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33 ‘Michael’における愛の慰めと悲しみ 高 野 正 夫 (1) ‘Michael’には‘A Pastoral Poem’という副題がついている。1798 年に出版 された初版のLyrical Ballads には、パストラルという種類の詩は一編もありま せんでした。ところが、1800 年に出た Lyrical Ballads の第二版には、‘The Brothers’や‘The Oak and the Broom’、‘The Idle Shepherd-Boys’、‘The Pet- Lamb’そして、この‘Michael’など、全部で五編のパストラルが収められて いた。つまり、初版と第二版のLyrical Ballads におけるパストラルの扱い方に は大きな違いが見られるという単純な事実からも、ワーズワスが 1798 年から 1800 年という 2 年間の間に、いかにパストラルに興味を抱いたかが容易に推 察されるであろう。 文学におけるパストラルの歴史は、ギリシャ文学のヘレニズムやアレグザン ダー大王時代に遡る非常に古いもので、シチリアの牧羊者を歌ったギリシャの 詩人、Theocritusがその創始者だと言われている。もともとパストラルは、牧 羊者(羊飼い)や田舎に住む人々を主題とした詩であった。牧羊者たちが、彼 らよりも複雑な社会に住む人間の悪徳や悲哀とは無縁の存在であることを示す もので、また時には、牧羊者に身を変えた詩人が自らの技巧やその他の話題を 議論するような詩を意味していた。 Theocritus は、パストラルで扱う主題を愛と自然と芸術と、定義していた。 そして、その後を継いだのがローマの詩人 Virgil で、Virgil も愛と自然と芸術 という同じ主題を扱った牧歌(eclogues)を歌ったが、Virgil の方が社会生活 の苦しい複雑な状況に関わるものが多く、Theocritus は道徳的な複雑さを欠い ていると言われている。 この Virgil によって確立された、平和な田園生活を背景にした牧歌的世界 が、その後パストラルという大きな流れとなって、ヨーロッパ文学の一つの伝 統として受け継がれていったのだが、イギリスでも英語で正式に、パストラル

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33

‘Michael’における愛の慰めと悲しみ

高 野 正 夫

(1)

 ‘Michael’には‘A Pastoral Poem’という副題がついている。1798 年に出版

された初版のLyrical Balladsには、パストラルという種類の詩は一編もありま

せんでした。ところが、1800 年に出た Lyrical Ballads の第二版には、‘The

Brothers’や‘The Oak and the Broom’、‘The Idle Shepherd-Boys’、‘The Pet-

Lamb’そして、この‘Michael’など、全部で五編のパストラルが収められて

いた。つまり、初版と第二版のLyrical Balladsにおけるパストラルの扱い方に

は大きな違いが見られるという単純な事実からも、ワーズワスが1798年から

1800年という2年間の間に、いかにパストラルに興味を抱いたかが容易に推

察されるであろう。

 文学におけるパストラルの歴史は、ギリシャ文学のヘレニズムやアレグザン

ダー大王時代に遡る非常に古いもので、シチリアの牧羊者を歌ったギリシャの

詩人、Theocritusがその創始者だと言われている。もともとパストラルは、牧

羊者(羊飼い)や田舎に住む人々を主題とした詩であった。牧羊者たちが、彼

らよりも複雑な社会に住む人間の悪徳や悲哀とは無縁の存在であることを示す

もので、また時には、牧羊者に身を変えた詩人が自らの技巧やその他の話題を

議論するような詩を意味していた。

 Theocritus は、パストラルで扱う主題を愛と自然と芸術と、定義していた。

そして、その後を継いだのがローマの詩人Virgilで、Virgilも愛と自然と芸術

という同じ主題を扱った牧歌(eclogues)を歌ったが、Virgil の方が社会生活

の苦しい複雑な状況に関わるものが多く、Theocritusは道徳的な複雑さを欠い

ていると言われている。

 この Virgil によって確立された、平和な田園生活を背景にした牧歌的世界

が、その後パストラルという大きな流れとなって、ヨーロッパ文学の一つの伝

統として受け継がれていったのだが、イギリスでも英語で正式に、パストラル

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の牧歌を書いた最初の人は、Alexander Barclay という司祭であった。バーク

レーは1520年代頃に五編の牧歌を書き、それ以降、イギリスでは幾多の名の

ある詩人たちがパストラルの伝統を受け継いできたのである。

 イギリスのパストラルの伝統における中心的な作者は、シドニー、スペン

サー、ミルトン、ポープ、そしてワーズワスであると言われているが、ワーズ

ワスにとっても、偉大な真の詩人としての証明である長編叙事詩を書く前に、

パストラルは、どうしても試みなければならない詩形であった。若い詩人がい

わば習作として書かなければならなかったパストラルを書くということは、多

くの先輩詩人たちと同様、ワーズワスにとってもきわめて当然なことであった

のだろう。

 このようなヨーロッパ文学の底流をなしているパストラルに、ワーズワスが

大きな関心を抱いていたことは、初めに述べたように、Lyrical Balladsの第二

版に載ったパストラルの数によって明らかであるが、それは、‘Michael’とい

う作品が、パストラルの伝統的な形式に従って書かれているという、技巧的な

側面からも指摘できるのだ。つまり、それは、‘Michael’という作品の「物語

が、冒頭の導入部から構成されており、詩人がかくも質素で粗野な『家庭的

な』物語を話しながら、その目的を宣言している」(1)という事実にその一端

を見ることができるのである。

Therefore, although it may be a history

Homely and rude, I will relate the same

For the delight of a few natural hearts,

And with yet fonder feeling, for the sake

Of youthful Poets, who among these Hills

Will be my second self when I am gone.

 自らの詩の目的を導入部で述べるという、パストラルの伝統に従ったワーズ

ワスは、さらにこの部分で、「私の意志を継いでくれる若い詩人たちに」呼び

かけているが、ここにも、ワーズワスが自ら憧れたパストラルの創始者

Theocritus の伝統を引き継いでいるのだという意図が感じられる。

 言い換えれば、Theocritus が 7 番目の牧歌(idyll)で、Lycidas が野生のオ

リーブの枝をMusesからの贈物として(この贈物は、都会の詩人Simichidasが

田園の詩人の仲間に入ることを許されたしるしとして考えられているが(2))

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Simichidasに与えた姿を描いた時のように、ワーズワスもその伝統的な形式に

従って、自分の意志を継いでくれる若い詩人たちに呼びかけている。

 さらに、初版のLyrical Ballads出版前後の、Theocritusに対するワーズワス

の熱愛ぶりは、ゲッティンゲンに居たコールリジへ、妹のドロシーと共にノル

トハウゼンからワーズワスが書いた、1799年2月27日付の手紙にも記されて

いる。

 AyrshireやMerionethshireでTheocritusを読んでごらん。そうすれば、

AyrshireやMerionethshireで君が毎日見ているものを思い出す機会が永

遠にあるだろう。(3)

と、Theocritusの牧歌と自分たちの生活の共通性について述べ、コールリジに

Theocritus を読むようにすすめている。

 また、The Prelude の十巻の終わりの部分でも、ワーズワスの Theocritus へ

の熱愛ぶりは、同じシチリア生まれの、哲学者・詩人のEmpedoclesや数学者

Archimedes に対する憧憬の言葉とともに、強く記されている。

Child of the mountains, among Shepherds rear'd,

Even from my earliest school-day time, I lov'd

To dream of Sicily; and now a strong

And vital promise wafted from that Land

Comes o'er my heart; there's not a single name

Of note belonging to that honor'd isle,

Philosopher or Bard, Empedocles,

Or Archimedes, deep and tranquil Soul!

That is not like a comfort to my grief:

And, O Theocritus, so far have some

Prevail'd among the Powers of heaven and earth,

By force of graces which were their's, that they

Have had, as thou reportest, miracles

Wrought for them in old time: (X.1007-1020.)

 ちょうどその頃地中海を旅していたコールリジに呼びかけながら、ワーズワ

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スは「シチリアを夢みるのが/大好きだったと」告げている。さらに続けて、

ワーズワスは、Theocritusが7番の牧歌でうたった、ヤギ飼いの歌い手である

Comatas についての Lycidas の歌を詳しくコールリジに説明している。

 横暴な主人のために、餓死するように箱に閉じこめられた聖コマーテスに蜜

蜂たちが野原から運んできた蜜を与え、どのように彼を養ってあげたかを、そ

して、このヤギ飼いが幸いにして、ミューズの神の甘露で口びるをうるおして

いたために、幾月も幾月も生きのびたのだという物語を、シチリアを旅する

コールリジにやさしく語りかけている。

「詩の持つ神聖な力を描いた、この有名なパストラルの寓話」(4)への、ThePreludeにおけるワーズワスの言及は、一種の牧歌的なmasqueradeと指摘され

ているが、ワーズワス自身は、自らを田園の詩人Lycidasのようでありたいと

願っている。そして、さらにそれは、ワーズワスが憧れたパストラルの詩人、

Theocritus と自分との類似性の認識にもつながっていくのである。

 ワーズワスが、真の田園の詩人であるComatasとも思うコールリジへの、自

らを Lycidas と願う、ワーズワスからの兄弟の捧げ物とも言える(5)、この寓

話は、親友コールリジとの再会を願うワーズワスの強い友情の気持ちを表すと

同時に、シチリア生まれの詩人、Theocritusに対するワーズワス自身の強い憧

れの気持ちを語っている。そして、Theocritusがその主題として描いた羊飼い

に対する熱い思いと同じようなものを、ワーズワス自身が強く感じていたのも

決して不思議なことではないのである。

 The Prelude の 8巻にも、ワーズワスの羊飼いに対する素直な愛情の気持ち

が記されている。

My first human love,

As hath been mention'd, did incline to those

Whose occupations and concerns were most

Illustrated by Nature and adorn'd,

And Shepherds were the men who pleas'd me first.   (VIII. 178-82.)

幼ない頃から羊飼いたちを身近に見ながら育っていったワーズワスにしてみれ

ば、彼らは自らの成長を見守ってくれた自然と同じように、大切な存在であっ

たのであろう。したがって、ワーズワスが羊飼いを主題としたパストラル、

‘Michael’を描くことも当然の成り行きであった。そして、彼が、Lyrical Ballads

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において、「下層の田舎の生活を」題材として選んだ理由の一端もそこにあっ

たのである。

「詩人は田舎の生活と特別な絆を持っている」(6) と考えたワーズワスは、

Preface において、

 下層の田舎の生活を選んだのは、そういう情況においては、心の本

質的な情感はより良き土壌を見い出し、そこでその情感は成熟し、束

縛を受けず、より明解でより力強い言葉を話すことができるからであ

り…そして最後に、そのような情況においてこそ人間の情感は、自然

の美しい永遠の形と合体するからである。

と述べている。このような自然と一体となって日々の暮らしを送る羊飼いの生

き方こそ、彼にとっては理想的な人間の生き方と思えたのであり、そして、自

らの詩の題材として最もふさわしいものの一つであったのであろう。

(2)

 ワーズワスが、グリーンヘッド渓谷の流れのそばに、自然石をばらばらに積

み重ねた場所があると述べ、そして、そこにまつわる物語をこれから話してい

こうと読者に徐ろに語りかける、いわゆる前口上のような導入部の後すぐに、

この詩の主人公であるマイケルが登場してくる。

Upon the Forest-side in Grasmere Vale

There dwelt a Shepherd, Michael was his name,

An old man, stout of heart, and strong of limb.

His bodily frame had been from youth to age

Of an unusual strength; his mind was keen

Intense and frugal, apt for all affaris,

And in his Shepherd's calling he was prompt

And watchful more than ordinary men.

 マイケルという老羊飼いが、どのような人間であるのか容易に分かってしま

うほど、きわめて簡潔なマイケルの性格描写である。「並はずれて丈夫な」体

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をした老人で、しかも、「心は鋭敏で/激しくつましく、あらゆる仕事に向い

ていた」と紹介されており、誰でもが年をとってもこうありたいと願うような

元気な老人なのである。老人という言葉で呼ぶには多少不似合いな、心身とも

に壮健で、まったく欠点を持たないように見えるマイケルは、「羊飼いの仕事

にかけても人並以上に/機敏で用心深かったのである。」

 今から200年ほど前の話しであり、その当時に80歳といえば、かなりの高

齢であり、きわめて刹な存在であったと思われるが、このような老人のマイケ

ルが、まったく普通の羊飼い以上に機敏な動作で、厳しい羊飼いの仕事を実際

に行なっていたということ自体も、多少驚嘆に値するかもしれない。

 そして、「あらゆる風の、いろいろな音調の/強風の意味が分かり」、他人も

気づかないのに、「南風が地鳴りのような音をたてる」のが聞こえるほど、自

然の風の変化にも敏感に対応することのできる、まったく他の羊飼いの模範と

もなるような経験豊かな、立派な羊飼いなのである。自然の厳しさを熟知し、

決して自然を侮ることのない、それでいて、誰よりも自然を愛しながらグラス

ミアの谷間に慎ましやかに生きるマイケルは、まったくその年齢の不都合さを

感じさせない。しかも、勤勉なマイケルには、老人という名が連想させる暗さ

や惨めさは少しもないのである。

 さらに、このように他の模範となるような立派な羊飼いのマイケルは、人柄

の点においても申し分のない人物として描かれている。甥の借金の保証人に

なっていたマイケルが、その損失の償いを命じられたときに示した態度は、彼

の人柄の良さをよく表している。

“I have been toiling more than seventy years,

And in the open sun-shine of God's love

Have we all liv'd, yet if these fields of ours

Should pass into a Stranger's hand, I think

That I could not lie quiet in my grave.

Our lot is a hard lot; the Sun itself

Has scarcely been more diligent than I,

And I have liv'd to be a fool at last

To my own family. An evil Man

That was, and made an evil choice, if he

Were false to us; and if he were not false,

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There are ten thousand to whom loss like this

Had been no sorrow. I forgive him - but

'Twere better to be dumb than to talk thus.

 自分の財産の半分に近い過酷な罰金を支払うことを余儀なくされたとき、マ

イケルは初めは、先祖伝来の田野の一部を売り払おうと決心する。しかし、こ

の決意の一方で、彼はたとえようもない落胆の気持ちを覚えている。ここは、

あの不幸な知らせを聞いてから二晩後に、妻のイザベルに語りかける場面であ

るが、ここでも、マイケルの決して人を恨むことのない、やさしい人間的な一

面が描かれている。70年以上も、「神さまのあたたかな愛の光を浴びて」勤勉

に働き、生きてきたマイケルにしてみれば、自分は何も悪いことはしていない

のに、このような報いを受けることなどまったく承知できないことなのであろ

う。しかも、「この畑が他人の手に渡ることになると/墓の中でも安らかに眠

れない」と思うと、落胆の気持ちは一層強まっていく。

 自分が親切心から甥の保証人になってしまったことを後悔するのだが、彼は

自分の愚かさをただ嘆くだけで、この悲劇の発端とも言える甥を強く責めるこ

とはしない。「お日さまでさえ自分ほど勤勉ではなかった」と言いながら、自

分の運のなさを悲しむマイケルの失意は、その善良な人柄ゆえに一層哀れにひ

びく。そして最後には、「多ぜいの人にとってこれぐらいの損失は大した悲し

みではない」と言って、自らを慰め、「もし甥が自分たちを欺いたのでなけれ

ば/許してあげよう」と、すべてを受入れてしまう。これほどの窮地に落とし

入れられたら、普通の人間ならば、自分を落とし入れた相手を当然強く責める

はずであろうが、彼は、人間的なやさしさゆえに、他人に責任を問うことな

く、自分自身の愚かさをただ責めるだけなのである。

 このようなマイケルの人間性は、彼の心身の健全さと同様に、模範的な、完

璧なものとして描かれている。それゆえ、彼の人間的な性格が、すべてを許し

受け入れるほど寛容で欠点のないものであればあるほど、これからマイケル一

家に起こる将来の出来事は、たとえどのように些細なものであろうとも、彼の

人間性に比例して哀れにひびき、一層同情を呼ぶのかもしれない。そして、マ

イケルの非の打ち所のない人間性を、息子ルークの軽率さと効果的に対比させ

て見ることができるのだ。

 ある意味では、人のいい人間が損をするという、現代にも通じるこの話し

は、社会における契約というものの非情さを物語っているのであろう。ワーズ

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ワス自身は、そのような現実的な経済の仕組みの良し悪しについては一言もふ

れてはいないが、底流には、経済的な仕組みの近代化の波が、無垢で素朴な田

舎に住む人たちにも押し寄せてきている状況を暗示しているのである。そし

て、‘The Old Cumberland Beggar’に登場する主人公のような人々を対象とし

た、救貧法修正案の実施に反対したときのワーズワスのように、社会の弱者や

貧しい人々を擁護するその姿勢は、この詩においても変わることはないようで

ある。

(3)

 夫のマイケルを支えて一家をきりもりしていくイザベルは、夫につくす古い

タイプの女性として描かれている。マイケルとルークという年の離れた父と子

の間に立って、慎ましく日々の家事や労働にいそしむ母親、イザベルは、この

詩においてはそれほど重要な役割を与えられてはいない。母親についての性格

描写がそれほど多く見られないということからも、それは容易に分かるが、80

行目に最初に出てくる彼女の姿は、きわめて家庭的で、夫に忠実な妻として描

かれている。

He had not passed his days in singleness.

He had a Wife, a comely Matron, old

Though younger than himself full twenty years.

She was a woman of a stirring life

Whose heart was in her house: two wheels she had

Of antique form, this large for spinning wool,

That small for flax, and if one wheel had rest,

It was because the other was at work.

「彼女は活発に働く女性で/家事に熱心だった」という表現からも推測でき

るように、イザベルは、夫に従順な働き者の女性という、いわば一家をしっか

りと支えていく「しっかり者のおかみさん」として描かれている。羊飼いとし

て野や谷間で働きながら、厳しい自然の中で一家三人の大黒柱として、強い愛

情をもって日々の暮らしを維持していくマイケルにとっては、まさに理想的な

人生の伴侶であった。

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「マイケルよりもまる20歳以上も年下であった」という事実だけを見ると、

父娘のように離れた年齢差であり、多少世間の夫婦像からは奇異な感じがしな

いでもないが、この夫婦にとっては、年の差は二人の結びつきをさらに強めて

くれるものであった。夫に献身的に尽くすという古いタイプの女性像は、18

世紀末のイギリスにあっては、しごく当然のものであったのであろう。しか

も、彼女は、器量が良いだけでなく、暇さえあれば、家にあった二台の型の古

い糸車を回して羊毛や亜麻を紡ぎながら家族を支えていた働き者のおかみさん

であった。

 この詩においては、ほとんどの筋がマイケルの独白を中心に展開していくた

め、イザベルの性格について知る機会はあまりないのであるが、夫が苦境に

陥ったときには、常に良き話し相手となって、夫が良い判断を下すことができ

るように助ける場面が多く見られる。そのような意味でも、老いたマイケル

が、人並みの暮らしを守っていくことができたのは、イザベルがいたおかげな

のであろう。

 甥の保証人になってしまったおかげで、その借金の支払いに苦慮するマイケ

ルが、裕福な親類の所へ一人息子のルークをやって働いてもらい、少しでも損

害を償うのが良い方法ではないかと提案したときにも、イザベルは、夫の考え

に反対もせずに、きわめて楽観的な態度で自分たちの苦難に立ち向かう。そし

て、昔、地元の貧しい少年がロンドンに出て驚くほどの金持になって故郷の

人々を助けたり、また、立派な礼拝堂を建てたりした成功話しをふと思い出し

て、自分の息子のルークもそれと同じようになればいいのだがと、心ひそかに

願うのである。

There's Richard Bateman, thought she to herself,

He was a parish-boy - at the church-door

They made a gathering for him, shillings, pence,

And halfpennies, wherewith the Neighbours bought

A Basket, which they fill'd with Pedlar's wares,

And with this Basket on his arm, the Lad

Went up to London, found a Master there,

Who out of many chose the trusty Boy

To go and overlook his merchandise

Beyond the seas, where he grew wond'rous rich,

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And left estates and monies to the poor,

And at his birth-place built a Chapel, floor'd

With Marble, which he sent from foreign lands.

 ヴィクトリア朝の風俗小説にしばしば見られる孤児遍歴の物語の中から抜き

出したような、この典型的な成功談は、ワーズワスならずとも、誰でもが自分

もそうなりたいと願う一種の夢物語であるかもしれない。実際には、貧しい暮

らしから身をおこして大金持になるということは、それほど容易なことではな

いであろう。しかし、このような身近な立身出世物語は、貧しい人々からすれ

ば、時には将来の生活への希望を灯す明かりともなるのである。

 あまり物事の悪い状況や成り行きに考えを巡らすこともなく、Richard

Batemanという男の成功話しを簡単に実現可能なものだと信じ込んでしまうイ

ザベルは、比較的素朴な楽観的な女性として描かれている。息子を愛し、信じ

ているからこそ、息子の未来の成功を容易に夢想してしまう彼女は、多少慎重

さを欠いた、せっかちな人物とも言えるが、このような彼女の明るい楽観的な

性格は、後で起こる物語の悲劇との絡みで考えるときわめて効果的な設定と

なっている。

 あまり難しいことをあれこれ考えない彼女の性格は、マイケル夫婦が息子の

ルークを親類の所にやると決め、親類から受け入れ承諾の手紙が届いた場面で

も同じように描かれている。

Next morning Isabel resum'd her work,

And all the ensuing week the house appear'd

As cheerful as a grove in Spring: at length

The expected letter from their Kinsman came,

With kind assurances that he would do

His utmost for the welfare of the Boy,

To which requests were added that forthwith

He might be sent to him. Ten times or more

The letter was read over; Isabel

Went forth to show it to the neighbours round:

 親類からの手紙を受け取ったときのイザベルの喜びは、「十回以上もこの手

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紙は読まれ、/イザベルは近所の人たちに見せて回った。」という言葉からも

分かるが、非常に大きなものであり、彼女にとっては、息子の成功への道が多

少なりとも見えかけてきたのであろう。自分の子供に期待をかけることは、ど

のような親にとってもごく自然なことであり、イザベルがここで見せた自分の

息子を自慢に思う気持ちは、はたから見てもほほえましいものであった。

「春の森のように陽気に見えた」マイケル一家にとって、人生は明るい春の

陽ざしに包まれていた。そして、母親のこの上ない、しかし束の間の幸福感

は、ある意味では、息子に対する盲目的な愛から生まれたものであろうが、息

子への愛情が強ければ強いほど、一家に不幸な状況が訪れたときには、それは

きわめて効果的な物語の展開となるのである。

(4)

 質素ではあるが、幸福そのものを絵に書いたような暮らしをしていたマイケ

ル一家は、初めはまったく人生の悲しみや苦難とは無縁な理想の家族であるよ

うに紹介されている。詩の前半に現われるイザベルについての説明に続く一家

の描写は、きわめて模範的なもので、彼らの勤勉さは、谷間の誰もが羨むもの

であった。

When day was gone,

And from their occupations out of doors

The Son and Father were come home, even then

Their labour did not cease, unless when all

Turn'd to their cleanly supper-board, and there

Each with a mess of pottage and skimm'd milk,

Sate round their basket pil'd with oaten cakes,

And their plain home-made cheese. Yet when their meal

Was ended, LUKE(for so the Son was nam'd)

And his old Father, both betook themselves

To such convenient work, as might employ

Their hands by the fire-side; perhaps to card

Wool for the House-wife's spindle, or repair

Some injury done to sickle, flail, or scythe,

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Or other implement of house or field.

 普通の人ならば、一日の仕事を終えて家に帰った後は、ゆっくりと休息し、

労働の疲れを癒やすはずである。しかし、彼らは、谷間でも評判になってい

た、たゆみない勤勉さゆえに、決して働くことをやめることのない一家なので

ある。イギリス人の中にある「労働は美徳である」という考え方を、まさに体

現したような一家の働きぶりは、日が暮れて外の仕事から帰った後も続いてい

た。

 そして、彼らの質素でまじめな働きぶりに呼応するかのように、彼らが、夕

食のテーブルに向かい、幸せな一家団欒を楽しみながら味わう食事そのもの

も、きわめて質素なものに映っている。「めいめい脱脂乳入りポタージュ・スー

プを前に/燕麦のパンとただの手製のチーズを/盛ったかごを囲んですわっ

た。」という、夕食の内容を見ても、彼らの暮らしぶりは決してぜいたくなも

のではないであろう。

 200年ほど前のイギリスの人々、特に湖水地方のような厳しい気候の自然に

暮らす人々が実際にどのような物を食べていたのか、この一家の夕食の風景か

らだけでは正確には分からないが、少なくともここに描かれたマイケル一家の

食卓の風景は質素なものである。まるで、彼らの模範的な暮らしぶりを演出す

るような食卓の風景は、質素ではあるが幸せなものに映っている。そして、ぜ

いたくとはほど遠い彼らの食事は、一家の勤勉さをさらに強調しているようで

ある。

 わずかに夕食の時に手を休めただけで、父親のマイケルは、夕食が終わると

イザベルのために、羊の毛をすいたり、家の内外で使う道具を修理したりし

て、夜の床につくまで決して休むことはない。もちろん、誰も使用人を使わず

に、羊飼いの仕事をしながら生計を営んでいく彼らからすれば、のんびりと生

活を楽しむ余裕などなかったのであろう。身を粉にして働かなければ暮らして

いけなかったのかもしれないが、彼らの生活ぶりは、同じ谷間に暮らす人々か

ら見ても、誰でもが手本にしたいと思うようなもので、ついには、父と子と、

そして母親の三人が、夜ふけまで仕事にはげむときに灯す古いランプまでも

が、彼らの模範的な勤勉さの象徴となってしまうのである。

The Light was famous in its neighbourhood,

And was a public Symbol of the life,

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The thrifty Pair had liv'd. For, as it chanced,

Their Cottage on a plot of rising ground

Stood single, with large prospect North and South,

High into Easedale, up to Dunmal-Raise,

And Westward to the village near the Lake.

And from this constant light so regular

And so far seen, the House itself by all

Who dwelt within the limits of the vale,

Both old and young, was nam'd The Evening Star.

「この明かりは近所でも有名になり/この慎ましい夫婦の送った生活を世間

に示す象徴だった。」という言葉は、マイケル一家が、谷間に暮らす人々から

どれほど尊敬されていたかを示すものである。現代の多くのイギリス人の生活

の根底にもある、決してぜいたくをせずに質素で慎ましい生活を送るという態

度は、多少教訓的で道徳的な、そして時には保守的だという印象もなきにしも

あらずだが、イギリス人の国民性からすれば、マイケル一家の生き方は、彼ら

の鑑であったのだろう。「この谷間の区域に住む人々は、すべて/老人も若者

もこの家を『宵の明星』と呼んでいた。」という象徴の仕方には、多少なりと

も誇張された感じがないわけではないが、同じ谷間に住む人々からすれば、一

家の生活の仕方や、慎ましさ、そして謙虚さが、彼らの生活に希望の光をかか

げてくれたのである。そして、マイケル一家の日々の暮らしのすみずみにまで

行き渡る質素な生き方の背景には、「立派な服を着ない人間が深い感情を抱く

ことができるのだということを示そうとした、ワーズワスのこの詩における意

図」(7) が強く感じられる。

(5)

 ワーズワスがいかに自然との結びつきの強い詩人であったかは、よく知られ

ているが、彼自身も実際に多くの詩作の中で、自分が自然からどのような影響

を受けたのかを、そして自らの詩人や人間としての成長過程において、自然が

どれほど大きな役割を果たしたのかを述べている。

 詩人の魂の成長をうたったThe Preludeの一巻にも、幼年時代のワーズワス

と自然との関係がきわめて簡潔に描かれている。

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Fair seed-time had my soul, and I grew up

Foster'd alike by beauty and by fear;

Much favor'd in my birthplace, and no less

In that beloved Vale to which, erelong,

I was transplanted. (Ⅰ. 305-9.)

「自然の美しさや恐ろしさによって同じように養われて/私は成長した。」

という言葉からも明白なように、少年時代のワーズワスは、自然に内在する美

しさと恐ろしさ、言い換えれば、魂の浄化作用とも言える自然の癒やしと破壊

というまったく正反対の特質をのぞき見ながら、多くの真実を学び成長して

いったのである。それは、ワーズワスが生まれたカンバーランドのコカーマス

において、母方の実家のあるペンリスにおいても、また、母親アンの死後、兄

のリチャードとともに移り、入学したホークスヘッドのグラマー・スクール時

代も変わることはなかった。17 歳でケンブリッジのセント・ジョンズ・コレ

ジに入学するまでの、人生の最も多感な、そして最も大事な成長の時期を、自

然とのふれ合いの中に生きることのできた自らの境遇を、感謝の気持ちで語る

とき、「自然はその頃彼にとってはすべてだった」のである。

 1798年の初め頃に、神聖な敬虔な気持ちを自然に対して抱いていたワーズ

ワスは、自然を師として自然から何かを学ぼうとしていた。‘The Tables

Turned’においても、ワーズワスは、自らの自然観について次のように語って

いる。

She has a world of ready wealth,

Our minds and hearts to bless -Spontaneous wisdom breathed by health,

Truth breathed by chearfulness.

One impulse from a vernal wood

May teach you more of man;

Of moral evil and of good,

Than all the sages can.

 このように、自然から素直に多くのことを教えてもらうという姿勢で自然を

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受け入れていた、ワーズワスの自然に対する熱い思いは、‘Michael’の中にも

語られている。冒頭のマイケルの性格描写に続いて、彼がどのように自然に抱

かれて暮らしていたかが描かれている。

Fields, where with chearful spirits he had breath'd

The common air; the hills, which he so oft

Had climb'd with vigorous steps; which had impress'd

So many incidents upon his mind

Of hardship, skill or courage, joy or fear;

Which like a book preserv'd the memory

Of the dumb animals, whom he had sav'd,

Had fed or shelter'd, linking to such acts,

So grateful in themselves, the certainty

of honorable gains; these fields, these hills

Which were his living Being, even more

Than his own Blood - what could they less? had laid

Strong hold on his affections, were to him

A pleasurable feeling of blind love,

The pleasure which there is in life itself.

「その野や山は、彼の心に/苦難と熟練、あるいは勇気や喜びや恐怖の/多

くの出来事を感銘させた。」という言葉は、マイケルを通して語られてはいる

が、実際には、ワーズワス自身が自然から学んだものなのであろう。人間が生

きていく上で認識していく苦難や悲しみなどの、様々な真実を大自然の啓示に

よって教えられていたワーズワスにとって、グラスミアの谷間の森林に住むマ

イケルという羊飼いは、まさに、自然への自らの思いを代弁してくれる存在で

あった。そして、グラスミアの大いなる自然の懐に抱かれながら、マイケルが

日々の暮らしの中で身近に感じる、「突然出ては消え、のびのびと山を包む霧

や風は、恍惚的な人間的想像力の荒々しい自由を自然の型にしたもので、我々

にとって自然がかけがえのないものであるときの深い喜びなのである。」(8)

 さらに、「これらの野や山は、彼自身の肉親以上に、/彼の生き生きとした

存在であった」と明言するとき、まるで人間が自然の一部であるかのように、

自然と同化していく。そして最後には、自然は彼にとっては、「盲目的な愛情

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の快よい感情/生命そのものの中に存在する喜び」となり、それは、自然との

一体感によって得られる至福の喜びへとつながっていくのであろう。

 自然を師とし、時には‘Let nature be your teacher’という言葉のように、心

から「自然を自らの師」と仰ぎ、自然から人生の様々な教えを受けたワーズワ

スにとって、マイケルが日々暮らすグラスミアの谷間の自然は、一種のアルカ

ディアであった。もちろん、ここでは、詩の最後に起こる悲しい出来事を予感

させるような自然の恐ろしさは、あまり強く示唆されてはいないが、自然はマ

イケルにとっては、なくてはならない大切な生きる喜びであったのである。

「工業や産業化のうねりが自然の美しい形からわれわれを引き離すとき、われ

われの生活は消滅する」(9)という考え方に共感し、自然や環境破壊の到来を

心配するワーズワスのような人々にとっては、自然の美しい形象とふれ合うと

きこそ、力強い生命の迸りを感じるのであろう。

(6)

 この詩の主題ともなっている父と子の結びつきは、主に父親マイケルが息子

のルークに示す並々ならぬ愛情の強さを通して語られている。マイケル自身が

自分を年寄りだと思い始めた頃に生まれた子供であり、また一人息子であると

いうことからも、マイケルにとって、ルークはこの世の何にも増してかえ難

い、可愛いい息子であった。マイケルの過剰とも思えるほどの息子への愛情の

深さは、彼の自然に対する愛にもまさるものであり、さらにそれは妻のイザベ

ルに対する愛以上に強いものであった。

but to Michael's heart

This Son of his old age was yet more dear -Effect which might perhaps have been produc'd

By that instinctive tenderness, the same

Blind Spirit, which is in the blood of all,

Or that a child, more than all other gifts,

Brings hope with it, and forward-looking thoughts,

And stirrings of inquietude, when they

By tendency of nature needs must fail.

From such, and other causes, to the thoughts

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Of the old Man his only Son was now

The dearest object that he knew on earth.

Exceeding was the love he bare to him,

His Heart and his Heart's joy!

マイケルの息子への溺愛ぶりが、詩人ワーズワスの目を通して比較的冷静な、

観察的な態度で描かれている。「マイケルの心には/老齢で生まれたこの息子

がいっそう可愛いかった」という父親マイケルの心情が、多少分析的に説明さ

れている。「恐らくあの本能的なやさしさ/すべての人に流れている同じ盲目

的な熱情が」マイケルに、父親としての息子に対する本能的な愛情を抱かせた

のだろうと詩人は、マイケルに代わって、その愛情の自然な発露を語ってい

る。

 どのような人でも自分の子供に抱く愛情には、動物的な本能的なやさしさや

気遣いを込めてしまうものであり、また盲目的な熱情で子供を可愛いがってし

まうのであろう。そして、この盲目的な熱情が時には、親と子の愛情の絆に亀

裂を生むこともあるのだが、この時のマイケルにとっては、息子ルークに対す

る愛情の強さが圧倒的なものであったため、盲目的な愛の弱さを認識すること

もなかったのである。

 しかし、詩人ワーズワスの冷静な目から見れば、子供は、親に人生の幸せや

喜びをもたらしてくれる一方で、人生についての不安や悲しみをも予感させる

存在であることを述べている。「子供は、他のすべての贈物にまさって/希望

や将来に対する期待を与え/自然の傾向としてそうした希望が必ずや達成され

ないときの不安を/かき立てるためかもしれない。」という言葉は、私たち

に、喜びの影には常に不安がつきまとうのだということを示唆するとともに、

この物語の最後の悲しい結末を予感させている。

 何ものにもかえ難い強い愛情のしるしとも言える子供は、親にとっても生き

る希望や力を与えてくれるものであるが、ワーズワスは、子供がもたらしてく

れる将来への希望が、果たされないときの人間の不安な情況にも目を向けてい

る。人間の人生に常に訪れる運命の暗い影とも言える、この不安は、挫折や失

意、苦悩や悲しみであり、時には人間の最大の悲しみである死かもしれない

が、逆に考えれば、このような不安に陥ったときこそ、子供の存在が大きな力

や支えとなって、親に悲しみに立ち向かう勇気を与えてくれるのであろう。あ

る意味では、自分の分身とも言える子供によって生きる力を与えられたマイケ

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ルにとって、「彼の一人息子は、今やこの地上で/最もかけがえのない愛の対

象であった。」

 そして、「彼の心であり、心の喜びである/息子に対して抱く愛情は、並々

ならぬものであった。」という、これ以上の言葉はないだろうと思われるほど

の、マイケルの息子に対する強い愛情は、さらにルークが大きく立派な若者に

成長するにつれて増々ふくらんでいくのであった。

But soon as Luke, full ten years old, could stand

Against the mountain blasts, and to the heights,

Not fearing toil, nor length of weary ways,

He with his Father daily went, and they

Were as companions, why should I relate

That objects which the Shepherd loved before

Were dearer now? that from the Boy there came

Feelings and emanations, things which were

Light to the sun and music to the wind;

And that the Old Man's heart seemed born again.

Thus in his Father's sight the Boy grew up:

And now when he had reached his eighteenth year,

He was his comfort and his daily hope.

満十歳になったときのルークは、自然の厳しさにひるむことなく、また、つら

い羊飼いの仕事をいとうこともなく、父親とともに山の頂上へ出かけていっ

た。父と子の深い絆によって保たれていた彼らのつながりは、時には、羊飼い

同士の仲間のように厚い信頼関係で結ばれていた。息子を自分の後継ぎにした

いと考えていたマイケルからしてみれば、大きく自分の期待どおりに成長して

いく息子の姿は、まさに願ってもないものであったろう。

「太陽には光となり、風には音楽となる/感情と発散する気が少年からほと

ばしった。」という、非常に神聖な雰囲気を漂わせる少年は、マイケルが愛す

る自然と同じように、自らに力強い生命力を感じさせてくれた。少年の持つは

つらつとした生気が、年老いたマイケルに新たな活力を与え、マイケルは前向

きな気持ちで日々の暮らしを送ることができたのである。息子によって今ま

た、生命の光と心地よい風の素晴らしさを知らされたマイケルは、自分自身の

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心が再び生まれ変わったように感じたのであろう。そして、父親との熱い絆に

守られながらさらにルークは成長し、十八歳になったときには、彼は「父の慰

めとなり、日々の希望となった」のである。

 父の熱い期待に答えて、立派な逞しい一人前の羊飼いに成長したルークの姿

は、ここまで見る限りは、外見上はまったく申し分のない存在である。多分、

日々の労働がだんだんと辛いものになってきたであろう父親マイケルにとって

は、息子がともに働いて力となってくれるだけで、仕事の励みとなり、耐え難

い辛さを少しでも和らげてくれたのであろう。そして、それほど長くはない、

自らの残りの人生に、明るい希望の光を投げかけてくれたのである。

 父親から見れば、自分の子供ほどかけがえのない可愛いいものはないはずで

ある。しかも、ルークのように、マイケルが確かな自信をもって後継ぎとし、

先祖伝来の土地を譲ることのできる息子であれば、その気持ちはなおさら強い

ものとなるであろう。いわば、老マイケルが、自分の長年の人生の夢を託すこ

とのできる存在となった息子ルークは、マイケルが生きていく人生の一つの拠

り所となったのである。

 もちろん、この場面に続く、「不幸な知らせ」や、詩のどんでん返しとも言

える、最後の場面での、息子ルークの堕落との関連からすれば、息子に対する

溺愛とも言える愛情表現が、これ以上は考えられないほどの高まりに達するこ

とは、詩の筋からすればきわめて効果的とも言えるであろうが、このようなマイ

ケルの息子に対する強い愛情表現は、さらに詩の後半でも繰り返されている。

- Heaven bless thee, Boy!

Thy heart these two weeks has been beating fast

With many hopes - it should be so - yes - yes -I knew that thou could’st never have a wish

To leave me, Luke, thou hast been bound to me

Only by links of love, when thou art gone

What will be left to us!

 いよいよ、息子のルークを親類の所に送り出す前の日に、マイケルがルーク

を山に連れて行き、羊小屋を建てる計画を打ち明ける場面である。「お前が

行ってしまったら/わしらに何が残るだろう。」という言葉は、マイケルとイ

ザベルの気持ちが、さきほどとは違って、マイケル自身の言葉で語られている

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ため、一層親と子の別れの悲しさを際立たせている。ルークの胸も希望にあふ

れて高鳴っていると同時に、将来への不安も感じていたことであろう。両親と

別れて都会に出て行きたくない息子の気持ちはよく分かっていたマイケルとし

ても、心の中では息子を行かせたくなかったのであろう。しかし、先祖代々の

土地を守るためには、息子を送り出す以外に方法がなかったのである。

「ルークよ、お前とわしは唯一愛の絆で結ばれているのだ」と、息子に対す

る愛情の強さを、絆という最も心に響く強い言葉で表現しながら、マイケルは

自らの愛の強さを確認している。そしてまた、息子の将来に対する不安な気持

ちを何とか和らげようとしている。愛の絆で結ばれるということほど、人間に

とって大切な幸せな、心強いものはないであろう。ある意味では、最もドラマ

チックな息子への愛情の告白となっているが、この息子に対する独白の最後

で、マイケルは、愛の絆をさらに強固なものとするかのように、息子に羊小屋

を建てることの意味を語りかけている。

- But, I forget

My purposes. Lay now the corner-stone,

As I requested, and hereafter, Luke,

When thou art gone away, should evil men

Be thy companions, let this Sheep-fold be

Thy anchor and thy shield; amid all fear

And all temptation, let it be to thee

An emblem of the life thy Fathers liv'd,

Who, being innocent, did for that cause

Bestir them in good deeds.

もともとマイケルは、羊小屋をルークと一緒に建てることを計画していたのだ

が、彼を借金返済のため都会に住む親類の所に送ることを決めていたので、今

はもう自分一人の力で建てるしかなかった。それゆえ、せめて息子に最初の石

を一つ置いてくれるように頼むのである。息子が置いてくれた土台石を一つの

励みとして、彼は羊小屋の建設にとりかかろうとする。マイケルにとっては、

この新たな羊小屋の完成そのものが、残り少ない自らの人生の確かな拠り所と

なり、父と子の絆をより一層深めるものとなるのであろう。

 そして、将来悪の誘惑に負けそうになったときには、この羊小屋をお前の錨

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と盾にして、自分を守るんだよと、息子を勇気づけるとき、マイケルは、羊小

屋を一つの道徳的な精神の支えとして、心に銘記するようにルークを励まして

いる。しかも、「羊小屋をお前の先祖たちが送った生活のしるしにするんだ

よ」と言葉を続けるとき、羊小屋はただの小屋ではなくなってしまい、マイケ

ル一家の先祖たちが送った、善行を重ねた立派な生き方の象徴となってしま

う。いわば、マイケル一族の名誉の象徴として羊小屋を考え、決してそれに恥

じない生き方をしていくんだよと息子を諭すとき、マイケルは先祖伝来の土地

に生きてきた自らの責任の重さを実感するのであろう。

 このようなマイケル一族の誇りを象徴し、暗示する羊小屋の建設は、マイケ

ルにとっては、自分が生涯を終える前にぜひやりとげたいと願う最後のことで

あり、そこには父と子の愛の絆をさらに深め、永続的なものにしたいというマ

イケルの思いが込められているのである。最後にマイケルは、二人の約束として

羊小屋の完成を息子に誓い、息子に対する愛の不変さを力強く語りかけている。

Now, fare thee well -

When thou return'st, thou in this place wilt see

A work which is not here, a covenant

'Twill be between us - but whatever fate

Befall thee, I shall love thee to the last,

And bear thy memory with me to the grave.’

「たとえどんな運命が/お前にふりかかろうとも、最後までお前を愛している

/お前の思い出を抱いて墓に入るよ。」という、彼の言葉は、きわめて朴訥な

な言い方であるが、マイケルにとっては息子に対する最大の愛の言葉であっ

た。盲目的な愛の表現とも言えるほど圧倒的な力強い愛の言葉であるが、一方

では、息子に対する信頼感や期待感の強さを暗示すると同時に、息子の悲しい

堕落をも大きく包み込んでしまうマイケルの最後の言葉となっている。

(7)

 父の惜しみない愛を受けながら、堕落してしまった息子ルークに対してマイ

ケルはどのような思いであったのであろうか。恐らく自分の期待に背いた息子

に対しては、強い憤りの気持ちはあったはずである。あれほど手塩にかけて育

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て、彼自身の言葉で言えば、「可能なかぎりやさしい良い父親であった」自分

に対して、息子は一言の言葉もなく外国へ逃げて行ってしまったのだ。

 息子との愛の絆の証しとも言える、羊小屋の建設はおろか、マイケルにとっ

ては、まったく生きる意味さえもなくなってしまったのである。人間は不幸な

失意の底に落ちたとき、ただその悲しみに耐えるしかないのであろうか。他人

は、時がたてばいつかは悲しみも癒やされるとは言うが、若者と違って、限ら

れた人生の日々しか与えられていない老人のマイケルにとっては、この深い悲

しみから逃れるすべは、そう容易には見つからないのである。

 しかし、ワーズワスは、救いようのない失意の底に沈むマイケルの心に一す

じの光を投げかけ、彼の哀れな悲しみに明るい希望をもたらそうとしている。

それは言うまでもなく、すべての悲しみをも大きく包み込む愛の力だったので

ある。救いのない悲しみはないのだとマイケルにそっと語りかける、次の言葉

からは、詩人ワーズワスのやさしさがにじみ出てくるようである。

There is a comfort in the strength of love;

'Twill make a thing endurable, which else

Would break the heart:- Old Michael found it so.

I have convers'd with more than one who well

Remember the Old Man, and what he was

Years after he had heard this heavy news.

His bodily frame had been from youth to age

Of an unusual strength. Among the rocks

He went, and still look'd up upon the sun,

And listen'd to the wind; and as before

Perform'd all kinds of labour for his Sheep,

And for the land his small inheritance.

「愛の力には慰めがある/愛がなければ悲嘆にくれるような/ことにも耐えさ

せてくれる」と、非常に素朴な気持ちで愛の力の大きさを語りかけるとき、マ

イケルが愛の力によってその試練に耐えていくことが知らされる。「『マイケ

ル』からのこの詩行は、偉大な感動に心動かされる男女─『そこから人間や現

在の我々に/もたらされる栄光ゆえに』、『聞いてもつらくはないと』ワーズワ

スが考える愛に苦しむ、素朴な男女についての彼の研究すべてに見出される思

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想や感情への確信を控え目に具体化している。」(10) という指摘があるよう

に、ワーズワスは、愛による苦悩や悲しみの救済を確信している。

 マイケルは、耐えがたい息子の堕落の知らせを聞いた後も、外見上は決して

落胆のそぶりは見せず、岩山へ出かけていっては、羊の世話をしたり、わずか

な財産である土地を守りながら暮らしていった、というマイケルの淡々とした

表情やしぐさからは、じっと悲しみに耐えるマイケルの気持ちが伝わってくる

のである。

 もちろん、この多少教訓的な、愛についての言葉を文字通りに解釈すれば、

マイケルは息子のルークが「悪の道に迷い込んだ」後でも、変わることなく息

子を愛し、信じて生きたのである。息子への大きな愛によって、耐えがたい運

命の仕打ちにも耐えることができたのであろう。たとえ息子が二人の約束を果

たすこともなく外国へ逃げ隠れてしまっても、決して息子を責めずに大きな愛

の気持ちで受け入れ、いつものように仕事を続けていくマイケルは、愛の力に

よって辛い悲しみに耐えていったのである。そして、「ほとんど400行を費や

してマイケルの土地と息子に対する愛を明確にしようとしている」(11) ワー

ズワスの詩作態度には、主人公マイケルに対する、彼の並々ならぬ同情の思い

や、感情移入の強さが感じられる。

 ところで、愛の力の慰めをうたったこの引用文の最後までで、仮りにこの詩

が終わっていたとしたら、きわめて教訓的な物語の終わり方となり、全能の愛

の力によってすべてが解決され、救われてしまうかもしれない。人間の心を癒

やす愛の力によって、マイケルが息子を責めることもなく、じっと悲しみに耐

える姿だけが強調されてしまうのである。そして、自分に与えられた辛い運命

を静かに受け入れる老人マイケルの悲しい姿に強い共感や同情の気持ちを覚え

るに違いない。

 しかし、ワーズワスは、これに続けて、マイケルの心情を描写して次のよう

に語っている。

And to that hollow Dell from time to time

Did he repair, to build the Fold of which

His flock had need. 'Tis not forgotten yet

The pity which was then in every heart

For the Old Man - and 'tis believ'd by all

That many and many a day he thither went,

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And never lifted up a single stone.

 その後もマイケルは、何事もなかったように、羊たちに必要な小屋を建てる

ため深い谷間に出かけていった。しかし、「たった一つの石も持ち上げなかっ

た」と、みんなが信じているという、最後の言葉が暗示しているように、マイ

ケルにとってはやはり、落胆の気持ちは計りしれないほど大きかったのであろ

う。実際には、マイケルは、「この羊小屋を建てるためにまる七年もの/長い

間ときどき働いたが」この仕事を完成しないまま死んでいった。」という説明

があるように、マイケルは、恐らくは息子の帰りを待ちわびながら羊小屋を作

ろうとしたのである。

 普通ならば、七年もの歳月をかけて一つの羊小屋も建てられなかったという

ことなどはありえないことだが、彼には、その気力さえもなえてしまったので

あろう。羊小屋を作り上げることに何の意味もなくなってしまったマイケルの

言いようのない虚脱感、そしてむなしい悲しみが強く感じられる。それゆえ、

「たった一つの石も持ち上げなかった」という、みんなの言葉が、その時のマ

イケルの悲しい気持ちを見事に伝えているのである。

「『廃屋』と『マイケル』はともに絶望を認めることへの拒絶を描いたもので

あるが、一方には肯定的な希望が可能であり、他方にはその可能性はない、と

いう重要な違いがある。マイケルの拒絶は、自らの立場の絶望的な状況や、彼

が常に生きてきた容赦なく続く人生を受け入れるときに現われる」(12) とい

う見方があるように、マシュ・アーノルドが激賞したあの一行に込められた、

主人公マイケルの言いようのない絶望感は、まさにマイケルの生きる気力や、

残りの人生に対するはかない希望をすべて奪い去ってしまったのであろう。

 このような、人々の深い同情の念は、作者ワーズワスも感じていたものであ

り、彼は、「マイケル」という長詩の詩作の意図について、ある友人への手紙

で次のように語っている。

 強い意志と生き生きした感受性を持った男が、相続財産や家庭、そ

して個人や家族の独立についての感情を含めた、人間の心の二つの最

も強い感情である、親の愛と、土地という財産への愛着によって揺さ

ぶられる姿を描こうと思った。(13)

「親の愛と、土地という財産への愛着によって揺さぶられる姿を描こうと

思った」という、ワーズワスの主葉通りに、主人公マイケルは堕落してしまっ

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た息子ルークに対する親の愛と、先祖伝来の土地という財産への執着のはざま

で思い悩むのである。そして、最後の場面に象徴される、愛の力をもってして

も必らずしも完全にはマイケルの悲しみを癒やすことができなかったという事

実が、二つの対照的な愛に苦悩するマイケルの姿をより一層浮かび上がらせて

いる。「ワーズワスが賢明にそして穏やかに『詩人は詩人たちのためにだけで

なく人々のためにも書くのです』と言っている」(14) ように、父と子の愛の

苦悩を描きたいというその真摯な思いは、普通の人々にも十分伝わっているの

である。

 ワーズワス自身は、この親子の悲劇的な絆の断絶について、原因がどこに

あったのか明確な理由は述べていない。マイケル自身が最良のものと思って

とった解決策が、悲しい結末に終わってしまったのであるが、この最後の場面

を見る限り、ワーズワスの詩作の意図は、きわめて見事に描かれ、そして、悲

劇の原因がどこにあったのかなどという、細かな詮索はすべて読者の心に委ね

られたのであろう。「詩人は、普通の人間性のパンで生きるのであって、お互

いの『策略、風変りな面、象形文字のような文書や謎』を取り入れて生きるの

ではない」(15) と述べながら、ギャロッドが、現実と向き合って生きる詩人

の必要性を説いているように、「自らの想像力の高みから降りた詩人」によっ

て描かれた父と子の愛の悲しみは、より現実のリアリティーをもって人々に訴

えかけてくるのである。

[注]

 使用テクストは、Wordsworth and Coleridge, Lyrical Ballads ed. R. L. Brett andA. R. Jones (Methuen, 1981)に拠った。(本論は、2001 年 5 月 12 日(土)青

山学院大学にて行われた「第20回イギリス・ロマン派講座」で口頭発表した

原稿に加筆したものです)(1) James Sambrook, English Pastoral Poetry(Twayne, 1983)p.126.(2) Ibid., p.7.(3) Ibid., p.3.(4) Ibid., p.131.(5) Ibid.(6) Jonathan Bate, The Song of the Earth(Picador, 2001)p.12.(7) William Wordsworth Selected Poems and Prefaces ed. Jack Stillinger(Houghton Mifflin

Company, 1965)pp.524-5.(8) Harold Bloom,“The Myth of Memory and Natural Man", Wordsworth A Collection of

Critical Essays ed. M. H. Abrams(Prentice-Hall Inc., 1972)p.101.

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(9) Jonathan Bate, op. cit., p.245.(10)Helen Darbishire, The Poet Wordsworth(Oxford, 1966)p.172.(11)William Wordsworth Selected Poems and Prefaces ed. Jack Stillinger, p.525.(12)Jonathan Wordsworth,“The Ruined Cottage as Tragic Narrative", Wordsworth A Collection

of Critical Essays ed. M. H. Abrams, p.101.(13)Wordsworth and Coleridge, Lyrical Ballads, p.308.(14)H. W. Garrod, Wordsworth: Lectures and Essays(Oxford, 1949)p.168.(15)Ibid.