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Opening Theme:『教えてMr.Sky』藤崎詩織 (1st single) ゲーム『ときめきメモリアル』ヒロインが歌う! 1996/12/5 詞:森雪乃丞/曲:財津和夫。15万枚。バーチャルアイドル! 中に人なんかいないよ!!
メディアとコンテンツ⑭
アイドル氷河期の行方
ミリオンセラーだぜ! キョンキョン小泉今日子は91年に『あなたに会えてよかった』(詞:小泉/曲:小林武史,32th,ドラマ主題歌)で,105.4万枚のミリオンセールスを記録。CMなどでも存在感を示し続けた。
味の素「クノールスープ」,90年,「見逃してくれよ」
80年代アイドルが90年代に100万枚以上売ったのは,中山美穂&WANDS『世界中の誰よりきっと』,松田聖子『あなたに逢いたくて』などがある。
高岡早紀『真夜中のサブリナ』
「セブンティーン」モデル、CMを経て、
八八年『真夜中のサブリナ』でデビュー。
十六歳。九〇年に映画『バタアシ金魚』、
ドラマ『いつか誰かと朝帰りッ』などでブ
レイク。映像は八九年に開かれたライブ
から。
20世紀最後の清純派アイドル
高橋由美子の5th。ゲーム『ゆみみ
みっくす』(
ゲームアーツ、セガCD)
のEDの『元気!元気!元気!』(
九一
年一〇月)
。まだ一七歳。「アイドル
冬の時代」の直撃を受け、ドラマ『南
くんの恋人』(
九四年)
で小ブレイク
雛形あきこ94年に17歳でデビュー(96年『SIX COLORS BOY』は4th)。イエローキャブからデビューしたグラビアアイドルの中で,多方面に活躍し,広範な人気を得た。95年開始の前身の番組から『めちゃ²イケてるッ!』に出演。
音楽のプロデュースは浅倉大介
広末涼子
『MajiでKoiする5秒前』。詞・曲:竹内まりや,97年4月5日。58.9万枚(49位)。MK5(マジで切れる5秒前)をもじったDoCoMoポケベルCM曲
第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイス」コンテスト グランプリ(16歳)
テレビ発の「アイドルの夢」90年代,テレビにアイドルの居場所はほとんどなくなったが,80年代までの「成功体験」を持つテレビマンたちはアイドル・オーディション番組で一攫千金を試みるほとんどが失敗するのだが,そこから多くのタレントが巣立っていったという意味では意義はあった
桜っ子クラブ さくら組
SMAP、TOKIOも出演したテレビ
朝日のバラエティ番組(
九一年~九四年)
。
女性アイドルの登竜門となり、中谷美紀、
菅野美穂、加藤紀子、井上晴美、持田真
樹らを輩出
1st『なにがなんでも』。詞:川島だりあ/曲:織田哲郎。1992年11月25日
『チェキッ娘』「はじまり」
セガ提供の「DAIBAッテキ!」の
オーディションを通過した女性で結成
され、九八~九九年に活躍。秋元康プ
ロデュース。結果的には、声優アイド
ル・下川みくにを生んだことになる
詞:森浩美/曲:D・A・I/編:亀田誠治,99年3月3日
ライブアイドル
90年代初頭,専用劇場,都市郊外の小さなホールなどで頻繁にライブを開催し,「ライブ会場に行かないと会えないアイドル」が生まれたアイドルは「片方向」の存在ではなく,観客からも意志を伝える「双方向」の関係に進化した(おたくに潜在するプロデューサー願望)
「いかにアイドルに見せないか」小室哲哉がプロデュースし,TPD在籍の篠原涼子は『愛しさと せつなさと 心強さと』(94③)を162万枚売る。「with t.komuro」と,アイドルとしてではなく,小室の音楽的パートナーとして篠原涼子は売り出された。その手法は,「with t.komuro」とは,もはやつかないものの,華原朋美のプロデュースにも応用された。華原朋美のステージには,楽器で伴奏する小室哲哉が必ずいた。『I’m proud』(96⑧・137万枚)は,華原が「売れないアイドル」だったことからすると画期的。
水野あおい『あおい伝説』
詞・曲/
沢田聖子、九四年一二月一六
日。『見つめていたい』C/w。ライ
ブハウスなど「地下」で、過剰なアイ
ドル的意匠を守り続けたが、メディア
の表舞台に彼女の居場所はなかった
おちょくられる対象 ブレイクできないアイドルをいじるバラエティ番組
『天使のU・B・U・G』(
九四年一〇月一三日~、
フジテレビ深夜)
で、水野あおいはよくゲストに呼ば
れた。第一回ではCDディスク投げ選手権、第四回
では「一日ホームレス体験」(
アイドル向けの企画と
は言いがたい)。
Melody『運命’95』田中有紀美・望月まゆ・若杉南の三人組。九三年一〇
月デビュー。ライブハウス、インストアなどでのライブ
が主戦場。BS「アイドルオンステージ」にも出演。知
名度はあるが「半地下アイドル」。ライブで、ヘビメタ
発祥の掛け声「MIX」が日本で導入されたとされる
Z-1『You Your You』(99/12)上戸彩が在籍していたグループの2ndに当時のMIXを加えたフェイク映像。タイガー,ファイヤー,サイバー,ファイバー,バイバー,ジャージャー!などと言葉を組み合わせる。日本語,アイヌ語などの派生もある
参考:HKT48『最高かよ』君って 君って 最高かよ恋って 恋って 最高かよ(純情よろしく!)(感情よろしく!)(あーよっしゃ行くぞー!)(タイガー!ファイヤー!サイバー!ファイバー!ダイバー!バイバー!ジャージャー!)
2016/9/7。8th。詞:秋元康/曲:和泉一弥センターは松岡はな
アクターズスクール• シング&ダンス&トーク(MC)+アクトで構成
され,アイドルは“習い事(お稽古事)”となる。幼少期から教育されると,アイドルとして頭角を現す確率が高くなる(早熟すぎるとアーティストになってしまう)
• 沖縄から安室奈美恵(小室哲哉P),SPEED(伊秩弘将P)が90年代を駆け抜ける
• 2003年に広島からはPerfumeが生まれた• 浜松にもヒーローズアカデミーがあり,「習
い事の実践的発表の場」も用意される
安室奈美恵(w/SUPER MONKEY’S)『TRY
ME~私を信じて』(
九五年一月二五日)
。ユー
ロビートのカヴァー。七五万枚と一七歳でブレイク。松
浦勝人Pを介し小室哲哉と出会い、一〇月に『Body
Feels
EXIT』をリリース。
SPEED 一九九六年八月『Body
&
Soul』(
詞・曲:
伊秩
弘将)でデビュー。新垣仁絵⑮・上原多香子⑬・今井絵
理子⑫・島袋寛子⑪。年齢からするとアイドルなのだ
が、そう扱うのを憚られる雰囲気
モーニング娘。テレビ番組『ASAYAN』(95,浅草橋ヤング用品館)でオーディション名称は,シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション基本は審査員はつんく一人
(視聴者代表?)レッスン,レコーディング
の過程もすべて可視化し,アイドルとしてプロモート
1st写真集(1998)では水着写真も披露
初期メンバーは,最終選考で落選した中澤裕子・石黒彩・飯田圭織・安倍なつみ・福田明日香の5人。
ロックボーカル• 過去の栄光,現在の地位,予想される未来
などに囚われない生き方=ロケンロール。感性のおもむくままに転がり続ける
• 90年代のモーニング娘。はアイドルである同時にロックであり,必然的にヤンキー的でもあった
• その典型は,14歳でメンバーとなり,メジャー1stシングルのリリース後に,「学業に専念するため」という理由で突然に“卒業”した福田明日香である(福田が思い描いていたようなグループではなかった?)
『愛の種』手売りインディーズ・デビュー曲。詞:
サエキけんぞ
う/
曲:
桜井鉄太郎。九七年一一月三日。「5
日間で5万枚手売り達成でメジャービュー」
企画の対象。HMV(
心斎橋店)
では、同一C
Dの一日最高販売枚数世界記録(
一万四六〇〇
枚)を達成するなど条件をクリアし、『モーニ
ングコーヒー』でメジャーデビュー
7th『LOVEマシーン』
紅白歌合戦
詞・曲:
つんく。九九年九月九日。イマ
ドキのギャル感を漂わせる後藤真希が加
入して、いきなりセンターを委ねたこと
で、ヲタだけでなく一般層に浸透できた。
曲調は山口百恵(
プレイバック)
を意識し
たといい、ヤンキー的な意匠
ソーシャル アイドル• アイドル現象とは,アイドルとサポーター
*(ファンではない)とが「物語」を創発させ,共有するプロセスである
• 1990年後半以降のアイドル界隈w はマスメディアとCDに代わり,インターネットとライブが震源地となる。掲示板など多彩なソーシャルメディアで「物語」が生まれ,拡散していく
• CDなどのグッズも,両者がリアルワールドで接近するための媒介の意味を持つ(握手券など)
* メンバーやスタッフと一心同体に,プロジェクトを推進していく存在
アイドルとソーシャルメディア• モーニング娘。はぁゃしぃわーるど(‘95)→
あめぞう→2ちゃんねる(’99,狼板など)の系譜のネット・アングラ掲示板文化で支持を集める。アングラ民(社会性に欠けたヲタク)にとって渇望のアイドルだった?
• 初期のAKB48は,mixi(‘04)に各メンバーごとのコミュニティが形成された。その後google+,755(トークアプリ)が[公式]に
• 他のアイドルもブログ,twitter,facebookなどでヲタの取り込み・固定化を図る
アイドル トライブ• ネットが媒介者だから,アイドルはマス・
ムーブメントではなくなった。たとえ『紅白歌合戦』に出場しても,認知度は低いままとなる
• 一方,アイドル世界も構成要素は多種多様となる。一つひとつのアイドル現象に数十万人単位で参加していたとしても大衆認知は低く,複数のアイドル現象にコミットするサポーターが少ない限り,アイドル現象は限りなく「部族化(トライバゼーション)」していく
ハロマゲドン• 2002年7月31日にハロー! プロジェクト
運営側が発表した大改革およびそれを受けたカウンター運動
• すべてのユニットに波及。平家みちよ・後藤真希・保田圭が卒業。派生ユニット(タンポポ,プッチモニ!,ミニモニ。)の構成変更など
• 「聴いてないよ! 勝手だよ!」とモーヲタが一斉に反発し,ハロプロの大きな転機となった
• このとき語られたハロプロ・キッズ(エッグ)構想は実現し,それがBerryz工房・℃-uteの結成につながる
タンポポ“祭” 二〇〇二年九月二三日、二期タンポポのラストでもあっ
た横浜アリーナは黄色いサイリウムで埋め尽くされた。
飯田圭織は「タンポポがいつぱいだよ」と感激した。そ
れはイイ話でもあるが、勝手な人事を繰り広げるハロプ
ロの運営に対するモーヲタの反抗でもあった。掲示板で
の呼びかけに呼応した「ネタ祭り」の好例となった
二期タンポポ:飯田圭織・矢口真里・石川梨華・加護亜依『乙女パスタに感動』は2000/7/3,二期で初のシングル
卒業ビジネス若いメンバーが加入し,“ベテラン”が卒業していくシステムはフレッシュさの維持には欠かせない。アイドル界は「若さこそ正義」だがらだ。ただ,ヲタクは保守的傾向も強い。今の安定を壊す劇的な変化を好まない。それはまたモーヲタの入退室を促すシステムでもある。
五期メンバー/
第六代リーダーの高
橋愛(
二〇〇一~二〇一一に在籍)
の
卒業記念盤『自信持って
夢を持っ
て
飛び立つから』(
詞・曲/
つんく)
松浦亜弥:孤高のアイドルサイボーグ
5th『♡桃色片想い♡』。2002/2/6
〇〇年代のハロプロで、ソロのアイド
ルとして孤塁を守った。一四歳でデビ
ュー。四代目・麻宮サキ(
映画『スケバ
ン刑事』)
でもある。テレビドラマの低
調さ、ユニットで便利遣いされたこと、
楽曲のミスマッチなどで失速。
ハロプロの奇蹟アイドル冬の時代に「アイドルを売った」ハロー! プロジェクトは一つの奇蹟と言える。アップフロントという芸能プロの底力でもあろう。初期はテレビに過剰に依存することで,伝統的なアイドルの売り方を試みた。ドキュメンタリー風バラエティーの方法論を採用したことは「90年型リアリティー」を反映していた。2000年以降はテレビから徐々に疎遠になり始め,ライブ活動重視のアイドル集団に変質した。一定規模の会場でのライブを展開し,コアなファンは根付いている。モーニング娘。本家は卒業・新入を繰り返すが,Berryz工房らはメンバーを固定し,ハロプロキッズから“熟成”してきている。
声はキャラか 本人か主題歌・挿入歌・キャラソンを歌う主体は声優本人か? アニメキャラ?声優アイドルの場合は,明らかに前者で,「記名性」があり,アニメと独立してその楽曲を味わいうる声優アイドルの若さは,アニメキャラと一体化した〈身体〉の側にあり,生身の〈身体〉にない声優アイドルは,受け手と作品世界とを媒介し,共有の基盤となる
声優アイドル
「中の人」(黒子)が「外に身をさらす」という価値転換「声」はキャラクターのものである同時に声優自身のもので,両者は不即不離である自分のオリジナル曲もアニメ主題歌なども等価なものとして声優が歌う