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神さまのいない日曜日 外伝
入江君人
4話 悪鬼と不死
街で、村で、墓場で、海で、二人は出会い、二人は別れた。「よう。ひさしぶりだな」 荒野で白髪の少年が言う。親しみと僅かな悪意を込めて。「……えっと、ごめん。どこかで会ったか?」 街角で黒髪の少年が言う。出会ったばかりのあの頃のままに。「つれないことを言うじゃないか。あれだけ話した仲だろう」 浜辺で赤眼の少年が言う。気
け
怠だる
く、軽く、紫煙を浮かべて。「……もしかして、以前の俺に会ってるのか?」 廃村で黒眼の少年が言う。警戒と不信をたっぷりと込めて。「ああ、俺とお前は何度も会っているよ」 雪原で人
ハンプニーハンバート
喰い玩具が言う。「……それで、俺になにか用か?」 砂漠でアリス・カラーが言う。「なぁに、お前に遺言を伝えたくてな」 街で、村で、川で、山で、ハンプニーは言う。「遺言て、だれから?」 墓場で、荒野で、雪原で、アリスは答える。 それは何度となく繰り返された出会いと別れ、二重の不死が僅かに接した螺ら
旋せん
の記憶。
「もちろん『お前から』に決まっているだろう」
そしてハンプニーは語り出す。幾度も殺され、幾度も殺し、それでもなお止まることなく進み続けた蠅
はえ
の話を。 少年の話を。 男の話を。 そして救いようのなくなってしまった悪鬼と不死の話を。 人
ハンプニーハンバート
喰い玩具は物語る。
「最初の出会いは、荒野だったな――」
†
荒野をバイクが走っている。 あちらこちらに錆
さび
の浮いた、馬力だけは強そうな古びたバイクだ。 バイクは行く、古き道を。廃れた道は荒れ果てて、一見すると辺りの大地と差はなかった。 ハンドルを握るのは銀髪の少年だった。その相貌はこの世の汚れなど一切知らぬがごとく美しかった。が彼が纏
まと
う気配はひたすらに黒い。風になぶられるコートはひからびた血の色をしており、ごついブーツはタールをそのまま固めたよう、そしてなにより武器の黒。細い腰には鉄塊のごとき拳銃が吊るされ、背には装弾済みのライフルが負
お
われていた。 ヘルメットすら被らずにアクセルを回し、自殺者まがいの速度で少年は行く。だがその赤眼に危険に対する熱狂はなく、どこか退屈そうに欠
あ く び
伸すらしている。 その速度が、ふっと緩んだ。 なんの前触れもなくブレーキ。膨大な速度が熱と音の二つに化けて、バイクはあっという間に静止した。シートを下り、代わりにライフルを取り出し
て銃身をシートに乗せてスコープを睨にら
む。 しばし、時が流れ、少年は「……チッ」っと舌打ちをした。 バイクを離れ、手近な岩陰に身を潜める。岩と言っても膝くらいしかない小さなものだったが、不思議なもので、少年が体を畳むと影に溶けたように馴な
染じ
んで目立たなくなった。 そのまま、死んだように静止する。頭上の雲が地平まで流れて行き、夜行性の皮蜥蜴が「きゅき?」と顔を出してびっくりしている。そして、「はぁ……はぁ……だーもー全然おいつけねぇぞ……」 声が聞こえた。「くっそ……なんであんなにスピード出してるやつがなんともなくて、安全運転の俺が事故ってんだよ。おかしいだろ……はぁ……はぁ……」「ね~。もうやめとこうよぅ」 二人組だった。「うっせぇ。ここまで来て、引き返せるか」「う~、でも怖いよぅ。相手は『不老不死』で、『死者殺し』だよ?」「だからこそだろ。不老不死なら参考になる」「そうかもしれないけどさ~」 一人は少年。どこかの制服とおぼしき詰め襟を着た黒髪の男。 一人は少女。やはり制服のようなブレザーを着た、紫色の目をした女。 二人とも十五歳ほどだろうか、頬には少年少女特有のぬくもりと甘さがあり、人付きする無邪気な感情が躍っていた。「でも、ボク怖いよぅ」「べつにディーは危なくないだろ」「アリスが危ない目にあうのが怖いんだよぅ」 二人の会話を聞いて、少年はさらに警戒を強めた。この二人はあまりに普通すぎる。もしも尾行者が山賊や屍者の類いなら、むしろ戸惑いはなかっただろう。だが彼には腐臭を発する屍者に襲われる理由は分かっても、邪気のない若者に百キロもつけられる理由は分からなかった。
故に容赦はしなかった。 銃を抜く。五連発の回転式は無音のままに狙いを定めた。後頭部から入って目玉を吹き飛ばすラインに射線を乗せる。頭の奥でスイッチが入る。自己催眠的な落ち着きが心を支配し、殺人に対する罪悪感と緊張が抑制され、意思は銃の奉仕者になりさがる。 そして、彼は慣れ親しんだ死の重みに人差し指をそっと乗せ、「動くな」 それは獣の咆
ほう
哮こう
だった。刃向かえば殺す。言うことを聞かなければ殺す。裏切れば殺す。といった暴力的な意味合いを何重にも織り込まれた死の呪文であり、戦闘に携わる者ならば一瞬で敗北を悟るほどの完全な『王手詰み』の発声だった。その殺気は獅
し
子し
にすら匹敵し、余波を喰らった周囲の小動物すら硬直させた。『へ?』 ところがあいにく、そこにいたのはこの世でもっとも鈍い動物であるところの、街で育った十五の子供達だった。「あ、あんたいつのまに !!」「ひゃああ!」 二人は殺人の気配にまったく気付かず振り返り、そこにある銃口を見てからようやく慌てふためいた。それはあまりに修羅場に慣れていない甘い反応であり、戦士としては零点もいいところだった。 だが人としては百点をやってもよかった。「逃げろ! ディー!」「ば! バカバカ! 止めてよぅ! ボクなんか庇
かば
わないで!」 詰め襟がなんのためらいもなくブレザーを庇った。ところが守られたはずの少女は涙目になりながらも庇われることを拒んだ。 それは、一瞬で二人のひととなりをあらわす正義の行いだった。それが少年には嬉しかった。自分でやっておいてなんだが、まるで日なたでまどろむ猫を眺めているような気分にさせられた。とくにいまの時代でこれほどの無
垢、どれほど貴重かも分からなかった。 そう思うと、なんだかいろいろとバカらしくなってしまった。「……おい、盛り上がってるところ悪いが。質問に答えろ。なぜ俺の後をつけた?」 ぷらぷらとチンピラのように銃口をふらつかせながら少年が聞いた。見る者が見れば明らかに殺気がないと気付く態度だが、二人は相変わらずのお間抜けで、庇うの庇わないのといちゃついている。「……とっとと答えろ」「わ、分かった。分かったから……」 やがて、詰め襟が口を開いた。「あ、あんた、人
ハンプニーハンバート
喰い玩具だろ?」 人喰い玩具。それは少年の通り名だった。どうやらこの二人は明確な目的があってつけてきたらしい。「だからどうした」「俺たち、あんたに聞きたいことがあってきたんだ」 ああ、ハンプニーは思った。 この目を俺は知っている。 怯
おび
えを勇気で上書きして、いまだ試されたことすらない正義を抱いて、なんら疑うことなくその身を投げる、それはまさしく少年の瞳。人
ハンプニーハンバート
喰い玩具が生まれてこの方一度も抱いたことのない生者の瞳だ。「実は俺も不死なんだ」 それが、人
ハンプニーハンバート
喰い玩具とアリス・カラーが初めて出会った瞬間だった。
†
「――ってのが、俺とお前の最初の出会いだ」 潮風が舞い
0 0 0 0 0
、波が躍る輸送船の上で0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
、人ハンプニーハンバート
喰い玩具は言った。「へー、そんなことがあったのか」
みゃぁみゃぁと鳴くウミネコに、パンの残りを投げながらアリスが言った。「それであんた、わざわざ話しかけてくれたのかよ」 眩
まばゆ
い太陽に眼を細めて、人好きする笑みを浮かべてアリスは丁寧に礼を言った。「ありがとう、助かったよ。正直、最初はけっこう警戒したけど、でも、あんた案外いいやつなんだな」「やめろ、そんなんじゃない。これはただの引け目だ」「? 引け目って、あんた昔の俺になにかしたのか?」「殺した」「は?」 ハンプニーは悪びれもせずに言い放ち、新しい煙草に火をつける。「いやなに、当時の俺は少しばかり虫の居所が悪くてな。そんなときにお前みたいなお目々キラキラしたガキが「自分も不死だ」とか抜かしやがるから、ほうほう、ならちょっとばかし試してやろうってんで心臓止めの秘拳を打ち込んでやったんだよ」「悪い奴だ――!!」 アリスが海に叫んだ。「やっぱり悪い奴だった――!!」「怒るな」「いや! 怒るだろ! ここで怒らないでいつ怒るんだよ!」「うるさい奴だな。だからこうしてわざわざ答えてやっているだろうが。俺がこんな面倒事に協力するなんて滅多にないんだからな。だいたいお前もお前だ。ちゃんと蘇生してやるつもりだったのに、ちょっと心臓止めただけで勝手に消えやがって。むしろ謝罪して欲しいくらいだ」「……なんか、段々あんたの性格が分かってきたぞ」「そうかい、ちなみに俺もお前の性格をよく知ってるよ。アリス」「…………」 ふっと沈黙が落ちた。
「……なあ。俺ってやっぱり、もう何度も死んでるのか?」「四度」 聞き間違えようのないほどはっきりと言う。「俺が知ってるだけでもそれだけ死んでるな」「……改めて聞くと、きっついなー……」 ずるずると船の欄干にすがりついて、アリスは巨大な溜息を吐
つ
いた。「なんだ、今回はえらくしおらしいじゃないか」 その様子を見て、ハンプニーは今度のアリスが『どの位置』にいるのか把握した。「なるほど、さてはお前、例の封印都市から出てそれほど日が経ってないだろう」「え? まあ、確かに二ヶ月くらいだけど。そんなことまで分かるのかよ」「まあな」 煙と共に苦笑が漏れた。このアリスと話していると精神の老いを思い知らされた。 彼は、この終わってしまった世界にあって異常なほど純なのだ。そこからは以前の世界の香りがした。人が死に、赤ん坊が生まれる世界の残り香。なんの保証もなく明日が来ることを信じられた時代の甘い香り。 それが眩
まぶ
しく、痛かった。「ともかくまとめるとだな。俺はお前のバックアップなんだよ」「バックアップ?」「ああ、今のお前は死ぬと封印された世界で蘇る。だがこのとき外での記憶は失われ、十五歳の段階まで戻ってしまう。それじゃあ困るってんで、記憶のバックアップを外部世界に残すようにしたのさ。日記や伝聞という形でな。俺はその一つだ」「……死んだとき用って」 自分で考え出したことだろうに、アリスは心底ぞっとしていた。「とんでもねーこと考えるな、その、以前の俺ってやつは」
「なんだ不服か? まあ、言いたいことは分かる。このやり口からは、不敬や不道徳ってもんの匂いがするよなぁ。『死を前提に計画を立てる』なんてのは間違いなく外道の思考だ。まともな人間のやることじゃない」「そ、そこまでは言わないけどさ」「だが、それでもお前は願ったんだろう?」 人
ハンプニーハンバート
喰い玩具はニタニタ嗤わら
う。悪魔のようにクツクツ嗤う。「死んでも叶えたい願いがある、とな。――だが残念。それは命の一つ二つで叶うほど安くない願いなんだ。死んで、死んで、また死んで。十も二十も死を積み上げて、それでもまだ叶わないかも知れない、それほどの大望だ……」 少年がカッと頬を熱くする。反対にハンプニーの舌
ぜつ
鋒ぽう
は冷たく粘る。「だが、だったら諦めるか?」「いやだ!」 はっと、少年が顔を上げて。その目はやはり、輝いていた。「俺はみんなを助けるんだ! 絶対にあそこから解放して! 一緒に未来へ行くんだ!」 ああ、ハンプニーは思う。 なんて眩しい輝きだろう。友愛と慈悲の心に満ちた、なんて美しい夢なのだろう。 この願いが、子
し
細さい
違たが
わず叶えばいいのにと皮肉でなく思う。 たとえその結果が、臓物色の悪夢でしかなくても。「……そうか、お前はいつもそう言うな」「へ? ――あ! さてはあんた、分かって聞いたのかよ。悪趣味だな!」「まあそう言うな。これは俺にとっても興味のある疑問でな。ま、報酬だと思って付き合ってくれ」「? またよく分かんねぇことを言う……」 そうだろう。ハンプニーは思う。今のアリスでは自分が何を口走ってしまったのかすら分からないだろう。
果たして、叶わぬ夢を追いかけ続ける不死者はいずれ何になるのだろう。死をもってすら止まることなき少年の眼は、いずれ何を見るのだろう。 それを、ハンプニーは知りたかった。「まあ、いい、とりあえず他のバックアップについても教えておこう。――というか例のディーとかいう娘は何をしている。一応連絡はしておいたが……」「っ !! ちょっと待ってくれ! あんたあいつのこと知ってるのかよ !?」「知っているも何も、あいつこそがお前にとっての一番の外部記憶装置だろう。なんだ、まだ会っていないのか?」「それがあいつだけ封印世界にいなかったんだよ。俺、それで違和感に気付いて……」 と、そのときだった。「わ――ん! アリス――!! やっと見つけた――!!」 西の空からディー・エンジーが飛んできた。「探したんだよ――!! もう! なんで今回はこんなに早く外に出てるのさ! いつもの何倍も早いじゃんかよぅ」「うわ! お前ディーか !? え、なんで空飛んでるんだ !? ってか透けてる !?」「そんなのボクにだって分かんないよ! ああ、でもよかった……ってひぇ ぇぇぇ !! やっぱり人
ハンプニーハンバート
喰い玩具もいるじゃん! アリス! この人だめだよ! 殺されちゃうよぅ!」「あいかわらず賑やかな奴らだな」 紫煙をくゆらしながら文句を言って、しかしハンプニーは不快ではなかった。ニヤニヤ笑って、子犬の喧
けん
嘩か
でも見ているような心持ちで二人を見ていた。
思いだせば、確かにこのような時間もあった。 三人がまるで友人のように語り合い、笑い合った瞬間が、確かにあった。
たとえアリスが忘れていようと、人ハンプニーハンバート
喰い玩具は覚えている。
†
「――というのが、ここ数回の会話だな」 仄
ほの
暗ぐら
い森のさらに奥だった。草木も眠る夜のことだった。 小さく燃える炎の元で、二人は出会った。「……そうか」 焚
た
き火を挟んだ向かいに座って、アリスは言った。その眼は薄ら寒く落ちくぼんで、出された茶に口も付けなかった。「さすがにお友達だの仲間だのと言う気はないが、まあ、といった具合に俺たちは何度も会ってるってわけだ。……だからいい加減、少しは警戒を解いたらどうだ?」 言って、ハンプニーはちらりと彼の手元を見た。死者のように筋張った右手は、いまだに銃を掴
つか
んで放さなかった。「……それは俺が決めるよ」「ごもっとも。……それにしても、いままではずいぶんと甘っちょろい奴だと思ってたんだが、どうして、なかなかいい顔もできるじゃないか。ええ?」 煙を吐きながら、ハンプニーは密かにアリスを観察する。 今回のアリスは外見からして違っていた。無邪気だった瞳はつめたく落ちくぼみ、躍動感に満ちていた少年の体は巌
いわお
のように強張っている。体のあちこちに武器が吊られ、極めつけに、左目が潰れていた。「……俺はそんなに変わったか?」「そうさな、猿から犬になったってほどではないが、赤子と老人ほどには変わったよ」「なら、どっちも俺だろう」「違いない」 そう、そこがハンプニーを悩ませる。以前のアリスと今のアリスはなにが
違うのか。別の永遠を生きる不死者がどう変わっていくのか。「さて、俺からは以上だ。あとはお前の話を聞こうじゃないか」「……上書きか」「ああ」 上書きとは、言わばバックアップの更新作業だ。今回のアリスが成した結果を話すことによって次回はより強固な記憶にできる。そのための作業だ、が、「今回、俺は封印されたオスティアに人を入れてみたんだ……」「ほう」 今回の剣
けん
呑のん
さは比ではなかった。「そんなことが可能なのか?」「結論から言うと可能だった。……五回ほど実験して、いまでも百人ほど中にいる」「ふうん。ちなみにそいつらはどうなった?」「……中には入れたが、外には出られなかった。方法も分からないままだ」「ほほう」 そのうなずきをどう解釈したのか、アリスは言い訳するように言った。「……そんな顔しないでくれ。ちゃんと意思確認したんだぜ。みんな行き場のない奴ばかりで、それでもいいって言ったんだ」「おいおい、俺がどんな顔をしたっていうんだ。まさかこの人
ハンプニーハンバート
喰い玩具。正義感や道徳を持ち出すつもりはさらさらないぜ」「なら、いいけどさ」「……が、お前はどうだったかと思ってな」「っ!」 自分でも違和感は抱えているのだろう。アリスは存在しない左目をゆがませた。「なるほど、お前のことだ、まさかそいつらを騙
だま
したとは思わんよ。むしろ親身なほどに相談して、自分たちで決めさせたのだろう。だがなアリスよ。
断言するが、お前はすでにミスを犯しているぜ。『ここからここまで』と決めたはずの善悪の境界はもうとっくの昔に踏み越えていて、これからお前を刺すだろう」 もしかしたらすでに心当たりがあったのかも知れない。渋
じゆ
面うめん
がさらに歪ゆが
んだ。「……それでもだ」 歪んだ顔面にさらなる感情が交ざり始める。それは過去、何度も見てきた少年の顔。夢を信じる強い力だった。 だがそれを受け止めるカンバスはすでに歪んでいて、力を黒く染め上げた。「それでも、俺はみんなを助けるんだ。そのためなら、何だってやる」「……そうかい」 何かが生まれようとしている。卵が鳥になるように、芋虫が蝶
ちよう
になるように、つややかな肌をもった赤ん坊が、皺
しわ
びた老人になるように。アリス・カラーという名の赤ん坊が何かに孵
かえ
ろうとしている。「だったらそう、すればいいさ」 それが見たいような、見たくないような、ハンプニーはまた迷うのだった。
†
アリスを送り出してから、ハンプニーは呟いた。「……おい、小娘、いるんだろう?」 静まりかえった森を睨みつける。「出てこい。話がある」 森には人の気配など微塵もなかった。だが三度ハンプニーは呼びかけた。「とっとと姿を見せろディー・エンジー !!」「ひやぁっ! わ、わかった行くから、怒鳴らないでよぅ……」 ぬらりとその身を透けさせて、巨大な幹から這
は
い出したのは二人組の片割れ、ディー・エンジーだった。
アリスも変わったが、それをいうならこの娘の方が変化は早かった。無理もない、それこそ不死の特性として毎回リセットを挟むアリスとでは雲泥の差がある。何物にも触れられず、またそれ故に侵されない体質は異形の研
けん
鑽さん
を経てさらなる深化を遂げており、無垢だったまなざしは時間と現実に洗われていた。「やぁ、久しぶりだねハンプニー」 乾ききった紫の眼に、ハンプニーは自分と同じそれを見る。「……お前達、いったいなにをしている」「えっと、なにって、オスティアに人を入れたこと? や、でもそれはボク知らないよ。アリスが勝手にやっちゃったことで……」「そうじゃない。俺が言いたいのはお前達の有り様だ。……最近、ゴーラの南端で戦があった。知っているか?」「それがどうかしたの?」「死者共の群れに組織性が見られる。洗脳的な手法でやつらに情報を与えた者がいる」「えっと、それで?」「そいつは、ごく最近になって“魔女”の名を下されたそうだ」「……ふーん」 ニヤニヤニヤニヤ、ディーが笑う。いままで見たこともない腐れた笑みで、 銃を抜く。右手で構えて正確に彼女の額に向ける。「堕
だ
したなディー。いや“西方の魔女”」「……なーんだ。もう知ってたのかぁ」 狙う先には馬鹿を見るような苦笑があった。「意外と情報通なんだね。やるぅ」「これでも知り合いは多いんでね。……貴様、いろいろと首を突っ込んでは、文字通りに囁
ささや
いているそうじゃないか。それも一際ろくでもないことをな」 クスクスクスクス、ディーが嗤う。泣いているように密かに嗤う。「貴様、なぜこんな事をしている」
「なぜ? なぜって、アナタがそれを聞くの? 人ハンプニーハンバート
喰い玩具が幽霊に、そんなことを聞くっていうの?」 まるで鏡を見ているように、ディーは嗤った。「そんなの、アリスが可哀想だからに決まってるじゃない」 一転、彼女は困ったように首を傾げた。それはあの頃の笑みそのままだった。幼馴染みの少年が引き起こすドタバタにピーピー泣いて振り回される、穏やかな少女の苦笑だった。 だが彼女はそんなどこにでもある悲喜劇から遙か彼方まで来てしまった。「正直ね、ボクもう『あっち』から『こっち』に帰ることは諦めてるんだ。だって、考えてもみてよ。こっちの世界って、よく見たら結構最悪じゃない? 冷静に比べてみたらあの封印世界って結構いいところだと思うわけ。実際そう言って入ってくる人も結構増えてるわけだし――」「俺にご託は必要ない」 銃をしゃくって先を促す。「結論を言え。“囁く”な。なぜお前はこんな事をしている。答えろ」「……これだからキミは苦手だよ。あーやだやだ、過去を知っている人
バツクアツプ
間なんてみんな消えちゃえばいいのにね」 そして、ディーは言った。人と人とを争わせ、幾多の異能者を産み出し、希望と絶望を万
まん
も生み出した理由を語った。「アリスがさ、諦めないんだよ……。ボクが諦めても、他の人が諦めても、アリスが諦めてくれないんだよ。ボロボロになって傷ついても、死んだって諦めてくれないんだ。まるで窓にぶつかり続ける蠅みたいに、足が折れて、目が潰れて、羽がもげてもまだ外に行こうとするんだ……」 また、少女の瞳。「だからボク、思ったんだ。窓の外なんてなくなっちゃえばいいんだって
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
、外の世界がなくなれば、流石のアリスだって諦めるでしょ?」「そんな理由で、世界を滅ぼそうというのか」「あはは、そうだね。ひどいやつだよねー。自分でもそう思うよ……だけ
ど」 卵が割れる。なにかが生まれる。無垢な少女が幽霊に孵る。「だけど、ボクもう、それでいいんだぁ」 両手を広げて、ディーはそこをじっと見た。まるで己が持つ力に初めて気付いたように、あるいは戯れで殺した虫を見るように。「それだけで、もういいんだぁ。十分だよ。そして、いまやボクはそう、できる。できることなら、やらなきゃだよ。……ねぇ、ハンプニー」 この世界に暮らす人間であれば誰であろうと承服できないような話を聞かされて、しかし、ハンプニーは否定しなかった。「あなたなら分かるよね。人
ハンプニーハンバート
喰い玩具。永遠不死を生きる人……」 銃を向けられていることなどものともせずにディーが迫る。近づきすぎた距離はやがて限界を踏み越え、白い額に銃口を埋めた。 紫の瞳は病的なまでに澄み渡って、鏡あわせの無限を見せた。「この体だとね、すべてが夢に見えるんだ。なんにも触れない、なんにも触られない、確かだったものはあやふやで、でもボクなんかよりずっと強固で、全てが関係なしに過ぎ去って、できることは何もなくて、残るのはいつも一人だけ」 誰もが己を置いて行く。最後の時を看取ってくれない。 彼もが先に死んでいく。止まった時に取り残される。 それは不死者が罹
り
患かん
する不治の病だ。確固たると思っていた大地が崩れ去り、皮膚が溶けて自らが曖昧に熔けていく。 すべてが夢に見えるのだ。 強固なものは腐れ落ち。親愛は時間に流され。肉体は永久に死に続ける。 意味のない時間を生きるのはつらく、苦しい。「ボクにはもう、アリスしかいないんだぁ……」 そうなってなお胸に残った淡い熱は永遠を慰める大切な火だ。冷たい世界にのこる唯一の道しるべだ。ハンプニーはそれをよく知っている。なぜなら自分もまた、そうして生きているのだから。
故に、彼女の思いは理解できた。 だが受け入れることはできなかった。「だからどうした」 銃声。 ハンプニーは引き金を引いた。無論、ディーには傷一つ残らなかった。 馬鹿をみるような目。「なにしてるのさ。そんなことしても、ボクには効かな――」 二発目の時もそうだった。「だから弾の無駄――」 三発目もそうだ。 だが四発目から、顔色が変わった。「……ちょっと」 五発目。彼女は理解したのだ。人
ハンプニーハンバート
喰い玩具が、決して無駄に撃っているのではないと。「ちょっと……やめてよ!」 六発目。 たとえ、ディーが幽霊の体ではなく、撃たれれば死ぬだけの体だったとしても、ハンプニーが引き金を引いたと理解してしまった。そうされるに足る邪悪に自分が成り下がったのだと、知ってしまった。 全ての銃弾は何物をも傷つけずに大地に落ちた。 だがそのときにはもう、か弱いディー・エンジーは砕け散っていた。「世界を滅ぼすのなら、当然俺も殺すのだろう」 打ち尽くした拳銃をなおも構えて、ハンプニーはいった。「やってみるがいい。できると思うのならな」「……なにさ」 卵が孵る。幼く弱い少女は孵り、さらにか弱い幽霊となる。彼女の武器は 『囁き』のみ、何物にも触れず、何物にも侵されない。「なにさ、なにさ、なにさ、なにさ !!」
今ここに幽霊が産声を上げた。世界の酸化を早めて終わらせ、馬鹿な蠅を愛すと決めた世界の敵が誕生した。 彼女の名は“西方の魔女”。「いいよ人
ハンプニーハンバート
喰い玩具! 必ずあなたを殺してあげる! 私の永遠で滅ぼしてあげる!」 中傷し、愚弄し、にんまり嗤って、少女は何物かへと変貌を遂げる。それはもはや彼女ではなく、しかしどうしようもなくディー・エンジーだった。「上等」 それこそ、キヅナ・アスティンがかつて通った獄門だった。「俺もまたお前を殺してやろう。いま
0 0
まさにディー・エンジーを殺したように、幽霊すらも殺してやるよ」 人
ハンプニーハンバート
喰い玩具は嗤う。幽霊も嗤う。鏡のように嗤い合う。「あはは! 首を洗って待っててよ! 幽霊の囁きは、決してあなたを逃しはしないんだから! あはは! あーはっはっはっ !!」 そして二人は袂
たもと
を分かった。 こうして世界は新たな災厄を孕
はら
んだ。幽霊の名を持つ少女は、ただ囁くだけで人心を惑わし、幾多の運命をねじ曲げる魔女と化した。 闇に消えゆく哄
こう
笑しよう
を聞きながら、人ハンプニーハンバート
喰い玩具は思うのだった。 虚無はたやすく人を呑む。あらがうことなどできはしない。 幾多の死者も、キヅナ・アスティンも、そしてディー・エンジーもそうだった。 あいつはどうなのだろう。ハンプニーは思った。 あの、永遠と言うにはあまりに中途半端な黒髪の少年は、果たして未来へ行けるのだろうか。 それを、ハンプニーは知りたかった。
†
いや、本当は知りたくなかったのかも知れない。 確かめたくなどなかったのかも知れない。 配られたカードは伏せたままに、投げられたダイスは回ったままに、ただ可能性のまま躍っている様を眺めていたかっただけかも知れない。 鬼札が出るのを期待して、ぞろ目が出るのを夢に見て、そうしてずっと待っていたかったのかも知れない。 答えなど、とうの昔に出ていたのに。
†
「よう。ひさしぶりだな」 荒野で人
ハンプニーハンバート
喰い玩具が言う。親しみとちょっぴりの悪意を込めて。「……えっと、ごめん。どこかで会ったか?」 街角でアリス・カラーが言う。出会ったばかりのあの頃のままに。「つれないことを言うじゃないか。あれだけ話した仲だろう」 浜辺でハンプニーが言う。気怠く、軽く、紫煙を浮かべて。「……もしかして、以前の俺に会ってるのか?」 廃村でアリスが言う。警戒と不信をたっぷりと込めて。「ああ、俺とお前は何度も会っているよ」 それは何度となく繰り返された出会いと別れ、二重の不死が僅かに接した螺旋の記憶。 あれから二人は何度も出会い、何度も別れた。 そして、そのたびに事象はある一点へと収束していった。「ところでアリス。お前はなにをしているんだ?」 荒野だ
0 0 0
。荒野にいる0 0 0 0 0
。
少年はなまがわきの荒野にいた。血が流れ、臓物が散り、未だ蠢うごめ
く屍肉の中で、返り血に染まってたたずんでいた。その手には一丁の機関銃がある。「なにって、見れば分かるだろ」 引き金が無造作に引かれて、弾丸が辺りにばらまかれた。狙いなどろくに付けていなかったはずの発砲はしかし、一発も外れることなく屍者どもを撃った。「なんか知らないけど、殺されそうになったから殺し返した。それだけだよ」「それだけ、か……なるほど、たしかにそれだけのようだ」 物取りか、あるいは喰おうとでもしたのだろうか、蠢く屍者は武装しており、死してなお欲望に染まっていた。「なにか文句でもあるのか?」「そういわれると、少しつらいな」 むろん、人
ハンプニーハンバート
喰い玩具に文句などない。正当防衛どころではなく、ただの殺しであっても心を動かすことはないだろう。 ただ、アリスはそうでないと、思ったのだ。「……お前も、邪魔するなら容赦しないぞ」 ぬらりと、硝煙を纏った銃身が持ち上がり、真っ黒な口がこちらを睨んだ。向こうには同じ色に染まる瞳が二つ、澄んだ色のまま見つめていた。「俺は、みんなを救うんだ。そのためなら、なんだってやる」 ああ、ハンプニーは思う。 結局、こうなってしまうのだ。 友を救いたいという純な願いを叶えることが、この世界ではどれだけ厳しいことなのだろう。そしてそれでも諦めることなくひた走る、魂はどれほど美しくも醜悪なことだろう。 ハンプニーは銃を抜いた。アリスは躊
た め ら
躇いなく撃った。異常なほど正確な射撃は心臓と肺を滅茶苦茶に破壊して鼓動を止めた。が、「お前はもう、駄目だよアリス」
血を吐きながら、しかしハンプニーは何事もなかったように歩き始めた。アリスにもまた動揺はなかった。狙いを僅かに変えると確かめるように引き金を引いた。額、眼、首、肺、心臓、肝臓、腰骨、大腿骨、弾丸は全てに命中し、全てを砕いた。 だがハンプニーの歩みは止まらない。ゆっくりと銃を構え、一歩一歩確実に近づいていく。まるで巨岩が転がるように。「お前は墜ちてしまった。あんなに輝いていたのに、あんなに温かだったのに、お前は冷たく黒ずんで、それでいいとさえ思っている……」 アリスはもう答えない。マガジンを取り換えてさらに撃つ。その顔は悪鬼そのものだ。「お前、ここで終わっとけよ」 そしてハンプニーは駆けだした。アリスと同じ表情を浮かべて、鏡あわせの戦いに身を投じた。「ちっ! 化物め!」 すぐにハンプニーの特性を見抜いたアリスが狙いを変更。武器そのものを狙い始める。だがハンプニーは小さな銃を心臓で守り
0 0 0 0 0
背中すら見せながら近づいていく。 あろう事かそのまま発砲。「ぐあっ!」 心臓を貫いた弾丸はそのままアリスの左腕に命中した。ハンプニーはすぐさま蘇生、振り向き際にさらに発砲。一発目は外れ、二発目も外れ。三発目でようやく狙いが定まったがそもそも引き金が引けなかった。「あん?」 見れば右腕が根元から千切れ飛んでいた。思う間もなく銃弾の雨が右足を襲う。「はいずってろ不死者!」 再生の仕組みに気付いたアリスが、弾幕をノコギリのように使って四肢を切断しようとしている。そうはさせじとハンプニーは自ら心臓を撃つ。千切
れた四肢と血がぴたりと吸い付き再生する。「ははははは! やるじゃないかアリス! 楽しいなぁ! なぁ !?」「だまれ狂人! そんなわけがあるか!」「ははは! 嘘だな! はははははははは !!」 命が燃えている。魂が駆動している。死と死の狭
はざ
間ま
で、ハンプニーはどうしようもなく嗤えてしまう。 この戦いに正義はない。 どちらが勝とうが意味などないのだ。悪鬼が勝てば化物が、化物が勝てば悪鬼が残され、どのみち世界をむしばんでしまう。 そんなことを、二人はもう何度も繰り返してきた。「いい加減に死ね化物!」「ははは! お前が死ね悪童! ははははは!」 そして二人は殺し合う。二重螺旋が出会う度に、不死と不死をぶつかり合わせて、円環のなかで殺し合う。 己が尾を噛む蛇のように、あるいは地獄の刑苦がごとく。 ハンプニーは思う。この日々に終わりは来るのだろうかと。 人
ハンプニーハンバート
喰い玩具とアリス・カラー。そして四人の魔女達に、等しき終わりは訪れるのだろうか。安らぎと後悔のなかで眠る日が。いつかは訪れてくれるのだろうか。 とても、そうは思えなかった。
いずれ、この日々も永遠に呑まれるのだろう。 殺人の熱狂も、抗死の恐怖も、そしてただ一つ残された温かな愛情も、全ては凍り、全ては止まり、いつかただの石ころになる。 いまはその日が待ち遠しかった。
――終――
「――ってのが、いままでのお話だ」 そしてまた荒野だった。 物語が終わった後で、解答用紙の裏側で、人
ハンプニーハンバート
喰い玩具はなおも語った。「……おい、そんな話を聞かされて、俺はどーすりゃいいんだよ」 傷一つない左目を歪ませて、アリスは困ったように小首を傾げた。「えーとなんだ、つまり俺がそういうひどい奴になるかもしれないって言いたいのか?」「かもしれない、じゃあない、お前は必ず『そう』なるんだよ」 そこが、ディーとアリスの異相であり、ハンプニーとの相似だった。「すこしばかり迷ったが、やはりお前は悪鬼の卵だ。幽霊とは違う。永遠に囚われた被害者ではなく、永遠を下僕とした加害者だ」「ひどい言いようだな……」「いずれ分かるさ。いずれな」「で? そんな奴は今ここで殺しちまおうってか?」 殺気と言うにも烏
お
滸こ
がましい幼稚な怒気を向けられて、ハンプニーは苦笑を禁じ得ない。この餓鬼は人の殺し方すらよく知らないのだ。まるで子犬に吠えられた気分。「そうだな、そうするのが正しいのだろう」 だが子犬はいずれ血の味を覚え、世界を喰らう狂犬となる。 ならばここで打ち倒すのが慈悲というものだろう。 が、あいにく人
ハンプニーハンバート
喰い玩具は優しくなかった。「やめだ」「は?」「修羅にでもなんでも墜ちるがいい。そのときはそのときだ」 薪
まき
の一つを手にとって、縒よ
れた紙巻きに火をつける、苦い煙を胸一杯に吸い込んで、魂でも吐くように空へと流す。 アリスは呆気にとられている。「……なんなんだよあんた。俺が言うのもなんだけど、それでいいのか?」
「知るか。少なくとも今のお前は悪ではない。それでも殺されたいってんなら、とっとと修羅にでも墜ちて出直してくるんだな。ほら、はやくしろ」「はあ……俺、あんたの性格が少しだけ分かってきたよ」「そうかい、ちなみに俺もお前の性格をよく知ってるよ。アリス」 過去の会話ばかりをつなぐ、それは自問自答のようだった。「やって見せろよアリス。叶わぬ夢を叶え、その牢獄から逃げ出してみせろ。俺はそれが見てみたい」「へいへい、言われなくてもそうするよ」 摩耗し、疲れ切った魂で、それでも人
ハンプニーハンバート
喰い玩具は期待する。か細い可能性のその先に、円環を破るなにかがあると。未だ見ぬ運命が、無為の物語に終点を与えてくれると。 そう信じるから、生きていられる。
人ハンプニーハンバート
喰い玩具の予想は確かに正しかった。幾たび出会い、幾たび別れた二人の物語は最後まで円環から逃れることができず、静止と再起の永遠は螺旋を描いて重なり合うことなどなかった。誰と出会おうと、何が起ころうと、二人は二人のままでありつづけた。 それは太陽の笑顔をもったあの少女と出会うまで、終わることはなかった。