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至沼津 函南 東海道本線 松並木 松並木 至沼津IC 伊豆 縦貫自動車道 笹原山中バイパス (山中地区) 国道1号線 三島駅 (南口) 三嶋大社前 川原ヶ谷 公民館前 「箱根路」の石碑 笹原一里塚 雲助徳利の墓 山中一里塚 接待茶屋跡 箱根峠 山中城跡 雲助備前繁の墓 三ッ谷下 見晴学園 三島スカイウォーク 山中城跡 接待茶屋 三ッ谷 馬坂口 松雲寺前 市の山 笹原 山中 芦ノ湖カントリー入口 箱根峠 農場前 富士見ヶ丘 鞍掛の石 鞍掛の石 錦田一里塚 錦田一里塚 錦田一里塚 錦田一里塚 題目碑 題目碑 馬頭観音 馬頭観音 道祖神 馬頭観音像 道祖神 馬頭観音像 三島塚原IC 三島塚原IC 石原坂 甲石坂 下長坂 (こわめし坂) 題目坂 臼ころげ坂 (恋し坂) 愛宕坂 小時雨坂 大時雨坂 今井坂 大枯木坂 宗福寺 宗福寺 阿弥陀堂願海庵跡 阿弥陀堂願海庵跡 山神社 山神社 八里記念碑 (井上靖) 八里記念碑 (井上靖) 道の駅 箱根峠 道の駅 箱根峠 脚気地蔵 脚気地蔵 国道箱根坂路 改築記念碑 国道箱根坂路 改築記念碑 茨ヶ平 茨ヶ平 八ッ手観音 八ッ手観音 甲石 甲石 明治天皇 御小休跡碑 明治天皇 御小休跡碑 徳川有徳公遺跡碑 徳川有徳公遺跡碑 念仏石 念仏石 宗閑寺 宗閑寺 駒形諏訪神社 駒形諏訪神社 矢立杉 大カシ 矢立杉 大カシ (障子堀) (障子堀) 山中城跡 山中城跡 明治天皇御小休跡 明治天皇御小休跡 明治天皇休息碑 明治天皇休息碑 火の見やぐら 火の見やぐら 庚申供養塔 庚申供養塔 山中城跡石碑 山中城跡石碑 芝切地蔵堂 芝切地蔵堂 田尻の池 田尻の池 八里記念碑 (東山魁夷) 八里記念碑 (東山魁夷) 八里記念碑 (大岡信) 八里記念碑 (大岡信) 八里記念碑 (鈴木宗忠老師) 八里記念碑 (鈴木宗忠老師) 坂小学校 坂公民館 伊豆フルーツパーク 伊豆フルーツパーク 初音入口 初音入口 大根の碑 大根の碑 八里記念碑(司馬遼太郎) 八里記念碑(司馬遼太郎) 石仏 石仏 一本杉 一本杉 富士見平 富士見平 普門庵 普門庵 供養塚 供養塚 芦ノ湖 箱根旧街道 入口案内板 箱根旧街道 入口案内板 芭蕉の句碑 芭蕉の句碑 甲石跡 甲石跡 (かみなり坂) 案内休憩所 案内休憩所 案内休憩所 スタンプラリー スタンプラリー スタンプラリー スタンプラリー カーシェア ステーション 乗り捨て専用 カーシェア ステーション 山中城案内所・売店 山中城案内所・売店 山中公民館 山中公民館 函南原生林入口 箱根エコパーキング 箱根エコパーキング 1 一柳庵跡 一柳庵跡 松雲寺 松雲寺 山神社 山神社 六地蔵 六地蔵 山神社 山神社 法善寺 法善寺 三嶋大社 三嶋大社 仮設 仮設 仮設 上長坂 国土交通省 旧東海道「箱根八里」街道資源の観光化に向けた交通体系強化社会実験 「 箱 根 八 里 」西 坂 めぐり モデルマップ 箱根八里記念碑 この記念碑は、東海道400年を記念して文化人 の方々に揮毫していただいたもので、旧街道の 要所にあります。かつての大街道としての東海 道の役割から、今後散策の道として『箱根八里』 が復活することを願い造られたもので、ここに は井上靖氏の記念碑があります。 八ツ手観音 (馬頭観音) 八本の手を持つ馬頭観音は、高さが約50センチ 程の石像で冠には馬頭が刻まれています。当時 は馬が交通機関であり労働力であったことか ら、大きな財産として大切にされていました。道 中の安全を祈願して祀られたとされます。 脚気地蔵 (別名「親知らず地蔵」) 道中で脚気の病を負った実の父親とも知らず、 金欲しさのあまり父親を刺し殺してしまった息 子と父との不運なめぐり合わせを悼み、村人に よってこの供養碑が建てられました。『脚気』の 病に効くと言い伝えられています。 箱根峠~接待茶屋跡 所要時間 25 雲助徳利の墓 雲助の頭役として同輩から親 しまれていた松谷久四郎(雲 助の時の名を久助)の墓とい われ、終生酒を愛したことから 墓石に徳利と杯が浮き彫りに されています。 念仏石 石原坂を下る途中に、北側につ きでた大きな岩は『念仏岩』と 呼ばれ、前の自然石に「南無阿 弥陀仏・宋閑寺」と刻んだ碑が あります。行き倒れの旅人らを 供養して建てられたものと言わ れています。 甲石 山中一里塚~雲助徳利の墓 所要時間 45 宗福寺 伊豆霊場巡りの札所のひとつとなってい る寺。『地天正十八年ノ古戦場ナルヲ以テ 戦死者追福ノ為創立ス云々』とあり、寺域 や付近の民地より戦に因む武具などが多 数出土したと伝えられています。 「箱根八里」と呼ばれる箱根旧街道は、江戸時代初めに徳川幕府が整備した東海道の一部です。 標高約10mの小田原宿から箱根宿に至り、標高846mの箱根峠を登って標高約25mの三島宿ま で下る八里(約32 km)の峠道です。 この道は「箱根の山は天下の険」と歌にも唄われたように、東海道第一の難所といわれました。 「箱根八里」のうち小田原宿から箱根の関所までを「東坂」と呼び、箱根の関所から箱根峠を越え三 島宿までの区間を「西坂」と呼びます。 「箱根八里」の「東坂」が深山幽谷の道であるのに対して、「西坂」は駿河湾と富士山を望む眺望の 道です。 杉並木や一里塚、石畳など各所に残る街道の面影を訪ね、江戸の旅人に思いをはせながら「箱 根八里」の街道旅をお楽しみください。 六地蔵 地蔵堂の境内に祀られており、地獄信仰の 六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六 界)を表しているとされています。お堂の中 の地蔵尊は、火事がないように毎晩夜まわ りをすると言い伝えられています。 法善寺・題目碑 元禄6年(1693年)に境妙院日宗上人 によって開かれた日蓮宗の寺。境内に は題目碑、七面の石燈籠、宝篋印塔が 残されており、村を疾病から守るとい う帝釈天が祀られています。 笹原一里塚~「箱根路」の石碑 所要時間 55 宗閑寺 山中城主であった松田康長を はじめとする北条方と豊臣方 双方の墓があります。境内には 隠れキリシタンのものと伝えら れる十字架形模様が入れられ た墓があります。 山中城跡 永禄年間(1560年代)小田原城を防備する ための山城として創築され、豊臣秀吉の率 いる大軍の前にわずか半日で落城したとい われる悲劇の城です。現在は史跡公園とし て復元整備され、富士山・駿河湾をはじめと する雄大な自然を一望できます。 駒形諏訪神社 山中新田の氏神様で、社殿の 後には幹の周囲3メートルあま りの矢立て杉と、樹齢百年とい われる静岡県指定の天然記念 物の大カシがあります。 山中城跡~上長坂 所要時間 50 三嶋大社 源頼朝が源氏再興を祈願し、旗揚げをした三嶋大 社。社殿は総欅の素木の権現造りで、古くから東海 道の旅人や三島宿の住民に崇敬されてきた大社で す。源頼朝が写経したという般若心経など、宝物館 には重要文化財が多数保存されています。 鞍掛の石 川原ヶ谷宝鏡院の入口左右に 一対あります。昔は馬乗り石と 言い、北にある川原ヶ谷神社に 参詣する人が、ここで馬に乗っ たと伝えられています。 雲助備前繁の墓 かん のん ばとうかんのん かっ ぞう くも すけ どっくり はか ねん ぶつ いし いし かぶと そう ふく ろく ぞう ほう ぜん だい もく そう やま こま かん なか がた じょう あと じん じゃ しま たい しゃ くら かけ いし くも すけ ぜん しげ はか 雲助備前繁は、街道で知られた 有名な暴れ者で、参勤交代の大 名の人足頭に無礼をはたらい て切られ、今井坂で息絶えたと 伝えられています。 雲助備前繁の墓~三嶋大社 所要時間 45 山中城跡 市山からの富士山 甲石 松尾芭蕉の句碑と富士山 雲助徳利の墓 山中城跡付近の杉並木、石畳道 宗閑寺 笹原新田の旧東海道 錦田一里塚 三島スカイウォーク 箱根八里記念碑(井上靖) 笹原一里塚 八ツ手観音 六地蔵 箱根八里 西坂の風景 三嶋大社 「箱根路」の石碑 所要時間は史跡や風景を眺めながら歩くことを想定しています。目安としてご利用ください。 ← 坂路(石畳) 芦ノ湖 豊臣秀吉が小田原城を攻めた 際、あまり急な坂なので休息し 兜をこの石に置いたことから 『甲石』と名付けられたとされ ます。昭 和 初 期 の 国 道 工 事 の 時、上部を切り取って現在の所 へ移したと言われます。 箱根八里街道観光推進協議会 社会実験委員会(事務局三島市商工観光課観光政策室) マップ作成協力NPO法人全国街道交流会議、街道観光推進会議 三島スカイウォーク 三島スカイウォーク

が復活することを願い造られたもので、ここに 「箱根八里」 …...道の役割から、今後散策の道として『箱根八里』 が復活することを願い造られたもので、ここに

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Page 1: が復活することを願い造られたもので、ここに 「箱根八里」 …...道の役割から、今後散策の道として『箱根八里』 が復活することを願い造られたもので、ここに

至小田原

箱根町

至沼津

至 函南東海道本線

松並木松並木

至沼津IC

伊豆縦貫自動車道

笹原山中バイパス(山中地区)

国道1号線

三島駅(南口)

三嶋大社前

川原ヶ谷

公民館前

「箱根路」の石碑

笹原一里塚

雲助徳利の墓

山中一里塚

接待茶屋跡

箱根峠

山中城跡

雲助備前繁の墓

三ッ谷下

見晴学園

三島スカイウォーク山中城跡

接待茶屋

三ッ谷

馬坂口松雲寺前

市の山

笹原

山中

芦ノ湖カントリー入口

箱根峠

農場前

富士見ヶ丘

鞍掛の石鞍掛の石

錦田一里塚錦田一里塚

錦田一里塚錦田一里塚

題目碑題目碑馬頭観音馬頭観音

道祖神 馬頭観音像道祖神 馬頭観音像

三島塚原IC三島塚原IC

石原坂

甲石坂

下長坂(こわめし坂)

題目坂

臼ころげ坂(恋し坂)

愛宕坂

小時雨坂大時雨坂

今井坂

大枯木坂

宗福寺宗福寺

阿弥陀堂願海庵跡阿弥陀堂願海庵跡

山神社山神社

八里記念碑(井上靖)八里記念碑(井上靖)

道の駅箱根峠道の駅箱根峠

脚気地蔵脚気地蔵

国道箱根坂路改築記念碑国道箱根坂路改築記念碑

茨ヶ平茨ヶ平

八ッ手観音八ッ手観音

甲石甲石明治天皇御小休跡碑明治天皇御小休跡碑

徳川有徳公遺跡碑徳川有徳公遺跡碑

念仏石念仏石

宗閑寺宗閑寺

駒形諏訪神社駒形諏訪神社

矢立杉大カシ矢立杉大カシ

(障子堀)(障子堀)山中城跡山中城跡

明治天皇御小休跡明治天皇御小休跡

明治天皇休息碑明治天皇休息碑

火の見やぐら火の見やぐら

庚申供養塔庚申供養塔

山中城跡石碑山中城跡石碑

芝切地蔵堂芝切地蔵堂

田尻の池田尻の池

八里記念碑(東山魁夷)八里記念碑(東山魁夷)

八里記念碑(大岡信)八里記念碑(大岡信)

八里記念碑(鈴木宗忠老師)八里記念碑

(鈴木宗忠老師) 坂小学校

坂公民館

伊豆フルーツパーク伊豆フルーツパーク初音入口初音入口

大根の碑大根の碑

八里記念碑(司馬遼太郎)八里記念碑(司馬遼太郎)

石仏石仏

一本杉一本杉

富士見平富士見平

普門庵普門庵

供養塚供養塚

芦ノ湖

初音台

塚原新田

三ツ谷新田

山中新田

笹原新田

市山新田

 

箱根旧街道入口案内板箱根旧街道入口案内板

芭蕉の句碑芭蕉の句碑

甲石跡甲石跡

(かみなり坂) 案内休憩所

案内休憩所

案内休憩所

スタンプラリー

スタンプラリー

スタンプラリー

スタンプラリーカーシェアステーション

乗り捨て専用

カーシェアステーション

山中城案内所・売店山中城案内所・売店

山中公民館山中公民館

函南原生林入口

箱根エコパーキング箱根エコパーキング

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一柳庵跡一柳庵跡

松雲寺松雲寺

山神社山神社

六地蔵六地蔵

山神社山神社

法善寺法善寺

三嶋大社三嶋大社

仮設

仮設

仮設

上長坂

国土交通省 旧東海道「箱根八里」街道資源の観光化に向けた交通体系強化社会実験

「箱根八里」西坂めぐり      モデルマップ

箱根八里記念碑この記念碑は、東海道400年を記念して文化人の方々に揮毫していただいたもので、旧街道の要所にあります。かつての大街道としての東海道の役割から、今後散策の道として『箱根八里』が復活することを願い造られたもので、ここには井上靖氏の記念碑があります。

八ツ手観音(馬頭観音)八本の手を持つ馬頭観音は、高さが約50センチ程の石像で冠には馬頭が刻まれています。当時は馬が交通機関であり労働力であったことから、大きな財産として大切にされていました。道中の安全を祈願して祀られたとされます。

脚気地蔵(別名「親知らず地蔵」)道中で脚気の病を負った実の父親とも知らず、金欲しさのあまり父親を刺し殺してしまった息子と父との不運なめぐり合わせを悼み、村人によってこの供養碑が建てられました。『脚気』の病に効くと言い伝えられています。

箱根峠~接待茶屋跡 所要時間25分

雲助徳利の墓雲助の頭役として同輩から親しまれていた松谷久四郎(雲助の時の名を久助)の墓といわれ、終生酒を愛したことから墓石に徳利と杯が浮き彫りにされています。

念仏石石原坂を下る途中に、北側につきでた大きな岩は『念仏岩』と呼ばれ、前の自然石に「南無阿弥陀仏・宋閑寺」と刻んだ碑があります。行き倒れの旅人らを供養して建てられたものと言われています。

甲石

山中一里塚~雲助徳利の墓 所要時間45分

宗福寺伊豆霊場巡りの札所のひとつとなっている寺。『地天正十八年ノ古戦場ナルヲ以テ戦死者追福ノ為創立ス云々』とあり、寺域や付近の民地より戦に因む武具などが多数出土したと伝えられています。

 「箱根八里」と呼ばれる箱根旧街道は、江戸時代初めに徳川幕府が整備した東海道の一部です。標高約10mの小田原宿から箱根宿に至り、標高846mの箱根峠を登って標高約25mの三島宿まで下る八里(約32km)の峠道です。 この道は「箱根の山は天下の険」と歌にも唄われたように、東海道第一の難所といわれました。「箱根八里」のうち小田原宿から箱根の関所までを「東坂」と呼び、箱根の関所から箱根峠を越え三島宿までの区間を「西坂」と呼びます。 「箱根八里」の「東坂」が深山幽谷の道であるのに対して、「西坂」は駿河湾と富士山を望む眺望の道です。 杉並木や一里塚、石畳など各所に残る街道の面影を訪ね、江戸の旅人に思いをはせながら「箱根八里」の街道旅をお楽しみください。

六地蔵地蔵堂の境内に祀られており、地獄信仰の六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六界)を表しているとされています。お堂の中の地蔵尊は、火事がないように毎晩夜まわりをすると言い伝えられています。

法善寺・題目碑元禄6年(1693年)に境妙院日宗上人によって開かれた日蓮宗の寺。境内には題目碑、七面の石燈籠、宝篋印塔が残されており、村を疾病から守るという帝釈天が祀られています。

笹原一里塚~「箱根路」の石碑 所要時間55分

宗閑寺山中城主であった松田康長をはじめとする北条方と豊臣方双方の墓があります。境内には隠れキリシタンのものと伝えられる十字架形模様が入れられた墓があります。

山中城跡永禄年間(1560年代)小田原城を防備するための山城として創築され、豊臣秀吉の率いる大軍の前にわずか半日で落城したといわれる悲劇の城です。現在は史跡公園として復元整備され、富士山・駿河湾をはじめとする雄大な自然を一望できます。

駒形諏訪神社山中新田の氏神様で、社殿の後には幹の周囲3メートルあまりの矢立て杉と、樹齢百年といわれる静岡県指定の天然記念物の大カシがあります。

山中城跡~上長坂 所要時間50分

三嶋大社源頼朝が源氏再興を祈願し、旗揚げをした三嶋大社。社殿は総欅の素木の権現造りで、古くから東海道の旅人や三島宿の住民に崇敬されてきた大社です。源頼朝が写経したという般若心経など、宝物館には重要文化財が多数保存されています。

鞍掛の石川原ヶ谷宝鏡院の入口左右に一対あります。昔は馬乗り石と言い、北にある川原ヶ谷神社に参詣する人が、ここで馬に乗ったと伝えられています。

雲助備前繁の墓

や つ で かん のんばとうかんのん

かっ け じ ぞう

くも すけ どっくり はか ねん ぶつ いし いしかぶと

そう ふく じ ろく じ ぞう ほう ぜん じ だい もく ひ

そう やま こまかん なか がたじ じょう すあと わ じん じゃ

み しま たい しゃ くら かけ いし くも すけ び ぜん しげ はか

雲助備前繁は、街道で知られた有名な暴れ者で、参勤交代の大名の人足頭に無礼をはたらいて切られ、今井坂で息絶えたと伝えられています。

雲助備前繁の墓~三嶋大社 所要時間45分

山中城跡

市山からの富士山

甲石松尾芭蕉の句碑と富士山

雲助徳利の墓

山中城跡付近の杉並木、石畳道

宗閑寺

笹原新田の旧東海道錦田一里塚

三島スカイウォーク

箱根八里記念碑(井上靖)

笹原一里塚 八ツ手観音

六地蔵

箱根八里 西坂の風景

三嶋大社

「箱根路」の石碑所要時間は史跡や風景を眺めながら歩くことを想定しています。目安としてご利用ください。 ← 坂路(石畳)

芦ノ湖

豊臣秀吉が小田原城を攻めた際、あまり急な坂なので休息し兜をこの石に置いたことから『甲石』と名付けられたとされます。昭和初期の国道工事の時、上部を切り取って現在の所へ移したと言われます。

箱根八里街道観光推進協議会 社会実験委員会(事務局 : 三島市商工観光課観光政策室) マップ作成協力 : NPO法人全国街道交流会議、街道観光推進会議

三島スカイウォーク三島スカイウォーク