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1 1 北欧三都市紀行 ○ プロローグ 今回のコペンハーゲン、オスロ、ストックホルムの北欧三都市の計画は、至っ て早い。中国の張家界に、行く前から(2014年10月)、航空券もホテルも 押さえていたので、未だ、円安になる前なので、相当得したかと、今年の1月に なってから、同じコースの航空券を探して見たら、同じくスカンジナビア航空で はあるが、2万円も、安くなっている? ガソリンが、世界的に安くなっており、 燃料チャージが、相当安くなった為らしい。エックスペディアに、キャンセルし て、買いなおそうとしたが、キャンセル料が、3万円掛かると言うことで、キャ ンセルも出来ない。122,150円の航空券で行くしかない。6月の(イスタ ンブール)ウィーン、ブタペストの航空券も、既に同じ時期に、押さえていたが、 こちらは、何千円かで、それでも安くなっている。世界的オイル安は、旅行者に は、助かる話であるが、円安は、少々、頭が痛いものになろうか。 今回の日程は、以下の通り。 1. 2015年4月15日(水):成田空港ターミナル1から、11:40分 発のスカンジナビア航空の984便にて、コペンハーゲンへ(ターミナル3) 16:05分着。空港から、タクシーにて、Copenhagen Go H otelへ。 2. 4月16日(木):終日、地下鉄、トラム等で、コペンハーゲン市内観光。 3. 4月17日(金):コペンハーゲン空港から、ターミナル3から、9時丁 度発のスカンジナビア航空1464便にて、オスロへ。10:10分着。空 港から、地下鉄、トラム等で、Anker Hostelへ。午後、観光。 4. 4月18日(土):終日、オスロ市内観光。 5. 4月19日(日):オスロ空港:10:55分発のスカンジナビア航空 484便にて、ストックホルムへ。11:50分、ターミナル5着。空港か ら、地下鉄等で、Urban Hostels Gamla Stanへ。 午後、市内観光。 6. 4月20日(月):終日、市内観光。 7. 4月21日(火):13;30分発、ストックホルム空港、ターミナル5 から、スカンジナビア航空1423便にて、コペンハーゲン空港へ。14; 40分に、ターミナル3着、同じく、ターミナル3から、15:45分発の スカンジナビア航空983便にて、成田へ。 8. 4月22日(水):成田空港、ターミナル1に、9:35分着。

北欧三都市紀行 · 2016. 12. 28. · 港から、地下鉄、トラム等で、Anker Hostelへ。午後、観光。 4. 4月18日(土):終日、オスロ市内観光。

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    北欧三都市紀行

    ○ プロローグ

    今回のコペンハーゲン、オスロ、ストックホルムの北欧三都市の計画は、至っ

    て早い。中国の張家界に、行く前から(2014年10月)、航空券もホテルも

    押さえていたので、未だ、円安になる前なので、相当得したかと、今年の1月に

    なってから、同じコースの航空券を探して見たら、同じくスカンジナビア航空で

    はあるが、2万円も、安くなっている? ガソリンが、世界的に安くなっており、

    燃料チャージが、相当安くなった為らしい。エックスペディアに、キャンセルし

    て、買いなおそうとしたが、キャンセル料が、3万円掛かると言うことで、キャ

    ンセルも出来ない。122,150円の航空券で行くしかない。6月の(イスタ

    ンブール)ウィーン、ブタペストの航空券も、既に同じ時期に、押さえていたが、

    こちらは、何千円かで、それでも安くなっている。世界的オイル安は、旅行者に

    は、助かる話であるが、円安は、少々、頭が痛いものになろうか。

    今回の日程は、以下の通り。

    1. 2015年4月15日(水):成田空港ターミナル1から、11:40分

    発のスカンジナビア航空の984便にて、コペンハーゲンへ(ターミナル3)

    16:05分着。空港から、タクシーにて、Copenhagen Go H

    otelへ。

    2. 4月16日(木):終日、地下鉄、トラム等で、コペンハーゲン市内観光。

    3. 4月17日(金):コペンハーゲン空港から、ターミナル3から、9時丁

    度発のスカンジナビア航空1464便にて、オスロへ。10:10分着。空

    港から、地下鉄、トラム等で、Anker Hostelへ。午後、観光。

    4. 4月18日(土):終日、オスロ市内観光。

    5. 4月19日(日):オスロ空港:10:55分発のスカンジナビア航空

    484便にて、ストックホルムへ。11:50分、ターミナル5着。空港か

    ら、地下鉄等で、Urban Hostels Gamla Stanへ。

    午後、市内観光。

    6. 4月20日(月):終日、市内観光。

    7. 4月21日(火):13;30分発、ストックホルム空港、ターミナル5

    から、スカンジナビア航空1423便にて、コペンハーゲン空港へ。14;

    40分に、ターミナル3着、同じく、ターミナル3から、15:45分発の

    スカンジナビア航空983便にて、成田へ。

    8. 4月22日(水):成田空港、ターミナル1に、9:35分着。

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    今回の旅行のカミさんへの報告は、最近は、孫が来た際が、定番で、小金井の

    次女の理人(5歳)、奏太(3歳)が遊びに来た際、来週の水曜日は、海外なの

    で、遊びに行けません(毎週、奏太の小金井公園の散歩に行っている。)と、さ

    り気なく報告。無言の承認を得る。

    ○ 4月15日(水)コペンハーゲンへ

    成田では、当然、三国(デンマーク、ノールェイ、スエーデン)とも、ユーロ

    だろうと6万円前後で、450ユーロに換金した。(これが、慣れによる油断か、

    三国とも、共通ではない三国のクローネ)

    近くの飛行機の私の隣は、デンマークに帰るデンマークのお兄ちゃんで、仕事

    は、“シェフ”日本の桜を鑑賞に、シェフ仲間の日本で働いている友達のところ

    に遊びに来た帰りらしい。シェフ仲間には、世界中を仕事で、回っている友達も

    いる由。考えて見ると中々、国際的な仕事なのであろうか。

    コペンハーゲンは、まだ、15時近くで、長が~い、一日である。

    (コペンハーゲン空港) (今回泊まったGo Hotel)

    空港のインホーメーションの叔父さんに、ホテルの地図と名前を見せながら、

    行き方を聞くと、列車で一駅、タクシーで、5分くらいとのことなので、タクシ

    ーで行くこととした。頭から、ユーロと信じきっているので、タクシー乗り場で

    も、ホテルの地図と名前を見せながら、係りのおじさんと運転手に、値段を聞く

    と、馬鹿でかい数字が帰って来た? 何と、デンマークは、ユーロではない。ユ

    ーロで払いたいと言うと、何人かの運転手の中から一人、行ってやるとのことで、

    15ユーロとのことで乗った。ホテルには、直ぐ着いて、20ユーロ札出したら、

    お釣りのユーロが無いので。50クローネくらい返してくれたか。

    3階のホテルの一室に落ち着いて、ホテルのフロントで貰った市内地図を見

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    ながら、まず今日と明日の予定を計画。今日は、また、空港に行って、換金し、

    夕食と帰りの買い物くらいで、明日の予定も、一応、リストアップした。フロン

    トで、空港まで歩いていったら、どのくらいか聞いたら、40分くらいとのこと。

    列車なら、一駅とのことで、通り出て直ぐとのことで、列車が、地下を走ってい

    るので、分かりにくかったが、直近くに、駅があった。駅の通りの向こう側には、

    スーパーもある。空港へ行って、まず、換金。三分の一ずつで、150ユーロ換

    金した。夕飯を、空港のレストランで食べて、24Hフリー切符は、明日買いに

    来ることとして、今日は、片道切符買って帰った。(来る時は、切符の買い方分

    からないし、車掌も来ないので、ただ乗りしたか。)帰りに、スーパーに寄って、

    寝酒のビールと、明日と明後日の朝食のパンやら、オレンジジュース、ペットボ

    トルの水、バナナ、オレンジ等買って帰った。

    ○ 4月16日(木)コペンハーゲン市内観光

    まず、今日も、空港へ、24Hフリー切符を買いに行った。切符売り場の買い

    方が、最初分からなかったが、番号札をまず、取って、自分の番号が、表示され

    たら、買い行くシステム。(昨日は、並んでいる客が、少なかったので、直接窓

    口で、切符買えた。)私の目の前でも、私のように、分からなくウロウロまごつ

    いた外国人が、何人かいた。切符は、9時ごろの打刻だったので、明日17日の

    9時まで有効。早速、列車に乗り込み、まずは、コペンハーゲンと言えば、“人

    形の像”で、中央駅を通り過ぎて、Osterpot駅へ。

    最初、駅構内で、可愛いらしい美人に聞いたのが悪かったか、全く、別の方角

    を教えくれて(私が、聞き違えた?)、しばらく進んでから、途中で聞いた叔母

    ちゃんと、一緒に、また駅まで戻って、別の通りを教わった。“タック”と別れ

    た。(来る時の飛行機の中で、デンマークのお兄ちゃんに、“タック=サンキュー”

    教わった。)駅前で、良く見ると“人形の像”方向指示板もあり、それに従って、

    進むと、(一回、叔母ちゃんに、もう一度確認したか。)普通の日だし、持って来

    たセーターを着込んでも、少々、風が、寒いくらいである為か、観光客も、ちら

    ほらの“人形の像”が、ありました。

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    (Osterpot駅) (ご存知、“人形の像”)

    (近くの公園の桜が、満開)

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    次は、ローゼンボー離宮だが、隣のNorteport駅まで乗った。駅前で、

    地図片手のお姉ちゃん二人組がいたので、聞いてみたら、フランス娘二人組で、

    同じく探しているとのことで、入り口まで、御一緒して、“メルシィ”と別れた。

    (ローゼンボー離宮) (入り口の門)

    (遠く衛兵の整列) (離宮内部)

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    (離宮の庭園の桜も満開)

    離宮内での衛兵の整列行進は、後で分かったのであるが、今日は、クイーンの

    誕生日で、その為の整列行進等のリハーサルかもしれなかった。

    次に、ローゼンボー離宮の脇の大通りを歩いて、アメリエンボー宮殿を目指し

    た。途中、国旗の小旗を持った人達も、今日は、女王の誕生日でアメリエンボー

    宮殿を目指して大勢進んでゆく。途中で、デンマークの国旗の小旗を配っている

    人もおり、私も貰った。通りには、お巡りさんも、沢山出ている。

    途中、運河が走る港町コペンハーゲンを象徴すると言われている“ニューハウ

    ン”のカラフルな家並みも、途中見ながら、進んだ。

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    (カラフルな町並みのニューハウン)

    アメリエンボー宮殿に着いて見ると、宮殿の中庭は、大勢の人、人、人で、先

    が、全然見えない。正午近くだったので、正午にでも、クイーンが、(キングも

    一緒か?)バルコニーにでも、顔を出すのだろうが、私は、デンマーク人ではな

    いので(?)帰ることにした。途中の“ニューハウン”の近くのレストランで、

    昼食にすることにした。ここは、当然ビールとレストランの中年の給仕の勧める

    一品料理。野菜、魚とチーズの一品で、まあまあであったか。コーヒーは、飲み

    放題で、何杯でも注いでくれる。昼のビールとその国の一品料理、旅の楽しみの

    一つであろうか。

    (宮殿の中庭は、大勢の人だかり)

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    (まだ、沢山来るが、私は、退散) (宮殿前の通りの反対側の眺め)

    レストランを出ると、通りを、クイーンの誕生祝の衛兵の軍楽隊の行進が、通

    りを進んで来た。

    (通りの軍楽隊の行進と大勢の見物人)

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    次に、コペンハーゲンの町並みを見下ろせる“ランド・タワー(円塔)”を目指

    した。途中、中年の夫婦に尋ねたりしても、余り苦労せずに、探し当てた。

    (ランド・タワー) (一階は教会か)

    (これが、結構な勾配) (途中の休憩所)

    結構な勾配のぐるぐる回りながらタワーを登る。日本なら、エレベ-ターにな

    ろうが、コペンハーゲンの市民にとっては、これは、健康増進に、大いに役立つ

    と思われる。

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    (頂上(展望台)からの市街)

    (帰りも、ぐるぐる回りながらの下り)

    次は、列車に乗って、コペンハーゲン中央駅まで。今朝、ホテルのフロントで、

    私の今日見て回るところのリストを見せて、他に、お奨めの観光地が無いかと聞

    いた際に、フロントのお姉ちゃんに教わった中央駅の目の前の“チボリ公園”に、

    入って見ることとした。

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    (コペンハーゲン中央駅)

    (チボリ公園内)

    チボリ公園は、言って見れば、家族連れの来る公園で、遊園地であろうか。当

    初、入場料損したかと思ったが、まあ、折角親切に、教えてくれたフロントのお

    姉ちゃんには、感謝しなければならないか。

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    (今日は、クイーンの誕生日からか、衛兵の行進が、園内に入ってきた。)

    次に、ここから、近くの“ニュー・カールズベア美術館”と、その先の“国立

    博物館”に、歩いて行くこととした。自転車に乗った何か調査している婦警さん

    に聞くと目の前だった。

    (ニュー・カールズベア美術館)

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    国立博物館は、美術館の直先、直分かった。

    (国立博物館入り口)

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    (日本のコーナーも)

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    (トルコ、インドコーナーか)

    (エジプト、メソポタミア・コーナー)

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    (ギリシャ・コーナー)

    コペンハーゲン中央駅近くのレストランで夕食。中央駅から、ホテルの駅まで

    は、それでも、20分くらいは掛ったか。歩き疲れて、ホテルに付いたら、バタ

    ンキュー。

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    ○ 4月17日(金)オスロへ

    ホテルの駅から、一駅なのに、何故か、今日に限って、車掌が、乗ったら直に

    チェックに、来た。24Hフリー切符の期限が、まだ、有効で、切符を見せて、

    セーフ・・・。アムステルの列車で、切符を持たずに乗っていたら、50ユーロ

    の罰金と言われた経験があるが、危ない、危ない。(その際は、貧乏そうな、ア

    ジア人と思われたか、お金ないといったら、あっさり、許してもらえたが・・・。)

    空港駅では、最近のテロ騒ぎの影響か、自動小銃を構えて防弾服を着込んだ、

    二人組みのお巡りさん(それとも兵士だったか)が、朝から、警戒に、歩き回っ

    ているのには、少々、ギョッとした。

    コペンハーゲン空港は、9:00発なので、一時間前の8時前には、空港へ。

    一時間くらいで着いたオスロ空港でも、手続きは無いようなもので、パスポート

    検査のみで入国。今回も、150ユーロを換金する。オスロ中央駅までは、エキ

    スプレス・チケットを往復買う。

    (コペンハーゲンのホテルの近くの駅) (オスロ空港)

    (中央駅までのエキスプレス車内) (泊まったAnker Hostel)

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    オスロ中央駅までは、難なく着いた。さて、オスロのホテルへは、最初から、

    地下鉄かトラムかと思って、24Hフリ-切符は、何処で買えるか駅員に聞くと

    何故か、コンビニで売っているとのことで、コンビニの青年から、今日と明日の

    二枚買う。後で考えるとラッキーだったが、一枚買った後で、もう一枚買い直し

    て、領収書と一緒に、財布の中に入れ置いた。地下鉄のトラムに乗ろうとしたが、

    その前に、先程のコンビニのお兄さんに、ホテルの地図と住所のプリント見せて、

    行き方聞くと、この先を出て歩いて行けるとのこと。歩き出す。一人目の説明で

    は、分からなく二度目のお姉ちゃん達三人組に聞くと、何と、彼女達の泊まって

    いるホステルとのこと。着いて行く。オランンダからの女子学生達のようで、ア

    ムステルには、去年行った等話ながら直着いた。

    フロントでは、まだ、チェックインは、3時からだとのことで、市内地図と青

    のボールペンを貰って、ナップザックに、折り畳み傘、旅行ガイドなど、詰め込

    み、リックを預けて、ホステルの近くのトラムで、直だが、中央駅まで乗って見

    て、地下鉄で、ムンク美術館に、行くことにした。何故か、入場は、無料だった。

    (オスロ中央駅) (ムンク美術館)

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    (ムンク自画像?)

    ムンクの当時の白黒のトーキーも、上映しており、若いうちは、悩み、苦労し

    たようだが、晩年は、絵が売れてか、大金持ちになった由。この辺は、最近、や

    っと読み終えた分厚い伝記“シャガール”のロシアのユダヤ人画家“シャガール”

    と・・・否、やはり、世界的に有名になる人は、絵画・美の天才なのであろう。

    ホテルに、戻って、フロントで、シーツやら、枕カバーを受け取って、磁気カ

    ードを貰って、3階だったか。階の入り口は、磁気カードで入り、部屋にも、磁

    気カードで入る。二段ベッドが、八個程ある共同部屋だ! トイレ、シャワー室

    も、一つしかない。安いが、とんでもないところに泊まってしまったかと思った

    が、後の祭り。タオルは、持っているが、バスタオルが無いので、フロントから

    有料で借りて来た。一人、クロアチアのマリオが、既にいて、少々、話している

    うちに、スペインのサラゴサからと言うアレックス青年も来て、三人で、テーブ

    ルで、少々話した。マリオの出身地は、聞いたが、分からなかった。アレックス

    とは、“デ、ドンデ、ウステ?(どちらからですか?)”“トダス、マニアナ、エ

    スタディオ、エスパニェル.(毎朝、スペイン語は、勉強しています。)”など、

    エスパニョルの勉強(?)。サラゴサは、スペイン語の教材に出てくるので、直

    に覚えた。マリオは、シェフで、ポーランドとか、いろんな国のシェフ仲間で働

    いている由。従って、会話は、英語とのこと。マリオから、美術館、博物館等回

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    るには、オスロ・パスが、便利なこと教わった。中央駅の時計塔の一階の案内で

    売っているとのこと。当然、トラム、地下鉄、バス、フェリーも、乗り放題との

    こと。当初、とんでもないところと思ったが、考え見ると、便利な情報交換が、

    出来て、結構、メリットもあることが、今回の旅の収穫か。(更に、後で分かっ

    たのであるが、こういうホステルは、若い人ばかりなので、朝のうちは、全員、

    遅くまで寝ていて、朝方の私には、トイレも、シャワーも、一人使い放題なので、

    この面からも、私のような、貧乏老人には、向いているかも知れない?)

    荷物をベッド近くに、置いて、まだ早いので、トラムにでも、乗って見ること

    に、出掛けた。出掛けに、フロントの若いお姉ちゃんに、行きたいところのリス

    トを見せてトラムでどう行くか聞いたら、大抵のところに、12番のトラムで、

    行けること教わった。方向音痴の私には、この情報も助かる。

    (乗ったトラム内部) (バイキング博物館は、この港から)

    (オスロ市庁舎)

    ホステルに、戻った際は、マリオトアレックスもおり、三人で、夕食にと思っ

    たが、何故か、二人とも、乗ってこないので、一人で、夕食に。何と、近くのレ

    ストランは、何処も、ビール等の酒類は、サービスが無い!

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    最初の店で、ビールも酒類も、無いとのことで、即、出たが、次の店も、アルコ

    ールは無いと分かって、一見、美味しそうな料理のあった最初の店に戻って、夕

    食とした。

    ホステルに戻ると、マリオも、アレックスも、何処かに出かけていなかった。

    私は、入り口近くの二段ベッドの一段目で、寝ていたら、今度は、大きな旅行鞄

    持った韓国の学生“朴(パク)”さんが、入って来た。話すと、何と、偶然、明

    後日、ストックホルムで、行きの飛行機も、これまた、何と同じホステルに!

    考えて見ると、貧乏仲間で、安宿が、共通事項で、たまたま、重なっただけあ

    ろうか。それにしても、驚きである。まだ早いが、時差ぼけが、治らないので、

    寝ることにした。夜中に、二人ほど、また、入って来て、何語だか分からない言

    語の小声へで、ごそごそやっていて、目を覚ましたが、私が、5時ごろだったか

    起き出した時には、既にこの二人は、居なかった。

    シャワーの音が、煩かろうと、しばらく、散歩に出かけ、6時半ごろ戻って、

    シャワーの後に、買い置きの朝食。今日行くところのリストを整理したりしてか

    ら8時ごろには、まだ、早くて開いていないかも知れないが、歩いて、中央駅ま

    で。時計塔の一階の案内所は、8時には、既に開いていて、オスロ・パスを買い

    に。当初、オスロは、何かと、物が高くて(マリオとアレックスと話した時、オ

    スロは、世界一物価が高いとのこと、確かに、実感する。)、少ない現金ではなく、

    カードで買おうとしたが、何故か、暗証番号を二度間違えて、使えなくなってし

    まい、現金で買った。その際、24Hフリー切符と領収書が、役に立って、その

    分、引いてくれた。また、去年の財布の中に残っていたユーロが、90ユーロ位

    あったので、それも、中央駅の両替所で換金した。

    (今回泊まったホステル) (散歩の際の通り)

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    当初、中央駅から、歩き出し、国立美術館探し当てたが、まだ、開いておらず、

    王宮目指して歩いた。

    (中央駅時計塔一階案内所) (王宮目指した途上で)

    (林の向こう王宮) (王宮)

    (王宮の近くのトラム車窓)

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    何番線かのトラムで、中央駅に戻り、バイキング博物館へのフェリー乗り場へ

    の12番のトラムに乗り換えた。フェリー乗り場の近くで降りて、今正に、フェ

    リ-が、出航しようとしており、私の目の前の叔父さんが、駆け出して乗ろうと

    しているので、私も一緒に走って、飛び乗った。混雑した船に乗り込むと、乳母

    車を押したお兄さんが、私が、外国人のためか、この船は、博物館には、行かず、

    周りの島々への周遊船であること教えてくれた。どうすればよいか聞くと、最初

    の島で降りて、一時間後に来る船で帰るか、そのまま、島々を回って戻れば良い

    と教えてくれた。私は、島々を回って帰ることとした。思わぬ周遊船でのオスロ

    近郊の島々巡りの船旅となった。

    (慌てて飛び乗った周遊船) (出航、市民ホールが良く見える)

    (最初の島の港)

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    (島々の家は、カラフルで可愛らしい)

    (このフェリーが、博物館へ) (我々も出航)

    元の港に戻って、今度は、しっかり、どの船が、博物館へ行くか、確認して乗

    り込んだ。20分位で、着いた港からは、皆が、バイキング博物館に向かうのだ

    ろうと中学生くらいの男女の子供連れの家族の後を着いて行った。それなりに

    歩いた後で、何と、コンチキ号博物館まで来てしまった。一人、今来た道を引き

    返して、何度か聞きながら、バイキング博物館探し当てた。

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    (バイキング博物館)

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    バイキング博物館を満喫した後は、また、一度来た道を戻り、コンチキ号博物

    館、ノルウェー海洋博物館、ブラム号博物館へ。中学生の頃だったか、読んだこ

    とのある“コンチキ号の冒険”は、ンルウェー人の冒険だったの思い出した。

    今の私の考えでは、南米から、インディオが、太平洋諸島に、乗り出すのは、

    不自然で、やはり、インドネシア、フィリッピンから、乗り出して行ったと考え

    るのが自然のようだが。

    (コンチキ号博物館内)

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    すぐ隣のノルウェー海洋博物館では、ノルウェーは、バイキング以来の海洋国

    家であること実感した。

    (ノルウェー海洋博物館内)

    隣接の“プラム号博物館”は、大きなプラム号を色んな角度から、見られるよ

    うに展示してある。

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    (プラム博物館内)

    (帰りの港) (帰りのフェリー船内)

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    (戻りのフェリー内) (遠く博物館)

    (戻った港) (昼食のバー・レストラン)

    歩き回ってお腹が、ペコペコなので、中央駅近くのバー・レストランに、入る

    こととした。ビールとチッキンのグリル料理一品のみであったが、何と、300

    クローネ位した。世界一物価が高いとは言え、また円安もあるからだろうが、大

    体、1ユーロ、9クローネ位であるから、これだけの昼食だけで、4千円位掛か

    った。誠に、恐ろしくなる。また、財布の中身を、気にしながらの惨めな旅も、

    初めてである。

    次に、一度、行った国立美術館へ。近くをトラムが、走っていたので、歩いて

    も行けるが、トラムに乗って行くこととした。

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    (外装修築中の国立美術館)

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    ムンクの作品が、こちらに沢山展示していたので、ムンク美術館は、無料だっ

    たのであろうか。

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    (ありました“叫び”)

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    中央駅に戻って、また、12番のトラムで、ヴィーグランド公園に行くことと

    した。中々、広い公園で、面白い、色んな銅像が、至るところにある公園で、色

    んな表情の銅像が、延々と続いていた。

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    (公園入り口近く)

    (相当に広そう)

    (色々な銅像が)

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    (奥までは、相当有りそうで、途中で戻った)(多くの市民で賑わっていた)

    同じ12番トラムで、フェリー乗り場近くで降りて、オスロ市庁舎近くのアー

    ケーシフース城跡に行くこととした。

    (アーケーシフース城壁)

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    (最初の門) (第二の門)

    (17時を回っていたので閉館)

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    (城からの港の遠景)

    近くの12番のトラムの停留所から、ホテルの近くまで戻って、昨夜と同じレ

    ストランで、夕食とした。楽しみのビールはなくて、健康的に飲み物は、生のオ

    レンジジュース。ホテルに戻ると、朴さんも、戻っていて、明日の朝は、一緒に、

    ストックホルムに行くこととした。私は、早々に、ベッドの中に、大学時代の寮

    生活が、ものを言ったのか、少々の騒音は、無視して、眠れる。

    ○ 4月19日(日)ストックホルムへ

    当然、朝は、誰も起きていないうちから起き出した。少々煩いが、無視して、

    シャワーを浴びて、買い置きの朝食を済ませ、フェリー乗り場、市庁舎の直ぐ近

    くに、有った、ノーベル平和センターを見るのを忘れていたので、オスロ空港に

    は、10:55分発のストックホルム行きなので、9時過ぎまでに着けばよいの

    で、乗り慣れたトラムに乗って見に行ったが、当然、朝が早過ぎて、まだ閉まっ

    ていた。仕方がないので、センターの外観の写真と市庁舎、港の写真などを撮っ

    て、ホテルに戻った。

    マリオ、アレックスも、まだ寝ているので、マリオには、オスロ・パスのお礼

    及びアレックスには、昨日だったか、ホテルに戻った際、アレックスが、一人で

    居る部屋の中で、スマホで、スペインの(?)彼女(ノビア)と電話で話をして

    いて、どうも、泣かしていたようなので、正しい英語か、不明だが、Alex→

    “More take care your novia(恋人).”のメッセー

    ジをテーブルの上に残して、朴さんと二人で、ホテルを後にした。中央駅までは、

    一緒に歩いて行ったが、彼は、経済観念豊富で、空港からは、高いエックスプレ

    スではなく、普通列車を利用するとのことで、私は、エックスプレスで。空港に

    は、直ぐ着いて、朴さんは、それでも、搭乗には、十分間に合う間に、待合ゲー

    トには、来た。

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    (ノーベル平和センター)

    (近くの市庁舎) (フェリー乗り場)

    朴さんの経済観念の高さには、私も助けられた。ストックホルムの空港で、ス

    トックホルム・カード(72Hの三日間、これも、主な交通機関、博物館、美術

    館等無料カード)と空港からのエックスプレスの往復切符を買った際、エックス

    プレスの切符は、65歳以上は、割引(往復500クローネ→300クローネ)

    を領収書のプリントから、さっと見つけて、教えてくれたので、窓口のお姉ちゃ

    んから割引額に、直してもらった。今回は、パスワード間違えなかったので、ク

    レジットカードが、使えた。朴さんも、エックスプレスを利用して、中央駅まで、

    地下鉄も、朴さんに、着いて行くけで助かった。ホステルの近くの駅(中央駅か

    ら、一駅のGalma駅)からも、朴さんは、私が、PC・グーグル・マップ世

    代なら、次の世代のスマホ・グーグル・マップ世代で、ストックホルムのホステ

    ルへは、彼の後に着いて行けば、良かった・・・。しかし、最後のところでは、

    私のPC・グーグル・マップのプリントアウトが、役に立って、通り掛かりの夫

    婦に、プリント見せて、教えて貰って、やっと、たどり着いた。しかし、確かに、

    朴さんと一緒でなければ、私一人では、相当、苦労したであろう。また、ホステ

    ル、入るにも、ドアには、鍵が掛っていて、簡単には、入れず、一緒でなければ、

    誰かが来るまで、入れなかっただろう。(ドアのキー・ボックスのようなものに、

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    表示されているキー番号・文字を入力するとフロントと応答が出来て、鍵を開け

    てもらう。)しかし、朴さんと一緒に居て分かったのであるが、スマホの欠点は、

    直ぐ電源が切れてしまうことのようで、電車の中でも、ホステルでも、しょっち

    ゅう、充電しなければならないのは、私には、大きなマイナスに思えるが・・・、

    僻みだろうか? 朴さんとは、部屋も同じで、フロントで貰ったベッドの番号は、

    私は、入り口近くの一段目であったが、朴さんは、ちょっと離れたベッドの一段

    目であったか。流石、朴さんは、慣れており、ロッカー・ボックスにかける鍵も

    持っていて、貴重品は、鍵を掛けて置いておく。今回のホステルは、オスロのと

    きのホステルより、大部屋で、二段ベッドの数も多い。トイレとシャワー室は、

    別の小部屋が、何個かある。また、日本では考えられないが、男女の区別はなく、

    若いお姉ちゃん、中年の叔母ちゃんも、一緒。

    朴さんとは、近くのレストランへ、それから、歩いて、国立美術館まで、行っ

    たが、残念ながら、こちらの国立美術館は、休館だった。また、朴さんは、2時

    か、3時ごろから、英語のフリ-・ツアー(ボランティアが、観光地を説明案内

    してくれて、最後に、各自が、チップで、済ませる。ホステルのフロントに、案

    内が出ていて朴さんは、申し込んだ。)に参加するとのことで、私も誘われたが、

    明日は、月曜日なので、休館するところが、多いだろうから、ストックフォルム・

    カードが、勿体無いだろうと、今日中に、近くの博物館等を見て回ることにした。

    (王宮背景に、朴さん)

    もう一箇所に、国立美術館あり、ここから、朴さんとは、別れて、一人で見て

    回ったか。近くの地図上での博物館、記念館等は、手当たり次第に、入って行っ

    た感じ。王宮の周りにも、色んな博物館がある。王宮博物館、王家武儀博物館、

    王立貨幣館等々。

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    (二番目の国立美術館)

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    歩いて、王宮近くに戻り、まず、ストックホルム中世博物館へ。

    (中世博物館入り口)

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    次いで、王宮中の王宮博物館、王家武儀博物館、宝物の間等へ。

    (王宮博物館看板)

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    王宮博物館には、余り、写真に撮りたい物がなかったか。

    (王宮正面?)

    青の衛兵も中々である。一回に、何時間ぐらい立っているのか聞いたら、2時

    間で交代とのこと。

    (王家武儀博物館)

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    (王宮広場の僧侶が、印象的)(青服の衛兵も中々)

    (丁度、交代式であったか)

    次いで、王宮広場の直ぐ前の王立貨幣館へ。

    (王立貨幣館入り口)

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    (多分、ローマ時代の金貨の拡大版)

    次も、王宮の近くのノーベル博物館へ。ノーベル博物館から、出たら、フリ-・

    ツアーの二十人くらいのグループの中に、朴さんが居るのが分かった。(彼は、

    身長が、180センチ以上なので、目だって、直ぐ分かった。)ホテルには、五

    時半ごろ戻って、食事をご一緒すること、約束して、別れた。

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    (ノーベル博物館入り口)

    朴さんのグループと別れて、近くの、“本の博物館、郵便博物館にも、行って

    見たが、既に両方とも、閉館であったので、ホテルに戻って、しばらく休むこと

    にした。

    (本の博物館) (郵便博物館)

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    (今回泊まったUrbanホステル(旗の奥、入り口の階段))

    (ホステルの近くの何かの銅像)

    五時ごろには、朴さんも、帰って来たが、彼も、大分歩いて、疲れたとのこと

    で、少々、休んでから、七時近くに、近くのイタリアンレストランへ。私は、ビ

    ールを、彼は、飲まないが、二人で、別々のピザを頼んで、半分ずつ分け合った。

    まあ、両方とも、大きなピザであったので、十分お腹一杯になった。朴さんは、

    近くの何かの博物館に、行くとのことで、私も誘われたが、少々、二杯のビール

    でも、歩き疲れのためか、酔ったようなので、私は帰って、直ぐにダウン。

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    ○ 4月20日(月)ストックホルム市内観光

    シャワーは、別室なので、朝早くても、心置きなく、ゆっくりできる。朝食

    も、買い置きで済ませて、フロントに、今回、選んだ回るところ以外にも、お勧

    めあるか、聞きに行ったら、昼は、お姉さん達であったが、夜勤からなのだろう

    か、ペルーの叔父さんが、フロントに一人おり、“オラ! デ、ドンデ、ウステ?”

    等のスペイン語会話が出来た。私は、二、三年前に、マチュピチュ行った話など

    した。何故か、奥で、コーヒー飲んで行けと盛んに、進めるので、行って見ると、

    このホステルは、朝食付きかと、ビッフェが揃っていたので、コーヒーと一緒に、

    勝手に食べた。ペルーの叔父さんも、朝が早いので、客も誰も降りてこないので、

    市内地図持って来て、是非、“スカンセン”行くよう勧められた。まだ、朝が早

    いので、ここのレストラン室で、コーヒーを飲みながら、地図上に、今日の回る

    ところを、整理した。

    九時ごろに、ホステルを出発、散歩代わりに、フェリー乗り場まで、歩いてい

    ったら、既に何人か、乗船の列が出来ていて、私も並んだ。隣の金髪のお兄さん

    に、このフェリーは、“スカンセン”に行くか、尋ねたら、上着の下のスカンセ

    ンのロゴ・マーク入ったシャツを見せてくれて、“スカンセン”で働いていると

    のことで、出勤の乗船らしい。

    (船内) (出航)

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    (船窓から) (下船)

    最初に、しばらく歩いてから、“ヴァーサ号博物館”に、行ったが、朝早過ぎ

    て、隣の北方民族博物館もまだ、開いていなくて、少々、歩き回ったり、ベンチ

    で休んだりして、開くのを待った。その内、何人か、列が出来て、10時開館だ

    ったかで、皆で入っていった。

    (ヴァーサ号博物館) (隣の北方民族博物館)

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    (模型の海戦模様か?)

    続いて、隣の北方民族博物館へ。

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    (北方民族博物館)

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    北方博物館の近くに、動物博物館が有り、入って見た。

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    (動物博物館か)

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    出ると、スカンセンの看板。

    スエーデンの昔の暮らしが、保存され、垣間見られるとのこと。入り口近くに、

    ケーブルカーが走っており、別料金とのことで、歩こうかと思ったが、乗ること

    にした。

    (スカンセン入り口)

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    (乗った、ケーブルカー)(この親子と、三人だったか)

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    相当に広く、全部は、回れず、途中から、帰ることにした。入り口近くに、ト

    ラム走っており、当然、中央駅に行くだろうと乗ることにした。

    (乗ったトラム)

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    (トラム降りた後の中央駅近くの雑踏)(列車にも乗って見たが、途中で帰った)

    (中央駅の地下広場)

    中央駅の地下のレストランで、昼食とし、地下鉄で、ホステル近くの駅まで。

    王宮近くの大聖堂に、行ってなかったので、大聖堂へ。

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    (大聖堂)

    (大聖堂から直ぐの王宮広場)

    (途中の国会議事堂) (市庁舎)

    ノーベル賞授賞式のパーティー会場となる市庁舎にも、歩いて行くこととし

    た。

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    (市庁舎中庭か)

    (市庁舎の中庭からの外観)

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    (観光スポットなのだろか、多くの人で賑わっていた)

    (市庁舎からの帰りの王宮への道) (観光客で賑わう王宮の通り)

    (ホステル近くの街並み)

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    69

    (今日の夕飯も朴さんと) (翌日の散歩時に)

    夕方、今日も、朴さんと夕飯を一緒に食べに行った。また、同じイタリアンレ

    ストランへ。私は、また、ビール、夕飯は、朴さんに任せた。アメリカでは、普

    通の料理だとの骨付き牛肉料理と野菜の盛り合わせだったか。朴さんは、また、

    夜の街に繰り出したが、私は、今日も、ほろ酔い加減で真っ直ぐ帰って、ダウン。

    ○ 4月21日(火)(から、22日(水))帰国

    昨夜、夕飯時に、私は、今日の午後の飛行機で帰国するので、午前中というよ

    りは、朝のうちに、近くの東洋博物館と現代美術館を見て帰る予定で、ストック

    ホルム・カードが、今日一日は、まだ使えるので、朴さんは、博物館等まだのよ

    うなので、朴さんの24Hカードと10時半過ぎには、ホステルに戻って交換す

    る約束をした。

    シャワーを済ませ、今日も、朝食をと勇んでフロントの前を通って、レストラ

    ン室に向かったら、昨夜のペルーの叔父さんと替わった別のお兄ちゃんに、朝食

    券持っているかと聞かれ、ないと言ったら、20クローネだったか払わされた。

    (ペルーの叔父さんの時は、只で食べてしまったのであるが・・・。)

    九時過ぎには、ホステルを出て、現代美術館に、向かったが、開館は、10時か

    らで、少々、近くの音楽会場のような建屋を覗いたりして、周りをぶらついて、

    時間を潰した。10時に開館して、その時には、列の出来ていた皆と、入館した

    が、現代美術館は、私には、モダン過ぎて余り良く理解できない作品が多かった

    感じ。さっと一巡して、東洋美術館に行ったら、開館は、11時からとのことで、

    諦めて帰りことにした。途中で、馬車と騎馬隊の行列に遭遇した。

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    (途中の大聖堂) (王宮と衛兵)

    (エコ意識が高い為か自転車が多いし、自転車用道路もある)

    (途中の橋) (時間潰しに覗いた音楽会場?)

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    (現代美術館の前の蜘蛛の芸術?) (現代美術館)

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    (現代美術館の帰りに遭遇した馬車と騎馬隊)

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    ホステルでは、朴さんが待っていて、カードを交換して、私は、チェックアウ

    ト、朴さんとは、一緒にホステルを出て、彼は、今日は、一人で、博物館等回る

    ようで、途中で別れた。

    (帰りの中央駅)

    (帰りのエキスプレス・ホーム) (エキスプレス車内)

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    ストックホルム空港からの飛行機は、座席が窓際で、窓からのスエーデンの風

    景が、何枚か撮れた。

    コペンハーゲン空港の待合室では、青い目をした子供連れの日本女性に会っ

    たので、少々話したら、スエーデンからは、列車で、コペンハーゲン空港へ来て

    日本に、帰国するとのこと。当然、夫は、スエーデン人で、私が、レストランの

    料理の高さ嘆くと、スエーデンでも、外食は、高くて、滅多にしないとのこと。

    物は安いので、自分達で料理するとのこと。

    成田には、22日(水)9時半頃付きました。会社から、連絡が入っていて、

    帰りによって欲しいとのことで、旅行の格好で会社によってから、見積り処理を

    して帰宅した。

    ○ エピローグ

    オスロ(コペンハーゲンも、ストックホルムもか)の物価の高さと働いている

    外国人の多さは、以前円高で、ブラジル日系人、中国人、韓国人が、日本に、働

    きに来たことと同じではなかろうか。クロアチアのマリオなども、シェフなので、

    食事は、働いているレストランで、安く済ませ、安宿に泊まって、お金を貯めて

    帰国するのであろう。スエーデンのペルーの叔父さんも、同様か。また、朴さん

    は、UCLAに、8年留学して、米語をマスターした為に、既に、70数カ国旅

    行した由。外国旅行には、英語だけで十分なのであろうか。やっと、写真も整理

    できたので、朴さんに、写真をメールで送った。

    中年からの海外旅行 第二十七章完