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グローバリゼーションと所得格差 早稲田大学 浦田秀次郎 1.はじめに 近年、ヒト、モノ、カネが国境を越えて、世界大で活発に移動するようになり、経済の グローバリゼーションが急速に進展している。ヒト、モノ、カネによる国境移動の背景に は、それらに対する報酬・価格の各国間における格差が存在する。そのような状況の中で、 技術進歩や規制緩和・市場開放などの政策変化により、移動コストが大きく削減されたこ とが、ヒト、モノ、カネの国境移動を活発化させた。 経済のグローバリゼーションは資源配分の効率性を向上させただけではなく、技術進歩 を促進させたことにより、世界経済の成長に大いに貢献したと思われる。実際、グローバ リゼーションが急速に進んだ 80 年代後半以降、世界経済は著しい成長を記録した。世界 全体でみればグローバリゼーションは経済成長を推進したと思われるが、グローバリゼー ションによって与えられた機会を巧みに捉えることが出来た国がある一方、そのような機 会を捉えられなかった国が出てきており、グローバリゼーションの各国経済への影響は一 様ではない。 グローバリゼーションは各国の所得分布にも影響をあたえていると指摘されることが多 い。世界各国の経済が成長するに伴い、経営や技術面において優れた能力を持つ人々に対 する需要が拡大したことから、それらの人々の収入は飛躍的に上昇した。他方、単純労働 者(非熟練労働者)に対する需要はそれほど増えないことから、かれらの収入は上昇して いない。グローバリゼーションにより、異なる能力を持つ人々の収入の伸びに大きな差が 生じたことから、所得格差が拡大しているという議論である。特に、先進諸国では、アウ トソーシングなどにより単純労働者によってなされていた作業が発展途上国の労働者によ って代替されるようになったことから、所得格差が拡大しているという議論がある。 以上のような観察結果を踏まえて、本論文では、以下の二点について検討する。第一の 目的はグローバリゼーションの実態を把握し、そのような動きの背景にある要因をる明ら かにすることである。第二の目的は、グローバリゼーションと所得格差の関係を、世界諸 国を対象とした国際的な所得格差と一国内での所得格差という二つの側面から検討する。 1 所得格差の拡大は社会および政治状況を不安定化し、その結果として、経済成長を阻害 する可能性がある。このような認識に立ち、本論文での分析が所得格差の問題への適切な 1 所得格差の対象として、世界の全ての人々を対象として所得格差を分析することもでき るが、政策を考える場合には国境が意味を持つことから、そのような分析はあまり意味が ないように思われる。また、理論的には、本論文で考察する所得格差の二つの側面を合成 すれば、世界の全ての人々を対象とした第三の視点からの分析になる。このような視点か らの分析のサーベイとしては、例えば、Milanovic (2006)がある。 1

80 年代後半以降、世界経済は著しい成長を記録し …...2008/10/11  · 対応を見出し、社会および政治の安定を通じて、経済成長の実現に貢献することを期待す

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グローバリゼーションと所得格差

早稲田大学 浦田秀次郎 1.はじめに 近年、ヒト、モノ、カネが国境を越えて、世界大で活発に移動するようになり、経済の

グローバリゼーションが急速に進展している。ヒト、モノ、カネによる国境移動の背景に

は、それらに対する報酬・価格の各国間における格差が存在する。そのような状況の中で、

技術進歩や規制緩和・市場開放などの政策変化により、移動コストが大きく削減されたこ

とが、ヒト、モノ、カネの国境移動を活発化させた。 経済のグローバリゼーションは資源配分の効率性を向上させただけではなく、技術進歩

を促進させたことにより、世界経済の成長に大いに貢献したと思われる。実際、グローバ

リゼーションが急速に進んだ 80 年代後半以降、世界経済は著しい成長を記録した。世界

全体でみればグローバリゼーションは経済成長を推進したと思われるが、グローバリゼー

ションによって与えられた機会を巧みに捉えることが出来た国がある一方、そのような機

会を捉えられなかった国が出てきており、グローバリゼーションの各国経済への影響は一

様ではない。 グローバリゼーションは各国の所得分布にも影響をあたえていると指摘されることが多

い。世界各国の経済が成長するに伴い、経営や技術面において優れた能力を持つ人々に対

する需要が拡大したことから、それらの人々の収入は飛躍的に上昇した。他方、単純労働

者(非熟練労働者)に対する需要はそれほど増えないことから、かれらの収入は上昇して

いない。グローバリゼーションにより、異なる能力を持つ人々の収入の伸びに大きな差が

生じたことから、所得格差が拡大しているという議論である。特に、先進諸国では、アウ

トソーシングなどにより単純労働者によってなされていた作業が発展途上国の労働者によ

って代替されるようになったことから、所得格差が拡大しているという議論がある。 以上のような観察結果を踏まえて、本論文では、以下の二点について検討する。第一の

目的はグローバリゼーションの実態を把握し、そのような動きの背景にある要因をる明ら

かにすることである。第二の目的は、グローバリゼーションと所得格差の関係を、世界諸

国を対象とした国際的な所得格差と一国内での所得格差という二つの側面から検討する。

る1 所得格差の拡大は社会および政治状況を不安定化し、その結果として、経済成長を阻害

する可能性がある。このような認識に立ち、本論文での分析が所得格差の問題への適切な

1 所得格差の対象として、世界の全ての人々を対象として所得格差を分析することもでき

るが、政策を考える場合には国境が意味を持つことから、そのような分析はあまり意味が

ないように思われる。また、理論的には、本論文で考察する所得格差の二つの側面を合成

すれば、世界の全ての人々を対象とした第三の視点からの分析になる。このような視点か

らの分析のサーベイとしては、例えば、Milanovic (2006)がある。

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対応を見出し、社会および政治の安定を通じて、経済成長の実現に貢献することを期待す

る。 2.グローバリゼーションの進展 グローバリゼーションは、世界レベルで経済が一体化する現象であるが、その進展は、

具体的には、ヒト、モノ、カネなどの経済活動を担う要素が国境を越えて活発に移動する

といった形で捉えることができる。また、ヒト、モノ、カネなどが活発に国境を越えるよ

うになれば、それらの価格の各国間格差は縮小するはずであるから、グローバリゼーショ

ンの進展をヒト、モノ、カネに対する価格の国際比較で捉えることもできる。但し、ヒト、

モノ、カネの価格を正確に把握することは容易でないことから、通常は、それらの国際間

移動の実態を検証することで、グローバリゼーションの進展を検討する。本論文において

も、このような視点から近年におけるグローバリゼーションの進展を検討する。 図1には、経常米ドルで計測した世界の GDP、貿易(輸出)、および直接投資(対内直

接投資)について、1970 年の数値を 100 として指数化された数値が示されている。それ

らの数値によれば、世界の GDP は 1970 年から 2006 年の 36 年の間に、約 16 倍増加した

が、一方、貿易と直接投資は、各々、39 倍と 136 倍と、GDP よりも著しく大きく増加し

た。国内経済活動(GDP)と比べて国際経済活動(貿易、直接投資)がより急速に拡大し

たというこの観察結果は、グローバリゼーションの進展を示している。但し、国際経済活

動については、貿易の伸びは一貫しているのに対し、直接投資については、振幅が大きい

という特徴を持つことを記しておきたい。 GDP と比べた貿易と直接投資の急速な拡大は、図2の数値で確認できる。図には、貿易・

GDP 比率と直接投資(フロー)・GDP 比率が示されている。貿易・GDP 比率は 60 年代

には、10%以下であったが、70 年代初めに大きく拡大した後、90 年代の初めまでは 15%前後で推移した。90 年代に入り、同比率は上昇を開始し、その後も、上昇傾向は維持され、

2006 年にはほぼ 25%まで上昇した。因みに、70 年代初めと 80 年前後における同比率の

著しい上昇は石油価格の上昇による部分が大きい。 直接投資・GDP比率が顕著な形で上昇するのは 80 年代後半になってからである。同比

率は 80 年代後半になるまでは、0.5%以下で推移していたが、80 年代後半から上昇し始め

2000 年に 4.8%を記録するまで上昇は続いた。その後、減少するが、2004 年から再び上

昇傾向にある。上述したように、貿易と比べて直接投資の振幅は大きい。近年における国

際経済活動の中で、直接投資の大きな拡大が注目を集めているが、毎年のフローでみると、

国際貿易と比べて、かなり低い水準にあることがわかる。しかしながら、直接投資により

設立された多国籍企業の海外子会社が貿易に関与する場合が多いことから、直接投資と貿

易との間には緊密な関係が認められており、国際経済活動における直接投資の重要性は直

接投資・GDP比率で示されたものより大きいと思われる2。 2 直接投資と貿易との間の緊密な関連については、浦田(2001)などを参照。

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カネの面でのグローバリゼーションについては、直接投資の動きを見たが、カネ(金融)

の形態としては、直接投資だけではなく、証券投資、銀行融資など様々なものがある。し

かしながら、直接投資と比べて他の金融手段についての統計は未整備の部分が多いことか

ら、一般に世界の金融の状況は推計値という形で捉えられている。例えば、Crafts(2000)によれば、世界の対外資産(ストック)・GDP 比率は 1960 年には 6.4%であったが、80年には 17.7%、95 年には 56.8%と 80 年以降大きく拡大している。この数値は、上述した

直接投資に関する観察結果と同じように、金融部門におけるグローバリゼーションが近年、

急速に進展したことを示している。 ヒトの移動に関しては信頼できる情報が乏しいが、世界銀行によると世界での移民残高

(ストック)は、60 年には、7000 万人であったのが、30 年後の 90 年には 2 倍以上の 1億 5500 万人に増加し、2005 年には 1 億 9 千万人に達している3。世界人口との比率で見

ると、60 年には 2.6%であったが、90 年には 2.95%に上昇したが、その後、同水準で推

移しており、2005 年においても 2.95%であった。移民は長期的な人口移動を表わしてお

り、グローバリゼーションにおけるヒトの移動といった場合には、より短期のヒトの移動

を意味する場合が多いように思われる。そのようにヒトの移動に注目してグローバリゼー

ションを捉えた場合には、短期および中長期のビジネスマンの国境移動の動向を検討する

ことが望ましいが、そのような情報を入手するのは難しいことから、旅行者(観光客)の

国境移動でヒトのグローバリゼーションを捉えてみる。世界銀行によると、世界の観光客

の入国者数は 95 年には 5 億 4 千万人であったが、2000 年には 6 億 9 千万人、2006 年に

は 8 億 5 千万人と急速に増加している4。これらの観察結果は、ヒトのグローバリゼーシ

ョンも進展していることを示している。

グローバリゼーションを推進している要因としては、制度面での自由化と取引コストを

低下させるような技術進歩が特に重要である。貿易を推進した制度面での要因としては、

関税および非関税障壁の削減が挙げられる。1948 年に「関税と貿易に関する一般協定

(GATT)」が発効し、その後、GATTの下で多角的貿易自由化交渉が進められた。GATTは 1995 年に世界貿易機関として発展的に継承されるが、それまでに 8 回の多角的貿易交

渉が行われ、先進諸国の平均関税率は大きく引き下げられた。また、輸入数量規制や輸出

自主規制などの非関税障壁も大きく削減された5。一方、発展途上国はGATTでの多角的貿

易交渉では貿易自由化をあまり進めてこなかったが、経済危機に直面した際などに世界銀

行や国際通貨基金からの資金の借り入れの条件などにより片務的に貿易自由化を進めてき

た。80 年代以降において発展途上諸国で貿易自由化が急速に進められてきたことが図4に

示されている。特に、中国やインドなどのアジアNIEs以外のアジアの発展途上国において

自由化の速度が著しい。

3 World Bank, World Development Indicators 2008, CD-ROM. 4 同上 5 Crafts (2000) Table 2.4 参照。

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技術進歩や規制改革によって輸送や通信コストが低下したことも、貿易やヒトの移動の

拡大に貢献した。旅行客一マイル当たりに対する航空サービス収入は 1990 年米ドルで測

って 1950 年には 0.30 ドルであったが、90 年には 0.11 ドルまで低下した6。通信コストの

低下はより顕著である。ニューヨークからロンドンへの 3 分間の電話通話料は、2000 年

米ドルで測って、60 年には 60.42 ドルであったが、80 年には 6.32 ドル、2000 年には 0.40ドルまで低下した7。また、インターネットの普及によって、通信コストが飛躍的に低下し

たことは改めて指摘するまでもない。 カネの越境移動については、金融部門における自由化・規制緩和や通信コストの低下が

大きく貢献した。金融部門の自由化・規制緩和は先進国で急速に進んだが、発展途上国に

おいては、先進国ほどには進んでいない(図5)8。 3.世界諸国間における所得格差 図3には世界 178 カ国について、経常米ドルベースと購買力平価(PPP)で表わした各

国の一人当たり国民総所得(GNI)を用いて計測されたジニ係数が示されている。両係数

について各国の人口を加味してウェイト付けした数値と人口を加味していない数値を示し

ている。同図に示された計測結果によると、1970 年から 90 年代初めにかけてはジニ係数

が上昇し、世界諸国間における不平等が拡大したが、その後、不平等は進んでいない。人

口でウェイト付けしたジニ係数は 70 年代後半から上昇したが、90 年代後半から 2007 年

にかけて低下している。その背景には、人口大国である中国やインドの高成長による一人

当たり GNI の大きな上昇がある。PPP で計測したジニ係数についてみると、人口でウェ

イト付けしていない数値は 80 年代以降 2007 年までの期間についての変化幅は小さいが、

2000 年代に入って低下傾向である。また、人口でウェイト付けした数値はほぼ一貫して低

下傾向にある。ここでも中国やインドによる高成長が不平等を縮小させていると思われる。 世界諸国間における所得の不平等に関する研究は数多い9。所得の不平等は様々な指標で

計測されているが、ジニ係数により計測された結果によると、60 年代から 80 年代にかけ

てジニ係数は上昇し、所得の不平等は拡大したが、80 年代以降から 2000 年にかけてはジ

ニ係数が低下しており、所得の不平等が減少している。これらの先行研究による計測結果

は、本研究での計測結果と概ね整合的である10。これらの観察結果は、近年において世界

諸国間の所得格差が縮小していることを示しているが、それはあくまでも所得格差をジニ

係数で捉えた場合について当てはまるのであり、他の指標を用いて計測された場合には必

ずしも当てはまらない。例えば、世界諸国の中で一人当たり国民総所得が高い上位1%の

6 Masson(2001), Table 1. 7 Masson(2001), Table 2. 8 IMF (2007), Figure 4.2. 9 例えば、Sutcliffe (2004)を参照。 10 先行研究と本研究の違いは、サンプル数およびデータの出所などの違いによると思われ

る。

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国の値と下位1%の国の値との比率をとると、1980 年から 2000 年にかけて、継続的に格

差が拡大している11。他方、上位 10%と下位10%で比較すると、ジニ係数が示すように、

格差は低下している。以上の結果は、世界諸国の所得格差は全体でみると 1980 年以降縮

小しているが、上位と下位に位置する一部の国々については格差が拡大していることを示

している。所得格差の実態については、さらなる、より詳細な分析が必要である。 世界のすべての国を対象とした場合には、1980 年代以降、一人当たり所得格差が縮小し

ていることが確認された。また、第 2 節では、その期間に世界経済のグローバリゼーショ

ンが進展していることが確認された。グローバリゼーションは世界諸国間の所得格差を縮

小させる効果を持ったのであろうか。 貿易の拡大は、様々なチャンネルを通して経済成長を促進する。例えば、貿易により海

外との競争が激化することで、資源の効率的使用を可能にするだけではなく、生産性の向

上や技術進歩を推進する。また、輸出拡大は企業にとって規模の経済による利益をもたら

す可能性もある。効率的な資本財や部品を輸入することで、効率的な生産も可能になる。

他方、直接投資の拡大も貿易と同様に経済成長を推進する。直接投資を受け入れることで、

外国の効率的な技術や経営ノウハウを獲得・吸収することが可能になり、経済成長を実現

する。また、近年における直接投資は多国籍企業により、世界的な生産ネットワークを形

成する手段として使われる場合が多く、そのような直接投資を受け入れることは、生産や

貿易の拡大につながる。他方、対外直接投資は投資国において、資本や労働の効率的な使

用を可能にすることから、経済成長を促す。これらの議論が示すように貿易と直接投資の

拡大は経済成長を促進する可能性が高い。つまり、グローバリゼーションの進展により、

グローバリゼーションによって与えられた貿易や直接投資の機会を活用することに成功す

る国は経済成長を実現させる可能性が高いことがわかる。実際に、そのような状況が生ま

れたのであろうか。 表1には、世界諸地域における 1980 年から 2006 年にかけての一人当たり GNI の変化

と貿易および直接投資の GDP との比率の変化が示されている。1980 年から 2006 年の間

において、一人当たり GNI の増加率が も高かったのは東アジアである。また、東アジア

は貿易・GDP 比率の変化(倍率)も も高かった。他方、サブサハラ・アフリカにおいて

は、両指標とも も低い値を記録した。これらの観察結果は、東アジアはグローバリゼー

ションによって与えられた機会を捉えることが出来た結果、経済成長を実現させることが

できたが、サブサハラ・アフリカではグローバリゼーションによって与えられた機会を捉

えることが出来なかったことから、低成長を余儀なくされたことを示唆している。東アジ

ア諸国の高い経済成長が世界諸国間の所得格差の縮小に寄与したことを考慮するならば、

上記の観察結果は、グローバリゼーションが世界における所得格差の縮小に貢献したこと

を物語っている。 貿易拡大の経済成長への影響を明らかにするには、より厳密な分析が必要である。この

11 Sutcliffe(2004)を参照。

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テーマに関しては、これまでに多くの統計的分析が行われてきた。代表的な研究としては、

World Bank (1993), Sachs and Warner (1995)、Frankel and Romer (1999)、Collier and Dollar (2002)などがあるが、それらの研究では、貿易拡大や開放度は経済成長を促進する

という結果を示しており、上記の表1での数値を用いた簡単な分析と整合的である。但し、

貿易と経済成長との関係については、解明されていない部分もある。例えば、Dowrick and Golley(2004)は、1960 年から 80 年の期間においては、貿易の拡大は途上国の経済成長を

促進する効果を持ったが、80 年から 2000 年にかけては、貿易の拡大は先進国の経済成長

には貢献したが、途上国の成長には効果がなかったことを示している。この結果は、これ

までの分析結果を覆すものであり注目に値するが、より一層の研究が必要なことを意味し

ている。 表1の数値によると、直接投資の経済成長への促進効果は明らかではない。初期の水準

が低いとは言え、対内直接投資・GDP 比率の伸びは、サブサハラ・アフリカにおいて も

高いが、同地域の一人当たり成長率は も低い。このような期待に反する関係は、対内直

接投資が経済成長効果を持つのは、対内直接投資を受け入れる国において、技術や経営ノ

ウハウを吸収する能力を有している場合に限るという、Borensztein 他(1998)の実証分析

の結果によって説明できると思われる。つまり、グローバリゼーションによって与えられ

た機会を活用する能力のある国がグローバリゼーションのメリットを享受できるというこ

とである。 4.国内における所得格差 各国における格差に関する情報の入手可能性は限られている。各国間における格差を比

較できるような情報はさらに限られている。本論文では、IMF(2007)で用いられている世

界銀行のデータベースを基にして構築されたデータベースを用いて分析を進める。 図 6 には、IMF(2007)に掲載されているジニ係数が再録されているが、所得階層別にみ

ると低所得国を除いて、他のグループの国々では、格差が拡大している。また、所得階層

別に格差の水準が明確に異なることも読み取れる。地域別にみると、アジア途上国、発展

途上欧州、中南米、アジア NIEs、先進諸国においては格差が拡大しているのに対し、サ

ブサハラ・アフリカと旧ソ連邦(CIS)諸国では、格差が縮小している。主な国について

は、先進諸国ではフランスを除いた国々で格差が拡大しているのに対して、発展途上国で

は変化は多様である。中国においては格差が大きく拡大しているが、ブラジル、メキシコ、

ロシアでは縮小傾向にある。インドでは、あまり変化がない。 グローバリゼーションの所得格差に与える影響を考えてみよう。2国、2財、2生産要

素(単純労働、高度技術労働)のヘクシャー=オリーン・モデルの枠組みで導出されるス

トルパー・サミュエルソンの定理が示唆を与える。貿易機会が与えられることで、単純労

働者の多い発展途上国では、単純労働集約財が輸出されとともに生産が拡大することから、

単純労働者に対する報酬は上昇する一方、高度技術労働集約財が輸入されることで高技術

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労働者に対する報酬は低下する。このような変化の結果、発展途上国では所得格差が縮小

する。他方、先進諸国では逆の状況が発生することから、所得格差は拡大する。ストルパ

ー=サミュエルソンの定理から導き出される理論的帰結は、単純化された仮定の下による

ものであることを認識しなければならない。例えば、ストルパー=サミュエルソンの定理

の現実妥当性を考える場合、その前提になっている生産要素は国内では移動するが国際間

では移動しないという仮定の有効性を考えなければならない。近年においては、資本は直

接投資や間接投資により国境を活発に移動している。また、労働も高度技術労働者を中心

として国際的に活動している。このような状況を考慮するならば、上述したストルパー=

サミュエルソンの定理から導き出されるグローバリゼーションと所得格差の関係は修正さ

れる。例えば、直接投資により先進国では単純労働集約的な産業が発展途上国に移転され

るとする。但し、直接投資を受け入れる途上国ではそのような産業が高度技術労働集約的

な産業である場合が多い。もし、このような形で直接投資が行われるとするならば、途上

国と先進国の双方で高度技術労働者に対する需要が上昇することから、両国で所得格差は

拡大する。以上の議論は、理論的にはグローバリゼーションの格差への影響は単純ではな

いことを示していると共に、その影響を考察する際には、技術が一つの重要な要素である

ことを示唆している。 グローバリゼーションの所得格差への影響を分析した実証研究の結果を検討してみよう。

Milanovic(2005)によると、先行研究により求められた結果は一様ではなく、グローバリゼ

ーションの所得格差への影響はほとんどないという研究結果がある一方、低所得国では所

得格差を拡大する効果を持ったという結果があることを紹介している。新しいクロスカン

トリー・データを用いた Milanovic (2005)の 129 カ国に関する 321 の支出サーベイの結果

を用いた研究は、貿易の開放度は低所得国においては所得格差を拡大する傾向があるが、

中所得国では低所得者・中所得者層に利益をもたらし所得格差を縮小する傾向があること

を示されている。また、直接投資の所得格差に与える影響は認められなかった。 IMF(2007)は 51 カ国の 1981 年から 2003 年について計測されたジニ係数の決定因につ

いて回帰分析を行った。その結果、貿易(輸出)は所得格差を縮小する効果を持つのに対

して、直接投資は所得格差を拡大する効果を持つことが確認された。但し、貿易と直接投

資による効果を合わせると、僅かではあるが、所得格差を拡大する効果を持つことが示さ

れた。また、所得格差の拡大に も大きな影響を与えるのは技術進歩であることも明らか

になった。グローバリゼーションの所得格差に与える影響は先進国と途上国で異なること

も示された。先進国では技術進歩と比べて、グローバリゼーションの所得格差拡大効果は

大きかったのに対し、途上国では技術進歩の所得格差拡大効果は圧倒的に大きかった。さ

らに、先進国では発展途上国からの輸入が所得格差を縮小させること、また、発展途上国

では農産品の輸出が所得格差を縮小させることが示された。先進諸国では発展途上国から

輸入される商品が低所得者により消費されていることから、それらの輸入品の拡大は価格

の低下を通じて、低所得者の消費を拡大させる。また、発展途上国では経済において農業

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の占める割合が大きいことから、農産品の輸出が低所得者の所得を上昇させ格差の縮小に

貢献していることが示されている。 5.おわりに 本論文の目的は、近年における急速なグローバリゼーションの進展が所得格差に与えた

影響を分析することであった。所得格差の分析は、各国間の所得格差と一国内の所得格差

の二つの面で行った。先行研究の成果などを活用した分析から、グローバリゼーションは

各国間の所得格差を縮小する効果をもたらした可能性が高いこと、また、一国内の所得格

差については、あまり大きな効果がなかったことが認められた。但し、より詳細な分析か

らは、グローバリゼーションの所得格差に与える影響は発展段階の異なる国の間で異なる

可能性が高いことも示された。具体的には、諸国間の所得格差については、グローバリゼ

ーションは低所得国にとっては高所得国との格差を拡大させる可能性が高いこと、また、

一国内の所得格差に対しても、グローバリゼーションは高所得国では格差を拡大する傾向

が強い一方で、途上国では僅かではあるが、格差を縮小する傾向があるというように影響

が異なることが示された。また、一国内の所得格差の拡大に対して大きな影響をもたらす

要因としては技術が重要であることも分かった。 本論文での分析結果から、間接的ではあるがグローバリゼーションによりメリットを獲

得できる人々は高度技術労働者であり、そのような人材が多く存在する国がグローバリゼ

ーションからのメリットを獲得できる国であるという関係を導き出すことができる。この

分析結果は重要な政策インプリケーションを提供するが、 後に、日本についての政策イ

ンプリケーションを簡単に議論してみたい。 今後も、技術進歩や規制緩和などが継続する可能性が高く、その結果としてグローバリ

ゼーションも進展すると思われるが、グローバリゼーションにより与えられる機会を活用

しメリットを享受するには、国内の人材を育成することと海外から有能な人材を引き付け

ることが重要である。そのような目的を実現するためには、教育分野や労働市場を自由化

し、人々の動きを活性化しなければならない。また、海外で活躍する日本人を育成すると

ともに海外から有能な人材を引けつけるには、国際語である英語が通用するような教育・

労働環境を構築することも重要である。いずれにしても、教育および労働市場における構

造改革が必要であり、そのような構造改革を実行するには強い政治リーダーシップが不可

欠である。

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参考文献 浦田秀次郎(2001)「貿易・直接投資依存型成長のメカニズム」渡辺利夫編『アジアの経済

的達成』登用経済新報社。小島清編著『太平洋経済圏の生成』(第 3 集)文眞堂に「東ア

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表1 グローバリゼーションと経済成長

一人当たりGNI($) 貿易・GDP比率 (%) 対内直接投資・GDP比率 (%)1980年 2006年 年成長率(% 1980年 2006年 倍率 1980年 2006年 倍率

東アジア 295.1 1,856.2 7.3 35.5 75.7 2.13 0.41 2.93 7.08ラテンアメリカ 2,051.2 4,785.1 3.3 26.5 43.1 1.63 0.86 2.40 2.80中東 1,265.8 2,506.8 2.7 52.9 59.8 1.13 0.70 4.24 6.09南アジア 265.2 767.9 4.2 17.0 34.4 2.03 0.09 2.01 23.49サブサハラアフリカ 665.0 828.7 0.9 54.2 60.8 1.12 0.06 2.43 42.10OECD 10,705.0 38,189.8 5.0 33.5 42.6 1.27 0.59 2.54 4.34出所:World Bank, World Development Indicators 2008, CD-ROMより計算

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図 1 グローバリゼーション: 世界GDP, 貿易, 直接投資 (経常米ドル)

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2000

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1968

1970

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1976

1978

1980

1982

1984

1986

1988

1990

1992

1994

1996

1998

2000

2002

2004

2006

1970=100

GDP

Trade(exports)

Foreign direct investment (inflows)

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図 2 グローバリゼーション: 貿易/GDP, 対内直接投資/GDP

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5

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15

20

25

30

1960

1962

1964

1966

1968

1970

1972

1974

1976

1978

1980

1982

1984

1986

1988

1990

1992

1994

1996

1998

2000

2002

2004

2006

%t

Trade/GDP

FDI/GDP

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図3 世界諸国の不平等:GNIに関するジニ係数

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0.1

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0.6

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0.8

1970

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1972

1973

1974

1975

1976

1977

1978

1979

1980

1981

1982

1983

1984

1985

1986

1987

1988

1989

1990

1991

1992

1993

1994

1995

1996

1997

1998

1999

2000

2001

2002

2003

2004

2005

2006

2007

USD(unweighted)

USD(weighted)

PPP(unweighted)

PPP(weighted)

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図4 世界諸国における関税率の変化

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図5 世界諸国における金融部門における自由化の推移

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図6 国内ジニ係数:所得別グループ

地域別グループ

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図6(続き) 国別状況

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