5
0 す列批を相世代規 ていつに祇祁鐘江若固内河 理に瞳せんとする解 雷火明祁を祭祁として祁 とするの愛営ならざるな言 鏡作祁祇が古来より火明命を祭祁 の河一内若江鏡祁祇の祭祁も火明祁 しむ黙は無い。随て文徳笹錐の記事に はこの若江鏡祁祇を指すものと解す為の最 ものと信じられる。(拙稿「祁祇より見たろ 園畢院雑誌三五ノご 尚獄は更に進んで本誌の創建年代の推定を試み度いので がこれは単なるこの若江鏡紳冠の問題でなく一般に渉ろこと となるから他日これについては認括的考察走行ふ機含に譲る ことLでろ。(雑)昭和四年十二月六日稿成。 11Iil 「飛鳥奈良時代に於ける鐘作」訂正 一四頁一一一行是等から推せば.…:論及して見犬い。を 一,是等から推せば前記の鏡造と云名瀞も、この時代にな って新らたに起つれものであるかも到らない。価でこれ 起確めろ働駒更に進んで査際の迩物から営代に於ける本 邦製の鏡が現存して居るかどうかごいふ率に就いて論及 して見犬い。」と訂正 一四頁一五行本邦舶戦(正)支那舶載 一六頁二行大寺大伽(正)束大寺大伽 一一四頁一一行そして誓迩妙……推定されろ。を 一,そして多くの場合斡迩の鎧工が識鏡たし龍ことであら うが、中には叉茨専門の鍔鏡工が居なかったミも漸言に 出来ない。。」と訂正(三五ノセ難所職) 御まねばならぬのである。 “現代世相の由て采った所以l篤政者の罪もある.新聞雑誌の罪もある、教育制度の篭が衝した責もあい Ⅷろ、政蝋も悪い、所謂高位高官の人々は更なり、畢宥と呼ばれ識者,こいはれる人達亦その麦を負ふく言であ峨 岬らう◎鼓に於て私共は、現代世相の内容を十分に検討しなければならない。さうして病根を究めると共にこれ州 》が根本的治雲l藻的具需な方策嘉てればならぬ.よりよきもの種創造しなければならぬ.三W 州から国○三へ,これは私共にとって渡に緊急の問題であるのだ。 》此際、日本主義を高く標袴し思想戦の第一線に立って皇一画の篇め日夜奮闘せられつ上ある各雑誌主幹の高い 》見は、必ずや談者諸君の胸奥に硬く響くことL信ずる。各家各儀の立場あり、説くところ必ずしも一ならざⅧ 岬ろも要はよりよきものを見出して明日への建設に蚕せんとする、もの敢て諸君の精誠を切望する。(進藤刀水)岬 卵↑こぎ『ごぐこご■くぎ、ご●こ-。こくごこぎもこぎ身ら。こぎ、ご・こむロ『ご℃乏一亀ご・こぎ『ミニこぎ口こぎ『ご一こぎ二三一二重・くぎ、ご二三言二言こぎ、こ一己ども二一ワニミミーミミ。ごき『ごa急一画、ご《急ぎもこぎ二三こぎ『ごマこぎ『三三三つ、こぎ二』ロ二一三言。二言差』、三二p、三・一二●もご知 主義』を標傍力説し来りし民政灘内閣の今期議脅に於け ・しきシしまのみち復血〈ご畢術革命 る一一一一口論回避は、これ資にその『議含中心主義』そのもの 『原理日本』蓑田胸喜約言すれば議含政治の思想的否定であり,逆言すれば二 十世紀の鍵態的専制政治の具現であるが,一般言論界特 洞ひ堂く『民政』の語を選びて蹴名に負ひ『議舎中心に政友禽難員中に一人あって民政難のこの自家撞着を指 卸へダダもグ&■毎、夕r、ク』●グ、づけ、夕色■少、a●『夕、。●、a●も少』、〃、グ■も夕、づ●、空、■●、グQ■ジ、クタ、夕●●グ、タク、グ巳●夕、コク、今a●夕』今。、夕巳やグ、aけ、。や●グ、夕●、ゴら●餌一夕g、苧色もグミ4p、グ赴■〃へ③●、夕己C●、ロ●●P、夕■も夕、〃P、戸旬9夕』jケ、グ●も〆、“グ、一■●夕、夕夕、つ●①ダニ○グ、P▲oグもつ●、ゴ巳もゲヘタワ、つ巳もグ、ロ●、夕■■夕、。”、づ、自夕、幻。■グミaP勺毎や■夕、1■『グ』■夕、タご■、 州世相の険悪‘と人心の荒溌とを菱ふくく、今ば最うその時では無い。これは虞に悲しい、そして嘆かはしい唖 抽ことだけれども、正に事溌である。が、唯徒に悲んだり嘆いたりばか・りはして居られぬ。私共は更に一歩進部 溌代世繍を蝋 41 I,11剛li Ii 第一『ぬかご』俳句 俳誌「ぬかご」主幹水野六山人氏の 和三年九月から四年九月まで同誌上「 纏めたもので、四六判二百徐頁、句数約三 今後毎年十月に刊行する年刊句集の第一集で 俳句は平民文皐として四百年の歴史を有し、劉象 自然に需むる吾邦問有の文蕊であり、悶梓丈蕊として 界に誇る可きもので.あるのは、民族的思想に融合一致せ るが篇めであって、生活を基調とし自然概照に立脚せる もので無くてはならぬ、と言ふのが其の主張であるo 年変人へだてなきま上上り来し 紅山 卒業式の歌にいつしか咽喉かれし 宏堂 鎌街子に母忙しなき厨かな萩香女 此の子のみは世に出したき夜皐かな北水 つ上ましく御用納めて部屋掃きしまさの 試みに各季人事棚の初句を畢けて見たに過ぎないが、 雪象匿汎にして描篇平明、季題偏重の弊を捨て上専ら「生 活を認ふ」其の努力は認め得らるLのである。(慨登側式 袷嬢麹町唾丸の内三ノ+これかご祇) 書架より 坐0

蓑田胸喜「しきしまのみち復興と學術革命」

Embed Size (px)

DESCRIPTION

小特集「現代世相を批判す」より抜粋。 『國學院雑誌』第36巻第6号(昭和五年六月号)-1930年加工して消してあるが、蓑田を含めた小特集の執筆者は原理日本 蓑田胸喜「しきしまのみち復興と學術革命」命(ミコト) 千家尊建「倫理的公有」國體科學 里見岸雄「國體の社會的把握を要す」日本主義 赤尾敏「社會主義と共に排撃すべき資本主義」

Citation preview

Page 1: 蓑田胸喜「しきしまのみち復興と學術革命」

0

す 列 批 を 相 世代規 ていつに祇祁鐘江若固内河

理に瞳せんとする解繰を求めるまでも無く、古来より大

雷火明祁を祭祁として祁ってゐ一つ若江鏡祁祇を以て夫れ

とするの愛営ならざるな言やを思はしめる。殊に大和の

鏡作祁祇が古来より火明命を祭祁とせることを想・《とこ

の河一内若江鏡祁祇の祭祁も火明祁を祁つ・たとして何等粧

しむ黙は無い。随て文徳笹錐の記事に見える大雷火明祁

はこの若江鏡祁祇を指すものと解す為の最も常を得たる

ものと信じられる。(拙稿「祁祇より見たろ鏡作部」参照

園畢院雑誌三五ノご

尚獄は更に進んで本誌の創建年代の推定を試み度いのである

がこれは単なるこの若江鏡紳冠の問題でなく一般に渉ろこと

となるから他日これについては認括的考察走行ふ機含に譲る

ことLでろ。(雑)昭和四年十二月六日稿成。

11Iil

「飛鳥奈良時代に於ける鐘作」訂正

一四頁一一一行是等から推せば.…:論及して見犬い。を

一,是等から推せば前記の鏡造と云名瀞も、この時代にな

って新らたに起つれものであるかも到らない。価でこれ

起確めろ働駒更に進んで査際の迩物から営代に於ける本

邦製の鏡が現存して居るかどうかごいふ率に就いて論及

して見犬い。」と訂正

一四頁一五行本邦舶戦(正)支那舶載

一六頁二行大寺大伽(正)束大寺大伽

一一四頁一一行そして誓迩妙……推定されろ。を

一,そして多くの場合斡迩の鎧工が識鏡たし龍ことであら

うが、中には叉茨専門の鍔鏡工が居なかったミも漸言に

出来ない。。」と訂正(三五ノセ難所職)

御まねばならぬのである。

“現代世相の由て采った所以l篤政者の罪もある.新聞雑誌の罪もある、教育制度の篭が衝した責もあい曲

Ⅷろ、政蝋も悪い、所謂高位高官の人々は更なり、畢宥と呼ばれ識者,こいはれる人達亦その麦を負ふく言であ峨

岬らう◎鼓に於て私共は、現代世相の内容を十分に検討しなければならない。さうして病根を究めると共にこれ州

》が根本的治雲l藻的具需な方策嘉てればならぬ.よりよきもの種創造しなければならぬ.三W

州から国○三へ,これは私共にとって渡に緊急の問題であるのだ。

》此際、日本主義を高く標袴し思想戦の第一線に立って皇一画の篇め日夜奮闘せられつ上ある各雑誌主幹の高い

》見は、必ずや談者諸君の胸奥に硬く響くことL信ずる。各家各儀の立場あり、説くところ必ずしも一ならざⅧ

岬ろも要はよりよきものを見出して明日への建設に蚕せんとする、もの敢て諸君の精誠を切望する。(進藤刀水)岬

卵↑こぎ『ごぐこご■くぎ、ご●こ-。こくごこぎもこぎ身ら。こぎ、ご・こむロ『ご℃乏一亀ご・こぎ『ミニこぎ口こぎ『ご一こぎ二三一二重・くぎ、ご二三言二言こぎ、こ一己ども二一ワニミミーミミ。ごき『ごa急一画、ご《急ぎもこぎ二三こぎ『ごマこぎ『三三三つ、こぎ二』ロ二一三言。二言差』、三二p、三・一二●もご知

主義』を標傍力説し来りし民政灘内閣の今期議脅に於け

・しきシしまのみち復血〈ご畢術革命

る一一一一口論回避は、これ資にその『議含中心主義』そのもの

『原理日本』蓑田胸喜約言すれば議含政治の思想的否定であり,逆言すれば二

十世紀の鍵態的専制政治の具現であるが,一般言論界特

洞ひ堂く『民政』の語を選びて蹴名に負ひ『議舎中心に政友禽難員中に一人あって民政難のこの自家撞着を指

卸へダダもグ&■毎、夕r、ク』●グ、づけ、夕色■少、a●『夕、。●、a●も少』、〃、グ■も夕、づ●、空、■●、グQ■ジ、クタ、夕●●グ、タク、グ巳●夕、コク、今a●夕』今。、夕巳やグ、aけ、。や●グ、夕●、ゴら●餌一夕g、苧色もグミ4p、グ赴■〃へ③●、夕己C●、ロ●●P、夕■も夕、〃P、戸旬9夕』jケ、グ●も〆、“グ、一■●夕、夕夕、つ●①ダニ○グ、P▲oグもつ●、ゴ巳もゲヘタワ、つ巳もグ、ロ●、夕■■夕、。”、づ、自夕、幻。■グミaP勺毎や■夕、1■『グ』■夕、タご■、

州世相の険悪‘と人心の荒溌とを菱ふくく、今ば最うその時では無い。これは虞に悲しい、そして嘆かはしい唖

抽ことだけれども、正に事溌である。が、唯徒に悲んだり嘆いたりばか・りはして居られぬ。私共は更に一歩進部

溌代世繍を蝋

41

I,11剛li

Ii

第一『ぬかご』俳句集

俳誌「ぬかご」主幹水野六山人氏の編するところ、昭

和三年九月から四年九月まで同誌上「生活を認ふ」句を

纏めたもので、四六判二百徐頁、句数約三千を聯録し、

今後毎年十月に刊行する年刊句集の第一集である。

俳句は平民文皐として四百年の歴史を有し、劉象を大

自然に需むる吾邦問有の文蕊であり、悶梓丈蕊として世

界に誇る可きもので.あるのは、民族的思想に融合一致せ

るが篇めであって、生活を基調とし自然概照に立脚せる

もので無くてはならぬ、と言ふのが其の主張であるo

年変人へだてなきま上上り来し

紅山

卒業式の歌にいつしか咽喉かれし

宏堂

鎌街子に母忙しなき厨かな萩香女

此の子のみは世に出したき夜皐かな北水

つ上ましく御用納めて部屋掃きしまさの

試みに各季人事棚の初句を畢けて見たに過ぎないが、

雪象匿汎にして描篇平明、季題偏重の弊を捨て上専ら「生

活を認ふ」其の努力は認め得らるLのである。(慨登側式

袷嬢麹町唾丸の内三ノ+これかご祇)

書架より

坐0

灘す

産一

Page 2: 蓑田胸喜「しきしまのみち復興と學術革命」

q■

l鯉;

。。。。○

ける武人の

一毒

摘し詰問する思想家がないといふことは、元来民政難が

その蹴名を選び議含中心主義を標糖したる時、政友禽が

徹底的の思想的批判を加へ得なかったま上に今日に至っ

たといふことを思へば決して偶然ではない。猫この恥に

於いて浅口首相が昨年秋伊勢祁宮式年御遷宮式に参列し

一たる際、齢りの利点しきに政治の話が鵬来なくなったと

現いふ感想を洩し・たといふことが新聞に見えたがこれ浅口

代首相が日本政治の博統的精祁『まつりごと』の原理的信念

世を暖せざるものなることを不随意に告白し・たものである

相日本精祁を遡忘喪失せる私蹴閥族支配としての腐敗政

を難政治の下に、今この演口内閣は将に天皇の統帥大椛を

批躍珊せんとしつ上ある。この時、畏くも『兵馬の大椛は朕

列細硫耀癖鋤帥卿雌剛詞》睡嘩塞距詐評坤睡酎錘碗諏謹轟

す舞瀞睡垂一砂・評で鱒い岬浄診癖理寿誰体垂鈴かお柵蓉挙掻

一歩一銀か鵜紗禄いむ浮榊池酔隆か姉詳狩瞬渉泳味渉一》渉争琴

、、。○

善なり』(軍人二下シ給ヘル勅語)l雲之を萱

と特に遺戒遊ばさせられし『兵馬の大椎』につき、天皇

機開説皐者として名ある形式主義の直諜思想家美濃部達

吉博士は『椎握(兵馬)の大椛とは「大元帥陛下の大椛」

であって、園の元首とじての天皇の大椛で億ない、』一『所

す列批を相世代現一

ある。●一(同書四三一一頁)といふ如き、西図現代の文化国

家汽己一日、言言と協同鵠の⑦目の言普冨寒の新祇含思想と

にも全然無智無研究なる、十八世紀の警察国家再○冒昌‐

唾言蔦の奮式画家概念に問執せる鎖圃的斌迷思想を以て

如次放言したのであった.固く,’

○CQ○

。。。○。。

『.:・・・徒らに封建思想の復活を夢み、叉は宗教的祁主園

。○。○○

家の思想を注入して、これをもって圃民の思想を善導し

得たりとなす如きは,全然時代の要求に反するもので慰

。。。○。。。。。。。。。。

それは却って徒らにその稲を大ならしむるに過ぎぬ。』と

(同書四三三頁)

これらの論旨に封しては『原理日本』二月銃拙稿『美

浸部博士への公開状I唯物史観とロシア革命とに皐術

的批判を加へて美濃部博士の読謡共産主義思想を検討追

窮す。』に於いて細密の批評を震表したから今はその黙に

は胴れない。美濃部坪士が天晴新思想家を以て自任し、

『封建思想』『宗教的』を排梁する時、この美混部博士が

その外的形式に肢惑しつ上ある議含政論とデモクラシイ

の郷土たる英悶第一流の識育家ハ洞。一〈クールの現校長

サィリル。ノァウッド氏はその近群に於いて如左いって

ゐるのである。

、。○0○●、。、。。。○.

『最近百年間に起った事は古争さ理想が新に資現せらる上

謂綿制大椛即ち国家の備ふべき兵力を定むる雛は、決し

て椎握の大椛に鴎するものではなく、純然たる圃務上の

。。◎◎合◎

大椛であって、専ら内閣のみが其の輔弼の責に任すべき

。。◎

ものであり.雌握の下にある機開は‐がうもこれに開興

し得可きものではないo」一(五月一一一日東京朝日新聞所載論

文』と断一一言してゐる。惟握の大椛が単なる戦時の用兵大

椛のみを意味し、『がうも』平時の編制大椛に『開興し得

可言ものではない』といふのは.戦時と平時とを雛接的

に封立せしむる六法的概念差別論で、平時に於ける戦時

の提悟と諜想との下にこそ画軍は綿制訓練せられ得るの

事貧閑職を知らぬ妄論である。

一一

この美濃部博士は近著『現代憲政評論』中『共産難事

件に付いての感想』と題する論女中に『いはゆる思想善

導策の如きは、何等の効果をも期待し得ないもので、‐も

。。。○、。◎○。。。◎。、。。。@

しそのいはゆろ思想善導が革命思想を経滅せしめようと

。◎。。◎⑥。⑥。。。。。。。。◎○●○◎。◎

するにあるならば、それは細ての教育を禁止して、国民

。。。○。。。。。。。○○◎。、。。。。。◎

をして全く無蕊文盲ならしむるより外に途は無い。国家

の政策として国民の思想を善導しようとするが如きは、

全く画家の任務を超越するもので、た型にその目的を達

し得ないのみならず、却て文化の護達を剛害するもので

○。。。。。◎。。。、。。。。。PC。○c

生活のインスピレーションたりmソし武士道の理想,また自

らの時代の篤め且つ後代子孫の篇め畢校を創開せし人々

の中最も傑出せる人々の志に燃えし民族的国家的図鰐生

活への奉仕、訓練の理想は今日一般に行はれ?上あるイ

ギリス教育の博統に緒合せらる、《こと‐聖なったのであ

。。。。。○。⑨◎。。。。。。。。。○○り

る。』『大望の理想に於ける第一のま・一卜至重至大の要素1

.○②O◎。○。。。◎◎0○◎○。。。。。。。。

l他のあらゆる要素の根基‐こなるところのものは宗教で

。◎。。、。⑨◎。。◎O○◎。。。。。。。。。◎

ある。イギwリスに於ける最高の教育に於いては常にさう

。。、◎

であった』と。(○葺昌園。易go穿畠岸の園〕】俣唾}戸呂曽(一霞9

尾目旨。昌目弓.曇曽)『原理日本』前掲銃所掲、松田

禰松氏『イギリス人の教育徳統・一(参照)

一一一

美濃部博士が迷信してゐる議禽政治とデモクラシイと

の絞陪危機は、大戦後一方獣洲共他の諸函に於ける多く

の頚裁政論形態の復活と並んで、英米の諸先畳思想家に

よって指摘警告せられ来ってゐることは頴著なる事麓で

ある。その一例として米人デーーソン氏の近署から次の一

節を引剛しよう。

『多くの西獄諸幽の政府の妖賂は椛力者が国民の信頼に

慨せぬといふ事蟹に基く。彼等は人民から輿へられた椛

、○。。○。●○。。◎

一)と’一なったといふ一)とである。中惟紀に於

Page 3: 蓑田胸喜「しきしまのみち復興と學術革命」

るに至り.かくして論理主義哲畢の代表・たりしカント皐

派にあってさへ、その名を負へるカント協含の機開誌一・カ

ント研究・一一に反カン.r思想が優勢となり、バウル。ウオ

。。。○○○。。。。○

ゲルが同誌別冊附録に於いて『マルクス主錠の誤謬は理

。○◎。○。○○○○○◎0◎。。。。◎。。。○◎

想、罪義の誤謬を意味す一②。故にマルクス主義の修正は澗

0⑥。○。、。。。◎、

逸理想主義の修正を要す。』(吋冒]ぐ○週》国のの]ぬ一〕》、のmの房

。}】罵言言唱●一塵二・m・弓.、.四$)といひ、またアドルフ。ア

。。◎。⑨○.

ルゥオーンが『祁話の本質及び意味如何の問題が現代思

想に於いて次第に各方面に論議せらる上に至った。而も

それが軍に史皐、民族心理亭、人菰畢及び祁畢に於いて

。、。⑨。○○。。、、。。○.

然壷。のみならず、また蜜に現代文化の危機を克服するた

。。⑥⑥、。◎。◎、、、。。◎○○○。、。。○◎

めに新しき普遍的贋値を見出し、理想を提唱せんとする

。◎。O○◎0O○○0。。○。○、◎

多くの哲皐的研究に於いてもさうであるo』(悟全o儒衿]』‐

三さ一昌卵嵩)1首、一)s啓一5房畠の・ごといったのは既に数

年前のことである。猫ほこLにこのアルウオーンが『カ

ント研究』の編輯者アルッウル。リーベルトと共にニイ

テエ急みて、その雷の誕生』の一節l『然し潅

○○、。○◎。。。○。ま雪⑨◎。。○。◎。◎。◎

がら祁話なくしてはあらゆる文化は二」の健全なる自然の

。。⑧。◎。。。◎◎。。。、、。○。。○。◎。◎

創造力を矢ふ。祁話につLまれた一心割線のみが全文化運

○○○。◎。。。◎

動の統一を成就する。』に注目してゐる一)とを思ふべきで

ある。

す 列枇 を相 世代 現

かくして古代中祉の榊話宗教また封建時代の武士道の

締祁が現代の文化祇含に封して有する重大なる意義と侭

値とは、われら自身の生活事震を反省し世界の現勢と思

潮とに眼を砿ぐとき自ら黙契確認せしめらる上のである

日本は建図の祁話とそれに基く園民宗教とまた武士道

↑の徳統とを『榊ながら』一すぢの『しきしまのみち』一、日

代本凋自の蕊術的形式に於いて今のうつ上に徳へ保てる地

世上唯一の澗立国民である。悌英の如きが僅々一千年鮭の

相歴史を以て既に老いたりの感ある時、日本が三千年の礎

を史をけみして常若の園たるのは、正にこの故であるo(こ

批の見地よりする祁祇識宗教問題に開する意見の開陳は他

の機禽に譲る。)

列明治天皇御製

をりにふれて

一開侵けゆくときにいよノー仰がれぬ聖の御代のたかきを

しへは(四○)

γ道

ひろくなり狭くなりつ入祁代よりたえせぬものは敷島

力を公益のためにではなく利己的目的に悪用する。この

峡陥は彼等が正しき情操の訓練を峡いてゐるといふ識に

あるo彼等ば依然として掠泰本能と個人的感情とによっ

て動く動物である。.…:それはエッチ・デ。ウエルズをし

て理想的民主政治を描くに鴬り,日本人にその典型を求

。。、⑥④○

めて、支配階穀は「志噸サムライ」から成るものでなけ

◎◎

ればならぬ、といは‐しむるに至った程である。蓋し日本

○。。○。◎。。。○。。。○0。◎。。。○。。◎@

のサムラィが受けた如き訓練と情操教育,Cに進んで服す

。◎。。○○。。、。◎ロ。。◎。○0つ。◎。。◎

るものにして、始めて支配者たる賛格が麺〈へらるくしと

いふのである。これは最も聴明なる暗示である。そして

これが能くデモクラシイの困難を解決するであらう。.)一

a・国.己曾〕誌。冒圃旨。霊()』〕患雲o詞鼠一“○三○葺冒昌一昌

胃〉.]忠Iごe

更にまた美濃部仲士が一『宗教的祁主閏家の思想』云々

と艇馴的語気を示してゐる獣に開しても、前記ノアウッ

ド氏の英国教育に於ける今も昔も鍵らぬ『宗教庫一的偉読

の力説を忠ふくきであるが秘猫ほ十九世紀末葉より大戦

常時迄平板論理主義に硬化した澗逃思想界が大戦後至緩

的に情意的宗教的傾向に稗化し、デイルタイ、マックス・

シェラー畢派の掻頭となり、フッサル畢派にあっても最

近宗教的腸験に密着する思想家ハイデッガーの畷起を見

の道(三九)

寄道祇

46

ちはやぶる祁の御代よりひとすぢの道をふむこそうれ

しかりけれ(一一一七)

をりにふれて

ひと筋をふみて思へばちはやぶる祁代の道もとほから

ぬかな(四一一一)

千早ぶる祁のひらきし道をまたひらくは人のちからな

りけり(一一一六)

寄道祇

千早ぶる祁のひらきし敷島の道はさかえむ蔑代までに

(一一一五)

されば畏くも明治天皇は繰返し

訓祇

わが国は称のすゑなり祁祭る昔の手ぶり忘るなょゆめ

(四三)

とこしへに園まもります天地の榊の祭をおろそかにす

なといましめおかせ給ひまた『し言しまのみち』の経典の

讃諏と歴史の獅究とを図民に糊めさせられたのである。

御製

44

Page 4: 蓑田胸喜「しきしまのみち復興と學術革命」

職・霊『

-46-

す列批韮相世代現

いそのかみふることぶみは寓代もさかゆく函のたから

なりけり(四三)

いにしへの文の林をわけてこそあらたまるよの道もし

らるれ(四○)

それ故今日のわが日本の変ふべき世相は全く『しきし

↑まのみち』の『狭くなり』し結果である。さてその原因

代は明治時代以来のわが教育思想界に於ける全般的西洋交

○。。○.

冊一明心酔にある一)とはいふまでもないが、また幽史園文皐

1。。。。。。。○○。。。。。。。。○○。。。。○。

相研究の方面に塁bその研究の方法精祁の上に重大鉄賂あり

しことを猛省すべきである。御製

識書

枇文字をのみよみならひつ上読む書の心をえたる人ぞす

くなき(三七)

すいまの世におもひくらべて石上ふりにしふみを読むぞ

一たのしき

わが・ためにいひしことさへ思ひいでぬ昔の人のふみを

よみつ上寄

書述懐

す上みゆく世におくれなばかひあらじ文の林はわけつ

(命『ミコト』)千家奪建

何時の時代だって人間の賢憩、善悪の数韮は大概きま

ったものであるだらうに拘はらす現代世相が特に素れて

居るのは何ういふ課だらう。我みくは、特に現代人が性質

的に悪になった或は愚になったためとは思へない・

この世相素副のよって起って居る所以は、やはり経済

問題が根木である。つまり個人蚕本主義が大分、護展し

震達して貧富の差も激しくなり失業者(浪人)も多くな

り、金で一切が動かせる世の中となり、金より有難いも

のはなくなったからである。金さへあれば何事でも出来

るから人は少くとも小々悪事はなしても金を得ようとす

る。叉一面には、如何にしても金の得られない人たちは

不服の徒となって世を呪ひ階級闘争を敢行する。

この場合、虞の識著は大所高所に立つてこの醜悪荒慶

の源由をつきとめ、徒らに思想善導等の室の思想、抽象

的観念に捉はるよことなく(それも無必要とは云はぬが)

具隅的、蜜際的解決をなすに思をひそめねばならぬ。

L7

くすとも(四二)

倫理的公有

l璽有思想の“デオ回帯妻I

}◆L‐

1■可d■咽■■■u】一己臼。d【■■。■■qqUqqq刊■■■【旧■■■。KDII0lL-I

、q’1‘!j■■4.1180■■弓目■■L“IoEl■■■暑■因む号9万涙■

出〆H川Ⅱ。Ⅲ刈同制Ⅱ■河9h.■国IJIⅢ1脚IbR冒御blb岬出lr‐‐r‐.・・

一・国鐙科畢』里見岸雄

現代世相の由て来れる所以を知らうとするには、是非

とも・就含史的立場に自分を置くべきである。軍に外来

然らば何うしたらよいか。大罷上、国民の共存共柴と

いふ倫理意識を根抵として富が一方に片よらぬよう個人

の蓑本主義を公有賓本主義的に改めそこより上る利潤を

以て剛民一般の幸幅増進を計る施設に資するといふ考に

ならなければならぬ。明治時代の函有主義のやうに餌家

の費用を捻出すため嗣有にするといふのでなくて画民全

般を幸禰にするために公有(国家とのみ限らず府撫有、

自治鰐有ありて結織)をするのである。元より小き事業

迄も公有にする必要はないけれども要するに明治時代と

は一・公有」の所謂イデオロギーを代へるところに平和と

正常は資現されるのである。

しかしか入る大事を行ふにも資本家の事業を買牧する

力はないのであるから我狩は事業の奉還論を主張するよ

り他ない。

古典歴史の研究はいまの世に生けるわが人生綴験に照

してなすべく、それは生成無息不断創造の『すLみゆく

世におくれ』ざらんためであるのに、従来の国史園文皐

赫究は時代の進展に眼を閉ぢて、唯ひたすらに過去の事

資過去の文献の解震考誇の末に走ってをつたといふこと

は否定すべくもなく、それは『文をのみよみならふ』訓

話註窪を能事としたので、これを打破せんとした本居宣

長の翠術改革の現奮精祁は現代の園畢研究者の上には殆

○。○。。O○。○○。○○

ど見られぬのである。『漢意』を砕破した壱駄長の締祁を

。。。。○。。。○。○。。◎。。◎、。。。。

『いまの世におもひくらぶ』るならば、それは現代の獣

。。◎。◎。◎。。◎0。。。。。。◎。。◎◎。。○

米思想に封す》わ単術的批判の作業として具現せらるべき

。。◎、、◎。。。0.。。◎。。◎、。○◎@

であるo『しきしまのみち』復興〈と皐術革命、これ現献打

。○○○○。◎。◎

開の原理方策である。

再び先の御製を拝詞してこの勿卒の足らはい一文を閉

ぢよう。

寄書述懐

すよみゆく世におくれなばかひあ吟じ文の林はわけつ

くすとも

圃鵠の冠曾的把握を要す

Page 5: 蓑田胸喜「しきしまのみち復興と學術革命」

宝司

はず進む(判決文の新例問題)……:…:……蝿酔小癖千穂達夫(蓋)

■0創肘.rllI

現代世相を批判す………………:……………………:………:……………:……(四一)

しきしまのみち復興と壌術革命….::::……・…:.:…:…。:………原理日本蓑田胸喜

倫理的公有…・……・…:…::.:::……::.:.…命(ミコト)千家尊建

圃鰐の祇曾的把握を要す……・…::….:.:::……:::.…:…:・固遥科畢里見岸雄

証含主義と共に排撃すべき資本主義.:…::::::.:…::::……::日本主義赤尾敏

教授松尾捨治郎

現代文の取扱について(教授の責際)…:……:……:…

山田匿之(垂ご

正”しく観る眼……………………:…………:…………:……刀

ソヴィエット。ロシアの事情及批判…・……………:……:…夏

日本紀寛宴歌の研究(四):…………………………鍛前高識禰

阿桃尼の作品ごその批評(承前)……::……::…………蛎女癖市

河内園若江鏡祁赴について……………::…:…………:…:…:高

書迷書評…・……………………:………::…::…:……………………:……………(莞)

『古代日本人の批界槻』を談む.:::……..:…:.::…:…:…………:..:…:…鈴木義雄

『園語法概説』0と『高等園語法』..:::.…:….:…・……:.…::::::.….:::.…池Ⅲ正俊

一『日本正女史』を識みて.…:.…・・::::…・….:………:.…..…:::………・梅本寛一

『校定出雲餌風土記』出づ『寓喜舎集』の感想……:::…:::………教授河野省三

思潮蕊欝嗣淫鋤謬瞬蝶迩…………………:.…………:……:……:……(夫)

錐報(皇典誰究所。圃畢院大畢記事)::……:……………………:..::::::.…:……:::….:::.:…(苫)

雑誌要目….:::::::::….::.………・・・:…….:…:…:……::.:…・・:::::….::::::……(美)

所謂祁赴問題……………………::……:…………:………:………………:……:…(一)

祁献崇敬の義務:.……………:….:…:…:::….:…:…北野瀞冠宮司山田新一郎

所謂祁一脈問題の一一一問題:::……::::……:……・…::…….:…靖固榊冠宮司役茂百樹

惟利の信仰…:……::……:::::…・………………::日枝榊冠宮司宮西惟助

》憩見管見….:…………:…..……………….…・…::数授植木直一郎

祁就と其の崇敬:::…・…….::::::………::………・教捜河野省一一一

口繕

祁殴竣成

水噸

PqQ■●■■■■②●『』・』の。『己■で写匂G■。』●●己守DCP毎画やつ』●P一色ロ与句■壱・■ロロ■』■&一“P司夕員口一qq-や『戸口c宰○マジ、。一一句今。●・巳二・②■守一』Cpここ夕酉』グヰ旬ケ『』つむ。夕一一一凸マターローも。つら●●。■。●・ロ■■・一むつCQq●■●句■○・コ』『卓『■二一■卓』句“■『餌由■■●句■■

月兼目次

秋縮一(一)

富破嘩雄(吾

村平(宍)

橋直一(一一一一一)