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ȶ˯˱˪ˠ˝˵ ˩˫ˮ˪˥˪ˣ ˳˝˲ˡȷ༜ 11年3月 11年3月 2003年10月 05年6月 11月 06年10月 09年8月 11年3月 4月 12年3月 東日本大震災発生 東日本大震災発生 「地震に自信を」コーナー開始 わが家の地震防災ハンドブック発行 「GLOBAL TALK」コーナー開始 第1回みやぎサバ・メシコンテスト開催 (10年まで5回開催) 「東北大学防災UPDATES!」コーナー開始 東日本大震災発生 カ月ぶりに放送再開 サバ・メシ防災ハンドブック発行(以後毎年発行) 阿部さんの 自宅があった場所 日和山公園 日和山公園 日和山公園 旧門脇小 旧門脇小 旧門脇小 398 宮城県 宮城県 宮城県 石巻市 石巻市 石巻市 仙台市 仙台市 仙台市 自主防災組織の強化課題 岩手県紫波町消防防災課長 熊谷 欣弥さん 企業や団体と協定を結んで災害への備 えを進めています。本年度は災害廃棄物 の処理、電気自動車やドローンの優先提 供などを取り決めました。町全体では年 1回の防災訓練、各地区のリーダー向け 研修会などを続けています。 自主防災組織の強化が今後の課題。組 織率100%を目指すとともに、既に組織 化した地域には避難計画の策定を呼び掛 けています。発生しやすい災害の種別や 要支援者の有無を住民同士で確認するの が狙いです。地区の特性を知って訓練を 続けることが、犠牲者を出さないまちづ くりにつながると考えています。 昨年8月に宮城県であった全国防災ジ ュニアリーダー育成合宿で、岩手・宮城 内陸地震でできた「荒砥沢崩落地」(栗 原市栗駒)のガイドをしました。全国か ら参加した中高生たちは皆、地滑りの規 模に驚いており、あの地震のすごさを自 分も再確認できました。 育成合宿では、災害時の避難対応など をグループで議論する災害図上訓練(D IG)について学びました。昨年秋の校 内の防災訓練に併せて、自分たちも津波 を想定したDIGに取り組みました。液 状化現象への対応など、参加した人たち の考えが分かり勉強になりました。 津波想定し図上訓練実施 佐々木 淳さん 人のためプロジェクト委員長 宮城県築館高 防災柔らかく伝え18年 サバ・メシ 食事を切り口に関心促す エフエム仙台「 」から生 まれた防災事業に「みやぎサバ ・メシコンテスト」がある。 サバ・メシはサバイバルと飯 を合わせた造語。2006年から 年まで計5回、災害時にカセッ トコンロで簡単に作れる非常食 のアイデアを募った。 同社防災・減災プロデューサ ーの板橋恵子さんは「身近な食 事を切り口に防災に関心をもっ てもらおうと企画した」と狙い を語る。 コンテストで最高賞に選ばれ たある家族は、参加をきっかけ に家族で地震対策を話し合い、 震災で生かしたという。「いさ さかなりとも役立ったことがう れしかった」と板橋さん。 震災後はコンテストを休み、 年から毎年サバ・メシ防災ハ ンドブック」を発行。レシピの ほか家庭、地域、職場で身を守 るポイントを掲載し、防災イベ ントなどで配布している。板橋 さんは「震災の教訓を思い出し てもらう意味でも将来、コンテ ストを復活させ、実体験に基づ くレシピを募集したい」と話す。 姿 調 避難せずに被災 失敗 家に閉じ込められ9日後救出 石巻市 阿部 任さん 阿部さんが閉じ込められていた実家の2階部分 ‖2011年夏ごろ、石巻市 使 宮城学院女子大学長 平川 新さん (11) 2020年(令和2年)3月14日(土曜日) (11) 2020年(令和2年)3月14日(土曜日)

打ち 防災柔らかく伝え18年 - kahoku.co.jp一 緒 に 学 ぶ 。 そ の 姿 勢 は 今 も 変 わ ら な い 」 と 言 う 。 「 何 げ な く 聞 く う ち に

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Page 1: 打ち 防災柔らかく伝え18年 - kahoku.co.jp一 緒 に 学 ぶ 。 そ の 姿 勢 は 今 も 変 わ ら な い 」 と 言 う 。 「 何 げ な く 聞 く う ち に

11年3月11年3月

2003年10月05年6月11月

06年10月09年8月11年3月4月

12年3月

東日本大震災発生東日本大震災発生

「地震に自信を」コーナー開始わが家の地震防災ハンドブック発行「GLOBAL TALK」コーナー開始第1回みやぎサバ・メシコンテスト開催(10年まで5回開催)「東北大学防災UPDATES!」コーナー開始東日本大震災発生約1カ月ぶりに放送再開サバ・メシ防災ハンドブック発行(以後毎年発行)

阿部さんの自宅があった場所

石巻市

石巻市

石巻市

日和山公園日和山公園日和山公園

旧門脇小旧門脇小旧門脇小

旧北上川

旧北上川

旧北上川

398

宮城県宮城県宮城県石巻市石巻市石巻市

仙台市仙台市仙台市

⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥⊥

自主防災組織の強化課題 岩手県紫波町消防防災課長 熊谷 欣弥さん

企業や団体と協定を結んで災害への備

えを進めています。本年度は災害廃棄物

の処理、電気自動車やドローンの優先提

供などを取り決めました。町全体では年

1回の防災訓練、各地区のリーダー向け

研修会などを続けています。

自主防災組織の強化が今後の課題。組

織率100%を目指すとともに、既に組織

化した地域には避難計画の策定を呼び掛

けています。発生しやすい災害の種別や

要支援者の有無を住民同士で確認するの

が狙いです。地区の特性を知って訓練を

続けることが、犠牲者を出さないまちづ

くりにつながると考えています。

昨年8月に宮城県であった全国防災ジ

ュニアリーダー育成合宿で、岩手・宮城

内陸地震でできた「荒砥沢崩落地」(栗

原市栗駒)のガイドをしました。全国か

ら参加した中高生たちは皆、地滑りの規

模に驚いており、あの地震のすごさを自

分も再確認できました。

育成合宿では、災害時の避難対応など

をグループで議論する災害図上訓練(D

IG)について学びました。昨年秋の校

内の防災訓練に併せて、自分たちも津波

を想定したDIGに取り組みました。液

状化現象への対応など、参加した人たち

の考えが分かり勉強になりました。

津波想定し図上訓練実施 佐々木 淳さん人のためプロジェクト委員長宮城県築館高

考える

防災柔らかく伝え18年収録の打ち合わせをする板橋さん(左)と今村所長

‖2月6日、仙台市青葉区のエフエム仙台

サバ・メシ 食事を切り口に関心促す∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪∪

エフエム仙台「

」から生

まれた防災事業に「みやぎサバ

・メシコンテスト」がある。

サバ・メシはサバイバルと飯

を合わせた造語。2006年から

年まで計5回、災害時にカセッ

トコンロで簡単に作れる非常食

のアイデアを募った。

同社防災・減災プロデューサ

ーの板橋恵子さんは「身近な食

事を切り口に防災に関心をもっ

てもらおうと企画した」と狙い

を語る。

コンテストで最高賞に選ばれ

たある家族は、参加をきっかけ

に家族で地震対策を話し合い、

震災で生かしたという。「いさ

さかなりとも役立ったことがう

れしかった」と板橋さん。

震災後はコンテストを休み、

年から毎年 サバ・メシ防災ハ

ンドブック」を発行。レシピの

ほか家庭、地域、職場で身を守

るポイントを掲載し、防災イベ

ントなどで配布している。板橋

さんは「震災の教訓を思い出し

てもらう意味でも将来、コンテ

ストを復活させ、実体験に基づ

くレシピを募集したい」と話す。

命救うため息長く

「東日本大震災の被災地

で震災遺構、伝承施設が整

備されています。当時の状

況を知り、みなさんで津波

対策を考えてください」

仙台市青葉区のスタジオ

で3月3日、看板コーナー

「地震に自信を」の収録が

あり、東北大災害科学国際

研究所の今村文彦所長はマ

イクに語った。中学生にも

分かるような、かみ砕いた

表現を心掛けている。

番組は2003年

月、

今村所長と、当時、エフエ

ム仙台制作部次長の高橋英

彦さんを進行役にスタート

した。ちょうど宮城県沖地

震の

年以内の発生確率が

%とされ、備えの機運が

芽生えた時期だった。

年4月に高橋さんが降

板し、同社防災・減災プロ

デューサーの板橋恵子さん

が後を継いだ。当時、防災

の知識はゼロ。「知らない

ことは質問してリスナーと

一緒に学ぶ。その姿勢は今

も変わらない」と言う。

「何げなく聞くうちに防

災の知識が身に付く番組を

目指している」とも。冒頭

は週末情報などの話題から

入り、コーナーの合間には

日曜の朝をイメージしたク

ラシック、ラテン音楽、ジ

ャズを流す。防災にありが

ちな堅苦しさはない。

テーマは地震、津波が中

心。震災発生直前にも、貞

観地震(869年)、慶長

三陸地震(1611年)な

ど過去の地震津波を紹介

し、備えを呼び掛けた。

しかし、震災では宮城県

内だけで1万760人が犠

牲になったほか、避難所や

避難中の車が被災するとい

った課題も浮き彫りに。震

災1カ月後に放送を再開し

た2人にとって、番組の意

義はさらに増した。

調査研究、行政などの委

員で多忙な今村所長だが、

番組への思い入れは特別で

「防災に関心が高い人だけ

でなく、移動中や作業中の

人も含めてさまざまな人に

伝えられる」とラジオの可

能性に期待する。「毎週の

放送を通して、地域や課題

ごとの対策をきめ細かく発

信したい」と話す。

板橋さんは「もっと救え

た命があったと、震災で

メディアの責任を感じた。

次の災害で犠牲者を減ら

せるように、できるだけ

長く番組を続けたい」と誓

う。

日曜の朝、爽やかな音楽とともに防

災に役立つ情報が宮城県内でオンエア

されている。その番組はエフエム仙台

の「SUNDAY

MORNING

WAVE」‖

‖。東日本大震災を挟

んで足かけ

年続く、全国でもまれな

息の長い防災番組だ。

⊂⊂⊇∪∪∧⊂⊂ ∩

∪∪

SUNDAY

MORNING

AVE

毎週日曜午前8時

分〜

分に放送。「地震に自信を」のほか、外国

籍の市民らが各国の防災事情などを紹介す

る「GLOBAL

TALK」、災害や防

災の専門家が研究成果などを解説する「東

北大学防災UPDATES!」の3コーナ

ーで番組を構成する。

又又又又又又又又又又又又俣末末末末末末末末末末末末末末末末末末迄 又又又又又又又又又又又又 沫

末末末末末末末末末末末末末末末末末末

避難せずに被災失敗

東日本大震災発生時、高校生だった

石巻市の阿部任

じん

さん

は家ごと津波

に流された。一緒にいた祖母

と屋

内に閉じ込められ、9日後に救出され

た。

伝える

■ 家に閉じ込められ9日後救出 石巻市

阿部 任さん

阿部さんが閉じ込められていた実家の2階部分‖2011年夏ごろ、石巻市

当日は通っていた仙台市

の高校が休みで、石巻市門

脇の実家にいました。あま

りに大きな揺れに、宮城県

沖地震が起きたと思いまし

た。揺

れが収まった後、祖母

と2階で片付けなどをして

いました。1階に降りると、

ガラス戸越しに真っ黒い水

が見えました。次の瞬間、

水はガラスを破って流れ込

み、バリバリと木が裂ける

ような音とともに家が揺さ

ぶられました。

2階に逃げ、高さを確保

しようと台所のシンクに上

った後、祖母をテーブルに

引っ張り上げました。足元

まで水が迫り、夜は寒くて

一睡もできませんでした。

水が引いたのは翌朝で

す。自分と祖母は壁や柱に

挟まれた狭い空間にいて、

屋根には穴が空き、床は傾

いていました。圧縮袋に入

っていた布団を見つけて祖

母に掛けました。つららが

下がるほど寒かったので、

布団は祖母の体力を保つの

に役立ちました。

3日目に祖母の携帯電話

を使って、一瞬だけ兄と連

絡が取れました。「実家の

居間に祖母といる」と言う

と、兄は「すぐ行く」と応

じました。でも救助は来ま

せんでした。

後で聞くと、母と兄は家

にたどり着きましたが、土

台しか残っていなかったそ

うです。家は北東に100

㍍流され、自分たちは全く

別な場所にいたのです。

冷蔵庫の中にあった水や

ヨーグルト、ビスケットを

食べて空腹をしのぎまし

た。助けはいつか来るだろ

うと、あまり不安は感じま

せんでした。部屋にあった

漫画を読んで気を紛らせま

した。

5日目に凍傷で足が痛み

始め、日を追って感覚がな

くなりました。壁がはがれ

た部分を探し出し、はりを

伝って屋根に出ました。周

囲には見知らぬ景色が広

がり、思いもよらない方角

に海が見えました。通りが

かった男性2人が私に気付

いて助けを呼んでくれて、

祖母と病院に運ばれまし

た。世

間では「奇跡の救出」

といわれましたが、自分は

恥ずかしい思いでいっぱ

いでした。1960年のチ

リ地震津波でも門脇は被

害がなく、津波が来ると思

いませんでした。近くには

日和山に上る階段があり、

すぐに逃げればこんなこと

にはならなかったはずで

す。地

元のまちづくりに役立

つ仕事をしたいと考え、石

ノ森萬画館に就職しまし

た。若者の語り部グループ

に参加し一昨年春に活動を

始めました。自分は避難し

なかったため、被害に遭い

ました。私の失敗談を、次

の災害に備えるきっかけに

してほしいと思います。

災害への抵抗力強化

自然の脅威と闘う歴史再構築

東日本大震災を契機に、

歴史学者として過去の災害

と人間との関わりを強く意

識するようになった。事前

の備えから復興までの災害

対応を軸に文明史を再構築

すれば、「災害文明史」と

いう切り口で、新たな人類

の発展過程を示せるのでは

ないだろうか。

震災後、津波を伝える石

碑や「津波てんでんこ」と

いった災害文化を再評価し

ようという動きが強まった

が、視野を広げると災害文

化はありとあらゆるところ

に存在する。そういう意味

では、自然の脅威と闘って

きた人類の歴史自体が災害

文化だと言える。

建物を例に挙げると、自

然や野生動物のリスクを

避けて、人類は洞窟で生活

を始めた。新潟県にある縄

文時代の竪穴住居は屋根の

傾斜が急で、雪で建物がつ

ぶれない工夫がされてい

る。奈

良県の法隆寺五重塔は

揺れに強い柔構造で知られ

る。1609年に建てられ

た宮城県松島町の瑞巌寺本

堂は、平成の修復工事で、

壁の内側から耐震性を高め

る筋交いが見つかった。

インフラ整備では戦国時

代以降、大名たちが治水事

業を手掛けた。登米市の北

上川には、領主が洪水対策

で整備した相模土手が残

る。流域の旧家は屋敷を1

〜2㍍土盛りして浸水を防

ぐ「水山」が施され、庶民

も自衛策を講じていた。

ただし、大震災の津波で

コンクリートの巨大な防潮

堤が壊れたように、人間社

会が災害を完全に克服する

のは難しい。それほど自然

の驚異は多様で深刻だ。

だからこそ、人命と暮ら

しを守り、経済活動を持続

させるために、防災・減災

の取り組みを強めること

と、被災した場合にはより

高い安全性を確保した復興

が大きな課題になる。

人類史を研究する際、自

然科学に法則があるよう

に、社会や歴史にも法則が

あるのではないかという観

点からグランドセオリー

(あらゆる領域で応用でき

る一般理論)が作られてき

た。ただし、これまでは経

済や政治が中心だった。

繰り返し襲ってくる災害

に対し、人間社会は現在、

大きな発想の転換を迫られ

ている。災害文明史にこそ、

新しいグランドセオリーの

可能性があると考える。

セオリー化には災害と人

間の関係を大局的に捉える

視点や、知られていない災

害文化の発見と再評価、蓄

積などが必要になる。過去

の地震津波の研究が、古文

書と地層の津波堆積物を照

合することから始まったよ

うに文理融合も重要だ。

災害への抵抗力がある社

会の実現は簡単には進まな

いが、先人の復興の歩みを

たどり、苦労や成果を学ぶ

ことで、将来に役立つ知恵

を示せる。学問は純粋に学

術的であることが大原則。

一方で研究者として被災地

に希望を与えることができ

る存在でもありたい。

ひらかわ・あらた

1950

年、福岡県出身。東北大大学院

文学研究科修士課程修了。専門

は江戸時代史研究、歴史資料保

存学。2012年設立の東北大

災害科学国際研究所の初代所長

を経て、

年4月から現職。

歳。

又又又又又又又又又又又又俣末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末迄 又又又又又又又又又又又又 沫

末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末

宮城学院女子大学長

平川 新さん

(11) 2020年(令和2年)3月14日(土曜日)(11) 2020年(令和2年)3月14日(土曜日)