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- 49 - 5 章 『万有書誌』の書誌学的源泉 1 節 『万有書誌』に収録された著者について 2 章で述べたように、BV1 には何名の著者、どれだけの文献が収録されているのかと いう問題は未だに十分解明されていない。そのため、本章では BV1 に収録された著者名 数、それらの情報源、書物の記述方法、図書館の所蔵情報、そこから考えられる本書の特 徴について論及してみたい。 最初に、BV1 の構成を知るため、著者名の A-Z それぞれの占有率を算定した。BV1 は著 者の名・姓のおおよそのアルファベット順で著者名が配列されている。算定の結果を表 5- 1 に示す。BV1 にはページ付けがなく、本文に葉番号(フォリエーション foliation)が付 与されているため、葉数をページに換算して、本文 631 葉(1262 ページ分)に対する A-Z それぞれが占める割合を占有率として示した(表 5-1)。 A I がそれぞれ約 20%ずつを占め、両項目で全体の 40%の分量となっていることが判 明する。それに続くのは CHP であり、これらの合計が 21.9%であるため、これらで全 体の 6 割以上となる。このような比率は名前の数の多寡と関係するのであるが、そればか りでなく各項目の記述量とも大いに関係している。実際、A-I までで本文の 75.1%を占め おり、本書の後半となる K-Z のページ数がかなり少ないことがわかる。このようなアンバ ランスはやはり項目の選択と記述内容に大いに関係しているはずである。 次に、BV1 の見出しの著者名項目について調査して、収録された著者の人数を算定して みよう。本書の序文に続いて著者名索引がある。この索引に掲載された著者名は 2,850 である。従来から収録された著者名を約 3,000 名とみなしていたのはこの索引に掲載され た人数の近似値である。実はここには AristotelesHerodotusPlatoStraboXenophon るいは Boethius などの古代の著述家の名前が相当数収録されていないため、この索引だけ では全体の著者の数は把握できないのである。したがって、本文の人名見出し項目をすべ てカウントしてみなければ収録された著者名の数は明確にはならない。 次に全項目を検討すると著者名項目の内容は以下のように大きく4種類に区別できる。 1)著者名のもとにその略伝、著書の記述、その内容の解説や目次を記述する項目 2)著者名のもとにその作品や書簡が他人の著作の中で言及されていることを簡略に記 述する項目 3)著者について「別な人名を見よ」という単純なクロスレファレンス(項目の末尾等 に示された「別な人名をも見よ」というクロスレファレンスは除く) 4)名前について一般的な説明をする辞典的項目 これらの項目の中で、第2の項目はついては少し説明が必要であろう。ゲスナーは本書

5 章 『万有書誌』の書誌学的源泉¬¬5...- 49 - 第5 章 『万有書誌』の書誌学的源泉 第1 節 『万有書誌』に収録された著者について 第2 章で述べたように、BV1

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Page 1: 5 章 『万有書誌』の書誌学的源泉¬¬5...- 49 - 第5 章 『万有書誌』の書誌学的源泉 第1 節 『万有書誌』に収録された著者について 第2 章で述べたように、BV1

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第 5章 『万有書誌』の書誌学的源泉

第 1 節 『万有書誌』に収録された著者について

第 2 章で述べたように、BV1 には何名の著者、どれだけの文献が収録されているのかと

いう問題は未だに十分解明されていない。そのため、本章では BV1 に収録された著者名

数、それらの情報源、書物の記述方法、図書館の所蔵情報、そこから考えられる本書の特

徴について論及してみたい。

最初に、BV1 の構成を知るため、著者名の A-Z それぞれの占有率を算定した。BV1 は著

者の名・姓のおおよそのアルファベット順で著者名が配列されている。算定の結果を表 5-

1 に示す。BV1 にはページ付けがなく、本文に葉番号(フォリエーション foliation)が付

与されているため、葉数をページに換算して、本文 631葉(1262ページ分)に対する A-Z

それぞれが占める割合を占有率として示した(表 5-1)。

A と I がそれぞれ約 20%ずつを占め、両項目で全体の 40%の分量となっていることが判

明する。それに続くのは C、H、Pであり、これらの合計が 21.9%であるため、これらで全

体の 6割以上となる。このような比率は名前の数の多寡と関係するのであるが、そればか

りでなく各項目の記述量とも大いに関係している。実際、A-I までで本文の 75.1%を占め

おり、本書の後半となる K-Z のページ数がかなり少ないことがわかる。このようなアンバ

ランスはやはり項目の選択と記述内容に大いに関係しているはずである。

次に、BV1 の見出しの著者名項目について調査して、収録された著者の人数を算定して

みよう。本書の序文に続いて著者名索引がある。この索引に掲載された著者名は 2,850名

である。従来から収録された著者名を約 3,000名とみなしていたのはこの索引に掲載され

た人数の近似値である。実はここには Aristoteles、Herodotus、Plato、Strabo、Xenophonあ

るいは Boethiusなどの古代の著述家の名前が相当数収録されていないため、この索引だけ

では全体の著者の数は把握できないのである。したがって、本文の人名見出し項目をすべ

てカウントしてみなければ収録された著者名の数は明確にはならない。

次に全項目を検討すると著者名項目の内容は以下のように大きく4種類に区別できる。

1)著者名のもとにその略伝、著書の記述、その内容の解説や目次を記述する項目

2)著者名のもとにその作品や書簡が他人の著作の中で言及されていることを簡略に記

述する項目

3)著者について「別な人名を見よ」という単純なクロスレファレンス(項目の末尾等

に示された「別な人名をも見よ」というクロスレファレンスは除く)

4)名前について一般的な説明をする辞典的項目

これらの項目の中で、第2の項目はついては少し説明が必要であろう。ゲスナーは本書

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の標題で収録範囲を明記している。それによれば本書は次のような書物を収録するとい

う。

万有書誌、あるいはラテン語、ギリシア語、ヘブライ語の 3言語によるすべての著者た

ちの内容の最も豊かな目録:今日に至るまで現存しているもの、現存しないもの、古い

もの、最近のもの、学者によるもの、学者でない者によるもの、出版されたもの、図書

館に埋もれているもの。(BV1, *1r)

つまり、当時の学術的な言語である 3 言語によって書かれたあらゆる書物を収録するもの

であり、それには現存していないものまで含むというのである。そのため、彼は過去の文

献に記載されているが書物が伝わらない著述家についてアテナイオス(Athenaeus, of

Naucratis)、ストバイオス(Stobaeus, Ioannes)、「スーダ(Suda, Suidas)」と呼ばれる辞書、

キュプリアノス(Cyprianus, Thascius Caecillius)などの古典文献を博捜して、そこで言及さ

れたり引用されたりした著述家について広く収録している(BV1, *3r)。このような方法は

ゲスナー以前の書誌にも、そして以後の書誌にもほとんど見られないものではなかろう

か。

上記の 1-4の項目から著者の実数を算定するためには、全項目から第 3、第 4 種を除け

ば明らかになるはずである。しかしながら、1 項目の中で複数の著者について言及する箇

所もいくらかあるため(例えば、BV1, f. 499v, Marsyas Pellæus; f. 600r, Simonides)、著者の

数を正確に算定するのは実際には非常に困難である。そのため、本稿ではこのような項目

がごく少数であることから、それらも 1項目 1 名と便宜上みなすことによって、算定され

た項目数をもって BV1 に収録された著者の人数の近似値とみなすことにした。

表 5-2は BV1 の著者名項目数を計算した結果である。A-Z のそれぞれの項目数とそこに

含まれるクロスレファレンス数と名前解説項目数を示し、それらを全体の項目数から除い

た数を実質項目数とした。今回の調査で、全部で 5,544件の著者名項目が掲載されている

ことが判明した。そのうちクロスレファレンス数が 281件、名前解説項目数が 70件であっ

た。これらを計算すれば、5,544-(281+70)=5,193という実質的な項目数が算定される。つ

まり、BV1 に収録された著者名の数は、これまでのように約 3,000名ではなく、セッライ

が推測した少なくとも 5,000名という数字をも超えて、5,193名が算出された。したがっ

て、上述のように 1項目に複数名が列挙されている例を勘案すれば、約 5,200名であると

みなすことができよう。

A-Z までの実質項目の占有率を見ると、A と I が 11%を超える率であり両者で 25%を超

えているが、ページ数の占有率 40%と比較すると意外にも低く、スペースと比較して項目

数が少ない。一方、Pは項目数では 10%を超えるがページ数では 6.6%に過ぎず、項目の占

有率が 7.4%に達する M はページ数では 4.0%に過ぎない。続いて 6%前後の Cと H である

がページ占有率では 6.6%と 8.7%であり A と I 同様にスペースに比して項目数がやや少な

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い。その他 5.6%の S ではページ占有率はわずかに 2.9%であるが、5.5%の G では 5.2%と

なり Sと逆の傾向である。すなわち、BV1 は前半の A-I の項目数の占有率が 56.8%であり、

後半の K-Z が 43.2%となり、ページ数の占有率とは大きく異なる傾向を示している(図 5-

1)。つまり、本書は前半のほうが項目の記述が比較的長く、後半のほうが項目の記述が短く

なる傾向がある。すなわち、ゲスナーは本書の前半と後半で執筆方針を変えて、後半では項

目の記述を全般的に短くしていることが見て取れよう。

表表表表 5-1:1:1:1:BV1 におけるA-Zのページ分量とその占有率におけるA-Zのページ分量とその占有率におけるA-Zのページ分量とその占有率におけるA-Zのページ分量とその占有率

フォリエーションフォリエーションフォリエーションフォリエーション 折記号折記号折記号折記号 ページ数ページ数ページ数ページ数 ページ占有率ページ占有率ページ占有率ページ占有率 (%)

A 1 r -126 v a1r- x6v 252 20.0

B 127r -150r y1r- 2B6r 47 3.7

C 150v -191v 2B6v- I5v 83 6.6

D 192r -217v I6r- O1v 52 4.1

E 218r -239r O2r- R5r 43 3.4

F 239v -262v R5v- X4v 47 3.7

G 263r -295v X5r- Dd1v 66 5.2

H 296r -350v Dd2r- Nn2v 110 8.7

I 351r -474v Nn3r-2k6v 248 19.7

K 475r 2l 1r 8 lines 0.0

L 475r -489r 2l 1r-2n3r 29 2.3

M 489v -514v 2n3v-2r4v 51 4.0

N 515r -525r 2r5r-2t3r 21 1.7

O 525v -533v 2t3v-2u5v 17 1.3

P 533v -574v 2u5v- DD4v 83 6.6

Q 575r -576r DD5r- DD6r 3 0.2

R 576v -589r DD6v- GG1r 26 2.1

S 589v -606v GG1v- II6v 37 2.9

T 607r -621r KK1r- MM3r 29 2.3

V 621v -629r MM3v- NN5r 17 1.3

X 629v -630r NN5v- NN6r 2 0.2

Y 630r NN6r 2 lines 0.0

Z 630v -631v NN6v- NN7v 3 0.2

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表表表表 5-2::::BV1 のののの A-Z の項目数とその占有率の項目数とその占有率の項目数とその占有率の項目数とその占有率

項目数項目数項目数項目数 クロスレファレクロスレファレクロスレファレクロスレファレ

ンス数ンス数ンス数ンス数

人名解説項人名解説項人名解説項人名解説項

目数目数目数目数 実質項目数実質項目数実質項目数実質項目数

実質実質実質実質項目項目項目項目のののの占占占占

有率(%)有率(%)有率(%)有率(%)

A 621 16 3 602 11.4

B 193 3 3 187 3.5

C 334 15 4 315 6.0

D 205 7 3 195 3.7

E 180 5 5 170 3.2

F 150 8 2 140 2.7

G 299 2 12 285 5.4

H 324 7 7 314 6.0

I 823 33 7 783 14.8

K 4 0 0 4 0.1

L 226 6 4 216 4.1

M 403 13 1 389 7.4

N 178 5 0 173 3.3

O 67 6 1 60 1.1

P 585 26 4 555 10.5

Q 27 0 2 25 0.5

R 146 8 5 133 2.5

S 316 14 6 296 5.6

T 271 11 4 256 4.9

V 138 6 3 129 2.4

X 15 0 0 15 0.3

Y 1 1 0 0 0.0

Z 39 1 0 38 0.7

合計合計合計合計 5545 192 76 5277 100.0

*2016年 3 月に再調査の結果、数値を修正しました。

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図図図図 5-1 BV1 のA-Zのページ占有率と項目占有率の比較のA-Zのページ占有率と項目占有率の比較のA-Zのページ占有率と項目占有率の比較のA-Zのページ占有率と項目占有率の比較

その傾向はさらに実際の項目の記述の長さを比較しても明らかである。表 5-3に 8ペー

ジ以上記述された著者名を取り上げたが、それらは A-I で始まる名・姓の著者名がほとん

どで、K-Z までの著者名としてはかろうじて Martin Lutherのみである。ルネサンス時代に

大変人気を博して膨大な数の印刷本が刊行されたキケロ(Cicero , Marcus Tullius, 106-43

BC)は Marcus Tulliusで配列されているが、彼でさえ 4ページ(BV1, f. 495v-497r)に過ぎ

ず、プラトン(Plato, ca.428-347 BC)は 2ページ(BV1, f. 563v-564r)、プルタルコス

(Plutarchus, ca.46-ca.120)でも 3 ページ(BV1, f. 565r-566r)、中世の神学者であるトマ

ス・アクィナス(Thomas Aquinus, 1225-74)でさえわずか 4 ページに過ぎない。このよう

な記述の精粗は本書の前半部分(A-I)と後半部分(K-Z)における執筆が、おそらくは前

半部分では時間的な余裕があったために詳しい記述をすることができたが、後半部分に至

って時間的な余裕が無くなり、当初の計画通りに進まず執筆を急いだために、記述が粗く

なってしまったのではなかろうか。

表表表表 5-3 BV1 の主な項目における参照文献とその項目のページ数の主な項目における参照文献とその項目のページ数の主な項目における参照文献とその項目のページ数の主な項目における参照文献とその項目のページ数、行数、行数、行数、行数

著者名著者名著者名著者名 主な参照文献主な参照文献主な参照文献主な参照文献 掲載箇所掲載箇所掲載箇所掲載箇所 ペーペーペーペー

ジ数ジ数ジ数ジ数

行数行数行数行数

Aeneas Syluius T.M. 1464; Maffei; Basel: Bebelius, 1533;

Nürnberg, 1481; Basel, 1538; Strassburg, 1515.

8r-14r 14 629

Alexander de

Ahrodisiensis

Maffei; Basel: Cratandus, 1537; Basel, 1542. 24r-27v 8 349

0

5

10

15

20

25

A B C D E F G H I K L M N O P Q R S T V X Y Z

実質項目の占有率(%) ページ占有率 (%)

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Antoninus Florentinus Lyon, s.a.; Memmingen, 1483; Nürnberg, 1485. 50r-53v 8 393

Aristoteles Stagiritæ Venezia: Aldus, [1494-98]; Basel: Michael Isegrin,

1539.

72v-91v 39 2,009

Augustinus Niphus Venezia, 1537; Napoli, 1526; Venezia, 1534;

Venezia, 1525; Venezia, 1523; Padua, 1492;

Venezia, 1527; Roma, 1537; Venezia, 1521

105v-109r 8 364

Aurelius Augustinus Basel: Officina Frobeniana, 1529; Paris, 1541; 112v-124v 25 1,334

Claudius Galenus Suidas; Basel: Cratader, 1538. 169v-174v 11 499

Conradus Gesnerus Basel: Robert Winter, 1541; Lyon: Frellon, 1542;

Basel, 1540; Zürich: Froschouer, 1542; Zürich,

1544.

179v-183r 8 349

Desiderius Erasmus Basel: Hieronymus Froben, 1540. 197v-204r 14 680

Eusebius Caesareae Hieronymus; T. Cl. ; Basel: Heinrich Petri, 1542. 231r-236v 12 539

Flavius Iosephus Hieronymus; Venezia, 1499; Lyon: Gryphius,

1527; Basel : Officina Frobeniana, 1534; Basel:

Officina Frobeniana, 1544; Basel: Henricus Petrus,

1541.

241r-245r 9 326

Heinrychus Bullingerus Zürich, 1523; Zürich, 1531; Zürich,: Froschouer,

1530; Zürich,: Froschouer, 1539..

303v-307r 8 367

Hieronymus

Stridonensis

Trithemius; Maffei; Basel: Ioannes Froben, 1524-

26.

321v-327v 13 588

Huldrychus Zwingli Züruch: Froschouer, 1545. 343v-350r 14 687

Iohannes Chrysostomus Trithemius 411; Basel: Officina Frobeniana, 1530. 401v-407v 13 637

Ioannes Lodovicus

Vives

Basel: Robert Winter, 1517; Lyon: Trechsel, 1532,

etc.

431r-434r 8 364

Martinus Lutherus Wittenburg, 1529 & 1544; Strassburg, 1525. 501v-505v 9 401

第 2 節 BV1 の情報源について

16 世紀当時ヨーロッパには 5,200名もの著者名を収録した書誌も事典もなかった。図書

館の蔵書数ですら最大でも数千冊であり、1万冊に達する図書館はまだ存在しなかった。そ

のような時代にあってゲスナーはどのようにしてこれだけの膨大な著者名を知り得たので

あろうか。ゲスナーは BV1 の序文の最後(*6v)で調査した図書館と参考文献を列挙している

(図5-2)。わかりやすいようにそれぞれの情報源に番号を付与して訳文を箇条書きで示し、

文献の場合にはその末尾に()に入れてゲスナーが示した文献の簡略な書誌情報を記述し、

ドイツ 16世紀印刷本のデータベース VD 16の書誌番号を示し、さらにゲスナーの旧蔵書に

該当の版がある場合には()内に Gessner’s PLとその番号を示した

83。

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ギリシア語書の整備されたイタリアの図書館で、それらの目録を私が持っているか私自

身が見たものは以下の通りである。

1) ローマのヴァチカンあるいは教皇[図書館]

2) フィレンツェのメディチ[図書館]

3) ボローニャの聖救世主[図書館]

4) ヴェネツィアのベッサリオン[図書館]

5) 聖ヨハネ&パウロ[図書館]、その他

6) ヴェネツィアでは皇帝の大使貴顕なるディエーゴ・ウルタード・デ・メンドーサの[図

書館]。

分散していたものから私が集めた書物

7) ラファエレ・ウォラテッラヌスの『人間の学』(Maffei, Raffaele, Commentariorum

urbanorum Raphaelis Volaterrani, octa & triginta libri, Basel: Johann Froben, 1530)(VD 16 M

114; Gessner’s PL 230)

8) ベルナルドゥス・ルティリウスの『古の法律家の法律について』(Rutilio, Bernardo,

Iurisconsultorum vitae, veterum quidem, Basel: [Robert Winter], 1539)(VD 16 R 3878; Gessner’s

PL 325)

9)ヨハンネス・フィカルドゥスの『1190 年以降に有名になった法律家の法律について』

(Fichard, Johann. Recentiorum vero, ad nostra usq(ue) tempora. Basel: [Robert Winter], 1539)

[8と合刻](VD 16 R 3878; Gessner’s PL 325)

10) ペトルス・クリニトゥス、『ラテン詩人について』(Crinito, Pietro, Viri undecunque

doctissimi. Basel : [Heinrich Petri], 1532)(VD 16 C5878)

11) リリウス・グレゴリウス・ギラルドゥスの『詩人たちの博学なる対話 10 編が記録さ

れた歴史』、その最近のバーゼル版(Giraldi, Giglio Gregorio, Historiae poetarum tam

Graecorum quam Latinorum dialogi decem. Basel : [Michael Isengrin], 1545)(VD 16 G 2106)

12) シンフォリアヌス・カンペギウス、『医学、その他の著者たちについて』(第 6 章参照)

われらわれらの書物の中に全てを加えた著述家たちの目録

13) ヒエロニュムス『聖職にある著者たちについて』(Hieronmus, Sophronius Eusebius,

Scriptorum ecclesiasticorum vitae, Basel: Andreas Cratander, 1529)(VD 16 E 1660)

14) ゲンナディウス同名書(Gennadius, Massiliensis, Illustrium virorum catalogus, Base:

Andreas Cratander, 1529)[13と合刻](VD 16 E 1660)(中略)

15) ヨハンネス・フィカルドゥスの『教会法と市民法における昔の法律家から我々の時代

に至るまでの最近の法律家のすべての著者たちの 2つの索引』、1535年(Fichard, Johann,

Indices duo locupletissimi omnium scriptorum in iure tam Pontificio quàm Ciuili à ueteribus &

Page 8: 5 章 『万有書誌』の書誌学的源泉¬¬5...- 49 - 第5 章 『万有書誌』の書誌学的源泉 第1 節 『万有書誌』に収録された著者について 第2 章で述べたように、BV1

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recentioribus iureconsultis, ab haec nostra usque tempora editorum, Basel: Robert Winter, 1539)

[8 と合刻](VD 16 R 3878; Gessner’s PL 325)

16) ヨハネス・トリテミウスの『聖職にある著者たちあるいは貴顕なる人々の目録』、さ

らに著者によって増補され点検され、そして、1494年までまる 7 年間も集められたもの

(Tritheim, Johann, De scriptoribus ecclesiasticis. Basel: Johann Amerbach, 1494)( ISTC

it00452000)84

われらわれらの書物の中に全てを加えた著述家たちの目録

13) ヒエロニュムス『聖職にある著者たちについて』(Hieronmus, Sophronius Eusebius,

Scriptorum ecclesiasticorum vitae, Basel: Andreas Cratander, 1529)(VD 16 E 1660)

14) ゲンナディウス同名書(Gennadius, Massiliensis, Illustrium virorum catalogus, Base:

Andreas Cratander, 1529)[13と合刻](VD 16 E 1660)(中略)

15) ヨハンネス・フィカルドゥスの『教会法と市民法における昔の法律家から我々の時代

に至るまでの最近の法律家のすべての著者たちの 2つの索引』、1535年(Fichard, Johann,

Indices duo locupletissimi omnium scriptorum in iure tam Pontificio quàm Ciuili à ueteribus &

recentioribus iureconsultis, ab haec nostra usque tempora editorum, Basel: Robert Winter, 1539)

[8 と合刻](VD 16 R 3878; Gessner’s PL 325)

16) ヨハネス・トリテミウスの『聖職にある著者たちあるいは貴顕なる人々の目録』、さ

らに著者によって増補され点検され、そして、1494年までまる 7 年間も集められたもの

(Tritheim, Johann, De scriptoribus ecclesiasticis. Basel: Johann Amerbach, 1494)( ISTC

it00452000)

ゲスナーはさらに BV2-1 の f. 21r (d3)で印刷業者が発行した印刷書目録を列挙している。

17) アルド・マヌーツィオのもの、二折判、3シート。

18) われらのフロシャウアーのもの、八折判、われらが作成したもので 2シート。

19) バーゼルの亡くなった印刷業者クラタンダーのもの。

20) そして、パリの 3人の際立った印刷業者ロベール・エチエンヌ、コリーヌ、ウェシェ

ルのもの。

21) その上、バーゼルのいくつかの印刷業者の索引が文書の中に印刷されている。つまり、

フローベン、イーゼングリン、ハインリヒ・ペトリ、ヘアヴァーゲン、オポリン、ロベ

ルト・ヴィンターのもの、また、ケルンのギムニヒのもの。

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図図図図 5555----2222 ゲスナー『ゲスナー『ゲスナー『ゲスナー『万有書誌万有書誌万有書誌万有書誌』』』』第第第第 1111 巻巻巻巻 6666 葉裏葉裏葉裏葉裏 参考文献一覧参考文献一覧参考文献一覧参考文献一覧

早稲田大学早稲田大学早稲田大学早稲田大学図図図図書館所書館所書館所書館所蔵蔵蔵蔵((((F026F026F026F026----36363636))))

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15-16世紀の印刷出版業者はそれぞれ印刷販売書目録を発行して書物の宣伝を行った

が、ほとんど保存されることがなく現存するものは極めて限られている。ゲスナーが収集

した上記の目録も同様にほとんど現存していない。ところが、ゲスナーは BV2-1および

BV2-2の各分類(Liber)冒頭で、上記の業者とそれ以外の業者も含めて同時代のスイス、

フランス、イタリア、ドイツの印刷業者 20業者に賛辞を捧げ、そのうち 7業者については

彼らの印刷販売書目録を引き写して掲載している(後述)。これらの情報は当時の出版事情

を知るためには極めて重要な資料である。

この一覧に続いてさらに BV2-1, f. 21r-21vにおいて図書館の「索引」を列挙している。

22) ローマのヴァチカンあるいは教皇[図書館]、極めて豊富なギリシア語[索引]。私はラ

テン語のものは所持していない。

23) フィレンツェのメディチ図書館におけるギリシア語[索引]

24) ボローニャの聖救世主聖堂図書館のギリシア語とラテン語[索引]

25) ヴェネツィアのベッサリオン

26) 聖ジョヴァンニ&パオロ

27) 聖アントニオの図書館のギリシア語とラテン語索引

28) アウクスブルクの図書館ではギリシア語索引

29) ロッテルダムの D.エラスムスの豊かな記憶をもつもの

30) アウクスブルクのコンラート・ポイティンガーのもの、そして、その他若干の個人の

図書館における非常に能弁なる索引を私は持っている。

22)~26)については上記 1)~5)と重複しているが、ゲスナーは BV1 の序文では言及しなか

った図書館の「索引」(=蔵書目録)についてここで明らかにしている点は重要である。

さらに、ゲスナーは BV2-1の Liber 1の Pars 7「図書館について、つまり、著者目録、文

字順で De Bibliothecis, id est, catalogis scriptorium, ordine literarum」で有名な施設や図書館を

23項目にわたって記述している(BV2-1, fol.29r-29v)。そのうち 1-18では都市名、図書館名、

蔵書の特徴が簡略に記述されているが、19-23は文献の中で言及された図書館や他項目への

参照である(番号付けは筆者による)。したがって、1-18について具体的な機関や図書館を

以下に挙げてみよう(番号は通し番号)。

31) フランス王のフォンテーヌブロー図書館

32) ヴァチカンあるいはローマ教皇庁の図書館

33) フィレンツェのメディチ図書館

34) ボローニャの聖救世主聖堂と聖ドメニコ修道院の図書館

35) ヴェネツィアの図書館では、第一に枢機卿ベッサリオン、次いで聖アントニオ聖堂、

聖ジョヴァンニ&パオロ修道院。

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36) 皇帝カール 5世のヴェネツィア駐在大使ディエーゴ・ウルタード・デ・メンドーサ

37) ザクセン公ヨハン・フリードリヒによってライプツィヒのパウリヌス学寮に設立した

図書館

38) プロシア公アルベルトゥス・マルキオによるケーニヒスベルクの図書館

39) プファルツ伯オッタインリヒ、次いでアウクスブルクのヨハン・ヤーコプ・フッガー

40) パリのサン・ヴィクトール修道院

41) ダーラム司教リチャード・ド・ベリー

42) ハンガリーのマッティアス王のブダの図書館

43) ベネディクト修道会とカルトジア修道会の図書館(具体的な地名なし)

44) アトスにある最も有名な図書館、パルナッソスあるいはその山にある修道院

45) ボーデン湖畔のコンスタンツ市

46) バーゼルの大聖堂と聖レオナルドゥス聖堂の図書館

47) アウクスブルク公共図書館

48) スイスのベルン議会とシュトラスブルクの公共図書館

これらの図書館の中で 31~35はすでに言及されたものである。ゲスナーが留学あるいは

旅行先で訪問した可能性のないと判断できる図書館は 32-33、37-38、41-44である。このリ

ストの直前の項目に「Bibliothecam nostraわれらの図書館を」とある。これはチューリヒの

グロスミュンスター大聖堂図書館のことであり、このリストに加えるべきものである。留学

から帰郷したゲスナーにとって極めて重要な情報源であったはずである

85。その他、ゲスナ

ーは BV1 でウィーンの図書館の蔵書について言及しているが(BV1, f. 271r: Georgius Pruer

参照)、『万有書誌』執筆までに彼がウィーンを訪問した可能性はない。また、ハイデルベル

クの図書館所蔵の写本について言及しているが(BV1, f. 499v: Marsilius de Ingen)、この図書

館については 1543年にフランクフルトに旅行した際に立ち寄ることもできた。こうして、

ゲスナーは当時ヨーロッパ各地の図書館へ実際に赴いて蔵書を利用し、さらに訪問できな

い図書館についても蔵書目録を入手して情報源として利用していたのである(第 7 章参照)。

以上のようにゲスナーは 16世紀としては極めて稀なことに自らが調査した図書館、図書

館蔵書目録、参考文献について『万有書誌』のいくつかの箇所で明記している。これらの

参考文献や図書館への言及は BV1 の項目の随所に見られる。しかしながら、BV1 を通覧

するとゲスナーが参考にした文献はこれらだけでなく、『スーダ』(ゲスナーは著者名とみ

なして Suidasと表記)、アテナイオス(Athenaeus)、『ギリシア詞華集 Anthologia Graeca』、

キュプリアノス(Cyprianus, St., ca.200-258)、ストバイオス(Stobaeus)などを参照してい

たことが判明する。ゲスナーがこれらの参考文献の中でどのような文献をしばしば参照し

たかという傾向を知るため、項目の中で参照されている参考文献を調査した。この場合の

参照回数は 1項目の中で複数の文献が参照されている場合には最初に挙げられた参考文献

のみをカウントすることに留めたため、全ての文献の参照回数ではない。とりわけ、トリ

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テミウス(Trithemius, Johannes, ドイツ語名 Tritheim, Johann, 1462-1516)は他の参考文献と

は別格に扱われ、該当項目の欄外余白(outer margin)に T., T. cl., T.M.として明記している

ため(BV1 序文*7r でこれらの略語について説明している)、これらの略語があるものにつ

いてはトリテミウスを優先した。トリテミウスの書誌では著者の配列は編年順であるた

め、ゲスナーはその箇所を明確にするために T. cl., T.M. の後にトリテミウスが記した没年

を記載している。また、トリテミウスの記述に疑問がある場合には余白には記述せず、本

文中で指摘している。表 5-4が参照回数をカウントした結果である。

この表から判明するように最も多く参照されているのはトリテミウスである。彼はドイ

ツ中部のシュポンハイム修道院長で多彩な才能を発揮して様々な著書を執筆。彼はヒエロ

ニュムス(Hieronymus, Eusebius Sophronius, ca.347-420)やゲンナディウス(Gennadius

Massiliensis)を参考にしながら、後 1 世紀後半の教皇クレメンス 1世(Clemens I, 在位

ca.90-ca.99)から 1494年に至るキリスト教聖職者による文献の伝記的書誌を作成して 1494

年に上梓した。その後 1512年にパリで第2版増補版を刊行して、巻末に 33名の略伝を追

加した。第 2版は 1531年にケルンで再版されており、ゲスナーはケルン版も参照している

(BV1, f. 418v)(図 5-3)。

ちなみに、トリテミウスに収録された著者は約 1,000名といわれているが

86、今回の調査

では 883名への参照を確認した。それ以外にも第 2、第 3の参照となるケースがあるた

め、ゲスナーはトリテミウスに収録された著者の大半を収録していると推測出来よう。

次に数多く参照されたのは『スーダ』で 344名である。『スーダ』は 10世紀に東ローマ

帝国で編纂されたギリシア語の事典である。ゲスナーは’SVIDAS’の項目で 1544年バーゼ

ルのフローベン版を著録している(BV1, f. 604v)(VD 16 S 10112)。収録された古代ギリシ

ア人については『スーダ』を典拠とする場合が多い。

続いて回数が多いのがアテナイオスで 325回である。アテナイオスは後 2世紀末に活躍

した著述家で、ローマ皇帝コンモドゥス(Commodus, Lucius Aurelius, 161-192)の死後数年

以内に開催された各分野の賢人たちを集めた饗宴についての膨大な記録『食卓の賢人たち

Deipnasophistai』を執筆し、約 1,250人もの著述家を引用したという

87。ゲスナーが著録し

たアテナイオスの版は 1535年バーゼルのヨハン・ヴァルダー(Walter, Johann)版である

(BV1, f. 98v)(VD 16 A 4003)。彼はアテナイオスを頻繁に参照してギリシア人の著述家

を加えたが、大半の記述は以下のように極めて簡略である。書名などが記載される例はわ

ずかである。

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表表表表 5-4 BV1 ににににおける文献別の参照回数(各項目で最初に示された文献のみを算定おける文献別の参照回数(各項目で最初に示された文献のみを算定おける文献別の参照回数(各項目で最初に示された文献のみを算定おける文献別の参照回数(各項目で最初に示された文献のみを算定))))

項目項目項目項目

数数数数

トリテミトリテミトリテミトリテミ

ウスウスウスウス

スースースースー

ダダダダ

アテナイアテナイアテナイアテナイ

オスオスオスオス

ギリシアギリシアギリシアギリシア

詞華集詞華集詞華集詞華集

キュプリキュプリキュプリキュプリ

アノスアノスアノスアノス

ストバイストバイストバイストバイ

オスオスオスオス s

マッフマッフマッフマッフ

ェイェイェイェイ

ヒエロニヒエロニヒエロニヒエロニ

ュムスュムスュムスュムス

ゲンナゲンナゲンナゲンナデデデデ

ィウスィウスィウスィウス

A 602 95 22 48 30 0 15 17 0 0

B 187 52 0 1 4 0 0 0 6 0

C 315 37 4 23 7 7 12 6 4 0

D 195 17 36 37 10 5 10 3 6 0

E 170 25 17 34 7 3 5 4 4 3

F 140 26 0 0 0 6 0 3 1 2

G 285 79 1 3 0 3 0 8 5 1

H 314 78 21 33 6 5 10 6 5

I 783 155 8 6 3 33 1 5 5 3

K 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0

L 216 33 14 10 6 8 0 1 2 0

M 389 40 25 32 12 10 0 4 6 2

N 173 25 15 16 9 5 5 1 0 2

O 60 13 4 1 2 0 2 0 2 1

P 555 76 82 36 19 13 11 10 10 7

Q 25 1 0 0 0 4 0 1 0 0

R 133 49 1 3 2 3 0 2 0 0

S 296 31 36 21 6 11 8 4 5 0

T 256 28 46 11 9 5 7 1 7 2

V 129 22 3 2 0 9 0 4 1 6

X 15 0 2 4 0 0 0 0 0 0

Y 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

Z 38 1 7 4 5 1 0 0 0 0

合合合合

計計計計 5277 883 344 325 137 131 86 80 64 34

項目数を実質項目数の数値に修正しました。

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図図図図 5555----3333 トリテミウストリテミウストリテミウストリテミウス『『『『聖職にある著者たち聖職にある著者たち聖職にある著者たち聖職にある著者たちのののの目録目録目録目録』』』』ケルンケルンケルンケルン、、、、1531531531531111 年刊年刊年刊年刊

標題標題標題標題紙紙紙紙 早稲田大学図書館早稲田大学図書館早稲田大学図書館早稲田大学図書館所蔵(所蔵(所蔵(所蔵(F191F191F191F191----365365365365))))

Page 15: 5 章 『万有書誌』の書誌学的源泉¬¬5...- 49 - 第5 章 『万有書誌』の書誌学的源泉 第1 節 『万有書誌』に収録された著者について 第2 章で述べたように、BV1

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ALEXANDRIDAE poetæ fabulas citat Athenæus, quatuor in locis. (BV1, f. 28v)

DIODORVS Erythræus Ephemerides Alexandri scripsit. Athenæus lib. 10. (BV1, f. 207r)

DIOGENIS Tragici Semelen Athenæus citat. (BV1, f. 207r)

DIONYSIOCLES quida(m) dipnosophista ab Athenæo introducitur in Symposiacis. (BV1, f.

208v)

次は『ギリシア詞華集』で、137回である。ゲスナーは『ギリシア詞華集』を Anthologia

Graeca, Florilegia Graeca, Florilegia Planudesなどのタイトルで記載している。『ギリシア詞

華集』は古来伝わってきた様々なエピグラム(短詩)集である。最後の編纂がプラヌデス

(Planudes, Maximus, ca.1260 – ca.1305)によるもので、7書から構成されて、多数のギリシ

アの詩人たちの作品が収録された。ゲスナーが利用した版は 1521年のヴェネツィアのアル

ド(Aldo Manuzio, ca.1450-1515)版であり(EDIT 16 CNCE 1973)、各書の内容を簡単に記

述している(BV1, f. 504r)。ギリシア詞華集に収録された詩人たちの項目の記述も以下の

ように簡略なものが多い。

ARABII scholasici epigrammata 7. in Florilegio Planudis, libro 4.(BV1, f. 68r)

DIOCRIDIS cuiusdam Distichon in 4. libro Anthologij.(BV1, f. 206v)

ギリシア詞華集と同様に参照されたのがキュプリアヌスである。キュプリアヌスは3世

紀の人でキリスト教に改宗して間もなくカルタゴ司教に就いた。ゲスナーはキュプリアヌ

スについてはバーゼルのヨハン・フローベン(Froben, Johann, ca.1460-1527)による 1521

年版(ゲスナーは 1520年と記述)(VD 16 C 6509)とリヨンのグリフィウス(Gryphius, 仏

語名 Gryphe, Sébastian, 1492-1552)による 1528年版の著作集(USTC 121996)に基づいて

書簡集について内容を詳細に記述している(BV1, f. 151r-152r)。ゲスナーはこの書簡集に

含まれた著述家について項目を立てているが、各項目の記述は以下のように簡略である。

CASSII a Macomadibus uerba apud Cyprianu<m> in sententijs episcoporu<m> de haereticis

baptizandis.(BV1, f. 163v)

DEMETRIVS quidam, author secundae & duodecimae epistlaae apud Cyprianum lib. 1 cum

alioquot alijs coepiscopis.(BV1, f. 195r)

次に参照されたのがストバイオスである。ゲスナーは BV1 を執筆する過程でギリシア語

版ストバイオスの校訂を進め、1543年にフロシャウアー印刷所から上梓している(VD 16

J 769)。BV1 にもそのことが記述されている(BV1, f. 182r, f. 456r)。ストバイオスは 5世紀

初めに多数の詩人や散文作家の作品からの抜粋集を編集し、古典古代作家の有益な引用集

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として知られた。ストバイオスに引用された作家についてはアテナイオスにも知られてい

たもので、さらに『スーダ』にも記述されていたため、BV1 ではアテナイオスや『スー

ダ』がストバイオスよりも先に参照されていることが多い。ゲスナーによるストバイオス

に由来する項目の記述も以下のようにやはり簡略なものが多い。

CARCINI fabulae a Stobaeo citantur. De duobus Carcinis Tragicis lege Suidam.(BV1, f. 161v)

次に参照が多かったのはラファエレ・ウォラテッラヌス(ラファエレ・マッフェイ

Maffei, Raphaele, 1451-1522)である。16世初頭のイタリアの人文主義者マッフェイの著作

には BV1 の序文で記述された『人間の学 Anthropologia』という書名はなく、実際に利用さ

れたのは「人間の学 Anthropologia」を含む『諸都市の記録 Commentarius urbanorum』であ

る。本書は「地理学」、「人間の学」、「文献学」の 3 書からなる百科事典的著作である。ゲ

スナーは古代ギリシア・ローマの著者などを収録するにあたってマッフェイをしばしば参

考にしている。上述のようにゲスナーは 1530年バーゼルのフローベン版を所蔵している。

マッフェイを参照した項目はアテナイオスや『ギリシア詞華集』と比較して記述が詳細で

ある。

これらの他、ヒエロニュムスとゲンナディウスの書誌はトリテミウスの書誌の伝記部分

の源泉でありしばしばトリテミウスとともに参照されている。

これらが全巻にわたって参照された主要な参考文献であるが、実際にはその他にもキケ

ロ、3世紀の哲学者ディオゲネス・ラエルティオス(Diogenes Laertius)、ガレノス

(Galenus, Claudius, ca.130-ca.210)、15世紀のアンゲルス・デ・クラワシオ(Angelus de

Clavasio, イタリア語名 Carletti, Angelo, ca.1410-95)の『良心問題大全 Summa Angelica』(後

述)や、アンジェロ・ポリツィアーノ(Poliziano, Angelo, 1454-94)の著作など様々な文献

が引かれているが、ここではそれらは省略した。

以上のような参照を付した項目は全体の半数に達しない数であり、文献が参照されてい

ない項目が実際には多数ある。このような項目の典拠としてゲスナーが大いに利用したの

は活版印刷された印刷本そのものであった。ゲスナーは 15世紀後半から 16世紀前半にか

けてスイス、イタリア、フランス、ドイツその他で印刷刊行された書物の出版情報を広範

囲に収集していた。その成果が上記の 17~21である。特に、同時代のバーゼル、チューリ

ヒ、ヴェネツィア、パリ、リヨン、ケルンなどで活躍した有力な印刷業者による印刷書も

本書の基本的な情報源であったと考えられよう(第 7 章参照)

88。

第 4 節 BV1 の書誌の記述方法

次に書誌の記述方法について見てみよう。ゲスナーは著者について記述するにあたりい

くつかの記述方法を用いている。それはその人物と文献についてどこから情報を得たかに

よって区別され、大きく2種類に分けられよう。

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1)トリテミウスに由来する記述

2)トリテミウスに由来しない記述

1)は上記のようにクレメンス 1 世から 15世紀末にいたるキリスト教聖職者の著述家の

略伝を死亡した年代順に著録したものである。その記述方法は著者の生い立ちから活躍ま

での略伝、書名と巻数のみの著作リスト、著作に関する若干の説明、死亡の記述の 4部か

らなる。ゲスナーはトリテミウスの記述を単純に引き写しのでななく、略伝については身

分・地位、出身国、故郷および活躍した分野などだけを引用している。一方、著作リスト

と著作に関する説明は改変せずに抜き出したが、死亡の記述はすべて省いている。その

後、印刷本が知られている場合には印刷本の書誌を記述し、目次、さらには著書の序文も

しばしば引用している。つまり、ゲスナーはトリテミウスの記述を換骨奪胎して略伝を短

縮し、トリテミウスには知られていなかった新しい文献情報を追加したのである。この記

述方法の例は、アエネアス・シルウィウス(Aeneas Syluius、ローマ教皇ピウス 2世、イタ

リア語名 Piccolomini, Enea Silvio, 在位 1458-64)の項目に見ることができる(BV1, f. 8r-

14r)。この項目の先頭の欄外には T.M. 1464という死亡年が示されている。ゲスナーによ

る記述は次の通りである(BV1, f. 8r)。

AENEAS Syluius, dictus postea Pius papa secundus, natione Tuscus, patria Senensis. Descrptis

eius subiecta feruntur, magnis eloquentiæ neruis composite.

(アエネアス・シルウィウスは後に教皇ピウス 2世と呼ばれたが、トスカーナの人でシ

エナの生まれである。彼の叙述の範疇は整然と大きな活力のある雄弁さで広く知られて

いる。)(拙訳)

そして、すぐにトリテミウスが示した書名と巻数のみの著作リスト(2欄組で全 48書)

が引用されている。次にトリテミウスによる 2 行の解説もそのまま引用されている。

Epigrammata plura, & quaeda(m) alia elegantissima,quae ego non uidi opuscula scripsisse dicitur,

quibus nomen suum posteris notificauit.

(短詩はさらに多く、その他のものも極めて洗練されているが、彼の名前を後世に知らせ

たと言われるような著作を私は見ていない。)(拙訳)

それに続くトリテミウスの 3 行の死亡の記述は省略されて、アエネアスの著作について

の解説となる。初めはマッフェイによるアエネアスの地理学研究(’historiam orbis

geographiae’)に関する記述 5行が引用されている。続いて『ブロンドゥスの 10巻本の要

約’decadum Blondi epitome’』を挙げている。本書はフラヴィオ・ビオンド(Biondo, Flavio,

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1392-1463)による『ローマ帝国の衰退の歴史 10書 Historiarum ab inclinatione Romanorum

imperii decades』をアエネアスが要約したもので、’Bebelus Basil: 1533. in fol. Operis chartæ

sunt 44.’(バーゼルのベベリウス、1533年、二折判、作品のシートは 44である)という出

版事項と対象事項を記述して版を特定している(VD 16 B 5534)。ゲスナーは版を特定する

ために印刷者、印刷地、印刷年、判型、シート数という必要にして十分な書誌情報を記し

ている。

続いて、アエネアスの’familiarium epistolaru<m> opus’(友人書簡集)を取り上げて、そ

の出版事項と対象事項を’Excusum Norimbergae in folio, anno 1481. Chartas habet 114’(二折判

でニュルンベルクにて 1481年刊行されたもの、114シートある)と記録している(BV1, f.

8v)。本書簡集には 431通の書簡が収録されていることを説明して、書簡の一覧を f. 9vに

かけて記述している。つまり、トリテミウスには知られていなかったアエネアスの著作が

その後印刷刊行されたため、ゲスナーはそれらの内容について詳しく記述した。

次に、2)の典型的な例としてアリストテレス(Aristoteles Stagiritæ)を見てみよう。

BV1 で最も長く記述された項目である(BV1, f. 72v-91v)。

ARISTOTELIS Stagiritæ opera Græca plæraq(ue) primus excudit Aldus Venetijs in diuersis

uoluminibus in folio, adiectis passim Theophrasti quoq(ue) libris. Vltima uero & castigatissima

quod sciam æditio Græca prodijt Basileæ ex officina eruditisanè diligentissimiq(ue) typographi

Michaelis Isingrinij, anno 1539 in fol: char. 268. Adiectis etiam duobus opusculis de plantis, &

uno de uirtutibus.

(スタギラ出身のアリストテレスのギリシア語版著作集はほぼヴェネツィアのアルドゥ

ス 1 世が二折判の数巻本で刊行し、テオフラストスの書をあちこちにまた付け足したも

のである。確かに最新で最もすっきりしたものとして、我々は、バーゼルの博学で最も

慎重なミヒャエル・イーゼングリンの印刷所から 1539年に二折判 268シートで出たギリ

シア語版を知っている。しかも植物に関する 2 書と美徳に関する 1書を付け足してい

る。)(拙訳)

ここには略伝はなく、著者名、書名、印刷地、印刷者、印刷年、判型、シート数あるい

は巻数、付録物の項目からなる書誌記述が行われている。アルド版には巻次の表記はない

が5巻本であることは知られていたはずである。刊行年(1495-98年)も各巻のコロフォ

ンに印刷されていたが、ゲスナーはそれを明記していない。むしろ、バーゼルのイーゼン

グリン 1539年版(VD 16 A 3280)については対象事項にシート数を明記している。この違

いはゲスナーが実際に閲覧した版がバーゼル版であったことを裏付けている。

この記述に続いて、f. 73rの 1 行目から7行目までアリストテレスの極めて簡潔な略伝を

記述し、次いでディオゲネス・ラエルティウスによる評価とフィロポノス(Philoponus,

Iohannes)による伝記の存在、スーダには伝記が見られない点などを指摘する。それに続

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いて、アリストテレスの各書についての内容解説と目次が 38ページにわたって記述されて

いる。ゲスナーが調査して内容を詳細に記述するもとになった版は上記のバーゼル版であ

ることが、ゲスナー旧蔵書の調査で判明した(Gessner’ PL 29)89。ゲスナーはこのバーゼ

ル版に膨大な書き込みを行っていた

90。この版のギリシア語テキストにはそれぞれの著作

の章立てが行われていないため、ゲスナーは独自に章節をギリシア語(一部ラテン語)で

書き込んでいた。それを BV1 の中でラテン語に訳して記述していたのである。その結果、

アリストテレスの項目は BV1 で最長の記述となったのである。ゲスナーのアリストテレス

への関心の高さが如実に示されている。

つまり、ゲスナーはトリテミウスに至るまでの略伝を中心にした中世的な書誌記述の方

法を改良して、なるべく略伝を短くして著作とその出版情報および内容を重要視して書誌

を編集しようとしている。その例外もある。それはゲスナー自身の項目である。彼は BV1,

f. 179v-183rで 8 ページにわたって自身の半生と著作について詳細に語っている。そのた

め、ゲスナー研究にとっても不可欠の資料となっている。

また、アリストテレスの記述にあるように著作集・全集が刊行されている著者についは

ほぼその巻次通りに各巻の内容を詳細に解説し、目次を示し、序文を引用するなどしてい

る。その代表例は、アリストテレスの他に、アウグスティヌス(Augustinus, Aurelius, 354-

430)、エラスムス、ツヴィングリなどである。アウグスティヌスを例に説明してみよう。

トリテミウスはアウグスティヌスについて 1494年バーゼル版では f. 21r-24r、1531年ケル

ン版では f. 26v-30rで詳しい解説を行い、7 ページにわたる著作リストと 430年の没年を明

記している。しかしながら、ゲスナーは BV1, f. 112vから 25ページにわたってアウグステ

ィヌスの記述を行っているが、トリテミウスの記述を一切用いていない。

AVRELII Augustini Hipponensis episcopi omnia opera, summa uigilantia repurgata à mendis

innumeris per Des. Erasmum Roterodamum, cum indice copiosissimo. Excusa Basileæ in officina

Frobeniana, anno 1529. in magno folio, chartis 2043. Sunt autem tomi 10. in fol. Eadem rursus

totidem tomis Lutetiae Parisiorum exiuerunt in fol. anno 1541.

(ヒッポの司教アウレリウス・アウグスティヌスの全集はロッテルダムのデシデリウ

ス・エラスムスによって注意を怠ることなく数えきれない誤りからきれいにされた全体

であり、豊富な索引を伴う。それはバーゼルのフローベン印刷所で 1529年に大型二折

判、2,043シートで刊行された。その上二折判 10巻である。同様に同数の巻がパリから

再度二折判で 1541年に刊行された。)(BV1, f. 112v)(拙訳)

続いてすぐにフローベン版に基づいて第 1-10巻までの内容をエラスムスの序文や評価を

引用しながら 25ページにわたって極めて詳細に解説している。ここには著者の略伝や他者

による言及、トリテミウスへの言及やその他の参考文献すら記載されていない。

なお、ゲスナーは他の著者の項目でもエラスムス編集・校訂の書物ではエラスムスの序

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文を好んで引用しており(例えば BV1, f. 196r: Demosthenes)、ゲスナーのエラスムスへの

敬意がうかがわれる。

第 5 節 図書館所蔵のギリシア語写本についての言及

最後に、ギリシア語文献については印刷本のほかに写本への言及がある。ただし、ゲス

ナーは、アリストファネス(BV1, f. 71r-72v)、アリストテレス、ホメロス(BV1, f. 335v-

336v)、プラトン(BV1, f. 563v-564r)、プルタルコス(BV1, f. 565r-566r)などの写本につ

いては一切触れておらず、アルドのギリシア語版などに基づいて著作を解説している。実

際に図書館に所蔵されている写本についての言及をいくつか見てみよう。

DEMETRII Triclinij inuentum astronomicum Graece D. Diegus Hurtadus Caesaris Venetos

legatus habet.

(デメトリオス・トリクリニオスの「天文学発見」のギリシア語[写本]を皇帝のヴェネ

ツィア使節ディエーゴ・ウルタード閣下が持っている。)(BV1, f. 195v)(拙訳)

DEMOPHILI cuiusdam liber Graecus de curatione uitae, ex Pythagorae & aliorum sapientium

dictis: Romae extat in Vaticana. Sed uerba Graeca in catalogo unde haec descripsi corrupta

erant: ...

(ピュタゴラスやその他の哲人たちの言ったことに由来するデモフィリオスの人生の監

督についてのあるギリシア語書がローマのヴァチカンにある。しかし、目録に記述され

たギリシア語の言葉は不適切であった)。(以下略)(BV1, f. 195v)(拙訳)

シチリアのディオドロス(Diodorus Siculus)の写本については以下のように伝えている。

Extant etiamnum Graece præter impressos, priores quinq<ue> libri, & reliqui à decimo ad

decimumsextum, Venetijs apud Diegum Hurtadum Legatum Caearis:

(印刷本以外に、より古い 5 巻と 10巻から 16巻を残すギリシア語[写本]が今でもヴェ

ネツィアの皇帝の使節ディエーゴ・ウルタードのもとにある。)(BV1, f. 207r)(拙訳)

次は、ディオン・クリュソストモス(Dion Chrysostomus)の写本についての言及である。

Dionis Chrysostomi orations 80. D. Diegus Hurtadus Caesaris Legatus Venetijs habet: in alio

quodam nescio cuius Italicae Bibliothecae catalogo Dionis sermones 83. extare legi. … nec aliud

esse puto uolumen in philosophia morali huius authoris nomine Venetijs in bibliotheca SS. Io. &

Pauli.

(ディオン・クリュソストモスの弁論集 80書。ヴェネツィアの皇帝の使節ディエーゴ・

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ウルタード閣下が持っている。どこか私の知らないイタリアの図書館の別な目録にはデ

ィオンの講話集 83書があるということを読んだ。(中略)ヴェネツィアの聖ヨハネ&パ

ウロの図書館では道徳哲学の中にこの著者の名による別の巻があるとは思われない。)

(BV1, f. 208v)(拙訳)

図書館におけるギリシア語写本についてのゲスナーの言及は BV1 に頻繁に見られるが、

最も頻繁に言及されている図書館はディエーゴ・ウルタード・デ・メンドーサの図書館と

ヴァチカン図書館である。前述のようにゲスナーは序文でベッサリオンの図書館も挙げて

いるが、彼がヴェネツィアを訪問した 1543年当時はベッサリオンの旧蔵書はまだ公開され

ておらず、ゲスナーは 1468年に作成された目録かあるいは 1543年に作成された記述の不

十分な目録を参照したと思われる

91。ホブソン(Hobson, Anthony)は、メンドーサはこの

蔵書には自由に接することができたと述べて

92、ゲスナーが利用できた可能性を示唆して

いるが、BV1 ではこの旧蔵書に含まれるギリシア語写本についての言及は極めて少なく、

実際にはゲスナーがどれだけ利用できたかは明らかでない。

このようにゲスナーはギリシア語写本について図書館の所蔵を記録して本書に大きな特

徴を与えているが、ラテン語やヘブライ語の写本についてはほとんど言及していない。こ

の点で本書が写本の総合目録とする見解はまったくの誤りであることは明らかであろう。

第 6 節 まとめ

以上、BV1 について書誌学的な観点からの研究によって判明したことをまとめておく。

まず、BV1 に収録された著者名は従来の見解のように約 3,000名ではなく約 5,200名で

ある。著者と著作の情報源は、BV1 の序文末尾に列挙された図書館と蔵書目録、同時代の

参考文献ばかりでなく、そこでは言及されなかったアウクスブルク、ウィーン、ハイデル

ベルクなどの多くの図書館とその目録、さらに『スーダ』、アテナイオス、『ギリシア詞華

集』、キュプリアノス、ストバイオスなどの古典文献であった。彼はこれらから 16世紀と

しては圧倒的多数の文献情報を得ることができたのである。

ゲスナーは本書の編集において A-I の前半と K-Z の後半では執筆方針を変えていた。前

半で相当詳しく著作の内容を記述していたが、後半では記述はかなり短縮している。これ

はおそらく時間的な余裕がなくなり、執筆を急いだためと考えられる。

そして、著者に関する記述方法ではヒエロニュムス以来の伝統であり、トリテミウスに

よって完成された著者の略伝を主体とする記述を改め、略伝をなるべく短くするか省略し

て、著作についての記述を重要視した。ゲスナーはトリテミウスが示した書名・巻数から

なる簡単な著作リストをそのまま引用しているが、一方ではトリテミウスに収録されてい

ない著者については他の参考文献を利用して採録していた。また、トリテミウスに収録さ

れている著者についても印刷本の情報を積極的に取り上げている。その記述項目は基本的

には著者名、出身地、職業あるいは専門分野というトリテミウスが行っている記述に加え

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て、書名、印刷地、印刷者、印刷年、判型、シート数、cum (=with)注記、内容解説、目

次、序文からの引用などである。つまり、彼が採用した記述方法は中世的な略伝を主体と

するの記述から脱却して、近代的な書誌記述に近づいていることが明らかであった。この

点が本書の大きな特徴であるといえよう。それ故、ゲスナーは「近代書誌学の父 Father of

Bibliography」93と呼ぶにふさわしいのである。

一方、BV1 には図書館の所蔵情報が随所に記録されているが、その対象はほぼギリシア

語写本であり、ラテン語やヘブライ語の写本についてはほとんど触れられていない。それ

はゲスナーがギリシア語学者としてギリシア語文献に多大な関心をもっていたからであ

る。それ故、本書が写本目録を目指して執筆されたものでないことは明らかである。むし

ろ、彼が標題に述べたようにラテン、ギリシア、ヘブライ語で執筆された古今の文献で現

存するもの、しないもの、学術的、非学術的、印刷出版されたもの、特にギリシア語の写

本については図書館に所蔵されているが出版されていないものも含めたあらゆる書物の著

者の書物を収録した目録であることが判明した。

次に、今後の課題であるが、まずは収録された書物の数量の問題である。上述の戸田慎

一が指摘するように、ゲスナーの様々な記述から書物の数を算定するのは困難がある。ト

リテミウスによる著作リストとゲスナー独自の記述では書誌レベルが異なっているからで

ある。トリテミウスは単純に書名を列挙するが、それは 1 冊の書物の場合もあるし 1論文

の小編の場合もある。しかし、ゲスナーは同じ書物の諸版を少なからず収録しており、ま

た印刷された全集や著作集も多数記述している。さらに、写本も記録していることから、

書物をどのようなレベルで 1 点とカウントすればよいのか判断が非常に難しい。したがっ

て、現時点ではフィッシャーのように「数万点」とするほかはないであろう。

したがって、より実際的な書物の点数を知るためには、BV1、BV2-1、BV2-2、あるいは

後続する Appendix、Epitomeに著録された著者、その専門分野、タイトル、印刷出版され

た書物の書誌情報、内容細目、参照文献、図書館所蔵情報などについてさらにデータを精

査しながらデータベース化を図り、そこから回答を得るほかには方法はなかろう。もしこ

のようなデータベースが構築されれば、16世紀にゲスナーが知り得たヨーロッパの文献情

報を正確に把握することができるようになり、当時の学問文化、文献の引用関係、印刷出

版事情などをより具体的に研究するためのリソースとなるはずである。すなわち、今後の

課題は『万有書誌』データベースの構築であり、どのような方法でそれが可能になるかを

具体的に検討することであろう。