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ASEAN 安全保障共同体の研究 庄司 智孝 〈要  旨〉 本稿は、安全保障共同体の形成へ向けた ASEAN の動向を考察するものである。第 1 では安全保障共同体形成の前段階として、ASEAN の政治協力の歴史的展開を概観した。第 2 節は安全保障共同体形成の契機となった、東南アジア内外の戦略環境の変化を整理した。 そして第 3 節では 2003 年の第 2 バリ宣言、2004 年のビエンチャン行動計画、そして 2006 年の ASEAN 国防相会合(ADMM)といった ASC 形成へ向けた動きを追った。結論としては、 ADMM の開催を除けば、ASC は依然として具体的な成果に乏しく、今後効果的な安全保障 協力のためにより実践的な政策が求められよう。 はじめに 当研究は、安全保障共同体(security community)の形成へ向けた ASEAN の動向を考察 するものである。主権国家によって構成される安全保障共同体とは、その加盟国にとって 平和裡に状況が変化していくことを継続的に期待できる地域連合と定義される 1ASEAN 安全保障共同体(ASEAN Security Community, ASC)は ASEAN 域内外の政治・安全保障協 力を促進することを目的とした枠組であり、2003 年にインドネシアの発案により ASEAN 内でその形成に関する議論が開始された 2ASC に関する議論は依然として進行中であり、 協力枠組は形成の途上にある。しかし 2003 年から 2007 年にかけて、ASC の設立をうたっ た第 2 バリ宣言、ASC 形成のために達成すべき政策課題を提示したビエンチャン行動計画、 そして ASC 形成の第一歩としての ASEAN 国防相会合(ADMM)など、安全保障共同体の 設立へ向けたいくつかの具体的な成果があった。そして 2007 1 月にフィリピンのセブ島 で行われた ASEAN 首脳会議は、当初の予定から 5 年前倒しにして 2015 年までに ASC 形成することで合意した。 ASC は軍事同盟ではなく、包括的安全保障(comprehensive security)の考えに基づき紛 1Amitav Acharya, Constructing a Security Community in Southeast Asia: ASEAN and the Problem of Regional Order, London and New York: Routledge, 2001, p. 16. 2ASC に関する ASEAN の公式説明としては例えば“ASEAN Annual Report 2004-2005<http://www. aseansec.org/AR05/PR-Peace.pdf> Accessed on 16 February 2007 を参照のこと。

ASEAN安全保障共同体の研究ASEAN安全保障共同体の研究 庄司 智孝 〈要 旨〉 本稿は、安全保障共同体の形成へ向けたASEAN の動向を考察するものである。第1

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Page 1: ASEAN安全保障共同体の研究ASEAN安全保障共同体の研究 庄司 智孝 〈要 旨〉 本稿は、安全保障共同体の形成へ向けたASEAN の動向を考察するものである。第1

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ASEAN安全保障共同体の研究

庄司 智孝

〈要  旨〉 本稿は、安全保障共同体の形成へ向けた ASEANの動向を考察するものである。第 1節

では安全保障共同体形成の前段階として、ASEANの政治協力の歴史的展開を概観した。第

2節は安全保障共同体形成の契機となった、東南アジア内外の戦略環境の変化を整理した。

そして第 3節では 2003年の第 2バリ宣言、2004年のビエンチャン行動計画、そして 2006

年の ASEAN国防相会合(ADMM)といった ASC形成へ向けた動きを追った。結論としては、

ADMMの開催を除けば、ASCは依然として具体的な成果に乏しく、今後効果的な安全保障

協力のためにより実践的な政策が求められよう。

はじめに

 当研究は、安全保障共同体(security community)の形成へ向けた ASEANの動向を考察

するものである。主権国家によって構成される安全保障共同体とは、その加盟国にとって

平和裡に状況が変化していくことを継続的に期待できる地域連合と定義される(1)。ASEAN

安全保障共同体(ASEAN Security Community, ASC)は ASEAN域内外の政治・安全保障協

力を促進することを目的とした枠組であり、2003年にインドネシアの発案により ASEAN

内でその形成に関する議論が開始された(2)。ASCに関する議論は依然として進行中であり、

協力枠組は形成の途上にある。しかし 2003年から 2007年にかけて、ASCの設立をうたっ

た第 2バリ宣言、ASC形成のために達成すべき政策課題を提示したビエンチャン行動計画、

そして ASC形成の第一歩としての ASEAN国防相会合(ADMM)など、安全保障共同体の

設立へ向けたいくつかの具体的な成果があった。そして 2007年 1月にフィリピンのセブ島

で行われた ASEAN首脳会議は、当初の予定から 5年前倒しにして 2015年までに ASCを

形成することで合意した。

 ASCは軍事同盟ではなく、包括的安全保障(comprehensive security)の考えに基づき紛

(1)  Amitav Acharya, Constructing a Security Community in Southeast Asia: ASEAN and the Problem of Regional Order, London and New York: Routledge, 2001, p. 16.

(2)  ASCに関する ASEANの公式説明としては例えば“ASEAN Annual Report 2004-2005” <http://www.aseansec.org/AR05/PR-Peace.pdf> Accessed on 16 February 2007を参照のこと。

Page 2: ASEAN安全保障共同体の研究ASEAN安全保障共同体の研究 庄司 智孝 〈要 旨〉 本稿は、安全保障共同体の形成へ向けたASEAN の動向を考察するものである。第1

防衛研究所紀要第 10 巻第 2号(2007 年 12 月)

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争予防、紛争の平和的解決、そして紛争後の平和再構築を戦略面の主眼とする枠組である。

これは、発足以来政治協力の実績を積み上げてきた ASEANにとって 1つの到達点となっ

ている。ASEANの事実上の設立宣言であるバンコク宣言(1967年 8月 8日)は機構の目

的としてまず、経済・社会・文化の分野での協力を明記しているものの、政治・安全保障

面については「平和と安定の希求」といった抽象的な表現にとどまっていた。

 しかし原加盟 5カ国(インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ)

は程度の差こそあれ、政治協力を言外に志向していた。そのため ASEANは設立後に実質

的な政治協力を本格化させていった。協力体制の進展は 1971年の「平和・自由・中立地帯」

(ZOPFAN)宣言、76年の東南アジア友好協力条約(TAC)の締結、94年の ASEAN地域フォー

ラム(ARF)の設立、そして 95年の東南アジア非核兵器地帯条約(SEA-NWFZ)の締結といっ

た一連の成果を生んだ。

 しかし、1997年のアジア経済危機によって東南アジア諸国の経済は混乱し、経済の混乱

が政治や社会の諸側面に波及するという事態に直面したとき、ASEANという地域協力機構

はこうした危機に有効に対処することができなかった。これにより ASEANの機能不全や

制度面の不備が指摘されるに至り、その議論は経済にとどまらず、政治や安全保障を含む

多面的な協力枠組としての ASEANそのものに及んだ。また ASEANの政治協力の条件に関

し、内在的に ASEANの限界が露呈しただけではなかった。2001年の米国における同時多

発テロを契機として世界的にテロの脅威が再認識され、東南アジアではジェマ・イスラミ

ア(JI)やアブ・サヤフ(ASG)といったアルカイダとの関係を疑われるイスラム過激派組

織の活動が活発になった。このような内外の戦略環境の変化は、ASEAN加盟諸国により緊

密な協力体制の確立を求めている。本稿は、こうした ASEAN設立からの歴史的経緯と安

全保障環境の変化をふまえ、ASCの進展過程と進展の各段階を考察し、ASC形成の意義と

将来の展望を探るものである。論文の構成としては、まず第 1節で安全保障共同体形成の

前段階として、ASEANの政治協力の歴史的展開を概観する。第 2節では ASC形成の契機

となった、東南アジア内外の戦略環境の変化を整理する。そして第 3節では、ASCの議論

の開始から現在の進展状況までを考察する。

1 ASEANの政治協力の進展──安全保障に関する諸構想の発明

 1967年 8月 8日に出された ASEAN宣言(バンコク宣言)は、設立のための条約を定め

なかった ASEANにとって、事実上の設立文書となっている。同宣言は ASEAN設立の目的

としてまず、共同の努力を通じた経済成長と社会・文化の発展に言及している。これに対

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ASEAN安全保障共同体の研究

し政治・安全保障面については、宣言の前文と ASEAN設立の目的として地域の平和と安

定の促進をうたっているものの、政治安保協力に直接は言及していない(3)。しかし ASEAN

の発足は、サバをめぐるマレーシアとフィリピンの対立や、インドネシアのマレーシア対

決政策(Konfrontasi)といった域内の紛争がいったん収束したことを背景に、改めて地域

の連帯を醸成するという政治的な意味を有していた。ただ域内での諸紛争が収束した直後

ゆえ、安全保障といった国家の存在そのものに関わる問題で協力体制を築くには加盟国間

の信頼関係が十分には形成されていなかった。加えて、冷戦のさなかに社会主義諸国や域

外の非同盟諸国から親米・反共の軍事同盟として敵視されることは避けなければならなかっ

た(4)。こうした理由により、当時、政治・安全保障面での協力を明言することは回避され

たのである。

 また ASEANの安全保障協力の必要性自体は原加盟 5カ国で認識を共有していたが、協

力の程度については 5カ国間で認識を異にしていた。インドネシアは中国に対して均衡を

図るための安全保障協力を必要と考えていたのに対し、シンガポールは自らの安全保障を

英連邦諸国との協力に見出していた。残る 3カ国は域内の安全保障協力の重要性は認めつ

つもそれはあくまでも将来の目標とし、軍事同盟を形成する意思はなく、最終的にはアメ

リカの軍事力へ依存せざるを得ないと考えていた(5)。安全保障における ASEANの協力形態

の最大公約数は、当時のタイ外相タナット(Thanat Khoman)が提唱した「集団的政治防衛」

(collective political defence)であった(6)。それは域内紛争の発生を予防するための信頼醸成

と、域外大国による域内紛争への介入を阻止することをその内容としていた(7)。軍事同盟

ではなく、より包括的かつ広義の安全保障協力を ASEANが設立当初から志向していたこ

とは留意すべき点である。この志向は現在の ASCの議論にも踏襲されている。

 ASEAN発足の背景に政治・安全保障面の問題があったことは、当初から ASEANの実質

的な政治協力を活発化させた。政治協力が活発になった背景には、1960年代末から、東南

アジア地域と周辺大国の関係が大きく変化したことがある。まず英国が旧英領マラヤ地域

からの英国軍の撤退を宣言した。米国はベトナム戦争の終息へ向けて、東南アジアに駐留

する米軍の削減を決定した。逆に中ソ両社会主義大国は東南アジア地域への関心を強めて

いった。さらにベトナム戦争の戦火はカンボジアにも拡大していた。こうした国際情勢を

(3)  “The ASEAN Declaration (Bangkok Declaration)”, Thailand, 8 August 1967 <http://www.aseansec.org/3628.htm> Accessed on 29 January 2007.

(4)  黒柳米司『ASEAN35年の軌跡──‘ASEAN Way’の効用と限界』有信堂、2003年、38~ 40ページ。(5)  同上、39ページ。(6)  The Cambridge History of Southeast Asia, Vol. Two, Part Two, From World War II to the Present,

Cambridge: Cambridge University Press, 2004, p. 288.(7)  山影進『ASEAN──シンボルからシステムへ』東京大学出版会、1991年、107ページ。

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防衛研究所紀要第 10 巻第 2号(2007 年 12 月)

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背景として、マレーシアは米中ソといった大国に保障された東南アジアの中立化を構想し

た(8)。71年 11月、クアラルンプールでの外相会議を経て、ASAENは東南アジアの中立に

関する宣言を採択した。それは東南アジアが域外国によるいかなる形の干渉からも自由な

「平和・自由・中立地帯」(Zone of Peace, Freedom and Neutrality, ZOPFAN)として承認され、

尊重されるよう ASEAN加盟国は必要な努力を払うことを決意し、東南アジア諸国は国力

の強化、連帯そしてより緊密な関係に寄与する協力領域を拡大するよう共同して努力する

ことを宣言した(9)。このいわゆる ZOPFAN宣言は、域外大国に東南アジアの中立を保障す

るよう求めるという意味で実効性を欠いていたものの、ASEANとして初めて共同の対外姿

勢を示したという意味で画期的であった(10)。また宣言前文の国連憲章に言及した部分では、

武力の行使ないしは脅威の回避と国際紛争の平和的解決をうたっており、この精神は後に

ASCの礎の 1つとなった(11)。

 1975年 4月にベトナム戦争が終結し、インドシナ 3国が社会主義化したことは ASEAN

の安全保障にとって二重の意味を持った。1つは本来反共国家の集合体であった ASEANに

とって、敵対する勢力が自らに隣接する地域に出現したことである。もう 1つはベトナム

での失敗により米国が東南アジアへの関与を弱めていったことである。

 安全保障環境の激変を受け、ASEAN諸国は協力体制の強化によって自らの安全保障を高

めようとした。1976年 2月、インドネシアのバリ島で第 1回 ASEAN首脳会議が開催され、

会議は ASEAN協和宣言(バリ宣言)を採択した。同宣言はその前文で経済、社会、文化

に加え政治分野での協力の拡大を言明した。そして政治的安定の追求のため、加盟各国と

ASEAN全体の強靱性(resilience)の強化、平和・自由・中立地帯の早期確立、域内問題

の平和的解決、そして域内各国間の平和的協力の促進を考慮すべき目標・原則にしている。

さらに ASEANの協力枠組として、必要に応じて首脳会議を開催すること、東南アジア友

好協力条約の締結、域内紛争を平和的手段によってなるべく早期に解決すること、平和・

自由・中立地帯の承認と尊重へ向けて可能な部分から着手すること、政治協力を強化する

ため機構を改善すること、加盟国間の意見調整によって政治的安定を強化し、可能かつ望

ましい領域で統一行動を実施することを政治的行動計画としてあげている(12)。バリ宣言は、

(8)  Heiner Hänggi, “ASEAN and the ZOPFAN Concept”, Pacific Strategic Papers, Singaproe: Institute of Southeast Asian Studies, 1991, pp. 12-15.

(9)  “Zone of Peace, Freedom and Neutrality Declaration”, Malaysia, 27 November 1971 <http://www.aseansec.org/3629.htm> Accessed on 23 January 2007.

(10)  山影『ASEAN』133ページ。(11)  “Zone of Peace, Freedom and Neutrality Declaration”.(12)  “Declaration of ASEAN Concord”, Indonesia, 24 February1976 <http://www.aseansec.org/1649.htm>

Accessed on 23 January 2007.

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ASEAN安全保障共同体の研究

ASEANの目的の筆頭に政治協力を掲げ、これを公式に表明した最初の文書であった(13)。

 第 1回首脳会議時に締結された東南アジア友好協力条約(Treaty of Amity and Cooperation

in Southeast Asia, TAC)は、ASEANの政治協力の一環として、域内紛争の平和的解決につ

いて定めている。TACは独立、主権、平等、領土の一体性と国家のアイデンティティーの

尊重、民族自決や内政不干渉といった諸原則に基づき、域内協力を実現することをうたっ

ている。そして紛争の平和的解決の手段として第 14条では、地域全体が関与して紛争の解

決を図るために、締約国の閣僚クラスの代表からなる「高等評議会」(High Council)を常

設機関として設立することを定めている。同評議会は紛争当事国の同意があって初めて仲

裁機関として機能する(第 15条)。評議会は条約締結後実際に設立されたことはなく、現

在のところ現実の紛争の解決には寄与していないが、こうした構想が存在したこと自体は

注目すべき点である。また第 6条はASEANの共同体形成の志向を明記し、さらに第 18条は、

TACがすべての東南アジア諸国に加盟の道を開いていることを明言しており、こうした点

も注目される(14)。

 その後 ASEANは、1970年代前半には日本から東南アジアへの合成ゴムの輸出が大幅に

増大したことに対し、共同歩調をとることによって日本から合成ゴムの生産と輸出の自粛

の約束を取り付けることに成功するなど、対日経済交渉の経験を通じて機構単位での外交

力を涵養した(15)。また 70年代末から発生したカンボジア問題への対応で、加盟国間の信

頼関係を醸成しつつ地域の安全保障問題に関する統一行動の能力を対外的に示すことに成

功した(16)。そして 94年の ASEAN地域フォーラム(ARF)の設立は、政治・安全保障協力

における ASEANの内的・対外的な深化を表す出来事であった。90年代、冷戦の終結とカ

ンボジア問題の解決を契機として米国・中国・ロシア(ソ連)といった ASEANを取り巻

く大国関係が大きく変化したことより、東南アジアの安全保障環境は激変した。さらにこ

の時期中国は領土的拡張主義を露わにし、南シナ海の島嶼に進出した。そのため ASEAN

諸国は中国の動向に懸念を抱くようになった(17)。

 こうした状況に対処するために、ASEANは自らを基盤としたアジア太平洋地域の広域

安全保障対話に活路を見出した。1991年 7月にクアラルンプールで開催された第 24回

ASEAN外相会議(AMM)共同コミュニケは、ZOPFAN、TACそして ASEAN拡大外相会議

(13)  山影『ASEAN』138ページ。(14)  “Declaration of ASEAN Concord”, “Treaty of Amity and Cooperation in Southeast Asia”, Indonesia,

24 February 1976 <http://www.aseansec.org/1217.htm> Accessed on 25 January 2007.(15)  黒柳『ASEAN35年の軌跡』73~ 74ページ。(16)  Michael Leifer, “The ASEAN Regional Forum: Extending ASEAN’s Model of Regional Security”,

Adelphi Paper 302, London: Oxford University Press, 1996, p. 16.(17)  飯田将史「南シナ海問題における中国の新動向」『防衛研究所紀要』第 10巻第 1号(2007年 9月)

146~ 148ページ。

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防衛研究所紀要第 10 巻第 2号(2007 年 12 月)

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(PMC)が 90年代の地域の平和と安全保障にとって適切な基礎になると言明した(18)。翌 92

年 1月の第 4回 ASEAN首脳会議は「1992年のシンガポール宣言」を出し、従来の ASEAN

の安全保障協力に関する加盟国間の対話と同様に、アジア太平洋地域の安全保障のための

広域対話を促進するフォーラムの設立について合意した(19)。そして 93年 7月の AMMにお

いて ARFの開催を決定した。ARFは、信頼醸成と予防外交という ASEANが育んできた域

内安全保障協力の方法をアジア太平洋地域に拡大することを企図する野心的な試みであっ

た(20)。域外大国の参加を念頭にした安全保障枠組を構築しようとする ASEANの取り組み

は、ARFに続き 95年 12月に締結された東南アジア非核兵器地帯条約(SEA-NWFZ)にも

結実した(21)。

 1967年に設立されて以来、ASEANはこうして政治・安全保障協力の実績を積み上げて

きた。それは、大国間のパワーゲームに翻弄されがちな東南アジアの小国が結束し、自律

性を向上させ地域の安全保障を確立しようとした営為であり、国内・域内の安定を目指し

た取り組みであった。そしてこの過程で独自の安全保障概念・構想が生まれ、それらの概

念や構想は ASC構想の礎となった。

2 ASEANの転換点──内外の戦略環境の変化

 ASCが構想された背景には、1990年代後半から現在に至るまでの、ASEANを取り巻く

戦略環境の変化があった。そうした変化を引き起こしたのは、ASEANの拡大、アジア経済

危機、そしてテロの脅威の顕在化であった。冷戦の終結は、ASEANの機構自体に根本的な

転換をもたらした。冷戦の終結により、反共産連合として発足した ASEANは、イデオロギー

や政治体制の違いを超えて東南アジア地域全体を包摂する地域連合へと発展する契機を得

た。そしてそれまで ASEANの敵対勢力として認識されていたインドシナの社会主義諸国

とミャンマーが ASEANに加盟した。まずベトナムが 95年に、そしてラオスとミャンマー

が 97年に同時に、最後にカンボジアが 99年に加盟し、ASEANは東南アジアの 10カ国す

べてをメンバーとする機構に拡大した。この「ASEAN10」の誕生は、加盟各国の政治的多

様性を包含するものとなった。原加盟 5カ国も厳密に区分すれば多様な政治制度を有して

(18)  “Joint Communiqué of the Twenty-fourth ASEAN Ministerial Meeting”, Kuala Lumpur, 19-20 July 1991 <http://www.aseansec.org/956.htm> Accessed on 13 February 2007.

(19)  “Singapore Declaration of 1992”, Singapore, 28 January 1992 <http://www.aseansec.org/5120.htm> Accessed on 13 February 2007.

(20)  Leifer, op. cit., pp. 22-23.(21)  山影進『ASEANパワー──アジア太平洋の中核へ』東京大学出版会、1997年、181ページ。“Treaty

on the Southeast Asia Nuclear Weapon-Free Zone”, Bangkok, Thailand 15 December 1995 <http://www.aseansec.org/3636.htm> Accessed on 20 February 2007.

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ASEAN安全保障共同体の研究

いるが、これらの国々は少なくとも制度面では多元的民主主義制度を採用している。これ

に対し、新規加盟国であるベトナムやラオスは社会主義体制、そしてミャンマーは軍政を

敷いている(22)。こうした政治体制の多様性は ASEAN内に政治面での分断状況を生み出し、

安全保障分野の協力を阻害する要因の 1つとなっている。

 1997年 7月、タイでバーツ通貨危機が発生したことを契機としてフィリピン、マレーシア、

インドネシアといった東南アジア諸国の通貨が大幅に下落した。これにより地域経済は混

乱し、各国の経済成長率は著しく低下した。経済の落ち込みは国家予算にも波及し、その

結果国防予算は大幅に削減されるなど、経済の混乱は国防の分野にまで及んだ。このアジ

ア経済危機をきっかけとしてインドネシアではスハルト独裁体制が瓦解した。これは長年

ASEANの盟主として君臨してきたインドネシアがその役割を喪失することを意味し、求心

力を失った ASEANは対外的発言力を低下させた。さらには経済の破綻に際し ASEANは機

構としての統一行動をとることができず、その機能不全を批判されるようになった(23)。

 これらの変化に加えて、2001年 9月に米国で発生した同時多発テロを契機とし、テロ問

題が世界の安全保障の焦点として浮上した。同時多発テロ発生後にアルカイダを中心とす

る国際テロネットワークの存在が注目されるようになり、東南アジアにおいては JIや ASG

などアルカイダと関連のあるイスラム過激派組織の活動が注目されるようになった。実際、

2002年から 2005年まで 4年連続でインドネシアでは大規模なテロが発生し、いずれも JI

の関与が疑われている。タイの南部では、2004年 1月から爆弾テロが相次いでおり、2007

年 1月までに 2,000人以上が死亡している。タイ政府は南部の騒乱と国外の過激派組織と

の関係を否定しているものの、国際テロ組織や東南アジアの分離独立組織の関与が取り沙

汰されている(24)。ASEANが主体となった広域安全保障協力の象徴である ARFについては、

会合を毎年開催することが定例化し、1996年以降は国防当局者の参加が実現するなど、制

度面での成果は見られた。ただ当初想定された予防外交への移行は遅々として進んでいな

いなど、その限界も指摘されるに至っている(25)。

 こうした内外の戦略環境の変化が、ASC構想誕生のきっかけとなった。ASCの提案国は

インドネシアであるが、同構想を策定した中心人物の一人が、ジャカルタにある独立系シ

ンクタンク戦略国際問題研究所(Centre for Strategic and International Studies, CSIS)(26)の

(22)  山影進「転換期の ASEAN──拡大、深化、新たな課題」山影進編『転換期の ASEAN──新たな課題への挑戦』日本国際問題研究所、2001年、10~ 11ページ。

(23)  黒柳『ASEAN35年の軌跡』138ページ。(24)  『読売新聞』2007年 2月 17日。(25)  佐藤考一『ASEANレジーム── ASEANにおける会議外交の展開と課題』勁草書房、2003年、

155~ 160ページ。(26)  CSISについては http://www.csis.or.id/default.asp を参照のこと。

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防衛研究所紀要第 10 巻第 2号(2007 年 12 月)

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現副所長リザル・スクマ(Rizal Sukma)である。2003年 6月 3日にニューヨークのインド

ネシア国連代表部が主催した「ASEANの協力──現在の国際情勢における課題と展望」と題

された研究会でスクマが発表したペーパー「ASEANの将来──安全保障共同体に向けて」(27)

において、ASCを提案するに至った問題意識とその構想の内容が明らかにされている。

 まず問題の背景としてスクマは、冷戦の終結後、特に 1997年のアジア通貨危機後、域内・

域外関係のいずれの観点からも ASEANの役割が低下しているという議論の存在をあげて

いる。それは、ASEANの加盟国が 10カ国に拡大し、タイやフィリピンといった原加盟国

が政治・経済の両面で大きく変化し、さらには ASEANで中心的役割を果たしてきたイン

ドネシアでスハルト体制の崩壊という政治変動が起きたことによって ASEANが 80年代か

ら 90年代初めにかけて享受してきた外交面の優位性が失われたという問題意識である。そ

して 2001年 9月の米国における同時多発テロ以来世界がテロの脅威の時代に突入する中、

ASEANは今一度一機構としてその存在意義を証明するための大いなる試練にさらされてい

るとの認識を示している(28)。

 こうしたスクマの議論からも明らかなように、ASCの提唱は、通貨危機後の ASEANの

地位低下とテロの脅威の増大という背景認識に基づいていた。また ASCの提唱は、2003

年 7月から 1年間 ASEAN議長国となるインドネシアが ASEANの盟主として復権するねら

いもあった。さらに ASEANの経済統合に向けて議論が進展するなか、経済とバランスを

とる形で政治・安全保障の協力体制を構築する必要があるとの問題意識も存在した(29)。

 このようにインドネシアの戦略系シンクタンクのメンバーが ASC構想に関わったこと

は、学術的営為が政策の実践の場に生かされるという意味でトラック 2の経験が生きてい

た。ASEANと安全保障共同体の関係について、ASEAN研究の視点からいくつかの議論が

ある。概して、それらはドイチェ(Karl Deutsch)の安全保障共同体に関する理論的考察を

出発点として、ASEANの事例がその理論枠組に該当するか、該当しない場合にはいかなる

理論面での追加考察が必要かといった点につき議論が蓄積された(30)。そうした研究史を基

礎として、エマーソン(Donald K. Emmerson)は安全保障共同体としての ASEANの現段

階について有用な分析枠組を提供している。それは、ASEANの現状は安全保障共同体の原

(27)  Rizal Sukma, “The Future of ASEAN: Towards a Security Community”(Paper presented at a seminar on “ASEAN Cooperation: Challenges and Prospects in the Current International Situation”, New York, 3 June 2003).

(28)  Ibid.(29)  Xinhua News Agency, 22 July 2003.(30)  例えば Amitav Acharya, “Association of Southeast Asian Nations: ‘Security Community’ or ‘Defence

Community’?”, Pacific Affairs, Vol. 64, No. 2 (Summer 1991), pp. 159-178, N. Ganesan, “Rethinking ASEAN as a Security Community in Southeast Asia”, Asian Affairs, Vol. 21, No. 4 (Winter 1995), pp. 210-226, Shaun Narine, “ASEAN and the Management of Regional Security”, Pacific Affairs, Vol. 71, No. 2 (Summer 1998), pp. 195-214 など。

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ASEAN安全保障共同体の研究

初的性質を持っているのか、そしてそうした安全保障共同体を志向することは有益な政策

目標となるのか、というものである(31)。こうした研究の蓄積は、ASC構想の「包括的安全

保障」の概念に反映されている。

3 ASCに関する議論の展開──安全保障構想の温故知新?

(1)第 2バリ宣言(2003 年)──ASCの形成につき合意

 ASEAN安全保障共同体のイメージは、1997年のクアラルンプール・サミットで採択さ

れた「ASEANビジョン 2020」にある「平和で安定した ASEAN」という概念に胚胎してい

た。それは、正義と法の支配の尊重、そして各国・地域の強靱性の強化を通じて加盟各国

の国内は安定し、紛争の原因が除去されている状況である(32)。この基本的イメージを受け

継ぎ、ASCに関する議論は 2003年から始まった。提案国インドネシアは、ASCを軍事協

約や軍事協力協定とは異なる安全保障の協力枠組であることを当初から明言していた。イ

ンドネシアのハッサン・ウィラユダ(Hassan Wirajuda)外相は 2003年 5月 26日付の発言で、

ASCは政治・平和などを含むより広い意味において理解されるべきであると述べた。また

ハッサン外相は、ASCは政治協力を実施する地域機構の設立に失敗し、第 3国の介入を招

くといったイラクで生起したような状況を避けることを目的としていると言明し、ASC構

想の問題意識は当時のイラクの戦後復興をめぐる混迷と結びつけられていた。そして外相

は、政治と安全保障の分野でいかなる協力が可能か検討する必要性を強調すると同時に、

ASEANの安全保障問題の中で特に重要なものとして海上の安全保障を例示した(33)。

 ASCの議論はまず高級事務レベル会議(Senior Officials Meeting, SOM)にて始まり、2003

年 6月 16~ 17日にプノンペンで開催された第 36回 ASEAN外相会議(ASEAN Ministerial

Meeting, AMM)の場で、インドネシアが ASC構想を非公式に提案した。この提案の中に

は対テロセンター、平和維持活動の訓練、非伝統的脅威に関する協力センター、そして

ASEAN警察・国防相会合の定期的開催が含まれていた。ASC構想は一部の国に冷戦期の軍

事同盟である東南アジア条約機構(Southeast Asia Treaty Organization, SEATO)を想起させ

たのに対し、インドネシアは内政不干渉、各国主権の尊重、合意に基づく政策決定、そし

て武力の行使または威嚇の放棄といった ASEANの基本原則を引き続き尊重することを確

認すると同時に、ASCが軍事同盟ではないことを重ねて強調した。フィリピンやマレーシ

(31)  Donald K. Emmerson, “Security, Community, and Democracy in Southeast Asia: Analyzing ASEAN”, Japanese Journal of Political Science, Vol. 6, No. 2, p. 169.

(32)  “ASEAN Vision 2020” <http://www.aseansec.org/5228.htm> Accessed on 26 February 2007.(33)  BBC Monitoring Asia Pacific, 27 May 2003.

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防衛研究所紀要第 10 巻第 2号(2007 年 12 月)

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アといった他の出席国はインドネシアの提案を注意深く受け入れ、構想を検討するための

時間が必要であるとの認識を示した(34)。

 AMMでの討議を受け、2003年 10月 7日から 8日にかけてバリ島で行われた第 9回

ASEAN首脳会議において、インドネシアは ASC構想を正式に提案した。協議の結果参加

各国は同構想に関し、12の基本枠組について合意に至った(35)。この合意に基づき、同首脳

会議は第 2ASEAN協和宣言(第 2バリ宣言)を採択した。これは 1976年の第 1回 ASEAN

首脳会議が採択した ASEAN協和宣言(バリ宣言)に代わる機構の基本文書であり、ま

た 2020年までに ASEAN共同体(ASEAN Community)を形成することを宣言した点で、

ASEANの歴史において記念碑的な意味を持つ。共同体形成の背景として同宣言前文は、加

盟国と人々の福利のために活動的で強靱な、そして一貫性のある地域連合としての ASEAN

をさらに確固たるものにし、加盟国間の協力のためにより一貫して明確な道筋をつけるた

めに機構のガイドラインを強化する必要性があるとの認識を示している。ASEAN共同体

は 3つの柱からなり、ASCのほかに経済協力を担う ASEAN経済共同体(ASEAN Economic

Community, AEC)と社会・文化面の協力を進める ASEAN社会文化共同体(ASEAN Socio-

Cultural Community, ASCC)がある(36)。

 第 2バリ宣言はその前文で、バンコク宣言、ZOPFAN宣言、TAC、バリ宣言、そして

SEA-NWFZにある諸原則の継承を確認し、特に TACを加盟諸国の政府と人々の関係を律す

る行動規範とすることを言明している。そして前文に引き続き同宣言は、ASEANの安全保

障に関するいくつかの基本認識を示している。まず ASEAN加盟国に共通の関心事項とし

て環境汚染、海上の安全保障に関する協力、加盟国間の防衛協力の強化があげられている。

そしてこれらの関心事項につき情報を共有する意思と政治的な問題を討議する習慣を醸成

し、長期にわたる係争を平和的手段で解決する必要性を訴えている。さらに ARFは依然と

してアジア太平洋地域の政治・安全保障協力を強化する主要な討議の場であるという認識

に基づき、ARFにおける協力の段階をさらに発展させる役割を ASEANが積極的に果たす

決意を示している(37)。

 こうした前提に基づき、第2バリ宣言はASCの基本枠組を次のように設定している。まず、

ASCの目的は公正、民主的かつ調和的な環境における域内・域外諸国との平和共存を保障

するものである。そして ASC加盟国は域内紛争の解決にあたっては平和的な手段のみを用

(34)  BBC Monitoring Asia Pacific, 27 May 2003, Jakarta Post, 16-18 June 2003, Straits Times, 21 July 2003.

(35)  Jakarta Post, 8 October 2003.(36)  “Declaration of ASEAN Concord II” (Bali Concord II) <http://www.aseansec.org/15159.htm>

Accessed on 12 January 2007.(37)  Ibid.

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ASEAN安全保障共同体の研究

いる。さらに ASCは防衛協定、軍事同盟や統一的な対外政策ではなく、広範な政治、経済、

社会・文化面を包含する包括的安全保障を追求する。最終目標としては規範構築、紛争予防、

紛争解決手段、そして紛争後の平和構築のための手法を確立する。また ASCの基本枠組も、

前文と同様に海上の安全保障と ARFの重要性に言及している(38)。

 第 2バリ宣言の文面からも明らかなように、ASC構想は設立以来 ASEANが培ってきた

安全保障協力の集大成となっている。宣言中には ASEANが過去に締結した諸条約・宣言

名が列挙され、その前文には「いかなる形の域外の干渉からも加盟各国の安定と安全を保

障する」と ZOPFAN宣言に類似した表現が用いられている。また前文、ASCの基本枠組の

双方において、ASEANの基本原則として内政不干渉と合意に基づく政策決定を再確認して

いる。ASC構想の背景には ASEANを取り巻く内外の戦略環境の変化があったが、ASCは

そうした変化を反映した新機軸というよりは、むしろ従来の方針の継続と構想の復活であっ

たといえよう。それは TACで発案され、実際には機能することのなかった高等評議会(High

Council)を紛争の平和的解決の手段として再度取り上げたことにも現れている。ただ、こ

こに「共同体」概念を提示したことは過小評価されるべきではなく、たとえそれが欧州連

合のような凝集性を持たなかったにせよ、新たな安全保障環境の中、ASEANが協力体制を

深化させる意思を示したという点で注目に値する。

(2)ビエンチャン行動計画(2004 年)──抽象的な行動計画

 2004年も引き続き、インドネシアの積極的な働きかけもあり、ASEANの各種会合は

ASC構想について討議を重ねた。同年 1月 8日にバンコクで行われた「国境を越える犯罪

に関する ASEAN外相会議」(ASEAN Ministerial Meeting on Transnational Crime, AMMTC)

において、テロや麻薬取引、人身売買といった国境を越える犯罪にいかに対処するかと

いう文脈で、ASEAN各国は ASC構想の具体化を検討した(39)。そして同年 2月 20日の

ASEAN各国高官による会合の席でインドネシアは、ASCの計画草案として 70以上の、そ

のほとんどが実施期限付きの提案を提示した。この提案は、民主主義の推進と人権の擁護、

定期的な自由選挙への関与、情報の流通の自由化、そして開かれた、寛容で透明性のある

社会の建設をうたう野心的なものであった(40)。これらの提案のなかには、2012年までに

(38)  Ibid.(39)  Straits Times, 8 January 2004, “Joint Communiqué of the Fourth ASEAN Ministerial Meeting on

Transnational Crime (AMMTC)”, Bangkok, 8 January 2004 <http://www.aseansec.org/15649.htm> Accessed on 28 February 2007.

(40)  Jakarta Post, 21, 26 February 2004, Barry Wain, “ASEAN – Jakarta Jilted: Indonesia’s neighbors are not very supportive of its vision of a regional security community”, Far Eastern Economic Review, 10 June 2004.

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ASEAN平和維持軍を設立すること、そしてその準備段階として 2010年までに ASEAN平

和維持センターを設立することを視野に入れ、共同の計画と訓練のために既存の、あるい

は将来設立される ASEAN各国の平和維持センターをネットワークで結びつけることが含

まれていた。ASEAN平和維持軍は国連と密接に連携し、域内の緊急事態に対応するのみな

らず、受け入れ国の同意に基づいて域外でも活動することを想定していた(41)。

 インドネシアが ASC構想の一環として ASEAN平和維持軍の設立を提案した背景には、

1999年の東ティモールの独立をめぐる騒乱があった。事態の解決にあたって実際に部隊

を派遣したのは主としてオーストラリアであったため、インドネシアには、自国を含む

ASEANは当事者として地域の問題に有効に対処できず、域外国の介入を招いたという反

省がある(42)。2004年 2月 24日から 25日にかけてジャカルタで開催された第 4回国連・

ASEAN会議の席上、インドネシアのハッサン外相は、数多くの安全保障上の問題に直面す

る中、ASEAN諸国は地域の平和維持軍を含む自前の紛争解決メカニズムを強化する「緊急

の必要性」があると訴え、その理由を「今日の世界における紛争のほとんどは国家間では

なく国内の紛争であり、そうした紛争は当事国から地域の他の部分へと伝播する危険性が

ある」と説明した(43)。

 インドネシアの提案を他国は持ち帰って検討した。そして 2004年 3月 4日にベトナムの

ハロン湾で行われた ASEAN外相による非公式会合は、平和維持軍について再び議論した。

しかしシンガポールは「ASEANは安全保障機構ではなく、平和維持活動の役割を担うには

不適切なフォーラムである」と否定的な見解を示し、タイも「この提案は数多くの安全保

障問題の 1つに過ぎない」と消極的な態度をとった。そしてベトナムは平和維持軍の設立

は時期尚早であり、ASEAN加盟各国は政治と軍に関してそれぞれ独自の政策を持っている

と主張した(44)。このほかミャンマー、ラオス、ブルネイといった軍政、一党独裁体制、絶

対君主制の国々も反対を表明した(45)。

 テロをはじめとする非伝統的脅威や域内で生起する紛争に対処するため、ASEAN加盟

国が ASCの枠組の下で協力して対策を講じるという総論に関しては、各国の間に異論はな

かった。しかし、平和維持軍の創設といった具体的かつ主権に関わる提案に対しては、イ

ンドネシアを除く加盟各国は慎重な姿勢を崩さなかった。さらに各国は、ASC構想を打ち

出すインドネシアの積極姿勢に、域外国の関与を排除してインドネシアが再び ASEANの

(41)  Barry Wain, “Regional Security - ASEAN Apathy: Indonesia proposes a regional peacekeeping force, but neighbors show little interest”, Far Eastern Economic Review, 6 May 2004.

(42)  Ibid.(43)  Jakarta Post, 25, 26 February 2004.(44)  Reuters News, 4 March 2004, Jakarta Post, 8 March 2004.(45)  Barry Wain, “ASEAN – Jakarta Jilted”.

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ASEAN安全保障共同体の研究

盟主たらんとする野心を見出し、警戒感を強めたという側面もある(46)。また手続き面では、

インドネシアは加盟各国それぞれに対する事前交渉を十分に行わなかったため、これらの

国々を説得することができなかったという指摘もある(47)。

 2004年 6月 29日から 30日にかけて行われた第 37回 AMMにおいて、ASEAN加盟各国

の外相は、ASC構想実現までの道筋を示す行動計画案について議論した。各国における人

権委員会の設立、ASEAN平和維持軍の創設をはじめとするあらゆるインドネシアの提案に

対し、ベトナムら後発加盟国は強く反対した。結局、合意内容は実施期限を設定しない原

則論の提示にとどまった(48)。AMMの共同声明は ASCについて、ASEANと世界に平和をも

たらし、伝統的・非伝統的な安全保障問題に対処する ASEANの能力を向上させ、ASEAN

と域外国の関係を強化し、ARFの主たる原動力としての ASEANの役割を高めるものであ

るという抽象的な言及に終始し、ASC構想の実行計画についてもインドネシアと実務者協

議の努力を評価し、計画を 11月の第 10回首脳会議に提出すると述べるにとどまった(49)。

 このように、インドネシア以外の ASEAN加盟国は ASCの具体的な制度化に消極姿勢を

とっていた。しかし、各国はASC構想の具体化の可能性を全く否定したわけではない。事実、

2004年 3月に ASEAN平和維持軍の創設に関して話し合った非公式外相会合の後、シンガ

ポールのジャヤクマール外相(当時、Shunmugam Jayakumar)は、将来のいずれかの時点

で平和維持軍設立の問題が視野に入ってくる可能性はある、と述べた(50)。ただ現在のとこ

ろ、ここまで踏み込んだ提言は時期尚早のようである。

 2004年 11月 29日、ラオスの首都ビエンチャンで第 10回 ASEAN首脳会議が開催され

た。同会議の議長声明は、東南アジアがテロや鳥インフルエンザの脅威という新たな状況

に直面するなか、ASEANビジョンと第 2バリ宣言に掲げられた目標を実現するためにビエ

ンチャン行動計画(Vientiane Action Programme, VAP)を採択することを宣言した(51)。同

行動計画の ASCに関する項目は冒頭で、包括的安全保障の原則に則り、政治・社会的安定、

経済の繁栄、均衡的な発展を ASEAN共同体にとっての強力な基盤とみなしている。そし

て政治的発展、規範の形成と共有、紛争予防、紛争解決、紛争後の平和再構築を ASCの 5

つの戦略目標として掲げ、これらの目標は 2010年までに達成可能と見積もられている(52)。

(46)  Ibid.(47)  筆者の ASEAN事務局関係者へのインタビュー、2007年 7月 17日。(48)  John McBeth, “ASEAN Insecurity”, Far Eastern Economic Review, 15 July 2004.(49)  “Joint Communiqué of the 37th ASEAN Ministerial Meeting”, Jakarta, 29-30 June, 2004 <http://www.

aseansec.org/16192.htm> Accessed on 23 February 2007.(50)  Reuters News, 4 March 2004.(51)  “Chairman’s Statement of the 10th ASEAN Summit”, Vientiane, 29 November 2004 <http://www.

aseansec.org/16631.htm> Accessed on 14 February 2007.(52)  “Vientiane Action Programme”. <http://www.aseansec.org/VAP-10th%20ASEAN%20Summit.pdf>

Accessed on 14 February 2007.

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防衛研究所紀要第 10 巻第 2号(2007 年 12 月)

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 次にこれらの戦略目標の詳細を検討する。まず政治的発展であるが、加盟国は域内紛争

を平和的に解決し、地理的位置、共通の展望と共有された価値観によって域内の安全保障

が規定されるという認識を共有する政治環境を醸成する。そのため主にトラック 2の活動

を通して加盟各国の政治システム、文化、歴史を理解し、尊重する。また加盟国間の情報

の流通を促進する機構の枠組や法的枠組の整備について相互に協力する。規範の形成と共

有は、ASEANの連帯、一貫性、調和を強化する手段として、民主的で寛容、そして開かれ

た共同体における模範的な行動に資する。そのために ASEAN憲章の制定、域外国の TAC

加入、「南シナ海における関係国の行動宣言」の履行保証、ZOPFANと SEANWFZの遵守、

そして相互法支援、テロ対策、犯罪者引き渡しに関する協定の締結を目標とする(53)。

 後半の 3つの目標は紛争の解決に関するものである。まず紛争予防の手段として、信頼

醸成、国防白書の発刊等を通じた各国防衛政策の透明性の向上、早期警戒システムの構築、

ARFの強化、ASEAN事務局による武器登録などが挙げられている。紛争の解決としては

既存の平和維持センターの活用、平和的解決の遵守と共同行動、そして平和再構築では人

材育成、人道支援センターの設立、教育交流、平和愛好の精神の涵養を列挙している(54)。

 このように、ASC設立に向けた行動計画の内容は、早期警戒システムの構築や武器登録

など目新しい項目が散見されるものの、多くは従来の協力枠組を踏襲している上、概して

抽象的である。ゆえに域内の紛争解決に資する実効的な枠組を形成するためには、今後よ

り具体的な政策を打ち出すことが求められる。ただ、文書で域内の安全保障問題を解決す

るための方向性を示したことは当座の成果といえよう。

(3)ASEAN憲章の制定と国防相会合(2005 ~ 2006 年)──内政不干渉の再検討

 前述の通り、ASEANは設立のための条約を持たない緩やかな地域協力機構である。だが

設立から 40年目を迎える 2006年に、ASEAN共同体の設立へ向けて、法的性格を持つ憲章

の制定へと動き出した。2005年 12月にクアラルンプールで開催された ASEAN首脳会議に

おいて加盟各国は、ASEAN憲章の制定について合意した。それは共同体の実現に際して様々

な課題を解決するために必要な機構的枠組であり、ASEAN共同体の形成とその発展を助け

る確固たる基盤として機能するとの認識に基づく。同憲章は ASEANのあらゆる規範、規則、

価値を成文化するものであり、今まで ASEANが締結した協定は引き続き適用され、法的

性格を有する場合もある。そして 1967年のバンコク宣言、76年の東南アジア友好協力条約、

95年の東南アジア非核地帯条約、97年の ASEANビジョン 2020、そして 2003年の第 2バ

(53)  Ibid.(54)  Ibid.

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ASEAN安全保障共同体の研究

リ宣言といった ASEANの代表的な協定にうたわれた原則、目標、理想を再確認する。さ

らに憲章は ASEANの法人格としての性格をより明確に定める目的を持つ(55)。

 クアラルンプール・サミットにおいて ASEANは、憲章制定のための「賢人会議」(Eminent

Persons Group, EPG)を開催することを決定した。これは ASEAN共同体の原則、価値、目

的を考慮し、共同体の設立にとって適切な憲章の方向性と性格について実際的な提言を行

うことをその目的としている。会議の議題としては機構への加盟資格、協力・統合分野、

加盟国間の格差の是正、事務局の役割、機構の法的性格、効果的な紛争解決の機能、そし

て対外関係などがある。会議は10人のメンバーからなり、各加盟国から1名ずつ選任された(56)。

 憲章の制定にあたって、ASCの議論との関連で興味深い点は、内政不干渉原則の見直し

である。賢人会議は 2006年 4月 17日から 20日にかけて憲章草案の具体的な検討を行った。

そこでは、ASEANが続けてきた合意に基づく政策決定方法の見直し、そして ASEANの長

年の基本原則の 1つである内政不干渉原則を転換するかどうかについて話し合われた(57)。

賢人会議の議長であるマレーシアのムサ・ヒタム(Musa Hitam)元副首相によれば、加盟

国が憲章に反した場合、何らかの制裁措置を下す条項を設けることも検討されたという(58)。

賢人会議はこれらの内容を盛り込んだ指針を 12月の ASEAN首脳会議に提出した。首脳会

議での了承を経た後、ASEANは憲章の起草作業に入った。

 2003年の第 2バリ宣言は内政不干渉と合意に基づく政策決定の原則を維持していたに

もかかわらず、憲章の制定にあたってこれらの原則の見直し案が浮上した。こうした議論

の背景にはミャンマー問題がある。軍事政権の下で民主化が遅々として進まず、人権抑圧

の事例が疑われる同国に対し、欧米諸国は強い批判を続けてきた。こうした事態に鑑み、

ASEANでは加盟国の内政問題に対しその解決を迫り、不履行の場合には制裁措置を科すと

いう意味での内政不干渉原則の変更が示唆されている(59)。これは ASCの具体化の文脈で

は、加盟国の国内問題を ASCという集団的枠組で解決することを意味する。ASCの当初の

議論では、内政不干渉といった長年の基本原則の変更は注意深く回避されてきた。しかし

ASEAN憲章策定の段階にいたって、地域連合としてより実効的な政策を実行するためには、

同原則の再検討は不可避であった。

 ASCの議論が内包していた内政不干渉の問題が憲章制定の過程で再度浮上する中、ASC

(55)  “Kuala Lumpur Declaration on the Establishment of the ASEAN Charter”, Kuala Lumpur, 12 December 2005 <http://www.aseansec.org/18030.htm> Accessed on 23 February 2007.

(56)  “Terms of Reference of the Eminent Persons Group (EPG) on the ASEAN Charter” <http://www.aseansec.org/18060.htm> Accessed on 23 February 2007.

(57)  Straits Times, 18, 19 April 2006.(58)  『読売新聞』2006年 4月 19日。(59)  鈴木早苗「ASEAN憲章 (ASEAN Charter)策定にむけた取り組み──賢人会議 (EPG)による提言

書を中心に」『アジア経済』第 48巻第 6号(2007年 6月)、73、77ページ。

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防衛研究所紀要第 10 巻第 2号(2007 年 12 月)

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形成へ向けた動きの中で 2006年の成果といえるのが、ASEAN国防相会合(ADMM)の開

催である。2004年 11月の第 10回 ASEAN首脳会議で採択された「ビエンチャン行動計画」

は ASCの設立に関する「ASC行動計画」含んでいる。紛争の防止を目的とした信頼醸成措

置を強化する観点から、同行動計画は ASEAN国防相会合を毎年開催することに向けて取

り組むという目標を設定していた(60)。

 ASEANの国防関係者は従来、1996年に設立された安全保障協力に関する特別諮問委員

会としての ASEAN特別高級幹部会合(SOM)を毎年開催していた。SOMは外交・安全保

障分野の高級幹部間の合同会議として機能していた。そして 2004年 5月の SOMは ASEAN

事務局に対し、ADMM設立に関するコンセプト・ペーパーの作成を指示した。事務局が作

成したペーパーによると、ADMMは ARFなど従来の安全保障対話・協力枠組を補完するも

のであり、その目的としては国防と安全保障の分野における対話と協力を通じて地域の平

和と安定を促進すること、ASEAN内と ASEANと対話国間の国防・安全保障分野における、

現存の国防・軍事関係者の対話と協力に指針を示すこと、国防・安全保障面での課題のよ

り深い理解と透明性・公開性の向上を通じて信頼醸成を促進すること、そして第 2バリ宣

言に規定された ASCの設立に貢献し、ASCに関する VACの実行を促進すること、があげ

られている。そして ADMMの活動内容として地域・国際的安全保障と国防の問題に関する

意見交換、防衛・安全保障政策に関する任意のブリーフィング、ASEANの活動外の関連し

た活動に関する議論、域外パートナーとの交流に関する議論、そして ASEAN防衛協力の

見直し、が列挙されている。また ADMMは東南アジア友好協力条約に規定された基本原則

を指針とし、ASEANにおける最高の閣僚レベルの防衛・安全保障の対話・協力機構となり、

直接 ASEAN各国首脳に報告を行う。さらに ADMMは ASEAN国防高級幹部会合によって

補佐され、ASEAN外相会合と SOMとも密接に連携する(61)。

 2006年 5月 9日、第 1回 ADMMがクアラルンプールで開催された。会合にはミャンマー

を除く 9カ国の国防相が出席した。会合では海上の安全保障、テロ、朝鮮半島情勢、そし

て ARFの今後について意見交換が行われた。また出席者たちは麻薬・人身売買といった国

境を越える犯罪や鳥インフルエンザの拡大に対する対策を含む自然災害対策についても検

討した(62)。さらに各国の国防相は、2020年までにASCを形成することを確認した(63)。会議後、

共同プレスリリースが出された。プレスリリースは、上記各議題につき ASEAN各国の国

(60)  “ASEAN Security Community Plan of Action” <http://www.aseansec.org/16826.htm> <http://www.aseansec.org/16829.htm> Accessed on 23 February 2007.

(61)  “Concept Paper for the Establishment of an ASEAN Defence Ministers’ Meeting” <http://www.aseansec.org/18511.htm> Accessed on 23 February 2007.

(62)  BBC Monitoring Asia Pacific, 9 May 2006.(63)  Straits Times, 10 May 2006.

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ASEAN安全保障共同体の研究

防相が議論したこと、そして ASCの設立について合意したことを明らかにした。また各国

国防相は、コンセプト・ペーパーに示された ADMMの目的のほかに、ADMMは開かれた、

柔軟で域外にも目を向けた会合であるべきで、ASEANの友好国や対話国を積極的に関与さ

せていくことを確認した(64)。ただプレスリリースは ASEAN平和維持軍の設立については

言及していない。これは「ASEANの軍」の設立について現時点で加盟各国が合意に至って

いないことを示している(65)。

 ADMMの目的の 1つはARFを補完することである。こうした目的が設定された背景には、

ASEANが結束して ARFを実効性ある会議の場に再生する意図がある。ASEAN関連の一連

の外相会議の最終日である2006年7月28日に第13回ARFが開催された。会議前の7月5日、

北朝鮮による弾道ミサイル発射事案が発生し、議題の中心は朝鮮半島問題となった。朝鮮

半島問題に関する 6者会合の参加国がすべて ARFに加盟していたことから、ARFの場で

6者会合の参加国は協議する場を設定することを模索した。しかし北朝鮮は協議を拒否し、

朝鮮半島問題に関する協議は北朝鮮を除く 5カ国と ARF議長国のマレーシアなど 5カ国の

計 10カ国によって行われた。また ARF議長声明は北朝鮮のミサイル発射に懸念を表明し

た(66)。その後北朝鮮は態度を硬化させ、ARFからの脱退すら示唆した。ARFは東アジア最

大の懸案事項の 1つである朝鮮半島問題の解決に向けた協議の場を提供することができた

が、そこで問題の解決へ向けた具体的な進展はみられなかった。ASC形成の動きと ARFの

復権は、現在のところ有機的に連携するには至っていない。

結論── 2007 年の動きと今後の展望

 2007年 1月 13日にフィリピンのセブ島で第 12回 ASEAN首脳会合が行われた。会合に

おける議論を経て、議長声明が出された。声明は、ASCを含む ASEAN共同体を当初の予

定より 5年前倒しにして 2015年までに形成することを明らかにした(67)。共同体の形成に

つき 5年計画を前倒しにしたことは、背景に相反する 2つの認識があるものと思われる。1

つは、ASC形成に向けた環境が整備されてきたとの認識である。それは設立以来の政治協

力の実績からなる ASEANの協力体制に対する確信である。もう 1つは、なるべく迅速に

(64)  “Joint Press Release of the Inaugural ASEAN Defence Ministers’ Meeting”, Kuala Lumpur, 9 May 2006 <http://www.aseansec.org/18412.htm> Accessed on 23 February 2007.

(65)  BBC Monitoring Asia Pacific, 8 May 2006.(66)  “Chairman’s Statement of the Thirteenth ASEAN Regional Forum”, Kuala Lumpur, 28 July 2006

<http://www.aseansec.org/18599.htm> Accessed on 23 February 2007.(67)  “Chairperson’s Statement of the 12th ASEAN Summit, H. E. the President Gloria Macapagal-Arroyo,

‘One Caring and Sharing Community’, Cebu, Philippines, 13 January 2007” <http://www.aseansec.org/19280.htm> Accessed on 17 January 2007.

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防衛研究所紀要第 10 巻第 2号(2007 年 12 月)

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ASEAN共同体を形成せねばならないという危機意識である。テロの脅威をはじめとする戦

略環境の変化への適応、そしてミャンマー問題にみられる域内の政治問題の解決といった

課題がその背景にある。

 ASC構想は、冷戦終結後、特に ASEANの拡大、アジア経済危機、そしてテロの脅威の

増大によってもたらされた東南アジアの戦略環境の変化に対応する ASEANの方策であっ

た。その一方で構想の内容自体は、紛争の平和的解決を念頭に、ZOPFAN、TAC、ARF、

SEA-NWFZといった ASEANが今まで創出してきた非軍事的安全保障協力の枠組を活用し、

ASEANという協力機構に再度実際上の効果を持たせる試みである。それは信頼醸成の観点

からは、ASEANが実際に機能し、実績を積み重ねてきたという確信に裏付けられている。

2007年の時点で、ASCは 2015年に形成される予定となっている。そのため ASCが成立す

ることによっていかなる安全保障上の効果が現れるのか、未だ明らかではない。加えて、

現在のところ行動計画等に規定された ASCの中身は、ADMMの開催を除けば非常に抽象的

なものでしかない。また ASEANは、それ自体の安全保障においても、常に域外大国の関

与を考慮せざるを得ず、またそれを必要としている。そのため安全保障面で ASEAN自体

が自律的に完結することは難しいかもしれない。

 しかし、ここには ASEANという緩やかな連合体であった協力枠組が政治・安全保障上

の問題につき共同で対処するうえで、従来の制約を超えたより高次の段階へと飛躍する契

機を秘めている。共同体へ向けた積極的な取り組みのなかで、一般的な軍事同盟を形成す

ることによってもたらされるような即時の実効的・物理的な効果ではなくとも、ASEAN独

自の漸進的な効果を期待することができよう。現在のところ、ASEAN設立当時のような域

内国間の紛争は生起していないものの、例えばミャンマー問題の深刻化は域内の紛争へと

発展する可能性をはらんでいる。ここで実態としての ASCが形成されるか否かを注視しな

ければならない。

 また「共同体」の名の下、実効性のある安全保障協力を行うためには、長年不問に付さ

れてきた主権の問題に立ち入る必要性が生じる可能性がある。その問題を避けていては、

ASEANは従来通り会合と総論の議論を繰り返す活動に終始することになるかもしれない。

その意味で、冷戦終結以来断続的に行われている内政不干渉原則の見直しの議論を合わせ

て注視する必要がある(68)。ただ、憲章草案の議論においても、今後ベトナムやミャンマー

といった新興加盟国が制裁条項の削除を求めて巻き返しにかかるという観測もある(69)。

2007年 7月に行われた ASEAN外相会合でも憲章の内政不干渉の見直し、制裁条項、意思

(68)  山影進「ASEANの基本理念の動揺──内政不干渉原則をめぐる対立と協力」山影進編『転換期のASEAN──新たな課題への挑戦』日本国際問題研究所、2001年、115~ 142ページ。

(69)  「ASEAN憲章『制裁』で対立も」『世界週報』2007年 2月 20日、58ページ。

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ASEAN安全保障共同体の研究

決定法の再検討といった論点では合意に至らず、結論は年末の首脳会議に持ち越されるこ

とになった(70)。憲章の中で実効的な政策決定のメカニズムと制裁措置が確立するか、そし

て「ASEANの軍」についてその実現へ向けた議論が進展するか、といった問題が今後の注

目点となるであろう。

(しょうじともたか 研究部第 3研究室)

(70)  『毎日新聞』2007年 7月 30日。