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研究No.9510 わが国近代独立住宅の変遷過程における米国住宅の影響 について 一わが国に輸入された米国住宅の動向を中心に一 主査 内田 青蔵 委員 篠野 志郎 Study No,9510 ON THE lNFL∪ENCE OF T1・lE AMERlCAN Tl-lE MODERN1ZlNG PROCESS OFτ1-l トlO∪SlNG STYLE -Main1y on a Trend of the Impo血ed American Japan- Ch. Seiz6Uchida mem. Shir6Sasano [研究報告要旨] 本研究は,わが国の近代独立住宅の変遷過程における 海外の住宅の影響を明らかにする研究の一環とし て,1910年代から1920年代にかけて流行したバンガロー 式住宅の動静を概観し,あわせてその流行の過程で導入 されたバンガロー式の組立住宅を取り上げ,その導入の 経緯から海外の住宅の情報がどの様に受け取られてきた のかをアメリカの資料も交えて考察することを目的とし た。その結果,以下のことが明らかになった。 1.バンガロー式住宅の動向に関しては,ユ920年代に わが国で流行したバンガロー式住宅とはアメリカの西海 岸で流行していた東洋趣味の建築様式を意味していたと 考えられ,わが国への導入の主な理由は,在来住宅との 強い類似性があること,新しい生活としての家族本位を 具現化した居問中心の平面形式であること,であった。 このことは,当時海外の住宅を導入する際の判断基準の 1つに,伝統的住宅との類似性という視点があったこと を示すことを意味すると考えられる。 2.組立住宅に関しては,最初に導入された住宅が 1909年のもので,その後は1920年から1◎23年にかけて 集中して導入された。この組立住宅は,様式はバンガロー 式で,住宅建設の材料が一揃いとな’った住宅を意味し, 輸出元のユつがアメリカのシアトル市であった。この組 立住宅の輸入にあたっては,当初は生活の簡易化の追求 の中で経費や時間の節約ができるとして注目されたが, 実際に導入されると経費問題等から輸入を疑問視する声 が強くなり,組立住宅の導入よりその建設のシステムを 学ぶべきだという意見へと収束していったと考えられる。 3.輸入された組立住宅の遺構として1920年竣工の内 藤邸が確認された。これは輸出も行っていたシアトル市 のアメリカン・ポータブル・ハウスカンパニーの製品で, 外壁だけをパネルとしたもので,技術的には特殊なパネ ルエ法の住宅と推察される。 [SYNOPSIS] In this reserch,the out1ine concemed with the bungalow sty1e which were popu1町from the 1920s is demonstrated for c1㎡fying the foreig the deve1oping process ofthe modem houses in the same time by paying an attention on the a in a bunga1ow style impoれed to Japan in the s from its process of popu1㎞zation and the hist in the U.S.A.,it is discussed how Japξm appre foreign infomati㎝on housing.As a result, thing became c1ear. 1.It was thought that the houses in a bung which were popu1町in the 1920s were origi Orienta1style having been famiIiar in the wes USA,and that the reason of the popu1a二riza would have been attributed to 曲e simi1ar traditional Japanese housing and,fu血her 1iving room was placed at the center of th planning for rea1izing the community offamil 1ife.This fact provides the point that the forei have been impoれed into Japan under the consid simi1arity with the traditiona1Japanese houses 2.The assembly houses were brought into J first time,in1909,md then between1920 houses were most enthusiastica11y impo血ed house,as a bunga1ow sty1e,is composed of materia1s necessary for bui1ding one house.On company was p1aced in Se舳1e.However,in a pro impo血,in contrast with the consideration that possib1e to make an expense cheaper and save pursuit of simplifying the life style,in rea1ity reverse by means of the required expense Therefore,the genera1opinion became conv point that it shou1d be considered to1eam system rather than to c2m7out the housing impo 3.F舳hemore,theNaitolshousehasbeend remain of the assembly house impo“ed in American Poれable House comp㎝y in Seattle,of iscategoh・ed・sapo血・bleho・s・,i・that・tly・,・i… outside wa11is emp1oyed as a panel amon components of housing,it is presumed to b panelized housing sty1e which must have been style丘om the technica1point of view1

Study No,9510 - 一般財団法人住総研 究No.9510 住宅総合研究財団 研究年報No.231996 わが国近代独立住宅の変遷過程における米国住宅の影響について

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研究No.9510

わが国近代独立住宅の変遷過程における米国住宅の影響

について

一わが国に輸入された米国住宅の動向を中心に一

主査 内田 青蔵

委員 篠野 志郎

Study No,9510

ON THE lNFL∪ENCE OF T1・lE AMERlCAN HOUSES1N

Tl-lE MODERN1ZlNG PROCESS OFτ1-lE JAPANESEトlO∪SlNG STYLE-Main1y on a Trend of the Impo血ed American Houses in

Japan-

Ch.  Seiz6Uchida

mem. Shir6Sasano

[研究報告要旨]

 本研究は,わが国の近代独立住宅の変遷過程における

海外の住宅の影響を明らかにする研究の一環とし

て,1910年代から1920年代にかけて流行したバンガロー

式住宅の動静を概観し,あわせてその流行の過程で導入

されたバンガロー式の組立住宅を取り上げ,その導入の

経緯から海外の住宅の情報がどの様に受け取られてきた

のかをアメリカの資料も交えて考察することを目的とし

た。その結果,以下のことが明らかになった。

 1.バンガロー式住宅の動向に関しては,ユ920年代に

わが国で流行したバンガロー式住宅とはアメリカの西海

岸で流行していた東洋趣味の建築様式を意味していたと

考えられ,わが国への導入の主な理由は,在来住宅との

強い類似性があること,新しい生活としての家族本位を

具現化した居問中心の平面形式であること,であった。

このことは,当時海外の住宅を導入する際の判断基準の

1つに,伝統的住宅との類似性という視点があったこと

を示すことを意味すると考えられる。

 2.組立住宅に関しては,最初に導入された住宅が

1909年のもので,その後は1920年から1◎23年にかけて

集中して導入された。この組立住宅は,様式はバンガロー

式で,住宅建設の材料が一揃いとな’った住宅を意味し,

輸出元のユつがアメリカのシアトル市であった。この組

立住宅の輸入にあたっては,当初は生活の簡易化の追求

の中で経費や時間の節約ができるとして注目されたが,

実際に導入されると経費問題等から輸入を疑問視する声

が強くなり,組立住宅の導入よりその建設のシステムを

学ぶべきだという意見へと収束していったと考えられる。

 3.輸入された組立住宅の遺構として1920年竣工の内

藤邸が確認された。これは輸出も行っていたシアトル市

のアメリカン・ポータブル・ハウスカンパニーの製品で,

外壁だけをパネルとしたもので,技術的には特殊なパネ

ルエ法の住宅と推察される。

[SYNOPSIS]

  In this reserch,the out1ine concemed with the houses in a

bungalow sty1e which were popu1町from the1910s to the

1920s is demonstrated for c1㎡fying the foreign innuence in

the deve1oping process ofthe modem houses in Japan,and at

the same time by paying an attention on the assemb1y houses

in a bunga1ow style impoれed to Japan in the same period,

from its process of popu1㎞zation and the historica1materia1s

in the U.S.A.,it is discussed how Japξm appreciated the

foreign infomati㎝on housing.As a result,the fo11owing

thing became c1ear.

  1.It was thought that the houses in a bunga1ow style

which were popu1町in the 1920s were originated in the

Orienta1style having been famiIiar in the west coast of the

USA,and that the reason of the popu1a二rization to Japan

would have been attributed to 曲e simi1arity with the

traditional Japanese housing and,fu血her more,that the

1iving room was placed at the center of those houses’

planning for rea1izing the community offamily in the modem

1ife.This fact provides the point that the foreign houses must

have been impoれed into Japan under the consideration on the

simi1arity with the traditiona1Japanese houses.

 2.The assembly houses were brought into Japan,at the

first time,in1909,md then between1920and1923,those

houses were most enthusiastica11y impo血ed.This assembly

house,as a bunga1ow sty1e,is composed of the packagedmateria1s necessary for bui1ding one house.One of the expoれ

company was p1aced in Se舳1e.However,in a procces of its

impo血,in contrast with the consideration that it would be

possib1e to make an expense cheaper and save the time in

pursuit of simplifying the life style,in rea1ity,the resu1t was

reverse by means of the required expense for impo血.

Therefore,the genera1opinion became convergent to the

point that it shou1d be considered to1eam its constmction

system rather than to c2m7out the housing impo血itse1f.

 3.F舳hemore,theNaitolshousehasbeendiscoverdas aremain of the assembly house impo“ed in 1920 from

American Poれable House comp㎝y in Seattle,of which style

iscategoh・ed・sapo血・bleho・s・,i・that・tly・,・i…o・lyth・

outside wa11is emp1oyed as a panel among the other

components of housing,it is presumed to belong to the

panelized housing sty1e which must have been a specialized

style丘om the technica1point of view1

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研究No.9510 住宅総合研究財団研究年報No.231996

わが国近代独立住宅の変遷過程における米国住宅の影響について

一わが国に輸入された米国住宅の動向を中心に一

内田 青蔵

キーワード:1)住宅史,2)近代,3)アメリカ,4)シアトル,5)近代住宅,6)枠組壁工法,7)パネルエ法,

     8)輸入住宅,9)組立住宅,10)バンガロー式住宅

1.はじめに

 わが国の近代以降の住宅は,その変遷過程において

様々な海外の住宅の影響を受けてきたことは周知のこと

である。しかしながら,これまでのわが国の近代の住宅

の変遷過程を論じるにあたり,住宅がどのように変化し

てきたのかという現象の把握に力点が置かれるあまり,

変遷の過程で影響を受けてきた海外の住宅の動向に焦点

を合わせた研究は殆ど見られない注1〕。しかしながら,

近代という情報化社会の中で生み出されてきたわが国の              とら近代住宅の特徴をより多角的に捉えるためには,海外の

住宅との交流に目を向けることもまた重要な視点と考え

る。このため,本研究ではわが国戦前期の住宅の変遷過

程における海外住宅の影響を明らかにする一端とし

て,1910年代から1920年代(明治末期から大正期)にか

けて流行したバンガロー式住宅に代表されるアメリカ住

宅に注目し,その導入の過程を通してアメリカ住宅との

交流状況を検討することを目的にしている。

1.2研究の方法

 1910年代から1920年代にかけて,わが国にはアメリカ

製の組立住宅が輸入されている。今日盛んに行われてい

る輸入住宅の先駆的動向としても注目されるが,この組

立住宅の導入の影響は,当時,住宅に関する関心を人々

の間に喚起させたとして高く評価されながらも,その実

態は明らかにされてはいない注2)。筆者らは,この組立

住宅の動向こそ当時のわが国にもたらされたアメリカ住

宅の強い影響の端的な現れであり,それゆえ,この組立

住宅の動向に注目することによりアメリカ住宅との交流

状況を具体的に把握できると考えている。このため,本

研究では,1910年代から1920年代にかけて流行したバン

ガロー式住宅の動向を概観し,次にバンガロー式住宅の

流行の中で導入された組立住宅の動向を通して,当時の

わが国におけるアメリカ住宅の受け取られ方を見ていく

ことにする。また,わが国に持ち込まれた輸入組立住宅

については,遺構調査と共にアメリカ側の資料も合わせ

て収集注3)し,交流の具体的な様子を明らかにする。

2.1910年代から1920年代のバンガロー式住宅の紹介

  状況から見たアメリカ住宅の影響について

2.11910年代から1920年代のわが国住宅界の状況

 19!0年代から!920年代にかけての住宅界では,いわゆ

る新都市中問層の台頭により,彼らを中心とする中流住

宅の新しいあり方が模索されていた。上流層では,豊か

な経済力を背景に和洋館並列型住宅を生み出したが,経

済力に乏しい中流層では在来住宅批判は行いつつも,新

二楓亡㌫二1こご二;二㌫』㌫箏■

ルを海外の住宅に求めたのであった注4〕。この頃になる

と,海外の住宅建築に関する様々な情報も詳しく紹介さ

れ,とりわけ,アメリカ住宅に関する紹介が増えていく

ことになる。そして,中小規模のアメリカ住宅の建設を

具体的に伝えたのが1910年12月号の『建築雑誌』の「純

米国式木造住宅建築東京に建設せらる」であった。これ

は,アメリカで流行していたバンガロー式住宅の建設の

様子を伝えたもので,この頃からバンガロー式住宅に関

する記述が建築関係の雑誌に頻繁に登場することになる。

2.21945年以前の単行本から見たバンガロー式住宅の

  記述内容

2.2.1バンガロー式住宅の流行状況

 国会図書館所蔵の1945年以前の住宅関係単行本およそ

300冊注5)の中からバンガロー式住宅に関する記述のあ

るものを集めたものが表2-1である。これによれば,バ

ンガローに関する記述が見られるものは33冊で,1921年

から1941年までに出版された単行本であることが判る。

また,バンガロー式住宅に関する記述のある単行本の出

版年は1920年代前半に集中していることから,この頃,

バンガロー式住宅がわが国の住宅界で話題になっていた

ことが推察できる。

 さて,このバンガロー式住宅の流行状況に関して触れ

ている1922年の『バンガロー式明快な中流住宅』によれ

ば,「住宅改善の論近来特にやかましい様になった……長

い経験と研究によって日本に適し日本人の好む様式は米

国に於いて発達せるバンガロー式,又はコッテイジ式で

あるということになったようである(引用文は現代かな

一1一

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表2-1バンガローに関する記述の見られる単行本リスト

出版年 著者名 書     名

1921(大正10)年 橋口信助著 新しき住家中流佳宅叢書第1編西村伊作著 田園小住家

住宅改良会編 中流佳宅設計図集1922(大正11)年 高橋仁編 文化村住宅設計図説

大野三行著 バンガロー式呪央な中流佳宅坂本丁次著 小住宅図集槁子の家森口多里・林いと子著 文化的住宅の研究刺11喜作編 住宅改造博覧会出品住宅図集

1923(大正12)年 横山 信著 図解本位新住宅の設計1924(大正13)年 藤井 牒著 簡易洋風住宅の設計

芹澤英二著 新日本の佳家

菊池修一郎著 素人にわかる住み心地よき住宅と庭園

西村伊作著 現代入の新住家1925(大正14)年 帝国建築協会編 改良住宅及文化住宅

葛野壮一郎著 住宅を新築せんとする人の為に1926(大正15)年 榎本淳一著 佳宅建築の手引

保岡勝也著 欧米化したる日本小住家藤山一雄著 住宅芸箭

大野貞三著 近代住宅の様式

1927(昭和2)年 佐藤功一・木村幸一郎 住宅の平面計画藤田元春著 日本民家史

1929(昭和4)年 婦人之友杜編 中流和洋住宅集

遠藤於菟著 日本向きのバンガロオとコツテエジ

建築画報社編集部編 小住宅図案佐藤巳之吉著 明るい理想、の小住宅設計

1930(昭和5)年 田中 秀著 住宅の実例

1932(昭和7)年 毛利正人・平野日宗著 図解 建築と家相伊藤義次著 室内装置

1934(昭和9)年 西川友孝著 現代住宅の外装

江口義雄著 漂準住宅建築と実例19351昭和10)年 清水組編 住宅建築図集1936(昭和1i)年 黒木謹質著 住宅テキスト1941(昭和i6)年 西田竹治著 新住宅の研究

づかい,以下同じ)」と記されている。これによると,当

時の住宅改良の気運の中で,アメリカのバンガロー式住

宅が日本に適するものとして一般に認識されていたこと

が判る。そして,その流行状況に関しては,ユ926年の

『住宅建築の手引』では「バンガローは平屋の住宅とし

て,そして安価に出来る,簡易生活に適していると云う

所に於いて,非常に流行してきました」と具体的に記し

ているし,1934年の『現代住宅の外装』では「日本にも

文化住宅流行時代,バンガロー住宅の模倣が近郊地に

続々と建てられたことがあった」とし,流行の時期が文

化住宅の流行した1921年前後であったことを記している。

 ところで,この当時バンガロー式住宅と記されている

ものは,1924年の『素人にわかる住み心地よき住宅と庭

園』の「バンガローと呼ぶものはすなわち米国から渡っ

たもの」に端的に示されているように,アメリカの西海

岸で流行していた住宅様式を指していた。また,同様に

バンガロー式住宅がどのような起源の様式と捉えられて

いたのかを,1921年の『バンガロー式明快な中流住宅』

から見てみると, 「発祥地は印度……東印度にいた英国

の商人が帰国して英国の暑苦しい夏を涼しく過ごす法を

考えた時に印度の住居を思い出して建てたのが始まり

 ・ついで米国にその形が移され」と記されている。こ

のように,バンガロー式は印度を起源とした東洋趣味の

住宅様式で,印度からイギリスそしてアメリカヘと渡り,

とりわけ暑い気候に適合した住宅形式であったことから

カルフォルニアなどで簡易住宅として定着し,それが日

本へ導入されたものと解されていたことが判る。

2.2.2バンガロー式住宅の流行の背景

  次に,当時の人々がこのハンカロー式住宅を積極的

に取り人れようとした理由を記述内容から見ていくと,

主に,(lDわが国の在来住宅との類似性,②新しい生活と

しての家族本位を具現化した居間中心の平面形である,

という2点が挙げられる。例えば,在来住宅との類似性

の指摘を1924年の『現代人の新住家』から見てみると,

「我々日本人の趣味に最もよく合う,我々が西洋生活に

はいるのにはこのバンガローが一番良い……第一に安価

に出来ることが日本人向きで,平屋であって開放した,

自然生活が出来るのも日本向きです。暖国向きにヴエラ

ンダが大きく,装飾が単純であって,必要のもの以外に

金を掛けて外観を飾る世話のないのも我々の気に入りま

す」と記されている。これによれば,開放的で暖国向き

のベランダが設けられるなど,わが国の気侯風土との適

合性や在来住宅との共通性をもとに,バンガロー式住宅

は日本人の趣味に合うと記されていることが判る。ちな

みに,バンガロー式ク)特徴を整理すると,①夏向き,②

木造,③屋根勾配が緩やか,④軒の出が深い,⑤ベラン

ダがある,といった指摘が見られ,わが国の在来住宅と

の類似性を見ることができ,このような特徴が日本人の                  うかが趣味に一致すると捉えられていたことが窺える。そして,

このことは1910年代から1920年代の中流層向け住宅とし

て海外の住宅を導入する際の判断基準の1つに,伝統的

住宅との類似性という視点があったことを意味すると考

えられるのである。

 また,安価であり,装飾が単純で必要なものしか飾ら

ないという記述は,当時の住宅改良の気運を反映したも

ので,虚飾を廃し接客本位から家族本位をめざそうとい

う意図が読みとれる。この家族本位に関しては,1924年

の『簡易洋風住宅の設計』では「家族本位として居間が

中心になっています。そして,客室の如きパーラード

ローイングルームなどは殆どなく」と具体的に記されて

いる。

 1920年代前半のわが国の住宅は,それまでの接客本位

を捨て,新しい住宅として家族共用の居問を中心とした

家族本位の住宅をめざしていた。そのため, 「居問が中

心」という特徴から,バンガロー式住宅は新しい住宅の

理想像に近いものとして受け取られていたと考えられる

のである。

 以上,簡単にまとめると,1920年代前半にアメリカの

住宅様式であるバンガロー式住宅が流行したのは,わが

国の在来住宅と良く似ていた点で注目されたことに加え,

居間を中心とした軽便な形式は新しい住宅の追求の中で

目指されていた家族本位を具現化した住宅であると認識

されていたからと考えることができる。

一2一

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3.1910年代から1920年代にわが国に輸入されたアメリ

  カ住宅の勤向について

3.1輸入されたアメリカ住宅

 バンガロー式住宅を中心としたアメリカ住宅の流行の

中で,この理想的住宅と考えられはじめていたアメリカ

住宅を入手するため,いきおいアメリカ製の組立住宅を

個人輸入したり,輸入販売を事業化する企業も見られる

ことになる。このアメリカ住宅の輸入を可能にしたのは,

当時のアメリカ住宅がすでに1つの商品として売買可能

なシステムを持ち合わせていたことはもちろんのこと,

その独自の2×4という枠組壁工法などへの注目もあっ

たからである。そして,その様な理解の中で,理想的生

活や住宅を求めようとした欧米生活の経験者などの人々

が,徐々に組立住宅に着目したのは想像に難くない。

 さて,1910年代から1920年代にかけての建築関係雑誌

等には,実際に建設された輸入組立住宅の記事が掲載さ

れている。最初にこれらを基に組立住宅の様子を概観し

たい。なお,これらは,当時「組立住宅」 「レデーメー

ドハウス」「出来合住宅」などと称されているが,本稿

では「組立住宅」と総称して記すことにする。

a)住宅専門会杜「あめりか屋」の組立住宅注6)

  あめりか屋は,アメリカ帰りの橋口信助が1909年開

設した住宅の設計・施工を専門とする会社で,開設当初

は6棟のアメリカ製の組立住宅と共に下見板,シングル,

扉などの建築部材を販売していた。最初の組立住宅は,

外壁は下見板張り,屋根裏部分はスタッコ仕上げで,軒

の深い急勾配屋根に覆われた木造平屋の屋根裏部屋のあ

る住宅で,1910年末に竣工している(写真3-1)。様式は

「バンガロー.と称され,当時のあめりか屋の資料によ

れば「出来合ノ家」とあることから,この住宅は部材を

」揃いにして販売されていた組立住宅であったと考えら

れる。工法は「其木材の大さは総三寸角ニツ割及背六寸

巾一寸五分の松材板割,四分板の他何物をも使用せざり

し」とあることから,枠組壁工法と考えられる。

写■3-1 あめりか屋の組立住宅(『建築写■穎聚 住宅の

    外齪 巻1』1915年より)

写真3-2 内藤邸(「住宅界の驚異となれる組立家屋とは」     『新住宅』1920(大正9)年10月号より)

b)内藤彦一邸の場合注7)

 内藤邸は,下見板張りで寄棟屋根の木造平屋の建物で,

松屋呉服店支配人内藤彦一の別荘として神奈川県の鵠沼

海岸に建設された(写真3-2)。建設に関わる工事監理

は和田順顕が行い,1920年7月に竣工している注8〕。

 この住宅はシアトルの「アメリカン・ポータブル・ハ

ウス会杜」 (American Portab1e House Co.)の製品で,

「土台から屋根材料さては造作釘に至る迄全部取揃って

来る」とあることから一揃いの製品として販売されてい

た組立住宅であることが判る。また,その構造は「外廻       えん.二いたさねはき壁板は内外共に橡子板実矧の二重張の問に毛とフェルト

とを挿み,空隙を作って締合わしたものを,三尺問に内

外の間柱と共にボールトにて締め附けます」と記されて

いることから,パネル化された壁による一種のパネルエ

法の住宅と考えられる。この住宅は現存していることか

らその詳細については改めて触れたい。

C)佐藤少将邸の場合注9)

 陸軍少将の佐藤安之助は,アメリカのシアトルで組立

住宅を購入し,帰国後,白邸として建設した。工事監理

は木田保造が行い,1921年5月頃竣工している・この組

立住宅は,アメリカン・ポータブル・ハウス会社の製品

で,あらゆる材料が全て揃いっていると記されており,

材料一揃の組立住宅であったと考えられる。様式は「バ

ンガロウ式」で,構造の詳細は明らかではない。

d)長井長義・長井亜歴山邸の場合注10〕

 薬学博士および理学博士であった東京帝国大学教授の

長井長義は,1922年にアメリカの組立住宅を輸入し,住

宅として東京市外渋谷町青山に建設している。輸入した

組立住宅は木造2階建3棟で,それぞれ長義,長男,長

女の住まいとして建てられた。これらの製造会社は明ら

かではないが,「材料一式は勿論,電灯電鈴の材料からペ

ンキ及びそれを塗る刷子までついて来た」とあることか

ら,材料」揃いの組立住宅であったと考えられる。また,

構造は「柱一本使用してない」とあることから,枠組壁

工法と考えられる。

一3一

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e)東京土地株式会杜の場合注川

 住宅の様子は不明であるが,東京土地株式会杜では,

池袋に米国製組立住宅を1921年12月の時点で建設中であ

った。

 なお,東京土地株式会杜では,1921年頃から一揃いの

部材からなる「組立住宅」の輸入販売事業を展開してい

たようで,同杜が1920年代に発行したと考えられるパン

フレットである『米国組立家屋型録』注!2〕には,「米国製

組立家屋輸入製造建築工事請負」と記され,具体的に同

社が総代理店及び特約店となっているアメリカの住宅会

杜名が記されている。

f)その他注13〕

 1923年の震災前に東京小石川に丹波博士の白邸として

組立住宅が建設されたという。この佳宅は,長井邸と同

じ会社の製品であったと推察される。

3.2組立住宅の導入時期とその特徴

 わが国に建設されたことを確認あるいは推定できるア

メリカ製の組立住宅は,極めて少ないが,これらをもと

にいくつか整理してみたい。

 まず,導入時期である。管見では最も早いものがあめ

りか屋の住宅で,1909年である。その後,しばらく途絶

えるが,再び1920年から1923年に集中して導入されてい

る。このことから,ブーム的な様相を呈していたのは

1920年代前半といえ,バンガロー式住宅の流行時期と一

致することが判る。

 また,これらの住宅に共通するのは,内藤邸や長井邸

に具体的に記されているように必要な材料が一揃いにな

ってカタログをもとに購入できる商品化された住宅であ

ったことである。工法においても,あめりか屋のものや

長井邸のように枠組壁工法と,内藤邸のパネルエ法の2

つに大別されるものの,共にアメリカの工法を採用した

住宅であったことである。

 また,製造会杜が明らかなのは内藤邸と佐藤邸で,共

に後述するように,当時シアトル市に存在していたアメ

リカン・ポータブル・ハウス会杜の製品と考えられる。

なお,あめりか屋の組立住宅は,会社名は不明ながらも

シアトルから持ち帰ったといわれており,組立住宅の輸

出元としてはシアトルが中心地の1つであったことが判

る。住宅様式は,あめりか屋と佐藤邸は共に「バンガ

ロー」であった。このバンガロー式住宅は,カルフォル

ニアを中心に西海岸で流行していた住宅様式であったこ

とを考えれば,輸出元の1つがシアトル市であることは

極めてよく理解できることであり,加えて,バンガロー

の専門雑誌である『BUNGALOW MAGAZINE』が1912

年から1918年にかけてシアトルで出版されていることを

考えると,わが国のアメリカ住宅の重要な情報発信地の

1つがシアトルであったといえるであろう舳〕。

3.3組立住宅導入の動機

3.3.1建設された組立住宅の導入の動機について

 あめりか屋の橋口信助がどのような理由で組立住宅を

導入し,その販売を行ったのかはよく判らない。しかし

ながら,橋口は,アメリカ式住宅を諸外国の住宅の中で

最も進歩していると述べていることから注15〕,アメリカ

からの帰国後の事業として,自分の理想とした住宅の販

売を企てたことは十分推察できよう。その意味では,組

立住宅の持つシステムの利便性などに注目したというよ

りは,アメリカ住宅そのものの導入を目指す中で,直に

アメリカ住宅を持ち込めることから直裁的に組立住宅に

注目したと考えるべきであろう。

 一方,ユ920年代の組立住宅では,より具体的な導入の

理由を知ることができる。すなわち,内藤彦一は,組立

住宅を紹介された時のことを「現在の我々の生活をも少

し簡易にすることや,住むに其家無き人々の多い所謂住

宅難問題に就て,従来多少考えては居たのであるけれど

も,さて此方面からも理想的なりと云われる米国の組立

家屋のカタログをはじめてみせられた」注16〕と述べてい

る。これによれば,内藤は当時の生活改善運動で言厘われ                       ふさわていた生活の簡易化の実現と住宅不足を補うために相応

しいものとして,アメリカ製の組立住宅を紹介されてい

たことが判る。また,この工事監理を行った和田順顕も

この住宅を,住宅改良の点から優れているし,また,建

設費用などの面からも経済的であると評価している洋17)。

また,長井が組立住宅を輸入した経緯は,ハーバード大

学出身の米人建築家である娘の夫が,それまでの長井の

住まいを「不経済で非衛生的な家」と批判し,新しい住

宅をアメリカから取り寄せたからであるという注18)。同

様に,組立住宅の輸入事業を企てた東京土地株式会杜で

は,組立住宅は接客本位の在来住宅と異なり接客並びに

家族の日常生活のいずれにも適するとし,その日常生活

も労力と時間の浪費を省くことができると述べてい

る注11)。この東京土地株式会祉に端的に見られるような

組立住宅が家族本位の生活に適するという主張は,当時

の生活改善運動の影響といえ,組立住宅を理想的住宅と

位置付けていた様子が窺える。

 このように,組立住宅の導入には,生活の簡易化や合

理性の追求といった当時の生活改善運動の強い影響に加

え,建設費が安くかつ短時間で建設可能という組立住宅

特有の特徴である経済性への着目があったことが窺える。

3.3.2組立住宅の受け取られ方

 次に,組立住宅の紹介記事を通して,当時の人々が組

立住宅をどのように捉えていたのかを見ておきたい。表

3-1は19工0年代から1920年代の建築関係雑誌に掲載され

た組立住宅に関する記事をまとめたものである。これに

よれば,組立住宅に関する記事は,とりわけ1920・1921

一4一一

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表3-11910年代から1920年代の建築関係雑誌等に掲祓され    た組立住宅に関する記事リスト

No 発行年月 雑誌名 箸者 記事タ イ トル

1 910(M43)年12月 建築雑誌 武田五一 純米国式木造住宅建築東京に建設せ

らる

2 912(M45)年3月 建築工芸叢誌 中村伝治 出来合建築

3 914(T3)年10月 建築世界 大沢三之助 晩香波のレデーメードハウス

4 914(T3)年11月 建築世界 大沢三之助 同(其2)

5 920(T9)年6月 婦人之友 大熊喜邦 出来合住宅、縄立家屋

6 920(T9)年6月 主   宅 廉くて住みよい出来合の家屋

7 920(T9)年9月 新 住 宅 組立家屋来る

8 920(T9)年10月 新 住 宅 和田111鰯住宅界の鷲異となれる組立住宅とは

9 1920{T9〕年10月 主婦之友 記  者 三千円で出来た輸入の組立洋館

10 1920(T9)年10月 建築と社会 和田順顕、 初めて組立家屋を取扱って

11 1920(T9)年10月 建築と社会 内藤彦一 案外気の利いた便利な組立家屋

12 1920(T9)年11月 新 住 宅 和田順顕 日本人向きに改善せる米国製組立家

屋の間取り

13 1921(T1O)年1月 建築世界 秋山源大郎 米国の組立佳宅に就いて

14 1921{T1O)年2月 新 住 宅 津田  襲 米国に遊ぴて組立家屋経営会社を訪

うの記

15 1921(T1O)年5月 建築画報 山下実治 簡易建築物組立住宅

16 1921(TlO)年6月 婦人之友 木田保遣 費用の上から見た組立家屋

17 19211TlO)年12月 新 住 宅 東京土地営 組立家屋に就いて

業部長談

18 19221T11)年12月 主婦之友 記  者 中流住宅として完全な組立勇握

19 1923(T12〕年11月主婦之友 長井亜歴山 組立家屋が何故に大震災に耐えたか

20 1924(T13)年1月 主婦之友 長井亜歴山 組立家屋の価値は何処にあるか

21 19241T13)年3月 主   宅 米国から来た組立家屋が横浜で宛ら

高根の花

22 1925{T14)年1月 建築画報 池田 稔 出来合建築

ただし、「発行年月jのMは明治、Tは大正を示す。

年に集中していることが判る。また,カナダの組立住宅

に関する記事が1件あるものの,他は全てアメリカのも

のであり,当時組立住宅といえば,アメリカ住宅を指し

ていたといえるであろう。

 さて,アメリカの組立住宅について触れた最初の記事

は,既に紹介した1910年のあめりか屋の住宅の建設を伝

える記事である。しかし,その中には組立住宅に関する

特徴やその勧めを説いた記述は見られない。また,1912

(明治45)年の中村伝治は, 「出来合建築」とあるものの,

一揃いの商品化された住宅の紹介というよりは,アメリ

カ住宅全般の紹介を目的に述べているにすぎない。

 これに対し,一揃いとなって販売されていた組立住宅

について具体的に触れたのが,1914(大正3)年の大沢三

之助である。これはカナダのバンクーバーに本杜のある

会社のパネルエ法による組立住宅を紹介したもので,軽

便であること,材料と工費が節減されていること,の2

点を特徴として挙げている。ただ,大沢は,組立住宅の

紹介を目的とし,わが国で緊急に必要とするものとは考

えていなかったようである。

 しかしながら,1920(大正9)年6月に見られるアメリ

カの組立住宅の記事では,組立住宅の輸入を勧めるまで

に変化している。すなわち,大熊喜邦は,アメリカでは

住宅図面を購入して住宅を造ることが多い中で,新たな

傾向として「近年は更にそれを一歩進めて,一軒の家を

建てるに要する材料一式を一組として……売って居りま

す」とし,材料一括販売の組立住宅の紹介を行っている。

そして,バンガロー様式の組立住宅は日本人の趣味に合

うことや廉価であることから,わが国に輸入しても良い

であろうとし,組立住宅の導入を勧めている。

 また,192ユ(大正10)年になると,アメリカ在住の秋山

源太郎が,アメリカの組立住宅の建築用材や建て方につ

いて紹介しつつ,わが国で建設されていたバンガロー式

住宅が,様式だけは受け入れながら工法や材料は在来の

ものを採用していることに注目し,アメリカの工法と出

来合い品を使用すればより早くかつ経済的にできるとし

て,組立住宅の輸入を奨励している。これは,見方を変

えれば,当時わが国で流行していたバンガロー式住宅の

取り入れ方に対する批判といえ,それ故本物をそのまま

持ち込む組立住宅の輸入を奨励していたと考えられる。

 一方,同じ1921(大正10)年に津田襲は,経済的な組立

住宅を時代の要求する建築として導入を自明の理としな

がら,新たに畳の部屋の設置,押入の増加といった改良

の必要性という組立住.宅の現実的な問題点に触れている。

このように津田は組立住宅の導入の善し悪しの問題から

一歩進んで,導入後の問題として実際の生活レベルの視

点から組立住宅を見ようとしていたといえる。このよう

な現実的視点は,さらに山下実治において,組立住宅導

入を疑問視する意見へと受け継がれていくことになる。

そして,実際に佐藤邸建設に関わった木田保造は,その

経験をふまえてシングル葺の屋根が建築取り締り上問題

となり亜鉛葺にするといった具体例を示しながら予算外

の出費があることを挙げ,今後は組立住宅を輸入するの

ではなく,そのシステムの導入そのものを主張すること

になる注ユ9)。このように1921(大正10)年になると,早く

も机上の理解だけではなく実際の輸入組立住宅の建設経

験をふまえ,組立住宅の輸入に関わる問題点も同時に示

されていたのであった。

 なお,このような現実的疑問が寄せられる一方,その

後も長井邸のように関東大震災後に「組立家屋がこの度

の大震災に安全であったことは,さらに新しく一大特長

を加えた」として一時期再び誌上に紹介されている。ま

た,この関東大震災による住宅不足を解消するため,組

立住宅の大量輸入の計画も行われていた。すなわち,ア

メリカの商人が関東大震災による住宅不足に着目し,短

期間で住宅を大量に建設が出来る組立住宅の輸入・販売

を計画したという注20〕。ちなみに,震災後に生活必需品

に関する免税措置が取られたため注21),組立住宅の輸入

も十分商売になると考えられたようであるが,組立住宅

は免税対象外として扱われ,その目論見はうまく行かな

かったという。ただ,震災後には,例えば横浜市がアメ

リカより組立小住宅の寄贈を受けて建設したり注22),日

本赤十字社がイタリア赤十字社からメッシナー型組立家

屋の寄贈を受ける注23)など,事業としての木造の組立住

宅の輸入計画は頓挫したが注24),寄贈により一時的に仮

の建築として組立住宅が建設されていた。

 以上,ここでは組立住宅に関する記事を具体的に見て

きた。これによれば,1910年代ではアメリカ住宅の紹介

の中で組立住宅が扱われるにすぎなかったものが,1920

一5一

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(大正9)年になると組立住宅の輸入を安く住宅を入手で

きる経済的な方法とした実践報告が見られるなど,輸入

奨励の気運が窺える。そして,翌1921(大正10)年になる

と,組立住宅の輸入を当然視した報告が見られるなど急

速に関心が高まっている様子が窺える。一方,この頃に

なると組立住宅の日本的な日常生活の場への改造の問題

や輸入税などの経費の問題から早くも輸人することへの

疑問が投げかけられるなど,それまでの机Lヒの論から具

体的な現実的レベルの問題として組立住宅を見るという

姿勢も現れ,組立住宅を輸入するより,そのシステムを

学び日本で新しい住宅を考案すべきという意見が見られ

ることになる。そして,組立住宅はこのような現実的レ

ベルにおける意見の台頭と共に,関東大震災後の住宅建

設という現実論が一層注目される中で,組立住宅熱は急

速に冷えていったと考えられる。

分推察できることであろう。

 さて,実測調査により採取した現状の平面が図4-1で

ある。中央に位置する長方形状部分が創建時の内藤邸で,

聞き取り調査鮒によれば,当初は別荘として使用され

ていたが,!934年から日常の住宅として使用され始め,

それに伴い周りを取り囲むように増改築が行われたとい

う。そして,この増改築の中で創建時部分でも間仕切り

の撤去などが行われたという。図4-2は,創建時の平面

と考えられるものである注27)。ちなみに,輸入当初の平

面は,ベランダから大きな2間続きのパーラーとダイニ

ングヘと続き,ダイニングの奥が台所,2問の脇に寝室

2問がある単純な平面で注28〕,図4-2の創建時のものと

原案を比較すると,基本的な部屋構成は変えずにパント

リーの撤去,便所と浴室の分離,押入の設置と畳の導入,

といった改変が行われていたことが判る棚j。

4.1900年代から1920年代のシアトル市を中心とした組

  立住宅の動向と内藤邸から見たアメリカ製組立住宅

  の実態

4.1内藤邸について

4.1.1内藤邸の概要

 1920年にシアトルのアメリカン・ポータブル・ハウス

会杜の製品を輸入して建設された内藤邸は,当時の姿を

残しながら空き家として現存している(写真4-1)。この

ため,内藤邸について実測調査結果を加えながら,改め

て詳述したい。

 さて,施主内藤彦一は,アメリカ遊学後,横浜の鶴屋

呉服店に勤務し,その後東京支店として開設された松屋

呉服店の支配人となる一方,1915年から1924年までは東

京商工会議所議員を務める注25)など,経済界では著名な

人物であった。内藤が組立住宅を手掛けた経緯は,既に

見たように理想的住まいとして人から勧められたことに

よるものの,短期間で出来るため住宅難解決には十分役

立つという建設後の感想から,経済人であった内藤が組

立住宅の建設に,輸入事業の可能性を見ていたことは十

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図4-1内藤邸平画図(あみかけ部分が創建時の部分)

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写真4-1内藤邸内部の現状

図4-2 内藤邸創建時の平面図(「初めて組立家屋を取扱っ

   て」 『建築と社会』1920(大正9)年10月号より)

一6一

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4.1.2工法について

 内藤邸は,屋根が寄棟で,外壁は下見板張りに柱型が

付くのが特徴といえる。実測調査により,工法は,外壁

に関しては912mm(3ft)幅のパネルを両側から角材で

挟んでボルトで締めていること,そのパネル・は2枚の厚

さ8mmの板と間に14mmの防水紙に包まれたフェルト

状の断熱材を侠んだもので,厚さは30mmであること,

また,このパネルは外壁だけで,内部の間仕切り壁はパ

ネルが使用されていないこと,などが確認できた注30)。

このことから,外観を特徴づける柱型はパネル化された

壁を支えるための構造上必要不可欠なものであることが

判る。いずれにしても,このようなパネルエ法は,明ら

かに枠組壁工法とは異なり,経済性・大量生産化を目指

したものといえるが,外壁だけをパネルとし,問仕切り

壁はパネルではないことから,パネルエ法の住宅とはい

いながらも,枝術的には未完成とも思え,全てをパネル

とするものへの過渡的な工法と考えられる。ちなみに,

パネルエ法の古いもので,1861年に特許を取っているD.

N.SKILLINGSの「PORTABLE HOUSE」は,下見板に

よるパネルの壁を柱で支えるために外側に柱型が見ら

れ注31),基本的考え方は内藤邸と類似している。

4.2シアトル市の組立住宅会社の助向とアメリカン・

  ボータブル・ハウス会社について

4.2.1 シアトル市の組立住宅会社の助向

 次に,このシアトルのアメリカン・ポータブル・ハウ

ス会杜についてもう少し詳しく見ていきたい。

 シアトルを中心とした1900年前後の住宅の変遷過程に

関する近年の代表的研究として「PATTERN BOOKS,

PLANBOOKS,PERIODICALS」がある注32)。これによ

れば,シアトルでは1880年代から新聞紙上でパターンブ

ックの広告が確認され,それに基づいた住宅もこの頃か

ら建設されていたという。一方,人口増加の始まった

1890年代から低所得者から中産階級の施主となる人々と

共に建築業者なども住宅建設の手本としてプランブック

などを求め始めたという。また,この頃になると地方の

建築家や建設業者が自ら設計した住宅の図面を売買する

ことが行われ,例えば,建築家VICTOR W.VOORHEES

は25ドルでバンガローの図面及び見積書一式を売ってい

たという。また,JOD YOHOは1912年から1918年まで

シアトルで『BUNGALOW MAGAZINE』を出版し,同

時にバンガロー式住宅の建売り販売と図面の販売を行い,

やはり大きな影響を残したという。このように1900年前

後のシアトルでは,住宅を建設する場合には,プランブ

ックから自分の好みの住宅を選び,その図面一式を購入

して住宅建設を行うという方法が一般的であったのであ

る。

 しかしながら,これまでの1900年前後のシアトルの

住宅に関する研究では,このようなプランブックの

存在は指摘されつつも組立住宅の動向に関しては全く

触れられてはいない。このため, 『SEATTLE CITY

DIRECTORY』の職種を手がかりにシアトルの組立住

宅の販売・製造を行っていたと考えられる会社の動向を

見たのが表4-1である。これは,『SEATTLE CITY

DIRECTORY』に収録されている会杜の分類項目から組

立住宅を扱っていると考えられる分類名称として,

「PORTABLE HOUSES」「PREFABRICATE」「MAIL

ORDERHOUSES」を選び,そこに記されている会杜

の設立時期と存続期間をまとめたものである注33)。これ

によれば,組立住宅を扱っていると考えられる会杜は,

ポータブル系,プレファブ系,メールオーダー系に大別

され,1900年初頭にはポータブル系とプレファブ系の会

杜が存在するものの,1906年からはメールオーダー系の

会杜の開設が1920年頃まで続き,1916年頃から再びプレ

ファブ系の会社の設立が起こり始めていたと考えられる。

 さて,このポータブル系とプレファブ系の会杜の組立

住宅は,アメリカン・ポータブル・ハウス会杜の住宅を

参考にすれば木造パネルエ法による住宅であったと推察          ころされる。一方,1900年頃から出現することが知られてい

るメールオーダー系の組立住宅は枠組壁工法の住宅であ

ったと考えられる。ちなみに,メールオーダーハウスの

分野で最も大きな足跡を残したシアーズローバック杜

は,1886年にメールオーダーの会社として出発し,1900

年には建材も扱い,1908年から事業を拡大して住宅まで

手掛け始めていたのである注34)。このシアーズローバッ

表4-1箏業名称別から見た1900~1925年におけるシアトル   市内の組立住宅の販売・製造会社の存続ロカ向    (『SEAπLE CW DlRECTORY』より)

西暦

1901

02

03

04

05

06

oo

09

10

11

12

13

14

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        ◆^O圃一11-1≡τTε旧” S^LES CO.→1919

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        ◆O O C C11喧}IC^I.CO.→一920◆旧1… 一^日S 1,O旧τ^1-1.嘔 110■1.01}C CO.

一1932

◆M^日S 1,OR一^I-L1… nulLDlHO CO.

一1326

r1901:◆^L^舳P㎝↑^旧1、哩110皿S直CO.一1002」は、1901物倣立舳1,190獅が閉閑帖㎜を示す

一7一

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ク杜のメールオーダーハウスとは,それまでの図面の販

売の段階からもう一歩踏み込んで,業者は郵便で住宅の

注文を受け,鉄道を利用してプレカットした枠組壁工法

による住宅建設に関わる材料一揃いを送るというもので

あった。そして,この会杜はシアトルではユ910年から支

店を開設し,同時期に開設している他杜よりは長く存続

していたが,1923年には閉鎖しており,メールオーダー

ハウスのブームはあっても,シアトルでは事業として定

着しなかった様子が窺える。

 いずれにしても,このようにシアトルにおける組立住

宅を扱っていたと考えられる会杜の動静をみると,ユ900

年代からから1920年代にかけては,メ…ルオーダー系が

多く,ユ900年代初頭から続いたポータブル系の会杜とし

てはアメリカン・ポータブル・ハウス会社しかなかった

ことが判る。また,1910年代半ばからプレファブ系の会

杜が設立されており,わが国に組立住宅が持ち込まれた

1920年代は,まさに,メールオーダー系からプレファブ

系への移行期であったこと窺える。なお,あめりか屋の

橋口が枠組壁工法の組立住宅を持ち帰った1909年は,時

期的に見ればシアトルでは枠組壁工法によるメールオー

ダーハウスが流行していた時期であり,工法から見れば

シアトルの建築界の動向と一致する。また,既に見たよ

うにわが国に持ち込まれた組立住宅が枠組壁工法とパネ

ルエ法の2系統存在していたのは,輸入時期のシアトル

における住宅界の動静を反映した結果であると考えるこ

ともできよう。

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4,212 アメリカン・ポータブル・ハウス会社について

 さて,既に述べたように内藤邸および佐藤邸は共に

アメリカン・ポータブル・ハウス会社の製品で,内藤邸

は,1920年の竣工,佐藤邸は1921年の竣工であり,ほぼ

同時期に輸入されたものと考えられる。この会社は,現

存せず,カタログなどの資料は一切発見できなかった。

このため,『SEATTLE CITYDIRECTORY』といくつ

かの広告からその概要を報告したい。

 ポータブル社は,1903年に設立され,1930年までその

存在を確認できる。設立者は,JAMES D.HORTON榔5)

で,このHORTONの名は,1901年に設.立1されたアラス

カ・ポータブル・ハウス会杜の建築家として既に確認で

きる。このアラスカ・ポータブル・ハウス会祉は,その

名にみるようにアラスカのゴールドラッシュ目当てに訪

れる人々のために簡単に建設や移動が可能な建物の開発

を手掛けていたと考えられることから,ポータブル社は

そのような住宅を新たに一般住宅としてシアトルを中心

に売り出そうと考えられて設立されたと推察される。

 このポータブル社の扱っていた住宅については,初期

のものは設立間もないユ904年のポータブル社の広告から

判る(図4-3)注36)。すなわち,住宅にも夏用別荘にも相

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図4-31904年当時のアメリカン・ポータブル・ハウス会社

   の広告(『SEATTLE ClTY DlRECTORY.1904』

   P.1391より)

応しいと紹介されている建物は,平屋で正面にベランダ

があり,外壁には柱型が見られるなど外壁の扱い方や全

体の雰囲気は,内藤邸と極めて良く似ており,内藤邸の

原型と考えることができよう。

 …方,ユ910年の広告舳の建物は平屋で正面に簡略化

された古典的なデザインのポーチがあり,また,軒裏に

はブラケットが付くなど1904年当時の住宅と比べると,

古典的デザインを取り込んだ住宅といえる。また,注目

されるのは「SHIPPED EVERYWHERE」と記されてい

ることである。この記述は,!904年の広告にはなかった

ことから,販売のエリアを海外まで拡大し始めていたこ

とが窺える。また,1913年の広告注38〕では,アラスカ,

シベリア,ハワイ,というように輸入先を挙げている。

このように,1910年代のアメリカン・ポータブル・ハウ

ス会社は,住宅の海外輸出を積極的に展開していたとい

えるであろう。また,同社は,他の会杜に比べると存続

期問が最も長いことから,シアトルでは名の通った会杜

であったと推察できる。このため,内藤邸や佐藤邸の輸

入にあたり,同杜の製品が選ばれたのには,このような

会杜の性格に加え,海外向けの事業を積極的に行ってい

たこと,また,1913年の広告は当時日本にも持ち込まれ

ていた『BUNGALOW MAGAZINE』誌上のもので,日

本でもこの会杜の情報を得られたこと,などに起因して

いたと考えられる。

 いずれにしても,シアトルの住宅会社として最も初期

に設立されたアメリカン・ポータブル・ハウス会社に関

しては,まだ不明な部分が多いが,組立住宅の特性を生

かしながら海外への住宅の輸出事業を展開していた同社

の活動を知る上で,内藤邸は貴重な建物であるといえる

であろう注39)。

5.結びにかえて

 以上,本研究は,わが国の近代独立住宅の変遷過程に

おける海外の往宅の影響を明らかにする一環として,

一8一

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1910年代から1920年代にかけて流行したバンガロー式住

宅の動静を概観し,あわせてその流行の過程で導入され

たバンガロー式の組立住宅を取り上げ,その導入の経緯

から海外の住宅の情報がどのように受け取られてきたの

かを考察した。その結果,以下のことが明らかになった。

 すなわち,バンガロー式住宅に関しては,

①1945年以前の単行本のうち,バンガローに関する記述

のあるものは,出版年が1920年代前半に集中しており,

この頃バンガロー式住宅が流行していたと考えられる。

また,この当時バンガロー式住宅といえばインドを起源

とする東洋趣味のアメリカの西海岸で流行していた建築

様式を指し,導入の主な理由は,わが国の在来住宅との

類似性があること,家族本位を具現化した居問中心の平

面型式であること,であった。このことは,当時海外の

住宅を導入する際の判断基準の一つに,伝統的住宅との

類似性という視点があったことを示すものと考えられる。

 また,組立住宅に関しては,

②最初に導入された組立住宅はユ909年のあめりか屋の住

宅で,その後は1920年から1923年に集中して導入されて

いる。これらは,材料が一揃いとなったバンガロー式の

住宅で,輸出元はアメリカのシアトル市であることなど

から,当時のアメリカ住宅の情報発信地の1つがシアト

ルであったと考えられる。

③組立住宅の導入の動機は,当初は生活の簡易化の追求

といった生活改善運動の影響の中で経費と時間の節約が

可能であるという組立住宅特有の特徴への着目があった

が,実際に導入されると現実的視点から改造や経費の問

題から輸入を疑問視する傾向が強くなり,組立住宅その

ものの導入より,そのシステムを学ぶべきという意見へ

と収束していったと考えられる。

 また,実際に輸入された組立住宅に関しては,

④組立住宅の遺構である内藤邸は,竣工は1920年7月で,

シアトル市のアメリカン・ポータブル・ハウス会社の製

品で,その住宅の特徴は,外壁だけをパネルとするパネ

ルエ法の住宅で,わが国最古のものと推察される。この

会杜は1903年から1930年まで開設しており,海外への輸

出事業を積極的に行っていたことから,わが国へも製品

が輸入されたと考えられる。

⑤1900年前後のシアトルの組立住宅のを扱う企業の動向

は,1900年初頭はアメリカン・ポータブル・ハウス会杜

に代表されるパネル式の組立住宅を扱う企業が中心

で,1906年頃から枠組壁工法によるメールオーダーハウ

スを扱う企業が輩出し,1920年頃までブームが続くもの

の,一方,1916年頃から再びプレファブ化を目指した組

立住宅の企業が台頭し始めてくる傾向が窺える。わが国

にもたらされた組立住宅が,枠組壁工法の住宅とパネル

エ法のものの2系統認められるのは,このシアトルの住

宅界の動静の反映と考えられるであろう。

 以上である。本研究では,組立住宅の導入を通してア

メリカ住宅のわが国への影響過程の解明の一端を試みた。

ただ,バンガロー式住宅の流行状況は明らかにしたもの

の,再評価までには踏み込むことができなかった。これ

は今後の課題としたい。

 なお,最後であるが本研究を行うにあたり,元ワシン

トン大学教授のPHILIP THIEL先生,DAVID L.

BONSTEEL先生,ワシントン大学教授SELIGMANN

CLAUS先生,シアトルの建築史に詳しいDAVID A.

RASH氏,KATHERYN HILLS KRAFFT女史,東京工

大教授八木幸二先生,橋口八朗氏,杉田玲千氏,内藤恒

子氏,牧田知子氏など多くの方々にお世話になった。記

して感謝したい。

<注>

ユ)わが国近代の住宅史に関する代表的研究としては,『日本近代

  都市独立住宅様式の成立と展開に関する史的研究』(木村徳国

  1959年)『日本住宅の歴史』(平井聖 1974年)『日本のすまい」

  (西山卯三 1976年)『日本の近代住宅』(内田青蔵 1992年)な

  どが知られるが,視点はわが国の住宅の変遷過程の解明に向

  けられている。

2)大正時代の工業分野の発展状況をまとめた『大正ユ1業史』(工

  学会編 大正14(1925)年)で「住宅建築」の分野を担当した大

  熊喜邦は「簡易住宅,経済的住宅を目標として,米国バンガロー

  風の組立住宅,出来合住宅が輸入されて世人の注意を惹起し,

  衣食と共に住宅の研究,住宅の改善が唱導さるるに至った」

  (p.474)と記し,アメリカのバンガロー様式の組立住宅の導

  入を,大正期に見られる住宅改良運動を促進した1つの契機と

  なったとして高く評価している。

3)アメリカ関係の調査はシアトル市を中心に行った。また,文献

  資料の収集は主にワシントン大学付属の」連の図書館,シアト

  ル市立図書館等を利用した。

4)田辺淳吉:「西濠洲の住家」,『建築雑誌』明治45(1908)年 253

  号。

5)国会図書館の戦前期の件名口録で「住宅」の項目に記載されて

  いる単行本を資料とした。

6)内田青蔵:「あめりか屋店主橋口信助の輸入した組立住宅につ

  いて」日本建築学会大会学術講演慨集,1988年,日本建築学会。

7)内藤邸の記事は,本文表3-1の文献No.7~1ユ。

8)「株式会杜和田順顕建築事務所経歴書」(日本大学藤谷陽悦研究

  室所蔵資料)によれば,「大正9隼7月相州鵠沼に内藤彦」氏

  洋館別荘設計監理」とあり,竣工は1920(大正9)年7月と考え

  られる。なお,和田は1912年の東京美術学校卒業後,直ちに神

  田区今川橋松屋呉服店改築工事に従事し,また,1915年から

  1922年まで松屋呉服店建築顧問をしている。

9)佐藤邸の記事は,本文表3-1の文献No.16.

1O)長井邸の記事は,本文表3-1の文献No.18~20.

11)東京土地株式会杜の記事は,本文表3-1の文献No.17.

12)出版年は記されていないが,今回の調査で入手した1922年発行

  といわれる『KEITH’SPLANBOOKVOL.1BUNGALOWS』

  (KEITHCORPORATI〔)N MINNEAPOLIS,MINNESOTA)に掲

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  載されている住宅例がこのカタログにも収録されていること

  から,早くとも1922年以降の出版と考えられる。

ユ3)丹波邸に関しては,本文表3一ユの文献No119.

14)大正6(1917)年5月号の『建築雑誌』の「新論新説」には,『B

  UNGALOW MAGAZINE」の引用があり,わが国でも読まれ

  ていたことが判る。

15)橋口信助:「あめりか式建築」『住宅』大正7(1918)年8月号。

16)本文表3-1の文献No.11。

ユ7)本文表3-1の文献No.10.

18)「記念の家に残されたエルザさん」 『東京朝日新聞』大正1!

  (1922)年5月8日。

19)木田と同様にアメリカの住宅の様々なシステムの導入を主張

  した早いものとしては,明治36(1903)年の矢橋賢吉の『建築雑

  誌』「本邦に於ける家屋改良談」がある、、この中で,矢橋はア

  メリカ住宅をモデルとしてわが国の「標準家屋」の製作を奨励

  している。

20)本文表3-1の文献No.21.

21)「生活必需品など輸入税低減に関する勅令」『震災彙報』大正12

  (1923)年9月18日。

22)『大正一三年 横浜市事務報告書』(大正14(ユ925)年12月)によ

  れば,横浜市にアメリカから組立小住宅が寄贈されていたこと

  が判る。なお,横浜市の組立住宅に関しては関東女子短大の水

  沼淑子博士のご教授による。

23)大正13(1924)年2月16日付け『中外商業新報」。

24)なお,震災後は,工場用や倉庫用として鉄骨による「鉄骨組立

  家屋」が輸入されていたことはよく知られている。例えば大正

  13(1924)年2月1日付け『中外商業新報」によれば,東京鋼

  材株式会社建築部が三井物産株式会杜を代理店として「鉄骨組

  立家屋」の輸入販売を行っている。

25)内藤の経歴は『大正人名辞典』(五十嵐栄吉編 大正7(1918)

  年)および『東京商工会議所百年史』(東京商二[1会議所百年史

  編纂委員会編 1979年)による。

26)聞き取り調査は,内藤彦一の義理の娘に当たる内藤恒子氏のご

  協力を得た。

27)大正9(1920)年10月号の『主婦之友』に紹介されている平面で,

  これによれば「応接問」と「食堂」の境に袖壁が画かれている

  が,この袖壁や小壁の痕跡が見られることなどから,創建時の

  平面と考えることができる。

28)輸入当初の平面は,『建築と社会』(大正9(1920)年10月号)に

  紹介されている。

29)本文表3-1の文献No.11.

30)本文表3-1の文献No.8によれば,構造は「土台,柱,地廻等

  主要部はボールト締めで其他は釘附けになっています。小屋

  組は垂木そのものが合掌になりまして二尺間に渡し,野地は板

  割で,その上をマルソイド又はスレート葺にするのです。外廻         えんこいたさねはぎ  壁板は内外共に橡子板実矧の二重張の問に毛とフェルトを挿

  み,空隙を作って締合わしたものを,三尺間に内外の間柱と共

  にボールトにて締め付けます」と記されている。ほぽこの記述

  内容通りに造られていることが確認できた。

31)BURNHAM KELLY:『THE PREFABRICATION OF

  HOUSES』p.10,THE THCHNOLOGY PRESS OF THE

  MASSACHUSSETTS INSTITUTE OF TECHNOLOGY,

  1951

32)この論文の著者は,DENNIS A.ANDERSENとKATHERYN

  HILLS KRAFFTで,JEFFREY KARL OCHSNERの編集に

  よる『SHAPING SEATTLE ARCHITECTURE A  HISTORICAL GUIDE TO THE ARCHITECTS』(pp.64~71,

  WASHINGTON AIA SEATTLE,1994)に収録されている。

33)これらの会社が具体的にどの様な住宅を扱っていたのかはこ

  の資料からは明らかではない。しかしながら,「PORTABLE

  HOUSES」の分類項目で拾い出せるアメリカン・ポータブル・

  ウス会杜がパネルエ法であること,また,「MAIL ORDER

  HOUSES」の分類項目から拾い出せるシアーズローバック社は,

  『HOUSES BY MAIL』 (p.29THE PRESERVATION

  PRESS1986)によれば,その工法は1935年までプラットフ

  ォームエ法を採用していたという。このことを考えれば,

  「PREFABRICATION」の項目分類で拾い出された会社の住宅

  は,よりシステム化されたパネル式等の住宅を扱っていたと推

  察される。

34)『HOUSES BY MAIL』pp.20~23,THE PRESERVATIONP

  RESS 19860

35)1904年度版のデレクトリーにHORTONの肩書きが「PRESI-

  DENT&MANEGER」と記されていることが確認できる。

36)1904年度版のデレクトリーp.1391.

37)『THE SEATTLE BUILD工NG&INVESTMENT CO.,

  INC.』p.18.1910,この本は,社名がそのまま本のタイトル

  に付けられたもので,その内容はこの会杜の扱っている住宅

  の平面図集である。

38)例えば1913年9月号の『BUNGALOW MAGAZINE』の裏表

  紙など。

39)シアトルの調査においてアドヴァイスを受けたシアトルAIAの

  会員であり,『SHAPING SEATTLE ARCHITECTURE A

  HISTORICAL GUIDE TO THE ARCHITECTS』

  (WASHINGTON AIA SEATTLE,1994)の著者の1人でも

  あるDAVID A.RASH氏の調査によれば,最近納税台帳を基

  に調べた結果,1918年竣工と考えられるアメリカン・ポータブ

  ル・ハウス会杜の製品である住宅が2棟現存することが確認

  されたという連絡を受けた。この結果は,今後の研究で扱いた

  いと考える。

<研究組織>

  主査  内田

  委員  篠野

協力  羽深

    中野

青蔵

志郎

久夫

 良

波多野 想

前田 宗1真

文化女子大学家政学部助教授

東京工業大学大学院総合理工

学研究科人間環境システム専

攻助教授

札幌市立高等専門学校助教授

東京工業大学大学院修士課程

2年

工学院大学大学院修士課程1

東京工業大学大学院修士課程

1年

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