Upload
others
View
0
Download
0
Embed Size (px)
Citation preview
1
平成27年度サッポロスマイルトーク第2回
「語ろう!札幌の冬のスポーツ」会議録
【開会冒頭】
○司会(山本) お待たせいたしました。
これより、サッポロスマイルトーク「語ろう!札幌の冬のス
ポーツ」を開催いたします。
本日、司会を務めさせていただきます、北海道教育大学岩見
沢校の山本と申します。よろしくお願いします。
それでは、サッポロスマイルトークの開催趣旨と本日の次第
についてご説明をさせていただきます。
開催趣旨としましては、ここオーロラプラザのような開放的
な場を会場にして、対話者の皆様と市長との対話を多くの方々
にご覧になっていただき、また、皆様からのご質問をお受けし
<山本 理人さん> て活発なトークをしたいというものです。本日は、第2回とし
て、「冬のスポーツ」をテーマに開催いたします。
本日の次第は、対話者の自己紹介に始まり、秋元市長からのご挨拶、それから、私から
簡単に今の札幌のウインタースポーツの現状についてお話をさせていただき、その後で、
皆さんで対話を進めていきたいと思っています。対話の終盤には、ご来場の皆様から、き
ょうのお話をお聞きしてのご質問を受けたいと思います。
それでは、対話者の皆様の自己紹介に移りたいと思います。
○阿部 皆様、こんにちは。
私は、1994年リレハンメルオリンピックのノルディック
複合で金メダルを獲得した阿部雅司と申します。多分、こう言
っても皆さんはぴんとこないと思いますが、荻原健司が旗降っ
てゴールした、あのとき一緒に出場して金メダルを獲得した阿
部雅司と申します。
私は、ソチオリンピックまでナショナルチームのコーチをや
っていまして、現在は、東京美装北海道というところに所属し
て、通常勤務とスキーの競技委員長で大会の運営のほうで頑張
っています。きょうは、1994年に獲得した金メダルを持っ <阿部 雅司さん>
てきましたので、皆さん、手にとって見てもらいたいと思います。座席の前のほうがあい
ているので、もしよかったら、来てさわってみてください。よろしくお願いします。(拍手)
2
○渡邉 札幌日本大学高等学校3年生の渡邉陽です。
種目はスキージャンプです。今は全日本女子のジュニアとして
活動させていただいています。
去年は、インターハイでも優勝させていただくことができ、調
子も徐々に上がっているので、これからもっともっと頑張ってい
きたいと思います。
よろしくお願いします。(拍手)
<渡邉 陽さん>
○中田 東白石中学校3年の中田悠斗です。
種目はアイスホッケーをやっています。
よろしくお願いします。(拍手)
<中田 悠斗さん>
○永瀬 皆さん、こんにちは。パラリンピックアイススレッジホ
ッケーの永瀬充と申します。
私は、1998年の長野からソルトレイク、トリノ、バンクー
バーと4回出場しまして、バンクーバーでは銀メダルを獲得する
ことができました。
きょうは、その銀メダルを持ってきました。せっかくなので、
見ていただければと思います。
オリンピック・パラリンピックは、今、一つの言葉としてメデ
ィア等でもいろいろ聞かれますけれども、メダルは昔ばらばらで
したが、このバンクーバーから一つのデザインになっています。
<永瀬 充さん> 私はアイススレッジホッケーのゴールキーパーですが、今年の
夏で競技の一線を引退しました。よろしくお願いします。(拍手)
3
○船山 カーリング競技をしております、北海道銀行フォルティウ
スの船山弓枝です。どうぞよろしくお願いします。
私は、2002年のソルトレイクシティオリンピックで8位、2
006年のトリノオリンピックで7位、そして、2014年ソチオ
リンピックでは5位ということで、3回、オリンピックに出場して
きました。
結婚や出産を経て休養の期間もありましたが、また再開し、今、
このチームで平昌オリンピックを目指している最中です。
きょうは、どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)
<船山 弓枝さん>
○秋元市長 皆さん、こんにちは。札幌市長の秋元克広でござ
います。
きょうは、お休みの中ですけれども、大勢の皆さんにお越し
いただきまして、本当にありがとうございます。サッポロスマ
イルトークはきょうで2回目ですけれども、私と、その時その
時のテーマによって、いろいろな方にゲストとしてお越しをい
ただいて、札幌市にかかわるさまざまなことについて、いろい
ろと意見交換をさせていただこうというものです。
普通は、閉鎖的な会場にお越しをいただくのですが、こうい
ったオープンな場所で、たまたま通りかかった方も、何をやっ
<秋元市長> ているのだろうということで耳を傾けていただきながら、いろ
いろなことに関心を持っていただこうと考えました。
この中でお話をさせていただいたことから、これからの札幌のまちづくりに活かしてい
きたいということで、こういった場を設けさせていただいています。
そして、この場でご質問なども受けながら、札幌のことを市民の皆さんとともに語り合
っていこうということです。きょうは、冬のスポーツをテーマに掲げています。
昭和47年、1972年に札幌で冬のオリンピックが開催されました。この地下街もそ
の前年にでき上がり、地下鉄の南北線など、今の札幌のまちの骨格ができ上がるスタート
に当たるのがオリンピックを開催した1972年、昭和47年ということになります。
札幌は、そこからどんどん人口が増えてきておりますが、今、札幌のまち中もどんどん
変わっていこうとしています。駅前の地下歩行空間ができて、周辺のビルも建てかわって
きていますが、オリンピックから43年が経過しましたので、札幌でオリンピックをやっ
たことを知らない世代もだんだん増えてきています。そういう意味で、今、冬のオリンピ
ック・パラリンピックをもう一度札幌でやろうということで招致の計画を作っています。
4
これは、2026年の大会がまだ決まっていないものですから、これ以降の大会を札幌
に招致していけないかということで、今、いろいろな計画を作っています。そういう意味
で、市民の皆さんの関心を高めていかなければならないということで、こういうオープン
な場でのトークイベントを企画させていただきました。
きょうは、いろいろなアスリートの方々にお集まりいただいていますし、高校生、中学
生の若い選手の皆さんにも来ていただいていますので、活発な意見交換ができればうれし
いなと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)
話題1【札幌と冬のスポーツについて】
○司会(山本) それでは、対話に入る前に、市長から札幌オリンピックの話が出ました
けれども、札幌と冬のスポーツのかかわりについて、私から簡単にご説明させていただき
ます。向かって右手のスクリーンをご覧ください。
私は東京出身なのですが、すごく驚いたことは何かというと、非常に大きな190万人
の都市でありながら、非常にすてきな雪が降るというところです。もちろん、ウインター
スポーツは、非常に伝統があって、歴史があって、文化として定着しています。きょうお
見えの方々のご活躍が、我々札幌市民、北海道民、日本国民のプライドを醸成してくれて、
非常に誇らしい文化として定着しているものだと思います。
次は、ウインタースポーツの中でも雪についてお話ししたいと思います。
今、日本地図が出ていますが、これは何を示しているかというと、積雪なのです。札幌
圏はパウダースノーで非常に雪質がいいのですが、本州で同じレベルの雪質を求めると、
標高は2,000メートル以上になります。ところが、札幌だと、ほぼ平地でパウダース
ノーが降るという特殊な環境を持っているという説明図です。
それは、札幌が北だからだろうという話ですけれども、実は、札幌は北緯43度にあり、
北緯43度をずっとヨーロッパのほうに行くと、南フランスや地中海なのです。つまり、
世界的に見て非常に北にあるわけでもないですし、標高も高くないです。それなのに、世
界中からスキーヤーがやってくるような非常にすばらしい雪が降るまちなのです。
札幌の雪、北海道の雪というのは、世界的に見ても非常に素晴らしく、多くの海外旅行
者がスキーやスノーボードを楽しんでいます。ただ、残念な傾向もあります。
それは、札幌圏にお住まいの皆さんがスノースポーツをどれぐらいやっているかという
ことですが、ずっと右肩下がりです。世界各国からは、札幌の雪を求めて多くの方々が札
幌に来るのですけれども、ここに住んでいる人たちは、年々、スノースポーツから遠ざか
っているという現実があります。
きょうはスキージャンプの選手も来ていただいていますけれども、選手層ですとか、見
るスポーツとしてウインタースポーツを活性化させようといったときに、やっている人が
少ないというのは非常に大きな課題となっています。
5
きょうは、この辺も含めて、登壇された皆さんと市長の対話をいろいろ刺激しながら、
今後、どういう方向に向かったらいいのかというところまでお話しできたら楽しいなと思
っています。
話題2【その競技を始めたキッカケ】
○司会(山本) それでは、最初の質問に
移りたいと思います。その競技を始めたき
っかけをそれぞれ簡単にお話しいただけ
ますでしょうか。
○阿部 私の種目はノルディック複合で
して、日本代表でもメダルをとったので、
今は知っている人は多いと思いますけれ
ども、僕が始めたときはノルディック複合競技を知りませんでした。
始めたきっかけは、中学校の先生に、「おまえ、全国大会に行きたいか」と言われ、「行
きたいです」と言ったら、先生が、「じゃあ、複合をやれ」と言いました。「複合って何で
すか」と聞いたら、ジャンプとクロスカントリーで戦う競技で、それだったら全国大会に
行けるぞと言われて、中学校1年生のときに全道大会に出ました。
そうしたら、1年生で全国大会に行けたのです。北海道から全国大会へ代表として行け
る枠は10人だったのですが、僕は10番目で全国大会に行って、出場した選手は全員で
11名でした。それぐらい人気がないスポーツで、誰もやりたがらないスポーツでした。
だから、先生は勧めてくれたのです。本当に、複合をやっていれば全国大会に行くチャ
ンスがあるぞと僕を説得してくれた先生のおかげで複合をやることができたので、僕にと
っては、その先生との出会いが人生を大きく変えたと思います。
○渡邉 私が始めたのは小学3年生のころですけれども、その頃、ちょうどトリノオリン
ピックがありまして、そこで日本人選手の方々がたくさん活躍されていて、それを見て、
凄くかっこいいと思って、ジャンプを飛ぶことに興味を持って始めたのがきっかけでした。
○中田 私の父がアイスホッケーをやっていて、7歳のときに家族でアイスホッケーの試
合を見に行ったときに、アイスホッケーの迫力とスピードにすごく感動し、自分もアイス
ホッケーをやりたいと思って始めました。
○永瀬 私は、競技を始めてちょうど20年になりますが、中・高とバスケ部に所属して
いました。そのときは特に足が悪くなくて、高校生のときに病気になって、運動ができな
6
くなってしまいました。4年ぐらい、スポーツはできなかったのですけれども、今から2
0年ぐらい前の19歳のときに、パラリンピックや障がい者スポーツがあることを知って、
それが長野パラリンピックの3年前だったのですけれども、せっかく北海道にいるのだし、
冬のスポーツでパラリンピックに出てみたいなと夢を持って始めたのがきっかけでした。
○船山 私の出身地の北見市常呂町には、日本で初めての国内のカーリング専用リンクが
できました。それをきっかけにチームを作っていくのですけれども、私の両親もカーリン
グをしていて理解があり、友だちから一緒にカーリングをやろうと誘われてやったのがき
っかけです。私も、いろいろなスポーツが大好きで、大抵のスポーツはできるほうだった
のですけれども、唯一できなかったのがカーリングで、その難しさにはまってしまい、か
れこれ25年やっています。
○司会(山本) ありがとうございました。
市長ご自身もウインタースポーツをやられるのであれば、その辺も含めて、今の5人の
感想等をよろしくお願いします。
○秋元市長 僕は、夕張という山育ちなものですから、スキーは子どものころからやって
いました。ただ、中学のときには野球とかバスケットとか夏のスポーツをやっていたので、
ウインタースポーツは、社会人になってからの方が友達とスキーに行ったりしましたけれ
ども、競技レベルまではいっていなかったので、そこまではやっていませんでした。
今、皆さんの話を聞くと、先生やご両親がきっかけになったり、ジャンプなどの大会を
見に行って感動したということですから、一つの大会ですばらしい競技を見ることで、自
分もこういう格好いいことをやってみたいという思いが子どもたちにとってすごく重要な
のだなと思いました。実際に競技を目にする環境や、先生とかご両親とか周りの方々の影
響が随分大きいなと感じました。
話題3【その競技をしていて苦労したこと、良かったこと】
○司会(山本) 続きまして、その競技をしていて苦労したことや良かったことについて、
阿部さんから順にお願いいたします。
○阿部 苦労したことですね。これを話し出したら1時間ぐらいしゃべっちゃうかもしれ
ません。
皆さんは、ノルディック複合で、2大会連続で金メダルをとったのをご存じですか。複
合チームは、今、皆さんに見てもらったメダルの前に、もう一個、金メダルをとっていま
す。そのメダルは、札幌オリンピックの笠谷幸生さん以来の20年ぶりの金メダルでした。
7
私は、そこのチームのリーダーとして現地に行っていまして、試合の前日にメンバーか
ら外されて補欠に回りました。そのときは、はっきり言って、すごくふてくされたい気持
ちだったのですけれども、後輩たちの前でふてくされるのを我慢して、結局、裏方に回っ
て、一生懸命チームのサポートに回りました。
そこで出た選手たちは金メダルを獲得しました。金メダルの補欠って、多分、金メダリ
ストよりも数が少ないと思うのです。そういう経験をしたときに、本当に周りの人に助け
られて、ふてくされて辞めずに競技を続けられたというのは、僕にとってはすごい財産で
す。逆に、金メダルをとったときよりも、補欠を乗り越えられたということが今の自分の
財産になっています。それが、僕にとって、今まですごく苦労したことかなと思います。
○渡邉 中学3年生の全国大会で転倒して、右膝をけがして、手術したために半年以上ジ
ャンプ台から離れることになってしまって、本当に自分でも悔しくて情けなさを感じてい
たのですけれども、それをバネにして、いっぱいいっぱい練習して、また半年後、ジャン
プ台に戻ってきたときは、戻る前よりもパワーアップした姿で戻ってこられたので、ジャ
ンプもよくなって、結果も徐々に出るようになったので、そこが良かったと思います。
○中田 アイスホッケーは、氷上の格闘技と言われていまして、体を鍛えなければいけな
いので、陸上トレーニングは欠かせません。中学に入ったころは、先輩に全くついていけ
ず、すごく苦労して辛かったのですけれども、今は、その成果が出て、氷上でも走れるよ
うになったり、ボディチェックにどんどん行けたり、全国大会でも点を決めたりして結果
を残すことができました。
○永瀬 このメンバーでパラリンピック関係は私だけなので、パラリンピックのほうをP
Rしたいと思います。
パラリンピックスポーツ、障がい者スポーツというのは、まだまだ認知度が低くて、や
っている人が少ないです。ですから、苦労したことというと、自分自身もいろいろ合宿に
行ったり、経済的に大変だったということはあるのですけれども、何が大変かというと、
仲間が少ないのです。アイスホッケーというのは、6人のチームなのですが、ゲーム形式
にするには少なくとも12人いないといけません。でも、今、北海道には1チームしかな
くて、人数がいないので、せいぜい四、五人で練習をしています。これは、アイススレッ
ジホッケーに限らず、いろいろな障がい者スポーツをする人が全国的に年々減ってきてい
ます。そういった中で、寂しいというか、練習自体もなかなかスキルアップしていかない
という苦労もあるし、普及していかないです。特に、チームスポーツは自分だけ頑張って
もだめなので、そういったところは苦労の一つでした。
良かったことは、障がいを持ったアスリートは皆そうだと思うのですけれども、人生が
180度変わります。オリンピック選手たちは、子どものころからいろいろなスポーツを
8
してきて、オリンピックという夢を見ていかれる方たちが多いと思うのですけれども、パ
ラリンピックを目指す人たちは、特に何でもない普通の人生を送っていたときに、突然、
事故とか病気で手足を切断してしまって、そこからどうしようかなと自分の人生を考える
中で、スポーツに出会って人生が開けてきます。
私も、19歳のときに、大学もやめて、仕事もなく、資格もなく、手足に障がいがあっ
てどうしょうかなと落ち込んでいるときに、一つの夢が自分自身を前向きにさせてくれま
した。私は、このようにしゃべるのが大好きなのですけれども、当時は、常に下を向いて、
隅のほうで暗くなっているような青年だったのですが、そういった面で私自身を大きく成
長させてくれた、人生をすごく前向きにしてくれたのが良かった点です。
○船山 私の競技カーリングは、今となっては皆さんがイメージできるスポーツになった
と思うのですけれども、私が始めたころは、カーリングと言っても、どんなスポーツなん
だ、それはスポーツなのかと言われるぐらい認知度が低かったです。今となっては、応援
してくださる企業さんもいらっしゃいますが、そのころは、全くそういった環境になく、
カーリングは海外遠征や強化遠征などもありますので、夏の間仕事をしてお金を貯めて、
冬にカーリングをするといった生活が続いていました。
そういった中で、夏に働いて、冬はカーリングに専念するので、1年を通して働くこと
ができないということで、アルバイトをしていた時期があって、二つ、三つかけ持ちをし
ながら、睡眠時間は4時間という中でトレーニングや栄養管理などもしていかなければい
けないという苛酷な生活を送っていたのが一番苦労した点です。
そういった中でも、苦労してチームで一つ一つ目標を達成していって、置きたい場所に
置けたときや、目標としていたオリンピックに出られたときには、そういった苦労も飛ぶ
ぐらい本当にうれしくて、チーム競技ですので、チームのみんなで分かち合えることが一
番の喜びです。
○司会(山本) さまざまな競技を続ける上で、多くのご苦労があると思います。それは、
個人で乗り越えなければいけないものもありますけれども、組織やシステムのところで選
手をサポートすることも必要かと思います。
また、今の皆さんのお話の中では、スポーツという文化のすばらしさ、いろいろな可能
性に触れられたと思うのですけれども、その辺も含めて、市長、よろしくお願いいたしま
す。
○秋元市長 皆さん、それぞれご苦労された中で、けがから復帰したり、本当に苦しいこ
とに乗り越えたからこそ、その先にあるスポーツのすばらしさや、仲間と一緒にやれるす
ばらしさというものが、皆さんがこれまで長く続けてこられている一つの原動力になって
いるのかなと思うのです。
9
そういった中で、仕事と両立をさせていくことだとか、競技を進めていく環境は、社会
の中でサポートして整えていかなければならないと思います。
先ほど、阿部さんがおっしゃっていましたが、トップアスリートがメダルをとるという
のは、一つ大きな形で表面に出てくるものだと思いますけれども、そこには多くの支える
人たちがいて、そういった人たちがスポーツのレベルを高めていく、こういう環境もしっ
かりと整えていくことが重要だと思います。
やはり、スポーツの持っているすばらしさをもっともっとみんなに知ってもらう、ある
いは、楽しいときがあるからこそ苦しみにも耐えられるということがあると思いますので、
やはり、楽しさというものをもっと広げていかなければならないと思います。
最近、北海道の小・中学生たちの体力の低下ということが懸念されていますが、こうい
ったウインタースポーツというもので体力の増進向上というようなことにもつなげていけ
ればいいなと思いながら伺っていました。
話題4【札幌市にサポートしてほしいこと】
○司会(山本) 今の市長の発言を受けて、
もう少しこういうことをしてほしいとか、
こういうサポートがあるとうれしいとい
ったことがありましたら、せっかくなので
おっしゃってください。
○阿部 やはり、子どもたちにスポーツを
させると、用具など非常にお金がかかりま
す。親がやらせたいのだけれども、お金がかかり過ぎて躊躇しているところがあると思い
ます。そういう用具を少年団などに補助してあげて、子どもたちがやりやすい環境になれ
ばいいなと思います。
逆に田舎のほうに行くと、結構、先輩たちのお下がりだとかを少年団に寄附したりして、
子どもたちは、お金がかからないでスキーができたりするので、逆に札幌みたいに大きな
まちだと、そういうのが少なくなっているので、補助があるといいなと思います。
○永瀬 パラリンピックスポーツというのは、特殊な用具を使うので、20万円や30万
円かかるものを用意してから体験というのは難しいです。やはり、子どもたちは体がどん
どん大きくなっていくので、普通であれば、サッカーとか野球をするので、せいぜい年に
1足かえることをためらっていると思いますが、車椅子になってしまうと、毎年20万円
というのは不可能な話ですから、用具的に何とかなればなと思っています。
人的な部分も、野球にしろ、サッカーにしろ、スキーにしろ経験したことがある大人が
10
いて、ちょっと一緒にやろうよという形があると思うのですが、アイススレッジホッケー
をやったことがあるから一緒にやってみようという方は、日本全国を探してもなかなかい
ないと思います。車椅子バスケットボールにしても、車椅子テニスにしても、車椅子マラ
ソンにしても、教えようとか一緒にやろうとなっても、指導やサポートする人材がそもそ
もいないのです。ボランティアの方たちはたくさんいるのですけれども、仕事の合間にち
ょっと来てくれるだけです。
そして、最近、私がこだわっているのは普通学校です。普通学校に車椅子の子どもたち
が多く通っています。札幌、旭川もそうですが、冬ですとスキー授業が必ずあります。そ
こで、車椅子の子どもたちはどうなるかというと、私も高校生のときにはもう足が悪かっ
たので、スキー授業に行っても、一日、ロッジで待っているだけで、寂しい思いをしまし
た。そういう子どもたちがたくさんいるのかなと思います。そうすると、車椅子の子ども
たちは、スポーツはしたくないと思ってしまって、スポーツがほかの友達と離れてしまう
きっかけになってしまう。そうではなくて、一緒にスポーツやることで、車椅子でも、そ
うでなくても楽しめるのだということを小さいときからできる環境が理想だと思っていま
す。
○船山 今、少し出ましたけれども、私の地元ではカーリングを授業に取り入れています。
小・中・高でやるのですが、いろいろなスポーツにかかわって、選択肢をふやして将来の
夢を広げてもらう機会を持っていただくことは大切だと思います。
そのほかに、学業との両立も難しいところがあります。大会と重なってテスト期間を休
まなければいけないとか、合宿、遠征などでどこかに行かなければいけないということが
多々ありますので、学校とスポーツをきちんと両立できるような環境を整えてもらえると
いいなと思います。
○司会(山本) 以上のお話を聞いて、市長、何かございますでしょうか。
○秋元市長 先ほどの永瀬さんのお話にありましたが、今、障がいのある子どもでも、特
別支援学級ではなくて、普通学級に通う子どもが多くなっています。これは、子どもたち
がいろいろなことをサポートしています。子どもたちは、大人が考える以上に、共生する
力というか、一緒に生活して溶け込むのです。特に冬など、車椅子で移動するのは大変で
すが、そこをちょっと押してくれる人がいるとか、ハードだけではなく、人のつながりも
含めて、いろいろな方々と共生していく社会が重要だろうと思います。
そういう意味で、オリンピックとパラリンピックが同時に行われていくということは、
先ほどメダルも一緒になっているという話がありましたが、パラリンピックはもう一つの
オリンピックではなく、まさに一緒にやるスポーツの大会であるということです。
そこには、競技をする人ばかりではなく、沢山の人々がそういう思いを持ち、そういう
11
まちになったらいいなと思います。
確かに、ウインタースポーツというのは、お金がかかったり、道具が必要だったり、指
導者もなかなかいないという問題があります。小学校、中学校のスキー授業も、一時期、
先生が教えられないということでなくなったのですが、今、スキー連盟から、スキーを経
験したことがある方々に来ていただき教えていただいています。それで、今、札幌の中学
校もスキー授業が復活したのですけれども、やはり道具と人ですね。ここをサポートして
いかないと、競技の環境はよくなっていかないと思います。
話題5【冬のスポーツを盛り上げるためには】
○司会(山本) それでは、次の質問にい
きたいと思います。先ほど、私からスノー
スポーツをやる人が減っているというお
話をさせていただきましたが、今後、冬の
スポーツを盛り上げていこうということ
で、皆さんにご意見があればお聞かせ願い
たいと思います。阿部さんから、よろしく
お願いします。
○阿部 やはり、冬のスポーツを盛り上げるためには、選手が活躍しなければ盛り上がっ
てこないと思います。今、ジャンプでは、葛西選手、レジェンドですね。きのうのワール
ドカップ開幕で4位に入ったり頑張っていますが、あまりお年寄りにというか、彼は僕と
オリンピックに2回も一緒に行き、その後、5回続けて行って、まだ現役でやっていると
いう本当にものすごい選手なのですけれども、そういう選手に頼り切っている部分がある
ので、もっと若い選手がどんどん活躍して、新聞、テレビ等に出て盛り上げて、市民の皆
さんの気を引くということが大事になると思います。
また、市民の皆さんも実際に雪に触れてほしいと思います。札幌には歩くスキーが手軽
にできる環境がたくさんあります。例えば、中島公園ですと、クロスカントリーのスキー、
靴など一式を無料で貸してくれます。観光客の方がジーパンとダウンジャケットで歩くス
キーをやっていたりするぐらいです。やったことのない人も気軽にできるような場所がた
くさんあるので、まずは始めてみて、冬のスポーツのよさを知ってもらえればいいなと思
います。そうすれば、少しずつ盛り上がってくるのではないかと思っています。
○渡邉 冬のスポーツのジャンプは、皆さんはルールがわからないと思うのですけれども、
まずは、市民や北海道の方々にスキージャンプとは何かということをもっと知ってもらっ
て、もし来られたら試合を見に来ていただいて、私たちはこういうふうにやっているんだ
12
というのを実際に見てもらって、少しでも多くの方々にウインタースポーツを知っていた
だくことが盛り上げるための一つのきっかけになると思っています。
○中田 冬のスポーツは、サッカーなどと比べてできる機会が少ないと思うのですけれど
も、ウインタースポーツをもっとやってもらって競技人口をふやすことと、一日でも早く
アイスホッケーの日本代表が世界の試合で勝てるようになれば、みんな注目して応援して
くれると思いますし、盛り上がると思います。
○永瀬 冬のスポーツは、どうしても、場所が限られていたり、ちょっと離れたところで
行われたりします。しかも、冬の寒いときにやらなければいけないので、ネガティブな要
因を挙げれば切りがないと思います。
ただ、きょうはゴールキーパーのヘルメットを持ってきていますが、道具が面白いので
す。障がい者スポーツ云々は関係なしに、スキーも種目によっては板が全然違います。阿
部さんのクロスカントリーもジャンプも幅が違う板を乗りこなしています。それを見るだ
けでも、さわるだけでも面白いですし、私とか中田さんがやっているアイスホッケーも、
1人で10個ぐらいのパーツを体に付けます。男の子は、小さいときにガンダムや戦隊物
を見て育っていますが、そんな感じで、道具を見ていただくだけでもすごく楽しいと思い
ます。
スポーツ用品といっても、僕らが使っている用具は専門店に行かないと売っていないの
で、そういったところで、道具に触れ、先ほど渡辺さんも言っていましたが、ルールなど
に興味を持ってもらい、冬季アジア札幌大会を見に行ったり、札幌へのオリンピック誘致
についても、何で札幌だったらいいのか考えるきっかけになればいいと思っています。
○船山 カーリングも、札幌市で専用リンクを作っていただいたおかげで、今、始める方々
が非常にふえていて、認知度はどんどん上がってきています。また、トップチームもレベ
ルがどんどん上がってきているのは、札幌市にカーリングのリンクがあるおかげだと思っ
ています。やる人がいるからできるのか、できるからやるのか、どちらが先か難しいとこ
ろではありますが、始める方が増えたきっかけになったと思います。
やる楽しさはもちろんあるのですけれども、スポーツは見る方々にも感動や楽しさがた
くさん伝わると思います。身近なところで各種大会を観に行っていただくきっかけをつく
ることが大事だと思います。それは、アジア大会だったり、これからのオリンピック誘致
だったりということに関係してくると思います。
阿部さんからもお話がありましたとおり、カーリングも、マイナースポーツから皆さん
に伝わるスポーツになったきっかけの一つは、オリンピックで選手が頑張っている姿を、
メディアの方々に報道していいただいたおかげです。そういったことがなければ、皆さん
の目に触れることもなかったと思いますし、これほど環境が変わっていくこともなかった
13
と思います。
まずは、やっている選手たちが活躍することが大事です。女子はたくさん取り上げられ
ているのですけれども、実は男子も頑張っています。オリンピックに出ていないので大分
差が出てしまったところはありますが、とても頑張っていますので、男女ともにオリンピ
ックに出ることができれば、もっともっと認知度が上がっていくと思っています。
○司会(山本) 最近、ラグビーのワールドカップで日本代表が南アフリカに勝ったこと
で、すごく盛り上がりました。多くの方々、とりわけ女性がラグビーに興味を持つという
現象もあらわれていますので、やはり、選手が活躍するということはかなり重要なポイン
トなのかなと思います。
また、船山さんからお話がありましたとおり、観戦文化ですね。やるスポーツではなく、
見るスポーツや支えるスポーツなど、スポーツへのかかわりも多様化していますので、そ
の辺を含めて、市長、お願いします。
○秋元市長 やらなければならない要素が幾つかあると思いま
す。例えば、今のラグビーの話でいいますと、トップアスリー
トの活躍を見ると全体の関心が高まります。先ほどジャンプの
お話もありましたが、ルールを知らなくても、まず関心を持つ
ということですね。でも、そのままだと長続きしていかないの
で、競技を知ってもらうとか、本当に近くで観ることができる
ような環境があるとか、そして、気楽にスポーツに参加できる
ということですね。例えば、道具がなくても、そこに行って借
りて、スケートでもスキーでもちょっと体験ができますよとす
そ野を広げていくためには、トップの選手の活躍があって、関
心が高まって、それをどう持続させていくかが課題かなと思っています。
北欧に行くと、ジャンプ競技などの観戦はすごいですね。ノルウェーもそうですがまさ
に自分たちの生活に密着しています。ノルディックという言葉があるぐらいですから、そ
ういうものなのだと思います。一方で、活躍したときの人気をどうやって持続させていく
か、定着させていくか、幾つかの要素でやっていかなければいけないのだろうと改めて思
いました。
また、先ほどの永瀬さんのお話でも、障がい者の方々のスポーツというのは、やる方も
少ないのですけれども、見る機会も少ないです。ですから、そういう場面をもっともっと
つくっていくというか、仲間をふやしていくこともできるような環境をつくっていかなけ
ればいけないのだろうと思って伺っていました。
14
○司会(山本) 私も、仕事柄、北欧に行ってスキーを観戦することがあるのですけれど
も、スポーツをただ見るのではなくて、その周辺にはおいしいものがあったり、演奏会が
同時に行われていたり、会場全体を盛り上げるような文化があります。家族で来ても、ス
キーを見ている時間以外においしいポテトの料理を食べたり、いろいろなアトラクション
があって、子どもたちのミニジャンプ台があったり、家族で観戦して楽しむような文化が
あると思います。その辺で、永瀬さんお願いいたします。
○永瀬 答えを用意していなかったのですけれども、やはり楽しむのが一番ですね。
私も、ピリピリした精神状態の極限まで行っていろいろな大会に出ましたが、やはり、
そのベースには、このスポーツが好きで、やっていて楽しいと思えるから、ずっと長年や
ってこられた面があります。そして、うまくいかなかったときは、自分だけが頑張って苦
労してうまくいかないと考えがちです。でも、ふと思ったときに、いろいろな関わりある
の人たちがいて、サポートしてくれる人、応援してくれる人、見て楽しんでくれる人、伝
える人、みんなが楽しみながら一緒の夢を追いかけているということに気づいたときに、
すごく気が楽になって、もっと力になったのですね。
ですから、スポーツは楽しむということが一番大事です。体を動かすのが苦手であって
も、見て盛り上がることができます。
アイスホッケーは、室内スポーツですから、見やすいウインタースポーツの一つで、騒
がしく盛り上がります。ただ、日本で大会をやったとき、見方がわからないのか、皆さん、
静かに見ているのです。テニスの観戦でも、入ったときにはぱちぱちという感じですが、
海外に行くと、ずっと騒がしいです。演出の仕方も、試合が止まったときなど、いろいろ
な音楽が流れたり、プロの試合になればマスコットが出てきて、観客席へ物を投げたりし
て盛り上げます。会場は寒くて、待ち時間が暇なのですけれども、そういうときに氷上に
出てきて実際にスケートを体験する時間を含めたり、とにかく、ただやっているだけでは
なくて、周りがどう楽しめるかが大事だと思います。
今、北海道はアジア系の観光客が多いので、そういった方々にいろいろな体験ツーリズ
ム的にウインタースポーツを楽しんでいただき、雪のない地方から来た観光客に楽しんで
いただくのがいいと思います。特に、平日の日中はスケートリンクもスキー場もがらがら
だと思いますので、そういったところでやってもらいつつ、おもてなし的に我々が一緒に
楽しむのもいいのではないかと思いました。
○阿部 僕も、それは同じように感じています。ワールドカップとか世界選手権で海外に
行くと、本当にお祭りのような感じです。いろいろな屋台が出ていて、見に来た人が楽し
めるようになっています。試合を見に来ているのか、お酒を飲んだり食べに来ているのか、
本当に雰囲気を楽しみに来ている人たちが非常に多いです。
去年、札幌でワールドカップがあったのですが、そのときに売店が一つもありませんで
15
した。応援に来た人は、ジャンプ台からバスで移動してクロスカントリーの会場に行くの
ですが、何もないので、おなかがすいたまま今度はクロスカントリーの応援をしなければ
ならないのです。そうなると、もう行くのはやめようかなと思ってしまいます。やはり、
見に来た人を飽きさせないというか、楽しませる工夫が必要ではないかと思います。競技
のことはしっかりしているのですけれども、もっと観客のことを考えてあげることが大事
かなと思います。
○司会(山本) 船山さん、カーリングは、欧米に行くと、バーが併設されたりしていま
すよね。実際に、スティックが瓶になっていて、ウォッカを飲みながらやったりしていま
す。日本だと不謹慎だと思われてしまうかもしれないですけれども、スポーツを楽しむ文
化の幅の広さというか、その辺で感じることはないですか。
○船山 カーリング場の上には必ずバーが併設されていて、ビリヤード台が置かれていま
す。カーリングというのは角度の勉強をするので、ビリヤードと少し似ている部分がある
のですけれども、そういった理由から、必ず置いてあります。
あとは、生涯スポーツで、年齢を問わずできるものですから、海外では80歳、90歳、
100歳の方々もやっている国もあるぐらい、本当に長く続けられるスポーツです。です
から、リンクのサイドには必ず椅子があって、少し休憩できる時間には腰をかけて、休み
ながら自分のペースでやっていきます。競技とは別に、楽しむカーリングというところで、
日本ではなじみがないのですが、ゲートボールだったり、パークゴルフだったりみたいな
感覚で、すごく楽しんでいる方が多いです。
○司会(山本) 今の話を受けて、市長、何かコメントがありましたらお願いします。
○秋元市長 トップアスリートの競技のレベルがどんどん高くなっていくことによって関
心が高まるということもありますけれども、スポーツを楽しむ文化というか、スポーツを
見るときに、確かに日本のスポーツはお祭り的なものがないかもしれないですね。競技会
になってしまっているのかもしれないです。ちょっと足を運んでみようと思ってもらうた
めには、競技以外にも楽しめるものがあるという工夫は必要かもしれないですね。
16
話題6【今後の目標や夢】
○司会(山本) 次は、若い2人に大いに語ってもらわなければいけない内容ですけれど
も、今後の目標や夢ということです。ぜひ若いお2人に夢を語っていただければと思いま
す。
○渡邉 きょうは、3人のオリンピアン、パラリンピアンの方々にお話を聞けたので、ま
ずは、私がオリンピックに出て、日本のジャンプの第一線で活躍していきたいと思ってい
ます。日本でも数々の試合に出て、たくさん結果を残して、ジャンプ、それからウインタ
ースポーツを盛り上げていきたいですし、私たちの世代がもっともっと盛り上げていけた
らなと思っています。
○中田 まずは、自分の目標としている学校に進学して、そこで活躍して、アンダー18、
アンダー20の日本代表に入れるように頑張って、最終的には日本代表に入って、オリン
ピックで頑張りたいと思っています。
○永瀬 私は、この中で、唯一、長野オリンピック・パラリンピックに出たと思いますが、
やはり、母国というか地元でやれるというのは、出る側もそうですし、見る側も、言葉で
は言いあらわせないぐらいの感動やエネルギーが生まれます。ご年配の方々は、72年の
札幌リンピックをじかに見に行かれたり、もしかしたら出場された方もこの会場にいるか
もしれません。どうしても誘致ということで現実的な課題が幾つかありますが、やはり、
簡単にやろうと思ってもできないと思います。財政面などの準備ができたからといって、
やれるものではなく、やはり、市民の声も大事になると思います。地元で見たい、この日
本で見たいとなったときに、日本の選手たちはさらなるエネルギーを出してくれると思い
ます。
また、チームスポーツではホーム・アンド・アウェイがはっきりしています。長野オリ
ンピック・パラリンピックのときは、会場中がみんな日本コールで、6,000人、7,
17
000で日本チャチャチャです。逆に、我々がバンクーバーに行ったときには、準決勝で
カナダと対戦したのですが、99%はカナダです。もう完全アウェイです。ソルトレイク
でやったときもUSAコールばかりです。これはすごいプレッシャーになります。
そういったところは、テレビで見ていても、おもしろみがあるのですが、現場にいて味
わう鳥肌感とか、特に小さい子どもたちが見たときに、スポーツを通して夢を持ってくれ
たり、一人の人間としていろいろなものを得ることができると思うのです。私も、どうい
う形かわからないですけれども、札幌の誘致活動にかかわっていきたいと思っています。
今、東京オリンピック・パラリンピックのことが連日報道されています。東京は、64
年に続いて2回目のオリンピック・パラリンピックです。パラリンピックも2回目です。
そして、札幌に招致になると、オリンピックは2回目ですが、パラリンピックは初めてに
なるので、札幌でやるパラリンピックはどうなるのかということが我々の中ですごく大き
な注目点なのです。
そして、日本としては、夏、冬を合わせて4回目のパラリンピックになるのです。夏、
冬を通算して4回もパラリンピックをやっている国はないです。日本は、それだけオリン
ピック・パラリンピック文化が進んでいる国なのです。そういう中で、本当に日本が一つ
になったオリンピック・パラリンピックというのはすごく楽しみです。
私の最終的な夢は、50年先か100年先か200年先かわからないですけれども、オ
リンピックとパラリンピックが一つの大会期間中に開会式があって、アイスホッケー男子、
女子があったり、カーリングも男子、女子があったり、車椅子カーリングがあったり、残
念ながら車椅子のジャンプはないのですが、車椅子で飛んだら怖いよね。(笑い)
そういった中で、一つの大会としてやれるようになるということです。私が生きている
うちにあるかどうかわからないですけれども、100年後か200年後に我々の残したも
のがつながっていったらいいなと思います。そのような札幌オリンピック・パラリンピッ
クに向かっていけたらいいなというのが私の目標です。
○船山 私の目標は、ことし日本代表を逃してしまったので、また取り返すことと、20
18年の平昌オリンピックに出場することです。
あとは、きょうは阿部さんや永瀬さんのようにメダルを持ってこられなかったので、そ
ういったものを手にできるように頑張っていきたいと思っています。
○永瀬 順位は上がっていますよね。
○船山 そうですね。順位は徐々に上がってきているので、とまらないように、ぐんとジ
ャンプしていきたいと思います。
○司会(山本) 市長、お話を受けて、何か感想はございますでしょうか。
18
○秋元市長 皆さんの一つの目標として、自分の持っているレベルをどんどん上げて活躍
をしたい、そして見ている人たちに感動や夢を与えたい、子どもたちに夢や感動を与えた
いという思いは共通していると思います。
私も、札幌オリンピックを見ましたけれども、そのときに日の丸が3本揚がったことを
いまだに鮮明に覚えていて、感動しました。オリンピック・パラリンピックだけではない
ですけれども、地元でいろいろな大会を開催するということは、本当に間近でトップアス
リートの活躍を目にすることができるわけです。あるいは、地元で開催することによって、
競技団体にも力が入り選手の層も強化されるので、いい国際大会を開催し、その回を重ね
ていくことでいろいろレベルを上げていくことになっていくのだろうと思います。また、
見る側の目も肥えていくというか、それがまた競技のレベルを上げていくことになるし、
競技ばかりではなく、スポーツを楽しむという雰囲気を広げていくこともあわせてやって
すそ野を広げていくということが必要なのだろうと思います。
直近で言えば、2017年に冬のアジア大会が行われます。1986年に札幌でアジア
大会が行われたわけですけれども、そのころは、アジアで冬の競技をやる国はそんなにな
かったのですが、今回は、アイスホッケーはものすごいチーム数があって、競技日程を組
むのも大変なぐらいです。そういう意味では、アジアの冬のスポーツの競技人口もふえて
いるし、レベルも上がってきているという意味では、非常におもしろい試合になるのでは
ないかと期待しています。
ぜひ皆さんにはアジア大会を応援していただいて、選手の活躍がもっともっといろいろ
なウインタースポーツの普及、広がりにつながっていけばなと思っています。
そして、そういう場をたくさんつくることで、子どもたちに夢を与えていく、希望を与
えていく、そしてまた、皆さん方のように、スポーツをみずからやっていこう、やりたい
という子どもたちがたくさん出てくることを期待していきたいと思います。
そういう意味では、アジア大会もありますし、2019年にはラグビーのワールドカッ
プもありますし、世界レベルの大会を札幌でどんどん開催をしていきたいと思っています。
【傍聴者からの質問】
○フロア(傍聴者) きょうは、貴重なお
話をどうもありがとうございました。
私の体験談ですが、72年の冬季オリン
ピックのときに、私は大学生でして、本州
の某大手新聞社のプロスポーツカメラマ
ンの助手として全種目を見てきました。そ
して、一番感動的だったのが、宮の森ジャ
ンプ場で日の丸が3本揚がりましたね。あ
19
のときに、ちょうどライディングバーンで写真を構えていたのです。来るぞ、来るぞと。
日の丸が三つ揚がって、即、こちらで金メダルの笠谷選手の弁当を売り始めたのです。そ
ういう歴史を共感した喜びはかけがえのないものです。その喜びをまた何年後かの冬季オ
リンピックに、これはいろいろと予算の問題もあるのでしょうけれども、札幌市長、よろ
しくお願いします。
○秋元市長 先ほどもお話ししましたけれども、実際に見たときの感動はずっと心の中に
残っているものだと思います。ぜひ同じような感動をこれからの札幌の子どもたちにも味
わわせてあげたいなと思います。
○フロア(傍聴者) 阿部さんと船山さんに質問させてもらいます。
阿部さんは、悔しい思いもありながら、結果、オリンピックで金メダルをとられたとい
うことですけれども、やはり調子のいいときと悪いときがあったかと思います。調子の悪
いときはどのような形でモチベーションを高められたのか教えていただきたいと思いま
す。
○阿部 若いころは、調子が悪くなったり、スランプになると、知らないうちにマイナス
の発言が多くなっていました。ある程度経験を積むにつれて、マイナスの発言をしている
と、自然と自分の口から耳に入って洗脳されるような感じだったので、調子が悪いときに、
逆にプラスの発言をしていました。調子はどうかと聞かれたら、本当は悪いのだけれども、
絶好調ですとか、空元気じゃないですけども、そういうふうにしていくうちに、どん底ま
で落ちないで、ある程度のところで持ち直すことができました。本当にプラスの発言をす
るように心がけたおかげで、そんなに不調が長続きすることはなくなりました。
○フロア(傍聴者) 貴重な情報をありがとうございました。
船山さんには、海外遠征や合宿に行かれたと思うのですけれども、特に好きだったとい
うところや、なぜ好きなのかということを教えてください。
○船山 即答ですけれども、スイスです。
合宿で行ったのですけれども、ユングフラウという山があって、そこの登山列車でずっ
と登っていったのです。私も小笠原さんも高山病にかかって、食欲がなくなって、唇も青
ざめて、すごく体調が悪かったのですが、そこに、世界一高いところにあるカーリング場
があるんですね。手づくりの小さなカーリング場で、ストーンもきちんと置かれていたの
です。そういう思い出のある土地ですし、大自然がすごくよかった場所です。
20
○司会(山本) あとお一方ぐらい大丈夫ですけれども、どうでしょうか。どうぞ、お願
いします。
○フロア(傍聴者) 最近、ラグビーなどがそうですが、見た目とか、ビジュアル的なも
のも人気を左右するなと思うのです。女子のジャンプでは、美少女ということで、ふだん
のファッションなども出たりしますが、そういうところで皆さんは気をつけられているこ
とはあるのでしょうか。競技や私生活を含めてということですね。
○司会(山本) すばらしい質問ですね。これは、阿部さんも含めて全員に答えていただ
きましょう。ビジュアルをどう気をつけているかですね。
○阿部 僕は、特にメダルをとってから人前に出ることが多くなって、必ず、家を出る前
には嫁さんに服装をチェックしてもらって、なるべく外に出ても恥ずかしくないような格
好をするように心がけています。
○渡邉 私は、ふだんからちゃらんぽらんな感じなので、いつも服なども適当に決めて、
髪型はちょっと意識して、でも、そんなもんでいいかという感じで家を出ています。(笑い)
○中田 服装は何も思っていませんが、防具の着こなし方はすごいこだわりがあります。
○永瀬 私は、ビジュアル系ではないですけれども、アイスホッケーはヘルメットをかぶ
ります。健常者だとおでこまでですけれども、僕らはフルフェイスなのです。ですから、
カーリングのようにずっとアップで映ることがないのです。そこで、何とかテレビに映ろ
うと裏話ですが、バンクーバーの準決勝のカナダ戦で、残り30秒ぐらいで3対1だった
のですね。ほぼ勝ちが確実というところで、アイスホッケーの場合は、勝ったらゴールキ
ーパーのところに、わっと集まるのです。ですから、私のほうにみんな来るのはわかって
いて、カメラも向くので、終了の10秒ぐらい前からヘルメットをとるぞとるぞと思って、
ブザーが鳴ったとたんにヘルメットとって、選手がみんな来て、自分の周りで取り囲んで
くれたと。ほかの選手たちはヘルメットを脱げないのですが、キーパーは簡単に脱げるの
です。必死な試合ですけれども、マスクの裏ではそんなことを考えながらやっていました。
○船山 カーリングは、アップになる機会が多いですし、競技時間もすごく長く、これか
らはテレビの画質がどんどんよくなるということで、見るに耐えられなくならないかすご
く心配です。ヘアメイクさんはいるのかとよく聞かれますが、実際はいませんし、意外に
みんな薄化粧で、スポーツ選手ですので、そんなに気にすることなく、自分のいつもどお
りのメイクで試合に臨んでいます。また、テレビ放送があるときには、必ずピンマイクを
つけます。全部声を拾われてしまうので、言動には必ず注意するようにしています。
21
【市長のまとめ】
○秋元市長 きょうは、貴重なお話をいろいろとありがとうございました。本当に皆さん
がご苦労されていることや、さまざまなお話がありました。
一つのことでスポーツを盛り上げていこうとしても解決するわけではなくて、いろいろ
なことが必要なのだなと改めて思いました。
カーリングの話でもありましたけども、そばに競技場ができることで、競技をする方々
の裾野が広がっていく、そして、近くでトップ選手の活躍を見ることができる、こういう
場所が必要だということですね。幸いなことに、札幌には、ジャンプ台もあったり、アイ
スホッケーもできたり、ウインタースポーツのできる都市は限られていますから、雪など
自然条件も必要ですので、そういう意味で、札幌は、200万人近い人が住んでいるまち
でありながら、そういうものに恵まれています。これは生かしていかなければいけないだ
ろうと思います。
また、サポートする人材の数も質も高めていかなければならないと思いますが、トップ
の選手が育つ環境でもいろいろな人材が必要になってきます。そして、子どもたちが身近
で楽しめて、気軽にできるように、経済的な負担をどうやって軽減していくのか、あるい
は、やりたいと思ったときにやれるような環境をどうやってつくっていくのかということ
と、裾野を広げていくということも重要だろうと思います。
その中で、世界レベルの大会を誘致しながら、いろいろな選手を目の前で見ることで、
子どもたちの感動を高めることも大事だと思います。
札幌の持っているポテンシャルをもっともっと上げていくためにも、皆さん方のお力も
かりながら、きょうもこうやって多くの市民の方々にもご参加いただきましたけれども、
皆さんの声も聞きながら、札幌のまちの魅力、特に雪というのは避けて通れないので、ど
うやって皆さんが楽しんで雪を強みにしていくかということも考えていきたいと思いまし
た。きょうは、長時間、本当にありがとうございました。(拍手)
○司会(山本) 以上をもちまして、第2回サッポロスマイルトーク「語ろう!札幌の冬
のスポーツ」を終了いたします。
なお、サッポロスマイルトークの第3回
につきましては、来年の1月16日に、「語
ろう!外国人から見た札幌」をテーマに、
本日と同じ、ここオーロラプラザで開催い
たします。ぜひそちらにもお越しいただけ
ればと思います。
本日は、ご来場いただき、まことありが
とうございました。(拍手) 以上