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1 団塊 だんかい くそ食 らえ 私は団塊 だんかい の世代 せだい だ。一九四七年つまり昭和二十二年生まれの 亥年 いどし で、今年のうちに六十歳になる。 この「団塊の世代」という呼 び名 は、三十年前に堺屋太一 さかいやたいち さん によって書かれた近未来 きんみらい を予測 よそく する小説の題名 だいめい で、地質学用語 ちしつがくようご からきた巨大 きょだい な人口の 塊 かたまり を意味するものだそうだ。 ここでは、コンビに、自動車 じどうしゃ 、銀行 ぎんこう に官庁 かんちょう といった先端の 業界 ぎょうかい を舞台 ぶたい に、この世代 せだい の余剰 よじょう と使 つか い捨 てにもがき苦 くる しむ 姿 すがた が、各年代毎 かくねんだいごと に追 われていて、よく言い当てられているだけに うら悲しい。それにしても、団塊 だんかい などとこんな十把 じっぱ ひとからげ の扱い方 かた をされるのも情 なさ けない 話 はなし だが、でも私の中学時代を 思い出してみても、そんなに大きくもない私立中学校 しりつちゅうがっこう だったに もかかわらず、同学年 どうがくねん の者が一組 ひとくみ 五十四、五人で十六組もあっ たのだから、確 たし かにその通 とお りと 頷 うなず くしかない。 これがそこに書かれているように、途中 とちゅう のバブル経済 けいざい を作 つく り上 げ壊 こわ しながら、激烈 げきれつ な受験 じゅけん と就職 しゅうしょく と生 き残 のこ りの競争社会 きょうそうしゃかい 通過 つうか してきた後 あと 、そのまま雪崩 ゆきくず れ込 むようにして、二〇〇七年 の今に 大 量 たいりょう の定年退職者 ていねんたいしょくしゃ を生 み出 すことになった。 と、今更 いまさら のように騒 さわ がれてはいるが、実 じつ はその渦中 かちゅう にある 当事者 とうじしゃ にしてみれば、別 べつ に真新 まあたら しいことではなく、生まれたと きから戦後 せんご ベビーブームの世代 せだい と言 われ続 つづ けていて、もうとっ くの昔からそれについて自覚症状 じかくしょうじょう を持 ち続 つづ けてきているのだ。 私自身 わたしじしん 、数年前 すうねんまえ から自分の年齢 ねんれい を敏感 びんかん に感 かん じ始 はじ めていて、足音 あしおと ちか づく定年退職 ていねんたいしょく とその先のあれこれについて、思いあぐねる

団塊くそ食らえ

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시니어 클럽: 메구미의 쌩쌩 일본어 (club.yourstage.com/japanese) 강사이신 '김혜련 선생님'께서 참조하라고 주신 글

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1

団塊だんかい

くそ食く

らえ

私は団塊だんかい

の世代せ だ い

だ。一九四七年つまり昭和二十二年生まれの

亥年い ど し

で、今年のうちに六十歳になる。

この「団塊の世代」という呼よ

び名な

は、三十年前に堺屋太一さかいやたいち

さん

によって書かれた近未来きんみらい

を予測よ そ く

する小説の題名だいめい

で、地質学用語ちしつがくようご

からきた巨大きょだい

な人口の 塊かたまり

を意味するものだそうだ。

ここでは、コンビに、自動車じどうしゃ

、銀行ぎんこう

に官庁かんちょう

といった先端の

業界ぎょうかい

を舞台ぶ た い

に、この世代せ だ い

の余剰よじょう

と使つか

い捨す

てにもがき苦くる

しむ姿すがた

が、各年代毎かくねんだいごと

に追お

われていて、よく言い当てられているだけに

うら悲しい。それにしても、団塊だんかい

などとこんな十把じ っ ぱ

ひとからげ

の扱い方かた

をされるのも情なさ

けない話はなし

だが、でも私の中学時代を

思い出してみても、そんなに大きくもない私立中学校しりつちゅうがっこう

だったに

もかかわらず、同学年どうがくねん

の者が一組ひとくみ

五十四、五人で十六組もあっ

たのだから、確たし

かにその通とお

りと頷うなず

くしかない。

これがそこに書かれているように、途中とちゅう

のバブル経済けいざい

を作つく

り上あ

げ壊こわ

しながら、激烈げきれつ

な受験じゅけん

と就 職しゅうしょく

と生い

き残のこ

りの競争社会きょうそうしゃかい

通過つ う か

してきた後あと

、そのまま雪崩ゆきくず

れ込こ

むようにして、二〇〇七年

の今に大量たいりょう

の定年退職者ていねんたいしょくしゃ

を生う

み出だ

すことになった。

と、今更いまさら

のように騒さわ

がれてはいるが、実じつ

はその渦中かちゅう

にある

当事者とうじしゃ

にしてみれば、別べつ

に真新まあたら

しいことではなく、生まれたと

きから戦後せ ん ご

ベビーブームの世代せ だ い

と言い

われ続つづ

けていて、もうとっ

くの昔からそれについて自覚症状じかくしょうじょう

を持も

ち続つづ

けてきているのだ。

私自身わたしじしん

、数年前すうねんまえ

から自分の年齢ねんれい

を敏感びんかん

に感かん

じ始はじ

めていて、足音あしおと

近ちか

づく定年退職ていねんたいしょく

とその先のあれこれについて、思いあぐねる

2

ようになっていた。このまま時間切じ か ん ぎ

れを迎むか

えて肩かた

を叩たた

かれ、も

うお前は用済よ う ず

みだぞと冷ひ

ややかな目め

で見送み お く

られ、静しず

かにかつ

何事なにごと

もなかったかのように忘れ去さ

られてゆく・・・・・これはいか

にも寂じゃく

し過す

ぎるし辛つら

い。またその一方いっぽう

で、すぐにでも暫しばら

く遠とお

ざかっていた競争きょうそう

と奪うば

い合あ

いの仕事探しごとさが

しに走はし

らなければなら

ない。生活せいかつ

に余裕よ ゆ う

のある者もの

ばかりではないのだ。特とく

に 私わたし

場合ば あ い

は、数回すうかい

の転職てんしょく

を繰く

り返かえ

してきていて、まとまった

退職金たいしょくきん

は手て

に入はい

らないし、先々さきざき

の年金ねんきん

も当あ

てにはならない。

勿論蓄もちろんたくわ

えもないから、 働はたら

き続つづ

けなくてはならない。そこで

考かんが

えた。定年ていねん

を迎むか

える二年前にねんまえ

、すなわち五十八歳ごじゅうはちさい

にして今の

勤つと

めを辞や

めることにした。こうすれば、ぎりぎりながらかろう

じて、あいつはまだ余力よりょく

があるのにと惜お

しまれながら身み

を引ひ

ことが出来で き

る。更さら

には再 就 職さいしゅうしょく

する道みち

もまだ狭せば

まってはいない

だろう。次つぎ

は六十歳過ろくじゅうさいす

ぎても働はたら

くことが出来で き

る職場しょくば

を見み

つけ

ればいいのだ。そして思おも

い切き

った。私は幸さいわ

いにして、と言う

か不幸ふ こ う

にしてと言うべきか、今日までの異性獲得競争いせいかくとくきょうそう

に敗やぶ

れ続つづ

けて未いま

だに独ひと

り身み

だし、年老と し お

いた両親りょうしん

を看取み と

る役目や く め

も済す

んで、

今流行い ま は や

りの高齢者一人暮こうれいしゃひとりぐ

らし。必要ひつよう

な手助て だ す

けさえ期待き た い

はできな

いが、その代か

わり、生活せいかつ

の仕方し か た

について迷惑めいわく

をかけるような者もの

は誰一人だれひとり

として無な

い。実際じっさい

これはうまくいった、と思った。な

ぜ今辞い ま や

めるのだと皆みな

が驚おどろ

いてくれたし、まだ用よう

なしにはなっ

ていないのに突然とつぜん

いなくなるのか、と思われ言われながらも去さ

るこの快感かいかん

。辞や

めた後あと

の余韻よ い ん

さえ残のこ

った。と感じて少しばかり

ほくそ笑え

んだ。ところがすぐに思惑おもわく

が外はず

れだした。何ものにも

3

縛しば

られないこんな時間というのは、そうそう味あじ

わえるものでは

ない。この時とばかりに束つか

の間ま

の幸しあわ

せを貪むさぼ

り、 徐おもむろ

にゆった

りと 再 就 職さいしゅうしょく

の道みち

を探さぐ

ろうと、失業保険しつぎょうほけん

を 頂いただ

きながら

就職安定所しゅうしょくあんていじょ

の求人閲覧きゅうじんえつらん

のパソコン画面が め ん

を眺なが

める日々ひ び

が続つづ

た。だが一向いっこう

にこれといったものが見つからない。それに今ど

き何だか訳わけ

の分わ

からないものが多い。パタンナー、プランナー、

デザイナーにコーディネーター、何なん

とかアシスタントやらスタ

ッフやら。さらには世相せ そ う

を反映はんえい

してか、やたらに介護士か い ご し

携帯電話販売促進員けいたいでんわはんばいそくしんいん

が多い。介護士か い ご し

はヘルパーの資格し か く

が必要ひつよう

し、もうすぐ介護か い ご

されそうな私が就つ

く仕事し ご と

でもない。携帯販売けいたいはんばい

の分野ぶ ん や

は主おも

に女性向じょせいむ

けだ。こんなもので有効求人倍率ゆうこうきゅうじんばいりつ

が押お

上あ

げられているとすれば、私ら年代ねんだい

の者もの

にはたまったものでは

ない。その上どれもこれも正社員扱せいしゃいんあつか

いのものは、定年ていねん

六十歳ろくじゅうさい

ばかり。残のこ

された道みち

は派遣は け ん

かアルバイトかパート。

しかも警備員けいびいん

か交こう

通誘導員つうゆうどういん

か、はたまた何とか生活を維持い じ

しょ

うと思えば、二種免許にしゅめんきょ

を取ってタクシーの運転手うんてんしゅ

ぐらい。甘か

った。

そのうち、ちょっと変わったものが目に入った。僧侶見習そうりょみなら

い。

月給十二万円げっきゅうじゅうにまんえん

と安やす

いが週五日勤務しゅういつかきんむ

。住す

み込こ

み食事付しょくじつ

きだろう

か。こうなったらこれでも・・・・・と思ってよく見たら、

六十歳定年ろくじゅうさいていねん

とある。なんで坊主ぼ う ず

にまで定年ていねん

があるんだ。

そうこうしているうちに日だけが経た

ち、私もすぐ五十九歳ごじゅうきゅうさい

なってしまった。この五十九歳という年齢ねんれい

はひどく中途半端ちゅうとはんぱ

で、

新あら

たな就 職しゅうしょく

では遅過お そ す

ぎるし、かと言って定年後ていねんご

のそれでもな

4

いから、雇やと

い入い

れる方ほう

でも躊躇ちゅうちょ

してしまう。試ため

しに、

六十五歳ろくじゅうごさい

まで再雇用延長さいこようえんちょう

ありとある職場しょくば

に応募お う ぼ

してみたら、そ

れは少なくとも五十五歳ごじゅうごさい

ぐらいで勤つと

め始はじ

めていて、その後ご

延長えんちょう

です、と断ことわ

られた。それはそうだろう。私が経営者けいえいしゃ

だっ

てそうすると思う。何のことはない。結局けっきょく

二〇〇七年の今年こ と し

団塊だんかい

の世代せ だ い

の定年退職者ていねんたいしょくしゃ

の一人という、紛まぎ

れも無な

い事態じ た い

に飲の

み込こ

まれてしまった。

それでもつい最近、やっと一つ見つかった。嘱託しょくたく

。しかもこ

れには行政機関ぎょうせいきかん

の施策し さ く

を踏ふ

まえて中高年齢者ちゅうこうねんれいしゃ

を採さい

用、と謳うた

てある。嘱託しょくたく

である以上いじょう

、毎年まいとし

の契約更新制けいやくこうしんせい

で賞与しょうよ

もないが、

当面六十歳定年とうめんろくじゅうさいていねん

はない。早速応募さっそくおうぼ

して面接めんせつ

を受う

けてみようか

と思っているが・・・・・

先さき

の小説しょうせつ

の冒頭ぼうとう

には、こんな文ぶん

が書か

かれていた。

かつてハイティーンと呼よ

ばれ、ヤングと言われた、この「団塊だんかい

の世代せ だ い

」は、過去か こ

においてそうであったように、将来しょうらい

におい

ても数々かずかず

の流行りゅうこう

と需要じゅよう

を作つく

り、過当競争かとうきょうそう

と過剰施設かじょうしせつ

とを残のこ

つつ、年老と し お

いて行い

くことであろう。

でも年老と し お

いたところでこれで終わりではない。まだ年金ねんきん

病院びょういん

と葬祭場そうさいじょう

と墓地ぼ ち

の争奪戦そうだつせん

と過剰化かじょうか

が残のこ

っている。

こうなった私は、同年代どうねんだい

の者がほぼ死し

に絶た

える百歳ひゃくさい

まで生い

延の

び、そのときの社会がどうなっているのか、しっかりと見極み き わ

めた上で、目いっぱい大声おおごえ

で叫さけ

んでから消き

えてやる。

団塊だんかい

くそ食く

らえ!!!