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Title シェイクスピアの『リチャード二世』再考 : 王の没落と 「詩人的性格」について Author(s) 青木, 啓治 Citation 英文学評論 (1980), 43: 1-23 Issue Date 1980-08 URL https://doi.org/10.14989/RevEL_43_1 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

Title シェイクスピアの『リチャード二世』再考 : 王の没落と ......シェイクスピアの『リチャード二世』再考 ―王の没落と「詩人的性格」について―

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Title シェイクスピアの『リチャード二世』再考 : 王の没落と「詩人的性格」について

Author(s) 青木, 啓治

Citation 英文学評論 (1980), 43: 1-23

Issue Date 1980-08

URL https://doi.org/10.14989/RevEL_43_1

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

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シェイクスピアの『リチャード二世』再考

―王の没落と「詩人的性格」について―

リチャード二世の性格に断層があるとよくいわれる。最初の二幕において専制的で活動的な王が、アイルラン

ドの遠征から帰る二幕三場をさかいに、一転して、憂うつな内省的な性格となるからである。口数がふえ、言葉

が詩的となって、空想的な性格に変わるからである。S・C・SenGuptaは、「最初の二幕の・不遜な浪費者の背後に、

このような詩人肌の夢想家が隠れていることは、アクションの過程において示されていない」として、そこにリ

チャードの性格に関する唯一の「謎」があり、この劇の「最大の欠陥」があるといっている。だが性格の矛盾に

ついては、それを「謎」というまえに、劇の主題との関連において追究しみてる必要があるであろう。問題は、

劇の後半における「詩人的」といわれる王の性格が、有能で現実的なボリング.フルクとの対照から、彼の性格の

弱さや政治的な無能力をあらわし、王国を失った大きな原因とみられていることである。悲しみに耽って行動し

ないリチャードの愚かさに対する軽蔑から、彼の悲劇を否定しょうとする根づよい批評の傾向がみられることで

ある。だが果してリチャードは、ある批評家がいうように、「王国よりも言葉を愛した」ために没落したのであ

ろうか。これは王のおかれた立場が、シェイクスピアにょって、絶望的なものとして意図されているかどうかに

シェイクスピアの『リチャード二世』再考

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よって決まるだろう。私には、リチャードが劇の後半において多弁となり、言葉が詩的になるのは、彼の立場が

絶望的になった結果であって、それが彼の没落する原因ではないように思われる。しかしこれは、劇の核心にふ

れる最も重要な問題であるので、綿密な検討を必要とするのである。

劇の構成からみてまず言えることは、この劇がヨQ計旨chのように、単なる道徳劇の形式をもった劇ではない

ということである。『リチャード二世』の粉本の一つであるその劇では、侯臣達にあやつられる未熟なリチャー

ドの種々の愚行が、実際に舞台で演ぜられている。だがシェイクスピアのリチャードは、S.T.CO-eridgeのいわゆ

る「儀礼に対する注意と王の威厳についての崇高な感情」をもって登場し、慶臣達にあやつられるというよりも、

彼等を支配する専制的な君主なのである。しかも大切なことは、彼の愚行は、最初の二幕に含まれた二、三の場

面ですべてna音ati謡で片付けられ、倭臣達も三幕一場で処刑されてしまうのである。

この劇の特性として次に注目すべきことは、それが、初期の史劇にみられるような力と力の対立を扱ったもの

でないということである。リチャードがアイルランドに遠征している問に、大軍を率いて英国に侵入してきたポ

リングプルクは、強大な英国の貴族達と合流し、権力は不在のリチャードから雪崩の勢いで失われてゆく。そし

てリチャードが唯一の頼みとしていたウェールズ人が敵方に移ってゆき(二幕四場)、国民すべてが離坂(三幕二

場一〇六-一二〇)したことは、戦いが行われないことを観客に暗示する。三幕二場は、我々がすでに知ってい

る王にとって悪い報せの一つ一つを、彼が如何に受けとめるかに興味があるのであり、劇の後半の大部分は、神

聖な王から人間に没落してゆくリチャードの苦悩を措いたものである。このような劇の構成からみて、シェイク

スピアの意図がどこにあったかあきらかであろう。作者は、二幕までに王の没落の理由をnarrati畠で示し、彼

から権力を完全に奪うことによって、暴君と纂奪者との対決ではなく、王位を奪われてゆくリチャードの心の動

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きを描くのが目的であった。三幕二場をさかいに、急にリチャードの口数が増え、言葉が詩的になるのは、二幕

までに王の没落の条件を示したシェイクスピアが、今やリチャードの心の中を表現すべき段階に到着したことを

意味するのである。

ポリソグブルクの英国侵入をきいてウェールズに上陸したリチャードはいう。

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Ag-OriOuSange-‥then∵fange-S酢ghtY

WeakヨenmuStfa〓二〇rheaくenStinguardstherimht.

(I声ii.班-詔)

ボリングプルクの大軍が進撃しているとき、このような楽天的なリチャードの言葉をきくとアイロニーが感ぜら

れるかも知れないが、IrくingRibnerが考えるように、シェイクスピアは、ここで神権説を愚弄しょぅとしている

のではない。ウィリアム一世以来続いた王室の最後の王であり、中世的な秩序になれたリチャードが、権威を奪

シェイクスピアの『リチャード二世』再考

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われようとするとき、神権説に訴えるのは自然なことである。だがそこへSa-isFryがやってきて、絶望的な報

せを伝える。

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FOra〓theWe-shmen-hearingthOuWertdeadl

AregOnetOBO-ingb=ke-dispersedand若d.

(コI∴i.3-謡)

リチャードの運命を決したのは、二幕四場で彼が頼りにしていたウェールズ人達が解散し、ボリングプルクの側

に移ったときである。そのウェールズ人達が解散してゆくのをみて、ソールズベリーは、hH切eethy〔Richard㌦〕

g-Ory-ikeash00tingstar\FautOthebaseearth昔Omthe詳mamentVといったが、その時と同じように、今ここで

も、彼はコーラスの役を演じているのである。リチャードの到着が僅か一日おくれたために、彼の王国が崩壊す

る。その差を一日にしたのは、シェイクスピアである。そこには中世的なdeCasibus-の主題がみられ、作者自

身、偉大なるものの運命の不思議なはかなさに、審美的なよろこびを見出しているように思われる。リチャード

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にまだ希望を残している積りなら、詩人はソールズベリーに卓ca--backyesterday-bidtime邑u邑とはいわせ

ないであろう。

王を元気づけようとするオーマールのdOmf。rt.my-iege,‥emembeHWhOyOuare、という言葉をきいてリチャ

ードはいう。

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AwakeこhOuCOWardmajesty〓hOuS-eepest.

IsnOttheking㌦nametwentythOuSandnames~

Arm-arm-myname{

(lII.ii.3-宗)

リチャードは、恐怖のために自分が王であることを忘れていたのである。王位の尊厳を信ずる彼は、「我が名よ、

武器をとれ」という。だが実権を奪われたリチャードには、事実、壬という名だけが残っているのであって、彼

に回復の希望がないことは、そこにやってきたScr。。pの言葉からもあきらかである。

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AsifthewOrEwereaudissO-くedtOtearS-

SOhi各abOくehis-iBitsswe〓stherage

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シェイクスピアの『リチャード二世』再考

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シュイクスピアの『リチャード二世』再考

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HII.ii.〓?-NO)

これ以上に絶望的な表現があるであろうか。進軍するボリングプルクの軍隊は、リチャードの須土を掩いつくす

洪水にたとえられている。それよりも絶望的な印象をさらに強めるのは、国内の軍人はいうまでもなく、本来戦

争を恐れきらう者達までが、王に対して敵意を持っていることである。「自ひげの老人」(White・bea乱S)や「女の

声をした少年達」へbOySWithwOmenが鼓ces)や「糸をつむぐ女ども」(dista苧wO臼en)までがリチャードと戦おう

とする。そして王のために祈蒔しなければならない救民院の者達(bePdsmen)でさえも、彼に対して弓をひこう

とする。事実、リチャードは、全国民を敵にまわしているのである。だがさらに念を押すようにスクループは、

「老いも若きも坂道し、言葉でいえない程の最悪の事態である」という表現で最後を締めくくり、リチャードの

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おかれた立場が絶望的であることをも一度強調している。

王は寵臣達がやすやすとボリングプルクの侵入をゆるしたことを怒り、彼等が敵に降服したと疑う。だが彼等

がすでに殺されているときいて、deCasibus"の主題である「墓」や「姐虫」や、王冠の中に住みついて王の威

光と栄華を嘲る「死」の道化師について述べ、王はただの人間だから、儀式はった敬礼などして馬鹿にしてくれ

るなという。絶望的な事実が、彼の信ずる王の尊厳と神聖さを愚弄するのを感じて、彼はその信仰を否定しょう

とするのである。これに対してCar-is㌃はいう。

My-Ord-Wisemenneがsitandwai-theirwOeS-

Butpresent-ypreくのntthewaystOWaiL

(III.ii.-謡f.)

オーマールも父ヨークが軍隊をもっていることを思い出さして.訂arntOmakeabOdyOfa-imb.という。それに

元気づいて敵と一戦を交える勇気を取り戻したリチャードが、スクループにヨークの軍隊がいる場所を尋ねると、

そのヨークも敵と合体していることがわかって、一種の望みも絶たれるのである。

YOurunC-eYOrkisjOiロdwithpU-iロgbrOke.

Anda--yOurnOrtherncast-esyie-dedupl

Anda--yOurSOutherngent訂meninarms

UpOnhisparty.

(III.ii.NO?NOU)

シュイクスピアの『リチャード二世』再考

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我々は、ヨークの軍隊で敵に勝つことは、「浜の首赤を数え、大洋の水を飲みはす」(二幕二場百四十五行)よ

うに不可能であることを聞いていたが、ヨークがボリングプルクと合体した事実も知っていた。そういえば、ウ

ェールズ人の解散も、リチャードの寵臣達の処刑も知っていたし、国民全体の背反についても、これまでそれを

暗示する多くの言及があった。だからリチャードがウェールズに上陸する三幕二場以後における劇の興味は、王

にとって悪いニュースそれ自体を知ることにあるのではなくて、そのニュースの一つ一つに対して、王の神聖さ

を信ずるリチャードがどのように反応するかにあるのである。リチャードの「詩人的」性格が王国を失った理由

と考える批評家達は、引用したカーライルの王に対する忠告(My-。rd-Wisemenne毒筆:)をいつも引合にだ

す。たとえばグブタは次のようにいうのである。

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beheadingO輪the㌻くOuritesbyBO-in的brOkewhOhasrepea-edhimse】f-hiscauseisnOtirretrieく・

ab-y-OSt-.nd訂thCar-is-e(llI.ii)andAuBer-einF-intCast-e(HII.iii)thinkthathemayyet

cOnSO-idatehisfOrCeS.

だが我々は、カーライルもオーマールも、観客ほど、リチャードのおかれている情勢について知っていないこと

に注目しなければならない。カーライルは、絶望的なスクループの言葉をきいて、沈黙してしまうではないか。

王が側近の者達に

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(IlI.ii.$f.)

というとき、我々は、哀れみとともにアイロニーを感ずるのである。コーラスともいえるソールズベリーやスク

ループの絶望的な強い表現の効果よりも、我々ほど情勢を知らないカーライルやオーマールの言葉を重視して、

リチャードにまだ回復の余地があると考えるところに問題があるのである。アイルランドから帰ったリチャード

が受け取る悪い知らせは、グブタがいうように、ウェールズ人の解散と壬の寵臣達の処刑だけであろうか。我々

は、スクループが伝える全国民のリチャードに対する敵意と、ヨークとボリングプルクの合体のことを忘れては

ならない。

シェイクスピアが、リチャードのおかれた立場を全く絶望的なものとして描いていることはあきらかである。

この認識は、劇の後半におけるリチャードの行動を愚かなものにしないために、『リチャード二世」の解釈上き

わめて重要である。第二幕までに完全に権力を奪われることによって、はじめてリチャードは、自由に自己の感

情にひたることができるのである。彼の言葉が詩的であるのは、絶望的な王を中心にもつ詩劇の主人公として生

きるために、いろいろな場面における彼の心の中を詩でもって表現しなければならないのであって、彼が詩人で

るから、あるいは戦いよりも言葉を愛したから王国を失うのではない。マクベスの用いる詩的なイメジャリーが⑲

彼の強い想像力を示すとか、彼は実際には詩人であった証拠であると主張したら、KennethMuirも言うように、

我々は現実の生活と劇とを混同していることになる。詩劇の人物は、誰も詩を話すことができるが、この詩は、

必ずしもその人物の詩人的傾向を反映しない。それは、作者の一つのmediumにすぎないのである。リチャード

についても、それと同じことがいえるであろう。彼の用いるイメジャリーは、彼の心をいきいきと表わすが、そ

の詩は、彼の口をとうして語られるシェイクスピアの詩なのである。

シェイクスピアの『リチャード二世』再考

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リチャードの苦悩は、神権説に対する彼の信仰と、実権を奪われては、不正なボリングプルクに抗することが

できないという現実との矛盾から生ずるのである。三幕三場で、ボリングプルクほ、ノーサンバランドをフリン

ト城につかわし、追放の宜言を取消して、没収された彼の所蘭を無条件で戻してくれるように要求する。リチャ

ードは、脆いて王に対する礼を示さないノーサンバランドに、もし自分が彼の王でなければ、「余を神の代理た

る職からとかれた神の署名をみせてくれ」という。

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Caロgripethesacredhand-eO輪OurSCeptre-

Un㌃sshedOprO㌻ne.stea-.OruSurp.

(lII.iii.3-巴)

ここには、正統な王は、神によって選ばれた地上の代理者であり、神を冒漬しない以上は、人間の力によってそ

の地位を奪うことはできないという神権説に対する信仰があるが、ポリングプルクの大軍を前にして、彼の要求

を拒むことができないで、「その当然の要求をことごとく許す」ことを「できるだけ耳に快い言葉」で伝えてく

れるようにノーサンバランドに頼む。しかし機嫌をとるようにして、反逆者の要求をみとめる恥辱に甘んずるよ

りは、挑戦して死んだ方がよいと思う。

声知叫cP〔ゴ:ざ幸芝吾WedOdebaseOurSe-くeS.COuSin-dOWenOt-

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TiHtime㌃ndEendsandEendstheirhe-p叫u-swOrds.

(IIi.iii.-NTGN)

このオーマールの言葉も、グブタや他の批評家達によって、リチャードにまだ回復の余地がある証拠として注目

されてきた。だがここでオーマールは、挑戦して死のうとするリチャードを宥めているにすぎないのである。こ

れはむしろシェイクスピア自身にとって必要な言葉であっただろう。彼がこの劇で描こうとするものは、王の突

然の死ではなく、神聖な王の没落してゆく苦悩だからである。

リチャードには、「あの高慢な男にきびしい追放の宣告をいい渡した舌が、お世辞をいってその宣告を取消さ

なければならない」のが堪えられないのである。彼はつづけていう。

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シェイクスピアの『リチャ丁ド二世』再考

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シェイクスピアの『リチャード二世』再考

SincefOeSha記SCOpetObeatbOththeeandme.

(lII.iii.-〕乎-舎)

一二

王の尊厳に対する信仰と、自分がいまおかれている現実との矛盾がうみだす深い悲しみは、その悲哀にひたろ

うとする欲求につらなってゆく。ポリングプルクのところから戻ってきたノーサンバランドの言葉をきく前に、

リチャードは、みずから退位のことを口にするのである。

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SOmeWayOfcOmmOntrade-Wheresubjectsこeet

MayhOur-ytraヨp訂OntheirsOくere義nVsheadの

FOrOnmyhearttheytreadnOWWhi-stI-iくe"

AndburiedOnCe-WhynOtupOnmyhead叫

(lII.iii.-畠⊥笛)

ここでは自分が退位して、王の権威を表象するものを一つ一つ卑しいものにとりかえ、墓に埋められた後のこと

までが想像の中でたどられている。「この大きな王国を小さな墓に、小さな小さな墓に、名も知られぬ墓にかえよ

う」という言葉が示すように、自分が失うものが偉大なものであり、それと取替えるものが、できるだけ卑小で

あることが望ましいのである。自己に対する哀れみにふけるリチャードのそのような性格は、スクループの悪い

知らせをきいた彼が、「無駄な慰め」で、せっかく「絶望への甘い道」へthatsweetwaylwasintOdespair)(llI・

ii・N宗)を辿っていた自分を目覚ませたといってオーマールを叱るあの場面にも窺えるところであろう。ある批評

家達によれば、リチャードの没落の責任は、彼のそのような弱い性格にあるのであって、たとえばグブタは、彼

を「悲しみに耽るために王国を譲り渡す夢想家」(adreamerwh。gi完SaWayakingdOminOrdert。㌻巨riateinhis

grie訂)と呼ぶのである。三幕三場の終りにおいてポリングプルクは、自己の権利のみを要求していて決してそれ

以上を望まないことを、尊敬を失わない態度で王に強調している。これに対して自己の哀れみを追究するリチャ

ードは、ボリングプルクの言えない言葉を自ら言ってやるのである。

声知叫へPFaircOuSin-yOudebaseyOurprince-yknee

シェイクスピアの『リチャード二世』再考

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シェイクスピアの『リチャード二世』再考

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(IIH.iii.-害もー○)

ここにおけるボリングプルクの態度を考慮すれば、事実、王のおかれた立場は、彼にその意志さえあれば、窮境

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を脱することができるような印象を与える。R。bertOrn語inも、この場面のリチャードについて、「もし彼が

括ぎない自信をもって、彼の権威を保っていたならは、ボリングプルクは忠誠を言明しているため、うごきがと

れないで、彼の公爵領で満足していただろう」というのである。しかしシェイクスピアは、ここでそういう問題

を扱っているのであろうか。それはリチャードの存在理由と関係のない問題のように思われる。これまでにみた

王位の尊厳に対する彼の崇高な感情が示すように、リチャードは屈辱的な状態で王であることには堪えられない

中世最後の正統の王であり、寵臣が殺され、坂道者に交配されるこのような情況のもとで、たとえ王位が維持で

きても、㌦Cbjectedthus\H。WCany。u∽ayt。meLama村ibm叫"というであろう。シェイクスピアは、この場面

の行動しない壬に、我々が愚かさとアイロニーを感ずるように意図しているのではない。これは、すでにみてき

たソールズベリーやスクループのコーラス的な表現が示すように、リチャードの立場が全く絶望的なものとして

措かれているのであり得ないことである。このすぐ前の場面におけるリチャードの悲敦と空想にふける態度をみ

て、ノーサンバランドは:SOrrOWandg計hOhheart\Makeshim〔Richard〕speak㌻ロd百-ikea㌢anticman、とボリ

ングプルクに報告する。事実、自己の悲哀をたのしむようなリチャードの態度は、絶望の苦しみからうみだされ

たもので、グブタが考えるように、審美的なものではない。悲しみに耽らんがために王国を譲りわたすのではな

いのである。

それにしても、ボリングプルクをどのように解釈したらよいであろうか。追放を許され、公爵領を相続する権

利を認めてもらう以外に何も野心をもたないことを、ヨークやリチャードにくりかえし強調し、もしその要求が

認められれば王に忠誠をつくすことを誓いながら、一方では、リチャードの寵臣達を処刑し、自分の要求が入れ

られなければ、国土を荒廃させると脅迫するのである。この人物の態度には、たしかに曖味なところがある。彼

シェイクスピアの『リチャード二世』再考

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の王位の獲得は、慎重に計画された運動の結果なのであろうか。だが劇の人物が陰謀をかくしている場合、シェ

イクスピアは、独自によって観客にそれを知らせるのが普通である。そうでないのに、人物が明白にのべた言葉

を無視して、彼の心の裏をかんぐる批評態度は、シェイクスピアの場合、非常に危険である。私には、彼のいう

ことに偽りがあるとは思われない。これはボリングプルクが、劇全体にわたってよい性格として描かれているこ

とからでも推察がつくのである。彼の態度が曖昧なのはR.声Hiロがいうように、簑奪者の政治的な曖昧さをあ

らわしているとみるよりも、1.D.Wi-sOロのように、「彼の意志を越えた力にょって高いところに運ばれた」と考

える方が正しいであろう。ポリソグブルクが自分の公爵領を継承する権利を要求したことが、王を退位させる結

果になったように思われる。

リチャードの没落には、神の音芸心あるいは運命の力が働いている。風や海の湖さえも、アイルランドからのリ

チャードの帰国を遅らせ、天空における不吉な前兆が、王が望みをかけていたウェールズ人達を驚かして去らせ

るのである。私がdPedayt00-ateVあるいは6.ca--backyesterday…"をこの劇で重視する理由である。リチャ

ードが隠れているフリント城の前に、ポリソダブルクが大軍を率いてやってくる重大な場面で、彼とヨークは次

のような対話をかわしている。

)♂「か.TakenOt1g00dcOuSinこurtherthanyOuShOu喜

LestyOumi芝ake‥theheaくenSareOがOurheads.

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Againsttheirwi〓.

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(III.iii.-?-豊

まだヨークもポリソグブルクも、神の意志が、いま彼等が考えている方向とは逆に働いていることに気がついて

いないが、gpOSenOtmySe〓\A腎nsttheirw≒は、ポリングプルクが神の意志によって動かされていることを暗

示する言葉である。劇の初めでGauntは、殺された夫の復讐を求めるグロスターの未亡人にれput鳶OuTquaで

邑tOthewiロOhhea扁n二I.ii.eとのべ、ヨークは終幕で、リチャードがロンドンに連れてゆかれる哀れな場

面を思い出して、宕a扁nhathhadahandintheseeくentS六く,ii,UJという。事実、リチャードの没落には神の意

志が働いており、心の動きが示されないボリングプルクの不思議な態度には、なにか受動的な運命の手先をおも

わせるものがある。

運命の神を象徴するものは、ふつう車輪(Whee【)であるが、この劇では車輪についての言及はみられないで、

我々にあまりなじみ深くない釣瓶が、その象徴として用いられている。王冠を譲り渡す前に、リチャードは、そ

れをはさんでボリングプルクと向いあって立ちながら次のようにいう。

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シェイクスピアの『リチャード二世』再考

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シェイクスピアの『リチャード二世』再考

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(Iく.i.-∽丁-$)

一八

リチャードは、ポリングプルクに王冠の他の側を手で支えてくれるように頼むことによって、まえもって意識的

に象徴的な場面をつくりだしている。この演技を好むような王の態度は、彼のいわゆる「詩人的」性格とともに、

彼の特性をあらわすものとして注目されてきた。しかし彼は詩人でないように、また役者でもない。没落する王

の役を演ずるような彼のいわゆる「役者的」態度も、リチャードが舞台の中心を占めて、感銘的な効果をうみだす

ようにするためのシェイクスピアのmediumなのである。オセロの最期を措く場面を思い出してみればわかるで

あろう。自己劇化(seFdramati邑iOn)は、悲劇の芸術における一つの手法なのである。しかしある批評家達にとっ

ては、リチャードに対する軽蔑から、この退位の場面の効果は訴えないようである。たとえば、ボリングプルクと

の対照においてリチャードを軽蔑するJame∽Winnyは、ここで王が用いる釣瓶の比喩について次のようにいう。

Theemptybucket∴dancingintheair㍉cOuEO已yrepresentthesha--OWfriく0-ityOfRichardlWhO

eくのnatthismOmentO蝿disasterhuntsa訂er-iterarycOnCeits-aStheweightand㌻unessOfthe

OthersyBb01ize田0-ingbrOke㌦pO-itica-mastery.

だが我々は、この比喩の用い方に、なおもリチャードの軽薄な性格をよみとらなければならないのであろうか。

DerekTraくerSiもウィニーと同じ見方をしているが、それはリチャードをとうして語られるシェイクスピアの

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主題なのである。井戸の釣瓶のイメジは、この劇全体の意味を要約しているといえる。『リチャード二世』は、

新王の運命が向上する同じ割合で、去りゆく王が没落しなければならない王権の悲劇だからである。この劇で上

と下が何を意味するか、指摘するまでもないであろう。二幕四場でソールズベリーは、ウェールズ人の隊長が去

ってゆくのをみてでrhq〔Ric訂鞋び〕ぴunSetび室川epi点inthe-○已叫鳶St二声iざ∽-)といった。このJOW-y"は、

もちろん低いという意味と卑しいという意味を同時に含んでいて、釣瓶の比喩と同じように、ぐeepiロgVという涙

の主題と結びついている。三幕三場でリチャードは、坂逆者の要求に応じてフリント城の前庭へbasecOurt)に降

りてゆく自分を、天から落ちてゆく「輝くフェートソ」へg-isteriロgPhae臣On)にたとえ、その前庭において:base

eaユh"の上にひざまづくボリングプルクに、王はdp-COuSin-upいyOuHheartisupこknO竜.\Thushighaこeast.

a〓hOughyOur訂eesbe-OW六IHHJi二浪こといった。王にとってだけでなく、この劇全体において、上にあがる

こと、高いことは、偉大さ、繁栄、歓喜を意味し、下ること、低いことは、卑しさ、衰微、悲哀をあらわすので

ある。そしてそのようなこの劇の中心主題が荘ncinguとgarS-という対照的なイメジを伴って、王冠を譲り渡

すこの場面で、井戸の釣瓶の比喩の中に集約されているのである。その言葉は、アクションを伴うだけに、クラ

イマックスの場面にふさわしい大きな劇的効果をもつのである。なおも魔術を信じたエリザベス朝の人々にとっ

ては、黄金の王冠は、大きな象徴的な価値があったに違いない。その神聖なシンボルが新しい王に渡される厳粛

な行為の意味を、彼等は我々よりも理解できたのである。

ウィニーは、壬の特質に欠けるリチャードを王権の蕗ad。W;りっはな王の資質をそなえたボリングプルクを

ぎbstanceVとして、二人の対照の中にこの劇の意味をとらえようとする。この両者の政治的能力の対照が、この

劇の構成に貢献していることは、多くの批評家達の指摘するとうりである。だがより深い動棟や心の状態が示さ

シェイクスピアの『リチャード二世』再考

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れる内的な領域においては、これと同じような対照がみいだされないのである。退位の場面において、王冠を脱

ぐときのリチャードの心の動きは詳細に伝えられているが、ボリングプルクは.si-entkingVと呼びかけられ、傍

観的態度に終止して、その言葉は短かく、そっけなく、王位を譲りうける彼の心境は知るべきもないのである。彼

のそのような態度に関して、これまでいろいろな説明がなされてきた。王権の実質を得れば、その正当性は問題

でないとする新しい人間を示すともみられ、この劇における運命の意義を示す手法ともとられ、またシェイクス

ピアがこの人物の動機をあまり深くさぐろうとしないためだと考えられた。しかしその理由はともあれ、結果と

しては、リチャードにすべての光があてられ、ボリングプルクの影が薄くなるのである。事実、このクライマック

スの場面におけるシェィクスピアの大きな目的は、リチャードのペーソスに観客の注意を集中させることにある

のであって、ボリングプルクの心の中を描くことを差控えたのも、そのためであるように思われる。リチャード

の没落が失政を行った彼の責任であることは、この劇に含まれた最も確実な教訓の一つであろう。だが、王位を

奪われてゆくリチャードのペーソスそれ自体は、政治的な問題をはなれた永遠の主題であり、王の神聖さの強調

や、簑奪の罪がもたらす血なまぐさい英国の未来に対する種々の予言によって、彼の悲劇はさらにその重みを加

えられている。我々はこの劇の政治的要素に注目するあまり、その悲劇的要素を軽視してはならないのである。

グブタが、リチャードの性格における断層を「謎」と呼び、劇の「最大の欠陥」といっていることはすでに述

べた。だがその性格の矛盾は、劇の欠陥といえるかも知れないが、「謎」であるとは思われない。このような性

格の矛盾は、『ジョン王』の庶子にもみられる。その劇の前半における諷刺的で喜劇の5.Ceに似た彼の性格の

中には、後半における愛国主義者を暗示する要素は微塵もないのである。だが主題の面からみるとき、前半にお

ける便宜主義の主題と後半における愛国主義の主題とが、半ばコーラス的な彼の性格の中に矛盾するように反映

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しているのが分るのである。リチャードの場合も、主題の要求に応じて、性格の一貫性が犠牲にされているよう

に思われる。壬が没落する理由がのべられている劇の前半においては、彼は不遜で軽薄な浪費者として描かれ、

専制的でむしろ活動的な性格であった。だが運命の力で王権が奪われ、没落してゆく彼の苦悩や悲哀が措かれる

劇の後半においては、その経験や感動を伝えるために、リチャードは内省的となり、口数がふえ、言葉が詩的に

ならなければならないのである。劇の後半で彼が多弁になることと、王国を失ったこととは直接関係はない。我

我が劇の人物の思想や感情を詳しく知るためには、彼がそれについて詳しく述べる以外に方法はないのである。

リチャードの「詩人的」性格を軽蔑する批評家達にとっては、劇の後半は退屈なものであろうが、シェイクスピ

アは同情をもって王の没落を措いている。リチャードが、過去の王達の運命を辿りながら、「死」の「道化師」

に愚弄される栄華の運命をおもうとき(三幕二場)、ボリングプルクとともに王冠を支えながら、二人の間の運

命の浮沈を井戸の釣瓶にたとえるとき(四幕一場)、またもってこらせた鏡に自己の栄光の脆さをみるとき(四

幕一場)、この人物の空想的で芝居じみた性格が強調されているというよりは、彼をとうして詩人が語っている

のである。

⑥⑤(り(諺②①注

A.P.ROSSiter.A点すご§ミ‥現≒さ(LOngmanS〕宗N)、p.N〓芦

S.C.SenGupta.詮謎息宗畏こ詳貢ぎ㌫聖蔓(○監Ord〕宗芦pp.-NOf.

R.D.Arick㍉SymphOnicImageryiロ知叫へ訂己≒㍉h)誼トAIL㍍HIへlune-澄声p.∽思.

A.P.ROSSiter(edL、一書Q討首か(ChattO紆Windus∵石窯P

NichO-asBr00ke(ed.)-知計訂「軋h-(Caseb00kSeries).p.鐘

ポリソシェッドの『年代記録』では、ポリングプルクとともにRa扁nSpurに上陸した者はへnOtpaSttFe?SCOreperSOnSU

シェイクスピアの『リチャード二世』再考

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⑲⑮⑲⑬⑫⑪⑲⑨

(ii.∞鐙)となっているが、シェイクスピア劇では、彼は多くの貴族とともに、ブリタニー公爵の後援でがight邑【ships-

とぎreethOuSandmenO蝿W乳六I-.i.N∞Sを率いてやってくるように改められている。これに対してリチャードは、ア

イルランドから㌦Cmefewpri畠tefrie已S六II〓ii.上と戻ってきたことになっている。

-rまngRibロer.慧空軍等旨速答さら麿こ†蚤こ官云ござ計督彗(PrincetOn.-拐pp.-声

この劇における.ロeCasibus-の主題については、Wi≡amFarnham.3たき計畠=針法餐ぶこ欝邑良計こざ・

gqh甘(○監○鼻-宗∽)-pp.全玩-畠Pを参照されたい。

Gupta-竜.C叫㌻p.-N〇.

KennethMuir(ed.)-ゝ計へ訂旨(TheArdenShake仏peare)こnt=ductiOn.p.=メ

SeePeterUre(ed.)-内首唱知紆訂ヨ軋已(TheArdenShakespeare)-IntrOductiOn.p.-已然

Gupta-息√駁㌻p.-NP

RObertOrnstein-ゝ内耳鼠㌻こぎょふ訂慧(Har昌凰こ蛮勇.p.ロの.

IIFii.-宗-

JOhnRusse-BrOWnかBernardHarris(ed.)-浮きこぎ㌻宮ヨ(StratfOrd・Up01TA苫nStudies∽こ慧3.p.-声

J.D.Wi-sen(ed.).知己§よ∵ヒ(TheNewShakespe害e).IntrOductiOn.p.誤.

ポリソグプルクが最初から王位を纂奪する野心をもっていなかったことについては、『ヘンリー四世・第一部』における

坂軍の使節ウスターの言葉(V∵∴苧云)がそれを裏付けている。また『第二部』でも、死期の近づいたヘンリー四世

は、王位を得るに至ったいきさつを振返って、次のように言明する。

ThOughthen.GOdknOWS.IhadnOSuChintent.

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(?詳菩?三二I.ii.畠-怠)

この悔恨の深い親子は、言葉が真実であることを示している。事実、諸家が指摘するように、『リチャード二世』におけ

るこの人物の解釈は、Samue-Danie-の立場を反映しているようである。ポリソグブルクの罪を運命のせいにするダニ

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⑳⑲⑬⑫

ユルは運命に向って次のようにいう。

ThOudidstcOnSpirewithPride.aロdwiththeTime.

TOmakesOeaSieaロaSCenttOWrOng.

Th巴hewhOh軋nOthOugどりQhietOCHme

(With㌻uOuringcOmfOrtSti--aロur-da-Ong)

Wa∽WithOCCaSiOnthr仁StintOthecrime=

SeeingOthe宗WeakenesandhispartsOSt=ng.

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(3㍍〇q鞋一斗訂ヽ♪BOOkI.思)

テキストはLaurenceMiche-(ed.)-つ訂C㌻巴.等が3(Ya-eU.P.こ漂∞)を使用した。

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DerekTraくerSi-詮監且首議-寺Qヨ/謡肯P墨正巳冒~村雲セく(Stan㌻rdこ拐3-で芦

Winny-竜.Cぎーp.巴.

なおこの問題については、『英文学評論』(京都大学教養部英語教室)の第二十六集における拙論を参照されたい。

シュイクスピアの『リチャード二世』再考