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215 現代ジャワ語話者の若者における敬語使用の変化 ―ジョグジャカルタ市ガジャマダ大学学生のケーススタディ― Changes of the Honorific Use in Contemporary Javanese Young Speaker —A Case Study of Gadjah Mada University Student in Yogyakarta— Elyzabeth Esther Fibra SIMARMATA エリザベス エスター フィブラ シマルマタ The Japanese, Javanese, and Korean languages have been known as three of the most developed languages in the world which use an honorific system. The Javanese language is known as one of the languages of those three mentioned which has complex norms of honorific. This honorific system, namely Krama, is used as a tool to express politeness (formality) or to pay tribute at many different levels in daily life. However, these days, it is pointed out that there is an increase in the number of Javanese young speakers who are not able to use Javanese honorifics and there is a tendency to avoid the use of honorifics among them. This situation motivates the following research. The survey in this research was conducted in Yogyakarta, known as a province in Indonesia in which the young speaker citizens mostly use the normative honorific system. The young speakers surveyed in this study are limited to students of Gadjah Mada University which is acknowledged as having the highest level of education among universities in Indonesia. Young Javanese speakers are selected as the sample of this research because they represent intellectuals considered not being able to use Javanese normative honorific system properly. This research reveals what kind of changes are in the honorific use among young Javanese speakers and how those changes stimulate a new style and a new concept of honorific system from sociolinguistic point of view. Abstract 現代ジャワ語話者の若者における敬語使用の変化 ―ジョグジャカルタ市ガジャマダ大学学生のケーススタディ―

現代ジャワ語話者の若者における敬語使用の変化repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/81197/1/lacs020013.pdfunggah-ungguh ing basa the relative values of language

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現代ジャワ語話者の若者における敬語使用の変化

―ジョグジャカルタ市ガジャマダ大学学生のケーススタディ―

Changes of the Honorific Use inContemporary Javanese Young Speaker

—A Case Study of Gadjah Mada University Student in Yogyakarta—

Elyzabeth Esther Fibra SIMARMATA

エリザベス エスター フィブラ シマルマタ

The Japanese, Javanese, and Korean languages have been known as three of the most developed

languages in the world which use an honorific system. The Javanese language is known as one of the

languages of those three mentioned which has complex norms of honorific. This honorific system,

namely Krama, is used as a tool to express politeness (formality) or to pay tribute at many different

levels in daily life. However, these days, it is pointed out that there is an increase in the number

of Javanese young speakers who are not able to use Javanese honorifics and there is a tendency to

avoid the use of honorifics among them. This situation motivates the following research.

The survey in this research was conducted in Yogyakarta, known as a province in Indonesia in

which the young speaker citizens mostly use the normative honorific system. The young speakers

surveyed in this study are limited to students of Gadjah Mada University which is acknowledged

as having the highest level of education among universities in Indonesia. Young Javanese speakers

are selected as the sample of this research because they represent intellectuals considered not being

able to use Javanese normative honorific system properly.

This research reveals what kind of changes are in the honorific use among young Javanese

speakers and how those changes stimulate a new style and a new concept of honorific system from

sociolinguistic point of view.

Abstract

現代ジャワ語話者の若者における敬語使用の変化―ジョグジャカルタ市ガジャマダ大学学生のケーススタディ―

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216 エリザベス エスター フィブラ シマルマタ

1.はじめに

 インドネシアの社会は 490を超える民族から成り立っており、それぞれの文化や習慣、考え方も異なっている。国内では、500以上の言語が話されており、そのうち 14の言語は話者人口が 100万人を超える(Sneddon, 2003:197-8)。多民族国家であるインドネシアでは、公用語であるインドネシア語のほかに地方語(民族語)も使われており、二言語話者 bilingualが多く見られる。ジャワ語も、インドネシアの国語として定められるインドネシア語に対して、地方語という位置に立っている。 ジャワ語は、日本語や朝鮮語などと並んで、敬語体系が発達している言語として知られており、複雑な敬語の規範を持っている言語とされる。日々の生活において、様々に異なったレベルで丁寧さと敬意を表わす道具として敬語が用いられている。 しかし現在は、ジャワ語の敬語を使用できなくなる若者が多くなり、また、敬語の使用を避ける若者たち

が増えているなど、ジャワの若者の敬語離れが指摘されている。 この背景に基づいて、本論文では、複雑な敬語の規範を持つ言語として知られるジャワ敬語が現代の若者によってどのように使用され、また変化していくのかを社会言語学的視点から明らかにすることを目的とする。本稿では、現地調査から明らかになった点を分析し考察していく。

2.先行研究 2-1.ジャワ語の語彙レベル

 インドネシアのジャワ語の研究者 Soepomo

Poedjosoedarmoら(1979)は、ジャワ語の語彙レベルを四つに分けている。その中で、三つは話し手と聞き手との間の「丁寧さ」formalityと関係するものを指す。一つ目は、Ngokoンゴコの語彙である。ンゴコは丁寧ではない、インフォーマルな語彙を指す。親しい関係のある人にのみンゴコが使われる。ンゴコは敬意を表わさない。他の語彙は数が限られているのに対して、ンゴコの語彙だけは全ての概念に登場することができる。 二つ目は、Madyaマディオの語彙である。マディオは準丁寧、準フォーマルな語彙を指す。相手に中間的な丁寧さを表わす必要があるという場合、例えば、距離のある近所の人や年上の親戚などに対してマディオが使われる。 三つ目は、Kramaクロモの語彙である。クロモは丁寧、フォーマルな語彙を指す。マディオよりも相手により敬意を表わす必要があるときに使う。普段は距離のある人や年輩者に対して使われている。 四つ目は、Krama Inggilクロモインギルといい、例外に置かれ、特別な語彙として見なされる。クロモインギルの語彙とクロモの語彙を組み合わせて使用すると、高度の敬意を表す機能を持つこととなるが、上述の Soepomo Poedjosoedarmoらは、クロモインギルの語彙は丁寧さを示さないものと見なされるため、クロモインギル体は存在しないと断言している。

目次 1.はじめに 2.先行研究  2-1.ジャワ語の語彙レベル  2-2.ジャワ語の発話レベル  2-3.ジャワ語の教育 3.調査の概要  3-1.調査地  3-2.調査の方法 4.調査結果  4-1.アンケート分析(問 1~問 4) 5.考察  5-1.ジャワ敬語使用の減少   5-1-1.教育の問題  5-2.新敬語の出現   5-2-1.簡素化したクロモ、クロモ・ルマ   5-2-2.インドネシア語へのコードスイッチング 6.おわりに

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しかし、本論文では、ジャワ語の語彙については目的ではなく、ジャワ語で敬意の表わし方が表現できるということに注目したい。つまり、敬語規範について調査を行い、その敬語規範は、ジャワ語の発話のレベル(階層)と関連する。

 2-2.ジャワ語の発話レベル

 ジャワ語の発話のレベル(階層)はジャワ語で、unggah-ungguh ing basa the relative values of languageと呼ばれ、政治的、経済的な力関係など、社会的位置に応じて話し手と聞き手の間で使われる、ジャワ語話者の社会的様式として捉える。発話のレベルは、インドネシア語では tingkat tuturと翻訳される。Soepomo

Poedjoesoedarmoらは tingkat tuturについて「ことばの多様なバリエーションであり、バリエーション間の相違は、話し手が聞き手に対してどのような待遇意識を持つかによって決定される」と定義している(1979:3)。 ここで注意したいのは、発話のレベルにおけるンゴコ体、マディオ体、クロモ体は、語彙レベルにおけるンゴコ、マディオ、クロモとは異なるので区別しなければいけないということである。発話の階層は、敬意を表わすためのコードシステム code systemである。そのコードシステムが特定の語彙、特定の構文、特定の形態、特定の音韻の要素を持っている。一方、語彙レベルとは各レベルの中で、同じ意味や同じ丁寧さを持つ語彙を指す。例えば、文章の中でクロモの語彙を多く用いることによって、文章全体がより丁寧になり、発話の階層からみれば、クロモ体の形をとっていると見なされる。 発話のレベルは、Ngokoンゴコ、Madya(マディオ)、Krama(クロモ)三つの部分に分けられる。ンゴコは丁寧さが低い、マディオは中間的に丁寧、クロモは非常に丁寧と一般的に定義されているが、実はこれらの三つは、更に大きく二つに分かれるとされる。一つ目はンゴコ(丁寧ではない話し方)、二つ目はクロモとマディオの両方を丁寧な話し方として見なし、ボソbasa と い う(Soepomo Poedjosoedarmo,et al. 1979:8)。

この関係は、次のような図で説明できる(スリ・ブディ・レスタリ 2010:24)。

現代ジャワ語話者の若者における敬語使用の変化―ジョグジャカルタ市ガジャマダ大学学生のケーススタディ―

 発話の階層を理解するために、まずはジャワ語のンゴコ、マディオ、クロモの枠の語彙と発話の階層と区別する必要がある。Soepomo Poedjosoedarmoらは、発話の階層をスピーチレベル speech levelと見なす。つまり、ジャワ語のスピーチレベルは「丁寧さ」formalityの度合と話し手が聞き手に対して感じている敬意の度合を表すと述べている。このスピーチレベルは社会的変種 social dialectとは区別すべきであると注意している。なぜなら、社会的身分や階層や方言の所属に関わらず、ジャワ語母語話者全員がこれを用いているからである。 次に、丁寧さの度合(順)によって分類される発話の階層を三つの体それぞれについて述べる。

1.Muda Krama

  Krama i(非常に丁寧な話し方)   2.Krama Antara

3.Wreda Krama

1.Madya Krama

  Madya(中間的に丁寧な話し方) 2.Madya Antara

3.Madya Ngoko

1.Basa Antya

  Ngoko(丁寧ではない話し方)  2.Antya Basa

3.Ngoko Lugu

 まず、ンゴコ体について述べる。ンゴコ体は、話してと聞き手の間に距離がないことと示す。つまり、相手に対して話者が遠慮せず、敬意を表す必要がない。そのため、相手に対し親しい関係を持つことを表わす

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のにンゴコが使われる。また、社会的に地位の高い人が社会的に地位の低い人に対しよく使う発話の階層となる。例えば、家主が家政婦に対して、教師が学生に対して、両親が子供に対して、夫が妻に対して、年上の兄弟が年下の兄弟に対してなどの場合、ンゴコで表現するii。あるいは、怒るとき、痛みを感じるとき、感情的に極めて厳しい状況になるときなどにも、ンゴコを使う。お互いに親しい関係を持ちながら、敬意をある程度表わしたいというときは、丁寧なンゴコBasa Antya、Antya Basaが使われる。例えば、親しい関係を持つ公務員たちが会話しているときなどである。 次にクロモ体について述べる。クロモ体は、非常に敬意を表わす体である。この発話の階層は、相手があまり知らない人、あるいは、自分より社会的に高い地位を持つ人、貫禄のある年輩の人などに対して、非常に遠慮を持って敬意を表したいときに使われる。例えば、学生が教師に対して、部下が上司に対して、家事労働者が家主に対して、嫁が姑に対してなどの場合にクロモを使う(実際に日常では、Krama AntaraとWreda Kramaが使われなくなったため、現在はクロモを使うといった場合、Muda Kramaを使うことを意味する)。また、場合によって、相手が自分より若いが、あまり知らない人で、しかも社会的地位がかなり高い人だと思われる場合に、クロモを使うこともある。インドネシア独立前の上流社会では、礼儀正しく行儀の良い人になるために、小さい頃から子供は親に対してクロモを使わなければばらないと厳しくしつけられた。学校において教師たちは、家庭でクロモをきちんと教育されている子供の方が、学校でも非常に礼儀正しいという評価を持っていたという。しかし、現在、子供は親に対してクロモを使うべきだというしつけにこだわらない家庭がますます増えていると Soepomo

Poedjosoedarmoら(1979)は述べている。その理由は、親と子供の間により親しい関係、近い距離を求めているからである。そのため、家でクロモを使う必要がなくなる。このような説明から、クロモは敬意を表わしながら、礼儀正しいというニュアンスも現れることが

分かる。クロモは話し手と聞き手の間に距離があることを示すので、相手に図々しく接することができないという。 最後に、マディオ体について述べる。マディオ体は、ンゴコ体とクロモ体の間にあり、クロモほど敬意を表わさず、中間的な敬意を表わすときに使われる。マディオ体はクロモ体の最初の踏み台と見なされるが、徐々に三つの階層に発展した。つまり、ンゴコの方に下がっていくか(丁寧ではなくなる方)、クロモの方に上がっていくか(丁寧になっていく方)の過程で動いている。そのため、マディオ体は中間的な存在だと考えられる。マディオ体を用いる相手はクロモ体ほど高く敬意を表わす必要はないが、礼儀正しく接しなければならない。例えば、礼儀正しく接するべき村の人たちに対しては、マディオ体を使えば良い。あるいは、クロモ体を使うほどではないがある程度敬意を表わした方が良いと思う職場や学校の仲間などに対してもマディオ体が使われる。他にも、事務の課長が村から来た仲間に対して、家の庭に草刈をする人に対して、社会的に地位の低い人だが年齢的には非常に年輩の人に対してなどの場合、マディオ体がよく使われている。

 2-3.ジャワ語の教育

 現在、ジャワの子供は小学校の 4年生から高校 3年生まで、必修科目として週 1回 2コマ、ジャワ語の授業を受けなければならない。インドネシアでは、小学校の段階から、カリキュラムの中でMULOK(Muatan

Lokal)と呼ばれる地方の枠の授業を受ける。実は、2005年までは、高校ではジャワ語(ジャワ文学も含む)の授業はなかった。しかし、2004年にスマランで行われた第 3回ジャワ語学会の中で、中学校卒業後、学生たちのジャワ語に対する知識と話す能力が衰えることが指摘されたため、ジャワ語の教師たちは、ジャワ語を高校まで教えるようにすべきであるという提案を中部ジャワ州の地方政府に出した。 2005年のはじめにこの提案が中部ジャワの地方政府に認められ、2005年 2月 22日に中部ジャワ州知事

エリザベス エスター フィブラ シマルマタ

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令第 895.5/01/2005号で、ジャワ語は小学校から高校まで教えなければならないこととなった。ジョグジャカルタ特別州もこの提案に賛成したが、新しいカリキュラムを作るのに一年間もかかったため、結局高校でジャワ語を教えるようになったのは、2006年の2月(新学期)からとなる(Karno Ekowardono 2006:

361)。 しかし、中学校から高校までのジャワ語カリキュラムの中では、ジャワ語教育といってもジャワ言語自体の教育がほとんど含まれていないことが問題として指摘される。実は、中学校から高校までは、ジャワ語よりもジャワ文学やジャワ文化(伝統的な詩、散文、童話など)の科目が中心となっていることが明らかとなった。ジャワ語の文法、文型、敬語体系や規範などについて正式に教わるのは、小学校のときのみである。

3.調査の概要 3-1.調査地

 ジョグジャカルタ特別州 Daerah Istimewa Yogyakarta

(D.I.Yogyakarta)はインドネシア共和国の中部ジャワJawa Tengahの南岸に位置する州である。人口は約350万人で、面積は 3,185km²である。この地域に住んでいるインドネシア人はほとんどがジャワ民族(約90%)であるため、使用される言語としてインドネシア語の他にジャワ語も用いられる。 ジョグジャカルタ特別州は 4県と 1市に分かれている。農村部のスレマンSleman県、バントゥル Bantul県、クロンプロゴ Kulonprogo県、グヌンキドゥル Gunung

Kidul県と、都市部のジョグジャカルタ Yogyakarta市である。本論文での調査地は、この都市部のジョグジャカルタ市にあるガジャマダ大学である。 ガジャマダ国立大学 Universitas Gadjah Madaは、ジョグジャカルタ市に本部が置かれる有名な国立大学で、1949年に設置され、18の学部を持つ総合大学である。校名はマジャパヒト王国の宰相を務めたガジャマダに由来して、インドネシアでは最も高い水準を持つ大学として知られている。そのため、全国からガジャ

マダ大学へ入学希望者が集まり、2007年から 2010年までの各年の学生平均数は 1万 5千人である。 全体の学生数からみれば、ジャワ人の学生が最も多く、学生の日常コミュニケーションの中では、ジャワ語が欠かせないと言われている。 インドネシアでは、学校や大学など教育の場で行われている正式な授業や活動、教育上のやり取り、教育の実施は全てインドネシア語で行われているが、実際ジャワ人学生の間で行われる日常会話をみると、地方語であるジャワ語もよく話されている。つまり、ジャワ人学生たちは学内でもジャワ語とインドネシア語を使い分けて会話をしている。

 3-2.調査の方法

 本稿の分析は現地調査の結果を中心に行う。調査地はガジャマダ国立大学で、2011年 8月 11日から 9月18日まで、約1ヶ月半実施した。調査方法は、現在ガジャマダ大学で学んでいるジョグジャカルタ出身の学生たちへのアンケート(164人)と、インタビュー(14

人)である。 アンケートは次頁の 8問である。

現代ジャワ語話者の若者における敬語使用の変化―ジョグジャカルタ市ガジャマダ大学学生のケーススタディ―

図 2 ジョグジャカルタ特別州

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問 設問

(1) 「ジャワ語はどこで習いましたか」

(2) 「ジャワ語が話せますか」

(3)「ジャワ敬語を最も使う場所はどこですか」

(4) 「相手に対するジャワ語の使用」について

a.「相手が教授・教員ならば」

b.「相手が同学年・後輩ならば」

c.「相手が先輩ならば」

(5)a.「自分の中でジャワ語の使用はどう捉えますか」

 b.「自分の中でインドネシア語の使用はどう捉えますか」

(6)「自分はどのくらいジャワ敬語が話せると思いますか」

(7)「『日常生活でジャワ敬語は不必要だ』という考えに賛成しますか」

a.「賛成」

b.「不賛成」

(8)「ジャワ敬語とインドネシア語に対する意見について、あなたはどちらがより適切と思いますか」

 これらの中で、敬語使用に直接関連する設問は問 1

~問 4の 4問である。敬語使用の変化を探るにはこの4問がポイントになる設問なので、本稿ではこれらについてのみ取り上げ、第 4章で分析を行う。なお、問5~問 8については、別の機会に論じる予定である。対象者は年齢別や性別ではなく「ジャワ人の若者」という基準で選ぶ。ここではジャワ人の若者の代表として、1年~ 4年生に在籍している学生(18~ 24才)を対象とした。 アンケートでは、場面を設定し、そのような場面で

調査対象者がどのような考えをもつのかを選択肢の中から選んでもらう。どれにも当てはまらない場合、自由に回答を書いてもらった。ガジャマダ大学側に許可をとり、大学構内で学生一人一人に依頼して記入してもらった。アンケートで使用した言語は公用語のインドネシア語である。インドネシア語で記入指示、注意事項、場面説明などを記した。 アンケートに加え、インタビューも実施した。インタビューを受けた学生たちは、ジョグジャカルタ出身の 14人(女性 9人、男性 5人)で、平均年齢は 21才(大学 2年~ 4年生)である。インタビューの時間は1人に約 90分~ 120分である。14人のうち、12人は両親ともジョグジャカルタの出身で混合民族ではない。他の 2人は、父親か母親のどちらかがジョグジャカルタの出身で、配偶者は中部ジャワの出身である。14人のジョグジャカルタの平均在住歴は 19年間(11人は20年以上、1人は 18年、1人は 9年、1人は 7年)となる。 インタビューの質問はアンケートの設問に基づいて行った。つまり、インタビュー対象者は全員インタビューを受ける前に、まずアンケート調査を受け、そのアンケートの回答を参考にしながら、筆者がインタビュー対象者の選んだ答えの理由や原因などを一問ずつ徹底的に探った。また、インタビュー対象者が日常生活で実際に使ったり、触れたりするジャワ語、特にジャワ敬語に関しての事例や自分の経験などを引き出して、それに対して質問のやり取りを行った。 調査対象がジャワ人の若者であるといっても、実際に全てのジャワ人の若者を調査対象にすることは不可能である。本論文では、ジャワ人の若者を、インドネシアの大学の中でも、最も高い水準を持つと言われているガジャマダ大学の学生たちに限定している。つまり、若者の中でも知識人として認められる集団を、ジャワ人の若者の代表として取り上げることにする。ガジャマダの学生たちは、インドネシア語の使用に十分堪能であることと、非ジャワ語使用者の学生仲間との接触が多いことから、ジャワ敬語が使用できなくなる可能性の高い人たちであるとも予想される。

エリザベス エスター フィブラ シマルマタ

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4.調査結果 4-1.アンケート分析(問 1 ~問 4)

 本章では、ジャワ敬語使用の減少の原因と結果をデータから明らかにする。アンケート調査の結果を見て、分析を行う。

問1.

 まず、ジャワ語の教育問題を分析するために、ジャワ語はどこで、どのような学び方をするのかを、まずは、アンケート問 1の回答を分析した。アンケート結果の分析から、ジャワ語教育の問題を見ることができる。

「N =164」 ①家族 /友達 /近所から生育の環境と学校、 両方で学んだ 81人(49%)②家族 /友達 /近所から生育の環境のなかで 学んだ 76人(46%)③学校で学んだ 5人 (3%)④学ばない 1人 (1%)⑤その他 1人 (1%) ・学ぶというよりは学校は練習する場だった

 アンケートから分かるのは、①の「家族 /友達 /近所から周囲の環境と学校、両方で学んだ」、つまり、自分は自然に家族、友達、ご近所の付き合いからジャワ語を学んだと答えた学生は 46%であったが、これは②「家族 /友達 /近所から周囲の環境のなかで学ん

だ」と答えた学生とほぼ同じ割合である。一方、③の「学校で学んだ」、即ち、学校のみで学んだと答えた学生はわずか 3%で、非常に少ない。ここまでの結果からは、ジャワ語の勉強は確かに学校で教師に教わる形でも行われているが、実質的な“勉強場所”は家族や家の周辺、友達との会話の空間、近所の地域であることを示している。家で両親や兄弟、友達と話したりするとき、また、近所の人々に挨拶したり交流を行ったりするときにジャワ語の勉強がもっとも行われていることが、①と②の回答率から読み取れる。学校と自分がいる環境(家、友達、近所)の両方からジャワ語を学んだ学生(49%)と、自分がいる環境だけからジャワ語を学んだ学生(46%)は、全体回答の 9割以上となった。また、①の答え「家族 /友達 /近所から周囲の環境と学校、両方で学んだ」には、②の「家族 /友達 /

近所から周囲の環境のなかで学んだ」の要素が入っていたため、結局は最もジャワ語を学んだ場所とその方法は、学校や授業ではなく、自分の家での会話、友達との会話、家の周辺に住んでいる近所の人々との交流を行うことであることが分かる。 他方、この結果を強調するかのように、③の「学校で学んだ」を答えた学生は、非常に少ない(3%)。これは、学校だけではジャワ語の勉強にはならないということと、学校でのジャワ語の教育は効率的ではなく、問題があったことを示している。

問 2.

 ここで明らかにするのは、学生たちはジャワ語をどれだけ話せるかである。アンケート調査の問 2で、学生たちは本当にクロモが話せるか話せないか、あるいは、ジャワ語は話せるがクロモかンゴコ、どちらが中心となるのかという疑問に対し、問 2の「ジャワ語が話せるか」を答えてもらう。どちらも当てはまらない場合は自由に回答を書いてもらう。

現代ジャワ語話者の若者における敬語使用の変化―ジョグジャカルタ市ガジャマダ大学学生のケーススタディ―

環境と学校、両方環境

学校 3%

その他1%

学ばない1%

49%46%

ジャワ語はどこで習いましたか

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「N =164」 ① 話せるが、クロモよりンゴコの方が メインとなる    106人(65%)②ンゴコとクロモを両方話せる 46人(28%)③ンゴコでしか話せない 9人(5%)④全く話せない 1人(1%)⑤その他 2人(1%) ・慣れていない、インドネシア語の方を使う ・分かるが、あまり話せない

 アンケートでは、②の「ンゴコとクロモを両方話せる」と選んだ学生は 28%となったが、この質問に関して問題があった。ここでクロモについて詳しく説明していなかったため、多くの学生から「どちらのクロモですか」といった質問が出された。「普段日常生活で使うクロモはどんなクロモですか」と質問を返すと、ほとんどは中間的クロモ、簡素化したクロモ、クロモ・ルマ(直訳:家のクロモ)であると答えた。アンケートの回答とインタビューから分かったことは、彼らが述べた中間的クロモは、規範的ではないが十分に敬意を表すクロモのことを指すということである。つまり、敬語の規範の中には載ってはいないが、普段祖父母や親戚に、また家の周辺で使っているクロモや、近所と短い会話をしたり挨拶をしたりするなど、決まり文句、決まったパターンのように使うクロモ、簡素化したクロモやクロモ・ルマのことを指した。学生たちは、それを敬語の規範における本来のクロモではなく、彼らが日常に簡単に使用しているクロモと解釈したことになる。筆者が考えるクロモと学生たちにとってのクロ

モの概念が異なっていることが明らかになった後は、アンケート協力を依頼するときに、必ずクロモについて説明してからアンケートを渡すようにした。つまり、問1におけるクロモというのは、規範的で本来のクロモではなく、学生たちにとってはクロモと考えられる簡素化したクロモやクロモ・ルマを意味している。また、このことから、学生たちはクロモができると答えていても、実際には敬語の規範の知識に関してあまり詳しくないことが多く見られることが分かった。このことについては、次章でのインタビューで説明する。問 2の回答の中では、①の「話せるが、クロモよりンゴコの方がメインとなる」を選んだ学生が一番多く、65%となった。彼らは、クロモはある場面に限ってよく使うようにしているという。しかも、そのクロモは前にも述べたように、簡単でパターンのようなクロモという。この結果をみると、②の「ンゴコとクロモを両方話せる」を選んだ学生は、①の「話せるが、クロモよりンゴコの方がメインとなる」と同様に(その逆もあり得る)、同じ状況や背景のなかで①か②を選んでいた。つまり、規範的で本来のクロモで話すというよりも、簡素化したクロモを中心に、それを敬語であるという感覚で話す学生が多かったのである。この事実は、ジャワ敬語の規範を詳しく理解する学生が少なかったことを示しており、クロモのレベルに対する誤解が起きる原因となっている。 一方、③の答え「ンゴコでしか話せない」を選んだ学生は、わずか 5%であった。主に両親が転勤、出張、移民のため、小さいころから他の島に移住することになり、小学生の時にジャワ語の授業を受けられなかった学生はンゴコでしか話せなくなるという結果であった。その他の回答者は 1%のみだったが、自由回答欄には、ジャワ語は慣れていないのでインドネシア語の方を使う、ジャワ語はある程度理解できるがあえて日常には使わないなど、ほぼ似たような答えが見られた。

問 3.

 クロモを最も使う場所はどこかについて質問した。クロモを最も使う場所が分かれば、学生たちは誰に対

エリザベス エスター フィブラ シマルマタ

ンゴコでしか話せない5%

その他1%

全く話せない 1%

あなたはジャワ語が話せますか

クロモよりンゴコがメインとなる

ンゴコとクロモ両方話せる

65%

28%

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して敬語を使うのか、どのような環境で使うのか、あるいはいつ使うのかが明らかになる。

「N =164」 

①家の周辺 95人(58%)②その他「近所(24人)、 祖父母の家(4人)、市場(3人) 31人(19%)③敬語を使わない 19人(12%)④大学や部活  10人(6%)⑤職場やアルバイト先 9人(5%)

 アンケートでは、①の「家の周辺」を選んだ学生が半分以上 58%となることが分かった。また、②の「その他」を選んだ学生も、ご近所、祖父母の家、市場と答えており、これは①の回答と同じ枠内にあると考えられる。 この結果をみると、クロモ・ルマ(「家のクロモ」)と名付けられた若者の新敬語は、家の周辺で、つまり、近所と挨拶をしたり短い会話をしたり、祖父母や親戚の家に訪問して話したり、市場でお世話になった商売人とやり取りをしたりするときに使われている。即ち、家の周りに関連する全ての人に対して、家のクロモが最も使われていることが確認できた。

問 4.

 ここでは、ジャワ敬語の使用の減少はインドネシア語の存在が大きな役割を持つからだという認識に基づき、ジャワ敬語の意識について尋ねている。「相手に

応じたジャワ語の使用」について、(a)「相手が教授、教員ならば」、(b)「相手が同学年、後輩ならば」、最後に(c)「相手が先輩ならば」という設問を用意し、どのようなジャワ語を使うか答えてもらう。

相手に応じたジャワ語の使用について

a.「相手が教授、教員ならば」

「N =164」 ①インドネシア語で話す 89人(54%)②インドネシア語とクロモが混ざる 68人(41%)③その他「特定の教員だけにクロモを使う」 4人(3%)④クロモで話す 3人(2%)

 アンケートのデータから見れば、学生のジャワ語の使用法は、(a)の「相手が教授、教員ならば」の中で、最も多く選ばれたのは①の「インドネシア語で話す」で、半分以上の 54%であった。その次は、②の「インドネシア語とクロモが混ざる」を選んだ学生は、

41%で、①の回答率より少し低かった。一方、④の「クロモで話す」は、わずか 2%である。これは、③の「その他」の [特定の教授、教員だけにジャワ語のクロモを使う ]よりも下回った。 ②を選んだ学生も少なくないが、その多くが、話す相手がジャワ人の教授や教員の場合であるという。勿論、インドネシア語が基本として用いられるが、相手がジャワ人であることが前もって分かっていたら、敬意をより表すためにインドネシア語のほかにクロモを入れて話したりするのが好ましいという。ただし、こ

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クロモを最も使う場所はどこですか

家の周辺その他19%

敬語を使わない12%

大学や部活6%

職場やアルバイト先

5%

58%

相手は教授、教員ならば

インドネシア語54%

クロモ2%

その他3%

インドネシア語とクロモの混合41%

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の②については条件がいくつかあった。 一つ目は、敬語使用を間違ったら、教授や教員に対して非常に失礼になるので、挨拶などの部分だけはクロモを交えて話しても良いが、話の内容が深くなったらインドネシア語で話した方が無難で、誤解が起きる可能性も低いという。二つ目は、全員の教員よりも、直接自分に関連のある教員(例えば、授業で教わっている教員、仲良くしてもらっている教員など)に対して使われている。そういう教員たちに限っては、親しみを持ちながら敬意も表したいので、インドネシア語にクロモを混ぜたりする。このとき、もしインドネシア語を最初から最後まで使っていたら、お互いの関係の距離感を縮ませることなく、距離感を保つということを相手に感じさせることが分かるという。これは、③の「その他」にも見られる「特定の教員だけにクロモを使う」ということは、こうした使用背景があるからだと言える。 また、このデータから分かったこととして、教員に対して完全にクロモを用いた学生はわずか(2%)であった。これも、ジャワ人の教員しか対応できないため、その条件のもとでクロモでしか話さないということが考えられる。

b.「相手が同学年、後輩ならば」

「N =164」  ①インドネシア語とンゴコが混ざる 112人(68%) ②ンゴコで話す 29人(18%) ③インドネシア語で話す 23人(14%) ④その他    0人

 (b)「相手が同学年、後輩ならば」の問いに対し、最も選ばれたのは①の「インドネシア語とンゴコが混ざっている」で、7割近くの 68%となった。続いて、②の「ンゴコで話す」(18%)で、最も少ないのは③の「インドネシア語で話す」(14%)となった。これは、上記(a)の「教授・教員に対しての使用法」と正反対で、「インドネシア語で話す」ことは、最も少なかった。同い年や後輩にインドネシア語のみで話すのは堅い印象を持たせるという。しかし、最も少なかったとはいえ、なぜ 14%もいたのかは、大学の言語状況から分かった。ガジャマダ大学にはインドネシアの様々な島から、様々な民族の学生が勉強に来ている。非ジャワ社会の地域から来た学生は、ほとんどの場合、ジャワ語を全く話せない。この状況に気遣って対応するジャワ人学生があえて全般的にインドネシア語で話す。また、家の中でジャワ語を使用することにこだわらない学生も③を選ぶ傾向があった。 全般的にインドネシア語を用いた結果、他の民族の友人が増え易いが、ジャワ語から離れていくのも事実である。この反対に、②のンゴコだけで話す人から見れば、インドネシア語のみを使うと、相手に親しくない、あまり仲良くしたくないなど、距離感を保つ姿勢かのようで好ましくないという。ンゴコで話すことが相手と近い距離でいたいということを示すので、スムーズに仲間に入ることができるという。しかも、相手が同年配や後輩なのに、インドネシア語で話したらフォーマルな雰囲気に変わってしまい、冗談を言わなくなる場合もあるという。その結果、②を選んだ学生は話し相手が限られてしまう。つまり、相手がジャワ人であることがほとんどだということが分かった。 他方、②と③以上に、①の「インドネシア語とンゴコが混ざっている」が最も多く選ばれている(68%)。非ジャワ社会から来た学生に対しては勿論気遣いながらインドネシア語を使っているが、その中には簡単で分かり易いンゴコを入れたりするのが基本である。 例えば、インドネシア語の「私は行かなくなるね Aku tidak jadi pergi ya」という表現は、Aku ora jadi

pergi yoと、簡単なンゴコの ora [=tidak(否定語)]

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相手は同学年、後輩ならば

インドネシア語とンゴコの混合68%

ンゴコ18% インド

ネシア語14%

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や yo[=ya ~ね]を入れることによって、相手に親しみを見せることができる。つまり、ジャワ人ではない人でも理解できる範囲のンゴコを入れることがポイントとなる。その結果、会話の雰囲気が和むようになり、親しく話すことができる上、自分自身がジャワ人であることを隠す必要がなくなるという。 そして、ジャワ人の間でも③を選ぶ理由は、授業や科目の話などで、ある専門用語などがジャワ語にはない、あるいは、新しい若者の言葉などがジャワ語にはない場合、インドネシア語で話すためである。

c.「相手が先輩ならば」

「N =164」 ①インドネシア語で話す 67人(41%)②インドネシア語とクロモが混ざる

63人(38%)③インドネシア語とンゴコ語が混ざる (先輩に仲良くしてもらっているから) →「その他」の所に書かれた多数の答え

29人(18%)④クロモで話す 5人(3%)

 (c)の「相手は先輩ならば」という設問には、(a)の「相手が教授、教員ならば」と同様に、最も選ばれたのは①の「インドネシア語で話す」(41%)である。僅差でその次に続くのは、②の「インドネシア語とクロモが混ざる」(38%)である。また、続いて少し割合は減るが、③の「その他」の [先輩に仲良くしてもらっているからインドネシア語とンゴコが混ざる ]を

選んだ学生は 18%であった。最も少ないのは、④の「クロモで話す」で、わずか 3%しかなかった。 先輩は自分より年上なので、話すときにある程度敬意を表わす必要があるが、教員と違って、先輩は公的な組織で働いている者と見なしていない。後述のインタビューから言えるのは、インドネシア語を使うのは、年上に対するクロモ使用を避けることが最も主要な原因となっていることである。先輩には勿論敬意を表わしながら話すべきである。ただ、その敬意を表わすためのクロモを誤って使っていたら、敬意を表わすつもりが失礼なことになってしまう。この危険性があるため、より中立性を持つインドネシア語を使った方が無難で分かり易いという。インドネシア語は、クロモほど丁寧さを表わさないかもしれないが、失礼にはならない程度、十分に丁寧で、中立のニュアンスを持つため好まれる。 また、僅差でそれに続くのは、②のインドネシア語とクロモが混ざっている話し方である。自分がはっきり分かるクロモだけは話せる、あるいは、相手が教員の場合と同様に、挨拶程度ではクロモで話せるが、細かい内容の話だったらインドネシア語に切り換える。ンゴコの場合とは逆に、インドネシア語にクロモを入れることによって、敬意の度合がより高く評価される。ただし、クロモのみで話すのは、間違いを避けられず、誤解も招き得るため、好ましくないという。 特別に説明を要するのは、③の「先輩に仲良くしてもらっているから、インドネシア語とンゴコが混ざっている」である。これに関しては、付き合いの中で、ある期間が経てば、後輩が先輩から仲良くしてもらい、先輩と後輩の壁を無くしたいなど、つまり、仲の良い仲間として接触したい場合は、後輩は先輩の暗黙の了解を得て、インドネシア語とンゴコを混ぜて先輩と会話をすることが許される。本来は先輩にンゴコで話すと、非常に失礼な人だと思われるが、敬意よりも親しみを求める仲間関係であれば、ンゴコでも話すことができる。ンゴコのみでは図々しくなる可能性があると思うときには、インドネシア語と混ぜながらンゴコを使う。

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相手は先輩ならばクロモ3%インドネ

シア語とンゴコの混合18% インド

ネシア語41%インドネシア

  語とクロモ   の混合 38%

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5.考察

 本章では、アンケートの分析結果に加え、インタビュー調査の結果を合わせて、考察を行う。

 5-1.ジャワ敬語使用の減少

 インドネシア語は敬語の体系や規範を持たないため、使用するのに便利だと考えられており、また中立的なニュアンスも持ち、非常に使い易いという。このことは調査データからも明らかである。クロモからインドネシア語へ移っていく「インドネシア語化」をしている学生たちが頻繁に見られる。しかし、この現象を加速させる要素は他にもある。それはジャワ語の教育にある。

  5-1-1.教育の問題 インタビューを受けたRS(女性、21才)。両親はジョグジャカルタ出身だが、RSが生まれる前に両親が仕事の事情で様々なところ(非ジャワ社会)に転勤をし、様々な民族や地方の人と出会った経験を持つ。その結果、家庭内では両親が子供たちに対しジャワ語の使用をこだわることはなかったという。家庭内でジャワ語の使用をこだわらないため、クロモを話すようなしつけはされず、学校ではンゴコでしか話さないという。 彼女は「家では両親はインドネシア語で子供たちと会話をする。おじいちゃんとおばあちゃんもそれに合わせて、インドネシア語で私たちに話してくれた。ただ、近所の人と会うときだけクロモを使う。しかも、あいさつ程度のクロモで話す」とジャワ敬語を覚える苦労を語った。「周りにはジャワ人の友達がいて、彼らから家の周辺で使う決まったパターンという簡単なクロモを教えてもらった。また、祖父や祖母に教えてもらった」とクロモの習い方を説明した。 彼女は両親が子供たちに対し、ジャワ語を教育しないことを残念に思っていたが、背景には両親の事情もあって、非ジャワ社会に住む大変さがあるからという。

 FO(男性、21才)も両親はジョグジャカルタ出身だが、彼が生まれる前に両親が仕事の事情で南スマトラ州に長年転勤になり、様々な民族や地方の人と出会う経験があった。彼自身も小学校時代は南スマトラ州で過ごした。中学生中学校からは両親の仕事の事情でまたジョグジャカルタに戻ったが、その頃はほとんどジャワ語(ンゴコやクロモ)を話せず、一から学び始めた。その学び方は、自然に学校の友達からと自然に会話している間に色々と教えてもらったりすることが多かった。中学校から高校までは学校でジャワ語を習う機会がないなかったかと問うと、「中学校や高校ではジャワ語というよりもジャワ文学をよく習った。ジャワ語の基本文型や敬語規範などはそんなに習ってはいなかった。多いのは、例えばジャワ語のことわざとか、ジャワの伝統的な詩や歌の学習とか、散文を読むことなど。」と語った。中学校からジャワ語の授業に参加し始めたFOだったが、中学校とや高校ではジャワ語の敬語体系や規範は学んでいなかった。 FOだけではなく、インタビュー対象者のほとんどが、ジャワ敬語の体系や規範を正式に学んだのは小学生のときだけであったと答えた。実質的に家族や環境から自然に学んだりすることが多かったという。また、GI(女性、22才)はジャワ語の教育について少し批判的に語った。彼女はジャワ語の授業について「つまらない、あまり役に立たない。規範的なクロモを小学校で教わっていても、使う機会があまりない。先生自身も教える内容に対してはっきりわからない。結局は無理やり教えようとして、授業がつまらなくなってしまう。日常生活で使える簡単なクロモだけがわかる」という。 問1のアンケートの結果で、学校でのジャワ語の教育に問題があることが示されたが、ジャワ語の教師の間にみられる不安や悩みもジャワ語の教育に影響を及ぼしている。中部ジャワ州のスマランで行われたジャワ語学会 Kongres Bahasa Jawa IV(2006)において、中学校や高校で行ったジャワ語の授業の問題点に対して、授業を担当している教師たちの葛藤が隠せなかった。例えば、発話の階層 Unggah-ungguh basaの授業

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は難しくて学生には全く人気がないと訴えている。対策として学生の興味を持たせるため、直接口頭で教えるよりも映画の台詞などを用いて教えた方が便利だというジャワ語の教師もいた(Eka Yuli Astuti 2006: 169-

174)。また、教師自身が持つジャワ語の能力をもう一度検討する必要があるという声も上がった(Pranowo

2006: 283-286)。専任のジャワ語教師として就職する人も少ない。そのため、ジャワ語の教育背景を持たない教師が増え、ジャワ語教育の質が問われるなど、様々な問題がジャワ語の教育に見られる。

 5-2.新敬語の出現

 クロモの使用ができなくなる若者が増えていると指摘されるなか、実際は若者たちが彼らなりの敬語使用の概念を持っていることが調査から明らかになった。

  5-2-1.簡素化したクロモ、クロモ・ルマ

 まず、話す相手に対して敬意を表わす新しい形のクロモが本論文の現地調査で明らかになった。それは「簡素化したクロモ」や「クロモ・ルマ」と学生たちが呼ぶものである。「簡素化したクロモ」とは、家の周辺や近所の人たちと挨拶したり、短い会話をしたりするときに簡単に使われる決まったパターンのようなジャワ語のクロモのことを示す。ある学生のインタビューの中で、これは「クロモ・ルマ」とも呼ばれていた。「ルマ」は、インドネシア語で家という意味で、家の周りで使える簡単なクロモと見なされる。これは本来のクロモと違って、文章の所々にインドネシア語を入れたり、バサにおけるクロモとマディオの語彙をあまり区別せず使ったり、ンゴコのなかでも丁寧なンゴコを入れたりすることも許される。実際の使い方はインタビューの事例の中に見られる。 WP(女性、20才)は、クロモ・ルマは決まった場面で使うことが多いと語った。例えば、近所と道端でばったり会うときに短い挨拶のような会話が使われる。また、祖父母の家に訪問するときや、年配の親戚

に会うときなどにも使われる。それ以外の場面では、クロモを使う機会があまりないため、クロモ・ルマは習慣としての敬語のような感覚で使われている。例えば、ラマダン(イスラム教の祝日)のときにお年寄りを祝うときには、クロモで伝えたほうが非常に丁寧で礼儀正しい、居心地も良いという。このような祝いのことばも、毎年のラマダンにおいて家族内、親戚、近所に対して行われる儀式なので、クロモ・ルマとして捉えると述べた。 アンケートの問 2では、クロモが話せると答えた学生自身も、規範的な本来のクロモではなく、パターン化したクロモのことを指していた。学生たちはそれを簡素化したクロモやクロモ・ルマなどと各々が名付けていたが、習慣的に使われるクロモの「レベル」の存在が明らかになった。 NA(女性、20才)はンゴコとクロモを両方話せるが、ンゴコの方を中心に使っている。彼女はジョグジャカルタ州のグヌンキドゥル県の出身である。小さい頃からジャワ社会の典型的な村で育てられ、家の中や家の周辺では彼女は完全にジャワ語で話している。祖父母や両親、近所の人たちに対しては必ずクロモを使い、兄弟や同学年の仲間にはンゴコを使っているという。祖母はインドネシア語が分かるがあまり上手に話せないため、彼女は毎日クロモを話していると語った。彼女自身もクロモが話せるというが、実は普段自分が使っているのは、あまり規範的ではないクロモのほうであることを述べていた。例えば、本来のクロモであれば、Mbah,badhe dhahar?[お祖母ちゃん、召し上がりますか]。しかし、私は Mbah, dhahar?(同じ意味)というだけで十分だ」と語った。Dhaharはクロモでは召し上がるという意味である。本来のクロモでは「~するつもり、~たい」の意味する badheを言わなければならないが、クロモ・ルマでは badheを抜けても構わないようである。これは、習慣的に badheを付けなくても許されるからである。 ER(女性、21才)はインタビューで、普段使っているクロモについて、「クロモは話せるがそれは規範的なクロモではなく、ンゴコのニュアンスを持つク

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ロモを使う」と説明した。つまり、クロモ体の中で、クロモ語よりもっと低いレベルの語彙(ンゴコ語や省略語など)が多く混ざっていることを指す。これは、彼女なりの簡素化したクロモとなる。例えば、近所と挨拶するときに、規範的なクロモであれば、Kados

pundi pawartosipun / kabare pun Mbah?[お祖母ちゃん、お元気ですか]となるが、普段彼女が使っているクロモ・ルマは、(1)Dos pundi kabare pun Mbah?、あるいは、(2)Kepripun kabare Mbah?(全部同じく、[お元気ですか]という意味をする)を使う。これは、相手を判断して使うという。仲良くしてもらっている近所の年輩者には、仲良くしながら敬意を表わす(2)を使うが、少し距離があってもっと敬意を表わそうとする場合は(1)を使うことになる。但し、彼女にとっては、両方ともかなり丁寧な話し方であると説明していた。 アンケートの問 2とインタビューの結果から分かったこととして、簡素化したクロモやクロモ・ルマなどは、本来のクロモより自由が与えられ、使い方についても個人差があって厳格な体系ではないが、習慣的に使われているクロモなので、簡素化しても本質的なクロモの機能をもつことに変わりはない。つまり、敬意を表わすために使われている敬語の使い方の一つとなっている。 それに関連して、アンケートの問 3では、クロモを最もよく使う場所はどこかという質問をした。クロモを最も使う場所が分かれば、学生たちは誰に対して敬語を使うのか、どのような環境で、あるいはいつ使うのかが明らかになるからである。 GI(女性、22才)は、長男 31才、長女 28才、次女 25才、三女 22才(GI)の四人兄弟で、両親(父61才、母 60才)はお互いにンゴコで話しているが、ジョグジャカルタ市にある国立大学で教授として働いている背景があるためか、子供たちに対して家の中でジャワ語を使用してほしいというこだわりはないという。しかし、家の外で近所の人たちと会うときには必ずクロモを使うようにと小さい頃から家族内で教わっていた。 ンゴコは学校の友達などに使っているが、家の周

りに住んでいる人達や近所、家の前を通る物売りpedagang kaki limaの人に対しては、必ずクロモを使わないといけないという。つまり、近所との交流があったからこそクロモが話せるようになったと語った。また、彼女の家に 25年間働いているウンボ mbok(ジャワ人の家政婦)がいて、ウンボからも様々なクロモを教えてもらったという。 MT(女性、21才)も同じように語った。「むしろ家ではンゴコの方をよく使う。親にも兄弟にもンゴコで話す。両親は柔軟性を持つ親だと思うが、一つだけ親から言われていることがあって、それは家の中ではンゴコやインドネシア語など、何語で話しても良いが、周辺の人達や近所と会うときには、必ずクロモを使わないといけないということだ。家の掟のようなものとなっている」と、近所に対してクロモで話すのがルールであった。 簡素化したクロモやクロモ・ルマは本来のクロモほど丁寧ではないかもしれないが、十分に丁寧であることが分かる。語彙の選び方や使い方に関してはあまり厳しくないが、クロモの枠に入るものと見なされるため、敬意を表わす「シンプル」な道具として学生たちは好んで使っている。また、家庭内ではこだわらなくても、近所の人々には敬意を表わすため、必ずクロモで話すというジャワ社会のしきたりは簡素化したクロモを促す要因となっている。

  5-2-2.インドネシア語への       コードスイッチング

 ジャワ語では、敬意を表わすために、年上や年輩の人にジャワ敬語を使わなければならないことに対して、インドネシア語では、二人称代名詞のように用いる Bapak, Ibu, Mas/Mbak/Abang/Kakakといった呼称(親族名称)以外、敬意を示す語彙がないので簡単に使えると言われている。これはジャワ語、特にジャワ敬語からインドネシア語への言語使用のスイッチを加速する一つの要因とも言える。 アンケートの問 4「相手に対してジャワ語の使用」

エリザベス エスター フィブラ シマルマタ

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についての結果と、インタビューの結果もこのことを裏付けている。大学(学校)は学生たちにとって教育的な場所、あるいはフォーマルな場所なので、教員に対して中立性を持つインドネシア語を使った方が良いという。また、大学も国家的な場所(特に国立大学や公立学校は、国がつかさどる機関であり国家のものとみなされる)と考えられるので、自然に教育や政治の世界で働く人たちも国家の枠に入る者として捉えられ、正式な教育言語あるいは政治の言語、すなわちインドネシア語を使った方が適切だと思われる。

a.「相手が教授、教員ならば」

 ER(女性、21才)は、大学内では教員に対してほとんどはインドネシア語で話すが、相手の教員が先にジャワ語で話してきたら、自分自身もなるべくクロモで返事しようとしているという。教員がそのジャワ語のコードを出さない限り、彼女はずっとインドネシア語で話した方が良いと考えている。さらに、「クロモを使うのを嫌うわけではないが、まず、インドネシア語の方がより中立的なのでややこしくない。クロモで話すと、使い間違えないように言葉を選ぶので時間がかかる。そこで、教員に返事するペースが遅くなって、変な間ができて、気まずくなる場合もある。丁寧なインドネシア語で話せば十分に丁寧だと思う。しかも、大学なので、インドネシア語で聞きたいことがはっきり言える」と理由を語った。ERにとってクロモは文化的アイデンティティで、守るべきものとして使う必要が勿論あるが、大学のような教育的場面においては、公用語のインドネシア語の方が適切だと考える。 また、グヌンキドゥル県の出身であるNA(女性、20才)も同様に語った。彼女は祖父母や両親にはクロモで話すが、ガジャマダ大学に来たらジャワ語をほとんど使わなくなってきたという。「基本的には家や近所では年上の方に対してはクロモを使うが、ガジャマダ大学では、教員がいくら年上であってもインドネシア語で話す」と述べた。彼女によると、教員には非ジャワ人の教員もいるので、ジャワ人の教員かどうかを確認してクロモに切り換えるよりも平等に使える中

立的なインドネシア語を使った方が無難なのだという。 クロモは難解で、誤って使用する危険性があるため使用しないという学生も多いが、インドネシア語が教育上の学問的な言語として捉えられていることが、学生たちのインドネシア語の使用を促す最も大きな要因となっている。

b.「相手が同学年、後輩ならば」

 ER(女性、21才)にとって、大学ではジャワ語は使う必然性がないという。ジャワ語ができなくてもインドネシア語で友人を作ることができるし、インドネシア語の方が幅広く使える。ただ彼女は、友人との会話では、せめて簡単なンゴコを入れてほしいという。ンゴコを入れることによって、会話のニュアンスに親しみが込められ話し易いし、とても楽しいと彼女は言う。ジャワ人の友人との会話を通してンゴコを習い始める非ジャワ人学生もいるので、彼女たちはインドネシア語と簡単なンゴコを混ぜて会話をしていた方がお互いにとって良い形になる、と彼女は話をまとめた。 ジャワ人の学生にとってンゴコを混ぜて話すことは、文化的アイデンティティを保ちながら親しくて楽しい会話ができる一方、非ジャワ人の学生たちにとっても、ジャワ文化を習う機会となって、付き合いもスムーズになる。 UP(男性、24才)も大学ではインドネシア語を最もよく使っていると語った。その理由は、前に述べたように、大学は公的な空間あるいは教育の場としてインドネシア語を使った方が適切だと言う。しかも、彼は医学部の学生であるため、ジャワ語で表現できない、訳せない専門用語が出てくると、結局はインドネシア語の方に切り換える。しかし、全ての会話をインドネシア語だけで行っているのではなく、相手によってジャワ語を入れたりする方法もあると説明した。彼は後輩や同学年の友人には必ずンゴコか、インドネシア語とンゴコを混ぜて話をするが、教員や先輩には基本的にインドネシア語で話す。ジャワ人の教員や先輩に先にジャワ語で話されたら、(途中でまたインドネ

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シア語にスイッチする可能性が多々あるが)できるかぎりクロモで返事しようとしているという。

c.「相手が先輩ならば」

 一方で、UPは先輩に対して、もう一つ別の会話方法があると説明している。年齢が離れた先輩や自分とあまり親しくない先輩に対しては、インドネシア語かインドネシア語にクロモを混ぜて使うが、仲良くしている先輩に対しては、あえてクロモを避けてンゴコで話すという。ンゴコを使うことによって、先輩との仲の良さや親しみが倍になって会話が楽しくなる。このような形は勿論先輩からの了承や願望があってこその付き合いなのだが、お互いの興味や好みと、付き合い期間の長さによるとしている。「先輩から仲良くしてもらい、ンゴコで話してほしいというサインをもらったら、僕もンゴコで話し始める。でも、ンゴコの中でも丁寧なンゴコを使う。丁寧ではない印象を避けるため、たまにインドネシア語を混ぜて先輩と会話をする」と彼は説明する。このような現状は、UPだけではなく、他のインタビュー対象者もほとんど同様に答えていた。 教員と先輩にはインドネシア語かインドネシア語にクロモを混ぜて話すという選択肢が最も多く選ばれていたが、先輩に対してはさらに付き合い方の選択肢がある。つまり、親しみを感じさせ、距離感を縮めるための工夫として、後輩はンゴコで先輩に話すことが好まれる。

6.おわりに

 現代のジャワ人の若者の間では、クロモというジャワ語の敬語使用ができなくなっていることが明らかになった。敬語の使用はどのように変化してきたか、二点に絞ってまとめられる。 ①本来は相手に敬意を表わすためにクロモが用いら

れるが、クロモの使い分けが非常に難しいことに加えて、その使い分けには誤用の危険性がある。つまり、クロモを間違って使うと、相手に対して非常に失礼なことになり、若者自身がクロモを使う自信を無くす。そのため、規範的で本来のクロモを使用することを避け、より無難で使い易いクロモ、即ち、簡素化したクロモあるいはクロモ・ルマと呼ばれる日常で使う際に規範に縛られないクロモを求める若者が増えている。実際には、ジャワの若者にはクロモをジャワ文化の一つとして使いたいという願望はあるが、規範的には使えない。結果として、若者の敬語離れの状況が進んでいく。 ②インドネシア語へのコードスイッチングという手段がある。インドネシア語にコードスイッチングすることによって、ジャワの若者はより中立的な敬意の表わし方を求めていることが明らかとなった。つまり、クロモを使用するだけが相手に対して敬意を表わしたり、丁寧に話そうとしたりする努力の表わし方ではないということである。インドネシア語へのコードスイッチングという手段は、相手に対しては無難で誤解のない、より中立的なコミュニケーションの方法として認識されている。 このように、現代のジャワの若者の間では、敬意を表わすために、簡素化したクロモあるいはクロモ・ルマ、インドネシア語へのコードスイッチングという手段の使用へと移行していく可能性がある。特にクロモ・ルマは、今後の敬語を担うにことになる可能性があると考えられるが、このような現象は先行研究の中では論じられておらず、本論文が注目する重要な点である。つまり、クロモ・ルマは若者が生み出している若者なりの新敬語であると考えられる。クロモ・ルマという用語自体は、どこまで広がって普及しているのかこれまで全く言及されておらず、今後の課題になると考える。

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註i ジャワ語の正書法では、KramaとMadyaは [a]母音で表記されているが、発音するときは KromoとMadyoのように、[o]母音で行われる場合が多い。本研究では、KramaとMadyaについては正書法にしたがって表記することにした。一方、Ngokoは Ngakaとは書かれることはないため、発音のとおりに表記した。

ii マタラム王国の時代では、上流社会の家族の中では、妻が夫に対して敬意を表わすために、クロモを使う場合もある。

参考文献【日本語文献】青山亨 1997 「ジャワ社会における自己と他者―文学テクストの世界観」『地域のイメージ』(地域の世界史第

2巻)辛島昇・高山博(編)山川出版社菊池康人 1997 『敬語』 講談社学術文書スリ・ブディ・レスタリ 2010『ジャワ語の敬語における記述的研究―第三者敬語を中心に―』博士論文 :東京外国語大学大学院地域文化研究科

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