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2012年10月30日
白樺派しらかばは の文学 武者小路実篤むしゃのこうじ さねあつと志賀直哉しが なおや
自然主義
人間の悪わるい面めんを
積極的せっきょくてきに書く
自然主義
個人こじんの経験けいけんを
そのまま書く
自然主義
個人こじんの経験けいけんを
そのまま書く
私小説 ししょうせつ
反自然主義
反自然主義
自然主義とは違う考え
反自然主義
自然主義とは違う考え
夏目漱石なつめ そうせき
反自然主義
自然主義とは違う考え
夏目漱石なつめ そうせき
森鷗外もり おうがい
反自然主義
自然主義とは違う考え
夏目漱石なつめ そうせき
森鷗外もり おうがい
耽美派たんびは
夏目漱石なつめ そうせき
夏目漱石なつめ そうせき
フィクションfictionとしての小説を書く
夏目漱石なつめ そうせき
フィクションfictionとしての小説を書く
私小説ししょうせつ
森鷗外もり おうがい
森鷗外もり おうがい
夏目漱石の影響えいきょう
森鷗外もり おうがい
夏目漱石の影響えいきょう
芸術げいじゅつに対する主義しゅぎ
の否定ひてい
森鷗外もり おうがい
夏目漱石の影響えいきょう
芸術げいじゅつに対する主義しゅぎ
の否定ひてい
芸術げいじゅつに主義しゅぎというものは本来ほんらいないと思う。芸術そのものが一いつの大だいなる主義である。
耽美派たんびは
耽美派たんびは
女性の美しさ=外見
耽美派たんびは
女性の美しさ=外見
物語の筋すじstory lineを重視じゅうし
耽美派たんびは
女性の美しさ=外見
物語の筋すじstory lineを重視じゅうし
私小説ししょうせつ
白樺派しらかばは
白樺派しらかばは
人間の内面ないめんの
美しさを書く
白樺派しらかばは
人間の内面ないめんの
美しさを書く
理想主義りそうしゅぎ
白樺派しらかばはの
代表的だいひょうてき作家
武者小路実篤 むしゃのこうじ さねあつ
志賀直哉 しが なおや
白樺派しらかばは
学習院がくしゅういんを卒業そつぎょう
貴族きぞく lord
士族しぞく
白樺派しらかばは
学習院がくしゅういんを卒業そつぎょう
貴族きぞく lord
士族しぞく
1910年 (明治43年)
雑誌『白樺しらかば』 創刊そうかん
白樺しらかば
white birch
人間にんげんの内面ないめんの
美うつくしさを書く。
人間にんげんの内面ないめんの
美うつくしさを書く。
自然主義
理想主義りそうしゅぎ
理想主義りそうしゅぎ
自我じが selfの肯定こうてい affirmation
個人こじん主義 individualism
人間はもともと
善ぜんの存在そんざい
人間はもともと
善ぜんの存在そんざい
実際じっさいの人間をそのまま受うけ入いれる
自己じこを尊重そんちょう
自己じこを尊重そんちょう
他者たしゃを尊重そんちょう
個人こじんの才能さいのう
能力のうりょくを生いかす
他人たにんを不快ふかいに
させない
明治めいじの作家
明治めいじの作家
自由 内心の抵抗 ていこう aversion
白樺派しらかばはの作家
白樺派しらかばはの作家
自我じがの肯定こうてい affirmation
自由
当然
白樺派しらかばはの作家
理想のためにしていること
を小説に書く
白樺派しらかばはの作家
理想のためにしていること
を小説に書く
私小説
自然主義が発展はってん
(1885-1976)
東京生まれ
武者小路実篤むしゃのこうじ さねあつ
(1885-1976)
東京生まれ
武者小路実篤むしゃのこうじ さねあつ
白樺派しらかばはの リーダー的存在そんざい
貴族きぞくlordsの家系かけいfamilyの 出身しゅっしん
小学校から高校まで
学習院がくしゅういんに通かよう
貴族きぞくlordsの家系かけいfamilyの 出身しゅっしん
小学校から高校まで
学習院がくしゅういんに通かよう
1906年 (明治39年)
東京大学哲学てつがく科入学
1910年 (明治43年)
雑誌『白樺しらかば』 創刊そうかん
志賀直哉 しが なおや
有島武郎 ありしま たけお
1911年 (明治44年)
「お目出めでたき人」
1918年 (大正7年)
「新しき村」を作る
1918年 (大正7年)
「新しき村」を作る
トルストイTolstoyの影響えいきょう
1918年 (大正7年)
「新しき村」を作る
トルストイTolstoyの影響えいきょう
自我じが selfの成長せいちょう
階級かいきゅう闘争とうそう class war
のない世界せかい
1919年 (大正8年)
「幸福者こうふくもの」
1919年 (大正8年)
「幸福者こうふくもの」
1920年 (大正9年)
「友情ゆうじょう」
1919年 (大正8年)
「幸福者こうふくもの」
1939年 (昭和14年)
「愛と死」
1920年 (大正9年)
「友情ゆうじょう」
1951年 (昭和26年)
「真理先生」
1951年 (昭和26年)
「真理先生」
1976年 (昭和51年)
死去
自我じがの肯定こうてい affirmation
人道じんどう主義humanitarianism
理想主義りそうしゅぎ
新しき村
私小説
武者小路実篤 むしゃのこうじ さねあつの作品を読んでみましょう。
(1883-1971)
宮城県生まれ
志賀直哉しが なおや
士族しぞく
士族しぞく
父 財界ざいかい business communityの
重要人物じゅうようじんぶつ
important person
小学校から高校まで
学習院がくしゅういんに通かよう
1906年 (明治39年)
東京大学英文えいぶん科入学
小学校から高校まで
学習院がくしゅういんに通かよう
1910年 (明治43年)
雑誌『白樺しらかば』 創刊そうかん
「網走あばしりまで」を『白樺』に発表
1910年 (明治43年)
雑誌『白樺しらかば』 創刊そうかん
「網走あばしりまで」を『白樺』に発表
1912年 (大正元年)
「大津順吉
おおつ じゅんきち」
1913年 (大正2年)
「清兵衛せいべえと
瓢箪ひょうたん」
1913年 (大正2年)
「清兵衛せいべえと
瓢箪ひょうたん」
1917年 (大正6年)
「城きの崎さきにて」
「和解わかい」
1913年 (大正2年)
「清兵衛せいべえと
瓢箪ひょうたん」
1917年 (大正6年)
「城きの崎さきにて」
「和解わかい」
1920年 (大正9年)
「小僧こぞうの
神様かみさま」
1921年 (大正10年)
~1937年 (昭和12年)
「暗夜行路あんやこうろ」
1921年 (大正10年)
~1937年 (昭和12年)
「暗夜行路あんやこうろ」
作家の活動を中止
1921年 (大正10年)
~1937年 (昭和12年)
「暗夜行路あんやこうろ」
1971年 (昭和46年)
死去しきょ
作家の活動を中止
小説の神様かみさま
小説の神様かみさま
表現ひょうげん方法
簡潔かんけつ concise
正確せいかく clear
小説の文体ぶんたい writing styleの
理想の1つ
谷崎潤一郎 たにざき じゅんいちろう
芥川龍之介 あくたがわ りゅうのすけ
谷崎潤一郎 たにざき じゅんいちろう
芥川龍之介 あくたがわ りゅうのすけ
高い評価ひょうか
父との関係
父との関係
対立たいりつ conflict
父との関係
対立たいりつ conflict
足尾銅山あしおどうざん
鉱毒こうどく問題
結婚への反対
父との関係
対立たいりつ conflict
足尾銅山あしおどうざん
鉱毒こうどく問題
結婚への反対
1912年 (大正元年)
「大津順吉
おおつ じゅんきち」
父との関係
和解わかい reconciliation
父との関係
和解わかい reconciliation
1917年 (大正6年)
父と和解
「和解」
短編たんぺん short storiesが多い
短編たんぺん short storiesが多い
「大津順吉おおつ じゅんきち」
「清兵衛せいべえと瓢箪ひょうたん」
「城きの崎さきにて」
「小僧こぞうの神様かみさま」
「和解わかい」
中編ちゅうへん middle stories
「暗夜行路あんやこうろ」だけ
長編ちょうへん long novels
志賀直哉しが なおの作品を読んで
みましょう。
お疲れ様でした。