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援助研究の一環としてのジェンダー研究について

粒良 麻知子 援助研究におけるジェンダーの視点を再考する

序章

本稿は、開発援助研究において取り入れられているジェンダーの視点に考察を加えるものである。以下の論文で、女性の地位向上を目指す開発援助プロジェクトを行う際には、男性への「配慮」が必要であるという主張と、現在、援助の一環として行われているジェンダー研究には、それが欠落しているという問題点の指摘を行う。 私は大学在学中、開発援助について観察し考えてきたが、その結果、援助を行う際には援助対象のみならず、格差を生み出してきた権力者側(援助の対象とはならない人々)の視点、彼(女)らへの歩み寄り(これらをまとめて「配慮」と呼ぶ)が重要であると考えるに至った。 これが本論文に一貫した主張となっている。 また、本稿作成にあたっては、ほとんど二次資料に依拠していることを断っておく。

第一章 援助におけるジェンダーという概念

(1)ジェンダーとは何か

ジェンダーとは何か

「ジェンダー(gender)」とは、欧米言語の文法において、名詞・代名詞などの性の区分を意味する言葉である。 しかし、最近では、「ジェンダー」は、社会・文化的に作られた性の違いという定義で広く共有されるようになっており、「男らしさ・女らしさ」といったイメージや性別役割分担は、それぞれの社会・文化の中で形成されたジェンダーの違いから生まれるとされている。 しかし、この「ジェンダー」の最近の定義は、男女の生物学的な性機能の違いを指す「セックス(sex)」を除くという性質を加えられて、初めて明確に理解され得る言葉である。

社会学のスコット(Joan W. Scott)は、現在の「ジェンダー」の用法が最初に出てきたのは、アメリカのフェミニストのなかからのようだと言っている。 そのためか、「ジェンダー」という言葉は、男女の社会的性差とされてはいるが、実際には女性を説明するためにだけしか機能しない。 この点をふまえなければ、「ジェンダー」を理解することはできないだろう。 上野千鶴子の整理によると、1980年代までは、セックスがジェンダーに先行し、ジェンダーを規定するものとされてきた。 しかし、近年の生化学や分子生物学が明らかにしたのは、セックスが外生殖器、内分泌、染色体、遺伝子などのいくつかの判定レベルをもってはいても、これらは一貫しておらず、人間の個体において必ずしも雌雄のいずれかに決められるものではないということである(実際、雌雄のあいまいな個体の出現率は低くない)。 フランスの唯物論フェミニスト、クリスティーヌ・デルフィは、ジェンダーがセックスに先行し、人間の集団を男と女に完全に二分する分割線、差異化そのものであることを指摘し、また、ジェンダー関係がセックスとは異なり、「権力的な非対象性」という性格を帯びていること明らかにした。 これは、80年代のジェンダー論に決定的な転換をもたらした。 社会学者の伊藤るりは、現在の社会学では、ジェンダーの二分法を投影した形でセックスをとらえており、ジェンダーがあいまいで一貫しないセックスにまで意味を与えていると説明している。 こうして、フェミニズム理論において「ジェンダー」は独立し、「セックス」に先行する優位性を得た。 ただし、「セックス」からまったく切り離された形で、「ジェンダー」が形成されることはない。

開発援助におけるジェンダーの意味

ここで、注意を喚起したいのは、もともとフェミニズム理論に取り込まれた「ジェンダー」の意味合いがそのまま、開発・援助の文脈でも採用されているという実状である。 例えば開発においては、「ジェンダー配慮」「ジェンダー・アプローチ」「ジェンダー化(gendering/gendered~)」「ジェンダーの主流化(gender mainstreaming)」などの言葉がある。 ここで使われている「ジェンダー」は、1960年代まで女性が開発の目的・過程から排除されていた事実と、女性が援助の恩恵を受けるために特別に配慮される必要があるという議論から、「女性(からの視点)」と同義になる。 例えば、「ジェンダー配慮」であれば、「女性配慮」と同義である。 こうして、男性は開発における「ジェンダー」から排除されている。 表現上の問題として、他の例を上げると、「人種差別撤廃」についても同様のことが言える。 「人種差別撤廃」という表現についても、差別している側は「人種」から排除されている。 ただし、「人種差別撤廃」の場合、「差別」と「撤廃」という言葉が入ることによって、差別されている側の視点から発せられた言葉であることが明らかである。 ある「人種」が「差別」されているという状況があって、それを「撤廃」しようということである。 ところが、例えば「ジェンダー配慮」については、「ジェンダー」という言葉自体は、男女両方に共通した平等な視点にあるように聞こえる。 実際には、女性の地位向上を目指すというコンテクストにのみ使われ、女性しか含まない。 この言葉によって、男性が、「男女の社会的・文化的性の違い」から影響を受けているという側面が曖昧化する。 これは、既存のフェミニズム理論の流れの中に「ジェンダー」という言葉が引き込まれ、用いられるようになったからだが、同時に「ジェンダー」が、男女に共通した言葉であると強調されている点に違和感を覚える。 「ジェンダー」の定義については、本稿の最後で再考する。

開発研究の歴史的流れと女性の視点

ここで、女性の視点とその発展を開発研究の歴史的過程から振りかえる。 1950~60年代、ロストウの「成長の諸段階」に代表されるように、条件が揃えばどんな国でも成長するという考えがアメリカを中心にあり、開発援助もこの路線にあった。 1970年半ば、南北格差が広がり、貧困人口増大という問題に世界の関心が向けられ始める。 1980年代に入り、従来の近代化論に基づく経済開発と社会基盤整備を中心とする開発が、様々な社会問題(貧富の格差、地域格差、環境破壊等)をもたらしていることが明らかになると、それまでのハード路線(経済開発)からソフト路線(ハード型を補完するソフト型援助、具体的には、教育、保健、人口・家族計画、貧困、女性、環境等の領域)への移行が起こった。 すなわち、援助政策におけるパラダイムのシフトである。 世界銀行でも、この頃から「人間の基本的ニーズ(BHN:Basic Human Needs)」という新たな援助分野を取り上げるようになった。 さらに、1990年代に入ると、経済開発の目的をたんに一人当たりGNPに求めるのではなく、BHN等、人間の立場を中心に置き、生活の質の向上を目指すべきだという考え方が強くなる。 それと同時に、援助のあり方そのものを見直していくというテーマが浮かび上がった。 世界銀行が出している『世界開発報告』に対する一つのアンチテーゼとして、1990年からUNDP(国連開発計画)が毎年刊行している『人間開発報告』は、その一つの象徴である。

ソフト路線化の重要な一端を担うのが女性の問題であり、男女の社会的・文化的に規定された性差、すなわち、ジェンダーの問題へと発展した。 1970年、ボズラップ(Easter Boserup)が『経済発展における女性の役割』の中で、女性が農業労働で大きな役割を果たしているにもかかわらず、その生産が自家消費を中心とするもので、市場の価格付けをほとんど受けないことから過小評価され、その経済負担に見合った地位を獲得していないという問題を提起した。 それまでは、開発の担い手は常に男性であり、女性は開発過程から排除されてきており、女性に関する指標もほとんどなかった。 ボズラップ以降、より効率的な開発のために、生産活動の重要な部分を占める女性を取り込むべきであるという論調へと移行する。 国連は女性に関するデータを収集し始めた。 また、1976~85年を「国連女性の10年」と定め、UNIFEM(United Nations Development Fund for Women)、INSTRAW(Institutional Research and Training Institute for the Advancement of Women)などの女性を対象にした機関の発足、1979年の女性差別撤廃条約の批准など、積極的に女性問題に取組んだ。 国連の圧力によって途上国政府が女性問題省(例・ジンバブエ)をつくるといったナショナル・マシーナリー(National Machinery)効果もあり、途上国の女性も含めたグローバル、且つ実質的な意味のある10年間となった。

ジェンダーの他の研究分野への影響

女性研究、フェミニズム研究などを経て成立したジェンダーという研究分野であるが、この研究テーマは単に新しい一研究分野の追加という役割を担っただけではない。 フェミニストの研究者たちの予測のように、「既存の学問研究がもつ前提や基準の批判的再考を余儀なくする」、あるいは「女たちの学問への参加によって学問分野のパラダイムは根本的に変容することになるだろう」という程度にまで、ジェンダーの視点が他分野に与える潜在的な影響力は大きいように思われる。 ここで潜在的と言ったのは、もう一方に、男性によってジェンダーの視点が女性だけのものであるとされ、各学問分野の主流から追いやられた経験、あるいは今後も追いやられていく可能性があるからである。 実際に、女性の視点から既存の学問分野を解き直すという作業を行うのは、専ら女性研究者であった。 このことは二つのことを示唆する。 一つは、本稿ではこのテーマについては追究しないが、学問研究における男女の権力格差を表していることである。 もう一つは、例えば、歴史学においては、実際に記録に残っている歴史上の人物たちの多くが男性だということと、政治や経済の公の場で決定をくだしてきたのが実際に男性ばかりであったということである。 女性の記録が残っていないか、あるいは実際に男性が歴史の大枠を形づくる主要なアクターであったということから、既存の歴史学は、歴史学と呼ばれるに足る説得力をもつ主流として確立され得る。 私の見解は、女性の視点が導入され、それは「前提や基準の批判的再考を余儀なくする」影響力を持ちうるのかもしれないが、最終的には既存の学問分野とは異なる「女性史」、あるは「女性学」といった特定の分野におさまり、それ以上のものにはならないだろうというものであり、フェミニストの研究者たちの予測と一致しない。

(2)援助という現象

援助の対象と非対象の設定

援助という行為を行う際には、援助の対象グループ(ターゲット・グループ)の設定が必要になる。 これは、「誰を援助するのか」という問いに対する答えとなる。 例えば、日本の国際協力事業団(JICA)が各プロジェクトにつき作成している「プロジェクト概要シート」を見ると、「対象国」「対象」「対象分野」「ターゲット・グループ」などが設定されていることがわかる。 事前調査を経た対象グループの設定、そのグループへの援助プロジェクト実施に際して、その実施機関・実施者は、対象グループに含まれなかった当該社会の人々(以下、このような人々の集団を総じて「非対象グループ」と呼ぶこととする)に対して、説明責任を持っていると考える。 これは言い換えると、「なぜ、〇〇は援助対象に入らないのか」という問いに対する妥当な回答を用意すべきであるということを意味する。 そして、非対象グループに対しての妥当な回答が用意できない場合には、その援助そのものの妥当性をも疑って然るべきである。 援助を行う際に、援助主体と現地社会との間に発生する摩擦から、この主張を説明することもできる。 アジア経済研究所研究員、佐藤寛によると、援助する側のロジック(人権・平等主義の立場)だけでプロジェクトをすすめると、現地のロジック(伝統的な権力構造や規律)と合わず、結果的にプロジェクトの効果にマイナスの影響を及ぼす場合がある。 現地の社会構造・政治的安定を考慮した援助を行うためには、現地のロジックを踏まえるべきである。 例えば、伝統的に権力差の大きい社会において、「社会的弱者」をターゲットとする援助プロジェクトを実施した場合、援助の対象とならなかった権力者側にうらやみ、ねたみといった感情が発生し、彼(女)らからプロジェクトが妨害されることがしばしばある。 権力者側が既得権益を守ろうとするのである。 このように、プロジェクト実施時における非対象グループのプロジェクトに対する反応は、当該社会の実状を把握する上で、特に注意深く観察すべきものである。

仮に、既存の社会・権力構造に人権の立場からアプローチする場合、権力差があること自体が援助行為の動機となっているから、「なぜ、〇〇(権力者)は援助対象に入らないのか」という問いの答えは明らかである。 それでも、援助実施機関・実施者は、既得権をもっている権力者に対して、必要とあらば、上記の問いに答えられることを目指し、事前調査、プロジェクト実施、実施後のすべての段階を通じて、非対象グループに対し相応の「配慮」を示す責任があると考える。 また、この非対象グループへの「配慮」の具体的な内容としては、十分な調査・対話・説得など権力者をプロジェクトに積極的に取り込んでいくための努力を想定しているが、具体的な援助計画・分析手法に関する部分までは述べない。 本稿は、具体的に何をするのかという前の段階として、援助に携わる者の意識レベルにおいて非対象グループへの「配慮」に重きをおくよう呼びかけるものである。

ジェンダー平等を目的とする援助

さて、ここでジェンダー平等を目的とする援助プロジェクトについて考えると、その援助の対象グループは女性であり、非対象グループは男性となる。 この種の援助の特徴について、男性経済学者のセン(Amartya Sen)は次のように述べている。 例えば、貧困緩和のための援助を実施する場合と比べて(多くの場合、裕福な人々と貧困層の住居域が離れているとして)、男女は同じ屋根の下で一緒に生活しているだけに、ジェンダー平等を目的とする援助が両者の関係性に与える影響力はより大きい。 言い換えると、密接な関係で生活している状況で、一方が受益者で、他方が援助から排除されることにより、両者の関係悪化が見込まれるということである。 この男女の密接性が、ジェンダー同様に既存の権力構造を変えようとする他の援助、例えば、貧富の差の縮小、民族、その他の理由で迫害されているマイノリティ・グループの救済等の援助とは異なるジェンダーの特徴である。 非対象グループへの「配慮」の必要性の主張にのっとり、ジェンダー平等を目的とする援助プロジェクトの実施に際しては、援助実施機関・実施者は男性を十分に「配慮」する必要がある。

(3)ジェンダーアプローチとニーズ

途上国の女性に対する政策アプローチとしては、現在、WID(Women in Development)アプローチとGAD(Gender and Development)アプローチがある。 WIDアプローチには、1960年代後半からの自由主義フェミニズムの発言力拡大の流れを受けて、女性の地位は男性から勝ち取っていくものであるという挑戦的な流れがあった。 その後、ジェンダーという言葉が使われるようになったが、それは女性のための言葉にとどまっていた。 GADアプローチへの移行とともに、男性も含めた、男女の相対的な社会的関係が問われるようになってきている。 問題は、実際のプロジェクトにどのくらいGADが取り込まれているか、という点である。

WID/GADアプローチ

「開発と(開発における)女性(WID:Women in Development)」という用語は、国際開発学会の部会の一つ、ワシントンDC女性委員会(The Women’s Committee of the Washington. DC, Chapter of the Society for International Development)の手によって、1970年初めに作られた。 この女性委員会は、ボズラップや文化人類学者など第三世界の開発研究に強い刺激を受けた女性たちによる開発専門家ネットワークで構成されており、この用語は、アメリカ国際開発庁(USAID)で直ちに採り上げられ、「開発と女性(WID)」アプローチとして採用された。

WIDの定義を二つ取り上げる。

WID:開発における女性。開発過程における女性の役割(women’s role in development process)を正当に評価し、開発過程に女性を統合していこう(integrating women in development process)とする考え。1970年代に浸透した考え。(伊藤るり)

WID:開発と女性。WID理論。開発援助において開発途上国における女性の援助受益者としての側面に焦点を当て、「男性より地位が劣り重点的に援助する必要のある対象」として女性をとらえる考え方。しかし、この理論に基づいて計画された案件は一般的に規模が小さいため現状を変えるインパクトも小さく、問題の根本的解決につながりにくいことも反省材料として指摘された。(海外経済協力基金)

両者の定義は言葉のニュアンスが異なる。 伊藤の定義では、「開発過程における女性の役割を正当に評価」と女性の役割の評価が「正当」なレベルまで達することが強調されているのに対し、海外経済協力基金(OECF、現JBIC)の「女性の援助受益者としての側面に焦点を当て」という表現は援助政策の視点が強い。 このように、WIDの定義には違いがあり(GADも)、それぞれの研究機関、研究者の立場に沿った定義が与えられている。 いずれにしろ、1960年代後半の北欧、北米など高度産業国を中心とする自由主義フェミニズムの発言力拡大という時代背景から考えて、それまで排除されてきた女性を開発に組み込んでいこうという流れを示しており、男性については、女性の位置づけを明確にするためにふれられるだけで、それ以上の言及はない。 むしろ、敵対するような印象である。 したがって当然、実際の女性に関する援助プロジェクトや研究に、好意的な意味で男性は出てこない。

「ジェンダーと開発(GAD:Gender and Development)」によるアプローチは、WIDアプローチのように女性にのみ焦点を当てたのでは、男性に対して従属的な立場にいるという女性本来の問題解決には至らないという立場をとる。 そして、開発過程で女性を援助する計画を立てる際、女性だけに目を向けてはいけないという主張から、男女の社会的な関係(ジェンダー)に目を向けるべきだという提言につながる。 GADの定義は以下のようになる。

GAD:ジェンダーと開発。1980年代に入って登場し、WIDを批判的に発展させた考え。社会・文化的な性差、男女の構造的格差や差別の諸問題に関する認識に立ち、これらの観点から、社会的に不利な立場にある人々のエンパワーメントを前提とした、より平等な社会づくりをめざし、かつまたこれと開発過程とを関連づけていこうとする見方。(伊藤るり)

GAD:開発とジェンダー。GAD理論。WID理論・実務の行き詰まりを踏まえて発展した。WID理論は対象をいわゆる女性プロジェクトに限定したのに対し、GAD理論は原則として社会開発プロジェクト全体を対象とし、またジェンダー(社会的性差)に着目して男女双方の力関係、役割等を開発援助実務に反映させようとするものである。(海外協力経済基金)

海外協力経済基金の定義にあるように、WIDにジェンダーの視点が入ったものがGADである。 第一章でも述べたように、ジェンダーの視点が援助の文脈で用いられるとき、男性は排除されている。 伊藤の定義は、「社会的に不利な立場にある人々のエンパワーメントを前提とした、より平等な社会づくり」を目的にしており、男性への「配慮」に結びつくような表現はない。 海外協力経済基金の定義は、「ジェンダー(社会的差)に着目して男女双方の力関係、役割等を開発援助実務に反映させようとするもの」と、開発援助の質の向上が目的になっており、その目的のために、男性への「配慮」がでてくる可能性も感じられる。 しかし、GADの視点を取り入れた援助プロジェクトを実際に行うにあたっては、別の問題があった。

西川潤は、次のように述べている。 「これ(WIDアプローチ)と対照的にGADアプローチでは、ジェンダー関係をそのままにしては、いかなる方策も女性の男性への従属を変えることはできないとする。 したがって、社会や経済がその枠組みやその構造の下で動く枠組み・構造、そしてそこでの権力関係(power relations)を問うことが必然化し、既存の体制の中に既得権をもつ集団にとっては、十分「脅威」となることが予想される。 各国の援助機間や国際機関は、GADの視点を部分的に取り込み、既存のジェンダー関係を与件としてプロジェクト形成に組み込むための「ジェンダー/社会分析」を行うようになっているが、WIDを基本にしている理由の一端はここにある」。 つまり、GADは確かに、社会、権力関係を問い直す視点ではあるのだが、現実の援助の場面では、既得権をもつ集団との摩擦を避けるために、WIDに基本をおいているということである。 西川の説明により、ジェンダーを含んだGADアプローチを実際の援助に反映させて、権力者(本稿では、援助の非対象グループ)を取り込んだ形の援助を実施することの困難さがわかる。 しかし、これは同時に、当該社会の権力者の研究、ジェンダーの場合は男性の研究が重要であることを明らかに示している。

実際的ジェンダーニーズと戦略的ジェンダーニーズ

ジェンダーの視点としては、WID/GADの他に、実際的ジェンダーニーズ(practical gender needs)と戦略的ジェンダーニーズ(strategic gender needs)がある。これらは開発援助とジェンダーの関係を明らかにしてくれるので、補足的ではあるが説明しておく。

実際的ジェンダーニーズとは、経済発展、あるいは貧困緩和のためには、女性が参加した方が効率的であるという経済効率性の観点から、女性の経済活動を活発化しようという考え方である。 一方、戦略的ジェンダーニーズは、人権・平等の立場から(あるいはフェミニズムの立場から)、女性の地位向上を目的とする考え方である。 実際的ジェンダーニーズに沿った援助とは貧困削減など第一目的が他にあり、その目的達成のために女性への配慮がなされる援助であり、戦略的ジェンダーニーズに沿った援助とは、女性の地位向上を第一の、あるいは主な目的としている援助である。 西川潤は、とくに戦略的ジェンダーニーズを、「女性がその社会の中で男性に従属した地位にあることから生ずるニーズである」と説明した上で、「既存の役割を変え、したがって、女性の従属的地位を変えるための、社会の在り方を問うことになり、権力を持つ側への挑戦ともなる」と述べている。 先述のWIDとGADの定義付けも、このニーズの違いから異なってくると言える。 一般的に、経済援助を中心とする援助実施機関は実際的ジェンダーニーズに、NGOは戦略的ジェンダーニーズに沿っていると言えるだろう。 実際の援助プロジェクトを検証する際には、いずれのニーズに応じたものであるかを明確にしなければならない。

第二章 当該テーマに関する研究状況

先進国・国連機関のジェンダーの捉え方

先進国の中では、例えばアメリカ、オーストラリアは、援助全般を行う際のジェンダーの分析方法の中で、男性へのアプローチの仕方にふれている。 日本は、ドイツで作られたPRA(Participatory Rural Appraisal)手法の導入など参加型開発への移行が見られ、トップダウン式からボトムアップ式へと援助のあり方を変化させてきている。 その点、一方的な価値の押し付けによる、男性への「配慮」の無さは改善されていると察しうるが、この件に関する具体的な報告書等は出されていないようである。 日本のNGOに関しては、今のところ具体的な男性への「配慮」はほとんど見られない。 援助機関については、UNIFEMやILOなどの国連が、ジェンダー問題における男性に焦点をあてたペーパーを発表している。 特に、国連開発計画(UNDP)は、United Nations Men’s Group for Gender Equalityを設置し、男性に焦点をあてた研究をすすめており、これは画期的な視角を提供している。

国連ジェンダー平等のための男性グループ

「国連ジェンダー平等のための男性グループ(United Nations Men’s Group for Gender Equality、訳筆者)」は、1999年2月に行われたジェンダー主流化のワークショップで、UNDPの男性スタッフが、ジェンダー平等と女性の社会進出(Advancement of Women)を促進させるための男性の役割について、非公式に議論したことから発足された。 このグループは、全てのUNDPスタッフに対し、男性の視点の必要性を唱えたり、同様のテーマを扱っている団体を集めたネットワーク作りも行っている。 また、2000年6月にニューヨークで行われた「国連特別総会女性2000年会議(Beijing+5 Special Events United Nations, New York, 6 June 2000)」に「ジェンダーによる暴力撤廃のための男性と少年の役割(The Role of Men and Boys in Ending Gender-based Violence)」、「男性とジェンダー平等についての北欧諸国による公開討論会(The Nordic Country Panel on Men and Gender Equality)」といったワークショップを出している。 また、「男性、男性らしさと開発(Men, Masculinities and Development、訳筆者)」という専門論文を出している。 そのような活動の中で、このグループは一貫して、男性がジェンダーの権力関係から利益を得ているとすれば、ジェンダー平等達成のために男性の役割を無視し続けることはできないという視点に立っており、これは今後十分注目されるべきものである。 しかし、この流れを拡大させるためには、ジェンダー研究の主流に積極的な対話の働きかけをしていかなければならないだろう。 現在のジェンダー研究の主流を担っているのが女性で、彼女たちが女性の視点に焦点を絞ったままということになると、今後両者は別々に発展していってしまう恐れもあるからである。 研究者の男女の別によって、研究内容やアプローチの仕方が異なるのだということをふまえて、意識的に両者間の対話を促進していく必要性があるだろう。

研究者が男性であるか女性であるか

ジェンダーに関する研究を行っている、あるいはジェンダーに関して発言している日本の研究者のうち、(筆者の観察した範囲であるが)男性研究者の方が、女性研究者よりも、援助対象社会の男性に着目する傾向があるように思われる。 あるいは、女性研究者は、男性研究の重要性を認識してはいても、男性研究者ほどそれを強調しない傾向にあるということなのかもしれない。 実際、途上国の女性の地位向上をテーマとしたある国際機関のディスカッションでは(男性と女性がパネリストとして参加していたが)、ジェンダー平等への過程における男性の役割について、女性パネリストの説明が不明瞭だったことがある。 男性パネリスト(ジェンダーの専門家ではない)には、女性の視点の理解が全くなく、女性パネリストの発言から男性の視点への考慮は感じられなかった。 私は、先に挙げた「国連ジェンダー平等のための男性グループ」の論文中の解釈を援用して、この現象の説明ができるのではないかと考える。 「男性は自分が『ジェンダー』の影響を受けている存在であると考えにくく、これが、男性、女性いずれの政策策定者、開発援助実施者も『ジェンダー』が女性の問題であると勘違いしやすい所以である」というのである。 つまり、研究者となる女性は同性としてすぐに女性の視点を持ちうる一方、研究者となる男性は自分がジェンダー問題にかかわることのできる存在であることに気づきにくく、女性やジェンダーの視点を認識しにくい。 しかし、男性はいったんジェンダー問題について考えるようになると、女性研究者よりも、同性である男性の存在、役割を容易に意識しやすい。 言いかえると、研究者側が男性であるか女性であるかによって、もともともっている価値観・判断基準が異なり、それにより持ちうる視点に差が出るということである。

確かに、(本稿では詳しく扱わないが)リプロダクティブ・ヘルス、家庭内暴力など女性に対して繊細な配慮を必要とする援助に関しては、プロジェクトの調査員・調整員、研究者も女性が望まれる。 また、現地社会の宗教上の問題で、男性調整員・研究者が、現地の女性に近づくことが危険である場合もある。 このような特定分野の援助や当該社会から受ける制限により、女性の問題は全て女性が行う方がよいのだという考えに行き着くかもしれない。 しかし、「女性同士だから理解しあえる。うまくいく」という言葉で、安易に片づけてしまうべきではない。 そこには、援助側と受益者側が生活してきた経済的な背景の違いから、「女同士」という言葉でもくくりきれない差異もまた一方に存在するからである。 これも同様に安易に考えてはいけないのだが、男性「配慮」の必要性に、この「〇〇同士」という親近感を利用するならば、男性調整員を導入し、「男同士」で意志疎通を図る方がよいとも言える。 このように、男性も含めたコミュニケーションを視野に入れると、研究・プロジェクトに係わるアクターを先進国側(援助主体、研究者)の女性と途上国側(援助・研究対象)の女性の二つに絞ってしまうことは到底できなくなる。 ジェンダー平等を目的とする援助プロジェクトは、それに係わる先進国側の人間に男女の別があり、途上国側で男女間の対話の必要性があるのと同様に、先進国側でも男女の対話が行われるべきである。 これらの、途上国側の男女、先進国側の男女の関係性としては、以下の図のようなパターンが考えられる。

援助研究における男女の対話の図式 (筆者作成)

先進国(援助主体、研究者)側

男性 女性

「男同士」 「女同士」

男性 女性

途上国(援助・研究対象)側

(注・援助プロジェクトのカウンターパート、途上国の研究者等を図式に投入するならば、それに応じて対話パターンが増え、複雑になる。 また、同じグループに属するもの同士、例えば、先進国の女性研究者同士の対話・意見交換も当然あるが、省略している。)

この図は、ジェンダー研究者が自分の位置を確認し、どのパターンの関わりを持ち得るのかという認識を助けるものである。 男性への「配慮」にあたっては、途上国側男性との対話の3パターンを意識すべきである。

繰り返すが、研究者側が男性であるか女性であるかによって、アプローチ方法に差が出る。 女性研究者は、「女同士」の親近感をもって途上国の女性研究をスタートさせるからか、途上国の男性の視点を認めようとしない傾向にある。

第三章 サハラ以南アフリカにおける男性権限の形成

この章の目的は、アフリカの男性権限(male privilege)の形成の特徴を把握し、そこからサハラ以南アフリカへの援助実施に際しては、男性への「配慮」の必要性が高いという主張へつなげることである。サハラ以南アフリカ地域に焦点をあてた理由は、以下の3点である。 (1)アフリカ経済は、外部からの援助に頼っており、21世紀も引き続き、外部援助がアフリカの政治・経済を左右する重要なファクターであり続けるだろう。 したがって、アフリカへの援助研究は重要な意義をもち、ジェンダーの視点も付随して取りこまれていくだろうと予測されるから。 (2)伝統的に、家父長制をとる父系社会が多いため、権威のある男性像が容易に想定され得るから。 (3)1970年、ボズラップにより、特にアフリカにおける女性の経済活動の負担は、アジア・ラテンアメリカなど他の地域よりも大きいという報告がなされているから。

アフリカ社会に固有の男性

まずは、植民地、近代化政策の影響を受けていない時点での、アフリカ社会に固有の男性に着目する。アフリカには文化人類学者が数多く入っており、長期にわたるフィールドワークが行われてきた。 西欧と大きく異なる家族観、結婚観を示してきたアフリカ社会の中での男性像を、文化人類学的視点から記述する。

まずは、アフリカの結婚制度の大きな特徴である一夫多妻制(ポリガミー)を取り上げる。 「その婚姻形式は、夫が同時に二人以上の妻をもつこと」である。 男性にとって、ポリガミーの最大の魅力は、「数人の妻の労働力、広い土地と農業生産物の収量の増加により、富と高い地位を得る可能性」にあるという。 早瀬保子によると、ポリガミーでは、「女性は夫からの経済的支援が少ない状況で、重労働に耐えなければならない」ため、男女間に確固とした主従関係が見られるが、女性の「日々の行動はかなり自由で、食糧作物販売により夫から経済的にある程度独立した家計を維持することが可能である」。 ポリガミーはサハラ以南アフリカに多いが、国ごとのポリガミー比率にはばらつきがある。 50%前後と高い西アフリカにはイスラム教徒が多く、10~30%の東南部アフリカにはキリスト教徒が多いことから、宗教との関連が考えられる。 ちなみに、イスラム教は4人まで妻を持つこと可能な宗教である。 いずれにしろ、他の地域と比べて、サハラ以南アフリカにポリガミーが多い。 したがって、この地域に焦点を絞るにあたっては、ポリガミーによる男女の明確な主従関係がある一方で、その範囲内ではあるが、女性の行動が比較的自由であるというフェミニズムの視点からは見落とされがちな側面もふまえるようにしたい。

次に、植民地化、及び産業化以前のアフリカで、男性が、再生産能力によって女性の価値を決定し、女性を家内的な領域に封じ込めた歴史を見てみる。 小馬徹によるフェミニズム人類学からの考察とその相対化の研究では、「とくにアフリカについては、産業化以前の男女のジェンダー関係には、相互に異なるものとしての区別はあったとしても上下関係は存在しなかったのだとする見方をとる研究者が、以前から少なくなかった」とフェミニズム人類学の主流を述べた上で、小田亮の指摘を引用して、男女間の権力構造は確かに存在していたという説明を加えた。 小田は次のように説明している。 「農耕の開始によって土地が生産条件から生産手段に変わり、それを専有する家内的集団にはそれを受け継ぐ子供が必要となる。 こうして創発された子供の希少性が、人的再生産の容量を現実として規定する女性の希少性を生み出し、その結果として家内的集団で女性が交換されるようになった。 つまり、女性の再生産能力という生理的な差異は、こうした特定の歴史=社会のもとではじめて有意味になったのだ。 公的領域とは家内的集団間が構成する領域であるから、交換の主体である男性がそこに属し、一方、交換の客体たる女性は家内的領域に封じ込められる。 そして、社会的権威とは家内集団間の個別的利益を調停するための装置である以上、それは個人的利害を離脱した公的な領域に属する存在である男性の手に落ちることになる」。 婚姻という側面から考えるならば、農耕の開始によって親族間の交換の主体としての男性、客体としての女性が確立された。 さらに公的な決定は常に男性によって行われるようになり、女性は家内的領域にとどまることになったのである。 生産活動の変遷の中に、女性の「セックス」の側面がはめこまれたわけであるが、そもそも「女性の希少性を規定」した主体、また女性を交換する主体となり得た男性の権威発生の根源はここでは明らかにならない。

農業の近代化政策と貨幣経済の男性への影響

次に、植民地体制、独立を経て、国際機関、外国政府、あるいは自国政府の行った農業政策の男性への影響を見てみる。サハラ以南アフリカでは、1980年代の深刻な経済危機から始まったIMF、世銀による構造調整計画の一環として、農業の近代化政策が進展し、貨幣経済が浸透していく。 この過程は、植民地時代の宗主国の政策による影響もあり国ごとに異なるが、ここでは一例として、1980年代中盤からザンビアにおいて、政府が推進したファーム(faamu)化政策と現金経済の浸透が、バンツー系民族ベンバの村に与えた影響を挙げる。 ベンバの村は焼畑農業を主とし、女性が焼畑農業で自給用の食糧を確保する活動を行い、男性はほとんど農耕に関与してこなかった。 焼畑が森林破壊の元凶として批判されるようになり、これを止めようという動きと、農業立国を目指す政府の政策があいまって、商品作物としてのトウモロコシ栽培が促進された(このトウモロコシ畑をファームと呼ぶ)。 この政策は人口密度の低い北部州で重点的に展開され、化学肥料を使ったハイブリッド種トウモロコシの栽培を広く奨励する一方、この地域の土地を区画して入植者を募り、大規模な商業的農場を建設する計画が実施された。 この影響として、男性が農耕に費やす時間は飛躍的な増大を見せた。 女性は従来の焼畑農業の活動と家事で忙しいので、ファームに係わる時間の余裕がない。 1984年に、ある男性が農耕活動にかけていた時間は、ほんの1時間弱であったが、1992年の農繁期には、ファームでの農耕活動に5時間以上も費やしている。 こうして、男性が大規模なファーム耕作を行い、女性は焼畑農業を続けるという二本立ての生計ストラテジーが成立した。 また、現金の重要性の増加に伴って、それぞれの世帯の生計における男性労働力が以前よりずっと重要になっていった。 さらに、早くからファーム耕作に着手した世帯はかなり大きなファームを開墾し、現金やトウモロコシなどを報酬として他世帯の人々を雇うようになる。 この雇用労働に参加するのはおもに女性であった。 ファーム化政策は男女の雇用関係を生み出したのである。 このザンビアの例のように、アフリカにおける農業の近代化政策と貨幣経済の浸透は、男女間の権力関係を生み出した。

上記二つの農業の側面に限定した考察から、サハラ以南アフリカでは、伝統社会、近代化政策のいずれのフェーズにおいても男性が権力を獲得していることがわかる。 いずれも人々の生活環境を大きく変えるような重要な歴史的出来事であり、それをきっかけとして、一般市民レベルの男性が権力を増幅しているということである。 ザンビアの例は政府による上からの政策であるが、「第一章、開発研究の歴史的流れと女性の視点」に記したように、開発援助も男性にとっては権力を増幅させるきっかけとなる出来事だったのだろう。 1970年代に開発路線が変更され、今後、国際的な潮流から女性の視点が入るようになっていくだろうから、男性の権限増幅のチャンスはなくなっていくのかもしれないが、そうだとすれば、これは男性の権力獲得の歴史から見ても大きな変化である。 現在のWID/GADアプローチの流れが、女性の地位向上を促進し、女性の歴史を変えていくものだとすれば、その流れは必然的に、相対的に既得権益を失っていく男性にも歴史的変化をもたらすものなのである。 しかし、WID/GADアプローチが男性に与える影響について、中立的な立場から書かれた記述がはたしてあるだろうか。

第四章 援助の実際

第三章では、サハラ以南アフリカの男性の権限形成の様子を見た。 第四章では、まず実際に行われた援助プロジェクトや調査の分析から、女性の地位向上を目的とする援助が当該社会に入る時に、男性が既得権益の保持に固執するのか否かを検討したい。 次に、男性への「配慮」により、プロジェクトや調査インタビューが上手く行った事例を挙げる。

(1)男性は権力に固執するのか

《ジェラシーの逆襲》という現象

男性への「配慮」が欠落していたことに起因する弊害の事例を取りあげる。 ここでいう弊害とは、実際に援助を実施した際に、援助からの利益の配分をめぐって受入れ社会のなかで引き起こされるさまざまな摩擦・軋轢によるものである。 佐藤寛は、援助する側のロジックだけでプロジェクトをすすめると、現地のロジックと合わず、結果的にプロジェクトの効果にマイナスの影響を及ぼし、プロジェクトが妨害されることがあると述べている。 この主張は、「ポイラ村事務所襲撃事件」によって説明されている。 これは、バングラディシュのポイラ村で、貧困女性ばかりを対象に支援する外国人(日本のNGO)の援助プロジェクトに対して、その利益から排除されたと感じた村の既存の男性権力者が、不満を爆発させ事務所を襲撃することによってプロジェクトを中断させた事件である。 佐藤はこの事件から、伝統的に男女の差の大きい社会において援助プロジェクトを実施すると、援助の対象とならなかった男性側からプロジェクトが妨害される危険性があるという結論を導いている。 なお、援助の非対象グループがジェラシーを感じ妨害行為を行うことから、これを《ジェラシーの逆襲》と呼んでいる。 この事件の発生した背景を以下に説明する。

バングラディシュを中心に活躍している日本のNGOの老舗に「シャプラニール=市民による海外協力の会」(以下、シャプラニール)がある。 バングラディシュの農村ポイラは1974年にフィールドとして設定され、それ以来、シャプラニールの活動拠点としてプロジェクトが実施されてきた。 しかし、1985年4月17日、シャプラニールの事務所に賊が押し入り、日本人スタッフが重傷を負う事件が発生した。 やむなくシャプラニールのポイラでの活動は閉鎖される。 その後のスタッフの調べで、事務所に押し入った賊が実は男性権力者と強い結びつきをもっていたことが、推測されているのである。 男性権力者が間接的に妨害を行ったということである。

佐藤の《ジェラシーの逆襲》の議論では、伝統的に男女の差が大きい社会が念頭におかれているが、何をもって男女の差の大小が言えるのか。 量的な指標としては、1995年以降、『人間開発報告』で用いられているジェンダー開発指標(Gender Development Index, 以下GDI)とジェンダー・エンパワーメント測定(Gender Empowerment Measurement, 以下GEM)がある。 GDIは、基本的な人間の能力の達成度に関して、男女の格差を測定するものであり、GEMは男性と女性が積極的に経済活動や政治の意思決定に参加できるかを測定するものである。 ところが、これらの指標を決定する独立変数の中に不適切なものがあったり、各国統計の基準にばらつきがあったりするため、GDI、GEMによる100カ国以上の順位付けは疑うべきものである。 これは、同時に男女差の大小を測ることの難しさを示していると言える。 数量的に男女差を把握することが難しいため、質的なアプローチが必要となる。 そこで、プロジェクト前の女性の権力を説明するような事実を拾い上げることによって、男女差の程度をおおよそ把握するという方法をとることにする。 バングラディシュのポイラ村には、援助が入る前にはどのような男女差が存在していたのだろうか。 例えば、1974年から村に入っていたスタッフは、「村にはSN(=シャプラニール)が入るまで女性が外を歩くことはまずなかった。水汲みでも家の陰に隠れて、夕方男性たちがいなくなってからしていたくらいだから。」とインタビューで話している。 暗黙のうちに戸外での女性の行動が制限されていたという点から、元来、ポイラ村においては、特に生活を営む上での行動範囲に関して男女各差が大きかったという背景が考えられる。

ここでは、佐藤の議論が援助に限定されたものであることをおさえておかなければならない。 妨害が発生したから、プロジェクトは失敗し、この地域の開発は失敗したのだという判断は開発援助独特のものであり、当該社会を理解する上では、妨害援助が社会に与えた影響をアカデミックに、より長期的に研究する必要もまたある。 なぜならば、プロジェクトの妨害が発生したことが、長期的には当該社会にプラスの影響を与える場合もあるからである。

男性はなぜ権力に固執するのか

男性権力者が権力やプライドを保持するために、援助プロジェクトの妨害を行った事例を挙げたが、男女の権力差のあるポイラの村で、男性はなぜ権力に固執し、女性が力をつけることを疎ましく思ったのか。 食糧問題研究者のラッペ(Frances M. Lappe)らは権力構造の観点から、男性が権力に固執する心理を説明している。 「女性に対して支配力を振るう男性たち自身もしばしば従属的な集団の一部を成しており、収入をもたらす資源への権利をほとんどあるいは全くもっていない」ことがあり、「貧しい男性たちが生産的な仕事によって自尊心を保つことを拒まれており、家族に対して責任を果たすために必要な資源の利用も拒まれている限り、彼らが(その代償として)、女性に対して優越的な力を振るうことにいっそう固執するというのはありそうなことである」というのだ。 ポイラ村の事件では、ある女性が男性権力者の反感を買ったと推察されているので、彼らがラッペのいう「貧しい男性たち」にあてはまるとは言いがたい。 しかし、途上国の村であることから権力者といっても、自分の権力を誇示できるような資源を必ずしも持っていたとは限らない。 また、外国からの援助が、男性に生産的な仕事を保つことを阻まれたと感じさせるよう機能したと考えることはできないだろうか。 男性権力者は、村の発展に対して責任を果たすことのできる存在であり続けることを望んでいたのに、援助によってそれを拒まれかけた。 女性を対象とする援助プロジェクトが男性の権力への固執の原因となっていたという解釈である。

しかし、他方には男性の権力への固執が見られず、援助プロジェクトが男性の文化的な性別役割のパターンを変化させたフィリピンの事例もある。 女性が経済的に力をつけ、工場で働くようになると、それまで女性の役割とされてきた育児・家事を夫が行うようになったのである。 また、男性は町で仕事が見つからないと村に戻り、収入につながるという理由で、それまでは女性の仕事と考えられていた編み物を始めたというのである。 女性の経済的自立支援プロジェクトは編み物による収入向上を助けるものであった。 この援助が間接的ではあるが、ジェンダーによる男性の仕事の内容を変化させたのである。 この男性たちに権力への固執は見られない。

この二つの事例を比較して、バングラディシュのポイラ村の方が、フィリピンの事例に挙げられた村よりも、元来、男女間の主従関係が強固なものであり、権力差が大きかったのだろうと想像することは容易である。確かに、バングラディシュの社会には、コミュニティの頂点に立つボス(=男性)が強権であるという特徴がある。 援助に関する事例報告の蓄積にこの男女の権力関係が含まれていれば、援助実施前の調査の段階で、各地域における男性への「配慮」の内容を具体的に設定することもできるのではないか。

フィリピンの事例はまた、別の重要な点を示唆する。 男女が互いに補完しあう関係を持っているということである。 男女の役割分担は固定的なものではなく、例えば男性が仕事を遂行できない状況に置かれた時に、女性がそれを補うことも実際よくある。 ジェンダー・アプローチによって無理にでも男女の役割を二分し、それに沿った援助を実施することは、当該社会で培われた男女の役割の補完機能を壊す危険性も持ち合わせている点、注意が必要である。

(2)男性への「配慮」の実際

男性への説明により、プロジェクトが上手く行った例

男性への「配慮」の必要性を訴えることを論文の目的としてきたわけだが、ここでジェンダー平等のための援助プロジェクトを実施する際に、男性への説明を行ったことがプロジェクトの成功の主要因の一つであるというケニア西部、ニャンザ州キスム県キスム市の女性事業開発(the Women Enterprises Development:WED、以下WED)のプロジェクトを取り上げる。 ここで、先に言っておくべきことは、WEDがケニアの有限会社であり、WEDによって実施されているプロジェクトは、外国が計画立案し、実施した援助ではないということである。 ケニアでは、1963年の独立以来、政府の政策枠組みの中で開発と女性分野は一貫して前進を遂げてきた。 例えば、1975年、文化福祉省(Ministry of Culture and Social Service)の中に、女性問題担当局(Women’s Bureau)が設置されている。 また、ケニア国内には、3万以上を数える女性グループが存在し、アフリカの中でも特に女性の活動の盛んな国であるといえる。 さて、WEDの目的の一つは、低所得層の女性をケニアの正式な市場システムに参加させていくことであり、そのための資金貸付プロジェクトを行っている。 このプロジェクトの対象は、零細事業を営んでいる女性事業主をもつグループである。 ケニアの開発コンサルタント、メーニャは次のように言っている。 「これらの女性事業主の6割は既婚者であり、その夫がプロジェクトを支持したことは大変重要でした。 プロジェクトの目的および目標が、プロジェクトの実施当初から妻だけでなく夫にもよく説明されていたことに加え、正式担保の形で土地を抵当に入れる必要がないことも夫の全面的支持を勝ち得た要因です」。 メーニャの言うように、プロジェクト実施当初からプロジェクトの目的、目標が男性にも十分に説明されたことが、プロジェクトの成功を導いたのである。

ただし、他の要因として、このプロジェクトが理想的なボトムアップ式に近い援助であることをふまえ、先述の「ポイラ事件」が、外国からの援助ゆえに援助側と社会との間に摩擦が生じやすかったのだという説明もできる。

WIDに関するインタビューが上手く行った例

高澤佐紀子は、JICAのパキスタン看護教育プロジェクトのWID事後評価をするためにパキスタンで調査を行っているが、現地での男女へのインタビュー実施に際して「男女の社会的状況がかなり異なるパキスタンの状況を考えれば、本調査団が男女混成のチームであったことが良かったと思われる」と言っている。 調査団が男女混成チームであったために、プロジェクト自体はWID案件であったが、「WIDは女性のみを対象にしているので女性がやればいいものだ」「WIDはフェミニズムだ」と思っている男性に「不必要な警戒心を持たれることがなかったように感じられた」という。

雇用機会均等における男性への「配慮」

最後に、これは援助プロジェクトではないが、南アフリカにおいて、男女の雇用機会均等(Employment Equity)に長く携わってきたパーソード(Saro Persaud)が、男性「配慮」の必要性とその難しさについて述べているので、それを取り上げたい。 パーソードは、それまで既得権益を保持していた集団とそれまで不利益を被ってきた集団、両方の権利の保障(security)への要求の対処にあたり、どのようにバランスをとるかというジレンマに陥る点を指摘している。 この場合、両方を完全ではないが、それなりの程度、満足させる対処方法が要求されるという。 そして、実際に両者の権利の保障と正当性を保つ対処法を取り得たというのである。 パーソードの示す解決の過程を、ジェンダー平等を目的とする援助プロジェクトの実施に置き換えて、男女双方の権利の保障と正当性への要求というジレンマにぶつかりながらも、実際に両者を満足させるような対処ができると捉えることはできないだろうか。

パーソードは、雇用機会均等の成功の鍵は、既得権益者が、それによってメリットを得ることができると確信することであると言っている。 具体的に言うと、女性やその他のマイノリティ・グループを雇うことにより、雇用者や同僚が得をするのだという方向に持っていくように務めることとなる。 また、パーソードは経験から、以下のような指摘をしている。 (1)それまで既得権益を保持していた人々の過去を責めない。 権力構造を形成したのは昔の人であるということと、現在、彼(女)らがどのように権益を得ているのかを客観的に理解させることで、彼(女)らが保守的(defensive)になることが避けられる。 (2)彼(女)らに、引き続き、自分の権利が保障され、正当性が保持されるのだという安心感を与えることにより、他の人々のニーズに耳を傾ける余裕と、新しい考え方に対する寛容さを引き出すことができる。

援助の場面においても、既得権益を保持してきた男性に対し、パーソードの指摘するような工夫、「配慮」を示すことが必要である。 しかし、先述の実際的ジェンダーニーズに着目し、男性に女性を取り入れて行くことが、社会全体に経済的な利益をもたらすという説明が可能であっても、実際に男性を「配慮」し、パーソードの言うように彼らの意識を変えようとするならば、それはかなり困難なことだろう。 だからこそ、この部分の研究が今よりも重点的になされるべきである。

結論

ここまで、女性の地位向上を目指す援助プロジェクト実施とそのためのジェンダー研究、男性への「配慮」と男性研究の重要性について述べてきた。 私の男性への「配慮」の主張は、女性研究が十分に確立された後で出てくるものではなくて、女性研究のより一層の充実への努力と並行して行われるべきもの、あるいは、その一環として行われるべきものと考えている。 しかし、現在の「ジェンダー」という言葉の持つ意味合いはフェミニスト理論の延長線上にあるもので、男性研究も含めた「ジェンダー研究」の構築のためには、「ジェンダー」の定義を男性も含めた形に改めるか、あるいは、男性への「配慮」を示す新語をあてることにより強調するくらいが良いのかもしれない。

ジェンダーに限らず、社会の権力構造に介入する援助プロジェクトに共通した課題は、非対象グループである権力者側の抵抗にある。 南アフリカの雇用機会均等の場合、単にそれが雇用の上での平等を達成できるという目標を持つだけではなく、雇用機会均等がアパルトヘイトの傷痕を癒すことにも寄与するだろうという大きな効果が期待されている。 ジェンダー平等のための援助も同様に、女性が男性と同じ地位を獲得していく作業ではあるが、はたして社会の持つ既存の権力構造(障害者、子ども、高齢者などの社会的弱者、貧富の差、さらには地球規模の南北格差など)を変えることができるのかという、開発援助の究極的な課題への挑戦をも含むものなのである。 したがって、開発援助におけるジェンダーの枠組みは、現在のように単にフェミニズム理論の延長線上にとどめておくべきものではない。 本稿は、既得権益を保持してきた男性の視点も含んだ、より広い範囲の「ジェンダー研究」の構築を強く求めるものである。

参考文献

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謝意 (あとがきにかえて)

卒論を作成するに当たり、資料のアドバイスと貴重なコメントをいただきましたお茶の水大学ジェンダー研究センターの伊藤るり先生、日本福祉大学の生江明先生、DWMLの野田直人さん、関西大学の久保田真弓先生、慶應義塾大学経済学部の高梨和紘先生、ウェールズ大学のDr. Rita Abrahamsenと友人のChristiane Seitzに、また、私がこのテーマに興味をもつきっかけを提供してくださったアジア経済研究所の佐藤寛さんに、感謝の気持ちを伝えたいと思います。 そして、井上一明先生、矢澤達宏さん、研究会のみなさん、様々なアドバイスをいただき、どうもありがとうございました。

� 援助 : ある途上国社会に対して、「特定の方向への変化を促すことを意図して行われる、外部からの介入」。佐藤寛 『援助研究入門―援助現象へのアプローチ』 アジア経済研究所、1996、6頁より引用。本稿では、具体的には、政府レベルの二国間援助、国際機関を通じた他国間援助、非政府組織(NGO)による市民レベルの援助など援助全般を想定している。

開発 : 社会生活の質向上や経済成長(農業や製造業といった各経済部門の成長)をめざした主体的な取り組み。望月克哉、「第X章 開発と援助」、 小田英郎 編 『国際情勢ベーシックシリーズ4―アフリカ』 自由国民社、1996、275頁参考。

� 「権力」の便宜上の定義を、R.A.ダールのいう影響力、支配力としておく。本稿では、特に教育、雇用、資産や土地所有の機会の有無、程度を、権力の大きさをはかるものさしとして想定している。

� 「ジェンダー」の詳しい概念については、キャロライン・モーザ(久保田賢一、久保田真弓 訳) 『ジェンダー・開発・NGO:私たち自身のエンパワーメント』 新評論、1996、参照のこと。

� ジョーン・W・スコット(荻野美穂 訳) 『ジェンダーと歴史学』 平凡社、1992、54頁。

� 伊藤るり(お茶の水女子大学ジェンダー研究センター)、国際開発センター2000年度 プロジェクト・マネジメント・コース『社会開発:参加型開発プロジェクトとジェンダー』、レジュメ、用語集。上野千鶴子 『「セクシュアリティ」の近代を越えて』 岩波書店、1995、他。

� 伊藤、前掲レジュメ、1頁。

� 西川、前掲書、「第一章 社会開発の理論的フレームワーク」。BHNへのパラダイムシフトについては2~10頁。

� 佐藤、前掲書、110頁。

� Easter Boserup, Women’s Role in Economic Development, London : Earthscan Publications, 1970(『経済開発における女性の役割』) アフリカ女性の農業労働における負担を初めて明らかにした本だが、30年間前の研究であるため、現代のアフリカ女性にあてはまるとは言い難い。

� 伊藤によると、1975年の世界女性会議で採択された世界行動計画が、各省庁の所轄分野にとらわれない他部門的機構を政府内に設置することを各国政府に勧めている。この機構はすべてのレベルと領域における女性の実態を調査し、必要な政策を立案するための勧告をしなければならない。

� 国際女性法研究会 編 『国際女性条約・資料集』 東信堂、1993、「年表 国際社会と女性の地位」 参照。

� スコット、前掲書、55頁。

� スコットは、以下のように言っている。

「こうした困難は、歴史学という特定の既存のパラメーターのなかで研究をおこなおうとして女性史が遭遇したある種のディレン

マに、はっきりと現われている。(中略)事実、女を個別に取り扱うことは、すでに普遍的で権威ある主題として確立している(男

性的な)主題にたいして、女たちが周縁的で特殊な関係にあることを確認するのに役立つ可能性さえあった。」 18頁。

� 高澤左紀子 「第三章、小規模社会開発プロジェクト評価の事例H」、アーユス「NGOプロジェクト評価法研究会」 編 『小規模社会開発プロジェクト評価』 国際開発ジャーナル、1995、102頁。「プロジェクトの主要参加者」「受益者」も明記されている。主要ターゲット・グループに女性が多いと、WID案件に分類される。詳しくは、104頁。

� 佐藤、前掲書、「第4章 開発援助と社会学」、114~164頁。佐藤の議論を支える具体的事例は、第四章、《ジェラシーの逆襲》という現象、参照のこと。モーザ、前掲書、27~28頁も参照。

� 本稿では、女性の地位向上を目指す開発援助プロジェクトと同義とし、男女の権力・権威が平等になることが主要目的に含まれるプロジェクトを指す。

� Amartya Sen, “PartⅡ Rethinking Women in Development, From WID to GAD: Conceptual Shifts in the Women and Development Discourse”, United Nations Research Institute for Social Development (� HYPERLINK http://www.unrisd.org/engindex/publ/list/opd/opd1/opd1-04.htm ��www.unrisd.org/engindex/publ/list/opd/opd1/opd1-04.htm�)

� ただし、アフリカに特徴的な状況として、男性の都市への出稼ぎに行き、女性は農村に残って世帯主となる場合もあり、男女が離れて共に生活していない状況も考えられる。アフリカには限らず、世帯主に着目し、説明してある本は多い。モーザ、前掲書、43~46頁や、早瀬保子 『アジアを見る眼97 アフリカの人口と開発』 アジア経済研究所、1999、124~128頁など。

� モーザ、前掲書、21頁。

� 伊藤、前掲レジュメ、用語集より抜粋(GADも)。

� 「社会開発に関する用語解説」『OECFニューズレターNo.63』、1998、6月号より抜粋(GADも)。

� モーザ、前掲書、21~23頁。

� 西川、前掲書、150頁。また、西川のWIDの説明は以下のようになる。

「WIDアプローチはその焦点を「公正」(equity)から「効率」(efficiency)に移してはいるが、その理論的根拠は、非生産的な

状態に置かれている女性を開発過程に統合することによって、開発過程そのものがより効率的になることにある。したがって、

そこでは女性が統合される上で欠いている生産資源(信用を含む)や雇用へのアクセスを高めることが、政策や開発計画の問

題となる。」

� 例えば、Ann Whitehead, Matthew Lockwood, Gender in the World Bank’s Poverty Assessments: Six Cases Studies from Sub-Saharan Africa, UNRISD : 1999、参照。

� 西川、前掲書、153頁より引用。

� 資料1・2、JICA国際協力総合研修所 『国総研セミナー-各援助国の「開発と女性」への取組み-』 1991、50~76、資料1・2。「USAID 性別情報枠組み(Gender Information Framework)ポケットガイド」、JICA 『分野別(開発と女性)援助研究会報告書』、217~225頁。

� 「参加型開発」については、ロバート・チェンバース(野田直人、白鳥清志 監訳) 『参加型開発と国際協力:変わるのはわたしたち』 明石書店、2000や、ロバート・チェンバース(穂積智夫,、甲斐田万智子 監訳) 『第三世界の農村開発:貧困の解決・私たちにできること』 明石書店、1995、参照のこと。

� � HYPERLINK http://www.undp.org/gender/programmes/men/men_ge.html ��www.undp.org/gender/programmes/men/men_ge.html�、参照。

� Bengt Estabornが男性に着目したジェンダーに関するウェブページのリストを公開しており、これも大変興味深いものである。(Gendering men – shared concern, Selected sites on the Internet about “male involvement” � HYPERLINK http://www.qweb.kvinnoforum.se/papers/maileinvoive.html ��www.qweb.kvinnoforum.se/papers/maileinvoive.html�)

� A. Greig, M. Kimmel and J. Lang, Men, Masculinities and Development, UNDP/GIDP Monograph#10, 2000. (� HYPERLINK http://www.undp.org/gender/programmes/men/men_ge.html ��www.undp.org/gender/programmes/men/men_ge.html�からダウンロード。)

� Ibid., p.3. (pdf file)。訳筆者。

� 社会の構成員・関係性を決定づけるものとしては、貧富の差、職種など他にもたくさん存在し、実際に特定の国、社会を研究する際には、それらも含めなければならず、この点を軽視しているわけではないが、本稿では取り上げない。

� 例えば、貧富の差について、裕福な研究者ほど、途上地域の中の裕福な層にまで視野を広げる傾向があるとは考え難いことから(筆者の観察の範囲)、ジェンダー研究は他の権力構造に係わる問題の研究とは、性格が異なることが分かる。

� サハラ以南アフリカにおける農耕社会や、父系/母系社会、ソロレート婚・レヴィレート婚など特徴的な結婚形態について詳しくは、和田正平 編著 『アフリカ女性の民族誌 伝統と近代化のはざまで』 明石書店、1996を参照されたい。特に、母系社会については、ジェンダー・アプローチの前提である、男女の権力関係が逆転している点に注意しなければならない。

� サハラ以南アフリカにおける男性の権限形成の特徴をまとめたというにしては、二次資料の限界から、アプローチ法が散漫なものになってしまった点を断っておく。

� ボズラップは、「ポリガミーの経済」について次のように説明している。

「ポリガミーは、伝統的な土地所有制度と農業生産方式において、経済的に有利な家族構造である。長期休閑式が支配的な

地域では若い男性が木を伐採、土地を開拓し、女性が食糧作物生産の仕事に従事する。したがって女性労働力は、耕運機

や雇用労働力などを利用する代わりに、食料生産を拡大するための重要な手段であり、妻を多数もつことはいわば経済的資

産の拡大を意味する」 pp.38~39.

� 早瀬、前掲書、105~120頁。

� 小馬徹、「9 父系の逆説と『女の知恵』としての私的領域」、前掲『アフリカ女性の民族誌 伝統と近代化のはざまで』、299頁より引用。例えば、J.H.Driberg, “the Status of Women among the Nilotics and Nilo-Hamitics”, Africa, 5(4) : 523~46頁。

� 小馬、前掲書、312~313頁より引用。小田亮 「『男性優位の普遍性』再考」 『人間科学』、桃山学院大学、1992、3:143~157頁、参照。

� ザンビアにおける構造調整計画については、大月隆成、「第ⅠⅤ章 構造調整の時代」、前掲『国際情勢ベーシックシリーズ4―アフリカ』、107~111頁。

� 杉山祐子、「3 離婚したって大丈夫 ―ファーム化の進展による生活の変化とベンバ女性の現在」、前掲『アフリカ女性の民族誌』、91~98頁。また、生江明は、東南アジアの農村社会について、農業開発で機械化が進む時、男性が機械を使い、女性が家庭内に追いやられる可能性があることを指摘し、機械化の社会への影響を憂慮している。JICA 『開発と女性国際セミナー報告書 フィールドからの報告に学ぶ女性の参加を高める協力』 118頁。

� 佐藤、前掲書、132~144頁。

ジェラシー(うらやみ、ねたみ) : 「援助プロジェクトが入ることによって、その便益が自分たち以外のだれかのところに集中していると感じた人々がその状況の変更を望むこと」さらに「自分たちに有利なように状況を変更したいと考えること」

� シャプラニール活動記録編集部 『シャプラニールの熱い風』 めこん社、1989、298~316頁。「ポイラ村事務所襲撃事件」は本書の中では、「四・一七事件」と呼ばれている。

� 例えば、GDIを決定する項目には男女の「平均余命」があるが、男女の平均余命の差は生物学的な違いによるものであり、ジェンダー不平等をはかる指標として不適切ではないか。 また、GEMを決定する項目の一つである「国会議席数のうちの女性の占める割合」を数値化することはできても、その指標だけでジェンダー差の大小を比較することはできない。実際、これらの批判は受けている。 GDI/GEMに見られるアフリカ諸国のジェンダーの特徴は、早瀬、前掲書、110~111頁参照のこと。

� シャプラニール、前掲書、305頁より引用。

� 伊藤るり教授のアドバイスを参考にさせていただいた。

� フランシス・ムア・ラッペ、レイチェル・シュアマン(戸田清 訳)、「第三章 権力構造の観点」『権力構造としての「人口問題」:女と男のエンパワーメントのために』 新曜社、1998、40~41頁より引用。ラッペは、この男女の権力構造を、第三世界の人口増加の原因の一つとして説明している。女性の男性に対する従属が、出生率を上昇させる社会的要因の一つであるという。子供の多さは、扶養家族を養っていくのに十分な収入を得ているという証であり、男らしさを示すものであることから、男性は女性にたくさん子供を生ませることになるのである。

� レメディオス・リケン、「事例報告 女性のための戦略的生産向上プログラムの誕生」、前掲『開発と女性国際セミナー報告書』、30頁。

� マーサ・メーニャ、「事例報告 女性グループを通じた資金貸付計画」、前掲『開発と女性国際セミナー報告書』、44頁より、引用。

� 高澤、前掲書、109頁。

� Saro Persaud, Questions, Dilemmas and Reflections about Implementing Employment Equity, University of Cape Town : 1999. (� HYPERLINK http://www.uct.ac.za/org/agi/papers/equityp.htm ��www.uct.ac.za/org/agi/papers/equityp.htm�)

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