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戦略的不確実性と予算管理システムの運用 〈論 説〉 戦略的不確実性と予算管理システムの運用 岸田 隆行 はじめに 予算管理は本来、経営戦略を遂行していくための会計的ツールであるが、そ の運用方法が間違っていれば、適切に戦略を遂行できないばかりか、組織に大 きな弊害をもたらすことになる。近年、予算管理の弊害が許容できない水準に なってきているという主張がbeyond budgeting論である。 beyond budgeting論を展開するHope and Fraser(2003)は予算管理が不要 であるとの主張を行っている。というのも、予算管理には看過できない弊害が あり、戦略の遂行を適切に行えていないからであるとする。予算管理の弊害と しては、手間とコストが膨大、競争環境との不適合、ゲーミングの問題、と いったことが挙げられている。これらを引き起こしている原因としてもっと も大きなものは、予算編成を通じて、上司と部下の間で合意する固定業績契 約(fixed performance contract)であるという。そのため、Hope and Fraser は予算を廃止することによって、その弊害を取り除くべきであるというドラス ティックな改革を推奨している。 しかしながら、伊藤(2006)はbeyond budgeting論の批判は「予算管理の 具体的な計算構造ではなく、伝統的な組織前提と結合した予算管理システムの 在り様」に向けられているとしている。これは今日の経営環境下においても予 算管理の弊害が大きく出ないように運用を行うことの可能性を示唆している。 beyond budgeting論が批判する予算管理の弊害は高い環境不確実性下にお いて、予算管理システムをSimons(1995)のいう診断型コントロール・シス 23

戦略的不確実性と予算管理システムの運用repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/29771/jke038...戦略的不確実性と予算管理システムの運用 エグゼクティブやマネージャーといった情報利用者の要求を満たしていない、

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戦略的不確実性と予算管理システムの運用

〈論 説〉

戦略的不確実性と予算管理システムの運用

岸田 隆行

はじめに 予算管理は本来、経営戦略を遂行していくための会計的ツールであるが、そ

の運用方法が間違っていれば、適切に戦略を遂行できないばかりか、組織に大

きな弊害をもたらすことになる。近年、予算管理の弊害が許容できない水準に

なってきているという主張がbeyond budgeting論である。

 beyond budgeting論を展開するHope and Fraser(2003)は予算管理が不要

であるとの主張を行っている。というのも、予算管理には看過できない弊害が

あり、戦略の遂行を適切に行えていないからであるとする。予算管理の弊害と

しては、手間とコストが膨大、競争環境との不適合、ゲーミングの問題、と

いったことが挙げられている。これらを引き起こしている原因としてもっと

も大きなものは、予算編成を通じて、上司と部下の間で合意する固定業績契

約(fixed performance contract)であるという。そのため、Hope and Fraser

は予算を廃止することによって、その弊害を取り除くべきであるというドラス

ティックな改革を推奨している。

 しかしながら、伊藤(2006)はbeyond budgeting論の批判は「予算管理の

具体的な計算構造ではなく、伝統的な組織前提と結合した予算管理システムの

在り様」に向けられているとしている。これは今日の経営環境下においても予

算管理の弊害が大きく出ないように運用を行うことの可能性を示唆している。

 beyond budgeting論が批判する予算管理の弊害は高い環境不確実性下にお

いて、予算管理システムをSimons(1995)のいう診断型コントロール・シス

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駒澤大学経営学部研究紀要第38号

テムの側面を強調して運用したときに大きく出ると考えられる。近年、高い環

境不確実性と診断型コントロール・システムは適合せず、双方向型コントロー

ル・システムがより適合するという実証的な証拠が報告されている。したがっ

て、双方向型コントロール・システムとしての側面に配慮した予算管理を行う

ことで、高い環境不確実性の下であっても予算管理の弊害を少なくすることが

でき、また戦略的変化に対応可能な予算管理を行うことができると考えられ

る。

 そこで本稿では、予算管理システムを双方向型コントロール・システムとし

て運用可能か否かを考察する。また、Shank and Govindarajan(1989)の利益

差異分析と予算管理システムの結合について論じる。Shank and Govindarajan

の利益差異分析は戦略と結びつけてコスト・マネジメントおこなう戦略的コス

ト・マネジメントの一環であるが、予算管理の運用方法と結びつけてこれを論

ずることはこれまで行われてこなかった。利益差異分析は双方向型コントロー

ル・システムとして予算管理システムを運用する際の戦略的不確実性について

の情報となりうる。

 また、近年、診断型コントロール・システムと双方向型コントロール・シス

テムはそれぞれ単独で運用するのではなく、補完的に利用することによって動

的緊張関係を創造し、より大きな成果を上げることができるという実証研究が

なされている。予算管理において、動的緊張関係をどのように扱うのかについ

ても論じていく。

Ⅰ beyond budgeting論とマネジメント・コントロールの戦略的側面1.Beyond budgeting論による伝統的な予算管理の問題点

 beyond budgeting論は伝統的な予算管理が現代の経営環境では企業の足か

せとなり、業績の向上を阻害しているとし、予算を廃止して、それを代替す

る新たなメカニズムを提唱するものである。Hope and Fraser(2003)が挙げ

ている伝統的な予算管理の問題点は以下の通りである。(1)予算は手続が煩

雑でコストがかかりすぎる、(2)予算は現代の競争環境とマッチしておらず、

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戦略的不確実性と予算管理システムの運用

エグゼクティブやマネージャーといった情報利用者の要求を満たしていない、

(3)あまりにも多くの努力が予算ゲーミングに向けられている。

 このような問題点は、(1)現代の経営環境では不確実性が非常に高く、1年

間拘束される予算では対応できないということ、(2)予算管理プロセスで上

司と部下の間で結ばれる固定業績契約という2つの原因から出てきているもの

であるとしている。

 ゲーミングが発生する機序としては以下の通りである。不確実性の高い環境

下では事前の予測はほとんど外れてしまう。予算期間は通常1年間であるが、

この間に環境が変化してしまうため、目標としての意義を無くしてしまう。さ

らに予算は部下にとって目標となるが、この目標を達成するか否かで報酬が変

わる固定業績契約が結ばれていると、組織成員の努力は予算ゲーミングへと向

かうことになる。すなわち、目標値を下げるように予算スラックを埋め込み、

目標を達成したらそれ以上何もしない、目標が達成できそうに無ければどのよ

うな方法を使ってでも達成する、甚だしい場合には目標が達成されたように見

せかけるために財務的な操作まで行うこともある。したがって、固定業績契約

が結ばれていた場合には、予算編成の段階から予算スラックを埋め込むための

ゲーミングが繰り返されるため、戦略とのリンケージがまったくとられないこ

とになってしまう。

 このようなbeyond budgeting論が出てきた背景として、伊藤(2006)は経

営戦略論が多様化し、伝統的な予算管理が前提としてきた規範的戦略論が現実

妥当性を失っていることが原因であるとしている。規範的戦略論はMintzberg

et al.(1998)が戦略論を分類したうちの、デザイン・スクール、プランニング・

スクール、ポジショニング・スクールが該当する。規範的戦略論の特徴は「戦

略がどのように形成されるべきか」ということを論じている点である。すなわ

ち、将来の環境をあらかじめ見通し、その見通しをもとに戦略をどのように策

定すべきであるかを論じたものである。規範的戦略論は環境不確実性が高い中

では運用が困難になる。将来が見通せることを前提にしているが、その見通し

が不透明になるからである。したがって、環境不確実性が高まると規範的戦略

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論の現実妥当性を失うことになり、その規範的戦略論を前提とする予算管理も

また現実妥当性を失ってしまったといえる。

 環境不確実性が高まり、規範的な戦略が策定しにくい状態では、戦略を創発

していくような仕組みが必要となる。すなわち、試行錯誤により望ましい方向

性を見いだし、それを全社的な方向性としていくような戦略である。戦略の創

発にはSimons(1995)が提唱した双方向型コントロール・システムが必要で

あるが、予算管理は典型的な診断型コントロール・システムであり、戦略を創

発するようなメカニズムが組み込まれていないといえる。

 そこで、beyond budgeting論では、現実妥当性を失った予算管理を廃止し、

新たなマネジメント・コントロール・システムにより、企業をコントロールし

ていくことを提唱する。そのためのツールとして挙げているのは、株主価値モ

デル、ベンチマーキング、バランス・スコアカード、ABM、顧客関係マネジ

メント、全社的情報システムとローリング方式の予測である。これらのシステ

ムは予算と同時に使うと「予算管理の免疫システムの強力な抗体によって、こ

れらのツールは事実上、無効化して」(Hope and Fraser, 2003, p. 180)しまう

という。

2.マネジメント・コントロール・システムによる戦略的変化への対応

 以上のようなBeyond Budgeting論の主張は、伝統的な予算管理システムは

硬直的であり、戦略的変化に対して、予算管理システムがなんの貢献もできな

いばかりか、害悪をもたらすという前提に立っている。このような考え方は予

算だけでなく、公式的なマネジメント・コントロール・システム(以下MCS)

全般に対しても向けられる見方である。

 しかし、このような見方に対して、近年の研究でMCSが戦略的変化への対

応に対して、害悪をもたらすのではなく、その運用方法によっては戦略的変化

に対応するための原動力になりうることが明らかになってきている。

 Minzberg et al.(1998)によれば、戦略は計画的戦略と創発的戦略に区分さ

れる。経営上層部は環境変化を予測し、その予測に従って計画的戦略を策定

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する。MCSは計画的戦略をそのまま実現するために組織をコントロールする。

しかし、環境不確実性が高い状況では、将来予測が的中せず、計画的戦略が計

画通りに実施することはきわめて困難になる。そのため、組織の各階層で変化

した環境に適合させるための新たな行動がとられることになる。環境に適応す

るために新たに作り出した行動の束は創発的戦略と呼ばれる。計画的戦略と創

発的戦略が合成されることによって、実現した戦略が現れる。

 計画的戦略も創発的戦略も戦略的変化に対応するための方策であることは同

様である。トップ・マネジメントは将来の事業環境を予測する中で、いかに業

績を促進していくかという観点から新たなイノベーションを生み出す。また、

計画的戦略を実現する中で、すでに生じているが予測されていなかった、ある

いは今後生じるだろう環境変化に適応するために、組織の各階層から創発的

戦略が生み出される。Davila(2005)は計画的戦略と創発的戦略という軸と漸

進的と急進的という軸を組み合わせて、図表1のように組織には4種類のイノ

ベーションがあるとしている。MCSは計画的戦略についての実現を一つの目

的としており、意図された戦略と戦略的イノベーションに対しては大きな役割

を果たす。問題は創発的戦略に対して、MCSがどのような効果を与えるのか

という点である。

 計画的戦略を実現することを目的とするMCSは創発的戦略を阻害する方向

で働くことがありうる。すなわち、創発的戦略は定式化された計画的戦略から

外れる行動であり、MCSは創発的戦略が生じないように組織をコントロール

図表1 MCSの戦略的コンセプト

戦略的変化を定義するイノベーションのタイプ漸進的 急進的

イノベーションの起こる場所 トップ・マネジメントの定式化 意図的な戦略 戦略的イノベーション 日々の行動 創発的戦略/ 創発的戦略/

意図された戦略行動 自律的な戦略行動(出所)Davila, 2005, p.42.

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しているという見方である。Davila(2005, p.50)はMCSが創発的戦略を阻害

する方向へ働くこともあれば、促進する方向へ働くこともあるということを2

つの企業における製品開発マニュアルに対する解釈の違いを例に挙げて、説明

している。

 ある企業ではマネージャーは自分の役割を定式化された製品開発マニュアル

の通りにプロジェクト・チームを動かすことであると考え、マニュアルからの

逸脱を例外的事態であるしている。一方の企業ではマネージャーは反復活動を

進化的な適応ツールと考え、完了したプロジェクトを見直し、マニュアルを

改訂していった。マニュアルを反復することによってマニュアルの問題点が

分かり、マニュアルを改訂することで組織学習が進んでいったと考えられる。

前者のような企業では、マニュアルのような公式的システムが創発的戦略を

抑制するシステムとして機能する。このような形でMCSが運用されていれば、

Beyond Budgeting論が指摘するように、MCSは環境変化への適応を阻害する

ものでしかなくなる。しかし、後者の企業のような認識でMCSが運用されて

いれば、逆にMCSが創発的戦略を促進することになる。

 MCSのこのような二面性を理論化したのが、Simons(1995)が挙げた4つ

のコントロール・レバーのうちの診断型コントロール・システムと双方向型コ

ントロール・システムである。Beyond Budgeting論は診断型コントロール・

システムとしての予算管理システムを批判しているが、予算管理システムを双

方向型コントロール・システムとして運用することで不確実性の高い環境下に

適合する可能性を考慮することなく、他の技法を使うべきであると主張してい

る。しかし、予算管理システムを双方向型コントロール・システムとして機能

させることができるのであれば、予算を捨て去るようなことをしなくとも、変

化適応型の組織になることは十分可能であるということになる。

 Bisbe and Otley(2004)はMCSの双方向型利用が製品イノベーションと業

績に与える影響を検証しているが、その結果によれば、MCSの双方向型利用

が製品イノベーションと業績との間のモデレーター変数として機能している

ことが検証されている(1)。すなわち、MCSを双方向に利用している企業ほど、

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イノベーションの程度が高くなると、業績がよりよくなるという関係があると

いうことである(図表2)。

 Abernethy and Brownell(1999)は戦略的変化と予算利用のスタイル(診

断型コントロール・システムと双方向型コントロール・システム)の間に図表

(出所)Bisbe and Otley, 2004, p.728.

図表2 MCSの双方向型利用のモデレーティング効果

図表3 戦略的変化、予算の利用スタイル、業績の関係

予算の利用スタイル診断型 双方向型

戦略的変化 低 「適合」(業績高)

「不適合」(業績低)

高 「不適合」(業績低)

「適合」(業績高)

(出所)Abernethy and Brownell, 1999, p.193.

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3のような関係があるという仮説を展開し、これを実証している。すなわち、

戦略的変化の程度が低いときには予算を診断型コントロール・システムとして

運用した方がより適合し、戦略的変化の程度が高くなると双方向型コントロー

ル・システムとして運用した方が適合するという関係である。

 Beyond Budgeting論が非難しているのは、図表3でいえば、戦略的変化の

程度が高い状態において、予算管理システムを診断型コントロール・システム

として運用している場合であろう。Beyond Budgeting論では予算管理システ

ムの双方向的な利用を想定していないため、変化適応型組織になるためには予

算を捨て去る必要があるという立場に立っているが、予算管理システムは運用

によって双方向型コントロール・システムとしても利用されうることが明らか

となってきており、予算を捨て去らなくとも変化適応型組織になることは可能

である。次節では双方向型コントロール・システムとしての予算管理システム

について考察する。

Ⅱ 双方向型コントロール・システムとしての予算管理1.双方向型コントロール・システム

 Simons(1995)はマネージャーが活用する4つのコントロール・レバーを

挙げ、ROM(return on management)(2)を最大化するために、4つのコン

トロール・レバーをバランスよく活用することが重要であるとしている。4

つのコントロール・レバーとは信条システム(belief system)、境界システ

ム(boundary system)、診断型コントロール・システム(diagnostic control

system)、双方向型コントロール・システム(interactive control system)で

ある。診断型コントロール・システムは意図した戦略を実行するために重要な

パフォーマンス変数をコントロールするためのシステムである。予算管理シス

テムは典型的な診断型コントロール・システムである。Beyond budgeting論

が批判している予算管理はこの診断型コントロール・システムとしての予算管

理である。診断型コントロール・システムは絶対的に必要なシステムであるが、

しかし、予算管理システムを流れる情報は双方向型コントロール・システムに

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戦略的不確実性と予算管理システムの運用

も活用可能であると考えられる。

 双方向型コントロール・システムは意図された戦略を実行するためのシステ

ムではなく、組織成員間で戦略的不確実性(strategic uncertainty)について

の情報を共有することで創発的戦略を生みだし、組織学習を進展させるため

のシステムである。戦略的不確実性とは「自社の現在の戦略に対して脅威を

与える、あるいはそれを無効化させるおそれがある不確実性および不測事象」

(Simons, 1995, p.94)である。具体的には新技術、消費者嗜好の変化、代替品

の出現などが考えられる。戦略的不確実性は絶えず流動しており、プログラム

化も例外管理も行うことできない。したがって、診断型コントロール・システ

ムでは対処が困難である。

 戦略的不確実性に対処するために重要なのは組織内における垂直的な情報共

有と垂直的コミュニケーションである。すなわち戦略的不確実性について、上

司と部下の間で情報共有を行い、コミュニケーションを頻繁に行うことによっ

て、戦略的不確実性の将来の動向を探索していき、さらにその変化への対策を

講じる。双方向型コントロール・システムは情報共有を促進することによって、

探索活動を促進させ、戦略的不確実性に対処するための戦略をあらゆる階層で

創発させる公式的なシステムである。さらに、ある部門で成功した創発的戦略

が情報共有を通じて他の部門に広がっていく組織学習も期待できる。

2.双方向型コントロール・システムとしての予算管理

 Beyond budgeting論が批判する予算管理システムは典型的な診断型コント

ロール・システムとしてのそれである。予算管理システムを双方向型コント

ロール・システムとして活用することは可能であろうか。

 予算管理システムは診断型コントロール・システムとして、計画的戦略を実

行するためのシステムとして捉えられてきたのは確かであるが、その一方で情

報共有の手段として捉えることもできる。予算管理システムにおいて情報共有

を行うための手段が参加型予算である(Shields and Young, 1993; Shields and

Shields, 1998; 大塚, 1998)。Shields and Shields(1998)は参加型予算を採用す

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る理由について調査を行い、因子分析により二つの因子を抽出している。第1

因子はモチベーションの増加、満足度の増加、スラック形成の必要性を低減、

業務関連の不安の減少で、第2因子は外部情報の共有、内部情報の共有、内部

依存関係の調整であった。大塚(1998)は参加型予算の機能として、行動的機

能と情報的機能の二つの側面があると指摘している。行動的機能は予算編成へ

の参加によって、動機付けに代表される組織成員の行動側面に影響を与える機

能である。情報的機能は参加型予算のプロセスで組織に散在する情報を収集す

る機能である。大塚の調査によれば、企業の多くが予算に対してこの二つの機

能を同時に期待しているという。

 この参加型予算と情報共有の関係についてはParker and Kyj(2006)が実証

的に調査している。Parker and Kyj(2006)は予算への参加の程度が垂直的な

情報共有(3)に対して、どのような影響を与えるか、ひいては業務のパフォー

マンスに対して、どのような影響を与えるかを調査したものである。結果とし

ては、予算への参加の程度が高いほど垂直的な情報共有が促進され、結果とし

て、業務のパフォーマンスも向上するというものであった。

 西居(2004)は事例研究により、予算管理システムが双方向型コントロール・

システムとして運用されている状況を報告している。この事例は化学業界に属

するA社のものであるが、中期経営計画と予算管理プロセスで垂直的インタラ

クションおよび水平的インタラクションが生じている。A社でこのような予算

管理プロセスにおいて垂直的インタラクションが生じている要因として、西居

は以下の4つを挙げている。

 第1にA社には短期利益計画という概念が存在せず、提示されるのが3年後

の全社目標とその予算であるという点である。3年間の目標利益と事業部の貢

献が明確に位置づけられることでトップと事業部門との認識の差異が明らかと

なり、その原因について垂直的インタラクションが生じる。また、3年間とい

う長期目標であるため、目標は厳しめになるが、根拠のない批判はトップから

なされることがないことも大きいという。

 第2に中期経営計画がローリング方式から固定方式に変更された点である。

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戦略的不確実性と予算管理システムの運用

むやみに目標が変更されなくなり、計画の策定で真剣な議論がなされるように

なり、計画変更の際も納得のいく説明が必要となったため、インタラクション

がうまれているということである。

 第3に報酬制度は予算目標と結びついているが、過度のスラックが形成され

ないよう工夫している点、および計画書に記載されないような能力評価も報酬

に結びついている点である。報酬制度を予算目標に結びつけた場合、予算ゲー

ミングや予算スラックが生じることが一般的に予想されるが、A社ではそれが

あまり見られないという。これはA社の社風によるものとされているが、実際

に過度の予算スラックが生じていないのか、今後生じることもないのかについ

ては疑問がある。

 第4に予算管理プロセスでインタラクションが生じるようトップが強いコ

ミットメントを行っているという点である。A社の事例ではこの要因が最も大

きいと考えられる。社長が予算管理プロセスを通じて、事業部長らと直接対話

を行い、また、組織成員間の対話の重要性を繰り返し唱えているとのことであ

る。このようなトップの強いコミットメントによって、予算管理システムが双

方向型コントロール・システムとして作用しているものと考えられる。

 以上のように、予算管理システムを双方向型コントロール・システムとして

運用することは可能であると考えられるが、双方向型利用を行うよう運用方法

を変更した予算管理システムは双方向型コントロール・システムとしての条件

を、十分に満たしているといえるのであろうか。次にSimonsが双方向型コン

トロール・システムとして必要な5つの条件を予算管理システムが満たすこと

が可能であるか否かを次に考察する。

3.双方向型コントロール・システムの条件と予算管理システム

 Simons(1995, pp.108-109)はあるシステムが双方向型コントロール・シ

ステムとして機能するためには5つの条件を満たす必要があるとしている。こ

の条件に予算管理システムが適合するためにはどのような運用が望ましいかを

検討する。

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駒澤大学経営学部研究紀要第38号

(1) コントロール・システムは最新の情報をもとに、将来の状態について再

予測しなければならない。

 双方向型コントロール・システムに流れる情報は最新のものである必要があ

る。戦略的不確実性は流動的であり、過去の情報によって予測したのでは誤る

可能性が高くなる。したがって、最新の情報をもとにして、将来の予測も常に

再検討され続けている必要がある。

 予算管理プロセスにおいて、将来予測は基本的に予算編成プロセスにおいて

なされる。一般的に予算期間は1年であるため、それを基準に行えば、将来予

測は1年に一回であることになる。その間、情報交換がなされず、予測もその

ままであれば、予算期間中途の情報は古いままであり、将来予測も更新されな

いことになる。1年という期間が短いか長いかは環境変化の度合いによるもの

と考えられる。環境変化がそれほど激しくない状況であれば、1年という期間

であっても十分な可能性もある。それに対して、環境変化が激しく、将来の不

確実性が高い環境下では、半期あるいは4半期ごとにローリング予算を編成し

ていくなどの対策が必要なるであろう。

(2) コントロール・システムに含まれる情報は簡単に理解されるものでなけ

ればならない。

 組織成員がコントロール・システムに含まれる情報を使ってコミュニケー

ションを行うためには、その情報が組織成員にとって理解しやすいものである

必要がある。たとえ有用であったとしても、理解できない、あるいは理解する

ために相当な時間がかかるようであれば、十分なコミュニケーションが行われ

ず、戦略が創発されなくなってしまう。したがって、一見して、理解できるよ

うな情報を意図的に利用すべきである。

 予算数値は特に理解が困難な情報であるとは考えられない。予算数値は組織

成員に常に意識されているものであるし、複雑な計算の末に導き出されるも

のでもない。西居(2004)のA社の事例でも、管理者が予算データの妥当性を

疑っているような状況は見受けられなかったと報告している。

(3) コントロール・システムは上級マネージャーだけでなく、組織の様々な

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戦略的不確実性と予算管理システムの運用

階層のマネージャーによっても利用されなくてはならない。

 創発的戦略は様々な階層から創発される。おそらくは戦略的不確実性につい

て常に考え、その対策を練っている組織成員が多ければ多いほど、創発される

戦略は多くなることが考えられる。したがって、限られた組織成員のみが利用

できるシステムではなく、多くの組織成員が利用できる方が望ましい結果を生

み出すと考えられる。

 予算は基本的に様々な階層までブレークダウンし、階層ごとに予算期間にす

べきことを示したものである。したがって、予算数値をまったく利用しないと

いうことは考えられない。しかし、自分のあずかり知らぬところで決定した予

算を通知され、その範囲内で業務を行うのでは、戦略を創発するための活用か

らはほど遠い利用の仕方になってしまう。やはり、重要なのは予算編成プロセ

スに参加し、予算にコミットし、予算差異についても十分な議論が行われるこ

とが必要であろうと考えられる。

 大塚(1999)の調査結果によれば、多くの企業で中心的な参加者は部長クラ

スまでで、課長クラス以下では参加の程度は低い。そういった意味では、実

務において、予算編成プロセスへの参加は上級のマネージャーに限られてお

り、下層のマネージャーにとっては十分に参加できる形態とはなってはおら

ず、様々な階層のマネージャーに利用されているとはいえない状況である。た

だし、たとえば、部門予算をまとめる段階で様々なマネージャーがかかわって

いくことで、予算数値へのコミットが行われる可能性もある。

(4)コントロール・システムは行動計画の改訂を誘発しなければならない。

 単に情報を収集するだけでは、双方向型コントロール・システムとはいえな

い。収集された情報について議論し、対策を講じなくてはならない。

 予算管理プロセスにおいて、行動計画の改訂が行われるのは予算統制プロセ

スおよび、前年度の予算の実行をレビューした上で行われる予算編成プロセス

であろう。予算統制プロセスでは予算実績差異分析を行い、その結果をもとに

今度の改善計画を立てることになるが、これは一種の行動計画の改訂であろ

う。また、予算編成プロセスでは前年度実績をもとに、あらたな環境情報をも

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駒澤大学経営学部研究紀要第38号

とにあらたな行動計画を立てていくことになる。

 ただし、差異分析についてはただ行っているというだけでは行動計画の改訂

にはつながらない。重要なのは差異がどのような原因から来ているのかを分析

し、その結果をもとに今後の行動計画を改訂することである。環境変化による

差異の発生は管理不能であるが、環境変化を認識することにより、今後の対応

を検討することが可能となる。

 不利差異に限らず、有利差異についても原因分析を行う必要がある。たとえ

ば、有利差異であったとしても、マネージド・コストの有利差異は意思決定に

よって可能なために、不利差異を圧縮するためにマネージド・コストを圧縮し、

有利差異が出ている場合もあり、そのような有利差異は将来の競争力を弱める

ことにもなりうる。環境変化が有利に働いたために有利差異が出た場合であっ

ても、環境変化を考慮した行動計画の改訂につなげる必要がある。さらに、あ

る部門における業務の改善が有利差異を生み出す結果となった場合には、それ

を他の部門にも適用可能かどうか検討し、他部門へと広げていくことで組織学

習が行われていくことになる。

 また、予算編成プロセスも1年に一度では行動計画の改訂頻度として不十分

な場合もあり得る。そのような場合には、半期あるいは四半期ごとのローリン

グ予算などが必要になろう。

(5) コントロール・システムは戦略的不確実性が事業の戦略に対して与える

影響に関連する情報を収集し、生み出さなくてはならない。

 双方向型コントロール・システムは戦略的不確実性に対処するためのシステ

ムであるから、戦略的不確実性の影響について収集し、生み出さなくてはなら

ない。その意味で5つの条件の中でもっとも重要といえる条件である。

 予算管理は企業内のすべての活動を対象に行われるものであり、特定の戦略

的不確実性に対処するためのものではない。予算管理システムを双方向型コン

トロール・システムとして活用するためには、どのような要因が戦略的不確実

性であるかを明示した上で運用していく必要がある。

 西居(2004)の報告したA社では戦略的不確実性が明示されておらず、社長

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戦略的不確実性と予算管理システムの運用

が戦略的に重要であると思われる要因について、予算会議で多くの時間を割く

ことになる。この場合、社長がその都度、環境変化を見ながら現在の戦略的不

確実性がなんであるかを決定していくことになるが、トップの関心がどこにあ

るのかによって戦略的不確実性が変わっていってしまうことにもなりかねな

い。

 双方向型コントロール・システムでは、自社の戦略的不確実性の要因がどこ

にあるのかを組織成員が共有し、戦略的不確実性について、多くの組織成員が

コミュニケーションを行い、対処方法を考えていくことが必要となる。誤った

戦略的不確実性に焦点をあててしまえば、そのリスクは非常に大きくなる。

Ⅲ 不確実性と予算管理システムの適合およびコントロール・システムの動的緊張関係

1.Govindarajan and Shankの利益差異分析

 予算管理を双方向型コントロール・システムとして運用するのであれば、環

境不確実性についての情報を与えてくれる形で運用することが必要となる。

Govindarajan and Shank(1989)の利益差異分析(profit variance analysis)は、

すなわち予算実績差異分析であるが、事業戦略と関連づけて、事業の業績を測

定するものである。利益差異分析を行うことにより、事業環境の変化について

の情報を喚起することも可能であり、このような形で差異分析を行うことによ

り、双方向型コントロール・システムとして利用できるのではないかと考えら

れる。

 Govindarajan and Shankはこの利益差異分析をUnited Instruments, Inc.(以

下UI社)という企業を使って例示している。UI社はElectric Meter(以下EM)

とElectric Instrument(以下EI)という2つの製品を製造している企業である。

EMは機械式、電気的技術を用いた製品であり、価格が安く、市場は成熟して

いる。それに対し、EIはマイクロチップを搭載した最新型であり、価格が高

く、市場が成長中である。2つの製品の機能はほぼ同じであり、代替すること

が可能である。

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 UI社の1987年度の損益計算書は図表4の通りである。これによると、全体

としては$622,000の有利差異が発生している。すなわち予算よりも多くの利益

を獲得しており、UI社は非常に好調に見える。それぞれの費目についての差

異を見てみても、管理費が超過しているのが問題であるが、それ以外に問題点

は見あたらない。

 次に、第2段階としてより詳細に差異を分析したものが図表5である。この

分析では売上高差異を価格差異、販売ミックス差異、市場シェア差異、市場規

模差異に分析し、売上原価差異を各製品の変動費差異と全体の固定費差異に分

析している。

 この結果から分かることは販売ミックス差異と市場規模差異という管理が困

難な差異については不利差異となっているが、それ以外の管理可能な差異につ

いては概ね良好な結果を示しているということである。EMの変動費差異が大

きな不利差異となっているが、EIの変動費差異と固定費差異の有利差異がそ

れを埋め合わせているため、製造コスト全体としてはほぼ予定通りとなってい

る。

 しかし、ここで問題になるのが市場規模差異、市場シェア差異、販売ミック

ス差異である。これらの差異はEMとEIが代替可能製品であることから、EM

図表4 UI社の損益計算書(単位1,000ドル)

予定 実績売上高 16,872 17,061製造原価 9,668 9,865売上総利益 7,204 7,196一般管理費 マーケティング 1,856 1,440 R&D 1,480 932 管理 1,340 4,676 1,674 4,046利益 2,528 3,150

(出所)Govindarajan and Shank , 1989 ,p.397.

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戦略的不確実性と予算管理システムの運用

図表5 利益差異分析

重要な要因

 市場規模 予定 実際 実際 実際 実際 実際

 市場シェア 予定 予定 実際 実際 実際 実際

 販売ミックス 予定 予定 予定 実際 実際 実際

 販売価格 予定 予定 予定 予定 実際 実際

 原価 予定 予定 予定 予定 予定 実際

損益計算書

 売上高 $16,872 $15,836 $18,034 $16,862 $17,060 $17,060

 変動費 5,796 5,440 6,195 5,944 5,944 6,334

 貢献利益 $11,076 $10,396 $11,839 $10,918 $11,116 $10,726

 固定費 8,548 8,548 8,548 8,548 8,548 7,576

 利益 $ 2,528 $ 1,848 $ 3,291 $ 2,370 $ 2,568 $ 3,150

差異分析

レベル1

レベル4EM1,418(有利)

EI1,616(不利)

変動費EM $142(不利)EI $248(不利)

固定費製造固定費 $342(有利)マーケティング $416(有利)管理費 $334(不利)R&D $548(有利)

市場規模$680(不利)

市場シェア$1,443(有利)

レベル3数量差異$76(有利)

販売ミックス$921(不利)

価格$198(有利)

原価$582(有利)

レベル2数量と販売ミックス$158(不利)

販売価格と原価$780(有利)

全体 $622(有利)

(出所) Govindarajan and Shank, 1989 p.401.

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とEIを一括して算定している。すなわち、顧客はEMとEIを比較検討し、どち

らか一方を購入するという仮定のもとで算定している。しかしながら、EMと

EIがまったく別個の製品であれば、これらの差異を一括して算定することは

判断をゆがめることになる。

 そこで、戦略的フレームワークを利用した第3段階の差異分析へと進むこと

になる。EMとEIは図表6で表されているように、まったく戦略の異なる製品

である。したがって、これらを一括して差異を算定した場合には、それぞれの

製品が差異を相殺し合ってしまうため、個々の製品の環境に適合した管理が行

えているかが分からなくなってしまう。そこで、EMとEIの差異を個別に算定

したものが図表7になる。この場合には、2種類の製品を別個に扱っているた

め、販売ミックス差異は算定されない。

 この第3段階の分析では第2段階までの楽観的な評価から一変する。EMに

ついては、成熟市場であることもあり、市場シェアを犠牲にしてでも利益を獲

得すべきであるのに、価格を下げて、市場シェアを獲得している。しかも市場

シェアの有利差異は価格を下げたことによる不利差異を下回っている。さらに

低価格を武器にするのであれば、コストの管理を十分に行い、低コストで製造

しなければならないにもかかわらず、変動費差異は不利差異となってしまって

いる。EIについても、成長中の市場であり、市場シェアを獲得すべきである

にもかかわらず、価格を上げることによって市場シェアを落とし、価格の有利

差異を上回る市場シェアの不利差異を計上してしまっている。成長中の市場で

あるため、市場規模の成長により全体としては有利差異となっているが、やは

りちぐはぐな対応をとってしまっていることが分かる。また、固定費について

も、管理費という予算通りに執行すべきコストで不利差異が計上されている

が、これをマーケティング費と研究開発費というマネージド・コストを削減す

ることによって補っている。しかし、このようなコストを減少させることは、

特に現在成長中であるEIの将来の成長をつみ取ることになる可能性が高い。

このように、戦略との関連で見ると、EMもEIもまったくちぐはぐな対応を

とってしまっており、良いパフォーマンスが上げられていないことが分かる。

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戦略的不確実性と予算管理システムの運用

図表6 2つの事業の戦略的文脈

Electric Meters(EM) Electric Instruments(EI)市場全体 計画 1,248,000 440,000 実際 886,080 690,800

衰退市場(29%減少) 成長市場(57%成長)シェア 計画 10% 15% 実際 16% 9%価格 計画 $40 $180 実際 30 206マージン 計画 $20 $130 実際  9 152産業の平均価格 $50 $110 実際 EMは「市場」より低い価格 EIは「市場」より高い価格産業の平均原価 実際 $18 $46製品/市場の特徴 成熟 成長中

より低い技術 より高い技術市場の縮小 成長市場より低いマージン より高いマージン低い製品価格 高い製品価格平均価格は停滞 平均価格は急速に下落

現在の戦略ミッション 「構築」 「すくい取り」あるいは「収穫」

現在の競争戦略 低コストを目指していることを暗示する低価格

差別化を目指していることを暗示する高価格

より妥当な戦略 「収穫」 「構築」(妥当な戦略から導かれる)重要成功要因

競争にあわせた販売価格の維持

市場シェア獲得のための競争

市場シェアの維持や向上に焦点を当てない

経験曲線を利用したより低い原価

積極的な原価統制R&Dの削減

(出所) Govindarajan and Shank, 1989 p.405.

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図表7 戦略的なフレームワークを利用した差異計算

重要な要因

 市場規模 予定 実際 実際 実際 実際

 市場シェア 予定 予定 実際 実際 実際

 販売価格 予定 予定 予定 実際 実際

 変動費 予定 予定 予定 予定 実際

EM

 売上高 $ 4,992 $ 3,544 $ 5,671 $ 4,253 $ 4,253

 変動費 2,496 1,722 2,835 2,835 2,977

 貢献利益 $ 2,496 $ 1,722 $ 2,836 $ 1,418 $ 1,276

市場規模724(不利)

市場シェア1,064(有利)

販売価格1,418(不利)

製造原価142(不利)

EI

 売上高 $11,880 $18,652 $11,191 $12,807 $12,807

 変動費 3,300 5,181 3,109 3,109 3,357

 貢献利益 $ 8,580 $13,471 $ 8,082 $ 9,698 $ 9,405

市場規模4,891(有利)

市場シェア5,389(不利)

販売価格1,616(有利)

製造原価248(不利)

固定費(責任センター別)

予算 実際 差異

製造 $3,872 $5,530 $342(有利)

マーケティング $1,856 1,440 $416(有利)

管理 $1,340 1,674 $334(不利)

R&D $1,480 932 $548(有利)

(出所) Govindarajan and Shank, 1989 p.406.

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戦略的不確実性と予算管理システムの運用

2.利益差異分析と戦略的不確実性

 利益差異分析は以上のように事業の戦略的ポジショニングごとに重視すべき

点を強調することによって、それぞれの事業ユニットが戦略ポジションと適合

した行動をとっているかをチェックするためツールである。Govindarajan and

Shank(1987)は戦略ポジションとして戦略ミッションと競争戦略を念頭にお

いている。戦略ポジションがどこにあるかによって、戦略的不確実性が異な

り、したがって重視すべき点も異なる。

 戦略ミッションは製品ポートフォリオ・マトリックス上で事業がどこに

位置しているかによって、何をすべきかを表したものである(Anthony and

Govindarajan, 2007, p.63)。シェアが低く、市場成長率が高い事業の目標は

短期的な利益を犠牲にしてでも、シェアを増大することにある。これは構築

(build)ミッションと呼ばれ、不確実性が非常に高い。市場シェアが高く、市

場成長率が高い事業の目標は現在の状態を維持することである。これは保持

(hold)ミッションと呼ばれ、不確実性は中程度である。市場シェアが高く、

市場成長率が低い事業の目標は市場シェアを犠牲にしても、短期的な利益を獲

得することである。これは収穫(harvest)ミッションと呼ばれ、不確実性が

最も低い。

 また、競争戦略よっても不確実性が変わる。コスト・リーダーシップ戦略は

相対的に不確実性が低く、差別化戦略は相対的に不確実性が高くなるとしてい

る。

 以上のようにある事業は戦略ミッションと競争戦略の2つの属性を持ってい

るが、それぞれの不確実性の程度が異なると、コントロールに不適合が生じる

可能性がある(Shank and Govindarajan, 1992, pp.107-108)。図表8はこれを

まとめたものである。Langfield-Smith(1997)は戦略ミッションと競争戦略

の2つの次元に、Miles and Snow(1978)の戦略類型の軸を加え3つの次元

による戦略の適合性を論じている(図表9)。

 それぞれの事業の直面する不確実性は以上のように、戦略ミッション、競争

戦略、戦略類型から異なるものとなる。不確実性が異なる事業に対して、同じ

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コントロール・システムで管理すると、業績を低下させる要因となる(Shank

and Govindarajan,1992; Abernethy and Brownell, 1999)。

 不確実性の高い事業では、将来予測がきわめて困難であり、事前に決定した

計画通りに事業を実行していこうとしても、予想外の事象が発生し、計画の変

更を余儀なくされる。予想外の事態が発生しても、計画を変更せずに事業を進

めていけば、長期的な利益が損なわれることになる。したがって、予算編成段

階である程度ルースな運用ができるように設定しておくことが必要となる。そ

れに対して、不確実性の低い環境下では不測の事態が発生する可能性が低くな

り、よりタイトなコントロールが可能となる。したがって、予算通りに事業を

遂行していくことが最も重要となる。すなわち、高い不確実性環境下では予算

管理システムの双方向的運用が適合し、低い不確実性環境下では診断的運用が

適合することになる。

図表8 コントロール・システムの設計における適合と不適合

ミッション構築 1

潜在的に不適合2適合

収穫 3適合

4潜在的に不適合

低コスト 差別化競争優位

(出所)Shank and Govindarajan, 1993, p.108.

図表9 戦略ミッション、戦略ポジショニング、戦略類型間の適合性

構築 保持 収穫 構築 保持 収穫

× × ? コスト・リーダーシップ × ✓ ✓

✓ × × 差別化 × ? ?

プロスペクター ディフェンダー(出所)Langfield-Smith, 1997, p.213.

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 前節で述べた利益差異分析は、以上のような事業戦略とコントロール・シス

テムとの関係のバランスをとっていくことができると考えられる。利益差異分

析における第3段階の分析では戦略の持つ不確実性を考慮に入れた上で、当該

事業が戦略的に妥当な行動からどれだけずれているかを知ることが可能とな

る。Simons(2000)は図表10のように、競争戦略に差別化戦略をとる事業と

コスト・リーダーシップ戦略をとる事業でどのような差異が戦略的に重要とな

るかを示している。差別化戦略では製品の差別化により、他社よりも高い価

格を目指し、差別化した製品ラインを提供するため、販売価格差異および販売

ミックス差異が戦略的に重要な差異となるが、製造効率差異や製造費用差異に

ついては戦略的に重要な差異とはならない。それに対して、コスト・リーダー

シップ戦略では、製造効率差異および製造費用差異が戦略的に重要な差異とな

り、販売価格差異および販売ミックス差異は戦略的に重要な差異とはならな

い。戦略的に重要な差異は重点的にモニターを行い、差異の原因を検証した上

で、差異を減少させるために改善を行う必要がある。これは不利差異だけでな

く、有利差異であっても同様である。特に環境変化の結果として差異が発生し

た場合には、戦略的ポジショニングを変更する必要性が出てくる可能性もあ

り、慎重に対処することが必要である。

 利益差異分析を効果的に行うためには、予算編成時においても事業戦略と不

確実性との関係を配慮した上で行う必要がある。Govindarajan(1984)によれ

ば、実績数値が予算数値から大きく外れることにたいして、上司は悪い評価を

図表10 二つの競争戦略のための戦略的収益性差異

市場規模

市場シェア

販売価格

販売ミックス

製造の効率性

製造費用

自由裁量費用

差別 化 戦 略✓ ✓ ✓ ✓ ② ② ②

低コスト大量生産戦略 ✓ ✓ ② ② ✓ ✓ ②

✓ = 戦略的に非常に重要② = 重要だが戦略的ではない(すなわち、戦略の失敗の原因となりにくい)

(出所)Simons, 2000, p.133.

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与える傾向がある。不測の事態が起こり、予算数値から外れた行動をすること

が合理的となっても、そのような評価が下されることが分かっていれば、事業

の運営にあたっては、予算数値をいかに忠実に実行するかが重要となり、戦略

的不確実性に対応することができなくなってしまうからである。

3.コントロール・システムの過剰適応と動的緊張関係

 既述したように、戦略的不確実性とコントロール・システムの適合は非常に

重要である。しかし、過剰に適合することは長期的な損失をもたらす可能性が

ある。

 たとえば、収穫ミッションにある事業分野で環境不確実性が低いために

MCSを完全な診断型コントロール・システムとして運用しているのに対して、

革新的な新製品を携えた新規参入企業が現れることで、突如として当該事業

が成長事業に変わり、新規参入企業に一気にシェアを奪われ、市場からの撤

退を余儀なくされ、短期的な利益すら獲得できない事態に陥る可能性もある。

Shank and Govindarajan(1992, pp.106-107)は米国のラジオを製造していた

企業が、ラジオを収穫期にある製品であるとして投資を抑えていたが、日本企

業は積極的に投資を行い、新規な製品を開発することにより、米国企業から

シェアを獲得した事例を紹介している。このように、すでに成長は終わり、衰

退するだけだと思われている製品が技術革新によって蘇り、再び成長し始める

ことはありうる。このような事業について、厳格な予算管理を行っており、環

境変化に対応ができないのであれば、新興の企業にシェアを奪われ、最悪の

ケースでは短期的な利益を獲得することすらできずに、市場から撤退しなけれ

ばならなくなる可能性もある。逆に構築ミッションにある事業の製造コストの

差異は戦略的に重要ではないとはいえ、完全に管理をしなくても良いというわ

けではない。ある程度の範囲に収まるように管理することは必ず必要である。

 このような過剰適応による弊害を避けるためには、予算管理システムにおけ

る診断的利用と双方向的利用の動的緊張関係(dynamic tension)を創造する

ことが必要である。

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戦略的不確実性と予算管理システムの運用

 双方向型コントロール・システムとして予算管理システムを運用した場合で

も、診断型コントロール・システムとしての機能を失うわけではない。した

がって、双方向型の運用を行った場合、予算管理システムには診断型コント

ロール・システムと双方向型コントロール・システムの二つの機能が併存する

ことになる。

 診断型コントロール・システムは計画的戦略を実行するためのシステムであ

り、その本質はネガティブ・フィードバックにある。それに対して、双方向型

コントロール・システムは創発的戦略を生み出すシステムであり、その本質は

ポジティブ・フィードバックである。診断型コントロール・システムが計画的

戦略を実行する際、双方向型コントロール・システムが創発的戦略を生み出す

ことは、計画的戦略を実行する上での阻害要因になるし、計画的戦略の厳格な

実行は環境に適応するために行われる戦略創発の阻害要因になる。また、目標

へ近づけようとするネガティブ・フィードバックと目標から離れようとするポ

ジティブ・フィードバックはまさに相反している。したがって、予算管理シス

テムに診断型利用と双方向型利用の双方が併存することで機能障害を起こすこ

とも考えられる。しかし、このように相反するシステムが共存する方が長期的

には良い影響を与える可能性も示唆されている。

 Simons(1995)はコントロール・レバー間には3つ緊張関係(tension)が

生じるとしている。すなわち、(1)無限の機会と有限な注意力、(2)計

画的戦略と創発的戦略、(3)利己心(self interest)と貢献欲求(desire to

contribute)である。これら3つの緊張関係はコントロール・レバーのバラン

スをとることで、この緊張関係を緩和することができるとしている。計画的戦

略と創発的戦略は一見相反するように見えるが、相補的関係にあると見ること

もできる。Minzberg et al.(1998)の実現した戦略という考え方はこの相補的

関係を表したものである。環境不確実が高い状況では計画的戦略を策定する段

階では将来を完全に予測することは不可能である。したがって、実行段階で起

こった環境変化に適合するような戦略を創発し、計画的戦略と組み合わせるこ

とで、実現した戦略となる。Simons(1995, p.153)は、「コントロール・レバー

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の力はそれぞれが個別にどのように使われるかではなく、一緒に利用される際

に、お互いにどのように補完し合うのかにある。これらのシステムが生み出す

ポジティブな力とネガティブな力の相互作用は、機会主義的なイノベーション

と予測される目標達成の間に、利益成長のために必要な動的緊張関係を創造す

る」としている。動的緊張関係は組織に対してポジティブな影響を与えること

が示されている(Henri, 2006; Widener, 2007)(4)。

 したがって、予算管理システムを双方向型コントロール・システムとして運

用する場合であっても、双方向型コントロール・システムのみに特化した設計

を行うことは、システムの有用性を低下させることになる。というのも、双方

向型コントロール・システムの機能にのみ特化してしまうことは、診断型コン

トロール・システムの長所のみならず、動的緊張関係がもたらすポジティブな

影響をも利用できないことになるからである。したがって、診断型利用と双方

向型利用のそれぞれの特徴をふまえ、動的緊張関係を創造できるように予算管

理システムを設計することが必要となる。西居が報告している事例でも、予算

管理システムが双方向型コントロール・システムとしても、診断型コントロー

ル・システムとしても使用されていることが指摘されている(2004, p.82)。

 低い不確実性環境下では診断的利用の性質が強く出るように運用することが

便益をもたらすが、双方向的利用の性質をまったくなくした状態で運用すると

過剰適応になり、環境が変化したときに対応できなくなってしまう。逆に高い

不確実性環境下においては、双方向的利用の特徴が強く出る運用をすること

が、高い業績を達成するために必要になるが、だからといって診断的運用を

まったくしなければ、コントロールがルースになりすぎる可能性がある。単に

現在の事業戦略に適合する方法を選択するだけではなく、診断的利用と双方向

的利用をうまくバランスさせることが長期的な企業の成長にとって必要であろ

う。

おわりに 予算管理システムはほとんどの企業で採用されているマネジメント・コント

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戦略的不確実性と予算管理システムの運用

ロール・システムである。Beyond Budgeting論は予算管理システムが近年の

環境変化に対して、十分に対応することができないとして、予算管理システム

を廃止することを提案しているが、すでに導入しているシステムを改善する

ことによって、対応できるようになるのであれば、それに越したことはない。

Beyond Budgeting論では予算管理システムを診断型コントロール・システム

として運用していることが前提となって議論が行われているが、本稿で検討し

たように、予算管理システムは双方向型コントロール・システムとして運用す

ることも十分に可能である。

 Simons(1995)による4つのコントロール・レバーのフレームワークが示

されてから、特に診断型コントロール・システムと双方向型コントロール・シ

ステムと環境不確実性との関係について、多くの実証研究がなされてきてい

る。不確実性が低い環境下では診断型コントロール・システムが適合し、不確

実性が高い環境下では双方向型コントロール・システムが適合することが多く

の研究から明らかになっている。しかし、現在の環境不確実性に適応しすぎる

ことは危険である。短期的には過剰適応により大きな成果が得られたとして

も、長期的には不確実性に変化が起こった際に対応が遅れる可能性があるた

め、大きな損失に繋がる可能性があるためである。Simons(1985)は診断型

コントロール・システムと双方向型コントロール・システムの双方を同時に運

用することによって、動的緊張関係が創造され、より大きな成果が上がるとし

ているが、このような動的緊張関係についての実証研究も行われ、組織能力や

組織業績とのポジティブな関係が検証されている。MCSを診断型コントロー

ル・システムと双方向型コントロール・システムとして同時に運用し、動的緊

張関係を創造することで、上記の過剰適応の問題に対処することができるので

はないかと考えられる。

 予算管理システムを実際の企業がどのように運用しているか、また運用方法

によって成果にどのような影響が出るのかについての調査はまだ十分になされ

ているとは言い難い。日本企業においては、Beyond Budgeting論が指摘する

ような、予算目標と固定業績契約を結びつけることは少なく、完全な診断型コ

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駒澤大学経営学部研究紀要第38号

ントロール・システムとして運用している企業は少ないのではないかと考えら

れるが、近年の成果主義の導入により、あるいは診断型コントロール・システ

ムとして運用している企業も存在する可能性がある。診断型コントロール・シ

ステムとして予算管理システムを運用すること自体は悪いことではないが、環

境不確実性と適合していない場合には、パフォーマンスを減少させることにな

る上、双方向型コントロール・システムとの動的緊張関係が損なわれている場

合には、長期的な利益を損なっている可能性もある。

(1)Bisbe and Otley(2004)はMCSとして、予算、バランス・スコアカード、プロジェ

クト管理システムを取り上げている。この研究ではMCSが製品イノベーションを通

じた業績への間接的な影響とモデレーター変数としての影響を調査しているが、製

品イノベーションを通じた業績への間接的な影響は支持されなかった。

(2)マネージャーの注意力に対する利回り。機会が無限であるのに対して、マネー

ジャーの注意力は有限であり、これをいかに活用していくかが重要となる。

(3)Parker and Kyj(2006)の調査における情報共有は上方への情報共有(upward

information sharing)と下方への情報共有(downward information sharing)を分

けて調査している。上方への情報共有は部下から上司への情報の流れを表してお

り、回答者が上司に対して情報を提供している度合いを調査している。下方への情

報共有は上司から部下への情報の流れであるが、この調査では回答者が上司から情

報提供を受けている程度を直接調査するのではなく、Chenhall and Brownell(1988)

が導入した役割の曖昧さ(role ambiguity)を調査することによって間接的に評価

している。すなわち、上司から部下がなすべきことに関する情報提供が多くなれば

なるほど、役割の曖昧さが低下するというものである。したがって、予算参加の程

度があがると、下方への情報共有が活発になり、役割の曖昧さが減少することにな

る。

(4)Henri(2006)とWidener(2007)の双方の研究とも業績測定システム(performance

measurement system)を対象として行われたものである。したがって、予算管理

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戦略的不確実性と予算管理システムの運用

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るが、これらの研究は十分に援用可能であると考えられる。

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