Upload
others
View
2
Download
0
Embed Size (px)
Citation preview
この研究 佐地 勉教授
この人
愛知県出身。1976年、東邦大学医学部を卒業後、同医学部付属大森病院、東京女子医科大学付属日本心臓血圧研究所の研修医を経て1987年、米・南カリフォルニア大学留学、同大学付属病院で基礎医学の実験や診療に携わる。1988年に帰国後は東邦大学医学部講師に就任。助教授を経て1997年より教授。
Profile
●医学部 小児科学講座(大森)
先天性心疾患、川崎病、肺高血圧症 — 小児の重篤な心臓病に果敢に挑む 大学在学中にECFMG(米国医師国家試験)に合格。1987年に留学し同国の先進的な小児医療を実体験した佐地勉教授。この貴重な体験を基に、帰国後は小児の心臓病をメインターゲットとして研鑽を積み、研究・診療の両面で高い実績を上げてきたベテラン研究者だ。「主な研究対象は先天性の心臓疾患、川崎病、肺高血圧症の3つ。先天性のものや心筋症は、心臓移植が必要となる重い疾患です。3つとも原因不明で発症する、非常にやっかいな病気です。」 川崎病は1967年に川崎富作博士が発見した、小児によく見られる疾患で、現在年間12,000人の患者が出て、そのうち1~2人は死に至るという深刻な病だ。特徴的な症状は発熱、発
れない』と言われていた難病でした。強烈な心不全となり、活動ができなくなってしまうのです。」 佐地教授が、この肺高血圧症の治療に初めて挑戦したのは1996年だった。肺移植を行うため患者を1人、米国に連れて行ったのだという。ただこれは他国を舞台とした挑戦で、日本で診療を開始したのは1997年。海外からの特別な医薬品を用いて、肺高血圧症の治療にチャレンジし始めたのだ。「その薬に加え、2003年からはバイアグラも使用しています。あのバイアグラが子どもの難病に効く——ちょっと奇妙ですよね(笑)」 実はこのバイアグラ投与は“冒険”でもあった。厚生労働省がこれを肺高血圧症の治療薬として承認したのは、その4~5年後。つまり佐地教授は『オフラベル(適応外使用)』を敢行したことになる。「海外の論文を調べ、許可はされていないけれど、『これを使わないと、この子は助からない!』そう確信し、あえて使用に踏み切りました。もちろん患者さんのご家族と深いコンセントを取った上での行動です。時間をかけて状況の解説をし、1~2日間、考えていただいて了承を得ました。こうした局面では、患者と医師の信頼関係が最重要となりますから。」
疹、リンパ腺の腫れ、唇・手・目が赤くなるなど。それらがすべて出ないと見逃される恐れがあるという、診療時に繊細な注意力が求められる疾患でもある。この川崎病をライフワークの一つと位置付け、38年間にわたり研究・診療に携わってきたのが佐地教授だ。「川崎病は心臓血管の病気で、適切な治療を行わないと冠動脈にコブ(瘤)ができて重い後遺症が残り、それは後に動脈硬化の素地となるのです。そう
この肺高血圧症治療で佐地教授が「5年生存率96.4%」という非常に高い成果を上げていることは、アジアでも広く知られている。「現在、肺高血圧症に関連した新たな薬の臨床試験を9つ、並行して進行させています。いずれも手応え十分で、もう2~3年もすれば素晴らしい新薬が世に出るはずです。」 こうした研究活動とともに佐地教授が重きを置くのが、「医療人育成」のた
「肺高血圧症は読んで字のごとく、肺の血圧が異常に高くなる疾患です。私
した状況にならないよう、我々は後遺症が残らない小児の段階で万全のケアを行っています。」 こうした長年にわたる努力の結果、東邦大学医療センター大森病院は川崎病に関して日本で有数の実績を誇る医療機関と目されるようになった。また、佐地教授は一昨年、京都で開催された第10回国際川崎病シンポジウムの会長を務めるなど、川崎病の世界的研究者として認知される存在となっている。
めの活動だ。日本の医学界は“内向き”で、海外へ向けたアピールが足りない——佐地教授はそう苦言を呈す。「真に重要なのは、どんな業績を残したかではなく、『どんな医療人を次世代に残したか』だと思います。日本だけでなく、海外でも通用する“日本発の医療”を考案し、それを堂 と々海外に向けて発信する。そんな人材を育てるため、今後も努力していきたいと考えています。」
が大学を卒業した頃は、『肺高血圧症と判明したなら、6カ月以上は生きら
子どものときに病気を経験したことがきっかけで、この分野に進みました。単なる医師ではなく、『小児科の医師』になりたかったのです。実際に診療に携わり、世間では知られていない、重い病気で苦しんでいる子どもが予想以上に多いことを実感し、使命感がさらに高まりました。佐地先生は非常に知的な方で、常に新しい知識を吸収するために努力していらっしゃるようです。要点を押さえ、方向性を定めてくれる指導法も素晴らしく、尊敬すべき指導者です。
3代続く医師の家系で、自然な形でこの道に進みました。小児科を選択したのは、ほかの科のように分業化されておらず、身体中の“すべてを診る” 科だからです。大変ですが
「それだけにやりがいがある」と感じています。佐地先生は言葉の端々に説得力、重みがある方です。先生のような研究者になるには、かなり時間がかかると思います。また、気さくな雰囲気を持った方でもあり、非常に親しみやすい先生です。
大学院医学研究科医学専攻博士課程2年
矢内 俊さん
後期レジデント2年
吉澤 和子さん
安定思考に陥らず積極的に前へ出る生き方を
世界に向けて日本の医療を発信できる人材を育てたい
あえて『オフラベル』でチャレンジした肺高血圧症治療
研究・診療歴38年川崎病に関しては日本を代表する研究者の一人
まず、医学を志す若者たちに贈りたいのは、パスツールが語ったこの言葉です。
「チャンスは『準備ができている者』にのみやってくる」。何らかの好機が到来
しても、自分がそれに応じられる状態でないと、それに乗ることはできません。
チャンスをしっかりモノにするためにも、日頃から努力を続けるべきです。そして、
さらなる高みをめざそうとする場合は次の3つのことを熟慮しなければなりませ
ん。第1に「いい指導者に巡り合うこと」、第2に「いい経験ができる場所を見
つけること」。そして最後が「チャンスを得られる可能性が高い、自由な雰囲気
の場所を選ぶこと」です。東邦大学医学部は、この3点に関してクリアできて
いると思いますが、すべての学生にとってベストとは言えないでしょう。だから
私は、彼らに「東邦大学だけにこだわらず、どんどん“外”へ進出しよう。」と強
く勧めたい。探せば日本国内、また海外にも自分に最も相応しい、自分を最も
伸ばせる場所があるはずです。リスクを避けた安定思考に陥らず、 “積極的に
前へ出る”生き方をしてほしいと思います。
10 TOHONOW 2014.December December.2014 TOHONOW 11