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きんばらせい ご ふ ほうせき 金原省吾に傅抱石といっ ても、知る人は限られよう。 金原省吾(18881958)は 現在の武蔵野美術大学の前 身、帝国美術学校創立の中 心人物の一人、傅抱石(1904 1965)は、北京の人民大 会堂の壁面を飾る長白山の 雄大な風景画で著名な、人 民中国初期を代表する画家 である。その傅抱石は金原 による中国絵画史の著作に 感銘を受け、直接教えを乞 うべく、武蔵野に留学した。 1934年4月に来日した傅は 翌年7月まで滞在する。35 年4月に傅は早稲田大学東 瀛閣で個展の前祝いの会を 開くが、その出品作《鶏図》 には、折から亡命中だった 郭沫若(18921978)が賛 を寄せている。郭もまた現 代中国の書家として著名で あり、北京駅の屋上表札や 中国銀行の揮毫でも知られ る。 傅抱石は来日以前に目に していた金原の『唐代の絵 画』(1930)、『宋代の絵画』 1931)をあわせて『唐宋之 絵画』(1935)として翻訳し た。その序文で傅はこう述 懐する。中国絵画の「六法」 すなわち、伝意模写から気 韻生動にいたる法則の論理 的理解に苦しんでいたとこ ろ、金原の著作に接し、その 科学的な演繹方法によって 蒙を開かれた、と。色彩が 線を導き、やがてその線が 消滅して南画に至る。その 歴史的経緯の理路を、金原 は、骨法から形似さらには 気韻にいたる自己展開とし て把握する。それは当時に あって斬新な概観だった。 従来の中国画論は先行典 籍からの引用を旨とする 「集注」が定番だった。金 原の議論はそれとは異なる 学術範型だが、そこにはゲ ルマン語圏で唱えられてい た「名前なき美術史」、す なわち巨匠の系譜としての 画人伝から脱皮しようとす る学術動向も反映してい る。それに依って東洋絵画 史記述を刷新しようとする 機運は、折からの南画流行 とも相乗していた。 金原は傅抱石から「東洋 画論之権威者」と遇された。 競合する学究には東京帝国 大学の瀧精一(1873 1945)、 その薫陶を受けた澤村専太 郎(18841930)ほかが知ら れる。旧制三高寮歌「紅萌ゆ る」を作詞した澤村は、アジ ャンター石窟寺院の模写調 査にも従事した。京都では 富岡鉄斎の息・謙蔵(18731918)も中国絵画研究に邁 進したが夭折し、次の世代 の伊勢専一郎(18911945が『支那の絵画』(1922などでリップスらの感情移 入美学と気韻生動との優劣 を比較している。塚本麿充 はここに世代交代を捉え る。瀧や金原らが先駆者の 末裔ならば、澤村や伊勢は 美術史学専攻で養成された 第一世代だった。『三太郎 の日記』で人気を博した阿 部次郎(18831959)から 三木清(18971945)に至 る系譜とも重なるが、この 世代は、膨大な著述を残し ている。第一次大戦の戦後 不況から「大学は出たけれ ど」の昭和恐慌に至る時期。 就職難と出版界の隆盛とが 裏腹に交錯していた。大正 教養主義の背景をなすそう した社会史的文化土壌は、 竹内洋『教養派知識人の運 命』 2018)が発掘している。 そこに、一次大戦後の中 国からの留学生到来の時期 が重なった。日清・日露戦 後の時期に続く、この第2 の日本留学ブームは、谷崎 潤一郎(18861965)、芥 川龍之介(18921927)、 佐藤春夫(18921964)ら の支那趣味とも表裏をな し、「東洋意識」の覚醒を 促していた。 *『帝国美術大学の誕生 金原省吾とその同志たち』 武蔵野美術学校90周年記 念。併せて一次資料の展示 20191014日―11月9 日)およびシンポジウムが 開催された。朴享國編集の 記念刊行物は、一次資料調 査に立脚した611頁に及ぶ 充実した報告論集である。 204 沿「金原省吾と傅抱石 帝国美術学校の沿革と中国美術留学生の周辺」 『図書新聞』3435号(連載204) 2020年2月15日 7面

はたらくとは何か · 2020. 5. 27. · ビールの自然誌 二二〇〇勁草書房 船山徹 菩 として生きる 二七〇〇臨川書店 石田紀郎 消えゆくアラル海

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Page 1: はたらくとは何か · 2020. 5. 27. · ビールの自然誌 二二〇〇勁草書房 船山徹 菩 として生きる 二七〇〇臨川書店 石田紀郎 消えゆくアラル海

新刊

1・22

1・28

目録

人文

社会科学

文学

芸術

教養

記録

実用

図書新聞7 第3435号 2020年2月15日(土曜日)

このリストは1月22日~1月28日発行の書籍を、トーハン・

日販等各取次店仕入書籍と同時期の小社到着図書によってまと

めたものです。新刊のうちから主なものを選び、小社への寄贈

書を選んで掲げました。資料はトーハンの新刊案内を利用させ

ていただき、最新の情報をお伝えすることができました。

デニス

ユダヤ神話・呪術・神秘思想事典

一五〇〇〇

柏書房

金子芳樹他

「一帯一路」時代のASEAN二八〇〇明石書店

藤浪海

沖縄ディアスポラ・ネットワーク五四〇〇

井田大輔

現代解析力学入門

三六〇〇

朝倉書店

岡崎正規編

土壌環境学

三六〇〇

ウィルソン

社会はどう進化するのか

二三〇〇

亜紀書房

今井清一

関東大震災と中国人虐殺事件二二〇〇

朔北社

伊藤誠

マルクスの思想と理論

二〇〇〇

青土社

横山純一

ドイツ地方財政調整制度の歴史と特質

四四〇〇

同文舘出版

閑林亨平

アヴィエーション・インダストリー

二八〇〇

文真堂

ヨトス

現代数学の基本概念(下)四二〇〇

丸善出版

荻野蔵平編

生と死をめぐるディスクール

二〇〇〇

九州大学出版会

白井利明編

生涯発達の理論と支援

一五〇〇

金子書房

内田亮子

進化と暴走

二二〇〇

現代書館

藤井譲治

新装版

徳川家康

二四〇〇

吉川弘文館

五野井隆史

新装版

ルイス・フロイス

二三〇〇

小川剛生

新装版

二条良基

二四〇〇

ピックオーバー

ビジュアル医学全史

四二〇〇

岩波書店

百瀬ユカリ

よくわかる保育所実習

第6版一七〇〇創成社

河田光博他

人体の構造と機能

解剖生理学

第3版

二八〇〇

講談社

豊臣秀吉文書集

文禄二年~文禄三年

八〇〇〇

吉川弘文館

清水唯一朗

日本政治史

二一〇〇

有斐閣

ブルデュー

世界の悲惨

四八〇〇

藤原書店

クラストル

政治人類学研究

四〇〇〇

水声社

小笠原晋也

ハイデガーとラカン

四二〇〇

青土社

石川義正

政治的動物

三三〇〇

河出書房新社

目崎徳衛

史伝

後鳥羽院

新装版二六〇〇

吉川弘文館

山田邦明

戦国のコミュニケーション

新装版二三〇〇同

林巳奈夫

中国古代の神がみ

新装版

三二〇〇

高橋寿太郎

建築と経営のあいだ

二二〇〇

学芸出版社

デスコラ

自然と文化を越えて

四五〇〇

水声社

フォックス

さらに不思議なイングリッシュネス

三六〇〇

みすず書房

宮崎裕助

ジャック・デリダ

三六〇〇

岩波書店

アド

イシスのヴェール

五〇〇〇

法政大学出版局

バーバー

なぜ時間は存在しないのか

二六〇〇

青土社

入江哲朗

火星の旅人

三二〇〇

ガシェ

脱構築の力

二七〇〇

月曜社

ブレースウェート

ハルマゲドン

人類と核(下)

四〇〇〇

白水社

デサール

ビールの自然誌

二二〇〇

勁草書房

船山徹

として生きる

二七〇〇

臨川書店

石田紀郎

消えゆくアラル海

二九〇〇

藤原書店

中村桂子

つながる

生命誌の世界

二九〇〇

黒沢文貴

歴史に向きあう

三四〇〇

東京大学出版会

大内裕和

教育・権力・社会

二二〇〇

青土社

ストロガッツ

インフィニティ・パワー

二七〇〇

丸善出版

野上志学

デイヴィッド・ルイスの哲学二四〇〇

青土社

アンダソヴァ

ゆれうごくヤマト

三二〇〇

楠淳證他編

国際社会と日本仏教

二五〇〇

丸善出版

秋山仁

離散幾何学フロンティア四五〇〇

近代科学社

政所大輔

保護する責任

四〇〇〇

勁草書房

ルトコフスカ他

増補改訂

日本・ポーランド関係史

三八〇〇

彩流社

ソルニット

それを、真の名で呼ぶならば二二〇〇岩波書店

諸富徹

資本主義の新しい形

第7回

二六〇〇

大貫恵美子

人殺しの花

三〇〇〇

クロウリー

システム・アーキテクチャ一八〇〇〇丸善出版

平井聖編

日本の建築文化事典

二〇〇〇〇

現代地政学事典

二四〇〇〇

水野嶺

戦国末期の足利将軍権力九〇〇〇

吉川弘文館

ルーマン

社会システム(上)(下)

各七〇〇〇勁草書房

矢野健太郎

新装版

解析学概論

二五〇〇

裳華房

新装版

アントンのやさしい線型代数

二九〇〇

現代数学社

マーシ他

ピッツァ・ナポレターナの美味しさの科学

五〇〇〇

丸善出版

井村圭壯編

保育と子ども家庭支援論

二〇〇〇

勁草書房

南和彦

線形代数講義

三二〇〇

裳華房

只木良也

新装版

ことわざの生態学二二〇〇

丸善出版

名村一義

冬の使者

白鳥

三五〇〇

日本写真企画

アール・ヌーヴォーの華

二八〇〇

講談社

キムイェスル

写真集

キャンドル革命

三四〇〇

コモンズ

萬屋健司

ヴィルヘルム・ハマスホイ

静寂の詩人

二三〇〇

東京美術

大山エンリコイサム

ストリートアートの素顔二六〇〇青土社

王暁磊

曹操

卑劣なる聖人

二四〇〇

はる書房

松原薫

バッハと対位法の美学

三五〇〇

春秋社

三浦啓子

雲の柱

ガラスアーティストが行く二八〇〇同

イギホ

誰にでも親切な教会のお兄さんカン・ミノ

一七〇〇

亜紀書房

斎藤理生

小説家、織田作之助二三〇〇

大阪大学出版会

永田生慈監修

北斎絵手本集成

三六〇〇

芸艸堂東京店

アンデション

旅の効用

二二〇〇

草思社

大島純

MP

CIM

PA

CT

!

一八〇〇

リットーミュージック

神津善之介画集

四五〇〇

東京堂出版

狩野博幸

江戸の花鳥画譜

二九〇〇

河出書房新社

佐藤直樹監修

ヴィルヘルム・ハマスホイ

沈黙

二〇

山梨俊夫

絵画逍遥

三〇

家坂利清

短歌スコアよ

名歌を選べ一五〇

若山猛編著

刀装金工事典

普及版

九〇

大塚常樹

詩集

ゆめがあるのなら一五〇〇

梁石日

魂の痕

一八〇〇

カヴァン

草地は緑に輝いて

二五

柏木隆雄

バルザック詳説

四〇

野口久光他

昭和ジャズ論集成

五八

川田順造

人類学者の落語論

一八

赤神諒

空貝

村上水軍の神姫

一七

バーデキン

鉤十字の夜

二五

高橋克典

神の名前

二〇

中嶋隆

補陀落ばしり物語

一六〇〇

喜多村明里

憧憬のアルストピア

四八〇〇

シュトルム

従弟クリスティアンの家で

他五

三九〇

タフレシ

世界の美しい夜空

三六

武正晴

映画があってよかったなあ

二二

ゲンドリン

スターリンの愛人の告白

一八

北大路公子

ロスねこ日記

一三

近藤史恵

歌舞伎座の怪紳士

一六〇

ヌーネス

友だち

二〇

村木美涼

箱とキツネと、パイナップル

正岡真

自宅サロンルール

二九

下村敦史

コープス・ハント一七〇〇

KA

竹本健治

狐火の�

一七〇〇

志川節子

かんばん娘

居酒屋ともえ繁盛記一七五〇

赤川次郎

三世代探偵団

枯れた花のワルツ一五〇〇

小野正嗣

踏み跡にたたずんで

一七〇〇

毎日新聞出版

小前亮

新選組戦記(中)

一五〇〇

小峰書店

キンザー

CIA裏面史

二七〇〇

原書房

廣嶋玲子

鬼遊び

闇の子守唄

一二〇〇

小峰書店

森博嗣

森心地の日々

一八五〇

講談社

新井平伊監修

アルツハイマー病のことがわかる本一四〇〇同

土屋健

古生物のしたたかな生き方一五〇〇

幻冬舎

越中詩郎他

平成維震軍

二〇〇〇

辰巳出版

安房直子

空色のゆりいす

一四〇〇

金の星社

マーベル・スタジオ

キャラクター事典

二〇〇〇

世界文化社

ピクサー

キャラクター事典

二〇〇〇

当摩節夫

いすゞ乗用車の歴史

三八〇〇

三樹書房

瀬川大秀

令和に守り伝えたい

仁和寺の祈り

二二〇〇

集英社

マンロー

ハウ・トゥー

一六〇〇

早川書房

森井ユカ

月イチ台北どローカル日記一三〇〇

集英社

矢部潤子

本を売る技術

一六〇〇

本の雑誌社

ボーヴォワ

ちいさなフェミニスト宣言一八〇〇

現代書館

ドロシー

カリブー

二〇〇〇

丸善出版

カーピック

ホッキョククジラ

二〇〇〇

ニプタナテ

ジャコウウシ

二〇〇〇

恩田和世

知っておきたいカラダの不思議

一五〇〇

中島智章

図説ヴェルサイユ宮殿一九〇〇

河出書房新社

最上一平

にんげんクラッシャー、さんじょう!

一三〇〇

新日本出版社

浅田真央

夢をかなえる力

一二〇〇

新書館

市村正親

役者ほど素敵な商売はない

一五〇〇

新潮社

渡邊大門編

虚像の織田信長

覆された九つの定説

一八〇〇

柏書房

鈴木杜幾子

画家たちのフランス革命

二二〇〇

KADOKAWA

杉森玲子

「江戸大地震之図」を読む

一八〇〇

倉本一宏

皇子たちの悲劇

一八〇〇

水野俊哉

ベストセラーの値段

一五〇〇

秀和システム

大島真理

図書館魔女は不眠症

一五〇〇

東京官書普及

諏訪哲二

学校の「当たり前」をやめてはいけない!

一七〇〇

現代書館

北村小夜編

障害児の高校進学・ガイド

増補改訂版

二三〇〇

細馬宏通

絵はがきの時代

増補新版

二四〇〇

青土社

花岡しげる

自衛隊も米軍も、日本にはいらない!

一五〇〇

共栄書房

小山帥人

我が家に来た脱走兵

一五〇〇

東方出版

河野貴代美

それはあなたが望んだことですか

一七〇〇

三一書房

平塚柾緒編

新装版

米軍が記録した日本空襲

二六〇〇

草思社

クィンジオ

図説

デザートの歴史

二八〇〇

原書房

人間としての尊厳

一二〇〇

現代書館

古内一絵

鐘を鳴らす子供たち

一六〇〇

小峰書店

読書絵日記

秋竜山

日本史の�検証委員会編

『最新研究でここまでわかっ

江戸時代

通説のウソ』(彩

図社、本体九〇九円)を読む

と、私の信じていた江戸時代

というのは、みんなウソであ

ったことになる。特別に江戸

時代を専門的に勉強したわけ

ではないが、考えられること

は、江戸時代という時代に誰

も行って見たわけではなく、

江戸時代の空気を吸ったわけ

でもない。と、いうことは本

当の江戸時代をいまの世の中

のヒトでは、まったくわから

ないということだ。そんなヒ

トが江戸時代を語ったところ

で信ずるわけにはいかないの

が道理だ。

本書を読むと、江戸時代は

ウソであったということが書

かれてある。ウソといわれて

も、ホントといわれても信ず

ることができない。では、い

ったい江戸時代を、どーとら

えればいいのか。私にとって

の江戸時代とは映画や小説な

どから得た知識でしかない。

子供の頃の東映時代劇であ

り、マンガや大衆小説など、

つまりは、チャンバラ物であ

る。そして、江戸時代を演ず

るスクリーンの映画スターた

ちだ。

〈かつての時代劇では、権

威を笠に着る武士と生活に困

窮する庶民という二項対立が

描かれることもあったが、本

書を読んでいただくと、これ

が誤りであることがわかる。

実際には、武士は時代を経る

と為政者として配慮を示すよ

うになっていたし、財力や政

治力を背景に幕府の決定さえ

も覆す豪農もいた。そんな江

戸時代の意外な真相を本書で

楽しんでいただけると幸いで

ある。〉(本書より)

江戸時代のことが誰もわか

らないのだから、〈これが真

相である〉ということは成立

するだろう。真相であるかど

うかもわからない。わからな

いから、違った真相も次にあ

らわれるだろう。そして、ど

れもこれもが真相ということ

になる。真相だらけ。ウソだ

らけ。ゴチャゴチャの江戸時

代だ。ウソの真相ということ

だ。本書はホントーのホント

ーの真相だろう。さらに新し

い真相があらわれたとしても

文句はいえないだろう。〈江

戸時代の通説のウソ〉という

のが本書である。

〈人物にまつわるウソ〉と

いう章がある。徳川家康とか、

光圀とか家光とか吉宗とか大

岡忠相が名奉行だったとか、

本書ではみんなウソである。

ウソというのは、ホントーで

あると信じているヒトがいる

ということだ。おそらく日本

の国民ぜんぶがホントー派で

あろう。ウソといわれて、ど

うとらえたらいいのか、どう

反論していいのか。「ウソだ

けど、ホントー」と、いうこ

とにすればいいのか。〈政治

にまつわるウソ〉では、江戸

の街が町奉行によって守られ

たというのはウソ、という。

〈通説・江戸の町奉行所は

裁判の役割に加え、警察機関

として町の治安を守ってい

た。治安維持の最前線を担っ

ていたのは同心だ。(略)江戸

は世界でも類を見ない平和な

町になったのだ。〉(本書より)

これも、本書ではまっかな

ウソのようだ。それに、〈岡

っ引きが町の治安を守った〉

というのもウソのかたまり、

と本書ではいう。もし、これ

がホントーだとすると、これ

からのテレビ・ドラマに出て

くる岡っ引きを、どーとらえ

たらいいのか。ホントーだと

思って観ているのだが、ドラ

マなどを観ながらハラハラ・

ドキドキするわけだ。「また、

ウソをやってる」なんて、思

いながらでは観ていても、身

がはいらない。「江戸時代は

ウソでした

どーもスミマ

セン」と、誰が頭を下げてあ

やまればいいのだろうか。も

っとも、そんなのを見たくも

ないけどね。子供の時、「ウ

ソはドロボーのはじまり」と、

教わったものであった。困っ

たのは通説である。

連載第1517回

ゴチャゴチャの江戸時代、の巻

きんばらせい ご ふ ほうせき

金原省吾に傅抱石といっ

ても、知る人は限られよう。

金原省吾(1888‐1958)は

現在の武蔵野美術大学の前

身、帝国美術学校創立の中

心人物の一人、傅抱石(1904

‐1965)は、北京の人民大

会堂の壁面を飾る長白山の

雄大な風景画で著名な、人

民中国初期を代表する画家

である。その傅抱石は金原

による中国絵画史の著作に

感銘を受け、直接教えを乞

うべく、武蔵野に留学した。

1934年4月に来日した傅は

翌年7月まで滞在する。35

年4月に傅は早稲田大学東

瀛閣で個展の前祝いの会を

開くが、その出品作《鶏図》

には、折から亡命中だった

郭沫若(1892‐1978)が賛

を寄せている。郭もまた現

代中国の書家として著名で

あり、北京駅の屋上表札や

中国銀行の揮毫でも知られ

る。

傅抱石は来日以前に目に

していた金原の『唐代の絵

画』(1930)、『宋代の絵画』

(1931)をあわせて『唐宋之

絵画』(1935)として翻訳し

た。その序文で傅はこう述

懐する。中国絵画の「六法」

すなわち、伝意模写から気

韻生動にいたる法則の論理

的理解に苦しんでいたとこ

ろ、金原の著作に接し、その

科学的な演繹方法によって

蒙を開かれた、と。色彩が

線を導き、やがてその線が

消滅して南画に至る。その

歴史的経緯の理路を、金原

は、骨法から形似さらには

気韻にいたる自己展開とし

て把握する。それは当時に

あって斬新な概観だった。

従来の中国画論は先行典

籍からの引用を旨とする

「集注」が定番だった。金

原の議論はそれとは異なる

学術範型だが、そこにはゲ

ルマン語圏で唱えられてい

た「名前なき美術史」、す

なわち巨匠の系譜としての

画人伝から脱皮しようとす

る学術動向も反映してい

る。それに依って東洋絵画

史記述を刷新しようとする

機運は、折からの南画流行

とも相乗していた。

金原は傅抱石から「東洋

画論之権威者」と遇された。

競合する学究には東京帝国

大学の瀧精一(1873‐1945)、

その薫陶を受けた澤村専太

郎(1884‐1930)ほかが知ら

れる。旧制三高寮歌「紅萌ゆ

る」を作詞した澤村は、アジ

ャンター石窟寺院の模写調

査にも従事した。京都では

富岡鉄斎の息・謙蔵(1873‐

1918)も中国絵画研究に邁

進したが夭折し、次の世代

の伊勢専一郎(1891‐1945)

が『支那の絵画』(1922)

などでリップスらの感情移

入美学と気韻生動との優劣

を比較している。塚本麿充

はここに世代交代を捉え

る。瀧や金原らが先駆者の

末裔ならば、澤村や伊勢は

美術史学専攻で養成された

第一世代だった。『三太郎

の日記』で人気を博した阿

部次郎(1883‐1959)から

三木清(1897‐1945)に至

る系譜とも重なるが、この

世代は、膨大な著述を残し

ている。第一次大戦の戦後

不況から「大学は出たけれ

ど」の昭和恐慌に至る時期。

就職難と出版界の隆盛とが

裏腹に交錯していた。大正

教養主義の背景をなすそう

した社会史的文化土壌は、

竹内洋『教養派知識人の運

命』(2018)が発掘している。

そこに、一次大戦後の中

国からの留学生到来の時期

が重なった。日清・日露戦

後の時期に続く、この第2

の日本留学ブームは、谷崎

潤一郎(1886‐1965)、芥

川龍之介(1892‐1927)、

佐藤春夫(1892‐1964)ら

の支那趣味とも表裏をな

し、「東洋意識」の覚醒を

促していた。

*『帝国美術大学の誕生

金原省吾とその同志たち』

武蔵野美術学校90周年記

念。併せて一次資料の展示

(2019年10月14日―11月9

日)およびシンポジウムが

開催された。朴享國編集の

記念刊行物は、一次資料調

査に立脚した611頁に及ぶ

充実した報告論集である。

連載は

たらくとは何か

ビルと爺イとサイコパス

凪一木

その34

心配事

小骨が喉に引っ掛かった感

覚のまま受験勉強をしてい

る。こ

れを書くのが、なんとな

くは憚かられるのは、不敗神

話とか、ジンクスや願掛け、

験担ぎの効用が、「全く存在

しない」とは思えないからで

ある。妙な囁きや一筆が引き

金となって、本来起きないこ

とまでが転がり始めるかも知

れないからだ。

過去に交通事故、大失敗、

取り返しのつかないミスは、

幾度となくしでかしてきたか

ら、その付けが、こんな時に

起きたのかもしれぬとすら思

っている。「外部のせいにす

るな」と言われようとも、過

去の復讐を恐怖している。

実はミスをした。それも願

書での記入ミスだ。「建築物

環境衛生管理技術者」(通称

ビル管)試験だ。

送付は全部で三枚ある。受

験願書と、受験手数料の払込

み及び受験写真を貼付したも

の。そして実務従事証明書で

ある。

この実務従事証明書とは、

要は、延べ面積三〇〇〇平方

メートル以上の建物に二年以

上従事したかどうかの証明で

ある。そこには、「建築物の

用途に該当する面積」という

記入欄がある。記入例として

三一〇〇平方メートルとあ

る。この三一〇〇という数字

に惑わされた。私の勤務する

ビルは、三万五〇一二・六八

平方メートル(*仮の数字)

である。これは後で分かった

ことだが、ビルの延べ面積な

ど、ネットなどで確かめると

簡単に出てくる。「三五〇一

二」という小数点以下を切り

捨てた数字が現れる。

実は、受験での記入の仕方

には、こうある。

〈下記の用途部分の延べ面

積の合計(小数点以下切り捨

て)を記入してください。〉

多くのというか、私以外の

全受験者がそうかもしれぬ

が、この文言を見て、記入す

るのは、明らかに「三五〇一

二」という数字であろう。だ

が私は、例として書かれてい

る「三一〇〇」がおそらく、

「三一**」とかいった数字

を一〇〇の位以下を切り捨て

ているのではないかと勝手に

想像した。それで、送付した

証明書には、「三五〇〇〇」

と記入した。

記入の仕方が「間違ってい

る」と指摘されると、それはそ

うである。私が試験官なら、そ

のぐらいのことは、(試験後で

も)訂正で済む話だと、問題

にしない。だが、ビル管理を

少々やっていると、異常な体

験の記憶が蘇ってくる。ミス

をあげつらって、不合格にす

る人たちだ。その手の小さな

誤謬を見つけ、鬼の首でも取

ったがごとくに大喜びでもっ

て、義理も人情もなく、不合

格にするタイプの人間を、予

想を遥かに越えて、たくさん

たくさん見てきたからだ。

ビル管の試験側の人間が、

ビル管で働く人間たちと違う

とは思うのだが、ビル管を相

手に日常生活していると、そ

ういう常識側の人間に対して

も、今や、まともに良心的に

対処してくれるかもしれない

と考える気になどは、とても

なれない。だから、本来なら、

ちょっと電話して、あとで訂

正するくらいの交渉をすれば

良かったのだが、逆に問い質

すことで、刺激をしてしまい、

やぶ蛇をつついて、寝た子を

起こし、墓穴を掘りたくない、

という気持ちが働いたのだ。

気にするほどのことでもな

かった軽微なミスが、妙に実

感を伴って、人には言えない

隠し事のような悩みとして重

くのしかかり、つまりは勉強

に身が入らないというわけで

ある。

試験問題の点数的には合格

しても、「失格扱いの不合格」

なんてことにはならないだろ

うか。そんな可能性をあれこ

れ考え出すと、夜も寝られな

くなる。

人間には、トータルで幸せ

な人生と不幸せな人生とがあ

るように思える。平等ではな

い。二歳で虐待死した子供の

二年間、それは果たして人生

と呼べるものなのか。一分一

秒が決め手なのか。勝負なの

か。多寡が試験で、人生が左

右されるような不安が後ろか

ら襲ってくる。

ネットを見ると、ミスした

人間に対して、「煽る文章」

の書き込みを多数見つける。

おそらく性質の悪いビル管が

書いているのではないかと思

っている。曰く、以下の通り。

〈ミスもまた「現時点に於

ける貴殿の実力」だ。また来

年の出直しを。「細かい部分

に対する配慮」この欠如こそ

がビル管として致命的。書類

を点検しなかったあなたが一

番拙い。気付いて事業所に確

認するならなぜその時に試験

センターに確認しなかったの

か?それをしていれば憂いは

なかったでしょう。自己責任

という言葉を忘れていません

か?〉

だが、そうもいかない事情

もあるのは、既に書いたとお

りだ。

寝た子を起こしたくない。

それに加えて、会社には、試

験を妬む異常人格者としか言

えない同僚(いつからか上司

になってしまった)Sがいる。

なにしろ、電気工事士の資

格を持っていない。いや、何

といっても、登竜門中の登竜

門資格である「危険物乙四類」

を持っていないのだ。もちろ

ん冷凍も持っていない。持っ

ているのは「ボイラー」資格

だけである(これものちウソ

がばれる)。

なぜそんな人間が、副所長

(我が社の現場責任者)にな

っているのか。資格がないだ

けではなく、実力もなければ

人望もない。そこが怖いとこ

ろなのである。

学歴コンプレックスと資格

コンプレックスを抱えて、最

後の砦として「肩書き」に向

かって走った。その異常なる

執念は、見ていて痛々しくな

るほどに、上司に取り入り、

見苦しさマックスで、同僚た

ちを罠に嵌めていった。した

がって、ビル管試験者に対す

る妨害もまた、大いに考えら

れるわけで、悩みの種は、記

入ミスに輪を掛けて、その男、

最古透の、直前での嫌がらせ

や不意打ちも十分に考慮して

勉強しなければならないこと

である。

心配事というのは、ある種

の余計な準備でもあり、その

分だけ他のことが疎かにな

り、というより気付きもしな

くなる。心配すらしていなか

ったことが、突然、降ってわ

いたように、心配も何もして

いなかったがゆえに、いきな

り立ち現れ、或いは狂暴に襲

いかかってくる。

本来なら、「良い勉強法」

や、必勝法に進路を取る。前

日は早く寝る。会場には一時

間前に着く。トイレ対策とし

て水は適度に取る。自らの最

初の回答を尊重する。昼食は

軽めに済ませる。私の場合は、

胃がないのでダンピング症状

対策も必要だ。糖分を欠かさ

ない上、取り過ぎない。だが、

心配事はこれらの進路取りを

させてくれない。

合格体験記がどれも面白い

のは、「途中の挫折」が最後に

は必ず笑いとなるからだ。何

と言っても合格している。だ

が、私の今書いている内容は、

最後には涙となる場合も含め

て書いている「合格するつも

りの体験記」だ。ヤバくてしょ

うがない。叫びたくなる。

助けてくれ!(建築物管理)

稲賀繁美

国際日本文化研究センター研究員・

総合研究大学院大学教授・

放送大学客員教授

連載204

金原省吾と傅抱石

帝国美術学校の沿革と中国美術留学生の周辺

「金原省吾と傅抱石 帝国美術学校の沿革と中国美術留学生の周辺」『図書新聞』3435号(連載204) 2020年2月15日 7面