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2009 年台風第 8 号(Morakot) 台湾南部豪雨災害 調査報告書 2016 2 日本災害情報学会 デジタル放送研究会3

2009 年台風第 8 号(Morakot)界記録並みだった。このため、南投縣、嘉義縣、台南縣、高雄縣、屏東縣、台東縣の広範囲に、 氾濫災害、土砂災害など極めて多数の災害が発生した。大規模で多様な被災態様が八八水災の

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2009 年台風第 8 号(Morakot)

台湾南部豪雨災害

調査報告書

2016 年 2 月

日本災害情報学会 デジタル放送研究会’3

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目 次

第1章 調査の概要 ............................................................................................................................... 1

第1節 調査団メンバー ................................................................................................................... 1

第2節 調査日程 ............................................................................................................................... 1

第3節 調査目的 ............................................................................................................................... 2

第2章 台風第 8 号(莫拉克,Morakot)の特徴と被害 ................................................................ 3

第1節 台湾八八水災 ....................................................................................................................... 3

第2節 小林村大規模崩壊 ............................................................................................................... 4

第3章 ヒアリング結果 ....................................................................................................................... 6

第1節 被災住民 ............................................................................................................................... 7

3-1-1 台南縣南化郷玉山村羌黄坑 ............................................................................................. 7

3-1-2 高雄縣甲仙郷小林村五里路 ........................................................................................... 10

3-1-3 六龜郷新發村新開 ............................................................................................................ 11

第2節 行政 ..................................................................................................................................... 15

3-2-1 經濟部水利署(台中) ................................................................................................... 15

(1) 警戒水位方式 ......................................................................................................................... 15

(2) 浸水警戒値方式 ..................................................................................................................... 15

(3) 洪水予報システム ................................................................................................................. 16

(4)土砂災害警戒システム ........................................................................................................... 16

3-2-2 淡水河防災指揮センター(經濟部水利署第十河川局)(板橋) .............................. 17

第3節 マスメディア ..................................................................................................................... 18

3-3-1 NHK台北支局(台北) ............................................................................................... 18

(1) 台風の一般的特徴と台風慣れ ............................................................................................. 18

(2) 遅れた大被害の情報 ............................................................................................................. 18

(3) 台風時の被害情報収集の困難さと情報集約体制の不備 ................................................. 20

(4) 熱心でなかった警戒呼びかけ ............................................................................................. 20

3-3-2 TVBS(台湾衛星放送)(台北) ............................................................................. 21

(1) 困難だった被災地の特定 ..................................................................................................... 21

(2) 災害時のテレビ局への通報情報 ......................................................................................... 21

(3) 警戒を促す放送について ..................................................................................................... 22

第4節 砂防専門家 ......................................................................................................................... 23

3-4-1 王文能博士 ....................................................................................................................... 23

第4章 考察 ......................................................................................................................................... 24

第1節 調査から明らかになった災害情報伝達上の課題 ......................................................... 24

4-1-1 災害情報は伝わったか .................................................................................................... 24

4-1-2 災害情報に何ができるか ................................................................................................ 24

第2節 結び ..................................................................................................................................... 26

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第1章 調査の概要

台風 0908 号(莫拉克、Morakot)は 2009 年 8

月 3 日に台湾東方沖で発生し、7 日から 9 日に

かけて台湾(中華民国)に上陸、横断した(図

1)。この台風による災害は、現地では「八八水

災」と呼ばれる。とくに降雨量の多かった中部

から南部にかけて被害が大きく、高雄縣甲仙郷

小林村では集落がまるごと土砂にのみ込まれ、

500 人近くが亡くなった1。

一方、台湾では ICT を活用した水害情報シス

テムが整備されており、土砂災害の発生予測に

も力を入れている災害情報先進国だ。この未曾

有の災害に対し、災害情報はどのように機能し

たのか?住民の反応や行動はどうだったのか?

そもそも、いったいどのような災害が起こった

のか?デジタル放送研究会は、これらの実態を

探るべく、災害から半年後の 2010 年 2 月上旬、

調査団を編成して現地視察調査を行った。

第1節 調査団メンバー

日本災害情報学会「デジタル放送研究会’3」

台湾豪雨災害調査団(写真 1)

大妻女子大学 藤吉洋一郎(団長)

(財)河川情報センター 布村明彦(副団長)

アジア航測(株) 天野 篤

(株)建設技術研究所 加藤宣幸

東洋大学 中村 功 セコム(株)IS 研究所 三島和子

第2節 調査日程

調査は台湾の春節休暇直前の時期に実施した。

2010 年 2 月 6 日 成田出国→台北→高雄入り

2 月 7 日 土砂災害被災現場視察、住民ヒアリング(台南縣南化郷玉山村羌黄坑、高

雄縣甲仙郷小林村、高雄縣六龜郷新發村新開)、高雄→台中に移動

2 月 8 日 經濟部水利署ヒアリング、台中→台北に移動、淡水河防災指揮センター視

察、NHK 台北支局ヒアリング

2 月 9 日 TVBS ヒアリング、王文能博士ヒアリング、台北→成田帰国

1 今村遼平・中筋章人(2010):「台湾における 2009 年台風第 8 号(莫拉克台風)による災害の実態について」

応用地質学会誌第 51 巻第 3 号,pp140-145

図 1 台風 0908 号の気圧・経路

(NII 北本朝展氏「デジタル台風」DB に加筆)

緑色間が台風 黄色 980~970hPa 赤色 965hPa以

下 青色は熱帯低気圧 桃色は温帯低気圧

丸数字は(8 月の)日にちで、当日日本時間 9

時における中心位置

写真 1 調査団メンバー(小林村にて)

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第3節 調査目的

調査目的は次の 4 点とした。

1.どんな災害が起きたのか。

2.台湾で整備されている土砂災害警戒シス

テムが機能したのか。支障があったとす

ればそれはなぜか。

3.住民の災害情報の伝達状況、受け止め方、

そして行動はどうだったのか。生死を分

けたポイントは何か。

4.今後日本でもこのような巨大災害が発生

した場合を想定し、災害情報の観点で備

えておくべきことは。

※ 本報告書を上梓する前に、小林村の被害

規模をはるかに上回る巨大災害、2011 年

3 月 11 日東日本大震災が発生した。

さらに、今年 2 月 6 日には、台湾南部の

高雄市を震央とするマグニチュード 6.4

の 2016 年台湾南部地震が発生した。

本報告書は、基本的にこれらの災害前の状況に基づく。

※ また、東日本大震災に際しては、発生翌日、馬台湾総統が「日本が 1999 年 9 月の台湾中部

大地震や一昨年 8 月の南部台風災害で台湾を支援してくれた。われわれも同様に積極支援す

る」と述べ、米国と並び世界トップクラスの破格の義援金などの支援が行われた。台湾の多

くの人びとの善意に対し心より感謝し、末永く記憶に留めたい(図 3)。

図 2 台灣全図(出典:台灣観光協会)

図 3 台灣の主要紙に掲載した有志による感謝広告

(出典:謝謝台湾計画 http://blog.livedoor.jp/maiko_kissaka-xiexie_taiwan/)

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第2章 台風第 8 号(莫拉克,Morakot)の特徴と被害

第1節 台湾八八水災

2009 年 8 月 7 日~9 日、

台湾は台風第 8 号(莫拉克、

Morakot)の大雨によって甚

大な被害を受けた(八八水

災)。

8 月 3 日に台湾東方沖で

発生した台風第 8 号は、7

日 23 時 50 分頃、台湾東部

の花蓮縣に上陸した。図 4

に莫拉克颱風による累積雨

量を示すが、最も多い所は

2,600~2,800 ㎜にも達し、

中南部ほど降雨量が多かっ

た。經濟部水利署の調べで

は、高屏溪甲仙では 3 時間

累積雨量が 389.5 ㎜、同じ

く 6 時間が 577.5 ㎜、12 時

間が 715.5 ㎜、24 時間が 856

㎜と、いずれも 200 年に一度という未曾有の雨量を記録した。1 日から 2 日の累積雨量は、世

界記録並みだった。このため、南投縣、嘉義縣、台南縣、高雄縣、屏東縣、台東縣の広範囲に、

氾濫災害、土砂災害など極めて多数の災害が発生した。大規模で多様な被災態様が八八水災の

特徴といえる。台湾全土で 12 億㎥の土砂が生産され、4 億㎥が河道に堆積、8 億㎥がまだ斜面

に残されていると見積もられている。

死者・行方不明者数 758 人

(死者 683 人、行方不明者 75 人)

避難者数 24,950 人

被災収容人数 5,990 人

浸水世帯(50cm 以上) 約 14 万戸

道路不通箇所 100 箇所

停電 1,595,419 世帯

断水 769,159 世帯

農業損害額 164 億 6,862 万元(NT ドル)

水利施設の損壊 174 箇所

堤防決壊 36,242m

(出典:經濟部水利署「臺灣民衆水情資訊系統及淹水預警技術簡介」,2010.2.8)

表 1 台風第 8 号(莫拉克台風)の被害状況

図 4 全土の累積雨量と小林村の位置(出典:經濟部水利署

「臺灣民衆水情資訊系統及淹水預警技術簡介」,2010.2.8)

小林村

モーラコット台風時の台湾全

土の累積雨量・等雨量線図

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第2節 小林村大規模崩壊

とくに被害が大きかったのが高雄縣甲仙郷小林村(旗山溪流域)だ。8 月 6 日夕方から断続

的に続いた猛烈な降雨により、9 日午前 6 時 9 分に集落の裏山で大規模な崩壊が発生した(写

真 2)。集落は、家屋 2 棟を残して全て流失した(写真 3)。土砂の流出面積は 250 ヘクタール、

流出量は数百万立方メートルに達した(図 5)。

このため山やトンネルへ避難した 40 名強を

除く 400~500 名が亡くなったという。早い段階

で集落から外に通じる 2 橋が流失し避難経路を

断たれた状態に陥り、そこを次々と大規模なハ

ザードが襲った。つまり、巨大崩壊だけでなく、

洪水、土石流、堰止め湖決壊などいくつもの事

象が連続して発生した複合災害だった。

図 6 と 7、写真 4 と 5 は、台風前後の小林村

の変わりようを示している。これらに見られる

とおり、山間の比較的広い谷間にあった集落は、

周囲の斜面崩壊や土石流氾濫により、一面、厚

い土砂と岩石に埋もれて跡形もなくなっていた。

台湾でもグローバルな気候変動の影響が現

れており、ここ 100 年あまりで温度が上昇、年

間降雨量が微増し、降雨日数は減少して、雨の

降り方が激しくなった。今回の大災害発生原因

のひとつと言われている。

種 類 累積降水量 対「平均年降水量 4,028.5mm」

24 時間雨量 1,624mm 40.30%

48 時間雨量 2,361mm 58.60%

72 時間雨量 2,748mm 68.20%

総 雨 量 2,884mm 71.60%

表 2 阿里山郷の降水量(出典:國立成功大學防災研究センター)

写真 3 小林村で辛うじて残った 2 棟の家屋 写真 2 主稜近くから続く崩壊斜面

図 5 八方尾根スキー場(上)と現地(下)を

同一縮尺で対比

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図 6 小林村の崩壊以前の衛星写真(出典:Google Earth 2010/02)

図 7 小林村崩壊斜面の衛星写真(出典:台灣國立中央大学 Lee,C.T.教授提供)

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※ この 2 枚の写真は、現地近傍の食堂に飾られていたものを撮影した

写真5 台風後の小林村

写真4 台風第8号前の小林村

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第3章 ヒアリング結果

第1節 被災住民

われわれ調査団は、2 月 7 日(日)午前 9 時

頃に高雄市内を出発、2 時間強かけて現地入り

した。車外はだんだん気温が上がり植生も亜熱

帯気候の様相に変化していった。台湾の人がチ

ューインガムとして好む檳榔(びんろう)の木

が多く見られた。外見は背の低いヤシの木かシ

ュロの木に似ている。

舗装道路からマンゴー園やバナナ園が両脇

に点在するでこぼこの土の道路に入っていくが、

羌黄坑、小林村へのアクセスは分かりにくく、

何度か通りがかりの現地の人に道を聞いた(写

真 6)。目的地にほど近い南化郷の駐在所に立ち

寄って道順を尋ねると「ここまで来た日本人は

初めて。今ヒマだからちょうどよかった」と快

く対応してくれ、小林村までのアクセスを教え

てくれた。羌黄坑の村長の連絡先も教えてくれ

たので連絡をとってみたが、あいにく村長の都

合が付かず面談は実現しなかった。

ヒアリングに協力してくれた住民は表 3 のと

おり。

住 所 姓 名 性別(歳)

台南縣南化郷玉山村羌黄坑きょうこうこう

韓李來満さん 女性(53)

高雄縣甲仙郷小 林 村しゃおりんちゅん

五里路 陳秀容さん 女性(59)

高雄縣六龜郷新發村新開 簡旺卿さん 男性(72)

彭建成さん 男性(76)

3-1-1 台南縣南化郷玉山村羌黄坑

玉山村羌黄坑は、土石流に襲われたが、住民

は無事避難して犠牲者が出なかった村落。マン

ゴーの生産地として知られ、山あいの村落には

いたるところに果樹園が見られた。道路脇の雑

貨店にいた女性に尋ねると「土石流を目撃し避

難した」経験をした当事者だったため、現場の

案内をお願いした。

表 3 ヒアリング協力者

写真 6 高雄から被災地に向かう道中

写真 8 羌黄坑の土石流被災家屋

写真 7 羌黄坑の土石流流下渓流

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① 韓李來満さん(女性・53 歳)

夫に 37 歳で先だたれ 3 人の娘を女手一つで育てる。

女性の家は大きく立派で、物置には天井に届くまでコ

ンテナボックスが積まれていた。これらはマンゴーの

出荷に使うとのこと。マンゴー栽培が生計の中心のよ

うだ。家の近くの青山宮というお寺の前と、自宅の裏

山のマンゴー園でお話を聞いた。

「8 月 7 日はほぼ雨だけで、いつもどおりとくに気

にしなかった。8 日の夕方にひどい雨になり、水の音

や石の音で、うーうーと飛行機が降りるときのような

轟音がするので家の窓から外を見た。隣の家の沢に面

した壁に大きな穴が開き、沢いっぱいに水が先に、次

に石が水と混ざって流れてきていた(写真 7)。逃げな

ければ危ないと思い、すぐに村長と警察に電話し、救

援を求めた。土石流で破壊された赤い屋根の家には 5

~6 人いたが、全員逃げて出していて助かった(写真 8)。

救援協会が来てから、1 世帯ずつ声をかけて近所の人

たちと一緒に避難した。すでに道が通れず車が集落内

まで入れなかったため、店のある県道(南部横貫公路)

のところまで皆歩いた。自分で歩けない高齢者は、救

援協会の人が背負って連れて行った。約 1 時間で全員

が避難した。誰が見ても怖い光景。一生忘れられない。

避難するときには、道路は土砂で埋まっており道路で

はなくなっていた。あんなにひどい雨は生まれて初め

て。9 日に、家の様子を見に戻ってみると、ここらは

みんな土砂で埋まっていた。お寺(青山宮)の本堂の

前は背丈以上の高さまで土砂がたま

り、中にも半分くらい入っていた」

(写真 9)。

避難の呼びかけのようなものはな

かったのかと尋ねると、「大・中・小

の警報のうちの『中』で、避難の必

要はないものだった。『大』は避難し

なければならない警報。テレビの放

送でも避難をするなどとくに何も言

っていなかった。事前情報は全くな

かった」。

自宅の前付近にスピーカーのつい

た鉄塔が立っているのを指して、あ

のスピーカーからは何か流れたかと

聞くと、「放送のマイクはお寺のわき写真 11 建築物の応急危険度判定

写真 10 寺のスピーカー付の鉄塔

写真 9 「この辺りまで土砂で埋まっ

た」とお寺の石塔を指す韓李來満さん

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9

の物置(倉庫)に置いてあっ

たが、物置(倉庫)は土砂で

埋まっていた(写真 10)。緊

張してマイクを使う事など考

えもしなかった。(普段は)『今

日は○○の日なのでお供え物

を用意してきて下さい』など

お寺からのお知らせの放送に

使われる」。

集団移転の話があるようだ

がどう思うかと聞くと、「土砂

に埋まった家の人は移転を希

望しているようだが、私はこ

の場所に 7 代も伝わった家に

住んでおり離れたくはない。

子供 3 人をかかえて、下の県

道わきの店を守っている。災

害から 5か月、軍隊などが 100

人くらいきて土砂を沢から取

り除いてくれたが、あとはご

覧のようにそのままになって

いる。流路を広げないといけ

ないのに狭いまま。軍の人は

100 人くらい来て、一生懸命

家の中を掃除してくれたりし

て助かった。次の台風、大雨、

夏が怖い。村民の意見が異な

っているので、村長は移転す

るか移転しないか判断しかね

ている。村長の移転に対する

意見は半分半分」。

被災した建物には、応急危

険度判定とみられる「災害後

危儉建築物緊急評估危儉標誌」

が貼られていた(写真 11)。ちなみに紙に「98 年 8 月 21 日」と書かれているが、これは民国紀

元で西暦 2009 年のこと。発災から 2 週間足らずで行われたことになる。

図 8 と 9 で被災前後の現地の変化状況を空から眺めると、流路の整備や崩壊斜面の復旧工事

は行われたが、集落はほとんど元のまま(壊れた家もそのまま)のようだ。

「国は山の上を細かく調べていなかった。いろいろ申請書を出したが、全然相手にしてくれ

なかった」と防災対策や復興支援には不満がある様子だった。

図 8 被災前の羌黄坑集落(出典:Google Earth 2005/02)

青山宮

県道

自宅

図 9 被災・復旧後の羌黄坑集落(出典:Google Earth 2013/09)

青山宮

県道

土石流

自宅

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10

3-1-2 高雄縣甲仙郷小林村五里路

規模の大きさから注目の的になった小林村の現場では、生存者が生

活しているとみられる尾根の家屋までたどり着くことができなかった。

復興工事中の道路状況がまだ険しく、調査団のワゴン車が急峻な坂を

上れなかった。近隣の村落で住民に話を聞くこととし、甲仙郷に戻り

かけた時、同じ小林村の別の集落(五里路五里埔)で孫と遊んでいる

女性に声をかけた。

女性の証言には、小林村で土砂災害が発生した時刻や生存世帯数な

ど細かい数値に少々記憶違いが含まれているよ

うだったが、本節では証言のとおりに記載し注

釈を付した。

② 陳秀容さん(女性・59 歳)

土砂災害で流された小林村に通じる県道わ

きの川寄りの家に住む。自宅前で話を聞いた(写

真 13)。

陳さんは「流失した小林村から 40 年前に今

の家に嫁いできた。今度の災害ではおじと 2 人

の甥が被災した。甥のうちの一人は川に流され

たが、下流で救助された。あとの二人はだめだ

った」。

当時の状況は、「8 月 7 日から雨だったが、い

つもどおりの雨だった。8 日はすごい雨。生ま

れて初めての激しさだった。9 日の午前 2 時ご

ろ、ウオーン、ウオーンというエンジンみたい

な大きな音がした。地面も少し揺れて地震かと

思った2。夜中は怖かったので行けなかったが、

朝 6 時 10 分ごろに歩いて行ってみると、村落が

もう見えなくなっていた。今は土砂に埋まって

いるが、そのときは水に浸かった状態だった。

被害を免れた 2 軒の家の人は道路を越えて後ろ

の山に逃げた。40 何人が助かった。橋が壊れて

救援も来ないし、情報もなかった。村長から避

難勧告も何の警告もなかった。その時は風が怖

かった。避難する必要はないし、待つしかなか

った」。

この集落も孤立したのだが、避難先が農家だ

ったので畑のバナナや飼っている鶏を食べて助

けを待ったという。「8 月 7 日に停電し、2 週間

2 調査で明らかになっている最も大規模な土砂災害発生時刻は、9 日午前 6 時頃。

写真 12 陳秀容さん

写真 14 小林村の集団移転計画がある陳さん

宅の斜め向かい

図 10 完成した小林社區(五里埔永久屋基地)

(出典:Google ストリートビュー)

写真 13 現地でのヒアリング調査の様子

2011/06

2013/12

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電気がなかった。プロパンガスもなくなった。台風の時は 2008 年もそうだしとくに危険を感じ

なかった。町に通じる県道は途中で橋が壊れて通れなくなっていたので、救助隊も軍隊が道路

を直しに来るまでは入れなかった。2 週間後、車を運転して、あちこち裏道を探し、台南市ま

で行って、自家発電機などを買ってきた。2 万 5 千元(日本円換算で 7 万 5 千円前後)もした。

行きも帰りも道路が通りにくく、非常に危険を感じたが必要だったので行った。4 日に 1 回く

らいは風呂にも入れるようになった。正確な日付は忘れてしまったが、私の記憶では、全国の

陸軍が集まって道を啓くことを最優先してやっていた。この道はどんどん崩落して危なっかし

かったが、どうしても必要だったから。その後は、全国から水や米などの救援物資が来て、庭

のある家に保管した。自宅の庭はボランティアの受付場所になった。小林村で助かった 70 何世

帯3はすぐそこの県道の山よりの一帯の畑地に越してくることになっている」(写真 14,図 10)。

避難の呼びかけなどはなかったのかと聞くと、「一度もなかった。もともと避難をしたこと

はなかったし、必要だとは思っていなかった。これまでに土砂災害には遭遇したことがなく、

避難するなどと考えたこともない。例年、台風が来て雨が降る。一晩降って、次の朝は晴れる。

停電していたのでテレビなどからの情報もなかった。政府からのメッセージはほかの方法で聞

けたのかもしれないが、聞いてもよく分からないと思って積極的には聞こうとしなかった」。

自宅裏の川の反対側の山の斜面が大きく崩壊しているのを指して、今度の台風で壊れたのか

と聞くと、そうだと言って「とても怖かった。でも、川からもここは離れているので被害はな

かった。崩壊が起きたのは、小林村の大崩壊が起きたあとのことだった」。

携帯電話の無線塔が見えたので、携帯電話は使えたのかと聞くと、「携帯電話は 8 日には使

えたが、そのあと使えなくなった。2 週間も

停電していた」とのことだった。

3-1-3 六龜郷新發村新開

次いで旗山溪から峠道を越えて東の荖農溪

へと移動した。こちらも荒廃が著しかった。

深い渓谷を見下ろすところで、コンクリート

橋がそっくりもぎ取られたように流失したと

ころに立ち、さらに数 100 メートル下流の橋

も流されて、架け替え工事がおこなわれてい

る個所を見下ろしていると、通りかかった老

人が話しかけてきた(写真 15,図 11, 12)。

③ 簡旺卿さん(男性・72 歳)

簡旺卿さんは、新發村の新開集落より手前

の集落の隣長さん(副村長に相当)だという。

この災害で親戚が 5 人亡くなり、自分の集落

でも 8 人が亡くなった。

3 生き残った村民は 45 名と報告されている。

写真 15 荖農溪の橋の流失現場

(上:流されたコンクリート橋桁

下:残されたコンクリート橋台)

Page 14: 2009 年台風第 8 号(Morakot)界記録並みだった。このため、南投縣、嘉義縣、台南縣、高雄縣、屏東縣、台東縣の広範囲に、 氾濫災害、土砂災害など極めて多数の災害が発生した。大規模で多様な被災態様が八八水災の

12

「8 月 8 日のことだった。新開集落はこの橋

の対岸の 3 つ目の尾根筋の向こう側にある集

落で、28 人が住んでいた。助かったのはその

うち 1 軒の家族だけ。その家では土木工事の

重機を運転する男性が、川沿いの工事現場で

働いていたが、周囲であちこち土砂崩れして

いる状況を見てもう危ないと判断し、家族と

一緒に避難したのだという。そのとき近所の

人にも逃げようと声をかけたが、逃げなかっ

た」という。

「 私 の 家

はこちら側の

山寄りにバイ

クで 2 分ほど

行ったところ

にあるが、土

砂が家の中ま

で入ってきて、

ひざ付近まで

浸かった。怖

かった。私の

家族は無事だ

ったが、近所

でも親せきの

家など 8 人が

亡くなった。

大雨で停電し、

警報は全く聞

いていない。

オーオーと男

の人が泣いて

いるような音

がした。もう

何百年もこん

なことはなか

った。1 週間、

台湾全国から

平均して毎日

500 人手伝い

にここに来て

いた。陸軍の

図 11 被災前の新開周辺(出典:Google Earth 2001/11)

図 12 被災後の新開周辺(出典:Google Earth 2011/10)

写真 16 簡旺卿さん

Page 15: 2009 年台風第 8 号(Morakot)界記録並みだった。このため、南投縣、嘉義縣、台南縣、高雄縣、屏東縣、台東縣の広範囲に、 氾濫災害、土砂災害など極めて多数の災害が発生した。大規模で多様な被災態様が八八水災の

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軍人も。まだ見つからない人もいるので。被

災者の数は、テレビ局に見えるようにそこに

ある看板に大きい字で書く。助けを求める意

味もある。現在死亡者数 32 人、もうすぐ 35

人になるだろう」。

③ 彭建成さん(男性・76 歳)

もう一人、バイクで通りかかり話に加わっ

た。小学校 4 年まで日本語を習ったと、少し

日本語を話すことができた。彭さんは壊れた

橋の対岸の山すそを向こうに回った原住民の

部落に住むという。

「8 月 8 日は停電していてテレビも見られ

なければ電話も使えなくなっていた。ウーウ

ーという風のような激しい音がひどくて、怖

かったので山に逃げた。逃げるきっかけは風

の音。危ないと思った。私は息子と二人暮ら

しだが、息子は仕事に出かけていて無事だっ

た。近所の人たち 18 人も一緒に逃げた。逃げ

るときには怖いとは思わなかったが、時間が

経つにつれて怖くなった。山の中では水が流

れてこない場所、崩れてこないような場所を

探して移動していた。他にも何グループか避

難し、全部で 200 人くらい避難した。しかし

周囲で 18 人が亡くなった」。

二人はなんとかいうお寺(おそらく太子宮)

で 5 ヶ月間精進料理ばかりの避難生活を送っ

ていたが、つい 2,3 日前に自宅に戻ったばか

りだという。停電は 5 ヶ月間続いた。電気が

来て 3 日目。新開からはほかにも 2,000 人く

らいが一緒に避難していたそうだ。

翌日の台中での調査に備え、足早に高雄へ

と戻った。道中は、激しい河岸浸食により建

物や道路がいたるところで破壊された光景が

続いていた(写真 18,19)。平野部に近づく

と一気に河幅が広がり、あたり一面、荒涼と

した灰褐色の土石に覆われていた。左營駅に

発車 10 分余前にすべり込み、18:06 発の台灣

高速鐵路(台湾新幹線)へ乗りこんだ(写真

20)。車内は日本と変わらない日常だった。

写真 17 彭建成さん

写真 18 荖農溪の河岸浸食による倒壊建物

写真 19 荖農溪の河岸浸食による隧道流失

写真 20 台灣高速鐵路で一路左營駅から台中へ

Page 16: 2009 年台風第 8 号(Morakot)界記録並みだった。このため、南投縣、嘉義縣、台南縣、高雄縣、屏東縣、台東縣の広範囲に、 氾濫災害、土砂災害など極めて多数の災害が発生した。大規模で多様な被災態様が八八水災の

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3-1-4 住民ヒアリング結果のまとめ

【緊急性の認識と対応行動】

・ 8 月 7 日までは通常の雨の降り方と認識。8 日の降り方から危機感を抱き始め「飛行機が

降りるときのような轟音」「エンジンのような音」「怖いくらいの風の音」「地震のような

揺れ」など五感でただならぬ気配をキャッチし、様子を見に出て緊急事態を察知した。

・ 「隣家の壁に穴が空き、沢いっぱいに水と石」「川沿いの土砂崩れ」などを目撃すること

が、避難行動の直接のきっかけとなった。

・ 過去に避難が必要なほどの災害を経験したことはなかった。

・ 避難する際には近隣への声かけを行い、一緒に行動した。

【災害情報の認識】

・ 行政からの警戒情報は 4 人のうち 3 人には届いていなかった。届いていた 1 人も「避難

の必要のない警戒度の低い警報だった」と証言。

・ テレビでの避難の呼びかけはなく、災害の事前情報は全くなかった。

・ 災害情報提供の仕組みについての知識はなかった。

・ 8 日には停電しテレビが見られない状況に陥った。携帯電話も使えなくなった。しかし、

ラジオを活用して情報を積極的に入手しようとする行動は見られなかった。

親戚が犠牲になるという苛烈な経験をした方もいたが、住民の皆さんは災害について例外な

く詳細に証言してくれたため、当時の住民の災害に対する認識、心理状況、そして行動などに

ついてかなり把握することができた。共通点をまとめると、以下のとおりとなる。

・ 8 号台風が特別大きな台風とは認識していなかった。例年どおりの台風と受け止めていた。

・ そのため、避難の必要があると認識していなかった。

・ 恐ろしい音を聞いたり、目の前で沢が崩れてくるのを見たりしたことが、避難の直接の

きっかけとなった。

・ 避難するよう声をかけても、避難しない住民もいた。

・ 「危ない」と実感した住民は、隣近所連れだって避難した。

・ マスメディアなどから災害に関する事前情報(注意喚起や避難勧告など)の提供はなか

った。

・ 行政からの事前情報の提供はなかった。入手方法も周知されていなかった。

・ 長期にわたり停電している地区が多く、災害発生前も発生後もマスメディアからの情報

入手は困難だった。

・ 避難先が決まっている村落もあったが、山あいに近い村落では、刻々と変わる災害態様

に対して逃げ惑った。

・ 復旧・復興に関して行政からの十分な情報提供はなされていなかった。行政の方針と住

民感情の間に大きなギャップがあった。

なお、本稿では触れないが、台湾の被災地の住宅をはじめとする復旧・復興への取り組みは

ユニークで注目に値する。現地で入手した「行政院莫拉克颱風 災後重建推動委員會 説明資料」

を翻訳し、参考までに掲載した。 → http://www.jasdis.gr.jp/06chousa/3rd/s2_reconstruction.pdf

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第2節 行政

3-2-1 經濟部水利署(台中)

2010 年 2 月 8 日(月)9:00~13:00、台中市にある經濟

部水利署を往訪し、蔡義發副総行程司、王藝峰(防災中

心簡任正行程司兼)主任から話を聞いた(写真 21,22)。

はじめに蔡さんから「日本も気象条件が似て同じよう

な災害経験があり、交流できることを期待している。去

年 8 月の状況は、実際に目で確かめられたと思う。これ

からも繰り返されよう。警報システムの整備、対策をき

ちんとしていきたい。各地方の防災避難システムの確立、

浸透を図りたい。日本の貴重な経験も聞かせてほしい」

とのあいさつがあった。

続いて王さんから、台湾中央政府の水害発生時の警報

システムについて説明があった。住民への情報伝達およ

び行動への結び付けの重要性については十分認識されて

おり、主に洪水で 3 種類と土砂災害の預警報システムを

構築していた。

(1) 警戒水位方式

水利署が管轄する 25の渓流毎に 3段階の警戒水位を設

け、警戒避難情報が発表されている(図 13)。伝達され

る情報は、浸水エリア、警戒水位、ダムの放流、浸水警

報など。警戒水位は 3 級(「警戒水位」=高灘地まで 2

時間)、2 級(「救援待機」=堤頂まで 5 時間)、1 級(「緊

急避難」=堤頂まで 2 時間)の 3 段階で、信頼性が高い。

警戒水位に関する情報は、従来は専門家向けに提供して

いたが、一般の人もインターネットで見られるようにし

た。多くの人が閲覧しており、不具合があると苦情の電

話が殺到する。関心が高いのは、毎年のように台風が襲

来し、水害が身近な災害なためだという。

(2) 浸水警戒値方式

運用開始から日が浅く信頼性はまだ不十分。降雨予想

と過去の水害経験を勘案して発表されるが、行政区が広

いため誤差も生じやすい。屏東縣林邊郷の水害では、4

時間前に水災預警報が発表された。この地域は地盤沈下

と、泥で河床が上昇していたことで、大規模な氾濫が発

生した。小林村では 8 月 7 日 21 時 30 分に水災預警報が

発表されておりタイミングは間に合っていたが、被害を

もたらした災害が洪水ではなく土砂災害だった。結果的

写真 21 經濟部水利署のビル

図 13 警戒水位を用いた水災預警図

(淡水河の例)

写真 22 經濟部水利署でのレクチャ

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に住民の警戒心を喚起す

るに至らなかった。

この予測情報は県や

村に伝えられていたが、

住民への伝達責務を持つ

郷長(村長など)に重視

されなかったという(図

14,15)。雨の降り方もこ

こまでひどくなるとは予

想しきれなかった。

なお、消防省では村長

にまで衛星携帯電話を設

備していたが、台風第 8

号では緊急連絡できなか

った。普段使わないから

使い方が分からなかった

り、バッテリーがあがっていたりしていた。高い予算で用意したものが役立たなかった。

今後の対策としては、洪水ボランティア(現地状況を報告)を募る、行政や住民に伝える仕

組みを整備する(電話や携帯など)、警報の信頼性を高めることなどが検討されている。

(3) 洪水予報システム

気候法による平均降雨予報、各地の降雨強度の分布状況や累積降雨予報などから 6 時間後の

各地の河川水位を計算するシステム。しかし、山地の多い台湾では降雨が海に到達する時間は

3~4 時間となっており、シミュレーションに時間がかかることが弱点となっている。

(4)土砂災害警戒システム

これらの水害情報システムとは別に、農業委員会水土保持局が管轄する土砂災害警戒システ

ムがある。土砂災害の可能性として、黄ライン、赤ラインの 2 種類の警戒レベルが設定され、

警戒値に達すると水害情報と同様の方法で各地方に連絡される。土砂災害は人命に関わるため、

郷・里長の他に専門の連絡員も置いて市民へ伝達している。市民の警戒心も高く、予測の精度

はあまり高くないが水害と異なり避難行動に結びつきやすいという。

台湾では 3 年前から大雨に関する警報は、①大雨特報(24 時間累積雨量が 50 ㎜以上かつ 1

時間 15 ㎜以上)、②豪雨特報(24 時間雨量が 130 ㎜以上)、③大豪雨特報(24 時間雨量が 200

㎜以上)、④超大豪雨特報(24 時間雨量が 350 ㎜以上)の 4 段階があり、今回も超大豪雨が出

図 14 水災預警報の流れ

図 15 水災預警報の全容

Page 19: 2009 年台風第 8 号(Morakot)界記録並みだった。このため、南投縣、嘉義縣、台南縣、高雄縣、屏東縣、台東縣の広範囲に、 氾濫災害、土砂災害など極めて多数の災害が発生した。大規模で多様な被災態様が八八水災の

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ていた。一方台風については、①輕度颱風(997~984hpa)、②中度颱風(976~954hpa)、③強

烈颱風(941~858hpa)の 3 段階があり、今回は中度だった。

最後に蔡さんから補足された。

「8 月 12 日は水不足対策会議の予定だったが、水害対策に変わった。近年世界的に気候変動

が進み、台風被害を省みて水利施設の保護が必要だ。ほとんど川の開発整備は終わっていて、

堤防のかさ上げも難しい。レベルをどう高めるかが難しい。流域全体を展望し、上流に一時的

な貯水施設を考えていきたい。国民に理解してもらうことが大切。山の川沿いに道路の開発や

農地の開発をする場合には、こうしたことを考えてい

かないといけない。浸水警報システムなどソフト対策

が大切。大事なのは住民の警戒心を高めること。台南

と一緒に訓練をやったが、緊急避難に軍隊の支援、ヘ

リを活用し、早めにどういう経路で避難するかなど、

住民が実感した。川の整備(6500 万㎥)は年内に完成

しないといけないので急いでいる」。

3-2-2 淡水河防災指揮センター(經濟部

水利署第十河川局)(板橋)

同じ日の午後、台北市に近い板橋市にある淡水河防

災指揮センターを往訪し、台湾河川局の水害警戒体制

について解説してもらった(写真 24)。説明にあたっ

た李鴻源氏は、日本語を交えながら分かりやすく説明

してくれた。

このセンターは台北市街を流れる淡水河を管轄し

ているが、水利署本省で説明を受けた「警戒水位方式」

の Flood Mitigation Center のひとつだ(写真 25)。河川

に何カ所も設置されたリアルタイムモニターによって

常に水位を監視しており、警戒水位に達するとあらか

じめ定められた業務分掌にしたがって情報伝達され、

緊急対応がしかれるようになっていた。しくみは我が

国によく似ており、明快でシステマティックなものだ

った。全国の主な水系に、担当の河川局が計 10 箇所設

置されている。

災害から難を逃れるためには、こうしたリアルタイ

ム情報の推移をキャッチして、身に迫るリスクを正し

く把握するとともに、自分たちの住んでいる場所が洪

水や土砂災害の起きやすい場所だと知っていることが

大切だ。もちろんどんな場所が安全かも知っていない

といけない。そうした平常時の情報の役割がとても大

切だと改めて痛感した。

写真 24 防災指揮センター入口

写真 23 李鴻源さん

写真 25 防災指揮センター内部

写真 26 中央気象局とのオンライン

モニター画面

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第3節 マスメディア

3-3-1 NHK台北支局(台北)

2010 年 2 月 8 日(月)17:30~、台北市の TVBS 放送局 8 階にある

NHK 台北支局に藤田正洋支局長を訪ね、台風第 8 号災害の報道につい

て聞いた(写真 28)。赴任して 1 年半の藤田支局長は、台風第 8 号関

連資料と政府の中央災害対策本部のホームページからとった当時の発

表資料を用意して、説明してくれた。

(1) 台風の一般的特徴と台風慣れ

藤田氏が 2008 年 6 月下旬に赴任した後、台湾に上

陸した台風は 3 回あり、台湾における台風の特徴は次

のようだという。

① 進路の予測がつきにくい。長時間停滞することも。

② 暴風域を脱してからも大雨が続く。

③ 玉山(標高 3,952m)に代表されるように高い山が

多く国土面積が狭いため、河川の増水が著しく、

流れが非常に速い。

①は「北のほうの気圧の関係や、おそらくジェット

気流の関係で、台湾に来た台風はなかなか抜けない。1 回入るとねじを巻くような感じで、上

陸して 24 時間くらい停滞したり、どっちに曲がるかわからず予想がつきにくい。第 8 号のあと

にもう一つ来そうな台風があったが、台湾南部まで近づいたかと思うと南のほうへ折れ、結局

フィリピンとベトナムの間に抜けて行った。日本と台湾と CNN などでやっている進路予想が、

直前までどっちに曲がるか違い、すごく予測が難しいと感じた」という。

一方、台風に対する人々の反応は「台風が来ることにあまりにも慣れすぎていて、“いつも

のことだから”という反応が多いように感じる。報道の上でも、対応の上でも同じような感じ

の反応が多い。たとえば、来たら例年 20~30 人の方が亡くなったり行方不明になったりするが、

“それぐらいは当たり前”という感触で受け取っている。たとえば、昨日(2 月 7 日午後 3 時

過ぎ)も、東海岸の花蓮沖でマグニチュード 6.3 の地震があった。ちょうどフィリピンプレー

トとユーラシアプレートの重なるところで、しょっちゅう大きな地震が起きる。日本の気象庁

は宮古島あたりに津波注意報を出したが、こちらの気象局に問い合わせても「いや津波はあり

ません」と断言された。おそらく過去の経験からして津波ができにくい場所なのだろうが「は

い、ありません」のひとこと。現地の警察とか消防とかに聞いても「いや、何も被害はないよ」

という反応だった。そういうことに慣れっこになっているのかなと思う。去年 8 月の大きな台

風災害でもそれが裏目に出たと言うか、ある意味“毎年来るような台風かな”という反応をし

たようだ」という。

(2) 遅れた大被害の情報

台風第 8 号では山岳地域の土砂災害の被害が大きかったが、はじめは風と洪水の情報が入っ

てくるのみだった。8 月 7 日は、東海岸に接近中の段階で台湾北東部の基隆に取材に行ったが、

非常に強い風雨と高波だった。8 日午前 0 時前に台風が上陸し、午後には台湾を通過した。台

写真 28 NHK 台北支局ヒアリング

写真 27 藤田正洋さん

Page 21: 2009 年台風第 8 号(Morakot)界記録並みだった。このため、南投縣、嘉義縣、台南縣、高雄縣、屏東縣、台東縣の広範囲に、 氾濫災害、土砂災害など極めて多数の災害が発生した。大規模で多様な被災態様が八八水災の

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北市内ではほとんど雨は降らず強風のみだ

った。街路樹が倒れていたため“風台風”

かと思った。南部は大雨だということで、

当初は南部の海岸付近での洪水被害が目立

っていた(図 17)。

9 日朝に小林村は被災したが、午後に「土

砂災害発生か」という情報があり、夜の段

階で地元紙は“早朝、高雄縣甲仙郷小林村

で土石流か”とか“小林村で 1,000 人行方

不明”などと伝えた(図 16)。「家族と連絡

を取ろうとしても取れない」という話も聞

かれるようになった。小林村の人口は戸籍

上 1,333 人だが、戸籍を置いたまま都会へ

出て行った人も多く、日本の住民票のよう

なものがないため、現在そこに誰がどれく

らいいたかわからなかった。被害状況を確

認しようと中央や現地の災害対策本部に問

い合わせても「現地に入れないため何人不

明か実際はわからない」という返事だった。

このため日本向けのニュースでは“大規模

な土砂災害で多数の人が巻き込まれる被害

が出ているという情報もある”と控え目に

伝えた。

これは、

台湾の報

道は大げ

さに扱う

ことがあ

り、一回

何人と書

くと死者

の数など

が増えた

り減った

りしてニ

ュースの

信ぴょう

性を問わ

れかねな

いので慎

重になっ図17 屏東縣林邊郷の浸水被害状況(出典:經濟部水利署資料)

図 16 小林村など山間部の被害報道

Page 22: 2009 年台風第 8 号(Morakot)界記録並みだった。このため、南投縣、嘉義縣、台南縣、高雄縣、屏東縣、台東縣の広範囲に、 氾濫災害、土砂災害など極めて多数の災害が発生した。大規模で多様な被災態様が八八水災の

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た。さらに 8 月 8 日は台湾の「父の日(爺々節)」で、村外に出ている人も帰省していたため、

よけい正確な人数がわからず、公式情報に頼るしかなかったという。

10 日になり、午前 9 時頃受け取った中央の災害対策本部の午前 8 時現在の被害状況で、初め

て“100 人程度が生き埋めになっているおそれがある”と出て、その後、死者や救出した人の

数などが、災害対策本部から何度か断片的に発表された。10 日午後 8 時現在の発表でも“午後

6 時に 61 人救出、小林村(おそらく五里埔)で約 150 人無事”という程度だった。

11 日には国防部からの発表と食い違いが出始めた。災害対策本部と国防部の両方に救出状況

について問い合わせても、両者で情報共有していないようだった。そもそも日本と違い発表時

間も決まっておらず不定期、問い合わせても「わからない」という返答が多かった。

12 日午後になり、3 つのテレビ局が現地で取材した土石流の映像を放送し始めた。陸路で現

地に入り中継車のところまで取材テープを持ち帰って映像を送ってきた。これにより初めて言

われていたことが本当だと明らかになった。行政の発表がもたもたしているなか、テレビ報道

が先行し、その後、国民の批判を起こした。

14 日の災害対策本部の発表で“道は通ったが救出に向かっている途中、不明者については高

雄縣で調査中”との情報を最後に、公式発表はなくなった。

軍も出足が遅れたと批判されたが、初期の頃から救助のためにヘリを出していたようだ。し

かし、消防や警察が被害をまとめて中央に上げるシステムがないようだった。高雄縣にも中央

にも直接電話取材したが、地方のほうがまだわかっているようだった。もっとも“小林村の中

のことは、入れないからわかりません”という返事でほとんどわからなかった。そのような状

況が数日続いた。

(3) 台風時の被害情報収集の困難さと情報集約体制の不備

台湾では、マスコミがヘリコプターで自由に取材できないようで、保有しているところがな

い。取材は軍のヘリに載せてもらうのが普通だ。

小林村がどうなっているのか、何人いたのかもわ

からない状態が続いた。日本では「わからない」

で放置されることなどあり得ないが、高雄縣の消

防本部の責任者などに直接問い合わせても、本当

にどうなっているのか、映像で明らかになるまで

誰も自信を持って言えない状況だった。映像は、

啓開した道まで中継車が入り、その先は徒歩で入

り、撮って戻って来て、衛星中継車から送って伝

えた。途中、被災地から下りてきた人のインタビ

ューを取ったりしながら、登っていったようだ。

(4) 熱心でなかった警戒呼びかけ

台湾には 7 つのニュース専門チャンネルがあり、

台風襲来時には終夜放送をしていた(写真 29)。

消防などが台風について警戒を呼び掛ける制度は

あるが、警戒情報のようなものは少なくとも積極

的に報道されず、そういう情報には気付かなかっ

た。メインは洪水などの被害情報だった。 写真 30 NHK 台北支局・TVBS のビル前で

写真 29 他局番組のモニター画面

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3-3-2 TVBS(台湾衛星放送)(台北)

2010 年 2 月 9 日(火)9:30~、台湾の大手テレビ

局 TVBS の陳亮副総監(無線衛星電子台新聞部)か

ら話をうかがった。

(1) 困難だった被災地の特定

小林村に初めて入った時の状況について尋ねると、

「地震のときには行政より早く現場取材に入れたが、

今回の台風は行政の方が先に入った(被害状況が常

に変わっていて、被災地を特定するのが困難だった)。

村全体がなくなっていると聞き、

救助隊について入っていった。報

道は自分たちが入ったのが最初だ

った。現場に着いた記者は小林村

に行ったことがなく、元はどんな

村だったかイメージになかった。

だから現場に着いたときには、た

だ“人がいない”というのが第一

印象だった。小林村については村

外に住んでいる村人から連絡が取

れないなど、災害に巻き込まれた

のではないかという情報はすぐに

入っていた。だが、それを確認す

る手だてがなかった(被災者たち

は結構大げさに状況を述べる傾向

がある)ので、報道には慎重を期

した。8 月 10 日の新聞に軍が撮影

した写真が載ったが、どこを撮影

したのかわからなかった。また 8

月 8 日は台湾の“父の日”で、い

つもは年寄と子供ばかりなのに、

日頃出稼ぎに行っている人も帰っ

てきていて、人が増えていたこと

もあった」という。

(2) 災害時のテレビ局への通報

情報

陳氏は図 18,19 のマニュアル

を配って、今回の台風の後で若干

の見直しを混じえて紙に書いたも

のだと説明してくれた。取材や映 図 18 災害後に見直された TVBS の災害情報伝達フロー

写真 31 陳亮さん(中央)

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像の流れと情報の流れ、それに作業の流れ

が記されている。

取材は電話取材が基本で、補助的にメー

ルの取材を行う。図 18 は、視聴者からの電

話通報の扱いについてのペーパーだ。災害

時、消防や警察に電話してもなかなかつな

がらず、テレビ局に助けを求める電話がた

くさんかかってきた。左列がそういう通報

を受けた際の流れだ。また、もともと視聴

者が電話をかけてくる参加型番組(call-in

と呼ばれている)のシステムも活用され、

その場合が右列に書かれている。

災害対策本部もニュース番組を録画して

情報をチェックしていたようだが、あちこ

ちで被害があったため追いつかなくなった。

今回のマニュアルでは、このようにして入

ってきた情報をさらに政府に伝える仕組み

まで含んでいる。きっかけは、他のテレビ

局のアルバイトが『自分のテレビ局では受

けつけた救援を求める情報をそのまま捨て

ていた』と自身のブログに書き問題になっ

たからだという。

また、今回の災害で初めて作ったしくみ

として、視聴者から映像の投稿情報を受け

付けるウェブサイトがある(図 19)。今回、

一般の人が携帯電話などで撮影した映像が

続々と入ってきたので、受付の専用サイト

を設け、担当者を置いて、被災地の中から

の映像の投稿などの情報を受け付けた。

(3) 警戒を促す放送について

8 月 8 日の台風上陸の時点でテレビ局は

視聴者に注意を促すような放送をしたのか

尋ねたところ、「“○○川の流域に避難勧告

が出た”といった放送はしているが、台湾

の人は避難勧告にはなかなか従おうとしな

い。自分の家が一番だと思っている。警戒

のなさは住民だけではなく、メディアや政

府も同様だった。台風に慣れている上、当

初はこんな被害になるとは全然思っていなかった。気象局は常に降雨量を調整していたが、さ

すがにこんな大きな被害になるとは思っていなかった」とのことだった。

TVBS災害情報の通報(撮影班)

オンラインアップロード画面

①:ニューステロップで災害状況を知らせる

メールアドレス:XXXXX@tvbscomtw

②:ニューステロップで災害状況を知らせる

メールアドレス:ファイル受信後

1.フィルタリングを行って、災害状況を確認し、無関係な内容を取り除く

2.中央災害緊急対応センターに転送する

[email protected] ○科長XXXXXXXXX)

③:ニューステロップで災害状況を知らせる

1.ファイルを送信した人に対してすでに受信し、センターに転送したことを知らせる。

2.必要があればニュース画面に使用し、出所を明記する。

1. 一般の人々が自ら撮影する可能性を考え、副総監以上のレベルの責任者の決定により、ニュース画面の中にネットワークのアップロード先アドレスを映し出し、情報の供給源の一つとする。

2. 撮影班のスタッフが順番に当番となり、定時に一般からのアップロード状況をチェックする。

図 19 TVBS の災害時作業標準

写真 32 NHK 台北支局・TVBS のビルで

Page 25: 2009 年台風第 8 号(Morakot)界記録並みだった。このため、南投縣、嘉義縣、台南縣、高雄縣、屏東縣、台東縣の広範囲に、 氾濫災害、土砂災害など極めて多数の災害が発生した。大規模で多様な被災態様が八八水災の

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第4節 砂防専門家

3-4-1 王文能博士

2010 年 2 月 9 日(火)12:00~、台北桃園空港で

王文能博士(中華防災学会理事、自然資源保育技術

服務基金会理事)から話をうかがった(写真 33)。

氏の専門は地質学。筑波大、東京農工大に留学経験

がある。京都大学林先生から紹介を受け、ヒアリン

グに応じてくれた。

「台湾は、真ん中より少し東海岸寄りに南北に断層が走っており、新開の崩壊があった荖農

溪はその断層そのもの。断層を境に、東半分は粘板岩と片岩からなる。西半分のうち、小林村

のある一帯は砂岩と頁岩(泥岩)の互層になっており、典型的な地すべり地層。頁岩はやわら

かく、空気にさらされると水分が抜けてボロボロに壊れる。粒子が細かく水が浸透しにくいが、

雨が降るとねばねばになって滑りやすくなる」。現場で見かけて黒っぽい岩石は、いかにも空気

に触れてもろくなった様子で、地面に打ち付けるとすぐに壊れてボロボロになった。

60~80m と非常に深いところから崩壊しているのはなぜか?と質問すると、「京都大学の千

良木先生のレポートに詳しいが、崩れる前の航空写真を見ると、崩壊した部分の上の方はかつ

てすべったことがある地すべり地形。15~17 度の緩傾斜をなし、崩積土や風化層と基盤岩の間

に泥岩があり、降った雨水が泥岩層で遮断され、そのため傾斜方向に大きく崩壊した。縦断面

は砂岩と泥岩の互層が東から西へと傾斜していて、流れ盤(地層の傾斜が斜面と同じ方向に傾

いていること)をなし、マスですべりやすい。1999 年の集集地震の跡もそうだった」。

歴史上も大規模な崩壊があったか?と尋ねると、「梅山の近くにある草嶺では、5 回の大規模

崩壊があった。うち 3 回は雨で 2 回は地震による。集集地震で幅 500m×長さ 1km の大規模崩

壊を起こした九份二山では、50 人くらいが死亡し、200 頭のシカも死んだ」。

土砂災害にもイエローやレッドなどの警報システムがあると聞くが?と質問したところ、

「警報を出しても台湾の人は逃げない。何十年も住んでいて何もなかったし、何より自分の家

が一番いいと思っているから。空振りに対する批判も日本より強い。それに風水を信じる傾向

も強い。つまり、台湾人が風水上好む居住場所の形(「肘付き椅子」の形)が地すべりしやすい

地形だという問題もある」。

政府の対応などについての批判が大きかったと聞くがどう思うか?と尋ねると、「これまで

経験したことのない雨量だったので仕方なかった。土砂災害の警報システムは水土保持局が担

当しているが、制度自体は悪くない。むしろ私はメディアが一番悪かったと思う。被災状況を

報道して国を批判するのだが、住民の批判が妥当かどうかを十分検証していないのではないか。

小林村の災害の場合も“上流の工事によって崩壊が起きた”と一部メディアが伝えたが、これは

間違いだ。この記事を読んで私は怒りを感じた。工事をしたところが 5km も離れているのに、

なぜ小林村が影響を受けるのか?工事が関係あるのなら 5km の間にも他に崩壊があったはず。

集集地震以来、災害に遭ったら国に補償してもらおうという考えが広がった。集集地震の時は、

総統選挙の時でもあったので 1 人 200 万元もらえた。日本と違って、自然災害は台湾では国の

補償対象にはならないのに。移転に反対するのも補償がほしいためではないか。もっとも移転

してしまうと生活基盤がなくなるため、移転が難しいというのはよく理解できるが」。

写真 33 台北桃園空港で昼食をとりな

がら王文能博士から聞取り

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第4章 考察

第1節 調査から明らかになった災害情報伝達上の課題

4-1-1 災害情報は伝わったか

台湾では、水害・土砂災害ともにリアルタイム

モニター、多層的な伝達手段を伴う警戒情報シス

テムが整備されていた(写真 34)。2009 年台風第

8 号でも、行政からの警戒情報は発表されたが、

情報を媒介するマスメディアや地域社会のリーダ

ーなどの判断、発信手段(主にインターネットと

電話)の途絶や普及不足、さらには住民の情報取

得行動の不足などにより、現場の住民に十分に行

き届かなかった。その上、発災後の孤立、現地情

報途絶が、救助・救援活動の遅れに輪をかけた。

ちなみに台湾では地上波放送はあまり普及してお

らず、ほとんどの人がケーブルでテレビを見てい

る。小林村周辺の集落の素朴なたたずまいを見る

につけ、ICT を駆使した手法が果たしてふさわし

いのかという疑問もわいた。停電問題もあり、地

方山間部への確実な災害情報収集・伝達は容易で

はない。

4-1-2 災害情報に何ができるか

小林村では、最初の土石流で橋が流出する前に

ほかの集落に避難していなければ、助かる見込み

は薄かった。災害の渦中にあってそれを予見する

ことはほぼ不可能だった。しかし情報が確実に届

いていれば、あるいは事前に何らかの備えがあれ

ば、別のシナリオは成立しなかっただろうか?土

砂災害の発生は正確に予測することが困難で、情

報だけでは住民が行動に移さない傾向があること

は我が国にもあてはまる。それを踏まえた上で、

災害情報に何ができるのかについて考察した。

① 自然現象の予知予測の限界を知って対応する

中央気象局は台風の進路予想や大雨の予測を的

確にできず、警報システムも十分な効果を発揮し

なかった。技術的な限界があることを踏まえたい。

写真 34 防災指揮センターの洪水監視観測

情報の例

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② 山間部での情報孤立に備える

今回、発災は長時間かつ広域に及び、停電、通信断、道路や橋も各所で寸断され孤立し、上

下方向ともに情報伝達が著しく遅れ、災害情報の把握や救援活動に大きな妨げとなった。これ

らの教訓を踏まえた用意(リダンダンシー)が求められる。

③ 災害情報の伝達に介在するバイアスを極力無くす

情報に人の判断が入るほど歪曲したり過小化されたりする恐れが増す。また緊急時には情報

伝達にかかるタイムラグを極力なくすことが望ましい。行政からの警戒情報ができるだけ一次

情報に近い形で入手できるような情報チャネル(ラジオなど)を整備し、日頃から生活に密着

したコンテンツを流すなどして住民に使い慣れておいてもらうことが必要ではないか。台湾で

は、停電対策としてもラジオ活用促進の必要性が高いと感じた。

④ 居住地の土砂災害リスクについて十分周知する

台湾の人は風水思想から、住まいとして三方を山に囲まれた地形を好む。こうした文化的価

値観は容易に変えられないが、地質や地形、過去の地すべり歴などからその土地の土砂災害リ

スクをある程度予測することが可能だ。我が国ではすでに行われているが、居住地の土砂災害

リスクについて事前教育をより徹底して行い、危険性に対する認識を深めておくことが欠かせ

ない。

⑤ 土砂災害からの危険回避行動について周知する

土石流危険渓流を渡らない、沢沿いに避難しない、がけ崩れの危険のある道路を利用しない

など、土砂災害から身を守るセオリーがいくつかある。居住地から避難所までの経路を確認し、

臨機応変に危険回避行動を取れるよう基本行動の理解を深めておく必要がある。小林村で助か

った人のように行動することは難しいが、事前情報として周知できることはしておくに越した

ことはない。

⑥ 集団で避難する仕組みを作っておく

危険を目の当たりにしないと避難の判断はなかなかできないが、避難行動を起こすきっかけ

として、近隣の声かけが有効だとわかっている。近隣の人との連絡の取り方、避難するための

組織などを意識的に整備し、地域のコミュニケーションを強化しておくことが望まれる。

⑦ 早期に被災状況を把握できる仕組みを作っておく

災害発生後に情報孤立地帯を生じないよう、行政・地域住民・マスメディア・NGO などさま

ざまな主体が連携して、被災状況の早期把握や救援等の情報体制を確立しておきたい。また被

災者と救援者をメディアが取り持つ可能性も示唆されたが、それには非常時にも機能する情報

機器の配備なども考えておかなければならないだろう。

地球規模の気候変動による台風の大型化、局所的集中豪雨の増加が懸念されている。我が国

でも全国的に巨大な崩壊(深層崩壊)リスクが偏在していることが明らかになり、他人事では

なくなっている。具体的な災害シナリオを描き、災害プロセスをイメージできるような啓発が

いっそう必要だ。一方で、莫拉克台風の甚大な傷跡は、意外にも改めて基本に立ち返った災害

情報の活用、人間に本来備わった生きる力、そして地域社会のつながりの重要さを教示してい

よう。

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第2節 結び

2009 年 8 月の台風第 8 号で、台湾では大規模な土砂災害が発生し、多くの住民が犠牲になっ

たが、政府の対応が遅いと批判が集まり、内閣にあたる行政院の閣僚が総辞職をする事態に発

展した。日本災害情報学会「デジタル放送研究会」は、この未曾有の災害に対して、災害情報

はどのように機能したのか?住民の反応や行動はどうだったのか?その実態を探るべく、災害

発生からちょうど半年たった 2010 年 2 月に現地調査を行った。

被災地からの災害初期の情報はどのようにして入ってきたのだろうか?われわれはそこが

一番知りたかった。現地の新聞が当初から伝えていたように、街へ通じる県道の橋が何か所も

流されたり、道路が土砂崩れで埋まったりしている中を逃れてきた人たちが、人づてに伝えて

きたのが最初の情報だったようだが、詳細までは確認できなかった。悪天候の中、偵察に向か

った軍のヘリコプターが墜落して乗員が死亡する事故まで起きていた。地上からは、道路を直

したり、仮設の橋を架けたりしながらでないと近づけなかったという。現地の状況が確認でき

ないまま、孤立した被災地への軍隊の派遣が遅れたのも政府への批判につながったようだ。

われわれは助かった人に何人か話を聞くことができた。助かった人たちは斜面の崩壊が起き

始めているのに早めに気づいて避難をしたということだった。小林村もそうだったが、過去に

崩壊した土砂の上や洪水で堆積した土砂の上に人の住む集落ができているところが多い。した

がって、土砂災害から逃れるには、まず、自分たちの住んでいる場所が土砂災害や洪水の起き

やすい場所だと知っていることが大切だ。

残念ながら 2009 年の台風第 8 号では、小林村の住民たちの多くは、洪水を警戒して避難場

所に指定されていた小学校に避難をしていたのに、その建物ごと大規模な崩壊に巻き込まれ、

押し流されてしまったようだ。通常に起きる洪水の被害を考えれば、小学校の建物は十分高い

場所に建っていたし、建物も鉄筋コンクリートで地元では一番頼りになる建物だったという。

助かった人たちはたまたま小学校から遠かったからといった理由で、ほかの場所に避難してい

た人たちであり、いつもそのようにすれば大丈夫という方法ではないように思える。また今回

崩壊した山の斜面は、これまでの大雨では崩壊したことがなく、まったく警戒の対象になって

いなかった。

このように台湾の災害は“想定外の災害からどうすれば逃れることができるか”という大変

難しい課題を提起している。地球温暖化にともなって、最近日本でも雨の降り方が激しくなっ

てきており、台湾で起きたような過去の想定を超えるような大規模な災害が、決して他人事で

は済まされないという思いを新たにした。

余談ながら、日本統治下の台湾で灌漑水利事業を行い、身命を賭して地元の発展に尽くした

八田與一技師の功績などにより、古くから現地に住まわれている人びとの間では、親日派が多

かった。

最後に、快く調査にご協力いただいた

少なからぬ皆様に対し、心から感謝の意

を表します。

また、研究助成をいただいた(財)放送

文化基金に、改めて御礼申し上げます。

写真 35 車窓から見た平野部に広がる田園風景