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Hitotsubashi University Repository Title � : Author(s) �, Citation �, 131(3): 123-146 Issue Date 2004-03-01 Type Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://doi.org/10.15057/15222 Right

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Hitotsubashi University Repository

Titleコメニウスの言語教育思想の継承者 : 十九世紀から二十

世紀にかけてのチェコの第二言語教科書

Author(s) 松岡, 弘

Citation 一橋論叢, 131(3): 123-146

Issue Date 2004-03-01

Type Departmental Bulletin Paper

Text Version publisher

URL http://doi.org/10.15057/15222

Right

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コメニウスの言語教育思想の継承者(1)

コメニウスの言語教育思想の継承者

- 十九世紀から二十世紀にかけてのチェコの第二言語教科書1松

  岡

r はじめに

ヤン・アモス・コメンスキー (Jan Amos Komensky.

1592⊥670.>フテン名コメニウス。以下これを用いる) はへ

その著『大教授学』 (Didactica magna) と 『最新言語教

授法』 (Methodus linguarum novissima) において言語

教育の基本原理と方法を詳細にかつ具体的に論じた。またへ

ラテン語の学習書 『開かれた言語の扉』 (Janua】mgua-

rum reserata) と 『世界図絵』 (Orbis sensuaHmm pic-

tus)を書きへ 彼が思い描-言語教育の内容とスタイルを教

科書の形で具体的に世に知らしめた。コメニウスのこうし

た業績や教科書が彼の生きた時代に高-評価され広-用い

られたこともへ その死後へ殊に『世界図絵』がその形態と

内容に変更が加えられつつも版を重ねへ十八へ十九世紀に

至るまでドイツを始めへ ヨーロッパの多-の国々で読まれ

続けたことはすでによ-知られている。

では、コメニウスのこうした言語教育の理念や方法へ そ

してその教科書作成の思想は'彼の母国チェコにおいて'

その後どのように継承されてきたのであろうか。これに関

しては'チャブコヴァID.Capkova(1九九lt 1九九

二)が、コメニウスの著書は十八世紀の最後の四半世紀の

啓蒙主義の時代まではハブスブルク朝下のボヘミア・モラ

ビアにおいて禁書とされたことへ しかしながらその著作は

隣国バンガ--領のスロバキアにおいてチェコ語に翻訳さ

れ'『開かれた言語の扉』『開かれた言語の扉の前庭』 (Ja-

nuaelinguarumreserataevestibulum)『世界図絵』は ∽

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一橋論叢 第131巻 第3号 平成16年(2004年) 3月号(2)

スロバキア語学校へ バンガ--語学校へ ドイツ語学校にお

いて使われたこと、そして十九世紀の前半のボへ-ア・モ

ラビアで、コメニウスの伝統がチェコ語の小学校へ中等学

校へ さらには高等学校・大学を設立を求める民族運動にも

(-)

つながっていったことを報告している。

このように、長い禁止・潜行の世紀を経てコメニウスの

言語教育思想は母国チェコ (ハブスブルク朝オースト-ア

の支配下ではあったが) の教育の現場において再生復活す

ることになったのであるがへ そのことを端的に示すものの

一つが、実は第二言語の教科書ではないかと筆者は考える。

なぜならば、先に挙げたコメニウスの教科書はまさに当時

の人々にとっての第二言語たるラテン語の教科書だったの

でありへ ラテン語が第二言語の首座ではな-なった二世紀

後の十九世紀においてへ その思想がチェコ人にとってのド

イツ語教育、あるいはドイツ人にとってのチェコ語教育に

受け継がれたであろうと想定してもそれほど不自然ではな

い。以

下へ本稿ではこうした観点に立って'コメニウスの言

語教育思想の継承の一側面に迫りたいと患うが'考察の手

がかりとしたのは以下の二書である。

I E'グ-ユツク、Hクラッテ'Ⅴスパーチルへ しス

パーチログァ-著『十五世紀より一九一八年に至るま

でのボへ-ア並びにモラビアにおけるドイツ語教科

(2)

書』二〇〇二年。

Ⅱ ujニューヴェルクラ著『ボヘ-アにおける言語状況

I意図と現実。-一七四〇年からl九l八年にかけて

のハブスブルク朝下ボへ-アの学校のダイグロッシ

(3)

ア』一九九九年。

Iは、題名に示された数世紀間に刊行されたチェコ人の

ためのドイツ語教科書・教材・辞書四九九点の文献目録な

らびに解題で'チェコ国内に所蔵されているものが大部分

であるが、国外のものも若干含まれる。Ⅱはへ その後半部

に、Iよりは限定された期間に刊行されたチェコ語教科書

(母語へ あるいは外国語としてのチェコ語) で'オースト

リア国内の図書館所蔵のものにつきへ文献目録と解説が掲

載されている。いずれもそれぞれの国内に残るハブスプル

ク朝下のボへ-ア・モラビアにおける第二言語教科書を可

能な限り網羅した詳細な目録である。

筆者はこの目録の中から、コメニウスの教授法の影響が

あると著編者が指摘しているもの、または、当該教科書の

124

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コメニウスの言語教育思想の継承者:ck

著者自身がそのように述べているものを選び出し'チェコ

ではモラビア・プシェロフ市のコメンスキー博物館へ

ウィーンではオーストリア教育省図書館において実際に手

に取ってみることのできた教科書について若干の分析を試

・t-UJチェコ人のためのドイツ語教科書とドイツ人のための

チェコ語教科書を並べて考察するのは'当時のチェコが

チェコ人とドイツ人・オーストリア人が混住するへ文字通

りダイグロッシア (二言語変種使い分け)地域であり'特

に一九世紀後半の学校ではどちらの民族も母語でない言語

を第二言語として学ぶことが奨励された時代であることへ

またへ一方の言語の教科書の著者がもう一方の言語の教科

書を編集している例が多いことから'両者は相互に緊密な

関係にありへ方法論的に類似すると考えたからである。も

ちろん両民族の問には常に政治的な緊張関係が存在してい

たからへ チェコ人対象とドイツ人対象とでは内容に違いが

出てくることは予想されるが'今回の考察には含まれてい

ない。地

理的・時間的制約もあって該当するすべての教科書に

当たってはいないためへ 調査には行き届かない点があり、

結論も暫定的であるが'筆者は本稿において'コメニウス

の言語教育田心憩が一九世紀後半から二十世紀前半にかけて

のチェコの第二言語教育に継承されへ とくにそれが「総合

的・分析的」教授法という名のもとに特徴づけられること

を教科書の構成と内容の分析を通して指摘したいと考える。

二 教授法の名称・その意味するもの

WEl

次節でヘ スバーチロヴァーSpacilovi(二〇〇二)がコ

メニウスの教授法-チェコの伝統を継承するものとして取

りあげている、オウジェドニーシェクOufedniiekのドイ

ツ語並びにチェコ語教科書と'ニューヴェルクラ (一九九

九) の中で編者のチュプルCupr自らがコメニウスの教授

法に従ったと述べているチェコ語教科書を取りあげるが、

そこで名前が登場する教授法についてへ その時代の内容で

概観しておきたい。

<iCij

アロンシュタインAronstein(1九二六) は'外国語教

育の改革運動Reformbewegung(一八八二年のドイツの

ヴィエトーVietorの著書をきっかけにして起こった運動)

が始まる以前の教授法を 「総合的」synthetischと 「分析

的」an巴ytischに大別した。それによると 「総合的」 はち

225

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一橋論叢 第131巻 第3号 平成16年(2004年) 3月号(4)

部分(単語) を組み合わせ積み重ねて全体を完成させる方

式の教授法7般を指している。グ-ユツク/スパーチロ

ヴァ-他 (二〇〇二)、スパーチログァI (二〇〇二) に

おいても言及されているマイディンガ-Meidingerへ ザ

イデンシュツッカーSeidenstロckerへ プレッツPloetzの

教授法は'ここでは「総合的」とされている。一方「分析

的」は、部分を組み立てるのではな-一個の文や文章から

出発し'それを分解Lへ 次いで全体をそのまま模倣するや

り方である。アロンシュタインによれば'ラトケRatkeへ

ロックLockeへ ジャコットJacototへ ハミルトンHamiT

tonの教授法は 「分析的」 である。そしてこの両方のやり

方の長所をつなぎへ かつ母語の習得方法と共通するものと

して 「発生的」genetisch教授法と「直観」Anschauung

教授法がありへ歴史言語学の成果をとり入れた前者には

マ-ガ-K.Mager、視覚を重視する後者には先駆者とし

てのコメニウスが挙げられる。一八八〇年代から起こった

音声重視へ話しことば重視の言語教育改革運動は'ハ-ル

トンへ ジャコットへ ベルリッツBerlitzへ グアンGouinへ

さらにはラトケ'コメこウスの考えを教授法の中に取り入

れたので'「自然的」natiirlichとも「母語習得的」mutter-

sprachlichとも 「模倣的」 nachahmendとも 「直観的」

とも'さらにはより一般的には対象言語のみを使って教え

るため 「直接的」 direktとも'そして 「分析的」 とも呼

ばれた。そしてアロンシュタインは、音声と話しことばを

重視した点ではこの改革運動と共通するが'文法を重視し

翻訳にも一定の価値をおいた教授法としてVermittelnde

Methodeを位置、づける。このように、この時代の言語教

育の文脈の中では'「総合的」 は文法・規則から入る教え

方へ 「分析的」 は文・文章へ そして後には話しことばから

入る教え方、と言うのが少な-ともドイツ語圏における共

通の認識であったと考えられる。

さてヘ スバーチロヴァ-(二〇〇二) は'一九世紀末か

ら二十世紀にかけてボへ-ア・モラビアのチェコ語学校

(チェコ語を教授言語とする学校) のドイツ語の授業で定

着し、チェコ人の教授学者によって練り上げられ、ハブス

ブルク朝公認の教授法とされたVermittelndeMethode

こそがまさにへ コメニウスの外国語教育の恩想を受け継ぐ

ものだとする。そしてこの教授法を代表する教科書編者と

して'特にオウジエドニーシェクの名を挙げる。つまり'

多-の面で近代的であったコメニウスの教授法は、その死

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コメニウスの言語教育恩想の継承者(5)

後祖国ボへ-アでは忘れられたが'一九世紀の後半になっ

てチェコ人のためのドイツ語教育における教授法として復

活・再生し'それが典型的にはオウジエドニーシエクの教

科書や教授法の中で実現し'さらにその他の教科書・教材

にも取り入れられることになり、他のどの教授法よりも成

果を挙げ、ついにはl九l八年以前のチェコにおけるドイ

ツ語教授法の最高到達点となりへ最終的にそれらがVer-

mitte】ndeMethodeと総称されることになった、という。

では'チェコにおけるVermittelnde Methodeとは何

か。辞書的な意味では「問を取りもつ'仲介する教授法」

ということになるがヘ スバーチログァIによれば'十八世

紀まではラテン語学習方式に倣った伝統的な教授法が続い

ていたが'十九世紀に入り文法中心の教授法と直接法との

間の中間の道 (Mitte-weg) が模索され'教科書を通じて

旧来のあり方が次第に克服されていった時の、そうした教

科書の基となった教授概念だという。そこで本稿では文法

翻訳法と直接法との間の<中間>の教授法という意味でt

はこれを「中道<なかのみち>教授法」と呼ぶことにする。

さてスパーチログァ- (二〇〇二) はt Vermittelnde

Methodeはチェコの教授学者の問では「分析的・総合的

教授法analytischIsynthetische Methode」 とも呼ばれ

ていたとしており、一方、グ-ユツク/スパーチロヴァ-

他(二〇〇二) は、オウジェドニーシエク自身がAn・

schauungs-methode (直観教授法) と呼んでいるのをへ

これは公式にはVermittelnde Methodeであるとも注記

している。

そしてまたこの 「分析的・総合的」は、ニューヴェルク

ラ(一九九九) で取りあげられたチュプル著『チェコ語入

門』(一八五〇) と『チェコ語実用教程』 (一八五二) でも

使われている。すなわちチュプルは両署の前書きで、自分

の教科書は「分析的手法」と「総合的手法」を、機械的で

なく化学的に結合した 「発生的教授法」 に従っている'こ

れはコメニウスやラトケの考えた 「自然的教授法」 でもあ

るへ と記しているのである。

右に述べたことと関連するがヘ リドウルK.Rやdl(二〇

(6)

〇二) も'外国語教授法の歴史には 「総合的」 と 「分析

的」 を両極とする対立概念があり、前者は 「文法翻訳」、

後者は「直接法」と総称されるとし、両者の総合が「総合

的・分析的教授法」 であり'公的にVermittelnde Meth-

odeと呼ばれているものだとしている。これはスパーチロ

127

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一橋論叢 第131巻 第3号 平成16年(2004年) 3月号(6)

ヴァ-とも基本的に共通する認識である。しかしこのよう

に単純化してしまうと、総合的・分析的教授法は'さらに

はコメニウスの言語教授法は'つまるところ文法翻訳法と

直接法を同時に含むものへ または単に両者の混在したもの

として短絡的に理解されることになる。また、総合的・分

析的教授法(-中道教授法) が 「直観教授法」や「発生的

自然的教授法」と同一視されて分かりにくいのも「総合

的」「分析的」「総合的・分析的」 の理解と用法に微妙なず

れがあるからであろう。この点についてはへ オウジェド

ニーシェックやチュプルがこれらの概念・名称を用いるこ

とで一体何を伝えようとしたのかへ彼らの残した作品から

直接探りだすしかないだろう。そして最終的には'コメニ

ウスにおける「総合」と「分析」とは何かに立ち戻って考

えることになるだろう。

以上を前提にしてこの時期に用いられた 「分析的」 「総

合的」「直観的」「発生的」がどのような意味・役割を担い'

それがどのようにコメニウスに関連づけられるのかへ そし

てまたへ コメニウスの言語教育思想が「総合的・分析的教

授法」「中道教授法」「直接法」とどう関わるのかを見極め

ながらへ教科書を検討することとしたい。

三 教科書分析

まずへ チュプルFranzCupr著のドイツ人対象のチェコ

語教科書二点を取りあげる。

A Bohmisches Elementarwerk. -Sprach-und Lese-

buch fur Schule und Haus-ボへ,,,ア語 (-チェ

コ語)基礎教科書-学校並びに家庭用話し方・読み方

読本1

ErsterThei1.Bohmische SprachlehrefurAnfan・

gerIgenetisch bearbeitetI 第一部 発生教授法

によって書かれた・初心者のためのボへ、,、ア語入門

この教科書(初版は一八五〇年にプラハで刊行されてい

るが'筆者は増訂版の1八五二年版を用いた) の序文の最

初で'著者は次のように述べている。

「本書の目的は'ドイツ人の初学者にボへ-ア語(=

チェコ語) の実際的な運用をできるだけ短い期間で可能に

することでありへ その教授法は「発生教授法」 である。こ

れは二つの教授方法へすなわち分析と総合を機械的に結び

つけるのではなく、それらを化学的に融合Lへ自然な全体

128

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コメニウスの言語教育思想の継承者(7)

に作り上げることを努めた教授法である。‥・」

さらにチュプルは'序文の前にコメニウスの 『大教授

学』のなかの言葉をエピグラフとして掲げておりへ その引

用句は「‥・教授法は自然に従う。自然なものはすべて自

ら生ずる。」 で終わっているから、チュプルが分析と総合

が一体化したものを自然の理に適った教授法へ と考えてい

たことは間違いない。「自然に従う」 ことはコメ:ウスに

おいても重要な概念であるが'チュプルはそのことと「分

析」 「総合」 とを以上のような形で関連づけたのである。

なおへ ここで出て-る 「発生的」 であるが、「発見的」 と

言い換えられるようなもので'また 「分析的」ともされて

(7)

いる。以上のことから、チュプルの教科書へのコメニウス

の影響はほぼ確実であるが'それがどのように具体的に表

現されているかを見てみよう。なお、取り上げた箇所は初

級教科書の第一課に相当するような部分が多い。これは、

これまでの教科書作成の経験から教科書編纂の基本原理は、

ほぼ第一課ないしは最初の数課に尽くされていて'必ずし

も全編を検討の対象としなくてもよいと考えるからである。

本教科書は二〇課からなる。発音(文字の読み方) の解

説はその前にまとめられていて、ご-簡単にしか取り扱わ

れない。(発音指導が重視されるのは改革運動の後である)0

各課は文法内容を見出し語で示しへ動詞の活用の基本的な

ものから導入・練習が行われている点で'文法項目を中心

にして構成された教科書であることは類書と変わらない。

しかし、各課の構成と内容は型通りではない。第一課を見

てみよう。(引用文中の日本語は'原文のドイツ語または

チェコ語を翻訳したものである。かっこ付きの日本語は'

筆者による解説か'筆者が参考上翻訳したもの。)

第一課 語尾がamとなる動詞。名詞の性。単数変化第

l薙o(ドイツ語による見出し)A

a (説明抜きに、チェコ語動詞の六つの活用形と不定

形がドイツ語訳付きで示される)

V。】bm 声(Jサ・、い;,,Vo】賢 eiinf.い.,Vol恥 洋 (i&

粁) 罷局毎。Volame 非々荘屑b Vol&te 璃E)罷

再転。Volaii 宿望i再転。Volati 属bo (剖榊m

b (ドイツ語訳なしに'チェコ語の単文が十六行にわ

たって続-)

129

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一橋論叢 第131巻 第3号 平成16年(2004年) 3月号(8)

Voiakvola(加圧罷尋iOo Vojacivolaji(加廿fEか

罷局毎)。Sedlak orか (如拙罷堂ヰ)o Orame (発斗

罷堂ヰ)o Bratrhied恥 (jl氷罷湛ヰ)。Bratfihledaii

51事tz *> 荘藩ヰ)。Potok hrkoti.(Potoky

hrkotaii.)Luh(se)zelena.Hoch vyska(vejska).

(HoSiveiskaji).Hied鑑.Litame.Kozamis恥.Matka

zehna.(以下、省略)

B

(約二貢に亙って詳細なドイツ語による文法説明があ

る。さらに<注>として小文字による説明が加えられて

いる。約二頁)

C

瑚鮎 a (ドイツ語文をチェコ語に訳させるもの.未

習語にはチェコ語訳が予めつけられている)

柵等 (zahradnik)碧屑bo 沖廿 (slu帥ka)&細入1

(spechati)05」 (otec) 軍師≠ (syn) 巾馨粛ヰかの

.ァ.r-ii恥t∵c 」肝fi-fo刊巾S,(7*o <Z'-十八行にわ

たっているが'省略)

b 以下の名詞の性別を言いなさい。

jazyk,pluh,dar.hoch,slepice,pilnost.slovo,pastu-

cha.(以下へ省略)

c Aの文中に出た名詞の性別を言いなさい。

130

以上の例示からわかるように'本教科書の特色は'モデ

ルとなる文ないし文章を最初におきへ それを分析して得た

文法知識で'さらに次の文・文章を理解していくというス

タイルである。新出語はその都度チェコ語訳が示されるかも

または巻末の辞書をみることになる。従ってへ おそらくは

当時の典型的な外国語学習の型であったと思われる'文法

事項を品詞の違いへ例えば名詞、`形容詞、動詞とに分けへ

さらにそれを形態の違いによって分類し、それぞれを順々

に提示し練習していくというスタイルには'チュプルは

従っていない。著者白身も序文で'動詞と名詞の導入・学

習を同時並行的に開始し'全体を文・文章をもととするよ

うに努めへ 互いに比べながら発生的に (発見的に)進むよ

うにしたと述べている。なおへ第二課以後もほとんど同じ

形式で構成されている。

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コメニウスの言語教育思想の継承者(9)

チュプルの別の教科書をみてみよう。

B PraktischerLehrgangzumschnellen undleichten

Erlernen der bohmischen Sprache-Einleitender

TheilzudessenSprachlehre.Praga,1852.

ボへ-ア語を迅速かつ容易に習得するための実践教

程-ボへ-ア語教科書入門編。プラハへ一八五二年

全体で三巻からなる教科書の第一巻であるが'ここにも

かなり詳しい序文がある。そこでチュプルは'古-はコメ

ニウスとラトケの考えである 「自然に従った教授法」、そ

して近年ではマIガIMagerの言う「発生教授法」 に

従って本書を編纂したと述べるとともに、この入門編は

もっぱらア-ンAhnの 「分析的メソッド」 に従っていて'

日常生活の一般的な会話力を練習問題へ読み物へ会話練習

を通じて高めることを意図したとしへ第二巻は「発生教授

法」に厳密に沿いへ分析的手法と総合的手法が有機的に組

み合わされたものになる、第三巻はもっぱら総合的手法で

あるとしている。第一巻を検討する。

前著Aのような'主要文法事項を表すような章立てをと

らないで、通し番号の小項目の下に、文字ないしは語嚢が

並びへ その後に基本的に短い文が並んでいる。項目一から

九までは文字の読み方練習であるが'ここでは項目三を見

てみよう。単語には'ドイツ語訳が付されている。

∽e,r.

Mesto BJ.nSkko 轟75,ノnikdo 詣伊.pSna 謎.

bfelidlo 鵜Ej撃ノ ReC 叫油ノ kfeC 掛憾.Rim

ロー7ノ te6e  きかノ kfi帥 +朝据ノ Voda tece.

(*##!芦か) Castece.(屈ffl碧諏き蝣5) P6nateJe.

(薗wmきか) Knfeznese.Otec nesebic.Zenanese

maso.DitS dela radost.Bud ditfe doma (zu

Hause).Otecjestdomasam.(以下へ省略)

(このように、文字の発音練習段階から、語意・文、

さらには文法を導入し'練習する方式となっている。)

次にへ少し先の二六を見てみる。

131

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一橋論叢 第131巻 第3号 平成16年(2004年) 3月号(10)

2

6

.

Byljsem群荘ぐノfZ(坤辞) bylijsme芦frが罷ぐノf;

bylajsem置荘rノfr(沖醇) bylyjsme曹tz*>荘√ノfZ

bylojsem群罷^tz(骨醇) bylajsme群汁t;荘rノfr

bylisi増訂rノfE(坤揮) bylこste瑚fEか罷√ノfr

bylajsi瑚荘rノ汁(舟.罪) bylyjste璃frか荘√ノfL

bylojsi瑚荘ぐノf;(廿醇) bylajste璃汁か荘Lノf;

l恥 fi,ty 」,on 帯.ona 薄k.ono 小さ.

my fth.vy 瑚/;^,oni (ftか 「fjtt.).onv

薄沖6 (沖醇)ノOna 付き6 (骨醇)。Oni byli

doma a ony byly ve voze.Pani byla v zahradS.

Pani budou na snidani.

Les 掛.rak 螺.prst 芯ノ myslivec 苛>.

rybar 薗笥ノ skolo y5如.(-)zelenや 茄㊦ノ

cervenや 鄭rノノ obratnや Li≠fiノhibitや 掛rノノ

kfehkや 薙ぎやヰぐノ

Zelenelesyahbitimyslivci.Myslivcovfebyliobrat-

ni alesy byly zelenfe.Bylこstetakdobfijakoot-

cove va芦Bylijstekfehcijakosklo,oni bylisilni

jakoskaly.Silneskalyakfehkfesklo.(以下に九行

続-が'省略)

前著Aにおいて各章のしかるべきところにあった詳しい

文法説明は削除され'活用一覧といった形で巻末に一括さ

れている。文法の助けを借りて文章を理解したり作ったり

するのではな-'学習者の分析力へ 類推力によってそれを

達成するというのがチュプルの考える分析的手法と解され'

それがさらに徹底したものである。文法が巻末にl括され

たのを補う形で、項目二六のように人称と動詞の活用が添

えられているが'練習文中の各文が互いに無関係でなくへ

前後の文と意味のつながりを持って並んでいることは前著

と変わらない。

二著を通じて受ける印象は'後の時代の直接法系列の教

科書(それらほとりもなおさず'分析的手法の系列に属す

るとされる)が身近な事物へ例えば教室内の事物の描写か

ら出発するのに対して'チュプルの教科書にはそうした配

慮はな-'それよりも'文と文との意味的つながりと統一

のイメージが重視されていることである。ただしへ コメニ

ウスの 『開かれた言語の扉』や『世界図絵』 のような徹底

132

Page 12: URL - HERMES-IR | HOME › rs › bitstream › 10086 › ...ヤン・アモス・コメンスキー (Jan Amos Komensky. られたこともへ その死後へ殊に『世界図絵』がその形態とた業績や教科書が彼の生きた時代に高-評価され広-用い科書の形で具体的に世に知らしめた。コメニウスのこうしtus)を書きへ

コメニウスの言語教育思想の継承者(ll)

した内容中心・事物中心のものではな-'文法を体系的に

習得させようとするへ つまり総合的アプローチをとる教科

書でありながらへ右に指摘した点においては分析的であり'

総合と分析の双方に目配りのあるものということができよ

う0

続・いて'オウジェドニーシエクEdvard Oufednicekを

検討する。

C CviCebnice jazyka nfemeckeho pro prvini a dru-

houtfidu賢olstfednichBrn恥,1890.中等学校二

二学年用ドイツ語練習。ブルーノ'一八九〇年

六貢にわたる詳細な教授理念を述べた'チェコ語による

序論をもつ初級内容のドイツ語教科書であるがへ その序論

は教師に向けて書かれたものである。そのエピグラフに

「規則は短-、例は分かり易-'練習は多-。ヤン・アモ

ス・コメンスキー」とあるので、コメニウスの教授法が著

者の念頭にあったことは明らかである。ただへ序論の内容

の半分以上は同時代のドイツ語文献からの引用であり、著

者はそれら文献をして語らしめる形式で自らの言語教育の

理念を展開しているかにみえる。

主な点をみて見ると、母語からの翻訳は初級段階では適

切でない、規則を与えるだけでは言語感覚は身につかない'

実際に事物を兄へ目と耳を通して類推を働かせる、論理的

かつ内容的に関連のある文章をたくさん与える'教師の指

導の下に個々の物から出発し事物の認識に至る経験主義

的・帰納的手法をとる'単語は文脈の中で経験と結びつけ

て覚える、外国語学習のtm的は1 つの思考方法を習得する

ことである'児童には恐怖ではなく、興味と勇気と喜びと

自信をもたせるt などが挙げられよう。

これらはいずれも'コメニウスの教授学において'表現

は異なるが詳細に語られていることであり、と同時にへ 当

時の言語教育改革運動の主張でもあった。では'オウジェ

ドニーシエクの教科書の特徴は何であろうか。

教科書Cの本文は'基本的には文法の学習・練習が核と

なっておりへ比較的小さい単位の課で構成されている (辛

頁で終る課もありへ 多-ても二頁を越えない)。一課は文

字の紹介(一頁)へ 二課は母音他の発音の説明(一・五貢)へ

三課で早くも一四行にも及ぶドイツ語の物語文が示される

133

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一橋論叢 第131巻 第3号 平成16年(2004年) 3月号(12)

が'下にはチェコ文字による発音が併記されているから'

意味は分からな-ても読むことはできる。乱暴なやり方で

はあるが'ドイツ語は文字表記と実際の発音とのずれが少

ないのでへ このやり方が可能である。

四課から文型で文法内容が導入され、チェコ語の簡単な

文法説明が注として示され、次に短い文を集めて'内容的

につながりのある文章が練習問題として示される。これは

チュプルの教科書At Bと共通する。課が進むにつれてそ

れぞれの課の内容は多くなるが'学習事項を小刻みに示し

(文型で、単語で'あるいはチェコ語の説明でとも 色々と

やり方が異なる)へ その都度練習(これも一定していない)

をするというパターンは変わらない。

Dubistfie忘ig.

Eristfieもig.

SieistfleLSig.

Esistfleiflig.

DerBaueristfleifiig.

DieMutteristfleiflig.

DasKindistflei/3ig.

Wirsindfleiflig.

Ihrseidfie馬ig.

Siesindflei/3ig.

m

m

E

3

m

宙鷲津醇dヰo

荘>xiy皆置7=ヰ,I

S><D=f営瞥醇dヰo

巾㊦細如罷埋醇dヰo

血(}SJj辞・T4,,

^サta腰wxvmm

U<iliWi置.E4,I

m

&

B

簿爪こ純理置dヰo

134

発書練習に続く最初の文法事項の課である四課を見てみ

る。

IV

(ドイツ語の本文にチェコ語訳が付されている)

WeristfleijSig?

IchbinfleLSig.

W.h-曹辞Tヰ*K

{%fjh皆置・Eヰ,,

mtt¥

Der Vateristheute heiter.Denn du bistfleiSig.

Der Herr Lehrer ist mit dir zufrieden.Er ist mit

mir auch zufrieden.Denn ich bin aufmerksam.

Ich bin aber auch heiter.Denn der Frtihling ist

da.Es ist warm.Die Wiese ist griin.Der Tag ist

lang,die Nachtist kurz.Der Vogel ist heiter.Die

BieneistfleifligwieBiene.

(練習であるから、チェコ語訳は添えられていない

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コメニウスの言語教育思想の継承者

が、以下の内容である。)

「父は今日は上機嫌だ。というのは'君が勤勉だか

ら。先生は君に満足している。先生は僕にも満足して

いる。というのは僕が行儀がいいから。僕もまた気分

がいい。というのはもう春だから。今日は暖かい。野

原は緑だ。日は長く、夜は短い。鳥もご機嫌だ。蜂は

勤勉だ。お前たちも蜂みたいに勤勉だ。」

(なお欄外に'チェコ語によるEs ist warm.のes

についての説明があるがへ この場合のesが 「それ」

の意味でなく、非人称主語のesで性格が異なるから

である。)

(13)

次にへ Cに続-内容のもの、いわゆる中級レベルの教科

書の内容を見て見よう。

D Cvi訂bnice jazyka nSmeckeho pro tfeti a tfidu

宗ol stfednich.Olomouc.1906.中等学校三年用ド

イツ語練習。オロモーツ'一九〇六年

これは、初版(一八九二年。三・四年クラス用) の一四

年後の版で'三年クラス用に縮小され'また全面改定が施

されたとあるので、必ずしもCに直接に続く内容とは言え

ないだろうが'筆者は初版を見ることができなかったので、

これを通して中級クラス対象のドイツ語教科書作成上の著

者の原則をさぐることにする。

本書では文法内容を表す見出しと読み物の見出しが交互

に立てられて'計一二の大項目で構成されている。I語

順。Ⅱ読み物。Ⅲ主格の用法。Ⅳ読み物。Ⅴ対格の用

法。Ⅵ読み物。Ⅶ与格の用法。Ⅷ読み物。Ⅸ属格の用

法。Ⅹ読み物。刃副詞・接続詞等の用法。Ⅶ読み物。

「I 語順」 の中のサブタイトルは'-憧れと別れ。(氏

謡)。2休みが終わって。a 通りで。b 入学手続き。

C 学校で。3父母への手紙。4寓話3題。

以上の内容はすべてドイツ語の読み物でも 全体で約四頁。

最後にチェコ語文の手紙があるが'これはチェコ語からド

イツ語に翻訳させるためのものである。

この課の文法説明は、巻末にまとめられ (全三四頁)へ

そこでは 「語順」 の大見出しの下にへ 16主文中の語順、

1 7正常な語順へ 1 8転倒語順、1 9従属文中の語順へ と詳

細で整然としたドイツ語による説明がある。また、この後

には、本文に出て-る語柔の辞書(四八頁) がある。

135

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一橋論叢 第131巻 第3号 平成16年(2004年) 3月号(14)

教科書Dの特色を比喰的に述べるなら、文法と翻訳は表

からは姿を消すが背後から手堅く表を支えへ かつその屋台

骨が外からは気づかれないよう、表の屋根や壁は多彩に変

化をつけて (民謡あり、寓話もあり)措きあげられている

ということになろう。

ここでさらに'エウジェドニーシエクが共著者となって'

チェコ語を学ぶドイツ人児童のためにほぼ同時期に編纂し

た教科書も検討しておこう。著者が全-同じ教授法の理念

で編纂したのかへ また共著者がいることによる違いがある

のかといった点は現在のところは分からない。だが'チェ

コ語ドイツ語のバイリンガルであろう著者が同じ理念と方

法論にもとづいて対象言語の異なる教科書を編纂したとの

想定のもとで検討する。

E Lehrgang der bohmischen Sprache fur deutsche

Mittelschulen1.-3.Thei1.

ドイツ語中等学校用チェコ語教程。第一~三部。

von Karl Charvat u.Eduard Oufednitek,Olmiitz.

1

8

9

1

.

カール・チャルヴァ-トへエドワルト・エウジエド

ニーシェク著。オロモーツ'一八九一年

Cと同じく教師向けの序文がドイツ語で書かれているが'

Cの序文のような豊富な引用はなくへ 基本方針が箇条書き

で記されているのみである。これを見ると'エウジエド

ニーシェクも当時の話し方重視の外国語教育改革運動とそ

れに対立する文法第l主義の教授法との問でかわされた論

争に'決して無縁でなかったことがうかがわれ興味深い。

特に'文法には二義的な意味しかな-'それをここではで

きるだけ抑えへ 簡略にしたことを強調している。

本文を具体的に見てみると、第一部は文法項目に沿って

構成されているが、それを明示する見出し語はな-、「練

習ILから「練習57」までの項目名で構成されている。十

行で終わる項目もあれば、一頁以上に亙るものもある。文

字と発音は項目外の二頁で終わりへ練習Iは次のとおりで

ある。

136

I.Ubung.-CviCeniprvni.

Citim,mluvimamyslim.(濡荘鋸か.封L.凍k、か)

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(15) コメニウスの言語教育思想の継承者

Ityciti抄,mluvi抑amysli失地t)誹や.鋸L.凍iか)

Kdociti.mluviamysli?(識碧部や.封L.却iか哲)

Clovekciti,mluvi,mysli.C*ョA営部や.封L.鵡x.5)

(この下にへ同じものが筆記体で示されている。)

(文法説明はドイツ語で、以下の内容である。)

- 動詞の多-はう 現在単数一人称は ⊥m、二人称

は-is、三人称はIiで終わる。

2 チェコ語では'特に表現上必要な場合以外は'主

語としての人称代名詞は用いられない。

3 名詞には冠詞はつかない。またへ小文字で始まる。

がった枝があります。あちらに陽気な鳥たちが沢山い

ます。そよ風が吹き、木の葉がざわめき、美しい歌声

が響きます。)

(この下にへ 同じ内容が筆記体で示され、その次に'

ドイツ語による短い説明がある。)

「名詞を修飾する形容詞は'男性単数第一格の場合

はy、女性はa'中性は2、で終わる。」

このようにへ練習Iは動詞を扱いへ練習4は形容詞

の名詞修飾用法を扱っている。

少し先のへ 練習4を見てみる。

IV.Ubung\CviCeniCtvrte.

Dub.(商㊦斗)

Dub jest krasny strom.Dole jest silnやkmen,

nahfe Sirok恥 koruna.Tarn bydli mnohやvesely

ptek.V恥nek vane,zelene listi 抑umi,a krasna

piseftzni.

(樫は美しい木です。下には頑丈な幹が、上には広

この教科書についてはへ 次のような特徴が指摘できる。

①文法は意味のある文脈で提示される。②新出文法項目は'

適当に分散される。③文法説明は対照言語学的観点に立ちへ

無駄な-簡潔である。

第二部の本文はさらに物語文・記述文中心となりへ 文法

説明はない。(慣用句については文章の欄外にドイツ語訳

がある)。

第三部も同じ形式であるが'詩へ国土紹介、チェコの偉

人伝など'内容的には多彩となる。文法説明はないが、本

137

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一橋論叢 第131巻 第3号 平成16年(2004年) 3月号(16)

文は文法項目と系統的に関連づけられていてへその整理と

説明は本の後半にまとめられている。第三部を例にとると'

本文-1-Sは属格、は奪格へは対格へcoco

は与格である。それ以後の読み物L0--CO

cocoについては文法と

の関連づけは特にない。

以上のことから、オウジエトニーシエクの編纂したドイ

ッ人対象のチェコ語教科書とチェコ人対象のドイツ語教科

書は'初級段階の文法の扱いで若干の違いを見せるが'基

本的にはほぼ共通する教授理念と方法で編纂されているこ

とがわかる。

それは'一つの文法体系を背景にLtl定のまとまりの

範囲で文法事項を分散し'それらを散りばめながら幾つか

のテーマを持った読み物に組み立て、提示し'学ばせる。

文法は読み物を通して自分で見つけ出し'必要に応じて巻

末の文法のまとめを参照する。未習単語については巻末の

辞書(<;mo順の訳語つき語嚢表)で調べる。格の用法が

整然と丁寧に扱われるのが目立つが、これは同じような格

語尾変化をするラテン語の文法教育をそのまま引き継いで

いる面もあろうが'複雑な格語尾変化を持つドイツ語と

チェコ語の学習においては軽-は扱えないものであろう。

138

ところでへ オウジエドニーシエクのこのスタイルは現代

の日本語教育に携わってきた者の目から見ると'実はそれ

ほど取り立てて珍しいものではない。文法体系を骨格とし

て本文が書かれへ その本文から帰納された形で文型がありへ

練習がある。文法説明はテキスト中では行わず必要ならば

別冊でというスタイルは、日本語の教育で戦前・戦後を通

じて採用されてきた一般的な形態であり'大ざっぱな言い

方で「直接法」 の教科書といわれる。

そこでへ オウジェドニーシュックから逸れることになる

が、混乱を防ぐためへ ここで「直接法」について整理して

おこう。

(8)

筆者は松岡(二〇〇三) で'戦前の日本語教育者山口喜

一郎の「直接法」がコメニウスの言語教育の理念や方法と

主要な点で一致することを述べへ山口の 「直接法」に含ま

れる概念や手法は決して分析的なものだけではないことも

指摘した。アロンシュタインやリドウルにおいてもそうで

あるように、「直接法」 の名の下には実に多様な教授法が

一括され'媒介語を用いないというのが唯一の共通項と

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(17) コメニウスの言語教育思想の継承者

いってよいほどである。そのため次元の高いものと低次元

のそれとがそこには混在することになる。

例えば、グリュック/スパーチロヴァ-他(二〇〇二)

は、次の教科書を、特に直接法を用いたものと明記した上

で取り上げている。

F PrvninSmeckauCebniceprogkoluadPm.

学校及び家庭用ドイツ語教科書一

Antonin Bobrovskや.Brn取 1902.著者アントニー

ン・ドプロウスキー。ブルーノ'一九〇二年

この教科書は全八十課へ一課は一~二頁で構成され'第

1課では「室内と物」 の絵が最初の頁の上半分に描かれて

いるがその後はな-、三〇課以後再び描写文の練習のため

に登場する。第1課の練習は (本文はない)絵を見ながら

次の文を-り返すことである。

5.DerOfen(鼎苛)

Was ist das?

Dasisitein Sesse-.

1.DerSesse1.(Iノヰ)

3.DerSpiegel,(la)

Cojeto?

TojeSidle.

2

.

D

e

r

T

i

s

c

h

.

(

r

-

f

)

V

)

4.DerKasten.(鞘完tiAjヰ)

課によって若干の違いがあるが'一課を例外に対訳はな

-'基本的にはこのような前後の文脈のない'無味乾燥な

質問と答えのやりとり (例えば八課ではt Was ist blau?

何が青いか、1stderBaueralt?その農夫は年よりかも な

どの質問が脈絡なしになされ'機械的な返答が求められ

る) で構成されている。

こうしたスタイルを 「直接法」と認識しているからであ

ろうかヘ スバーチロヴァIは直接法はチェコでは定着しな

かったといわば切って捨てているのであるがへ この手の直

説法は、媒介語を使わない'形は対話形式をとる'文法に

とらわれないというより文法を無視したというだけの次元

の低い直接法であり'実は「直接法」 の名にも値しないも

のといってよい。山口の直接法がそれとは異なるものであ

ることは言うまでもないが'「直接法」 を論ずる際は、そ

れがどの時代にどの文脈で誰によって用いられたかに十分

な注意を払う必要がある。

さて'先に指摘した特徴からすれば、オウゼドニーシエ

139

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一橋論叢 第131巻 第3号 平成16年(2004年) 3月号(18)

クの手法はチュプルのそれに共通する。つまり分析的であ

ることでl致するO若干異なる点は'読み物へ つまりは練

習用の文章がより身近な内容に'あるいはより工夫された'

洗練されたものになっていることであろう。

しかしながら、オウジエドニーシェクについて筆者が特

に大きな特徴として挙げなければならないのは'一つの課へ

一つの項目の中での新出事項が少なく、無理がないことへ

項目毎で学習上の難易差により読み物や練習の量が異なっ

ていて柔軟に対応していることへ 項目から項目への移りが

滑らかであることへ 言い換えると、この教科書に沿ってい

けば'授業もスムーズに'分かりやすく進められるだろう

ということを感じさせる構成になっていることである。

これは間違いなく'コメニウスがその 『大教授学』 『最

新言語教授法』で繰り返し説いている「早-、容易に、そ

して堅実に」 の原則である。文・文章が最初にあり、規

則・文法は'学習者自らが発見してい-ものという分析的

手法は'確かに聞こえはよい。しかしながら分析の対象と

分析する能力との間にギャップがあったりするとへ 授業は

そこで頓挫し、教師はいら立ちへ生徒は戸惑いへ苦しむ。

その結果、文法から説明し直すというのは'現代でもよく

ある授業の展開である。

「早-、容易に、そして堅実に」 の原則はt より具体的

には 「簡単なものから複雑なものへ、短いものから長いも

のへ」といった提示・練習の工夫へとつながる。これは部

分から全体を組み立ててい-プロセスで'「総合的」 とさ

れるものである。部分を組み立てる作業のみが注目される

と、形式的で現実から離れていると判断されやすいがへ 最

終目標の全体がしっかりと認識・構想されていれば、そこ

へ至る道を踏みはずすことはない。学習者が早くへ容易に'

そして確実な到達点に向けて走る道を用意する'それが教

科書であり授業であると筆者は考えるが'オウジェドニー

シエクの教科書は'まさにそのようなものであろう。

すなわちへ文法が正面に立たず'文章から規則を推測さ

せるという認識プロセスとしては「分析的」 であり'言語

能力を着実に獲得していくという作業プロセスにおいては

「総合的」なのである。その意味でも'オウジェドニー

シエツクの教科書は分析的・総合的でありヘ スバーチロ

ヴァIが'オウジェドニーシェクによって代表されるチェ

コのVermittelnde Methode(中道教授法) を 「総合

的・分析的教授法」とも呼ばれるとしたことの理由がわか

140

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(19) コメニウスの言語教育思想の継承者

るのである。そしてこのことからもう 「総合的・分析的教

授法」を文法的アプローチと直接法的アプローチの組み合

わさったものへあるいはそれぞれの特徴を適宜取り入れた

折衷的なものと解釈する限りにおいては'これを、コメニ

ウスの言語教育思想を継承するものとは決して言えないだ

ろう。最

後に取り上げるのほう一九一四年に刊行されたもので

ある。

G Cvcevnice Jazyka Nfemeckeho pro prvni,druhou

a tfeti tfidu m鑑tanskych 宗ol chlapeckych a

d

i

v

f

i

i

c

h

E

d

v

a

r

d

O

u

f

e

d

n

i

c

e

k

,

1

9

1

4

,

B

r

n

市民学校l'二へ 三年用ドイツ語練習。ブルーノ'

一九一四年

この教科書はCの刊行から二四年後に刊行されたものでt

より洗練されてきたといえる面もあれば'原則にゆらぎが

生じてきたと思える部分がある。項目六を見てみよう。

6.

1.DieFederisthart.(AV二外囲W 2.DieTafel

istschwarz.(姻滞京湘rノ) 3.DieTinteistschwa-

rz,(-fヾPCi湘Vi) die Kreide ist weiS.(f--9

荘Ejrノ) 4.DasBuchisgro/3unddick.(耕荘汁糠

八両ぐノ) 5.Das Heft ist diinn.(\-丁荘瀞Lノ) 6.

Das Lineal ist gerade.(落罷抽J阿八、托) 7.Das

Fensteristeckig.(輯罷rafti.メ) 8.DasBildistsch-

on.(芥罷淋Lrノ) 9.DasKreuzistschwarz.(+≠

贈荘姻rノ) 10.Das Hemd ist rein.(ヾ寸一三叫迅親

指) 11.Das Messer ist scharf.(t-f7荘毘Lノ)

12.Ichbinalt.(置荘琳W 13.Dubistjung.(珊荘

琳rノ)

壇 :1.was ist das? (巾き荘司dヰ;&>) 2.1st

das eine Feder? (巾き荘Itヾ.eヰ甘) 3.Wie ist

die Feder? (-^いこti*oT'ヰ甘) 4.1st die Feder

hart? (よ三外囲rノdヰ哲) 5.Was isthart? (亘

営団Tdヰ督) 6.Weristjung?(韻碧珊√ノdヰ督)

a*(

この後にも チェコ語によるかなり詳しい説明があ

141

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一橋論叢 第131巻 第3号 平成16年(2004年) 3月号(20)

る。)

ログァ-他(二〇〇二) の文献解題中に要約されているの

で'以下にそのまま記すことにする。

142

原則が崩れているというのは'本文に当たる部分が意味

のある文章ではな-'番号のついた文型ないしは文例の表

示となってしまっていること、質問内容も機械的であるこ

と、そしてへ文法が再び正面に登場してきたことである。ノ

筆者はここにクラス内にある身近な材料を使いへ単純な応

答を繰り返して文法を口頭で習得していくという直接法の

影響を感じる。しかしこれは教科書Fと同じ-'悪しき直

接法の例である。直接法は一九〇〇年にフランスへ ドイツ

において公認の外国語教授法となったとされるが'グ

リュック/スパーチログァ-(二〇〇二) はチェコでは定

着しなかったと述べている。意味的な関連性を欠-口頭の

やり取りが直接法の主流となっていたとすれば'それがコ

メニウスの伝統を維持してきたチェコにおいて取り入れら

れなかったのは当然であろうがへ しかしこの教科書に見る

かぎり、オウジェドニーシェクといえども、何らかの影響

を免れ得なかったことは指摘しうるのである。

ところで、この教科書にはクラス内の作業を具体的に指

示した指導書がついている。これはグ-エツク/スパーチ

「教師が一つの文を読む。それを生徒それぞれが声

に出さないでチェコ語に翻訳する。一人の生徒が教師

に名指しされへ その文を大声で発声する。教師はその

文を繰り返しへ他の生徒を名指ししへ その生徒が二

二回繰り返す。生徒はその課の新しい語嚢を一'二回

読み上げへ他の生徒はその意味を伝えるためへ 壁に張

られた絵の中にそれを探す。 こうしてすべての新語

嚢をチェックする。続く場面では、生徒は文章を一'

二回読む。生徒はそれぞれ文章に関する質問を用意し'

別の生徒の名を呼びへ質問に答えさせる。このように

質問が続けられるが'間違いは教師がすべて訂正する。

生徒は正しい答を繰り返す。教師はあまり話さない。

ヒントや指示は短く、かつドイツ語で与える。生徒も

専らドイツ語で話し、チェコ語への翻訳はできるだけ

少なくし、翻訳は生徒がテキストを理解するに効果が

あると確信した時に限る。発音練習では生徒は教師を

真似る。真似ることばへ ドイツ語授業では重要な役割

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コメニウスの言語教育思想の継承者(21)

を演じるとして、このやり方をテキストの編者(オウ

ジェドニーシエク)は直観法(Anschauungs-meth-

ode)と呼んでいるが、これは公式には'中道教授法

(Vermittelnde Methode) である。」 (グ-エツク/

スパーチロヴァ-他(二〇〇二) 二四〇貢)

オウジエドニーシェクは自らの教授法を「直観教授法」

と呼んだようであるが、これは絵や実物との結びつきを強

調したかったからであろう。事実この教科書には、当時流

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行したヘルツェルHolzelの壁絵の縮小したものがはさみ

込まれていて'オウジェドニーシエクの教科書も時代を取

り入れながら変容していったことがわかる。しかしこのよ

うな実物や絵への傾斜はあってもへ その総合的手法はきち

んと継承されている。右の授業の手順がそのことを示して

いる。もちろんへ現代の目から見れば陳腐に見える部分も

含まれ'今ではこのままでは実施できないだろうが、それ

は基本理念を生かして柔軟に対応すればよいことである。

ただし、直観法を 「分析的・総合的」とすることには無理

がある。『世界図絵』 があまりにも有名なためへ コメニウ

スの教授法を直観教授法として扱う概説書もあるが'コメ

ニウスの教授理念の基本はこれまで述べてきたように「総

合的・分析的」とすべきものである.グリリク/スパーチ

ログァ-他がそれを「中道教授法」と読み替えたのは'オ

ウジェドニーシェクの教授理念と教科書作成の手法全体を

念頭においていたからで'分析的・総合的=直観的と考え

ていたからではないt と筆者は理解したい。

四 まとめ

「総合的」と「分析的」 についてコメニウスは'『大教授

学』や『最新言語教授法』などの教授学書の中で力点や表

現を変えて言及している。例えば'『大学教授』 第十八章

では 「なにひとつ分析の方法だけで教えないことへ あらゆ

るものをむしろ総合で教えること」 といい、『最新言語教

授法』十章では「おのおのの事物の部分は 「分析によって

知られるようになります。それにも拘らず「総合」をつけ

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加えることによってさらに完全に認知されます」と述べて

いるが、それらはコメニウスの教授学の主要概念としての、

あるいはキーワードとしての 「すべての人に」 「すべての

ことを」 「自然に従って」 「容易に」 「早-」 「着実に」 と

いったものと比べると、それほど目立たない。だが、外国

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Page 23: URL - HERMES-IR | HOME › rs › bitstream › 10086 › ...ヤン・アモス・コメンスキー (Jan Amos Komensky. られたこともへ その死後へ殊に『世界図絵』がその形態とた業績や教科書が彼の生きた時代に高-評価され広-用い科書の形で具体的に世に知らしめた。コメニウスのこうしtus)を書きへ

一橋論叢 第131巻 第3号 平成16年(2004年) 3月号(22)

語教育の面から見ると、軽視することのできないものであ

る。筆者は以前にも コメニウスにおいては、「総合」 は作

業遂行的に'「分析」 は事物の認識発見にt と役割分担を

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していることを指摘し'それぞれが事実界と理念界を逆方

向に走っていて'ある時点で交差するのだとも書いた。そ

こで主張したかったことは'「総合」 は文法・規則から出

発するもので'昔ながらの文法・翻訳法で'否定されるべ

きものへ一方「分析」 は'自然・現実を直観することから

出発する現代的で実用的なものと'固定的に思いこむべき

でないことへ特に外国語の習得のように'事柄の認識・理

解だけではなくへ覚えて使うという実践的作業の遂行を伴

うものにあっては'認識のための分析と作業のための総合

は常に同時に考えなければならないものだ、ということで

あった。

コメニウスに従うとしたチュプルが、そして同じ-コメ

ニウスを範とするチェコの外国語教授学の主流が「総合

的・分析的」を標模していたことは'コメニウス教授学の

核心部分を継承していたことを示すものであった。またへ

なかのみち

Vermittelnde Methodeも'Mittelweg (「中道」) とい

う意味で、それを表すにふさわしい名称であろう。こうい

う場合によ-使われる「折衷」 では'コメニウスの言語教  胡i

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育思想の根本は表現できない。コメニウスにはまたよ-言

われるように'「自然」 がありへ 「直観」 があり、「模倣」

がある。しかしそのことをとらえて 「直観的」とか 「自然

的」とか、さらには 「直接法的」といった表現だけでコメ

ニウスの外国語教授法を--ってしまうことはできない。

コメニウスは人間の全精神活動と言語活動とに認識と創造

の双方向から迫りへ その教授のプロセスを『大教授学』な

どでへ その完成図を『開かれた言語の扉』や『世界図絵』

の形で壮大に描いたが、その理念と手法はやはり「総合

的・分析的」とよぶのが適切である。

スパーチログァIが'一九世紀の後半から二十世紀にか

けてチェコ内のドイツ語教育で広く採用され支持された言

語教授法を他にはない独自のものとして認識し'それが今

日もなお有効な言語教授法であると確信しているのはへ そ

の意味においてであり、それをコメニウスの言語教育思想

の継承とみなすのも、故なきことではない。

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(23) コメニウスの言語教育思想の継承者

and for the KnowledgeofHisWork inthe Czech Na-

tionalRenascence."in:HomagetoJ.A.Comenius.(ed.)

J.Pe抑kov恥,J.Cach,M.Svato押Praha.

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ale und ideologischeProblemederBildungundErzie-

hung in den tschechischen Landern im Zeitabschnitt

von 1620bis 1918,auch unter Bezugnahme auf das

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chischenBildungswesens,Wien.

O) Helmut Gliick/Holger Klatte/Vladimir Sp抄til/

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menundMdhrenvom15.Jahrhundertbis1918.Einetei1-

kommentierteBibliographie,Berlin.

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cheSprachwirklichkeitinBohmenDiglossieinSchulwe-

sen der bohmischen Kronlander1740⊥918,Wien.183-

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0) SpaCilova,Libuse (2002), "Deutsch-tschechische

Lehrbuchtraditionen in den bohmischen L抑ndern von

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stand imMittelalterund in derfrtihenNeuzeit.Hermut

Gluck(Hrsg.),Berlin.

O) Aronstein,Philipp (1926),Methodik des Neu-

sprachlichen Unterrichts,ErsterBand,Berlin.35-73.

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mdsprachenunterrichts inderTschechoslowakai wah-

renddes20.Jahrhunderts",in:FormenundFunktionen

desFremdsprachenuntrrichtsinEuropades20.Jahrhun-

derts.Lechner,Elmar(Hrsg.),FrankfurtamMain.

教授法は'特定の名称で呼ばれていても、特定の時代の

ものであるとは限らない。VermittelndeMethodeも'次

の文献では1九五〇年代のものを指しているo

Gerhard,N/Hunfeld,H(1999),Methoden desfremd-

sprachlichenDeutschunterrichtsBerlin.70-82.

(f-)"Genetische Methode.',In:Enzyklopadisch.esHand-

buch der Erziehungskunde (1906),J.Loos (Hrsg.),

Wien.

(8) 松岡弘 (二〇〇三) 「コメニウスと山口喜一郎へ そし

て言語教育の普遍性について」『1橋論叢』第l二九巻第

三号。一橋大学一橋学会

(-0 Reinfried,Marcus(1992),DasBildimfremdsprachen-

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(2) 松岡弘 (二〇〇一) 「コメニウス教授学における 「分

析」と「総合」 の意味について」玉村文郎編『日本語学と

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一橋論叢 第131巻 第3号 平成16年(2004年) 3月号(24)

言語学』明治書院。なおこの部分は'鈴木秀勇訳『大教授

学』と藤田輝夫訳(私家版) とによっている。

(3) 松岡弘(二〇〇二)「コメニウスの言語教授法と言語

教科書-日本語教育はそこから何を学ぶことができるか

-」 『一橋大学留学生センター紀要』 第五号。一橋大学留

学生センター。

(付記)

考察の対象とした教科書は'次の図書館において閲覧し

複写等の便宜供与を受けた。記して謝意を表する。

教科書Aへ B、W Amtsbib】iothekdesBundesmiロis・

terium fur Unterricht und Kultuelle Angelegen-

heiten sowie des Bundesministerium fur Wissen-

schaftenundVerkehr,Wien.Austria.

教科書Cへ Dへ F、 O Muzeum Komenskeho,

Pferov,CzechRepublic(

一橋大学大学院社会学研究科教授)

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