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1 巻第十三盡心章句上 百七十七節 孟子は言った。 「誰もが心の中に持っている理義を極めつくせば、人の本性が本来善であるこ とが分かる。本性が善であることを知れば、それを与えてくれた天をも知るこ とになる。己の心を常に省みて察し、善なる本性を養うことが天に仕える道で ある。短命か長命かなどと気に掛ける事無く、ひたすら身を修めることに務め て天寿を待つ、それが立命乃ち天命を守る道なのである。」 孟子曰、盡其心者、知其性也。知其性、則知天矣。存其心、養其性、所以事天 也。殀壽不貳、修身以俟之、所以立命也。 孟子曰く、「其の心を盡くせば、其の性を知るなり。其の性を知れば、則ち天を 知る。其の心を存し、其の性を養うは、天に事うる所以なり。殀壽貳せず、身 を修めて以て之を俟つは、命を立つる所以なり。」 <語釈> ○「盡其心者、知其性也」、『正義』に謂う、「盡」は「極」なりと。服部宇之吉 氏云う、「天下の人心同じく理義を好まざるは無し、此れ心に固有するところな り、心の固有するところを盡くし極むれば、人の性もと善なるを知る。」○「存」、 安井息軒氏云う、「存」は「察」なり。○「俟之」、「之」の解釈も諸説あるが、 安井息軒氏云う、「之」の字は殀壽を指す、之を俟つは、天、己を壽せば則ち壽 し、己を殀せば則ち殀す、復た心を二者の間に勞せず、唯だ身を修めて以て其 の至るを待つのみと。通釈はこれに従う。○「立命」、朱注:立命は、其の天の 賦する所を全くし、人為を以て之を害せざるを謂う。天命を守ること。 <解説> 心、性、天とは、何であるか。分かっているようでよく分からない概念である。 儒教の中心的な概念の一つであると言えるだろう。『中庸』の冒頭に、「天の命、 之を性と謂い、性に率がう、之を道と謂い、道を修むる、之を教と謂う。」とあ り、この「天命」について、鄭玄は、「天命は天の命じて人に生ずる所の者なり。 是れを性命と謂う。」と述べている。更に理解を深める為に私のホームページ http://gongsunlong.web.fc2.com/ )から『中庸』を参照してほしい。

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巻第十三盡心章句上

百七十七節 孟子は言った。 「誰もが心の中に持っている理義を極めつくせば、人の本性が本来善であるこ

とが分かる。本性が善であることを知れば、それを与えてくれた天をも知るこ

とになる。己の心を常に省みて察し、善なる本性を養うことが天に仕える道で

ある。短命か長命かなどと気に掛ける事無く、ひたすら身を修めることに務め

て天寿を待つ、それが立命乃ち天命を守る道なのである。」

孟子曰、盡其心者、知其性也。知其性、則知天矣。存其心、養其性、所以事天

也。殀壽不貳、修身以俟之、所以立命也。

孟子曰く、「其の心を盡くせば、其の性を知るなり。其の性を知れば、則ち天を

知る。其の心を存し、其の性を養うは、天に事うる所以なり。殀壽貳せず、身

を修めて以て之を俟つは、命を立つる所以なり。」

<語釈>

○「盡其心者、知其性也」、『正義』に謂う、「盡」は「極」なりと。服部宇之吉

氏云う、「天下の人心同じく理義を好まざるは無し、此れ心に固有するところな

り、心の固有するところを盡くし極むれば、人の性もと善なるを知る。」○「存」、

安井息軒氏云う、「存」は「察」なり。○「俟之」、「之」の解釈も諸説あるが、

安井息軒氏云う、「之」の字は殀壽を指す、之を俟つは、天、己を壽せば則ち壽

し、己を殀せば則ち殀す、復た心を二者の間に勞せず、唯だ身を修めて以て其

の至るを待つのみと。通釈はこれに従う。○「立命」、朱注:立命は、其の天の

賦する所を全くし、人為を以て之を害せざるを謂う。天命を守ること。

<解説>

心、性、天とは、何であるか。分かっているようでよく分からない概念である。

儒教の中心的な概念の一つであると言えるだろう。『中庸』の冒頭に、「天の命、

之を性と謂い、性に率がう、之を道と謂い、道を修むる、之を教と謂う。」とあ

り、この「天命」について、鄭玄は、「天命は天の命じて人に生ずる所の者なり。

是れを性命と謂う。」と述べている。更に理解を深める為に私のホームページ

(http://gongsunlong.web.fc2.com/)から『中庸』を参照してほしい。

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百七十八節

孟子は言った。

「凡そ人の寿命は皆天から与えられたものであるから、それを正しく受け入れ

て従うことが大事である。だからそれを知っている者は、岩石が崩れ落ちそう

な所や壊れそうな垣根の側には近寄らない。天から与えられた善の道を尽くし

て死ぬのは、正命であるが、罪を犯して刑罰で死ぬのは正命ではないのである。」

孟子曰:「莫非命也,順受其正。是故知命者,不立乎巖牆之下。盡其道而死者,

正命也。桎梏死者,非正命也。」

孟子曰く、「命に非ざる莫きなり。其の正を順受す。是の故に命を知る者は、巖

牆の下に立たず。其の道を盡くして死する者は、正命なり。桎梏して死する者

は、正命に非ざるなり。」

<語釈>

○「命」、この節の命の解釈も諸説ある、趙注云う、「命に三名有り、善を行い

善を得るを、受命と曰う、善を行い惡を得るを、遭命と曰う、惡を行い惡を得

るを、随命と曰う。」朱子は、「人物の生、吉凶禍福は皆天の命ずる所なり。」と

述べ、前節の解説で紹介した鄭玄は、「天命は天の命じて人に生ずる所の者な

り。」としている。私は下文との関係から、天から与えられた寿命の意味に解釈

する。○「巖牆」、安井息軒氏云う、危巌壊牆を謂うと。危ない岩石や壊れそう

な垣根のこと。

<解説>

前節との関係が深い節であり、併せて読めば、短い文章でありながら色々と考

えさせられる。

百七十九節

孟子は言った。

「求めれば得られるが、放置しておけば失われる。このようなものは求めるこ

とが、それを得るのに有用である。それは己の内に在る天から与えられた仁義

礼智を求めるからである。それを求めるには手段方法があるが、得られるかど

うかは天命によるのであって、必ず得られるとは限らないようなものは、無理

に求めても、それを手に入れるには役立たない。それは己の外に在る富貴栄達

などを求めるからである。」

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孟子曰、求則得之、舍則失之。是求有益於得也。求在我者也。求之有道。得之

有命。是求無益於得也。求在外者也。

孟子曰く、「求むれば則ち之を得、舍つれば則ち之を失う。是れ求めて得るに益

有るなり。我に在る者を求むればなり。之を求むるに道有り。之を得るに命有

り。是れ求めて得るに益無きなり。外に在る者を求むればなり。」

<語釈>

○「在我者」、朱注:在我者は、仁義礼智を謂う。既述の天爵である。○「在外

者」、朱注:在外者は、富貴利達を謂う。既述の人爵位である。

<解説>

趙岐の章指に云う、「仁を為すは己に由り、富貴は天に在り。故に孔子曰く、『如

し求む可からずんば、吾の好む所に從わん。』」

百八十節

孟子は言った。

「物事全ての道理は皆わが身に備わっている。だから我が身に立ち戻って、自

分の言動を照らし合わせて、それが道理に適っていれば、これより大きな楽し

みはない。大いに務めて思いやりの心で行動することは、仁を求めるのにこれ

より近い道はない。」

孟子曰、萬物皆備於我矣。反身而誠、樂莫大焉。強恕而行、求仁莫近焉。

孟子曰く、「萬物皆我に備わる。身に反して誠なれば、樂しみ焉より大なるは莫

し。強恕して行う、仁を求むること焉より近きは莫し。」

<語釈>

○「萬物」、朱注:此れ理の本然を謂うなり、大は則ち君臣父子、小は則ち事物

の細微、其の当然の理なり。物事の道理を謂う。○「反」、趙注:反は、自ら其

の身の施行する所を思う。わが身の言動を省みること。○「強恕」、務めて思い

やること。

<解説>

「萬物皆我に備わる」とは、前節の「在我者」とほぼ同じ内容であろう。朱注

に云う、「大は則ち君臣父子、小は則ち事物の細微」は前節の朱注の「仁義礼智」

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である。仁への道は趙岐の章指に「毎に必ず誠を以て己に恕して行う、樂しみ

は其の中に在り、仁の至りなり。」とあり、『説文』に恕は仁なりとあり、又論

語に、「夫子の道は忠恕のみ」とある。誠に恕の心こそが仁への道である。

百八十一節

孟子は言った。

「物事を実行しても、その道理が分かっていない。繰り返し行ってもはっきり

と理解することが出来ない。一生そのような状態で、物事の道理を理解できな

いままに終わる者は多くいる。」

孟子曰、行之而不著焉。習矣而不察焉。終身由之而不知其道者、衆也。

孟子曰く、「之を行いて而も著らかならず。習いて而も察らかならず。終身之に

由りて、其の道をしらざる者は、衆きなり。」

<語釈>

○「著」、朱注:著は、知ること之れ明なり。“あきらか”と訓ず。○「察」、朱

注:識ること之れ精なり。“つまびらか”と訓ず。○「終身由之而不知其道者」、

この句の解釈も諸説ある。この句を前の二句を受けた句と理解する説と、前の

二句と並べて三項とする説がある。前者は朱注で、後者は趙注である。朱注を

採用する。

<解説>

人は一生道を理解することが出来ずに終わる者が多い。それでは道とはそれほ

ど深淵なものであろうか。そうではない。『中庸』の冒頭に、「性に率がう、之

を道と謂う」とあるように、日常の行いが道なのである。服部宇之吉氏が、「妻

子を愛する如き習性が仁の一端なれば、之を万事に推及ぼさば、道に達し得べ

きものなることを察知する能わざるなり、故に知らず識らず仁を行いながら其

の道を知らざるもの多し。」と述べているが、これがこの節の趣旨である。

百八十二節

孟子は言った。

「人は恥じる心がなければならない。羞恥心がないことをこそ恥じだと思える

ようになれば、人から恥辱を受けることは無くなるものだ。」

孟子曰、人不可以無恥。無恥之恥、無恥矣。

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孟子曰く、「人は以て恥づること無かる可からず。恥づること無きを之れ恥づれ

ば、恥無し。」

<語釈>

○「恥」、趙注:人能く己の恥づる所無きを羞づれば、是れ行いを改め、善に從

うの人と為り、終身復た恥辱の累有る無きなり。この注によれば、全部で四つ

ある「恥」の字の内、最初の三つは「羞恥」の意であり、最後の「恥」は恥辱

の意である。他説もあるが、趙注に從う。

<解説>

次節で一緒に解説する。

百八十三節

孟子は言った。

「人にとって、羞恥心はとても大事なものだ。機を見て態度や口先を変えるの

が巧みな者は、恥を感じる心がない。他人に及ばないことを恥ずかしいと思わ

ないようでは、どうして人並みであることができようか。」

孟子曰、恥之於人、大矣。為機變之巧者、無所用恥焉。不恥不若人、何若人有。

孟子曰く、「恥の人に於けるや、大なり。機變の巧を為す者は、恥を用うる所無

し。人に若かざることを羞ぢずんば、何ぞ人に若くことか有らん。」

<語釈>

○「機變之巧」、機を見て態度や口先を変えるのが巧みであること。

<解説>

前節と合わせて、恥じ入る心の大切さが述べられている。儒家にとって「恥」

は大きな命題であり、孔子も多く言及している。今の我々からしても、羞恥心

の大切さはよく分かる。現代人は何事においても羞恥心が希薄になってきてい

るように思われる。

百八十四節

孟子は言った。

「昔の優れた王は善を好み、自分の貴い身分や権勢を気にかけなかった。そう

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して賢者を敬したので、賢者も地位に関係なく同様な態度であったはずであり、

善の道を楽しんで、貴尊権勢に捉われなかった。だから王公といえども敬い禮

を尽くさなければ、簡単には会うことができなかった。会うことすらにわかに

できないのに、臣下にするなど簡単にできないことは、言うまでもないことだ。」

孟子曰、古之賢王好善而忘勢。古之賢士何獨不然。樂其道而忘人之勢。故王公

不致敬盡禮、則不得亟見之。見且猶不得亟、而況得而臣之乎。

孟子曰く、「古の賢王は善を好みて勢いを忘る。古の賢士、何ぞ獨り然らざらん。

其の道を樂しみて、人の勢いを忘る。故に王公も敬を致し禮を盡くさずんば、

則ち亟々之を見るを得ず。見ることすら且つ猶ほ亟々するを得ず、而るを況ん

や得て之を臣とするをや。」

<語釈>

○「忘勢」、服部宇之吉氏云う、「忘勢は己の貴尊権勢を忘れて賢者を敬するを

いう。」

<解説>

趙岐の章指に云う、「王公、賢を尊び、貴きを以て賤しきに下るの義なり、道を

樂しみ勢いを忘る、富貴を以て心を動かさざるの分なり、各々尚ぶ所を崇めば、

則ち義は虧かず。」

百八十五節

孟子が宋句踐に向かって言った。

「あなたは遊説が好きなようだが、あなたに遊説について語ろう。人が認めて

も認めなくても、自得無欲の態度でおるのがよろしかろう。」

「どうすれば自得無欲でおられましょうか。」

「徳を尊び義を樂しめば、自得無欲になれます。だから士というものは、困窮

しても義を失わず、出世しても道を離れない。困窮しても義を失わないから、

士は自分の本性を保って揺るがない。出世しても正道を守っているので、民は

其の人に対する望みを失わない。昔の賢者は、志を得て出世すればその恩沢は

民に及ぶし、志を得ず野に在れば身を修めて、高徳の人として世に知られたの

です。このように困窮のときにあっては独りわが身を修め、出世すれば併せて

天下を善に導くのです。」

孟子謂宋句踐曰、子好遊乎。吾語子遊。人知之亦囂囂。人不知亦囂囂。曰、何

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如斯可以囂囂矣。曰、尊德樂義、則可以囂囂矣。故士窮不失義、達不離道。窮

不失義、故士得己焉。達不離道、故民不失望焉。古之人、得志、澤加於民、不

得志、修身見於世。窮則獨善其身、達則兼善天下。

孟子、宋句踐に謂いて曰く、「子、遊を好むか。吾、子に遊を語らん。人、之を

知るも亦た囂囂(ゴウ・ゴウ)たり。人、知らざるも亦た囂囂たり。」曰く、「何

如なれば斯に以て囂囂たる可き。」曰く、「徳を尊び義を樂しめば、則ち以て囂

囂たる可し。故に士は窮しても義を失わず、達しても道を離れず。窮しても義

を失わず、故に士は己を得。達しても道を離れず、故に民は望みを失わず。古

の人は、志を得れば、澤、民に加わり、志を得ざれば、身を修めて世に見わる。

窮すれば則ち獨り其の身を善くし、達すれば則ち兼ねて天下を善くす。」

<語釈>

○「囂囂」、趙注:「囂囂」(ゴウ・ゴウ)は、自得無欲の貌。

<解説>

凡人にとっては、「窮しても義を失わず」とは難しいことであるが、それ以上に

難しいのは、「達しても道を離れず」であろう。人は富貴栄達を得れば、道を失

い、安逸に流れるものである。いかなる時も道を守ること。これは儒家にとっ

て最も大切な事の一つである。

百八十六節

孟子は言った。

「文王のような聖人による教化があって初めて立ち上がるのが、一般の人民で

ある。人並み優れた豪傑の士などは、文王のような聖人による教化がなくても、

自分の力で立ち上がるものである。」

孟子曰、待文王而後興者、凡民也。若夫豪傑之士、雖無文王猶興。

孟子曰く、「文王を待ちて而る後に興る者は、凡民なり。夫の豪傑の士の若きは、

文王無しと雖も猶ほ興る。」

<解説>

豪傑の士は自分の力で立ち上がる。私は、これは努力することを説いていると

思える。故に人は士たれ、ということであろう。

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百八十七節

孟子は言った。

「晉の大家であった韓や魏の富を益し与えられても、己が成すべきことには、

それほど大事なことではないので、なんだこれしきの事かと気にかけないよう

であれば、凡人よりもはるかに優れた人物だといえる。」

孟子曰、附之以韓魏之家、如其自視欿然、則過人遠矣。

孟子曰く、「之に附すに韓・魏の家を以てするも、如し其の自ら視ること欿然(カ

ン・ゼン)たらば、則ち人に過ぐること遠し。」

<語釈>

○「附」、趙注:「附」は、益なり。○「欿然」、朱注:「欿然」は、自ら満たず

の意。尹氏曰く、人に過ぐるの識有るは、則ち富貴を以て事と為さざるを言う。

<解説>

富に目がくらまず、我が道を行くことが出来れば、幸せ之より大なるは莫し、

である。しかし現実問題それは難しい。富は捨てがたいものである。

百八十八節

孟子は言った。

「民を安楽にしてやりたいと思う心で民を使えば、その勞役がつらくとも、民

は怨みに思わない。民の生存を守るために、悪人を殺したとしても、民は主君

は怨まない。」

孟子曰、以佚道使民、雖勞不怨。以生道殺民、雖死不怨殺者。

孟子曰く、「佚道を以て民を使えば、勞すと雖も怨みず。生道を以て民を殺せば、

死すと雖も殺す者を怨みず。」

<解説>

語釈も兼ねて解説する。この句の解釈も諸説あるが、服部宇之吉氏云う、「民を

して安楽の利を得しめんが為に民を使うは、以佚道使民なり、民を生かさんと

欲して悪人を殺すは、以生道殺民なり。」この解説が簡単で分かりやすいので、

これに従った。

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百八十九節

孟子は言った。

「覇者の政治は、人民への恩沢を意識して行うので、人民は誰のおかげかたや

すく知ることが出来、それを喜び楽しんでいる。だが王者の元で暮らしている

人民は大らかに満足している。だから人民を殺すことがあっても、それは人民

のためであることが分かっているので、誰も怨みに思わないし、逆に利益を与

えても、それを王者の功績だと思って感謝することはない。人民は日ごとに善

へ移っていくが、それが誰のおかげかは知らない。聖人が通り過ぎる所では、

そこに住む者は皆徳に感化され、留まり住めば、その徳化は知らず知らずのう

ちに神々しくなり、上の者も下の者も、その営みは天地の営みと同じく自然な

ものである。覇者が少しばかりの恩恵を与えるのとは大きな違いである。」

孟子曰、霸者之民、驩虞如也。王者之民、皞皞如也。殺之而不怨、利之而不庸。

民日遷善而不知為之者。夫君子所過者化、所存者神。上下與天地同流。豈曰小

補之哉。

孟子曰く、「霸者の民は、驩虞如たり。王者の民は、皞皞如たり。之を殺すも怨

みず、之を利するも庸とせず。民、日に善に遷りて、而も之を為す者を知らず。

夫れ君子の過ぐる所の者は化し、存する所の者は神なり。上下、天地と流を同

じうす。豈に之を小補すと曰んや。」

<語釈>

○「驩虞如」、朱注:「驩虞」は、歡娯と同じ。喜び楽しむこと。趙注:覇者は

善を行い、民を恤む、恩沢は暴見して知り易し、故に民は驩虞して之を樂しむ

なり。○「皞皞如」、朱注:「皞皞」は、廣大自得の貌。○「庸」。趙注:「庸」

は、功なり。○「所存者神」、趙注:此の國に存在すれば、其の化すること神の

如し。他説もあるが趙注に從う。○「小補」、小さい補足、ここでは覇者の恩恵

は小さな補足に過ぎないことを言う。

<解説>

覇者と王者との比較をしており、興味深い所である。覇者は人為的、王者は、「之

を為す者を知らず」と述べているように自然である。これこそが儒家にとって

最も求めるものである。だがその反面、これをつきつめれば老子の無為の思想

に近づく。儒家と道家との近似点が面白い。

百九十節

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孟子は言った。

「心やさしく思いやりの言葉を民にかけるのは結構なことであるが、あれは仁

者だと民から称えられ評判になる方が、民の心により深くしみ込む者だ。法度・

禁令がよく整った善政は結構なことであるが、道徳や仁義を以て民をを教化し

て、民の心を善に導く善教の方がよい。善政は民の恐れる所であるが、善教は

民が愛するものだ。善政は民の収入を増やして国も豊かになるが、善教は民の

心を得ることによって、國も平和に治まるのだ。」

孟子曰、仁言、不如仁聲之入人深也。善政、不如善教之得民也。善政民畏之、

善教民愛之。善政得民財、善教得民心。

孟子曰く、「仁言は、仁聲の人に入るの深きに如かざるなり。善政は、善教の民

を得るに如かざるなり。善政は民之を畏れ、善教は民之を愛す。善政は民の財

を得、善教は民の心を得。」

<語釈>

○「仁言」、朱注:程子曰く、「仁言は仁厚の言を以て民に加うるを謂う。」。○

「仁聲」、朱注:程子曰く、「仁聲は仁聞を謂う、仁の實有りて、衆の稱道する

所を為す者を謂うなり。」仁の実績があって、民からその行いを称えられる者。

○「善政」、朱注:「政」は、法度禁令を謂う、其の外を制する所以なり。○「善

教」、朱注:「教」は、道徳齊禮を謂う、其の心を格す所以なり。○「得民財」、

朱注:得民財は、百姓足りて、君足らざる無し。

<解説>

国にとって民はいかに大事であるかをこの節では述べられている。徳による民

の教化が王道の根本であることを説いている。身分制度にとらわれながらも、

民を最も大切なものと考える孟氏の思想は、この時代としては非常に優れたも

のであると言わねばなるまい。

百九十一節

孟子は言った。

「人間が学びもしないのに自然とできるのは、良能が備わっているからで、熟

慮しなくても自然と分かるのは、良知が備わっているからである。二、三歳の

幼児でも自分の親を愛することを知らない者はいない。成長すると自分の兄を

敬うことを知らない者はいない。これが良能・良知であって、親を親愛するの

が仁であり、年長者を敬うのが義である。仁義とは、ほかでもない、この様な

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自然と備わっている良能・良知を天下に遍く推し及ぼすことなのである。」

孟子曰、人之所不學而能者、其良能也。所不慮而知者、其良知也。孩提之童、

無不知愛其親者。及其長也、無不知敬其兄也。親親仁也。敬長義也。無他、達

之天下也。

孟子曰く、「人の學ばずして能くする所の者は、其の良能なり。慮らずして知る

所の者は、其の良知なり。孩提(ガイ・テイ)の童も、其の親を愛するを知ら

ざる者無し。其の長ずるに及びてや、其の兄を敬するを知らざる無し。親を親

しむは仁なり。長を敬するは義なり。他無し、之を天下に達するなり。」

<語釈>

○「孩提」、二、三歳の幼児。

<解説>

これも孟子の性善説を説いたものであろう。仁義である良能・良知は自然と備

わっている、つまり生まれつきの本性である。趙岐の章指にも云う、「本性の良

能、仁義是れなり、之を天下に達して、己を怨みず。」

百九十二節

孟子は言った。

「昔、舜が深山に暮らしていたころは、木や石に囲まれ、鹿や豕と遊びまわっ

ていた。その生活は深山の野人とほとんど変わるところがなかった。ところが

善言を一言でも聞き、善行を一目でも見れば、揚子江や黄河の水が堤を切って

流れ出すような勢いで、善言・善行を取り入れようと突き進んだ。それは誰も

阻止することが出来なかった。これこそが舜の聖人たる所以である。」

孟子曰、舜之居深山之中、與木石居、與鹿豕遊。其所以異於深山之野人者幾希。

及其聞一善言、見一善行、若決江河沛然、莫之能禦也。

孟子曰く、「舜の深山の中に居るや、木石と居り、鹿豕と遊ぶ。其の深山の野人

に異なる所以の者は幾ど希なり。其の一善言を聞き、一善行を見るに及びては、

江河を決して沛然たるが若く、之を能く禦むる莫きなり。」

<語釈>

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○「沛然」、勢い盛んな貌。

<解説>

これも孟子の聖人論の一つであろう。砂漠における一滴の水の如く、善を求め

る。それが聖人というものである。

百九十三節

孟子は言った。

「己が為そうと思わないことは人にもさせない。己が欲しないことは人にも欲

さないようにさせる。そうすれば人道は足りるのであって、大切なのはそれだ

けである。」

孟子曰、無為其所不為、無欲其所不欲。如此而已矣。

孟子曰く、「其の為さざる所を為すこと無く、其の欲せざる所を欲すること無し。

此の如きのみ。」

<解説>

趙注に云う、「人をして己の為すを欲せざる所を為さしめず、人をして己の欲せ

ざる所の者を欲せしめず、毎に身を以て之に況う、此の如ければ、則ち人道足

るなり。」異論も有るようだが、趙注に従って解釈した。自分が嫌な事は人にも

させるな、ということである。

百九十四節

孟子は言った。

「德行・知慧・道術・才智の長所を持つ人間は、つねに災いや苦しみの中に身

を置いている。主君から遠ざけられた臣下や妾腹の子に限っては、自ずから苦

しみや禍に身を置いているので、常に身の危険性を懼れ、その事を深く考慮し

て努力する。だから自然と仁義の道に通ずるようになるのである。」

孟子曰、人之有德慧術知者、恒存乎疢疾。獨孤臣孽子、其操心也危、其慮患也

深。故達。

孟子曰く、「人の德慧術知有る者は、恒に疢疾に(チン・シツ)存す。獨り孤臣

孽子のみ、其の、心を操るや危うく、其の、患いを慮るや深し。故に達す。」

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<語釈>

○「德慧術知」、趙注は、德行・知慧・道術・才智の四者とし、朱注は、德慧は

徳の慧、術知は術の知の二者とする。趙注に從う。○「疢疾」、朱注:疢疾は、

猶ほ災患なり。○「其操心也危~」趙注:自ら孤微にして危殆の患いを懼れて、

深く之を慮り、勉めて仁義を為す、故に達するに至るなり。

<解説>

人は苦しみや禍に身を置いた方がより心が鍛えられ、努力することが出来、そ

れがやがて大成にに繋がるものである。この節は孤臣や孽子のみにとどまらず、

誰もが苦しみや禍から逃げるのでなく、それに立ち向かって努力することの必

要性を暗に示しているのであろう。

百九十五節

孟子は言った。

「人物には四段階ある。先ず第一は、君に仕えるだけの人物がいる。こういう

人物は君に仕えているだけで満足している。第二は、国家を安んずる臣という

者がある。こういう人物は国家を安らかにするということで満足している。第

三は、天理を知りそれを尽くそうとする天民という者がある。こういう人物は

然るべき地位について、道を天下に行うことが出来ると分かれば行い、出来な

いと分かれば隠れて世に出ない者である。第四は、盛徳を備えた大人という者

がある。こういう人物は己を正しくするだけで、自然と周りの者を感化して正

しくしていく。」

孟子曰、有事君人者。事是君、則為容悅者也。有安社稷臣者。以安社稷為悅者

也。有天民者。達可行於天下、而後行之者也。有大人者。正己、而物正者也。

孟子曰:「君に事うる人なる者有り。是の君に事うれば、則ち容悅を為す者なり。

社稷を安んずる臣なる者有り。社稷を安んずるを以て悅を為す者なり。天民な

る者有り。達して天下に行う可くして、而る後に之を行う者なり。大人なる者

有り。己を正しくして、而して物正しき者なり。」

<語釈>

○「容悅」、解釈は色々あるようだが、服部宇之吉氏が、「容悅は喜悦の容をな

して君心を求むること。」と述べているのが分かりやすい。○「天民」、趙注:

天民は、道を知る者なり。○「大人」、朱注:大人は、徳盛んにして、上下之に

化す。

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<解説>

人物差を四段階に分けて説明している。趙岐は、これについて容悅は凡臣、社

稷は股肱、天民は道を行う、大人は身を正す、と述べている。簡潔であるが分

かりやすい。

百九十六節

孟子は言った。

「君子には三つの楽しみがある。しかし天下に王となることは、その楽しみに

は含まれない。三つのうち、父母がともに健在で、兄弟にも悩ませるようなこ

とは何もない、というのが第一の楽しみである。己の行いを正しくして、仰い

では天に羞じることなく、邪な心がないので、伏しては人に羞じることがない、

というのが第二の楽しみである。天下の英才を見つけ出して、これを教え育て

る、というのが第三の楽しみである。このように君子には三つの楽しみがある

が、天下に王となることは含まれていないのである。」

孟子曰、君子有三樂。而王天下、不與存焉。父母俱存、兄弟無故、一樂也。仰

不愧於天、俯不怍於人、二樂也。得天下英才、而教育之、三樂也。君子有三樂。

而王天下、不與存焉。

孟子曰く、「君子に三樂有り。而して天下に王たるは、與り存せず。父母俱に存

し、兄弟故無きは、一の樂しみなり。仰いで天に愧ぢず、俯して人に怍ぢざる

は、二の樂しみなり。天下の英才を得て、之を教育するは、三の樂しみなり。

君子に三樂有り。而して天下に王たるは、與り存せず。」

<語釈>

○「無故」、趙注:「無故」は、他故無し。他に煩わされることがないこと。○

「怍」、趙注:「不怍人」は、心正しく邪無きなり。怍は、“はじる”と訓ず。

<解説>

ここで言う「君子」とは、前節で言う天民、乃ち道を知る者を指すと考えてよ

い。第一の楽しみは、仁を行う楽しみであり、第二の楽しみは、義を行う楽し

みである。故に道を知る君子たる者は、仁義を行い、その事を人に教え育てる

ことに喜びを覚えるのである。

百九十七節

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孟子は言った。

「広い土地に多くの人民を有している大国は、君子も欲する所であるが、そこ

に楽しみを見出すことはない。天下の中央に立って、四海の民を安定させるこ

とは、君子も楽しむ所であるが、それは人としての本性とは言えない。君子が

本性とする所は、然るべき地位について大いなる行いを為したからと言って、

増加するようなもので無く、困窮したからと言って、減損するようなものでは

ない。それは性というものが天から与えられた本性で、自然に備わっており、

その分量は定まっているからである。その君子が本性とするのは、仁義禮智の

四徳であって、それは人間の心に根ざしており、外に出ては顔色にも表れる。

だから四徳に満ちた顔色は清らかで艶やかで、その貌は背中から体中に及ぶの

で、言葉に出して言わなくても、その体を見ただけで人は分かるのである。」

孟子曰、廣土衆民、君子欲之、所樂不存焉。中天下而立、定四海之民、君子樂

之、所性不存焉。君子所性、雖大行不加焉、雖窮居不損焉。分定故也。君子所

性、仁義禮智根於心、其生色也。睟然見於面、盎於背、施於四體、四體不言而

喻。

孟子曰く、「廣土衆民は、君子之を欲するも、樂しむ所は存せず。天下に中して

立ち、四海の民を定むるは、君子之を樂しむも、性とする所は存せず。君子の

性とする所は、大いに行わると雖も加わらず、窮居すと雖も損せず。分定まる

が故なり。君子の性とする所は、仁義禮智、心に根ざし、其の色に生ず。睟然

として面に見われ、背に盎れ、四體に施き、四體言わずして喻る。」

<語釈>

○「廣土衆民」、趙注:「廣土衆民」は、大国諸侯なり。○「睟然」、朱注:「睟

然」は、清和潤澤の貌。清らかで、つややかな貌。

<解説>

前節では、「天下に王となることは、その楽しみには含まれない」と述べながら、

この節では、「君子之を樂しむ」と述べている。それほど深く考える必要はない

のだろう。君子にとっては、王と為ることも楽しみではあるが、それほど大事

な楽しみではないのであって、真の楽しみは、天から賦与された本性である仁

義禮智を実践することなのである。

百九十八節

孟子は言った。

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「伯夷は紂を避けて、北海のほとりに隠れ住んでいたが、周の文王が立ち上が

ったと聞いて、『文王のもとへ参じよう。聞けば、彼は老人を大切にするとのこ

とだ。』と言った。又太公は紂を避けて、東海のほとりに隠れ住んでいたが、周

の文王が立ち上がったと聞いて、『文王のもとへ参じよう。聞けば、彼は老人を

大切にするとのことだ。』と言った。このように天下に老人を大切にする者が現

れると、世の仁人たちは、この人こそ身を寄せるに足る人物だとして、馳せ参

じようとする。一軒当たり五畝の宅地の垣根に桑を植えて、一人の婦人が蚕を

育て糸を紡げば、老人は絹の衣を着ることが出来る。五羽の雌鶏と二匹の雌豚

を飼い、繁殖の時期を見失わないようにすれば、老人は肉を食べることが出来

る。百畝の田を一人の男が耕せば、八人家族ぐらいなら飢えることも無い。い

わゆる、西伯が老人をよく養ったというのは、このような民の田地や宅地を正

しく定め、桑の栽培や畜産を教え、妻子を導いて老人を養わせたことを言うの

である。人は五十歳ぐらいになれば絹物を着なければ暖まらないし、七十歳ぐ

らいになれば肉を食べないと満足しなくなる。暖まらず腹が満足しないことを、

凍え飢えると謂うのだ。文王の民には、凍え飢える老人がいなかったとは、こ

のことを言うのである。」

孟子曰、伯夷辟紂、居北海之濱。聞文王作興、曰、盍歸乎來。吾聞西伯善養老

者。太公辟紂、居東海之濱。聞文王作興、曰、盍歸乎來。吾聞西伯善養老者。

天下有善養老、則仁人以為己歸矣。五畝之宅、樹牆下以桑、匹婦蠶之、則老者

足以衣帛矣。五母雞、二母彘、無失其時、老者足以無失肉矣。百畝之田、匹夫

耕之、八口之家足以無飢矣。所謂西伯善養老者、制其田里教之樹畜、導其妻子、

使養其老。五十非帛不煖、七十非肉不飽。不煖不飽、謂之凍餒。文王之民、無

凍餒之老者、此之謂也。

孟子曰く、「伯夷は紂を辟けて、北海の濱に居る。文王作興すと聞き、曰く、『盍

ぞ歸せざるや。吾聞く西伯は善く老を養う者なりと。』太公は紂を辟けて、東海

の濱に居る。文王作興すと聞き、曰く、『盍ぞ歸せざるや。吾聞く西伯は善く老

を養う者なりと。』天下善く老を養う有らば、則ち仁人以て己が歸と為す。五畝

の宅、牆下に樹うるに桑を以てし、匹婦之に蠶せば、則ち老者以て帛を衣るに

足る。五母雞、二母彘、其の時を失うこと無ければ、老者以て肉を失うこと無

きに足る。百畝の田、匹夫之を耕せば、八口の家以て飢うること無きに足る。

所謂西伯善く老を養うとは、其の田里を制して之に樹畜を教え、其の妻子を導

きて、其の老を養わしむればなり。五十は帛に非ざれば煖かならず、七十は肉

に非ざれば飽かず。煖かならず飽かず、之を凍餒(ダイ)と謂う。文王の民に

は、凍餒の老無しとは、此の謂なり。」

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<語釈>

○「盍歸乎來」、「盍」は、「何不」と同じ。「來」は助辞。○「五母雞、二母彘、

無失其時」、「彘」は豚、五羽の鶏と五匹の豚、「無失其時」とは、繁殖の時期を

失わないこと。

<解説>

「伯夷辟紂~、太公辟紂~。」の文章は、七十四節の文章と同じであり、その趣

旨も同じであり、王者にとって最も大切なものは仁であるという孟子の持論が

語られている。その仁の中でも、親を愛することと、老人を大切にすることと

は、特に重要な事で、王たる者、これを正しく行えば、天下の民は自ずからや

ってくる者だと述べている。

百九十九節

孟子は言った。

「田畑をよく耕させ、租税を軽くすれば、民は富ませることが出来る。食事は

節度倹約を守り、身分不相応の礼義に外れた贅沢をさせないようにすれば、国

の富は使い切れないほどになる。民は水や火が無ければ生活は出来ない。暮れ

時に門をたたいて水や火を求める者がいれば、与えない人はいない。それは水

や火は十分に有るからだ。聖人が天下を治めるには、豆や穀物などの食材を、

水や火のように十分に足らしむるのである。豆や穀物などの食材が水や火のよ

うに十分に有れば、民も礼儀を守るようになり、不仁な者などはいなくなる。」

孟子曰、易其田疇、薄其稅斂、民可使富也。食之以時、用之以禮、財不可勝用

也。民非水火不生活。昏暮叩人之門戶、求水火、無弗與者、至足矣。聖人治天

下、使有菽粟如水火。菽粟如水火、而民焉有不仁者乎。

孟子曰く、「其の田疇を易めしめ、其の稅斂を薄くせば、民富ましむ可きなり。

之を食うに時を以てし、之を用うるに禮を以てせば、財用うるに勝う可からざ

るなり。民は水火に非ざれば生活せず。昏暮に人の門戶を叩きて、水火を求む

るに、與えざる者無きは、至って足ればなり。聖人の天下を治むるや、菽粟有

ること水火の如くならしむ。菽粟、水火の如くにして、民焉くんぞ不仁なる者

有らんや。」

<語釈>

○「易」、趙注:「易」は「治」なり。○「食之以時」、朱注:民に節倹を教うれ

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ば、則ち財用足るなり。他説有るが、朱注に從う。○「菽粟」、「菽」は豆、「粟」

はアワだが、ここでは穀物を指す。

<解説>

趙岐の章指に云う、「民に教うるの道、富みて用を節し、蓄積して餘有れば、焉

ぞ不仁有らんや。故に曰く、倉廩實ちて禮節を知る、と。」衣食足りて礼節を知

る、ということであり、孟子の説く王道はここに有る。

二百節

孟子は言った。

「孔子は東山に登って下を見渡し、魯の国を小さいなと思い、太山に登って四

方を見渡して、天下を小さいなと思った。だから海を見た者には、揚子江や黄

河の大きさを言われても、大水とは思えないし、聖人の門に遊んだ者には、古

の道を誦えても、至言とは思えないのである。さて水の大小を見るには方法が

ある。水の立てる波を観察することだ。日月の光の明らかな事は、どんな隙間

も照らすということで分かる。およそ流れゆく水というものは、くぼ地が有れ

ばそれを充たさなければ先には流れないものだが、それと同じで君子が道に志

した場合にも、学問を一つづつ積み上げていかなければ、目的を達成すること

はできないのである。」

孟子曰く、孔子登東山而小魯、登太山而小天下。故觀於海者難為水、遊於聖人

之門者難為言。觀水有術、必觀其瀾。日月有明、容光必照焉。流水之為物也、

不盈科不行。君子之志於道也、不成章不達。

孟子曰く、「孔子、東山に登りて魯を小とし、太山に登りて天下を小とす。故に

海に觀る者は、水を為し難く、聖人の門に遊ぶ者は、言を為し難し。水を觀る

に術有り、必ず其の瀾(ラン)を觀る。日月明有り、容光必ず照らす。流水の

物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」

<語釈>

○「難為水・難為言」、諸説有り、安井息軒氏云う、「難為水は、之を為せば、

江河を説くも、以て大水と為さず。難為言は、之を為せば、古道を誦すも、以

て至言と為さざるなり。」これを採用する。海を見た者には、揚子江や黄河の大

きさを言われても、大水とは思えないし、聖人の門に遊んだ者には、古の道を

誦えても、至言とは思えない、という意味である。○「瀾」、趙注:「瀾」は、

水中の大波なり。水の立てる波の大小で、水の大小もわかるという意味に理解

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する。○「容光」、趙注:「容光」は、小卻なり、大明、幽微を照らすを言う。

○「科」、趙注:「科」は、坎(あな)なり。○「不成章不達」、朱注:「成章」

は、積む所の者厚くして、文章外に見わるるなり。学問を一つづつ積み上げて

いかなければ、目的を達成することはできないということ。

<解説>

聖人の道は大きくて遠いものであるが、其の本にたどり着くには、一歩一歩進

んでいかなければならないことを述べている。何事も積み重ねが大事なのであ

る。

二百一節

孟子は言った。

「鷄が鳴くと起き、勤勉に善をなす者は聖人舜の類である。鷄が鳴くと起き、

せっせと怠らず利益の為に行動する者は盗人の盗蹠の類である。舜と盗蹠との

違いを知ろうと思えば、ほかでもない、目的が利害であるか善であるかを知れ

ばよいのである。」

孟子曰、雞鳴而起、孳孳為善者、舜之徒也。雞鳴而起、孳孳為利者、蹠之徒也。

欲知舜與蹠之分、無他。利與善之閒也。

孟子曰く、「雞鳴きて起き、孳孳(シ・シ)とし善を為す者は、舜の徒なり。雞

鳴きて起き、孳孳とし利を為す者は、蹠の徒なり。舜と蹠との分を知らんと欲

せば、他無し。利と善との閒なり。」

<語釈>

○「孳孳」、朱注:「孳孳」は、勤勉の意。○「閒」、隙間の意、隔てているもの

の違いを言う。

<解説>

君子は常に善をなさんとし、小人は常に利を考える。利を排斥し、善の道に務

めることを言う。しかし利は大きな魅力であって、それを排斥するのは難しい。

君子の道は為し難しである。

二百二節

孟子は言った。

「楊子は、人は皆己の為だけにするという説を唱え、毛の一本も抜けば天下の

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為になるとしても、それをしない。墨子は人を平等に愛し、身をすり減らして

もそれが天下の為になることならすると言う。魯の賢人である子莫はこの二人

の中間を唱える。それは聖人の中庸の道に近いものと言えるが、中庸を守るこ

とに心を奪われて、臨機応変の判断に欠けていたら、楊子や墨子が一面に偏っ

ているのと同じである。一面に偏るのを惡むのは、それが聖人への道を損ない、

一事だけにとらわれて、百の善道を捨ててしまうからである。」

孟子曰、楊子取為我。拔一毛而利天下、不為也。墨子兼愛。摩頂放踵利天下為

之。子莫執中。執中為近之、執中無權、猶執一也。所惡執一者、為其賊道也。

舉一而廢百也。

孟子曰く、「楊子は我が為にするを取る。一毛を抜きて天下を利するも、為さざ

るなり。墨子は兼愛す。頂を摩し踵に放るも、天下を利するは之を為す。子莫

は中を執る。中を執るは之に近しと為すも、中を執りて權すること無ければ、

猶ほ一を執るなり。一を執るに惡む所の者は、其の、道を賊うが為なり。一を

舉げて百を廢すればなり。」

<語釈>

○「子莫」、趙注:子莫は魯の賢人なり。○「中」、「中」は、中庸の道。○「無

權」、「權」は、はかり、秤にかけること。判断する意。

<解説>

この節は、儒家の根本ともいえる中庸の道について述べられており、子莫はそ

れに最も近い説を唱えているが、一面にとらわれ過ぎていると言う。『中庸』第

二節に、「子曰く、『中庸は其れ至らんか、民、能く久しくすること鮮し。』子曰

く、『道の行われざるや、我、之を知れり。知者は之に過ぎ、愚者は及ばざるな

り。道の明らかならざるや、我、之を知れり。賢者は之に過ぎ、不肖者は及ば

ざるなり』」とあり、朱注に、程子曰く、「中の字、最も識り難し、須からく是

れ黙識心通すべし。」とある。中庸の道は難しいものではないが、それを常の道

として無意識に実践することは非常に困難なことであるのだ。

二百三節

孟子は言った。

「飢えている人は、何を食べても旨いと思い、喉の乾いている人は、何を飲ん

でも旨いと思う。しかしこれは、それが本当においしい食べ物か、飲み物かを

正しく理解しているとは言えない。何故なら飢えや乾きが本来の味覚を阻害し

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ているのだから。そしてそれは単に口や腹に害を及ぶだけでなく、心にも害が

及ぶのである。もし困窮により飢えや乾きに悩まされていても、心まで害され

ることがないような人ならば、富貴な人に及ばなくても、少しも気にしないだ

ろう。」

孟子曰、飢者甘食、渴者甘飲。是未得飲食之正也。飢渴害之也。豈惟口腹有飢

渴之害。人心亦皆有害。人能無以飢渴之害為心害、則不及人不為憂矣。

孟子曰く、「飢たる者は食を甘しとし、渴したる者は飲を甘しとす。是れ未だ飲

食の正しきを得ざるなり。飢渴、之を害すればなり。豈に惟だ口腹のみ飢渴の

害有らんや。人心も亦た皆害有り。人能く飢渴の害を以て心の害と為すこと無

くんば、則ち人に及ばざるも憂いと為さず。」

<語釈>と<解説>

趙注に云う、「人能く正しきを守り、邪利の害する所を為されば、富貴の事、人

に及逮せざると雖も、猶ほ君子為り。」と。これは君子にしていえる事であって、

凡人には飢えや乾きの中で正しきを守ることは困難である。故に孟子は常に民

の衣食の安定を説いているのである。

二百四節

孟子は言った。

「魯の賢者柳下惠は、三公のような貴い位であっても、それに就こうが去ろう

が、自分の志や操を変えることはなかった。」

孟子曰く、柳下惠不以三公易其介。

孟子曰く、「柳下惠は三公を以て其の介を易えず。」

<語釈>

○「三公」、周代では、太師・太傅・太保を言う。○「介」、正義:音義に云う、

陸云う、介は特立の行いを謂う。文選の注は劉熙の注を引きて云う、介は操な

り、と。「特立」は、ひとり志操を堅持する意、

<解説>

地位を得ても逆境に在っても、己の志操を堅持することを説いた説である。

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二百五節

孟子は言った。

「仁義の道を全うしようととする者は、たとえば井戸を掘るようなものだ。九

軔の深さまで井戸を掘っても、地下水に届かないと言って途中でやめてしまえ

ば、自分から井戸を棄てたのと同じである。途中でやめてはいけない。」

孟子曰、有為者、辟若掘井。掘井九軔、而不及泉、猶為棄井也。

孟子曰く、「為す有る者は、辟えば井を掘るが若し。井を掘ること九軔にして、

泉に及ばざれば、猶ほ井を棄つると為すなり。」

<語釈>

○「有為者」、趙注:「有為」は、仁義を為すなり。○「軔」、趙注:軔(ジン)

は、八尺なり。七尺の説もある。

<解説>

趙岐の章指に云う、「仁を為すは己に由り、必ず之を極むるに在り、九軔にして

輟めば、成功に益する無し。」何かを為そうとすれば、やり抜くことが大事であ

るが、これが難しい。

二百六節

孟子は言った。

「堯や舜は、本性である仁義を自然のままに行った人である。湯王や武王は、

仁義を修養して身につけた人である。春秋の五覇は、仁義を借りて諸侯を正し

た人である。しかし借り物であっても、長いこと返さなければ、やがては誰に

も借り物だということが分からなくなってしまうものだ。」

孟子曰、堯舜、性之也。湯武、身之也。五霸、假之也。久假而不歸、惡知其非

有也。

孟子曰く、「堯舜は、之を性にするなり。湯武は、之を身にするなり。五霸は、

之を假るなり。久しく假りて歸さずんば、惡くんぞ其の、有に非ざるを知らん

や。」

<語釈>

○「性之」、趙注:「性之」は、性、仁を好むこと自然なり。○「身之」、趙注:

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「身之」は、之を體にし、仁を行う、之を視ること身の若し。○「假之」、趙注:

「假之」は、仁を假りて、以て諸侯を正す。

<解説>

聖人や聖王は、仁義の道を自然に或いは身に體して行うことが出来るが、庶人

はそれを借り物として学び苦しんで身につけることが大事である。そうすれば

やがてそれは借り物でなく、己の身に附いたものと為る。趙岐の章指に云う、「仁

は性體に在り、其の次は假借して用いて已まず。實に何を以てか易えん、其の

之に勉むるに在り。」

二百七節

弟子の公孫丑が尋ねた。

「殷の賢臣伊尹は、『道理に従わない者には慣れ親しむことはできない。』と言

って、君主の太甲を桐に追放したところ、民は大いに喜んだ。後太甲が反省し

て賢明になったので、呼び戻し復た君主にしたので、民は大いに喜んだという

ことですが、賢者が君に仕えて臣となったとき、その君が賢明でなければ、追

放してもよいのでしょうか。」

孟子は言った。

「伊尹のような志があればよろしい。だが伊尹ほどの志が無く、そのようなこ

とをすれば位を奪ったということになる。」

公孫丑曰、伊尹曰、予不狎于不順。放太甲于桐、民大悅。太甲賢。又反之、民

大悅。賢者之為人臣也、其君不賢、則固可放與。孟子曰、有伊尹之志、則可。

無伊尹之志、則篡也。

公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに

悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、

賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可

なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」

<語釈>

○「不順」、朱注:不順は、太甲の為す所、義理に順わずを言うなり。

<解説>

ここでは君主の廃立という極めて重要な問題に触れられている。「賢者の人臣為

るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」という問いに対し、孟

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子の返答もかなり微妙であり、是非の判断は難しい。趙岐も云う、「凡そ人の志

異なれば、則ち簒心を生ず。」

二百八節

弟子の公孫丑は尋ねた。

「詩経の伐檀篇に、『功無くして禄を食まず』とありますが、君子といわれる人

は耕しもせずに食を得ているのはなぜですか。」

孟子は言った。

「君子がその国に居り、その国の君主が彼を用いれば、国は安らかに富み、身

は尊く栄え、国の若者たちがその君子に学べば、家では孝弟、国には忠信とい

われるようになる。功無くして禄を食まずということでは、これより大きなも

のはあるだろうか。」

公孫丑曰、詩曰、不素餐兮。君子之不耕而食、何也。孟子曰、君子居是國也、

其君用之、則安富尊榮、其子弟從之、則孝弟忠信。不素餐兮、孰大於是。

公孫丑曰く、「詩に曰く、『素餐せず。』君子の耕やさずして食らうは、何ぞや。」

孟子曰く、「君子、是の國に居るや、其の君、之を用うれば、則ち安富尊榮に、

其の子弟之に從えば、則ち孝弟忠信なり。素餐せざること、孰れか是れより大

ならん。」

<語釈>

○「詩」、『詩経』魏風伐檀篇。○「素餐」、朱注:「素」は空なり、功無くして

禄を食む、之を素餐と謂う。

<解説>

当時孟子は諸侯の間に養われていた。そこで公孫丑は暗に孟子を指して尋ねた

のであろう。

二百九節

齊の王子墊が尋ねた。

「士たる者が最も大事にしなければならないものは何ですか。」

孟子は言った。

「志を高尚にすることです。」

「志を高尚にするというのは、どういうことですか。」

「仁義を志すだけです。一人でも罪無き者を殺すのは、仁ではありません。自

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分の所有物でないものを他人から取り上げるのは、義ではありません。身を置

くべきところはどこかと言えば、それは仁です。歩むべき路はどれかと言えば、

それは義です。仁に身を置き義に進めば、それで大人物たる資格は十分に備わ

ります。

王子墊問曰、士何事。孟子曰、尚志。曰、何謂尚志。曰、仁義而已矣。殺一無

罪、非仁也。非其有而取之、非義也。居惡在、仁是也。路惡在、義是也。居仁

由義、大人之事備矣。

王子墊(テン)問いて曰く、「士は何をか事とする。」孟子曰く、「志を尚くす。」

曰く、「何をか志を尚くすと謂う。」曰く、「仁義のみ。一無罪を殺すは、仁に非

ざるなり。其の有に非ずして之を取るは、義に非ざるなり。居惡くにか在る、

仁是れなり。路惡くにか在る、義是れなり。仁に居り義に由れば、大人の事備

わる。」

<語釈>

○「王子墊」、趙注:齊の王子、名は墊(テン)なり。○「尚」、朱注:「尚」は、

高尚なり。

<解説>

孟子の説く王道の根本は、仁義を行うことであり、それは君主だけでなく、士

たる者全てが努めなければならないものであるとする。更に「一無罪を殺すは、

仁に非ざるなり」とあるが、「不辜を殺さず、有罪を失わず」という趣旨の語句

が、この時代、諸書に見える。と言うことは、無実の者が殺され、罪有る者が

免れることが多かったのではないかと思う。春秋戦国時代の暴政の現われの一

つであろう。

二百十節

孟子は言った。

「清廉潔白で知られた陳仲子は、不義なものであれば、それが喩え齊の国を与

えると言われても、受け取らないだろう。だから人々はみな信頼している。し

かし彼の清廉潔白は、小さな竹籠に入ったほんの少しの飯や一杯の汁物さえ、

義に適わなければ受け取らないという、小事に対する行いであって、齊国のよ

うな大きなものならその義も棄てるだろう。人間にとって、親戚・君臣・上下

などの人間関係を無視するよりも大きな不義はない。小さな清廉潔白があるか

らと言って、人の道の大節まで立派だと信用しても良いものか。」

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孟子曰、仲子、不義與之齊國、而弗受。人皆信之。是舍簞食豆羹之義也。人莫

大焉亡親戚君臣上下。以其小者信其大者、奚可哉。

孟子曰く、「仲子は、不義にして之に齊國を與うるも、受けず。人皆之を信ず。

是れ簞食・豆羹を舎つるの義なり。人は親戚・君臣・上下を亡するより大なる

は莫し。其の小なる者を以て其の大なる者を信ぜば、奚くんぞ可ならんや。」

<語釈>

○「仲子」、陳仲子、六十一節に既出。その人物像はそこに記されている。○「簞

食・豆羹」、「簞」は小さな竹籠、「豆」はお供え用の高坏、「豆羹」は一杯の汁

物。○「以其小者~」、朱注:豈に小廉を以て其の大節を信じて、遂に以て賢者

と為す可けんや。

<解説>

一応通釈のように訳しているが、齊国を受けない義と、簞食豆羹を受け取らな

い義との比較がよく分からない。趙注に、「孟子以為らく、仲子の義は、上章の

道とする所の簞食豆羹の禮無くんば、則ち受けざるも、萬鐘なれば則ち禮義を

辧ぜずして之を受く、と。」あり、仲子の義について、孟子は小さなものは受け

ないだろうが、大きなものは受けるだろうとしている。ここの解釈については

諸説があるが、一応趙岐の説を採用しておく。

二百十一節

弟子の桃應が尋ねた。

「舜が天子となり、皋陶が司法の役人となったとき、舜の父の瞽瞍が人を殺し

たとしたら、どのような処置をとればよいのでしょうか。」

孟子は言った。

「皋陶は瞽瞍を捕らえるまでのことだ。」

「では舜はそれを差し止めないのですか。」

「そのような局面で、舜はどうして差し止めることができようか。そもそも法

律というものは、古来より受け継がれてきたものであり、天子の命でもそれを

変えることはできない。」

「それならば舜はどのようにしたらよいのでしょうか。」

「舜は天下を棄てることを、敗れた草履を棄てるのと同じように考えている。

だから天下を棄てて、竊かに父を背負って逃れ、海辺に沿うて住む所を見つけ、

生涯父に仕えることに喜び楽しんで、天下の事など忘れてしまうことだろう。」

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桃應問曰、舜為天子、皋陶為士、瞽瞍殺人、則如之何。孟子曰、執之而已矣。

然則舜不禁與。曰、夫舜惡得而禁之。夫有所受之也。然則舜如之何。曰、舜視

棄天下、猶棄敝蹝也。竊負而逃、遵海濱而處、終身訢然、樂而忘天下。

桃應問いて曰く、「舜、天子と為り、皋陶、士と為り、瞽瞍、人を殺さば、則ち

之を如何せん。」孟子曰く、「之を執らえんのみ。」「然らば則ち舜は禁ぜざるか。」

曰く、「夫れ舜は惡くんぞ得て之を禁ぜん。夫れ之を受くる所有るなり。」「然ら

ば則ち舜は之を如何せん。」曰く、「舜は天下を棄つるを視ること、猶は敝蹝(ヘ

イ・シ)を棄つるがごときなり。竊かに負うて逃がれ、海濱に遵いて處り、終

身訢(キン)然として、樂しみて天下を忘れん。」

<語釈>

○「禁之、夫有所受之也」、朱注:禁之云々は、皋陶の法は、傳受する所有り、

敢て私する所に非ず。天子の命と雖も、亦た得て之を廢せざるなり。○「敝蹝」、

朱注:「蹝」(シ)は、草履なり。「敝」は、やぶれていること。○「訢然」、喜

び楽しむ貌。

<解説>

この節の内容も我々には理解し難いものである。舜と言えば天子の中の天子で

あり、諸子百家誰もが持ち上げる天子である。そのような天子が、父が人を殺

したら、天子の位を棄てて、罪人である父と俱に逃げて隠れ住む道を歩むだろ

うと述べている。又何の書か記憶にないが、父が罪を犯し、それを子供が役所

に知らせたら、不孝者であると子供が罰せられたという話がある。このように

親に対しては正義はない。このような考え方は清朝の時代まで存在した。これ

は「義」の問題でも同じで、義理は正義に優先するのである。

二百十二節

孟子が范の町から齊の都へ行ったとき、齊の王子を遠くから見かけたとき、嘆

息して言った。

「位というものは、その人の気構えを変化させ、位に応じた奉養は、その人の

立ち居振る舞いを変化させる。大したものだな位というものは。人の子と言う

ことでは誰もが同じではないか。それなのに王子だけは違う。」

更に孟子は言った。

「王子の宮殿・車馬・衣服などは、だいたい他の人々と同じである。それなの

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に、あのように王子に威厳。風格があるのは、その位による気構えがそうさせ

ているのだ。ましてや、仁義という天下第一の広居に身を置いている者が、人

と異なるのは当然のことである。魯の君が宋に行かれ、垤澤の城門に着いて、

門番に門を開けるように呼び掛けたとき、門番は、『これはうちの殿様ではない

はずだが、何とその声の似ていなさることか。』と言った。これは外でもない、

居る所の位が同じだから、風格や振る舞いなどすべてが、自然と似てくるのだ。」

孟子自范之齊、望見齊王之子、喟然歎曰、居移氣、養移體。大哉居乎。夫非盡

人之子與。孟子曰、王子宮室車馬衣服多與人同。而王子若彼者、其居使之然也。

況居天下之廣居者乎。魯君之宋、呼於垤澤之門。守者曰、此非吾君也。何其聲

之似我君也。此無他、居相似也。

孟子自、范自り齊に之き、齊王の子を望見し、喟然として歎じて曰く、「居は氣

を移し、養は體を移す。大なるかな居や。夫れ盡く人の子に非ざるか。」孟子曰

く、「王子の宮室・車馬・衣服は、多く人と同じ。而るに王子の彼の若き者は、

其の居、之をして然らしむるなり。況んや天下の廣居に居る者をや。魯の君、

宋に之き、垤(テツ)澤の門に呼ぶ。守る者曰く、『此れ吾が君に非ざるなり。

何ぞ其の聲の我が君に似たるや。』此れ他無し、居、相似たればなり。」

<語釈>

○「居・養」、朱注:「居」は、處る所の位を謂う、「養」は、奉養なり。○「廣

居」、趙注:仁義を行うを謂う、仁義は身に在り、言わずして喩す。

<解説>

趙岐は「喟然歎曰」の文章と「孟子曰」の文章とを分けて二節にしており、朱

子は一節に扱っている。どちらでもよいが、一応朱子に従って、一節として扱

っておく。

人格は環境により形成されることを述べたものである。趙岐は云う、「人の性は

皆同じ、居、之をして異ならしむ、君子は仁に居り、小人は利に處る。」

二百十三節

孟子は言った。

「ただ食べさせるだけで、その者を愛さないようでは、豚を飼育しているのと

同じである。愛してはいるが、敬わないようでは、馬や犬を養っているのと同

じである。慎み敬う心は、絹布などを礼物として差し出す前からあるものだ。

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礼物を差し出して表面上恭敬の念を見せながらも、実際には慎み敬う心がない

ようでは、君子を引き止めておくことはできない。」

孟子曰、食而弗愛、豕交之也。愛而不敬、獸畜之也。恭敬者、幣之未將者也。

恭敬而無實、君子不可虚拘。

孟子曰く、「食いて愛せざるは、之を豕交するなり。愛して敬せざるは、之を獸

畜するなり。恭敬なる者は、幣の未だ將わざる者なり。恭敬にして實無ければ、

君子虚拘す可からず。」

<語釈>

○「獸」、朱注:「獸」は、犬馬の屬を謂う。○「幣之未將者~」、朱注:程子曰

く、「恭敬は威儀幣帛に因りて、而る後発見すと雖も、然れども幣の未だ将われ

ざる時、已に此の恭敬の心有り、幣帛に因りて、而る後に有るに非ざるなり。」。

他説も有るようだが、朱注に從う。○「君子不可虚拘」、趙注:恭敬は實を貴ぶ、

如し其の實無くんば、何ぞ虚にして君子の心を拘致す可けんや。表面上の見せ

かけだけでは君子を引き止めておくことはできないという意味。

<解説>

趙岐の章指に云う、「人を取るの道は、必ず恭敬を以てす、恭敬は實を貴ぶ、虚

なれば則ち應ぜず。實は愛敬を謂うなり。」

二百十四節

孟子は言った。

「耳目鼻口や手足などの形体や態度容貌は、天から与えられたものである。こ

れらはすべての人が持っているが、その性能を十分に尽くす人はいない。ただ

聖人だけがそれらの本質を理解して踏みこなすことが出来るのだ。」

孟子曰、形色、天性也。惟聖人、然後可以踐形。

孟子曰く、「形色は、天性なり。惟だ聖人にして、然る後に以て形を踐む可し。」

<語釈>

○「形色」、服部宇之吉氏云う、形色は人の形体顔色を云う。○「踐形」、朱注:

「踐」は言を踐むの踐の如し、蓋し衆人は是の形有り、而るに其の理を盡すこ

と能わず、故に以て其の形を踐むこと無し、惟だ聖人のみ是の形有りて、又能

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く其の理を盡くし、然る後以て其の形を踐みて歉(ケン、あきたりない)なる

こと無し。

<解説>

短文の故に、解釈に諸説があるが、語釈で述べた朱注の内容に従って通釈した。

二百十五節

齊の宣王は、三年の喪に服すのは長すぎるので、短くしようとした。そこで公

孫丑を通じて孟子に尋ねさせた。公孫丑は孟子に言った。

「三年の喪を短くして一年にしても、喪に服さないよりはましでしょうか。」

孟子は言った。

「それは、兄の臂をねじ曲げている男がいて、その男に向かってもう少しゆっ

くりねじ上げる方がよい、と言うようなものだ。そのような事を言うのはもっ

てのほかで、その男には孝悌の道を教えるべきなのだ。」

齊王の側室であった母に死なれた王子がいた。規則では喪に服すことはできな

いが、そのお守り役が王子の為に、正夫人との関係等の諸事情があって、三年

の喪に服すことが出来ないので、せめて数か月でもよいので喪に服すことを願

い出た。それを聞いた公孫丑は孟子に尋ねた。

「このような場合は、いかがでしょうか。」

「この場合は、三年の喪を全うしようとしても、たとえ一日でも服喪の期間が

増えれば、やらないよしはましなのだ。先の宣王の場合は、何の差支えも無い

のにそれをきちんとしない者の場合を言ったのだ。」

齊宣王欲短喪。公孫丑曰、為朞之喪、猶愈於已乎。孟子曰、是猶或紾其兄之臂、

子謂之姑徐徐云爾。亦教之孝弟而已矣。王子有其母死者。其傅為之請數月之喪。

公孫丑曰、若此者、何如也。曰、是欲終之而不可得也。雖加一日愈於已。謂夫

莫之禁而弗為者也。

齊宣王、喪を短くせんと欲す。公孫丑曰く、「朞の喪を為すは、猶ほ已むに愈れ

るか。」孟子曰く、「是れ猶ほ其の兄の臂を紾(ねじる)るもの或らんに、子、

之に謂いて、姑く徐徐にせよと爾云うがごとし。亦た之に孝弟を教えんのみ。」

王子に其の母死する者有り。其の傅、之が為に數月の喪を請う。公孫丑曰く、「此

の若き者は、何如ぞや。」曰く、「是れ之を終えんと欲するも、得可からざるな

り。一日を加うと雖も、已むに愈れり。夫の之を禁ずる莫くして、為さざる者

を謂うなり。」

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<語釈>

○「公孫丑曰」、趙注:公孫丑に因りて自ら其の意を以てして孟子に問わしむ。

公孫丑を通じて孟子に尋ねさせた。○「其傅為之請數月之喪」、趙注:王の庶夫

人死す、適夫人に迫られ、其の親を喪するの數を行うを得ず。正夫人の圧迫が

あって、三年の喪が行えなかったので、数か月でも喪に服すことを願い出た。

<解説>

其の傅が數月の喪を請うた理由については、諸説があるが、語釈で述べた趙注

の意により解釈した。

二百十六節

孟子は言った。

「君子が人に教える方法は五つある。時に適った雨が、草木や穀物を成長させ

るように、その人を自然と教化する方法、本人の長所を伸ばして、徳を完成さ

せる方法と才能を十分に発揮させる方法、問いに対して答える方法、直接教え

て悟らせるのではなく、間接的に自ら修養して悟らせるようにする方法である。

この五つが、君子の教える方法である。」

孟子曰、君子之所以教者五。有如時雨化之者。有成德者。有達財者。有答問者。

有私淑艾者。此五者、君子之所以教也。

孟子曰く、「君子の教うる所以の者は五あり。時雨の之を化するが如き者有り。

德を成さしむる者有り。財を達せしむる者有り。問に答うる者有り。私に淑く

艾せしむる者有り。此の五者は、君子の教うる所以なり。」

<語釈>

○「有如時雨化之者」、安井息軒氏云う、「時雨の物を化するは、大なる者は大

成し、小なる者は小成す、其の力を用うる所を見わさず、而して物各々其の性

を遂ぐ。」○「私淑艾」、趙注:「私」は、獨り、「淑」は善、「艾」は、治なり。

<解説>

特に述べることはない。

二百十七節

弟子の公孫丑が言った。

「道というものは、高尚で美しいものです。まさしく天に登るようなもので、

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我々にはとうてい達することが出来ないように思われます。道を願えば手が届

くほどに近づけて、日々努力する気を引き起こさせるようにはできないのでし

ょうか。」

孟子は言った。

「すぐれた大工は、拙い職人の為だからといってに縄墨の方法を改廃するよう

なことはしないし、弓の名人である羿はへたくそな者の為に弓の絞り具合を変

えるようなことはしない。それと同じで君子たる者は、名人が弓を引いてまだ

発していないのに、その勢いが目の前に現れるかのように、中庸の道を以て、

人々を導くのであって、出来る者だけがついていくのだ。」

公孫丑曰、道則高矣、美矣。宜若登天然。似不可及也。何不使彼為可幾及而日

孳孳也。孟子曰、大匠不為拙工改廢繩墨、羿不為拙射變其彀率。君子引而不發、

躍如也。中道而立。能者從之。

公孫丑曰く、「道は則ち高なり、美なり。宜しく天に登るが若く然るべし。及ぶ

可からざるに似たり。何ぞ彼をして幾及す可くして、日に孳孳(シ・シ)為ら

しめざるや。」孟子曰く、「大匠は拙工の為に繩墨を改廢せず、羿は拙射の為に

其の彀率を變ぜず。君子は引いて發せず、躍如たり。中道にして立つ。能者、

之に從う。」

<語釈>

○「幾及」、「幾」は、こいねがう、及ぶことを冀うこと。○「孳孳」、シ・シ、

つとめはげむ意。○「中道而立」、中道は中庸の道。

<解説>

孟子の教育論の一つである。教えられる者に自発的な意志と努力がなければ教

えないことを根本にしている。同じような内容が『史記』孔子世家にもあるの

で、それを紹介しておく。子貢曰く、「夫子の道は至大なり、故に天下能く夫子

を容るるもの莫し。夫子、蓋(なんぞ)ぞ少しく貶せざる。」孔子曰く、「賜や、

良農は能く稼す(種を播きつける)、而れども穡(収穫)を為すこと能わず。良

工は能く巧みなり、而れども順を為す(人の意に従う)こと能わず。君子は能

く其の道を脩め、綱して(大綱をたてる)、之を紀とし、統べて之を理とす、而

れども容れらるるを為すこと能わず。今、爾は爾の道を脩めずして、而も容れ

らるるを為すを求む。賜、而の志は遠からず(遠大ではない)。」

二百十八節

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孟子は言った。

「天下に道が行われている時は、わが身に道を従えて、世に出て大いに活躍す

るが、天下に道が行われていない時は、道にわが身を従えて、道を守って世に

隱れるのがよい。身と道とは常に即しているものであって、自分が守っている

正しい道を屈して、俗人に從うなどとは聞いたことがない。」

孟子曰、天下有道、以道殉身、天下無道、以身殉道。未聞以道殉乎人者也。

孟子曰く、「天下、道有れば、道を以て身に殉え、天下、道無ければ、身を以て

道に殉う。未だ道を以て人に殉う者を聞かざるなり。」

<語釈>

○「以道殉身~未聞以道殉乎人者也」、趙注:「殉」は從うなり。天下、道有れ

ば、王政を行うを得、道、身に從いて功賞を施すなり、天下、道無ければ、道、

行うを得ず、身を以て道に從い、道を守りて隱る。正道を以て俗人に從う者を

聞かざるなり。

<解説>

君子たる者は、正道が行われている世の中ならば、世に現れて栄達するのもよ

いが、乱れた世ならば、己の道を守って隠れ住むのがよいとする。このことは

各所で説かれている。人にとって大事なことは栄達で無く、如何に道を守るか

と言うことである。

二百十九節

公都子が言った。

「滕君の弟である滕更が、先生の門下に学んでおられますが、この方は君主の

弟君であり、それなりに礼遇されるべき立場だと思うのですが、まともにご返

事なさらないのは、なぜですか。」

孟子は言った。

「身分を鼻にかけて問う、賢いことを鼻にかけて問う、年長を鼻にかけて問う、

功勞があるのを鼻にかけて問う、縁故をかさに着て問う。このような問いに対

して、私は全て答えない。滕更はこのうち二つもあるのだ。」

公都子曰、滕更之在門也、若在所禮。而不答、何也。孟子曰、挾貴而問、挾賢

而問、挾長而問、挾有勳勞而問、挾故而問、皆所不答也。滕更有二焉。

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公都子曰く、「滕更の門に在るや、禮する所に在るが若し。而も答えざるは、何

ぞや。」孟子曰く、「貴を挟みて問い、賢を挟みて問い、長を挟みて問い、勳勞

有るを挟みて問い、故を挟みて問うは、皆答えざる所なり。滕更二つ有り。」

<語釈>

○「滕更」、趙注:滕更は、滕君の弟、來たりて孟子に學ぶ者なり。

<解説>

趙岐の章指に云う、「學は、己を虚にすることを尚び、師は、誨うるに平を貴ぶ、

是を以て滕更は二に恃む、孟子應えず。滕更の二について、趙岐は貴と賢だと

している。

二百二十節

孟子は言った。

「止めてはいけない時に止める者は、何事も最後までやり遂げることは出来な

い。厚くすべきことを薄くする者は、何でも薄くする。進み方の鋭い者は、退

き方も速いのである。」

孟子曰、於不可已而已者、無所不已。於所厚者薄、無所不薄也。其進銳者、其

退速。

孟子曰く、「已む可からずに於いて已むる者は、已めざる所無し。厚くする所の

者に於いて薄くするものは、薄くせざる所無し。其の進むこと銳き者は、其の

退くこと速やかなり。」

<語釈>

○「已」、趙注は棄てるに解し、朱注は止むに解す。朱注を採用する。

<解説>

短文であるが故に、その内容はあいまいである。朱子によれば、不及の弊害と、

過ぎたるの弊害を述べている。前の二句が不及の弊害であり、最後の句が過ぎ

たるの弊害である。安井息軒氏云う、「此の章、趙は人君の人を用うるを以て言

う、朱は自ら脩むるを以て言う、義は皆通ず可し。」

二百二十一節

孟子は言った。

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「君子は草木禽獣などの物には、大切にしかわいがるが、人間に対するような

愛情の念は懐かない。民に対しては、愛情の念は懐くが、親族に対するような

親しみは懐かない。親族を親しんで民を愛し、民を愛して物を大切にする。こ

れが仁の正しい順序である。」

孟子曰、君子之於物也、愛之而弗仁。於民也、仁之而弗親。親親而仁民、仁民

而愛物。

孟子曰く、「君子の物に於けるや、之を愛すれども仁せず。民に於けるや、之を

仁すれども親しまず。親を親しみて民を仁し、民を仁して物を愛す。」

<解説>

ここでは愛と仁とについて述べられている。仁について程子は、「仁は己を推し

て人に及ぼす、吾が老を老し、以て人の老に及ぼすが如し、民に於いては則ち

可なり、物に於いては則ち不可なり、統べて之を言えば、則ち皆仁なり、分か

ちて之を言えば、則ち序有り。」と述べており、仁は忠恕の心であり、仁の徳は

全てを統括するものであるが、それを区別すれば等差があるということである。

尚ほ「愛」について、私は愛しむの意に解し、大切にする心と理解した。

二百二十二節

孟子は言った。

「知者は何でも知っているが、本来すべきことを真っ先にする。仁者は何でも

愛するが、先ず賢者を親愛することを急務とする。堯や舜のような知者でも、

それが全てに及んでいないのは、先ずやるべき務めを急ぐからである。堯や舜

のような仁者でも、それが全ての人に及んでいないのは、賢者を親愛すること

を急務とするからである。最も大切な三年の喪を行いもせずに、緦小や功のよ

うな軽い喪の事を具に論議したり、大飯を食らい、汁物を流し込むように飲ん

だりの大きな非礼を行いながら、乾し肉を齒で噛み切ったりするなどの小さな

非礼を問題とする。これこそ、先ず為さねばならない本務を知らない、という

ことであり、本末転倒も甚だしい。」

孟子曰、知者無不知也。當務之為急。仁者無不愛也。急親賢之為務。堯舜之知

而不遍物、急先務也。堯舜之仁不遍愛人、急親賢也。不能三年之喪、而緦小功

之察、放飯流歠、而問無齒決、是之謂不知務。

孟子曰く、「知者は知らざること無きなり。當に務むべきを之れ急と為す。仁者

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は愛せざること無きなり。賢を親しむを急にするを之れ務と為す。堯舜の知に

して物に遍からざるは、先務を急にすればなり。堯舜の仁にして人を愛するに

遍らざるは、賢を親しむを急にすればなり。三年の喪を能くせずして、緦(シ)・

小功を之れ察し、放飯・流歠(セツ)して、齒決すること無きを問う、是を之

れ務めを知らずと謂う。」

<語釈>

○「緦小功」、「緦」(シ)は、緦麻のこと、細い麻糸で織った喪服で、五段階の

喪服の中では最も軽く、喪の期間は三月、「小功」は、細やかに織った麻の喪服、

下から二番目、喪の期間は五ヶ月。○「放飯流歠」、「放飯」は、放に大食する

こと。「歠」(セツ)は、すすりのむ意、「流歠」で、汁物を流し込むように飲む

こと。放飯・流歠共に禮無きの態度。○「齒決」、朱注:齒決は、乾し肉を齧斷

し、不敬の小なる者なり。

<解説>

何事も本を知り、それを行うことを優先させること。細かな事に取らわれてそ

れを忘れてはいけないと教えている。『大学』の第一節に、「物に本末有り、事

に終始有り。先後する所を知れば、則ち道に近し。」とあり、同じ趣旨であろう。

喪服の種類は、重いものから、斬衰・斉衰・大功・小功・緦麻の五段階であり、

喪服の仕立ては、上に行くほど粗末になる。喪の期間は、斬衰は三年、斉衰は

三年、又は一年、大功は九ヶ月、又は七か月、小功は五ヶ月、緦麻は三か月と

いうことになっている。