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1.会創立 20周年祝賀会にご参加を!~2月 24日(土)・名古屋国際センター~
私たちの会、日韓市民ネット(略称)が発足したのは 1998年2月7日で、当時会員は 40名ほどでし
た。そのうち、10 数名は戦前の朝鮮、満州で小・中学生の時代を過ごした人でした。これらの人たち
の中で、大田(テジョン)から帰国した人たちなどが「私らは今でも韓国人の友人と同窓会を続けてい
る。ぜひ団体をつくり、日韓交流をしましょう!」と言う声を上げたのが会創立の背景でした。
あれから満 20年、メンバーは替わりつゝも 100名をこえています。
日韓の政府間交流が永きにわたって停滞状態にある今、双方の市民による民間交流だけが、ささやか
でも日韓の 2000 年に上る絆を繋いでゆく可能性を秘めています。2 月 24 日(土) ぜひ、おいで下
さい!!
第 21 回総会・創立 20 周年祝賀会
☆ 日 時 平成 30 年 2 月 24 日 ( 土 )
☆ 場 所 名古屋国際センター ( 地下鉄桜通線「国際センター」下車 )
【 総 会 】 午后 3 時半から 5 時まで、第 6 会議室 ( 5 階 )
【 祝賀会 】 午后6時 15 分から第Ⅰ研修室 ( 3階 )
※会場に入れるのは午后 6 時。時間までは 3 階の
ライブラリーでお待ちください
☆お願い 祝賀会参加の方は、 参加費 と 年会費 の合計金額を
参加できない人は 年会費 のみ、お振り込み下さい!
어서 오세요
いらっしゃいませ
201 6 年 の 交流会
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2.岐阜市に“大邱農民の恩人”水崎翁の顕彰板!
故水崎林太郎翁の名は、会員の皆さんなら良くご存知でしょう。100 年余り前、韓国の大邱(テグ)
市に渡り、水不足に喘ぐ農民たちを助けようと奔走。朝鮮総督府の支援を引き出して巨大な農業用貯水
池を造成、農民たちから“恩人”と慕われた人物でした。戦後も大邱では水崎翁の追慕祭が続いていま
すが、出身地の岐阜では、すっかり忘れられた存在でした。
そこで去年の 10月に岐阜県人を中心に水崎翁顕彰会が発足、その最初の仕事として岐阜市にある翁
の墓地に「水崎翁顕彰板」を設置しました。朝日新聞の記事でご覧下さい。
朝日 新聞 (2017 年 11 月 27 日 )
顕彰板の除幕前の風景
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1、第 50回韓日歴史・文化フォーラム開催に協力
2017年 11月 12日(日)に、私たちの団体も 12年余り開催に協力してきた韓日歴史・文化フォーラムが
50回目の節目を迎えました。テーマや講師などの概要を読売新聞の記事などで紹介しておきます。
テーマ 未来志向の韓日関係隣国同士でありながら関係の悪化が続いている日本と韓国。
これからどうすれば未来志向的な関係が結べるか?を考えました。
第一部は、古代、中世、近現代の日韓関係の中にヒントを求めようとする基調報告。
第 2部は、基調報告を行った大学教授 3人の他に、コーディネーターとして、当会顧問の尹大辰氏、パ
ネラーとして統括幹事の後藤和晃氏も参加して、パネルディスカッションを行いました。
2.人道の外交官の故郷を歩く ~日韓交流バス旅行~
12月 2 日(土)、私たち日韓の仲間たちは留学生も誘って、岐阜県八百津町へバス旅行に出かけまし
た。八百津町は人道の外交官と言われた杉原千畝が幼少期を過ごした町です。彼は第 2 次世界大戦の
さなか、欧州の小国、リトアニアで、ナチスの手から逃れてきた 6000人のユダヤ人たちに、日本を経
由できるビザを発給し、その命を救いました。
人道の外交官といわれた杉原氏の記念館は、八百津町の丸山ダム近
くの丘の上に立っていました。記念館の展示物のなかには、杉原千畝
がユダヤ人のために書いた、日本の通過ビザや、ビザの発給を領事館
の外で待つユダヤ人たちの写真なども展示されていました。杉原氏の
経歴を記した展示の中には、彼が中学校(今の高校に相当)を卒業し
たあとは、親達のすすめで、今のソウルにあった京城医学専門学校を
受験していたという意外な情報もありました。(杉原氏の本心は将
来、英語教師か外交官だったので、結局、早稲田大学に進学し、在学
中に外交官試験に合格したのです)
記念館を見学した後、訪ねた丸山ダムは、太平洋戦争の最中に突貫
工事で建設が進められました。当時、韓国から多数の若者が動員され
てきて危険な作業にあたり、犠牲者も多かったということです。
武蔵を演じる留学生たち
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他にも中世の剣豪として有名な宮本武蔵が禅の修行をした寺や、二刀流を編み出した谷なども歩き
ました。夕刻、名古屋に帰り着いた一行は、栄の居酒屋で乾杯を重ねながら、今後の交流計画を話
しあいました。
3.大田テジョン
の“鉄道遺産展示会”で会員が活躍!
去年の歳末(12/11~18)韓国の大田(テジョ
ン)駅近くのギャラリーで
大田近代アーカイブスフォーラムが主催する“大
田鉄道文化遺産展示会”が開かれました。
展示会では、戦前から残る鉄道関係の建築物(鉄
道官舎やトンネル群)をはじめ、半島を駆け抜け
た機関車群の写真や設計図など多彩な資料が紹介
されていました。
貴重な資料の最大の提供者は、私たちの会員で東
京在住の萩元道行さん(84)
でした。萩元さんは、戦前、大田機関区の機関士
だったお父さんらと共に、駅近くの鉄道官舎に住
んでいました。帰国後は、国鉄やその後身のJR各社の鉄道関係工事を背負う鉄道公団で働いた人
で、まさしく韓日の鉄道史と共に人生を歩んできた人です。
記憶力も抜群で、戦前の大田駅周辺の数百軒にも
及ぶ民家の配置図を、戸主名まで含めて記載した地
図を鹿児島県在住の兄の政彦さんとの協力で完璧に
再現するなど、かつての大田に関して多彩な情報を
提供していました。
萩元さんは挨拶の中でこんな話もされました。
「日本の敗戦後、ベテラン機関士だった父は、い
ったん日本に引き揚げますが
数ヶ月後、韓国の方から緊急の依頼ということで、
大田の機関区に戻ってきました。というのも、日本
人のベテラ
ン 機 関 士
が、全員、引き揚げて機関士が絶対的に不足していること
が分かったのです。そこで機関士養成の経験がある父に
【韓国人の機関士を急いで教育し、一人前にして欲しい】
という依頼が来た訳で、父は喜んで大田へ行きました」
鉄道遺産展の会場
解説する萩元さん
呉在熙元駐日大使も大田を応援
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萩元さんの後に挨拶した元駐日韓国大使で、鉄道に関して深い知識のある呉在熙(85)さんは
「萩元さんの話は、韓国の戦後の鉄道史を語る上で、極めて貴重なエピソードだった。韓国の鉄道
を維持するため、戦後早々から日韓が協力していた訳で、これも忘れてはいけない歴史の一ページ
と言えますね」と話されました。
鉄道で発展した大田では、歴史をよく知る人たちが、新しい鉄道博物館を大田に誘致したいと考え
ています。萩元道行さんも呉在熙元駐日大使も「歴史を考えれば鉄道博物館に一番ふさわしい町は
大田。大田の人たちの願いが実現するよう私たちも、できる限り協力したい」と話されました。
1、「薩摩焼十五代 沈寿官展」へどうぞ!
名古屋近郊の会員の皆さん、そして1年3ヶ月半前の日韓交流史の旅、“渡来陶工の 400年を訪ねる
九州縦断紀行”に参加した方々など、ぜひ下記の展覧会にお出かけ下さい。九州への旅の際には、十五
代沈寿官さんとは、窯場で詳しく話を聞いただけでなく、夜には鹿児島の酒場で親しく乾杯を重ねたも
のでした。鹿児島での一日を名古屋でも!ということでの提案です。
十五代沈寿官展
会場 名古屋 栄 三越百貨店 7階 美術画廊
日時 1月 24 日 ( 水 ) ~ 1 月 30 日 ( 火 )
内容 薩摩焼独特のすかし彫りや浮き彫りを多用した
目にも鮮やかな作品など鑑賞して下さい。
特記 (1) 十五代から直接、話を聞ける機会があります。
27 日 ( 土 ) の 14 : 00 から会場で十五代が来場者に対して沈家の歴史や
薩摩焼についてお話をします。“話術の達人”といわれる十五代のトーク
をお楽しみ下さい!
特記 (2) 27 日 ( 土 ) 夜 18 : 00 から名古屋市西区の焼き肉屋 椿山 ( つばきやま ) に、
ご当人を招いて歓迎会を行います。ぜひ、ぜひ参加下さい。
椿山 ( つばきやま ) 西区ノリタケ新町 1 - 3 - 5
( 陶器で有名なノリタケの森から少し北 )
電話 052 - 564 - 0489( FAXも同じ )
参加方法 椿山には、九州旅行にも参加した李純子さんが、
ママさんとして働いています。
李さんに参加者名・人数などを ( FAXなどで ) 事前にお知らせ下さい。
十五代沈寿官 氏 と作品
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2、日韓交流史講座と交流史紀行
例年、交流史講座と講座に基づく交流史紀行を行っていますが
2018年のテーマは今日の中国東北部(旧満州地方)にあった“知られざる古代大国・渤海”で
その栄華の跡を止める「五京」を学んだ上で、現地に旅行します。以下に講座と旅行の概要の
み、お知らせしますので、ぜひ日程を確保しておいて下さい。
(1) 知られざる大国・渤海の五京
① 4月 28日(土) 午後~ 旧国・敦化の遺跡群
② 5月 26日(土) 〃 中京顕徳府・東京龍原府
③ 6月 24日(日) 午前 上京龍原府の遺跡
④ 7月 28日(土) 午後 南京南海府・西京鴨緑府
⑤ 7月 29日(日) 午後 古代日本と渤海との交流
講師①~④ 海の道むなかた館長 西谷 正 氏
〃 ⑤ 金沢学院大学教授 小島 芳孝 氏
(2)知られざる古代大国・渤海五京紀行
日 時 9月 17日(月)から9月 24日(月)まで
同 行 西谷 正先生
内 容 初日は大連からハルピンへ。いらい牡丹江から敦化、延吉方面に展開している渤海五
京の遺跡を廻りますが、日清、日露戦争を戦った戦跡や、満州国に関わって軍人や開
拓民を多数送り込んだ地域と重なります。
今回の旅行は、東アジアの古代史を探ねるだけでなく、近現代の日本が東アジアの隣国や自国
の民にどのような苦しみを与えたのかを現地で実感するものとなります。
吉林省敦化市内にある江東 24 礎石 3、2018年度の年会費の納入をお願いします!
すでに事務局通信の1でお知らせしているとおり、年会費は成人4,000円、
学生2,000円です。なお協力者の皆さんにも用紙を差し上げていますが、よろしければ、郵便局からお振り込み下さい。
編集 応援(非会員)中川修介
沿海州の渤海寺院跡から出た遺物 図們市 長安鎮 城子山山城
上京龍泉府 寺院跡から出た 鬼面瓦