4
-4- 1. はじめに 従来,摩擦抵抗の低減や安定化を目的として,摺動面には 平滑な仕上が要求されてきた.一方,表面の凹部は油溜りや 摩耗粉の収納部として機能するため,摩擦特性の安定に有効 であることも知られている.工作機械等の案内面に適用され てきた‘きさげ’はその典型的な事例である 1) .摩擦特性の 低減安定化を目的とした表面形状の制御技術はテクスチャリ ングと呼ばれ 2) ,精密機械加工に加え 3) ,レーザー 4,5,エッ チング 6,ショットブラスト 7) 等の除去加工や、ショットピー ニング 8) のような塑性加工の適用も検討されている. テクスチャリングに適用可能な加工手法の中でもショット ピーニングは,投射粒子の大きさや材種によって表面形状を 制御可能である.また,投射粒子や処理条件によっては粒子 成分の転写による表面改質効果 9) も期待できるので,複合表 面改質処理としての潜在的な可能性を有する.加えて,付与 される圧縮残留応力による表面の変形(Peen forming, ピーン フォーミング)も接触面のクラウニングに応用でき,接触端 部の応力緩和に有効な手法であることが報告されている 10) ショットピーニングでは,粒子衝突に起因する塑性変形に よってテクスチャが形成されるが,同時にディンプル周囲は 隆起するので,これを平坦化することでさらなる摩擦特性の 改善が見込まれる.この平坦化に関しては,除去加工に加え ショットピーニングと同様に表面近傍の塑性加工であるロー ラーバニシングも適用可能な手法である.特に,黒鉛や二流 化モリブデンのような固体潤滑剤を予め加工面に供給するこ とで,平坦化と同時に母材を固体潤滑剤と複合化することが 可能となり,摩擦低減のための新しい表面改質技術としての 応用に期待がかかる. 本報告では,表面近傍の塑性変形手法であるショットピー ニングとローラーバニシングを組み合わせた複合加工手法 (以下,表面塑性加工と称する)による表面改質手法を紹介 すると共に,同手法による摩擦抵抗の低減安定化効果に関す る事例紹介を通して,その表面改質技術としての可能性を展 望する. 2. 表面塑性加工 2.1 微粒子ピーニング 提案する表面塑性加工は微粒子ピーニングとローラーバニ シング加工から構成される.1 は微粒子ピーニング処理の 概要である.同図はディスク形状試験片端面への処理状態を 示しており,試験片鉛直上方に設置されたノズルから粒子が 投射される. 微粒子ピーニング処理の目的は,マイクロディンプルの付 与であるため,粒子流量は残留応力付与を目的した処理とは 異なり,低い粒子流量での投射が重要となる. 図1 微粒子ピーニング処理の概観 低流量投射を実現するために,2 のような投射機構を開 発した.粒子タンク内に収納された投射粒子は,タンク底部 から圧縮空気を間欠的に供給することで,タンク内部で吹き 上げられ,同心円 2 重管構造の投射ノズル内側に搬送される. 搬送された粒子はノズルの外側から導入される圧縮空気とノ ズル先端部で混合され加速される.このような装置構造とす ることで,粒子流量と投射速度を圧縮空気のガス圧によって 独立して制御可能となった. 投射粒子には主としてガラスビーズ(粒径 50µm,硬さ 550Hv)を用いた.ただし,焼入れ鋼や超硬合金のような硬 質材への処理,あるいは深いディンプルを付与する場合には, アルミナビーズ(粒径 50µm,硬さ 1700Hv)を使用した. Review H. Usami 表面塑性加工による摺動面の摩擦特性改善 宇佐美 初彦 * 名城大学理工学部材料機能工学科 教授 2 微粒子ピーニング装置投射機構の模式図

Review 表面塑性加工による摺動面の摩擦特性改善 · オーバーレイ処理として、摩擦特性の改善に既に適用されて いる手法である12)。この樹脂膜はスピンコートによって成膜

  • Upload
    others

  • View
    7

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: Review 表面塑性加工による摺動面の摩擦特性改善 · オーバーレイ処理として、摩擦特性の改善に既に適用されて いる手法である12)。この樹脂膜はスピンコートによって成膜

- 4 -

1.はじめに

従来,摩擦抵抗の低減や安定化を目的として,摺動面には

平滑な仕上が要求されてきた.一方,表面の凹部は油溜りや

摩耗粉の収納部として機能するため,摩擦特性の安定に有効

であることも知られている.工作機械等の案内面に適用され

てきた‘きさげ’はその典型的な事例である 1).摩擦特性の

低減安定化を目的とした表面形状の制御技術はテクスチャリ

ングと呼ばれ 2),精密機械加工に加え 3),レーザー 4,5),エッ

チング 6),ショットブラスト 7) 等の除去加工や、ショットピー

ニング 8) のような塑性加工の適用も検討されている.

テクスチャリングに適用可能な加工手法の中でもショット

ピーニングは,投射粒子の大きさや材種によって表面形状を

制御可能である.また,投射粒子や処理条件によっては粒子

成分の転写による表面改質効果 9) も期待できるので,複合表

面改質処理としての潜在的な可能性を有する.加えて,付与

される圧縮残留応力による表面の変形(Peen forming, ピーン

フォーミング)も接触面のクラウニングに応用でき,接触端

部の応力緩和に有効な手法であることが報告されている 10).

ショットピーニングでは,粒子衝突に起因する塑性変形に

よってテクスチャが形成されるが,同時にディンプル周囲は

隆起するので,これを平坦化することでさらなる摩擦特性の

改善が見込まれる.この平坦化に関しては,除去加工に加え

ショットピーニングと同様に表面近傍の塑性加工であるロー

ラーバニシングも適用可能な手法である.特に,黒鉛や二流

化モリブデンのような固体潤滑剤を予め加工面に供給するこ

とで,平坦化と同時に母材を固体潤滑剤と複合化することが

可能となり,摩擦低減のための新しい表面改質技術としての

応用に期待がかかる.

本報告では,表面近傍の塑性変形手法であるショットピー

ニングとローラーバニシングを組み合わせた複合加工手法

(以下,表面塑性加工と称する)による表面改質手法を紹介

すると共に,同手法による摩擦抵抗の低減安定化効果に関す

る事例紹介を通して,その表面改質技術としての可能性を展

望する.

2.表面塑性加工

2.1 微粒子ピーニング

提案する表面塑性加工は微粒子ピーニングとローラーバニ

シング加工から構成される.図 1 は微粒子ピーニング処理の

概要である.同図はディスク形状試験片端面への処理状態を

示しており,試験片鉛直上方に設置されたノズルから粒子が

投射される.

微粒子ピーニング処理の目的は,マイクロディンプルの付

与であるため,粒子流量は残留応力付与を目的した処理とは

異なり,低い粒子流量での投射が重要となる.

図1 微粒子ピーニング処理の概観

低流量投射を実現するために,図 2 のような投射機構を開

発した.粒子タンク内に収納された投射粒子は,タンク底部

から圧縮空気を間欠的に供給することで,タンク内部で吹き

上げられ,同心円 2 重管構造の投射ノズル内側に搬送される.

搬送された粒子はノズルの外側から導入される圧縮空気とノ

ズル先端部で混合され加速される.このような装置構造とす

ることで,粒子流量と投射速度を圧縮空気のガス圧によって

独立して制御可能となった.

投射粒子には主としてガラスビーズ(粒径 50µm,硬さ

550Hv)を用いた.ただし,焼入れ鋼や超硬合金のような硬

質材への処理,あるいは深いディンプルを付与する場合には,

アルミナビーズ(粒径 50µm,硬さ 1700Hv)を使用した.

Review

H. Usami

表面塑性加工による摺動面の摩擦特性改善

宇佐美 初彦 *

*名城大学理工学部材料機能工学科 教授

図 2 微粒子ピーニング装置投射機構の模式図

Page 2: Review 表面塑性加工による摺動面の摩擦特性改善 · オーバーレイ処理として、摩擦特性の改善に既に適用されて いる手法である12)。この樹脂膜はスピンコートによって成膜

- 5 -

2.2ローラーバニシング

ローラーバニシングは,超硬合金製の加工工具(バニシン

グローラー)を加工面に押し付ける手法である.その概要が

図 3 である.バニシングローラーの寸法は直径 36mm,先端

曲率 4mm であり,硬さは約 1700Hv である.これを旋盤刃

物台に冶具を介して固定し,スクロールチャックに固定され

た被加工材表面を平坦化する.接触荷重は冶具に内蔵された

ばねによって負荷される.

本研究におけるローラーバニシング処理の目的は微粒子

ピーニングで形成されたマイクロディンプル周囲の凸部の

平坦化と固体潤滑剤の圧入である.このため,接触荷重は

600N,旋盤主軸の回転速度は 550rpm,送り速度は 0.044mm/rev を基準とし,加工後にもディンプルが残存するように,

試験片の機械的性質を考慮して条件を調整した.

図 3 ローラーバニシング加工の概観

2.3摩擦特性評価

改質面の摩擦特性評価には,図 4 のような摩擦試験装置を

用いた.試験片は装置下部の軸に固定される.この軸内部に

は,摩擦トルクを検出するためのトーションロッドが内臓さ

れている.相手材は,試験装置上部に設置された主軸に固定

される.

実験は所定の位置に試験片を固定した後に潤滑油を表面に

滴下し相手面と接触させた後に、駆動軸を回転することで開

始した。

3.改質面と摩擦特性

3.1 樹脂皮膜の密着性改善

表面塑性加工処理されたクロム軸受鋼(SUJ2)リング (φ42× φ25 × t3mm,硬さ 800Hv) の光学顕微鏡像と表面粗さが

図 5 である 11).図中の記号はそれぞれ,ガラスビーズ処理面

(GSP),アルミナビーズ処理面(ASPB)である.表面粗さ

から,硬質なアルミナビーズで処理した場合,ディンプル深

さは大きく 2µm 程度に達している.また,凸部が平坦化さ

れていることも確認できる.ディンプルの開口径は 10-20µm程度であり,投射粒子の差異の影響は小さい.

図 5 表面塑性加工処理された SUJ2 表面の光学顕微鏡像と

表面粗さ

図 5 の処理面上に二硫化モリブデン(MoS2)粒子を分散

配合したポリアミド(PAI)樹脂を成膜した表面の摩擦特性

が図 6 である.

図 6 表面塑性加工によって仕上げられた SUJ2 下地面上に

形成された MoS2 含有 PAI 膜の摩擦特性

このような金属材への樹脂成膜手法は、ジャーナル軸受の

オーバーレイ処理として、摩擦特性の改善に既に適用されて

いる手法である 12)。この樹脂膜はスピンコートによって成膜

され,その膜厚は約 7µm である.

相手表面は接触面の直径が 1.5mm に研磨加工され,同一

図 4 摩擦試験装置試験部概要

Page 3: Review 表面塑性加工による摺動面の摩擦特性改善 · オーバーレイ処理として、摩擦特性の改善に既に適用されて いる手法である12)。この樹脂膜はスピンコートによって成膜

- 6 -

円周上に等間隔(120°)に配置された φ6.35mm の SUJ2 球

3 個から構成される.実験条件は接触荷重 100N,摩擦速度

1m/s,摩擦距離 2000m であり,実験前に 5cst @ 40℃の PAOを供給した潤滑条件である.下地が未処理面の場合、摩擦係

数は実験開始直後に急増した。GSP 処理面でも同様に、摩

擦係数は 250m 付近の摩擦距離で急増した.これに対して,

ASPB 処理面の摩擦係数は実験開始直後から減少し,100m以降では 0.02 程度で定常状態となる.

表面塑性加工によって付与されたマイクロディンプルはア

ンカー効果を発揮し,樹脂膜の密着性の向上に寄与すると

考えられる 13).図 7 は実験後の MoS2 含有 PAI 樹脂膜摩擦面

の光学顕微鏡像である.図示のごとく,GSP 処理面では膜

がはく離し,下地の SUJ2 面が露出している.さらに露出し

た SUJ2 面には摩耗の痕跡が形成されている.このような樹

脂膜のはく離と下地の摩耗は未処理面でも確認された.した

がって,表面塑性加工によって表面の隆起を抑制しつつ深い

ディンプルを形成することでアンカー効果が促進され,膜の

密着性向上に寄与したと判断される.

図 7 実験後の MoS2 含有 PAI 膜の光学顕微鏡像

前述の摩擦面の状態を考慮すれば,摩擦係数の頸経時変化も

樹脂膜の残存状態に対応する.すなわち,未処理面,GSP 処理

面上で樹脂膜では実験途中で樹脂膜がはく離し,摩擦係数が急

増する.また、摩擦係数の挙動を詳細にみると,急増するまで

の摩擦係数も ASPB 面での結果が最も低い.いずれの樹脂膜で

も下地の表面形状を反映した表面粗さを示すが,ASPB 面では

他に比して深い凹部が形成されており,これがテクスチャ本来

の摩擦低減機能を発現したことも考えらえる.したがって,ア

ンカー効果とテクスチャ機能を両立するように下地形状を制御

することで,さらなる摩擦低減の可能性も高い.

3.2固体潤滑剤との複合表面化

アルミニウム合金は,自動車用のピストンやジャーナル軸

受の素材として広く応用されている材料である.同材料は軽

量であるものの,化学的に活性であり,摩擦特性は必ずしも

良好ではない.このため,表面改質による摩擦低減に関する

要望は高い.

図 8 は MoS2 粒子を高速投射し 14),転写後にローラーバ

ニシング処理した表面の光学顕微鏡像および表面粗さであ

る 15).平坦面に転写処理した場合 (a),表面粗さは増加する.

予め微粒子ピーニング処理した面に転写した場合 (b),下地

の表面粗さが大きいので転写による粗さの変化は小さい.

これらの転写面にローラーバニシングに処理すると,下地が

平坦な場合 (c) には処理面は複合化されるものの表面粗さは増

加する.これに対してショットピーニング面上に転写した場合

(d),表面は平坦化し,MoS2 と母材の複合表面が形成される.

これらの表面の摩擦特性が図 9 と図 10 である.この場合,

相手材は炭素鋼(S45C)焼入材のリングであり,実験条件

は先の樹脂皮膜と同じであり,同一条件で 2 回実施した.

図 8 MoS2 が転写処理されたアルミニウム合金表面の光学

顕微鏡像および表面粗さ

図 9 MoS2 転写面の摩擦特性

図 10 MoS2 転写後にローラーバニシング処理した処理面の

摩擦特性

Page 4: Review 表面塑性加工による摺動面の摩擦特性改善 · オーバーレイ処理として、摩擦特性の改善に既に適用されて いる手法である12)。この樹脂膜はスピンコートによって成膜

- 7 -

ローラーバニシング処理前の場合 ( 図 9),摩擦係数は下地

凹凸の差異によらず,概ね 0.05 ~ 0.1 程度をとる. これに対して,ローラーバニシング処理後の結果 ( 図 10)

では下地の表面状態による差異が大きく,予めディンプルを

付与した面の場合,摩擦係数は 0.02 程度と低い.以上のよ

うに,アルミニウム表面に予めテクスチャを付与し,MoS2

を供給しローラーバニシング処理を適用することで,処理面

は複合組織化され平坦化される.その摩擦特性は MoS2 転写

面に比してさらに向上することを確認した.

4.まとめ

ショットピーニングやローラーバニシングといった表面近

傍の塑性変形加工を組み合わせた加工手法は、テクスチャリ

ングとして摩擦特性改善のための有効であることが明らかと

なった.今後,加工条件や複合化する固体潤滑剤を適正化す

ることで,さらに摩擦特性を向上できる可能性は大きい.

文献

1) 堤 博貴 他:きさげ仕上げされたすべり案内面のトラ

イボロジー特性評価 機論 C, 72, 721 (2006)3009.2) 南部 俊和:マイクロテクスチャによる摩擦制御,トラ

イボロジスト,55, 1(2010)43.3) 林 亮 他 : 規則的パターンを持つ表面テクスチャの 5

軸制御加工,精密 75, 12 (2009)1459.4) I. ETSION: Improving Tribological Performance of

Mechanical Components by Laser Surface Texturing, Tribology Letters, 17, 4(2004)733

5) 沢田 博司 他:フェムト秒レーザによる表面微細加工,

トライボロジスト , 55, 2(2010)716) 服部 正:エッチングによる微細加工,トライボロジスト,

55, 2(2010)83.7) M. WAKUDA, et al: Effect of Surface Texturing on Friction

Reduction between Ceramic and Steel Materials under Lubricated Sliding Contact, Wear 254,3-4 (2003) 356.

8) 宇佐美 初彦 他:表面改質手法としての微粒子ピーニ

ングの適用可能性 , トライボロジスト,56, 10 (2011)609.9) Y. KAMEYAMA et al,: Effect of Fine Particle Peening

using Carbon-Black/Steel Hybridized Particles on Tribological Properties of Stainless Steel, Tribology International, 78, October (2014) 115.

10) 古橋 孝太 他:転がりすべり接触の摩擦抵抗における

軌道面形状の影響,トライボロジー会議 2014 秋 盛岡

予稿集 (2014)240.11) 坂田 興亜 他:接着継手の被着体表面粗さ形状が接着強

度に及ぼす影響,精密工学会誌,64, 10(1998)1492.12) 神谷 周:自動車用エンジン軸受の低摩擦オーバーレイ

の技術動向 , トライボロジスト,58, 2(2013) 85.13) 榎本 和城 他:マイクロディンプル面上に付与された樹

脂オーバーレイの摩擦特性,トライボロジー会議 2014 秋 盛岡 予稿集(2014)21.

14) 萩原 秀実:固体潤滑剤の微粒子ピーニングによる内燃

機関ピストンしゅう動部の表面改質,トライボロジスト,

47,12(2002)895.15) 堀場 有真 他:二硫化モリブデンが圧入されたアルミ

ニウム合金の摩擦特性,トライボロジー会議 2013 秋 

福岡予稿集 (2013)C11