ベーレンライター版の序文
■装飾音の前後のスラー
「ベートーヴェンは、演奏される時には常に付けられているはずの装飾音と主音との間のスラーを、決して書き付
けることはなかった。それは、この曲の初期の資料にも反映されているので、私たちはその習慣をそのままにして
おいた。同様のことは、「ナイチンゲールのフレーズ」のトリルの後にも等しく適用される。それは、装飾音の場合
(第2楽章 33 小節目から 37 小節目までのセカンド・ヴァイオリン)も、三十二分音符の場合(第2楽章7小節目
から 10 小節目までのファースト・ヴァイオリン、さらには、12 小節目では実際に自筆稿にスラーが付けられてい
る)も、もちろん十六分音符の場合も適用される。これは、したがって実質的に第1楽章の 284 小節目(ファース
ト・ヴァイオリン)や、第2楽章の 132 小節目と 136 小節目のフルートのトリルの後の音の演奏の仕方に影響があ
る(このフルートの件は、校訂報告では「出版譜にある2つ目から4つ目の音にかかるスラーは自筆稿にはない。
実際は、その代わりに2つ目から3つ目の音にスラーがかかるはず」とある)。」
これの後半で指摘されているフルートの場合は、
この赤丸の部分の2つの音符の間にスラーが付くのは当然のことです。
ところが、赤字の部分は、もしかしたら異論がある方もいるかもしれません。この箇所(右ページの楽譜)は、第
1楽章の再現部が始まってすぐ、第1主題でファースト・ヴァイオリンがちょっと遊んでいるところですが、この
赤丸の音符を、デル・マーは同様に「トリルの後打音」と解釈して、トリルの最後の音との間にスラーが入るはず
だ、と言っているのですね。
ただ、この音は普通はその次の小節の「アウフタクト」とみなされていますから、そこにはスラーは付けない、と
いうのが、ほとんどすべての演奏家の間でのお約束でした。実際、ベーレンライター版を使っているであろう指揮
者の録音を可能な限り調べてみても、ここにスラーを入れているものはありませんでした。たった一つの例外を除
いて。
そう、まさかとは思っていたのですが、ここを忠実にデル・マーの指示に従って演奏している人が、一人だけいた
のですよ。それは、ミハイル・プレトニョフです。
ベーレンライター版のような原典版の楽譜には、複数存在する一次資料
の中のどれを選択したのか、といったような校訂者の作業が逐一記され
た「Critical Commentary(校訂報告)」(→)というものが添付されて
います。そして、その要点をまとめたのが「序文」です。今回演奏する
交響曲第6番のスコア(1998 年出版)にも、校訂者のジョナサン・デ
ル・マーが書いた序文があります。その中から、演奏の上で重要と思わ
れる部分を抜粋して訳してみました(「」内)。さらに、それを補足する
コメントや画像も付け加えてあります。
実際に現物を聴いてみてください。第1楽章の頭は[QR1]。もろ、ヘンタイですね。そして、問題の箇所が[QR2]
です。いちおう、284 小節目から(22 秒)レベルを上げていますが、分かりましたか?あまりに速いので分かり
づらいかもしれませんが、確かにスラーが入っています。
■スタッカート(「点」と「クサビ」)
「ベートーヴェンは、スタッカートの記号として使われる「点」と「クサビ」との違いについては几帳面だと言わ
れており、その証拠としての文献なども存在するが、今日ではそれらの区別は非常に散発的で、今回の新しい校訂
に反映できるほどの区別は不可能だという点で一般的に認知されている。
これには例外が一つある。それは「ポルタート」においては「点」が、スラーとともに用いられるということであ
る。ここでは、ポルタート以外は、全てのスタッカートは「クサビ」で表記されている。」(例:第2楽章1番 Fl)
QR1 QR2
[ポルタ―ト] [スタッカート]
前東京藝術大学教授の土田英三郎氏は、この件について次のように述べています。
ベートーヴェンの《田園》は明らかに自然描写的な部分を含んでいる。そのことを自覚していた作曲者は、それが
作品への評価にマイナスとなるのではないかと、かなり気にしていたようである。スケッチから総譜化、初演に至る
まで、全体や各楽章にどのようなタイトルを付けるかをめぐって、しきりに推敲していることからも、それはうかが
える。作曲中のスケッチ帳には、楽想のメモに交じって、「説明なしでも全体は音画としてよりも感情として理解さ
れる」「どんな音画でも器楽で度がすぎるとだいなしになる」といった、自己弁護とも自戒ともとれる言葉が記され
ている。初演時のチラシと出版社あての書簡(1809 年3月 28 日付)、それに初版楽譜(パート譜)では「音画より
も感情の表現」と明記される。単なる描写音楽ではなく、自然を前に感動した人間の気持ちの表現であることを強調
しているわけである。(略)
ところが、初版総譜以来、近年に至るまで、ベーレンライター版を除く全てのエディションでは全体のタイトルか
らこの「音画よりも感情の表現」が抜け落ちている。従来版のほとんどが初版楽譜を主要資料としていた旧全集に基
づいていたからである。ジョナサン・デル・マーは、初版総譜はベートーヴェンが関与した形跡がなく、全体のタイ
トルに関するベートーヴェンの最終意図は上記の書簡にあるとして、これを復活させた。一方、各楽章の表題は手稿
資料と印刷資料とでは異なるが、従来版はやはり初版(パート譜、総譜とも)の表記をおおむね引き継いでいる。デ
ル・マーはこれが作曲家の意図ではなく、出版業者が介入したものとして、自筆譜の読みを採用している。
ベートーヴェン 交響曲第6番 ヘ長調《田園》作品 68 のスコア(2010 年 音楽之友社刊)の楽曲解説
■楽章のタイトル
「この校訂では、ベートーヴェン自身が最後に決めたタイトルを復元している。現在広く用いられているタイト
ルの中の1,4、5楽章のものは、出版の際にブライトコプフ&ヘルテルによって勝手に直されたもので、ベー
トーヴェンは初版を手にするまでそのことを知らされてはいなかった。
第1楽章
[現行]
Erwachen heiterer Empfindungen bei der Ankunft auf dem Lande
(田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め)
[ベーレンライター版]
Angenehme, heitere Empfindungen, welche bei der Ankunft auf dem Lande im Menschen erwachen
(田舎に到着した時に人の心に目覚める愉快で明るい感情)
第4楽章
[現行]
Gewitter. Sturm(雷雨。嵐)
[ベーレンライター版]
Donner. Sturm(雷鳴。嵐)
第5楽章
[現行]
Hiltengesang. Frohe und dankbare Gefühle nach dem Sturm
(牧人の歌。嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち)
[ベーレンライター版]
Hiltengesang. Wohltätige, mit Dank an die Gottheit verbundene Gefühle nach dem Sturm
(牧人の歌。嵐の後の、神への感謝と一緒になった慈悲深い気持ち)」
つまり、これらのタイトルはベーレンライター版だけで採用されたもので、同じころのやはり原典版であるブラ
イトコプフ新版では従来のものと同じなのですね。ということは、例えば CD などでこの新しいタイトルが使わ
れていたとすれば、そこではベーレンライター版が使われていたことになるのですよ。そこで、手元のコレクシ
ョンをチェックしてみました。
まず、現時点では最も新しいベートーヴェンの交響曲全集である、2017 年録音のネルソンス指揮のウィーン・
フィルでは、すでに映像などでベーレンライター版のスコアを使っているのが分かっていましたが、確かに「新
しい」タイトルになっています。
同様に、2002 年のノリントン盤、2006 年のプレトニョフ盤、2007 年のヴァンスカ盤、2008 年のデ・フリエン
ト盤、2015 年のブルーニエ盤などが、この新しいタイトルを使っていました。ただ、2000 年に録音されて、間
違いなくベーレンライター版が使われているとされていたアバド版では、従来の表記でしたね。
さらに、1997 年に録音された「世界初のベーレンライター版による録音」という謳い文句(ちゃんとジャケット
に書いてあります)で登場したジンマン盤でもしっかり「昔の」タイトルですし、第1楽章ではタイトルそのもの
が抜けてます。「やっぱり」という感じですね。ジンマンはこの頃は実際の楽譜を見てもいなかったのですからね。
2020 年には、ヘンレからの交響曲全集の新しい原典版も全て揃いました。「6番」はす
でに 2013 年に出版されていましたが、そこでもこの「新しい」タイトルが採用されて
います。それを使う指揮者が出てくると、この判別法は役に立たなくなってしまいます。
なお、ここまでの記述は、ベーレンライター版の初版を元にしています。最近、デル・マー自身による改訂版が作
られたそうですが(未見)、そちらでは別の見解が示されているかもしれません。