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    パプアニューギニア,マダン 町 多言語状態:社会言語学的観点 ら

    野瀬昌彦(麗澤大学外国語学部)

    1.

     はじめに

    インドネシアとパプアニューギニアからなるニューギニア島及び周辺諸島(図1参照)は言語の多様性

    に富む地域で,この地域には 1000 語近くの言語が存在する(“Babel in Paradise”「楽園のバベル」と呼ばれる:

     Nettle & Romaine 2000:80).「楽園のバベル」と呼ばれる理由は,パプアニューギニアは世界で最も生物と言

    語の多様性が豊かな国のひとつであり,多種類もの植物,鳥類,爬虫類が存在するとともに 860 言語もの

    言葉が話されているからである1. Nettle & Romaine (2000)では,パプアニューギニアがなぜ言語的にそれ

    ほど多様かについていくつかの示唆を加えている2.本研究では,パプアニューギニアでの言語多様性を確

    認した上で,なぜそのような言語多様性が持続しているかについて考察し,示唆を加える.パプアニュー

    ギニアやニューギニア島での言語多様性のように,広い地域に言語が多様に分布することもあれば,日本

    列島のように方言差はあるものの,主に日本語だけが存在する地域も存在する.もちろん,日本列島の日

    本語の中には,多くの方言,なかには言語とみなしてよい方言もそんざいし,方言とみなすか言語とみなすかで言語の数が異なる.

    本研究では,パプアニューギニアの言語の多様性に関して,その多言語状況を社会言語学の点から考察

    する.具体的には,社会言語学的な観点から,マダン (Madang)での多言語共存・言語接触の状況を述べ,

    多言語の平衡状態の理由を考察する(cf. Lynch, Ross, & Crowley 2002.:ch 2).本研究が着目する社会言語学的

    な特徴は以下の 3 点である.それは,平衡状態仮説,言語接触,そして共通言語(リンガフランカ)であ

    るとクピ神の役割である.本研究では,パプアニューギニアにおける言語多様性を調査するために,ニュ

    ーギニア本島中心部に位置する人口   3  万の町マダンで話されている言語に注目し,調査を実施した.

    Z’graggen (1971a, 1975)や Lynch (1998)によると,パプアニューギニアには 800 もの言語が存在し,その 800

    語近くの現地語のうち,200 語がマダン州(Madang Province)に存在する.そして本研究の試算では,マダン

    州の州都である町マダンでは,マダン州の 200 言語,加えて他の州や他国の言語等を含めて,マダンの町

    で潜在的に 500 言語の話者が存在すると想定する.マダンの町における 500 言語の状況について,どのよ

    うな言語が話されるか,そしてこのような多言語状況が存在する理由について,フィールドワークと聞き

    取りに基づく調査をした.

    特に,以下のような問いを検討することにする.500 言語もの話者がいて,どうしてそのような多言語状

    態が維持できるのか,町の人々は混乱しないのか,それとも,多言語状態からどれかひとつ,もしくはい

    くつかのメジャー言語にまとまらないのか等について検討し,そしてそのような多言語な状況をどのよう

    に調査,研究するべきなのかを考察する.

    2. マダンで話される 500言語

    この項では,実際の調査,観察について方法とその調査地であるマダンについて紹介する.加えて, 500

    言語というマダンの町で話されると考えられる多言語の想定を示す.まず,マダンの地理的な位置関係を図 1 に示す.パプアニューギニアはニューギニア島にある国であるが,ニューギニア島の西半分(イリア

    ン=ジャヤ)は,インドネシアの領域である.ニューギニア島の東半分及びその他島嶼部がパプアニュー

    ギニアで,その中でニューギニア島本島の東海岸中央に位置するのがマダンである.

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    図 1:パプアニューギニアとマダン(WALS Language Viewer 2005)

    2.1. 調査時期と方法

    調査時期は,2006 年 10 月に 10 日間,2007 年 8 月に 1 ヶ月間滞在し,それ以降 2007 年,2008 年,2009

    年にもマダンを訪問し継続調査した結果,2011 年春現在で,合計で 4 ヶ月近くになる.調査地はマダン州

    の州都であるマダンの町,及び,マダン近郊の村セイン,ビルビル等の周辺地域である.調査方法として

    は,マダンの町・マダンの周辺に住む現地住民(アメレ,ビルビル,カルカル島,セピック地域など),マ

    ダンでボランティアとして働く外国人(青年海外協力隊員を含む),マダンでビジネスをして働く外国人に

    個別でインタビューを行った(cf. Aitchison 1991: ch 3).人数的には統計的な調査が可能な人数ではない.な

    るべく個人の意見ではなく,複数の意見,もしくは文献で確認可能な点を本研究では採用した.

    2.2. マダンの町の社会及び言語状況

    マダンはパプアニューギニアのマダン州の中心で,人口が約 3 万人の町である.マダンは太平洋に面し

    た海岸部にあり,島々や低地地帯,山岳部にアクセスしやすい場所に位置する.また,医療や村落開発,

    観光などの海外ボランティアやスキューバダイビングやリゾート関連の観光客も多い(図 2 の写真を参照).

    2000 年代後半は,マダン州でのニッケル鉱山開発での影響で,中国企業の進出,そしてそれに伴う中国企

    業関連の労働者が多くマダンで観察される.

    周囲の地理と交通であるが,まずマダンはパプアニューギニアの首都であるポートモレスビーと地上の

    道路ではつながっていない.そのため,首都へは通常,飛行機での移動となる.道路でつながっているのは,南の Lae やハイランドの Goroka であり,両方とも乗合バス(PMV: Public Motor Vehicle)を使用して,4,5

    時間かかる.また,セピック州の州都である   Wewak   にも道路はつながっておらず,マダン州の途中の町

    Bogia から船を利用するか,飛行機を利用することになる.さらに,マダン州内部においても,高山は 5000

    メートル近い山々があり,そこへは道路がなく,セスナ機を利用しての移動となる.さらに,マダン州に

    は Karkar 島,Long 島のような大きな島が存在し,そこへは船やボートを利用しての移動となる.こうざん

    部や島へのアクセス,及び補給品の供給は制限され,結果的に現地で収穫できる作物等以外の品は貴重品

    となる.

    マダンの町では,基本的にトクピシンが話され,そこに一部英語が交じる.もちろん,リゾートホテル

    や外国人が多く居る場所では英語が支配的である.商店や工場の中にはマレー系や中国系のオーナーが多

    く,そのような職場ではマレー語,タイ語,中国語などが話されるようである.市役所等の政府系の建物

    や職場では,英語とトクピシン両方が必要である.

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    図 2:マダンの町とその近郊風景   (2007年 8月)

    2.3. 調査 ら推測されるマダンで話される 500語

    マダンの町における,さまざまな場所での聞き取り調査の結果,マダンの町で話される言語は,以下の

    (1)に示す 4 つのタイプに分類することができる.

    (1)   マダンの町に話者が存在する言語の 4 タイプ:

    a.   マダンの町近郊にある主要 3 言語:アメレ語   (ニューギニア系),ビルビル語(オーストロネ

    シア系),ノボノブ語(ニューギニア系):後述の図 3,4 参照. b.  パプアニューギニアのその他地域の現地語(800 語以上):主にニューギニア系とオーストロ

    ネシア系の言語に大別される.また,マダン州には 260 もの言語が存在する.その他ハイランド

    地域やセピック地方からの移民や労働者が多数居住している.

    c.   パプアニューギニア以外の他の外国語:日本語,中国語,タイ語など,ボランティアや観光

    産業,商業等でマダンに居住・一時滞在する人々の言語

    d.  コミュニケーションのための言語:英語とトクピシン3(もう一つの公用語 Hiri Motu はマダ

    ンでは通常話されない)

    大別すると,パプアニューギニア起源の土着言語(現地語,これはニューギニア系とオーストロネシア系

    の両方が含まれる;以下,「現地語」で統一する4)と外国人由来の言語,そして,多様な人々が相互にコ

    ミュニケーションするための「共通言語」である英語とトクピシンの話者が存在することになる.それら

    の言語の数を概算したのが(2)で,マダンの町には潜在的に 500 言語もの話者が存在することになる.

    (2)  マダンの町に話者が存在する可能性のある言語数5:

    a: 3 語(アメレ語,ビルビル語,ノボノブ語)

     b: 260*0.8 + 600*0.4= 208 + 240 = 448 語(マダン州の言語の 8 割と,その他パプアニューギニア全

    域の言語 4 割が存在すると仮定)

    c: 30 語(マダンに居住・一時滞在する外国人の言語)

    d: 2 語 (公用語である英語とトクピシン)

    a + b + c + d = 483  500

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    (2)で算出された 483 もの言語には,町には話者が一人しか存在しない言語がありうるだろうし,一人の話

    者が多言語を使い分ける場合も考えられる.特に本研究で注目するのが,(1a)のマダンの町近郊で話される

    メジャー3 言語(アメレ語,ビルビル語,ノボノブ語)である.これら 3 言語がマダンの町でそれぞれの集

    団を形成している.これらの 3 言語について,Ethnologue(www.ethnologue.com)を参考に,基本的な情報を

    まとめる.まず,アメレ語(Amele)であるが,これはニューギニア系言語のひとつで,本研究の調査者が専

    門的に調査している言語である.話者は 5300 人で,パプアニューギニアの現地語の中では比較的多めであ

    る.アメレ語のコミュニティは,マダンの町南部の丘及び山地に住み,さらにいくつかの方言がある.す

    でに Roberts (1987)により,記述文法書が書かれている.次に,ビルビル語(Bilbil)であるが,これはオース

    トロネシア系言語であり,話者数は 1250 人とそれほど多くない.マダンの町の海岸部,及び北部と南部の

    海岸部に居住し,かつ観光関係の仕事の者が多く経済的に豊かで,住居や生活環境も原始的でない.オー

    ストロネシア語なので,文法は複雑なものではないと考えられるが,文法記述がなされていない.最後に,

    ノボノブ語(Nobunobo)であるが,これもアメレ語同様,ニューギニア系言語である.こちらも話者が 5000

    人と多く,現在の増加中である.マダンの町北部の丘及び山地に住んでおり,さらにノボノボブ語のコミ

    ュニティには Summer Institute of Linguistics(SIL)の支所があり,文法記述が現在なされている模様である.

    これら主要 3 言語に加え,以下の図 3 にマダン州で話されている現地語(ニューギニア系,オーストロネ

    シア系)を示す.マダン州内だけでも,260 語存在し,マダンの町において,それらの言語の話者が少なく

    とも一人は存在すると考えられる.

    図 3:パプアニューギニア,マダン州の言語(http://www.ethnologue.com/show_map.asp?name=PG&seq=90)

    このように,マダン州の言語の分布はこれほどまで多様であり,これらの現地語話者が仕事や買い物,定

    住でマダンの町に存在していると考えられる.また,マダン州の言語において,海岸部の言語はオースト

    ロネシア語中心であり,海岸部でもなく高山部でもない丘や山地,ブッシュ地域はニューギニア系言語が

    支配的である.3000 メートル以上の山々に位置する高山部では,いわゆるハイランド系の言語が存在する.

    本節では,マダンの町でどのような言語,500 もの言語が話されているかを示した.次節以降で,なぜこ

    のような多言語状況が生じているのかという点と,社会言語学的にこの状況をどのように説明できるかに

    ついて考える.

    3. 理論的考察

    本節では,マダンの町における多言語状況の観察について,いくつかの理論的観点に基づいて考察を行

    う.言語の断続平衡.言語接触とトクピシンの役割の 3 点から多言語状況を説明することを試みる.

    3.1.平衡状態

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    言語変化と多様性の考え方として「断続平衡(punctuated equilibrium)」の仮説がある(Dixon 1997, Nettle &

    Romaine 2000).これは,ある地域に似たような集団が存在し,どの集団もとりわけ大きな力を持つことな

    く,各言語が比較的平衡を保ちつつ,長い期間にわたって言語圏を形作る.そして,平衡が破れるとき,

    急激な言語変化が起こる.この考えを基に,マダンの町及び周辺の言語の多言語状況を考察する.マダン

    の場合,そのような平衡状態が(トクピシンやその他の外国語の流入にも関わらず)持続していると考え

    られる.マダンの町の中及び周辺で,人々はお互いの言語が混ざらないよう,注意を払っている.特に (1a)

    の近郊のアメレ,ビルビル,ノブノボの共同体は,マダンの町でもこの 3 言語の話者が特に多く観察され

    る.彼らは現地語の保持をしており,平衡状態を保とうする努力を積極的にしているものと考えられる6.

    課題として,このような平衡状態が,首都のポートモレスビーや工業の町 Lae 等でも観察されるかを見る

    必要がある.

    3.2. 言語接触

    マダンの町は多言語な状況にあるわけなので,さまざまな言語接触が存在する(Winford 2003, Heine &

    Kuteva 2005).例えば,ニューギニア系とオーストロネシア系の接触,現地語とトクピシンの接触,そして,

    英語や日本語,中国等の外国語との接触がある.その結果,マダンの町に住む人やその近隣の住民は少な

    くとも 2 言語以上の言葉を話すことができ,その多くはトクピシンと現地語の組み合わせである7.Winford 

    (2003:10-11)では,言語接触の状況を明らかにするには,「言語学的及び社会文化的な要因」を探る必要があ

    ると論じ,接触から生じるタイプとして,「維持」,「変化」,そして「新たな接触言語の創造」を挙げてい

    る.マダンの場合,3 番目の新たな接触言語として,トクピシンが相当する.

    また,Heine & Kuteva (2005:ch 5)では,言語接触から生じる言語エリアとして,Sprachbund (言語連合),

    Metatypy(相互の文法交換:カルカル島のタキア語とワスキア語の関係:後述の図  4   参照)と文法化エリ

    アの 3 つを挙げている.マダンのエリアに関しては,Sprachbund として考えるには範囲が狭すぎ,Metatypy

    や文法化エリアと考えるには,接触による明白で網羅的な文法変化が観察されなければならない.500 近く

    もの言語が共存する状況は世界的に見てもまれ8で,別の定義が必要かと思われる.

    言語接触は存在するものの,それによって個々の言語に「接触に伴う言語変化 (Contact-induced language

    change)」がどれくらい起こっているかの実例を出すことが必要である.

    3.3. トクピシンの役割

    トクピシンはパプアニューギニアの公用語のひとつであり,言語のタイプとしては英語ベースのクレオールに属する(Lynch 1998, Lynch et al. 2002).McMahon (1994:ch 10, 260)は,そのようなクレオール言語が拡

    張と綿密な形成の結果によるものと特徴付けている(一方のピジンは縮小と簡素化).トクピシンは主に話

    し言葉として用いられ,日常会話や新聞9,テレビやラジオで耳にすることができる.キリスト教関係の書

    物,例えば聖書などは,マダンの町の書店にてトクピシンで入手可能である.トクピシンが拡張した結果,

    マダンの町の中では,同じ現地語,例えば,アメレ語の住民は,同じアメレ出身の者と話す場合アメレ語

    を使用するが,異なる現地語を話す人,例えば,アメレ語話者とビルビル語の話者と話す場合,トクピシ

    ンで話すことになる.パプアニューギニアの国内で,異なる現地語,それも離れた地域間での結婚や交流

    が増えるにつれて,第一言語が現地語ではなく,トクピシンになる子供が増加している.彼らは学校に通

    うようになると,英語を第二言語として学ぶようになるが,現地語の共同体が現地語の教育や保持をしな

    い限り,そのようなトクピシンを母語にする者は現地語を学ぶことはせず,次の世代に伝えたりすること

    が絶望的になる.

    このように,マダンの町及びパプアニューギニアにおいて,公式的な英語と非公式であるけれども事実上

    の共通語であるトクピシンの拡張が進んでいる.とりわけ,マダンの町で行政事務職や観光関係の人々は

    英語とトクピシン,両言語話す必要がある.一方で,マダンの町の経済的側面を支える,中国人労働者や

    タイ,マレーシアからの商店,工場主がトクピシンすら習得しようとしないとの,現地人のコメントもあ

    る.

    マダンの町は 3 万人ほどの人口の中で 500 言語近くの多様性が観察される点,加えて 500 言語の中で数

    的に支配的な現地語の間で,お互いの文法変化が一部観察される点で特殊である.加えて,マダンの町で

    は,クレオールであるトクピシンが共通言語として機能している点と,トクピシン自体が語彙的,文法的

    に長期間,周囲の現地語に影響を与えている点である.トクピシンの普及がマダンの町において,500 言語

    が共存するのかという疑問に対する答えになるかと思われる.しかし同時に,マダン近郊に位置する多数

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    の住民たちの現地語(アメレ語,ビルビル語,ノブノボ語)の要因について,トクピシンの役割と関連さ

    せて考察する必要がある(Thomason & Kaufman 1988: ch 4, 7).

    4. 議論

    現地調査と先行研究での考察の結果,マダンの町の 500 言語という多言語状況について,本研究で議論

    すべき点を明らかにした.ここでは,いくつかの言語に見られる文法的相違と社会言語学的状況と関連さ

    せて議論する.

    第一点は,マダン州内の現地語の状況についてである.ここでは特に,アメレ語,ウサン語,タキア語,

    マナム語と.それらに加えトクピシンを採用し,5 言語での文法的相違がどのようなものかを観察する.2007

    年及びその後のフィールドワークの際,調査者はアメレ語,ビルビル語,タキア語,ワスキア語の話者と

    各自の言語の文法や社会状況について聞き取りを行った.その結果,マダンの町ではマダン近郊にある   3

    言語の話者,アメレ語,ビルビル語,ノブノボ語の話者らが大きな共同体を形成していることがわかった.

    以下では,文法の詳しい記述が入手不可能なビルビル語とノブノボ語の代わりに,ウサン語,タキア語,

    マナム語というマダン州の現地語を取り上げる.それぞれの言語の位置関係を図 4 の地図に示す.アメレ

    語とウサン語はニューギニア系,タキア語とマナム語はオーストロネシア系の言語である.

    図 4:マダン近郊の 3言語プラス 3現地語   (WALS, Language Viewer, 2005 )

    以上の 5 言語の語順と名詞標示(格標示,前置詞,後置詞)について簡単にまとめたのが以下の表 1 であ

    る.ここで注目すべき点は,タキア語とマナム語はオーストロネシア系の言語にも関わらず SOV 語順で後

    置詞を持つ点である.これは,従来は SVO,または VSO 語順で,前置詞を持っていたオーストロネシア系

    言語がニューギニア系言語との言語接触の結果,文法が変化したのである(cf. Metatypy).

    言語名 主な地域 系統 語順   名詞標示 参照

    アメレ語 マダン近郊   ニューギニア系   SOV   後置詞   Roberts (1987),調査者データ

    ウサン語 山岳部   ニューギニア系   SOV   後置詞   Reesink (1987)

    タキア語 カルカル島   オーストロネシア系   SOV   後置詞 調査者データ

    マナム語 マナム島  オーストロネシア系

      SOV   後置詞   Lichtenberk (1983)トクピシン   PNG 全域   ピジン・クレオール   SVO   前置詞   Mihalic (1986)調査者データ

    表 1:マダン州の言語の一例

    このような文法特徴の共通性は(3)に示す名詞と形容詞の順序にも観察される.

    (3) 5 言語の形容詞(A: adjective)と名詞(N: noun)の順序

    アメレ語  “da’na mebahi” (man-good): NA

    ウサン語  “munon isig” (man-old): NA

    タキア語  “tamur uyan” (man-good): NA

    マナム語  “tamóata salaga=lága” (man-tall ): NA

    トクピシン  “gutpela man” (good-man): AN

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    このような基本部分の共通点にも関わらず,各言語の細かい文法内容や語彙は大きく異なる.そのため,

    文法的に類似しているからと言って,言語同士が似ているわけではない.注目すべき点は,SOV, NA 語順

    で後置詞を共通に持つ現地語の住民が,まったく文法が異なる SOV, AN 語順で前置詞のトクピシンを第二

    言語,共通言語として身につけている点である.一部ではあるが,アメレ語にはトクピシンから借用した

    文法が存在する(調査者の観察10及び,Roberts 1987).

    第二点はマダンの町における多言語状況を社会言語学的にどのように位置づけるかという点である.こ

    のような多言語状況がひとつの言語に収斂したり,Sprachbund   を形成したりせずにマダンの町で存在する

    かについて説明を試みる.マダン近郊の 3 言語(アメレ語,ビルビル語,ノボノブ語)の話者が町の中に

    多く,それら 3 言語が支配的な言語共同体を形成し,結果的にそれらの言語共存が存在する.また,この 3

    言語は共同体で各現地語を保持しようとする意識が高い.それら 3 言語に付随して他の現地語話者・外国

    語話者が存在し,その上に多言語状況を形成している.そうして,町の住人はトクピシンや英語という共

    通言語を話し,互いに意思疎通を図っている(Tryon & Charpenter (2004)).よって,言語接触を常時行いつつ

    も,有力な 3 言語と共通言語であるトクピシンや英語でもって,多言語の平衡状態を維持していると解釈

    する.おそらく,社会や階層,職業により,マダンの町で主として使用する言語は異なるものと考えられ

    るが,少なくとも話し言葉に限っては,トクピシンの役割が社会言語学的にも重要な役割を果たしている.

    5. 結論

    本研究では,パプアニューギニアの町マダンにおける 500 言語からなる多言語状況を示した.英語やト

    クピシンという共通言語に加えて,数多くの現地語(ニューギニア系とオーストロネシア系),そしてその

    他の印欧語や日本語,中国語,インドネシア語が存在し,特殊な多言語状況であることが判明した.

    ひとつの町の中に存在するこの状況を,社会言語学的な点から見た場合,事実上の共通言語であるトク

    ピシンが果たしている役割が大きいことが判明した.500 もの数の平衡状態を維持するために,有力な近郊

    現地語(アメレ語,ビルビル語,ノブノボ語)の存在や言語接触によるゆるやかな文法類似,クレオール

    の拡張的な普及が関連している.本研究は量的な調査ではなく,マダンに居住する異なる種類の複数人へ

    の調査であったが,各人 2 言語以上,多い場合 4 言語を話すことができた.このような併用や使い分けが

    マダンの言語多様性を保持しているのである.マダンの町における多言語の事例は,世界の言語の伝播における言語接触や拡散,多様性の特徴を考察するのに役立つ(市之瀬(2007), Aitchison(1991), Nettle &

    Romaine(2000)).今後は,量的な調査を通して,実際の多言語状態で,どの種の現地語話者がマダンの町

    に居住しているかを明らかにしたい.

    謝辞

    本研究は 2008 年 3 月 22 日に開催された第 21 回社会言語科学会研究大会(東京女子大学)において,「500

    言語の町マダン(パプアニューギニア)における言語接触:社会言語学的考察」という題目でポスター発

    表したものを加筆修正したものである.発表においてコメントを頂いた方に感謝します.本研究は日本学

    術振興会特別研究員奨励費(2005-2007 年度)による援助を受けて行われた.パプアニューギニアでのフィー

    ルドワークにあたり,セイン村の人々(特に 500 語のアイデアを示唆してくれた Nebot Arey)・JICA 青年海

    外協力隊員(池添正嗣氏,木下俊和氏,加藤秀之氏)に大変お世話になりました.

    1 Z’graggen (1971b)では,パプアニューギニアの言語が数的にとても多く,その文法が複雑なものである

    から,「言語学者にとって楽園(the linguist’s paradise)」と述べている.2 ニューギニア島で言語的多様性が高い原因としては,その地理的地形的な要因が大きい.5000 メートル

    球の山々からなるハイランドとニューブリテン島やニューアイルランド島などからなる多くの島の存在な

    ど,人々の移動に制限があり,その結果,各地で多くの言語が話されるようになったと考えられる.しか

    しながら,いわゆる「隣の村」的な距離や位置関係にある場合においても,別の言語が話されているよう

    な地域も存在し,地理的地形的な要因以外の理由を考える必要がある.3 パプアニューギニアでは,公用語として英語,トクピシンとヒリモトゥの 3 つがある.しかしながら,

    マダン州ではヒリモトゥは基本的に観察されない.ヒリモトゥは通常,パプアニューギニアの首都ポート

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    モレスビー及びその近郊,さらには,パプアニューギニア東部のガルフ州及びウェスタン州で話される.4 トクピシンでは「現地語」のことを”Tok Ples”と言う.これは”Ples>Place”,つまり村や共同体の場所で話されることば(Tok)という意味である.5 あくまで,この 500 言語というのは,何人かのパプアニューギニアでの調査者の見解を基に,本研究が概算した数字であり,実際に統計に基づく調査を行ったわけではない.加えて,概算で出した 500 言語の

    中には,話者が一人しかマダンに存在せず,言語コミュニケーションが必ずしも存在しているという前提で出したものではない.さらには,ひとりで 2 つも 3 つも言語を操るバイリンガル,トライリンガルもパプアニューギニアには多い.実際,マダン近郊のセイン村の婦人は,セピック地方から嫁入りしたので,

    セピック地方の現地語(Dagua),セイン村の現地語(Amele),そして英語とトクピシンを話すことができる.6 アメレ語,ビルビル語,ノブノボ語とも,特に仕事や将来に不可欠な言語であるとは言えないため,保

    持の努力を怠れば一気に話されなくなる可能性がある.実際に,他の現地語では,トクピシンが支配的に

    なり,現地語が衰退しているとのコメントを得た.アメレ語の共同体では,特に小学校入学前に,アメレ

    語で教育するコミュニティスクールを作り,そこでアメレ語の保持を実施している.パプアニューギニア

    の学校教育は,英語またはトクピシンでなされるため,たとえアメレ語コミュニティの小中学校であって

    も,アメレ語で教育を受けることはできない.7 現地語が失われたコミュニティの出身者やマダンの町で生まれ育った者は現地語という概念がなく,実

    際に使えるのはトクピシンと英語だけという場合がある.8 東京や香港,ニューヨークやロンドンのような世界の大都市は,500 言語またはそれ以上の多言語状態であると言えるかもしれない.マダンの町が特徴的なのは,人口が 3 万人程度であるのに 500 言語の多言

    語である点と,多くの人が少なくとも 2 言語以上話すことができる点である.9 パプアニューギニアには”Wantok”という,トクピシンで書かれた新聞がある.ただし日刊ではなく,そのため住民は新聞に関しては通常は,英語のものを読むようである.10 アメレ語のテンスとアスペクトに関して,アメレ語はテンスが豊富である一方,アスペクトが貧弱であ

    る.しかしながら,そのアスペクトの仕組みをトクピシンから借用してきたものと考えられる.Roberts(1987:232)では,完了的なアスペクトを表示するのに,助動詞”bile-c”(座る,ある), ”he-doc”(終える), ”citdoc”(終わらせる)が使用されると記しているが,この用法はトクピシンの助動詞を使う用法に関与していると考えられる.

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    野瀬昌彦(麗澤大学外国語学部助教)[email protected]