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春秋繁露 i 巻八 度制第二十七@ j 本一級は吋春秋繁縫いの通削除を、刊紙輿のを通 に恭づきながら試みたものである。今聞は、議八の 関係上、前半部分のこ綴分を掲載した。後半の二綴(仁 九・必仁間以線第一一一十)は「佐初日大協す〈」 通説、途解の逃め方は、従来問様、本文と注をそれぞれ分附 校の本来の佼援を①・②・③:・:の記ぢで示す形式を取って また、文ゅの〔)は刊紙輿の自泌を示し、()は、訳議注をおす。 成本は、山以統府民成本門市行秋縦糸鋸談託い(中文出版社山刊 度制制欝二十七① 〈畿証〉 ①吋抑制いに日く、「節するに制度を以てすれば、財を傷らず、民令答 せず」(節制対象伝)と。「成制制」とは獄ほ制度のごとし。対 mm( 第三 次)に一式ふ、「人欲之れを僚と謂ふ ο 悩は度判叫に非ざれば附仰せられ、す」 英司 (門淡心沿い本伝)と。関説、疏し ひ、附して上に制佼亡く、礼総を出品て、 ナペ に閉山なりで淡ごとに悶じからずと約ふぺし。 てんねを頼みるに非ぷるなり」(諸問内い本伝 に一以ふ、「位、一点、恥にして、川刈巧安飾り 十ふと為し、法付仙川令犯しふ人弘知念総ます布引 に邪人務めては川に起こり、姦詐繁くして吐か可からず。 むこと然多にして、時としてじりこと剣山し。山町 h 間約川口し、上下弁ず る然し。此れ制度然さより生ずる役り」と。川後淡市い初災伝に、 宗門、州取に対へで一千品、ヌー、以は諮問肌を俗し、下はよ珍 寂しく略ぽ十日礼の尊仰の授、仏此び後一仙押収附の州制皮の郊に 有司安脅し、必ず災の命それはしめん。此れ別ち乱を枠制じ俗を後に し附川を円必ずの道なり」と。持刊に口問山(淡)心中川いの笈仲好奇 く、「五殺は法度のふ氏や孟し、上下のい伊を別ちて、以て欲会防ぐれ悩りい と。(米)五応鱗… X ふ、「制度の別は必ず災の夜夜り。犯に法度を…止 し、上下を別つの対のみに非ず。今、竹森秋繁路いに度制綿布りい(吋附州 内子紀開山い十一一〕と。闘訓門家ずるに、此の総大路に過ぎず。初(災)、制 39

度制制欝二十七① 春秋繁露連解並びに義証通読稿十 事 · 春秋繁露連解並びに義証通読稿十 i 上 巻八 度制第二十七@爵国第一 十!¥ j事

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春秋繁露連解並びに義証通読稿十i上

巻八

度制第二十七@爵国第一

十!¥

j事

本一級は吋春秋繁縫いの通削除を、刊紙輿のを通読し、その鋭

に恭づきながら試みたものである。今聞は、議八の内、紙数制限の

関係上、前半部分のこ綴分を掲載した。後半の二綴(仁義法第二千

九・必仁間以線第一一一十)は「佐初日大協す〈」の次サに掲殺予定である。

通説、途解の逃め方は、従来問様、本文と注をそれぞれ分附附して、

校の本来の佼援を①・②・③:・:の記ぢで示す形式を取っている。

また、文ゅの〔)は刊紙輿の自泌を示し、()は、訳議注をおす。

成本は、山以統府民成本門市行秋縦糸鋸談託い(中文出版社山刊行本)であ

る。

度制制欝二十七①

〈畿証〉

①吋抑制いに日く、「節するに制度を以てすれば、財を傷らず、民令答

せず」(節制対象伝)と。「成制制」とは獄ほ制度のごとし。対mm(第三

次)に一式ふ、「人欲之れを僚と謂ふο

悩は度判叫に非ざれば附仰せられ、す」

英司

(門淡心沿い本伝)と。関説、疏して一おふ、叶今、段、修燦を以て松競

ひ、附して上に制佼亡く、礼総を出品て、成恥を約つること、月ごとナ

に閉山なりで淡ごとに悶じからずと約ふぺし。利と不合遂ふのみ、政

てんねを頼みるに非ぷるなり」(諸問内い本伝)と。又吋一物沿い球珠織

に一以ふ、「位、一点、恥にして、川刈巧安飾りで以て相詐り、利する議を知

十ふと為し、法付仙川令犯しふ人弘知念総ます布引を取りで却な殺ると為す。放

に邪人務めては川に起こり、姦詐繁くして吐か可からず。旅人周子に総

むこと然多にして、時としてじりこと剣山し。山町h間約川口し、上下弁ず

る然し。此れ制度然さより生ずる役り」と。川後淡市い初災伝に、

宗門、州取に対へで一千品、ヌー、以は諮問肌を俗し、下はよ珍な食らふ。

寂しく略ぽ十日礼の尊仰の授、仏此び後一仙押収附の州制皮の郊に依り、厳しく

有司安脅し、必ず災の命それはしめん。此れ別ち乱を枠制じ俗を後に

し附川を円必ずの道なり」と。持刊に口問山(淡)心中川いの笈仲好奇引いて川口

く、「五殺は法度のふ氏や孟し、上下のい伊を別ちて、以て欲会防ぐれ悩りい

と。(米)五応鱗…Xふ、「制度の別は必ず災の夜夜り。犯に法度を…止

し、上下を別つの対のみに非ず。今、竹森秋繁路いに度制綿布りい(吋附州

内子紀開山い十一一〕と。闘訓門家ずるに、此の総大路に過ぎず。初(災)、制

39

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度の別を諮へば、別ち蕊の当日尚ほ詳粂有り。今殆ど之れそ亡ふ。

然れども礼経に散見する所の者は、腕附ぽ推して知る可し。。政(文

招)一広ふ、「出没、一に調均と名づく」(諜甘秋繁総磁校内以下磁説

はすべてこれによる)と。奥築ゆするに、(市水、殺滋)吋爽氏臼紗い(怨

五十六、読諸子二)、叶調均」に作る。

第一節

〈添文〉

孔子日く、持只を出掛へずして、均しからざるを慾ふ、と。放に積品慰

する所有れば、削別ち空虚なる所有り。大だ滋めば、別ち験り、大だ

待問しければ、別ち援ふ。①援へば則ち盗を為し、騎れば別ちね離を

為す。此れ衆人の情なり。②聖者は則ち衆人の僚に於いて、乱の

従りて生ずる一的を日比る。放に災の人道を制して上下そ吠比するや、富

市鳴をして以て資を一析すに足りて騎に至らしめず。③数者そして伎

を議ひ滋ひに笠らしめず。④此れを以て皮を為して之れを総均し

ず。廷を以て時間際しからずして上下抑制安し。放に治め易し。⑤今、

没、災の度総を紫てて各々災の欲に従ふ。締まる所無からんと欲す

るも、市かも俗自ら怒にするを潟、災の勢様まり無し。⑥大入、

不足をよに病んで、⑦小民、下に磁熔す。別ち箆殺は念々利を食

りて毅を為すを符ぜず。食者は日に抑制を犯して止むそ得一吋からずo

u疋れ泣の治め難き所以なり。③

〈鶏証〉

①「大」は「潔」に町内じ。

②双子、武帝に説いて一夜へり「策、商州制の法安周ひ、帝王の州側を改

めて弁剖を除き、民完関するを得、協者は降阪を連ね〔朱??(朱一

新か)一千品「滋者は兼ねて千失百犬の回目有り」(典拠未詳)と。〕、貧

者は立鍛の地無し。淡輿り、循ひて米だ改めず。古の井関法は狩か

に一行ひ難しと鋭も、笈しく少しく治に近づくべし。民の名聞を限っ

て以て不足に絡し、弁論部の路を縫ぎて、然る後に議く治む可きなり」

(吋渓設い食笈士山)と。哀AMm

の時、的丹も亦之れそ器一口へり。(門別淡怒い)

主務伝(中)に「務、聞を受くるの制度を定めて臼く、主口、殿井八

家安設け、一夫一婦ごとに間百敏、什に一にして税す。別ち関口比り

民滋みて綴芦作る。楽鉱山道を為し、浮く帥納税して以て自ら供奉し、

民カを怒らせて以て欲を緩め、

mw部制削を綴ち、井田安廃す。迭を以て

策弁起こり、食邸生じ、強警は邸を焼ざるに千数を以てし、弱者は

立錐の印刷無し。渓氏mm籾を絞滅し、三十にして一を税するも、後民

佼陵し、問を分かち仮したるを効かし、阪の名は一一一十に一を税する

も、災は什に五そ税するなり。父子夫婦終年務芸して、得る所は以

て自ら存するにも足ら、ず。放に滋者は犬馬も絞岡地を余し、務って邪

を為す。貧者は機糠をも紙かず、務まって好を為す」と。認怒正に

此れと開問じ。(後淡)萄悦、限聞を論じて一式ふ「昔、文衛の十一一一年六

同詰問して人の問砲を徐く。民つ士口、什に一にして税して以て天下の

中混と為す。今、渓人の回或いは百に一にして税ずるは銭しと抑制ふ

可し。然れども刊紙ゆ勉強人の占m即時峨々多く、廿卦の斌の大半は、官、一臼

に一の賦そ収め、而も人ごとに淡強に大半の燃を総る。官出家の十駒山、

一一一代より俊れたるも、夜強の暴は亡楽より織し。是を以て恵下に通

ぜずして、威一裕荻人に分かるるなり。今、投(の本を疋さずして租税

そ除くを務るは、巡に以て溺強に資するに足るなり。点中武山田部aMm

の時、

議伯作好滋て人の上口問な限るそ夜設す。哀宮市の時吋に一会り、乃ち人の出

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加を限って一一…十柄引を過ぐるを得ざらしむ。災の制有りと幾も、門学か

に施行し難し。然して一一一十頃も又平らかならず。民つ夫れ弁m問の制

は、人衆きの時に宜しからず。回以広く人鉱くして、初しくも司と為

すのみなり。然して之れをa

外きに燃し、衆きにふぷてんと欲ずるも、

土田布列して交強に夜り、本かにして之れを務め並んで怨心有れば、

別ち紛乱を生じ、制度一行ひ難し。川流れにのりで之れ絞れば、防相の

初めて天下必定むる、光武の中問問の後の抑制く、人衆稀少なれば、之

れをぶつること易し。間同に米、だ怒くは井出の州制を俄へざれば、寂し

く口数を以てmmをiuめ、之れが為に波りを立て、人ごとに州制緩ずる

を得、売到するを得ずして、以て鈴弱に険らせて、以て策弁な防が

しむべし。内はく制伎を為して本を間以るは亦筑しから、すや。〔漆ずる、

災に苑授を格別ずるの説、主務時凶て之れを行ふも、然も久しからずし

て楼huJ十日ムソ制を災にし、州問ベ縫帥吋に随ふと機も、然れども綱紀大

絡、立の致は一なりい(門前潔紀い巻八)と。興策ずるに、弁問問に

廃れ、均財の鋭、勢ひの行ひ難き所にして、即ち限mmも亦易からず。

五一保及び山本の絞似巡の公開削の縦、緩みる一句きなり。滋子の時は十円安

去ること米だ速か、りやす。役引的を均しくするを以て悠と為す。間りで

中自の間制を復して、以て務深そ抑え、風俗を際くせんと欲するも、

不かに行ふ能はず。((消)貌終、一一一年を以で門限川出総い一…一筋な成し、

災の行ひ難ぎを絞らかにし、ボナに災の総を綴く。〕慾ふに、陥だ倹を

…おし礼を一訴すこと有るのみの説は以て古今そ対ぎて弊無きに足るの

み。放に此の綴の調均の法、一線ら礼品化以て…一出向ふのみ。

③古、弁mm采

8vvw州制して、以てa分家に附紛らせ、開附録服附加を制制して、

以て等法を限る。碍しくも兵の禄然ければ、敗へて誕の泌を用ひず。

「答者」とは、倫凶て資くして禄を受くるの人なり。下に「大人」と

一広ふは即ち此れなり。

④O天勝本「受」の字放んで「致」に作る。

⑤(吋礼記い)坊記に「子一公ふ、小人食なれば斯に約し、箆めば斯に

麟る。約すれば斯に燦み、騎れば斯に乱る。礼は人の檎に図りて之

れが部文を為して以て災の為に坊ぐ殺なり。故に附一十一人の絞殺を緩く

や、民をして憾みで以て綴るに足らず、食しくして約に去らず、上

を機まざるを焚ばしむ。放に乱読々亡し」と。吋智子い八錦繍に「潟

修れば則ち期間以ぇ、

mm佼ゆれば則ち民貧しく、民数しければ別ち姦

智生じ、姦山初羽生ずれば、別ち邪巧作る。放に好邪の念ずる所は、慨

しくして起らざるより生じ、政しくして足らざるの生ずる所は修よ

り生じ、的汐の生ずる一的は度無きより生命す。放に日く「皮放を山詳らか

にし、次食合節し、財悶加を倹にし、修府散を然ずるを悶の急と為すい

と。吋LMぃ流通い礼楽絡に「礼は俊んなれば足らず、節すれば余り有

り。政年に本滑らず、凶年に倹ならddらしめば、朴際協約懸てざるなり」

〉}。

41

⑥吋刑制苑同級一一対絡に、「孔子山川く、竹中人の俗、余り有れば別ち仲間り、

日比らざれば別ち倹やかにして、川砂川然ければ別ち綬し、佼無ければ則

らふ八し、欲を縦ままにすれば別ち敗る。飲食に双有り、衣服に節硲

り、んの笈に皮潟り、市川棚氷に数夜り、取終に間以有りて、以て乱の泌を

防ぐなり。放に火の皮円以は明らかにせざる河からざるなり。叫食欲は

防総かρdる可からぎるなり」と。コ淡が引い王合同伝に、「台、衣服滋町内は

民臨慨に獄中旬りて、以てん特総を淡めて尊印ザを別っ。今、上下俄援し、

人人自ら制す。日ヂゼ以て財を合り利を総めて、死亡も問問れず」と。

穏明道の「十惑い化論ずるの初予」に一式ふこと有り、「台、皆川婚葬祭、

彩服器用は等世一成分別し、敢へて険俄する奨し。放にMmm給し易くし

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て、民に一畑一心有り。今、礼制米だ修まらず、饗燦棉山間ぶ。綱大半八の

家は能く札に中たる奨く、而して潟販の類は或いは王公受験ゆ。札

制は以て人備を検筋するに足らず。名数は以て焚賎を経別ずるに足

らず。就に定分無ければ、別問ち一部計叫川、機柳作し、人人災の欲に阪かん

ことを求めて部る後に巳まん。出足に止怠する者有らんや。此れ争乱

の滋なり」(吋一一程会議い巻五十蕊)と。並んで此れと合ふ。

⑦設子日く、「大人に説きては別ち之れを貌んず」(氏、心下)と。法制川

子い殺議絡に、「今、良品中八は其の税をふ八人に入れ、大人は澗刷版楽織を

為して以てよ市鬼神を祭る」と。又公認絡に兇ゆ。内後淡(滑川)い開明

裕紀の注に誌竹叫剖い附附務島市句を川引いて一試ふ、「今日時、大人は市内に色に

傾き、際政人投ハの萌しを問見る。放に関維を詠hu

」と。「大人んは汲んで

胤封殺を刑制ふ。

③吋初予い正論総に、「てみ公は削別ち不足をよに病み、庶人は別ちドに

凍綴劇務す。廷に於いて然刺殺賂して綴賊撃移して、以て廿品川の上を

危ふくす」と。吋抑制鉄論い銭幣綴に、「礼議弛山服すれば、風俗滅必ず。

放に禄を食むの君子より、裁に迷ひて併を競ひ、大小相殺すし、激

転して相傾く。此れ或いは百年のふ一小を儲ふるも、或いはい肢を充たし

形を綴ふ然き所以なり」と。

〈本文遜釈〉

孔子がぎわれている。「食闘を変えるのではなく、不均等合,胤従える」

と。この一音楽の巡り、一方に多くの議般があれば、一方は変厳となっ

てしまうし、巡皮に筏めば級伎となり、過度に鈴しいと人生を紙、っ。

人生を厭えば淡みを働き、級協となれば乱数をなす。これがあノくの

庶民の人備である。裂人は、こうした庶民の人憾のうちに乱の係閣

を悶比扱える。そこで怒人が人選を世に示して上下の笈等を設けるそ

のガ法は、箆殺には(彼の協そ通じて)身分の苅さを見す程度に止

めさせ、機般に奈らないようにする。殺者には生活を営、ませ人伎を

紙わないようにさせる。このことを装怒として(私財の所布を)調

殺して均等にする。この紡菜、(人ごとに)私財は乏しいということ

がなくなり、上下笈いに一平穏となる。そうして治めるのも谷劾とな

るのである。

AA?

の位では、基準を無視してそれぞれ内分の欲裂に従ってしまっ

ている。欲望は緩まるところがなく、背俗は裁が侭を許し、その勢

いは止まるところがない。上では中日族が不足な附吹き、一トでは民衆が

波れやつれている。かくて協議はまずまず利刊紙を食って正義な顧み

ようともせず、鈴本刊はん毎日数ム引を犯して抑止することもならない。

これこそが(今の)世の治めがたい閣明治なのである。

42

欝二節

〈本文〉

孔ウ十日く、「抑制予は利を尽く3ずして以て閉山に巡す」と。①

かりいね

(小雅・大山)に去ふ、「彼に巡焚夜り。此に数せざるの機有伊

れ録制仰の利なり」と。②般に抑制子は仕ふれば則ち総せず、問りす

れば別ち漁せず、将のものを食ひて珍をカめず。③大中山八はギに坐一

せず、犬に坐せず。④設問い(郡風・谷風)に詰く、「設を栄り非

を栄る。

yi体を以てする無かれ。徳心不日逃ふ災ければ、総と死を同じ

くせん」と。⑤此れを以て氏を防ぐも、⑥民獄ほ殺を忘れて制刊

を争ひて、以て災の殺を亡ぼす。⑦天は怒ねてい勺へ、ず、角ある殺

はよ綿布るを得。す。紋に己に大なる省、小有る奇得ざるは夫の数な

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り。③炎れ巴に大を有する者にして又小を液ぬる者は、天も之れ

を足らしむる能はず。況や人をや。⑨放に明抽出の者、出入の為す所

に絞りて、制度を為し、諸々のふ人俸禄有るもの・そして亦皆小山刊を兼

ね、民と利栄を令ふを得ぎらしむるは、中〈の潔なり。⑩

〈畿一成〉

①余制作を以て民に巡す。

②成一双ふ「此れ銭引なり。刊日吉の本文に依らず」と。輿索、するに、

此れ(門札記」)坊記と向じ。山知欽論い拙陶幣織に「古の仕ふる煮は税制

せ、ず。回りする殺は漁せず。関を抱き析を幾つもの比白骨巾秩有り、利

そ兼ね物を尽くずを得ず。此くの如きは則的ち数制功そ悶じくし、州制

傾けざるなり。コ一認に一試ふ吋彼に巡策夜り。此に泌総有り。伊れ'W抑

制仰の利なりいと。物を尽くさざるそ言ふなり」と。吋抑制欽論刊誌時い

を山引いてんつの吋毛市一認と閉門じ。坊記銭引するを知る。近古文に関せず。

③坊記の鯨波に、「吋食時いとは、四時の践を食らふを制約ふなり。など

は猶ほな詑のごときなり。天子議伎に秩際有り」と。

@制約一広ふ、「台、牲を殺し、災の肉を食らへば、災の皮に坐せず。犬

前十に坐せ、さるは、経れ故無くして之れそ殺さざるなり」と。

⑤本設竹林綴に此の詩を引き、以て災の一炎を取ると為すこと、設誌

の怒と合ふ。此こに坊記の文を引くは、議し出国附惜して利を尽くさざ

るの統と為すならん。所諮る設症に遼一新無しなり。郷、守化記い(坊

記)に注して云ふ、「野中押の菜安市水るは、災の葉を采りて食らふ可け

ればなり。放〈の綬炎ならば則ち弁せて之れを取り、苦ならば別ち之

れを幾つる安以てすること無し。弁せて之れを取る。回定れ利を尽く

すなり」と。又去ふ、「此の詩は、放親しくして今疏なる者にして、

ぎふこころは、人の交はりは当に野を用水り非を栄るが如くにし一九泌

を取るのみなり。一広々」と。楚れ亦此れを以て詳の本義と為さず。

⑥「紡」当に「坊」と為すべし。

⑦以上は坊記の文を引く。

⑧町大級礼い一効本ム叩に、「間足の殺は羽潔有るを得、ず。角を裁く替は

上歯有るを得ず」と。門口問覧い附附志絡に、「品川有る者は上歯無し」と。

認出荷い勝一形刻に、叶四足の殺は羽爽無し。角を裁く殺は上品開無し。

角然き殺は稼ありで前無し。角有る者は祉(問問曲問「脂」に作る)あ

りて後鉱山しいと。対照(第三次)に云ふ、「犬れ天も亦分子する所有

り。之〔当に「よ」と為すぺし〕に品闘をレザふる殺は其の角を去り、

災の奨を僻くる殺は其の起を一肉つにす。問疋れ受くる所大なる殺は小

を取るそ得ざるなり」と。

⑨O宮本に一公ふ、「川足い他本吋円設に作る」と。

⑬対mm(第三次)に云ふ、「古の禄・判定予へらるる所の殺は、カに食ま

ず、米に動かず。問疋れ亦大を受くる者小そ取るを得ざるものしにし

て、天と窓を閃門じくする者なり。夫れ己に大を受け、又小を取れば、

天も足らしむる能はず。況や人をや。此れ間的の隊総として足ら、ざる

所以なり。身駒山せられてお位に絞り、家温かにして以禄そ食み、間

りて箆授の資力に梁じて、以て民と利を下に今へば、民安くんぞ之

れに如かんや。円淀の放に其の奴硲な衆くし、災の小学を多くし、其

の回宅を広め、其の波数を憾くし、廿品川の務委を議へ、批れを務めて

はそりよは

日む亡くして、以て災を迫楚し、民門口に削られ向付に駿り、緩く以て

大いに翁す。滋点唱は稼修淡溢し、貧者は綴緩慾唆す。窮綴愁習しで

よ救はざれば、則やり民生安楽しまず。民生を楽しまざれば、山附ほ死

を避けず。安くんぞ探を巡けんや。此れ刑郊の議くして間かも姦邪

43

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wmふ可からざる所以なり。故に禄に受くる家は禄に食むのみ、間病と

城市を争はずして、然る後に利均しく布く、一印して民、家ごとに足る

可し。此れ上天の利にして、一向かも亦太古の道、天平J

の笈しく法っ

て制そ為すべき所にして、大半八の当に綴ひて以て行ひを為すべき所

なり。放に公儀子は終に相たりしに、災の家に之さで織自巾を悶凡で、

怒りて災の一撲を山山し、舎に食らひで爽そ泌らひしに、憾りて誌の爽

を抜きて閃く、窓口巴に禄に食な。又問問中一八・紅女の制作そ務はんやい

と。'Y伐の佼人殺予の列伎に在る殺は校楚くの如し。日必の紋に…ト誕の

行ひを高くして其の数に従ひ、民災の燦に化して念協ならず。間同室

の波ふるに笠一るに及び、投ハの駒大火、誌に緩やかにして利に品川なり。

捻識の風亡くして、凶凶をやふの訟へ有り。放に詩人淡んで之れを料

りて臼く、ね郎、たる彼の綴山、憐れお綴綴、線総たるい的折、民間丹ハに制御

を織るい(小灘、節商山)と。務、認を好めば、則ち民の郷仁にして

俗畿に、制閥、山刊を好めば、別ち民、郊を好みて俗敗る。怒れに泊り

て之れを綴れば、天子・↓人夫はで民の被て殺ふ所にして、途方の間

一郎よりして顔認する所なり。近き後綴て之れに放ひ、逮き点台は盗み

て之れに数ふ。出足に以て緊替の伎に結りて成人の行ひを為さんや。

炎れ堅一墜として財利を求め常に乏政を恐るるは庶人の窓なり。盗議

として仁義を求め殺に民を化する能はざるを恐るるは、大夫の意な

り。「例記(解卦ムハ一一…交際)に臼く、宮門ひて口品つ乗る。震の査一るな致

す」と。中平に稿用る者はお子の佼なり。負担するは小人の謬なり。此

れ君子の佼に腐りて庶人の行ひを為す殺は、災れ怒ひ必ず受るを一一世間

ふ。若し君子の位に燈りて君子の行ひに当たらば、別ち公儀休のぬ慨

に倒閣たるを品一回ぎて、為す可き者亡し」と。内営努い食制民士山に、「牛小間附

議して去ふ、つ十一紛いに、天子は有無を震はず。務伎は多少を一夜は

ずo

禄を食む煮は百姓と利をやふを得、ず」と。(川崎巣立)江統伝に去

ふ、双山〈避何一夫にして翻を為すを学ぶそ翁ひ、伶尼筑間へず。祭の大火

滅文州内姿をして絡を織らしむるに、又其の…小仁を殺る。公儀子の殺

に相似たる、則的ち災の悶凝奇抜くは、禄を食む者は食賎の人と利を令

ばざるな一…一日ふなり。議淡以来印刷俗いねた滋し、公伎の琢にして、問問問

ゃうや

の聞を熔やし、市弁の利を収めざるは災く、掘削向く相放ひ、以て恥

と為す交く、乗ずるに命滋を以てするは、誠に娘ず一りし」と。

〈ホ文通釈〉

孔子、が言われている。「羽子は利緩や}独出せいす、開バ衆のために泣す」

と。門誌縫い(小雅・大限)にも、「かしこに残ったいね束、ここにmm

に残るいなほ。これW仲間仰なり」とある。(このように利付械の独自は泣

しくない。)そこで窓子たる者、出仕すれば、開絞殺はせず、狩猟すれ

ば、漁獲はせず、滅寸節の物を食べ、珍昨怖を欲しがらない。大火たる

殺、(一度食料として利縫を得た)学や犬(の皮)の上に必(って肢

体の安逸という次の利議のために利用す)ることなしない。川均一川縫い

(小殺・待印刷)にまた「かぶらやみょうがを採るにも紋ふ訟で採って

はならぬ。よき一一一同然に仙沼がなりればあなたと死をともにしましょ

うJ

とある。(このかぶらやみょうがの除、叫んのように、利減の取り

尽くすのはよろしくないのである。)こうした考え方で民衆の不巡徳

化を防ごうとしても、民衆は設を忘れ利を争って、山身を亡ぼしてし

かでつ。

44

天は…一物を与えず、角があるものは上級を持たない。そこですで

に大を得た者は、小を兼ね取ることはできないのが、天の照一法であ

る。そもそもすでに大を得ながらかっ小な兼ね取ることことは、前八

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も十分それな実現させることができない。まして人が笑柄引できるわ

けはない。そこで籾智の塑一人が、天の仕粂に則って、制度を作り、

諾々の大俸禄を脊するものに、庶民の小さな利益までも得られない

ようにし、民衆と利益職業を争わないようにさせたのは、天理その

ものである。

〈本文〉

凡そ夜明仙の滋は、①皆嫌疑を織微に出だして、以て漸緩く総長

して大に豆一る。恕一人災の疑はしき点鳴を怒らかにして、災の微なる者

受別ち、英の織なる点唱を絶ち、嫌するを得ざらしめて、②以て掻

く之れを紡ぐ。盗人の道は、阪紡を衆くするの類なり。③之れを

皮剥と謂ひ、之れを礼節と認ふ。④放に資賎に等有り、衣服に剣

山特り。⑤朝廷に位有り、郷党に序有れば、別ち民談る所有りて敢

へて争はず。之れを一にする所以なり。⑥羽詰(益稜談)に臼

く、「槻制服に路有れば、設か敢へて談らざらんや。敢へて敬ひ応へざ

らんや」とは、此の讃ひなり。⑦

〈畿斑〉

①O天務本行を提げず。

②幾微の嫌有らしめず。

③守日経解に、「夫れ礼の乱の市出りて生ずる所を禁ずるは、猶ほ水

の向回りて来る一附を坊止するなり」と。対怖(第一次)に去ふ、「万民

の利に従ふや、水の下さに走るが如し。教化を以て之れを問問防せざ

れば、止むる能はざるなり。廷の放に教化立ちて姦邪皆止むは、廿品(

の問問防完ければなり。教化廃れて姦邪説び山山でで刷川部も勝つ能はざ

るは、放(の隠防機ゆればなり」と。

④「刑制」と「為」と問じ。

⑤O(清)淡(抑制)本「制」を「別」に作る。

⑥強引一人は災の今ひを祭ぜず。而して之れに数ふるに識を以てすれば、

則ち民の俗自づから炎し。。一縦一式ふ、「間本つ問いの下にす尽の字

有り。術なり」と。

⑦夜間設い古文「中間十版以閥」に作り、「曲叩」を「不」に作る。吋後淡

(議)い友雄伝・町市制欽論い通有縞・選出燃〈安機い放んで「剛被服」に作

り、此れと問じ。竹橋則夫論い考綴絡のほ「滋」に作る。今文悶つなが

ら作るを知る。此れ授を般せば能に談るの畿に借りて、民の札談有

るを託す。

45

〈本文通釈〉

そもそも続々の争乱の間四国は、疑わしい事柄が繊細微妙なところ

に生じ、それが次第次第に橋大していくのである。翌一人はその疑わ

しい事柄を明礁にし、微妙な問題を弁別し、織相ねな問題を除外し、

嫌疑を抱くことがないようにして、中い段階で問題の拡大を防ぐ。

聖人の滋は(……一一潟わば汚川の)堤附仰を多くするようなものであり、そ

の堤紡を称して制度と一…窓口い、礼節と言う。その結果、資賎にはmrザHtk

が生まれ、衣服には制度が生まれ、務廷には位階が生まれ、村箆に

は長幼の序が生じ、(これに従えば)民衆は人に絞って争わなくな

る。これが(擬人の)殴界を統てつける方法なのである。謎ω縫い(益

綴談)に「京や般を用いる人にそれなりの功紛があれば、人々は一

応に談談淡くなり、およに敬い応じるようになるJとあるのは、以

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ょのことを述べたものである。

第関節

〈本文〉

凡そ衣裳の生、まるるや、形を議ひ身を緩むるが為なり。然り揃う

して五采に染め文撲を飾るは、以て飢際市川気の備を益すと為ずに非

ざるなり。①将に以て資き安資び、資を尊ぴて上下の倫を明らか

にし、教へをして湿かに行はれ、化をして成り易からしめんとす。

治の為に之れを為すなり。②若し其の度制を去れば、人人をして

災の欲に従ひ、災の怒を快くして、以て無溺を遂はしめん。楚れ大

いに人倫を乱して斯の財用を際し、③文栄の遂りて生ずる所の怒

ゃい失す。④上下の倫、別たざれば、誕の勢相治むる能はず。放に

乱に務しむなり。酬明欲の物限り無ければ、誌の勢相足る能はず。放

に食に苦しむなり。今、乱を以て治と為し、食-vvw以てaM附と為さんと

欲すれば、之れな判制度に反すに非ざれば不可なり。⑤設は天子は

文を次、諮侯は以て燕せず、⑥大夫は縁〈もと「橡」に作る。注

によって改める)を次、⑦太は以て燕せず。③庶人は絞を衣る。

⑨此れ災の大路なり。

〈毅証〉

①吋毅ウずい七附泌総に、「放に恋人は衣服を為し、身体を巡にし、肌燃

を和らげて足る。瓦口出に栄にし愚氏を観るには非ぎるなり」と。立川

μ

ぬい話器紀に、「災の輿股衣姿を為すや、以てa

殺を逸にし骸を緩むる

のみ」と。事山雨い斉俗説に、「主総札談を明らかにして衣を為し、

行ひを分節して幣安為す。次は以て形を綴ひ、漁〈墳に従ひ、身体を

使にし、行歩を過にするに足る。本叫践の容・附附附閣の刻に務めず。殺

は以て総を結び祇を収め、東府守連関するに口北る。文句疏短の綴を為

すに露かならず」と。。門淡氏日紗い、米勾を引いて「肌繍市山気に議

有るに非、ず」(滋五十六、統諸子二)に作る。

②問的を治ひるが為に設く。翠晶子務秋い談下線に、コニ代の般そ作る、

敬を議さんが為なり」と。次弘子い法法絡に、「先去の粁銘を制する、

以て焚賎を務かにするに足り、双ハの品川一穴を求めず。鰯附録を設くるは、

災の服を内する所以にして、災の鋭を求めざるなり」と。吋初予い筑間間

絡に、「+向、先去、分割して之れを差異するなり。放に或いは美しく

に或いは慈しく、或いは際く或いは終く、或いは逸し或いは楽に、

或いは効し或いは労す。特だに以て淫淡考関の戸そ為すに非ず、将

に以て仁の文を開明らかにし、仁の阪に通ぜんとするなり。放に之れ

が隊琢刻州側、齢制糊文訟を為すは、以て資淡を弁ずるに足らしむるの

み。其の鮒闘を求めず。コ設に閃く、内線琢なる対(の章、金一本なる其

の抑制。日笠翌たる我が去、聞方を綱紀ずいとは此の謂ひなり」と。間以

子の(刊新勢い)服疑総に、「服を制するの道、南北適益和宏取りて以て

民に予へ、受炎出品仰は之れ奇術に進hu。資m版文a

双は、以て上下を町山守

して焚践を廿殺するなり」と。竹内口成尚一い衣裳綴に、「刷出一人の衣服ゃい制

する所以は何ぞ。紛絡を以て形を蔽ひ、徳を表して認を勧め尊卑な

別つ所以なり」と。

③資生の(竹新縫い)逃術総に、「開飢え巡を過ぎざるを節と部ひ、州即に

反するを燦と為す」と。

④「遂」は滋ほ「市山」のごときなり。

⑤A

裂を知るの論なり。均羽は行ひ易からざるも、制度は則ち行ふ可

きなり。吋牧野次(舎に利清紀、永一冗十…年詔して臼く、「吏民総倦し

-46-

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て死を燦くして生を傷つく。廷を以て旧令之れを制度に節せしむ」

と。安積紀、一沌初近年自認して臼く、「出令制度は各々科口問有って、百

姓をして務めて節約受祭ばしめんと欲す」と。我が抑制蹴脱線山ャ、友部

御史隙延敬、統して一万ふ、吋官民士肢の箔服衣袋・間即刻の制・婚喪の

札、宜しく爽めて定むべき者有らば、鎖的叡放して、ゅに合ふに務

めん。災れ浅}況にして行ひ易し。抑制捻捌獄の如きは、北対は廿同日間の分

有り。人一寸は別ち庶人之れを服す。級制酬の如きは、皆、仲間氏の別あり。

今は別ち雑然として弁無し。放んで宜しく餓一止し、永遠に滋行はし

むべし」と。正に制度の滋にAA290

⑥孫昼前一広ふ、「諮佼も十mgX有り。侭祭服と為すのみにして、之れを

mひで燕総せざるのみ。統す可し、(吋礼記い)礼削僚の諮役火炎土の齢

鍛玄衣、前知者に談りて等の品廷を降すを為し、災の祭附似'向凶づから山能

有るを」(孫相生目撃撰吋館前総枚効記いか。中水見)と。

⑦O戯去ふ、「吋衣機内山本批って判明授に此げる。今改正すいと。州側内

築ずるに、吋刑制文いに「後」の字然し。学おに「縁」に作るべし。吋説

文いに、「衣は純なり」と。凌十中「縁」に作りて一氏ふ、「疑ふらくは

説的に作らん」と。設詑(鄭)箆に、「大夫以上は織を衣る」と。

⑧O天務本「土」そ「亦」に作る。

⑨諮問文いに、「吋緩いは総にし文無し。糸に従ふ箆の戸」と。内部開律い

に日く、「衣を問問はる者は絞淡'日袋」(典拠米詳)とow点、するに之れ

を引ゆすれば、凡そ文無き殺は皆之れを「綴」と刑制ふ。

〈ム恋文通釈〉

そもそも衣股が作り出されたのは、体を液い身を緩めるためであ

る。そしてその衣服を五色に染め飾りをつけるのは、飢闘附や市山気の

感覚的満足を

fmすためではない。川氏人を殺人として佼ぽづけ、校お

な好者として等び、明終に上下の関係を弁別し、教化そ速やかに行

い光成させようとするものであり、段を治めるためにこれを為すの

である。もしもその制度を泌止すれば、一人ひとりがその欲裂に従

ぃ、気持ちそ満足させようと、果てしなく追い求めさせてしまう。

これでは大いに人倫そ混乱させ、地上の財産をすりつぶし、衣綴の

装飾が起こった棚引のを阿見失ってしまうこととなる。上下関係に分別

がなくなれば、その勢いの赴くところ統治不能となり、その給間取ハヤ

判的に背しりのである。欲裂の対象は際限がなく、その勢いの赴くと

ころ、供給不能となり、その絡雨水役割に総ぐこととなる。今日、争

乱状態を一平和にし、食問問を山泌総にしていくためには、制度に友ち一段

るのでなければ不可能である。おの符代、天子は絞綴様の綴を仙一将殿

して(祭犯にも疫にも用いたが)、諸佼は(天子同様絞模様のを済的

するが)袋にはmmいず、大火は縁取りのあるものを器用して(祭胞

にも後にも用いたがて士は(大小火山問機の縁取りのあるものを日採用す

るが)笈には用いなかった。庶人は無地のものを務用した。これが

その(衣服の制度の)あら、ましである。

47

爵盟館一一十八∞

①吋間同礼い太宰枠叫に、「擦は、公・佼・伯・子・削ナ卿・ふ人中十八・士を

例制ふなり」と。放に此に地制作皆同制を訪問ひて、之れを辺肘悶」と諮ふo

r口虎通い関織に、叶公蜘州大夫とは何ぞ。内の爵なり」と。又議綴

に、「附印刷の議無き所以は何引で。卑小にして凝無ければなり」と。王

制に日く、「十日の篠を判別するや、隠は凡そγ

江川様、糾附賊は叫品川の中に夜ら

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ず。明らけし、約践に際然きこと」と。放劉綴に謂ふ、「約締は徳そ

以て封ず」と。(引いて下に見ゆ。〕又云ふ、「爵は有徳を主とし、封

は有功をキムとす。爵と封と別なり」と。の此の絡に拠るに、約践

は亦爵中に夜ら、す。

〈本文〉

春秋に日く、「銀十周公に会す」(倦公九年)と。①又臼く、「公、

斉佼・米公・鄭佑・許努・燦子に会す」と。又日く、「初めて↓ハ羽を

献ず」(隠公五年)と。②伝に日く、「天平J

の三公は公と称し、五

議の後を公と称す。設(の余の大国は伎と称し、小国は州国・子・努と

称す」と。③凡そ五銭サなり。故に周の爵は五銭サにして、土は一一一口問、

④文多くして災少なし。吋春秋いは一一一等、伯・子・努を会して一爵

と為す。⑤土は一一口問なり。⑥文少なくして爽多し。⑦竹春秋L

に臼く、「制約」(荘公寸年等)と。③伝に日く、「氏は人に務かず、

人は名に務かず、名は学に務かず」(向上)と。凡そ聞等にして、⑨

命じて附踏と臼ふは、⑩…一一代之れな共にす。然れば則ち災の地列

は奈仰向。日く、天子の邦析は千笠、⑪公伎は百果、子府内は五十盟、

⑫約閥の学いふ殺は方一一…十壁、名いふ者は万一一十盟、人氏いふ者

はガ十五泉なり。⑬吋春秋いに日く、「接関公」と。伝に日く、「市人

予の一一一公なり」と。⑬「祭伯来たり」(総公元年)と。伝に日く、

「天子の大夫なり」と。⑬「縦十潔伯糾」(一般公的何十)と。伝に日

く、「下大火なり」と。⑬「石尚」〈{疋公十凶年)と。伝に日く、

「天子の合なり」と。⑫「王人」(傍公八年)と。伝に日く、「微

殺なり。下士を刑制ふなり」と。⑬凡そ五等なり。⑬吋春秋いに

臼く、コ一一家を作る」(諜公十一年)と。伝に臼く、「仰を以て設す。

議るなり。例をか談る。古はよ附榊・下郷・上士・下士なり」と。凡

そ四等なり。⑫小間協の大中穴は次回と下卿と同じ。次闘の大半八と大

沼の下郷と向じ。大協の下大火と天子の下士と関門じ。@二十部等、

⑫篠は八説況なり。⑫大功徳有る者は大務土を受け、小功徳の殺

は爵、よと別つ(もと「功徳小者受小潟土」に作る。注によって改

め読む)。⑫大材の者は大宮の佼を受(もと「執」に作る。注によっ

て改める)け、⑧小材の者は小官の位を受く。鏡、英の能の如く

するは治の至りなり(もと「如其能、市尚一治之おお」に作る。注によっ

て改め読む)

0

⑫放に万人の者は英と日ひ、千人の惑は俊と日ひ、

一白人の者は傑と臼ひ、十人の殺は裁と臼ふ。⑫談傑俊英は相陵さ

ず。放に天下を治ること諮を繁ょに視るが如し。⑮其の数は何に

か法りて以て然る。尽く、天子、友おを五等に分かち、一一一百六十三

人、天の一放の数に法る。⑮去特色の象・絞り。⑩遊佐は七上鱗

(もと「十上卿」に作る。設によって改める)、下卿を与にして二百

八(もとっこ作る。注によって改める)十人、@天庭の綾なり。

⑫諮侯の数に倍するなり。諮倹の外伎は四等、百二十人、@四

時二ハ悶?の数に法るなり。通佐は五、上士、下女を与にして、@六

十人。(もと「遊佐五与下関六十人」に作る。設によって改め読む)

⑧日渓の数に法るなり。伎の必ず一一一三にして椴復するは何ぞ

om

く、時は一一…月にして大を成す。肢は一一一にして象を成す。諸侠の爵、

五或るは何ぞ。一大地の数に法るなり。五皆同も涼然り。⑮然れば別

ち立てて有司を爾くに、指数を分かつこと奈何。⑨尽く、諮佼、

大用問はmm笈なるは、古の制なり。災の一筆は以て公家を務ずるなり。

⑮凡そ口悠一一…なるは何ぞ。⑮日く、大酪は十六万口にして口軍

一一一を友つ。創刊を以て之れを一一…一口ふ。日く、弁間合以で殺として之れを

48

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数ふ。⑩方肢にして一井、一日芥にして九百数、苅して口を立つ。

@カ獲にして八袋、一家ごとに百数、以て五口な食ふ。⑫上幾

夫は一段畝を紛し、九日を後ふ。次は八人、次は七人、次はふハ入、次

は五人にして、多謀総補ひ、彩、百数にして一一一口、⑮方凶一正して

二十閉口。方間十一の者十にして、一一一臼間十日を得。方十閉山は、ガ盟の

お百為り、二千四窓口を得。⑬ガ百農は、方思の者万為り、二十

間関万口を得。⑮法は…二分して災の一を除す。城池・郭口出・医安・

問答・街路市・官府・閤湖・議関・ム口沼・総采は、⑮由民間、ガ十

削おのおふハ十六とカ箆のものふハ十六とを仰向、@率を定めて十六万日

を得。⑩之れそ三分すれば、別ち各々五十一一一万一一一千三百三十三日

を得(もと「仰向」の字無し。波によって補う)、⑬大国(もと日出

の本なし。一伐によって様、つ)日山本一一一を為す。⑩此れ公俊なり。…大

子は、地、方千則市にして、ガ百創出の者廷を得。亦一二分して災の一を

除し、定めて郎、方自肢の者六十六と方十間取の夜中ハ十六を脳内、市中を

定めて千六百万口伝得。之れを九分して、各々百七Ji七万七千七百

七十七日会得、@京口惣九を為す。去の川原口問端、以て王家を府中ず。

⑫放に天子はつ街、一役ホ八人、中・友・お夫人、⑬四焼、⑬一二

災人を立つの⑧一世子・一一一公・九州側a

二十七火炎・八十一元土・

……百四十…一一ド土、ん伺た七上卿・二十七千卿・六十一一一一兆土・百二十九

下士を立つ。⑬王おは…太僻・ふん母・@一一一伯・一一…永…を続く。役

小…八人

-m鍛・一一…良人に各々約傍有り。⑬役子には一太的・少侍・

一……市中・一一…下ネ(もと「一人太傍一一一傍一一一本一一一少」に作る。殺によって

改め読む)なり。⑩土の入りて天子を宿衛する議、よ鯛に比する

者に一一一人有り、下卿は六人、上下の土に比する者は上下の数の如く

す0

(

る。訟によって改める)⑩五后の御備の者は上下の卿各々五人。

@役夫人・中友おホ八人・問般にはよ下の御各々五人。一一一災人には

各々五人。世子の妃娘及び士衛の殺は公伎の制の如くす。法后の憾

には上下の史瓦入。一一一伯にはよ下の出入各々混入、少似には出入各々宏

人。⑫世子の太憾には上下の巾人各々五人。少簡には亦条々双入。

…一…終了一一一下率には亦各々五人。⑬一一一公には、上下の史会々広人。

捌には、上下の史各々五人。大中大には、上下の史各々五人。一苅土に

は上下の出火各々五人。⑬上下の糊でよ下の史には、上下亦各々五

人。⑬燐火炎・元土は医各々一一一入。⑮紋に公役万一関恩は一一一分し

て災の一そ除し、⑫定めて泊ガ十間十一の者六十六と方滋のものふハ十

六を得、殺を定めて十六万口を得。どれを三分して、大国口悠一一一を

為して大刑制φ

住友っ。一夫人・一世綴・⑧友お締・一……椴'・一一良人な

り。…批子・2

一卿・九大中一人・二十七一河合・八十一.1i士を点てて、亦

五の過大火有って、上下のふし↑仕立つ。⑩上郷の伎は天子の元土に

比し、今の八百γ日々り。⑬下剣山M

六百行、上ムムは間百石、下士は

一町一夜行、ド士は三百石。犬人には一の傍と母、⑪一ニの伯、一一…の永一

あり。好い制叩・夜十何料州・一一…鮫・一…良人は身分々的保存り。枇7γには一上

得工氷山。⑫たの公な術間関する省、(もとここに「比公務」の一……学あ

り。設によって去る)上測に比する森一一一人有り。一F糊仰はふハ人。上下

の太に比する授は卜…一Fの数の如し。炎人衛御のおには、⑬上アの

例各々一丸入、沿い尉・左右側仰には、仁下の御各々五人、…一階には制御各々

広人。敗予のト心的問には、トムドの史各々双人。丞には、山人会々(「なげ」

は片的か)ru人。一一一郷・九大本八には、ト」小心の山災各々五人、一子支の巾人々仔々

浪人、通大夫・七時にはよ下の史各々五人。仰には間二人。此れ公伎

4臼

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人を掻く。⑮放に伯は七十堅にして、七七、四十九、⑬一分し

て其の一を徐し、定めて、回、方十盟の者一一一十二と方翠の者六十六

とを得(もと「定問方十回一一者二十八与方十箆後六十六」に作る。仲間

によって改め読む)、定殺して十万九千二百一十二日を得、次闘行淑

一一一と為して、次悶を立つ。⑫一の夫人・世締・友おの締・一一一の良

人・一一の獄子あり。⑬一の没子・一一一網・一一一(九の誤)大夫・……十

七上士・八十一下士を立て、五の過大夫・一立のよ+了十五の下ムムを

与にす。災の上卿は、位、大関の下柳仰に比す。今のふハ百石なり。下

胸は四百石、上士は一一一百石、下士は二百おなり。夫人には一体母・

⑬一一一の伯・一一一の議。役紛・左右側仰・一一一良人・ニ御人には、⑩各々

的保有り。世子は一のよ(「上」の下にもと「下」の字あり。設によっ

て去る)の傍あり。会の⑫公を宿衛する者、上胸に比する者三人、

下郷六人、上下の土に比するは上下の数の如し。⑫夫人御衡の殺

には、上下の制御各々五人。⑫投開州・左お婦には、上下の御各々五

人。一一御には、各々五人。殴子のよ停には、トム一トの史各々五人、丞-

出火各々五人。一一一卿・九大穴には、上下の史各々五人、ア土史各々五

人。⑫過大夫には、上下の出入各々五人。⑮卿には、際二人。般

に子闘力は万五十史、五五、二十五にして、ガ十堅の者十六(もと「六

十六」に作る。設によって改め読む。)と為し、率を定めて四万口を

得、⑮小国口緩一一一を為して小留を立つ。夫人・殴紛・左お紛・⑫

三良人・一一照子あり。一世子・一一一卿・九大夫・二十七上会・八イ一

下士を立て、?な過大夫・五上士・十五下士を与にす。放(の上郷は次

関の下郷に比し、今の悶百石なり。下郷は三百γ句、上士は二百お、

下士は否石なり。夫人には一体母・⑬三伯・一一一滋あり。投開姉・…一一

良人・ニ〈もと「一」に作る。注によって改める)御人には、⑩各々

的保有り。世子には一上(もと「上」の下に「下」の字あり。設に

よって去る)傍あり。⑩土の公を宿衛する者、上卿に比する殺は

三人、下胸は六人。夫人御衡には、上下の卿各々五人。⑮役総・

左右の婦には、上下の制御各々五人。二の制御人には、各々五人。泣一ず

のよ停には、上下の土各々五人。一一一卿・九大火には、上下の出人各々

五人。土には各々五人。遜ふ人夫には、上下の出入亦(「亦」は儲か)各々

一丸人。⑫榔には、泊二人。此れ周の制なり。⑮つ殺秋いは的子

悶刀を合して一等と為す。放に約締の

J

一千いふ殺は地方一一一十泉、一二一一一に

して九、@一二分して其の一を徐き、定めで邸法十裂の者んハ任問問、

⑮率安定めて…万間千山首口を的問、日的一一…を為す。⑩一閃して一

家約・…一袋・…祉予を定つ。市やは一(もと「一小ににつくる。注によっ

て改める)、⑫永は一、⑩土は一、秩土は五人。宰は??閥均の下郷

に視ふoA7の一…一夜右なり。祭料仰に一帥保有り。⑩伽仰は一…一入、姿は各々

一一人、敬子には一傍。土の認を宿衛する者は、上郷一「酬榊に比するも

の一人。⑬上下、各々災の数の如くす。⑩没予の俸には、上下

の出入各々五人。(もとこの下に「下良五」の一一一字有り。注によって併

とする)⑪名(もとこの下に「議」の字あり。注によって去る)

を称する省、地の方は学いふの君の地に半ばす。⑩九半、⑩一一一

分して災の一を叫附すれば、⑬定めてmmガムlm一一の袋一一一を得、市中を定

めて七千二百口を得。⑮一の俊子山学はムヴの二百おなり。⑮下山間

市十一一一学二十五。⑬「人氏そ称する者は方寸…立製」(「」部、注に

よって補う)一二分して災の一品化除し、定めて出方十援の者一と方援

の者十五(もと「五」に作る。注によって補う)を得、⑩率を定

めて一一一千六十日口を得。⑬一位子殺今百石ゅん五人京総仕衛批子阻(誤

脱多し。敢えて読まず)。⑪

50-

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〈磯証〉

①悠九年なり。

②雄一公ふ、「士ハ」の字、笈しく街とすべし」と。俊一式ふ、「吋天子の

一一一公云々いは吋初めてムハ羽会獄ずいの伝市川に夜り。俗文に非ず」(吋春

秋繁路凌注円以下凌説はすべてこれによる)と。

③総五年の伝なり。

④上土中土下士なり。。宮本に一公ふ、「吋土い他本州上いに作る」と。

⑤注は前に見ゆ。案ずるにな必(伝)」昭十一一一年伝に、「郊伯は努な

り。隠して公伎に従ひて之きて震せしむ」と。南側部聞い周一誌に、「郷

伯は簡なり。主にして之れを卑しむ。間延れ資を尊ばざるなり」とo

q南」と「努」と遜ず。〕時五の制即ち己に合して一関と為ずに似

たり。な江氏いと町公品川十いとAA

悶ふ。

⑥上士一下士なり。

O官本に一公ふ、「他本刊しム二等、文多而笑少いに作る」と。

③匂ぎる。

φ盛一公ふ、「荘十年伝に、吋細川とは何ぞ。州の名なり。州は慰に若か

ず、国は氏にザおかず、氏は人に活かず、人は名に活かず、名は字に

やおかず、{予は子に若かず。凡そ七等なりいと。此こは俄だ人・氏・

名・学を以て地を得るの多築を別つのみ。放に引く所会からず」と。

⑬吋白虎通い爵綴に「小なる点告は満たずして階席と為る。約踏は大

国に約して以て名遜ず」と。案ずるに、「廠」と繍と同じ、城なり。

(吋淡怒」)玉孫伝に「当に務関内役を賜ふべき殺は、一史め名づけて

約城と臼はん」と。(吋礼記い)玉制の鄭設に「小城を吋附勝いと臼

ふ。制附燃は国事を以て大留に附するなり」と。正論酬に「吋鰯いは城な

り」と。

⑪「析」は「畿」と問問じ。

⑫つ滋子で王制と向じ。ヱロ虎通い爵繍に「百液晶は関縮財にして、公

俊之れを共にし、七十袋は一節、五十裂は復た一向爵なるは何ぞ。公

は柑ゆを二五の後に加ふ。侯は夜間品の正爵なり。上は次ぐ可き有り、

では第す河き有り、中央は故より二無し。五十笠に一向爵有るは、勉

を加へ人を進る所以なり。小国際を下にして獄ほ尊卑有り、亦人に

進むるなり」と。又日く「般家の公をして否問出品に緩らしめ、侯をし

て七十墜に岡山らしむる所以は何ぞや。開封を封ずること苔約十一に緩まり、

英の改むるや向日恥しく人を退くる可からず。後授の怒を示し、開以を淡

めて之れをよばんと欲するなり」と。此に

d

諮問ふ所は般の制と災なる。

⑬字・名・人・氏はつ夜、爽秋を以て一一出向ふ。此れに拠りて、吋伝い

の的勝宇佐以て之れに仰するを知る。約踏に二説有り。内向同番大伝いに

云ふ「古、議侯始めて封を受くれば、削別ち市水仙川有り。自監の務佼は

去十銭安以てし、七十箆の諮伎は二十獲を以てし、五十竪の務侯は

十五盟を以てす。災の後子孫に界約有りと隊も、災の采地は鍛けず。

其の子孫の絞穏をして此れを刊すらしめ、役世以て其の始めて封を受

くるの人安一刺らしむ。此れ宏之れ滅閣を燃し絶殴を継ぐと鍛ふ」と。

町総詩外伝い伺じ。憾だ「一ム十獲の諸侯は十思を以てすいと云ふは、

怒し「五」の{予を脱せり。此れ附踏を以て市米地と為すなり。州自ぃ流通い

孜鮪絡に「感徳の土も亦之れを封、す。有徳を線ぷ所以なり。徳を以

て封ずる者は、必ず之れを試みて附燃と為す。一一一年にして功有れば、

悶りて之れそ五十関取に封ず。一泥土にして功有る者も亦附路と為し、

災の佼を世々にす。大夫にして功成ること有れば五十約十一に封ず。郷

にして功成れば、七十箆に封ず。公にして功なれば百笠に封ず」と。

-51-

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内総出夫論い班禄綴に「天子の一一一公は、栄、公俊に筏ひ、議し方一段堅

なり。附榊の栄は伯に祝ひ、万七十箆。大夫は予期刀に祝ひ、方五十息。

一兆土は附絡に椀ひ、万三十堅なり。功なる務は対刊一よと。此れ附版

は徳を以て封、するな一諮問ふなりο

選し此の絡の際協を以て名付くるは

おに法れ徳を以で封ずるを皆同ふ殺なるべしの附則ん叩開制〈第七イ)にコ大

地の問に徳然さ翁は、州・閲・人・氏もですいと一一出向ふは、則、ち務佼

の馴削減する殺を務ふ。澄し関悶の初めには、天子、余地の以て封を

広ぐる有り。後諸侯井議するより、漢の制漸く日ぬる。但

4

米地の附賊

有るのみ。枝元(一一一の誤〉年に「紀等、織を以て'X円に入る」と。(公

平)伝に臼く「後の蕊燃を諦ひて以て姑姉妹を仔ずいと。知る、刷出

滅んで約内脳級ほ池山何りて、」初安立てて以て災の封令官受くるの人を料

るを得るを。。「十五」各本五十に作る。今、米桜木に従ひで改む。

⑬隠五年伝に、「天子の一一一公とは何ぞ。出入子の相なり。夫ウナの相は別

ち何を以て一一一なる。際よりして奈は潤公之れを史る。際よりして間

は河口公之れを支る。一に抑制内に処る」と。俄九年(伝に)「保十周公と

は何ぞ。}火予の為政務なり」と。ゆ必ずるに、「為政」とは一一一公を以て

太宰を綴ずる殺なり。

⑬隠元年の伝なり。孔広中川林一公ふ、「議し天子の中大夫なり」(内公学述

毅」穏公元年、長脱例経終巻六七九iムハ)と。輿寂ずるに、淡の例に

拠るに、疑ふらくは間延れ上大夫にして、議し即ち山人予の搬ならん。

「間同礼町嫡有って上火炎無し。主総に一大子・…一一公・卿・大火・一苅土

と一世間一ふは、亦附榊ゆをNMて上大夫と為すに似たり。此れとん悶ふ。

⑬桓四年なり。荘(存予)云ふ、な指骨秋いは天平J

の大忠八を志して、

ト一下もて放(の等を列し、成疏もで災の分を災にす。父子の慰、長幼

の序、尽く見えざる燦し。一一一公、甘口を端部ぬる以て、但だ家撃と士山す

のみ。諸倹の何回は、内大半〈と磯も、設ハの官そ称せず。牧口を之れ士山す

は、俄だ山本のみ」(法務秋晴氏辞竹内皮泌総解怒一一一八七一一一)と。

⑫定十四年なり。仰向日任に「市人

7

ずのよ土なり。名・氏な以て泌ず」と。

⑬俄八年伝に辺ム人とは何ぞ。微省令り」と。

⑩際一冗件?の州内怜刊に「本人予の上士は名氏そ以て滋ず。中小ふは管長以て

録し、一子士は隠して人と称ず」と。孔広森去ふ、立午後秋い、凡そ王の

一ト士会五人と為し、中士はおを机献す、山米関経れ必り。トム土は氏を加

ふ、お山白川れなり。子大火は内十を設す、家父・叔服場部市伯制約送れな

り。中火炎は伯仲を以て終ず、祭仲・潟本・川山叔等送れなり。上ふ八

犬は子安以て訴す。川ア子・閥単ソナ・劉テ恐れ絞り。三公は公を称す、

照公・祭八ム・際公廷れなり」(弐向。午尚一議い関川公光年、向上関滋i双)

と。汲んでよ

ψ下を主として説合為す。滋の}AM1

ザや信用ふるを按ずる

に、中大炎及び山γ会無くして、門間川札いと閉山なる。仰校と鴇識と黙々

↓hv

52

一年伝なり。相川注に「校、務佼に河徒・…河空中切り。上郷は各々

、下郷は各々二なり。…司馬戦後は上下蜘州各々一なり。上士はよ剰

な相け、…ト土は下卿を相け、以て治を為すに足る」と。ゆ必ずるに、

主制には、務伎は五等、上大中大郷・下火炎・上士・中+了下士、凡

そ近等なり。此れと異なる。

⑫此の州立ザは例、他殺と汲んで災なれり。大火は郎ち上級なり、市l

火炎は即ち下柳なり。紋に下文に一公ふ、「次閣のよ燃は伎、大閣の下

卿に比し、小柄協の上郷は、佼大留の下側仰に比す」と。又一五ふ、「大間約

の上郷は佼、天平J

の一兆太に比ずんと。別ちで仰は山設に下士に比すべ

し。学校(伝)い成三年伝に、「減税…叔臼、町内仇図の上郷は大阪ののに

当たり、山γは対(の下に山当たり、一トは其のよ大火に当たるとと。校給

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に一広ふ、「…悠守安降る」と。又一式ふ、「小間出のよ燃は↓八日出の下蜘仰にお

たり、中は奨のよ大夫に当たり、アは就〈の下大夫に当たる」と。社

設に一試ふ、「一一等を降る」と。案ずるに、吋左伝いと主総と合ふ。此

の文は別別ち小筒、次匿に視べ、次図、大国に視ぶるに一鋭部を降る。

大題、天子に視ぷるに二等そ降る。

⑫一大子の隣・大夫・上士・下士、九そ凶等。遊佐の上郷・下絢・上

士・下士、凡そ四等。諮侯の大国のよ卿・下酬で上士・下士、凡そ

関等。次回のよ繍・下勝・上士・アムム・凡そ四位ザ。小間闘のよ郷・下

卿・上士・下土、凡そ郎等。閉山胞の率・一議・士・秩士、凡そ初等。

間近れ二十四等と諮ふ。選し天子の一一一公は裁も怒し。諮侠・通佼・附

腐は放より等に入らず。附熔は天子に透するを符ずと縫も、災の甘口

は翻より諮侯に視ぶるに叫一況を為す。

O感一式ふ、「吋禄いの下、間十中辺黒の字有り」と。案ずるに、後

本、下の「有」の也子に連ねて上に総す。例制法禄一玖ふ、「疑ふらくは吋禄

入に笈有りいに作らん」(典拠米詳)と。

@燥ふらくは当に「小功徳者掘削与上別」に作るぺし。「十円」は対を諮

ふなり。

⑫「執」疑ふらくは「受」に作らん。

⑫設耐一子い尚緊綴に、「徳を以て列に就き、震を以で惑に淑し、労を

以て銭を絞め、功を後一りて僚を分かつ。放に骨凶に常焚無くして間約に

終綾無し。能有れば別ち之れを挙げ、能無はりれば刷出ち之れを下す」

と。議仲非子い八姦鱗に、「燃料材の者間附禄に処りて、大宮に任ず。功

大なる殺は線開附有りて議殺を受く。授を甘口する者は其の能を捻り、

禄を斌(もと「職」に作る。原山内によって改める)する殺は、災の

功を称る。是を以て際者は能を一総ひで以て其の主に事へず。功有る

裂は笠(の殺に逃を楽しむ。故に事成り功立つ」と。に「火れ

蕊なる殺は位の級にして、官は禄の災なり。級に等有りて災の伎に

称ふ。災に利に足りで其の山首に間同し。此れ爵鍛の分を立つるなり。

潔録の分日に定まれば、必、ず明らかに災の人を選びて滋く之れをmm

ふ。徳紫く功名ノき者は前……爵大佼を受け、織を隊くして震を線くす。

徳浅く功路さ者は絞爵小位安受付、禄を務くし貨を卑くす」と。。

銭一おふ、「大州問中本竹取訟を歪ふいに作る。閥州議ずるに、日州」の上、

疑ふらくは脱山手有らん。或いはおに「管制則禁能、治之

54山出」に作る

べし。ぷ践には守口」の淡にして、又倒して下に夜るのみと為す。

qm関子いお世族制に、「放に制官、万人に滋ぐる者は之れを炎とお

ひ、千人の者は之れを俊と抑制ひ、白人の殺は之れを凝と刑制ひ、十人

の殺は之れを傑と認ふ。英・俊・議・傑、各々大小の材を以て其の

佼に処りて、災の双な得。本より米に流れ、援を以て経を制し、上

階へで民和し、よ動きて下総ふ。四海の山内、心を一にし婦を同じく

し、食則附に持きて義郎…に向かふ。其の災を化するに於けるや、印刷の

第十小を綴らすが務し。之れ然くして燦かず」と。吋白虎迎い袈人絡に

吋礼別名記いを引いて臼く、「夜人を俊と臼ひ、千人を放〈と日ひ、ザ火

に依するを佼と臼ひ、万人を傑と行ひ、枕敢に万ずるを設と臼ふ」と

0

3泌す〈いに、「吋俊いは、才、千人に滋ぐるなり。傑は、才、万人に

過ぐるなり」と。京H

〈経)い向中陶に「俊父、皆同に夜り」と。鯨波に

…Xふ、「才徳、千人に巡ぐるを俊と為し、白人を父と為す」と。守口

覧陥商注に、「千人を傑と為し、万人を俊と為す」と。辺倒m池子い博

選筋に、「徳、万人の者は之れを検問と翻ひ、徳、千人の者は之れそ荻

と諮ひ、徳、百人の者は之れを英と抑制ふ」と。此こと小災なり。策

ずるに、「俊」の字当に「然」に作るべし。「絡」は削船内なり。「間川」

cっυd

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は乃ち弓の機体にして、弓を引いて伎を射る。放に然を得と臼ふ。

⑫ウ臼虎通」封機綴に、「王者は資不山内をして佼して棺険えざらしむ

れば、別問ち平路庭に、またり」と。興案ずるに、尊卑就(の能の如くし、

大小其の分に当たれば、別ち人は徴税中の間山山ひを絶ち、土は奔州統の羽田

ひを刊閉め、事挙がらざる無く、才成らざる無し。否らざるも、別ち

時を桜み月を累ね、資を以て綴と為し、亦尚ほ以て牧口方を滋ませ職

内寸を放す可し。活し能を滋らずして授け、州側を考へずして挙ぐれば、

くず

賄成り勢ひ競ひ、燦恥の道亡びん。其の始めは人才を機ち、庶務壊

れ、放(の究みは以て天下を亡ぽすに足る。

⑫総(機)云ふ、「下文の天子・一一一公・九卿・二十七大夫・八十一元

土・一一一日間関十一一一下士、之れを合して適に三百六十一一一人を得」(吋春秋

繁滋平談」一、以下総説はすべてこれによる)と。

⑩務付ぷ秋冬山叩出火、放に況叫吋偽〕と一去ふ。

@O官同本に一式ふ、「下のつぶ、他十42ハいに作る」と。総一広ふ、「上

21いは乃ち主いいの{予の制絞りなり。下文に拠るに、去ふ、法何た

七上郷いと。コ授は遜じて吋又いに作る。一一一公九郷の外に又七上卿

有り。即ち所謂るな泌依いなり。放に

21上郷」は当に吋七上州仰い

と為すべきを知る。内二百二十人いはおに竹二百八十人いに作るべ

し。ムハと八と形似て誤る。今本のつ一十いは、則ち後人既に誤るの

下文に依りて之れそ改むるなり。鋭、後に詳かなり」と。興案ずる

に、資本っこに作るは、下文の通佐の数に拠る。戯本「凶」に作

るは、下す〈の「諮侯の数に倍にす」に拠るなり。つ一一一一一にして稲復す

る」(下の本文)を以て之れを披せば、み削説白河なり。

@俊一公ふ、「吋務秋元ん叩磁」に、大微を天庭と為す。五帯以て時を合

す。紫徽{おを大南市と為す。ゅに五彩の依有りて五帝明をA

川口す」と。

⑧一一一胸・九大夫〔亦「下郷」と名づく。〕・

凡そ問問等、百二十人なり。

⑩文会からず。或いは市誌に「上士与下士」に作るべし。脱して一一一字

、そ去る。

⑧五の通大夫は当に十五上会・閉山十五大夫、凡そ六十人有るべし。

⑮「五官」は天子の左右の五等を務ふ。

@「指数」は郎ち人数なり。猶ほ後人の百を称して千指と為すがご

とし。。資本に去ふ、「他十品「然」の{子加減し」と。

⑮凌一試ふ、「諸経山首大国は一一…箪と器一口ふ。内容秋いの縦、方的は一一師、

従ふるに凶間半の者無し。(門間同礼い)小一時徒の注を孜ふるに、望日裂の

鴎は凡そ閉山都。一部の問、税してまに入るいと。古、夫を計りて税

そ出す。税有れば別ち犬十何り。廿品川の公家安泰ずるそ以て、放に問中単

と一~一日はずして一一一筆と一一一一悶ふなり。災の災暗中に二本有るなり」と。総

一広ふ、「諸経皆大同協は…一一滋と一…一日ひて、閉山本と一甲山口ふ殺なし。凌注は下文

の「一軍は以て公家を府中ず」の説とム口ふに似たりと離も、然れども

公家を泰ずるは王申訟を泰ずるに非ざるなり。別ち小一時徒注の「税は

玉に入る」と称する所の殺と、水、一一ゃに非ず。米だ援いて以て説

を為すべからず。今、本文を以て考ふるに、問問中以は当に一一一軍と為す

べし。下文に日く、記入国は十六関口にして口

7

紘一一一安京ついと。又日

く、内総十を定めてムムハ関口を得、之れを一一…分すれば、別ち各々五潟一一一

千一一一一白一一一十日にして、大口滋一一一を為す。此れ公伎なりいと。然れば

刻ち十六潟口を以て之れを一二分して一一一軍と為す。廷に一mm?を立つる

を得ず。裁の下に又臼く、「天子は地、方子製。ガ夜間唱を為す者は

否。亦一一一分して其の一を除き、定めて問、方苔監を符る点告は六十六、

方十援の者六十六人を与にして、中比率千六百潟口安得。之れを九分

一十七上士・八十一下士、

一一54

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して、各々百七十七万七千七百七十七を俗、京日銀九な為す。一……京

口悠は以て王家を務ずいと。然れば削別ち天子は九箪にして、一一一液を

以て王家を務ず。大関は一一一家にして、一家を以て公家安泰ず。皆数

と巡にム口ふ。王家を取中ゆするの一一一向車は、即ち九獄中に在れば、別ち公

家を奉ずるの援も亦即ち一一一銭のやに在り。閉山車有るを得ず。占的、…一一・

四の字皆商そ紋み、ハ伎役にして誤りを致す。内儀礼い規礼の詰円JqT

の榊則投に、日目は当に一一一と為すべし。古川中制「一ニ」「問問」を作るに、山首

簡を獄み、字削叩似たり。之れに出りて誤れるなりいと。市川官悶い山内等

の疏に引きし郷枠叫に、吋州側間相似(もと「mm」に作る。原点(によって改

める)、四は当に一一一に作るべし。古、一一一

-mは一郎を櫛台。選そ以て…一一

誤って問問と為るいと。汲んで災の託なり」と。興策ずるに、本総の

「担率」の字は必ずしも万二千五百人の定数に依らず、疑ふらくは即

ち百周礼いの分議の怒ならん。放に小悶及び附政に於いて亦コμ第・

口師、一一一を立つ」と一一局ひしならん。一中取を以て公ι家を府中ずるは、嫌

帥吋の判別にして、吋春秋いの叫吋に一致りて其の旧に非、ず。

O宮本に一氏ふ、

「他本上の「也いの字無し」と。

⑮口を一一訂りて援を立つ之れを口援と諮ふ。猫ほ口を…計りて弁問を為

すに、之れを口井と潟ふがごとし。口弁は(吋淡怒い〉十点葬伝に日比ゆ

0

0滋去ふ、「間本吋一一一いの下に又コピの字有り。当に楚れ術文なる

べし」と。

⑩政云ふ、「吋准いの正山予を還にと為す。荷して(吋回一説聞い)周

3・

r又子で議問?と・

2向院で吋滋雨い出自「准」の学有り。別ち相沿ひ

て文を省くこと臼に久し」と。

⑪後一去ふ「王制にな刀一日銀は悶九夜畝と為す。注に吋一竪は一一一一閃畝

に方るいと。疏に吋案ずるに、認問一時間いに一双ふ「歩一臼を畝と為す」

と。免れ…い}択さてお歩、閉さ一歩なり。柏mUを土人と為す。同法れ一間引な

り。…災関一古品少なり。ホ八一一一を燦と為す。口定れ一一一墳なり。隠さ一一一一間歩

は円択さ一商品少なり。四回一…一宏弁と為す。定れ九十日畝なり。同氏側側一尽な

り」と。

⑫賞十五年注に、「日延の放に羽一人井川出の法を州制して之れを口ごとに分

ち、一夫一婦ごとに凶百畝そ安りて、以て父母史子を食ふ。日札口を

一家と為す」と。。後十平「ニさの二学然し。

⑬辺川礼い大河徒(小一川徒の誤)に、「上地の家は七人、中地の家は

六人、下地の家は五人」と。郊波に、「七人ムハ人近人を以前て率と為す

は、炎有り総有って然る後に家と為すなり」と。楚れ男女を併せて

之れを一計ふ。此に九日八人七人六人近人を食ふと公ふは、男女を併

せて之れを一一行ふ。一自畝、…一一口は怒ら男を計ふ。一殺し川市十を立つるには

削引を以て限るそ為し、食後は別ち労女を分かって合計すること無け

ればなり。附山口にして区ごとに叙を為せば、則ち正淡皆兵の出?に絞

り。一的諮る人人皆兵なり。門間川礼い及び吋司馬法いに拠るに、率、十日

畝にして一人を取りて正一本と為す。

⑩O淡水、「方恩」戸約して「方百製」に作る。

⑮O滋去ふ、ヨガ百箆いの下、山山本州古川方盗殺ィァ、得二万四千口、

方千良いの一計十郎学有り。術文に係れり。銭校側す。

⑩ぃ統一公ふ、「吋護側側いは芸品北甘いと同じ。門脇陣采いは疑ふらくは誤り有

らん。或いは当に走れ林潔仔菜の綴なるべし。地問除する一助に夜るな

り」と。興案ずるに、(吋礼記い)王制に、「山陵・林滋・川沢・溶液・

城郭・宮家・途答は一二分して一安去る」と。此れと法問じ。「街路

市」、疑ふらくは一学を約す。。官十ゃに公ふ、「他十4

2設を誤って

翠どに作る」と。案ずるに、淡水「皆同」を「山双山」に作る。

55

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@方夜型は応に良出方十援の者習を得べし。災の一分を除して、方

十問一一の者を得ること六十六なり。外余の方十笠の者一、復た禁の一

を除して、方閑却の者六十六を得。外余の一は方援にして、お叫一容を計

へず。放に之れを絡す。

O宮本、「与」のよに「十」の字有りて、一試

ふ、立十いの字以誌に「ガいのん予の下に在るべし。百訟の下に当に議官い

の学有るべし」と。興策ずるに、「十」の字は術文なり。

⑩上回の数に依りて十近万九千九百八十四を得、余数を芥せて之れ

を核せば、山wdに十六万又八口を得、余数禁の一を除すれば、適にム寸

数を得。

⑬余の一口は則一一川へず。大路を挙ぐ

oO「各」の下、疑ふらくは「得い

{予を脱す。

⑩「大」の下、一の「聞出」の字を欠く。

⑪外Amの方百取の者一、部門び其の一を徐して、方十肢の者六十六を

得。外余のガムl問中の者一は、応に方鍛一一の務六十六を得べし。ガ閉山を

浅はざるは、文、附附するなり。

@…一…の

Jm口緩や}朗附めて以て自ら衛り、本市は以て侮を禦ざ辺を緩ん、す。

俊一五ふ、「市内LV同路間円んすること此くの如し」と。

⑬淡一京ふ、「門淡滑引い外減伝に、笠宮は鷲夫人と称す。又品以内人・災人・

八子・七子・…防火佼・少佼の号砲り。「独断い(巻よ)に、コ火予は一に

して十二女を怒るは十二月に数る。一一一夫人・九鱗なり」と。

⑬設問設い

aX川市紀の回現注に、「淡秩録令及び茂陵設に、吋飾品は並ん

で内皆同なり。秩は比二千石、位は縫好、の下に次ぎ、八子の上に在

りいいと。綴波に、「姫は本、周の妓なり。卵旅田闘の女より筑し。夫人

の品中山口汚符娘と称する所以なり。後限りて総て衆,品交安諮ひて奴と為す。

京人記い(項羽本紀)に門高知畑、山政に総りし潟、炎制限を好むいと、

日たなり。殺し般は口沈れ走れ憶の見守ならば、応にお問、成夫人を殺すい

と一衣ふべからず。民つ外戚(伝)に、以腕さに后妃ゆ官級官同に列すい

と。姫の戦線しいと。邸内案ずるに、此こに拠れば、別ち鍛は悶川に夜

りて巴に牧口の号と為し、漢に始まら、ず。政吋術開秩録AA

市い及び吋茂陵

議いを引くこと制絞らず。仮、倒れの時始めて姿令官以て妓と為すかを

知らず。宙人記い仏畑農本紀に、口口不擦の奴を見ると一一一一山口ひ、問疋れ幾の時

間いに然り。設げい隙風に、「彼の美しき淑鮫」と。孔疏に一広ふ、「娘品交

は二姓の後なり。子孫日同感して、災の家の女炎なる忠明尤も多し」と

0

2a伝いに滋詩を間引いて一以ふ、「続受有りと縦も、機(孫の誤)俸を

絞っる無かれ」(成公八年)と。走れ姫川府立を以て婦人の美称と為すな

り。選し災の始めは制限を以て婦人の滋称と為し、凶りて以て皆同名と

為し、

V〈出りて以て姿の称と為し、綴転沿務して粧の名践し。〔米の

徽祭、改めて公主を称して務奴と為ずは、山川ち詩の「主娘」を用ひ

て誤るなり。〕

⑮俊一広ふ、「門渓設い外戚伝に、吋良人は八百石に泊四ひ、右庶炎に比ぷい

と。鎖、校に、で長人は姿を認ふなりいと。(吋礼記い)総弓注に、内務符

問妃を立て、川前七ぬ潟れに図る。腕舛に奈りて告げずして姿り、波妃を

立てず。余は…一一妃のみ。之れそ一…一ホ八人と認ふ。WM

弘后氏は揃唱すに一…一を

以てし、一一一にして九、合して十二人なりいと。春秋説に去ふ、口火

子、十こを附絞るは即ち変の制なりいと。按ずるに、一の后・一の披

夫人・中友おの夫人-m問の姫・一一…の良人をム関すれば、十一一人の数に

符す。議し交の秘を用ふるならん」と。興策ずるに、此れ問問の制な

り。(吋淡設い)壬詳伝に、「組問ふ、五絞を考へて、取札安定めて十二

女の淡を正して、以て継嗣を広めん」と。

⑮(抑制)張感設一公ふ、「有た七上納以下二一段二十人は所弱る述佐な

一-56

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り。通伎の笈は他殺に見えず」(典拠米諸)と。稔去ふ、「一一一七、二

十一、二十一にして之れを三にすれば、六十一一一を符。一兆土の数と為

す。六十三にして之れそ一一一にすれば、百八十九を待。下士の数と為

す。今乃ち百二十九下士と去ふは文の誤なり。口況に於いてよ文に尚一

佼二百八十人と一…一関ふ令官ば、亦改めて一一百二十と為す」と。

⑪ぃ限公ふ、「中日にコ太俗的いに作るべきに似たり。次のなんいの学

は街ならん」と。郎片山W

公刊するに、幾三十年伝に、「附持率一るも、品川未だ怒

ら、ざるなり」と。何兆に、「礼に、一加点八人は必ず憾・母有り。災の行

ひを正し、放(の身を俗ヲ泊所以なり。名大比八を選んで仰と為し、以也大

火の裂を選んでほと為す」と。口流れ仰と穏と二為り。間は母役り。

川りは保母なり。「ム人」のん子は前に非ず。

⑬各本「位」を「一一十」に作る。役一以ふ、「吋位いの学の誤りなり」

と。今拠りで改む。一ト同じ。

⑮波公ふ、斗淡川山儀いに、ムん簿一人は友一一千石、礼は捌の如し。亡

統一史めて太子仰と為す。……一公・一一一少は関訟の吋治安策いに同比ゆ」と。

拠採ずるに、「人」のゆナは併なり。以下のLXを以て之れを例すれば、

当に「俊子一太傍・少俗・一…一本・一ユ下水」と一試ふべし。成ひと「少

会」を以て勾を為し、即ち「下総γ

」なりと叡ふは非に似たり。

⑩猿蕊…一尚一以ふ「土の入りて術衛する務は、間川牧口の次舎の人間以の州知しい

(胤ハ拠米符)と。俊一氏ふ日……一総裁闘いに沼山にロ穴水・小紋γ泡総・

歩兵・射

tm-初騎・術係主宮・悶川総倣術有りいと。(門淡設い)…兆(裕)

紀の初一兆五年の顔訟に、門衛尉に八屯有り、衛候湾問川主衛士徽巡術保い

と。本伝に目出怨以為らく、笈しく務列倹・郡山リ二千γ仰をして各々

災の吏民の授なる者を択び、歳ごとに各々一一人を交して以て綴絡に

給せしむべし、とどと。総一広ふ「索、するに、下文に大国・次国を一…一一日間

ひで汲んで…おふ平ムの公安宿衛する議、上附仰に比する殺に三人有り。

下郷はふハ入、上ドの士に比する殺は上下の数の如しいと。別ち此の

文も亦おにヱムの入りて仕へて天子みを街側聞する議、上卿に比する者

に三人有り、下卿はよハ入、上下の土に比する者は上下の数の如くすい

と去ふべし」と。線銘柄ずるに「仕」の字は疑ふらくは釘ならん。

⑪俊一辺ふ「吋削川礼い女御の注に、吋(吋礼記い)惨殺に所摺る「御姿」な

り。「御」は猶ほ「進」のごときなり。「待」なりいと。統に吋凡げで

一おの下制御は皆川北れ后官より進んで不十日悦に夜り。出品築に侍すとと。問山内

議ずるに、此の「上下御」は、疑ふらくは送れ后守口の宿衡なり。渓

時の…同火炎e笈の泡総・慾訟の問問刑制の比ひの如し。御安には非ざるなり。

⑫よ文に拠るに、少伯は郎ち援なり。

O資本に一訳、品、「他木町亦いの字削燃し」と。

⑩此の処疑ふらくは「下士にはよ下の耐久各々広人」の匂を脱するな

、フん。

⑮此れ通佐の出人を刑制ふ。

⑩一ト土に回然し。大悶以下は別ち仮仰のみ之れ有り。

⑫心後十中「徐」の下の「災」の字紙…し。

⑬協同一千小、「門独紛い(務上)に、吋公伎に火入有り、役似附布りどと。

⑩間取巾弘元公ふ、「吋巡大穴で川上下の史いは所約る巡佼なり。此れ人

放を一γ

…日はず。下火に、次図、小関に、マ以上交・十五一?士いと一氏ふ。

計ふるに、品ルハに二十沢人にして、前一一川口の六十人と椴応ぜず。一六子の

泌伎は

4

一百二十人なれば、諮佼応に日必の灼くの少なる一刈からず。民

っ…………一…にして約復するの巾中にも泳ず。疑ふらくは、当に吋五の週火

炎・十五上ムム・四十五下土、凡そムハ寸五人いと云ふべし。六十は大

数を挙ぐるなり。或いは前父、のん予を脱するならん」(典拠米

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詳)と。

⑩淡一公ふ、辺今の八百石いとは漢の制を以て之れ況ぶるなり。(戦)

聞出策い(燕策こに云ふ、吋三百石の吏よりして之れを子之に効すい

と。注に、ヱ人事記、ア仰を以て怯怖を計るは始めて此に見ゆ」」と。

⑪一傍一母を謂ふ。

⑫一のよ僻・一の丞そ誠ふ。

⑬俊一広ふ、「ヤ十一后安上びて川町側衛いと為す」と。

⑫俊一広ふ、「(守化記い王制につ一百一十間以て州と為す。州に州市有りい

と。注に、円凡そ長は山首制限侯に因りて之れを為す。般の州間伐を伯と臼

ふい」と。

⑮凌一玄ふ、「荘元年注に、吋礼に九銭有り。一におく、車馬。二に閃

く、衣服。一一一に臼く、楽刻。留に日く、朱戸。五に口M

く、約陸。ムハ

に臼く、虎賞。七に日く、弓矢。八に日く、欽鋭、九に臼く、絞問。

皆幾を紡め不能を扶くる所以なり。ム叩を言ひて阪を一一一一同はざるは、ん叩

を緩んじて其の財物を蚤ねざればなり。礼に、石室は九ム叩に逃ぎず。

七十援は七命に過ぽ口、ず。五十翠は五命に過ぎずい」と。

⑬間千九百方盟なり。案ずるに此の問中脊は議し俗一議ならん。鋒数一一一七、

二十一は蘇泰の非月五に説くの穏なり。吋潜伏淑引い律騎士山(上)の、例制欽

の鍛律を出問領するの奏に亦云ふ、「八八、六十回」と。又事山南いの

設に亦之れ有り。設〈の来る臼に久しきを知る。

⑫前文を以て之れを例すれば、当に「方十患の者一二十二とガ監の者

六十六を得」と一式ふベし。此の文誤り有り。総て計へて、郎、方問一一

の者三千二百六十六を得、療を定めて七万八千三百八十四口を得、

之れを一二分して二万六千一百二十八口を得。

⑬な忽(伝)ご袋一一一年に、「雨孫子」と。松波に一玄ふ、「添寸…和一子の川護な

り」と。此れに拠れば、則ち端子は疑ふらくは既定れ姿の称ならん。

内線非子い外儲説おに、「斉の威平山中大人死す。十の猪子有って、出向王

より紫ばる」と。門別パ女伝いい災順絡に、「夫人、健姿に翁ひて日く、

認綿子我を謎ひて甚だ認めりとと。日巡れ周末以問ほ姿を祢して孫子と

為すなり。

⑬徳一、母一なり。

⑩議開設い主努伝に、「和人一一一、位、公に視ふ。鎖人九、附仰に視ふ。

炎人二十七、大夫に視ふ。制御人八十一、光太に被ふ。凡そ百二十人

なり」と。御人の称は此こに本づく。。資本に云ふ、「吋御一い各本誤っ

て雨榊いに作るo」と。

⑧路一試ふ、「吋上下いは後文と同じ。本或いは門下士いに作るは非な

り」と。興案ずるに、「下」の字、疑ふらくは俗ならん。「上的問」は

郎ち「丞」なり。米の「↓ム」の字当に下に肉料して句を為すべし。

⑫O宮本に云ふ、「他本土託のん予のよにヱムいの字奇術す」と。

@O天桜本「御」のよに「土」の字有り。凌本間じ。

@O天啓本「各」の字無し。後十弔問じ。

⑮一此れに拠れば、別ち次回以下は過大夫の上下の土に山首出入然し。

⑮凌一試ふ、「疑ふらくは誤有らん」と。際案ずるに、「六十六」はよ

の「ムハ」の字を約す。五五、二十況は二千去百万恩と為す。一一一分し

て一を除すれば、方十塁の者十六、外余万十問中の者一を他府、市内除し

て方燦の者六十六を得。総計して、問、方銀の者一千六百六十六を

得、率を定めて凶万口を得。之れを三分して一万一一一千三百一二十三日

と為す。

⑫俊一広ふ、足夫人いの上に当にごいの字有り」と。

⑧得一、母一なり。。宮本に云ふ、「他本吋問時いを誤って門叫んいに作

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る」と。

⑮「一」当につに作るべし。

O宮本に云ふ、「吋

闘仰いに作る。誤なり」と。

⑩「下」疑ふらくは街ならん。

⑪O盛去ふ「旧本吋夫人いの二学を欠く。(溶)越(機)校増す」と。

⑫OZ人前皆本注に一去ふ、「吋通い一につな」に作る」と。

⑮此の綴の説く所は、他怒に載する所の周の制と災関有り。澄し一

代の法制は、務めて常ならざるに印刷るの放に紀絞参笈し、一に合す

る能はず。此れ礁として井関未だ澄びざるの将の旧制にして、安官秋い

に有する所に非、ざるなり。十印して「遊佐」の名は十日に徴する無し。

「娘」「良人」の号は下って漢に同じ。八百石二ハ百石の類は、汲ん

で淑りて今の制に況ぶるは、山おに楚れ采りて問問聞を述ぺ、証する淡

の法を以てするなり。礼替数亡す。此れ殆ど邸説の僅かに存する者

にして突とす可きなり。

Oっこ、凌本ヲこに作る。

⑩九百畏なり。凌一広ふ、「吋商いお仰い通ず」と。

⑮ムハ夜間品なり。

01人啓本ヱハ十」に作り、「十」の字を街す。凌本向

じ。

制仰い他本吋一

⑮之れを三分して四千八百口と為す。

⑫盛一京ふ、な一小中い疑ふらくは吋こならん」と。

⑮O宮本に云ふ、「円~水辺他本吋一水いに作る。

⑮郎一、保一なり。

⑩此れ疑ふらくは誤り有らん。仙川勝の宰は子部カの下卿に視ふのみ。

綴衛に安くんんぞ、上下の卿に比する者有らんや。

⑩此の一訟にも亦疑ふらくは誤り有らん。

⑬滋云ふ、「一一一字誤りに非ず、郎ち術なりいと。

⑬み附云ふ、辺誠聞いは俗学なり。蓋し即ち立忍の学の誤りにして話設

を街するならん。上に云ふ、「約締の字いふ者は方一一一十援にして、名

いふ者は方二十回品なりいと。商して此こに去ふ門名を称する殺は地

のガは字するの君の地に半。はず』と。別問ち正に方十五墜にして上文

と符せず。(一「の)吋九半いの文も亦隣る一川からず。四分して一を徐

し、定めて田方十翠の者一ニを得と一式ふに拠れば、刑問ち巡に楚れ(下一

文の)ガ二十間十一の地なり。援し二十塁の地は方十獲のの者自と為すo

m間分して一を除すれば、別問ち園球れ方十監の毅一一一なり。然れば則ち此

こに去十いふの君の地いと云ふは必ず制限れるなり」と。

⑩句、綴り有り。

⑬O天務本「一一一分」を「問分」に作る。凌本内向じ。終ずるに、本筋

の礼に州拠れば、当に「一二分」に作るべし。然れども二十援を以て之

れを計ふれば、削別ち四分して適に下の間数・口数と合ふ。疑ふらく

は誤文有らん。

⑮万二十組一は突は阿国方翠を得。凶分して一を除すれば、ガ十翠の

者一一一を得。一一一分して一を徐し、定めて方十竪の者二、方監の者六十

六を得。

⑬下に脱文有り。当に丞有り、士有り、秩十一夜るべし。

⑮盛一氏ふ、「此の八学疑ふらくは誤りならん。弁せて疑ふらくは下に

脱文夜らん」と。奥案ずるに、此の一子山訟に「人氏を称する者は方十

五閉山」と一去ふべし。

⑩天務本「方塁の者五十」に作る。凌本間じ。築ずるに、「十」の{子

有るもの楚なり。地方十五裂は応に間二百二十五万回出を得べし。一一一

分して一ゃい徐すれば、定めて苔五十方翠を得。像一次ふ、「文総って読

み難し。吋一一一分して其の一を徐し、定めて問、方十患の者一と方笠の

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者五十を得」と云ふに拠れば、附則ら悶たれ方十五問一一の地は方五初期の者

九と為す。一二分して一を除すれば、山別ち方五昭一一の者六と為す。芥ぴ

にmm閣の方五震の地は方十援の者一と作為す。別ち余の肉仰の方叉

裂の地は、各々方問一の期制二21五と為す。之れを芥はせて五十と為す。

ょに訟附憾のゆ寸いふ殺は万一一一十附十寸名いふ殺はカ二十盟、人いひ氏

いふ者は十五怒なりいと去ふに拠れば、別ち此こに説く所の殺は必

ず楚れ附防総の人氏を称するの制なり。上文に所論るロェJ

いふの務の

池に半ばずいは、宜しく之れを此こに移すぺしいと。

⑬O級一試ふ、「吋定いの下、認にの{子を税すOAA7

織ふいと。

⑬戯一広ふ、「下に附版文有り」と。側関終ずるに、縮刷や旬以て之れを推せ

ば、当に「宗総一入、安一人、役子一人」と為すべし。「校総」は「ムム

宿衛活者」の残文為り。「役ネJ

臣」は別ち「役子宮脇」の残文なり

0

0一大前皆本「仕」の上に「土」の学有り。

〈本文通釈〉

吋春秋い〈儀公九年)に、「率問問公に会す」とあり、必公の会箆の

相手として、手河内佼・宋公・鱗伯・許闘力・勝子」などが記殺され、ま

た吋春秋」〈隠公五年)の「初めて六羽を献ず」の記裁の伝に「計八子

の一一一公は公と称し、王者の後を公と称す。災の余の大同協は佼と称し、

小包は伯・子・悶悶と称す」とあり、(これら記された爵伎を見ると、

それは)全部で(公俊佑子努の)五等となっている。紋に関川の爵佼

は五同等であり、またムム(の皆同位)は三口閣であった。これは装飾約傾

向を多くし、爽震設一視の傾向を少なくするものである。(これに対し

て)吋春秋同は一一一等滋であり、伯ウナ関刀を併せて一際としている。土(の

官位)は二口問であり、これは装飾的傾向を少なくし、災悶悶

f

…捌一祝の傾

山内をあJ

くするものである。

吋春秋いでは(楚溺を州名で呼ぶ)「剤」という…国間いカがちれ、こ

れについて、(校公十年の)伝に三爵佼を持たない間川公呼ぶのに、

州名で記殺するのは限名で記秘するのに及ばない、間的。刊で記絞ずる

のは、そのお主任姓氏で呼ぶのに及ば必い、という泌総に続いて)

姓氏で呼ぶのは、名で呼ぶのに及ゅはない。名で呼ぶのは、学で呼ぶ

のに及、はない。{子で呼ぶのは、ウナい受付けて呼ぶのに淡ばない。」

とあって、合併伐のない問の呼び方は)四等であり、これらを「附仰い

と呼ぶのは、………代紙ハ一泊する。

それでは(議伎の)領地りか列はどのようか。附AM

え。天子の邦淡

は千笠間方、公伎の綴地は一段閉山一mm方、伯は七十盟問方、ツγ%は五十

限品開方、前向の山?で字で呼ばれる閣は一…一斗lm一円問方、名で呼ばれる脳出

は一一十史的方、人や氏で呼ばれるのは十五怒四方である。

門務秋い(然公九年)に、辺古川公」とあって、その伝に、「(山学問問

公とは)別人予の一一一公なり」とあり、(総公元年の)「祭伯米る」の伝

に「お〈ヴナの大火なり」とあり、(い般公開年の)「準柳端的糾」の伝に「ド

大火なり」とあり、(定公十四年の)「石尚」の伝に「天子の上士な

り」とあり、(俄公八年の)「主人」の伝に「微者なり、下士-w

公務ふ」

とあり、〈このように、天子の肢は三公

-K大火・下火炎・上士・下

士の)五等である。

議甘秋い(議公十…年に)「(内総が)一一一軍を作った」とあり、その伝

に「何故記殺されたのか。諮ったのである。何を談っているのか。

古は(務伎の院は)上卿・下郷・トムポ・下士であ(り、……卿二家で

あったのに、一一一波を作ったからであ)る。」とある。(これによれば

諮佼は)問問様である。また小凶の大火(トム卿)は(大国と小悶の中

ハHv

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関の)次閣の下勝(下大夫)に(禄が)匹敵し、次国の大夫は大閣

の下燃に匹敵し、大国の大夫は天子の下土に匹敵する。(天子・大関・

次国・小国・総腐に天子の適伎を加え、天子の一一一公を除くと、それ

ぞれ沼等ずつで、都ム口)二十凶等であり、係禄は八等級である。

大きな功徳があるものは燦位が潟く封地も大きく、小さな功徳の

ものは際伎は上位と区別し、大才は大きな甘口位安一水け、小才は小さ

な官位を承け、官同位がそれを受ける人物の能力に応じるようにする

のが、綴誌の統治(法)である。そこで(才知が)万人(に一人と

いう能力者)は「英」と呼び、千人(に一人)は「俊」と呼び、百

人(に一人)は「祭」と呼ぴ、十人(に一人)は「蕊」と呼び、(こ

れら)談傑俊英は互いに俊答し合うことがないので、(こうした人材

を愛用すれば)天下を治めることは手のひらのよに物を見るよう(に

容易)である。

(天ヱ:諮侯の臣下の)数は何に則って決まったのか。答え。記入

??は左右の陵を(一一一公・九郷・二十七大本八・八十一一冗土の)五等に

等級付け、都合一一一百六十三人としているが、(一一一百六十一一一の数は)天

の一年(三百六十五日)に刻ったものであり、(五等は、春・笈・秋・

冬・中央の)五つの季節の色への対応である。(記入子の)遊佐は、七

上郷と下蜘榊(以下と)併せて(七上卿・二十一一「締・六十三上安・

百八十九下士の)二百八十人であるが、これは天庭(太微忍…畑一)の

形制端である。(天平J

の庄の数は)務佼の数に侍する。

諮侯の外伎は〈一一一締・九大夫・ニ寸七よ土・八十一下士の)問等、

百二十人であり、これは図零と(甲子-mT戊・申申・甲午・同T炭-

m殺の)六甲に則るものである。諮倹の通伎は近大火と、上士(十

五)及び下士(間十五)を合わせた六十とからなるが、これは臼反

の(十千十二交の)数に則るものである。

このように外佼・述佐が必ず一一一掛け三で倍数にするのはなぜか。

答え、季節は一一一ヶ月で係大な完成を遂げるし、渓(日間汀渓)は一一一の

数で形象をなす(ことに則ったものである)。

議佼の閥仰が五等であるのはなぜか。天地の数(である五)に知っ

たものである。(天子の左右の三公・九卿・二十七大半八・八十一一兆士・

二百四十一一一下士の)五笥も同様である。

それでは役人そ配認する際に、その人数の分配はどのようにする

のか。答え、務侯の大間出は閉山本であるが、これは十u縦である。その

問中卒中の二燃は、公家を川する。

そもそも(人口に応じて建てる)臼援の数が一一一であるのはなぜか。

答え、大関は人口十六万人で口淑一一一を建てる。どうしてそのように

言えるのか。答え、井間法を基準として計算するのである。一塁間

方で(耕地九区磁の)一井、一件汁で九百畝で人口計算の娘一撲が立つ。

一皮閉山方に八家が在し、一家は百畝で〈平均して)五人を疑う。(こ

の場合中部ごとの格設があり)ト一間以犬は九人を縫い、次は八人、次は

七人、次は六人、次は五人(というのが一家の口数〉である。多少

をならずと、平均、百畝で(閥均が)一一一人であり、一塁間方では二十

四人となる。一息四方の土地が十では、一一百四十人となる。十盟問

方は一約一一四万一自簡に等しいから、(十笠間口ガで)一一千四百人となる。

十日翠一四万は一患部万一万簡に等しいから、この場合は二十四万人と

なる。綴出廷ではこの数の一一一分の一を除くが、減畿や滅、外城や終浴、

怒物や住宅、村民や村のこみち、街路や市場、役所、疑問閥、小路、

防殿や沼池、山綴の林地(「縁栄」を円以に従って「山陵林滋」の類と

みなす)川町ザ(が徐外する一二分の一に含まれるの)である。

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(百墨田方から三分の一を除外すると)十銭閉山方が六十六倍と一

望閉山方が六十六箇となる。(十竪闘方に二千四百人、一町民間方に一一十

四人だから十五万九千九百八十凶人となり、更に残余を今日めると十

六万と八人となり)基準僚を定めて十六万人とする。これを一二分す

ると五万一一一千一二百三十一一一人ずつになり、(この数を一家として)大国

の三衡の口窓を形成する。以上は公侯の留の場合である。

天子は地は千波一四万であり、これは百笠間方が百制御分である。や

はりこれを三分してその一を除くと、耕地百弱点四方が六十六筋、十

笠間一方が六十六箆を得、基準値安千六百万人と定める。これな九分

すると各々百七十七万七千七百七十七人となり、(この数を一援の単

佼として)九箆の京口中与をなす。この内の一ニ簡の京口滋は王家を守

る。さて天子は一人の局、一人の役夫人、中・左・右夫人、開口人の娘、

一一一人の良人を立て、一人の太子、一一一公・九郷・二十七大火・八十一

元土・二百四十三下士を立てる。更に(遊佐として)七上郷・二十

一下郷・六十三一冗士・百二十九下士を立てる。

五后には太僻・太母を一人ずつ、一一一伯、一一一丞安置く。役夫人、防

人の姫、一一一人の良人は、それぞれ飾停を持つ。投子には一人太仰、

一二得、一一一率、一一一下率を霞く。

土で宮中に入って天子を街側聞するものは、よ卿待遇のものが一一一人、

下郷待遇のものが六人、上士下士待遇のものは、上士下士の数と同

じ(すなわち八十一人・二百四十一一一人)である。

玉后の護衛官同は上下の御をそれぞれ五人援き、一一一良人にそれぞれ

(伽仰を)五人緩く。太子の妃と娘(の数)、及び設備聞の士(の数)

は、公俣の制と同様である。玉后の憾にはよ出入一「出入が五人ずつ付き、

一二伯(の僻)にはそれぞれよ史下史が五人ずつ付き、(一一一入の)少伯

(丞)にはそれぞれ史が五人ずつ付く。太子の太侍には上出入下史が

それぞれ五人ずつ付き、(三人の)少傍にもそれぞれ五人ずつ付き、

一一一察、一一一下率にもそれぞれ五人ずつ付く。

一一一公にはよ出入下出入がそれぞれ双人、ずつ付き、(九)搬にも上史下山火

がそれぞれ五人ずつ付き、(二十七)大夫にもよ出入下史がそれぞれ五

人ずつ付き、(八十二元土にはそれぞれ史が五人ずつ付く。(遊佐

の)上下の嫡及び上下の史の史には、上巾人下山火がそれぞれ五人ずつ

付く。蜘榊・大夫・一苅土には疫が三人、ずつ付く。

さて公俊(の箇)は十日東凶ガであり、一一一分の一を除外すると、耕

地十堅四万が六十六筒、一堅四方が六十六偲となり、森一準値を十六

万人と定める。これを一二分して大閣の口淑一一一を建て大国を総支する。

(公僕は)一夫人・一投開糊・左右婦・一ニ姫・ニ良人を持つ。一太子・

一一一郷・九大夫・二十七上士・八十一下士を立て、また(遜佼として)

五人の遠大夫、〈十五人の)上士・(四十?な入の)下士を友てる。そ

のよ胸は天子の一克土に前日敵し、(禄は)今の八百石である。下蜘仰は六

百石、上士は阪商石、下士は一一一一自おである。

炎人には一徳・一母・一二伯・一一一丞が付く。役相附・友お締・一ニ姫・

一一良人にはそれぞれ締mmが付く。太子には一上傍・ゴ氷山が付く。土

で公を宿衛するもので、上胸待遇のものが三人、下郷待遇のものが

六人、上士・下士待遇のものは、上士下士の数と関門じ(すなわちこ

十七人・八十一人)である。

夫人の護衛官は、上下の御が各々五人付き、役開削・左右婦には上

下の御それぞれ五人ずつ付き、一一胸(「一二一娘二良人」の誤脱か)には

それぞれ(御が)五人付く。太子のよ停にはよ出入下史がそれぞれ五

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人付き、丞には出火が五人っき、一一一卿・九大夫には、上会の由人が冬々

五人ずつ付き、下士の史がまた各々五人ずつ付く。通伎の大夫・土

には、上史一「土がそれぞれ五人付き、卿には回が二人付く。以上が

公俣の制度である。

公侯の中の資者は州の方伯となり、斧誠を(天子より)賜って、

虎武百人を(殿下に)縫く。

さて(諮侯中)伯(の劉)は七十鼠一四方で、七七、問十九(で十

m一四万が間間十九個)であり、その一一一分の一を徐外すると、耕地はムi

盟四万が一一一十二筋、一史侶ガが六十六侭得られ、基準絡を定めて十

九万千二百11二人とする。これを次障の一一…口鍍として次悶を機立す

る。公は一大夫・役締・左右婦・一ニ良人・一一稲子を

mmく。一太子、

三郷・九大夫・二十七元+了八十一下士及び(巡佐として)況人の

過大夫・五人のよムム・十五人の下士を絞く。そのよ卿は、位が大阪

の下胸に山一敗し、(禄は)今の六百石であい、下郷は四百石、上出火は

一一一宮石、下士は二一白石である。

夫人には一僻・一母・一ニ伯・一一一援が付く。役締は・左右組側・…一一災

人・一一御人(硝子の別称か)にはそれぞれ的保が付く。太子には一

人ずつのよ下の鱒が付く。(土の中で)公を宿衛するで、上卿待遇の

ものが一一一人、下腕榊待遇のものが六人、上士下士待遇のものは、上士

下士の数と同じ(すなわち二十七人・八十一人)である。

夫人の護衛ι討には、上下の御が五人ずつ付く。位締・左右婦にも

よ下の御がそれぞれ近人ずつ付き、一一御(人)には(御が)それぞ

れ忍人付く。太子の上傍にはよ出入下出入がそれぞれ五人ずつ付き、丞

には史が五人付く。一一一刻・九大中大には、上出入下出火がそれぞれ五人ず

つつき、通佐の大夫には、上史下出入がそれぞれ五人ずつ付き、

11士

には史がそれぞれ五人付き、郷には同出が二人付く。

さでテ男(の間同)は、五十銀問方であり、五五、二十況で(十銭

的方が二十五節)、(その三分の一そ除外すると)十泉聞方のもの十

六細川(と一周一一四万のもの六十六筒)を得、娘一滋倣が四万人となり、

これを小国の一一一口箪となして小悶を総立する。

(公は)夫人・役料開・左お婦・一一一良人・二部予を鼠き、一太子・

一一一酬で九大夫・二十七上士・八十一下士を立て、(通佐として)五人

の過大土人・五人の上会・十双人の下士をいぷてる。そのよ卿はJM簡の

下測に阪敵し、(禄は)今の四百おであり、下郷は一一…

rn石、上士は二

百石、下士は一白石である。

夫人には一傍・一ほ・………伯・一一一永一が付く。肢料州・左お鰯・…一一良人・

二御人(前例と町内じく「二部子」の別称と44J

えられる)にはそれぞ

れ的保が付けられる。太子には一人の太停が付く。土の中で公を宿

衛するものは、よ卿待遇のものが一…一人、下郷待遇がふハ人である。夫

人の護衛官には、上下の伽仰が五人ずつ付く。世制仰・左右側仰にも上下

の伽仰がそれぞれ五人ずつ付き、二御人には(御が)それぞれ五人付

く。太子の上停には上山人下史がそれぞれ五人ずつ付く。一一一卿・九大

半八には、トム出人下山人がそれぞれ五人ずつ付き、会には各々一九人(の兇)

が付く。消却佐の火炎には、上出火下史がそれぞれ五人ずつ付き、胸に

は隠が一一人付く。

以上は周の制度であり、か後秋いは伯γγ出刀を併せて…等としてい

ザ令。

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さて、術総の中で(吋春秋いにおいて)字で呼ばれるものは地が一一一

十笠間方である。一一一一一一が九で(十堅四万が九筒)、一二分してその一を

徐くと、耕地十援問ガのものふハ抑制を得、法務制限がてみm間千四百人と

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なり、これを一ニロ師となす。そして(公は)宗総・二姿及び一太

子・一挙・一ゑ・一土・秩士五人を立てる。準は子努の(小留の)

下胸にひ匹敵し、(織は)今の一一一百石である。

京婦には的保と護衛官が一一一人付き、(二人の)姿にはそれぞれ人が

付く。太子は一人の俸が付く。土の中の世相を宿衛するもので、上卿・

下般に匹敵するものが一人(この旬、校訓絞りを指摘)、上出火下出火に匹

敵するものはそれぞれ(上兇下史の)数と同じである(この匂にも、

注誤りを指摘する)。太子の俸には上史下出入が五人ずつ付く。一ニ卿・

九大夫には、上出入下出火がそれぞれ五人ずつ付く。

(約廠の中で)名で呼ばれる者は、地は(吋春秋いにおいて)字で

呼ばれる(郎防の)世相の半分(すなわち十五盟問方となるが、日訟の

指摘般の巡り、上文とん口わない)である。(次の「九地ごは注に従い誤

りと見て翁く。〉それを…一一分してその一を徐外すると、耕地十箆四方

のもの一一一を得、機務総が七千二夜人となる。一太子の市川十は今の一一円

おである。(次の「下間半一一一半二十五」は浅の指摘の巡り、誤りとみ

なして省く。)

(門春秋いにおいて)人や氏で称される者は、十十以閉山中間ガであり、

それを…二分して一を除くと、耕地十堅のもの一簡と一史問ガのもの

五節を潟、摘知機十位が一一一千六百人となる。

(十中学教授)

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