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「アジア」と「日本」の再定義 隣人と共に考えるための知的基盤形成 落合恵美子 グローバル秩序の再編成が進む現在,日本は自己再定義と進路決定のための 地図も指針も失った状態にある.従来の日本の自己定義と世界定義は近代にお ける異例の成功に基づいたものだった.社会科学のフレームも「アジアで唯一 近代化を成し遂げた国」という自己定義を前提に作られてきた.日本の自己定 義は「アジアの中の西洋」にせよ「アジアの盟主」にせよ「アジア」の定義と 背中合わせだったので,日本の自己再定義もアジアの再定義とセットで行わざ るをえない. 本稿は,アジアにおける研究と思索の成果を直接に学ぶことにより,「西洋」 と「東洋」という二項対立に陥らない新たな世界認識とアジア・日本認識のフ レームを提案しようとするものである.アジアにおける学術基盤形成の一環と して進めてきた「アジアの家族と親密性」プロジェクトにより収集したアジア 諸国の重要文献を使用する. 西洋からの眼差しによる二分法を外して自ら語ったアジアは「ひとつ」では なく,いくつかの強大な文明の集合でもなく,重層的多様性そのものである. その中で日本はアジアの重層的多様性を内に含みこんだ社会として再定義でき よう.また「アジア的家族主義」という概念と現実の検討を通じて,現在のア ジアで強まっている「アジア主義」的な自己定義が,不適切な社会制度の構築 を通じて深刻な現実的帰結を生み出す可能性を示した.アジアの隣人との協働 により,日本の自己理解の道も拓いてゆきたい. キーワード:アジアの知的共有財産,アジアの重層的多様性,アジア的家族 主義 はじめに 異例の成功が導いた混迷 日本の政治が混迷している.政府もそれを批判する野党も,どこをめざして国を 率いてゆこうとしているのか方向が見えない.方向が見えないのは今どきどこの国 も同じだという声もあるかもしれない.覇権交代という言葉さえ聞かれる世界の転 換期に,混迷しているのは米国もヨーロッパも他の国々も同じだろうと.しかし日 本の場合は,ある構造的な理由があって,ことさらに見当識を失っているように思 京都大学文学研究科 ochiai.emiko . 3r@kyoto-u . ac . jp 70(3) 200

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「アジア」と「日本」の再定義隣人と共に考えるための知的基盤形成

落合恵美子*

グローバル秩序の再編成が進む現在,日本は自己再定義と進路決定のための地図も指針も失った状態にある.従来の日本の自己定義と世界定義は近代における異例の成功に基づいたものだった.社会科学のフレームも「アジアで唯一近代化を成し遂げた国」という自己定義を前提に作られてきた.日本の自己定義は「アジアの中の西洋」にせよ「アジアの盟主」にせよ「アジア」の定義と背中合わせだったので,日本の自己再定義もアジアの再定義とセットで行わざるをえない.

本稿は,アジアにおける研究と思索の成果を直接に学ぶことにより,「西洋」と「東洋」という二項対立に陥らない新たな世界認識とアジア・日本認識のフレームを提案しようとするものである.アジアにおける学術基盤形成の一環として進めてきた「アジアの家族と親密性」プロジェクトにより収集したアジア諸国の重要文献を使用する.

西洋からの眼差しによる二分法を外して自ら語ったアジアは「ひとつ」ではなく,いくつかの強大な文明の集合でもなく,重層的多様性そのものである.その中で日本はアジアの重層的多様性を内に含みこんだ社会として再定義できよう.また「アジア的家族主義」という概念と現実の検討を通じて,現在のアジアで強まっている「アジア主義」的な自己定義が,不適切な社会制度の構築を通じて深刻な現実的帰結を生み出す可能性を示した.アジアの隣人との協働により,日本の自己理解の道も拓いてゆきたい.

キーワード:アジアの知的共有財産,アジアの重層的多様性,アジア的家族主義

はじめに 異例の成功が導いた混迷日本の政治が混迷している.政府もそれを批判する野党も,どこをめざして国を

率いてゆこうとしているのか方向が見えない.方向が見えないのは今どきどこの国も同じだという声もあるかもしれない.覇権交代という言葉さえ聞かれる世界の転換期に,混迷しているのは米国もヨーロッパも他の国々も同じだろうと.しかし日本の場合は,ある構造的な理由があって,ことさらに見当識を失っているように思

* 京都大学文学研究科 ochiai.emiko .3r@kyoto-u . ac . jp

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われる.政治家を嗤ってばかりはいられない.ナビを務めるはずのわたしたち社会科学者自身が,実は地図も指針も失っているのではないだろうか.

ではその構造的理由とは何だろうか.近代における日本の異例の成功それ自体が,今日の混迷を生み出したと言えよう.これまでの日本の社会科学が,また政治家も国民も共有していた日本の自己像は,この異例の成功に基づいたものだったからだ.

明治期の日本では,わたしたちが見慣れたものとは異なる自己像が一般的だった.明治維新以前から,日本の知識人たちは,中国を中心とする東アジアの華夷秩序から離脱する新しい自己定義を模索していた.国学の創出,神仏分離などはその表れである.しかし船出した明治日本の国力は心もとない状態であり,日清戦争前の日本の言論は,経済力でも軍事力でも中国が日本より優位にあるという認識を前提に,中国に東方の中心的市場の座を占められてしまうという危機感を示していた(武藤2009).

それが日清戦争での勝利を契機に一変する.日清戦争という経済外的な手段によって中国を叩き,ようやく手にしたアジアでの圧倒的優位という地位を,日本はその後 1 世紀にわたって享受し続けた.アジアで唯一欧米列強と肩を並べる国となったという矜持が,それから今日までの日本の自己認識を支えてきた.周囲の国や地域を植民地にして帝国主義を実践した戦前も,敗戦から立ち直って高度経済成長を果たした戦後も,「ジャパンアズナンバーワン」と言われて有頂天になった 1980 年代も,ずっと一貫して.戦後は近代化論を基調とした国際比較が社会科学の常識となり,アジアで唯一近代化を成し遂げた日本の特殊な要因に関心が集中する一方で,アジアは開発の対象として位置づけられることとなった.

しかし今,試行錯誤の時期を脱した中国は世界第 2 の大国に成長した.現実と観念の世界地図が急速に描き換えられようとしている現在,日本は新たな自己定義を作り出せないでいる.東京オリンピックに大阪万博と,過去の栄光ばかり追いかけているのが病理のひとつの徴候だ.もうひとつの病理の徴候は,ヘイトスピーチに示されるような日本的排外主義である.Ṥ口直人が鋭く指摘したように,日本における排外主義はヨーロッパのような新移民排斥ではなく,旧植民地であった地域の人々との関係に強く表れる(Ṥ口 2014).ネトウヨと言われるような層だけではなく,日韓関係をこじれさせている日本の外交も同じ構造を示している.「日本」の再定義を拒む人たちは,「アジア」の再定義も認めず,劣位に留め置きたいらしい.では社会科学はというと,グローバル秩序の変容が社会科学のフレームを変える必然性に注意を払っている研究者は,まだ多くはない.

日本と日本人の自己像は,「アジア」の定義と背中合わせになって作られている.日本の再定義という焦眉の課題に日本の社会科学が取り組むとき,必ずセットで取り組まねばならないのが「アジア」の再定義である.「アジア」と「日本」を共に考えることで,いや,さらに踏み込んで「アジア」の人々と共に世界の再定義を考えることで,この袋小路から脱出する方法を探ることが本稿の目的である.

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1 グローバル秩序の変容と日本の自己認識

1.1 日本の自己認識の二重構造ここで認識と制度との関係について整理しておこう.社会的構築主義は認識が構

築される過程に注目するが,そのようにして構築された認識が社会を造形するというところにこそ,社会学の醍醐味はあるだろう.「理念によって作り出された世界像が転轍手として軌道を決定する」と言ったマックス・ウェーバー以来,社会学の核心はこのプロセスの解明にあると言っても過言ではない.現実社会の構造が社会についてのある認識を生み,その認識に基づいて作られた制度が次の時代の現実社会を造形してゆく.異なる認識をもって制度を作れば,異なる未来がひらかれるのである.

では,異例の成功に支えられた日本の自己認識とアジア認識とは,どのようなものなのだろうか.単なる優越感や差別感に留まらず,社会科学を中心とした学問のフレームとなって,これらの認識はどのように日本に生きる人々の思考を縛り,現実の制度を作ってきたのか.

明治・大正期の日本が懸命に国力を強めていた頃,ヨーロッパではアジアについての言説がさかんに生み出されていた.社会科学の領域ではカール・マルクスが

「アジア的生産様式」について述べた『経済学批判』の出版が 1859 年,ウェーバーが「世界宗教の経済倫理」についての研究を次々に発表したのが 1910 年代である.ウェーバーはインドと中国の宗教の性格が全く違うと喝破しながら,いずれも資本主義を生み出さないと論じている.ヨーロッパからの強烈な視線によって世界を

「発展したヨーロッパ」とそれ以外に分ける社会科学のフレームが確立していった.社会科学的オリエンタリズムと言えよう.

この時代の日本も自己定義に苦慮したことは想像に難くない.このように二分されれば「東洋」の国であるが,発展の可能性を否定されるのは受け入れ難い.実際,

「東洋」の国としては異例の発展を実現しつつあった.そこで,自らを他の「東洋」の国々と切り離し,停滞をもっぱら後者の性質と見るというフレームを編み出した.

「日本オリエンタリズム」と呼ばれるフレームである(姜 1996).日本は「東洋の中の西洋」という位置におさまった.歴史家のイム・ジヒョンは「西洋史」「東洋史」「日本史」という日本の歴史学の三分法はこのようにして生まれたとする(イム 2015).自国以外のアジア諸国を停滞地域として見る視線は,侵略と植民地化に結び付いたとされる.

しかし,この時代の日本には異なる自己定義も存在した.いわば「東洋の盟主」として西洋帝国主義に立ち向かうという「アジア主義」のフレームである.「近代の超克」や「大東亜共栄圏」というスローガンに結び付けられ,日本のアジア侵略を美化し対米戦争に導いた思想として戦後はタブー視されてきた観があるが,西洋中心主義を批判するオリエンタリズム批判の視点を先取りし,日本を含むアジアの

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文化伝統の再評価を示唆するという面ももっていた(吉 2018: 99).吉琛佳は,竹内好の「二重構造」(竹内 1980)という概念を用いながら,「敗戦までの国際社会関係が生み出した日本の社会科学の根本的な任務は,まさに『近代』と『アジア』という二重的な状況を認識しそして克服することにあった」と整理している(吉2018: 91).「日本オリエンタリズム」と「アジア主義」は対極的ではあるが,いずれもその二重の課題への思想的応答であったという点で実はつながっている.

1.2 敗戦による変容戦後もこの二重構造が無くなったわけではないが,敗戦はその表れ方を変えた.

「日本オリエンタリズム」は戦後民主化論や近代化論のなかに生き続けた.西洋以外の国の中でなぜ日本だけが近代化に成功したのかという,今から思うと失笑を禁じえない問いが,日本の/についての社会科学的研究の中心的問いだった.ロバート・ベラーの『徳川時代の宗教』(初版 1957 年)はウェーバーに忠実な方法でこの問いに答えたもので,浄土真宗にプロテスタンティズムとの共通性を見た内藤莞爾の戦中の研究を引用しているように,戦中との思想的連続性をもっていた(Bellah1985=1996; 内藤 1941).

他方,「アジア主義」は封印された.アジアの解放を標榜しながら,実際にはアジア諸国を侵略したという事実がそのフレームを不可能にし,日本は小さくなった国土にひきこもった.西洋社会との違いに目が向く場合には「日本的特殊性」として処理され,アジアとのつながりは言及されなくなった.

1980 年代の経済的絶頂期には日本研究が世界的にブームとなった.日本的経営論のように西洋との類似性ではなく違いが日本の成功をもたらしたという説明法は,一見「アジア主義」の復活かと思わせるが,あくまで日本的特殊性というフレームに留まっており,「アジア主義」フレームの完全復活とはならなかった.サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』(Huntington 1996=1998)では,例外的に 1 国で 1 つの「日本文明」をなすとされているように,日本は観念の世界地図の中で孤立し,位置づけられない存在となってしまった.

1.3 新たなフレーミングの模索では,中国の台頭めざましい 21 世紀初頭の日本は,どのように自らを定義した

らよいのだろうか.アジアからの留学生はひところまでは「アジアの中の西洋」である日本に集まっていたのに,今では日本を素通りして(ジャパン・パッシング)米国や英語圏に向かう傾向が強まっている.対して日本の若者は内向き志向と言われ,あまり留学しない.日本は「アジアの中の西洋」どころか,最も英語がへたなガラパゴスになってしまった.では「アジアの盟主」を名乗るかというと,隣の中国がすでにその席に座りかけている.アジアの有力国が採用する自己定義に「アジアの中の西洋」か「アジアの盟主」という 2 つのパターンがあるとすれば,中国は後者しかとらない.社会科学においてもそうであることは,歴史人口学を例にして

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別稿で触れたことがある.徳川日本はマルサスの想定と異なり低出生率だったことが実証されたとき,日本はヨーロッパ同様に人口増加の予防的制限により経済成長を可能にしたと論じられたのに対し,近代以前の中国も低出生率だったことを実証した中国の歴史人口学者は,中国はヨーロッパとは異なる「近代へのもうひとつの道」をとったとフレーミングした(Lee and Campbell 1997; 落合 2017).現在の日本の混迷の根本原因は,このようにして 1 世紀にわたり使いまわしてきた 2 つのフレームを失い,いかに自己定義したらよいか方向を見失ってしまったことにあるのではないだろうか.

現在の日本の社会科学では,計量系を中心に,米国やヨーロッパなど世界のどこかで検証された仮説を日本のデータで検証するといった研究方法を用いることが多い.自覚は無いかもしれないが,すべての人類社会が同質的になるという近代化論にまだ囚われているのではなかろうか.こうしたアプローチはしばしば「日本オリエンタリズム」も無自覚に踏襲している.その一方で,日本の福祉国家の不十分さに対する批判のように,いつのまにかまた日本を後進国とみなして,日本を「脱欧入亜」させるような言説も国内外に広がっている.「儒教福祉国家」「儒教資本主義」のように東アジアを一括りにする観念の世界地図が描かれ,日本は当然のようにそれに属すると見なされている.アジアでは異例に整った日本の年金制度も風前の灯火のように論じられ,シンガポールのような再分配の無い積立式への転換が提案されたりする.社会福祉も民主主義も,異例の成功の時代に営々と築いてきたものを,日本はすべて捨て去ろうとしているのだろうか.それはわたしたちの望む未来へと導く自己定義なのだろうか.次節からは,アジアと日本を語るための新たなフレーミングの方向を模索したい.

2 アジア地域における知的共通基盤の形成

2.1 グローバルな知の生産様式を変える前節で見た「アジアの中の西洋」か「アジアの盟主」かというフレームは,「西

洋」と「東洋」という二項対立を前提としている.「西洋」からの視線による世界の分類である.「西洋」中心でない「東洋」の知を称揚する「アジア主義」も,すでにこの二項対立にからめとられている.大上段に構えて言えば,日本を含めたアジアの諸社会が自己定義に難渋するのは,欧米地域を中心としたグローバルな知の生産様式があるからではないだろうか.社会学も含めた主要な学術的言説は,今日でもほとんどが欧米地域で生み出されている.非欧米圏出身の大家も少なくないが,北米やヨーロッパを活躍の場とすることがその条件となるようだ.アジアをベースとする学会は少なく,日本を含めたアジアの研究者たちは北米やヨーロッパの学会で出会い,お互いについては英語文献によって学ぶのが通常である.

裏返してみれば,日本を含めたアジアの諸社会を無理なく位置づけることができるような,新しい世界観のフレームを生み出すには,知の生産様式を変えなければ

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ならないのではなかろうか.そのためにはアジアおよびそれを大きな部分として含む世界の研究者たちが,世界の各所で直接に出会い,直接に学び合い,共に議論し考えることができるような仕組みを作ることが必要だ.大袈裟と思われるかもしれないが,そうした長期的な展望をもって実践を積み重ねている人々は,すでに世界のあちこちにいるだろう.

京都大学が提案した社会学系のグローバル COE「親密圏と公共圏の再編成をめざすアジア拠点」(2008~2012 年,拠点代表:落合恵美子)の採択は,このような構想を実現に移すためのひとつの画期となった1).アジアの主要大学およびアジア研究に強い関心をもつ欧米圏の大学・研究機関の社会学者および関連領域の研究者のネットワーキングを進め,これらの「海外パートナー」の研究者たちと協力して,

「アジア地域における国際共同研究実施のための共通基盤形成」というミッションの実現に取り組んできた.

大きな研究費をいただいてプロジェクトを進めることには社会的説明責任が伴う.本稿では,この責任を果たす一環として,本プロジェクトにより何を実施してきたかをご報告し,そこから得られた成果の一端をご紹介したい.「アジア」と「日本」の再定義という時代の課題に対して,アジアの研究者の直接の共同研究からどのような答えを導き出すことができるのか,まだ中間報告のかたちではあるがご報告させていただきたい.

2.2 アジアの知的財産の共有と比較可能なデータ上記のグローバル COE が着想された当時,アジア地域でも既にいくつかの国際

共同プロジェクトが動きだしていた.しかし,ユーロスタット(Eurostat)のような国際比較可能なデータベースが存在し,地域学会での研究交流と相互理解も進んでいるヨーロッパに比べ,アジアでは国際共同研究のための基盤がほとんど存在しないことが,さまざまな場面で障害として立ち現われてきた.アジア地域における国際共同を効果的に実施するためには,まず基盤を作ることから始めねばならないという構想はそこから生まれた.「アジア地域における国際共同研究実施のための共通基盤形成」というミッションを掲げ,三層からなる研究計画を立てた.「アジア各国のそれぞれの言語で出版・発表された重要業績の収集・翻訳・共有」を第一層,「国際比較研究のためのデータベース構築」を第二層とする共通基盤を形成し,それらの上の第三層としてテーマ別の国際共同研究を実施するという計画である.

第一層は,広義には Asian Intellectual Heritage(アジアの知的共有財産)と名づけたプロジェクトである.前にも書いたように,アジアの研究者たちの多くは主に英語圏で出版された文献を通して隣国の社会について学ぶというのが常である.しかし国内学界での評価が高く影響力のある業績は,多くが現地の言語で書かれており,必ずしも英訳されているわけではない.英語圏での出版には英語圏の読者の関心が反映され,当のアジア社会において真に重要と思われているテーマや主張が選択されるとは限らない.当の社会の自己認識と世界からの認識がずれてしまうの

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はこのためである.オリエンタリズムの生じる温床とも言えよう.このように弊害の多いᷖ回したコミュニケーションを避け,隣人から直接に学ぶために企画されたのがこのプロジェクトである.アジアの研究者や知識人のインサイダーとしての視点から見た当該社会と世界の像を知ることができる.

このプロジェクトはあらゆる分野について実施できるが,手始めとしてグローバル COE のテーマでありアジアにおける重要概念である「家族」とそれに関係する

「親密性」について,リーディングス『アジアの家族と親密性(Asian Families andIntimacies)』の編集を進めてきた.「家族」はアジアの多くの社会でその文化的価値を体現するものと価値づけられている.家族と親密性の変容は多くのアジア社会の実践的な問題でもある.編集にはアジアの 9 社会(日本,韓国,中国,台湾,ベトナム,フィリピン,インドネシア,タイ,インド)を代表する研究者が構成する国際編集委員会が当たってきた.各国から推薦する文献の要約を持ち寄り,国際編集委員会にて検討して収録論文を確定し,英訳および日本語訳を行った.英語版はSage から Major Work シリーズのひとつとして 2020 年に刊行予定である.「家族イデオロギー」「家父長制」「セクシュアリティ」「結婚」「ケアレジーム」「ジェンダー」を主題とする 6 つのセクションから構成される.

第二層は広義には「アジア横断数量調査」と名づけている.ヨーロッパと違いアジアでは官庁統計の標準化もできておらず,Asiastat も存在しないので,厳密に比較可能なデータを得るには複数の社会で共通フォーマットによる数量調査を実施するしかない.そこで,東アジア社会調査(East Asian Social Survey=EASS)の許可を得て,家族をテーマにした EASS2006 とほぼ共通の調査票を使用させていただき,タイ,ベトナム,マレーシア,インド,カタール,トルコにて調査を実施した.これら東南アジア,南アジア,西アジアの国々で実施した調査を「アジア家族比較調査」(Comparative Asian Family Survey=CAFS)と呼んでいる.EASS にCAFS を加えて,アジア 10 社会の家族に関する厳密な比較分析が可能になった.

このようにして築いたアジア地域の知的共通基盤の上に,すでにさまざまなテーマ別の国際共同研究プロジェクトを展開し,成果は日本語シリーズ「変容する親密圏/公共圏」(京都大学学術出版会),英文シリーズ The Intimate and the Public inAsian and Global Perspectives(Brill)として刊行中である.CAFS を用いた東南アジア⚓カ国におけるケアについての比較研究は,Care Relations in SoutheastAsia(Patcharawalai Wongboonsin and Jo-Pei Tan eds., 2019)として刊行された.

3 アジアの重層的多様性

3.1 文明の多様性「アジア」と「日本」の再定義という本稿の課題に戻ろう.「西洋」からの視線に

よって「西洋」と「東洋」という二項対立が作り出され,日本はその間に「日本」という第三項を付け加え,場合によって立ち位置をずらして「アジアの中の西洋」

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と「アジアの盟主」という自己定義を使いまわしてきたという歴史を見てきた.そして今,中国の台頭など世界秩序の変更を受け,いずれの自己定義もとれなくなって困惑している.

では「西洋」からの視線をいったん脇に置き,アジアのインサイダーの視点から書かれた著作を集めた「アジアの家族と親密性」プロジェクトに依拠すると,いかなる世界像,アジア像を描くことができるだろうか.そしてその中に日本はどのように位置づくだろうか.もちろん近代アジアの研究者や知識人の著作の中に,「西洋」からの視線が反映されていないわけはない.近代的知識人になるということは

「西洋」からの視線を学ぶということでもあるのだから.しかしアジアのインサイダーの視点は,どこかでそれに抗い,その視線自体を対象化し,また独自の関心を持ち込んでゆく.「アジアの家族と親密性」プロジェクトはどのように実施され,何を発見し,アジアの知的共有財産としてどのような著作を選んだのだろうか.10年間のプロジェクト実施の経験を追体験していただくようなかたちもとりながら,紹介してゆこう.「アジアの家族と親密性」プロジェクトの国際編集会議は,出席するだけで多く

の気づきを得られる場であった.たとえば,ベトナム語の発音から「士農工商」など共通の語彙を聞き分けた韓国と日本の研究者が指摘して,ベトナムの研究者が驚くなどという場面があった.ベトナムはすでに漢字を使わなくなっているが,共に中国文明の語彙で思考していることを実感した瞬間であった.他方,同じ東南アジアでもタイの研究者は(本人は中国系であるにも拘わらず)これらの語彙を共有しておらず,むしろインドの研究者とサンスクリット起源の抽象概念で分かり合っている.民族などの集団に固有なものとされる「文化」2)と,それを超えて広がる普遍性をもつ「文明」とは,峻別せねばならないことを実感した.

この 200 年ほど「西洋」中心の知の生産様式が支配的であったことを反映して,近代の学術用語は西洋起源のものが多いが,これはすなわちわたしたちは「西洋文明」の影響下で思考しているということである.しかし近代以前の抽象概念を各社会に与えたのは中国文明,インド文明,イスラム文明などであり,それらはアジアの人々の思考を形づくるものとして現在も機能し続けている.「グローバルな知の生産様式を変える」ことをめざすプロジェクトであったが,現在の世界も単一の知の生産様式に覆われているわけではないという気づきをまず得ることができた.

3.2 親族構造という基層しかし,ここで終わればただの文明圏論である.「西洋」を中心とした序列をも

つ 1 つの世界が,それぞれの中心をもついくつかの文明圏の集合に置き換えられるだけである.そのような世界観に導かれる未来は「文明の衝突」であろうか.しかしアジアを分けるのは「文明」だけではない.上記の「文化」をやはり超えるが,

「文明」とは異なる位相が存在することを,「アジアの家族と親密性」プロジェクトは示唆している.

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本プロジェクトにおいて,アジア 9 社会の家族と親密性を比較してみて,日本と最もよく似ている社会はタイであった.文明圏としては日本とタイは異なるグループに属するにも拘わらず,ということを強調しておきたい.本プロジェクトは,20世紀初めにタイ王国を統治したラーマ 6 世が著した姓の発明に関する論文(2.7)を収録論文として選択した.近代以前のタイでは一般の人々は姓をもっておらず,ラーマ 6 世が姓の導入を決めた.イギリス留学経験もある国際派の王は,中国やヨーロッパ諸国のように国力を強くするためには姓が必要だと考えたという.ただし王は中国の姓とヨーロッパの姓の違いにも気づいており,中国式の姓は国家に対抗しようとするほど強く大きな親族集団を形成する危険があるため,ヨーロッパ式の姓を採用したとする.中国式の姓は父系親族集団への所属を示すものだが,単系出自集団をもたないヨーロッパ式の姓は地名や職業の転用が多い.タイの諸民族の親族組織は双系的なものが多く,妻方居住の傾向が強い.ヨーロッパに倣うという王の判断は,親族構造論の立場からも首肯できる.日本でも江戸時代の庶民の多くは公式的な姓を持たなかった3).明治 8 年の太政官布告「平民苗字必称令」により,苗字を名乗ることを義務づけられたとき,採用されたのはやはりヨーロッパ式の姓であった.

服藤早苗の平安時代の妻問婚についての章(2.5)が示すように,日本の元来の親族制度・婚姻制度はタイとの類似性が強い.平安末期から近世まで時間をかけて階層・地域ごとに成立した家制度も,人類学的な意味での父系制とは言えない.タイと日本との共通性はセクシュアリティと結婚に関しても見られる.セクシュアリティについては,日本からはヨバイについての赤松啓介の章(3.4)と武士の男色についての氏家幹人の章(3.2)を収める.婚前婚外の性交渉も同性愛も日本とタイではタブーでなかった.高木侃が述べるように(6.1),離婚と再婚が容易であったことも近代以前の日本の婚姻の特徴だが,これもタイとの共通点である.日本もタイも「性革命」を経た現在のヨーロッパや北米地域のような性慣習を伝統としているのである.

しかしアジアには,タイや日本と対照的な厳しい性慣習をもつ社会も存在する.たとえばインドでは婚姻前の性関係は厳しく禁じられており,女性の性は男性の徹底した管理のもとに置かれてきた.クムクム・ロイによれば性の聖典として知られる「カーマスートラ」もジェンダー平等な性の歓びを追求したものではない(3.1).男性による女性の性の管理は構造的に暴力に結び付くことを,プラティクシャ・バクシはインドについて,インドネシアのシティ・ムスダ・ムリアはイスラム神学を通して論じている(3.10, 6.2).女性の再婚をタブーとする社会も多い.寡婦に自死を促すサティというインドの習慣はその極限だが,東アジアでも中国,韓国,台湾には「貞女二夫にまみえず」という女性の再婚を嫌う規範が広まっている.姜明官の「烈女」についての章(2.1)はこの規範の朝鮮社会への浸透を歴史的に追ったものである.若い寡婦が再婚せずに操を守ることは政府によって推奨され,そうした女性と家族を顕彰するいわゆる烈女門(中国語では「貞節ṛ坊」)が建設され

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た.烈女門は中国,韓国,台湾のいずれでも見られるが,日本には存在しない.漢語の概念を共有する中国文明圏内部にも大きな違いがある.

3.3 二つのアジアと文明化「アジアの家族と親密性」プロジェクトから見えてきたのは,極めて対照的な 2

つの「アジア」の存在である.抽象概念を共有する文明圏の境界を,別の境界が横断している.中国を中心とする東アジアと,インドから中東のイスラム圏へと延びるベルト状の地域は,セクシュアリティに厳格で女性の性的自由が著しく制限された家父長制的な「父系的アジア」,これに対して東南アジアから日本まではセクシュアリティについては自由度が高く女性の地位が比較的高い「双系的アジア」と呼んでおこう.それぞれの地域内にも多様な親族組織をもつ集団が存在するが,地域の主要な親族集団の組織原理が規定力をもつと考えられる.日本は地理的には「東アジア」もしくは「東北アジア」に位置づけられるが,親族構造という社会の基層構造から見ればむしろ「東南アジア」であることを強調しておきたい.「東南アジア」が文明圏に分けられるより以前から続く基層構造を,日本も共有しているのである.その後,日本,韓国,ベトナムなど東のエリアは中国文明圏に繰り入れられ,タイ,カンボジアなど西のエリアはインド文明圏の影響を受けた.さらにインドネシア,マレーシアなどの南のエリアにはイスラム文明が入った.

文明化の過程を扱った研究も多数収録される.朝鮮社会は 17 世紀頃まで妻方居住で女性の相続権もあったが(Deuchler 1992),「烈女」について見たように,それ以降は中国化が進んだ.日本でも同時期に朱子学が官学とされて支配層に影響を広げていった.ベトナムの中国化ははるかに早く,影響も深く浸透したと言われるが(2.2),ド・タイ・ドン(1.2)は「君非君,臣非臣,君臣偕共楽.父不父,子不父,父子是同歓.」と門に掲げる南部のṪを紹介して,儒学に染まりきらない異質性が残り続けたことを強調している.

前出のラーマ 6 世による姓の創出は,文明化についての興味深い事例でもある.タイの主要な民族の親族組織は双系的であり,妻方居住の傾向が強いにも拘わらず,王は姓を男系継承とした.タイの農村部を訪れると,姓は異なるが女系でつながった世帯がひとつの屋敷地内に家を並べているのはこのためである.「家父長制」は前近代の遺物と思われがちだが,近代は男性優位という意味での家父長制を強め,世界各地の非父系的社会で擬似父系的傾向を強めたことはもっと知られてよい4).日本の近代の家制度もその一例として位置づけるべきだと考えられる。.

岡倉天心にせよハンチントンにせよ,アジアの多様性というと文明圏の多様性を論じることが多いが,それより基層には親族組織の構造に根差す多様性が存在しており,とりわけ家族やジェンダーのあり方には今も根強い影響を持ち続けている.そうした基層の多様性が,文明圏の多様性と組み合わさって,アジアの重層的多様性を作り出している.「西洋」からの眼差しによらず自ら語ったアジアは「ひとつ」ではなく,いくつかの強大な文明の集合ですらなく,異なる基層構造の社会にさま

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ざまな時期にさまざまな深さでさまざまな文明が浸透し,ときに抵抗を受け,さまざまな混淆と変異を生み出した多様でダイナミックな世界である.アジアを再定義するとしたら,「『西洋』に対する『東洋』」や「アジアはひとつ」のかわりに「アジアの重層的多様性」を強調すべきだろう.

ではその中で「日本」はどのように再定義されるのか.社会の基層構造は東南アジア的でありながら,中国文明(とインド文明),西洋文明などによる「文明化」を経験したのが日本である.「日本は特殊」「一国だけで日本文明」などと言うのは見当違い以外のなにものでもない.かと言って「日本は儒教社会」と中国文明の一部として日本を定義するのも正確ではない.「東南アジアと東アジアのはざまに立つ日本」「ハイブリッドな日本」など,アジアの重層的多様性を内に含みこんだ社会としての日本,という自己再定義の方向が有力なのではなかろうか.21 世紀初頭のグローバル秩序の変容の中で,それにどのような意味をもたせるのかは,より実践的な課題である.

4 「アジア的家族主義」再考

4.1 「ケア」の定義の再拡張「アジアの家族と親密性」プロジェクトの中で,わたし自身は第 5 部「ケアレジ

ーム」の編集を担当した.現代アジアの福祉研究では「アジア的家族主義(Asianfamilialism)」という概念に頻繁に出くわす.福祉研究の文脈では「家族主義」とはイエスタ・エスピン-アンデルセンの用語であり,所得分配とケア供給の両面について家族がその成員の福祉に対する責任をもつことを前提とした福祉レジームを指す(Esping-Andersen 2001).アジア地域ではヨーロッパと比べて総じて福祉国家が未発達であり,家族が福祉供給に果たす役割が大きいということを「アジア的家族主義」と呼ぶのである.「アジア的家族主義」はしばしば儒教などのアジアの文化的伝統と関係づけて説明される.近年の社会福祉研究では,日本もこの「アジア的家族主義」というラベルのもとに一緒に括る「脱欧入亜」型のフレームが生まれているのは既に指摘したとおりである.これはネガティブな意味での「アジア主義」だろう.このようにアジア諸国の福祉レジームをひとまとめにして理解しようとすることを,武川正吾は「福祉オリエンタリズム」と呼んで批判している(武川2005).「アジアの家族と親密性」第 5 部では,アジアの研究者が主に自国内で発表してきたケア研究をレビューすることで,「アジア的家族主義」の実像と言説の再検討を目論んだ.「ケア」が社会科学の領域で重要概念となったのはそれほど昔のことではない.

フェミニスト経済学の伴概念が「労働」から「ケア」に移ったのは 1990 年代のことだったと言われる(Himmelweit 2000).1970 年代以来,社会的再生産に不可欠であるにもかかわらず,従来の経済的においては「労働」とみなされない活動を経済学の対象とするべく,家事労働,家内労働,再生産労働,不払い労働,シャドウ

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ワーク等々,さまざまな概念がくふうされてきた.これらはみなマルクス主義経済学の「労働」概念を参照して作られている.しかしそれに対して,家内労働のうち掃除や洗濯など狭義の家事に費やす時間が世界的に縮小したことを受け,いまや家内労働の中核をなすケアと,単なる労働とは言えないその特質に注意を集中しなければならないという批判がなされるようになった(Gardiner 2000: 96).キャロル・ギリガンによる「ケアの倫理」の提唱も背景にあった(Gilligan 1982).

では,「ケア」とは何だろうか.「ケア」の明快で共有された定義は意外になされていない.たとえば『ケアワーク』の編著者のメアリー・デイリーは,「病人,高齢者,障がい者,自立できない年少者をケアする活動と人間関係」というケアの常識的な定義を暫定的に用いている(Daly 2001: 34).しかし同じ本の中でナンシー・フォーブルは「健常な成人」もケアを必要とすることを指摘し,ケアを「活動と人間関係」と定義すると「経済的資源」の提供を視界の外においてしまうことを批判している.さらに根源的に考えれば,「ケア活動とは人間的な関わりと情緒に関するものと狭く定義することもできるが」,「商品やサービスを購入すること」

「それらを購入するためのお金を稼ぐこと」もケアの受け手のためになるのだから,「すべてのワークはケアワークだと言うことができるだろう.」とフォーブルは極論する(Folbre 2001: 177).

このように見ただけで,ケアを定義するのは簡単でないことがわかるだろう.そのひとつの理由は,ケアは社会的・歴史的文脈によって意味を変えるからである.家内労働の身体的負担が重い社会では,人間的な情緒的関わりにばかり集中できない.また福祉国家の発達が不十分で公的年金が十分でない社会では,経済的資源を看過することはできない5).アジア社会におけるケアに注目する場合には,ヨーロッパや北米の研究史における「労働からケアへ」という焦点の転換をもう一度逆転させるような,ケアの定義の再拡張が必要なのではないだろうか.

台湾の社会学者ラン・ペイチャは,ケアワークについての既存の文献は「西洋文化の家族的親密性についての筋書き」を前提としていると述べている(Lan 2010).わたしも,現在は「ケアの脱家族化」がおもに議論されているが,歴史的にはその前に「近代家族」の誕生に伴う「ケアの家族化/私事化/女性化」が起きたことを忘れてはならないと主張してきた(落合 2019).「ケアは伝統的に家族の中で与えられてきた」という決まり文句は,実は近代西洋社会の常識を伝統社会および世界の他地域も含む人間社会一般に投影したものなのではなかろうか.「アジアの家族と親密性」第 5 部に収録する論考を読みながら,「ケア」や「家族ケア」と呼ばれることの内実は社会的・歴史的文脈が違えばどのように異なるのか,「アジア的家族主義」は実態として存在するのか,言説として成り立つのかを再考してゆきたい.

4.2 アジアの歴史の中の「ケア」第 5 部には 8 つの社会から 10 章を収録する.最初の 2 章は歴史的なものであり,

近代以前の社会におけるケアを扱っている.次の 5 章は現在のアジア社会における

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「家族ケア」のさまざまな側面を紹介する.最後の 3 章は「非家族ケア」に視野を広げたものである.歴史的な章はいずれも日本からのものとなった.ケアの実態についての社会史的研究は,アジアの他の地域ではあまり発達していないからである.女性史総合研究会や比較家族史学会がリードした 1980 年代以来の日本の女性史と家族史の研究成果はアジアでは特筆すべきものであることが確認された.

女性史研究者の真下道子による 5.1 章は,19 世紀の侍の日記から,彼が父親としていかに愛情豊かな子育てをしていたかを明らかにしている.子連れで宿直をして「四ツ過手水やり抱き寝る.今晩甚寒くしがみついてよくねる.八ツ頃にまた手水に起る.ほうそう後手水近くなり当番所にて不調法致そうかと甚心配也.」など,身体的で情緒的な,今日では母親的と言われそうな親密なケアをしており,職場もそれを許している.公的領域と私的領域の厳格な分離は見られない.肉体労働者から侍まで,日本の男性が子どもを可愛がりよく育児をしたことは,江戸末期から明治初期に日本を訪れたヨーロッパ人によっても書き残されている(渡辺 1998).柳谷慶子によると,江戸時代の日本では家族介護においても男性の役割は大きく,介護のための具体的な知識や技術の習得は男子の教育に含まれていた.息子たちは一日中病人に付添い,背中をさすり,痰をとり,排泄の世話もしている.武士が職場から介護休暇をとる制度も利用されていた.柳谷は「家族や親族,さらに雇用人を含めて,女性であるだけで介護の現場に張り付けになるような,性別の固定化はなかったものと考えられる.」とまとめている(柳谷 2005).子どものケアも高齢者のケアも含め,ケアは女性の役割とする教育が始まるのは近代化=西洋化と共に領域分離の強まった明治以降であり,それが日本社会に根付くのは 20 世紀初頭のことである(沢山 1990).「ケアワークの女性化」は近代になってから起きたという日本のジェンダー史の

成果は,アジアの他の社会にも一般化できるのだろうか.儒教道徳では「孝」は第1 に息子が果たす義務であり,孝子の視角的表現として親を背負う息子の姿がしばしば描かれた.2000 年代初期のわたしたちの調査でも,中国の多くの男性たちが自作の弁当を抱えて病院の老親を訪問する姿を目撃した(Ochiai 2009).しかし他方では,息子から嫁への「孝」の「ジェンダー移転」がしばしば起きることも指摘されている(Lan 2010).社会主義の影響も含め,中国の「孝子」の変容の解明にはまだ時間がかかるだろう.インドでは現在でも料理人や運転手,庭師など男性の家事使用人が存在する.家で高齢者のケアをするために男性を雇うこともある.ジェンダーではなくジャーティにより「家事」にあたる仕事を細かく分業しているためである(押川 2012).とはいえインドでも先進的な南西部では家事万般をこなす家政婦の養成が始まっており,ケアワークのみならず「家事の女性化」が現在進行していると言えるだろう.

落合による 5.2 章は,子どもとりわけ息子との同居による高齢者扶養が規範であったとされる 18~19 世紀の日本において,それを可能にする人口学的条件はあったのか,息子がいない場合はいかなる代替策がとられていたのかを検討した歴史人

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口学的研究である.人口学的制約に対する家族戦略の研究ということでは,第 2 部の殷棋洙の朝鮮時代の承継研究(2.3),栾成显の明清期中国についてのᷪ州文書を用いた分析(2.4)とも呼応する.朝鮮時代にも養子は主要な承継戦略だったが,日本では父系出自にこだわらず娘の夫(女婿)を相続者とする方法がもっとも多用されたことが特徴的である.日本における「擬似父系化」の遅さと不徹底の証拠である.いずれにせよ,自然的再生産に任せずに「息子を再分配」する制度をもたなくては,家族主義の単位である「家族」を維持することはできなかった.これに対し,ヨーロッパではキリスト教会が養子を禁じ,かわりに身寄りのない高齢者の老後は教会が面倒を見るようにしたことが,ヨーロッパの社会福祉の始まりであり,かつヨーロッパの家族が独特の道をたどるようになった契機であったとされる

(Goody 1983).世界の家族を比較すると,小さくて「自然」な単位となったヨーロッパの家族の方が「特殊」と言えるかもしれない.

収録論文には残念ながら含まれないが,近代以前のアジア社会では,ケアの商品化やチャリティや行政による非家族ケアも行われていた.家事労働者の雇用は広く見られた.18~19 世紀の日本では生涯の一時期でも奉公を経験したことのある人の割合は東北日本では男女とも 3 割,中央日本では男女とも半数を超えていた(落合 2015).チャリティについては,清末中国における保嬰会の活動(夫馬 1997),タイや日本の寺が孤児や貧しい子どもや事情のある大人を受け入れていたことなどが知られている(高木 2014; 速水編 2019).東北日本の仙台藩やその地域の村々では飢饉の後に独居者や多子家庭に米を支給するという公的福祉の先駆例も見られた

(高橋 1981).他にも日本の名付け親やヨーロッパのゴッドペアレントにあたるような子どもの後見人に指名する制度は,コミュニティの人々を疑似的親族として広義の「家族」取り込むしくみと言えるだろう.

以上,ごく一部の例ではあるが,近代以前のアジア諸社会ではどのようなタイプのケア供給が行われていたのかを見てきた.市場,チャリティ,地方政府など多様なセクターが関わっており,「アジア的家族主義」とレッテル貼りをして済ませることはできない.家族セクターの中にも世帯外の親族や養子が含まれ,擬似的親族や奉公人のような境界的な人々も関係している.「家族」を人工的に拡大することによって,「家族」の福祉供給力を強化していた.ジェンダーについては,少なくとも日本の研究を見る限り,男性もケアを担っており,それが職場でも公認されており,ケアの女性化は認められない.厳格な公私の分離も存在しない.男性によるケアは前節で命名した「双系的アジア」の現象なのか,あるいは「父系的アジア」にも当てはまるのか,さらなる追究が必要である.

4.3 現代アジアの「ケア」現代のアジアについては,まず家族ケアについて,インドの高齢者(5.3),韓国

の高齢者ケアをする息子夫婦と親たち(5.4),キョウダイや親の世話をする責任を負ったフィリピンの姉たち(5.5),出稼ぎに出た子どもたちの代わりに孫の世話を

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引き受けるタイの祖父母たち(5.6),孤立育児に苦しむ日本の母親たち(5.7)というさまざまなケースについて,当事者たちの語りに焦点を当てた章を収録する.

インドと韓国は,高齢の親のケアは子ども,特に息子の家族の義務であると考える社会である.「自立と自足の義務という考えを深く植え付けられているため」「高齢期に依存状態に陥ることを恐れるアメリカ人」とは対照的に,インドの高齢者にとっては「成人した息子とその妻からそのような援助を受けることは喜びであり自慢の種である」とシルヴィア・ヴァトゥクは言う.なぜなら「長期にわたる世代間の互酬性」によって「苦労して手に入れた正当な権利」であると考えているからだという(5.3).このような考えは中国やタイなどでも調査インタビューの中で頻繁に聞くことができる.ケアは無私の愛の表現であり一方向的な贈与であるという西洋近代家族的な原則とは異なる原則のうえに,アジアの家族ケアは成り立ってきた.世代間関係には互酬型と贈与型の 2 つの類型があり,西洋近代家族におけるケアは後者,アジアの家族ケアは前者の原則により実践されていると考えられる6).

フィリピンのアレラノ-カランダンの章(5.5)は,家族ケアと言えば親から子,もしくは子から親という世代間的なものという想定を覆すものである.姉が弟妹のケアに加えて家族の経済的支柱となるなど重い責任を担うタイプの社会は,東南アジアから太平洋まで広く分布している.沖縄もこのようなタイプの社会であり,姉妹は兄弟にとって精神的にも守り神のような存在であるとされる.日本は歴史的に,このタイプの姉弟が単位となる社会から夫婦が単位となる社会へ転換したと言われている.しかしこのような社会での姉たちの責任は重く,負担の重圧に精神を病むことも(5.5),セックスワークに従事して経済的責任を果たそうとすることもあることに目を向けねばならない.親のかわりに祖父母が子育て役割を引き受ける社会もアジアには多い.「隔代家族」と呼ばれる中間世代のいない構造の世帯は,アリ・チャンパクライが 5.6 章で取り上げているタイのみでなく,ミャンマー,中国などに広く見られる.移民労働者の送り出し地域ばかりでなく,仕事の忙しい都市家族などでも見られる居住形態である.しかし毎日の子育ての全責任を引き受ける祖父母にとっての負担は重く,孫への愛情だけでは済まない苦悩も語られる(5.6).

子育てにさまざまな担い手が関わる他のアジア諸社会と対照的に,日本では母親がひとりで子育てをする孤立育児が社会問題となっている.1980 年代の牧野カツコの研究はこの問題への注目を促すインパクトをもったものだった(5.7).歴史的研究で見たように,日本はもともとそういう社会だったわけではないが,近代化の過程でケアの家族化と女性化が徹底的に進行し,脱家族化への転換が遅れている.

最後の 3 章は,現代アジアの非家族ケアに視野を広げている.ブイ・テ・チュオンによるベトナムの高齢者の基本的な物質的資源に関する調査結果は,ある意味驚きかもしれない(5.8).アジアの高齢者にとっては狭義のケアのみでなく経済的資源も重要だ,という冒頭の指摘を思い出してほしい.しかしベトナムの高齢者は,経済的支援を受けるよりも自助により生活している.「工業化した社会と違い,伝統的な社会において高齢者は村や家族の労働メカニズムから排除されていない」の

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である.多くの高齢者は農家などの世帯経済の中で就労を続けており,年金や社会政策的補助もあり,子どもの援助を得ている割合は小さい.依存を自慢の種とするインドの高齢者と対照的である.高齢者の就労率は社会による差が大きく,アジアの中でもベトナムは日本と並んで高い方である.高齢者の自立度に着目するとアジアはどのように分けられるのか,父系制アジアと双系制アジアという分類はここでも有効なのかは,今後の研究課題としたい.

次章はインドネシアの国内で雇用されている家事労働者についてのアイダ・ミラサリの研究である(5.9).現在,家事労働者の国際移動について多くの研究がなされているが,インドネシア,フィリピンなど家事労働者の国際的な送り出し国になっている国々では,自国民を家事労働者として雇用する伝統も続いている.「ケア/家事の商品化」は(世界の他の多くの地域と同様に)アジアの伝統である.むしろ「ケアの家族化」が起きないまま,家事労働者が国外に出てゆくようになった.

「圧縮された近代」(Chang 2014)である.しかし,ラン・ペイチャが「親孝行の下請け」(subcontracting filial piety)と呼んだように(Lan 2002),家事労働者によるケアは擬似的な「家族ケア」と認識されていたため,「アジア的家族主義」と矛盾すると思われないというねじれがある.

アジア地域では家族政策も未発達という認識が世界に広がっているが,これも誇張されている.中国やベトナムなどの社会主義国や,福祉国家形成がアジアでは早かった日本では,すでに家族政策史を語れるだけの歴史がある.韓国,台湾などでは近年の発達がめざましい.しかし政策の基本姿勢が「家族責任」から「家族支援」に転換しないという中国についての徐浙宁の分析は(5.10),日本についての分析とよく似ている.「アジア的家族主義」は伝統ではなく,政策的共通性に根差しているのではないかという洞察を本章は与えてくれる.

なお,コミュニティケアについての論考は収録できなかったが,東南アジアについての速水洋子らの研究により,東南アジアの社会生活を支える「関係の文化

(culture of relatedness)」に埋め込まれたものとして,家族以外の人たちによるケアがさまざまなかたちで機能していることが指摘されている.寺などの宗教施設の果たす役割も大きい(速水編 2019).このような知見は父系制アジアでも得られるのか,今後の研究がまたれる.

現代アジアにおけるケアについて概観してわかるのは,まず「家族ケア」と言ってもその担い手は姉,祖父母,家事労働者等,多様だということである.「家族ケア」を行う論理も互酬型であり,西洋近代家族の親密性規範による贈与としてのケアとは異なっている.包含する人々の範囲が広く人工的でさえある家族定義,家族間の互酬的義務規範などを用いて制度としての「家族」を作り上げている.現代アジアにおいては市場も国家もコミュニティもケアの供給者としての役割をおおいに果たしており,家族だけが福祉を担うことを「アジア的家族主義」と呼ぶとすれば,全く事実と異なる.しかし「家族責任」を強調する政策的共通性はたしかに見出せる.「アジア的家族主義」とはアジアの家族の特徴ではなく,アジアの統治の手法

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の特徴だと考える方が正確なのではないだろうか.そのような統治のもとで責任を負わされる「家族」は「自然」な単位というより社会的制度として確立され,与えられた役割を遂行してきたのではなかろうか.さらに検討してゆきたい.

5 「アジア」と「日本」の再定義

世界の転換期に「アジアで唯一の」という位置づけを失った日本は,いかにして自らを再定義して地図と指針を取り戻せるのかを考えてきた.1 世紀にわたって慣れ親しんできた自己定義は,「アジアの中の西洋」にしても「アジアの盟主」にしても,「アジア」の定義と背中合わせのものだったから,新たな自己定義はアジアの人たちと共に考えようと本稿では提案した.

西洋からの眼差しによる二分法を外して自ら語ったアジアは「ひとつ」ではなく,いくつかの強大な文明の集合でもなく,重層的多様性そのものだった.その中で日本はアジアの重層的多様性を内に含みこんだ社会として再定義できるだろう.「双系的アジア」をルーツとしながら,中国文明,近代文明などに「文明化」された日本は,アジアの中でもとりわけ重層性多様性を体現した社会だからである.「家父長的」と一括りにされがちなアジアにおいて「双系的アジア」の伝統をもち,もっとも早く近代化して「アジアの中の西洋」の位置を享受したこともある日本は,

「はざま」の社会ともハイブリッド社会とも言えるだろう.アジアがひとつに括る動きが起きたとき,オルターナティブを打ち出し,ダイナミズムを作り出すような役割を果たすことが期待される.

しかし今,日本は「孤立」の一方で,「脱欧入亜」型のフレームに曝されている.日本も含めた「アジア」を一括りにして「アジア的家族主義」というレッテルを貼るフレームは,福祉の領域でもっとも顕著である.しかし,見てきたように「アジア的家族主義」は歴史の中でも現代でも実態とかけ離れている.なぜアジア社会は福祉に関して一括りにされてしまうのだろうか.

この問題を考えるとき,「アジア的家族主義」とはアジアの家族の特徴ではなく,アジアの統治の手法だという洞察を本稿は示した.「家族支援」より「家族責任」を強調する政策的共通性が,多くのアジア社会に見られる.その背後には,国家の財政支出を抑えたいという現実的な理由とならんで,「自己オリエンタリズム」があるだろうとわたしは指摘してきた(落合・城下 2015).西洋からのオリエンタリズムの視線を内面化し,西洋と反対の性質をもつものとして自らを理解し造形するのが「自己オリエンタリズム」である.「アジアは家族主義だ」と言われれば,「家族」をみずからの文化的アイデンティティの核として保持しようとするように.

しかし,忘れてはならないのは,歴史的時代からごく最近まで,あるいは社会によっては今日までかもしれないが,アジアの家族は人工的な制度であるから機能してきたということである.養子制度,擬似的親族,互酬的義務規範などによって家族を拡張して「制度」として確立することにより,アジアの家族は家族主義的な統

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治の単位として生き延びてきた.しかし現代の福祉国家論が前提とする家族は,親密性によってつながる西洋近代

家族のような小家族である.自然な小家族は統治の単位となるには弱すぎる.しかし厄介なことに,これも別のところで論じたアジアの自己オリエンタリズムがもたらす「近代の伝統化」というメカニズムにより(落合・城下 2015),アジアではこの近代小家族をみずからの伝統としばしば思い違いしている.「制度」としての家族がもはや無いにも拘わらず,統治の方法が変わらないとさまざまな問題が起こる.日本の孤立育児,東アジア地域の低出生率などはその結果ではないだろうか.「アジア的家族主義」とは,オリエンタリズム,自己オリエンタリズム,公私領

域が分離した近代西洋社会の常識の投影,統治者の意図などが絡まり合い,共犯的に生み出された複雑な概念である.現在のアジアで強まっている「アジア主義」的な自己定義がいかなる危険をはらみ,いかなる現実的帰結を生み出すのかを示す典型的な例として,各社会の文脈の中で注視していかねばなるまい.「アジアの家族と親密性」プロジェクトを通してアジアの隣人の研究と思索の成

果を直接に学ぶことで,「西洋」と「東洋」という二項対立に陥らない新たな世界認識とアジア認識のフレームを展望しようと試みた本論文は,この方法によらねば得られなかったようないくつかの気づきを示すことができたと思う.アジアの隣人たちと共に考えることによってこそ,日本の道も拓かれると確信している.

[注]1) グローバル COE の終了後は,その成果として設立した「アジア親密圏/公共圏教育研究セ

ンター(ARCIP)」(2011 年度設立)と「京都大学アジア研究教育ユニット(KUASU)」(2012年度設立)が中心となって活動を継続してきた.

2)「民族」も「文化」も社会的に構築されたものではある.3) 江戸時代にも地域や階層によっては非公式に苗字を用いていたという記録もあるが(豊田

1971; 坂田 2006),明治に新たに苗字をつけた記録もあり(豊田 1971).太政官布告は「祖先以來苗字不分明ノ向」は新たに苗字を設けることとしたのである(豊田 1971).

4) 女王をいただく母系制社会として知られる南インドのケーララ(粟屋 1994),インドネシアの母系制社会のミナンカバウなどでも同様の変化が見られた.

5) CAFS のもとになった EASS による東アジアの 4 社会比較では,ある程度の実効性のある公的年金制度をもつ日本以外の⚓社会,すなわち台湾,韓国,中国では,子どもから親への経済的援助が規範であり,実行されていることが確かめられている(岩井・保田編 2009).

6) 比較家族史学会第 65 回春季大会シンポジウム「世代間関係」では,この 2 つのタイプを区別する重要性が議論された.成果は小池誠・施利平編で日本経済評論社より刊行予定.

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Economic Growth, Delhi, India)Volume editors: Thanes WONGYANNAVA(Thammasat University, Thailand); EUN Kisoo

(Seoul National University, South Korea); NGUYEN Huu Minh(Vietnamese Academy ofSocial Sciences); Carolyn SOBRITCHEA(University of The Philippines)

Associate Editors: YI Chinchun(Academia Sinica, Taiwan); HOU Yangfang(Fudan University,China); XU Anqi(Shanghai Academy of Social Sciences, China); Gadis ARIVIA(Montgom-ery College); NAKATANI Ayami(Okayama University, Japan); NAGASAKA Itaru

(Hiroshima University, Japan); MORIMOTO Kazuhiko(Koyasan University, Japan).

1.2 Do Thai Dong, The Transformation of the Traditional Family in the South of Vietnam(Vietnam)

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1.3 Thanai Charoenkul ,The Origin of theʞSurnameʟand the Role of King Rama VI as the RulingMonarch(Thailand)

2.1 KANG Myeong-kwan, The Birth of Virtuous Women(Korea)2.2 TRAN Dinh Huou, Traditional Families in Vietnam and the Influence of Confucianism

(Vietnam)2.3 EUN Kisoo, Diversity of Family Succession andʞLineage Strategy`2.4 LUAN Chengxian, Passing the Family Property to an Outsider: Cases in Huizhou During the

Ming and Qing Dynasties(China)2.5 FUKUTO Sanae, The Variety of Forms of Marriage(Japan)2.6 MORIMOTO Kazuhiko, Ancestral Rituals and Women: FromʠHandankaʡ(Half Temple

Members)toʠIkka Ichijiʡ(One Household One Temple)(Japan)2.7 King Rama VI, Comparing Nam Sakun(Family Names)and Sae(Clan Names)(Thailand)3.1 Kumkum ROY, Unravelling the Kamasutra(India)3.2 UJIIE Mikito, The Way of the Samurai and Eros(Japan)3.4 AKAMATSU Keisuke, The Folklore of Yobai or Night Calling3.10 Pratiksha BAXI, Rape, Retribution, State: On Whose Bodies?(India)5.1 MASHITA Michiko, Birth and Childcare in the Early Modern Period(Japan)5.2 OCHIAI Emiko, Myth and Reality of Asian Traditional Families: Living Arrangement of the

Elderly in Tokugawa Japan(Japan)5.3 Sylvia VATUK, To be a Burden on Others: Dependency Anxiety among the Elderly in India

(India)5.4 KIM Hye-Kyoung and NAMGOONG Myoung-Hee, Elderly Care by Sons` Families: Personal

Narratives of Men, their Wives and their Parents(Korea)5.5 Maria Lourdes ARELLANO-CARANDANG, TheʠTagasaloʡorʠMananaloʡSyndrome(The

Philippines)5.6 Aree JAMPAKLAY, Growing away from Parents: Children of Migrants through the Eyes of

their Grandparents(Thailand)5.7 MAKINO Katsuko,ʠChildcare Anxietyʡand the Lifestyles of Mothers with Young Children

(Japan)5.8 BUI The Cuong, Three Basic Material Resources of the Elderly in the Red River Delta

(Vietnam)5.9 Aida MILASARI, Important but Ignored: A Portrait of Domestic Workers in Indonesia

(Indonesia)5.10 XU Zhening, Chinese Family Policies on Early Childhood Development(1980-2008): From

ʠFamily ResponsibilityʡtoʠSupporting familyʡ(China)6.1 TAKAGI Tadashi, Was the Edo Period a Dark Age for Women(Three Lines and a Half)?

(Japan)6.2 Siti Musdah MULIA, Women, Theology and Violence(Indonesia)

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RedefiningʠAsiaʡandʠJapanʡ:Creating an Intellectual Foundation for Academic Collaboration within Asia

OCHIAI, EmikoKyoto University

ochiai . emiko .3r@kyoto-u . ac . jp

Today, as the global world order is being rearranged, Japan lacks both a map anda compass to redefine itself and find its future direction. The country`s self-definition and its definition in the world is based on its impressive success inmodernization. In the framework of social sciences too, Japan has been named theonly Asian country that has successfully modernized. Since Japan`s previous self-definitions were in relation to Asia, such as being calledʠthe Westʡin Asia orʠtheleader of Asia,ʡthere is a need to redefine Japan in the process of redefining Asia.

This article proposes a new framework for placing Japan and Asia in a world thatdoes not fall under the dichotomy ofʠEastʡvs.ʠWest,ʡby directly learning fromresearch results produced in the Asian countries. The argument in this article isbased on the chapters to be included in a Major Work by SAGE onʠAsian Familiesand Intimacies,ʡan outcome of our project on collecting and sharing key texts inAsian academia to construct a foundation for academic collaboration in the Asianregion.

The new framework emerging from this attempt allows us to move away fromthe dichotomy generated by the Western gaze and see clearly that Asia is not onesingle entity, nor a collection of several great civilizations, but a region of multi-layered diversity. We also redefine Japan as a society that incorporates this multi-layered Asian diversity.

Furthermore, this article examines the concept and reality ofʠAsian familialismʡas an example ofʠAsianistʡself-definition, which is growing stronger in Asiatoday, and suggests that anʠAsianistʡframework might generate seriousconsequences in Asian societies by constructing inadequate social institutions.Collaboration with Asian neighbors will pave the way for Japan to gain a betterunderstanding of its position.

Key words: Asian intellectual heritage, multi-layered Asian diversity, Asianfamilialism

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