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Title キジムナーをめぐる若干の問題
Author(s) 赤嶺, 政信
Citation 史料編集室紀要(19): 1-35
Issue Date 1994-03-30
URL http://hdl.handle.net/20.500.12001/7561
Rights 沖縄県立図書館史料編集室
キジムナーをめぐる若干の問題 (赤嶺)
比
-
■
-
赤
嶺
政
信
キジ
ムナIをめぐる若干の問題
はじめに
キジムナIは'周知の通り、沖縄本島およびその周辺離島で伝承される説話に登場する妖怪の名で'地域により、セ
1
(読-)
一
-
マ
(今帰仁)'ブナガヤ
(大宜味)'ボ
ージマヤ
(羽地)などの異名があるとされ
る。
また、本論で述べるように'沖
縄本島地域のキジムナIと類比できる妖怪についての説話が'宮古'八重山および奄美諸島でも伝承されている。琉球
文化圏のキジムナ-およびキジムナI的妖怪については'すでにこれまでにい-つかの貴重な論稿が発表されている
が'筆者には従来の研究で看過されてきた重要な問題が残されているように思われる。本稿は'看過されてきたキジム
ナIの問題に焦点をあてることによって'キジムナ-
(およびキジムナ-的妖怪)についての説話が我々に示唆してい
ると思われる奄美
・沖縄の民俗宗教文化の一端について検討することを課題とする。なお'沖縄本島地域以外のキジム
ナI的妖怪のことも、便宜的にキジムナIと称することがあることは'最初におことわりしておきたい。
一
キジ
ムナ-の
一性格
渡嘉敷守は'キジムナIの性格について次のような整理をしている0
7カジラー7カガソタ-グマワラビ
姿は赤面'赤頭、小童で'古い大樹の穴に住む。行動
・性質は①漁を好み'魚の左目を食い'蛸を嫌い'②松明を持
(註2)
って海や山の端を歩-
(キジムナ-火)'③寝ている人の胸を押えるtなどの特徴をも
つ。
渡嘉敷はさらに、『遺老説伝』に
「久嘉喜鮫殿が漁を通して親し-な
った男を'(妖魔)と見破り'男の住みかである
桑樹を謀
って焼き'ために男は去
ってゆ-が'後日復讐される」という話があり'今日'これの類話
(人間に復讐する
キジムナIの話)が'粟国島や伊是名島などに伝承されていることも指摘している。以上は'キジムナ-の性格につい
ての今日における最も
1般的な整理のしかたであると考えられる。
さて'筆者は上記のキジムナIの性格づけには欠落している点があると考えるのであるが'まず'折口信夫が採集し
た次の話に注目していただきたい。
事例-
大宜味村謝名城に・・・屋といふ家の主人は'之
[ぶらがやあ。キジムナIの異名-
引用老]にかせがしてなり上
った
のである。山に居て'ぶらがやあが来ると食ひ物を始終や
ってなつけておいた。さうして'材木などを搬した。大力
だから大きな木を接いで行
って、庭の真申に投げ出しく
した。其走る事も早し。どだいその姿は人に見えなか
っ
たといふ.しまいには'此ぶながやあの離れるのを望む程にな
った。其で'柱ごLに'まじなひに'ぢやさめ
(手八
っ即蛸)-
・をかけて置いたので'ぶらがやあは'逃げて了うて'その後
一切来ることがなかった。
(註3)
は'木のうろの中に居る。
・・・ぶながやあ
キジムナ-をめぐる若干の問題 (赤嶺)
この話と類似するものを'佐喜美興英も同じ-大宜味村の話として記録しているので'次に示す。
事例2
大宜味間切高里村屋号六又
(ムツマタ)の主人がブナガ
(木の精)と友人となり'毎晩彼の家を訪ねて来た。来る度
に優遇してや
ったので'ブナガも恩に感じて彼のために材木を運んだり'家や道具を作る手伝ひなどをした。然し後
には彼はブナガとの交際がいやにな
った。此と手を切らうと思
って'或日ブナガにお前は世の中に何が
1番恐いんだ
と尋ねたら
「タコ」と云ふ答を得た。そこでその晩彼はタコを用意して此をブナガに投げ
つけた。ブナガは驚いて逃
げたOそれから六又の家を訪ねなかったO毎年八月八つ手
(‥
・タコのこと)を飾
ってブナガの政をするのは此に困
(註4)
るのである。
この二つの事例で注目したいのは'山から材木を運び'あるいはさらに家造りを手伝うというキジムナ-の性格であ
る
(事例Iの'キジムナIによって財をなしたとい-問題
については後
に言及したい)。山から材木を運ぶというキジ
3
(註5)
一
ムナ-の話は'その他に'大宜味村白浜と国頭村安田からも採録されているが'他のモチーフに較べるとそれほど数は
多くなさそうである。しかし、このモチーフを有する話がかなり古い時代から存していたことは'『琉球神道記』の次
の記事からして明白である。
事例3
又山神'時有テ出
コト、図人間見ル也。希有トモセズ。図上
ニシテ船板ヲ曳
ニO山険阻
ニシテ'人力俵ヌ.山神ヲ頼
ム。即出デ'次郎
・五郎卜云'両-ノ小僕ヲ下知シテ曳シム。両人棒ヲ以'材ヲ遣。長ノ姿明ラカナ-。但シ面相
ハ
明ナラズ。長袖也。衣裳忽
二変ズ、或
ハ錦繍'戎
ハ麻衣ナ-.多人モアリ'
一人ノ時モアリ。二僕
ハ日本衣裳.小袖
(註6)
ニ上袴也。名モ日本ムキナ-。若誤
コト有ラン。打ル、コト有レバ'笑声犬
二似リ'
この話で'人間に依頼されて山から木を運び出す次郎
・五郎と呼ばれる小僕
(山神)が'今日のキジムナIの系譜に
i
即
,
.「
..
.
.1.
.
連なるものであることは疑
い得ない。では'何故山から木を運ぶ手伝いをするキジムナIの性格について注目する必要
があるのであろうか。その点に論及する前に'煩話が宮古と奄美にも存在することを確認しておきたいと思う。
二
宮古
のキジムナ-
宮古
にはキジムナIという言葉はないが'
マズムンとかマズムヌあるいはインガマヤラブ、インガマヤラウという妖
怪がキジムナIに比定できる。そのことを確認するために'まず伊良部町佐和田の次の説話を挙げてお-0
事例
4
伊良部の人がインガマヤラウという
マズムン
(魔物)と友だちになり海に漁に行-が'
マズムンのすみかをつぎ
つぎ
と焼
いたので'
マズムンは八重山に移り住むことにする。
マズムンが
「遊びにこい」と言
ったので'男は八重山に行
4
き
てズムンの家を捜す。男はマズムンの友だちに会
って
マズムンの家を聞き'「マ.ズムンの家を焼いたのは自分だ」
と話す。
マズムンの友だちがそれを
マズムンに話すと'
マズムンは男に仕返しをしようと思い'みやげ箱を
一つ与え
て'「家
に帰
ったら'家族を集めて戸を閉めき
って箱を開けろ」と言う。男は帰る船の中でみなに
「箱を開けて見せ
(註7)
ろ」とせがまれ'箱を開けると、
マラ-ヤの菌が飛んでいって釆間島に着き'島の人はみな死んだ
。
この説話の'人間と漁をしたり住処を焼かれて人間に復讐するというモチーフは先にも述べた通りキジムナ-譜にお
なじみのものである。さて'宮古のマズムンも山から木を運ぶことがある'というのが本章
の主題であ
った。上野村新
里の次の説話を紹介しよう。
事例
5
津波で生き残
った人たちが'知らずにマズムン
(魔物)の集まる所に村を作る。村人たちが広場で踊
っていると'マ
キジムナーをめ く・・る若干の問題 (赤嶺)
ズムンも加わ
って踊り'鳥の鳴き声がすると帰
ってい-。ふしぎに思
った村人が鳥の鳴きまねをして、あわてて帰ろ
うとした
マズムンを朝までつかまえていると'焼けた木になる。
マ-ガという人が
マズムンたちのところへ行
って'
「家を建てる材木を運んできて-れたら'ごちそうをする」と言うと'
マズムンは承知する。
マ-ガは'
マズムンた
ちが家の近-まで材木を運んで-ると'屋根で鳥の鳴きまねをすると、
マズムソたちは材木を置
いて逃げる。マ
-ガ
は翌日の夜
「ごちそうを作
って待
っていた
のに、なぜ来なかったか」と
マズムンに言い'同じようにして
1軒分の材
(註8)
木を運は
せ
た。
このマズムン欝が宮古では突飛なものではないということを確認するために'念のためもう
1話紹介しておこう.城
辺町西中の事例である。
事例6
カタイラ
・マ-ガ
(人間)が家を建てようと'インガマ・ヤラブ
(魔物)にヤラブの木を切
ってもらう。翌日カタイ
5
ラ
・マ-ガは蒲葵の葉の扇を作り'インガマ・ヤラブが来たとき、二度にわたり屋根に上が
って扇であおぎ鶏
の鳴き
まねをすると'インガマ・ヤラブは木を置いて逃げる。二㌧三日してカタイラ
・マ-ガは
「木も集まり'茅も苅
って
いる」と言
って'インガマ・ヤラブに家を遣らせ'祝
いのときカタイラ
・マ-ガが木に登
って鶏のまねをすると'イ
(註9)
ンガマ・ヤラブは逃げていった。
このように、
マズムンやインガマヤラブが沖縄本島地域のキジムナ-同様に、材木を運んだり、家造りを手伝
ったり
する存在であることが確認できる。なお、事例
5の
「マズムンを朝までつかまえていると'焼けた木になる」という語
りやインガマヤラブのヤラブが樹木の名称であることからして'この妖怪は'木の精霊の化身したものであると想定す
ることができる。
三
奄美のケンムン
八重山に目を向ける前に'琉球文化圏の北端'奄美のケンムンについてみておきたい。
(註lo)
ケンムンが沖縄のキジムナIと多-の共通点を有していることは周知の事実に属する
。
こ
こでも筆者が注目したいの
は'山との関わりをもつケンムンの性格である。まず'『南島雑誌』のケンムンの記事に注目したい。
事例
7
すもう
たJMたま
かつ
か
えっ
きこりしたがい
水塊
(カワタロ、山ワロ)好て相
撲
をとる。適
々
其形をみる人すくなし。
且て人にあだをなさず。
却て樵夫に随、木
(註‖)
を負て加勢すと云。必ず人家をみれば逃去
。
ここにも'樵夫の手伝いをして木を運ぶケンムンの姿がある。ところで'この記事には'ケンムンはかつては人間に
6
好意的なことをしたが'現在
(名越左源太がこの記事を書いた幕末)では人間に害を及ぼす存在にな
ってしまったこと
が示唆されている。川田牧人もこの記事に関連して'「これは幕末の記述であるが'しかし時代が下がるにつれ'このよ
ぅにケンムンを好意的に評価するものは少な-なる。ケンムンほむしろあだをなすもの'害を及ぼすものとして語られ
るようになる。筆者の調査においては'山にあらわれるケンムンは、恐ろしいものとしてのイメージが強く'避けるべ
(註12)
き対象として語られるケンムン譜が多-得られた。」
と指摘している。その指摘を踏まえれば'樵夫の手伝いをすると
いうモチーフのケンムン譜を得るのは容易なことではないことが予想され'実際筆者も'他に類話資料を確認するには
至
っていない。
次に'筆者の関心からして'無視しえないケンムンの由来譜が奄美にはある。福田晃によるとケンムンの由来譜には
四つのタイプあるとされるが'そのなかのひとつに次のようなものがある。
キジムナ-をめく、・る若干の問題 (赤嶺)
事例8
昔、ある所にひとりの大工の棟梁がいた。その人は独身で'自分には嫁の来てがないだろうと思
っていた。ところ
お
っと
が、同じ村に絶世の美人がいて、これまた自分には良
人
になる人がないだろうと思
っていた。が'ある日のこと'棟
梁が美人を見染めて'自分にはあの人以外には妻になるものはいないと思
ったので求婚した。ところがその女がいう
ことには'「はい.あなたの妻になりましょう0だが
一つ条件があります。それができたら私はあなたの奥さんにな
りましょう」と言
った。その条件とは'畳が六十枚敷ける家で'内外の造作のできた立派な家を
一日で建築してはし
いというのであ
った.それで棟梁は
「よろしい'
一日で完成してみょう」と言
って家に帰
った。ところが容易に引き
受けたものの'はたと困
ってしまった。考えに考えぬき'そこで彼は藁人形を二千人作
ってまじないをして'息を
吹きかけてみたら人間になった。彼は'二千人のひとりひとりにそれぞれの役を割りあてて'その1日で注文通りの
すぼらしい家を完成した。そこで彼は彼女の所
へ行き'約束を果たしたことを告げると'「仕方がありません。約束
7
通りあなたの奥さんになりましょう」と言
って、そこで二人は夫婦にな
った。数年経て、妻が棟梁に
「自分はこの世
の老ではない。自分は天人である。だから人間であるあなたと暮らすことはできない」と言
った。が'棟梁も'「自
分も人間ではないテンゴの神である」と言
った。そして'「先の二千人の人間は元に返そう」と言
って息を吹きかけ
たところが、みんなケンムンにな
った。そこで千人は海'残りの千人は山に放してやった。七月頃になると'「ヒュ
(註13)
-ヒュ-ヒュ-」と言いながら海から山にケンムンが登るそうだ。
この由来賓では'ケンムンの起源は'大工の家造りの手伝いをした藁人形にあるという。それが'沖縄のキジムナI
や宮古のマズゝ
が山から木を運び'家造りの手伝いをするというモチーフ
(および樵夫の手伝いをするケンムン)と
無関係であるはずはないと思うのである。
これまで筆者は'家造りの手伝いをするキジムナIにこだわってきた。その理由について述べる段階にきたが'実は
これからみてい-八重山のキジムナ-の事例が背景にあ
ったためである。
四
八重山
の
ユイピーゥガナシ
原田信之は'八重山地域におけるキジムナ-と同類の妖怪の名称として'石垣島のマンダー'小浜島のマンジャー'
マンジャースIt西表島のアカウ
ニ
(-)などがあるとLt次の小浜島の事例をあげている。
事例9
昔'男が
マンジャーと友達にな
った。毎日魚を取り'
マンジャーは目玉を'男は魚を取
った。うるさくな
った男は'
マンジャーが出て-るあこうの木に火を付け、伐採した。怒
ったマンジャーは'男を呪い'焼いたので'男は岩の下
(註14)
に隠れた。
この話は'明らかに沖縄のキジムナIと同類のものである。類話は'西表島でも確認できる。
事例10
網取のクバデーサーの木にいたシーというのは木のヌシ
(主)のようなものです。ク
ヮ
-辛
(桑の木)にもや
っぱり
(註
ヌシが
のです
います。桑の木の穴から人の形をしたシーが出て来て'魚をとる時にた-さん魚がとれるように助けてくれる
一15)0
(註ー6)
このように'数は少ないにし
ろ
'
八重山にも沖縄のキジムナIに類比される存在が確認できるのであるが'筆者が注
目したいのはこの種の存在
(説話)ではない。実は、これまで沖縄のキジムナIとの関係では全く論及されることなく
看過されてきた小童の説話が八重山地域には存在するのである。それが'これからみていこうとするユイピトゥガナシ
である。以下に二つの事例をあげる。
キジムナ-をめく、・る若干の問題 (赤嶺)
事例11
(西表島粗納)
昔'西表島の租納部落にひとりの貧しい若者がいた。住むに家なく
着たきり雀の乞食同然のあわれな姿で'誰も相
手にしてくれない。赤子の時に両親を失い、お爺さんに養われたが甲斐性がないので'お爺さんにもきらわれて家を
追い出されてしま
った。悲しさのあまり若者は泣きながら'無茶苦茶に山奥を歩きまわり'泣き疲れて洞穴かと思わ
ふノろ
れるばかりの大木の虚にたどりつき死んだようにねむ
った。何時間たったかわからぬが'ふとどこからか声がする。
「若者よ悲しんではいけない'元気を出して懸命に働けば'き
っとお前は幸福になれる。お前はこれからすぐお前が
ち
ノろ
生まれたお父さんお母さんの屋敷に帰
って見るがよい」。
ハッと若者は起き上が
った。木の虚
からさすすがすがしい
I
朝の光に'若者は元気を取りもどして山をかけ下り'自分の屋敷にいった。ところがどうだろう'屋敷は章
一つない
までに掃き清められ'屋敷の真申に大きな大黒柱が
一つ立
っている。これはどうしたことか'昨夜の夢といいこれは
ただごとではないぞtと若者は物陰に隠れてtLばら-様子を見ているとた-さんの小人が
ニッサ'
コラサといろい
9
ろな材木を運んで来る。物に葱かれたように若者が小人の後を見え隠れにつけてい-と'だんだん山奥
へ入り'驚い
ちノろ
たことにたしかに昨夜
1夜の宿を借りたあの大木の虚
へ入
ってい-ではないか。彼は夢ではないかとじっと目をこら
していると今度は小人たちが
エッサ'
コラサと建築材料をかついで麓
へととんでいった。彼は木のほらの入り口へ近
づき'そして梢を見上げると'それは西表の樵夫達がジンピカレーといっている木
(和名、ヤ
ソバ
ルアワブ
キ)
であ
った。若者はその
一枝を折り取
って急いで自分の屋敷
へ引き返したが、そこにはりっぱな家がすでにできあが
って村
の人達が集ま
って落成式の準備をしているところであ
った。村の人たちは若者を大黒柱のそばに案内した。若者がよ
-よ-見れば'それはジンピカレーであ
った。思いあたるところがある若者は'手にも
ったジンピカレーの枝を打ち
振り打ち振り大きな声で落成式の祝いごとをとなえながら大黒柱のまわりを何回もまわり'村の人たちも唱和した。
それ以来だれも若者を馬鹿にする者はいなくな
った。小人の話を伝え聞いた村人たちは誰いうとなくジンピカレーに
ユピトゥンガナシ
(寄人加
那志)
の名をつけ'柱立て
(建築の初め)の儀式にはかならず大黒柱
の先き
にユピーゥン
(註17)
ガ
ナシ
をかけるようにな
った。
事例12
一(竹富島)
昔'ある村に真面目で正直な男が
いた。家は貧しいながらも'心から親に孝行を尽-していた。その男は'年は若
い
けれども立派な家を建てたいという希望を持ち'
1人で山中に入り'柱'桁、垂木等
の材木を山奥で伐り倒した。自
分
1人では材木を持ち出すことはできないので'伐り倒した材木に自分の手印を入れ、人夫を頼んでその材木を運ぶ
までは'山の神と結人加那志
(ユシーゥンガナシ)で私
の材木を見守
って下さいと'材木を山かずらで結び印し、
一
時家に帰
って来た。翌日朝早-起きて庭先
に出たところ'山奥
にあ
ったはず
の材木が自分の手形のままに門前にある
のであ
った。それは不思議なことであ
った。
この材木がわが家の庭先まで届けられたのは神のおかげ'結人加那志
の
一
おかげだと大変感謝し'この男は立派な家屋を建てて'結人加那志を新築家屋にお招きした。それから以後、竹富島
10
(註18)
f
では'新築落成の時には結人加那志
の儀式がとり行なわれるようにな
った
。
このふたつの説話が同類であることは明白である。粗納では'
エビトゥンガナシのことを別名
ユシ-クンガナシとも
(註19)
いうが
'
別
稿で述べたように'筆者は
ユピトゥンガナシも
ユシ-ゥンガナシも本来は
ユイピ-ゥガナシでt
かつ漢字を
(註20)
当てれば結人加那志だと考えている
。
し
たが
って'以下では'
エイピトゥガナシを用いる。
さて'このふたつの説話を読み併せてみると'大木の虚を住処とする
ユイピトゥガナシという小人がいて'それは山
から材木を運ぶなど家造りの手伝
いをする存在であるということが理解できる。
ユイピ-ゥガナシが家造りの手伝
いを
する存在であることは、次の西表島網取の事例によ
っても確認できる0
事例13
昔ある人が山に入り材木を削り'肩に担いで山を降りて-ると、肩が痛-疲れがでたので材木を降ろして休んだ。暫
キジムナ-をめく・・る若干の問題 (赤嶺)
くして材木を担ごうとすると'いっこうに持ち上がらない。これまでの倍の重さにも感じられて仕方がなかった。途
方にくれ'ふと道の側を見ると'そこにユピトゥキが枝ぶりもよ-生い茂
っていた。と
っさの思いつきでその枝を切
り'葉を落として肩敷きにLt材木を担いでみたところ'なんと'今まで重-て担げなかった木が軽々と担げるでは
ないか。家まで無事材木を担ぎ出した男はそのユビ-ゥキの枝葉をナカパラに結びつけて感謝し'家造り終了の祝の
(註21)
時に上の言葉を謡いながら踊
ったのだ
った
。
この事例で'植物名として登場する
ユピーゥキが
「ユイピ-ゥ木」の変化形であることは明らかで'この説話が
ユイ
ピトゥガナシ譜の
1バージョンであることは疑いえない。
さて'先述したように'
このユイピーゥガナシ欝がキジムナ-譜
の額話としてとりあげられたのはかつて
1度もな
(註22)
い。
し
かし'これまで山から材木を運び家造りの手伝いをするキジムナ-を沖縄本島'宮古'奄美と確認してきた我々
(註23)
としては'八重山のユイピーゥガナシをキジムナIの
一類型として見なさないわけにはいかないのである。
そ
して'上
で取り上げた
ユイピトゥガナシ欝に示唆されているように、八重山のキジムナ-ほ建築儀礼において非常に重要な役割
を果たしている。そのことが実は'キジムナIの性格を考える上で看過できない問題にな
ってくるのであり'これまで
山から木を運び出すキジムナIの性格に注目してきた所以なのであるが'
エイピトゥガナシと建築儀礼の問題は後の検
討課題として先送りしておきたい。
五
家の盛衰とキジムナ-の両義性
事例Iで'折口信夫が採録した'大宜味村謝名城のブラガヤアを手なづけブラガヤアに稼がせて
(材木を運ばせて)
財をなした家の話を紹介した。
一万㌧キジムナIと仲良-なり'
一緒に漁にい-たびに大漁になるという話はキジムナ
i
.
‥
…
・
…..∵
.‥
、…
-茅の最もポピ
ュラーなモチーフであるが'これも'事例
-とでは山と海という舞台の違
いはあるにせよ,キジムナ-
のおかげで財を成した話として読めば説話
の裏
にある意味構造としては同
一のも
のである。実際,後に紹介するよう
に、キジムナtと漁に行
って金持ちにな
ったと明確に語る説話も少なくない。
ところで'事例Ⅰでは'理由は明らかにされていないが'ブラガヤアとの付き合いが
いやになり,蛸を使
ってブラガ
ヤアを脅し'結局ブラガヤアと縁を切
ってしまう。
この説話では'ブラガヤアと縁切りをした後,何が起
こったかにつ
いては語られていないが'キジムナ-と絶縁した後の結末について語る説話も少な-ない。佐喜美輿英
の
『南島説話』
から次にその事例をあげる。
事例14
宜野湾間切新城村中泊
の屋敷に大きなビンギ
(木
の名)があ
った。亭
々たる老木であ
ったが,そこにキジムン
(-
・)
が住んで居て,中泊の翁と友人にな
った。それで毎晩彼を海に連れて行
った。魚をとり左の目だけ自分で食べて,あ
12I
とは翁に与えた。お蔭で翁は裕かに健かに生活して行-ことが出来た。始めの中は嫌でもなか
ったが,後
には毎晩起
l
されるのが
つらくな
って来た。翁は何とかしてキジムンと手を切らうと思ふて'
1夜かの巨樹ビ
ンギに火をつけた。
さうするとキジ
ムン
は「
熱
田比嘉
へ熱田比嘉
へ」と
云っ
て去っ
た。然
るに其
の後裕かに暮して居た中泊家
はた
ちまち
(註24)
っぶれそれに引きか
へ'
熱
田村の比嘉
は金持にな
った。
ここでは'キジムナIと仲良-して
表
に漁に行き1その結果富を得た家が,
キジムナIと縁を切
ったために没落
Lt
嘉
ではキジムナIの移住先
の家が金持ちにな
ったということが語られている。佐喜美興英
の言葉を借りれば,辛
(註25)
ジムナ-はまさに
「富を司る」
存
在なのである。
この話の類話は少なくないのでさらに紹介しよう。
事例15
ウ7ヤ
豊見城村名嘉地の大家に'大きなガジマルの木
にキジムナIが住んでいて,その主人と親し-な
った。キジムナ-
キジムナーをめ ぐる若干の問題 (赤嶺)
は'主人を連れて海に行き'魚をた-さんと
って-れたので'その家は豊かにな
ったがへあるとき海でキジムナIの
(註26)
嫌がる尻をひったら'キジムナIは怒
って'大家には住まな-なり'大家は貧乏にな
ってしま
った
。
なお'奄美のケンムンも富を司る性格を有していることを次のふたつの事例によって確認しておきたい。
事例16
その家は'野菜などを作るには便利の良い所だ
ったが'そこまで行-道が悪かった。その家の後に水溜りがあ
って'
そこの娘は暑い時にはすぐそれに入
って浴びた。ところがまだ十才にもならぬ娘なのに'おなかが大き-な
った。不
思議なことじゃね-といっているうちに'お産をした。ところが生まれた子がケンムンによく似ていた。ていねいに
育ててみると'猫か何かみたいに'家の周囲を廻
っていた。その家に野菜がい-ら出来ても不便なので買いに行かな
か
ったのであるが'女たちはその赤子を見たいから遠方からでも野菜を買
いに来た。それで家計がよ-な
ったそう
(註27)
だ
。事例17
オジの奥さんの妹が山に入
っていた時、ケンムンに迷わされて妊娠した。それで生まれた赤子はケンムンの子ども
で'頭が丸-'手も足も美果で手足の指は長かった。いつもヨダレをたらしていたが'たいへん力が強-'山
へ行
っ
てたき木を投げたり'モチを容易にひ
っくり返したりした。その家は笠利村で
一番の分限者で金貸しなどもしていた
(註28)
が'そのケンムンの子供が五才ぐらいで死んでしま
ってから、たちまちのうちに落ちぶれてしま
った。
このふたつの話では、主人公はケンムンではな-その子供ということにな
っているが'富を司るケンムンのイメージ
が反映していることは明らかだと思われる。
ところで'次の話はどうであろうか。
事例18
13
浜端の翁がキジムンと友達にな
った。キジムンは毎晩彼を連れて漁に出掛けた。左の目だけ自分で食べて後は,皆彼
に与えた。彼はお蔭で長生きをした。然るに後にな
って彼はキジムンと交際するのが末恐ろしくなり、此と交を絶と
ぅと決心した。或晩'話の序でに'お前は何が
一番恐いのかと問ふたら'キジムンはタコと
-二
-リが
1番恐いと答
へた。よ
って翁は次の晩タコを門口にかけ'自分は蓑を着て屋根の上に上り'キジムンが呼ぶ時'羽ばたきして暁を
告ぐる
ニハトリの真似をした。キジムンほ始めはニハ--かと思
って立ちよらなか
ったが'よく見ると浜端の翁なる
を知り'
コイツ取り殺してやらうとツカ-
と進まうとしたが'門口にかけてあるタコが恐くて僕
へあが
って,その
まま姿を消してしま
った。それからキジムンほ浜端の内にはもう釆な-な
った。然し翁はその後三日経
って死んでし
(註29)
ま
った
。
この話で、キジムンと付き合
って浜端の翁が得たものは具体的な富ではな-長命ということにな
っているが,長命も
広い意味では富の
1種であり'これまでみてきた富を司るキジムナ-評と同
一のメッセージを伝えるものとして理解し
ていいだろう。さらに'キジムナIと
一緒に漁をして大漁にな
ったと語る説話も、その結果として家が盛えたと明言さ
れてなくても、潜在的に伝えられるメッセージは同
一であろう。その考えを押し進めていくと,山から材木を運び出す
キジムナ-も'その結果として事例Iのように富がもたらされたとは語られていない場合も'キジムナ-が人間になん
らかのプラス作用を及ぼすという意味で'同
一の意味構造をもつ説話として理解できる。
同じことは'キジムナ-と縁を切
った後の結末についてもいえる。次の説話をみていただきたい。
事例
19
昔、仲里間切真謝村のウスク下という家のウスクの根元にキジムンが巣を作り'その家
の若者と友だちとな
ってい
た。キジムンは毎晩のように若者を誘
って'いさりに出かけたので'若者はわずらわしくな
ってきた。妻の助言もあ
って'若者は茅を刈り集めてウスクの根元に積み重ね'二人でシーザ-という珊瑚礁
の岬にいさりに出ている留守
14
キジムナ-をめぐる若干の問題 (赤嶺)
に'妻に火をつけさせた。キジムンは'もうここにはおれないから那覇の安里八幡の庭のウスクに行-ので訪ねて来
てくれと言
って去
った。数年後、その若者が安里八幡を訪ねて行
って様子を聞こうと'とある家に寄
って'キジムン
とのことを話をしたら'その主人が突然に囲炉裏の燃えさしを取
って若者の目に突き刺した。主人はかつてのキジム
(註30)
ンで'若者は盲目にされた。それ以来'ウスク下の家には眼病の者が絶えなかった
。
この話では'いさりに出かけて大漁したとは語られていないが'単なる欠落であろう。さて'キジムンと縁切りをし
たウスク下の家が没落したとは語られていないが'結局若者は盲目になり'その家から眼病の者が絶えなかったという
のだから'意味構造としてほ没落と等価である。キジムナIと縁を切
ったためにキジムナ-に復讐されるというのは、
先にふれた
『遺老説伝』の説話や事例4の宮古の説話のように'キジムナ-譜にはおなじみのモチーフであるが'その
復讐の内容が何であ
ったとしても,縁を切
ったことによってキジム-
が人間に災いを及ぼすという点からは、それら
I
は同
一の説話構造を持つものと理解していいだろう。そして'キジムナ-関係の説話が集大成されている
『日本昔話通
15
観』26巻および
『日本伝説大系』15巻に収録されている資料によるかぎり'事例4のように復讐の結果がキジムナIと
縁を切
った本人以外に及ぶというのは希有な例で'ほとんどは'本人およびその家族に災害
・不幸が及んでおり'結局
その家の没落が示唆されている点は強調しておいてよい。実際'事例4においても'
マズムンが意図した復讐の標的は
その家族であ
ったことが明言されている。
以上のことより'我々は'家の盛衰を司るキジムナIのイメージを手に入れることができた。キジムナIをてなづけ
あるいはキジムナIと仲良-なり'それとうま-つき合
っている間はその家は富み栄えるが'それを追放するとその家
は何らかの災いを被り'ひいては衰退するに至らしめられるのである。この点でのキジムナ-は'家の神的性格に限り
な-近づいているといえるが'その問題については後述する。ここで問題にしたいのは'何故人間は'富をもたらして
-れるキジムナIを追放し'キジムナIと絶縁するのであろうかtという点である。まず'次の説話をみておこう。
事例20
昔'豊見城の我那覇名嘉地といって'キジムナ-金持ちと呼ばれる大変な金持ちの家があ
った。そこの家のウスク木
の根
っこは'朽ちて洞穴にな
っていたというがね'化け物のキジムナ-というのは'そこにいつも隠れたんだ
って。
そこから出て行
ってほ'海
へ行
ったり魚を取
ったり'そこに帰
って来たりしたそうだ。そこの家の主はね'キジムナ
Iと
一緒に海に行
って'他の者は魚を取れないで'船は空
っぽで帰
って来ても'いつも船に
一杯魚を取
って来たんだ
と。それで'そのキジムナIの住んでいる屋敷の人は'たいそう金持ちにな
ったんだ
って。それで豊見城の我那覇名
嘉地は'キジムナ-金持ちといわれた.そうしたら、とにかく
キジムナー金持ちというのは珍しいものだなあと評
判にな
ったというが'とにかく
ねたまれたわけさ。他の人は'魚
一匹も取れないが'そのキジムナIを養
っている
ゥスク木の主は'いつも船
1杯取
ってきて裕福にな
ったから.ある人が考えて、「あのウスク木の下にキジムナ-が
いるというが'そのキジムナIを始末すれば、あそこは衰えて'魚はまた'みんなが取れるようになるから」といっ
16
て,みんなで相談をして,そこの主に隠れてね,丁度キジムナ-が海に魚を取りに行
っているときに,その洞穴に燃
l
える物を入れて火をつけた
ってよ。それで'そのキジムナIの住んでいる洞穴は焼けてなくな
ってしまい,するとそ
のキジムナIは'家が焼けてな-な
ったので'ここには住めないと出ていってしま
ったら'そこの家の主はもう,そ
(註31)
の後からほ全く
魚
一匹も取りきれない.いつも貧し-て'もう全部なくな
ったんだと
。
この説話では、キジムナ-と絶縁するのほ'金持ちにな
ったことを他人に妬まれ他人がキジムナIの住処を焼いたこ
とが契磯にな
っている。
つまり'本人が望んでキジムナIと絶縁したわけではないのである。ところが,この種の話は
管見の限りこの
一例しかなく
圧倒的に多いのは事例Ⅰや事例2のように本人が望んで絶縁するタイプである.事例
5
と事例6で'鶏
(鳥)の鳴きまねをしてマズムンを追放するというのも'同じタイプの話と考えていいだろう。そし
て'絶縁する理由も'明確に語られることがないか'あるとしても'キジムナ-との付き合いが煩わしくな
ったからと
W
搾
・・
・・L
..
.
いう程度のものである。
ところで'キジムナ-と人間の絶縁に関して'折口信夫は
「沖縄本島の北の部分'国頭地方は'文明が適当の古きに
保たれているので'今でもこの地方には'きじむんの話が残
って居り、形は見えないが、人の為に石や木を運ぶと信じ
(註32)
ている。-
・是は常に労役に使ほれるので'それを嫌が
って'開放されようとし'時には無理に逃げて行-話もあ
る
。」
と述べている。これは'キジムナIが自ら望んで人間と絶縁するということであるが'残念ながら折口は具体的な資料
T・T・
を提示していない。おそらく'「沖縄採訪記」の中の
「.剖日蝕山叫劇は'居った家の主人がおもしろ-なると'脇
へこす。
キジムナーをめぐる若干の問題 (赤嶺)
(註33)
さうして元の家をわるくならせる。」
という記述に対応するものと思われるが'筆者はその種の説話を確認することが
できなかった。ここでは'折口の指摘に注意を喚起してお-にとどめざるをえない。
さて'富み栄えたことを他人に妬まれ'その他人によ
ってキジムナIが追放されたというのは理にかな
った筋書き
で'納得しやすいのだが'富をもたらしてくれるキジムナIをそれとの交際が煩わしいというだけの理由で追放したと
いうのには'どうも釈然としな
いものが残る。それについて'充分に納得い-説明を与えることは筆者にはできない
が'ただ'次に述べるところのキジムナIのもつ両義的な性格と関係があるのだろうという見通しはも
っている。
キジムナ-の両義性は'そもそも'
1万では家に富をもたらす存在でありながら'他方では'人間に非常に残忍な仕
返しをするという点に見出すことができるように思われる。粟国島の説話では'キジムンと手を切ろうと妻がキジムン
(註34)
の子供と住処を焼いたところ'夫が那覇に出かけている間に'家を焼かれ'妻子は殺されていたという
。
キ
ジムナIの
性格のマイナス側面を示すものとしては'おなじみの寝ている人の胸を押さえつける話や、キジムナIが人間の霊魂を
(註35)
抜き取るという話
な
ど
をあげることもできる。久高島では'キジムナIに連れ去られた女性が'村人の必死の捜索によ
り洞穴から発見されるが'赤土を食べさせられたあとがあり'家に連れ戻したが'しばらくして死亡したという話が伝
えられている。キジムナ-と友だちになり'大和見物に連れていってもら
った
(但し尻をがまんするという条件で)
(註36)
話は'
キジムナIの性格のプラスの側面を示している。また'キジムナIが住んでいるウスクの木に芋を置くと'
一遇
(註37)
間ほどでキジムナIと友人になることができるという話を佐喜真興英は報告している。
同
じ佐喜真興英が'キジムナ-
(註38)
を呼ぶ時および退けたい時の呪言を紹介しているが
'
両
方の呪言があることも'キジムナ-の両義性と関係があるもの
(註39)
と理解されよう。奄美のケンムンの両義的性格については'川田牧人が指摘している
。
ところで'次にあげる木の精の話をみてみよう。
事例21
或る樵夫が山路を踏み迷ふてせん術も知らず途方に暮れると、彼の木の精の木なる椎の木の下に1夜の加護を頼むの
である。椎の木は必ずよ-スジヤを加護して下さるのである。樵夫は木の下にまどろむ間によく次の様な会話を聞く
ことがある。
第
一の木精
オ
ーイ
第二の木精
オー
第
一の木精
一つ夜遊びに出掛けやうぢやないか。
第二の木精
俺も
一緒に行きたいんぢやがな'今晩は駄目だよ'スジヤ
(人間)を留めてあるんだから。
山に迷ふた樵夫は、椎の木を見出せばそれで助かったと十分安心することが出来る。村人も山に迷ふた者をさがす時
(註40)
には'椎の木の下をたづねてい-のである。それで大抵助かるのである
。
この話では'キジムナ-ではなく
木の精として語られているが'キジムナIが木の精の妖怪化したものであるとす
れば'キジムナ-の
(正)の属性を語る話と無関係ではないはずである。椎の木の精が、山で迷
った人間を助けるとい
(註41)
う話は'島袋源七の
『山原の土俗』にも採録されている。
ところで
1万では、木の精が人間にたたりやすい畏怖すべき性格を持つことを示す資料もあるO次は筆者の調査によ
キジムナーをめぐる若干の問題 (赤嶺)
る南風原町津嘉山の事例である。
事例
22
綱曳きのカナチ棒
(結合した雄綱と雌綱を固定する木)は、安易に伐ることはできない。部落内の木を伐る場合'三
名の綱頭があらかじめ適当な木の検討をつけてお-.しかし'木を伐る当日までそこに
1人で行
ってほいけない。さ
らに木を伐る時にも'現場で次のような作法を守らないといけない。三名の綱頭の内の
1人が'「この木がいいので
はないか」と木を指さす。それに答えて他の二人が
「うん'これがいい」と同意する。そして'酒とヒジ
ュルウコ-
(火をつけない線香)を供えて願いをしてから伐る。それを守らないとキーヌシー
(木の精)がたたる。二十年ほど
前
に'
その作法を守らずに'木を伐る前に'その木をひとりで見に行
った人が次々と'三名ほど亡-なるということ
が撃
しった.これは'キーK,ソーのたたりである.
E
この事例では'木の精が'それ
への対処の仕方を誤ると'たたって人間を死に至らしめるほど恐ろしい存在としてイ
19
メ-ジされている。南風原町喜屋武では'かつて旧暦十二月八日のムーチ-
(鬼餅)の日を山
ユリーの日と称Lt屋敷
や畑の畦の木'あるいは御獄の木なども'その日しか伐ることはできなかったという。また、久高島では'旧暦十
1月
頃に7..'1ヮクという行事があり、行事の1環として御獄の蒲葵の木の不用な葉が切り落とされる
(フバは蒲葵の意で'
ワクは切り落とすの意がある)。そして'屋敷内などの木は'そのフバヮクの行事が終えてからでないと伐ることがで
きずtかつ'伐る際には'フバヮクの御寂での行事に参加したヤジク
(村落祭柁組織を構成する
一階梯の名称)の人が
鎌で伐る所作をしてから伐るしきたりにな
っていた。これらの伐木に関わる注意深い対処の仕方には'人間にたたる恐
(註42)
れのある木の精のイメージ
が
反
映しているものと予想され、結局これまで述べてきた畏怖される木の精の属性は'キジ
ムナ-の
(負)のイメージと無関係ではないと思うのである。
さて'キジムナIの両義性に注目してきたが'さらにそれに関連して'次に述べる奄美のケンムンの由来譜は注目に
価する。先にも言及したが'福田晃はケンムンの由来賓を四種類紹介している。そのひとつ'大工が家造りを手伝わせ
るためにつ-
った藁人形をケンムンの起源とする話は'事例8としてあげておいた。残りの三つについてみてみよう。
事例23
ケンムンにな
ったのほ'ノP神様の姪
・甥で'両親が死んだので叔母に引き取られていた。姉が七つ'弟が五つだ
っ
た。叔母がある日'二人に'「山に行
ってジヒキ
(すすき)の葉をと
って来
い」と言いつけた。二人は'山の中を
一
日中捜し回ったが'ジヒキがどんなもんかもわからず捜せないので悲し-な
って泣いていた。するとそこに髭をはや
した爺さんが来て'「わらべ'わらべ'日が暮れるまでどうしてそんなに泣いているのか」とたずねた。「叔母が
『ジ
ヒキの葉を取
って来い』と言
ったが、どんなものがジヒキかわからないし'『持
って釆ないと家に入れない』と言
っ
たので」と言
って泣いていた。「そうか'それではフッシュ
(爺さん)がと
って持たせるから'それを持
って行けよ。
そして家の中には入らないで'これを後向きに投げ入れて来い。そしてふたりはこれから先は海岸で貝を採
って暮ら
20
せ」と言
った。子供たちはフッシュの言う通りにした。そして冬になると塩風が吹いてとても住めないので山に釆
l
た。そこへフッシュが来て'「なぜ'また山に来たのかね」と聞いたら、「海岸でばかりは住めないので山に来た」と
言
ったら'「では'フッシュの言う通りにするがよい」と言
って'「山に三カ月'川に三カ月'海に三カ月暮らせ。そ
れからもうひとつ言うことがある。人間がこの山に釆たら'お前は谷に行
って'谷に釆たら山に行
って、絶対に顔を
会わすなよ。人間をワヤクしたり
(からかったり)するとすぐに海にやるから」と言
ったら'「そうする」と答えた
(註43)
ので'「では名前をつけるから」と言
って'「ケンムン」と言う名前をつけたそうな。
事例24
ある人が嫁に行
ったけれど'姑めがとてもきびし-していじめたそうな。最後には、夫も始めといっしょにな
って'
嫁をだまして奥山に連れて行
ったそうな。そして'両方の手を広げて'ガジ
ュマルの木に'五寸釘で打ちつけたそう
・.㌔.
.
∵
….‥
・
.
キジムナ-をめぐる若干の問題 (赤嶺)
な。そして殺したそうな。この嫁の魂が'ケンムンにな
ったそうな。神様にはなることができず'人間に石を投げた
り'干瀬や山のガジ
ュマルの木にいたりするそうな。ケンムンは'人が
「おうい」と言うと'「おうい」と答えて'
「相撲取ろう」と言うそうな。夜歩いていると'火が何十もついたり'消えたりするのを見ることがあるけれど'あ
(註44)
れは'ケンムンの頭に皿があ
って'その中の水が光
って'そう見えるということだよ
。
事例25
昔昔大昔'或る所にネブザワという男とユネザワという男と二人の漁師が居たそうな。
ユネザワには美しい妻があり
ネブザワは独身であ
ったそうな.或る日二人は
1隻の舟に乗
って漁に行
ったそうな。魚を沢山釣り'夕方にな
って帰
ろうとしたとき'碇が珊瑚礁に引かかり上らな-な
ったそうな。すると
ユネザワが潜
って行
って碇を樵から離し海面
に上
ってきたそうな。そのときネブザワは出来心を起して'今海面に浮き上
ってきたユネザワの頭をヨホ
(舟を漕ぐ
一
擢)でたたきつけて死なせた上'碇に縛
って沈めたそうな。そして
1人で帰り'
ユネザワの妻には鮫に喰われたと告
2
げたそうな。
ユネザワの妻は黙
っていたそうな。ネブザワは毎日のようにユネザワの妻の所を訪ねて慰めたそうな。
l
ユネザワの妻は毎日浜に降りて沖を眺めていたそうな。そして四十九日の目'
ユネザワの妻が浜に降りてみると海は
大変荒れて高い波が打ち寄せていて'波打際にユネザワの遺骸が打ち上げられていたそうな。遺骸は鮫に喰われたよ
うな跡形はな-'頭が何かで砕かれているのを
ユネザワの妻は確かめたそうな。しかしそのことは誰にも言わずに親
類を集めて墓に埋めさせたそうな。それから半年ばかり経
って'ネブザヮはユネザワの妻に自分と
lLょに暮して呉
れと言
ったそうな。
ユネザワの妻は
「あなたがわたしの言う通りの木で家を作れば
一しょに暮しましょう」と答えた
そうな。するとネブザワは大そう喜んで
「何でも言う通りにします」と言い'その翌日二人連れだ
って山に木選びに
出かけたそうな。ネブザワは
「どんな木がよいの」ときいたそうな。すると
ユネザワの妻は
「あなたの両手でまわし
て両手の平が丁度重なる大きさの木を探して下さい」と言
ったそうな。山に木は仲々見付からず'次第に山の奥
へ奥
へと入
って行
ったそうな。深い深い奥山に達したとき丁度女の言う通りの木があ
ったそうな。ネブザワがその木を両
手で抱きまわして計
っていたら'
ユネザワの妻は木の後
に廻わり'「この木はよさそうです。ちょっとの間そのまま
にしていて下さいよ」と言いつつ'素早-隠し持
っていた釘と金槌を取り出し'ネブザワの掌の甲の上に釘をあてて
金槌を振り上げ'全身の力をこめて打ち込んだそうな。ネブザワが
「あ
っ」と叫んだときにはもう後の祭り'釘が両
手の掌を縫うて木の幹に喰い込んでいたそうな。ネブザワがいくらもがいても離すこ左
はできなかったそうな。
ユネ
ザワの妻は
「夫の仇、ひと思いに死なすよりはこの方が夫の恨みが晴れるでしょう」皇
1Eい残してそこを立ち去
った
そうな。ネブザワは手の痛さも忘れて続いているうちに力が尽きて動かな-なり、やがて日が暮れて、鴇の声が通り
過ぎ'続いてクフが鳴き
ユシキョ
(怪鳥)の声がし'もうそこは人間の息づ-環境とはまるで異なる陰界の雰囲気を
:...;4'.I.I.'i.;I.:'1.II.I:I.:i:.I.:■JJ'tl.;'1.,;,.:''....I.I::1';.:I.'・,:I-一.+....:.:,:I..I.I,''1..I..'':...:''''':I-.':.L,..:I..'l..I.I:I::。''..I.,:I:.'LI.:I..:,,:.;.i:,..I.・.'....:I.I....''二..:・,I..;:.
.I
るが,人間に戻すわけにはゆかない。半分人間半分けだものにして上げる。人里に降りて害をするな。その代り水中
l
空中自由に駆けられる力を与えよう」と告げて消え去
ったそうな。ネブザワがほっと目を開けたら夜が明けていて,
手は木から離れていたそうな。しかし自分のからだは人間の姿ではなく
身体
一ばい毛が生えており,手と足が無闇
に細長-なり'何とも言いようもない奇妙な姿にな
っていたそうな。ネブザワは
「こんな姿では里に降りられはせん
ゎい。人に見られるのも唇かしい」とつぶやき'それからは昼間はなるべ-木や岩の暗い洞穴に隠れ,夜だけ出歩-
ことにしたそうな。これがケンモンのはじまりであり、すなわちケンモンの元祖であるので,ネブザワという元の自
(註45)
分の名を聞-のを嫌がるんだとさ
。
この三つのケンムン由来淳
について検討する前に'事例25の煩話が沖縄でも伝承されていることを確認しておきた
い。福田晃の指摘によると'事例25の類話は'沖縄本島,宮古,八重山と広い分布を示すが,ここでは,与那国の事例
叫i
r
・
ト
‥--・
・
.
■
.
.
-.・
・
・・
・
キジムナ-をめく、・る若干の問題 (赤嶺)
を掲げておく。
事例26
ひとり者で先輩のガダヌヒヤには'美しい妻を持つ友人があり'隣同士で仲良-暮らしていた。三月の節句に'ガダ
ヌヒヤは隣人を海岸に誘い、うまく酒に酔わせて相撲をいどんだ。後輩の隣人は'負けることを予想して'枚織り中
に心が騒いで雨が降
ったときは'それが私の涙と考えよと愛妻
への伝言を頼んで'果し合いの相撲にのぞんだが'海
岸に突き落されて死んでしま
った。ガダヌヒヤはなにげなく戻り'隣人の妻にはたくみに言い逃れ'やがて'その妻
に親しげに近づいた。ある時'隣人の妻が機織り中に心が騒ぎ夏雨にな
った。たまたま居合わせたガダヌヒヤに'そ
の悲しい気持ちを伝えたので'隣人の生前の伝言を知らせた。ガダヌヒヤが求婚すると'隣人の妻は快-承知Lt二
人は女の家で暮らそうということになる。妻は中柱と棟桁を変えてから結婚しょうと'ガダヌヒヤを誘
って'材木切
りに深山に入
った。妻は大木を選んで'ガダヌヒヤに抱えさせ'手の平と手の平とが重なり合
ったとき'釘でそれを
23
大木に打ちつけた。妻は,お前は木の精にな
って,クムテ
(木の伐払いの供物)をもら
って食べろと言いつけた。そ
【
(註46)
れで今も、家づ-り墓づ-りには'木の伐払いの行事がおこなわれている
。
福田の指摘
によれば'沖縄のこの種の話では'ケンムンの由来としで語られる奄美とは事なり'キジムナIではな
-'上の与那国の事例のように木の精の由来として語られているという。ところが'与那国では、上の話の燥話が'キ
デ
ィムヌ
(明らかにキジムナIと同系統の言葉である)の由来として語られている点は指摘しておかねばならない。次
に示すのがその説話である。
事例27
山の大木にはガジャヌヒャ
(ガダヌヒャ)がいる。山の神
(ダ
マヌカン)である。むかLtガジャヌヒャという男
が'ウスガナシという男の妻をわがものにしようと'ウスガナシを殺しておいて女にいい寄
った。処が'女は妖術の
達人であ
ったので'この男が夫を殺したことを
1早-知り'「あなたの所
へ嫁ぐにはまず新家を建てなければなりま
せん」とい
って男を山奥
に連れ出した。適当な大木を選んで'幹回りを測りたいからと男に大木を抱えさせておい
て'後
に廻
った女は男の両手に釘を打ちつけ'木の精
(キディムヌ)
にしてしま
った。今でも家を建てる時に木の成
(註47)
い
(キイヌダイ)をLt神祭りをするのほガジャヌヒャに木から出てもらうからである
。
与那国のキデ
ィムヌという存在が、沖縄のキジムナIと同様に'その他の説話にも登場するポピ
ュラーな妖怪で'そ
の性質
においてもキジムナIに比定できるものであるかどうかは定かではない。ここでは'事例25のような説話が'沖
縄ではキジムナ-ではなく
木の精
の由来として
一般的には語られるという福田の指摘に従うことになるが'キジムナ
Iが木の精であるという認識が広-流布している状況を踏まえるかぎり'そのことはさして重要な問題にはならないも
のと考えたい。実際与那国では'キデ
ィムン
(キジムナ-)の由来譜にな
っているのである。
さて,ケンムンの由来譜に話を戻すと、そこで注目したいのは,ケンムンにな
ったのが
いずれも悲惨な蓋
の身の人
2
間であるiJいうことである。すなわち,事例23では,叔母にいじめられた姉弟が,事例
24では姑と夫に殺された嫁が,
f
事例25では'友人の妻
に横恋慕して友人を殺したためにその妻
によ
って仇討ちされた男がケンムンになるのである。遺
恨を残して殺された
(事例23では殺されてはいないが、叔母のいじめが契機とな
って、結局は人間には戻れないわけだ
から、殺されたも同然であろう。事例25も同様に考えたい。)と
いう意味で'三者に共通す
るものを怨霊性とでも表現
できようか。怨霊性の程度は同等ではなく
ランクづげをすれば姑と夫に殺害された嫁
の怨霊性が最も高く,したが
っ
て最もたたりやす
い性格を持
つと予想することはできるがtLかしここでは'他の二事例においてもその怨霊性は共有
されていることに注目したい。
なお、沖縄
の勝連町には'キジムナIを水死人の亡霊が妖怪化したものとする説がある
(註48)
ことも付け加えておきた
い。
ヶンムン
(キジムナ-)
のその起源における怨霊性こそ、キジムナ-の両義性におけるその
(負)の部分と関わるも
キジムナ-をめぐる若干の問題 (赤嶺)
のと理解できるのではないか。換言すれば'キジムナIの
(負)の部分を説明するものとして'これらのケンムン由来
語は語り始められ、そして語り継がれてきたのだろうtということである。もちろん'大工の手伝いをする藁人形をケ
ンムンの起源とする説話
(事例8)が'キジムナ-の両義性の
(正)の部分に関わるものであるということは言うまで
(註49)
もない。
さて'富をもたらすキジムナ-と何故人間は自ら望んで絶縁するのかtが問題であ
った。キジムナIとの交際が煩わ
しくな
ったと語られるその背景に、上で述べたところのキジムナ-の怨霊性
((負)のイメージのキジムナ-)が潜在
していた可能性はないのだろうか。そのことに関連して'次の
『遺老説伝』所収の説話は注目に価する。
事例28
往古の世'真壁郡宇江城邑に'
1個の人有り。名を久裏書鮫殿と日ふ。夜々海辺に出で'漁を以て宮と為す。
1夜'
人有り来りて魚を取る。何処の人為るやを知らず。日往き月来り'遂に以て肝胆の交りを結び'毎夜相共に漁を以て
宮と為す。容貌時に変ずる有り。言語も亦常ならず。此れより鮫殿意に謂
へら-、彼の人は人間に非ず'鬼変じて人
間と為れるならん。久しくは交はるべからず。若し久し-相交ほらは'恐ら-は之れが為に害を被らんと。
一夜'漁
畢り、将に家に帰らんとす。窃かに其の往く所を窺ひ見るに'直ちに当山
(本邑の前に在り)に往き去り、化して
一
株の桑樹に入り'而して其の跡を見ず。是の桑樹を見るに'千古を歴経Lt甚だ老木為り。妖魔に変ずべきこと'決
然疑無し。鮫殿'心中大いに驚きて家に回り'婦に説知すること
一遍。遂に婦をして其の出漁の時を窺ひ'尽く桑木
を焼かしむ.是れより妖魔、住居する所無-、即ち国頭に往きて住居す.
一日'鮫殿事有りて首里に在るのとき'避
遁して朋友に市に逢ひ、共に酒家に入る。棺ゝ久し-燕宴し'説話するの間'鮫殿'前に桑木を焼き遂に魔を去りし
事を以て'朋友に直話す。他の朋友忽ち窓を発Lt其の帯ぶる所の小刀を将て、鮫殿の指の間を刺す。奈んせん鮫
殿'魔変じて朋友の貌と為るを知らず。遂に金癒を被りて死す。即ち本邑の属地前原に葬る。鮫殿'其の未だ死せざ
2 5
る時'形体人と異なり'肌鯖鮫の如し。但ゝ其の指の間許,人間の肌の如し。故に他の妖魔、特に鮫殿の指の間を刺
(註50)
すとしか云ふ
。
この説話で、鮫殿が漁を共にしたという
「人物」が,話のモティ17からして、キジムナIであることは明白であろ
ぅ。この説話の他の類話との違いは'鮫殿がキジムナ-とつき合
っている段階で,そのキジムナIを妖魔と見破
ったと
いう点にある。換言すれば'(正)のイメージ
(人間と親し-つき合い,結果として富をもたらす存在)の隙間から,
キジムナ-のもう
1万の正体である'(負)の属性が露顕してしま
ったということになる。したが
って,人間が自ら望
んでキジムナIと絶縁する他の説話においても'キジムナ-の
(負)の属性は露顕していないだけで、常に潜在してい
て'それが'人間の側からの絶縁の契機とな
っているのではないか,と想像されるのである。
六
キジ
ムナ
-
(ユイピ
ー
ゥガ
ナ
シ)
と建築儀礼
八重山のユイピ-クガナシが沖縄のキジムナIに比定できることは,すでに四章において確認しておいた。
ここで
は'
ユイピ-ゥガナシと建築儀礼との関わりについて見てい-ことにしたいが,建築儀礼におけるユイピーゥガナシの
(註5ー)
問題については'すでに筆者は別稿で論じておいた。
し
たが
ってここでは,行論上必要な限りにおいて,拙稿を要約し
て示すというかたちをとることになる
(引用文献については拙稿に示してあるので,ここでは割愛したい)0
建築儀礼に登場するエイピトゥガナシとは,棒や竹に茅や藁を縛
った物,茅を束ねた物,藁人形,木の枝と茅などに
ょって形象化されるが'それが建築材料とな
った木や茅の精霊を象徴化したものであることは,川平の落成式に唱えら
れる次の願い言によって明らかである。
これまで結い人の前
(ユイピークガナシ)は
縛られておられたが
今日は解き申しましたから
山の神
八木)は山
26
キジムナーをめぐる若干の問題(赤嶺)
へ野の神(茅)は野原へおいでになりこの家庭には凶事も錆もかからせなさらずにょいことを迎えさせてく
ださい
ユイピーゥガナシが木や茅の精霊であるということは'先に示した租納の説話で'ユイピトゥガナシが大木の虚を住処とするらしいこと、また網取の説話で'材木を担ぐ手伝いをしたのが'ユピ-ゥキという木であったことと符合する。さらに'沖縄本島のキジムナIが木の精霊とされていることともl致し'ユイピーゥガナシがキジムナ-の一種で
あることをここでも確認することができる。
さて'この川平の願い言で注目されるもう一点は'木や茅の精霊を開放して山野へ戻すという考え方である.ユイピトゥガナシを新築家屋から追放することを示す資料はその他にもいくつか存在する。事例27では、与那国のキイヌダイという建築儀礼も'木の精(キディムヌ)を追放するためのものと説明されていた。ところが一方では'ユイピトゥガナシを迎えて酒を飲ますなどの歓待をする資料が多数存在し、さらに'ユイピトゥガナシは追放されることなく新築家屋にとどまり'一種の家の神と化してい-ことを示唆する資料も若干存在するのである。たとえば'先述した竹富島のユイピーゥガナシの説話では'「この材木がわが家の庭先まで届けられたのは神のおかげ'結人加那志のおかげだと大
●●●●●●●●●●●●●●●●
変感謝し'この男は立派な家屋を建てて'結人加那志を新築家慶にお招きした(傍点引用老)」とされているLtさらにこの説話を紹介した上勢頭享は'「最後に神(エイピ-ゥガナシ-引用者)はニシヒラ'フウヒラ(北の桁'太平の
桁)で永久に見守ることを約束する」と述べている。
このようにユイピ-ゥガナシの説話や儀礼を検討すると'相矛盾するふたつの見解を導きだすことができる。ひとつは'ユイピトクガナシを新築家屋から追放するというもので、もう一方は家に留まってもらうというものである。この矛盾をどう解決すればいいか'拙稿ではい-つかの可能性を提示したが'結局結論は保留せざるを得なかった。ここ
で'この問題について別の角度からもういちど考えてみたい。
27
結論的に言えば'この問題を先に述べたキジムナ-
(ユイピ-ゥガナシ)の両義性の問題と絡めて考察することはで
きないかtということである。すなわち、
エイピーゥガナシを新築家屋から追放するというのは'キジムナIの
(負)
のイメージが反映したもので'逆に'
ユイピ-ゥガナシを家にとどめるというのは'その背景にキジムナIの
(正)の
イメージ
(山から材木を運ぶのを手伝い'ひいてはその家に富をもたらす)があるということである。キジムナIが本
来両義的なものであるとすれば'(正
・負)いずれのイメージが前面に出るかほ'時代や個
々の状況によ
って異なるこ
とが予想され'その結果として、八重山地域全体としては相矛盾する資料が併存しているtということではなかろう
か.
1つの仮説として提示しておきたい。
八重山の建築儀礼におけるユイピ-ゥガナシの問題を知
った我々としては'次に'他の琉球文化圏においてキジムナ
㍉
二.:;:i:.:,.I-''::.'i..:t'::''t':.1.i::.:I-.':J.I.I:,I-1....I,.....I.1.二
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...
果その家が没落するという筋書きが圧倒的に多かっ増
訂
例-と事例-における宮古のキジムナIは,材木を運び,家
-
造りを手伝
って人間のために働いたにもかかわらず、結局最後は人間に脅されて人間の世界から退散させられてしま
ぅ。それがいったい何を意味し'そして建築儀礼と如何に関わるのであろうか。ここでは,残念ながらそれらの検討を
行う余裕はない。ただし'それと関連すると思われる折口信夫による次の資料の紹介だけはしておきたい。折口は,
「川平氏の話では'古い家の広間には、赤がんたあの出る処がある。同氏の本家にもあ
った。何か祝ひの席などに行
っ
て'其処で寝てよ-襲はれたといふことを聞いて居る。枕が
へしをLt押
へるのである。大病や死に致すといふのでは
やあのしい
(屋の精)といふのも此だ
。」
と報告している。通常木を住処とすると考えられているキジムナ-が家の中
に住んでいるということでありtかつそれが'「屋の精」とも呼ばれるという点に興味がもたれる。先述したように,
(註54)
なく
茶目風で、多少親しみをも感じさせて居る様だ。普通は'きじむんといふのである。又'きじむなあともいふ。
キジムナ-をめくL、る若干の問題 (赤嶺)
ユイピ-ゥガナシも、新築家屋に迎えられ'
一種の家の神化してい-可能性があ
ったtということが想起されるのであ
る。と
ころで'キジムナ-の両義性と家屋の建築儀礼との関係について考える場合、北タイに住むタイ族の次に述べると
ころのスピ-ッ-の起源譜は参考にならないだろうか。
そのむかLtタイ
・ヤイ族の商人が'野の花とほじけ米
(ポップライス)をいれた寵を天秤棒につりさげ'スピ-ッ
-を売りにきた。商人は'森の小径にさしかかったところで'石につまず
いてころび'寵のなかの花とはじけ米をひ
っくりかえしてしまった。商人は森の中に飛び散
った分をのぞいて'それらをひろい上げふたたび道を急ぎへチェン
マイの村むらで、祖霊が宿る聖なるものとして売り歩いた。森に散
った花とはじけ米は'畏怖すべき森の霊となり'
村びとに売
ったものは彼らの幸福と平安を守護する祖霊となった。村びとたちはそれらをもちかえ
って毎年'祭紀を
(註55)
おこな
った。
ここに登場するタイ
・ヤイ族は'ミャンマーのシャン州に本拠を置-民族で'北タイを含めた近隣地域で交易にした
がい、また'呪術的力の体現者とも見なされているという。この説話を紹介し分析した田連繁治によると'ピーと呼ば
れるタイ族のスピ-ッ-は
一種の力の概念で'その本来の存在形態は、生成と破壊を同時におこない'畏怖と崇拝の感
情を同時に人びとに起こさせる両義的なものであるという。そして'森に散
った野の花とはじけ米がそれにな
ったと語
られる森のスピ-ッ-は'チ
ェンマイの村びとにと
って、今日でも畏怖と畏敬の念がいりまじ
った両義的な力の概念を
代表するものだという。
一万㌧貨幣によって購入されたスピ-ットは'始源におけるその両義性を失い'村びとにと
っ
て善意にみちた守護霊に転化するのであるが'そのことを田連は'「力のドメスティケ-ション
(馴化)」という概念で
捉えている。
さて'八重山を含めた琉球文化圏で'キジムナ-
(木の精霊)を新築家屋に迎えてそれが家の守護霊にな
っていくこ
叫
1
・
-・・
とがもしあるとするならば'キジムナ-の両義性の内の
(負)の部分を切り落としてい-
「力のドメスティケ-ション」
が行われる必要があるのではないか、というのが筆者の発想である。八重山を含めた琉球文化圏の建築儀礼を、この視
点からも再検討してみることが今後是非とも必要とな
ってこよう。
七
結び
(註56)
キジムナIについては、海に出自をもつ妖怪とする説がある。
し
かし'その説では'山から木を運ぶキジムナ-の存
在をどう理解するのであろうか。キジムナIの出自と系譜については別に論じる必要を感じているが、少な-ても言え
ることは'山から木を運び出すキジムナIの性格を考慮しないと'キジムナIの正体の大事な
(すべてではないにして
ち)部分を見失うことになるということである。本稿では'山から木を運び出す手伝いをするキジムナ-の性格に注目
することによって'八重山のユイピトゥガナシがその他の琉球文化圏のキジムナIと同類であることが確認できた。そ
して'それを踏まえて'キジムナ-あるいは木の精の問題を家屋の建築儀礼および家の神との関連という
コンテキスト
の中で検討する必要のあることを指摘した。さらに'その検討を行うにあたっては、キジムナIの両義的性格というも
のがキーポイントになるだろうという見通しをたてておいた。なお'キジムナIの問題を考慮に入れた上で'琉球文化
圏の建築儀礼について総体的に論ずる場合'筆者とほぼ同じ問題意識で、日本本土の建築儀礼および樹霊崇拝の考察を
(註57)
精力的に進めている神野善治の
1連の
論
稿
は、無視できないものになってこよう.
さらに'キジムナIに関しては'同じ小童信仰の系譜に遵なるかと思われる日本の河童やヤマンタロウ、ザシキヮラ
シなどとの比較研究が
一定
の実りある成果をもたらすことが期待されるが'これも今後の課題として残さざるをえな
ヽOIY
30
ヰ
最後に、キジムナIが樹木の精霊に対する人間の敬慶な態度'あるいは畏怖と畏敬の念が混清した緊張関係から生み
出された妖怪であると想定できるならば'そのキジムナIの姿が今日めっきり人間の目にふれな-なったという事実
は'現代社会においては人間と樹木
(山'自然)との関係がす
っかり弛緩してしまった'ということの証左といえるの
かもしれない。
註
-
渡嘉敷守
「キジムナ-考」(仲宗板政善先生古希記念論集刊行委員会編
『琉球の言語と文化』
一九八二)四六
l頁。
2
渡嘉敷守
「キジムナIL(『沖縄大百科事典
・上』
一九八三㌧沖縄タイムス社)八三三頁。
3
折口信夫
「沖縄採訪手帖」(『折口信夫全集』
一六'
一九五六、中央公論社)
1八〇頁。
4
佐喜美興英
「南島説話」(『佐喜真興英全集』
1九八二、新泉社)
一九五頁.
5
稲田浩二・小津俊夫編
『日本昔話通観26
・沖縄』
一九八三㌧同朋舎、三六七頁。
キジムナ-をめくttる若干の問題 (赤嶺)
12 ll 10 9 8 7 6
横山重編
『琉球神道記
・弁蓮社袋中集』
1九七〇'角川書店'
二
四頁。なお'この記事の存在については'照星
正賢氏からご教示を得た。記して'感謝申し上げたい。
稲田他編'前掲書'
二二七~八頁。
稲田他編'前掲書'三六八頁。
稲田他編'前掲書'三六七頁。
山下欣
1「ケンムン」(『沖縄大百科事典
・中』
1九八三、沖縄タイムス社)四三~四頁。
名越左源太
(国分直
1・恵良宏校注)『南島雑話2』
一九八四㌧平凡社'四
一~二頁.
川田牧人
「妖怪の交響楽
-奄美
・加計呂麻島における妖怪欝の構造分析
-」(『日本民俗学』
一六九'
一九八七)五
三~四頁。
13
福田晃
「木の精由来譜の位相」(同
『南島説話の研究』
一九九二'法政大学出版局)三五五~六頁。なお'この話
の原典は、田畑英勝
『奄美大島昔話集』。
14
原田信之
「南島の妖怪-キジムナ-葦をめぐ
って-
」(『奄美沖縄民間文芸研究』
二二㌧
一九九
〇、奄美沖縄民間文
芸研究会)二一頁。なお'この話の原典は'福田晃編
『竹富島
・小浜島の昔話』。
15
山田雪子
(安渓貴子
・安渓遊地編)『西表島に生きる』
1九九二㌧ひるぎ社、
l八五頁。
16
原田信之は'八重山地域からのキジムナ-欝の類話の報告資料が少ないと述べている
(原田'前掲書、二五頁)0
17
真栄田義兄
・三隅治雄
・源武雄編
『沖縄文化史辞典』
l九七四'東京堂出版、
1四
一~二頁。
18
上勢頭享
『竹富島誌-民話
・民俗篇』
一九七六㌧法政大学出版局'
一四頁。
19
真栄田他編'前掲書'
一四
一頁。
20
赤嶺政信
「八重山諸島の建築儀礼-
中柱信仰と
ユイピトゥガナシをめぐ
って-
」(『沖縄文化』七六'
一九九二)
1
三~四頁。
21
山田武男
(安渓遊地
・安渓貴子編)『わが故郷アン-ゥ-』
1九八六、ひるぎ社'
1四四~五頁。
22
琉球諸島の説話資料を集大成している山下欣
一・遠藤庄治
・福田晃
『日本伝説大系』
一五
(一九八九'みずうみ書
25 24戻)および稲田他編
(前掲書)にも、
ユイピーゥガナシの説話は収録されてない。
八重山地域において、
ユイピトゥガナシと事例9と事例10で示したキジムナ-的存在との関係が問題になるが,覗
在のところ筆者には検討がつかず'不問に付さざるをえない。
佐喜真'前掲書'
1九四頁。
佐喜美、前掲書'
1九四頁。
叫≠
627 28 29 20313 23334 35 36 3
キジムナーをめぐる若干の問題 (赤嶺)
42 4140 39 38 37
山下
・遠藤
・福田'前掲書'三八
一貢。
川田'前掲論文'五五頁。
川田'前掲論文、五五頁。
佐喜真、前掲書、
一九四~五頁。
山下
・遠藤
・福田'前掲書、三八
1-二。なお'この話の原典は
『島尻郡誌』。
山下
・遠藤
・福田'前掲書'三七九~八〇頁。なお'この話の原典は
『ふるさとの民話
南風原町』第
一集。
折口信夫
「座敷小僧の話」(『折口信夫全集』
1五㌧
1九五五㌧中央公論社)二六〇頁。
折口'前掲書
(一九五六)'
一〇八頁.
稲田他編'前掲書、
二二四~五頁Oなお'この話の原典は'上原英昌
『粟国1民話伝説』および
『沖縄民俗』
1五。
佐喜美'前掲書'
一九六~七頁。
佐喜真'前掲書'
一九五京。
佐喜真'前掲書'
一九八頁。
佐喜美'前掲書'
一九七~入貢。
川田'前掲論文参照のこと。
佐喜真'前掲書'
1九六頁。
島袋源七
「山原の土俗」(『日本民俗誌大系』
1㌧1九七四、角川書店)三五1-二頁.
多良間島では'「悪日に人魂が泣-と山を荒らした人の魂が
『キヌカムトゥガ-』(木の神谷み)を受けたといわ
れ、島民が何か事故、災難'病気などすると
『木の神谷みがある』というユタも多かった」(多良間村史編集委員会
編
『多良間村史第四巻資料編三民俗』
一九九三'多良間村'二三二頁)と言われるが'これも同じ脈絡で理解すべき
33
…邑"hn"ーぎーEE【-‡…妻妻葺き1mm蔓.Mm巨転F.M
ー
であろう。
43
福田'前掲書'三五七頁。なお'この話の原典は'田畑英勝
『奄美大島昔話集』。
44
福田'前掲書'三五八~九頁。なお'この話の原典は、山下欣
一・有島英子
『久永ナオマツ姐の昔話』。
45
福田'前掲書'三六〇~二頁。なお'この話の原典は'恵原義盛
『奄美のケンモン』。
46
福田'前掲書、三六六~七頁。なお、この話の原典は'与那国町教育委員会編
『与那国島の民話集』。
47
伊藤良書
「沖縄
・与那国島比川の説話
Ⅲ」(『名古屋民俗』
1五㌧
一九七七㌧名古屋民俗研究会)
一〇-1頁。
48
福田恒禎編
『勝連村誌』
一九六六、勝連村役所'三九三頁。
49
渡嘉敷守
(一九八二)も'キジムナIの両義的性格について言及している
(四六九~七〇頁)。しかし'氏の議論
は'キジムナIが神的側面と妖怪的側面をもつとい-視点からの把握であり'筆者の議論とは視点を異にする。
50
嘉手納宗徳編訳
『遺老説伝』
一九七八'角川書店'
1六二~三頁.
51
赤嶺'前掲論文。
52
家の盛衰を司るものとしては'キジムナIの他にも'魚女房欝として語られる魚の存在があるが
(稲田他編'前掲
3 4
455565書'二五二~七頁)、ここでは不問に付す。
『豊見城村史』(豊見城村史編纂委員会'
1九九三)に'富をもたらしたキジムナIを追放するが'その家はその
後も勤倹にはげんだために益々繁盛したtという説話があるが
(三三四~五頁)'後世の変化だと推測される。
折口信夫'前掲書
(一九五六)'
1七八頁O
田遠繁治
「スピ-ットの交易」(梅棒忠夫編
『異文化の光と影』
1九八九㌧パン-サーチ出版局)二五頁。
伊波普猷は'キジムンを
「もと海から来たスピ-ツーで、薮の中や大木の上に棲み'人間には少しも害を及ぼさな
いもの」(「君異物の来訪」『伊波普猷全集』五㌧平凡社'三二二頁)と述べている。また'渡嘉敷守
(1九八二)も、
キジムナーをめぐる若干の問題 (赤嶺)
キジムナ-を海に原郷を持つ存在として捉えている
(四六九~七〇頁)0
57
神野善治
「建築儀礼と人形-
河童起源欝と大工の女人犠牲欝をめぐ
って-」(『日本民俗学』
1四六'
一九八三)・
「家屋の神と木魂-
『大殿祭』の屋船神をめぐ
って-」(『新嘗の研究3稲作と信仰』
1九八八tにひなめ研究会)な
ど。
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