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はじめに

本稿の目的は,情報通信技術(以後,ICT という。)を活用した学習指導の在り方について,特に思考力・判断力・表現力に焦点を当てて考察することである。近年,我が国では,学校教育における ICT の活用が喫緊の課題とされている。その背景には,こ

れまでに策定されてきた ICT に関する国家戦略における政府目標が十分達成されるに至っていない実態がある1。そこで,国は地方自治体に ICT 環境の整備を強く要求するとともに,ICT の活用を学校現場に求めている。2013 年 6 月 14 日に閣議決定された『第 2 期教育振興基本計画』においては,2018 年までに教育用コンピュータ1台当たりの児童生徒数 3.3 人、 超高速インターネット接続率及び無線 LAN 整備率 100% を目標とし、 全ての児童生徒が日常的に ICT を利用可能な環境が近い未来に実現する見込みである。当然,学校教員には,教育における ICT の活用が必須となる。既に,現行の学習指導要領においても,「情報に関する技術」の指導が中学校の教科「技術・家庭」の内容となっているのみならず各教科における ICT の指導が明記されている2。一方で,特に,学校現場における課題として,ICTが活用できる技術とともに,ICTの活用によって思考力・判断力・表現力を育むことが必要とされる3。これらの能力は,現行の学習指導要領において目標とされている「確かな学力」の重要な要素であるが,我が国の児童生徒の学力の現状における改善の課題として挙げられているものである4。本稿ではこれらの力を育む ICT の活用について検討したい。本稿では,まず,わが国で求められている ICT を活用した学習指導について政府文書を中心に概観し,次に,OECD(経済協力開発機構)による「生徒の学習到達度調査」(PISA: Program for International Student Assessment)におけるコンピュータを使用した問題解決能力調査の内容から,求められる活用の内容を明らかにする。その上で,思考力・判断力・表現力を育む ICTを活用した学習指導における留意点に関して考察したい。なお,ICT を活用した学習指導に関しては,多くの授業実践に基づく研究報告が見出されるが,

OECD の問題解決能力調査に関連付けたものは管見の限り見当たらない。

1.わが国で求められる ICT を活用した学習指導

2011 年に文部科学省が発表した「教育の情報化ビジョン」では,ICT の活用により「一斉指導による学び(一斉学習)に加え,子どもたち一人一人の能力や特性に応じた学び(個別学習)や,子どもたち同士が教え合い学び合う協働的な学び(協働学習)を推進することにより,基礎的・基本的な知識・技能の習得や,思考力・判断力・表現力等や主体的に学習に取り組む態度の育成に資するものである」と述べている。つまり,ICT の活用により,多様な形態の学習を促進することが

思考力・判断力・表現力を育むICTを活用した 学習指導に関する研究

ICT Use in Classes to Foster the Ability to Think, to Make Decisions and to Express Themselves

金 井 裕美子Yumiko KANAI

キーワード:教育の方法と技術・ICT・情報教育・「思考力・判断力・表現力」・PISA

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思考力・判断力・表現力の育成につながることが述べられている5。この点については,寺島が ICT を活用した協働学習による思考力・表現力の育成に関する教員の

意識調査に基づき課題を指摘している。寺島は,「協働学習自体をまだ充実させていないのに,そこに ICT のことを加えて考えないといけないのは,教員にとって大きな負担となる。」と述べ,その上で,「ICT を活用した協働学習への取り組みに対し,まずは授業のイメージを持つところから始めたい。」と提案する6。ICTを活用した協働学習による思考力・表現力の育成を推進するためには,協働学習や ICT活用,および双方を組み合わせた実践の成果が蓄積されることが今後重要であろう。一方で,次に取り上げる PISA においては,思考力・判断力・表現力と ICT 双方の活用に関して調査が行われる。そこで,PISA の内容を明らかにすることで思考力・判断力・表現力を育成する ICT の活用について示唆を得たい。

2.PISA における ICT の利用

そもそも思考力・判断力・表現力は,2003 年に実施された PISA の結果に基づき,我が国の児童生徒の課題として示されたものである。2003 年 PISA において,わが国の児童生徒の「読解力」については,「数学的リテラシー」,「科学的リテラシー」,「問題解決能力」といった他の分野のそれに比べて低下が認められた。そこで,PISA 型「読解力」の内容に基づき,我が国の児童生徒の課題として「知識や技能だけでなく,実生活の様々な場面などに活用するために必要な」力として思考力・判断力・表現力が挙げられた7。さらに,2009 年に実施された PISA では,デジタル読解力調査が導入され,まさに思考力・判断力・

表現力とともに ICT の活用が求められた。2009 年の PISA は,それまで 3 年毎に行われてきた調査と同様に読解力,数学的リテラシー,科学的リテラシーの 3 分野を調査した。また,調査時間の3 分の 2 を費やす中心分野としては,2000 年初回と同じく読解力が対象となった。この読解力の調査において全ての参加国共通の調査の他,ICT を利用したデジタル読解力調査が,参加各国による選択制で実施され,わが国を含む 19 カ国が参加した。このデジタル読解力調査の内容から ICTと思考力・判断力・表現力の関係を見てみよう。

① デジタル読解力調査で問われる力

PISA 調査における読解力は,「書かれたテキストを理解し,利用し,熟考し,これに取り込む能力」と定義される。しかし,デジタル読解力調査と従前の読解力審査において測られる力には,異なる点がある。表 1 に 2006 年読解力調査および 2009 年デジタル読解力調査において習熟度別に想定された生徒の特徴を示す。習熟度はレベルの数字が増えるほど高い。両者間での異なる点は,デジタル読解力調査において,ナビゲーションという行動が想定されていることである。ナビゲーション,すなわち,目標とする情報にたどり着くまで自ら経路を決め,インターネットのサイトからサイトへと移動する行動は,ICT を利用した情報取得の特徴である。コンピュータ,およびネット接続の機能が発達し,インターネット上の画面遷移の利便性も高まっていることは,我々に短時間で膨大な情報にアクセスすることを可能にしている。その中で必要な情報にたどり着く力が,情報化時代の思考力・判断力として求められているといえよう。換言すれば,情報にたどり着かなければ,どんなに単純な作業も出来ないことになる。思考,判断といった精神的な活動のために,ITC を操作する技術を備えることが,デジタル読解力の習熟における基礎基本であるといえよう。

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引用:2006 年 PISA および 2009 年 PISA の結果報告書 8。

② デジタル読解力調査の内容

では,同調査では,具体的にどのような作業が求められているのだろうか。2009 年の読解力については,情報へのアクセス・取り出し,統合・解釈,熟考・評価,複合されたもの,の 4 つの側面が調査対象となった。思考力・判断力・表現力の課題が見出された 2003 年 PISA の結果において,比較的成績が低かっ

た部分は,解釈および熟考・評価という読解力の側面を対象とした調査であり,中でも出題形式が記述式のものである10。そこで,2009 年の問題のうち同様の側面を調査する統合・解釈,熟考・評価,複合されたものに関する問題に注目する。表 2 に,2009 年デジタル読解力調査の全問題と,それぞれに正答した生徒の習熟度のレベル,問題の対応する側面,および問題形式を示し,便宜上,番号を割り当てた。表中 10,11 の情報へのアクセス・取り出しの側面に関する問題は,他の側面に関する問題との比較対象として提示している。各問題に対するレベルは,OECD が示しているものであり,統合・解釈,熟考・評価,複合され

たものに関する問題への正答は,レベル 2 以上に設定されている。表 1 を参照しながら,各レベルの問題において要求されている作業を概観する。レベル 1 については,OECD により生徒の特徴は示されていない。しかし,問題を見ると,単一のページにアクセスした上でページ上に示された情報と合致する回答を選ぶことが要求される。レベル 2 以上とレベル 1 の重要な差異は,アクセスの複雑さであり,最初にアクセスしたページから他のページに移動して情報を取得した上で,読み取った情報の関係づけ,再構成,評価といった作業が求められる。レベル 2 では,初めのページから他のページに移動して読み取った情報に基づき,または自身の生活など身近な情報と関係づけて,回答を選ぶことが求められる。レベル 3 では,複数回のページ移動をして,それぞれのページで読み取った情報同士を関係づけること,または取得した身近ではない複雑な情報の意味を選択することが求められる。レベル 4 では,複雑なページ移動をした上で,身近ではない情報に基づいて判断した内容を,選択または記述で示すことが求められる。レベル 5 では,レベル 4 に加えて,情報の批判的な検討が求められ,情報に疑問を持ち,自ら導き出した根拠のある答えを記述することが求められる。以上のように,2009 年 PISA デジタル読解力の内容から,どのようなことが要求されているのかを読み取ってきた。この内容を参照しながら,ICT を活用して思考力・判断力・表現力を育む学

表1 読解力の習熱度レベル別の生徒の特徴の例

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習指導について考えてみたい。

参照:国立教育政策研究所「OECD 生徒の学習到達度調査(PISA)2009 年デジタル読解力調査,国際結果の概要」9

3.思考力・判断力・表現力を育成する ICT の活用

2009 年デジタル読解力調査の内容を見ると,レベル 2 以上の統合・解釈,熟考・評価,複合さ

表 2 2009年 PISAデジタル読解力調査問題例と習熟度、側面、出題形式

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れたものの側面に関する問題において思考力・判断力・表現力の活用が必要であるといえよう。その内容をみるとインターネットの特徴であるページ遷移の機能に関わる行程以外は,従前の読解力調査の内容と差異はなく,レベル 1 から 5 まで,テキストを見つけ,情報を取り出し,情報同士を関係付け,批判的に検討するといった段階的な内容が捉えられる。一方で,上述のように,従前の調査とデジタル調査の最も異なる点は,情報から情報へと移動する過程である。一瞬で遷移するページ同士の情報の関係を捉えるには,活用する側にも相応の処理能力を求める。つまり,ICT の特徴を生かして作業するには,情報取得の速度や量に見合った思考力・判断力・表現力が必要と言うことになろう。そのような力を身につけるために,ICT を利用して,表 2 のレベル 2 以上に示すような作業を学習指導の中に組み込ことが考えられる。そのような指導を考えるとき,特に,レベル 2以上の作業は,レベル 1 の情報へのアクセス・取り出しができなければ不可能であることに注意が必要であろう。インターネットへの接続や,リンク先への移動ができなければ高次の作業は始まらない。例えば,レベル 2 以上の問題に登場する「プルダウンメニュー」という用語が分からず,機能が使用できなければ,次の作業に進めない。レベル 1 は必ず達成できるような基本的な操作を日常の活動にどのように組み込んでいくかということが重要であろう。

おわりに

思考力・判断力・表現力を育成する ICT を活用した学習指導について,2009 年のデジタル読解力調査を手がかりに検討してきた。国際的な潮流の中で,我が国でも学校における ICT 環境の整備が喫緊の課題となっており,同時に,ICT を活用して思考力・判断力・表現力を育成することが求められている。2009 年 PISA では,ICT を活用しながら思考や判断,表現といった作業に取り組むことが求められており,その内容から学習指導へのヒントを得ることが可能である。一方で,そのような学習活動を実りあるするには,ICT が活用できるということが大前提であり,日常的にインターネットに接続し,情報を取得し,自ら情報を発信する経験を積む学習環境が必要である。そのためには,教育現場における ICT の整備を謳う『第 2 期教育振興基本計画』の実現が必須であるということになろう。

【注】1 「高度情報通信ネットワーク社会形成基本法の施行(平成 13 年 1 月)を踏まえ,「e-Japan 戦略」「IT 新改革戦略」「 i -Japan 戦略 2015」など,教育分野を含め,情報通信技術に関する様々な国家戦略が策定されてきた。」文部科学省生涯学習政策局情報教育課「教育の情報化ビジョン,21 世紀にふさわしい学びと学校の創造を目指して」http:/ /www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/04/__icsFiles/afieldfile/2011/04/28/1305484_01_1.pdf,(2014 年 11 月 25 日閲覧)

2 「各教科等の指導に当たっては,児童がコンピュータや情報通信ネットワークなどの情報手段に慣れ親しみ,コンピュータで文字を入力するなどの基本的な操作や情報モラルを身に付け,適切に活用できるようにするための学習活動を充実するとともに,これらの情報手段に加え視聴覚教材や教育機器などの教材・教具の適切な活用を図ること」文部科学省ホームページ「新学習指導要領・生きる力,第一章総則」http:/ /www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/sou.htm(2014 年 11 月 25 日閲覧)

3 「学習指導要領では,知識・技能の習得に加えて,思考力・判断力・表現力等の育成も重要だとされています。これらの能力を育成するために,またその育成に大きく関わる言語活動の充実の

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ためにも,ICT は有効な道具として利用できると思います。」『教育の IT 化に向けた環境整備 4か年計画パンフレット ―学校の ICT 環境を整備しましょう!―』文部科学省生涯学習政策局情報教育課ウェブページ,http:/ / jouhouka.mext.go.jp/school/pdf/kyoiku_it_seibi_4years.pdf(2014 年 12 月 5 日閲覧)

4 「我が国の児童生徒の学力の現状について,全国学力・学習状況調査の結果や各種国際調査の結果からは,基礎的・基本的な知識・技能の習得については,個別には課題のある事項もあるものの全体としては一定の成果が認められること,一方で,思考力・判断力・表現力等を問う問題や記述式の問題に課題があることが明らかとなっている。」ICT を活用した教育の推進に関する懇談会生涯学習政策局情報教育課教育情報施策調整係ホームページ (2013)「「ICT を活用した教育の推進に関する懇談会」報告書(中間まとめ)」2013 年,http:/ /www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/08/1351684.htm(2014 年 12 月 5 日閲覧)

5 ICT を活用した授業の研究については,平成 23 年度に開始した総務省の事業である「フューチャースクール」と連携して文部科学省が「学びのイノベーション事業」として事業参加校における「ICT を活用した教育の効果・影響の検証,効果的な指導方法の開発,モデルコンテンツの開発等の実証研究」を取りまとめた。その成果として,豊富な実践事例に基づく ICT 活用の効果や留意点が整理されており,授業づくりの参考にすることができる。しかし,この事業では,ICT による教育の効果・影響を思考力・判断力・表現力といった観点からは分析していない。文部科学省生涯学習政策局情報教育課ホームページ「学びのイノベーション事業,実証研究報 告書」2014 年 4 月 http:/ /www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shougai/030/toushin/1346504.htm(2014 年 11 月 25 日閲覧)

6 「文部科学省による教育の情報化ビジョンでは,ICT を活用した協働学習が期待されている。その方向にむけて,こうした考えは学校現場ではどのようにとらえられているか,また今後どう進めていけばよいかなどを今回の調査と関連させて述べる。」寺嶋 浩介「ICT を活用した協働学習による思考力・表現力の育成」ベネッセ教育総合研究所ウェブページ『学校教育におけるICT 活用の可能性を考える,第 3 回』http:/ /berd.benesse.jp/feature/focus/7-school_ict/activity03/(2014 年 12 月 5 日閲覧)

7 佐々木司,占部匡司,大野亜由未、 藤井泰,田﨑徳友,二宮晧「PISA 以降の国際標準化とダイバーシティの対話の可能性」『中四国教育学会教育学研究紀要(CD-ROM 版)』第 58 巻,2012 年,660 頁。文部科学省「読解力向上プログラム」2005 年 12 月,文部科学省ホームページ, http: / /www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku/siryo/05122201/014/005.htm(2014 年 12 月5 日閲覧)。

8 国立教育政策研究所「生きるための知識と技能,OECD 生徒の学習到達度調査(PISA),2006年調査国際結果報告書」ぎょうせい,2007 年,175 頁。文部科学省 (2014),国立教育政策研究所ホームページ「OECD 生徒の学習到達度調査(PISA)2009 年デジタル読解力調査,国際結果の概要」http:/ /www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/pisa2009_Result_Outline.pdf(2014年 12 月 5 日閲覧)。

9 文部科学省,国立教育政策研究所,同上。10 初等中等教育局教育課程課ウェブサイト「I PISA 調査 ( 読解力 ) の結果から明らかになった課題」

http:/ /www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku/siryo/05122201/002.htm「読解力向上に関する指導資料,PISA 調査 ( 読解力 ) の結果分析と改善の方向」http:/ /www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku/siryo/05122201.htm(2014 年 12 月 5 日閲覧)。


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