16
0 西 調 ( ) " 西

く 文 追 ト な 学 求 教 カ 0 っ は し と ソ は 人 単 わ リ 作 な ...archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DO/0025/DO00250R057.pdf一 九 九 三 年 六 月 八

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『深

』論

0カソリ

ック信者としての作家の立場から、西洋

の宗教であるキリス

ト教とわが国固有の精神風土との対立、葛藤、調和

の可能性を真摯に

追求してきた遠藤周作

の文学だ

った。が、『深

い河』

に至

って、遠藤

文学はカソリックのそれであると

いう定理だけでは文学

の解を導けな

くな

ってきた。

〔抄録〕

(例えば

「玉ねぎ」と

いってしま

っても

いいという)とは、

単なる存在ではなく、機能を通して知る存在である。機能は神と

人間

の共生関係において作用する。それは奇跡的で超人的な力で

はなく、人知れずとも哀しみを背負う愛のことなのではないか。

作品

の重要な場所であるガ

ンジス河は母なる神として、生きる

者を生かしめ死した者の意志を表出して生者と死者を対話せしめ

る、死と永遠、転生

の深い河なのである。『深い河』において、

わが国の固有文化

への深化、親鸞の要人正機説

へのそれをみる。

キーワード

"神の機能、哀しみを背負う愛、母なる神としてのガ

ンジス河、固有文化

への深化

作品の重要な場所は、地球上で西洋とわが国とのほぼ中間に位置す

るインドとなる。宗教哲学の地インドの母なる河のガンジス河とヒン

ズーの女神チャームンダーらがクローズアップされて、定理は再考を

迫られる。

一見するだけなら、宗派を越えた宗教の普遍性が遠藤文学

の核をなす宗教に変わ

ったという印象を与える。本文の言葉にたよる

と、「生活」の宗教より

「人生」の宗教に重心がかかったのか。そう

すると、その内側には何があるのだろうか。

五七

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佛教大学大学院紀要

第二十五号

(一九九七年三月)

宗教文学としての遠藤文学は、神の容姿や行為や心理を存在してい

るものとして表現するものではなか

った。機能的な存在として常に働

きかけてくる神は、善悪美醜

の人間の性質を問わず妙なる姿で近くに

いると読める文学であ

った。つまり、神の存在を描く文学ではない。

機能をこそ媒介として、神と人間

の共生関係を描く文学であ

った。

共生関係をとして意識あるいは無意識のうちに影響を受けている神

の機能とは

。悦楽

の背にある荒廃、獲得が内蔵する喪失、雄姿の

すぐ後で待ち構えている醜態。宗教文学はそう

いう人間の生態と運命

'

から視線をそらそうとはしない。

『深い河』という作品においても、それは例外ではない。さらに次

元を異にしたふたつの相対立する世界の葛藤と調和を通して、『深い

河』は展開する。聖と俗、生と死、表層の自己と深層の自己などとい

う……。またさらに次元を異にした、『沈黙』、『哀歌』、『おバカさん』

などの先行作品の集大成たる遠藤文学の到達と、ガンジス河を重要な

文学の場所とした新分野開拓との豊饒な対立する世界を通しても展開

されている。

本論文では、最初

に成瀬美津子

と大津

の耳に届く童謡をも

ってし

て、作品

の遠景と近景の有機的な連関を、

つぎに哀しみを背負うとい

う愛のことを。母なる神としてのガ

ンジス河のこと、最後に

『深い

河』をわが国の固有文化に照らして考察しようとする。本文を吟味し

て、宗教文学としての

『深

い河』

の個性を明らかにしたい。

五八

1成瀬美津子が生真面目な学生である大津を誘惑しからか

って棄てた

その瞬間に、とても可愛らしい童謡が聞こえてくる。伏線が張られて

いたとも考えられず、突然すぎる感を否めないこの童謡はリフレイン

されていて、二度それを聴くことができる。後

には、「人生は自分の

意思ではなく、眼に見えぬ何かの力で動かされているような気さえす

る」という美津子の思

いに接して、突然性を

「眼に見えぬ何かの力」

と考え合わせたりするものの。

「やめてよ。飽きたから」

夕暮れ、彼女は白けて、まだすり寄

ってくる大津

の体を突き放

した。夕暮で、さっきまで聞こえていたオートバイの音や騒音が

静寂に変わっていた。そして

一人の少女が窓の下で唄を歌

ってい

た。

ゆすろう

ゆすろう

夢の木を

あおい野原のまんなかに

一本はえてる夢の木を

美津子はその歌声を聞くと、遠

い昔失

った少女時代を思

いだし

 

 ユ 

た。

「帰

って」

「ぼくが……何か、気に障ることを」

「そうよ。疲れたの」

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(一九九三年六月八日、講談社刊行

『深い河』の七四ページから

七五ページ。以下、このテキ

ストからの引用はページ数

のみをあ

げる。傍線、傍点、記号を付すのは筆者による)

童謡の先と後では、大津の接近が

「飽きた」から

「疲れた」に変化

している。それから、「腐

った無花果の臭気のする日曜日が」三週過

ぎた。再び、美津子の部屋に大津がいる。あらわな胸のあたりに顔を

伏せている大津Lに突き放したきびしい言葉を浴びせて、「大津の表

情が苦しく歪むのを美津子は楽しんだ」とある。

この時、本文に童謡は記されていないてものの、少女

の歌声は美津

の耳に届いていて、「それを耳

にしていると彼女は大津を棄てる時

ぞ 

が来たのを感じ」ていた。そして、棄てる場面

へとつなが

ってゆく。

「ひどい。ぼくはあなたを殺したいぐらいだ」

「殺したら」

ョセブは怒りに委せてモイラの頸をしめた。しかし大津には

その勇気さえない事を美津子は見抜

いていた。

 よ

「帰

ってよ」と彼女は冷静な声を出した。

「もうイヤ」

ったまま大津はうなだれ

ていた。

ゆすろう

ゆすろう

の木を

あおい野原のまんなかに

一本はえてる夢の木を

'

『深い河』論

(並川)

窓の下で少女がいつかも聞いた童謡を歌

っている。

 こ

「帰

ってよ」

大津の丸い善良そのものの頬がゆがんだ。そしてうしろを向く

とかすかな音をたてて靴をはき、かすかな音をたててドアをあ

け、姿を消した。

(七八ー七九)

童謡は、あくまでも遠景である。近景として、美津子が大津を棄て

る。彼らの別離がある。別離は、美津子にしてみれば加虐的で隠微な

悦楽が迎えた終焉であ

ったが、大津にしてみれば神を裏切

ってまで青

春をかけた愛の破局であ

った。

さて、童謡とは何なのか。「一本」きりしかな

「夢の木」は、な

ぜみどりの野原ではなく

「あおい野原のまんなかに」あるのか。「野

原」がふつうに形容されるみどりではなく

「あおい」のは、ふたつの

情景が想起される。ひと

つの情景は頂きといっていいくらいに高地

で、手が届くぐらい真近に空の碧さが迫

ってきているそれにちがいな

い。もうひと

つは遠からずある静かで深い湖か海が、地上の光で水

蒼さを映す

「野原」の情景なのである。

「野原」

「木」は

「一本」きりなのだから、「あおい」は悠大で

いれば多重層の

「あお」である。生命

の芽ぶくみどりではない。そこ

には沈黙、静寂、孤独があろう。空間の恐怖が人間の内面を深々と凝

視させてしまうだろう峻厳たる荒野、外

でもな

「あお

い野原」と

は、

ユダの荒野のイメージに重な

ってくる。羊

の群れが草をはみ、高

いユーカリの林に風がそよぎ、コクリコの紅い花が

一面に咲き乱れる

五九

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佛教大学大学院紀要

、第二十五号

(一九九七年三月)

あのガリラヤ湖畔と正反対の、

一木

一草だに生きえな

い死海の西にあ

るユダの荒野のイメージである。

「一本」きりしかない

「木」を誰と誰が

「ゆすろう」とするのか。

童謡とて歌い手と聴き手だとしたら、少女と美津子とで

「夢の木」を

「ゆす」るのである。突然

に発生

した感を否めな

い少女と美津子の関

係は何だ

ったのだろう。歌い手は聴き手に何を伝えたかったのか。な

ぜ歌い手の少女は、聴き手に美津子を選んでいるのか。

再び、別離の場面に注目する。その時その場に不在で彼女自らの心

のなかにしかいなか

ったその人に、大津を棄てる少し前に美津子があ

る語りかけをしていたことに着眼せざるをえない。

彼女は大津の愛撫を受けたが、接吻や本当のセクスは決して許さ

なか

った。そしてわざと訊ね

る。

「今度の日曜日あなた、教会

に行くの」

r

.

.

.

.

.

. 

「行かな

いの」

「行きません」

彼女は眼を

つぶり胸に這う大津の唇に耐えた。花冷えのような

空虚感のまじ

った感覚。つむ

った眼の奥でクルトル

・ハイムの祭

壇におかれていた痩せた男

の醜

い裸体が蘇る。

(どう)と彼女はその痩せた男に言

った。

(あなたは無力よ。わたくし

の勝ちよ。彼はあなたを棄てたで

しょう。棄ててわたくしの部

屋に来たわ)

彼はあなたを棄

て……と心

のなかで言

いかけて美津子を突然、

六〇

ハヨ 

自分が大津を棄てる日が来ることを思

った。

(七三)

(

)のなかの心内話は、「クルトム

・ハイムの祭壇におかれてい

た痩せた男」にむか

って語りかけたいわば勝利宣言である。応答自体

には

「痩せた男」と

「少女」

の差異はありながらも、童謡をも

ってす

るこの照応関係は重視したい。 ら

美津子は童謡を聞いて、i

「遠

い昔失

った少女時代を思

いだし」

 こ

ていた。再び耳に届

いた時は、1

「大津を棄てる時が来たのを感

じ」ていた。童謡からはつねに、想起と予感と

いう覚醒

の機能が見出

 こ

 こ

だせる。ー

に対するー

の感情は、背反しているようだ。「大津を

 こ

棄てる日」を予感するのは、もうひとつー

「自分が大津を棄てる日

が来

こと

った

 こ

ぞ 

1

1

はま

ったく同じで、使役する主体だけが異なり

「童謡」

「痩

であ

「童

「痩

は、

の心

のな

一の機

した

「童

「痩

せた

に近

い。

 よ

だけ覚醒された感情が異なるのであるが、「少女時代を思いだ」

す想起と

「大津を棄

てる」予感との表面の背反を解消する

一点があ

る。結果としてはそのことは免れないものの、大津をもうこれ以上に

苦しめてしまうことなく、罪を積まずにおこうとする浄化

の意志にお

いてである。ユダの荒野にある

「夢の木」をゆす

ってたわわに実

った

夢を林檎のように掌にのせてみる

「少女時代」を、美津子もおく

って

いたはずだからだ。「夢の木」をゆすりつづけた

「少女時代」を。

ハこ

ぞ 

例えば、…

と…

「帰

ってよ」と

いう同じ厳し

い言葉だが、

   

 こ

は加虐的で隠微な悦楽が発し、…

は童謡の後の発言だから自己

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浄化が発した言葉であ

ったろうと解する。先に童謡の先と後

では大津

の接近が

「飽きた」から

「疲れた」に変化していることを指摘した

が、大津の愛撫に

「飽きた」そして童謡の後は自らの生き方に

「疲れ

た」ということではなか

ったか。

つまり、「棄てる」を浄化

への意志

と読むのである。「童謡」と

「痩せた男」が導く同

一の機能がゆえに。

美津子が心内話として告げた

「あなたは無力よ」というのは、『深

い河』のキーワードに即していえば

..あなたは無機能よ.、と換言でき

る。近景だけからすれば無力、無機能だが、近景と遠景の有機的な連

関からすれば

「童謡」と

「痩せた男」は無力、無機能ではなか

った。

童謡

の内容からしても、ユダの荒

野のイメージの重なる

「あおい野原

のまんなかに」ある

「一本はえ

てる夢

の木を」

ふたりして

「ゆすろ

う」と語りかけるのだから、生活

の現実から人生の永遠にむかおうと

の覚醒の歌声が届いている。

表層の彼女から深層の彼女

へあるいは俗から聖

へと覚醒を促す機能

があ

って、「夢」は深層と聖のメタファーと読めて、突然に登場した

感を否めなか

った近景に対する遠

景だ

ったが、それらは重なる有機的

な連関をも

っていた。

「童謡」と痩せた男Lが果たした機能が同

一であ

ったことからして

も、宗教文学としての

『深い河』

の個性をまずは近景と遠景

の有機的

な連関性から見出だすことができよう。

『深い河』論

(並川)

2美津子は学生時代の自己破壊的な自分を

「屍のように埋め」て、社

会的には華やかで充ち足りた結婚をした。新婚旅行に出かけたフラン

スでは、すでにリヨンの神学生にな

っていた大津と再開する。

「あなた……あの時、神を棄てたんじゃない」と美津子は大津

古傷に指を入れた。彼女の邪悪な心は大津のおどおどした顔をみ

ると触発される。「それなのに神学生にどうしてな

ったのかしら」

大津は眼をしばたたきながらソーヌ河の黒い流れに視線を落と

していた。川面には石鹸のような泡が幾

つも浮かび、それが流れ

ている。

(中略)

「聞いた?……何を」

 ざ

「お

で、

いう

いで、

お前

に棄

てら

は決

て、

お前

てな

い、

いう

'

「誰

「知

でも

の声

は、

ぼく

にお

で、

った

です

「そ

て、

は」

「行

と答

た」

(九

-九

)

て、

の機

る。

「ソー

ヌ河

の黒

い流

の色彩

「黒」

、大

の孤

な心

の表

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佛教大学大学院紀要

第二十五号

(一九九七年三月)

あるにちがいない。彼はキリスト教の世界では、死刑にも等しい異端

者と

いう烙印を押されていたのだから。

「おいで」と呼びかけてくる声

、この神

の機能は神と大津の共生関

係において常々意識されていたそれであ

った。学生時代、四谷交差点

近くにあるアロアロという店でのコンパの席でも。

腕をくんで、柱に上半身をもたれさせた美津子を大津は恨めしげ

な上眼使いで見あげた。もう許してくれと哀願している犬のよう

に。それが彼女の残酷な気持ちを更にそそ

った。

「でも……」

と訴えた。

「でも、何よ」

 ゑ

「ぼくが神を棄てようとしても……神はぼくを棄てないのです」

(六三)

「神はぼくを棄てな

い」という

のは、神が深追いしてきたりしつこ

て離さな

いと

いう意味ではな

い。「お

いで」と呼びかけてきた声

ように、充ち足りた時、順調な時よりもかえ

ってそうでない時にこそ

近づいてくれる神だからである。

「おいで」と呼びかけてきた声は、幻聴ではない。神の声

である。

『新約聖書

マタイによる福音書』の

「重荷を負う者

への招き」に

聴くことができる。

な 

私のもとに来なさい。あなたたち、労し、重荷を負

ったすべての

者たち。そうすればこの私が、あなたたちに安らぎを与えよう。

私の軛をと

って自分に負

い、私から学びなさ

い。なぜなら私は柔

六二

で心が低く、あなたたちは自分の心に安らぎを見いだすであろ

  よ

うから。私

の軛は担

いやすく、私の荷は軽

いからである。

   

 ら 

   

三つの引用文

のー

とー

とー

はまさに神の機能性にお

いて

一致

る。

こと

は、

「お

で」

があ

る楽

に招

精神

にむ

かう

いう

ッピ

ンド

でな

いと

いう

であ

る。

「私

にと

っては

「担

やす

「荷

は軽

とも

「軛

「負

い」

「学

い」

いう

であ

でも

「自

の心

に安

いだ

であ

ろう

の理由

「私

で心

いか

いう

「私

いか

「軛

っそ

のダ

にす

い。

べき

「柔

で」

「低

「心

「私

「軛

を愛

こと

でき

「心

では

のか

が応

「行

「ソー

ヌ河

の黒

い流

る孤

「行

であ

った。

った

「軛

「私

に比

れば

ろう

一般

に考

ば決

て軽

った

「お

で」

は大

て何

で招

こう

。神

の機

に生

よう

る者

って生

よう

る者

に導

なく

「軛

を負

るも

であ

った

て、

「お

いで」

た大

で招

った

のか

ンの神

は異

の烙

いた

ンジ

ス河

・カ

トと

て見

てら

の死

ぶ。

聖書

「私

「軛

ひと

スト

のも

では

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くな

ってきている。さらに、「十字架」も

「死の丘

(ゴルゴタ)」も

ぎの引用文にみられる

「あなた」もが。

ようやく町に朝

の光がさしはじめたがそれはまるで、やっと神が

人間の苦しみに気づいたかのようだ

った。店は戸をあけ、牛や羊

の群が鈴音

の鳴らして、路を横切

った。日本とちがってここでは

一人、考婆を背負

った大津

をふしぎそうに見る者はいない。

この背にどれだけの人間が、どれだけの人間の哀しみが、おぶ

ってガンジス河に運ばれたろう。

(中略)

陽がどのくらいのぼ

ったかは首や背にあたる陽光の加減でよく

わかる。

(あなたは)と大津は祈

った。

(背に十字架を負

い死

の丘をの

った。その真似を今、や

っています)火葬場のあるマニカルニ

・ガートでは既

にひとすじ

の煙がたち

のぼ

っている。(あなた

は、背に人々の哀しみを背負

い、死の丘までのぼった。その真似

を今や

っています)

(ゴニ

○)

『深い河』における時間の流れは、「午前十

一時」と

いうひとつだ

け明確にされた時間を

のぞけば、午後から夕方、夜にかけての物語で

ある。作品が終結近くにな

って、右の引用場面において初めて本格的

な朝を迎える。「それはまるで、や

っと神が人間の苦しみに気づいた

かのよう」な朝とある。神の視線

が注がれ、機能性が高まり、神の意

志が表面化する朝である。

『深い河』に尋ねれば、朝に対比する夜は

「この印度の、死のよう

『深い河』論

(並川)

な夜、仏教でいう無明の夜。日本では想像もできぬ黒

一色で塗り

つぶ

した夜Lなのである。すれば、朝は

「死のような」に対する誕生のよ

うな朝

である。「無明の夜」に対すれば、知慧と慈悲

の朝なのである。

「朝

の光がさしはじめる」とは夜明けであり、その

一瞬は闇から光

への分岐点に外ならない。つまり、死から誕生

へ、無明から知慧と慈

へ、知慧と慈悲は人間の尊厳性であるから、迎える朝は人間の尊厳

性の時間なのである。

さらに、『深い河』

のなかでこの夜明けから朝

の光に呼応するつぎ

の光をみのがせない。「油虫

の居場所を見

つけるように大津は彼等が

この町のどんな場所で倒れているかを本能的に知

っていた。それはい

つも人眼の届かない細

い抜け道の、僅か壁の問から外の光が洩れてい

るような場所だ

った。息を引きとるまで人間はそんな光を最後の頼り

のように求めるものなのだ」と

いう生命としての光をである。

そんな光のなかで、人間の哀しみこそを背負う。大津はただ

「人間

の形をしながら人間らしい時間のひとかけらもなかった人生で、ガン

ジス河で死ぬことだけを最後の望みにして、町にたどり

ついた連中」

を背負

って運んでゆく。朝の光の意味と哀しみを背負うことは、人間

の尊厳性において収斂されてゆく。

'

「あなた」にとってのゴルゴダの丘が、大津にと

ってのガンジス河

であ

った。「あなた」の真似をして

「十字架」

つまり人間

の哀しみを

背負う。大津をガンジス河まで追

った美津子もまた人間の尊厳性にお

いて、社会的に充たされた華かな愛より他者の哀しみを背負う辛い愛

を選択していたのではなかったか。

六三

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佛教大学大学院紀要

、第二十五号

(一九九七年三月)

ここで再び、聖書

「軛」

のことを考えてみる。「軛」とは哀しみ

であり、「軛」を負うことは哀しみを背負うことではないだろうか。

そこでこそ見出だされると

いう心

「安らぎ」とは、

いったい何なの

か。神の機能として

「おいで」と呼びかけてきた声は、彼をして哀し

みだけを背負わせた。

そして、最期に導かれたところ

はも

っと無力

で哀しいところだ

た。悲劇が起こる。死体を撮影した三条を救おうと止めにかかった大

津はたたき

のめされ、血まみれにな

って、死体用の竹の担架で運ばれ

てゆくことになる。

「死者を乗せるものに、まだ生きているぼくがのる……」

大津は美津子を笑わせるためにこの冗談を言

ったようだ

った。

しゃがんだ彼女は持参したタオルで大津の口や顎をよごした血を

ふいた。血まみれにな

った丸

い顔は文字通りピ

エロそ

っくりに

った。

(中略)

「さようなら」担架の上から大津は、心のなかで自分に向か

って

いた。「これで……いい。ぼくの人生は……これでいい」

「馬鹿ね、本当に馬鹿ね、あなたは」と運ばれていく担架を見送

りながら美津子は叫んだ。「本当に馬鹿よ。あんな玉ねぎ

のため

一生を棒にふって。あなた

が玉ねぎの真似をしたから

って、こ

の憎しみと

エゴイズムしかな

い世のなかが変わる筈はないじゃな

いの。あなたはあ

っちこ

っち

で追

い出され、揚句の果て、首を

って、死人

の担架で運ばれて。あなたは結局は無力だ

ったじゃ

六四

ないの」

しゃがみこんた彼女は拳で石段をむなしく叩

いた。

(111Q0⊥

二四

「おいで」によ

って導かれ到達したところは、「血まみれにな

った」

ところの

「ピ

エロ」であり、「馬鹿」で

「無力」な人生

の結末であ

た。大津が自らの人生を肯定できたのは、自暴自棄でも強引な自己正

当化

でもな

い。聖書

「私」

「柔和

で」か

「低」

「心」

「学」んでいるゆえであることは否めない。誠実に神と共生してきた

者だけが知れる納得であ

ったろう。

それが人間の尊厳性をイメージする朝という時間の流れと重なりは

する。もちろん、美津子の叫んだ

「馬鹿」は、愚の馬鹿ではない。人

間の尊厳性に徹したがための

一面の

「馬鹿」である。酬われぬことを

痛感して慈しむ言葉だといってもいい。

ただ予感としてではなく、「馬鹿」と賢明、「無力」と有力という二

津背反するものが包摂される異次元が、『深

い河』にはある。

M磯部も沼田も木口も、秘密を背負

って生きてきた。それが彼らをし

てガンジス河へむかわしめた。磯部は転生後の再会を求めた亡き妻と

の出会

いを、沼田は命を身がわ

ってくれたかのような九官鳥を熱帯イ

ンドの大空に放

ってやることを、木口は戦場で人肉までも食べあ

って

生き延びてきた戦友たちの読経による鎮魂を、人生で最も心に残

った

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出来事のある区切りをめざしてガンジス河に到達した。ガンジス河

の到達には、ふたつの意味が秘められていた。ひと

つには人生の完結

点としてのそれであり、もうひと

つは永遠につづく魂の旅路の

一通過

点にすぎないというそれである。

磯部はカムロージ村

に転生した妻を捜す。が、ラジニと

いう娘との

出会

いの手答えのなさに

「人生に敗北したような哀しみ」を抱

いてし

まう。それからは、「大きな流れによ

って浄められ、より良き再生に

つながると信じ」られているガンジス河

へと彼

の足は運ばれてゆく。

「お前」

と彼はふたたび河に呼びかけた。

「どこに行

った」

河は彼の叫びを受けとめたまま黙々と流れていく。だがその銀

 ヱ

色の沈黙には、ある力があ

った。河は今日まであまたの人間の死

を包みながら、それを次の世

に運んだように、川原の岩に腰かけ

た男の人生の声も運んでいった。

(三〇四)

1

文中

「銀色の沈黙」は、他界した時の妻

「黒

い沈黙」と

色彩が呼応する。暗鬱の

「黒」から再生

「銀色」なのか、「銀色の

沈黙」

には

「ある力」がこめられて

いた。「銀色」

の光を放

つこの

「力」とは、

いったい何なのだろうか。

照応する力として、磯部の妻が死を迎えるまでの二十日間に、樹か

ら教えられた生命の力を顧みざるをえない。

「樹さん、わたしは死ぬの。あなたが羨ましい。もう二百年も生

きているんですね」

『深い河』論

(並川)

「私も冬がくると枯れるよ。そして春になると蘇る」

「でも人間は」

「人間も私たちと同じだ。

一度は死ぬが、ふたたび生きかえる」

「生きかえる?

どう

いう風にして」

やがてわかる、と樹は答えた。

(二八ー二九)

樹の

「二百年」の生命は、季節により

「枯れる」と

「蘇る」のくり

かえしであ

った。「やがてわかる」こと

の内容とは、樹が自然や季節

によって生かされているように、人間も自然

のなかに秘そむ何かに

よって生かされているという発見のことなのではないか。

人間は

一回性の生命のうちにあり、樹は非連続的連続の生命のうち

にある。生かされているならば、生かされているからこそ、生きかえ

ることも可能となる。生命の力を考察するのには、沼田の場合、木口

の場合も視野に入れた

い。

沼田の場合は、九官鳥がそれであ

った。手術台で停止した心臓が再

び動き始めた瞬間と機を

一にして、九官鳥は死んだ。彼の人生の悩み

や後悔を本心から唯

一語りあえた

一羽の九官鳥が死んだ。

夕方、妻は屋上に寄

って鳥籠を病室に持

ってきてくれた。

「そこに、おいて」

「汚いわよ。何かに包むから」

「いや、そのままでいい」

(中略)

その羽毛を見ているうち、毎夜、彼

の愚痴を、辛さを聴

いてくれ

た鳥が死んだことを切実

に感じた。突然、沼田はあの九官鳥に

六五

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佛教大学大学院紀要

第二十五号

(一九九七年三月)

「どうすればいいんだろ」と叫

んだ時

の自分の声を思

いだした。

(それで、あ

いつ……身がわりにな

ってくれたのか)

確信に似た気持が、手術した胸のなかから熱湯のようにこみあ

げた。彼自身の人生のなかで、犬や鳥やその他の生きものが、ど

んなに彼を支えてくれたかを感じた。

(一二八-

一二九)

偶然の

一致にすぎないのか、「身がわり」なのか。九官鳥との交流

の重さを中央にすえて考えると、偶然の

一致といってしまえない何か

が残る。九官鳥を神のメタファーと断定するには論証を欠くが、人間

も自然

のなかに秘そんだ何かによ

って生かされていて、人間と九官鳥

が同列同根であ

ってともに生かしあ

っている関係であると認める次元

で、そんな矛盾は解消されはしな

いだろうか。

木口の場合にしても、彼の戦友

の塚田は人肉を食

って生き延びてき

た。生き延びえたがゆえに、塚田は

マラリアで倒れていた木口の生命

を救

った。最期まで、塚田は苦しみ

つづけた。戦友

の人肉を口にした

ことを。塚田が臨終の時、神を説くがガストンが彼

の魂を救済する。

人肉に食

べられた南川上等兵は、

「自分を食べてでも、友よ生きてく

れ」と願

っていたからこそ、塚田は延命し木口の命は救われたのでは

なか

ったか。その命

の連続が、ガ

ストンが与えた最期

の魂の安息で

ったろうと推測できる。

 

1

文中

「力」、

つまり生命

の力は、有形無形の自然や他者との

共生関係における相互作用そのも

のにある。それは単なる写実では認

識できな

い異次元、日常の現象世界換言すれば合理性とかリアリズム

とかと非連続的連続にある異次元、先に疑問を発したところの大津が

六六

最期に自己肯定しえた異次元、これら異次元の宇宙においてこそ包摂

されてしまう生命の力、『深

い河』の

「力」なのである。

大津の言葉にたよるなら、キリスト教世界では汎神論的と批判され

ようとも、「人間のなかにあ

って、しかも人間を包み、樹を包み、草

花をも包む、あの大きな命」と重な

ってくる。大津に尋ねた二律背反

するものが包摂される異次元というのはここを指し示す。

この異次元の宇宙には、考察した生命

の力と表裏

一体をなすもうひ

つの世界がある。罪や弱さや苦悩を秘めて背負

ってきた人たちは、

非連続的連続の異次元にこそ生きえて果てる。変わる視座として、遠

藤文学の中心

テー

マである隠れ切支丹の問題からのも

のをすえ

てみ

る。隠れ切支丹の信仰は聖母マリアに対するものであ

って、つぎのよ

うなものであ

った。

それは乳飲み子に乳房をふくませた

「おっ母さん」の絵であり、

おそらく泰西の聖母画にこのようなものは見当たるま

いと思われ

るほど日本農民的な母の姿である。

それは言いかえるならば、かくれ切支丹たちは自分たちの母親

のイメージを通して聖母マリアに愛情をも

っていたことを示して

いる。

母とは少なくとも日本人

にと

って

「許してくれる」存在

であ

る。子供のどんな裏切り、子供のどんな非行にた

いしても結局は

涙をながしながら許してくれる存在である。そしてまた裏切

った

子供の裏切りよりも、その苦しみを

一緒に苦しんでくれる存在で

註(2)

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母なる神は

『深

い河』

では、「そんな病苦や痛みに耐えながらも、

萎びた乳房から人間に乳を与えて

いる」とヒンズーの女神チャームン

ダーとまず

一致する。が、そこにとどまらずさらに大きなものと重層

する。母なる神は奇跡をも

って救う神ではな

い。相手がどんな子であ

ろうとも、子がために自ら果てようとも

「苦しみを

一緒に苦しんでく

れる存在」とて

「日本農民的な母」なのであ

った。

では、母なる神の原像とは何か。先行研究として川島秀

一氏の論文

「『死海のほとり』論

遠藤周作

ノート(5)i

(山梨英和短大

紀要)の指摘をみておこう。

今の

「私」にはすべてが明らかなのである。その母のイメージが

「哀しみの聖母」に重な

ってあることを。まさにそれは、ただ

「母」ならぬ、《母なるもの》

の原像として聖化され、遠藤の存在

の内深くに受肉されることになり。「転び者」たちが自己の

「弱

さ」のとりなしを祈

って聖母

マリアを思慕したのと同様に、その

《母なるもの》は、「私」の存在の核として、あるいはキリスト教

 ぞ 

の本質的な核そのものとしてて受肉され生命化される。

この論考に異見をたてようとす

るのではな

い。母なる神

の原像が

「哀しみの聖母」のイメージをもち、《母なるもの》が

「キリスト教の

本質的な核そのも

の」と指摘されたにかかわらず、『深

い河』に至

ては

「哀しみの聖母がヒンズーの女神チャームンダーに変化している

ことに注目する。この変化は母な

る神を

「キリスト教の本質的な核そ

のもの」ではなく、異次元において人生の本質的な核そのものとみな

していることを意味する。聖母も女神も、信仰者にと

っての母なる神

『深い河』論

(並川)

にはちがいない。

が、信仰を持とうが持

つまいが、生きる者は生かされて生きてい

る。信仰も自覚も覚醒も越えて、生かしめてくれている生命の力、ガ

ンジス川が母なる神の原像として考えられる。

再び、答えようとする。大津に尋ねた二律背反するものが包摂され

る異次元と

いうも

のは。「これで……いい。ぼく

の人生は……これで

いい」と眩かしめた異次元を。それは許してくれる母なる神のふとこ

ろと

いう異次元のあたたかさであ

った、と。

視線の向こう、ゆるやかに河はまがり、そこは光がきらめき、永

遠そのもののようだ

った。(中略)

「信じられるのは、それぞれの人が、それぞれの辛さを背負

て、深

い河で祈

っていのこの光景です」と、美津子の心の口調は

いつの間にか祈りの調子に変わ

っている

「その人たちを包んで、

河が流れていることです。人間の河。人間の深い河の悲しみ。そ

のなかにわたくしもまじ

っています」

(三三入)

罪を悪も愚かさも犯してしまう人間に、それでも生命の力を与えて

くれる

「人間の河」たるガンジス河が流れている。これが

『深い河』

に至

って知ることができる母なる神の原像である。

4インドに到達して、物語は濃密になる。作品の重要な場所は、なぜ

地球上で西洋とわが国とのほぼ中間に位置するインドなのだろうか。

六七

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佛教大学大学院紀要

、第二十五号

(一九九七年三月)

佐藤泰正氏につぎのような考察がみられる。

ある時期から遠藤氏のなかでは汎神論とは、日本的汎神論なら

ぬ、より広い東洋的生命観ともいうべきもののなかに深化され、

「神々と神と」

の課題もまたそのなかに拡大、深化されていった

のではな

いかと

いう筆者の問

いに頷き

つつ、たとえば

「インドの

女神には、半分人間を苦しめ苛み、あとの半分人間を救済すると

いうような女神像がいくら」もあり、その背後に

「さらに大きな

包んでくれる生命というも

のがあるように」感じられるが、「日

のばあいはその残酷な生命と

いうのを無視して、すぐ慈しんで

生かしてくれる生命

のなかへ」入

ってゆき、それが

「わび、さび

 ぞ 

の小説」などになる

この考察と

『深い河』で美津子

の思いとして記されているつぎの本

文は

一致し、遠藤文学の宗教理論

の結論が導けそうにみえはするが。

印度にきて次第に興味を起こしたのは仏教の生まれた国、印度で

はなく、清浄と不潔、神聖と卑猥、慈悲と残忍とが混在し共存し

ているヒンズーの世界だ。釈尊によ

って浄化された仏跡を見るよ

りも何もかもが混在している河

のほとりに

一日でも残

っていた

った。

(二四〇)

ガンジス河はすでに宗派をこえ

た、「ヒンズー教徒

のためだけでは

なく、すべての人のための深

い河」なのであ

った。作品の主要な場所

としてインドが導かれた必然性は、「東洋的生命観とも

いうべきもの」

の深化説で説かれる。果して、そうか。

東洋的生命観の深化とは、「わび、さび」につながるわが国の文化

六八

や汎神論を認めないキリスト教加えて

「釈尊によ

って浄化された」仏

教には否定的とな

って、ヒンズーのような

「さらに大きな包んでくれ

る生命」の再発見を意味している。ただ、東洋的生命観

の深化

の場所

たるガンジス河は

「すべての人」のものであ

って、ヒンズーと等式

結ぶことはできない。

考察してきたように、ガンジス河は生命の力であ

った。加えて、母

なる神

の原像でもあった。ガンジス河がも

つこのふたつの意味を統

する時、東洋的生命観

への深化説ではなくわが国の固有文化

への深化

説をわたしは主張する。

現象は本質の表面的形態であるとして、ガンジス河は固有文化

への

深化を本質としたところのひとつの文学現象にすぎな

いと読む。固有

文化とはわが国の浄土教思想

であり、とりわけ親鸞の仏教思想

であ

る。文学の重要な場所としてのガンジス河の思想は事物が人為を越え

て本来自然に在するという自然法爾ともいえようし、遠藤文学の宗教

 す 

理論は阿弥陀仏の信仰にある疑問を呈しているも

のの、先にも引用し

「ゆるやかに河はまがり、そこには光がきらめき、永遠そのものの

ようだ

った」とあるガンジス河の

「永遠」は死と永遠の

「永遠」であ

り、サンスクリット語でのアミーター、阿弥陀

の原義でもある。無量

寿、無量光の概念を汲みあげることができる。

もちろん、阿弥陀仏に

「日本農民的な母の姿」を連結させるのは

般的ではないが、その宗教的な性質を含んでいな

いとは

いいきれな

い。ガンジス河の聖なる水

に浸る時、すべての人

の罪障は浄められ

る。人間の罪や悪をその人問の心根とするよりも、背負

っている宿業

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がゆえにと考えて成立する悪人正機説をまた

一方で汲みあげることが

できる。

『深い河』には、

神は存在と

いう

より、働き

です。玉ねぎは愛

の働く塊りなん

です。

(九九)

という明確な宗教の理論がある。これは汎神論と同じぐらい非キリ

スト教的で相対的で、

つまるところ

「愛」なる

「働き」とは

「諸依諸

縁」によ

って生かされていること

であろうから、『深

い河』

「愛」

は多義的な概念であり内容はきわめて仏教的である。さらに本文をた

どると、『深

い河』

ではわが国の固有文化に自覚的であることが知れ

る。

日本人としてぼくは自然の大きな命を軽視することには耐えられ

ません。

いくら明晰で論理的

でも、このヨーロッパの基督教のな

かには生命

のなかに序列があります。よく見ればなずな花咲く垣

根かな、は、ここの人たちには遂に理解できな

いでしょう。もち

ろん時にはなずなの花を咲かせる命と人間

の命とを同

一視する

口ぶりをしますが、決してそ

の二つを同じとは思

っていな

いので

す。

(一八六ー

一八七)

うろたえたぼくは、

「でも基督教

のなかにも汎神論的なも

のも含まれていな

いてしょ

うか。神学校でぼくは基督教

という

一神論が汎神論と対立するよ

に教えられましたが

i

日本人として、基督教がこれだけ拡

ったのも、そのなかに色

々なも

のが雑居しているからだと思

『深い河』論

(並川)

ますL

つい口に出してしまいました。

(一九ニー

一九三)

「日本人として」との強調と、「よく見ればなずな花咲く垣根かな」

というわが国の代表的な俳句をも

って、西洋のキリスト教に対してい

るところに、固有文化

への深化を端的に知ることができる。西洋文明

への限界が同時に、わが国の固有文化

への深化として表裏

一体をなし

ている。

人物を追うならまず大津だが、ヨーロッパのキリスト教の理性的で

意識的な信仰より、日本人的な固有の感覚によ

ってこそ信仰は深化し

てゆく。木口の場合にしても、戦死した戦友のためにガンジス河にむ

って

『阿弥陀経』の

一節を唱える。ガンジス河は

「あの死の街道」

でもあり、河の水面の躍動に

「う

つ伏せになり、仰向けになり、死ん

でいた兵士たちの顔」が想起された。

『阿弥陀経』は浄土三部経の

一であり、阿弥陀仏の名号に執持する

ことによ

って浄土に往生できると

いう阿弥陀仏信仰を主題とする経典

である。木ロが唱えた

一節の

「彼国常有種々奇妙、雑色え鳥

(かの国

には常に種

々の奇妙、雑色

の鳥あり)

1

「鳥」は、「小鳥たち

の声が明るく朗らかであるほど、兵士の呻き声が苦痛にみちた残酷な

あの日々」と

いう戦場での

「小鳥たち」と重層する。「鳥」は浄土と

戦場、ガンジス河と浄土を自由自在に翔びかっているのか。

「鳥」の視点からみれば、浄土と此土は思うほど遠くないのかもし

れな

い。戦死した戦友を鎮魂する思いは、「鳥」が運んでくれていよ

う。木口のこのような宗教的な情操も、わが国の固有文化としての阿

六九

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佛教大学大学院紀要

第二十五号

(一九九七年三月)

弥陀仏信仰と日本人的な感覚によ

っている。

『深

い河』に至

って、遠藤文学はカソリック文学であるというひと

 な 

つの定理では文学

の解が導けなく

ってきている。「生活」の宗教よ

「人生」の宗教に重心がかか

ったのか、宗教の普遍性にこそを中核

としようとするのか、その内にはわが国の固有文化

への深化がみられ

るのである。

5『深

い河』は遠藤文学の集大成

であり、ガンジス河を文学

の重要な

場所として新分野を開拓した作品

であ

った。ガンジス河を生命

の力を

秘めた母なる河と考察してきたのは、生きて活動する登場人物

の方に

そくしてのことだ

った。

さて、死者の視点に立

って、

つまりガンジス河の流れは生と死が多

層をなす悠久のそれなのだから死した磯部の妻や九官鳥や戦友の方か

らみれば、到着し訪れたはずの彼等はじ

つは死者の魂によ

って招かれ

ていたのではな

いか。

「おいで」と

いう神の声は、またガンジス河の発した声

でもあ

った

ことは、呼ばれた大津がたどり

ついた所であることからもわかる。磯

の妻や九官鳥や戦友がガンジス河から招いた声は、明確な言葉とし

ては記されていな

いが、この

「お

いで」に重なる。ガンジス河は死し

た者にと

っても、魂が息づ

いている永遠の母なる深い河なのである。

ガンジス河における生者と死者

の接点は、愛であ

った。栄達や利害

ではなく、転生する妻との再会を身がわ

ってくれた九官鳥

への恩返し

七〇

を戦死した友

への鎮魂を、それらを接点にして生者と死者

の交流が

った。転生した磯部の妻の身体は確認できなくとも、それがなけれ

ば幸せになれない人間は、愛を育み継承して身体ではなく愛という精

  こ

神によ

って転生してゆく。大津はそのまま死んだとしても、明かに美

津子の愛のうちに転生を果たしうる。

死したはずの者が死んでいない世界、そんな容易に表現できない世

界が、ガンジス河の水底にある。死したはずだが無に帰しない世界、

そんな世界が深い河の水底にある。作品冒頭に記された黒人霊歌。

い河、神よ、わたしは河を渡

って

いの地に行きたい

「集

いの地」とは、生と死を越えて集う永遠のキャンプグラウンド

なのではな

いか。

愛の地に集う。もちろん、愛とは、身も心もこがす情熱でも恍惚

うちに沈む陶酔でもなく、哀しみを背負いあうことなのであ

った。

最後に、美津子が祈祷台の上に読んだ聖書の

一ページをふりかえ

ておきたい。「彼」とはもちろんイエスだが、『深

い河』

に至

っては

「彼」をガ

ンジス河と読み換え

てみても、深

い河のひと

つの意味を理

解することができる。ガンジス河のも

つ多重なイメージのひと

つを把

握することができる。

彼は醜く、威厳もな

い。みじめで、みすぼらしい

人は彼を蔑み、見すてた

忌み嫌われる者のように、彼は手で顔を覆

って人々に侮られる

まことに彼は我々の病を負

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の悲

みを

った

(六七

)

い河

ンジ

ス河

であ

ゆえ

に救

いく

いう

にか

まざ

な対

てし

の深

い河

であ

った

に記

した

に大

にと

っては

いち

のな

った母

ひと

ふと

ろと

いう

でも

った

『深

い河

にま

で至

った

写実

では

しえ

てく

であ

った

〔註記〕

(1)佐藤研

『〈新約

聖書

1>

マルコによる福音書

マタイ

による福音

書』岩

波書店

一九九

五年

一四〇

ページ。

(2)遠藤

周作

『切死丹

の里』

人文書院

、昭和

四十

六年、

一二六

ページ。

(3)

学術文献

刊行会

編集

『国文

学年次

別論文集

『近代

W』

(平

1年)』

明文

出版

。平成

三年

、;

二九

ページ。

(4)『佐

藤泰正著作集

7、遠

藤周作と椎名麟

三』翰林

書房、

一九九

四年、

一〇四

ページ。

(5)遠藤周作著

「小

・さ

・な

・疑

・問」

(『親鸞と真宗』)読

売新聞社、

九八五年

、四七

ページ、そこに

つぎ

のよう

な指摘

がみられる。

それは簡単

に言う

と基督教信者

の信

ずるイ

エスは実在

した史的

人間だ

ったが浄土真

宗門徒

のしんず

る如

は結

局は理念

いう

ことだ。

(中略)浄土真宗

のふしぎ

さは、

この理念

であ

る阿弥陀

来を、

エスのような人格神

して絶対帰依

いる点

であ

る。も

しく

は肉化

された人格神

のごとく阿弥

陀如来

を扱

ってい

る点

であ

る。

この肉

化さ

れた人格神

のごと

く扱

い、

それ

に絶対

帰依

できる

のはなぜ

か、

そこが私

にはどう

もよくわ

からな

い。

『深

い河』

(並

川)

(6)

「沈黙

と声

」遠藤

文学研究学

会報告

『「遠

藤周作」

SHU

SAKU

ENDO』

春秋社

一九九

四年

一九

ページ。

そこ

に遠藤

文学を

スト教を

こえ

て眺め

る視

点を米国

ブリガ

・ヤ

ング大学

日本語準教

授ヴ

ァン

・C

・ゲ

ッセ

ル氏

のつぎ

のよう

な考察

にみることができ

る。

の宗

教性

かり

を凝

すれ

ば、結

は遠

藤文

のヴ

ァラ

ティに背を向

けること

にな

ってしまう恐

れがある。「キ

リスト教

作家」

「日本

のグ

レアム

・グ

リー

ン」

とか

いう

ラベルを

一応

ってしまうと、

日本

の戦後作

家と

ての遠藤

周作

を棚

に上

こと

になり、

の作品

に現れ

るさまざま

の人間体験

や戦前

ら戦中、

戦後をも

生き抜

いてき

た人間

の生

々し

い人

生経路を無

視す

ること

にもな

ってしまう

のではな

いか。

(中略)そ

の作

品に

頻出す

る、現代

の至極

の残酷

さ、絶望、喪

失、虚無感

をどう

って整理したらよ

いかと

いう重

大な問題が残

ってしまう

(7)転生

ついてはキリ

スト教

のな

かには見出だ

せずそ

れは否定さ

いるはずだ

が、

一九九三年

(平成

五年)

七月

十六日

の読売新聞

(東京)

夕刊

のイ

ンタビ

ュー記事

によると、遠藤

周作自

らは肯定

に語

って

る。1

この七年

間だ

んだ

ん年

を取りな

がら、死

んだらどう

のか考

続け

いた。輪

(り

んね)

転生

はあ

るか、無

になるか、

いわ

ゆるキリ

スト教

でいう復

活か、少

なくとも

もう

一つの世界

があ

ること

の確信

はあ

るが、

それは

どんな世

界か。何

らか

の答え

そうと

て、こ

の作品を書き

ました。

(中略)聖書

の中には復

の概念

のほか

に、転生

の概念を記した個所もあります。

(な

教育

研究

課程

)

(一九

六年

一〇

一六

日受

理)

Page 16: く 文 追 ト な 学 求 教 カ 0 っ は し と ソ は 人 単 わ リ 作 な ...archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DO/0025/DO00250R057.pdf一 九 九 三 年 六 月 八