17
57 はじめに ロシアの出生時の平均余命(以下平均余命)は2013年でようやく70歳をこえ たばかりの70.7歳である 1。この数字は、インドネシアの70.9歳とほとんど変わ らない。それに対し、世界一の長寿国といわれる日本の平均余命は83.4歳であ り、10歳以上の差が生じている。 実は、1960年の時点で、日本全体の平均余命は67.8歳、ロシア全体の平均余 命は66.2歳と、わずか1.6歳しか差がなかった(しかも女性は日本と同じ70.2だった)。それ以降の推移は【図】で示したとおりであるが、日本は、全体の 数値、男女の数値ともに、約50年間で、順調に右肩上がりを続け、約15年平均 余命を伸ばした。それに対して、ロシア全体の数値は1960年から1980年までの 20年間にわずか年しか延びず、平均余命の数値は停滞した。それどころか1987 89年の69.6歳をピークに下がり始め、1994年には64.6歳となり、わずか歳の低下が見られた。その後わずかに上昇したかと思えば1998年~2003頃は65歳前後で停滞した。そして2004年からは上昇を続けて、2012年にようや 70歳を超えた。 ロシアの男性の数値の低さは、際立っており、1994年には57.6歳まで落ち込 んだ。2013年に65.1歳に達したが、それでもインドの男性の64.7歳とほとんど 変わらない。男女差に注目すると、日本で6.4歳のところ、ロシアでは11.2歳で 1)以下、平均余命に関するすべての数値は、OECD ホームページ(https://data.oecd. org/healthstat/life-expectancy-at-birth.htm)(2015/9/16)のデータによる。 ロシアの医療制度の転換に関する一考察 ---セマシュコモデルをこえて かおり 〔論 文〕 03松本かおり④.indd 57 2015/12/09 17:24:55

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57

Ⅰ はじめに

 ロシアの出生時の平均余命(以下平均余命)は2013年でようやく70歳をこえ

たばかりの70.7歳である1)。この数字は、インドネシアの70.9歳とほとんど変わ

らない。それに対し、世界一の長寿国といわれる日本の平均余命は83.4歳であ

り、10歳以上の差が生じている。

 実は、1960年の時点で、日本全体の平均余命は67.8歳、ロシア全体の平均余

命は66.2歳と、わずか1.6歳しか差がなかった(しかも女性は日本と同じ70.2歳

だった)。それ以降の推移は【図1】で示したとおりであるが、日本は、全体の

数値、男女の数値ともに、約50年間で、順調に右肩上がりを続け、約15年平均

余命を伸ばした。それに対して、ロシア全体の数値は1960年から1980年までの

20年間にわずか1年しか延びず、平均余命の数値は停滞した。それどころか1987

~89年の69.6歳をピークに下がり始め、1994年には64.6歳となり、わずか5年

で5歳の低下が見られた。その後わずかに上昇したかと思えば1998年~2003年

頃は65歳前後で停滞した。そして2004年からは上昇を続けて、2012年にようや

く70歳を超えた。

 ロシアの男性の数値の低さは、際立っており、1994年には57.6歳まで落ち込

んだ。2013年に65.1歳に達したが、それでもインドの男性の64.7歳とほとんど

変わらない。男女差に注目すると、日本で6.4歳のところ、ロシアでは11.2歳で

1)以下、平均余命に関するすべての数値は、OECD ホームページ(https://data.oecd.

org/healthstat/life-expectancy-at-birth.htm)(2015/9/16)のデータによる。

ロシアの医療制度の転換に関する一考察---セマシュコモデルをこえて

松 本 かおり

〔論 文〕

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ある。男女差が10歳を超える国は、少なくとも OECD の調査が実施されている

36カ国の中には他に見当たらない2)。

 1960年以降、ロシアが日本のように右肩上がりの上昇を達成することができ

なかった大きな要因は、いくつか考えられるだろう。例えば、ソ連時代末期の

経済の停滞、ペレストロイカによる社会の変化、ソ連崩壊から体制移行期の経

済危機などによるストレス、麻薬、アルコールなどの問題、緊縮財政による医

療費の削減などが度々指摘されてきた3)。第二次世界大戦後もアフガニスタン侵

攻やチェチェン紛争といった戦争によって、多くの若者の命が奪われてきた。

そして、経済政策から大きな影響を受ける医療水準も国民の健康に影響を与え

うる重要な要因であろう4,5)。

 国民の平均余命を着実に伸ばしてきた日本の医療制度は、世界で評価されて

よいといえるが、その主な特徴は、第一に、職域保険と地域保険の二本建てに

より国民皆保険を実現していることにある。第二には、ファイナンスはパブリッ

ク中心、デリバリーはプライベート中心であること、第三には、フリーアクセ

スが尊重されていることにある(島崎:2011)。特に日本の国民皆保険は、保険

という名はついているが、憲法25条の生存権を基盤としており、アメリカのよ

うな民間保険とは違う「社会保障」と捉えることができる。そのことを我々が

当たり前のように享受しているなかで、実は日本の医療は1985年の中曽根内閣

の MOSS 協議(市場志向型分野別協議)以来、アメリカの「強欲資本主義」に

2)ロシア以外の男女差が大きい国は、エストニアの8.9歳、ポーランドの8.2歳、スロバキ

アの7.2歳であり、いずれも東欧の旧社会主義諸国である。

3)例えば、D. スタックラーらは、IMF による緊縮政策が、どれだけ多くの人々を死に追

いやったのかということを、公衆衛生学の研究成果として詳細に分析している(ス

タックラー: 2014=2013)。他に Cornia(2000)雲(2014)や上野(2000)など、移

行期のロシアの Mortality crisis についてとりあげている文献は数多い。

4)上記に示したような、ソ連からロシアに生きた人々を襲った苦難については、2015年

ノーベル文学賞を受賞したジャーナリストのスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ

(С. Алексиевич)の作品に詳しい。

5)雲(2014)では、ソ連崩壊後の平均余命の低下は、乳児死亡率の上昇によって生じた

ものではないことから、ソ連崩壊後の医療水準の悪化がロシアの死亡率を上昇させた

という通説を否定しつつも、保健投資が寿命の伸長に優位な影響を与えているとする

研究を示して、医療水準についての今後の研究課題を提起している。

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さらされかねない規制緩和政策が次々と進められている(堤:2015)。TPP 協

定の問題を含め、日本でも医療の市場化が目指されているが、医療の市場化と

医療技術が最も進んでいるアメリカの人々の平均余命がむしろ短く(2013年に

78.8歳)、医療費による自己破産が相次いでいることは見逃すことはできない。

 本稿で取り上げるロシアでは、ソ連時代に国民全員が享受していたとされる

世界最初の無料医療が、ソ連崩壊を機に非常に短期間で取り崩された。ロシア

の医療制度は急速な変化のなかにあり、日本国内では衣川(2015)、小崎(2003)

などによってその概要が示されてきたが、年金制度ほど多くは取り上げられて

こなかった。そこで本稿では、ロシアの医療制度研究の先駆けとして、まずは

ソ連時代の医療制度の特徴であるセマシュコモデルをふまえたうえで、主に医

療制度の根幹となる医療費、民営化、医療保険の問題について検討する。

Ⅱ ソ連の医療制度---セマシュコモデルの特徴

 ソ連時代の医療政策の作成と実現の監視は、ソ連保健省が担っており、その

【図1】出生時の平均余命(歳)――日ロ比較

OECDホームページ(https://data.oecd.org/healthstat/life-expectancy-at-birth.htm)(2015/9/16)をもとに筆者作成

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6160

中央集権化された制度は、セマシュコモデル6)と呼ばれた。この名称は、医師、

科学アカデミー会員、保健省人民員であった N.A. セマシュコ(Н.А. Семашко:

1874-1949)の名にちなんでいる(Большая Российская энциклопедия.

Энциклопедический словарь: 2011)。

 無料医療は、1917年の10月革命(ロシア革命)からまだ間もない1918年1月

の命令によって、世界で初めてソ連で実施された。1950年代当時のソ連におけ

る社会保険は全額国庫負担であり、そのことはソ連の憲法にも明記されていた

(尾形:1959)。また外来患者が医師から処方箋が出されて薬局で薬を買う場合

以外は、すべて医療費が無料であるなどと、日本でもソ連の無料医療について

の称賛がなされてきた(柴田:1981)。

 しかし、近藤(1963)は、当時のソ連の公式的見解をもとにした社会保障や

医療を称賛する数々の研究に疑問を呈している。例えば、ソ連の統計では社会

保障、社会保険、公衆衛生、教育費などへの支出は合計金額しか発表されてい

ないこと、医師の教育レベルは低くて質が低いと予測されること、予防に力を

入れているが治療が不十分であることなどが指摘された。

 ソ連の医療(セマシュコモデル)に対する見解は、1980年代以前の日本でも

上記のように賛否両論があったわけであるが、ソ連崩壊後の研究ではどのよう

に評価されているのか、いくつかの点から確認しておこう7)。このモデルの一番

の特長は、国民全員に対する無料医療といえよう。これは政府による中央計画

システムによる管理のもとで、国家予算により医療費が確保されていたためで

ある。垂直的、画一的な組織によって、低い管理費用で農村も含めソ連全土に

一定の医療施設の普及がなされるとともに、予防接種や伝染病予防などの集団

管理が必要なプログラムの導入がしやすく、公衆衛生の水準は向上した。国家

の計画のもとで、医療従事者数や病床数なども着実に増加した。

6)セマシュコモデルの他のヨーロッパの医療制度の有名なモデルは、ドイツの社会保険

によるビスマルクモデル、イギリスの NHS(National Health Service)によるビバ

リッジモデルを挙げることができる(Караева: 2014; 竹内ほか : 1998a)。

7)セマシュコモデルの利点と欠点については、竹内ほか(1998a; 1998b; 1998c)、 OECD

(2012)、Караева(2014)、Rocky road from the Semashko to a new health model

(2013)を参照。

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 しかしながら、上記で確認した出生時の平均余命のデータからもわかるとお

り、無料診療が国民の健康に全面的に寄与するとは必ずしも限らない。競争原

理がなく、効率やサービスの向上に対するインセンティブが働かなかったため、

個々人の消費者、すなわち患者のニーズに合わせた改革が行われてきたとはい

えない。社会主義体制の優位性を示すための目標数値として、医師・病床数な

どの量的な目標達成に取り組んでも、数値として表れにくい質の改善への取り

組みは鈍かった。無料医療が達成される代わりに、保健省から直接支払われる

医療従事者の賃金は低く8)、低い賃金を補てんするために賄賂を受け取ることは

常態化し、医療従事者のインセンティブやモラルが問題視された。1970年以降

は、フリー・アクセスのもとで、質の低い地域の医師にかからずに、専門医を

直接受診する傾向がみられるなど、プライマリー・ケアが軽視され、地域の医

師が病状に応じて5段階の病院(district, central rayon, municipal, oblast and

federal hosipitals)を患者に紹介するというシステムも働かなくなっていた。

このように見ていくと、セマシュコモデルの利点がそのまま欠点につながって

8)ロシア連邦統計局ホームページ(http://www.gks.ru/)(2015/4/23)の各経済分野別

平均賃金によれば、ソ連崩壊直前の1990年の保健・スポーツ・社会保障分野の賃金は、

全産業平均賃金の66.8% に過ぎなかった。

【図2】国際比較・人口千人当たりの医師数(人)

OECD ホームページ(https://data.oecd.org/healthres/doctors.htm#indicator-chart)(2015/9/16)をもとに筆者作成

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いた部分が多かったこともわかるだろう。

 セマシュコモデルで重視されたロシアの量的指標について確認するために、

【図2】では人口千人当たりの医師数の国際比較のデータを確認しよう。以下の

国際比較では、日本のほかに、旧社会主義国のなかでは比較的体制転換がスムー

ズに行われたとされるチェコとハンガリー9)、医療保障の先進国とされるスウェー

デン、ビスマルクモデルのドイツ、ビバリッジモデルのイギリス、医療の市場

化されているアメリカをとりあげた。

 まずは、各国ともに、医師数は漸増しているが、ロシアの数値は、確かに他

国の追随を許さない。2013年に4.9人であり、旧社会主義国のチェコ(3.7人)や

ハンガリー(3.2人)と比べても非常に多くなっている。イギリス(2.8人)や

アメリカ(2.6人)はロシアの約半分で、特に日本は2012年に2.3人とロシアの

半分以下である。このロシアの数字には、10万人以上いる准医師(фельдшеры)10)

などの中等医療従事者は含まれておらず、純粋に医師(врач)だけの数字であ

る11)。もし、治療行為が許されている准医師を医師として算入するとすれば、さ

らに数は大きくなる。

 【図3】では、人口千人当たりの病床数について検討しておこう。医師数と

異なり、病床数は世界的な傾向として、各国減少傾向にある。スウェーデンの

病床数が1990年代に急激に減少しているのは、エーデル改革(1992年)により、

医療現場の病床が純粋に減らされただけでなく、福祉施設へと移管されたこと

が大きい(厚生労働省:2015)。ロシア以上に病床数が多いのが日本で、2013年

に13.3床であり、1990年代以前のスウェーデンの病床数と変わらない。ロシア

は1990年の13.8床から、ソ連崩壊後一貫して減少し、2013年には9.1床へと減少

9)チェコもハンガリーも、移行諸国の中の優等生であったとされる。ただし、石川(2009)

によれば、チェコは、社会主義時代の企業風土や労使慣行を維持し、人々の生活にも

たらす社会コストを抑えながら体制転換を乗り越えたとされる。それに対し、ハンガ

リーは社会主義体制下で既に経済改革が始まっており、外資による民営化も急速に進

められた。すなわち、移行のスピードややり方に相違がある両国を選択した。

10)医師の助手、衛生管理、伝染病予防、臨床実験、国民への啓発活動などに携わり、一

般的な病気であれば医師と同様に診察や治療を行うことができる(Тарифно-квалификационные характеристики работников здравоохранения: 2001)。

11)ロシア連邦統計局の Здравоохранение в России 2013の数字と定義を、筆者が確認した。

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しているが、チェコ(6.46)やハンガリー(7.04)より多く、イギリス、アメ

リカ、スウェーデンが3床を割る状況と比べれば約3倍多くなっている。

 上記のように、セマシュコモデルには様々な利点と欠点があるが、1970年代

までは、中央集権的システムにより結核などの感染症の予防に成功したり、ソ

連国民全員に対して無料医療を提供したりすることによって、その健康状態を

改善するものであったと評価されている。しかし、ソ連時代末期の経済の停滞

の状況下で、医療設備の更新や医療従事者への給与を十分に手当てすることは

できず、医療の質は下がる一方となってしまった(岡田:2006)。また伝染病の

予防などの公衆衛生の向上には力を発揮したシステムは、例えば慢性病の増加

などの時代によって変わりゆく疾病の変化に適応できなかった(OECD:2012)。

すなわち、1970年代以降の、世界における目覚ましい医療技術の進歩の中で、

ソ連はその硬直的なシステムゆえに取り残されていったといえよう。

【図3】国際比較・人口千人当たりの病床数(床)

OECDホームページ(https://data.oecd.org/healtheqt/hospital-beds.htm)(2015/9/16)をもとに筆者作成

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6564

Ⅲ ソ連崩壊後の医療制度の構造

1 医療費

 2013年のロシアの医療費(公的支出+民間支出12))の GDP に占める割合は、

1995年の体制移行開始直後の5.37%から6.55%とわずかに高くなっているが、

OECD諸国のなかでは2013年のデータがある39カ国の中で下から10番目であり、

決して高いわけではない。ロシアは【図4】の国際比較のグラフであげた国々

の中で最下位にあり、2013年の数値でみると、旧社会主義国のチェコ(7.1%)

とハンガリー(7.4%)がロシアに比較的近い数値である。その次にイギリスが

8.5%、日本、スウェーデン、ドイツの3カ国が10%前後の数値となっている。

医療費の GDP 比が最も大きいのは、医療の市場化が最も進んでいるアメリカ

で、その比率は16%を超えて政府の負担が大きくなっている。しかも、アメリ

カでは、政府の負担が国民の健康に反映されておらず、例えば2013年の出生時

の平均余命は体制移行により軒並み平均余命が低下した経験をもつ東欧諸国と

さほど変わらない。医療の効率化・市場化の名のもとに、アメリカの医療に対

する政府の予算は一部の投資家や製薬会社の懐へと消えていっており、そのよ

12)公的支出とは税金や社会保険、民間支出とは自己負担、民間保険、寄付などのことで

ある。

【図4】国際比較・医療費(対GDP比)の推移(%)

OECD ホームページ(https://data.oecd.org/healthres/health-spending.htm)(2015/9/16)をもとに筆者作成

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6564

うなシステムが構築されたことは厳しく批判されている(スタックラー:2014

=2013;堤:2015)。

 ロシアの1人あたりの医療費については、1995年から2013年の間に、301US

ドルから1653US ドルへと約5.5倍増加した(【図5】)。急速な GDP の成長を経

験していることから、医療費の GDP 比率がそれほど上昇していなくても、金

額の上昇は大きくなった。ただし、国際比較の観点からは、いずれの国も医療

費が90年代以降に上昇しているので、ロシアだけが特別に上昇したというわけ

ではない。中でも高騰しているのはアメリカである。アメリカでは、医療費が

高額であったり、無保険者が大勢いたりすることから、緊急医療や高度な治療

が必要になるまで病院に行かないことが頻繁にあり、かえってそのことが医療

費を引き上げているという指摘もある(スタックラー:2014=2013)。

 1990年代の初めに、ロシアの医療施設はその所有形態にかかわらず、有料医

療が合法化された。人々の負担がどのように変化したのかを確認するため、【図

6】と【表1】によって、全医療費における公的支出の割合を確認してみよう。

公的支出の割合が急激に下がっているのがロシアで、1995年の体制移行開始直

後に73.9%であったのが、急激な減少により2013年には48.1%となった。すな

わち、2013年時点で、市場化が最も進んでいるアメリカとほぼ同じ割合になっ

たのである。旧社会主義国のチェコの公的支出の割合の減少は緩やかで(89.7%

から84.1%)、体制転換の進め方の違いが明確に見られる。ハンガリーはその中

【図5】国際比較・1人当たり医療費(USドル/PPPベース)

OECDホームページ(https://data.oecd.org/healthres/health-spending.htm)(2015/9/16)をもとに筆者作成

緊急医療や高度な治療が必要になるまで病院に行かないことが頻繁にあり、却ってそのこ

とが医療費を引き上げているという指摘もある(スタックラー: 2014=2013)。 1990 年代の初めに、ロシアの医療施設はその所有形態にかかわらず、有料医療が合法化

された。人々の負担がどのように変化したのかを確認するため、【図6】と【表1】によ

って、全医療費における公的支出の割合を確認してみよう。公的支出の割合が急激に下が

っているのがロシアで、1995 年の体制移行開始直後に 73.9%であったのが、急激な減少

により 2013 年には 48.1%となった。すなわち、2013 年時点で、市場化が最も進んでいる

アメリカと同じ割合になったのである。同じく旧社会主義国のチェコの公的支出の割合の

減少は緩やかで(89.7%から 84.1%)、体制転換の違いが明確に見られる。ハンガリーはそ

の中間のスピードで 82.9%から 64.6%に変化した。 ロシアの民間支出の状況をもう少し具体的に確認してみよう。2013 年 5~6 月に実施さ

れた調査11を分析した Бондаренко ら(2015)によれば、3 ヶ月以内に外来診療所に行っ

た人のうちの 44%、3 ヶ月以内に歯科に行った人の 69%、1 年以内に入院した人の 32%、

3 ヶ月以内に救急医療を受けた人の 7%が自己負担金を支払っており、特に歯科や外来診療

所での有料医療はすでに広く普及している。もちろん、有料医療は特に新しい現象ではな

く、ソ連時代にも便宜をはかってもらうための非公式な支払いがあったことはよく知られ

ていることだ。自己負担金には、検査の実施、医師による診察や相談、診断書の受領、准

医師や看護師による処置、追加検査指令書の受領、セラピストやマッサージ師による治療

などに対する公式の支払いと非公式な支払いがあり、一人当たりの自己負担金の平均は

1886 ルーブルであった。

【図5】国際比較・1 人当たり医療費(US ドル/PPP ベース)

OECD ホームページ(https://data.oecd.org/healthres/health-spending.htm)より筆者作成

Вишневский(2006)によれば、価格の格差も指摘されている。患者は提供されるサー

11 2013 年 5~6 月に、ロシア国立高等経済大学の依頼でレヴァダ・センターが実施した、

16 歳以上に対する全国サンプル調査である(Бондаренко: 2015)。

0100020003000400050006000700080009000

10000

1960

1963

1966

1969

1972

1975

1978

1981

1984

1987

1990

1993

1996

1999

2002

2005

2008

2011

ロシア

日本

チェコ

ハンガリー

スウェーデン

ドイツ

イギリス

アメリカ

03松本かおり④.indd 65 2015/12/09 17:24:56

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6766

間のスピードで82.9%から64.6%に変化した。

 ロシアの民間支出の状況をもう少し具体的に確認してみよう。2013年5~6

月に実施された調査13)を分析したN. ボンダレンコらによれば、3ヶ月以内に外

来診療所に行った人のうちの44%、3ヶ月以内に歯科に行った人の69%、1年

以内に入院した人の32%、3ヶ月以内に救急医療を受けた人の7%が自己負担

金を支払っており、特に歯科や外来診療所での有料医療はすでに広く普及して

いる(Бондаренко: 2015)。もちろん、有料医療は特に新しい現象ではなく、ソ

連時代にも便宜をはかってもらうための非公式な支払いがあったことはよく知

られていることだ。自己負担金には、検査の実施、医師による診察や相談、診

13)2013年5~6月に、ロシア国立高等経済大学の依頼でレヴァダ・センターが実施した、

16歳以上に対する全国サンプル調査である(Бондаренко: 2015)。

【図6】国際比較・全医療費における公的支出の割合(%)

OECD ホームページ(https://data.oecd.org/healthres/health-spending.htm)(2015/9/16)をもとに筆者作成

ビスが適切なのかを合理的に評価することはできないし、同じ治療であっても、連邦医療

施設ごとに、医療サービスの値段が異なっている。例えば、脳のコンピューター断層撮影

(CT)で 4 倍、冠動脈造影で 12 倍、血管造影で 15 倍の差があったという。現在のとこ

ろは、アメリカと比べてロシアの医療費自体が安いという点で状況は異なっているが、国

民の支払い能力をこえた金額になっていかないか、今後の推移を見守っていく必要がある

だろう。 【図6】国際比較・全医療費における公的支出の割合(%)

OECD ホームページ(https://data.oecd.org/healthres/health-spending.htm)より筆者作成

【表1】ロシアの医療費における公的支出・民間支出の割合(%)

年 1995 1998 2001 2004 2007 2010 2013公的支出 73.9 65.1 58.7 59.6 64.2 53.3 48.1民間支出(自己負担以外) 9.2 11.9 10.9 7.2 6.1 4.0 3.9民間支出(自己負担) 16.9 23.0 30.5 33.2 29.7 42.7 48.0OECD ホームページ(https://data.oecd.org/healthres/health-spending.htm)より筆者作成

2 医療施設の民営化

ロシアでは、入院施設のある病院は急激に民営化されず、国営のままで有料化が進んだ。

例えば、1990 年に病院(入院施設のある больничные органзации)はすべて国営で 12762あったが、2012 年には 6172 と半数近くに減少した。ただし、残った 6172 の病院のうち、

民間病院が 127 で約 2%しか占めておらず、約 20 年のうちに大幅な病院の民営化が進んだ

わけではない。一方、外来診療所(амбулаторно-поликлинические организации)につ

いては【図7】のとおりである。2005 年から 2009 年の間に外来診療所の数は大幅に減少

したが、それ以降は少しずつ増加している。これはプライマリー・ケア重視の政策への転

換の効果かと思われる。また、病院と異なり、診療所では民間施設の割合が少しずつ増え、

0102030405060708090

10019

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9920

0220

0520

0820

11

ロシア

日本

チェコ

ハンガリー

スウェーデン

ドイツ

イギリス

アメリカ

【表1】ロシアの医療費における公的支出・民間支出の割合(%)

年 1995 1998 2001 2004 2007 2010 2013

公的支出 73.9 65.1 58.7 59.6 64.2 53.3 48.1

民間支出(自己負担以外) 9.2 11.9 10.9 7.2 6.1 4.0 3.9

民間支出(自己負担) 16.9 23.0 30.5 33.2 29.7 42.7 48.0

OECD ホームページ(https://data.oecd.org/healthres/health-spending.htm)(2015/9/16)をもとに筆者作成

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断書の受領、准医師や看護師による処置、追加検査指令書の受領、セラピスト

やマッサージ師による治療などに対する公式の支払いと非公式な支払いがあり、

一人当たりの自己負担金の平均は1886ルーブルであった14)。

 A. ヴィシュネフスキーにによれば、価格の格差も指摘されている。患者が提

供されるサービスが適切なのかを合理的に評価することはできないなかで、同

じ治療であっても、連邦医療施設ごとに、医療サービスに対する価格が異なっ

ている。例えば、脳のコンピューター断層撮影(CT)で4倍、冠動脈造影で12

倍、血管造影で15倍の差があったという(Вишневский: 2006)。現在のところは、

アメリカと比べてロシアの医療費自体が安いという点で状況は異なっているが、

国民の支払い能力をこえた金額になっていかないか、今後の推移を見守ってい

く必要があるだろう。

2 医療施設の民営化

 ロシアでは、入院施設のある病院は急激に民営化されず、国営のままで有料

化が進んだ。例えば、1990年に病院(入院施設のある больничные органзации)

はすべて国営で12762あったが、2012年には6172と半数近くに減少した。ただ

し、2012年に存在する6172の病院のうち、民間病院が127で約2%しか占めてお

らず、約20年のうちに大幅な病院の民営化が進んだというわけではない。一方、

外来診療所(амбулаторно-поликлинические организации)数の推移については

【図7】のとおりである。2005年から2009年の間に外来診療所の数は大幅に減少

したが、それ以降は少しずつ増加している。病院と異なり、診療所では民間施

設の割合が少しずつ増え、1990年時点では100%国営診療所であったのに対し、

2012年では民間診療所が20%を占めるようになった。診療所に限って民間施設

が増えた要因としては、民間医療のほとんどが歯科、婦人科、泌尿器科、美容

などの入院を必要としない分野であることや、プライマリー・ケア重視の政策

への転換の効果などが考えられる。

 しかしながら、国営診療所数が優勢であることには変わりがなく、民間診療

14)公式の支払いとは病院の会計窓口での支払い、非公式の支払いとは医療従事者への直

接の支払いのことである。

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所の割合は2006年に20%を超えてからそれほど増えてはいるわけではない。公

式統計に現れたのは、2006年以降のことであり、その実態についての研究は始

まったばかりである(Здравоохранение в России 2001; 2005; 2007; 2009; 2011;

2013; Шишкин: 2013)。

3 医療保険

 公的支出において大きな役割を担っているのが、強制医療保険(ОМСまた

は обязательное медицинское страхование)である。プーチン大統領は、2013年

12月の年次教書演説で、医療分野に言及し、医師の給料を上げてそのプレステー

ジを高めることや、強制医療保険のスムーズな運用に取り組むべきであること

を述べた15)。

 ロシア連邦で初めての強制医療保険は1991年にはじまり、セマシュコモデル

からビスマルクモデルへの転換がはかられた。その後、2001年からの統一社会

税(единный социальный налог)を経て、2011年1月に現在の強制医療保険に

関する法律が施行された。

15)ロシア大統領府ホームページ「大統領年次教書 2013年12月12日」(Президент России.

Послание Призидента Федеральному Собранию. 12 декабря 2013 года)(http://www.

kremlin.ru/events/president/news/page/111)(2015/9/24)

【図7】ロシアの外来診療所数(所有形態別)の推移Здравоохранение в России 2001, 2005, 2007, 2009, 2011, 2013をもとに筆者作成

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6968

 現在の強制医療保険の前身にあたる統一社会税とは、従来別々の予算外社会

的フォンドの拠出金であった年金フォンド、社会保険フォンド、強制医療保険

フォンド、雇用フォンド(のちに社会保険フォンドに統合)を統合したもので、

強制医療保険フォンドとして、賃金の3.1%(2%が地方強制医療保険基金

(территориальный фонд обязательного медицинского страхования)、1.1%が連邦

強制医療保険基金(федеральный фонд обязательного медицинского страхования)

に配分)が徴収された16)。それが、2011年に強制医療保険に変更され、基本的に

賃金の5.1%(3%が地方強制医療保険、2.1%が連邦強制医療保険に配分)が

医療のために、雇用者から徴収されるようになった。ロシアの公的医療財政の

しくみについては【図8】で示したとおりである。連邦強制医療保険基金は、

地方の格差を是正するための配分に利用されている。また非就労人口への医療

費は地方政府が支払うことになっており、その負担は大きいとされている。強

16)税率はたびたび変更されたが、ここで挙げたのは2011年に廃止される前の数値である。

【図8】ロシア連邦の公的医療財政のしくみ

 OECD(2012:42)をもとに筆者作成

に強制医療保険に変更され、基本的に賃金の 5.1%(2.1%が連邦強制医療保険、3%が地方強

制医療保険に配分)が医療のために、雇用者から徴収されるようになった。ロシアの公的医

療財政のしくみについては【図8】で示したとおりである。連邦強制医療保険基金は、地

方の格差を是正するための配分に利用されている。また非就労人口への医療費は地方政府

が支払うことになっており、その負担は大きいとされている。強制医療保険で無料診療を

受けられる医療サービスの種類は、政府決定14によって定められている(OECD: 2012; 水田: 2002; 衣川: 2015; 日本貿易振興機構(JETRO)ホームページ15)。強制医療保険を補

完するための民間保険については、【表1】の自己負担以外の民間支出(3.9%)に該当す

るが、その割合は非常に低く、広く普及しているとはいえないだろう。

【図8】ロシア連邦の公的医療財政のしくみ 交付金 非就労人口のための積立金 平準化

移転 社会保障 一人当たり 積立金 基金配分 社会保障

積立金 医療費支払 公式・非公式 支払

OECD (2012: 42)より筆者作成

14 ロシア政府ホームページ(http://government.ru/media/files/z4YWAm1KswA.pdf)(2015/9/24)の ПРАВИТЕЛЬСТВО РОССИЙСКОЙ ФЕДЕРАЦИИ ПОСТАНОВЛЕНИЕ от 28 ноября 2014 г. № 1273. “О Программе государственных гарантий бесплатного оказания гражданам медицинской помощи на 2015 год и на плановый период 2016 и 2017 годов”. を参照。 15日本貿易振興機構(JETRO)ホームページ

(https://www.jetro.go.jp/biznews/2010/12/4d116cd0d9490.html)(2015/7/13)

地方自治体

予算 地方予算 連邦予算

雇用者

医療提供者

保険業者

国民

連邦 強制医療保険

基金

地方 強制医療保険

基金

その他の税金

医療提供者の直接予算融資

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7170

制医療保険で無料診療を受けられる医療サービスの種類は、政府決定17)によっ

て定められている(OECD:2012;水田:2002;衣川:2015;日本貿易振興機

構(JETRO)18))。強制医療保険を補完するための民間保険については、【表1】

の自己負担以外の民間支出(3.9%)に該当するが、その割合は非常に低く、広

く普及しているとはいえないだろう。

Ⅳ おわりに

 日本では信じられないことかもしれないが、ロシアではがんによる痛みを緩

和するための麻薬は、個人(家族)が医療機関を駆け回り書類を整えて手に入

れなければならない。痛み止めの麻薬がなかなか手に入らず、それが原因で海

軍将校が拳銃自殺した事件は、大きな社会問題となった(広岡:2015)。ロシア

から日本への医療ツーリズムを取り扱うコーディネーターによれば、ロシアで

がんの痛みの緩和ケアが適切になされないことは、ロシア人が慣れない海外へ

がん治療に行く重要な理由の一つであるということであった19)。このように、痛

みの緩和などの医療の質が立ち遅れている状況で、ロシアの人々は現在の医療

制度をどう見ているのだろうか。

 2014年9月の調査結果によれば20)、ロシアの医療制度に満足していない人々は

17)ロシア政府ホームページ『ロシア連邦政府決定No. 1273. 2014年11月28日「2015年・

計画年度2016年・2017年の国民に対する無料医療の国家保障プログラムについて」』

(Правительство Российской Федерации постановление от 28 ноября 2014 г. № 1273. О Программе государственных гарантий бесплатного оказания гражданам медицинской помощи на 2015 год и на плановый период 2016 и 2017 годов)(http://government.

ru/media/files/z4YWAm1KswA.pdf)(2015/9/24)を参照。

18)日本貿易振興機構(JETRO)ホームページ(https://www.jetro.go.jp/biznews/2010/

12/4d116cd0d9490.html)(2015/7/13)

19)2015年4月26日に、筆者がA氏(患者のプライバシーとかかわる問題もあるため、イ

ンフォーマントは匿名を希望した)に対して行ったインタビューによる。例えば、担

当医師が休暇をとると、その間はモルヒネを打ってもらえないといったことが実際に

生じており、引き継ぎがないこと、緩和ケアが軽視されていること、医師の責任感が

欠如していることなどがうかがえる。

20)2014年8月22~25日に、ロシア全体の46地方の134地点(都市・地方を含む)で、18

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64%に達していた。48%の人々が前年と医療サービスの質は変わっていないと

答えるとともに、30%の人々が前年より悪化していると答えており、医療制度

やそのサービスの質に対する不満が高いことがうかがえる。さらに自分の家族

が良質の医療サービスを必要なときに受けることができるかどうかという質問

には、53%が「いいえ」と答えており、自国の医療に対する信頼は低い21)。それ

では、医療制度の向上に対して、ロシアの人々はどのように考えているのだろ

うか。実は、医療制度の向上のためにもっと高い税金を払ってもよいと考える

人は14%しかいない。それに対し、スカンジナビア諸国では70%以上が医療制

度に満足しているにもかかわらず、制度向上のために30%以上の人々が今より

ももっと税金を払ってもよいと考えている。発展途上国(トルコ、フィリピン、

チリ、アラブ連合共和国)においても66%が自国の医療制度に満足し、37%が

制度向上のためにもっと税金を払ってもよいと考えている。すなわち、ロシア

人には制度に対する不満はあるが、その向上のための税金は支払いたくないと

いう葛藤がある(Караева: 2014)。以前は医療に対する自己負担金を国家予算

の不足を補うために払っていた人々も、最近ではより高い質のサービスを受け

たいというニーズのために支払うようなったという指摘もある(Бондаренко:

2015)。つまり、ロシア人が医療について考えるときには、社会全体の利益では

なく、自分自身(あるいは家族)の利益しか考えることができない状況にある

と考えることができる。このような状況では、医療システムの改革は非常に難

しい。

 医療の市場化が進めば、今後ロシアでもアメリカと同様に「命の沙汰も金次

第」という状況が生じるのだろうか。現在のところ、医療費における民間支出

の割合は急激に増加してアメリカ並みになってきている一方で、医療施設の中

心は旧態依然とした国立医療施設のままである。クリミア併合による経済制裁

の影響で、ロシア経済は非常に厳しい状況にあり、ソ連時代に増えた病院や医

歳以上の1600人に対して、レヴァダ・センターが実施した調査である。

21)Удовлетворенность системой здравоохранения/ Левада-центр. 17-09-2014 (http://

www.levada.ru/17-09-2014/udovletvorennost-sistemoi-zdravookhraneniya)

(2015/02/25)

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7372

師をかかえつつ、医療に対する政府の支出や規制がどのような方向に動くかは

不透明だ。今後の変化について、見守っていく必要があるだろう。

 ロシアの医療制度に関する研究が多くない状況で、本稿では基本的な数値を

確認しつつ、概要を把握するにとどまった。今後は、実地調査を視野に入れな

がら、それぞれの現象が抱える問題点をより深く追求していきたいと考える。

参考文献

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竹内百重,長谷川敏彦(1998c)「ヘルスセクターリフォームの国際動向・5 ヨーロッ

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堤美果(2015)『沈みゆく大国アメリカ---逃げ切れ!日本の医療』集英社新書

広岡直子(2015)「潮流 2015年のロシア医療展望」『ユーラシア研究』No. 52, 2015, p.76.

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7372

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付記:論文作成にあたっては、神戸国際大学地域研究勉強会の先生方から貴重なご助言

をいただいたことにお礼を申し上げます。

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