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!!!!!!! !!! !!!!!!! !!! 1.社会的交換理論への注目 前世紀の末頃から,経済社会学,あるいは社会経済学の復興の機運の なかで,経済学における交換概念を一般化して社会関係の全体に適用す る社会的交換という考えがしばしば採用されるようになった。たとえば, 村上泰亮はローレンとの共同論文(Murakami and Rohlen 1992)で日 本の経済社会の説明に社会的交換理論を用いただけでなく,遺著となっ た『反古典の政治経済学要綱』(村上1994)で,それを新しい政治経済 学の構想の不可欠な構成要素として承認した。 社会システム論を経済に適用しようとしていた社会学者の富永健一も, その著『経済と組織の社会学理論』(富永1997)で,社会的交換論をミ クロ的基礎として取り入れて,市場関係と企業組織の双方を包括する経 済社会学の構想を示した。その背後には,G・C・ホマンズ(Homans 1974),P・ブラウ(Blau 1964)によって1960年代に生まれた社会学に おける交換理論がJ・コールマン(Coleman 1990)によって大成され, 経済社会学の確立の動きに刺激を与えているという事情があった 1) 経済的交換と社会的交換: 制度経済学におけるミクロとマクロ 紀一郎 1)最近の経済社会学の試みとしては,Smelser and Swedberg eds. (1994), Swedberg (2003)がある。 千葉大学 経済研究 第25巻第3号(2010年12月) (625) 113

経済的交換と社会的交換: 制度経済学におけるミクロと ......1)最近の経済社会学の試みとしては,Smelser and Swedberg eds.(1994), Swedberg(2003)がある。千葉大学

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    1.社会的交換理論への注目

    前世紀の末頃から,経済社会学,あるいは社会経済学の復興の機運の

    なかで,経済学における交換概念を一般化して社会関係の全体に適用す

    る社会的交換という考えがしばしば採用されるようになった。たとえば,

    村上泰亮はローレンとの共同論文(Murakami and Rohlen1992)で日

    本の経済社会の説明に社会的交換理論を用いただけでなく,遺著となっ

    た『反古典の政治経済学要綱』(村上1994)で,それを新しい政治経済

    学の構想の不可欠な構成要素として承認した。

    社会システム論を経済に適用しようとしていた社会学者の富永健一も,

    その著『経済と組織の社会学理論』(富永1997)で,社会的交換論をミ

    クロ的基礎として取り入れて,市場関係と企業組織の双方を包括する経

    済社会学の構想を示した。その背後には,G・C・ホマンズ(Homans

    1974),P・ブラウ(Blau1964)によって1960年代に生まれた社会学に

    おける交換理論がJ・コールマン(Coleman1990)によって大成され,

    経済社会学の確立の動きに刺激を与えているという事情があった1)。

    論 説

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

    八 木 紀一郎

    1)最近の経済社会学の試みとしては,Smelser and Swedberg eds.(1994),Swedberg(2003)がある。

    千葉大学 経済研究 第25巻第3号(2010年12月)

    (625) 113

  • 新千年紀に入るやいなや,企業を中心にした日本の経済システムを,

    雇用・労使関係,企業間関係,企業金融関係にわたる「制度的補完性」

    として構成していた青木昌彦が,『比較制度分析に向けて』(青木2001)

    を著し,経済活動は社会的交換と連結され「社会的に埋め込まれている」

    という見方を示した。市場に還元されない経済制度を対象にする制度経

    済学において,非市場的な社会的交換がその主要な研究領域とされたの

    は当然であろう。昨年には,企業組織の経済学を創始したO・ウィリア

    ムソンと並んで,共有資源の集団的・自治的な管理を研究したE・オス

    トロムがノーベル経済学賞を受賞した。その授賞理由は,市場メカニズ

    ムに還元されない組織ないし制度による経済ガヴァナンスの研究に両者

    が相互に補い合う貢献をしたということであった2)。

    心理学の領域では,一方ではL・コスミデスとJ・トゥービーらがヒ

    トのおこなう社会的交換の心理的基礎を生物進化論的な視角から探求す

    る「進化心理学」を開拓した3)。また,北海道大学の山岸俊男の研究グ

    ループが,社会的交換を支える「信頼」の理解を国際的な比較実験によっ

    て前進させた4)。山岸によれば,「信頼」というのは,「社会的な知性」

    である。この2つの心理学の研究プログラムは,今後,進化的な制度経

    済学を発展させるために特別な重要性を有していると思われる。

    本稿では,まず,「経済的交換」を,多かれ少なかれ共通の価値尺度

    で評価される経済財を,対応関係を確定させて相互に給付しあう行為で

    あると定義しておこう。市場的な交換においては,共通の価値尺度が貨

    2)ノーベル経済学賞選考委員会の授賞理由説明書The Economic Sciences PrizeCommittee of the Royal Swedish Academy of Sciences(2009)を参照。Wil-liamson(1975)(1994)(1996), Ostrom(1990)(2005)参照。

    3)Cosmides and Tooby(1992),および経済学研究者を対象にした小論説Cos-mides and Tooby(1994)を参照。その到達点はCosmides and Tooby(2005)に示されている。

    4)山岸(1990)(1991)(1998)。なお,Yagi(2001)には,山岸の研究成果に対する私のいわば社会構造論的な視点からのコメントが含まれている。

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

    114 (626)

  • 幣として顕示的になっているが,非市場的な経済的交換においては,価

    値尺度は潜在化していたり,市場経済における貨幣とは別のものであっ

    たりすることがある。その場合でも,交換される財と交換しあう主体

    (人格)は分離されていて,主体が財に対しておぼえる「効用」が交換

    の原動力である。

    「社会的交換」は,上記のような「経済的交換」の定義にあてはまら

    ない交換を全般的に指すものと考えることができる。しかし,前記の経

    済的交換の定義を逆に読んで,交換される財が人格と切り離しにくいこ

    とを社会的交換の特徴であるとみなすこともできよう。社会的交換にお

    いては,服従や尊敬といった通常は経済財と考えられない主観的なもの

    も交換の対象とみなされ,給付の相互対応関係も不確定であり得る。

    たとえば,富永にならって,職場に入ったばかりの新入社員に古参社

    員が仕事の要領を教える場合を考えてみよう。(富永1997,p.23f.)企

    業のフォーマルな組織を前提すれば,これは古参社員と新入社員がそれ

    ぞれに期待された役割を果たしているだけだということになるが,社会

    的交換理論はそこに古参社員と新入社員のそれぞれの利害にもとづく交

    換関係が存在しているとみる。古参社員は新入社員を指導することに

    よって,職場での威信を高め,また将来の何らかの機会に新入社員から

    の助力というお返しを受けることを期待することができる。したがって,

    古参社員にとって,新入社員の面倒をみることは,ただ煩わしいだけの

    サービスではない。新入社員にとっても,古参社員の指導を受け入れる

    かわりに仕事のスキルを高めることができるのであるから,それは決し

    て損な取引ではないであろう。双方が自発的に交換関係に入る(あるい

    はそうした交換をせざるをえないという関係を受け入れる)ことによっ

    て,組織は強制力の発動なしに機能を果たすのである。

    財と財が交換される経済的交換の場合には,交換の推進動機は,どの

    程度貨幣によって抽象化されているかどうかは別として,交換当事者の

    千葉大学 経済研究 第25巻第3号(2010年12月)

    (627) 115

  • 持続する関係 社会的交換

    財 財 完了する交換 経済的交換

    個人 効用/人格

    個人 人格/効用

    財に依存する効用である。したがって,交換当事者の人格や両者の間の

    社会関係は無くなるわけではないが希薄になりうる。スーパーでの買い

    物のように,棚に並べられている商品をカートに積んで,レジに運び表

    示された金額を無言のまま払うだけでも立派な経済的交換である。それ

    に対して,社会的交換においては,交換される財は内容が特定される場

    合も特定されない場合も人格と結びついている。社会的交換においても

    財の取得による効用の増加が背後にあることは否定できないが,交換さ

    れる財の内容もまたその効用(評価)自体も,交換によって結びつけら

    れた人格的関係(社会関係)に依存している。(図1を参照。)経済的交

    換においては,人格的関係は容易に終了しうるが,社会的交換において

    は持続する。

    社会的交換においては,何と何が交換されているかは客観的には明確

    ではなく,当事者の意識や社会関係に依存する。たとえば,古参社員が

    新入社員に与えた知識がどう評価され,どう活用されるかは新入社員次

    第であり,また新入社員が古参社員の指導に対し感謝の念をもつとして

    も,それをどのように行為に移すべきかは定まっているわけではない。

    したがって,この理論は支持者の目から見れば,共同体的な要素をもっ

    た長期的関係を解明するのに適した理論であるとされるが,批判者の目

    から見れば,村上さえも「いささか悪名高い」(村上1994,p.138)と

    いうように,交換の実体のないところに交換を設定する「不適切な一般

    化の一例」とされるであろう。

    それでは,社会的交換理論が注目されているのは,どのような理由か

    らだろうか。

    図1 社会的交換理論の視野

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

    116 (628)

  • 第1には,交換される財を経済財から社会的な財一般に拡張すること

    によって,経済学において発展した分析方法を,非市場的な社会現象に

    適用することができるのではないかという期待が社会学者のなかに生ま

    れているからである。この場合,念頭におかれている経済学は,ゲーム

    理論を含むが,効用最大化をはかる個人(ホモ・エコノミカス)の合理

    的行動を軸とした新古典派のミクロ経済学である。この点では,社会的

    交換理論を合理的選択理論の社会学版ととらえ,経済学と並行させて社

    会学的な一般均衡理論にまでもっていこうとするコールマンがもっとも

    積極的である。富永も社会的交換論を合理的選択論の一翼とみなしてい

    るが,ボックス・ダイアグラムや均衡方程式の使用に関しては比喩的な

    妥当性しかないとして,留保の姿勢を示している。

    それに対して村上のような経済学者の方は,「特定化されない返還義

    務」によって定義される社会的交換論によって,「自分の身の周りの世

    界,生活する世界」についての「略画的・全体的イメージ」の「情報的

    相互作用」を視野に入れることができると考えている。なぜそれが重要

    かというと,あらゆる交換は,経済的交換も含めて,取引がおこなわれ

    る枠組みについての情報を必要とするが,それは交換される財の価格や

    数量といった情報だけでなく,交換に関する「信頼と合意の枠組」にか

    かわる情報が必要だからである。村上は,社会的交換においては,「世

    界イメージの共有にもとづく信頼など」の「時間と対人関係の両面にお

    いて〈粘っこい〉蔓の情報」の比重が強く,経済学者のいうプリンシパ

    ル・エージェント関係や継続的取引関係は社会的交換の性質を大きく含

    んだ経済的交換であるとみている。(村上1994,pp.134―41)つまり,

    経済学者の方は,社会的交換理論によって経済的交換にその枠組みにか

    かわる社会的視野が与えられると期待しているのである。これが,第2

    の期待である。

    このような経済学者の期待に対応するものを社会学者たちの期待のな

    千葉大学 経済研究 第25巻第3号(2010年12月)

    (629) 117

  • かにさがすならば,以下の第3,第4,第5のような,ある面では第2

    の期待をさらに特定化したような期待が社会的交換理論にかけられてい

    るようである。

    第3は,交換主体相互の社会関係を明示的にとりいれる社会的交換理

    論によって,支配・服従,指導・被指導,指令・受容といった権力的要

    素をもった社会関係も,合理的個人の選択行動から説明することができ

    るのではないかということである。P・ブラウは,有用なサービスの一

    方的な提供が,権力関係におけるインバランスで相殺されるという社会

    的交換による「権力」の解明を目標としていた(Blau1964,訳書p.23)

    が,コールマンも「自己のコントロールを放棄することによる効用の増

    加」(Coleman1990,p.169)の可能性を考慮に入れることが,経済的

    交換とは異なる社会的交換の特質であるという。先の古参社員と新入社

    員の例でいえば,新入社員は個々の具体的に確定した行為によって古参

    社員にお返しをしているのではなく,何をすればいいかの決定を古参社

    員あるいはその所属する共同体に委ねることによって交換をバランスさ

    せているのである。このように考えれば,当然,雇用関係も社会的交換

    関係の重要な領域になる。雇用関係には,自己の行為のコントロールを

    移譲する権力的関係が含まれるとしても,被雇用者がそこに入り込むの

    は,それに入り込むことによって自己の状態を改善できると判断してい

    るからである。最近は経済学者も,組織現象を取り扱いはじめ,一方が

    他方をコントロールしうる状態についての研究も進んできた。しかし,

    主権的個人を前提にした新古典派経済学においては,内容を具体的に示

    した契約で自分を(部分的に)拘束する場合を除けば,自己の(全般的)

    コントロール権を自発的に相手に委ねることは想定されない。それに対

    して,個人をその社会的関係のなかで捉える社会学的な交換理論におい

    ては,服従もまた行動の合理的選択肢のなかに入りうるのである。

    第4には,長期的で多面的な交換行動の集積である社会的交換におい

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

    118 (630)

  • ては,確定した経済財相互の交換としては困難のある場合でも,既存の

    経済外的な「社会資本」や権利や規範,あるいはそれらの形成によって,

    自発的交換の困難性が克服される可能性があると考えられるからである。

    たとえば,個々の交換としては囚人のジレンマ,あるいは社会的ジレン

    マの状況にあって,合理的経済人の仮定にしたがえば協調行動が成立し

    ない場合でも,リーダーとしての威信(社会資本の1例)が確立した人

    物がいれば協調は可能であるし,また裏切りを忌避する価値規範が生ま

    れるかもしれない。コールマンは,規範は外部性から生まれるという。

    たしかに,反省や学習,さらに価値観の形成をも含む持続的な社会生活

    のなかでみれば,個人の行動が他者の状態に影響するという外部性の出

    現は,それを解決する規範,制度の形成プロセスの出発点ではあれ,到

    達点ではないであろう。アクセルロード(Axelrod1984)以来のゲー

    ム理論のシミュレーション研究は,無限回の繰り返しゲームのような場

    合には,囚人のジレンマ型の利得表のもとでも,協調がありうることを

    示している。しかし,相手にかもにされる可能性のある(一方的な)協

    調行動をはじめになぜ選ぶのかという問いに対しては,ゲーム理論は何

    も答ええない。自己防衛的な非協調の態度でゲームが開始されることも,

    同様の権利で可能だからである。社会的交換理論は,むしろジレンマが

    制度や規範によって除去されることを重視するのである。

    第5は,個人の合理的行動を社会関係に関連づけてとらえる社会的交

    換理論は,個人の行動というミクロ現象とその社会的規定性,および社

    会的結果というマクロ現象のリンクを把握するのに適当な形式になりう

    るという期待が存在する。たとえば,コールマンは,図2のような図式

    を示しているが,新古典派経済学においては,�が価格情報でしかなく,

    それに合理的に反応した個人的行動�のマクロ・レベルでの結果として

    の財の配分�も,再度価格情報�としてミクロ・レベルに戻されるとい

    うミクロ・マクロ・リンクが構成されている。それに対して,社会的交

    千葉大学 経済研究 第25巻第3号(2010年12月)

    (631) 119

  • (1) (3) システム・レベル

    (2) 行為者のレベル

    換においては,個人の行動をマクロ・レベルの結果に結びつける�を明

    示的に「制度」と捉え(たとえば,個人の投票行動から議席配分・政権

    再編成に結びつける選挙制度を想起せよ)の作用としてとらえ,また,

    マクロ・レベルでの状態が個人の行動に影響する経路�をも,同じく

    「制度」の作用(政権による利益操作や教育・宣伝を想起せよ)と考え

    ている。富永は,マクロのレベルに社会システム,あるいは役割の体系

    としての組織を想定し,マクロ・レベルのシステムがミクロ・レベルの

    個人行動に分解されると同時に再統合されるループを考えているようで

    ある。「制度」にせよ「社会システム」にせよ,社会的交換理論におい

    て焦点になっているのがミクロ・マクロ・リンクであることは,新古典

    派と区別された社会経済学(あるいは制度政治経済学)におけるミクロ・

    マクロ・リンクの探求にとっても示唆に富む。

    本稿では,社会的交換理論に対する上述の期待を意識しながら,社会

    的および経済的交換を,私自身の規範と利害にかかわる承認理論の図式

    を用いて整理する。それによって,この二重の交換理論が市場と組織の

    相互関連,および両者におけるミクロ・マクロ・リンクのあり方に新し

    い見方を提供しうることを示したい。

    2.交換の前提としての承認

    経済的交換にせよ,社会的交換にせよ,実際に交換がおこなわれる以

    前に,交換当事者の双方の人格および支配する財についての承認が存在

    するであろう。すでに述べたように,社会的交換の場合には,こうした

    図2 ミクロ・マクロ・リンク

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

    120 (632)

  • 交換の枠組自体もその情報的作用に含まれるかもしれない。P・ブラウ

    は,社会集団の凝集の基礎となる「社会的支持」の二つの要素として,

    内面の感情に直接訴える「内的誘因」とともに他者の決定,行為,見解

    に対する「社会的是認」を重視している。この「社会的支持」は「明確

    な社会的交換の範囲」を確定するものであるとみなされている。(Blau

    1964,訳書p.54)

    しかし,直接に何らかの社会的関係に入らない人々の場合においても,

    相互の,あるいは一方的な承認関係が考えられ,それは社会一般の規範

    や価値判断の根拠になっているであろう。また,そうした第三者の是認

    を受ける可能性を意識することは,個人の行動を意識的・無意識的に規

    制する倫理の基礎でもあるだろう。これはアダム・スミスが『国富論』

    に先行する著作『道徳感情論』(Smith1759)で説いた社会理論の基本

    である5)。

    それに対して,ブラウやその後のソシオメトリクス研究者たちの

    「ソーシァル・サポート」研究は,集団レベルの,いわば局所的な規

    範・感情形成を対象にしている。主権的な個人が普遍的な市場のもとで

    合理的に行動するという(理念型的な)経済的交換は,普遍性をもった

    社会状態/市場状態,いわば「市民社会型」の秩序に対応する。それに

    対して,社会的交換は,社会学者たちが設定しているような局所的レベ

    ルでの秩序形成に対応するであろう。しかし,一般的レベルでの社会的

    承認の場合でも,一挙に社会の全員でおこなわれるような「社会契約」

    を前提しないとすれば,個々の主体が相互に与え合う承認のあり方が,

    個別的なものから,ローカルなものへ,さらに一般的レベルに進展して

    5)私の承認理論は,ルソーの社会契約論,スミスの道徳感情論,そしてマルクスの交換過程・価値形態論をヒントとして生まれた。それらの理論を時間を忘れて議論し合った名古屋大学の平田ゼミナールに席を共にした後30年余,スミス研究に大きな業績をあげられた野沢敏治教授の学問と再び交錯する個所があれば嬉しい。

    千葉大学 経済研究 第25巻第3号(2010年12月)

    (633) 121

  • いくという普及発展のプロセスを想定しなければならないであろう。他

    方,集団レベルでの「社会的是認」「内的誘因」が直接に影響する局所

    的な秩序形成においても,行為主体のもつ既存の知識や価値観を通じて,

    あるいは想像上の関連を意識することで,局所レベルをこえた範囲での

    承認が影響するという問題を排除できない。間接的に関連しうる人々や,

    想像上あるいは制度上の一般的主体も考慮にいれるなら,社会学者の視

    野のなかにも社会哲学者の普遍的考察が再登場するだろう。

    私の承認理論は,最初,1998年に東京大学駒場キャンパスで開催され

    た進化経済学会第2回大会で読まれ(八木1998),その後,1999年3月

    に京都で開催されたSEEP(経済倫理学・哲学)コンファレンスでの討

    議をへて,そのプロシーディングスに公表したもの(Yagi2001)であ

    る6)。それは,以下の3点から出発していた。

    着眼点1:社会の秩序形成にあたっては,規範意識と利害共感の相互

    依存関係,およびそのズレの可能性の認識が重要であること。

    着眼点2:自分の規範(および/または利害)にしたがって他者の支

    配(所有)を承認する「自律的承認主体」だけでなく,相手

    の規範(および/または利害)にしたがって他者の支配(所

    有)を承認する「同調的承認主体」が存在することが,秩序

    形成のカギであること。

    着眼点3:強力な自律的承認主体による他主体の圧伏だけでは規範お

    よび価値基準が,一般化可能なものになることは期待できな

    いが,交換活動による洗練化がその可能性を生み出すであろ

    うということ。

    そのうえで,規範・利害の両側面をもった「市民社会」(個人にも普

    6)川村(2009)は,この承認理論を2種の進化ゲームモデルによって検討している。

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

    122 (634)

  • 遍的に適用可能な秩序をもった社会状態)に到達しようとするものであ

    る。

    到達点:規範面における洗練は一般的規範を生み出すであろうが,交

    換活動をつうじた利害面における洗練は,共同体の一般的利害

    ではなく,むしろ交換基準における一般性(貨幣)を生み出し,

    市場状態をつくりだす。到達されたこの社会状態/市場状態の

    もとでは,個人相互間のレベルにおける,自律的承認と同調的

    承認の差異はもはや私的な差異に過ぎず,社会的な秩序を脅か

    すものではない。

    こうした視点からすれば,ローカルな秩序形成にとどまる社会的交換

    は,図3のように,規範の一般化,利害規準の一般化の存在しない状態

    における交換として位置づけられる。

    承認の論理関係を明らかにするために,式で書いてみよう。人格Aが

    財pを支配していること(Dap)が承認されるのは,その支配を正当化

    する関数をLとして,人格Aによる自己正当化が社会(司法など)によ

    る正当化と一致している状態である。ここで社会の一般的規範をNgと

    するならば,La(Ng(Dap))=Lg(Ng(Dap))である。それが貨幣的交

    換の結果状態の正当化であるとすれば,そこには貨幣という利害の一般

    的規準(尺度)Igによる共感的是認が含まれなければならない。この利

    害状況に対する共感的に是認する関数をSとすれば,Aによる自己是認

    が社会的な是認と一致している状態が,交換結果としてのDapの承認で

    図3 ローカルな秩序形成としての社会的交換

    一般的規範利害の一般的規準

    有 無

    有 貨幣的交換 (無法取引)

    無 (直接交換) 社会的交換

    千葉大学 経済研究 第25巻第3号(2010年12月)

    (635) 123

  • ある。つまり,Sa(Ig(Dap))=Sg(Ig(Dap))である。

    それに対して,一般的規範と利害の一般的規準の存在しない社会的交

    換においては規範N,利害規準Iは,いずれも当事者のいずれかに由来

    するものであらざるをえない。

    図1のような位置づけとともに次のような疑問が浮かび上がってくる。

    それは,社会的交換は,一般的規範も一般的な利害規準もないのになぜ

    安定的に反復されうるのか,という問いである。

    私は自分の承認理論で,一般的規範も一般的な利害規準も成立してい

    ない段階での相互承認について,同調的な承認主体の想定が有益である

    と論じた。他人のことについても,自分の規範あるいは自分の利害だけ

    から判断する自律的承認主体どうしのあいだでは,相互承認は希有の例

    外でしかないが,相手の規範や相手の利害を感得し同調する主体が,ど

    ちらか一方,あるいは双方であれば相互承認はかなりの蓋然性でおこる

    であろう。形式的な回答にすぎないが,これを以下,社会的交換にも適

    用しよう。

    私の承認理論では,自己の規範ないし利害規準を自己だけでなく他に

    もあてはめようとする主体を自律的承認主体,それと逆に,相手の規範

    ないし利害規準を採用して正当化ないし是認をおこなう主体を同調的承

    認主体と呼んでいる。そこで,規範的正当化と利害的是認の両軸におい

    て,自律的承認主体と同調的承認主体を置いて,社会的交換の論理構造

    を示すことを試みる。

    自律的主体どうしの関係は,それ自体としては正当化および是認の一

    致が困難な無政府状態と考えられるので,それを無視するならば,A,

    Bという2人の人格的主体間になりたつ社会的交換の承認関係は,図4

    のようにタイプ分けできるだろう。

    先ず,Aが規範面において自律的,Bが規範面において同調的である

    場合,人格Aの財p占有(Dap)の正当化は,La(Na(Dap))=Lb(Na

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

    124 (636)

  • (Dap))という構造をもつ。人格Bの財q占有(Dbq)の正当化につい

    てみれば,La(Na(Dbq))=Lb(Na(Dpq))である。

    それに対して,A,Bがいずれも同調的承認主体である場合には,

    La(Nb(Dap))=Lb(Na(Dap)),La(Nb(Dbq))=Lb(Na(Dbq))である。

    この場合でも,Naによる正当化の範囲とNbによる正当化の範囲に齟齬

    が生まれる可能性があるが,相互に思いやりを行った結果であるので,

    大きな問題は起こらないだろう。

    利害的是認の面においては,Aが自律的である場合と同調的である場

    合,Bが同調的である場合と自律的である場合があるので,A,Bの組

    み合わせとしては,〈自律・同調〉,〈同調・同調〉,〈同調・自律〉の3

    とおりに分かれる。したがって,図4では6つのボックスが示されてい

    る。ただし,A,Bを入れ替えれば同じことになる関係があるので,論

    理構造としては5とおりである。

    まず左側の���を順次考察していこう。この左側の3ケースでは,

    いずれもAがBに対してその正当化規範を押し付けているので,これを

    「権力関係」あるいは「支配関係」と呼んでもいいだろう。しかし,こ

    の「権力関係」あるいは「規範的支配」のもとでの利害関係是認の構造

    は異なっている。規範面からみると,AはBにたいして上位にあり,自

    図4 承認のペアの組み合わせ

    規範的承認(A・B)

    利害的承認(A・B)自律・同調 同調・同調

    自 律 ・ 同 調�専制的支配:支配―服従

    �代理的利害関係:プリンシパル―エージェント

    同 調 ・ 同 調�中立的支配:秩序―取引

    �共同体/市民社会

    同 調 ・ 自 律�代理的支配:秩序―支持

    �:�と同じ

    千葉大学 経済研究 第25巻第3号(2010年12月)

    (637) 125

  • 己の規範を貫徹させるという意味での「権力」を有しているが,経済的

    利害関係の実質から見れば,Aがつねに上位に立つわけではない。

    �のケースにおける社会的交換結果の利害是認の式を示すと,Sa(Ia

    (Dap))=Sb(Ia(Dap)),Sa(Ia(Dbq))=Sb(Ia(Dbq))となる。

    BはAの規範を受け入れるだけでなく,利害関係の是認においてもA

    の規準にしたがっている。Bは経済的利害の実質面においても,Aの下

    位に立ち,Aに是認されたかぎりで財占有を承認されている。これは,

    支配―服従関係であり,「支配」が規範面だけでなく利害の実質にまで

    及んでいることから「専制的支配」とよぶことができるであろう。市民

    の権利と自由が認められない独裁的な権力国家のもとでの経済活動は,

    このような構造を取るであろうが,ヒエラルヒー的に組織された企業組

    織のなかでの上下関係も同様な構造をもつことに留意すべきである。

    次に,�のパターンでは,利害の是認の関係式は,

    Sa(Ib(Dap))=Sb(Ia(Dap)),Sa(Ib(Dbq))=Sb(Ia(Dbq))である。

    ここでは,規範を押し付けた主体�も,利害関係の領域ではBと同様に

    相手の利害規準を推測しながら財占有の是認を相互におこなっている。

    多数存在するBどうし(B1,B2,B3,……)でも同然である。Aは規範

    を押し付けることによって「秩序」をもたらしているが,それは取引に

    よる経済的利害関係の発展を阻害しない。これは,「支配」が規範面の

    正当化だけに留まるという意味で,「中立的支配」と呼べるだろう。

    �のパターンでは,利害是認の関係式は,

    Sa(Ib(Dap))=Sb(Ib(Dap)),Sa(Ib(Dbq))=Sb(Ib(Dbq))で あ る。

    ここでは,規範を受容した主体Bが,利害面では逆にAを自らの利害規

    準で規定し直している。Bを集合的存在と考えるとすれば,Bの集合的

    な利害が,規範を与える「権力者」Aの利害構造を規定している。Aの

    「支配」は,Bの実質的利害関係の維持を規範面において保障するため

    に存在し,その意味でAはBの権力的な代理者になっている。その意味

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

    126 (638)

  • で「代理的支配」と名づけられよう。この関係は,立法者が選挙によっ

    て選ばれる代議士の集合(議会)になっている代議制民主主義を想起す

    るとわかりやすいだろう。

    今度は右側の2つのコラムに移ろう。

    �には,規範が押し付けられるという「権力」関係はないが,AがB

    に対して,その利害規準を押し付けている。関係式では,�と同様に,

    Sa(Ia(Dap))=Sb(Ia(Dap)),Sa(Ia(Dbq))=Sb(Ia(Dbq))である。こ

    れは,AがBに対して,自分�の利害から必要になる活動の代理を依頼

    する関係において典型的に現れる構造であろう。Aがプリンシパル(指

    定する主体),Bがエージェント(活動を指定される主体)である。こ

    れを,「代理的利害関係」と呼ぶことにしよう。

    しかし,Bが自己および相手の占有を是認する際に相手の利害規準を

    用いているかどうかは外部に観察できることではない。とりわけ,自分

    に割り当てられている財=資源については,相手�による監視は不十分

    なものにとどまるであろう。�と�の利害関係においては,つねに独自

    基準をもった私的領域が存在しうるのであり,この私的領域のあり様が

    Bの活動に大きく影響する。

    �では,A,Bの双方とも相手の利害が相互承認のさいの参照規準に

    なっている。Sa(Ib(Dap))=Sb(Ia(Dap)),Sa(Ib(Dbq))=Sb(Ia(Dbq))

    である。ここでは,現実の社会的交換の活動によって規範と利害規準の

    洗練による一般化がおこるかどうかによって,閉鎖的な共同体的関係に

    結果するか,それとも開放的な市民社会的関係に結果するかが分れるで

    あろう。

    洗練による一般化が起こるかいなかは,規範および利害における人格

    的要素(あるいはその背後の社会的要素)が捨象可能かどうかというこ

    とと,また同調的な相互承認が固定的な範囲でおこなわれるのか,それ

    とも不特定の広い範囲でおこなわれるかどうかに依存する。同調的承認

    千葉大学 経済研究 第25巻第3号(2010年12月)

    (639) 127

  • の場合は,相手の支配状態・行為・態度については相手の人格的要素お

    よび社会的位置と結びついた規範および利害規準にしたがって承認をお

    こなうのであるから,それにもとづいた交換は自己と相手の関係の再確

    認になりやすい。とくに,交換において問題になる財が行為主体と切り

    離せない性格の財であり,また交換の範囲が限定されているときには,

    そうである。こうした場合,おこることは規範および利害規準の一般化

    ではなく,分化(differentiation)である。

    現在の主要な労働形態である雇用労働は,�に位置づけられるプリン

    シパル・エージェント関係の一種である。それが,たとえば弁護士や医

    師などのプロフェッショナルの労働形態,あるいは株主と経営者の委任

    関係と異なる点は,プリンシパルの側(使用者)がエージェントの側(被

    用者)の労働内容について,包括的な指示権をもっている点である。プ

    ロフェッショナルや経営者の場合には背任行為でないかぎりはその業務

    行為について,契約によって明示的に指定されないかぎりは原則的に自

    由であるが,雇用労働の場合は,法律および「公序良俗」に反さないか

    ぎりは,雇用者にしたがわなければならない。したがって,雇用関係は,

    他のプリンシパル―エージェント関係以上に,プリンシパルのコント

    ロール権が強く「支配・服従関係」を伴うという意味で�に属するとみ

    なした方が適切かもしれない。

    以上,承認論の図式にしたがって,社会的交換のパターンを分けて考

    察した。以上の考察から,社会的交換を総括するならば,交換をつうじ

    た洗練による一般化が起こりやすいのは〈同調・同調〉の組み合わせで

    あるが,その場合でも,交換される財と行為主体が分離しえない場合に

    は,一般化(generalization)のプロセスだけでなくその逆の分化(differ-

    entiation)が起こる可能性があるということである。社会的交換は,こ

    の分化の方向に結びついている。それは一般化の方向を局所的なものに

    おしとどめる。

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

    128 (640)

  • 3.社会的交換におけるミクロとマクロ

    前節での考察では,規範と利害規準とが一般化する方向ではなく,む

    しろ分化していく方向に社会的交換を位置づけた。その場合,何らかの

    一般性をもった規範(法)や何らかの一般性をもった価値基準(貨幣)

    は,社会的交換からは生まれないことになる。そのような一般性をもっ

    た規範・規準は,あるとすれば外部の別の源泉から生まれたものなので

    ある。

    したがって,社会的交換を構成する個々人の交換行動やその背後にあ

    る個人的動機(ミクロ現象)の複合から個人を超えた現象を構成すると

    しても,それは普遍的なものではなく,ローカルなものにならざるをえ

    ない。規範面から言えば,自分と相手という特定の関係に分化した規範

    に相互補完性が成立する範囲と,利害面から言えば,分化した価値基準

    のもとで持続的にバランスが維持されている範囲が相互に強化しあった

    領域がそのローカリテイである。また,この分化した規範が相互補完的

    になり,また個々人の利害のバランスが成立する構造が,社会的交換が

    生み出す社会システムの構造である。社会学や組織論の領域では,ここ

    で相手によって分化した規範とあらわしたものが,役割(role)として

    捉えられ,社会システムは役割期待の構成する構造であると把握されて

    いる。

    このように社会的交換から(局所的ではあるにせよ)個人をこえた社

    会システムを捉え,そこにミクロ・マクロ・リンクを考えようとする際

    に,当然,次の2点が問題にされなければならない。

    その第1は,社会システムの成立の背後にある客観的条件は何か,ま

    たそれが〈法と市場〉という普遍的な制度ではなく,ローカルなシステ

    ムにとどまるのは何故かということである。第2には,社会制度の成立

    において問題にされる社会的ジレンマは,社会的交換と社会システムの

    千葉大学 経済研究 第25巻第3号(2010年12月)

    (641) 129

  • 相互間系のなかではどのようにして克服されるのかということである。

    第1の客観的条件の問題では,社会的交換においては交換主体と交換

    される財が未分化だということが,考察の鍵となる。交換される財の自

    立性が高くないということは,主体に属する資源(知識・能力・資産・

    地位)が重要であり,そこに大きな差異が存在するということである。

    先の例で言えば,古参社員と新入社員では,現在のところでは,古参社

    員は知識・能力において新入社員を格段上回っている。古参社員は新入

    社員に対して知識・技能を与えることができるが,それに対して,新入

    社員は自分の人格と直接結びついた,尊敬あるいは恩義という無形の資

    源を与えるしかない。しかし新入社員が知識・技能の習得に関心を持た

    なかったり,あるいは古参への尊敬の念を知らない,あるいはその表明

    の仕方を知らない「新人類」であったりする場合には,この社会的交換

    は機能不全に陥る。徒労に近い役割を押し付けられた古参社員の側にお

    いても,面白くない世話焼きに不満を感じている新入社員の側において

    も,利害のバランスが存在していないからである。したがって,社会シ

    ステムの構成要素となりうるような安定性を保つ社会的交換が成立する

    ためには,主体に属する資源の差異とともに双方の主体のそれぞれにお

    ける利害のバランスがなければならない。

    このバランスを回復する一つの道は,双方が互いに相手にとって現実

    に有益な資源を与え合うことであるが,それは背後にある資産の相互補

    完性を必要とする。先の例でいえば,古参社員が新入社員にその現実に

    必要としている知識を与え,新入社員がパソコンの使用法といったよう

    な古参社員に欠けている知識を与えるというようなことである。もし,

    こうしたギブ・アンド・テイクが持続的なものであれば,それは古参・

    新米という社会関係とは異なった性格の協力関係を職場のなかにもたら

    すであろう。

    しかし,社会システムという視点に立てば,各主体のもつ資産の相互

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

    130 (642)

  • 補完性は,このような直接的な相互交換を成立させるようなものである

    必要はない。システムとしての企業からすれば,新入社員はその学習能

    力という潜在的資産をもつことによって古参の知識・経験に対して補完

    的なのであって,古参への敬意という無形資産は重要ではないかもしれ

    ない。そのような場合には,役職や名誉,上司の激励,あるいは(経済

    的交換の要素が入り込むが)特別報奨によって,外部から古参の利害の

    バランスを保つことになる。その場合,古参社員は直接には新入社員に

    対して知識・経験を分け与えているのであるが,それによって間接的に

    企業というシステムと社会的交換をおこなっているのである。同様な措

    置は,新入社員に対しても,その学習意欲を促進するためにとられるか

    もしれない。

    今述べたばかりの利害バランス回復の2つの道は,社会的交換の経済

    的交換(あるいは市場的関係)への移行の可能性をも示唆している。新

    入社員が自己投資のつもりで古参を個人教師に雇うとか,古参社員がパ

    ソコンスクールに通うという個人負担型でこの移行が起きた場合には,

    社会的交換とは言えなくなる。それに対して,企業が費用を負担して新

    入社員を社外研修に送るとか,新人教育を古参の正規の専業業務として

    特別の賃金を払うという場合には,市場的要素は入り込んではいるが,

    企業との持続的関係という範囲では社会的交換の枠は維持されている。

    第1の問いの後半に対する暫定的回答は,個人負担型の完全市場化が

    なぜ困難なのかを考えることで与えられる。それは,求められている財

    の性質の標準化が困難で,しかも,その効果を認識するのに時間がかか

    るためであろう。これまで用いてきた例の場合でいえば,市場経済的要

    素の侵入にもかかわらず企業という枠が残存する理由は,求められてい

    る財が必要とされている環境自体がその企業にほかならないということ

    である。

    第2の社会的ジレンマという問題は,2人だけのゲームにおいて想定

    千葉大学 経済研究 第25巻第3号(2010年12月)

    (643) 131

  • されるような囚人のジレンマのタイプの状態を,3人以上のN人に拡大

    したものである。それが2人ゲームとは区別してとりあげられる理由は,

    2人ゲームの場合には反復しておこなわれる際に生じる協調の可能性も,

    3人以上のゲームの場合には非協調者を特定し処罰する際に生じる「二

    次的ジレンマ」があるため実現されなくなるという問題が存在するから

    である。社会的交換の場合も,それが社会システムとしての構造をもつ

    時には,単なる2人ゲームではなく,N人の同時交換ゲームであったり,

    あるいは交換ゲームの連鎖が存在していたりするから,この問題を避け

    て通ることはできない。この社会的ジレンマという状況においては,

    個々の交換主体の利害から協調の達成(社会システムの形成)を導こう

    とするミクロ→マクロの困難さが露呈し,それと比例して,社会システ

    ムにとっての機能的貢献という側面から個々の主体の行動を説明すると

    いうマクロ→ミクロの研究方向が魅力を増してくる。

    エケ(Ekeh1974)によれば,社会的交換の理論には,ホマンズ,ブ

    ラウに代表されるアメリカ社会学の「個人主義的伝統」と異なるいま一

    つの「全体主義的伝統」があり,それはレヴィ=ストロースの親族理論

    (Lévi-Strauss1949)に代表されるという。彼によれば,相互互酬性

    という条件に縛られた2人モデルの「限定的交換」では社会的現実を説

    明できないとして「一般化された交換」という概念を提出した。これは,

    A→B→C→Z→Aというように連鎖型に循環する場合と,各成員が集

    団に奉仕する(A→BCDE,B→CDEA,C→DEAB,D→EABC,

    E→ABCD)あるいは集団が各成員に奉仕する(ABCD→E,EABC→

    D,DEAB→C,CDEA→B,BCDE→A)という網状の交換を含んで

    いる。レヴィ=ストロースの親族理論を想起すればわかるように,「全

    体主義的伝統」においては社会的交換は「超個人的過程」であり,文化

    あるいは社会構造によって与えられている。個人の動機にかかわるのは,

    この文化あるいは社会構造によって与えられた軌道にそって個人を動か

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

    132 (644)

  • す道徳的な規範にすぎない。近親相姦のタブーは個人の欲望や理性から

    は説明できず,それが機能することによって実現される女性の交換に

    よって親族関係が組織されているからである。トロブリアンド諸島の

    島々を次々とわたっていくクラをどの島民も留めようとしないのは,そ

    れが神聖化された交換だからである。これは,マクロ的な構造(システ

    ム)からミクロの社会的交換を説明しようとする鮮明な問題提起である。

    これは,個々の「社会的交換」が全体となって構成している制度ない

    しシステムとの「交換」として「社会的交換」を把握する考え方である。

    たしかに,個別的な「社会的交換」としては,特定の上司,先輩社員と

    の相互給付であるものも,個別具体的に把握するよりも,全体としての

    「企業」(「会社」),あるいは,組織,制度,システムとの関係として把

    握した方が適切な場合も多いであろう。それがさらに一般化された場合

    には,茫漠とした「世間」「社会」が個人にとっての「社会的交換」の

    相手として想定されるようになる。

    山岸は,「一般化された交換」が人々を協力に向かわせる基礎を探求

    して,分業の発展に対応して各人の利得の状況が「N人囚人ジレンマ

    ゲーム」のそれではなく「N人信頼ゲーム」の構造になっていることが

    それであるという。(山岸1991)「信頼ゲーム」の場合には,自分だけ

    でなく相手も「協力」を選ぶはずだという「信頼」があれば,合理的な

    解である相互協力が実現する。これは,先ほど,第1の問いに関して,

    相互補完性が社会的交換の客観的基礎であると述べたことと同じである。

    問題はこの最初の「信頼」がどこから出てくるかということと,また,

    この「信頼」が非協力行動に対するサンクションの実施にかかわる「二

    次的ジレンマ」によって掘り崩されないかどうかということである。山

    岸は,後者の問題については,「N人囚人ジレンマ」型状況ではなく,

    「N人信頼ゲーム」型になっている状況のもとでは,それほど大きくな

    い相互サンクションがあれば相互協力が達成できることをシミュレー

    千葉大学 経済研究 第25巻第3号(2010年12月)

    (645) 133

  • ションによって確認した。(山岸1991)前者の方は,彼の「信頼」研究

    の主題であるが,『信頼の構造』(1998年)では出発点における高い「一

    般的信頼」(相手に関する情報に依存しない信頼の水準)を,社会制度

    や不確実性といった環境的要素も取り入れた中での,他の属性(信義を

    守るという「信頼性」,相手の信頼性を見抜く「社会的知性」)との共進

    化の結果であると考えているようである。

    山岸のいうような「一般的信頼」は,ローカリティを脱することがで

    きない既存の組織や共同体のなかでの社会的交換に適用するならば,奇

    妙なことになってしまう。そこでは,規範面においても利害規準におい

    ても一般化が実現されていないなかで「一般的信頼」について語ること

    になるからである。そのような具体的な社会組織とそのなかに位置づけ

    られた社会的交換においては,規範は分化され(役割期待)ている。そ

    こでの社会的交換は,集団的な一体感やシステムに組み込まれたモニタ

    リング/サンクション装置によって支えられるのである。

    個々の「社会的交換」の具体的形態を超えて通用する「社会的知性」

    としての「信頼」が想定可能であるという山岸の研究は何を示唆するの

    だろうか。社会心理学者である山岸は,「信頼」という社会的能力が,

    それを育む文化や社会構造によって影響されることを認めている7)。し

    かし,そうした能力が長期の社会過程のなかで進化的に形成されてきた

    と考える点で,より基礎的な領域で人類一般にそなわった「社会的交換」

    のための知性的基礎(進化的に形成された心理機構)を探求しているコ

    スミデス=トゥービーの研究にも通底していると考えられる。それは,

    本稿が想定している,普遍的な利害規準(貨幣)によっておこなわれる

    「経済的交換」とそうでない「社会的交換」という区分以前の,人間相

    7)私の承認理論の用語では,「同調的な承認能力」の洗練された形態になるかと思われる。

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

    134 (646)

  • 互の交渉・協働関係の次元にかかわるものであろう。

    4.ミクロ・マクロ・リンクの複合としての市場と組織

    前節では,社会的交換のもとでのミクロ・マクロ・リンクについて概

    観したが,経済的交換の場合はどうであろうか。人格と財の分化を前提

    した経済的交換に基礎をおくマクロ的現象は,人格の側では一般的規範

    (法)であり,財の側では交換価値という利害の一般的規準である貨幣

    である。これが,「限定的交換」ではなく,レヴィ=ストロースおよび

    エケのいう「一般化された交換」に対応するものであることは,法への

    信頼にしたがって相手の権利を承認することが,必ずしも相手が自分の

    権利を承認するかどうかには依存せず,社会およびその代表である法の

    執行者への信頼に依存していること,また,経済的交換において受け取

    る貨幣は財そのものではなく,それによって他者の財が入手できる可能

    性を信頼しているということから明らかである。いいかえれば,経済的

    交換に基礎をおく市場秩序においても,普遍的な規範ないし価値基準を

    介してマクロからミクロに戻る関係が存在している。

    経済的な交換においては,規範による占有の相互承認が問題になる財

    自体が貨幣経済的な価値評価を受けている。社会契約論の伝統における

    ように,人格的関係を律する規範の弁証が課題である場合には,個別意

    思が社会化されて一般意思となり,法としての姿をとる。それに対して,

    個別利害を出発点にした経済的交換においては,社会化は貨幣による交

    換価値の世界への統合として行われ,その表現が価格である。マルクス

    の用語でいえば,商品内部の使用価値と交換価値の二重性が,供給(買

    い手を求める商品)と需要(購買力の化身である貨幣)の対立に外化す

    ることによって,社会化された交換価値として価格を生み出す。現在の

    経済学の主流をなす新古典派経済学は,この価格が個別主体の供給行

    動・需要行動に作用を及ぼす機構を唯一のミクロ・マクロ・リンクと考

    千葉大学 経済研究 第25巻第3号(2010年12月)

    (647) 135

  • えている。マルクス経済学は需要と供給が統合されてあらわれる市場機

    構の基底に貨幣による社会化があることを擢訣した点で正しかったが,

    この社会化を貨幣経済のもとでの有効需要論にまで発展させることはケ

    インズに委ねられた。

    マルクス経済学者において,ミクロ・マクロの関連は,むしろ,個別

    資本と社会的総資本との関連において捉えられている。そこでは,個別

    資本の再生産が他の資本の運動との錯綜した関係のなかで行われ,結果

    としてみるなら社会的総資本の再生産の1分肢となっていることが論じ

    られる。その際,個別資本の再生産の基軸になる要素は,消耗した生産

    手段の再生産・補填とともに,労働力の維持による雇用関係(資本・賃

    労働関係)の再生産である。したがって,マルクスとケインズの総合を

    めざしたレギュラシオン学派は,貨幣制約と賃労働関係をミクロ・マク

    ロ・リンクを担う2つの制度諸形態であると位置づけた。

    しかし,これまでの議論からある程度わかるように,雇用関係(賃労

    働関係)は,経済的交換と社会的交換の二重性をもっている。賃金をも

    らって働くという点では経済的交換であるが,雇用者の指示に従い,雇

    用者に割り当てられた職位について,自分のためでなく,雇用者の利害

    のために働くという点では,ローカルな社会的交換である。マルクスは

    前者を,労働力商品の売買,後者を買い取った労働力商品の使用とみな

    したが,「労働力商品」は人間そのものであり,人間を売買することは

    制度上ありえないので,これは比喩的な表現ととらなければならない。

    とくに各種の労働力をスポット市場的に調達するのではなく,何らかの

    程度の継続性をもった雇用関係のもとで働かせる場合には,「労働力商

    品」という表象はリアリティがない。むしろ,市場経済的要因の影響を

    受けやすい経済的交換と役割・職位・分業的補完・報奨などからなる社

    会システムにつながる社会的交換の複合体が雇用関係だと見る方が,発

    展性のある考えではないだろうか。

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

    136 (648)

  • このような見方からすれば,企業組織とは,経済的交換をベースにし

    てはいるが,それの上に公式・非公式の統合された社会的交換がおこな

    われる制度的な範囲のことである。問題は,なぜ貨幣や資本が成立して

    いる市場経済において,制度化された社会的交換の圏域としての企業組

    織が存在するかということである。

    この問題への解答の試みにおいて,これまで経済学者は,R・H・

    コースの「取引費用」論とF・ナイトの「不確実性」論を重要な手がか

    りにしてきた。(浅沼1977)「取引費用」というのは,もともとは市場

    で調達される生産要素費用に限定されていた費用概念を拡大したもので

    あるから,経済的交換の一般化としての社会的交換論と親和的なように

    も思われる。しかし,市場を利用する費用と組織を利用する費用を数量

    的に把握し,その大小を比較できるという想定を,社会的交換論に適用

    することは困難である。社会的交換のなかでの費用がもし想定可能であ

    るとしても,それは一般的価値規準をもたない,人間関係に依存した異

    質性をもった費用になるからである。非市場的な費用が比較可能な形で

    把握できるという取引費用論の想定自体が,安定した外部環境・制度的

    枠組みを前提としているとしか思えない。

    その点,企業組織は統計的に処理可能な「危険」に解消できない「不

    確実性」への対策として現れるというナイトの理論はより根本的である。

    ナイトによれば,雇用関係は,不確実な環境のもとで安定した所得を求

    める労働者と不確実性に立ち向かう企業者の契約である。前者は,契約

    によって定まった所得(賃金)を約束されることと引き換えに,企業家

    の指揮の下に働く(Knight1921)。後者は,売り上げのうち固定した

    部分を賃金として労働者に渡さねばならないが,それを超えた剰余(利

    潤)を獲得できる。

    企業家にとっても,雇用関係による企業組織の形成は,「不確実性」

    への対応である。変動する外部環境(市場)に対応した特殊な種類の生

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  • 産要素(労働)をその都度市場で調達することは,企業者の直面する「不

    確実性」を倍加させることである。それに対して,契約による賃金保証

    はそれと引き換えに労働力の包括的使用権(具体的労働の指示)を企業

    家に与えているので,企業家は,再度市場におもむかなくても,企業内

    部に取り込んだ労働者によって,外部環境(市場)の変動に対応した生

    産を編成することができるのである。

    こうした関係は,第2節の説明(図4)でいえば,自律的な利害主体

    である企業家に対して同調的な利害主体がつきしたがうという関係にあ

    たる。企業家は自分=企業の利益のために労働者を雇用し,生産手段=

    職場につかせる。賃金を支払うのも,自分=企業のためである。労働者

    =被用者は,賃金に対しては自分の権利を主張するが,労働=生産にお

    いては企業の利益に奉仕する。企業家と労働者においてこうした非対称

    性が生じるのは,賃金水準が労働市場の影響を直接受けるのに対して,

    労働者の企業目的への協力水準は直接には外部からコントロールできな

    いことによる。別の言葉でいえば,企業者が労働者の利害に同情的でな

    くても賃金水準は決まるが,労働者の方の協力水準は企業の営利活動

    (生産活動)へのある程度の同調に依存する。もちろん労使紛争時には,

    この同調は撤回される8)。

    企業と労働者の関係は,利害面だけでなく,規範面においても存在す

    る。企業組織の内部で労働者は,生産手段と分業・協業の編成のなかに

    存在する何らかの位置に割り当てられるが,その作業は社会の一般的規

    範には解消できない様々な規範や習慣によって支えられている。経済的

    労働者の同調もそのなかで調達されるが,これも企業組織が経済的交換

    に解消されない社会的交換を必要とする理由である。1回ごとの財交換

    8)S. ボウルズとH. ギンタスによる労使関係の「対抗的交換」としての理論化(Bowles and Gintis1999)は社会的交換論の一種とみなせる。また従業員の企業へのロイヤルティは,この同調の状態と解釈できる。(八木1999)

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

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  • で関係が完了する純粋な型の市場的交換においては,そのような規範・

    習慣上の補強は存在しない。

    しかし,企業者が上からすべてを決めるという古典的なヒエラルキー

    組織は,組織の規模が拡大したり,現場の情報環境が複雑になると効率

    的ではなかったりする。青木昌彦は,こうした発展段階での情報効率的

    な企業組織の型を整理する際に,企業全体が直面するシステム環境と職

    場ごとに異なる個別環境を区別して,両者の不確実性の確率的な相関度

    が高いか低いかを一つの重要な軸としている。いま一つの軸は,職場相

    互の活動水準に「補完性」があるかそれとも有限な資源を奪い合う「資

    源競合性」があるかである。個別環境の不確実性がシステム環境のそれ

    より非常に高い時には,組織ルールの決定はマネージメントが確保する

    が,それ以外の活動は職場ごとに個別環境情報を収集してその活動水準

    を分権的に決定する分権的ヒエラルキーが情報効率的になる。だが,シ

    ステム環境の不確実性も高くなると,第2の軸も意味をもってきて,

    「補完性」が高い場合には,システム環境を共同して観察し活動水準も

    共同して決定する「情報同化型」が適合的だが,「資源競合性」が強い

    場合には,個々の職場が別個に両環境を観察し,個々に決定をくだす

    「情報異化型」が適合的である。青木はさらに,不確実性の相関度が中

    程度の時に「補完性」の強さを生かす組織型として「水平的ヒエラルキー

    型」も考えている。こうした分権的組織の発展の延長には,単一企業の

    枠を超えた企業集団や企業ネットワークも位置づけられるであろう。

    (青木1995)

    型はどのようなものであれ,組織システムの形成とそのなかで行われ

    る社会的交換に費用がかからないわけはない。この費用をまかなえなけ

    れば,組織システムは放棄され,経済的交換が主となった経済活動にな

    るであろう。現在の比較制度分析アプローチでは,市場経済のなかでの

    人為的な希少要素の獲得する「準地代」というA・マーシャル(Marshall

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  • 1890)以来の概念が,この組織費用の源泉として注目されている。(青

    木1985)「準地代」を組織費用や労働者の技能育成費用に充てることに

    よって,生産性を上昇させる可能性があるからである。しかし注意しな

    ければならないのは,「準地代」の獲得は必ずしも,一般水準を超えた

    技術的な効率の達成という生産的な基礎によるものとは限らないことで

    ある。「準地代」が制度的あるいは文化的な要素(公式・非公式の独占,

    市場の分断・差別化)によって発生し,さらにその維持に「準地代」が

    注ぎ込まれることもある。

    「準地代」が組織システムと社会的交換の基礎だとすれば,市場経済

    のなかの投機者にとっては,そこに大きな営利チャンスがあることにな

    る。社会的交換のシステムを破壊し市場水準に還元すれば,「準地代」

    は「超過利潤」に転化するからである。組織が守ってきた社会的交換の

    システムを破壊することは,一時的には大きな「利潤」を生むかもしれ

    ない。しかし,長期的視点から見れば,それは組織の自己維持と成員の

    学習・技能形成過程を無視することであり,また,組織の革新と成長を

    放棄する破壊的な結果を招くことが多くなるであろう。

    5.複合的交換システムの変動

    最後に,経済的交換と社会的交換の複合システムとして捉えた経済シ

    ステムの変動について考えてみよう。

    第1節で,私たちはミクロ・マクロ・リンクの基礎的な見方を示した

    (図2)が,これまでの議論をふりかえってみると,このミクロ・マク

    ロ・リンクにもそのシステムとしての成功の度合いを示し,それによっ

    て何らかの対応=変化が生み出される次元が必要であるように思える。

    取引費用論にもとづく制度分析の体系化を構想したO・ウィリアムソン

    は,この次元を「ガヴァナンス」とよび,図5のような3層からなる図

    式を示している。(Williamson1996,p.326)システムの「ガヴァナン

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

    140 (652)

  • 制度的環境

    シフト・ パラメーター

    戦略的フィードバック

    行動属性 内生的選好

    個人

    ガヴァナンス

    ス」(相対的な効率性)は,個人の「行動属性」(ミクロ的要素)と「制

    度的環境」によって指定されるシフト・パラメーターによって規定され

    るが,「ガヴァナンス」次元独自の自律性を有している(ガヴァナンス

    空間内部の円周で図示)。点線は「ガヴァナンス」次元からのフィード

    バックであって,「個人」の選好自体に影響を与える「内生的選好」と,

    「制度的環境」自体を変化させてしまう「戦略的フィードバック」を示

    す。この3層図式は,「ガヴァナンス」をシステムの機能と捉えるなら

    ば,富永健一の「構造―機能―変動理論」の図式になるし,また,「一

    般的適応度」(general fitness)とみなせば,その評価を軸として個体

    と環境を結びつける進化的理論の図式になる。「ガヴァナンス」の状態

    からのフィードバックとして,システムの変動を捉えることは一般的図

    式として有効であると思われる。

    問題は「ガヴァナンス」の内容である。ウィリアムソンは,これを組

    織という次元に固有な自律性は存在するものの最終的には「効率性」に

    帰着すると考えている。これに対しては,社会学者たちは,組織のなか

    での行為には,「儀礼」あるいは「象徴」的な要素が「効率性」よりも

    重要であると反論するであろう。(Collins1987)たしかに「効率性」の

    図5 「ガヴァナンス」のある3層構造

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    (653) 141

  • 規準自体が曖昧である(状況依存的)ような社会的交換の場合を考えれ

    ば,そのような批判も意味をもつ。しかし,ベイシックな意味での自己

    維持=再生産の可能性という規準までは,社会学者たちも否定しないで

    あろう。

    私たちの図式で言えば,「ガヴァナンス」は規範面と利害面の両面に

    おいて捉えられなければならないということになる。経済的な意味での

    「効率性」は,本来利害面における達成度の規準であるが,それが規範

    のあり様やそこにおける承認のあり方によって影響されていることを無

    視すべきではないというのが私たちの見解になる。

    「ガヴァナンス」を自己維持=再生産可能性というミニマムな規準で

    捉えると,前面に出てくるのが「不確実性」への対応であるということ

    は,前節での議論から示唆されることである。特に人間関係のなかで現

    れる「不確実性」に対応する方向としては,関係の強化と,代替の準備

    という2つの方向がある。前者は,相手が自分を裏切ることができない

    ように相互利得の可能性や第3者からのサンクションの可能性を創り出

    すことで,オフィシャルにせよアンオフィシャルにせよ,組織の形成の

    方向である。これは確かに「機会主義」的行動を抑制して「不確実性」

    を削減するが,他方では,余程学習や自己革新の能力が高くない限りは,

    既存の保有資源制約からの大幅な脱皮は期待できない。いいかえれば,

    大規模な変動に対しては,脆弱である。

    それに対して,後者は市場化による代替の追求という方向である。裏

    切られる可能性のある相手に対しては,より信頼のできる相手を探し出

    し,それに乗り換えるか,あるいはそうした代替のオプションをもつこ

    とによって相手を牽制することである。この場合には,大きな変動に直

    面しても,不適合になった部分を分離できるので,被害を極小にするこ

    とができる。他方で,市場で真に必要な相手が見つかるかという新しい

    「不確実性」の克服が課題となるが,適合した資質の相手を容易に見つ

    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

    142 (654)

  • け出す識別力を発達させるならばそれも克服可能であろう。しかし,そ

    れは同時に,ローカルではないにせよ,実質的には階層化された市場,

    ないし社会構造の形成につながる可能性がある。

    こうした変動の過程の分析については,進化理論的なダイナミクスを

    取り入れた再生産分析がようやく登場するようになった。そこでは,異

    種の有限な能力をもった個体群の相互作用のなかで形成されるマクロな

    状況が分析的に再構成される。単純な「進化ゲーム理論」では,所与の

    初期値から出発して「進化的に安定な均衡」が論じられるにとどまるが,

    それでも初期値の違いによって「均衡」が複数存在することが示された。

    さらに「突然変異」にあたる変動や,新しい「戦略」の採用が絶えずお

    こるプロセスのなかでは,「均衡」という概念自体が不適切であること

    も示された。個体と制度的環境の双方の共進化的な過程のなかで,個体

    とシステム双方の自己維持=再生産過程をとらえることが重要なのであ

    る。西山賢一(西山1994)のリプリケーター・ダイナミクスによる競

    争・相互作用・群集進化の分析にせよ,星野力(星野1998)の価値の

    変動を伴う進化ゲーム,出口弘の多数の主体を含む複雑系(出口2000)

    にせよ,こうした分析手法の発展は喜ぶべきことであるが,その定式化

    や成果の解釈においては,現実主義的な社会科学的洞察力が必要なこと

    はいうまでもない。私たちは,人間の知識・規範・組織の発達について

    の,なお(整合的なミクロ・マクロ・リンクをもったという意味で)十

    分な理解をもちあわせていない。過去の社会科学(および人文諸学)は,

    個人(ミクロ)をその典型として理解することにおいては優れた達成を

    のこし,また他方では,何らかのマクロなシステムの作動や発展につい

    ての理論(モデル)も多数生み出してきた。また,統計や歴史に現れた

    マクロ事象のあとづけにも業績が残されている。しかし,それらの価値

    ある遺産を役立て,ミクロとマクロを同時に考察・分析する点において

    はなお成功しているとはいいがたい。進化的理論の重要性は,そこに相

    千葉大学 経済研究 第25巻第3号(2010年12月)

    (655) 143

  • 互作用する異種・多数の個体の再生産という,視点を提供したことにあ

    ると考えられる。それを発展させるのは,経済学・経営学・社会学・人

    類学といったディシプリンをこえた課題である9)。

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    経済的交換と社会的交換:制度経済学におけるミクロとマクロ

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