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調姿姿

いました。また、この木を通して一人でも多くの人が、心を通わせていくことが大切なんを友達と一緒に見ている多くの人 … · 優秀賞

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最優秀賞

友だちの木

七尾市立田鶴浜中学校

3年

升田

晴華

田鶴浜中学校には、友達の木があります。それは、いいとも月間の取り組みの時、私が

提案したものです。なぜなら、浜中を明るい学校にしたいと思い、友達のいいところを見

つけ、言葉にすることを考えたからです。

私は小学校の時、言葉で傷ついたことがあります。それは、

「あいつ無視しよ、きもいし。」「約束したんに、なんでしゃべったん。」

という言葉が私の耳に入ってきたのです。一瞬なんのことかわからずに、目の前が真っ暗

になりました。と同時に、隣にいる友達が信じられなくなりました。その日から、私の周

りには友達がいなくなり、教室にいることがだんだん辛いと感じるようになりました。学

校に行きたくないと思うこともありました。しかしそんな私に母は、

「きっと誰かが気づいてくれるから、もう少し頑張ってみたら。」

と言ってくれました。

その言葉を信じて、勇気を持って声をかけてみました。

「おはよう。」

すると、

「おはよう。」

とあいさつをかわすことができたのです。その時、あいさつ一つでこんなにも気持ちが明

るくなったことは、言うまでもありません。教室でも、何人もの人とあいさつをかわし、

今までの一人ぼっちの時間がうそのように感じられました。

すると、後ろのほうで、

「ちょっと、調子にのってない?」

という声が耳に入ってきました。そのとたんに、今まで私と話をしていた何人かの人が、

話すのをやめ、席に戻っていったのです。

その時から、私の周りには友達が一人もいなくなり、その場にいることさえ、耐えられ

ない時間が多くなっていったのです。

暗くて落ち込んだ日々が続いたある日、

「おはよう。」

と、あいさつをする友達がいました。

でも、私の心は複雑でした。今だけで、またすぐに離れていってしまうという不安。一

緒に楽しい会話ができるという期待で心の中がぐちゃぐちゃでした。そんな気持ちとは裏

腹にその友達は決して私を裏切ることはなく、一人にすることはありませんでした。

そんな経験から、私が提案をし、他の役員が快く賛成してくれてこの木が生まれました。

この木は、全校生徒が友達のいいところを見つけて言葉であらわすことによって、つな

がりや絆を深めてほしいという思いで取り組みました。

葉っぱを配り、書き始めた時、クラスの皆が真剣に書く姿を見ることができ、さっきま

での不安が一気に消えていきました。さらに、集まった葉っぱを、皆ではった後、その木

を友達と一緒に見ている多くの人の姿を見て、私はとても嬉しく、やってよかったなと思

いました。また、この木を通して一人でも多くの人が、心を通わせていくことが大切なん

だと感じました。私はもう二度と苦痛な日々は味わいたくありません。他の人にも味わっ

てほしくはありません。だからこそ、一人一人が、心を傷つけたり、悲しませたりするこ

とがないように、相手の気持ちを考えて、言葉を使い、行動してほしいと思います。

田鶴浜中学校では、友達の木がどんどん成長しています。皆さんの心の中にも友達の木

を育てようではありませんか。

優秀賞

世界中の笑顔のために

能美市立根上中学校

1年

小酒

夏穂

私には、たくさんの友達がいます。その中には、外国人も多いです。外国人との触れ合

いの楽しさは、その国の文化・習慣など自分の知らない世界との出会いがあることです

友達は、たくさんのことを私に教えてくれます。だから、私は友達が大好きです。でも、

その中の一人の友達を私は差別していたことがあります。

ベトナム人の友達のヒューさんは、祖母の喫茶店に来たお客さんでした。祖母は、ヒュ

ーさんに優しく声をかけたそうです。「何をしに日本へ来たの?」「仕事をしに来ました。

今は、近くの鉄工所で働いています。」ヒューさんは、生活を助けるために、故郷のご両親

に仕送りをしているそうです。また祖母は、「日本語は上手だし、ニコニコしていてすごく

礼儀正しかったよ。」と、嬉しそうにその日のことを話してくれました。

しばらくして、私はヒューさんにベトナム語を習うことになりました。その前に私は、

ヒューさんに会ったことがありましたが、肌の色や容姿が日本人と違うので、少し抵抗を

感じていました。そして、ベトナム語を習う必要がないとも思っていました。だから、ヒ

ューさんが「バン

ナム

ナイ

バウ

ニュウトイ?」、これは日本語で「今何歳?」とい

う意味ですが、「真似して」と言われると不機嫌になり、すごく嫌な顔をしてしまいました。

また、「ベトナム語は難しいし話したくない」と冷たい態度をとりました。でも、ヒューさ

んはゲームを取り入れるなど、一生懸命工夫して教えてくれました。町で会った時でも、

ヒューさんは明るく声をかけてくれました。それなのに、私はそれを無視するようになっ

てしまいました。

昨年の冬休み、私はオーストラリアで十日間ホームステイをしました。初めて親元を離

れ、知らない人の家で暮らし、言葉も通じずとても不安に感じました。でも、そんな私を

ホストファミリーの皆さんは温かい心と笑顔で受け入れてくれました。私が、オーストラ

リアの食事が口に合わず、食べ残してしまった時も、「Are

you

OK?」と優しく

声をかけてくれました。食事や生活習慣などへの、細やかな心配りのおかげで、私は安心

して楽しい時間を過ごすことができたのです。

その時私は、今、自分の置かれている立場はヒューさんと同じだということに気づきま

した。ヒューさんは初めての日本で不安に感じることがたくさんあったと思います。それ

なのに私は明るく声をかけてくれたヒューさんに対し、冷たい態度で接していたのです。

私は心の底から恥ずかしいと思いました。また、ヒューさんを温かい心と笑顔で受け入れ

なければならなかったのだとも気づきました。

近年、ニュース等で学校のいじめがよく取り上げられます。そのいじめの原因の一つは

差別の意識にあると思います。学校生活という集団行動の中で、見た目や周囲との行動の

違いが原因で差別が起こることは少なくありません。しかし、差別は決して許されるもの

ではありません。相手の心を傷つけるのと同時に、自分の心も少しずつ傷ついてゆくから

です。だから私は思います。お互いに認め合うこと、相手の良いところを積極的に見つけ

ることが大切だと。そうすれば、相手の新しい一面に気づき、相手の対する自分の見方が

変わるはずです。

私は、ヒューさんとの出会い、オーストラリアのホストファミリーとの交流から、人と

人とが接する上であるべき姿を学び、差別の意識について考えさせられました。私の体験

は、ほんのちっぽけなものに過ぎません。しかし、多くの人々が、認め合い・理解し合い、

大きな心で接することができる世の中になってゆくことを心から願っています。そして、

世界中の人たちの誰もが、笑顔で話すことのできる社会にしていくために、中学生の私た

ちにも果たすべき責任があると強く感じています。

優秀賞

努力すること

白山市立鶴来中学校

3年

鳥越

美来

みなさんは「努力」の大切さを知っていますか。先生や親はよく「努力しろ。」「あきら

めるな。」と言います。あぁまたか、うるさいなぁと思うことはありますよね。実は私もそ

うでした。努力っていうのは、つらいし、面倒くさいし、投げ出したくなります。でも、

私が二年生の夏、気持ちは大きく変わりました。

きっかけは部活動のジュニアオリンピックカップに向けての合宿です。

私たちは水球部に入っています。三年生二人、二年生五人、一年生一人。人数はぎりぎ

りです。いつもの練習は、しっかりはしていなく、やる気もなく、先生の話はろくに聞こ

うとしません。大会では一勝もしたことがないし、精神的にもとても弱い部活でした。

そんな中、先生が合宿をすると言い出しました。私たちは「JOなんて出たってまた負

けるだけ。」と最初は合宿をする意味も分かりませんでした。

お盆も含めて、五泊六日の長期間の合宿は私たちが思っていた以上のものでした。

夏であっても、体が痛くなるほど冷たいプールで、そのうえ、いじめるように暑い太陽

の日差し。その中での練習は耐えきれませんでした。朝は六時に起きてハードなスイム。

そして朝食後、午前の練習。午前も涙がでるほどきついスイム。午後は何度も何度も練習

試合。毎日このくり返しでした。死ぬかと思いました。泳ぎっぱなしで、気づけばみんな

真っ黒になっていました。怪我もたくさんしました。心も体も限界だったのです。

普通の私たちなら、途中で逃げていたと思います。でもそんな中、支えとなったのが仲

間でした。夜の雑談は最高でした。人数が少ないのもあって、先輩後輩関係なしに仲が良

く、家族のようになっていました。

毎日プールへ向かうのがつらかったけど、みんなで励まし、協力し合って乗り越えてき

ました。

合宿の終盤、いつもは厳しい先生が獅子吼高原に連れて行ってくれました。頂上から見

る夜景はとてもきれいで、私たちの疲れを吹き飛ばしてくれました。私たちにとって最高

のごほうびでした。

気がつけば、JOに対してのみんなの気持ちが一つになっていたのです。絶対勝つ。ま

だ一勝もしたことのない私たちにとっての目標でした。

そして決戦の日。すごく緊張した最後の試合。まさに勝てない相手。試合の終盤、四対

ニで負けていました。先生はタイムを入れました。「お前ら今までの合宿の努力は何だった

んだ。自信を持て。攻めろ。シュートを撃て。」

みんなが気持ちを持ち直しました。そして試合再開。奇跡が起こりました。五対四で逆

転勝利。みごとベスト8となりました。うれしさのあまり、みんなで抱き合って喜びまし

た。あんなに弱かった私たちが二勝もできたのです。

今、振り返ると、この結果はあの合宿を乗り越えてこれたからあるもので、仲間がいな

ければ、きっとあきらめていました。また、先生、家族、たくさんの人の支えに、本当に

感謝しています。

そしてこの夏知った「努力」の大切さ。みなさんも「努力」という言葉を素直に受け入

れてみて下さい。きっとすばらしいものが手に入ります。

確かに、努力したって結果を残せないこともある。無理だって思うのも分かります。で

も、それは自分の努力が足りなかっただけです。これまで負けてきたのは、私の努力が少

なかったからだと、今回わかりました。しかし、その努力は無駄ではありません。努力は

絶対に自分を裏切りません。必ず何か得られるものがあり、成長につながるのです。

私はあの夏を一生忘れません。あの獅子吼からの夜景、決戦のプール、先輩の涙は一生

の宝物にしたいです。

そして、何より努力の大切さを、これからも胸に、何事にも努力し悔いの残らない人生

を送りたいです。

奨励賞

人に対する思いやりや感謝の心

加賀市立東和中学校

3年

井上

遥奈

私は二年生の夏休みに、慈妙院という老人ホームで職場体験をさせていただきました。

そこで私はたくさんの事を学びました。働くことの大変さはもちろんですが、特に感謝

する心、人を思いやる心の大切さをあらためて感じました。

老人ホームでは、たくさんの仕事を手伝わせていただきました。その中でも一番多かっ

たことは、お年寄りの方々とコミュニケーションをとることです。そのときにお年寄りの

方の中の一人が、私に言った言葉が一番心に残りました。それは、「親は大切にせなかんよ。

あなたのことを育ててくれとるんやから。」というものです。

そのころの私は家族に反抗してばかりで、どんな事でもやってもらうのが当たり前のよ

うになっていました。育ててくれていることへの感謝もすっかり薄れていました。でも、

この言葉を聞いて、この生活はけっして当たり前ではないし、私を育ててくれている親に

は感謝しないといけない、とあらためて感じさせられました。

その気持ちがさらに強くなったのは、ミャンマーについて知ってからです。

みなさんはミャンマーという国を知っていますか。東南アジアにある国です。ミャンマ

ーでは現在井戸や学校が不足し、多くの方が水のせいで病気になったり、勉強できない状

態だそうです。

今、東和中学校では、ミャンマーに井戸や学校を寄付するため、プルタブを集めたり、

募金活動を行っています。そのきっかけとなったのは、ミャンマーの状況を知るため、学

校で講演を聞いたりDVDを見たことです。その中でも一番印象に残っている場面は、汚

い川の水のせいで弱った子供が鳥に襲われそうになっている場面です。日本では絶対に汚

い川の水を飲むことはありません。それに弱った人間が鳥に襲われ食べられそうになるな

んて絶対にないことだと思います。日本は野生動物におびえることなく安心して暮らせる

国なのです。

また、日本では中学校まで義務教育なので、行きたくても行けないということはほとん

どありません。しかし、ミャンマーでは学校に通いたくても、家の手伝いをしなくてはい

けなくて通うことができない子供が多いそうです。

私は、今の生活が当たり前だと思っていました。でも、ミャンマーを知り、私たちはと

ても豊かな暮らしをしていたんだなと感じました。蛇口をひねればいつでもきれいな水が

出て飲むことができます。行きたければ大学までも行くことができます。私は、この恵ま

れた環境が当たり前だと思っていました。しかし、この環境は、国によって、経済力によ

って大きく変わることを知りました。そして、この当たり前を与えてくれたのは、親や家

族、周囲の人達です。これらの人達にこれから感謝していかなければいけないと強く感じ

ました。

私が老人ホームで職場体験をしていたときに感じたもう一つのことは、思いやる心です。

人を思いやる心というのは、相手を大事に思う気持ちだと思っていました。老人ホームの

職員の方は、お年寄りの方の身のまわりのお世話を嫌な顔ひとつせずやっていました。い

くら仕事でも凄いと思ったし、職員の方はお年寄りの方々をとても大事に思っているのだ

と感じました。それに比べて私は、最初あまり気乗りしませんでした。しかし、私が食事

の手伝いをして「ありがとう」という感謝の言葉をもらったとき、すごく嬉しかったです。

自分の行為に感謝されたとき、その人のためにもっと頑張ろうという思いやりの心が生ま

れました。感謝する心から、相手を大事に思う思いやりの心がうまれる事がわかりました。

私は、三日間の職場体験で、思いやる心や感謝することなど、たくさん学ぶことができ

て本当によかったし、これからの生活にぜひ生かしていこうと思っています。

みなさんも、一度、自分のまわりに目を向けてみてください。自分では気付いていない

かもしれませんが、誰でも多くの人に支えられているはずです。そんな人たちに感謝する

ことを忘れないでください。そして、小さなことから、少しずつ人を思いやる心を身につ

けていってください。

奨励賞

まわりを見て行動すること

金沢市立港中学校

3年

野村

菜月

自分の行動が、実は他の人にとても大きな迷惑をかけていた、という経験はありません

か。とても好きなことや、楽しいと感じることをやっている時は、特にまわりを見られな

くなる、ということはありませんか。

私も趣味に没頭している時などは、全くまわりを見ることができなくなります。また、

友達としゃべっていても、盛り上がると、とても楽しくて、自分たちのことしか考えられ

なくなります。

しかし、他の人から見たらどうでしょうか。まわりのことなどどうでもいいかのように

行動する人たち。そんな人を見ると、言いようのない不快感におそわれます。このような

経験も多いのではないでしょうか。

先日、金沢駅で、目の不自由な方を見かけました。その方は、障害者のためにつくられ

た、黄色の点字ブロックと、杖を頼りにして歩いていらっしゃいました。

このブロックは、正式には視覚障害者誘導ブロックといい、全国で同じ形のものを統一

して使っています。これは、目の不自由な方が、安全に外を歩行できるようにつくられた

ものなのです。

しかし、歩いている少し先の所で、点字ブロックの上に平然と座って、話をしている高

校生の集団がいたのです。私は、とても不安な気持ちで、その様子を見ていました。そし

て案の定、高校生たちにぶつかってしまったのです。

どうしてこのようなことが起こってしまったのでしょうか。それは、高校生たちが、点

字ブロックを使う人のことなど一つも考えず、自分達のおしゃべりに夢中になっていたか

らです。こんなもの、どうせ誰も使っていないから、などと思っていたかもしれません。

さらには、点字ブロックの存在さえも、頭になかったのかもしれません。

しかし、高校生の迷惑な行動はこれだけではありませんでした。ぶつかってしまった後、

一瞥しただけで、また自分たちのおしゃべりを始めたのです。そして、目の不自由な方が

あやまるようなしぐさをし、高校生の集団を避けるように、不安そうに歩いて行かれまし

た。

なぜ、障害者の方があやまらなければならないのか。高校生たちはなぜ道をあけようと

しないのか。弱者を考えない行いに、強い怒りをおぼえました。

その怒りもおさまった頃、ふと考えました。自分はちゃんとまわりを見て行動できてい

るだろうか。人に迷惑をかけてはいないだろうか。考えれば考えるほど、思いあたること

が沢山出てきたのです。

私は七月まで、吹奏楽部で活動していました。自分たちの演奏の参考にするために、他

の吹奏楽の演奏を聴きに出かけることが、しばしばありました。演奏会ですので、きちん

とマナーを守らなければなりません。しかし私は、演奏中に友達としゃべってしまい、そ

のことで注意されました。目と耳と心で聴かなければならないのに、真剣に聴いている人

たちのじゃまをしてしまいました。素晴らしい演奏会だったのに、自分の至らなさで、後

味の悪いものになってしまいました。

好きなことは、とことんやるべきだし、楽しいことは、存分に楽しむべきだと思います。

しかし、その中でもしっかりまわりを見て、自分の今の行動は、誰かに不快な思いをさせ

ていないか、考える心が必要です。いろいろな行動をしていく上で、それは基本的なこと

だと思います。

点字ブロックの上に座っていた高校生たちは、その後どんな学校生活を送っているでし

ょうか。自分勝手な人は、決していい人間関係を築くことはできません。自己中心的な考

えを捨て、人を思いやることができる、私はそんな人になりたいです。

もっとまわりを気遣う心を育て、物事を広くとらえることができれば、多くの人が気持

ちよく過ごせる社会になるのではないでしょうか。

奨励賞

言葉

白山市立鶴来中学校

2年

作田

史織

みなさんは言葉について深く考えたことはありますか。私は日常生活の中であたりまえ

のように使っている言葉についてなんて考えたこともありませんでした。そんな私が言葉

について深く考えるようになったのはある一通の手紙からでした。

その手紙とは文通をしていた友達からのものだったのですが、内容は「ケータイ買って

もらったから電話番号とメールアドレス書いておくね。」というものでした。そこで目に止

まったのがメールという言葉でした。中学に入ってからなかなかその友達には手紙を出せ

ないでいたので、メールなら短時間で文章を打てるし、届くのもはやくなる!と思ったか

らです。私はすぐにパソコンから友達にメールを送りました。「久しぶり。元気だった?こ

れからは一緒にメールせんけ?」と。しかし、返ってきた返事は「うん。いいよ。」だけで

した。この返事をみたとき、私はなぜか悲しい気持ちになったのです。しゃべっていると

きはこんな返事あたりまえなのに、なぜか文章にすると素っけなく感じてしまったのです。

そんな思いを抱きながらも私はその友達とメールを続けていました。だけど向こうから送

ってくるメールはなく、来るのは私の送ったメールの返信ばかりでした。そのとき私は、

メールってあんまり楽しくないなと感じ、前の文通のほうが良かった、また一緒に会って

話したいなと思ったのです。そこで私はあることに気付いたのです。それこそが言葉につ

いてでした。メールが素っけなく感じたのは言葉が足りなさすぎたからなのです。普段話

している言葉は言いたいことがポンポンでてきますが、いざそれを文章であらわそうとす

ると言いたいことが出てこなくなり言葉が少なくなってしまうのです。このようなことは

私のまわりでもよくおこっていました。メールの言葉が少なすぎてなんて書いてあったか

全然分からなかった私の友達が相手に「なんて書いてあったん?」と聞くと「え、そんな

んも分からんが。」と言われケンカをしてまったり、絵文字がないと「何か怒っとる?」と

かんちがいしたりなどいろいろありました。それは相手の顔が見えなかったせいもあると

思います。メールや手紙は相手の顔が見えなくてどんな気持ちで書いたものなのかが読み

とれなくなってしまうのです。直接伝えるということがあたりまえすぎて、近くにありす

ぎて私はこの大切さに気付けないのでいたのです。

言葉を伝えるのは心、今自分自身が思っていることを相手に分かってもらえるように説

明するということだと思います。だから人はたくさん話すのではないでしょうか。朝起き

てから夜寝るまでの間に一言もしゃべらないというのはもったいなさすぎるとは思いませ

んか。思っていることをなかなか言えなくて人のいうままになっている人は損をしている

と思います。辛かったら辛い、嬉しいなら嬉しいとあなたの近くの人に、そしてあなた自

身に伝えてみてはどうですか。今、あなたが思っていることは今しか伝えられないのです。

今このときは一度しかないんです。人は言葉があるから成りたっているのです。今私自身

も言葉がなければみなさんにこうして大切さというものを伝えることができなかったので

す。

言葉とはなぜ存在するのか。私にはこの答えは分かりません。いえ、むしろ分からなく

てもいいと思います。存在するから使っているのではなく、人は言葉が必要だから使って

いるのだと私は考えるからです。言葉でつなげられる心があるのならどんどん話しましょ

う。人と話すことをやめてしまった人達も少し勇気を出してみて下さい。言葉は私を、あ

なたを裏切りません。

私は普段考えないようなことを今、この場で言葉を使ってみなさんさんに伝えられて本

当に嬉しく思います。あたりまえの言葉がどれだけ人に必要で大切なものなのかというこ

とを分かってもらえたでしょうか。私はこれから直接なんでも伝えられるような人になる

ためにこの言葉の大切さ、そして今みなさんに伝えられているありがたさを忘れないよう

に心の中にしまっておきたいと思います。そして、みなさんもこれからたくさん言葉を使

ってみて下さい。その言葉がたくさんの人の心に伝わるように、心をこめたあたたかい言

葉を。

奨励賞

お互いに歩みよって

加賀市立山中中学校

3年

佳子

私はやってみたい事がたくさんあります。その一つに選挙をしてみたいというのがあり

ます。中学生は選挙権がないことは知っています。ですが、二十歳以上になれば選挙権を

得て、選挙に参加することができます。しかし、今の法律でいっても私は選挙権を得るこ

とはできません。なぜなら私は日本人ではなく、中国人だからです。

今の日本の選挙は二十歳以上というだけではなく、日本国籍を持っている人でなければ

選挙権を得ることはできません。私は日本に住んでいるから、日本の住民です。私の学校

の友達も日本の住民です。同じ日本に住む人なのに得ることができる者とできない者がい

るということはおかしいと思います。私はそれは国が「あなたは日本国民として不完全だ

から、選挙権をあげるわけにはいきません」と言っているように思えます。日本に住んで

いるから政治にはそれなりの関心もあるし、日本人との大きな考えの違いもありません。

憲法には「国民主権」「基本的人権の尊重」というものがあります。政治は国民のために行

うものだから選挙があって、人権のことを考え、男女関係なく選挙権が得られます。しか

し、日本の住民なのに選挙を通して政治に参加することができない人もたくさんいるので

す。

選挙以外でも「外国人だから」といった理由ではぶかれたり、軽視されることもしばし

ばあります。だから、夢を持って日本に来たのに仕事がなく、生活するだけで一生懸命だ

という人はたくさんいます。たとえ仕事を得ることができ、日本人となんら変わりない生

活をしていても文化の違いなどで口論になったり、衝突することもあるといいます。

このような言語や文化の違いから、外国人は差別され、孤立していきます。そのような

ことが起こったり、増えたりしないためにも、外国人を敬遠せず、心を開いて歩みよって

ほしいのです。

私はずっと日本で過ごしてきたので、これからも日本での生活を送れば二十歳以上にな

って日本国籍を取ることができます。ですが、私と違って日本国籍を取りたくても取れな

いという人はたくさんいます。取れる人も自分が生まれたり、過ごしてきた国の誇りや愛

国心を持っていると思います。

国籍を取るには「帰化」という方法があります。「帰化」とは違う国から来た外国人が国

家の許可を得て、その国の国籍を持つことです。しかし、許可申請には十二枚というたく

さんの書類が必要となります。それを言葉が分からなかったりする外国人に求めるのはど

うかと思います。実際に私の母が何年も前に申請しましたが、

「よく分からないけど、駄目だった。」

と言っていました。私はそれを聞いて「国籍を取るのはすごく難しいんだなぁ」と思いま

した。私は外国人のことを思い、もっと簡単にしてほしいです。もちろん単純に簡単にす

るのではなく、外国人が相談や質問をしやすくするための雰囲気作りをしたらいいと思い

ます。

皆すべて同じ人間なのだから、必ず心はかよい合うと思うし、言葉が通じなくても身ぶ

り手ぶりでコミュニケーションをとったり、お互いに言葉を教え合うこともできます。同

じ国に住んでいる住民が同じ権利を持てるような、そんな世の中にしていきたいのです。

日本人も外国人も心を開いてお互いに歩みより、助け合うことができたら、人種問題や

差別などの問題もだんだん減っていくと思います。そのように理解し合える世の中にした

いと私は思います。

奨励賞

将来への道

金沢市立浅野川中学校

3年

酒井

彩花

みなさんには将来の夢はありますか。私にははっきりしたものはありません。中学校で

義務教育は終わり、これから高校・大学そして就職へと自分で決めた道を歩むことになり

ます。

でも、私は来年に迫る受験について悩んでいます。特別「ここに絶対にいきたい」と思

える高校はなく、6月に行われた進路希望調査でも志望校をあいまいな気持ちのまま書い

てしまいました。志望校にしたのは、姉が卒業した高校です。文化祭などに出かけ、楽し

そうだなと思ったことがきっかけです。それでも自分の学力はそこに全然追いついていな

いし、それが本当に自分に合った学校かどうかもわかりません。周りの友だちは、次々に

志望校を決めそこを目指して勉強していると思うと、とても心配になりおいていかれてし

まうのでは、という焦りでいっぱいになります。

そんな私にもかつて将来の指針となるようなできごとがありました。中学2年の冬のこ

とです。父と一緒に何気なくTVを見ていた私は、ある番組にひきつけられました。助産

師を特集したもので24時間追い続けるという内容でした。大きなお腹で苦しそうな女性。

それを心配そうに見つめる男性。助産師さんには昼も夜もありません。一つの命を取り上

げるために必死です。そして赤ちゃんが誕生した瞬間の、お父さんお母さんの喜びの表情

が忘れられません。私はいつの間にか食いいるようにTVを見ていました。見終わった後

の大きな感動に「かっこよかった。」と、つい口に出すと父は頷いて、こう言いました。

「誕生にたずさわる仕事もいい。お父さんは人を送る仕事だから。」

ゆっくりと言いふくめるように父は言ったのです。

父の言った、「人を送る」というのは、命が尽きるまでお年寄りと一緒に過ごしその人が

命の終わりをむかえたとき最後まで見送る仕事という意味です。確かに父は老人ホームの

事務員として働いており一ヶ月に数回、亡くなった方のお葬式に出かけていきます。その

度に大変そうだと思いながら父の喪服姿を見て戦場にでかける戦士を見ている気分になり

ます。その背中からは自分の仕事への誇りを感じます。父の仕事は人生の終末を共に過ご

し、その人を見送る仕事です。つらい仕事です。でもその仕事に誇りをもっているに違い

ありません。

またいつも父は私にこう言います。

「人助けは大変なことだけど、誰にでもできることだ。」

医療関係に勤める母も似たような事を言います。そんな家族に囲まれている事や、両親が

仕事に誇りを持つ姿を見ていることで私も将来、人を助けられる仕事がしたいと思うよう

になりました。まだまだ具体的に仕事内容を描いているわけではありません。志望校を書

くことさえ迷っている私です。でも、「人を助ける仕事がしたい」それだけでも目標を持て

た私は次に進むことができると思います。

今、私にできることは残りわずかの中学校生活を悔いが残らないよう何事も精一杯とり

組むこと。そして一生懸命に勉強して進路をひらいていくことです。自分に合った高校、

自分の夢が叶えられる高校を見つけ出し、挑戦していきます。これからも節目、節目で選

択をせまられる将来への道。楽しいことばかりでなく悩んだり落ち込んだりもするでしょ

う。期待と不安で一杯ですが人を助けたいという信念を胸に刻んで一歩一歩、歩んでいき

たいです。

奨励賞

万里の長城での誓い

金沢市立額中学校

3年

宮島梨里

「僕は、日本のみんな、大好きです。」

王(ワン)君のその言葉が忘れられません。

二〇〇五年冬、中国の上海を訪れました。コートを買おうと店に入りました。「これ、か

わいいね。」「こっちもおしゃれだよ。」はしゃぎながら会話を交わしていました。

その時です。大きな怒鳴り声が響きました。年配の女性が私達に怒鳴っています。

「え?何?」中国語なので何を言っているのか全くわからないのです。散々怒鳴ると、女

性は店を出て行きました。

母が店員さんに英語で尋ねていました。店を出てから母が言いました。「四月に上海で反

日デモがあったでしょう?今は、日本語を聞いただけで腹が立つ人もいるの。私達も、も

う少し配慮しなくちゃいけなかったね・・・。」

私は何のことかわかりませんでした。ただ気にいったはずのコートを身につけながらも

何か恐いものに身を覆われているように感じられました。

それ以来私は中国の人に、「恐い」というイメージを持つようになってしまいました。「も

う二度と中国には行きたくない。」とも思いました。

同時に、中国と日本との関係についても調べてみました。戦争時のこと、歴史教科書の

こと、靖国参拝のこと、上海での反日デモのこと・・・。

驚くことばかりの歴史を私は知りました。簡単には語れない難しい問題があることを知

ったのです。

母の知り合いに、王君という中国からの留学生がいます。王君は目が見えません。ある

時、王君と話す機会がありました。

会話が進んだところで、私は王君に尋ねてみました。「どうして日本に留学したいと思っ

たの?」「中国の人は、日本人のことを嫌いなんじゃないの?」

「しまった!こんな質問、いけなかったかも・・・。」すぐに後悔しましたが、王君は穏

やかに答えてくれました。「僕は、日本の人とたくさん話したかったです。」「僕は、日本の

みんな、大好きです。」

嬉しかった。その言葉が、私は本当に嬉しかったのです。

二〇〇七年十二月、中国冷凍ギョーザ事件が起こりました。私は、真っ先に王君のこと

が気になりました。「王君が周囲からいじめられていなければいい・・・。」そんな思いで

いっぱいでした。

しばらくして王君から連絡がありました。「職場のみんなと仲良く頑張っていますよ。」

「僕の目は見えないけれど、僕の心には、いつも日本のみんなの笑顔があるんです!」

ほっとしました。王君のたくましさと大きな心に、胸が熱くなりました。「私も中国の人

とたくさん触れ合おう。」強くそう思いました。

北京オリンピックが開かれた夏、私は再び中国を訪れました。太極拳を教えてくれた元

気いっぱいの女性。「おいしい!」と言ったら、満面の笑顔でもう一つサービスしてくれた

屋台のお兄さん。別れ際に、「謝謝。ありがとう。」と一生懸命に手を振ってくれた子ども

たち・・・。みんななんてすてきな人達なのでしょう。一人一人のあたたかい心が伝わっ

てきたような気がしました

「万里の長城」に登りました。様々な国の人達の笑顔があふれています。昔、敵の侵入

を防ぐために作られたはずの万里の長城。それが、まるで世界中の人々の心を結んでいる

かのように感じられました。

中国の人も、日本の人も、世界中の人達が皆平和を願っています。同じです。そして未

来の平和を担っているのは私達なのです。

恐れていては何も始まらない。勇気を出して歩み出すことが大切です。

万里の長城で私は誓いました。

「中国の人、そして世界中の人達と、もっと語ろう。もっとわかり合おう。まずは自分か

ら・・・。」

奨励賞

生徒会というきっかけ

能美市立寺井中学校

3年

宮崎

稜也

「学校のために生徒会役員にならないか」

二年生の冬に先生から勧められたとき、僕はまず断る理由を一生懸命考えました。

周りに目立ちがり屋と思われるのが嫌。部活もがんばりたくて受験勉強もしなくてはい

けなくなる。だから正直、先生から「やらないか」と言われたときも、心から「はい」と

は言えませんでした。でも、仲の良い友達もでるのでとりあえずやろうと決め、執行部の

一員として動き始めました。

寺井中学校の生徒会には「生徒会の歌」というものがあります。この歌はおよそ三十年

もの間歌われなかったのですが、旧執行部の人達が協力して取材をし、復活させました。

ですからこの歌には旧執行部の人達の、寺井中学校に対する熱い思いがこめられています。

そしてこの「生徒会の歌」をうたって生徒会を引き継ぐのが僕たちの一番最初の仕事でし

た。その練習のとき、生徒会に気持ちが向いていない僕はだらだらして中途半端に歌って

いました。それを先輩たちはすぐに見抜いて「声が小さい。まともに声も出さないお前た

ちに生徒会は任せられない。」

と言いました。先輩からは怒っているだけでなく、残念そうで生徒会の仕事を任すことが

心配そうな様子が見てとれました。確かに練習はだらだらしていたけれど、なぜそこまで

言われなければいけないのか、そういったいら立ちがこみ上げてきました。僕はあきらめ

られたような感じが悔しく、やればもっとできると分からせたい、そしてこれなら任せら

れると思わせたい、そんな気持ちで取り組むようになっていました。

それからの仕事は自分も含め執行部のみんなが、これまでの先輩が作り上げてきた寺井

中学校を今度は自分たちが引き継いでいくのだという意識の中で一生懸命に取り組んでい

ました。

中でも僕が一番印象に残っている仕事は三年生を送る会でした。僕は三年生の思い出の

写真を使ってスライドショーで流す担当になりました。三年生が寺井中学校で過ごしてき

た三年間の膨大な記録をみながら、自分だったら入学式の写真があったら嬉しいだろうな、

今はいないけれどお世話になった先生方の写真が出てきたら嬉しいだろうなと考えながら

写真を一生懸命探しました。見返してやりたいと思って仕事をしていた自分が今は、自分

の意志でこうしたいと思って取り組めるようになっていることに気づきました。

いよいよ本番。自分が工夫して創ったスライドが流れます。僕は三年生の反応が気にな

っていました。

「わぁ、○○先生や!」

「あ、体育祭や。そういえばこんなことしたなぁ。」

懐かしい先生の顔や、思い出の行事が画面に映る度に、三年生の席から大きな声があがり

ました。三年生が喜んでいるのを感じて、僕はほっと胸をなでおろしました。

終わってから三年生が、

「ありがとう。」

と声をかけてくれました。それを聞いて一つの仕事を成し遂げたという達成感と、三年生

に認められたという充実感が僕の心の中に生まれました。

初めは何となく先生に言われてやっていた仕事でしたが、自分からこうしたいという意

志をもって取り組めるようになっていきました。半年間の任期を終えた時にはほっとした

ような、なんだかさみしいような、言葉では言い表せない気持ちになりました。役員を断

る理由を考えたり、目立ちたがり屋と思われたくないと思っていた頃からは、想像もつか

ない気持ちでした。初めは嫌だと思っていてもあきらめずに精一杯取り組むことで変わる

ことができる、成長できる。僕は生徒会への一歩を踏み出したことで、自分が変われた気

がします。

一歩を踏み出すことはとても勇気がいるけれど、生徒会というきっかけが僕を成長させ

てくれたように、これから出会う出来事が自分を変えるきっかけになるかもしれないとい

うことを信じて一歩を踏み出していきたいです。

奨励賞

新しい自分を見つけるために

七尾市立御祓中学校

2年

竹本

俊太郎

「なんでおれを試合に出さんげんて。」今年の五月にぼくの目の前に今までに見たことの

ない高い高い壁がたちはだかったのです。

小学二年生の夏、軽い気持ちで始めたサッカーですが、今のぼくにはかけがいのない大

切なものになっています。ところが、その日以来、辛く、つまらないものになってしまい

ました。

ぼくは一年生の時から、先輩達に混ぜてもらい多くの試合に出してもらっていました。

そしてそれが当然に思うようになっていました。しかし、突然、先発出場どころか、試合

に出ることさえ、ほとんどできなくなりました。「なんでやろう。どうして出られんげん。」

悩みました。そんなぼくに家族はいつも優しく話を聞いてくれるのです。「俊太郎、どうし

たん。元気ないぜ。」それをいいことにぼくは反省もせず、使ってくれないコーチを憎く思

うことさえありました。そんな時、いつもは黙って話を聞いてくれていた母が強い口調で

言いました。

「勘違いしてない。ずっと出してもらってるからって、調子に乗っているでしょ。」

ハッと目が覚めた気がしました。

「ごう慢になってはだめ。いつも謙虚な気持ちを忘れないで。」

母がよく言う言葉です。ぼくはごう慢になっていたのかもしれない。パスがうまくつなが

らないのは相手のせい。仲間がミスをすれば「しっかりしろよ。」「ふざけるな。」と思う時

もありました。悪いのは人ではない。本当は自分だったのです。自分を見直し、努力をし

なければならないことにようやく気付いたのです。そして、ベンチで過ごすことが多くな

ったぼくは、もっと大切なことに気付かされました。「ナイスシュート。」「いいぞ。いいぞ。」

とベンチからの大きな声。冷たいドリンクやタオルをさっと差し出すこまかい心遣い。こ

の力がフィールドを走る選手を大きく支えているということです。ベンチにいる選手はだ

れもが出られないことに納得しているわけではありません。しかし、色々な思いを胸にフ

ィールドの選手と一丸となって戦うことによって、一つのすばらしいチームが成り立って

いることを実感しました。

サッカーが今、つらいものになっても嫌いにはなれません。大好きで大切です。ぼくの

夢はサッカーの指導者になること。今、ぼくが悩み苦しんでいることは、自分を大きく成

長させる最高のチャンスだと信じています。壁から逃げてはいけません。また必ず同じ壁

に出会います。しっかり受け止め一歩ずつ前へ進んでいかなければならないのです。その

時に謙虚な気持ちを忘れてはなりません。より一層乗り越えにくくなるからです。

ぼくは今、同じ失敗を繰り返さないために、練習や試合の後にサッカーノートを書いて

います。ノートに書くことによって、冷静に振り返ることができ、謙虚に自分のプレーや

仲間のプレーを見ることができるのです。時には、あせりからか、逃げたくなることもあ

ります。弱くなったときには、家族や仲間が優しく支えてくれ、とても感謝しています。

ぼくは自分を信じ努力していきます。壁の向こうの新しい自分とサッカーに出会うために。

応援してくれているみんなに恩返しをするために。そして今度は自分がみんなを支えてい

けるように。

奨励賞

笑顔を届ける手紙

白山市立松任中学校

3年

森田

真由

中学生になって初めての秋、私のもとに一通の手紙が届きました。封筒を開けると、懐

かしいにおいがします。

みなさんは手紙を書くことが好きですか。

私は好きです。便箋に、ひと文字、ひと文字、言葉をのせて、友人へ、家族へ思いを伝

えてみるのは、とても大切なことだと私は思います。

ですが、そのような手紙を書くことは難しいのです。「手紙」というと長い文章を書かな

ければいけないイメージがどうしても浮かんできませんか。そうすると手紙を書くことが

苦手、めんどうだ、と感じる人もいるかもしれません。私も、手紙を書くなんて時間の無

駄だ、言いたいことがあるのなら直接言えばよい、と思っていました。

中学生になって初めての秋のことです。私のもとに一通の手紙が届きました。封筒には

ただ私の名前と住所しかなく、送り主の名前は書いてありませんでした。

不思議に思いながらも封を開くとそこには二枚の便箋が入っていました。見てみると、

大きくて、はっきりした、懐かしい文字が、便箋いっぱいに書かれてあるのです。

小学校からの親しい友人からでした。

その友人とは中学校が別々になってしまい、もう何か月も顔を合わせていませんでした。

私はすっかりうれしくなり、手紙を何度も何度も読み返しました。読んでいるうちに、い

つの間にか私は笑顔になっていました。人から手紙が送られてくるのは、こんなにも、う

れしいことなのだと感じました。

その手紙の内容には、中学校初めてのクラスのこと、新しい友達のこと、部活動のこと、

などとたくさんのことが書かれていましたが、一つ、気になった言葉がありました。

手紙のいちばん最後に「ありがとう」と書かれていたのです。何がありがとうなのだろ

う、と私は最初、思いました。手紙はその言葉で終わっていて、私はなんだか、その友人

に謎かけでも出されているような気分でした。

気になって、気になって、でも手紙の最後にあった「ありがとう」の意味がどうにも解

けなくて、私はついに、手紙をくれた友人に返事を出すことにしました。学校のこと、勉

強、クラス、私には伝えたいことが山ほどありましたが、まず手紙の最初で、率直に尋ね

ました。あの「ありがとう」はどういう意味なの、と。

それから一か月近くが過ぎたある日、再び私のもとに一通の手紙が届きました。封筒に

は、しっかりと送り主の名前が書いてあります。一か月前に私が返事を送った友人からの

手紙でした。

ずっと引っかかっていた、あの「ありがとう」の意味が分かるのかもしれない、という

思いで封筒を開きました。そこにはこう書いてありました。

「あなたに手紙を書いたとき、なんだかとても、うれしくなったんだよ。楽しく遊んだと

きのことを思い出して、笑顔になれたんだ。だから

“ありがとう”なんだよ。」

私はなにか、心があたたかくなるのを感じました。私もうれしかった、笑顔になれたよ

と、伝えたい気持ちでいっぱいでした。

私は今でも、その友人と文通を続けています。お互い忙しいので一か月間隔くらいのや

りとりですが、送られてくる手紙は私にとって、すべてが楽しく、きらきらした宝物です。

あのとき、あの秋の日にもし手紙が送られてこなかったら、私はこんな気持ちに出会え

ませんでした。この出来事を通して私は手紙の大切さについて考えることができました。

文章が短くても良いのです。そのひとことにどれだけの思いがつまっているかが「手紙」

なのです。自然に出てきたあなたの言葉が、相手を元気にさせるかもしれないのです。私

もいつか、こんな手紙を書くことができたら、笑顔を届けることができたら、うれしい、

と思います。

奨励賞

みんなに支えられて

七尾市立朝日中学校

3年

直木慎太郎

六月十九日、入学以来続けてきた部活動の幕が下りました。

去年、あと一勝で県体出場というところでまさかの負け。先輩たちはずっと泣いていま

した。

「ああしていれば…」「こうしていれば…」という声も聞こえてきました。その時僕は、「来

年は絶対に後悔しないぞ。」と誓いました。小学校から続けてきた野球でしたが、あの時を

境に野球に対する意識が大きく変わったのです。

もともと負けず嫌いではなかった僕が、野球に対しては結果にこだわるようになりまし

た。自分でも分からないうちに、自分自身にプレッシャーをかけていたのだと思います。

けがもあり、満足に動けずチームの足を引っ張っている自分が悔しくて、悔しくて、何を

してもうまくいかないことに腹を立てていました。

そんな時、チームメイトが声をかけてくれました。

「おれは抑えるから慎太郎は打ってくれ、いっしょに頑張ろう。」

みんなが僕のことを気にかけてくれていることに自然と涙があふれてきました。また、顧

問の先生からもたくさんアドバイスをいただきました。正直なところ、先生からは怒られ

たくなかったし、褒めてもらいたかったです。先生がいつもおっしゃる、

「普段の生活をしっかりしてから部活に来い。ユニフォームを着るということは、朝日中

学校の看板を背負うことだ。」

ということの意味をもう一度考え直してみました。野球は九人、いやベンチ全員、部員全

員でするスポーツなんだ。自分は勘違いをしていたなと気づきました。

僕は、このときそれぞれの役割があるのではないかと考え、僕の役割は何か、と自分に

問いかけてみました。自分にできること…僕はグラウンドで精一杯大きい声を出し、仲間

にも僕がしてもらったように声をかけて元気をだしてもらおう。声を出せる存在でありた

いと思いました。調子が悪くても、グラウンドでは明るく前向きでいようと決めました。

僕にとっての役割だし、やりがいがありました。

また、野球部の仲間から得たことがあります。僕は野球部の同級生の存在を意識してき

ました。仲間たちは文武両道で頑張っているし、あいさつを初めとして、礼儀正しくさわ

やかです。自分の考えがはっきり言えたり、手を抜くことがなかったり、見習いたいと思

うところが多いのです。見習いたいと思うと同時に負けたくないという意識も強いです。

やはり、ライバル意識があるので、日々頑張っていけるのだなと思うし、人間的に成長で

きたと実感できる瞬間があります。

自分のまわりにこんな仲間がいてくれたことに感謝しています。県大会に進めなかった

ぼくが、今悔いを残していないのは、そんな仲間の存在が僕を支えてくれたからです。素

直にありがとうの言葉がでます。そして、自分のことも少しは褒めてやろうと思います。

僕たちはこのまま、この仲間でずっといっしょに行くことはできません。だけど、二度と

ない中学生の時期をいっしょに切磋琢磨できてよかったです。それぞれ別の道に進んでも、

支えあって頑張ってきた経験を生かしてまだまだ成長していきたいです。そして、またい

つの日か集まって野球が楽しめたら最高です。支えてくれた仲間に感謝し、

「宣誓。僕はいつまでもみんなの良きライバルでいることを誓います。」

奨励賞

臓器を提供するということ

金沢大学付属中学校

3年

堂前晩成

私はテレビや新聞、インターネットで、病気と闘っている人に密着取材しているものを

よく見ます。そのたくさんの話の中には「九死に一生を得た」などの奇跡的な体験談もあ

れば、もちろん「死」で終わる悲しいものもあります。

そのような話の中に「ドナー、すなわち臓器を提供してくれる人が見つからずに死んだ」

という話がありました。これを聞いた私は、臓器提供は本当に重要なことだと強く感じま

した。

そんな中で、八月十日、関東甲信地方の医療機関に入院中だった二十代の男性から、臓

器提供が行われたという報道がありました。心臓は大阪府の二十代男性に、両肺は岡山県

の二十代男性に、肝臓は東京都の六十代女性になど、各地に運ばれて移植されたとのこと

です。

このケースがなぜ注目されたのかというと、男性本人が臓器提供意思表示カードでは提

供の意思を示していなかったからです。

七月十七日に施行された改正臓器移植法によって、本人の臓器提供の意思が不明な場合

でも、家族の承認があれば臓器提供が可能になり、同時に十五歳未満の人からの臓器提供

も可能になりました。その法律施行後の初めてのケースだったのです。

この出来事を踏まえて、先日私は家族と臓器提供について話し合いました。私の両親は

二人とも臓器提供意思表示カードを持っていて、全ての臓器を提供する意思があります。

カードの家族署名の欄もお互いに書きあってありました。両親の意思を聞いて、それまで

特に関心を持っていなかった臓器提供について私は真剣に考えはじめ、私も両親と同じよ

うに、臓器提供をして社会の役に立ちたいと思うようになりました。そして、改めて臓器

提供の重要性を強く感じました

臓器提供ネットワークの資料によると、現在の臓器提供意思登録者の数は約七万人です。

多いように感じるかもしれませんが「臓器を提供しない」という意思の人も含まれていま

すし、この中から何人の人が脳死状態になるのかを考えると、少人数であることが想像で

きます。また、移植希望登録者の数は一万人以上なので、ドナーが全然足りていないこと

がわかります。実際、現在までに行われた日本国内での移植の例は百例足らずなのです。

このような話を聞いても、自分はドナーになりたくない、自分の家族の臓器を提供する

のは倫理的な面で抵抗があるという人ももちろんいるでしょう。ドナーの遺族は十分にド

ナーの遺体を見ることなくすぐに臓器が取り出され、各地へ運ばれていくのです。さぞか

し辛いことでしょう。また自分がドナーになるにしても、成仏するまで遺体を傷つけない

でほしいという思いの人もいるかもしれません。現に、八月のケース以降、臓器を提供し

ないという意思を示した人が二パーセントから十パーセントに増えたそうです。

でも、そういう人はもう一度よく考えてみてください。もし、自分が何らかの病気にか

かり、ドナーが必要になり、ドナーの候補が見つかって喜んだ矢先にドナーの遺族が臓器

提供を拒否したとしたらどう思うでしょうか。つまり、ドナーになるのを拒否することは、

臓器を提供されることを拒否することと同じなのです。

また、中には臓器提供が必要なほどの病状になった人はそういう運命なのだからあきら

めるべきだという人もいます。しかしこの発言は、医療というものを否定していることに

なりかねません。そうなると、臓器提供の中だけでおさまる話ではなさそうです。

このようなことで、助かったはずの命が助からなかったとなれば、それこそ倫理的な面

から問題です。

そこで私は、臓器提供を義務化する法律を作成することを提案します。命を救うために

は、たくさんの臓器、つまりたくさんの人の意思が必要なのです。法律を作ることには多

くの困難が伴うでしょう。しかしそれをきっかけに、以前よりもより多くの人に臓器提供

について関心を持ってもらい、前向きに考えてもらうことが多くの命を救う第一歩です。

もし、その法律が施行される日が来るとしたら、たくさんの人の命が助かっていく日は

近いはずです。

これがその臓器提供意思表示カードです。あなたはこのカードに名前を書くことができ

ますか。

奨励賞

当たり前なんかじゃない

かほく市立河北台中学校

3年

元女

咲紀

当たり前のように学校に来て、当たり前のように勉強して部活をして、当たり前のよう

にご飯を食べ、そして当たり前のように生きている。こんなことは、私たちの日常生活で

当たり前になっていることです。

しかし、このようなことを本当に当たり前と言っていいのでしょうか。

私は去年の夏休みある本を読みました。バレーボールに所属していた姉と私に父が買っ

てきたものです。この本を書いた横山友美佳さんという女性は、小さいころからバレーボ

ールをやっていて中学時代からオリンピックの有望選手に選ばれるほどの実力を持ってい

ました。しかし、横山さんが十八歳のときにがんの宣告を受け、それからはバレーボール

はもちろん、生きていることだけでいっぱいいっぱいの生活を送ってきました。そんな女

性が言った言葉の一つに印象に残ったものがあります。それは、「見ること、聞くこと、話

すこと。当然のようにできている人間は何とも思わないけど、それらはすべて当たり前な

んかじゃない。」という言葉です。これを読んだとき私は、今バレーボールができていると

いうこと、ただそれだけで、自分はとても幸せだと感じました。横山さんのようにバレー

をしたくてもできない人がいるんだ。でも自分はできている。そう考えると、どんなにさ

さいなことでも幸せに感じると思います。

でも病気になって何かを失ってから今までのありがたみに気づくなんてなんだかもった

いないような気がします。この時、この一瞬を必死で生きようとしている人がいる中で時

間をムダにしている人がいるならば、私はその時間を横山さんのような人にあげられたら

いいのにと思います。

よくテレビなどで、貧しい国の人々についての番組をやっています。私たちが住んでい

る日本は、とても恵まれています。日本と比べて学校に行きたくても行けない人、お腹が

すいてもご飯が食べられない人、自分の住む家がない人がいます。こんな困った人がいる

中で、平気で食べ物を捨てる、当たり前のように学校に通っている、日本にはありがたみ

や感謝が足りないような気がします。実際、私自身も今まで何もかも当たり前のように過

ごしてきました。

生きていること、そのことだけでも当たり前ではありません。母は世界中で生きている

人は選ばれてこの世に生まれてきたと言っていました。今の時代は命を粗末にし自殺する

人が多くいますが、生きていることだけでも感謝しなければならないと私は思います。

もし、命を捨てるのならば、今苦しんでいる人にその命をあげることはできないのでし

ょうか。私はそう叫ばずにはいられません。

横山さんは、がん宣告をされて三年後に亡くなりました。この本の最後の方にはこんな

ことが書いてあります。「命を捨てるくらいなら、私にください。」と。この世に生まれて

きた以上もっともっと長く生きていたかったにちがいありません。

みなさんも当たり前のように毎日を過ごし多くの感謝を忘れがちになっていませんか。

目が見え、歩くことができ、耳が聞こえること、そんな当たり前ができることに喜べて感

謝できるってとてもすばらしいことだと私は思います。

私は、今何もかも当たり前のように生きている人に伝えたいです。「あなたが今やってい

る一つ一つの行動は当たり前なんかじゃない。」ということ。

講 評

石川県教育委員会事務局学校指導課 課参事 髙橋 正英

ただいま、発表していただいた15名の皆さん、ありがとうございました。石川

県大会という場面で、さぞ緊張されたことでしょうが、皆さん、とても立派に発表

されました。中学生らしい純粋さが素直に表現されており、発表態度もさわやかで

落ち着いたものでした。さすがにそれぞれ地区大会で優秀な成績をあげられただけ

あって、いずれも甲乙つけがたい素晴らしい発表でした。

自分の考えをまとめ文章に表し、わかりやすく相手に話すこと。こうしたことば

の力をつけることを、今、学校では大切にしています。

皆さんは、学校生活や家庭生活などで経験したことや、読書やTVなどを通して

知ったこと、社会の出来事などに着目し、自分自身の成長や将来のこと、人と人と

の関わりや人権、より良い社会の在り方など、身近なものから社会に目を向けたも

のまで、様々なテーマを取り上げていました。

・体験から気づいたことや学んだことを大切にしていこうとする思いや、

さらに、今後に生かしていこうとする決意

・人との関わりから、これまでの自分を見つめ、よりよくあろうとする思い

・つらい経験を乗り越え、解決に向けて踏み出したことや、

成長した自分に気づき、さらに積極的に取り組もうとする意欲

・自分の将来を切り拓いていこうとする決意

・よりよい社会の実現に向けての思い

など、物事を正面から受け止め、自分自身をよく見つめ、よりよくありたいと語る

姿に胸が熱くなりました。中学生の皆さんが持っている誠実さ、優しさや温かさ、

豊かな感性、そして向上心をたのもしく感じました。

皆さんは、今、体も心も大きく成長する大切な時期を迎えています。今日の発表

のように、いろいろなことに積極的に挑戦し、また、友だちとも切磋琢磨し、それ

ぞれの未来に向かって力強く歩んでください。

本日は、皆さんの真摯な発表を聞く機会をいただいたことに改めてお礼申し上げ

ます。発表された皆さん、そしてこの大会にご尽力頂いた皆さん、どうもありがと

うございました。以上で講評といたします。