.その場合,

アニリン青に 10 分入れると良好に染まることが

分かったので,アニリン青は 5~10 分が必要であ

った。 染色時間に関しては劇物を使用する場合約 3時間

を要していたが、劇物を使用しない場合、アゾカ

ルミン G10 分・リンタングステン酸 60 分・オレ

ンジ G1 分・アニリン青 5~10 分合脱パラフィ

ン・脱キシレン,脱水・透徹を除き約 80 分~90分で染め上がった。

IV. 考察

アザン染色はマロリーの方法を Heidenhain が

1515 年に改良したものでアザン・マロリー染色

(同意語:マロリー・ハイデンハイン染色)とも

いわれる1)2).当時,昇汞の入った固定液による

固定が一般的に行われていたため,媒染操作をし

なくても良好な染色が可能だったと考えられて

いる.しかし,近年は昇汞の入った固定液は使用

が困難になり,ホルマリン固定が日常的に使用さ

れている.また,パラフィン切片の薄切技術の向

上により薄い切片の作成が容易になった.ホルマ

リン固定でなおかつ 2μm以下の薄い切片を良好

に染め出すため,重クロム酸カリウム水溶液単独

1)やトリクロル酢酸水溶液と重クロム酸カリウ

反 応 時 間(分)

アゾカ

ルミン

リンタングステ

ン酸 オレンジ アニリン青 標本番号

5

10

1 5 No.1

30 No.2

30 5 No.3

30 No.4

60

1 5 No.5

30 No.6

30 5 No.7

30 No.8

10

10

1 5 No.9

30 No.10

30 5 No.11

30 No.12

60

1 5 No.13

30 No.14

30 5 No.15

30 No.16

30

10

1 5 No.17

30 No.18

30 5 No.19

30 No.20

60

1 5 No.21

30 No.22

30 5 No.23

30 No.24

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ム水溶液等量混合を用いる渡辺の媒染等が考案

された3)4)6).現状では劇物を使用する染色方法

が観念的に使用されている.労働環境,リスクマ

ネージメント上劇物を使用する費用対効果を今

一度考える必要がある.

V. 結語 今回検討した方法を用いることにより、アニリン,

重クロム酸カリウムとトリクロル酢酸という劇

物を使用しないため、これらを使用する際に発生

する保管管理上リスク,使用上のリスクと廃液の

廃棄処分に掛るコストが無くなり、また時間の短

縮も合間って、より安全で効率的な染色が行なえ

ると考えられる。

参考文献 1)浅野伍朗:病理技術詳解 2.染色法,25-29,1992,12,18

2)三浦妙太:病理組織細胞診染色法カラー図鑑,5-7,2008,3,15

3)渡辺恒彦:組織技術研究会3,1~5,1974

4)渡辺恒彦:組織技術研究会6,29~40,1976

5)水口國雄他:新染色法のすべて 1999,3,7-10

6)水口國雄他:新染色法のすべて 1988,7,15,20-23

7)松原修,丸山隆:病理学/病理検査学 2006,1,20,289-291

8)毒物及び劇物取締法 別表第 2

9)厚生労働省通知,毒物及び劇物の運搬事故時における応急措置に

関する基準(その 9)(平成 8 年 3 月 15 日薬発第 250 号)

10)熊谷祐子,横尾智子:病理検査実習 2008.23-24.34

Summary

In the field of clinical pathological examination studies domain in particular, there was consciousness about the environment in the very light situation while an environmental awareness was strengthened. Regulation of the formaldehyde density of the pathological examination room came to be finally enforced on March 1, 2008 by a law of labor environment hygiene. In the pathological examination room that formalin smells always did, it is it by severe regulation called lower than density 0.1ppm among the atmosphere of formaldehyde which it is said to with the cancer-causing agent by this so far in unprecedented comfortable work environment. However, it is the situation that it uses the material which is still harmful to the human body for on giving pathological histology staining. In addition, a cost depends on a safekeeping administrative cost and the disposal of waste medicines and feels loss in an economic aspect and complexity of the processing. If we can stain it without using it, wanted to omit hazardous substance and a toxic substance while it looked like it and paid attention to Azan stain in the pathological histology staining this time and examined the staining that I did not use hazardous materials used for the staining. Keyword An environmental awareness, labor circumstances, hazardous materials,costperformance, riskmanagement

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1) AKIYOSHI Shibata 新渡戸文化短期大学 臨床検査学科 連絡先:〒164-001 東京都中野区中野 3-43-16

2)MITSURU Muramatsu 3)KOJI Morita 1) ICHINO Kano 1) MIYOKO kasai 1) MARI Takashima 1)YOICHI Kondo 2)HIDEOMI Nakahara 2)帝京大学医療技術学部紹介 3)杏林大学保健学部

本学の微生物検査学実習における危機管理 Crisis-management in microorganism inspection study practice

of nitobebunka college 柴田 明佳 1) 松村 充 2) 森田 耕司 3) 叶 一乃 1)

河西 美代子 1) 髙嶋 眞理 1) 近藤 陽一 1) 中原 英臣 1)

要 旨

微生物検査学実習は病原微生物菌を使用するため他の科目の実習とは異なった危機管理が必要となる。実習書

中に安全管理や危機管理に関する記載はあるが各学校に適したものを見つけ出すことは難しい。学校による設備

の違い、使用する微生物が異なるなど、各校に適した危機管理マニュアルが必要となる。今回、新渡戸文化短期

大学独自のマニュアル作成を目指し、設備、使用微生物、実習前、実習中、実習後、事故発生時について検討し

まとめたので報告する。 キーワード:危機管理 微生物 検査学 実習

Crisis-management 、Microorganism、Practice

I. はじめに 微生物学は対象物が目に見えないため、「難しく、

理解しにくい学問である。」と多くの学生が感じてい

る。専門用語が多く、微生物の学名など日本語以外の

言語が多く使用されることが、学生の学習意欲低下の

一因となっている。 微生物学の講義は、教授すべき内容が多いのにも拘

らず、講義時間数が不足しているのが現状である。こ

のような環境下において学生に対して教員は、効率よ

く微生物検査への興味を導くために、臨床の現場での

エピソードを交えるなど実践的な講義を行い、微生物

を十分に理解させて実習に臨む必要がある。 従って、微生物学実習において危機管理体制を見直

し強化する必要がある。 微生物検査学実習においてはヒトに対し感染の可

能性がある微生物を取り扱う。そのため教員は学生と

自分自身を感染から守ることはもちろん、実習室から

微生物を持ち出さないために 善の注意を払い生物

災害(biohazard)の防止に努める必要がある。 既存の実習書中1)に安全管理や危機管理に関する

記載はあるが、微生物学実習においてより実践的なマ

ニュアルの必要性を我々は感じている。今回、日本細

菌学会バイオセイフティ委員会作成の感染予防マニュ

アル2)を参考に本学独自のマニュアル作成を目指し、

微生物検査学実習時における問題点について考察した

ので報告する。

II. 実習室の施設および設備の要件について 1.実習室の出入り口にはバイオハザードマーク(図

1)を表示し、実習中は実習担当教員と学生以外の入

室を禁止する。

図 1.バイオハザードマーク

2.実習室は微生物検査学実習専用の実習室を使用す

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ることが望ましい。 3.空調設備があることが望まれる。原則、実習中は

窓を開けない。 4.安全キャビネットが必要である。 5.実習室内に高圧蒸気滅菌器、洗い場のコーナーを

設ける。 6.感染性の実習材料を実習室外に持ち出さない。 7.実習室は部外者の立ち入りを禁止するために施錠

する。 8.実験台は各人 1m×0.5m 以上の使用面積が望ま

しい。 9.指導教員は安全確保のため 10~15 人の学生に 1

人を配置することが望ましい。

III. 実習前の確認事項 1.身なり:髪は短く切るか、束ねて結ぶ。爪は短く切

る。アクセサリーや腕時計はしない。 ①実習衣と靴:実習衣(白衣)と靴は、微生物検査学

実習専用の清潔な(洗濯した)ものを使用する。靴は

つま先が覆われたもので高いヒールやサンダルなど、

足元が不安定なものは履かない。 ②手袋の使用:手袋は防水性のあるものを使用し、菌

に触れる可能性があるときは装着する。 ③マスクの使用:実習中はサージカルマスク等を常時

着用させる。

IV. 実習前の発育状況の確認 1.ムコイド状の菌を扱うとき :Klebsiella pneumoniae 等は発育過剰状態になり易く培養した平

板培地や半斜面培地から菌があふれ出すことがよく

見受けられる。学生が実習に入る前に教員が確認し対

処する。 2.大量のガスを産生する菌を扱うとき:Clostridium perfringens や Klebsiella pneumoniae のように大量

のガスを産生する菌は試験管培地のふたを開けた時

にエアロゾルが発生する等、菌がふきこぼれて危険な

場合があるので注意を要する。場合によっては、学生

の培地はふたを開けずに実習することも考える必要

がある。 3.糸状菌を扱うとき:室内に胞子や分生子が飛散する

ので部屋の換気を良くして特にマスクは菌を扱う時

以外でも装着する。

表1 . 実習室内での原則- 実習室内での一般的注意事項 -

① 実習中は実習室の窓やドアを閉める。

② 実習室内では、必ず実験衣を着用する。

(白衣、手袋、マスク(N95マスク含む)、帽子、ゴーグルを必要に応じ使用する。)

③ 実験衣は、微生物検査学実習専用とし、実習期間中、実習室外へ持ち出してはなら

ない。

④ 靴はつま先まで覆っている靴を履く。

⑤ 実験台の上に不要なものを置かないように、整理・整頓する。

⑥ バーナーの火は必要なとき以外は必ず消す。

⑦ アルコールなど引火しやすいものもあるので室温の上昇、火傷等の防止のため

火気には十分注意する。

V. 実習中の感染対策

実習室内での注意事項を表 1 にまとめた。 1.ヒトに感染性のある病原微生物使用への対応。 臨床検査技師は、病院等の臨床の現場において、あ

らゆる病原菌を処理していくことになる。従って学内

実習においても危険な微生物であっても良く遭遇す

る3類感染症の原因菌(表 2)程度は使用すべきであ

るという意見がある。もっともな考え方であり、でき

れば学生に経験させたいが、できるだけビルレンス

(virulence)の低い、4 類感染症原因菌以下で

Biosafety level 2(表 3)以下の微生物の使用を考え

る。 実習で空気感染対策上問題になる微生物として、結核

菌と糸状菌が挙げられる。これらの菌を用いて実習を

行う時には、安全キャビネットを使用する。血液培養

検査の実習でも、エアロゾル対策から安全キャビネッ

トを使用して実習する必要がある。

表2 . 感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律より抜粋

1類感染症 エボラ出血熱、クリミア・コンゴ熱、痘そう、ペスト

マールブルグ病、ラッサ熱、南米出血熱

2類感染症 急性灰白髄炎、ジフテリア、重症急性呼吸器感染症

(SARS:コロナウイルスに限る)、結核

鳥インフルエンザ(H5N1)

3類感染症 腸管出血性大腸菌感染症、コレラ、細胞性赤痢、腸チフス

パラチフス

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表3. 国立感染症研究所の「病原体等安全管理規定」による分類されている。

レベル1 - 個体および地域社会に対する低危険度人に疾病を起こし、或いは動物に獣医学的に重要な疾患を起こす可能性のないもの。生ワクチンウイルス(ワクシニアと牛疫ワクチン株を除く)、レベル2およびレベル3に属さない細菌類

レベル2 - 個体に対する中等度危険度、地域社会に対する軽微な危険度人或いは動物に病原性を有するが、実験室職員、地域社会、家畜、環境等に対し、重大な災害とならないもの、実験室内で暴露されると重篤な感染を起こす可能性はあるが、有効な治療法、予防法があり、伝播の可能性は低いもの。ワクシニアウイルス、インフルエンザウイルス、ブドウ球菌、サルモネラなど

レベル3 - 個体に対する高い危険度、地域社会に対する低危険度人に感染すると重篤な疾患を起こすが、他の個体への伝播の可能性は低いもの。A型インフルエンザウイルス強毒株(H5N1 、 H7N7亜型)、ヒト免疫不全ウイルス、炭疽菌、ペスト菌など

レベル4 - 個体および地域社会に対する高い危険度人又は動物に感染すると重篤な疾患を起こし、罹患者から他の個体への伝播が、直接又は間接に起こり易いもの。エボラウイルス、マールブルグウイルス、天然痘ウイルス、黄熱ウイルスなど

2.使用菌株につて ① 培養において Mycobacterium tuberculosis の代わ

りに Mycobacterium bovis を使用する。 ② 顕微鏡検査での観察のみ Mycobacterium

tuberculosis で行う。 ③ Vibrio cholerae の代わりにヒトに強い症状をおこ

す O1 型以外のコレラ毒素(CT)を産生しない

nonagglutinable vibrios(NAG)を使用する。

代替菌では学べない多くのことがあり、炭疽菌の

プラスミドを除去し病原因子を取り除いた安全性

の高い細菌等、実習用の安全性の高い微生物の開発

が待たれる。

3.ミスの発生しやすい場面の把握 1)試験管培地の持ち方 操作の基本であるが、試験管培地を持つ時にふたの

みを持ったために培地を落として、破損させることが

よく見受けられるので注意を要する。

2)滅菌缶に廃棄するとき 一つの実習操作が終わるか、実習自体が終わった時

に高圧蒸気滅菌をかけるため滅菌缶に検体を廃棄す

るときに、培地をおとすことにより、菌液や培地を飛

散させることがある。実習が終わったことによる安心

感もあり注意を要する場面であると考える。 4.問題発生時の対処 問題が発生した場合には、学生に対して、必ず教員

に報告するよう徹底させることが も重要なことで

ある。 そのためには学生が失敗をしても直ちに教員に報

告できる人間関係を日頃から作っておく。 学生は汚染事故発生時、またはその恐れが疑われる

時、勝手に処理してはならない。報告を受けた教員が

手袋(防水性のあるもの)を着用し、汚染防止および

消毒等、処理を行うものとする。 消毒薬は火気がない時には消毒用エタノール、アル

キルジアミノエチルグリシン塩酸塩(両性界面活性

剤)、次亜塩素酸等により消毒する。3) 火気がある場合は引火性の強い消毒用エタノール

は使用しない。 一処理ごとに衛生的手洗いを必ず行う(表 4)。

1)菌液の飛散等の対応

A.菌液の飛沫によりテーブルや床を汚染した時 ① 汚染した個所が明確になるように汚染個所を

中心にビニールテープを張り周辺の立ち入りを

禁止する。 ② 手袋を着用し使い捨てペーパータオルで菌液

を吸収させ菌量を減少させる。(菌液を拭くので

はなく摘むようにして吸着させる。)手袋とペー

パータオルは滅菌缶に廃棄し高圧蒸気滅菌を行

い廃棄する。 ③ 汚染個所に消毒剤を散布し10分以上放置する。 ④ 手袋を着用し使い捨てペーパータオルで消毒

剤を吸収させる。手袋とペーパータオルは滅菌缶

に廃棄し高圧蒸気滅菌を行い廃棄する。

B.菌液の飛沫により実習衣を汚染した時 ① 実験衣を直ちに脱ぎ火気のないことを確認し

汚染した部分に消毒用エタノールを噴霧する。 ② 実習衣は1時間程度、0.1~2%(1,000ppm~

20,000ppm)の次亜塩素酸ナトリウム液で、1時間程

表4. 衛生的手洗い法

1)目に見える汚染の場合スクラブ法(30~60秒) 感染リスクを伴う時流水と消毒薬を使用

2)目に見える汚染のない場合ラビング法 (30~60秒) 除菌を目的とした場合速乾性手指消毒薬のみを使用 (速乾性擦式アルコール消毒薬)

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度浸漬する2)。

6.実習過程における注意および点検 実際の実習においては点検表を作成し確認をするよ

うにしたい。例を表5-7に示す。 1) 一般的な注意事項 ① 開始前

表5. 一般的な注意事項

不要な私語を慎む。実習室内での喫煙、飲食、化粧、コンタクトレンズの着脱は厳禁である。顔面に手を触れる、指で目をこする、髪に触れることなどは行わない。風の流れを作らない。(窓を閉め空調を停止する。)実験台は、消毒剤で消毒する。手を洗う習慣を付ける。無菌操作ではクリーンベンチを使用する。抗酸菌や糸状菌を取り扱う時や血液培養ボトルの使用等エアーゾル発生が予想される時には必要に応じて安全キャビネットを使用する。

表6.微生物検査実習チェク表の例-1

日付 学籍番号 氏名

チェック項目

1.開始前実習室の窓やドアは閉まっている実験衣は細菌学実習専用の清潔な物を着用している装飾品を付けない白衣から中着が出ていない靴は実習室専用のものを履いている(つま先を覆うもの)頭髪はまとめてある爪は短く切ってある

2)実習における点検

① 実習中 実習中と終了後における注意項目を表 7 に示した。②

退室時の注意 ○ 必ず実験衣(白衣)を脱ぐ。 ○ 必ず手洗いを励行し、手指の消毒を行う。(速

乾性擦式消毒剤)(表 4)

2.実習中実習台には不要なもの(紙等が)おかれていない実習は整理されているか実験衣を着用する実験衣のまま退出しない実習指導者の指示に従うバーナーの火は必要なとき以外は必ず消す目をこすらない顔面や髪に手を触れない私語を慎む走らない(静かに行動する)

3.終了時感染性の実習材料を決まった場所に返却したか実験台を消毒したか指導者より確認、終了許可を受けたか

表7.微生物検査実習チェク表の例-2

③ 実習終了後のチェック

○ 毎回実習終了時、感染性の実習済み材料の返却、

器具および備品の整理を行う。 ○ 毎回実習終了時、実験台を適当な消毒薬を含ん

だペーパーで清拭する。 以上について、実習指導者より確認、終了許可を受け

る。

VI. 事故発生時の連絡網の例 事故発生時の連絡担当者や連絡先をあらかじめ決

めておき図 2 に示すような連絡網を作成しておく。

学 長

感染対策委員会

実習責任者

実習担当教員

アクシデント発生(事故発生)

教授会

事務長 保健所

校医 病院

保護者への連絡

図2 .アクシデント発生時の連絡体制

必要に応じて

VII. まとめ 各施設に適したマニュアルを作成する必要性が確

認され、本学に適した独自のマニュアル作成の要点が

明確になった。

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VIII. 文献 1 ) 委員長川西孝、副委員長市村輝義他 臨地実習マニ

ュアル 2002 社団法人日本臨床衛生検査技師会医学検

査 Vol.53, No.5, 816-817.20043)細菌学実習

時の実習室内感染予防マニュアル* 日本細菌学会バイオセイフティ委員会

http://www.nacos.com/jsbac/img/safety_manual.pdf

2)細菌学実習時の実習室内感染予防マニュアル* 日本細菌学会バイオセイフティ委員会

http://www.nacos.com/jsbac/img/safety_manual.pdf

3)一般診療における消毒・滅菌:日本医師会雑誌第

131 巻・第 9 号(2004 年).

新渡戸短期大学学術雑誌 第1号 (2011)

8

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1) Hiroshi MATSUKAGE 山田赤十字病院研修センタ-

〒516-0805 三重県伊勢市御薗町高向 810

2) Yoichi KONDO 新渡戸文化短期大学

3) Takashi MATSUKAGE 東海大学附属病院内科

4) Kinko MATSUKAGE 前東京女子医科大学

5) Yohei KONDO ウエルネス・サポート研究所

原病學各論 -亞爾蔑聯斯の講義録-第38編 On Particular Pathology –A Lecture on Ermerins–(38)

松 宏 1) 近 藤 陽 一 2) 松 崇 3)

松 金 子 4) 近 藤 陽 平 5)

要 旨

明治9(1876)年1月に,大阪で発行された,オランダ医師エルメレンス(Christian Jacob Ermerins:亞爾

蔑聯斯または越尓蔑嗹斯と記す,1841-1879)による講義録,『日講記聞 原病學各論 巻十二』の原文の一

部を紹介し,その全現代語訳文と解説を加え,現代医学と比較検討し,一部では,歴史的変遷,時代背景につい

ても言及した.本編では,先ず,『原病學各論 巻十二』の概要について述べ,次いで「婦人病編」の中の「第

一 内部生殖器諸病」の中の始まりの部分である「卵巣炎及充血」および「卵巣嚢腫」について記載する.各疾

患の病態生理や症候論の部分は,かなり詳細に記されているが,病因論の部分はあいまいであり,炎症や腫瘍(新

生物)の概念が確立されていない.また,治療法では,内科的対症療法がその主流であって,使用される薬剤も

限られている.しかし,これは,わが国近代医学のあけぼのの時代の医学の教科書である. キーワード:明治初期医学書 蘭醫エルメレンス 卵巣炎 卵巣充血 卵巣嚢腫

第49章 原病學各論巻十二 概要

オランダ医師エルメレンスが,大阪公立病院で,毎週

土曜日に行った講義ノ-トを,整理・記載した『原病學

各論』は,『日講記聞』として,明治9(1876)年に出

版された1).その『原病學各論 巻十二』には,「婦人

病編」の中の,「第一内部生殖器諸病」が記載されてお

り,その内容は「卵巣炎及充血」,「卵巣嚢腫」,「子

宮加答流(急性,慢性,産後加答流)」,「子宮炎(急

性,慢性,蓐内子宮炎)」,「月経妨碍(無經,月経艱

難,月経過多)」,「子宮腫 (筋束腫 , 肉,癌腫)」

および「蓐熱」である.

この章では,『原病學各論 巻十二』の概要について

述べる1,21). 先ず,「卵巣炎及充血」の項では,主

として『卵巣の循環障害』の記載であり,「卵巣の出血,

うっ血」について述べられている.それは,正常の排卵・

月経周期に対して,種々の原因が加わった結果,卵巣に

出血,うっ血などの循環障害が起こり,それが実質の壊

死を来して,炎症や膿瘍を続発してくると解説している.

この当時では,『炎症』は『循環障害の結果として起こ

る組織の壊死に始まる』と考えられており,その原因の

多くは不明であったと思われる.それは,エルメレンス

による,「日講記聞 原病學通論 巻之六」(明治7年

発行)の『炎症上』の部分で,炎症の解説として,上記

と同様な記載が認められているからである2).また,こ

の当時,細菌・微生物学は発展途上に有り,コッホなど

が活躍したのは 19 世紀末であって,この「日講記聞」が

発行された後のことである.また,「卵巣充血」は卵巣

の循環障害であるが,ここに記載されている「充血」に

は,現在使用されている『充血(局所に酸素の多い血液

が増加した状態)』だけではなく,『うっ血(局所に酸

素の少ない血液が増加した状態)』も含まれていて,前

新渡戸短期大学学術雑誌 第1号 (2011)

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者には「實性充血」の語を当て,後者には「虚性充血」

の語を当てている(原病學通論 巻之六参照)2).

また,「卵巣嚢腫」の項では,嚢腫を「単純嚢腫(単

房性)」,「複雑嚢腫(多房性)」および「先天性嚢腫

(皮様嚢腫)」に分類していて,前二者は卵胞の膨張・

腫大したものであり,その中にコロイド状や血液様の液

体を含んだものであるとしている.「皮様嚢腫」は先天

性異常に含まれ,嚢腫内に,皮膚,骨,神経,筋肉など

の成分を含むものとしている.

また,「子宮加答流」の項では,これを「急性子宮カ

タル」,「慢性子宮カタル」および「産後子宮カタル」

(カタルは粘膜の炎症の総称)に分類していて,子宮膣

部炎および子宮内膜炎の解説があって,これには性行為

による感染(淋菌感染など)の他に,チフス,コレラな

どの全身感染症に併発するものがあるとしている. そし

て,産後子宮カタルには,産褥時の創傷,胎盤の残留な

どによって起こるものがあるが,医師や助産師の手指や

使用器具からの感染の場合もあると注意を喚起していが,

感染の原因についての記載はない.そして,「子宮炎」,

図1 原病學各論 巻十二 目録

は「急性子宮炎」,「慢性子宮炎」および「産褥子宮炎」

に分類される『子宮筋層炎』であって,その多くは「子

宮カタル」から進展したものであるが,他に,子宮筋層

の循環障害によるものもあるとしている.

また,「月経妨碍」の項では,「無經」,「月経艱難」

「月経過多」をあげている.この中で,月経艱難は子宮

の痙攣によって起こる激しい疼痛の症状(『月経困難症』)

であって,子宮頚管がそれによって閉鎖することによっ

て,内圧が上昇して起こるものであるが,月経が始まる

と症状は消失するものが多いとしている.

また,「子宮腫 」の項では,「筋束腫 」,「 肉」

および「癌腫」をあげている.ここで,「筋束腫 」は

『子宮筋腫』で,「 肉」は『子宮ポリ-プ』である.

また,子宮に発生する「癌腫」は比較的多く,その中で

も子宮膣部に出来る扁平上皮癌が多くて,好発年齢は 40

歳以上であるとしている.

また,「蓐熱」はいわゆる『産褥熱』を指していて,

「産後に傳染毒によって起こる」と記載しているが,そ

の原因および症候についての記載は乏しい2).

第50章 原病學各論 巻十二(婦人病篇)

本章では,「婦人病編」の中の「第一 内部生殖器諸

病」の中のはじまりの部分である「卵巣炎及充血」およ

び「卵巣嚢腫」を取り上げる.ここに,その全原文と現

代語訳文とを併記し,それらについて,解説と現代医学

との比較を追加し,また,一部では,歴史的変遷・背景

についても言及する(図1~3)1).

第一 内部生殖器諸病

(イ)卵巣炎及充血

「卵巣充血ノ月經時期ニ發スル者ハ,必ス一側ノ卵巣暗

赤色ト為テ,其中ニ成熟セル虞刺弗胞ノ存スルヲ見ル.

然レ ,月經ニ関渉セサル卵巣充血ハ,必ス兩側ニ發シ

テ,虞刺弗胞ノ出血ヲ來タシ,其胞破裂シテ,血液之レ

カ為ニ腹腔内ニ漏洩シ,腹膜炎ヲ発スル 有リ.或ハ其

血液卵巣ノ組織内ニ滲漏シテ,卵巣炎ヲ発スル 有リ.

而 此卵巣炎ハ唯虞刺弗胞ノミヲ侵ス者アリ.或ハ卵巣

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全體ヲ侵ス者アリ.之レニ在テハ,許多ノ胞腫脹シテ,

粘液様若クハ膿様ノ液ヲ含蓄シ,卵巣實質ハ暗赤色ト為

テ膨脹シ,腹膜層モ亦発炎シテ,尓後近傍ノ諸器ニ癒着

スル 有リ.其発炎ハ月經時期ニ於ケル者殊ニ多シト雖 ,

他時ニ発スル者モ亦尠カラス.其轉歸ハ,全ク消散シテ

治スル者アリ,或ハ卵巣ノ嚢腫或ハ腫瘍ヲ継発スル者ア

リ.慢性炎ニ轉スレハ,結締織ノ荒蕪ヲ生シ,卵巣ヲシ

テ萎縮セシムル 多シトス.」

「卵巣うっ血が月経時期に発生する場合には,必ず,一

側の卵巣が暗赤色となって,その中に,成熟したグラー

フ卵胞が存在するのが認められる.しかしながら,月経

に関係しない卵巣うっ血は,必ず,両側性に発生して,

グラーフ卵胞に出血を来し,その卵胞が破裂して,その

為に,血液が腹腔内に漏れ出し,腹膜炎を発生すること

がある.あるいは,その血液が組織内に浸漏して,卵巣

炎を起こすこともある.そして,この卵巣炎は,ただグ

ラーフ卵胞だけを侵すこともあれば,また,卵巣全体を

侵す場合もある.この場合には,多くの卵胞は腫脹して,

中に粘液様あるいは膿様の液を容れ,卵巣実質は暗赤色

図2 卵巣炎及充血

となって拡張し,漿膜層も炎症を起こして,その後,近

傍の諸臓器と癒着することがある.その炎症が発生する

のは,月経時期の場合が特に多いが,その他の時期に発

生するものもまた少なくない.その転帰は,全く消散し

て治る場合もあり,卵巣の嚢腫あるいは膿瘍が続発する

場合もある.慢性炎症に移行すれば,結合織が広範に増

生するので,卵巣は結果的に萎縮に陥ることが多いもの

である.」

この項は,卵巣の充血(循環の障害)と炎症との関係

についての記述である.ここで,原文に出てくる「充血」

は「虚性充血」を表し,現在でいう『うっ血』を指して

いる.この当時の医学専門用語として,循環障害の中に

「充血」の項があって,それを『實性充血(現在の充血)』

と『虚性充血(現在のうっ血)』に分類しているが,そ

れぞれを正確に使い分けていたわけではなく,両方とも

単に『充血』と表現していることが多い.また,「炎症」

は,『循環障害の結果,細胞が壊死になることによって

始まる』と考えられていて,「原病學通論」では,循環

障害の中に分類されているので,『炎症と循環障害は密

接な関係にあった』と考えられていたのであろう2).炎

症を起こす主な原因である,細菌・微生物感染症につい

てのこの当時の知見は,あまり多いものではなかった.

ちなみに,コッホによって結核菌が発見されたのは 1882

年で,これは,本書籍「日講記聞」が発行されてから6

年の後のことである.

ここで,「虞刺弗胞」は卵巣の『グラーフ卵胞(Graa

fian follicle)』の当て字で,『胞状卵胞(Follicul

us ovaricus vesiculosus)』 を指し,これは『原始卵

胞』が成長して排卵前の状態になった卵胞のことである.

名前の由来となったグラーフ(Reijnier de Graaf,164

1-1673)はオランダの解剖学者で,この他に「グラーフ

精管」などにも名前を残している.また,「結締織」は

『結合組織(結合織)』を意味し,「腹膜層」は卵巣壁

構造 外側の『漿膜層』を指している3).

「『原因』

月經ノ頓ニ閉止スルニ由ル.喩ヘハ月經時期ニ當テ,神

經ノ感動,即チ恐怖,驚愕 ニ遇フカ如シ.又月經時期

ニ交接スルカ為ニ,卵巣充血及ヒ卵巣炎ヲ発スル 有リ.

『症候』

卵巣充血ハ,下腹ニ疝痛ヲ發シ,之レヲ按スレハ,疼痛

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増劇シテ,兩側ノ骨盤ニ射達シ,經行ノ終ルニ従テ,其

疼痛止ムト雖 ,毎月經行ノ期ニ必ス発シ,腫脹ハ通常

觸知ス可カラサルヲ以テ確徴トス.卵巣炎ノ卵巣組織ノ

ミニ限發スル者ハ,其疼痛僅微ナレ ,腹膜層ニ波及ス

ル者ニ於テハ,劇痛ヲ発シテ,臍部,膀胱,會 及ヒ兩

股ニ連累シ,卵巣部ヲ按スレハ,其疼痛大ニ増劇シ,必

ス多少発熱ス.若シ痩削セル婦人ニ ,腹壁弛緩シ且ツ

菲薄ナレハ,卵巣ノ硬腫ヲ摸觸シ得ヘク,或ハ探宮ニ由

テ,其腫ヲ檢シ得ヘキ 有リ.若シ既ニ腫瘍ニ轉スレハ,

間歇性ノ熱ヲ發シテ,漸々稽留熱ニ陥リ,其腫瘍若シ腹

腔内ニ破潰スレハ,劇甚ナル腹膜炎ヲ発スル 有リ.或

ハ卵巣ト腹壁ト癒着スルノ後ニ破潰シ,其膿腹壁外ニ路

ヲ求メテ,『ポーパルト』靱帯ノ近傍ニ流注スル 有リ.

或ハ膣,膀胱若クハ直腸内ニ破潰スル 有リ.慢性卵巣

炎ハ卵巣部ニ頑固ノ疼痛ヲ發シ,月経全ク閉止シ,或ハ

僅微ト為ル者ニ ,一 慢性炎ニ罹レル卵巣ハ再ヒ受孕

スル 能ハス.」

「『原因』

月経が突然閉止することによる.例えば,月経期に,

精神的な感動,即ち,恐怖,驚愕などにあった場合など

である.また,月経時期に性交渉を持つことによって,

卵巣うっ血および卵巣炎を起こすことがある.

『症候』

卵巣うっ血の場合には,下腹部に疝痛を来し,これを

触診することによって疼痛が増強し,痛みは両側の骨盤

に放散し,月経が終了することによってその疼痛は止む

が,毎月の月経期に必ず起こり,腫瘤は普通,觸知出来

ないことが確定診断症候である.

卵巣炎が卵巣組織だけに限局して発生するものでは,

その疼痛は軽微であるが,漿膜層に波及すものでは激痛

を来して,それは臍部,膀胱,会陰部および両股部に波

及して,卵巣部を撫でると,その疼痛は大いに増強し,

必ず軽度の発熱を伴う.もし,痩せている女性で,腹壁

が弛緩して皮膚が薄ければ,卵巣に硬い腫瘤を触知する

ことが出来て,内診によって,その腫瘤を発見出来るこ

ともある.もし,既に膿瘍に移行していれば,間欠性の

発熱があり,それは段々稽留熱になって,その膿瘍が,

腹腔内に破裂すれば,激しい腹膜炎を起こすことがある.

また,卵巣と腹壁が癒着した後に破裂し,その膿が腹腔

外に路を求めて,『ポーパルト靱帯』の近傍に流注する

ことがある(流注膿瘍).あるいは,膣,膀胱又は直腸

内に破裂することもある.慢性卵巣炎は,卵巣部に頑固

な疼痛を来し,月経は全く閉止するか極めて僅かになる

ものであって,一度慢性炎症になった卵巣では,再び受

胎することは出来ない.」

この項は,卵巣の炎症と循環障害についての記載であ

る.ここで,「ポーパルト靱帯」は,『鼠径靱帯(Lig.

inguinale Poupart)』を指す.名前の由来であるポーパ

ルト(Francis Poupart:1616-1708)はフランスの外

科医で,国王ルイ 14世の侍医も務めたと言われている4).

また,「摸觸(モショク)」は『手で探る』意味であり,

ここでは『触知する』と訳した.また,「探宮」は現在

での『内診』を指している.

また,ここでの「腫瘍」は,『かたまり(腫瘤:Tumo

r)』 の意味で使用されているので,『膿瘍(Abscess)』

や『肉芽腫(Granuloma)』も含まれ,現在用いられてい

る『新生物(Neoplasm)』だけを表すものではない.こ

の当時の医学専門用語には,現在使用されているものと

異なった意味・内容を持つ語句が多いので,十分な注意

が必要である5).

「『治法』

急性炎及ヒ充血ニ在テハ,下腹ノ卵巣部ニ蝟鍼ヲ貼シ,

或ハ膣内ニ於テ,子宮口ニ貼スルヲ良トス(伹シ圓柱形

ノ子宮鏡ヲ挿入 之レヲ貼ス可シ).又温琶布ヲ貼スレ

ハ,頗ル軽快ヲ覚ヘシムル 有リ.兼テ下泄藥(蓖麻子

油)ヲ内服セシメ,或ハ灌腸ヲ施 誘導スル ヲ務ム可シ.

若シ腹膜炎ヲ兼發セル者ニハ,下劑ヲ禁シ,多量ノ阿芙

蓉ヲ與ヘテ(即チ毎半時ニ四分 ノ一ヲ用ユ)疼痛ノ減

退スルヲ度ト為シ,且ツ褥中ニ静臥セシムルヲ要ス.慢

性卵巣炎ニ在テハ,外部ニ沃陳丁幾ヲ塗布シ,内服ニ沃

度加里ヲ與ヘ,疼痛ノ發作ヲ防クニハ,子宮口ニ蝟鍼ヲ

貼スルニ宜シ.若シ炎後ノ腫瘍ヲ貽ス者ニハ,骨盤内腫

瘍ニ於ケルカ如ク,排氣喞筒ヲ以テ膿ヲ驅出シ,或ハ導

膿管ヲ貫通ス可シ.」

「『治療法』

急性炎症およびうっ血の場合には,下腹の卵巣部に吸

い出しを貼るか,膣内から子宮膣部に貼るのが良い(た

だし,円筒形の子宮鏡を挿入して,観察しながらそれを

貼りなさい).また,温パップを貼ることによって,非

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常に軽快感を自覚する場合がある.あわせて,下剤(ヒ

マシ油)を内服させ,あるいは浣腸を行って,意識を腸

に誘導するように努めなさい.もし,腹膜炎を併発した

場合には,下剤投与は止めて,多量のアヘンを与えて(即

ち1時間ごとに 1/4 グレーンを使用する),疼痛が減退

する量を目安として,また,ふとんの中で安静臥床させ

る必要がある.慢性卵巣炎の場合には,外側にヨードチ

ンキを塗布し,内服としてヨードカリを与え,疼痛発作

を防ぐのには,子宮膣部に吸い出しを貼るのがよい.も

し炎症の後に膿瘍を残す場合には,骨盤内膿瘍の場合の

様に,排気ポンプで膿を排出させるか,導膿管を刺し込

みなさい.」

ここで,「蓖麻子(ヒマシ)油」は,トウダイグサ科

植物の『蓖麻(ヒマ,トウゴマ:Ricinus communis)』

の成熟種子から採れる淡黄緑色の油脂で,これには,リ

シノレイン(Ricinolein)が約 90%含まれる.これは,

経口摂取により,腸内でグリセリン{CH2OHCHOHCH2OH}

とリシノール酸{CH3(CH2)5CHOHCH2CH:CH(CH2)7COOH}

とに分解されるので,水分吸収抑制・潤滑作用と蠕動運

動促進の作用があって,瀉下剤として使用される.また,

その他に,化粧品,印肉油,印刷インク,機械油などに

も利用されることがあるという5).また,「阿芙蓉(ア

フヨウ)」は『阿片(アヘン:Opium)』 のことで,こ

れは,ケシ科植物の『罌粟(ケシ:Papaver somniferm)』

の未熟果皮から採れる液汁を乾燥させたもので,モルヒ

ネ(C17H18NO3・H2O),ナルコチン(C22H23NO7),コ

デイン(C18H21NO3),パパベリン(C20H21NO4),デ

バイン(C19H23NO3),ナルセイン(C23H27NO8・3H2O)

など種々のアルカロイドを含み,中枢神経刺激薬,鎮痛

薬,麻酔薬などとして利用される6).「沃陳丁幾」は,

『ヨードチンキ(Tincture of iodine)』の当て字で,

これはヨード 6.5 容,ヨウ化カリウム 2.5 容をアルコー

ル 91 容に溶かしたものを指し,古くから消毒剤として使

用されている(沃實丁幾の字を当てる場合もある).ま

た,「沃度加里」は『ヨードカリ(ヨウ化カリウム:KI)』

の当て字である7).また,ここで,質量を表す記号「

(グレーン,Grain):傑列印(ケレイン)」は,ヤード・

ポンド法の質量単位で,1グレーンはおよそ 0.0648 グラ

ムに相当する8、9).また,「蝟鍼」はいわゆる『吸い出

し』を指していて,皮膚や粘膜から、膿汁や血液を外部

に排出する目的で使用されたものである.「温琶布」は

『温パップ』の当て字で,これは局所を温める目的の貼

り薬の総称である.また,「喞筒(ショクトウ)」は『ポ

ンプ(Pump)』の当て字であり,これは排気,排液など

の時に使用されるものである.「子宮鏡」は『Uterosco

pe』を指し,これは,膣の中に入れて子宮膣部を拡大し

て観察する円筒鏡である10).

(ロ)卵巣嚢腫

「此病ヲ單純症ト複雜症トニ區別ス.

第一單純症ハ,中膈ヲ有セサル一個ノ嚢ヲ生シテ,其中

ニ水様若クハ血様ノ液ヲ含蓄ス.恐クハ虞刺弗胞ノ膨脹

スル者ナラン.其發スルヤ年齢ニ拘ハラスト雖 ,多ク

ハ姙婦ニ發シテ,甚キ増大ニ至ラサルヲ常トス.

第二複雜嚢腫ハ,嚢壁頗ル厚ク(予曽テ一指横径ノ厚サ

ニ至リシヲ實驗セリ),其中ニ數個ノ中膈ヲ生シテ,無

數ノ小腔ニ區分ス.是レモ亦恐クハ虞刺弗胞ノ膨脹シテ,

先ツ一個ノ嚢即チ母胞ヲ生シテ,其嚢壁ノ内皮ヨリ更ニ

新嚢即チ子嚢ヲ生スル者ナラン.而 其内容ハ透明若ク

ハ黄色ニ ,多少流動シ,或ハ血様ノ者アリ,或ハ傑列

図3 卵巣嚢腫

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乙状ノ者アリ.伹シ稀薄ノ者ハ少シテ,粘稠ノ者常ニ多

シ.時トシテハ,母胞ノ壁,子胞ノ壓迫ニ由テ萎縮シ,

且ツ破壊スルカ為ニ,子胞腹腔内ニ游離シテ,腸ノ迂曲

間ニ占居スル 有リ.而 多クハ一側ノ卵巣ニ発シ,若シ

兩側ニ発スル 有レハ,一側必ス他側ヨリモ大ナリ. ソ

此複雜嚢腫ハ,其 モ大ナル者,直徑一『フート』乃至

一『フート』半ニ及ヒ,或ハ揺動スル者アリ,或ハ其數

處腹膜ニ固着スル者アリ(是レ曩ニ腹膜炎ニ罹リ,結締

織ノ線條ヲ以テ癒着スルニ由ル).而 其嚢ハ初メ小骨

盤内ニ在テ膣内ヨリ指ヲ以テ觸知ス可シト雖 ,漸々増

大スルニ従テ腹腔内ニ膨出シ,腸,肝及ヒ横膈ヲ上方ニ

壓シテ,季肋ヲ外方ニ擴張シ,或ハ大静脉ヲ壓シテ,下

肢ニ水腫ヲ來タシ,甚シキハ呼吸窘迫ヲ発スル 有リ.

而 其嚢内ニ於テハ,屡々出血ヲ起シ,其血液若シ腹腔

内ニ滲漏スレハ,腹膜炎ヲ発シテ死ニ至ラシム.或症ニ

在テハ,嚢中ニ膿ヲ醸シテ腫瘍ヲ生シ,時ト ハ腹腔内

ニ破潰スル 有リ.或ハ其嚢漸々萎縮スル 有リト雖 ,

甚タ希レナリトス.又或症ニ在テハ,嚢腫ヨリ 卵巣内

ノ悪性腫,即チ筋瘤若クハ癌腫ヲ誘発シ,嚢壁ヲ蠶蝕シ

テ,遂ニ腹腔内ニ膨大スル 有リ.

卵巣嚢腫ノ第三種ハ,先天症ニ属スル者ニ ,之レヲ皮

様嚢腫ト名ク.其壁恰モ皮膚ノ如クニ ,乳頭,表皮,

皮脂腺,若クハ毛髪ヲ具有ス.是レ皮様ノ名アル所以ナ

リ.而 嚢内ニハ脂肪状,若クハ米粥状ノ物質ヲ含ミ,

或ハ歯牙,骨片,筋束ヲ含ミ,時ト ハ,神經質ヲ含ム

有リ.此嚢腫ハ通常拳手大ヲ有シ,時ト ハ醸膿破潰シ

テ,其内容直腸或ハ膣内ニ漏泄スル 有リ.又生活間ハ

亳モ患苦ヲ覚ヘス,死後ノ觧剖ニ由テ,始テ之レヲ知リ

得ル 有リ.之レヲ発スルノ因ハ,未タ詳カナラスト雖 ,

恐クハ卵ノ発育不全ヨリ生スル者ナル可シ.」

「この疾患を単純嚢腫症と複雑嚢腫症に分類する.

第一の,単純嚢腫は,中隔を持たない1個の嚢腫を作

って,その中に水様または血液様の液を容れているもの

である.これは,おそらくグラーフ卵胞が拡張したもの

であろう.その発生は,年齢にはかかわらないが,多く

は妊婦に出来て,甚だしく大きくはならないのが普通で

ある.

第二の,複雑嚢腫は,嚢腫壁が非常に厚くなって(私

は,かつて,1横指径の厚さになったものを経験したこ

とがある),その中に数個の中隔を作って,無数の小腔

を区分形成するものである.これも又,おそらくグラー

フ卵胞が拡張して,先ず1個の嚢腫,即ち母嚢腫を形成

し,その嚢腫壁の上皮から,更に新嚢腫,即ち子嚢腫を

発生したものであろう.そして,その内容物は透明また

は黄色であって多少流動性を示し,また,血液様の場合

もあり,コロイド状の場合もある.ただし,希薄な液の

ものは少なくて,一般的には,粘稠のものが多い.時に

は,母嚢腫の壁が子嚢腫の圧迫によって萎縮したり破壊

する為に,子嚢腫が腹腔内に遊離して,腸管の屈曲部の

間に付着することがある.そして,多くの場合には,一

側の卵巣に発生し,もし両側に発生することがあれば,

一側のものは他側のものより必ず大きくなる.一般に,

この複雑嚢腫の場合では,それが も大きくなるものは,

直径1フィートから 1.5 フィート に及び,あるものは揺

れ動き,また,あるものは数か所で腹膜側に固く癒着す

る(これは,既に腹膜炎に罹って,結合織の増生による

線維化によって癒着するからである).そして,その嚢

腫は,初めは小骨盤腔内にあって,膣内から指で触知す

ることが出来るが,だんだん大きくなるに従って腹腔内

に突出し,腸管,肝および横隔膜を上方に圧迫して,季

肋を外方に拡張させ,あるいは大静脈を圧迫して下肢に

浮腫を来し,甚だしい時には呼吸困難を起こすこともあ

る.そして,嚢腫内ではしばしば出血を起こし,その血

液がもし腹腔内に漏出すれば,腹膜炎を起こして死に至

らせる.ある症例では,嚢腫内に膿を発生して膿瘍を形

成し,時には,それが腹腔内に破裂することがある.又

ある症例では,その嚢腫がだんだん萎縮して行くことが

あるが,それは非常に稀である.又ある症例では,嚢腫

から卵巣内の悪性腫瘍,即ち,筋腫あるいは癌腫の発生

を誘発し,それが嚢腫壁を侵食して,ついには腹腔内に

拡がることがある.

卵巣嚢腫の第三種は,先天異常に属するものであって,

これを皮様嚢腫と名付ける.その嚢腫壁はあたかも皮膚

の様であって,乳頭,表皮,皮脂腺あるいは毛髪が含有

されている.これが皮様という名がついた理由である.

そして,その嚢腫内には,脂肪状あるいは米粥状の物質

を容れ,あるいは歯牙,骨片,筋線維を含み,時には,

神経組織を認めることもある.この嚢腫は,普通,小児

手拳大であって,時には,化膿・破裂して,その内容物

を直腸あるいは膣内に漏洩することがある.また,生き

ている間は少しも苦痛を自覚しないで,死後の解剖によ

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って初めてこれをが発見されることもある.この嚢腫の

発生する原因は未だ不詳であるが,おそらく,卵巣の発

育不全から発生するものであろう.」

ここで,「傑列乙」は『コロイド(Colloid)』の当て

字である.また,「フート」はヤード・ポンド法の長さ

の単位で,『フート(foot)は単数,フィート(feet)

は複数』を指す.1フートはおよそ 30.48cm である.

「蠶蝕(サンショク)」は『桑の葉がカイコに食べられ

て小さくなっていく状態』を表している.「横膈」は『横

隔膜』を指す11,12).また,「皮様嚢腫(Dermoid cys

t)」は『奇形腫(Teratoma)』中に分類される腫瘍で,

生まれつき体内に胎生期の胎児組織の遺残(胎児内胎児,

双生児奇形が想定されている)があって,それが成長後

に増殖を始めて,腫瘤を形成してくるものであり,若年

者の卵巣部に認められるものが多い13).

「『症候』

初起ニ在テハ,之レヲ徴シ難キ 多シ.喩ヘハ月經閉止,

月經不調,下腹疼痛,尿意頻数,大便秘結,下肢鈍麻 ノ

症ニ於ルカ如シ.又或ル婦人ニ在テハ,猶姙娠ノ初期ニ

於ケルカ如ク,嘔吐或ハ乳腺膨脹ヲ発シ,時ト ハ初乳

ト同一ノ液ヲ分泌スル 有リ.伹シ此諸症ハ他病ニ於テ

モ亦発スル 有ルカ故ニ,未タ之レヲ以テ卵巣腫タルヲ

確定スル能ハス.又其腫既ニ著大ニ至ルモ,猶之レヲ徴

知シ難キ 有リ.何トナレハ,容易ニ膣内ノ檢査ヲ施ス

能ハサレハナリ.然レ 若シ膣内ヨリ之レヲ檢スレハ,

假令ヒ其腫ノ大ナラサル者モ,能ク卵巣ノ腫 タルヲ察

シ得ヘシ.即チ子宮ノ近傍ニ於テ,細小圓形ノ動揺ス可

キ硬塊ニ觸レ,之レヲ按スル ,知覚敏捷ナラサル者ト

ス.而 其腫ノ小ナル際ハ,小骨盤内ニ位スレ ,増大

スルニ従テ,大骨盤内ニ及ヒ,腹側ニ偏位シテ,腹壁上

ヨリ能ク觸知ス可ク,甚キハ腸ヲ上方ニ壓シ,肚腹前方

ニ凸隆シ,横膈下降スル 能ハス ,呼吸困難ヲ発スル

有リ.但シ尋常ハ疼痛ヲ覚ヘス(若シ疼痛アル者ハ腹膜

炎ヲ兼発スルニ歸ス).而 屡々尿中ニ蛋白質ヲ混シ,

下肢及ヒ腹腔内ノ水腫ヲ発ス.是レ腫脹セル卵巣ノ腹部

大静脉ヲ壓スルニ由ル.但シ食機及ヒ全身ノ健康ハ,久

シク害ヲ受ケス ,唯呼吸窘迫ニ苦ム而己.然レ ,増

劇スルニ至レハ,食機缺損シ,速ニ貧血ト為テ,全身水

腫ヲ発シ,終ニ虚脱ニ陥テ死ス.若シ腹膜炎ヲ兼発スル

カ或ハ其嚢腫腹腔内ニ破潰スル 有レハ,其死スルヤ

愈々速カナリ.間々此腫ノ内容自然ニ吸收セラレテ治ス

ル 有レ ,極メテ希有ニ属ス.」

「『症候』

初期の場合には,特定の症状がないために,これを診

断し難いことが多い.例えば,月経閉止,月経不順,下

腹部痛,尿意頻数,便秘,下肢知覚鈍麻などの状態の場

合などがある.また,ある女性の場合には,妊娠初期の

時の様に,嘔吐あるいは乳腺腫張を来し,時には初乳と

同様の液を分泌することがある.ただし,これらの諸症

状は,他の疾患の場合でも来すことがあるので,これら

の症状あるからといって,卵巣腫瘍であることを確定す

ることは出来ない.また,その腫瘍が既に非常に大きく

なっていても,これを診断し難いことがある.何故なら,

簡単に膣内の検査を実施することは出来ないからである.

しかし,もし,これを膣内から調べれば,たとえその腫

瘍が大きくない場合でも,卵巣の腫瘤であることが診断

出来るものである.即ち,子宮の近傍で,小さな球形の

可動性硬塊を触知し,それを擦っても,疼痛を訴えるこ

とはない.そして,その腫瘤が小さい場合には,小骨盤

腔内に位置するが,大きくなるに従って,大骨盤腔内に

広がり腹側に偏位して,腹壁上から触知可能となり,甚

だしい場合には,腸管を上方に圧迫し,下腹を前方に突

出させて,横隔膜が下降することが出来ないで,呼吸困

難を来すことがある.ただし,普通は疼痛を訴えない(も

し疼痛がある場合には,腹膜炎を併発していることにな

る).そして,しばしば尿中に蛋白質を認め,下肢およ

び腹腔内に浮腫を来す.これは,腫脹した卵巣が腹部大

静脈を圧迫するからである.ただし,食欲および全身状

態は長い間異常を認めず,ただ息苦しさに苦しむだけで

ある.しかし,進行すれば,食欲は欠損し,速やかに貧

血に陥って全身水腫を起こし,終わりには虚脱に陥って

死亡する.もし,腹膜炎を併発するか,あるいは,その

嚢腫が腹腔内に破裂することがあれば,その死期はます

ます早くなる.時々,この腫瘍の内容物が自然に吸収さ

れて治ることがあるが,それは極めてまれな部類に入

る.」

ここで,「腫 (シュオウ,シュエイ)」は『腫瘤

(Tumor:かたまり)』を意味する語句であるが,新生物

(Neoplasm)の意味を含み,当時使用された類語である

『腫瘍』とはいささか異なった意味合いをもつ.また,

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「肚腹(トフク)」は『腹部』を示す語句であるが,特

に,臍周囲を指す場合がある14,15).

「『識別』

此症ニ混同シ易キ者數種アリ.

第一ヲ腹水トス.但シ腹水ニ在テハ,其腸必ス水液上ニ

浮クカ故ニ,仰臥セシメテ,腹壁ヲ敲檢スレハ,側壁ニ

濁音有テ,前壁ニ皷音ヲ発シ,起坐セシメテ敲檢スレハ,

下腹部ハ濁音ニシテ,上腹部ニハ皷音ヲ発スレ ,卵巣

腫ニ在テハ,前壁常ニ濁音ヲ発シ,起臥ニ従テ變セス.

季肋下部ト腹壁側傍トニ於テ皷音ヲ発スル而己.且ツ腹

水患者ヲ仰臥セシムレハ,肚腹必ス平坦ト為レ ,卵巣

腫ニ在テハ,決シテ然ル 無ク,又腹水ハ探膿鍼ヲ刺テ

其液ヲ檢スルニ,稀薄水様ニ ,時ト ハ血様ノ赤色ヲ

帶ヒ,多量ノ蛋白質ヲ含メ ,卵巣腫ニ於テハ,其液大

抵稠厚ニ ,黄色若クハ帶黄褐色ヲ呈シ,或ハ傑列乙状

ニ ,之レヲ静定スレハ,凝固スル 屡々之レ有リ.

第二,他ノ卵巣腫ニ疑似スル 有リ.喩ヘハ癌腫ノ如キ

ハ,其腫ノ猶小ナル際ニ當テ,嚢腫ト診別スル能ハス.

伹シ癌腫ニ在テハ,其増大スルヤ疾迅ニ ,劇痛ヲ発シ,

速ニ全身悪液質ト為テ死ニ歸シ,又時ト ハ,鼠蹊ノ水

脉腺増大シテ硬固ナル 有レ ,嚢腫ニ於テハ然ラス.

第三,姙娠ト區別シ難キ 有リ.伹シ姙娠ハ肚腹正面ノ

中央ニ於テ膨大スレ ,卵巣腫ノ初起ハ其膨大必ス一側

ニ在テ,且ツ胎動及ヒ心動有ル 無シ.又膣内ヨリ檢ス

ルニ,卵巣腫ニ於テハ,子宮口常態ニ存スレ ,姙娠ニ

於テハ,子宮口短縮シテ扁平ナルヲ常トス.

第四,子宮肉瘤ノ初起ニ在テハ,動モスレハ卵巣腫ト誤

認スル 有リ.然レ ,膣内ヨリ檢スルニ,肉瘤ハ子宮

壁内ニ固定シテ,卵巣腫ノ初起ニ於テ,寛縦動揺スル者

ト同シカラス.且ツ肉瘤ハ甚シク増大セス (一掌大ニ

至ル者ハ未タ曽テ實驗セス),後ニ子宮出血ヲ発スル 有

リ. ソ卵巣嚢腫多クハ外部ヨリ之レヲ視テ,一大胞ヨ

リ成ルカ或ハ數小胞ヨリ成ルカヲ决定シ得ヘシ.即チ一

大胞ヨリ成ル者ハ,其腫平 ニ圓形ヲ有スレ ,數小胞

ヨリ成ル者ハ,腫上ニ於テ數個ノ凹凸ヲ生シ,之レヲ按

撫スレハ,一處ニハ著シク波動ヲ觸ルレ ,他處ニ於テ

ハ之レヲ觸ルゝ 能ハス.又其腫ノ巨大ナルハ,大抵數

胞ヨリ成ル者ニ ,穿腹術ヲ施スモ益ナシトス.」

「『鑑別診断』

この疾患と混同しやすいものが数種類ある.

第一は,腹水である.ただし,腹水の場合には,腸管

は必ず水液上に浮くために,仰臥させて腹壁を打診すれ

ば,側壁部で濁音があって前壁部では鼓音を認める.起

坐位にさせて打診すれば,下腹部は濁音であって,上腹

部では鼓音を認めるが,卵巣腫瘤の場合には,前壁部で

常に濁音を認め,これは,起坐位,仰臥位よって変わる

ことはなく,また,季肋下部と腹部側壁では鼓音を認め

るのみである.そして,腹水患者を仰臥させれば,臍下

は必ず平坦になるものであるが,卵巣嚢腫の場合には,

決してその様なことはなく,また,腹水の場合には,探

膿針を刺してその液を検査すると,希薄水様であって,

時には血液様の赤色を帯び,多量の蛋白質が含まれるが,

卵巣嚢腫の場合には,その液は大抵稠厚であって,黄色

又は黄色を帯びた褐色であるか,またはコロイド状であ

って,これを静置すると,しばしば凝固することがある.

第二は,他の卵巣腫瘍に類似することがある.例えば,

癌腫の場合には,それが小さい時には嚢腫と鑑別するこ

とは出来ない.ただし,癌腫では,それが大きくなるの

が非常に速いので,劇痛を来し,速やかに全身悪液質と

なって死に至り,時には,鼠径部のリンパ節が腫大して

硬くなることがあるが,嚢腫の場合には,そういうこと

はない.

第三は,妊娠と区別し難いことがある.ただし,妊娠

の場合には,臍下が正面中央部で大きくなってくるが,

卵巣嚢腫の初期では,必ず,一側が大きくなり,また,

胎動や心動が認められることはない.また,膣内から内

診すれば,卵巣嚢腫の場合には,子宮口は正常の状態で

あるが,妊娠時では,子宮口は短縮して扁平となるのが

普通である.

第四は,子宮筋腫の初期の場合で,ともすれば,卵巣

嚢腫と誤認することがある.しかし,内診すると,子宮

筋腫は子宮壁内に固定していて,卵巣嚢腫の初期に,上

下左右に動揺するものとは,同じではない.そして,筋

腫は甚だしく腫大しないで(手掌大になるものは,未だ

かつて経験したことがない),後に子宮出血を来すこと

がある.一般に,卵巣嚢腫の多くは,肉眼的観察によっ

て,一個の大きな嚢胞からなるか,あるいは多数の小嚢

胞からなるかが分かる.即ち,一つの大きな嚢胞からな

るものは,その腫瘤は等しい円形を呈するが,数個の嚢

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胞からなるものは,腫瘤上に数個の凹凸を形成し,これ

を触診すると,ある場所では大きな波動を触れるが,別

の場所ではそれを触れることが出来ない.また,その腫

瘤が巨大なものは,大抵,数個の嚢胞からなるものであ

って,腹腔穿刺術を行っても,効果は無いものである.」

ここで,「敲檢(コウケン)」は診察方法のひとつの

『打診法』のことである.打診法では,組織の密度が高

いところは濁音を,低いところ(空間のあるところ)は

鼓音を呈する16).また,「水脉」は『リンパ管』を,

「水脉腺」は『リンパ節』を指す.また,「子宮肉瘤」

は『子宮筋腫(平滑筋腫)』を示す17).

「『治法』

内服外用ノ諸藥,亳モ其功ヲ奏スル 無ク,唯彈力性ノ

腹帶ヲ施スヲ以テ一良法ト為ス而己.但シ大便ノ通利ヲ

調整シ,且ツ蝟鍼ヲ貼シ,或ハ阿芙蓉ヲ與ヘテ,局發腹

膜炎ヲ防カサル可カラス.若シ呼吸困難,下肢水腫 ヲ

発スル者ニハ,穿腹術ヲ施シテ,内容ヲ洩ラス可シ.盖

シ穿腹ノ術タルヤ,敢テ危險ナル者ニ非ラス.其法患婦

ヲ仰臥セシメ,套管鍼ヲ以テ臍下ノ中線ヲ刺ス可シ(是

レ上腹動脉ノ通路ヲ避クル為ニ ,又一法腸骨ノ前上棘

状突起ト臍トノ中間ヲ刺スモ可ナリ).而 施術中及ヒ

術後ハ,羅絨ノ廣帶ヲ以テ腹部ヲ緊縛スルヲ要ス.若シ

其液傑列乙状ニ 濃厚ナレハ,套管ヨリ流泄シ難キ 有リ.

然ル ハ排氣喞筒ヲ套管ニ接シテ抽出スルヲ良トス.又

其液ヲ抽出スルノ後ニ,稀薄沃陳丁幾ト沃度加里ノ溶液

ヲ嚢中ニ注入シテ,治癒ヲ促ス 有リ.是レ既ニ數婦ニ

施シテ,其功ヲ實驗セシ所ナリ.若シ以上ノ法ヲ施スモ,

寸驗ナクンハ,卵巣截除法ヲ行フノ外,他策アル 無シ.」

「『治療法』

内服・外用の諸薬剤は,少しも効果を顕わすことはな

く,弾力性のある腹帯を使用するのが,唯一の良い治療

法である.ただし,便通を調整し,また蝟鍼を貼り,又

は阿芙蓉を投与して,局所に発生する腹膜炎を予防しな

ければならない.もし,呼吸困難,下肢浮腫などを起こ

した場合には,腹腔穿刺術を行って,内容物を排出しな

さい.一般に,腹腔穿刺はそう危険なものではない.そ

の方法は,患婦を仰臥させて,套管針で臍下の中線を刺

しなさい(これは上腹壁動脈の走行部を避けるためであ

って,他の方法として,上前腸骨棘と臍を結ぶ線上中間

部を穿刺するのもよろしい).そして,術中及び術後は,

ラシャ製の幅広の帯で腹部をしばる必要がある.もし,

その液がコロイド状であって濃厚であれば,套管から流

出し難いことがある.その様な場合には,排気ポンプを

套管に接続して吸引するのが良い.また,その液を吸引

した後に,希薄ヨードチンキやヨードカリの溶液を嚢腫

中に注入して,治癒をうながすことがある.この方法は

既に数人の女性に施行して,効果のあることを経験した

ところである.もし,上記の方法を行っても,少しも効

果がない場合には,卵巣切除術を行う以外に良い方法は

ない.」

ここで,「套管鍼」は『二重構造の針』で,主として

血液,膿汁などの排液や,排気に使用された針を指す18).

「羅絨」は『ラシャ(ポルトガル語:Raxa,オランダ語:

Rassen)』の当て字で,地が厚く密な毛織物の総称であ

り,『羅紗』とも書く19). また,ここで,「上腹動脉」

は『上腹壁動脈(Arteria epigastrica superior)』を

指し,「腸骨ノ前上棘状突起」は『腸骨の上前腸骨棘(S

pina iliaca anterior superior)』を指している20).

参考文献

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正純,譯,岡澤貞一郎,校),大阪公立病院藏版,1876.

2)亞爾蔑聯斯:「日講記聞,原病學通論,巻之六」(髙橋

正純,譯,岡澤貞一郎,校),大阪公立病院藏版,1872.

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4)金子丑之助,他:日本人体解剖学,第三巻,p.591,南山

堂,東京,1962.

5)富山医科薬科大学和漢薬研究所,編:和漢薬の事典,

p.258-259,朝倉書店,東京,2002.

6)樫村清徳,纂:新纂藥物学,巻之五,p.9-11,格致學舎

版,東京,1877.

7)加藤勝治:医学英和大辞典,p.1234,南山堂,東京,

1976.

8)加藤勝治:医学英和大辞典,p.667,南山堂,東京,

1976.

9)宛字外来語辞典編集委員会,編:宛字外来語辞典,

p.70,p.114,柏書房,東京,1998.

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巻,p.24-29,三一書房,東京,1978.

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11)加藤勝治:医学英和大辞典,p.352,南山堂,東京,

1976.

12)松 宏,近藤陽一,他:三重県立看護大学紀要,第 1

巻,p.83-92,1997.

13)赤崎兼良,他:病理学総論,p.98-105,南山堂,東京,

1979.

14)簡野道明:字源,p.526,北辰館,東京,1924.

15)簡野道明:字源,p.897,北辰館,東京,1924.

16)松 宏:三重県立看護短期大学紀要,第 16巻,p.14

5-172,1995.

17)約瑟列第:解剖訓蒙,巻之十,p.42,啓蒙義舎藏版,文

海堂,敦賀,1872.

18)松 宏:三重県立看護短期大学紀要,第 15巻,p.97

-125,1994.

19)宛字外来語辞典編集委員会,編:宛字外来語辞典,p.

56,柏書房,東京,1998.

20)約瑟列第:解剖訓蒙,巻之十二,p.12,啓蒙義舎藏版,

文海堂,敦賀,1872.

21)松 宏,近藤陽一,他:山野研究紀要,第 16号,p.

57-66,2008.

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1) Hiroshi MATSUKAGE 山田赤十字病院研修センタ-

〒516-0805 三重県伊勢市御薗町高向 810

2) Yoichi KONDO 新渡戸文化短期大学

3) Takashi MATSUKAGE 東海大学附属病院内科

4) Kinko MATSUKAGE 前東京女子医科大学

5) Yohei KONDO ウエルネス・サポート研究所

原病學各論 ― 亞爾蔑聯斯の講義録 ― 第39編

On Particular Pathology-A Lecture on Ermerins-(39)

松 宏 1) 近 藤 陽 一 2) 松 崇 3)

松 金 子 4) 近 藤 陽 平 5)

要 旨

明治9(1876)年1月に,大阪で発行された,オランダ医師エルメレンス(Christian Jacob Ermerins:亞爾

蔑聯斯または越尓蔑嗹斯と記す,1841-1879)による講義録,『日講記聞 原病學各論 巻十二』の原文の一部

を紹介し,その全現代語訳文と解説を加え,現代医学と比較検討し,一部では,歴史的変遷,時代背景について

も言及した.本編では,『原病學各論 巻十二』の「婦人病編」の中の「第一 内部生殖器諸病」の中段の部分

である「子宮加答流」および「子宮炎」について記載する.各疾患の病態生理,症候論の部分は,かなり詳細に

記されているが,病因論の部分はあいまいであり,炎症や腫瘍(新生物)の概念が確立されていない.また,治

療法では,内科的対症療法がその主流であって,使用される薬剤も限られている.しかし,これはわが国近代医

学のあけぼのの時代の医学の教科書である.

キーワード:明治初期医学書 蘭醫エルメレンス 子宮加荅流 急性子宮炎 慢性子宮炎

第51章 原病學各論巻十二(婦人病篇つづき)

オランダ医師エルメレンスが,公立大阪病院で毎週土

曜日に行った講義ノ-トを,整理・記載した『原病學各

論』は,「日講記聞」として,明治9(1876)年に出版

された.本章では,その巻十二「婦人病編」の「第一 内

部生殖器諸病」の中の,「子宮加答流(①急性,②慢性,

③産後加答流)」及び「子宮炎(①急性,②慢性,③蓐

内子宮炎)」について記載する1).ここに,その全原文

と現代語訳文とを併記し,それらについての解説と現代

医学との比較を追加し,また,歴史的変遷についても言

及する(図1~2)1,2)

第一 内部生殖器諸病(つづき) (ハ)子宮加答流

「此症ニ急慢二性アリ. ① 急性加答流】

急性加答流ハ,先ツ子宮底面ノ粘膜ニ發シ,上方ニ蔓延

シテ喇叭管及ヒ腹膜ニ波及シ, 或ハ下方ニ蔓延シテ,

膣ヲ侵カス 有リ.而 此原因多クハ月經閉止,房事過度

及ヒ淋毒傳染ニ在リ(傳染ニ由ル者ハ先ツ膣加答流ヲ發

子宮ニ蔓延ス).又時ト ハ,窒扶斯,虎列刺,痢疾及

ヒ勞 ニ於テ,更ニ較著ノ因ナク,急性加答流ヲ発スル

有リ.

『症候』

骨盤ノ深部ニ疼痛ヲ覚ヘ,其疼痛發作スレハ,腰部及ヒ

兩股ニ牽キ,若シ膣内或ハ直腸ヨリ手指ヲ以テ模觸スレ

ハ,子宮ニ疼痛ヲ覚ヘ,又上 及ヒ利尿ニ當テハ,其疼

痛大ニ増加ス.伹シ其疼痛劇甚ナラサル者於テ,膣内ニ

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子宮鏡ヲ挿入シ檢スレハ,子宮口暗赤色ト為テ腫脹シ,

初メハ子宮内ヨリ血様ノ稀液ヲ流泄シ,後ニハ濃厚黄色

ノ膿ヲ泄シテ,悪臭ヲ放ツ者トス.盖シ急性加答流ハ,

大抵七八日ニ ,諸症減退スルヲ常トス.然レ 亦屡々慢

性加答流ニ轉スル者アリ.

『治法』

此症ハ子宮口,肛門,下腹,若クハ 唇ニ蝟鍼ヲ貼シ

下劑(即チ硫酸苦土或ハ硫酸曹達)ヲ内服セシメ,且ツ

加密列浸ヲ注射シ,悪臭アル者ニハ,格魯児加尓基水,

格魯児水,或ハ石炭酸水ヲ注射シ,疼痛甚シキ者ニハ,

温琶布ヲ貼シテ,屡々功ヲ奏スル 有リ.若シ疼痛尤モ

甚シキ者ニハ,莫尓比涅ノ皮下注射ヲ施シ,腹膜炎ヲ兼

發スル者ニハ,阿芙蓉ヲ與ヘ,疼痛既ニ減退スルニ至ラ

ハ,子宮内ニ收斂藥即チ硝酸銀溶液(一 ヲ水一 ニ溶ス

者)或ハ皓礬溶液ヲ注射ス可シ.伹シ注射液ハ多量ニ過

ク可カラス.若シ多量ナレハ,喇叭管ヨリ漏泄シテ腹膜

炎ヲ発スル 有リ.」

「この疾患には,急性と慢性とがある.

① 【急性子宮カタル】

急性子宮カタルは、まず子宮底部の粘膜に発生し,上方

図 1 子宮加答流

に広がってラッパ管(卵管采)および腹膜に波及するか,

下方に広がって膣を侵すことがある.そして,その原因

の多くは月経閉止、房事過多及び淋菌感染である(感染

によって起こるものは,まず膣カタルを発症して子宮に

広がる).また,時には,チフス,コレラ,下痢性疾患

および慢性肺疾患などの場合に起こり,そして,明らか

な原因が無くて急性カタルが起こることがある.

『症候』

骨盤内深部に疼痛を自覚し,その疼痛発作が起これば,

それは腰部及び両股部に放散し,もし膣内あるいは直腸

から手指によって探れば,子宮に痛みを感じ,また排便

および排尿時にその痛みは増強する.ただし,その疼痛

が激甚でないものでは,膣内に子宮鏡を挿入して観察す

れば,子宮膣部は暗赤色となって腫脹し,初めのうちは

子宮内から血液様の薄い液体が流出するが,後になって

濃厚黄色の膿を排出して,悪臭を放つものである.一般

に,急性カタルは大抵 7,8 日で,諸症状が減退するもの

である.しかし,一方では,しばしば慢性カタルに移行

するものもある.

『治療法』

この疾患は,子宮膣部,肛門部,下腹部あるいは陰唇

部に吸い出しを貼り,下剤(即ち硫酸マグネシウムある

いは硫酸ソーダ)を内服させ,加えてカミツレ浸剤を局

所に注入し,悪臭がある場合には,クロールカルキ水,

クロール水あるいは石炭酸水を注入し,疼痛が激しい場

合には,温パップを貼ることによって,しばしば功を奏

することがある.もし,疼痛が も激しい場合には,モ

ルヒネの皮下注射を行い,腹膜炎を併発したものには,

阿芙蓉を投与し,疼痛が減退してくれば,子宮内に収斂

薬即ち硝酸銀溶液(1グレーンを水1オンスに溶かした

もの)あるいは硫酸亜鉛溶液を注入しなさい.ただし,

注入液は多量すぎてはいけない.もし多量であれば,ラ

ッパ管から漏洩して腹膜炎を起こすことがある.」

ここで,「加答流」は『カタル(Catarrh)』 の当て

字で,これは『粘膜の炎症』の総称である.また,「喇

叭管」は『ラッパ管』の当て字で,これは『卵管采(Fi

mbria ovaricus)』を指す.「窒扶斯」は『チフス(Ty

phoid fever)』の,「虎列刺」は『コレラ(Chorera)』

の当て字で,また,「痢疾」,「勞 」はそれぞれ『下

痢性疾患』,『呼吸器疾患』を指している.「上 (ジ

ョウセイ)」は,本来,『離れた場所にある厠(便所)』

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を意味する語句である3-5).また,「硫酸苦土(硫苦)」

は『硫酸マグネシウム(MgSO4)』を指し,これは塩類下

剤のひとつで,腸壁を刺激することが少なく緩和的に作

用する.「硫酸曹達」は『硫酸ナトリウム(Na2SO4)』

の当て字で,腸管で水分の吸収を抑制する硫酸マグネシ

ウムとほぼ同様の作用がある塩類下剤である6).また,

「加密列(カミツレ)」は,キク科植物の『カモミール

(Matricaria chamomilla)』を指し,これは,花部に,

アルファ-ビスアボロール(α-bis-abolol),カマズレン

(C12H12O2), ヘルニアリン(C10H8O3)などを含んでい

て,発汗剤,下剤,消炎剤,鎮静剤などとして利用され

る7).「格魯児加尓基」は『クロールカルキ(Calcium

chloride)』の当て字で,これは,いわゆる『サラシ粉』

を指し,その成分は次亜塩素酸カルシウムと塩化カルシ

ウム{Ca(OCl)2・CaCl2・2H2O}であり,これは酸にあうと

塩素ガスを発生するので,消毒薬として使用される.ま

た,「格魯児水」は『クロ-ル水(塩素水:Aqua chlo

rata)』の当て字で,これは 0.4~0.5%の塩素を含む水

であり,消毒に使用される8).「石炭酸水」は 1867 年

に,イギリスの外科医のリスター(Lord Joseph Lister:

1827-1912)によって紹介された 初の消毒薬であり,

彼は消毒された手術室での無菌的術式を 初に用いた人

である.また,橈骨の背側結節は Lister's tubercle

とも呼ばれ,彼の名前が残っている9).一般に,防腐・

消毒薬として使用されるのは,石炭酸(フェノール:

C6H6O)を 1.8~2.3%含む溶液で,0.5%以下 では消毒効

果はないと言われる9). また,「莫尓比涅」は『モル

ヒネ(Morphine)』の当て字である.明治 10 年(西暦

1877 年)11 月に発行された『新纂藥物学(樫村清徳纂輯,

藁科松伯校訂)』によると,この当時,モルヒネには,

『塩酸莫尓比涅』,『醋酸莫尓比涅』,『硫酸莫尓比涅』,

『塩酸アポモルヒ子』などの種類があり,それぞれ丸薬,

散薬および皮下注射用溶液の製剤があるとの記載がある

10). なお,樫村清徳は明治 10 年,東京大学医学部開

学時の薬剤学担当教授である29).

また,「 :グレーン(grain)」と「 :オンス(ounce)」

は,ヤード・ポンド法の質量単位で,1グレーンは約 0.0

65 グラムで,1重量オンスは約 28.349 グラム,1液量

オンスは約 29.6ml である9).「皓礬(コウバン)」は『硫

酸亜鉛(ZnSO4)』を指し,その 0.2~1.0%溶液を收斂剤,

腐蝕剤として使用した.「硝酸銀(AgNO3)」は光輝ある

無色から白色の結晶で,目的によって 0.01%から 10%程

度の水溶液が使用される.蛋白と結合して沈殿物を作る

ので,洗浄剤,消毒剤,腐蝕剤,収斂剤などとして使用

されている11,12).また,ここで,「注射」の語句を『皮

内』および『膣内・子宮内』の両方に使用しているが,

ここでは,前者は『注射』,後者は『注入』と訳した.

「②【慢性加答流】

慢性加答流ハ必ス膣加答流ヲ兼發シ,其所患ハ子宮底,

子宮全腔,若クハ子宮頸ノ粘膜ニ在リ,初期ニ在テハ,

其粘膜肥厚シテ,肉芽ヲ生シ,且ツ粘膜腺増大シテ,後

ニハ粘膜ニ結締織ヲ生シ,其腺ト倶ニ萎縮スルニ至ル.

而 粘膜様或ハ膿様ノ液ヲ分泌シ,時ト ハ血様ナル 有

リ. ソ此慢性加答流ハ,急性加答流ニ継發シ,或ハ膣

加答流ヨリ累及スル者トス.殊ニ貧血ノ婦人ニ在テハ,

此症ニ罹リ易ク,或ハ房事過度,他ノ子宮病,即チ子宮

脱墜,子宮翻覆,子宮腫 (癌腫若クハ肉瘤) ニ由テ

発シ,又心藏病及ヒ肺藏病ハ,骨盤内諸器ニ静脉充血ヲ

起スニ由テ,之レヲ発スル 有リ.

『症候』

粘液様ノ膿汁ヲ分泌シ,時ト ハ其分泌 モ甚ク ,絶ヘ

ス膣内ヨリ流泄スル 有リ.疼痛ハ僅少ニ ,平常間歇シ,

唯月經期ニ発スル者トス.是レ子宮實質ノ病ト異ナル所

ナリ.而 此病ニ罹レル婦人ハ,貧血ニ 衰弱シ,喜斯的

里ヲ兼有シテ,受胎スル 無シ.假令ヒ姙孕スルモ,多

クハ流産ス.此病ノ頑固ナル者ハ,終身全治ヲ得スト雖 ,

軽症ニ在テハ治シ難キニアラス.

『治法』

全身ノ景況ニ注意シテ,貧血家ニハ銕劑及ヒ上好ノ滋養

食ヲ與ヘ,便秘スル者ニハ緩下劑ヲ用ユ可シ.且ツ便通

ノ如何ニ拘ハラス,時々緩下劑ヲ與フレハ,骨盤内ノ静

脉充血ヲ滅却スルノ功アリ.即チ,朝夕ニ大黄丁幾(二

茶匙)ヲ用ヒ,或ハ大黄丸(大黄末,大黄越幾斯各一匁

ヲ十五丸ト為シ,朝夕二三丸ヲ用ユ)ヲ與ヘ,又旃那葉

浸,『ラムニュス・フランキュラ(和名クロムメモドキ:

漢名鼠李,其功ハ大黄ニ同ジ)』,蘆薈 ヲ用ユル 有

リ.其他明礬,單寧,皓礬,鉛糖若クハ槲皮煎ヲ膣内ニ

注入シ,又三日毎ニ硝酸銀ヲ以テ子宮内ヲ焼灼シ,或ハ

硝酸銀溶液(即チ十五 ヲ水一 ニ溶ス者)十滴乃至二十

滴ヲ以テ子宮内ニ注入スルニ宜シ.又格魯謨酸水(即チ

十五 ヲ水一 ニ和スル者)ヲ毛筆ニ シテ,焼灼スル

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有リ(此症ニハ諸藥ノ交換シテ用ユルヲ妙トス).若シ

藥液注入ノ後ニ,子宮ノ疼痛ヲ発セハ,暫時注入ヲ止メ

サル可カラス.又全身及ヒ局處ノ鑛泉浴若クハ冷水浴ヲ

称用スル 有リ.或醫ハ薩毘那若クハ麥奴ヲ内服ニ用ユ

レ ,予ハ未タ確切ノ効アルヲ實驗セス.」

「②【慢性子宮カタル】

慢性子宮カタルは必ず膣カタルを併発し,その疾患の

範囲は,子宮底部,子宮全腔あるいは子宮頚部の粘膜で

ある.初期の場合には,その粘膜は肥厚して肉芽組織が

出てきて,粘膜腺も増加するが,後期になると,粘膜に

結合組織が出来て,その腺とともに萎縮するようになる.

そして,粘液様あるいは膿様の液が分泌され,時にはそ

れが血液様となることがある.一般に,この慢性カタル

は急性カタルに続発するか,膣カタルから波及するもの

である.ことに貧血症のある女性の場合には,この疾患

に罹りやすく,また,房事過多,他の子宮病即ち子宮脱,

子宮翻覆,子宮腫瘍(癌腫または筋腫)などの場合にも

発症し,また,心臓疾患および肺疾患は骨盤内諸臓器の

静脈にうっ血を起こすので,この疾患を発症することが

ある.

『症候』

粘液様の膿汁を分泌し,時にはその分泌が非常に多い

ために,絶えず膣内から流れ出すことがある.疼痛は僅

かなものであって,普通は間欠的であり,ただ月経時期

だけに起こるものである.これが,子宮実質の疾患と異

なるところである.そして,この疾患に罹る女性は,貧

血があって衰弱し,ヒステリーを持っていて,受胎する

ことはなく,たとえ妊娠しても流産することが多い.こ

の疾患の頑固なものは,終身全治することが出来ないが,

軽症の場合には,治癒し難いことはない.

『治療法』

全身の状態に注意して,貧血のあるものには,鉄剤お

よび上質の栄養食を与え,便秘するものには,緩下剤を

使用しなさい.また,便通状態にかかわらず,時々緩下

剤を投与すれば,骨盤腔内の静脈うっ血を減少させる効

果がある.即ち朝夕に大黄チンキ(茶匙2杯)を使用し,

あるいは大黄丸(大黄末,大黄エキス各1匁を 15丸に作

り,朝夕に 2,3 丸を使用する)を投与し,また,センナ

葉浸剤,ラムニュス・フランキュラ(和名クロムメモド

キ,漢名鼠李:その効能は大黄と同じ),アロエなどを

使用することがある.その他,ミョウバン,タンニン,

硫酸亜鉛,鉛糖あるいはカシワ皮煎剤を膣内に注入し,

また,3日ごとに,硝酸銀で子宮内を焼灼し,あるいは

硝酸銀溶液(即ち5グレーンを水1オンスに溶かしたも

の)10滴から 20滴を子宮内に注入するのがよい.また,

クロム酸水(即ち 15 グレーンを水1オンスに配合したも

の)を毛筆に浸して焼灼に使用することある(この疾患

には,諸薬を交代して使用するのが巧妙な手法である).

もし,薬液注入の後に子宮の疼痛が発症すれば,しばら

く注入を止めなければならない.また,全身および局所

の鉱泉浴や冷水浴を勧めることがある.ある医師は,サ

ビナあるいはバクドを内服として使用しているが,私は

未だ,それらの確実な効果を認めた経験はない.」

ここで,「大黄」は,タデ科植物の『ダイオウ(Rheu

m palmatum,Rheum tanguticum),ヤクヨウダイオウ(R

heum officinde)』などを指し,その黄色の根茎を利用

して,エキス,粉末,チンキとしたもので,センノシド

(C21H20O10),エモジン(アントラキノン誘導体:C15

H10O5),ラタンニン(C10H13O3N),カテキン(C15H

11O6)などを含み,植物性下剤,抗炎症剤,抗菌剤,健

胃剤などとして利用される.「大黄丸」は大黄粉末と大

黄エキスとで作製された丸薬の総称である13).「鉛糖」

は,『Sugar of lead』を指し,これは『酢酸鉛:Pb(CH3

COO)2・3H2O』の白色結晶物で,その 1~2%溶液には強い

収斂作用がある14). また,「旃那」は『センナ(Senn

a)』の当て字で,これはマメ科の灌木で,その葉にエモ

ジン(前出),センノシド(前出)などを含むので,植

物性下剤として,広く用いられている15).また,「ラム

ニュス・フランキュラ」は鼠李(クロウメモドキ)科植

物の『クロウメモドキ(Rhamnus frangula)』を指して

いて,その樹皮に,黄色針状結晶であるフラングリン(C

21H22O9)などが含まれていて,その効能は『ダイオウ』

に類似するので,下剤として使用された16).

また,「蘆薈(ロカイ)」は『アロエ』を指し,これ

はユリ科植物の『アロエ(Aloe ferox)』の葉から採れ

る液汁を乾燥したもので,アロイン(C20H18O9),アロ

エエモジン(C15H10O5),アロエチン酸(C15H6O13N4)

などを含み,下剤,強壮健胃薬として使用される.アロ

エはタンニン成分を含まないので,大黄の様に通便後便

秘になることは少ない.しかし,腸壁,骨盤腔内のうっ

血を来すので,月経期,妊娠中あるいは痔のある場合の

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使用には注意が必要である17). また,「格魯謨酸」は

『クロム酸(Chromic acid:H2CrO4)』の当て字である.

また,「薩毘那」は『サビナ(Sabina)』の当て字で,

これは杜松科植物である『杜松樹(Juniperus sabina)』

の,葉および枝から採れる油脂を指し,その中には,サ

ビネン{(CH3)2CHC5H7:CH2},サビネン酸(C10H16O3),

サビノール{(CH3)2CHC6H6(OH):CH2}などが含まれ,通

経剤として使用された18). また,「麥奴(バクド)」

は穀物,特に,麦や稗(ヒエ)に,麦角菌(Claviceps

purpurae)が寄生して,エルゴチン(Ergotin)が形成さ

れ ,これをアルコールによって抽出したものであり,こ

れには平滑筋線維および小動脈の収縮作用がある19).

また,「單寧」は『タンニン(Tannin)』の当て字で

ある.これは,五倍子(ゴバイシ)や没食子(モッショ

クシ)に含まれる植物素であり,その主な薬理作用は,

収斂・止血,抗菌,解毒であって,下剤,止血剤,抗炎

症剤として利用される.この五倍子は,ウルシ科植物の

『ヌルデ(Rhus japonica)』に,アブラムシ科動物の

『ヌルデシロアブラムシ(Schlechtendaria chinensi

s)』が寄生して,その刺激によって葉上に生成した嚢状

虫 (瘤)のことで,この中にタンニンが高濃度(60~7

8%)に含まれる.また,没食子は,ブナ科植物の『コナ

ラ(Quercus)』 などの若芽や稚枝に,タマバチ科動物

である『インクフシバチ(Cynips tinctoria)』が寄生

して産卵し,その刺激によって出来た虫 のことで,こ

れにもタンニンが高濃度に含まれる20).「槲皮(コク

ヒ)」は,ブナ科植物の『カシワ(Quercus dentata)』

の樹皮で,ケルシトリン(C21H22O12・2H2O),タンニン

などを含み,解毒剤,抗炎症剤として使用される19).

「明礬」は『ミョウバン(Alumen)』を指し,これは,

『塩基性硫酸アルミニウム・カリウム{KAl3(SO4)2(OH)

6 }』の結晶で,その成分は K2O:11.4%,Al2O3:37.

0%,SO3:38.6%,H2O:13.0%である. アルミニウム

イオンは蛋白質と結合する作用があるので,収斂剤,抗

菌剤として使用されている20).また,「子宮脱墜」は『子

宮が下垂して膣外へ出た状態(子宮脱)』を指し,「子

宮翻覆」は『子宮内膜面が外側へ反転した状態』を指す.

「喜斯的里」は『ヒステリー(Hysterie)』の当て字であ

る22).

「③【産後子宮加答流(蓐熱性加答流)】

分娩ノ後ハ,子宮ノ粘膜胎盤ニ従テ剥離シ,腔内ニ大ナ

ル創面ヲ生シテ亳モ粘膜ヲ有セス.筋層ヲ被覆スル所ノ

粘膜下結締織全ク裸露シ,唯子宮頸部ニ於テ粘膜及ヒ内

皮ヲ有スル而己(故ニ此部ノミニ加答流ノ名ヲ下スヲ穏

當ナリトス).此粘膜ヨリ粘液様ノ膿ヲ分泌シ,子宮腔

内ヨリハ血様ノ稀液流泄ス.此加答流ハ分娩毎ニ必ス多

少発セサル 無ク,腔内更ニ新粘膜ヲ構成セサル際ハ,

荏苒持續シ,大抵三四週間ヲ費ヤス者トス.然レ 此加

答流ノ劇甚ナル者ニ在テハ,粘膜下結締織中ニ血液滲漏

ヲ來タシ,子宮ノ内面ニ褐色ノ侵蝕性腐肉ヲ生シテ,此

腐肉脱離スレハ,潰瘍ヲ貽シ,其部ノ静脉血塊ノ為ニ閉

塞シテ,組織内ニ漿液ヲ滲漏スルカ故ニ,子宮ノ全體盡

ク緩縦シ,外部ニ於テハ 唇ニ腫脹ヲ発ス.盖シ此症ヨ

リ 屡々蓐熱及ヒ膿熱ヲ発スル者トス.

『原因』

難産ニ由テ子宮及ヒ膣ニ挫傷若クハ創傷ヲ受クルニ由リ,

或ハ産後子宮内ニ胎盤若クハ胞衣ノ一片ヲ殘留スルニ由

リ,或ハ分娩後 部ヲ不潔ナラシムルニ由リ,又時ト ハ

流行性ト為テ,許多ノ産婦ヲ侵ス 有リ.之レニ在テハ

醫ノ手指或ハ器械,其媒介ト為テ,一婦ヨリ他婦ニ傳フ

ル 多シ.注意セサル可カラス.

『症候』

分娩後第二日ニ至テ,悪寒戦慄及ヒ發熱ヲ來タシ,漏泄

スル所ノ悪露ハ,可厭ノ臭氣ヲ放チ,或ハ其悪露全ク遏

止スル 有リ.伹シ軽症ニ在テハ,七八日ノ後ニ熱勢消

散シテ,常態ニ復スレ ,重症ニ在テハ,其熱愈々劇甚

ト為リ(摂氏四十度以上ニ及フ),下腹ニ疼痛ヲ發シ,

子宮ノ知覚ハ殊ニ敏捷ニ 按壓ニ堪ヘス,且ツ其子宮ハ

緩縦シテ收縮ノ機ヲ失フ.此如キ症ニ ,間々治ニ就ク

者無キニ非サレ ,多クハ窒扶斯状ノ症ヲ發シ,漸次ニ

虚脱ニ陥テ,譫妄及ヒ人事不省ト為リ,舌上乾燥シテ,

赤色ヲ呈シ,悪露ノ臭氣益々悪ム可ク,其中ニ粘膜若ク

ハ筋組織ノ腐片ヲ混出シ,遂ニ斃ルゝ者トス.

『治法』

膣内ニ微温湯或ハ加密列浸ヲ注射シ,悪臭アル者ニハ,

格魯児水,石炭酸水,過満俺酸加里水,撒里失児酸水 ヲ

以テ,丁寧ニ注射スル 一日三 ニ下ル可カラス.若シ膣

或ハ外 部ニ潰瘍ヲ生 糜爛スル者ハ,硝酸銀ヲ以テ之レ

ヲ焼灼ス可シ.而 子宮ノ疼痛ヲ治スルニハ,下腹ニ蝟

鍼ヲ貼シ,阿芙蓉ヲ内服セシメ,時々蓖麻子油ヲ投シテ

便通ヲ促カシ,間歇性ノ熱ヲ發スル者ニハ,規尼涅ヲ與

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フ可キ而己.畢竟此症ハ藥劑ノ能ク救ヒ得ヘキ者ナシ.」

「③【産後子宮カタル(産褥熱性カタル)】

分娩の後は,子宮の粘膜は胎盤に続いて剥離し,子宮

内膜面には大きな創面が形成されて,少しも粘膜を認め

なくなる.筋層を覆っている粘膜下結合織は完全に露出

し,ただ子宮頚部の部分に,粘膜および上皮細胞が認め

られるだけである(従って,この部分のみにカタルの名

称を付けるのが妥当なのである).この粘膜から粘液様

の膿が出てきて,子宮腔内からは血液様の薄い液が流出

する.このカタルは,分娩ごとに必ず多少は発生するも

ので,腔内側面に,改めて新粘膜が形成されない場合に

は,炎症は長期間持続し,大抵,3,4 週間はかかるもの

である.しかし,このカタルの激甚のものの場合には,

粘膜下結合織中に血液が浸漏し,子宮の内面に褐色の侵

食性腐肉が出来て,この腐肉が剥離すれば潰瘍を遺し,

その部分の静脈は血栓のために閉塞して,組織内に漿液

を浸漏するので,子宮全体が弛緩・膨隆して,外部では

陰唇に腫脹を起こす.一般に,この疾患から,しばしば

産褥熱および敗血症を起こすことがある.

『原因』

難産によって,子宮および膣が挫傷または創傷を受け

ることにより,あるいは産後,子宮内に胎盤または胞衣

の一部が残留することにより,あるいは分娩後に,陰部

を不潔にさせたことにより,また時には流行性となって,

多くの産婦を侵すことがある.この場合には,医師の手

指あるいは器械が,その媒介となって,一女性から他の

女性に伝染することが多い.注意しなければならない.

『症候』

分娩後第2日になって,悪寒戦慄及び発熱を来し,漏

洩する悪露(オロ)は嫌な臭気を放ち,あるいはその悪

露が完全に止まってしまうことがある.ただし,軽症の

場合には,7,8 日後に解熱して平常に戻るが,重症の場

合には,その熱は益々高くなって(40℃以上に及ぶ),

下腹部に疼痛を来し,子宮の知覚は特に過敏であって,

押さえる圧に耐え切れず,その上,その子宮は弛緩して

収縮の時機を失う.この様な症例では,時々治癒するも

のがないことはないが,多くの場合には,チフス様の症

状を来し,次第に虚脱に陥って,妄語を発したり意識不

明となって,舌は乾燥して赤色を呈し,悪露の臭気は益々

悪くなって,その中に粘膜または筋組織の壊死片が混在

し,ついには死亡するものである.

『治療法』

膣内に微温湯あるいはカミツレ浸液を注入し,悪臭あ

るものには,クロール水,石炭酸水,過マンガン酸カリ

溶液,サリチル酸液などを丁寧に注入することを,1日

3回以上行わなければならない.もし,膣あるいは外陰

部に潰瘍を形成して,びらんを認めたものには,硝酸銀

でそこを焼灼しなさい.そして,子宮の疼痛を治すには,

下腹部に吸い出しを貼り,阿芙蓉を内服させ,時々ヒマ

シ油を投与して便通を促し,間欠性の発熱を来すものに

は,キニーネの投与が出来るだけである.結局この疾患

は薬剤でうまく救えるものはない.」

ここで,「内皮」は『被蓋上皮細胞』を表す語句で,

現在使用されている『内皮細胞』とは異なり,扁平上皮

細胞,立方上皮細胞,円柱上皮細胞などの『被蓋上皮細

胞』を表している23).また,「荏苒(ジンゼン)」は,

時間が経過する状態を表す語で,『長引く』,『滞る』

などの訳を当てた.また,「腐肉(フニク)」は『壊死

組織』を指し,「胞衣(ホウイ,エナ)」は,胎盤,卵

膜などの胎児をとりまく構造物の総称である.「糜爛(ビ

ラン)」は,『広範囲に粘膜上皮細胞が脱落した状態』

を表す.「緩縦(カンジュウ)」は,『弛む,緩む』,

『緊張が解ける』などの意味をもつ語で,「蓐熱」は『産

褥熱』を,「膿熱」は『敗血症』を指している.「可厭

(カエン)」は『いやな状態を認める』の意味である24).

「過満俺酸加里」は『過マンガン酸カリウム(KMnO4)』

の当て字である.これは,その酸化作用により,防腐・

消毒薬として利用されている.「撒里失児酸」は『サリ

チル酸(C7H6O3)』の当て字である.これは,解熱・鎮

痛薬のほか,防腐・消毒に用いられている.「規尼涅」

は『キニーネ(Qunine)』の当て字で,これはアカネ科

の常緑樹の『キナ(Quina)』の樹皮から採取されるアル

カロイド(キニーネ:C20H24O2N2・3H2O) で,解熱剤,

抗マラリア剤などとして使用される25).

(ニ)子宮炎

「此症ハ子宮實質ノ發炎ニ ,之レヲ急性ト慢性トニ區

別ス.

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① 【急性炎】

急性炎ハ子宮腫脹 ,其組織赤色柔軟ト為リ,時ト ハ,

筋束間ニ血液ヲ滲漏シ,多クハ粘膜層及ヒ腹膜層モ同時

ニ侵襲セラルゝ者トス.又子宮ノ膣部ハ浮腫膨大シ,子

宮口ヨリハ膿様ノ粘液ヲ漏泄ス.而 此症ハ容易ク治ニ

就ク者アリ,或ハ腫瘍ニ轉シテ,直腸若クハ膀胱内ニ破

潰スル者アリ,或ハ慢性症ニ轉スル者アリ.盖シ此原因

ハ,月經ノ閉止,通經劑ノ過用,若クハ子宮ノ腫 (喩

ヘハ肉瘤, 肉,癌腫ノ如シ) ニ歸ス.

『症候』

初起ニ熾熱及ヒ子宮劇痛ヲ發シ,下腹ヲ按スレハ,其疼

痛甚シク増加シ,探宮シテ子宮頸ニ觸ルレハ,両股,腰

部,及ヒ臍部ニ射出状ノ疼痛ヲ覚ヘ,子宮加答流ニ比ス

レハ劇烈ニ ,屡々嘔吐ヲ發スル 有リ.其治ニ就ク者ハ,

大抵八日乃至十四日ニ 發熱減退シ,子宮及ヒ膣内ヨリ

多量ノ膿様粘液ヲ漏洩ス.然レ 醸膿ニ轉スル者ハ,悪

寒戦慄ヲ發シ,終ニ消耗熱ニ陥テ,身體漸次ニ衰弱シ,

其腫瘍ノ外部ニ破潰スルカ,或ハ虚脱ヲ以テ死スル迄ハ,

其熱止ム 無シ.

『治法』

先ツ防炎法ヲ施スヲ要ス.即チ下腹若クハ 部ニ蝟鍼ヲ

図 2 子宮炎

貼シ,膣内ニハ微温湯ヲ注射シ,内服ニハ甘汞,蓖麻子

油或ハ他ノ下劑ヲ與ヘ,床中ニ安臥セシムルニ宜シ.若

シ疼痛甚シキ者ニハ阿芙蓉ヲ與ヘ,悪寒戦慄スル者ハ,

腫瘍ニ轉スルノ兆ナルカ故ニ,琶布ヲ貼シ,或ハ温浴ヲ

施シテ,其破潰ヲ促カス ヲ努メ,兼テ上好ノ滋養食,

銕劑,幾那製劑ヲ與ヘテ,生力ヲ維持ス可シ.」

「この疾患は子宮実質の炎症であって,これを急性炎と

慢性炎とに分類する.

①【急性子宮炎】

急性子宮炎は子宮が腫脹し,その組織は赤色を呈して

軟らかくなって,時には筋層の間に血液が浸漏し,多く

の場合には,粘膜層および漿膜層とも同時に侵襲を受け

るものである.また,子宮の膣部には浮腫があって腫大

し,子宮口からは膿様の粘液が漏出する.そして,この

疾患では,簡単に治癒に向かうものがあるが,あるもの

では,膿瘍を作って,それが直腸や膀胱に破れることが

ある.また,あるものでは,慢性炎症に移行することが

ある.一般に,この疾患の原因は,月経閉止,通経剤の

過用あるいは子宮の腫瘤(例えば筋腫,ポリープ,癌腫

などである)などである.

『症候』

初期には,高熱および子宮の激痛を発症し,下腹部に

触るとその痛みは大きく増強し,内診によって子宮頚部

に触れれば,両股部、腰部および臍部に放散する痛みを

感じ,その痛みは子宮カタルの場合と比べると激烈であ

って,しばしば,嘔吐を伴うことがある.それが治癒す

るものは,およそ8日から 14 日で解熱傾向となり,子宮

内および膣内から多量の膿様粘液が漏出する.しかし,

一方,化膿するものは悪寒戦慄を来し,終りには,消耗

熱に陥って,だんだん身体が衰弱して,その膿瘍が外部

に向かって破裂するか,あるいは虚脱に陥って死亡する

までは,解熱することはない.

『治療法』

先ず,抗炎症療法を行う必要がある.即ち,下腹部あ

るいは陰部に吸い出しを貼り,膣内には微温湯を注入し,

内服として,甘汞,ヒマシ油あるいは他の下剤を投与し

て,床中に安静臥床させるのが良い.もし,疼痛が著し

い場合には阿芙蓉を投与し,悪寒戦慄を伴う場合には膿

瘍に移行する兆しであるので,パップを貼り,あるいは

温浴させて,それの破裂を促進する努力をし,併せて上

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質の栄養に富んだ食事,鉄剤,キナ製剤を与えて,精力

の維持を図りなさい.」

ここで,「甘汞」は,難溶性の『塩化第一水銀(Hg2

Cl2)』を指す.これは,内服すると,腸管内で,塩化第

二水銀(昇汞:HgCl2)に変化し,2価水銀イオンが腸管

の蠕動運動を促進するように作用するので,下剤として

使用された26). また,「幾那製劑」は『キナ(Quina)

製剤』の当て字である.キニーネ(Quinine:C20H24N2

O2・3H2O)を含み,主として解熱剤,抗マラリア剤とし

て使用される(規那,吉納の文字を当てることもある:

前項参照).

「②【慢性炎】

慢性炎ハ,筋組織間ノ結締織増殖シテ,子宮實質硬固灰

白色ト為リ,之レヲ截開スレハ,宛モ軟骨ヲ截ルカ如キ

一種ノ音ヲ發ス.而 子宮ノ全腔ハ尋常ヨリモ増大シ,

其底部ニ於テハ殊ニ著シク,膣部肥厚シテ,子宮口ハ開

シ,粘膜ニ加答流性炎ヲ發シ,或ハ屡々潰瘍状ヲ呈シ,

且ツ腹膜層モ亦慢性炎ヲ發シテ,近傍ノ諸器ニ癒着スル

有リ.盖シ此病ハ經久充血,房事過度若クハ數 ノ半産

後ニ發スル者トス.

『症候』

骨盤部ニ於テ重墜壓迫ヲ覚ヘ,起立及ヒ歩行ニ當テ殊ニ

甚シク,兼テ白帯下ニ罹ルヲ常トス.醫若シ一手ヲ以テ

恥骨上部ヲ按シ,一手ヲ以テ膣或ハ直腸ヨリ檢スレハ,

能ク子宮ノ増大シテ硬固ナルヲ觸知シ得ヘシ.然レ 其

形態ニ於テハ,常ニ異ナル 無シ.伹シ子宮鏡ヲ以テ檢

スレハ,膣部ノ腫脹シテ,子宮口ヨリ粘液ノ分泌スルヲ

見ル可シ.而 按壓及ヒ交接ニ當テハ,疼痛ヲ覚ヘ,月

経期ニ至レハ,骨盤中及ヒ薦骨部ニ重墜劇痛ヲ発シ,屡々

崩血ヲ來タス 有リ.若シ此病久シク持續スレハ,子宮

ノ血管,結締織荒蕪ノ為ニ閉塞スルカ故ニ,月經多クハ

閉止シ,若シ姙孕スル 有レハ,必ス墮胎及ヒ頑固ノ崩

漏ヲ續發シ,之レニ継テ急性炎ヲ發スル 屡々之レ有リ.

盖シ此病ハ危險ヲ招ク 無シト雖 ,全治ヲ得ル者ハ甚タ

少シトス.

『治法』

初起ニ在テハ,猶急性炎ニ於ルカ如ク,防炎法ヲ施シ,

其症既ニ慢性ト為ルニ至ラハ,月經期ノ患苦ヲ治スルニ,

膣内ノ微温湯(摂氏三十六度乃至二十八度)注射,及ヒ

温坐浴ヲ施シ,内服ニハ緩下劑(蓖麻子油,苦水,硫酸

曹達ノ類)ヲ與フ可シ.伹シ劇痛アル者ニハ,子宮口ニ

蝟鍼ヲ貼シ,又白帯下ヲ兼ル者ハ,貧血ニ陥リ易キヲ以

テ,銕劑及ヒ收斂藥ヲ用ヒサル可カラス.又結締織荒蕪

ヲ發スル者ニハ,内用ニ沃陳劑ヲ與ヘ,子宮口ニ沃度加

里軟膏ヲ貼ス可シ.又加答流ヲ治スルニハ,硝酸銀ヲ以

テ子宮腔内ヲ焼灼シ,又子宮頸緩縦シテ長ク懸垂スル者

ハ,之レヲ截断シテ可ナリ.若シ之レカ為ニ出血スル者

ニハ,烙銕或ハ止血藥ヲ用ヒ,又彈力性ノ絲ヲ以テ結縛

スレハ,三四日ニ ,自ラ脱落スル 有リ.」

「②【慢性子宮炎】

慢性子宮炎は筋層間に結合織が増生して子宮実質が硬

固となり,これを切開すると,あたかも軟骨を切る時の

様な一種の音が出る.そして,子宮の全内腔は通常より

も拡大し,それは底部で特に著しく,膣部は肥厚して,

子宮口は開大し,粘膜にカタル性炎症を認め,また,し

ばしば潰瘍状となり,その上,漿膜層も又慢性炎症を起

こして,近傍の諸臓器に癒着することがある.一般に,

この疾患は,長期うっ血,房事過多あるいは数回の流産

後などで発症するものである.

『症候』

骨盤内部に於いて,子宮の重圧感があり,これは起立

時および歩行時に殊に甚だしく,白色帯下の合併を認め

るのが普通である.もし医師が片手で恥骨上部を押さえ,

他方の手で膣あるいは直腸内診を行えば,子宮が硬く腫

大しているのが触知できる.しかし,その形態としては

普通と変わることはない.ただし,子宮鏡で観察すれば,

膣部が腫脹して,子宮口から粘液が流れ出るのが認めら

れる.そして,手で圧迫した時や性交の時に疼痛を訴え,

月経期になると,骨盤腔内および仙骨部に強い圧迫痛を

感じ,しばしば多量出血を来すことがある.もし,この

疾患が長期間持続すれば,子宮の血管は,結合織増生の

ために閉塞するので,多くの場合に月経は閉止し,もし

妊娠することがあっても,必ず流産および頑固な帯下が

続発し,それに続いて急性炎を起こすことがしばしばあ

る.一般に,この疾患は生命の危険を招くことはないが,

全治するものも非常に少ないものである.

『治療法』

初期の場合には,急性子宮炎の時と同様に,抗炎症療

法を施行し,既に慢性炎になっていれば,月経期の苦痛

を治すために,膣内に微温湯(36℃から 38℃)の注入お

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よび温坐浴を施行し,内服として緩下剤(ヒマシ油,苦

水,硫酸ソーダの類)を投与しなさい.ただし,激痛の

あるものには,子宮口に蝟鍼を貼り,また,白色帯下を

併発する場合には,貧血に陥りやすいので,鉄剤および

収斂剤を使用しなくてはならない.また,結合織増生を

来した場合には,内服としてヨード剤を与え,子宮口に

はヨードカリ軟膏を塗布しなさい.また,カタルを治す

には,硝酸銀で子宮腔内を焼灼し,また,子宮頚部が弛

緩して長く下垂する場合には,これを切断しても良い.

もし,その為に出血する場合には,焼きごて或いは止血

薬を使用し,また,弾力性のある糸で強く縛れば,3,4

日で自然に脱落することがある.」

ここで,「開 (カイシ)」は,『口を大きく開ける

こと』を意味する.「崩漏(ホウロウ)」は『おりもの

(帯下:白色,赤色)』の総称である.「苦水」は『苦

味チンキ(Tinctura amara)』を指し,また,「烙銕(ラ

クテツ)」は鉄製の棒を焼いて熱したもの(焼け火箸な

ど)を指す.「薦骨(センコツ)」は『仙骨(Sacrum)』

の旧名である27).

「③【蓐内子宮炎】

此症ハ子宮ノ筋組織ニ充血シ,漿液其間ニ浸潤シテ,子

宮壁之レカ為ニ弛緩シ,且ツ筋間結締織ノ數處ニ小腫瘍

ヲ發シ,殊ニ筋層ノ外部,腹膜層ノ近傍ニ醸膿シテ,腹

膜ト子宮ノ間ニ於ケル結締織ニ蔓延シ,加之子宮頸,圓

靱帯及ヒ膣ヲ圍擁スル所ノ結締織ニモ波及シ,更ニ腸骨

窩及ヒ小骨盤内ノ結締織ニ連累シテ,骨盤ノ腫瘍ヲ發ス

ルニ至ル者トス.而 子宮壁ノ腫瘍ハ屡々子宮腔,直腸,

膀胱,若クハ腹膜腔内ニ破潰シ,又其一分ハ吸收セラレ

テ,尓後筋層内ニ乾酪状ノ凝塊ヲ殘留スル 有リ.盖シ

此病ハ分娩ニ當テ,子宮ニ挫傷ヲ蒙ムリ,或ハ子宮頸ノ

破裂スルニ由リ,或ハ胎盤若クハ胞衣ノ一片殘留シテ腐

敗スルニ由リ,或ハ此病時々流行性ト為テ発スル 有リ.

喩ヘハ許多ノ産婦ヲ,産室内ニ雜居セシムル時ノ如シ.

『症候』

此病ハ産後第二日ニ,悪寒戦慄,継テ劇熱ヲ發シ,子宮

部ヲ按スレハ,疼痛ヲ覺ヘ,時ト ハ其疼痛尤モ甚シク,

悪露必ス減少ス.膣内ヨリ檢スルニ,初メハ子宮組織中

ニ,硬固ノ腫脹ヲ觸ル可ク,尓後骨盤ノ結締織ニ蔓延シ

テ醸膿スレハ,其腫脹子宮ノ側傍ニ在テ,子宮之レカ為

ニ他側ニ傾轉スルヲ觸知ス可シ.又屡々膣壁ニモ一個若

クハ數個ノ腫脹ヲ觸ルゝ 有リ.而 患婦ハ兩股,直腸及

ヒ膀胱部ニ射出状ノ疼痛ヲ覚ヘ,或ハ知覚神経ヲ壓迫ス

ルニ由テ,蟻走若クハ鈍麻ヲ覚ユル 有リ.通常此硬固

ナル腫脹ハ,久シク減セスト雖 ,時ト ハ其部位ヲ変ス

ル 有リ.喩ヘハ初メ左側ニ有レ ,後ニハ右側ニ於テ之

レニ觸ルゝカ如シ.是レ一側ニ於テ吸收セラレ,更ニ他

側ニ於テ腫瘍ヲ発スルノ致ス所ナリ.伹シ二三週ヲ経過

スレハ,熱勢滅却シテ間歇性ト為リ,此時ニ至レハ,彼

此ノ部ニ波動ヲ生シ,其膿大便若クハ小便ニ混出スル

有リ.或ハ『ポーパルト』靱帯ノ部ニ破潰スル 有リ.

此ノ如クシテ其膿一旦排泄スル ヲ得レハ,速ニ 快ヲ覚

ユル者トス.然レ 若シ腹腔内ニ破潰スレハ,腹膜炎ヲ

續発シ,経過ヲ 甚タ不幸ナラシム.或ハ子宮ノ静脉中

ニ腐膿ヲ吸收シテ,膿熱ヲ發スルモ亦不幸ヲ免カレス.

但シ此ノ如ク不幸ニ経過スル者ハ甚タ罕レニ ,多クハ

治ニ就ク者トス.

『治法』

初起ニ在テハ,專ラ防炎法ヲ施スヲ要ス.即チ下腹ニ寒

罨法ヲ施シ,恥骨上部ニ蝟鍼或ハ血角ヲ貼シ,按臥及ヒ

減食ヲ命シ,且ツ下劑(甘汞,苦水ノ類)ヲ與フ可シ.

既ニ 發熱減退シ,腫脹猶殘留スル者ニハ,沃陳丁幾ヲ

塗布シ,或ハ芫菁膏ヲ貼シ,内服ニハ沃度加里ヲ與ヘテ,

消散ヲ促カスニ宜シ.若シ時々寒熱ノ發作アル者ハ,醸

膿己ニ始マルノ徴トス.之レニ於テハ,防炎法ヲ施スモ,

其益アル 無シ.宜シク温琶布ヲ貼シ,膣内ニハ温湯ヲ

注射シテ破潰ヲ促カシ,滋養食及ヒ葡萄酒ヲ與ヘ,規尼

涅若クハ幾那皮ヲ用テ,生力ヲ保固シ,兼テ蓐内ニ安護

ス可シ.而 著シク波動ヲ觸ルゝニ至ラハ,套管鍼ヲ刺

シ,排氣喞筒ヲ接シテ,其膿ヲ漏泄セサル可カラス.但

シ之レヲ施スモ,猶其膿ヲ盡シ難キ ハ,廣ク之レヲ截

開スルヲ要ス.」

「③【蓐内子宮炎】

この疾患は子宮の筋組織にうっ血を来し,漿液がその

間に浸潤して,その為に子宮壁が弛緩し,その上,筋層

間の結合織の数か所に,小腫瘤が出来て,殊に筋層の外

側部腹膜層に近いところが化膿し,腹膜と子宮の間に線

維化が拡がって,それに加えて,子宮頚部,円靱帯およ

び膣を取り巻く結合織にも波及し,更に腸骨窩および小

骨盤内の結合織にも及んで,骨盤内膿瘍を形成してしま

うものである.そして,子宮壁の膿瘍はしばしば子宮腔

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内,直腸内,膀胱内あるいは腹膜腔内に穿破し,また,

その一部は吸収されて,その後,筋層内にチーズ状の凝

塊を残すことがある.一般に,この疾患は分娩時に子宮

の挫傷があることによって起こるか,子宮頚部が損傷す

ることによって起こるか,あるいは,胎盤または胞衣の

一片が子宮内に残留して腐敗することによって起こる.

また,この疾患は,時々流行性となって発症することが

ある.例えば,多くの産婦を産室内に雑居させた場合な

どである.

『症候』

この疾患は,産後第2日に悪寒戦慄があり,続いて高

熱を来し,子宮部分に触れば疼痛を訴え,時にはその疼

痛が も顕著であって,必ず悪露は減少する.膣内から

調べると,初めは子宮組織中に硬い腫瘤を触れるが,そ

の後,骨盤腔内の結合組織中に拡がって化膿すれば,そ

の膿瘍は子宮の側面にあるので,その為に子宮が他側方

へ傾くのを触知することが出来る.また,しばしば,膣

壁にも,1個あるいは数個の膿瘍を触れることがある.

そして,患婦は両股,直腸および膀胱の部分に放散する

疼痛を感じ,あるいは知覚神経を圧迫するので,蟻走感

または知覚鈍麻を自覚することがある.普通,この頑固

な腫脹は長い間小さくならないが,時には,その部位が

変わることがある.例えば,初めは左側に存在したもの

が,後には右側に触れることがあるなどである.これは,

一側に出来たものが吸収され,その後,他側に膿瘍が形

成されたからである.ただし,2,3 週間も経過すれば,

熱の勢いは減退して間欠性となり,この時期になれば,

あちらこちらの部分に波動を認め,その膿が便や尿中に

混出することがある.また,膿がポーパルト靱帯(鼠径

靱帯)の部分に破潰することがある.この様にして,そ

の膿が一旦排泄することが出来れば,速やかに軽快感を

自覚するものである.しかし,もし腹腔内に破裂すれば,

腹膜炎を続発して,非常に不幸な経過をとることになる.

また,子宮の静脈中に腐敗膿が吸収されて,敗血症を発

症する場合も又不幸な転帰を免れない.ただし,この様

な,不幸な経過をたどるものは非常に稀であって,多く

のものは治癒に向かうものである.

『治療法』

初期の場合には,抗炎症療法を行うことに専念する必

要がある.即ち,下腹部に寒罨法を行い,恥骨上部に蝟

鍼あるいは血角を当て,安静臥床および減食を命じ,又,

下剤(甘汞,苦水の類)を与えなさい.既に,熱の勢い

が減退していて,なお子宮の腫脹が残っている場合には,

ヨードチンキを塗布するかカンタリス膏を貼り,内服と

してヨードカリを投与して,その消散を促すのが良い.

もし,さむけを伴う発熱発作を起こした場合には,化膿

が既に始まっている徴候である.この場合には,抗炎症

療法を行ってもその効果は無く,上手に温パップを貼っ

て,膣内に温湯を注入して,膿瘍の破裂を促し,栄養食

およびブドウ酒を与えて,キニーネまたはキナ皮を使用

して精力を保護し,併せて褥内に安静養護しなさい.そ

して,明白な波動を触れる様になれば,套管鍼を刺して,

これに排気ポンプを接続して、その膿を排出しなければ

ならない.ただし,これらの治療法を行っても,なお,

その膿の全てを排出できない時は,広く切開する必要が

ある.」

ここで,「圓靱帯」は子宮周囲にある靱帯のひとつで

ある『円靱帯(Round ligament)』を指す.また,「悪

露」は『分娩後に排出される壊死組織』の総称である.

また,「蟻走(ギソウ)」は『皮膚の上を蟻が歩き回る』

時の,『むずむずした感じ』を表現した語句である.ま

た,「芫菁」は『カンタリス(Cantharidae)』 を指し,

これは地胆(ジョウカイボン)科動物(昆虫)の『マメ

ハンミョウ(Epicanta gorhami)』あるいは『アオハン

ミョウ(Cantharis vesicatoria)』をまるごと乾燥さ

せて粉末にしたもので,カンタリジン(Cantharidin:C

10H8O4)などを含み,軟膏,硬膏などとして,皮膚刺激

薬,発泡薬などとして使用された28).

参考文献

1)亞爾蔑嗹斯:「日講記聞 原病學各論 巻十二(高橋

正純,譯,岡澤貞一郎,校)」,大阪府病院藏版,1876.

2)松 宏,近藤 陽一,他:山野研究紀要,第 16 号,p.

57-66,2008.

3)新村 出,編:言林,p.892,全国書房,京都,1953.

4)宛字外来語辞典編集委員会,編:宛字外来語辞 典,p.

169,p.207,柏書房,東京,1998.

5)加藤勝治:医学英和大辞典,p.589,南山堂,東京,1976.

6)原 三郎:藥理學入門,p.202,南山堂,東京, 1959.

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7)富山医科薬科大学和漢薬研究所,編:和漢薬の事典,p.

51,朝倉書店,東京,2002.

8)原 三郎:藥理學入門,p.242,南山堂,東京,1959.

9)加藤勝治:医学英和大辞典,p.667,p.900,p.1107,南山

堂,東京,1976.

10)樫村清徳,纂輯:新纂藥物學,巻之五(藁科松伯,校訂),

p.11-20,英蘭堂,東京,1877.

11)原 三郎:藥理學入門,p.245-246,南山堂, 東京,

1959.

12)松 宏,近藤陽一,他:三重県立看護大学紀要,

第 10 巻,p.15 ー 26,2006.

13)富山医科薬科大学和漢薬研究所,編:和漢薬の事典,

p.187-189,朝倉書店,東京,2002.

14)加藤勝治:医学英和大辞典,p.871,南山堂,東京,1976.

15)富山医科薬科大学和漢薬研究所,編:和漢薬の事典,p.

175-177,朝倉書店,東京,2002.

16)加藤勝治:医学英和大辞典,p.1338,南山堂,東京,

1976.

17)富山医科薬科大学和漢薬研究所,編:和漢薬の事典,p.

316-317,朝倉書店,東京,2002.

18)加藤勝治:医学英和大辞典,p.1367,南山堂,東京,

1976.

19)加藤勝治:医学英和大辞典,p.538,南山堂,東京,1976.

20)富山医科薬科大学和漢薬研究所,編:和漢薬の事典,

p99-100,p.243-244,朝倉書店,東京,2002.

21)加藤勝治:医学英和大辞典,p263-264.,南山堂,東京

1976.

22)宛字外来語辞典編集委員会,編:宛字外来語辞典,

p.126,p.323,柏書房,東京,1998.

23)松 宏:三重県立看護短期大学紀要,第 15巻,

p.35-37,1994.

24)新村 出,編:言林,p.283,全国書房,京都,1953.

25)富山医科薬科大学和漢薬研究所,編:和漢薬の事典,

p.66,朝倉書店,東京,2002.

26)原 三郎:藥理學入門,p.203,南山堂,東京,1959.

27)新村 出,編:言林,p.366,全国書房,京都,1953.

28)長崎大学薬学部,編:出島のくすり,p.68,九州大学出

版会,福岡,2000.

29)日本医学百年史刊行会,編:日本醫學百年史(非売品),

p.114-115,臨床医学社,東京,1957.

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編集後記

本学園は平成23年に学校名を東京文化短期大学から新渡戸文化短期大学に変更した。

東京文化短期大学紀要は第27号が 終号となり、平成23年度からは新渡戸文化短期大

学学術雑誌として創刊することになった。今回、記念すべき創刊号に投稿することができ、

加えて編集に携わることができたことをうれしく思っている。

新たな学術雑誌を諸先生方のご指導のもと本誌を発行し、育てていきたいと考えている。

(臨床検査学科 柴田 明佳)

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編 集 委 員

委 員 長 柴 田 明 佳

委 員 森 本 晴 生

永 房 典 之

2011 年 3 月 3 日 印 刷 2011 年 3 月 10 日 発 行

新渡戸文化短期大学学術雑誌 第 1 号(創刊号)

発 行 人 中 原 英 臣 東京都中野区本町 6-38-1 電 話 03(3381)0196 F A X 03(3381)7866 http://www.nitobebunka.jp/tandai/

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JOURNAL OF N

CONTENTS

《Articles》

Reduction of the risk in-staining) -Examination -

OGATA Takao, YOK

TAKASHIMA Mar

Crisis-management in mi

SHIBATA Akiyosh

KANO Ichiko

KONDO Y

On Particular Patho

MATSUKAGE Hirosh

MATSU

On Particular Patho

MATSUKAGE Hiroshi.

MATS

NITOBE BUNNKA COLLEG

Vol.Ⅰ

201 1

n the pathology organization stainin- about the need of the hazardous mat

KOO Tomoko, KUMAGAI Yuko. ISHIBASH

ri, TAKAHAMA Makiko, FUJITA Kazuhiro

icroorganism inspection study practicof nitobebunka college

hi MURAMATSU Mitsuru MORITA Koji

KASAI Miyoko. TAKASHIMA Mari.

Yoichi. NAKAHARA Hideomi.

ology-A Lecture on Ermerins-(38)

hi. KONDO Yoichi. MATSUKAGE Tak

UKAGE Kinko. KONDO Yohei.

ology-A Lecture on Ermerins-(39)

KONDO Yoichi. MATSUKAGE Takashi

SUKAGE Kinko. KONDO Yohei.

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