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Title 『生命の水』におけるウルドゥー古典詩の時期区分に ついて Author(s) 松村, 耕光 Citation 大阪大学世界言語研究センター論集. 1 P.49-P.62 Issue Date 2009-03-11 Text Version publisher URL http://hdl.handle.net/11094/9734 DOI rights Note Osaka University Knowledge Archive : OUKA Osaka University Knowledge Archive : OUKA https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/ Osaka University

Osaka University Knowledge Archive : OUKAムハンマド・フサイン・アーザード(Muammad usain Āzād 1830-1910)の著書『生 命の水』(Āb-e ayāt)1 は,序論と本論から成り,「生命の水」と題された本論では,詩

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Title 『生命の水』におけるウルドゥー古典詩の時期区分について

Author(s) 松村, 耕光

Citation 大阪大学世界言語研究センター論集. 1 P.49-P.62

Issue Date 2009-03-11

Text Version publisher

URL http://hdl.handle.net/11094/9734

DOI

rights

Note

Osaka University Knowledge Archive : OUKAOsaka University Knowledge Archive : OUKA

https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/

Osaka University

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In his magnum opus Āb-e ayāt (The Water of Eternal Life) published in 1880, Mu ammad usain Āzād (1930-1910), a poet and critic, tried to describe a history of classical Urdu poetry in a modern way, dividing it into five periods. After reviewing the features of these five periods, this paper points out the following characteristics of Āzād’s periodization.(1) In some tazkiras compiled prior to Āb-e ayāt, such as Makhzan-e Nikāt, Tazkirah-e

Shu‘arā-e Urdū, abqāt al-Shu‘arā and abqāt-e Shu‘arā-e Hind, the history of classical Urdu poetry was divided into periods, but the criteria of division was obscure. In Āb-e ayāt Āzād wrote an introduction to each period in which he tried to explain the features of these five periods.

(2) Āzād divided the history of classical Urdu poetry into five periods, not according to sheer facts, but according to his specific view on the history of Urdu poetry. He depicted it not as a mere change of periods, but as five successive stages; from the stage of naturalness to the stage of artificiality. He thought Urdu poetry lost its eloquence because of too much artificiality.

(3) In Āzād’s view the degradation of classical Urdu poetry was caused by the poets who did not try to find and use new themes in their poetry and their conservative attitude made Urdu poetry artificial. In the introductory section of Āb-e ayāt, he encouraged poets not to confine their poems to the traditional theme, that is, love and beauty, and persuaded them to seek and try new themes in order to revive Urdu poetry. This reformist opinion is clearly reflected in his description of the history of classical Urdu poetry.It is not difficult to find fault with Āzād’s periodization, but what is important is to

understand its peculiarities and realize Āzād’s view on classical Urdu poetry. The contents of this paper are as follow:

『生命の水』におけるウルドゥー古典詩の時期区分について

松 村 耕 光MATSUMURA Takamitsu

Abstract:

The Periodization of Classical Urdu Poetry in Āb-eayāt (The Water of Eternal Life)

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松村:『生命の水』におけるウルドゥー古典詩の時期区分について

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Opening remarksĀzād’s periodization of classical Urdu poetryCharacteristics of Āzād’s periodization of classical Urdu poetryConcluding remarks

Keywords:Muhammad Husain Azad, Classical Urdu poetryキーワード:ムハンマド・フサイン・アーザード,ウルドゥー古典詩

1. はじめに ムハンマド ・フサイン ・アーザード(Mu ammad usain Āzād 1830-1910)の著書『生命の水』(Āb-e ayāt)1 は,序論と本論から成り,「生命の水」と題された本論では,詩人ワリー(Walī 1707 年頃没)から詩人アニース(Anīs 1874 年没),ダビール(Dabīr 1875 年没)までの,18 世紀から 19 世紀にかけての代表的なウルドゥー詩人の生涯,著作,逸話が紹介されるとともに,各詩人の作品の特徴が論じられ,代表的な詩が付されている2。興味深いことに『生命の水』本論では,ウルドゥー古典詩の歴史は五つの時期に分けられており,各時期には,それぞれ独自性があると考えられている。

 「時代ごとにそれ(=ウルドゥー語)が姿を変えていること,そしてその優れた訓育者たち(=詩人たち)が時に応じて方策や言葉を用いて,その立居振舞を矯正していることがはっきりと解った。こうして五つの詩会(=時期)が眼前に現れ,次々と開催されては散会となった。新しい詩会は前の詩会が終わると独自性を発揮した。」(『生命の水』序文pp. 1-2 引用文中の括弧内の注記は引用者によるものである。以下同じ3。)  本稿では,アーザードが行ったウルドゥー古典詩の時期区分を紹介するとともに,その特徴について考察する。

2.アーザードによるウルドゥー古典詩の時期区分 『生命の水』本論においてアーザードは,詩人について述べる前に,時期ごとに各時期の特徴を総括的に述べる短い序文を書いている4。以下,その序文によってアーザードがウ

1 初版 1880 年。第二版 1883 年。第三版 1887 年。各版の異同に関しては,[Mu ammad usain Āzād 2006]の pp. 45-62 を参照。

2 序論は「ウルドゥー語の歴史」,「ブラジ・バーシャーにペルシア語が流入し,いかなる影響を与えたか,また,将来にどういう希望があるか」及び「ウルドゥー詩の歴史」の三部分より成る。『生命の水』の序論については[松村 2005]を参照。

3 本稿では,最も普及していると思われる『生命の水』第二版をオフセット印刷した[Mu ammad usain Āzād 1982]より引用する。Abrār ‘Abd al-Salām の校訂版[Mu ammad usain Āzād 2006]と対照したが,意味に違いを生じるほどの異同は見られなかった。

4 時期区分に関してアーザードは『生命の水』の序文で次のように述べている。 「これらの長老たち(=偉大なウルドゥー詩人たち)について知られていることやさまざまなタ

ズキラ(tazkirah 詩人に関する情報や詩の特徴も簡単に記された詩選集)に断片的に述べられて

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ルドゥー古典詩の五つの時期をどのように考えていたのか確認してみよう。

(1)第 1期 第 1期は,ウルドゥー詩の北インドにおける誕生期である。ウルドゥー詩はデカンのムスリム諸王国において発展したが,アーザードは,デカンのウルドゥー詩人ワリーの影響を受けてデリーでウルドゥー詩が作られるようになった時期を第 1期としている5。

 「ウルドゥー語世界の最初の新春である。言葉の精霊,すなわち詩がこの世に現れた。しかし,それは子供のように眠りこけていた。ワリ―が現れて甘美な声でガザル(ghazal 定型抒情詩)を歌い始め,この子供は伸びをして寝返りを打った。その影響は突如として稲妻のように人々の心を巡った。どの家でも(ウルドゥー)詩を話題にしており,貴族貴顕の誰を見ても,(ウルドゥー語による)詩作に耽っている。」(p. 81) 「ワリーはこの時代の詩宴の灯りであり,詩宴に集う人々はデリーやデカンのやんごとなき人々であり,言葉(=ウルドゥー語)の流暢な話し手である。彼らは,何を見るにしてもその灯りによって見る。彼ら(=デリーとデカンの詩人たち)の言語は同一の言語と見なされるべきである。」(pp. 81-82)

 この時期の代表的詩人としてワリーの他にアーザードが本文で論じているのは,アーブルー(Ābrū),マズムーン(Ma mūn),ナージー(Nājī),アフサン(A san),ヤクラング(Yakra g)である6。

(2)第 2期 第 2期は,ウルドゥー語,ウルドゥー詩の発展期である。

 「第 2期が始まる。言語(=ウルドゥー語)の天与の美しさにとって春の季節である。詩題の花が弁舌(fa ā at)の花園で気取りのない若々しさを見せている。天与の美しさとは何であろうか。それは天の与えた魅力である。化粧の話がほんの少しでも出ると,作為(takalluf)の染みがついたとそれはごしごしと水で洗い流そうとする。その花園は自然によって創られたものである。技巧をこれに接ぎ木しようとすると手が切れてしまうで

いることを一か所にまとめるべきであると思った。そして可能な限り,長老たちの人生の生き生きとした姿が目の前に現れるように,それが不滅の生命を得られるように書こうと思った。有難いことに数日のうちに考えがまとまった。上記の理由から書名は『生命の水』とした。ウルドゥー語の時代ごとの変化という観点から,それを五つの時期(daur)に分割し,各時期の言語のみならず,その時代の素晴らしい姿を示した。」(p. 4)

5 アーザードはデカンでウルドゥー詩が興隆したことを知っていたが,デカンのウルドゥー詩人はほとんど無視されている。この点に関しては,[Frances Pritchett 2001]に収められた Shamsur Rahman Faruqi の論文,“Constructing a Literary History, a Canon, and a Theory of Poetry”の p. 25 以下を参照。

6 アフサンに関しては詩の紹介のみ。

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あろう。」(p. 106)

第 2 期に属するとされているのは,ハーティム( ātim),ハーネ・アールズー(Khān-e Ārzū),フガーン(Fughā )の 3名の詩人である。

(3)第 3期 第 3期はウルドゥー詩の絶頂期である。

 「この詩会には,弁舌が待ち焦がれ,修辞(balāghat)が待ち望んでいた優れた人々が集まる。ウルドゥー語は,最初,掘り出されたばかりの金塊であった。これらの長老はその汚れを取り去り,その金塊から数多くの必需品や装飾品,美女を飾る宝石,さらには王の頭を飾る王冠が作られるようにしたのであった。後に多くの宝石職人や琺瑯職人が現れたが,栄誉の首飾りはこれらの長老の首にかけられている。」(p. 123) 「忘れてならないのは,ハーネ・アールズーの謦咳に接したおかげで,まるで乳母の膝で才能ある子供が育つように,若者たちの技量が磨かれたということである。私は,第2期,第 3期の詩人たちの様子を簡単に注記しておいたが,この(永遠の生命の)盃の中で名前や作品に触れていない詩人も数人いる。実際のところ,これらすべての詩人にはウルドゥー語改良者として栄誉に浴する権利がある。しかし,詩人たちや長老たちから聞いたところによると,ウルドゥー語を磨き上げたのは,ミルザー・ジャーネ・ジャーナーン(Mirzā Jān-e Jānā ),ソウダー(Saudā),ミール(Mīr),ダルド(Dard)の 4名の詩人である。」(p. 124)

 アーザードによれば,第 3期の詩人たちは,ペルシア語の連語(tarkīb)をうまくウルドゥー語に導入することに成功し,ウルドゥー語の確立者となった。

 「第 3期の詩人たちは,ウルドゥー語という建物の事実上の建設者である。彼らは多くの単語を古臭くなったとして捨て去り,ミルクの中の溶けきれていない氷砂糖のようであった多くのペルシア語の連語を(ウルドゥー語に)溶かし入れた。」(p. 124)

 第 3期に属する詩人として本文で論じられているのは,ミルザー・マズハル・ジャーネ・ジャーナーン(Mirzā Ma har Jān-e Jānā ),ターバーン(Tābān),ソウダー,ミール・ザーヒク(Mīr ā ik),ダルド,ソーズ(Sōz),ミールである。

(4)第 4期 第 4期は「奔放さと才気(shōkhī aur arrārī-e ab‘a)」に支配された時期である。

 「大きな笑い声がする。見よ,詩会に人々が集まってきた。特別な人たちである。『彼ら

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の到着は大騒ぎの始まり。』活発で陽気な人たち。彼らの奔放さと才気は真面目さに押しつぶされることはないであろう。顎が疲れるくらい笑ったり,笑わせたりすることであろう。しかし,進歩の歩を進めることもなく,先代の建物を高くすることもなく,同じ建物の中を飛び跳ねるだけであろう。建物を別の建物で飾るであろう。万物の姿を別の姿に変えて見せるであろう。お馴染みの(詩題の)花を香水に浸し,時には花輪を作り,時には巻き毛の飾りにするであろう。時には花で鞠を作り,ホーリーの祭りが恥じ入ってしまうほどそれを投げ合うことであろう7。これらの幸運な人たちは素晴らしい時代に生きることであろう。称賛者に恵まれ,彼らの花一輪一輪が,畑中のサフランを買うのと同じ価格で売れることであろう。」(p. 221)

 第 4期にはレーフティー(rēkhtī 女性の視点で作られた恋愛詩)という詩が創造されるが,アーザードによれば,これも真面目さの対極にある「奔放さと才気」に支配された時代精神を反映するものであった。

 「この時代にランギーン(Ra gīn)が新しい花束を作り,詩会に集う人々の前を飾った。すなわち,レーフタ(rēkhtah ウルドゥー詩)からレーフティーを作った。インドの恋愛詩は先祖がえりしたと言いたくなるが,かつての詩は現実に根ざしたものであったのに対し,これは単に友人たちを喜ばせるためのものである。したがってこれはほんの冗談のようなものであると言わざるを得ないのである。」(p. 221)  第 4期に属する詩人として論じられているのは,ジュルアット(Jur’at),ミール・ハサン(Mīr asan),インシャー(Inshā),ムスハフィー(Mu afī)である。

(5)第 5期 第 5期も停滞期と言えるが,一方で「繊細な思考」(nāzuk-khayālī)に基づいて詩が作られるようになった時期でもある。

 「見よ,ランタンが輝き始めた。起きよ,迎えに行くがよい。詩会に我々の目の薬となるような長老たちがやって来る。二種類の優れた詩人がいる。第一に,先人たちの後に続くことをよしとする詩人たち。彼らは先人の庭を散策し,古い枝や枯れた葉を片付け,新しい色,新しい形の花束を作り,花瓶に入れて壁の棚を飾るであろう。第二の詩人たちとは,高尚な考えを持った人たち。思考の熱気で革新の風を吹き上がらせるであろう。その風によって熱気球8 のように高く舞い上がり,高い地位を得るであろう。彼らはこの風によって大きな仕事を成し遂げた。しかし,残念ながら周囲の無限の広がりの中へ進み出よ

7 ホーリー(hōlī)はヒンドゥーの春祭り。色のついた粉や水をかけ合う。8 原語 burj-e ātish-bāzī。紙でできた半球(burj)の中に松明が装着された熱気球のようである。

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うとはしなかった。彼らは屋上より飛び上がったのである。太陽が星のように小さくなってしまうほど高く飛翔する者たちやどこまでも飛んでゆく者たちがいるであろう。彼らはその方法を,奇想(khayāl-bandī),繊細な思考(nāzuk-khayālī)と呼ぶであろう。実のところ,彼らの詩は魔術であり,彼らは当時の魔術師なのである。幸運なことに,彼らは崇拝者を得ることであろう。長老たちは疑いなく繊細な思考を行ったが,詩題という花が天与の輝く美しさを見せながら弁舌の花園で揺らめいていたのに,彼らはその花びらをむしりとるのである。そして花びらに,極細の筆で,虫眼鏡なしでは解らないほど小さな模様を書き入れるのである。奇想によって詩作するとき,これらの優れた詩人たちは,天与の美しさと言える自然な味わいを気にも止めない。なぜなら彼らの技巧は,それなしでは独自性を発揮することができないからである。」(pp. 325-326)

 第 5期は,デリーとならんでラクナウーが重要なウルドゥー詩の拠点となった時期である。

 「彼ら以前にラクナウーにいた詩人たちは,デリーにいられなくなった人たちであったことをここで述べておかなくてはならない。この人たちやその子供たちはデリーを故郷だと思っていた。ラクナウーの人たちは彼らの真似をするのは過ちではなく,誇るべきことであると思っていた。ラクナウーにはまだ彼らに匹敵するような優れた人物が誕生していなかったからである。言葉(=ウルドゥー語)に精通していると彼ら(=ラクナウーの人たち)が主張するような,そしてその主張が正しいような時代が来る。彼らとデリーの(人たちの)言い回しに違いが生じると,彼らは自分たちの言い回しに表現力があり,デリーの言い回しには表現力がないと主張するであろう。彼らの主張のいくつかをデリーの公平な者は認めるであろう。この(時期の)長老たちは多くの古い言葉を捨て去った。その詳細は第 4期の序文のところに記しておいた。現在,デリーとラクナウーで話されている言葉は,彼らの言葉であると思われる。」(p. 326)

 第 5期に属する詩人として論じられているのは,ラクナウーのナースィフ(Nāsikh),ハリーク(Khalīq),アーティシュ(Ātish),デリーのシャー・ナスィール(Shāh Na īr),モーミン(Mōmin),ゾウク(Zauq),ガーリブ(Ghālib),そしてマルスィヤ(marthiyah 第 4 代カリフであったアリーの子フサインのカルバラーにおける殉教を描く詩)の詩人として有名なラクナウーのダビールとアニースである。

3. アーザードのウルドゥー古典詩区分論の特徴 アーザードのウルドゥー古典詩区分論の特徴は以下の 3点になろうかと思われる。

(1)各時期の特徴を説明しようとしたこと ウルドゥー詩の歴史を区分して論じたのはアーザードが初めてではない。18 世紀に編

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纂されたカーイム・チャ-ンドプーリー(Qā’im Chāndpūrī 1793/ 94 年没)のタズキラ『マフザネ・ニカート(Makhzan-e Nikāt 美点の宝庫)』(1754 年頃完成 原文ペルシア語)やミール・ハサンのタズキラ『タズキラ・エ・シュアラー・エ・ウルドゥー(Tazkirah-e Shu‘arā-e Urdū ウルドゥー詩人選集)』(1778 年頃完成 原文ペルシア語)ではウルドゥー詩人たちが,「初期詩人(mutaqaddimīn)」,「中期詩人(mutawassi īn)」,「後期詩人(muta’-akh khirīn)」に分けられているし9,クドゥラトゥッラー・ショウク(Qudratullāh Shauq 1809 年没)の『タブカートゥッ・シュアラー( abqāt al-Shu‘arā 詩人選集)』(1775 年頃完成 原文ペルシア語)では,「初期詩人」,「イーハーム(īhām 一つの単語に二つの意味をこめる技法)詩人」,「後期詩人」,「新体詩詩人(shu‘arā-e tāzah-gō)」に分けてウルドゥー詩人が論じられている10。 また,19 世紀に編纂された『タブカーテ・シュアラー・エ・ヒンド( abqāt- e Shu‘arā-e Hind インド詩人選集)』(1848 年出版)11 では,「インドの言葉(Hindī)で詩作した初期詩人」,「ウルドゥー語を確立し,ウルドゥー語の普及に大いに努力した詩人」,「ウルドゥー語を改革し,ウルドゥー語を普及させた詩人」,「正しい言葉や興味深い言い回し(mu-āwarah)の使用を好んだ詩人」,そして「同時代人」に詩人たちは分けられている12。

9 『マフザネ・ニカート』の構成は次のようになっている。 第 1 期( abqah-e awwal) 初期詩人たち(mutaqaddimīn)の詩について 第 2 期( abqah-e duvum) 中期詩人たち(mutawassi īn)の作品について 第 3 期( abqah-e sivum) 後期詩人たち(muta’akhkhirīn)の詩と人物について 『タズキラ・エ・シュアラー・エ・ウルドゥー』では,詩人の雅号の頭文字のアルファベットご

とに詩人はまとめられており,その中で詩人は,ファッルフスィヤル時代(Farrukhsiyar 在位1713-19)以前の初期詩人(mutaqaddimīn),ファッルフスィヤル時代末からムハンマド・シャー(Mu ammad Shāh 在位 1719-48)時代初頭までの中期詩人(mutawassi īn)そしてそれ以降の後期詩人(muta’akhkhirīn)に分けられている。

ファルマーン・ファテプーリーによれば,ヤクター(Sayyid A mad ‘Alī Yaktā)の『ダストゥールル・ファサーハット』(Dastūr al-Fa ā at 雄弁の規則 1833 年完成)でもウルドゥー詩は 3期( abqah)に分けられているとのことであるが [Farmān Fate pūrī 1972:285],筆者未見のため,詳細は不明である。

10 『タブカートゥッ・シュアラー』の構成は次のようになっている。 第 1 期( abqah-e awwal) レーフタ詩の発明及びダキニー詩人や彼らの同時代の詩人若干名に

ついて 第 2 期( abqah-e duvum) イーハーム詩人について 第 3 期( abqah-e sivum) 後期詩人及び若干の新人詩人について 新体詩詩人(shu‘arā-e tāzah-gō)及び若干の新人詩人について11 フランスのウルドゥー文学研究者ギャルサン・ド・タッスィー(Garcin de Tassy)が著したウ

ルドゥー文学史Histoire de la litérature hindouie et hindoustanie, 2 vols, Paris, 1839 & 1848 の第 1巻を大幅に改変,加筆してウルドゥー語訳したもの。ファロン(F. Fallon)とカリームッディーン(Karīmuddīn 1879 年没)の共訳となっているが,実質的な編集,執筆作業を行ったのはカリームッディーンであるとされている(グラーム・フサインは,ド・タッスィーの著書の内容をファロンが要約してカリームッディーンに伝えたのではないか,と推測している[Ghulām usain Zu-l-Fiqār 1967:25])。 abqāt al-Shu‘arā-e Hind という名称で言及されることがあるが,abqāt-e Shu‘arā-e Hind が正しい。

12 『タブカーテ・シュアラー・エ・ヒンド』の構成は次のようになっている(このような区分はギャルソン・ド・タッスィーの原著には見られない)。

第 1 部(Qism-e awwal)ここには,インドの言葉(Hindī)で著作した初期詩人(mutaqaddimīn)に関する記述がある

第 2 部(Qism-e duvum) ウルドゥー詩人の諸区分( abqāt) 第 1 期( abqah-e awwal) ここにはウルドゥー語の確立者であり,ウルドゥー語の普及に大い

に努力した詩人たちの記述がある

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 以上のように,ウルドゥー古典詩を時期区分して記述するタズキラはアーザード以前から存在したが,これらのタズキラでは各時期の特徴の説明が十分に行われているとは言えないように思われる13。 『生命の水』には,短いながらも各時期の始めにその時期の特徴を記す序文が置かれており,従来のタズキラでは希薄であった時代区分の意識,歴史意識が見られる点に大きな特色があると言えよう14。

(2)独自の史観に基づいて時期区分されていること アーザードは,ウルドゥー古典詩を単に五つの時期に区分しただけでなく,それらを次のように,自然で雄弁であったウルドゥー詩が作為性,技巧の増加によって次第に雄弁さを失っていく過程,ウルドゥー詩の誕生・発展・衰退の過程として描いていることに注意しなければならない。

 第1期 「これらの長老たちの作品には作為(takalluf)が見られない。長老たちは,目の前に見える物や見た物によって心に生じる思いをそのまま口に出す。込み入った詩想,解りにく

第 2期( abqah-e duvum) ここにはウルドゥー語を改革し,この言語を普及させた者,美しくない言葉の使用をレーフタの言葉によって一挙に廃止した詩人たちについての記述がある

第 3 期( abqah-e sivum) ここには第 2期の(詩人の)弟子で,正しい言葉や興味深い言い回しの使用を好んだ詩人たちが記述されている

第 4 期( abqah-e chahārum) この区分に含まれているのは,小生の同時代人で,小生と付き合いがあったり,よく見かけたり,会ったことはないが,どういう人物か聞いたことのある詩人たちである

補遺(Takmilah) ここには生年や没年が不明の詩人が記述されている いずれかの区分に入れられなければならないが,生没年が不明であるために補遺に入れた

アスラム・ファッルヒーによれば,ミルザー・クルバーン・アリー・ベーグ・サーリク(Mirzā Qurbān ‘Alī Bēg Sālik)もウルドゥー古典詩を『マフザヌル・ファワーイド(Makhzan al-Fawā-’id 利益の宝庫)』(1874/75 年)において五つの時期( abqah)に区分しているという[Aslam Farrukhī 1965:104]。

13 『マフザヌル・ファワーイド』については,明確に時期区分の基準が示されているのか,筆者未見のため不明である。

14 1867 年(あるいは 1868 年)にウルドゥー語について行った講演ではウルドゥー古典詩を 第 1 期 ワリー ハーティム ソーズ ヒダーヤット( idāyat) 第 2 期 マズハル ミール ソウダー ダルド 第 3 期 インシャー ジュルアット ナースィフ アーティシュ ゾウク と 3 期( abqah)に区分していたアーザードが,何故『生命の水』において 5期に区分するよう

になったのか,興味深い問題であるが,この点に関してアーザード自身は何も述べていない(アーザードのこの講演「ウルドゥー語(zabān-e Urdū)」は,『アーザード著作集』第 1巻に収められている[Mu ammad usain Āzād 1966]。尚,アーザードは,時期区分の基準を講演の中で示していない)。アスラム・ファッルヒーは,カリームッディーンとサーリクの 5区分説の影響がアーザードに及んだと考えている。

「アーザードもこの昔からの区分に従っているように思われる。カリームッディーンやサーリクに倣ってアーザードもウルドゥー詩に五つの時期(daur)を設けた。しかし,アーザードは初期の詩をどの時期にも入れず,(序論の)『ウルドゥー詩の歴史』の中で副次的にしか触れていない。(本論)『生命の水』の第 1,第 2,第 3の時期は初期詩人によって構成されている。第 4期では中期詩人が論じられており,第 5期では後期詩人が記述されている。アーザードは,カリームッディーンやサーリク両者の叙述から全面的に恩恵を受けている。」[Aslam Farrukhī 1965:105]

カリームッディーン,サーリク,アーザードによるウルドゥー古典詩の 5区分と各所属詩人(代表的な詩人のみ)に関しては,稿末の資料を参照。

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い直喩,複雑な隠喩は用いない。このため詩は明快であり,素朴である。これは,如何なる言語も詩も,その幼少期には作為性がなく,解りやすく,大抵の場合,現実に即しており,したがって愉悦をもたらすことを示している。無論,その言い回しは古臭く,内容は軽く,つまらないかもしれない。しかし,詩の簡素さ,素朴さは,まるで天が与えた美しさであるかのように心地よく感じられる。その自然な素晴らしさは念入りな化粧に負けないのである。」(p. 82)

 第 2期 「第 2期が始まる。言語(=ウルドゥー語)の天与の美しさにとって春の季節である。詩題の花が弁舌の花園で気取りのない若々しさを見せている。天与の美しさとは何であろうか。それは天の与えた魅力である。化粧の話がほんの少しでも出ると,作為の染みがついたとそれはごしごしと水で洗い流そうとする。その花園は自然によって創られたものである。技巧をこれに接ぎ木しようとすると手が切れてしまうであろう。(…中略…)見よ,彼ら(=第 2期の詩人たち)は,気取らない言葉,明解な言葉で心に生じることをそのまま口にする。情景が目に浮かび,聴衆は聞いている間,胸を震わせる。その理由は何であろうか。不作為(bē-sākhtah-pan)である。その素朴さを気取り(bānk-pan)は追い求めているのである。『自然なものこそ美しい。』」(p. 106)15

 第 3期 「この人たち(=第 3期の詩人たち)は技巧を少しは作為的に用いるだろう(Yeh apnī an‘at mē kuchh kuchh takalluf bhī karē gē)。しかし,薔薇の上の露,絵画の上のガラス程度である。その技巧は,真の味わいに味を付け加えるだけであって,その美しさを覆い隠すことはないであろう。諸君は,ミールやダルド(の詩)が感銘に溢れていることを見出すであろう。ソウダーの詩は,高尚な詩想や緊密な構成にもかかわらず,人を魅了する感銘に溢れているであろう。」(p. 123)

 第 4期 「お馴染みの(詩題の)花を香水に浸し,時には花輪を作り,時には巻き毛の飾りにするであろう。時には花で鞠を作り,ホーリーの祭りが恥じ入ってしまうほどそれを投げ合うことであろう。これらの幸運な人たちは素晴らしい時代に生きることであろう。称賛者に恵まれ,彼らの花一輪一輪が,畑中のサフランを買うのと同じ価格で売れることであろう。」(p. 221)

15 第 2 期のまとめ(khātimah)の部分でアーザードはこう記している。 「複雑な隠喩を用いず,派手な直喩を用いることもない。彼ら(=第 2期の詩人たち)は自分の

思いを明確な言葉や明解な慣用表現によって表現した。今日でも聞く者は陶然となる。彼らの作品にあるのは,単なる言葉(qāl)ではなく,陶酔( āl)であった。」(p. 122)

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 第 5期 「長老たちは疑いなく繊細な思考を行ったが,詩題という花が天与の輝く美しさを見せながら弁舌の花園で揺らめいていたのに,彼らはその花びらをむしりとるのである。そして花びらに,極細の筆で,虫眼鏡なしでは解らないほど小さな模様を書き入れるのである。奇想によって詩作するとき,これらの優れた詩人たちは,天与の美しさと言える自然な味わいを気にも止めない。なぜなら彼らの技巧は,それなしでは独自性を発揮することができないからである。」(pp. 325-326) 「言語が年少である間,それはミルクやシャルバット(sharbat 清涼飲料)を注ぎ続ける。成熟すると,香料を混ぜる。作為性(takalluf)という香料を調達してくるので,素朴さと魅力を失ってしまうのである。それは薬であり,飲みたい人だけ飲めばよいのである。」(p. 326)

(3)ウルドゥー詩改革論と密接な関係にあること アーザードによれば,作為性,技巧が増大した原因は,第 3期以降において詩人たちが新しい詩題を求めなかったことにある。

 第 3期 「これらの優れた詩人は,詩の花園に現れ,父祖の造園方法を見た。春の季節に,天与の美しさを湛えた弁舌の花を見た。彼らも名誉のしるしを得たいと望んでいたから,父祖よりも先に歩を進めたいと思った。周囲の野原を渉猟したが,もはや花はすべて使われてしまっていた。何も得ることができなかったので,仕方なく自分たちの建物を高くした。見よ,高邁な詩想を思いつくどころか,彼らが天から星をもたらすのを。」(p. 123) 「ただ残念なことに,行動するに際して,精神が飛翔するあまり彼らは上方を見てしまった。前方に進んでいたならば,美と恋しかない狭い中庭から抜け出せたであろうに。草原に馬を乗り入れていたであろうに―無限の草原の中に,無数の驚異,風趣に満ち溢れた草原の中に。」(pp. 123-124)

 第 4期 「大きな笑い声がする。見よ,詩会に人々が集まってきた。特別な人たちである。『彼らの到着は大騒ぎの始まり。』活発で陽気な人たち。彼らの奔放さと才気は真面目さに押しつぶされることはないであろう。顎が疲れるくらい笑ったり,笑わせたりすることであろう。しかし,進歩の歩を進めることもなく,先代の建物を高くすることもなく,同じ建物の中を飛び跳ねるだけであろう。建物を別の建物で飾るであろう。万物の姿を別の姿に変えて見せるであろう。」(p. 221)

 第 5期 「二種類の優れた詩人がいる。第一に,先人たちの後に続くことをよしとする詩人たち。

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彼らは先人の庭を散策し,古い枝や枯れた葉を片付け,新しい色,新しい形の花束を作り,花瓶に入れて壁の棚を飾るであろう。第二の詩人たちとは,高尚な考えを持った人たち。思考の熱気で革新の風を吹き上がらせるであろう。その風によって熱気球のように高く舞い上がり,高い地位を得るであろう。彼らはこの風によって大きな仕事を成し遂げた。しかし,残念ながら周囲の無限の広がりの中へ進み出ようとはしなかった。彼らは屋上より飛び上がったのである。太陽が星のように小さくなってしまうほど高く飛翔する者たちやどこまでも飛んでゆく者たちがいるであろう。彼らはその方法を,奇想,繊細な思考と呼ぶであろう。実のところ,彼らの詩は魔術であり,彼らは当時の魔術師なのである。幸運なことに,彼らは崇拝者を得ることであろう。長老たちは疑いなく繊細な思考を行ったが,詩題という花が天与の輝く美しさを見せながら弁舌の花園で揺らめいていたのに,彼らはその花びらをむしりとるのである。そして花びらに,極細の筆で,虫眼鏡なしでは解らないほど小さな模様を書き入れるのである。奇想によって詩作するとき,これらの優れた詩人たちは,天与の美しさと言える自然な味わいを気にも止めない。なぜなら彼らの技巧は,それなしでは独自性を発揮することができないからである。」(pp. 325-326) 「先人たちは,周囲の庭の花びらをすべて用いてしまっていた。一体新しい花を何処から持って来ることができたであろうか。進むべき路もなく,路を作る道具もなかった。仕方なく,このように詩才を見せびらかし(Nā-chār is ara ustādī kā naqqārah bajāyā),同時代の人々から栄誉の冠を得たのである。」(p. 326)

 新たな詩題の開拓を怠ったため,詩人たちは奇想を弄び,従来の詩想を趣向を変えて繰り返し用いるようになった,その結果,詩は技巧的,作為的となり,人々に感動を与えることができなくなってしまったという,第 3期から第 5期にかけての詩人に対する,以上のような批判は,『生命の水』序論で示された,新たな詩題を見出すことによってウルドゥー詩を再生しなければならないというアーザードのウルドゥー詩改革の主張と密接な関係があると言うことができるであろう16。

4.おわりに アーザードのウルドゥー古典詩区分には批判が多い。詩人の所属時期の誤りや各時期の特徴説明と各詩人論の内容の不一致が指摘されているばかりでなく17,ウルドゥー古典詩

16 『生命の水』序論でアーザードは,「今,人々は,ウルドゥー詩は恋のことしか詠えない,さまざまなことを表現する力をまったく持っていない,と口をそろえて批判」しており,ウルドゥー詩のこのような弱点は,「我が国の言葉(hamārī qaumī zabān)の裾についた大きな黒い染み」(p. 80)であると慨嘆している。

17 詩人の所属時期や各時期の特徴説明の不備に関しては,次のような批判がある。 詩人の所属時期に関して 「第 1期,2期,3期の詩人たちは配列し直された。アーブルー,マズムーン,ナージー,アフサン,

ヤクラングは第 1期に,シャー・ハーティム,ハーネ・アールズー,フガーンは第 2期に,マズハル,ソウダー,ザーヒク,ミール・ダルド,ミール・ソーズ,ミール・タキー・ミールは第 3期に配された。この配列に反論がないとは言えない。ハーネ・アールズーは―モウラーナー(=アーザード)によればウルドゥー語を話す者たちは彼の子供である―第 2期に入れられているが,

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をそもそも区分することができるのか,という根本的な疑問も提出されている18。 確かに,『生命の水』で叙述されたウルドゥー古典詩の時期区分には,問題点が多く見出されるが,ウルドゥー古典詩の歴史を「自然」,「不作為」と「作為性」,「技巧」という観点から時期区分し,成長と停滞の歴史として描写するアーザードのウルドゥー文学史観が,ウルドゥー古典詩の時代が終焉を迎え,新たな文学を創造すべき状況にあることを主張する彼のウルドゥー詩改革論と密接な関係にあることに注意すべきであろうと思われる。

引用・参照文献松村耕光,2005 年,「『生命の水』序論に見られるアーザードのウルドゥー語・ウルドゥー詩改革論」,『大阪外国語大学論集』第 33 号,大阪,13-26 頁。

Aslam Farrukhī, 1965, Mu ammad usain Āzād: ayāt aur Ta ānīf, vol. 2, Karachi.Farmān Fate pūrī, 1972, Urdū Shu‘arā kē Tazkirē aur Tazkirah-nigārī, Lahore.Ghulām usain Zu-l-Fiqār, 1967, “ abqāt-e Shu‘arā-e Hind aur Maulavī Karīmuddīn”, a īfah, No. 40,

July, Lahore, pp. 9-30.Ma mūd Shīrānī, 1969, “Tanqīd bar Āb-e ayāt”, in Ma har Ma mūd Shīrānī, ed., Maqālāt-e āfi Ma mūd Shīrānī, vol. 3, Lahore,

Mu ammad A san Fārūqī, 1967, Urdū mē Tanqīd, Lahore.Mu ammad usain Āzād, 1966, Maqālāt-e Maulānā Mu ammad usain Āzād, edited by Āghā Mu-

ammad Bāqir, vol.1, Lahore. ―――――, 1982, Āb-e ayāt, Lucknow.―――――, 2006, Āb-e ayāt, edited by Abrār ‘Abd al-Salām , Multan.Pritchett, Frances, tr., 2001, Āb-e ayāt: Shaping the Canon of Urdu Poetry, New Delhi.

彼の弟子アーブルーとフガーンは第 1期に入れられている。年齢にしろ,経歴にしろ,ハーネ・アールズーはこの二人よりも上であるのに。同じように,ミルザー・マズハル・ジャーネ・ジャーンはヤクラングの師であり,モウラーナー自身がこの師弟関係を認めているにもかかわらず,弟子を第 1期に入れ,師を第 3期に入れている。」[Ma mūd Shīrānī 1969:42-43]

時期説明に関して 「彼(=アーザード)は,この時期(=第 1期)に選ばれた作品の作者たちは,明瞭な詩,作為

的ではない詩を作っていたというふうにも述べている。彼によれば,『如何なる言語も詩も,その幼少期には作為性がなく,解りやすく,大抵の場合,現実に即しており,したがって愉悦をもたらす』のである。アーザードのこの説明には矛盾がある。ワリーの他に彼がこの時期(=第1期)に配した詩人は,イーハーム詩人である。イーハームと作為性のなさ,分かりやすさ,現実性とはまったく結びつかない。それにこの時期は,言語(=ウルドゥー語)や(ウルドゥー)詩の幼少期ではなかった。」[Aslam Farrukhī 1965:109-110]

18 たとえば,ムハンマド・アフサン・ファールキーは次のように述べている。 「ワリーからガーリブやミール・アニースまでのおよそ 150 年間は,どの面から見てもただ一つ

の時代である。政治的,経済的,社会的,文学的な面,どの面においても,古い時代が去り,新しい時代が始っているように見えるような,如何なる変化も生じなかった。文学の伝統,感性,表現方法の評価,内容の特質,文学形式,いずれにも変化はなく,最初から最後まで一貫していると思われるのである。一つの波がワリーから生まれ,ミールやソウダーに至るまで高まり,そして低くなり始め,ガーリブ,アニースで収まるのである。アーザードは,本質的に等質な 150年という期間を数 10 年ずつ無理やり五つに分割したのである。」[Mu ammad A san Fārūqī 1967:31-32]

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大阪大学世界言語研究センター論集 第1号(2009年)

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資料カリームッディーン,サーリク,アーザードによるウルドゥー古典詩の 5区分と各所属詩人(代表的

な詩人のみを記す)

カリームッディーンによる5区分

1 第 1 部 アミール・ホスロー(Amīr Khusrau) ワリー  カビール(Kabīr) スールダース(Sūrdās)

2

第 2 部

第 1期アーブルー ハーネ・アールズー ミルザー・マズハル・ジャーネ・ジャーナーン ハーティム ミール ソウダー マズムーン ナージー

3 第 2期カーイム ターバーン ヤキーン(Yaqīn) ヤクラング インシャー ジュルアット ミール・ハサン クリー・クトゥブ・シャー(Qulī Qu b Shāh)

4 第 3 期 シャー・ナスィール

5 第 4期 モーミン ガーリブ ゾウク

サーリクによる5区分([Aslam Farrukhī 1965:104] による)

1 アミール・ホスロー

2 ワリー

3 ミール ソウダー ダルド アサル(Athar) ミルザー・マズハル・ジャーネ・ジャーナーン フガーン カーイム ジュルアット ムスハフィー シャー・ナスィール インシャー

4 ガーリブ モーミン ゾウク ナースィフ アーティシュ アニース ダビール

5 当代の詩人たち(まだ第 5期は終了していないからという理由で詩人の名は挙げていない)

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『生命の水』における5区分

1 ワリー アーブルー マズムーン ナージー アフサン ヤクラング

2 ハーティム ハーネ・アールズー フガーン

3 ミルザー・マズハル・ジャーネ・ジャーナーン ミール・ソーズ(Mīr Sōz) ミール ソウダー ダルド ターバーン ザーヒク

4 ムスハフィー インシャー ジュルアット ミール・ハサン

5 ナースィフ  アーティシュ シャー・ナスィール モーミン ゾウク ガーリブ ハリーク ダビール アニース

(2008.12.11 受理)