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1 高所環境とその影響―――高所登山のためのテキスト 文部省登山研修所編 平成 8 3 増山茂 第1部 高所環境とその影響 第一章 環境への順化 第二章 高所環境 第一節 高所とは 第二節 気圧と低酸素 第三節 寒冷 第四節 湿度 第五節 日射・紫外線・宇宙線 第六節 高山地域 第三章 高所環境への適応 第一節 低酸素への生理学的反応 第二節 酸素の利用 第三節 酸素の取り入れと換気応答 第四節 肺での酸素の拡散 第五節 心臓血管系 第六節 血液学的変化と血漿量 第七節 ヘモグロビンと酸素の親和性、酸塩基平衡 第八節 末梢組織での酸素利用 第九節 高所での運動 第十節 栄養と身体の組成 第十一節 寒冷

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高所環境とその影響―――高所登山のためのテキスト

文部省登山研修所編 平成 8年 3月

増山茂

第1部 高所環境とその影響

第一章 環境への順化

第二章 高所環境

第一節 高所とは

第二節 気圧と低酸素

第三節 寒冷

第四節 湿度

第五節 日射・紫外線・宇宙線

第六節 高山地域

第三章 高所環境への適応

第一節 低酸素への生理学的反応

第二節 酸素の利用

第三節 酸素の取り入れと換気応答

第四節 肺での酸素の拡散

第五節 心臓血管系

第六節 血液学的変化と血漿量

第七節 ヘモグロビンと酸素の親和性、酸塩基平衡

第八節 末梢組織での酸素利用

第九節 高所での運動

第十節 栄養と身体の組成

第十一節 寒冷

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第1部 高所環境とその影響

第一章 環境への順化

第二章 高所環境

第一節 高所とは

"高所"といっても人により定義は様々である。あるものは 3000m 以上を、あるものは

5000m以上をイメージするだろう。またあるものは 8000mなければ高所じゃないと意気がる。し

かしどの場合にも共通するのは、この言葉に"異常な状態である"というニュアンスを与えてい

ることのように思われる。

富士山(3,788m)は古代の日本人にとっては"最も高所"にある聖なる山であって、そ

の頂に到達することには、苦行を意味したのであろう、昔からある種の宗教的意義が与えられ

てきた。けれども、ほぼ同じ高度のチベットのラサ(3,700m)では、今では 20 万人の市民がごく

普通の日常生活を送っている。ヨーロッパの最高峰モンブラン(4810m)登頂の歴史には高山

病に悩まされた伝説が連なるのであるが、この高度以上を生活圏とする人々は全世界 10 万

人を越えると考えられている。"異常"も時が過ぎ所が変われば意味を変える。

本書でいう"高所"にも、ある意味では"異常"というニュアンスを持たせよう。"高所"と

は、その地理的物理的特性(高度)がそこに赴く人々に医学的生理学的異常を与えうる所、と

一応定義しておくことにしよう。大体標高 3000m以上ということになろうが、標高 2500mでも肺

水腫になる人もいる。地理学・物理学的というより、医学的な定義である。

エベレストから生の映像がリアルタイムで茶の間に送り出される時代である。今や多く

の人にとって"高所"といえばこのヒマラヤの"異常な"空間が想像されるのかもしれない。たしか

にここは紛れもない"高所"である。医学的生理学的異常はもはやこの高度では生理的馴化順

応により回復させることができない。長期間の生存は保障されない。このあたりは"超高所"と呼

Fig.2-1 世界の高山地帯

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ぶことにしよう。大体 6、000m以上になろう。

ヘルマン・ブールに「8000mの上と下」という著書がある。空気に壁はないのであるが、

ヒマラヤ登山ではこの 8000m を越えた数百 mに特別な意味を与えてきた。ここは死の臭いの

する特殊な場所であって生命は軽い。この登山史を尊重して、8、000m以上を"極高所"と呼ぶ

ことにする。 "高所"の地理的な分布を示そう(Fig.2-1)。

第1部 高所環境とその影響

第一章 環境への順化

第二章 高所環境

第一節 高所とは

第二節 気圧と低酸素

*標準化された高度と気圧と酸素分圧の関係:Standard Atmosphere(ICAO, 1968)

高く登ると空気の圧力(気圧)が下がり気温も低下する。空気の組成は一定だから気

圧が下がると酸素分圧も低下する。ガスの圧力は気温の影響も受ける。

地球表面(対流圏)でのこれらパラメータの関係を示したのが次の tableである。

Table2-1:標準気圧(ICAO;International Civil Aviation Organization)高度 気圧 PO2 (‘mmHg) 気温 密度

(m) (mmHg) 乾燥 湿潤 (℃) (kg/m^3)0 760 159.2 149.3 15 1.225

1000 674.1 141.2 131.4 8.5 1.1122000 795 124.9 115.1 2.00 1.0073000 526 110.2 100.3 -4.99 0.9094000 462.5 96.9 87.0 -10.94 0.8195000 405.4 84.9 75.1 -17.47 0.7366000 354.2 74.2 64.3 -23.96 0.6607000 308.3 64.6 54.7 -30.45 0.5908000 267.4 56.0 46.2 -36.94 0.5269000 231.0 48.4 38.5 -43.42 0.467

これが現在では標準的な関係であるとされ、高度計表示の基礎となっている。また、Haldane

& Priestry(1935) の教科書によれば、気圧と高度の関係は次の式で与えられる。

PO/PH=288/(288-1.98H)^5.256

ちなみに、POは海面での、PHはある高度 H(feet)での気圧(mmHg)である。

*緯度が変わると気圧も変わる

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ところで、ヒマラヤ登山

隊が持ち帰る気圧のデータは

上記の式になかなか当てはまら

なかった。Pugh, 1957 らによる

英国エベレスト登山隊(1953)が

測定した 7300m までの気圧の

データは、実験室でのデータか

ら標準化された上記式から得ら

れた値よりもかなり高いものであ

った。Fig.2-2-1 は 1981 年の米

国隊のデータである。やはり同

様の傾向であって、高度があが

るにつれて ICAOの標準気圧との差は大きくなる傾向があった(West, 1983)。

実際の地球の上では、緯度が変わると気圧も変わり、季節が変わっても気圧は変わ

るのである(Fig2-2-2)。この図は標

高 8848mでの気圧を縦軸に、緯度

を横軸にとったものである。赤道付

近で 253mmHg あった気圧は北緯

70 度ではたった 215mmHg へと低

下する。3本の曲線はそれぞれ上

から6月、10月、1月の気圧を表す。

同じ緯度でも季節によりつまりは気

温により気圧は異なる。寒冷の季節

には気圧が低くなっている。

*ヒマラヤでの気圧と低

酸素の関係

一口に高所登山といって

も、場所によっても季節によっても"

高所"の中身が異なる。寒ければ寒

いほど、北へゆけばゆくほど、"山は高くなる"と考えればよい。北緯 63度にあるマッキンレイ山

(6194m)の頂上では冬期の平均気圧は 325mmHg くらいであるが(Hackett,1994)、これをヒマラ

ヤの緯度にもってくればゆうに 7000m 峰といえる。逆にいえば、同じ山でもなるべく暖かい季

節に登れば高度は低くなる。

Fig.2-2-1 予想気圧と実測気圧

Fig.2-2-2緯度・高度・季節

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Fig.2-2-3はニューデリー上空 8848mでの月平均気圧を気球を用いて測定したデー

タである。真夏と真冬の差は 10mmHg 以上にも広がっている。各月毎にも各日毎にも変化が

あるから、年間を通じ最も気圧が高い日と最も

低い日の差は 20mmHgにも達する。8000mを

越える高度ではこの気圧差は約 500mの高度

差に相当する。(サイクロンなどの熱帯性低気

圧がやってくれば一日の内の気圧差が

20mmHgを越えることもある。)

1981年 10月 24日、米国医学調査

隊の Pizzo はエベレスト頂上で初めて気圧を

実測したのであるが 、 この日はなんと

253mmHg を記録していた(West,1984)。これ

はこの図で予測されるより 4.3mmHg も高い。

ICAO の標準気圧と比較すると 17mmHg も高

いのである。この日は素晴らしい快晴温暖な日で、エベレスト頂上でもたった-9℃しかなかっ

たのであった。

*大気圧(PB)と吸入気酸素分圧(PIO2)

大気圧(PB)がわかってしまえば、大気中の酸素の割合(20.94%)はどこでも一定であ

るから(ここには緯度も気温も効いてこない)、肺に吸入される空気の酸素分圧(PIO2)は次の

式で決定される。

PIO2=0.2094*(PB-47) (mmHg)

47mmHgは体温 37℃での(つまり肺の中の)飽和水蒸気圧であり気圧に影響されず温度のみ

に左右される。

吸入気の酸素分圧は気圧からこの水

蒸気圧をひいたものの約 21%なので

ある。残りはほとんど窒素である。肺の

中の水蒸気圧はどの高度でも

47mmHgであるから、高度が上がれば

上がるほどこの47mmHgが重く効いて

くることになる(Fig.2-2-4)。ただでさえ

少ない酸素を 47mmHg の水蒸気圧と

肺の中の二酸化炭素が奪い取ってい

ることがわかろう。

Fig.2-2-3 ニューデリー上空 8848m での月

平均気圧

高度と吸入気・肺胞気組成 (単位mmHg)PaCO2=40(0m), 30(4500m), 20(8848m)R=0.8(0m),1.0(4500m),1.1(8848m) とする。

9951

19

149

8137

47 47

47 47

47 47

020406080100120140160180200

0m

肺胞気

4500m

肺胞気

8848m

肺胞気

飽和水蒸気圧

肺胞気CO2分圧

吸入気O2分圧

肺胞気O2分圧

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海面(760mmHg)では

PIO2=0.2094*(760-47)=149.3mmHg

150mmHg程度の酸素を吸っているのだが、一方 ICAOの基準気圧 8848m=236mmHgでは

PIO2=0.2094*(236-47)=36.9mmHg

たった 37mmHgにしかならない。

高いところでは気圧の変化が決定的であることがお分かりでしょう。米国隊の Pizzo

のエベレスト頂上での実測気圧が予想より 17mmHg高かったということは、

+17mmHg(PB)=+0.2094*17=+3.4mmHg(PIO2)

3.4mmHgだけ吸入気の酸素分圧が高かったことに相当する。36.9mmHg中の 3.4mmHgだか

ら、つまり約 10%分吸入気の酸素分圧を引き上げたわけである。これはすごい。

*エベレスト頂上では生きられない?

さて、肺胞では(肺の末梢部分。空気はここで血液と接触する)吸入した空気に、静

脈血に溶けていて肺胞に出てきた二酸化炭素(CO2)が加わる。肺胞気は水蒸気と窒素と二酸

化炭素とそして酸素で構成されるわけである。つまり肺胞気の酸素分圧 PAO2 はつぎの式で

求められる。

PAO2≒PIO2-PACO2/R

PACO2は肺胞での二酸化炭素分圧。動脈中の二酸化炭素分圧とほぼ等しい。Rはガス交換

比といい、体内で発生させた(静脈から肺へとでてきた)二酸化炭素の量と消費される(肺から

動脈へとけ込んだ)酸素の量の比。通常は二酸化炭素排泄量がやや小さい。この比が1であ

れば、PAO2 は吸入気の酸素分圧から動脈の二酸化炭素分圧を引いたものになる。さて、通

常海面で呼吸している私たちの動脈の二酸化炭素分圧はというと約 40mmHg である。この私

たちがヘリコプターでエベレストの頂上に降り立ったとすると、肺胞の酸素分圧 PAO2は、R を

1とすると、

PAO2=36.9-40=-3.1mmHg !!

なんと、理屈の上では肺胞には酸素がまったくないことになってしまった。みなさん瞬時にして

一巻の終わりである。 もちろん Fig.2-2-4 にあるように実際には PCO2 レベルや pH レベルが

変化するので、一巻の終わりにはならないのであるが、それでも非常に苦しいのには変わりが

ない。

戦前から長く続いたヒマラヤ登山での酸素使用の是非をめぐる大論争に多くの生理

学者が冷淡であったのは無理からぬことであった。"これは良い悪いの問題ではない。酸素補

給なしでエベレストに登頂するなどそもそも理論的に不可能なのだから、と。"

多くの人の場合にはこの古い理屈がなりたつのであろう。しかし 1978 年一人の勇敢

な登山家メスナーが無酸素でエベレスト登頂をなしとげ、この古い理屈を現実の登攀で覆した。

1981 年には米国隊がエベレストの頂上で実際に登頂者の呼気をサンプルし動脈血中の酸素

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(PaO2)と二酸化炭素分圧 (PaCO2)を推定してくれた。Table2-2 にそれを示す。なんと、

PaO2=28mmHg, PaCO2=7.5mmHgである!この値が生きているヒトのデータであるとは、優秀

な臨床医は優秀であればあるだけ信じないであろう。ヒトは(勿論選ばれた人であろうが)この

ような驚くべき環境にすら、もっぱら自らの肉体だけを使って到達できるのである。

以下の章では、どのようにしてこのような環境への適応が可能となったかに関する新

しい考え方を述べることにしよう。

Table 2.2エベレスト頂上の肺胞気ガス・動脈血ガスの組成肺胞 動脈

高度 気圧 PIO2 PO2 PO2 PCO2 pH SO2mmHg mmHg mmHg mmHg mmHg %

8848m 253 43 35 28 7.5 >7.7 700m 760 149 100 95 40 7.4 97

第二章 高所環境

第三節 寒冷

気圧低下や低酸素についで"高所"を特徴づけるのは、"山の上は寒い"という事実で

ある。

152m登ると気温は大体1℃低下する。これは単純な物理法則であって、緯度とは無

関係である。ただし高緯度地方では夏と冬の気温差が大きい。赤道直下のキリマンジャロでは

気温は年間を通じて安定しているのだが、冬のマッキンリーは厳しい。前記 ICAO では

(Table2-1)エベレスト頂上の平均気温を-40℃とみなしているが、冬期マッキンリーでは-50℃に

もなる(Hackett,1994)。ただ寒いだけではない。日中と夜間の温度差も大きくなる。照り返しの

ある氷河上であると日中の+30℃から夜間の-15℃へと 45℃の格差がありえ(Swan,1961)人の

適応力を奪う。

風は寒さを増幅する。体感温度は低下する。風

冷え効果(wind-chill factor)という(Ward, 1975)。

Fig.2-3-1 に風冷え効果指数(K)と暖寒感覚と

の対比図を示す(Unsworth,1977)。氷つくほどに

感じる風冷え効果指数(K)は 1400 ほどである

が、-40℃であればほとんど風がなくてもこのレ

ベルにあるが、-12℃であっても 72km/時の風が

あれば到達してしまう。エベレスト頂上の風速は

150km/時に達することがある。

人は恒温動物である、というが、つまりは身体の

Fig.2-3-1

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細胞や組織で行われる生化学的反応を媒介する酵素の活性がある非常に狭い温度範囲でし

か保障されないということを意味する。体温が奪われると、全身の生化学反応が落ちる。筋肉

は硬直し協調性を失う。心臓の刺激伝達は失調し心筋の収縮力は落ち心拍出量が低下する。

寒冷に伴う利尿による循環血液量の低下もあいまって組織とくに脳への酸素供給が阻害され、

すべての脳の神経活動の低下がおこる。つまりは、全身的には低体温症、局所的には凍傷と

いう手痛いしっぺかえしを食らう。時には不可逆的な肉体的損傷を招くことになりかねない。

私たち低地居住者が寒冷に曝されたとき、体内で熱を急速に発生させるため持って

いる手段はまことに乏しいものがある。まず皮膚表面の血流を少なくする。皮膚温が一定以下

に低下すると、皮膚の寒冷受容体が脊髄経由で低下した血液温度とともに視床下部の温熱

調節中枢を刺激する。いつもは随意に動かしている骨格筋のしかし不随意な神経支配による

共同的運動、つまりは身震い、が始まる。持っている主要な武器はたったこれだけである。も

ちろん意識的に筋肉を動かし続けていればよいのだが、あっという間にエネルギー源がなくな

る。身震いによって通常の3倍くらいの熱産生が可能であるが、身震いをいつまでも続けるわ

けにはゆかない。高地居住民はこの身震いだけではなく褐色脂肪を燃やして熱産生を行うの

である(Smith & Horowitz,1969)が、たかだか筋肉を震わせて乏しい熱を作ることを考えるより

熱を失わない工夫をすることが肝腎であろう。この問題も後の章でふれることにしよう。

第二章 高所環境

第四節 湿度

相対的湿度は山の上でも天候により変化する。雨や雪が降れば湿度が 100%になる

のは珍しくない。ただし、空気中に含まれる水蒸気の絶対量は高度と強い関係がある。高度と

いうより気温がこれを決定する。20゚C の飽和水蒸気圧は 17mmHgである。つまり 20゚C の空気

は 17mmHg分の水分を含みうる。ところが-20゚C での飽和水蒸気圧は 1mmHg。空気はたった

1mmHg 分の水分しか含めないのである。相対的湿度はどうであれ、高所の空気は常に"乾い

て"いる。

高所ではだれもが呼吸が大きく早くなる。高度 5500m でのほんの軽い運動でも、呼

吸によって肺から失われる水分は一時間あたり 200mlと推定される(Pugh,1964)。発汗による水

分喪失も乾燥した空気のもとでは大きくなる。急激な水分喪失による脱水は血液を濃縮させ、

血液を固まり易くする。高所での脱水では地上での場合ほど強い口渇感をもたらすことがない

ので、登山者は意識して水分摂取につとめる必要がある。尿量を十分(1.5リッター/日)保つこと

も重要なので、高所登山者は一日最低 3-4リッターの水分の摂取が必要である。

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第二章 高所環境

第五節 日射・紫外線・宇宙線

空気の層が薄いこと、空気中の水蒸気量が少ないこと、いづれも太陽光線の空気中

での散乱量を減らす。海抜0mに届く日射量を測定してみると 963kJ/m2/h であった

(Ward,1975)が、一方標高 5790m の晴れた日の場合では、人体が吸収する日射量は

1465kJ/m2/h と 50%の増加となっていた(Pugh,1963)。とくに短波長の紫外線領域に影響が強

くでやすい。海抜0mと比較すると高度 4000m では波長 400nm の紫外線強度は 147%,波長

300nmでは 250%になるという(Tousey,1966;Elterman,1964)。地表面の反射も重要な要素であ

る。通常では地表面の反射率は 20%に満たないが、高所の雪や氷河では 90%に達すること

がある(Buettner,1969)。皮膚・目が障害を受けやすい。光学的遮蔽物ー帽子やサングラスは

ー必携である。

同じ理由で電離放射線被爆も増えると考えられている。3000m では年間 70mrad の

被爆量の増加があるという。

第二章 高所環境

第六節 高山地域

"高所"とは、そこに赴く人々に医学的生理学的異常を与えるうる所、と定義したのだ

が、この困難な地域にも多くのひとびとが定住している。正確な高地居住民人口を算出するこ

とは難しいが、標高 3000m以上に 1300-1400万人が住んでいると推定される。

永住住民が多いのは世界でも3地域に限られる。

まず、南米である。コロンビアからチリ中央部に高原と山岳地帯が連なる。この地域

には、1980 年時点で、標高 2500m以上に 1000-1700 万人が住むとされる。ペルーでの統計

では 120-160万人が標高 2500m以上に、6万人が標高 4000m以上に住んでいる。

アフリカの北部、標高 2400mから 3700mに広がるエチオピア高原にも多くの人が住

む。1300万人が標高 2000m以上に住むと推定される。

第三のは、ヒマラヤ地域およびチベット高原である。ヒマラヤ地域の定義は難しいが、

西はナンガパルバットから東はナムチェバロア。パミール・西部コンロン・カラコルムなどその周

辺地域を含むものとする。フンザ・キルギス・ウイグルなど多種多様な人々が住んでいる。人口

の推定は難しい。ヒマラヤ山脈南面ネパールには6万人が標高 3000m 以上に住む。

4000-5000m の高原で構成されるチベットには独自の文化を築き上げてきたチベット民族が住

む。チベット民族がネパールやブータンのヒマラヤ地域山岳民族のオリジンとなっていることも

多い。すべてが高所に住んでいるわけではないであろうが、チベット人は 300-400 万人いると

される。チベット人と漢族で構成される現在のチベット自治区の人口は約 200 万人。これはほ

とんど標高 3000m以上に住んでいると考えてよい。

メキシコ高地・米国カナダ中部山岳地帯にも少数の人々が標高 3000m 以上に住む。

カフカス・テンシャン・キルギスタンなど旧ソ連邦の地域にも古くからの高地居住民がいる。イラ

ン・トルコ東部・アフガンの山岳地帯、ヨーロッパアルプス・ピレネー地方、東部南部アフリカの

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山岳地域にも小数の人々が住む。

これらの山岳地帯は、一部を除き、多量の降雪や降雨・強い乾燥・厳しい寒冷・激し

い日射・紫外線といった厳しい自然環境にある。経済的にはほとんどが発展途上国とされるこ

の地域であるが、その国の内でさえも低開発地域とみなさることが多い。また国境地域にまた

がることが多く政治的に不安定な状況におかれている地域もある。低圧低酸素環境・不衛生

による慢性感染症・痩せた土地がもたらす低栄養・電離放射線の影響もありうる遺伝的負荷な

ど、見た目にはとても貧しいと映るであろうが、しかし、どの人々もその地域の環境と歴史に根

ざした文化を誇っている。高所環境の一部でもあるそこに住む人々およびその文化に十分な

敬意を払うことを忘れてはならない。

山はこれらの人々の生活圏内にある。住民の宗教的文化的統合の象徴となる名山

も多い。高所登山に出かける登山者は、登攀の対象たる山それ自体の技術的攻略に心血を

注ぐことは勿論として、高所環境の一部でもあるそこに住む人々およびその文化に十分な敬

意を払うことを忘れてはならない。

参考文献

Pugh LGCE,1957 Resting ventilation and alveolar air on Mount Everest: with remarks on the

relation of barometric pressure to altitude in mountains. JAP 135:590-610, 1957

West JB, Lahiri S, Maket KH, Peters RM, Pizzo CJ.1983 Barometric pressure at extreme

altitudes on Mt Everest: physiological significance. JAP 54:1188-94

Hackett P, Lessons from the Field-Medical Research on Mt. MacKinley. JJMM

Vol.14:13-28,1994

Swan LW. The etiology of the high Himalayas. Scientific American, 205,68,1961Ward M, Temprature regulation, ch.14;nsulation, ch. 15. In Mountain Medicine. A clinical Studu of Cold and High Altitude. London; Crosby Lockwood Staples, pp191-2;209-10, 1975Unsworth W., Encyclopedia of Mountaineering. Harmondsworth; Penguin Books,p.369, 1977

Smith RE & Horowitz BA., Brown fat and thermogenesis. Physiologicsl revies, 49;330, 1969Pugh LGCE., Animals in high altitude: man above 5000 meters - mountain exploration. In Handbook of Physiology. Adaptation to the Environment. Am. Physiol. Soc., Washington, DC, sect.4, pp 861-8, 1964Pugh LGCE., Tolerance to extreme cold at altitudes in a Nepalese pilgrim. JAP 18,1234, 1963Tousey R., The radiation from the sun. In the middle Ultraviolet: Its science and technology. New York; Wiley, 1966Buettner KJK., The effects of natural sunlight on human skin. In The Biologic Effects of Ultraviolet Radiation with Special Emphasis on the Skin., Pergamon Press, Oxford, 1969De Jong GF., Demography of high altitude populations. WHO/PAHO/IBP Meeting of Investigators on Population Biology of Altitude, Pan American Health Organisation, Washington DC, 1968

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第三章 高所環境への適応

第一節 低酸素への生理学的反応

1. 急性の低酸素:秒-分-時間 急性反応(rapid response)

2. 亜急性低酸素:時間-日-月-年 馴化(Acclimatization)

3. 慢性経年的低酸素:数十年 順応(Adaptation)

4. 何世代もの低酸素:数世紀 遺伝的順応(genetic Adaptation)

生体が環境に適応してゆくプロセスは時間に依存する。暴露される時間によって反

応の性格が異なる。時間は単調に流れているのではないともいえるし、反応のために用意さ

れる体内の細胞や組織や器官が異なるといってもよいのかもしれない。低酸素への生理学的

反応でも同じことがいえる。ほんの数秒で反応する細胞や組織もあれば、数十世代にわたる

歴史的時間を経て初めて表現される特性もある。ただし、ヒトという生体は酸素がないと生存で

きないように作られている。当たり前であろう。ヒトが現在の地球上に含まれる程度の酸素を最

も有効に利用できるエネルギー産生機構を作り上げるには何億年という時間が必要であった

のだから。 (Fig3-1)

急性低酸素:急性の低酸素

への反応は、秒-分-時間単位でおこ

る。ここで起こるのは、減少する酸素

の摂取量をなんとか増やそうとする緊

急の反応である。薄い空気を多く取り

入れる。肺では空気と血液の接触面

積をなるべく増やしてやる。同じ程度

の酸素でも赤血球のヘモグロビンが

沢山結合できた方がよいだろう。血液

に含まれる酸素をなるべく多くかつ早

く身体の組織に送り出す。もちろん、

重要な組織には多く分配し、不要不

急な組織には供給を削減する必要が

ある。大動脈から頚動脈を分岐する場所にある小さなセンサー(頚動脈体)がこの情報ーー動

脈血のなかの酸素欠乏ーーを最初に察知する。もちろん、反応の強さは低酸素の程度による。

エベレストの頂上にヘリコプターで降り立てば、いくらこの急性反応機構ががんばっても追い

つかない。もっとも酸素欠乏に感受性の高い組織・脳が機能不全をおこし、意識を失ってしま

い、そのうち一巻の終わりである。

亜急性低酸素:慢性の低酸素に対する反応は、時間-日-月-年単位でおこる反応で

ある。エベレストの頂上にヘリコプターで降り立つのは不可能であるが、時間をかけて麓から

Fig3-1 低酸素への適応と時間軸

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徐々に身体を高地に慣らしてゆけば、頂上に立つことは不可能ではない(これができるヒトは

限られているとしても)。急性の反応は緊急時の反応であって長続きはしない。また低酸素は

本質的にはすべての組織に対し抑制的である。少ない酸素でもある期間なんとかしのぐ、低

酸素の抑制作用をかいくぐろうとする反応が次に生ずる。この反応総体を馴化

(Acclimatization)とよぶ。各組織器官でその時間応答特性は異なる。たとえば、換気の増大反

応は当初は頚動脈体の刺激によるところが大きかったのだが、そのうち延髄の腹側にある二

酸化炭素に対する呼吸センサーの resetting が働いてくるようになる。脈拍は当初は急増する

が数日でおちついてくる。骨髄での赤血球産生も増えてくるのだが、その前に、水分調節に

働くホルモンによって血管内水分量をへらして相対的にヘモグロビン濃度をあげる機構が働

いている。とまれ、この機構をフルに働かせて私たちは山に登ってゆく。

慢性経年的低酸素:数十年にわたる過程である。新中国成立後、中国本土からチ

ベットへ到着した漢人の第一陣はもう 40年間もこの標高 4000mの地に住んでいることになる。

かの地で生まれ育った漢人の子供はもはや成人となっている。本来は低地居住民であるかれ

らが獲得してきたこの反応を順応(Adaptation)とよんでいる。もはや低酸素という異常環境に過

剰に反応することのないようにある程度身体を作り替える。呼吸や循環の反応は抑え気味とな

る。食生活を炭水化物中心とし呼吸商を大きくすれば、肺胞での酸素分圧を高くすることがで

きる(注)。骨格筋の毛細管も増やすことや筋線維組成を変化させるのも有効であろう。

何世代もの低酸素:数世紀にわたる低酸素環境への、これも順応(Adaptation)という

べきであろう。生体のエネルギー産生は細胞中のミトコンドリアの上で行われるのであるが、ミト

コンドリア濃度は、高地居住民族では少ない。乏しい酸素環境では数は必要ないのであろう

か。しかし、同程度のミトコンドリア量で達成できる最大酸素消費量は平地居住民に比べて大

きい(Kayser, 1991)。細胞のレベルでの改善である。ヒマラヤを越えるカモがいる。ある種のカ

モのヘモグロビンはヒトではあっというまに一巻の終わりとなる低酸素環境でもしっかりと酸素を

結合し組織でうまく離すことができる特性をもっている。ヘモグロビンの構造はヒトもトリも似たよ

うなものであるが、ふつうのヒトのヘモグロビンを構成するアミノ酸をほんの2箇所変えただけで

(2箇所のポイントミューテーションを起こしただけで)あのスーパーバードが誕生するのである

(Weber, 1993)。別の例をひく。低酸素は肺の血管を収縮させる。マイルドな低酸素であればこ

の反応は血流と換気をマッチさせる合目的な効果をもたらすが、通常はこの肺血管の収縮に

よって肺の血圧が上がり、心臓からの血液の拍出を抑制するので、低酸素下での運動を制限

する一つの重要な要素となっている。ところで、ある種の高所居住動物ヤクはこの低酸素性の

肺血管の収縮反応が乏しいかまったくない。平地に住む普通のウシとはたったひとつの遺伝

子が違うだけである(Harris,1986)。遺伝的な適応がもっとも根元的である。

しかし酸素はヒトには、いや鳥類以上の動物には essentialである。少なくとも、ある濃

度以上の酸素環境下に生きることを前提にヒトは作られていよう。順応が可能だとしても限度

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がある。この限界を慢性高山病といわれる高地居住民の病気に、高地衰退をきたした登山者

にみることができる。5000m を越える高度では、たとえかなり長く滞在できたとしても、また遊牧

など生活の場とすることができたとしても、ここを再生産の場とすることはできない。つまり、定

住の場とすることはできない。超高所 6000m をこえると急性の馴化もその限界をみせる。一度

高所による障害をうけると回復は困難であってただ衰退するのみである。せいぜい数週間可

能だとしても1カ月の滞在が限度である。極高所 8000m を越える高度に酸素補給なしで5日

間以上滞在できたヒトは、高地居住民を含めても、いないはずである。

ヒトは酸素を必要とする動物の仲間である。乏しい酸素を有効利用するためにどのよ

うな工夫をしているか、以下でみてゆくことにしよう。

参考文献

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第三章 高所環境への適応

第二節 酸素の利用

エネルギー代謝に必要な酸素を取り入れその代謝物である二酸化炭素を排泄する

ためには、Fig3-2に示すように外界の空気と血液とのガス交換を担当する呼吸器系・肺と体組

織とを連結し酸素二酸化炭素を運ぶ循環器系・細胞レベルでのガス交換系の 4つのシステム

が歯車をスムースに噛み合わせる必要がある。とくに低酸素状態にあるときはそうである。

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第一のステップ、環境から肺胞まで空気を運ぶためには、横隔膜・肋間筋などの呼

吸筋をバランスよく収縮させる必要がある。

第二のステップで、空気は肺胞で血液と接することになるが、空気が効率よく血液と

巡り会うように換気と血流のバランスをとってやるとよいだろう。また酸素はスムースに拡散させ

たいものだ。

酸素は血液中のヘモグロビンと結びついて組織に送られることになるが、同じ低酸

素状態でもでも沢山の酸素を結合できるようその形を変えられるとよい。赤血球自体を増やし

てもよい。

第三のステップは、体循環である。心拍数を増やしたり心臓を強く収縮させ心拍出

量を増やしてで沢山の血液を組織に送りだす反応も要求されるであろう。

最後の第4のステップが組織での拡散である。組織にたどりついた酸素は毛細管か

ら細胞へと拡散してゆく。この拡散距離が大きく響いてくる。もちろん酸素を用いてエネルギー

を生み出す細胞内の工場ミトコンドリアの濃度や性能が大切であることは当然である。

二酸化炭素はこの逆の過程を経て肺から外界へ放出される。

以下では、急性・慢性の低酸素状態でこれらの過程がどのように変化することによっ

て低酸素に馴化・順応してゆくかを詳しくみてゆくことにしよう。

Fig.3-2 O2, CO2の輸送と拡散

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第三章 高所環境への適応

第三節 酸素の取り入れと換気応答

#呼吸の馴化

薄い空気から酸素を多く取り入れるためにはがんばって換気を増やせばよい。大き

く早い呼吸を意識して行えばよいように思える。しかしこれを続けるのは無理がある。まず眠っ

てしまえば意識的な過換気はできなくなる。起きていたって、呼吸が増えれば体内の二酸化

炭素が排泄され、PCO2レベルが低下し血液はアルカローシスに傾く。呼吸はもっぱらCO2の

レベルや体液の pH を維持するために保たれているといってよいから呼吸中枢は換気をする

必要がないと判断して換気量が減ってしまうはずである。

長期間の低酸素暴露はあらゆる意味で抑制的に働く。呼吸にも抑制的に働くはず

である。ところが、高所に馴化すると1ー2週間にわたって換気亢進(無意識の状態でも)が持

続する。持続するばかりか、4000m以上に2週間以上滞在すると、下界に戻り低酸素の刺激が

なくなり体液のpHが元に戻っても、この換気の亢進は数日間持続する(Smith, 1986,)。何故だ

ろうか?

#低酸素に対する呼吸の反応

低酸素を感受して呼吸を増やそうとす

る反応を低酸素換気応答と呼ぶ。総頸動脈の

分岐部にある小さなセンサー(頚動脈体)が動

脈血のなかの酸素欠乏を察知し、大きく呼吸す

るようにと延髄の呼吸中枢に信号を送る。このセ

ンサー頚動脈体は、換気が増えて PCO2 が低

下すると、通常は性能が落ちる(Honda)。しかし、

ラットを4週間ほど低酸素環境下で飼育すると

数時間の暴露の時とことなり、頚動脈体の性能

は逆に向上する とい う成績が得られた

(Barnard ,1987)。ヒトでも、オペレーションエベレ

スト ll とよばれたエベレスト登山を模した長期に

わたる低圧室での滞在実験によると、高度が上

がるにつれ時間が経過するにつれ低酸素換気

応 答 が 増 強 し て い た ( Schoene,

1990).(Fig.3-3-1)。実際の高所でも、標高 3700m のラサ到着直後に低酸素換気応答は一時

低下するが以後2週間にわたって亢進してゆく(Masuda ,1992)。どうも時間経過で反応の性質

が変わるようである。

Fig.3-3-1 高所滞在と低酸素換気応答の変

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強い低酸素換気応答つまりしっかりした低酸素センサー能力は高所馴化・高所で

の運動能改善に有利に働く。例えば Hackett,.

1982)によれば、Pheriche(4250m)でより高い

SpO2、より低い PCO2 を示すトレッカーは、つ

まりは高い低酸素換気応答をもっていることに

なるのだが、高山病になりにくい。 Schoene,

1984はこれを低酸素換気応答を実測すること

で示した。米国エベレスト医学登山隊では高

い低酸素換気応答をもつ隊員はより高く登る

ことができた(Fig.3-3-2)。また低酸素環境下で

の運動にともなう desaturationはこの反応が大

きい者ほど小さくてすんだ (Fig.3-3-2b)。

Masuyama, 1986)のカンチェンジュンガでの成

績も同様であって、この反応が高い者は高所

での高山病症状が少なくより多く高く活動する

ことができた。酸素を取り入れる第一の過程・

呼吸がよく反応することが望ましいのは当然

のように思える。

しかし、もっと長い時間スパンでみる

と、物事はそれほど簡単ではなさそうだ。ヒマ

ラヤの峰を重い荷を背負い軽やかに駆けるあ

のシェルパに代表される高地居住民はこの低

酸素換気応答があまりない(Lahiri, 1968)。そ

れどころか、まったく低酸素が呼吸を刺激しな

い例すらみられる。長年低酸素に曝された高年シェルパに多い。彼らはといえば、エベレスト

を3回も登っていたりするのだ。低地居住者でも職業的に長期間ヒマラヤを歩く者には上の傾

向がみられない(Oeltz, 1986)。世界ではじめて無酸素でエベレストを極めた2人のうちの一人

は、この反応があまりない(Scjoene, 1987)。

Fig.3-3-2b低酸素換気応答と運動時低酸素

Fig.3-3-2 低酸素換気応答と登山

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高山では、夜間の睡眠中に、

激しい息と静かな無呼吸がくりかえされる

ことがある。このパターンは周期的に繰り

返されるのでこれを周期性呼吸という

(West, 1984)’Fig.3-3-3)。どうも低酸素換

気応答の大きいものほどこの周期性呼吸

がでやすいようである(Lahiri, 1984)。高地

での周期性呼吸では、これが起こらずに

低換気状態が続いている時より SpO2 が

高いこともあるので、生体に有利に働い

て い る 可 能 性 も 考 え ら れ て い る

(Masuyama,1989)が、息が止まるなどとい

うのはぞっとしない話であるし、あの強い

シェルパたちにはこれが起こらないのだ。

低酸素換気応答が有利に働くのは、まだ

高地高山に慣れていない新参者の場合と考えるべきかもしれない。

とまれ、この頚動脈体の低酸素センサーを刺激する薬剤があれば高所で役に立つ

と考える方もいよう。ないことはない。ヨーロッパでは実際使われてきた。日本では副作用のせ

いで発売されていないのであるが。

#炭酸ガスに対する換気応答が亢進あるいは閾値の resettingが起こる。

上で述べたように、呼吸が刺激

され二酸化炭素が肺から放出され PCO2

が低下し pH がアルカリ性に変わっても依

然として換気の亢進が持続しているとす

れば(これこそ換気における馴化といえ

る)、二酸化炭素に刺激されて起こる換気

の増大反応もその性格を変えているに違

いない。PCO2 の増加に反応するメインの

センサーは延髄の腹側、第四脳室にすぐ

接する場所にあるといわれている(最近で

はもう少し内側にあるとも考えられているが)。呼吸中枢といわれる延髄の中枢のすぐ近くであ

る。血液中の CO2 は脳血管函門を楽々通過し脳脊髄液にとけ込み脳脊髄液の水素[H]イオ

ン濃度を高める。次の式 1を参照のこと。(Fig.3-3-4 )

CO2 + H2O <--> H2CO3 <--> H + HCO3 式1

[H+] = 24*PCO2/[HCO3-] 式2

Fig.3-3-3 高所での睡眠時周期性呼吸

Fig.3-3-4 二酸化炭素の代謝

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CO2 センサーはこの[H+]イオンに反応して刺激を呼吸中枢に送ることになる。平地

では、Fig.3-3-5 にみるように大体 PCO2

が 40mmHg を越える(横軸)程度から換

気が増えてくる(縦軸)。高所に入ると、

この反応直線は左へ偏位し(換気が刺

激されるレベルが下がってくる)かつそ

の傾きが強くなるようにみえる(Kellogg,

1963) (Fig3-3-5)。この図は普段の換気

状態での PCO2(26l/min の線をみよ)が

低下してゆくことも示している。Schoene,

1990 によると炭酸ガス換気応答の傾き

が高所で増強されることを示している(Fig.3-3-6)。

高所における換気の馴化を Severinghausは脳

脊髄液の[HCO3-]濃度が予想以上に低下することに求

めた。(Severinghaus,1963)。PCO2 が低下し CSF の pH

がアルカリ性になれば、腎臓から HCO3 が排泄され血

清の[HCO3-]は低下するのだが、脳脊髄液の[HCO3-]

はそれ以上に低値をとっているという。つまりその分だけ

[H+]が増加し(つまり換気が増え)CSF pHは元にもどる。

[H+]感受性の延髄腹側のセンサーの働きが馴化を説

明するとしたのである。CSF の [HCO3-]が下がるとすれ

ば、濃度勾配に逆らって脳脊髄液から能動輸送されて

いるか、脳内に無酸素代謝物質(細胞からでてくる乳酸

を考える)により[HCO3-]が消費されていることになる。これが有名な呼吸馴化の理論である。

Severinghaus がこの説をとなえてから 30 年以上たつが、必ずしもこの説を支える有

力な証拠は生まれていない。CSF pH が血液 pH と異なる調節をされることはないようだ。

Severinghausらの再度の実験ではCSF pHは高所暴露直後も馴化した後も一定レベルに保た

れていた(Crawford,1978)。能動輸送や無酸素代謝は証明されていない。素直にみれば、セ

ンサー細胞近傍の低い PCO2,[HCO3+]レベル(強い呼吸の抑制があるはず)にもかかわらず、

その他のメカニズム(低酸素換気応答の増強、脳血流の変化など)により換気は維持されてい

ると考えるべきであろう。

さて、上の式をもう一度みてみよう。呼吸を刺激するには中枢のセンサー近くの[H+]

イオンを増やしてやればよい。式2をみれば CO2 を与えてやればよいことがわかる。炭酸ガス

を吸えばよい。炭酸ガスがないときはどうするか。式1をみよう。この一連の反応を律する酵素

を炭酸脱水素酵素という。この酵素をブロックしてやれば CO2 を与えなくとも反応が右側に流

Fig.3-3-5 高所滞在と炭酸ガス換気応答

Fig.3-3-6 高所滞在と炭酸ガス換

気応答の変化

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れない分CO2が溜まってくるはずだ。脳細胞や赤血球でこの反応が起きればCO2は CSFへ

と拡散し CSF[H+]を上昇させ換気を刺激することになる。この炭酸脱水素酵素阻害剤とよば

れるブロッカーは腎臓の尿細管では[HCO3+]の再吸収を阻害するので(だから利尿剤として

も使用される)代謝性アシドーシスをもたらす。これもまた換気を刺激することになろう。

高山でこんな便利な薬があるととても便利だと思いませんか?そう。Acetazolamide、

商品名ダイアモックスとよばれる薬剤がまさしくこれである。高山病予防に効きそうだと思いま

せんか?

参考文献

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第三章 高所環境への適応

第四節 肺での酸素の拡散

#DLCO, DLO2

肺胞にたどりついた酸素は肺胞上皮を抜け間質

を通り毛細管壁を抜けその中を流れる赤血球のヘモグロビンと結合する必要がある。Fig.3-4-0

に肺胞領域の電子顕微鏡を示す。どんなガスも圧勾配により拡散することで移動する。酸素

は肺胞から毛細管へ、二酸化炭素は毛細管から肺胞へと拡散する。肺での酸素の拡散のシ

ェーマを(Fig.3-4-1)に示す。

肺胞からヘモグロビンまで拡散する酸素の量を V とすると、拡散する速度 dV/dtは、

肺胞の酸素分圧(PalvO2)と混合静脈血(毛細管血)の酸素分圧(PvO2)の差で決まるから、

dV/dt=k*(PalvO2-PvO2) 式1

で与えられる。ここで kは、肺胞からの拡散面積や肺胞壁の厚さ及び拡散定数をひっくるめた

定数となる。この K が酸素の拡散しやすさをあらわす。酸素(O2)の肺(Lung)での拡散

(Diffusion)であるので、これをD LO2 と表記し"肺での酸素の拡散能"と呼ぶ。

DLO2=dV/dt/(PalvO2-PvO2) 式2

測定上の都合から酸素の替わりに一酸化炭素(CO)を用いることが多いが、この場合は DLCO

と表記する。通常血液中に COはほとんど含まれていないから PvCO=0 となり、

DLCO=dV/dt/PalvCO 式3

という簡単な式となる。安静時運動時を通じ DLO2/DLCO=1.2 程度なので、これをふまえてい

れば、どちらを使っても拡散能を評価することができる。

(Fig.3-4-1)に示すように、拡散の障害となるのは肺胞毛細管膜と赤血球と

の結合の仕方の二つのコンポーネントである。よって DLCOは肺胞毛細管膜の拡散能 DM と

血液因子θVc とにわけて考えられる。

Fig.3-4-0:肺胞壁と赤血球 Fig.3-4-1 拡散のシェーマ

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1/DLCO=1/DM+1/θVc 式4

#拡散の制限

肺毛細管血液量(Vc)は血流量と接触時間により決定される。激しい運動をすると血

流量は増えるが、血流速度も上がって赤血球が肺胞と接触している時間が短くなる。一気圧

下であれば Fig.3-4-2 左図にみるように接触時間が少々短くなっても静脈血(PvO2=40mmHg)

は、肺胞の酸素分圧(PAO2)が高いおかげでなんとか酸素化される。動脈血の酸素分圧は肺

胞のそれと同等になる。一方、エベレスト頂上をシミュレイトしてみる。PvO2は 21mmHg程度し

かない。吸入気酸素分圧 PIO2は 43mmHgPAO2は 34mmHgである。右図にみるように、圧の

格差が小さいため、静脈血は肺胞との接触の最後になっても十分酸素化されず、肺胞の酸

素分圧と動脈血の酸素分圧差(A-aDO2)が大きくなる。接触時間が短くなればなおさらである。

ただでさえ乏しい酸素が動脈に届かなくなる。

実際、低圧環境で運動するとさらに低酸素血症がもたらされる。標高 5360mで 25kg

の負荷をかけた2分間のスクワッティングでさえ SpO2は 78%から 72.5%に低下したとの報告が

ある(Hasako,1987)。

Fig.3-4-2 拡散の制限

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米国のエベレスト隊の 6300m の報

告では、Fig 3-4-3 にみるように

SpO2は負荷の強さに応じて直線的

に低下する(West,1983)。計算では

肺胞と動脈の酸素分圧格差は

21mmHg とみつもられる。強度の運

動になると平地での運動でさえ、拡

散 障 害 が 生 じ て い る 。

Torre-Bruno,1985 は拡散障害を定

量的に評価しているが、酸素摂取

量が 3l/分を越えると(普通の人では

最大負荷に近い負荷量である)拡

散障害が検出されるという。Hammond,1986

達も同様の結果を示している。我々にとって

興味深いことに、拡散障害がでてくるのは

平地ではやはり酸素消費量 3l/分以上であ

るのだが、11%酸素吸入下(4600m の高度

に相当する)ではたかだか 1.5l/分以上の運

動で拡散の障害が検出される(Fig.3-4-4)。

#換気と血流の不均等分布

肺胞と動脈の酸素分圧較差を作り

出すもう一つのメカニズムは換気と血流の

不均等な分布である。通常血液は重力の

せいで肺の下部に多く分布する。一方換気

は血流に比べ相対的に上部に分布する。

運動は肺尖部の血流を増加させこの不均

等な分布を改善すると考えられてきた

(Bake,1968) 。また低酸素環境下では肺の中でも低酸素状態の部分(換気が十分にされてい

ない部分)の血管が収縮し他の部分へと血流をシフトさせる反応・低酸素性血管収縮がおこる。

これも不均等分布を改善させる可能性のある反応といえる(Marshall,1981)。

しかし、Gale1985 らの報告によると、0m でも 4600m の高度でも、運動は換気と血流

の不均等分布を悪化させる。上記 Hammond,1986 の場合でも、拡散障害があらわれる前でも

AaDO2 は拡大するのだがこれは換気血流の不均等が悪化したことによるのである。

Wagner,1986 の報告でも同様であって、低酸素性肺血管収縮が不均等におこること、肺の各

部位で呼吸の時定数が異なること、あるいは間質の浮腫形成などにより、運動時に換気血流

Fig 3-4-3 高所での運動は低酸素をもたらす

Fig.3-4-4 拡散の障害が低酸素をもたらす

Page 24: 高所環境とその影響―――高所登山のためのテキス …1 高所環境とその影響―――高所登山のためのテキスト 文部省登山研修所編平成

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の不均等が悪化しうる。低圧低酸素条件では上記条件はさらに悪くなるであろうという。

どうも、運動時の低酸素血症は、高所ではとくに、拡散障害と換気血流の不均等が

あいまって進行させるらしい。

問題は高度でその割合がどう変化するかである。Fig.3-4-5 は長期間の低圧室滞在

実験 OEllでの成績であるWagner, 1987。縦軸に AaDO2、横軸に酸素消費量であらわされる

運 動 量 を と る 。 上 か ら そ れ ぞ れ 760torr(0m), 429torr(4500m), 347torr (6000m),

282torr(7500m),

240torr(8848m)での成績を示す。

"PREDICTED"と示されたライン

は V/Q mismatching から理論的

に 予 測 さ れ た AaDO2 、

"MEASURED"とあるのは実測

値。その差は拡散障害によるも

のとみなされる。760torr では

3l/minあたりで両者が開いてくる

(拡散障害がでてくる )が、

429torrだと 1.5l/minですでに開

き 始 め る 。 347torr282torr ・

240torrつまり 6000mを越える高

度では 1l/min 程度の運動で拡

散の障害がでてくることがわか

る。

さて、この拡散障害は

高さに比例して悪化するのだろ

うか。Fig.3-4-6-B をみてみよう。

実線は拡散障害で引き起こされ

る肺胞と動脈の酸素分圧差、破

線はこの分圧差を酸素含有量

の差(実質的には酸素飽和度

SaO2 の差)として置き換えたも

のである。分圧差は 6000mまでは 8-9torr とほぼ一定であるがこれを越えると小さくなる。一方

これを酸素含有量の差でみると6000mまで直線的に増大し以後頭打ちとなっている。PaO2が

100torr近くある標高 0mでは 8torrの差は酸素含有量(酸素飽和度 SaO2)にさして大きな影響

を与えない。高度が増して PaO2 が低下し、酸素解離曲線の急峻な部分にくると 8-9torr の差

が大きな SaO2の差としてあらわれてくる。6000m以上では拡散障害によって 4ml/100mlの酸

素を失っていることになる。動脈の酸素含量は平地では 20ml/100ml、8848mで 12.5ml/100ml

Fig.3-4-5 高所での運動中の拡散障害・換気血流不均

等の割合

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くらいだと見積もられているから、この 4ml/100mlがいかに大きいかがわかろう。

拡散障害と換気血流比不均等はどちらが高所での運動時の AaDO2 開大に寄与す

ること大なのだろうか。Fig.3-4-6-Aをみてみよう。全体の AaDO2を拡散障害による部分と換気

血流比不均等による部分とにわけて表

示したものである。高度が増すにつれ、

拡散障害がますます重要になってくるこ

とがわかる。4000m ではほぼ半々、エベ

レスト頂上では拡散障害が 85%寄与し

ていることになる。

極高所では肺での拡散が決

定的である!

肺の拡散能(DLCO)は高地滞

在でいくらか亢進するらしい。安静時で

も、運動の時もそうらしい。上の式4でい

うと、θは PaO2 が低下すると大きくなる。

赤血球ヘモグロビンが増えれば毛細管

血液量Vcも増える。さすればDLCOは

大きくなるはずである。しかし高所で起

こっているであろう肺間質の浮腫や低

酸素性肺血管収縮を考えると膜の部分

DM は低下している可能性がある。トー

タルで DLCOを改善させることができる者が有利であろう。

DLCOは高地居住民で亢進している。3700mに住むアンデス住民は予測値より50%

も高い(Remmers,1969)。これはただの人種差ではなく、同じ人種でも長期間高所に暮らしてき

た人々でも同様の結果がみられている(Dempsy,1971)。DLCOは安静時も運動中も高くなって

いる。赤血球の因子というより、換気に与る肺胞の面積や毛細血管の量がこの増大を支えて

いると考えられている。

拡散能の改善が順応にあたるか否かは別として、拡散能の障害は厳しい低酸素環

境下では決定的な運動制限因子となる。平地でも運動による軽度の間質の浮腫性変化がも

たらされる(Schffartzik,1992) 。高所での低酸素・激しい運動はこれを増強する。肺間質の浮

腫は直接肺胞毛細管膜の拡散能 DM を低下させ DLCO を悪化させるばかりか、換気血流の

不均等を悪化させトータルの AaDO2を開大させることになる。拡散は essential.

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27

第三章 高所環境への適応

第五節 心臓血管系

1 高所では心機能は低下するか。

心臓血管系は肺で取り込んだ乏しい酸素を組織に届ける役割をはたす。急性の低

酸素状態では脈がどきどきし心臓はがんばって働いているように思えるが、高所ではむくみが

でたり息切れがしたりと、どうも心機能が十分に働いていないように思える。実際

Alexander1967は 3100Mの高度で 10日間滞在後の運動時の心臓の一回拍出量・心拍出量

は平地と比べて低下していると報告している。一方、Pugh,1964の 5400mでの報告では、心拍

出量は平地でより高くなっている。心拍出量の反応については色々な報告をみる。

しかしフィールドにあって正確に心拍出量を測定するのは難しい。古い時期の報告がこの点

に関して一致しないのも測定法の厳密さに原因がありうる。また馴化の程度で結果にばらつき

がでる可能性もある。完全に馴化した平地人を確立された同じ方法で測定し比較する必要が

あるがこれも必ずしも今までの報告では一貫してはいない。また心拍出量の変化を考える際

には呼吸の増大との相互作用を考慮する必要がある。Mizoo,1996 によれば、低酸素負荷時

の呼吸応答と心拍出量応答の間には逆比例の関係がある(Fig.3-5-1-1)。つまり呼吸の反応が

強いものは心拍出量の反応が弱い。呼吸の反応が小さければ心拍出量は大きくなる。このよ

うな相互作用も考慮に入れる必要がある。

2 高所でも心機能は保たれている。

高所では確かに運動能力は落ち

る。とくに最大酸素摂取量(最大運動負荷

量といってもよい)は高度が増すごとに低下

する。Fig.3-5-2-1 にこれまでの代表的な報

告をまとめてみる。吸入気酸素分圧(PIO2)

が低下するにつれ(高度があがるにつれ)

最大酸素摂取量(VO2max)は低下してゆく。

エベレストの頂上では平地のせいぜい 1/3

から 1/4 にすぎない (Cymerman, 1989)。こ

の低下に心臓の機能はどの程度関わって

いるのだろうか。

Fig.3-5-2-1高所で最大酸素摂取量の低下

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Reeves JAP, 1987の OEllでの

データをみてみよう。現時点では、長期

間の低圧室滞在中に行われた右心臓

カテーテル検査によるこの実験によるデ

ータがもっとも信頼しうる。Fig.3-5-2-2-に

示すように運動量(横軸)に対する心拍

出量(縦軸)の関係は、高度が上がれば

運動量が減るので直線の長さは短くな

っているが、いずれも同じようなライン上

にある。これは、運動負荷量と心拍出量

の関係は高度によって影響を受けない

ことを意味している。しかしこの結論は

やや奇妙に思える。高所で運動すると、

平地と比べて脈が早いように感じられる

からだ。実際、Fig.3-5-2-3 のように酸素

消費量当たりの心拍数をプロットしてみ

ると、高所でのラインは平地のそれより

上にある。同じ程度の運動で心拍数が

高くてかつ心拍出量が似たようなものだとすれば、一回の拍出量が小さいということになる

(Fig3-5-1-3B)。これは心機能が抑制されている証拠ではないだろうか。

一回拍出量は心筋の収縮力が低下すれば低下するであろう。しかし循環血液量が

減り静脈還流が減れば同じように低下しう

る。しかし、Fig3-5-2-4 に示すように右房

圧や左室圧と一回拍出量の関係は保た

れているし、酸素投与でこれらの関係に

変化はなかった。また Suarez,1987 による

安静時及び運動時の心臓超音波検査に

よると、Fig.3-5-2-4 に示すように心臓左心

室筋の収縮力は高所でも維持されていた。

駆出分画でみると低下しているどころか逆

に平地で平均 69%からエベレスト頂上で

79%へと向上していた。この収縮力強化

はカテコラミンの増加を伴っており、この

低酸素状態でも心筋の交感神経活動に

対する反応性は保たれているのである。

Fig.3-5-2-2高所での運動強度と心機能

Fig.3-5-2-3 高所での運動強度と心拍数

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どうも、エベレスト頂上でも低酸

素による心筋への直接的な機能障害を心

配する必要はないようである。もちろんこ

れは十分に馴化した健常人についての

みいえることであって、高齢者、心血管系

の患者にとっては低酸素は著しく悪影響

を及ぼすであろう。

3 運動時の肺高血圧が問題と

なりうる。

問題になるとすれば、肺血管の

反応であろう。肺の小細動脈の平滑筋細

胞はその周囲にある肺胞が低酸素状態

になると収縮する(Fishman,1978)。逆に動

く例ではあるが、赤ん坊を思い浮かべると

よい。母親の胎内から外界へ生まれ落ち

外の空気を吸い始めそれまで低酸素状

態にあった肺に酸素が満ちると、低酸素

性肺血管収縮反応は解除されて肺血管が広がり、胎盤を経由した胎児循環から肺を経由す

る肺循環へとスイッチが切り替わる。この一瞬にこの反応のもっとも重要な生理的意義がある。

しかし大人になってもこの反応は残っている。個々人によりその強さは様々であるが、

低酸素状態にある部分への血流を遮断し他の部分に血液をより多く送ろうとする合目的な生

理学的反応であるとも考えられる(Marshall,1981)。しかし全体的にみると肺血管の抵抗を高め、

肺の血圧を上げ肺高血圧症(肺動脈平均圧が 20mmHgを越える場合)をもたらすことになる。

平地で低酸素ガスを吸ってもこの低酸素性肺血管収縮反応は起こるから、高所でも当然起き

ていることが予想される。

Fig.3-5-2-4 心臓左心室筋の収縮力は高所で

も維持されている

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Sime,1974 に よ る と 平 地 で

12mmHg であった肺動脈の平均圧は

4500m に一年住んでいると 18mmHg に上

昇していた。もちろんもっと急激な高所暴露

でもおこる。 Groves JAP, 1987 の成績を

みてみる(Fig.3-5-3-1)。これも OE2 での成

績である。横軸は心拍出量、縦軸は肺血管

の圧格差(肺動脈圧から左心室圧を引いた

圧)。左から平地、6000m、7500mに相当す

る 。 安静時の肺動脈圧はそれぞれ

15mmHg, 24mmHg, 34mmHg となっており

安静時でもすでに肺高血圧症となっている。安静時よりも面白いのは運動時の変化である。

運動量が増すにつれどの高度でも肺血管の

圧格差が大きくなっていくが、その勾配は高

度とともにきつくなってくる。つまり、ほんのわ

ずか運動負荷量が増えただけで肺血管の圧

格差が急増する。同一面にあらしてみると勾

配 が 強 く な っ て い る の が よ く わ か る

(Fig.3-5-3-2)。圧格差を心拍出量で割ったも

のが抵抗であるから、肺血管抵抗は Fig.3-5-3

に示すように安静時も運動中も高度につれ上

昇する。

低酸素性肺血管収縮反応は文字通

り低酸素により引き起こされるのであるから、

酸素を与えれば消失するはずである。事実健

常人では急性の低酸素ガス吸入による肺血

管収縮反応は可逆的である。ところが驚くことに、 Groves JAP, 1987の実験では、酸素を与え

ても肺動脈圧は完全には元に戻らないし肺血管抵抗は有意な低下をみせない。

Fig.3-5-3-1高所での運動時の肺動脈圧

Fig.3-5-3-2-高所での運動時の心拍出量と肺

動脈圧の関係

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これと同じ現象は高地居住民にもみられる。長期間 4330m の高所に住む南米の住

民 Quechuas は軽度から高度の肺高血圧症を呈する。Fig.3-5-3-4 で、縦軸は肺動脈圧をあら

わす。a は平地居住者の安静時、b は運動

時。cは Quechuas の安静時、dは運動時。

Quechuas の安静時及び運動時の圧は

Groves JAP, 1987たちの 6000mでの値を上

回っている。彼らの肺高血圧は酸素投与だ

けでは改善しない。下がってせいぜい 15

から 20%である(Penaloza, 1962)。この反応

の悪さはかれらの肺動脈がもはや器質的

に変化してしまっていることによる。Heath &

Williams 1991 によれば、本来平滑筋構造

を持たない小細肺動脈の中膜の肥厚、筋

性化が起こる。30mm程度の細い動脈での変化も例外ではない。中膜の縦方向に成長する平

滑筋の増成も確認されている。これらはいわゆる肺血管構造の remodelling を起こしてくる

(Smith, 1992 :Heath D, Williams D, 1991)。本来筋性構造を持たないこのレベルの肺血管の

変化は当然血管抵抗を高め肺動脈圧を高める。すでに器質的にできあがっているものである

から、酸素投与が効を奏さないのも当然というべきである。

だが、平地居住者がたかだか数週間や数ヶ月高所に滞在したからといって、上記の

ような組織学的変化を起こしてくるとは考えにくい。低圧そのものが、肺血管内皮細胞から放

出され肺血管の緊張をコントロールする物質(現在ではNO一酸化窒素であると考えられてい

る)の生成や代謝に影響を与えるのかもしれない。また間質には contractile interstitial cellsとよ

ばれる低酸素に感受性のある細胞がほかにも同定されている。これらの関与も考える必要もあ

ろう。

低酸素性肺血管収縮反応は低酸素状態にある部分への血流を遮断し他の部分に

血液をより多く送ろうとする合目的な生理学的反応 かもしれないと述べた(Marshall,1981)

が、高所にあってはこれに期待をかけすぎない方がよさそうである。この反応が均等に起こっ

てくれればまだしも、不均等に起こるとすれば、部分的に高圧な毛細管を生みだし liquids の

leak を招き肺水腫をもたらす可能性もある(Hultgren,1978-)。肺水腫にならなくとも、換気血流

の不均等を増大させる可能性は大きい(Wagner,1987)。

Fig.3-5-3-4高地居住民の肺動脈圧

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Yoshidaによれば、平地であっても肺血管障害がある患者では運動時の肺血管抵抗

の急激な増大が運動の規定因子となっている。高地においておや。高地肺水腫に一度なっ

たヒトは再度なりやすいことが知られている。この肺水腫になりやすい人を集めて、低酸素吸

入により肺血管抵抗・肺動脈圧がどうなるかを調べてみる。 Fasules,1985 Kawashima らによる

と、こういう人々は低酸素に対する肺血管抵抗・肺動脈圧の上昇が著しい。515mmHg の低圧

負荷によっても,また15%O2の低酸素吸入においても、肺血管抵抗及び肺動脈圧が高くなる。

50Wの軽運動負荷でも、controlでは肺血管抵抗が低下したにもかかわらず、肺血管抵抗・肺

動脈圧は上昇し、高度の低酸素血症が招来される。Fig.3-5-3-2 でみた圧と運動量の関係の

傾きが急峻となる。肺循環は体循環と異なり

低圧系なのである。右室は左室と違って大き

な圧を作り出すことができない。肺高血圧が

続くと右心がまいってしまうことになる。

上にみた高地居住者は南米でのも

のであった。アジアのチベット系はいくらか反

応が違うようである。 Sun,JAP,199?はチベット

のラサ(3700m)で運動中の右心カテーテル検

査を行い、現地のチベット人と移住してきた

漢人の肺血管の反応性を比較している。

Fig.3-5-3-5 をみるとチベット人のほうが同じ運

動に対して肺動脈圧上昇の程度が低いこと

が分かる。南米の高地居住民との違いがどの

点にあるのか現時点では分かっていないが、チベット人の反応が適応という意味では好ましい

のであろう。インド北部高原地帯標高 4000mに居住するチベット系のラダックの住民について

の面白い報告がある。培検によると、かれらの肺小細動脈には中膜の肥厚も筋性変化もほと

んど認めなかった。Gupta,1992はこれは高地生息動物にみられるような適応かもしれないと考

えている。

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Page 34: 高所環境とその影響―――高所登山のためのテキス …1 高所環境とその影響―――高所登山のためのテキスト 文部省登山研修所編平成

34

第三章 高所環境への適応

第六節 血液学的変化と血漿量

#ヘモグロビン濃度は赤血球量と血漿量により決まる。

赤血球量の調節;酸素を結合して組織へ運ぶヘモグロビンの濃度は赤血球量と血

漿量により決まる。赤血球の量が少なくなることを貧血という。貧血は様々な原因ーー製造工

場であるの骨髄の障害、製造原材料の不足、破壊や喪失ーーにより生ずる。高所に出かける

者にはこれらの障害がないことにしよう。この場合赤血球の産生量はもっぱらエリスロポエチン

と呼ばれるホルモンに依存する。エリスロポエチンは主として腎臓の Jaxtaglomerular apparatus

において作られる。主に次の二つの困った状態がエリスロポエチン産生を刺激する。一つは

血液の喪失である。これは有史以来動物がもっとも頻繁に直面してきた危機的状況である。こ

れに対応する重要な反応である。そして今一つが低酸素である。それほど低酸素は動物にと

って危機なのであろう。

いままで頚動脈体、肺の動脈という二つの低酸素センサーをみてきた。これらと比較

してみよう。

1 頚動脈体 換気 組織(脳)低酸素(動脈) 酸素分圧

2 肺の動脈 血流 組織(肺)低酸素(肺胞) 酸素分圧

3 腎 赤血球 組織(全身)低酸素(静脈) 酸素含量

1や2の酸素センサーとと大きく違う点は、反応がゆっくりしている所にある。1、2ともほんの数

秒の単位で反応をおこす。一方エリスロポエチンは数時間かけないと上昇してこない低酸素

は EPO gene の引き金を引き EPO RNA を数百倍のレベルに高め腎皮質の peritubular

interstitial cellsに働きかけEPOの産生を調節する(Jelkman,1992)。もう一つの大きな違いは1、

2ともセンサー近傍の(動脈あるいは肺胞の)PO2 に反応するのに対し、エリスロポエチンは酸

素含量に反応する点である(貧血はまさしく酸素含量の低下をもたらす)。ゆっくりしたかつ全

身的反応といえる。

血漿量の調節: (Fig.3-6-1)

血液全体から赤血球や

白血球などの血球成分を取り除

いた液体成分を血漿という。血

漿量の調節に関与する主な因

子は ANP・Ald・ADH といったホ

ルモンである。これに脱水の程

度・静脈の血管量・体位・寒冷・

Na 摂取・重力・運動などが修飾

を加える。Fig.3-6-1にシェーマを

示す。

Fig.3-6-1 血漿量の調節に関与する主な因子

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35

高所に滞在すると上の二つの調節があいまって血液量を調節する。低酸素自体に

も利尿作用がある(Honig,1983)ばかりか、脱水・運動・寒冷のせいで、高所到着数日で循環血

漿量は減少する。Fig.3-6-2 に示すように、4000m滞在 18 週目には血漿量は 21%減となって

いる。赤血球も増えてきているが Hb 濃度は血液量減少を背景にしてさらに増加度が高い。II

はさらに 3-6週後 5800mでのもの、IIIはさらにその後 9ー14 週後 5800mでのものであるが、

血漿量は徐々に元に復する。Hbは横ばい、赤血球は増加を続ける。

さて、急性高山病は体液の異常貯留および体内での分布の異常と結び付けて考え

なければならない(Hackett,1981)。

HAPE での水分代謝に関連するホ

ルモン、ペプチドには様々な報告が

ある。ANP, ADH, Aldosterone が注

目されている。

と こ ろ で 、 平 地 で

Hb=15g/dl で

SaO2=98%,PaO2=90mmHg であっ

た登山者が 4000mに滞在すること2

か 月 で Hb=20g/dl で

SaO2=80%,PaO2=50mmHg になっ

たとしよう。動脈の酸素含有量

CaO2は

CaO2=1.34*Hb*SaO2/100+0.003*PaO2

で与えられるから

平地での CaO2=1.34*15*98/100+0.003*90=19.5 ml/dl

高所での CaO2=1.34*20*80/100+0.003*50=21.1 ml/dl

なんと動脈の酸素運搬能力は、低酸素のせいで SaO2 が落ちているにもかかわらず、向上し

ているではないか。これぞ馴化だ、と喜んでいるばかりではいけない。

高所滞在でヘモグロビンが異常に増えるのは望ましくない、と考えられている

(Winslow & Monge,1987)。過度に Hb濃度が増えると血液の粘稠度が高まる。Hbが 18g/dlを

越えるとさらに加速される。粘稠度が高まると体循環・肺循環とも末梢での抵抗が増え、結果

的に心拍出量を落としてしまう。

組織への酸素供給量=動脈の酸素含量*心拍出量

であるから、後者を落としてしまっては元も子もない。

高地居住民はどうなのかという疑問がわく。たしかに南米の高所居住民では以前か

ら Hb=20-22g/dl(4300m:男性、以下同じ)などと異常に高い報告が多かった(Merino,1959;

Penaloza,1971)。しかし高地居住民でも Hbが 22g/dlを越える異常者は慢性高山病患者とよば

れる低酸素不適応者である。上記の報告はこれらの人々を含んでいるようである。ネパールシ

Fig.3-6-2 高所滞在に伴う血液量の推移

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36

ェルパでの報告では、17g/dl(3700m:Adams,1975), 16.2g/dl(3500m:Morpurgo,1976)程度であ

る。チベット人では Sunによれば 17g/dl(4000m)程度である。Bell,1987-adaptationはもっと高い

地域を調べているが18.4g/dl(5000m)。これらの中にも、慢性高山病とまではゆかずとも適応不

全者も含まれているはずである。8000m 峰を幾つも登った一流のシェルパでは 15g/dl であっ

た。南米とアジアの高地居住民はこの点でなんらかの遺伝的差異があるのかも知れない。

とまれ Hb の値とクライミングパフォーマンスの間には何の関係もない。高すぎるとあ

きらかに不利になる。大切なことは、循環血漿量を保ち十分な腎血流量を保つよう適切な水

分補給を心がけることである。

#凝固系の変化

高所における脳血管障害とくに脳血栓は多数の報告例がある。半身マヒを呈したり

(Clarke,1983)半昏睡になったり(Fujimaki,1986)とかなり重症例から、一過性脳虚血発作と視力

障害を呈した例(Wohns,1978:Miyahara,1995)まで様々である。1994 年 10 月サウスコルからエ

ベレスト頂上を目指した 60歳の宮原は南峰直下で左視力を失って下山を余儀なくされた。視

力は C4 に下りると回復していた。宮原はその2か月前にも一過性脳虚血発作をおこし倒れて

いる。視力障害も一時的な血栓症と考えられた。Dickerson,1983 は、ヒマラヤトレッキング中に

急性高山病で死亡した7人の貴重な剖検例を報告している。肺毛細管にフィブリン血栓・塞栓

及び肺胞内に線維素の析出が認められており、凝固線溶系の異常も疑われた。Chohan,1984

は高所に到着した際には凝固系の亢進、線溶系の低下傾向がみられるという。しかし

Bartsch, 1989, Cucinell,1987 らによれば凝固線溶系の異常が HAPEの発症を直接惹き起こし

ている証拠はない。またOE2でのAndrew,1987によると、凝固因子の異常はほとんどみられて

いない。

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38

第三章 高所環境への適応

第七節 ヘモグロビンと酸素の親和性、酸塩基平衡

酸素分子は

赤血球のヘモグロビ

ンと結合して運ばれる。

赤血球は列車、酸素

は乗客、ヘモグロビン

は座席にたとえられる。

ヘモグロビンは 4個の

グロビン鎖と4個のヘ

ムで構成される。ヘム

が酸素分子をのせる

座席であり、グロビン

の立体構造がヘムと

酸素分子の結合のしやすさしにくさを修飾する。一分子のヘモグロビンは最大4分子の酸素と

結合しうることになる。血中すべてのヘムの中でO2と結合している百分率、つまりO2による座

席占有率を酸素飽和度 SaO2 という。SaO2は酸素分圧 PaO2が高いほど高くなるであろう。こ

の SaO2(縦軸)と PaO2(横軸)との関係を酸素解離曲線(ODC)という (Fig.3-7-1)。O2 はすで

に O2 が結合しているヘモグロビン分子と結合しやすい傾向がある。O2 が結合していないヘ

モグロビン分子ばかりだと新たな O2も結合しにくい。この状態をO2親和性が低い、という。い

ったん O2が座席につくとグロビンの立体構造が変化し他のヘムは O2を結合しやすくなる。

つまり PaO2 が低い部分では PaO2 が上がっても SaO2 の上がりは少ない。ある程度

PaO2が上がりヘムにO2が結合した後は O2親和性が高くなる。90%のヘムに O2が結合して

しまえばあとの反応は緩やかになろう。これが、酸素解離曲線がS字型をしている理由である。

動脈ではO2を結合し組織では O2を離すことで組織に酸素供給を行うのであるが、図に示す

ように、平地では ODC 曲線がなだらかな部分で、高地では急峻な部分でこの酸素のやりとり

をしていることになる。

Fig.3-7-1 酸素解離曲線 SaO2(縦軸)と PaO2(横軸)との関係

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こ の ODC 曲 線 は 体

温,PCO2,pH,2-3DPG などにより形を

変える(曲線が右か左に偏位する)こ

とが知られている(Fig.3-7-2)。つまりこ

れらの条件の変化がグロビン鎖の立

体構造を変え O2 親和性を変えるわ

けである。SaO2=50%のときの PO2 を

P50 といい、ODC の偏位の目安とす

る。ちなみに、ヒトでは Hb=15g/dl,

pH=7.4, PCO2=40mmHg, 体温 37℃

の場合 P50=27mmHgである。P50 が

これより小さければ左へ、大きければ

右へ偏位しているわけである。

さて高所で酸素解離曲線

(ODC)はどのように偏位するのだろう

か、あるいはどのように変化すること

が高所では有利なのだろうか。

ODC 曲線が右にシフトする、

ということは、PO2 が低いレベル(低

酸素環境下の組織)で SO2 が低くな

ることを意味する。つまりヘムから O2

を離し易くする。事実急激に組織の

低酸素により pH が下がったり、赤血球

の 2-3DPG が産生されたりするとこの

ODC の右方偏位がおこる。Lenfant and

Sullivan,1971 は高地に赴く平地居住民

にみられるこの変化がまさしく馴化なの

だという。Morpurgo,1970 pa66 はペル

ーアンデスの Quechus族にみられるこの

右方偏位は平地人のそれよりも大きくな

っているという(Fig.3-7-3)。

しかし、同図にみるように、

Llama という高所居住動物は逆に ODC

が左にシフトしている。あるいは実験的

に ODC を左方移動させた動物は

PB=250mmHg という極低酸素状態では正常より生存に有利であった(Eaton,1974)。どちらが

Fig.3-7-2 酸素解離曲線:平地と高所

Fig.3-7-3 酸素解離曲線の偏位

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正しいのであろうか。

ここで Llama と Mouse を比較してみる(Fig.3-7-4ABCD 95:59-62)。ヒトと比べると、

Llama の ODCは左方へ(P50=20mmHg), Mouseの ODCは右方へ(P50=50mmHg)偏位して

いる。平地でも低酸素下でも動静脈の酸素飽和度の差(SaO2-SvO2)は 50%必要であるとする

と、B図に示すようにMouseの場合はは PaO2=50mmHg以下には下げられない。SaO2も 50%

だからである。では条件を変え、平地では PaO2=90mmHg, PvO2=30mmHgになるとし、高所

では PaO2=30mmHg, PvO2=20mmHgになるとしよう。A図にあてはめた結果が C 図である。

平地では Mouse のほうが Llama と比べより大きな酸素供給が可能だが、高所になると(D 図)

逆に Llamaが沢山酸素を使えることがわかる。高所でMouseが使える酸素はほんのわずかで

ある。このMouseじゃ山は登れない。

Mouse が"悪い"わけではない。動物はそれぞれ自分の生活環境にもっともみあった

適応をしているだけである。Mouse に登山をする習性はない。低酸素環境に関する赤血球の

適応に関してはヒトは Llama と Mouseの中間である。ほどほど登山を楽しめるわけだ。高所に

住む動物はほ乳類でも(Llama,alpaca,chinchillaなど),鳥類(bar-headed goose,huallata)でも酸素

の親和性に関する限り高いものが多い。Sydney,1982によれば 0mから 4000mまで高度を違え

て生息する Deer-Miceの 10種類の亜種では、高度が高いほど P50は小さく赤血球の酸素親

和性は強い。どうも ODCの左方移動が高所では有利にみえる。

Fig.3-7-4A

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Bencowitz,1982 はこの問題につき理論的な解析を行った。 Fig.3-7-5 に、

760mmHg,630mmHg,550mmHg,380mmHg の高度で運動した際の PaO2,PvO2 の変化を、

ODC が P50=16.8mmHg(左方偏位),26.8mmHg(正常),36.8mmHg(右方偏位)の場合にわけ

て示す。横軸は VO2 で

現した運動量、PvO2 のう

ち大体平行してゆく最後

まで続くラインは肺での

拡散障害がまったくない

と仮定した場合、途中で

落ちてしまうラインが拡散

障害を考えた場合のもの

である。拡散障害がない

と仮定した場合は、どの

高度でも常に右方偏位

群の PvO2 が他の群より

高値を保っているが、拡

散障害がある場合は(既

に 述 べ て き た よ う に

(Fig.3-4-5)760mmHgでは

VO2>3l/m, 429mmHg で

は VO2>1.5l/m,

347mmHg で は

VO2>1.2l/m で拡散障害

が生ずる)、どの高度でも、

特に高所では、運動強度

が増えると右方偏位群の

PvO2 は急落してくる。左

方偏位群の有利性が浮

きでてくる。

エベレスト頂上の血液ガス(Table 2-2)をもう一度みてみよう。PaCO2=7.5mmHg,

pH>7.7 とみつもられたのであった。過換気による CO2の放出は PAO2 を高めたばかりではな

く、血液をアルカリ性にし ODC曲線を強く左へ偏位させ極高所での運動時の PvO2 を維持さ

せたのである。

赤血球を介する馴化の戦略は2つある。一つは数を増やして酸素含有量を増す道、

もう一つは酸素の親和性を高める道である。前者は、上で 3-6 で述べたように、血液粘稠度を

増やして血管抵抗を高め結果的には心拍出量を落としてしまうので問題があった。とりうる方

Fig.3-7-5 酸素解離曲線:どちらへの偏位が有利か

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法は後者の ODCを動かす道のようである。

さてタバコの話をしよう。タバコを吸うと一酸化炭素COが発生する。COのヘムとの結

合能は酸素に比べて 200 倍ととても強力であってすぐに赤血球と結合し COHb となって体内

をまわる。タバコを吸ったって平地であればせいぜい肺癌発癌の可能性を増やしたり閉塞性

肺疾患患者の肺機能を悪化させるくらいであって、いわば“ゆっくりした毒“であるにすぎない

のだが、高所では異なる。Spielvogel,1990PAがボリビア(3600m)で調べたところによれば、

喫煙量/日 %COHb PaO2 mmHg12本 1.5% 5119本 7.43% 4831本 17.55% 46.5

COHbが増えるのは下界でも同じであるが酸素分圧が低い分CO飽和度は高くなる。しかも高

所ではこれが PaO2 に響いてくることになる。この高度で PaO2 の差 4.5mmHg は大きい。ここ

ではタバコはいわば“急性の毒”となっている。

参考文献

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第三章 高所環境への適応

第八節 末梢組織での酸素利用

以上述べてきたように、何とか沢山の酸素を末梢の組織まで運ぼうとしてきたのは、

ここ組織の細胞で酸素を使ってエネルギーをより多く作ってもらいたいからである。組織――

例えば筋肉――の毛細血管にたどり着いた酸素がどのように細胞に取り込まれ利用されるか、

高所の影響がどのようにでてくるかをみてみよう。

#高地暴露によって骨格筋の毛細血管の密度は増えるか

組織の毛細血管の密度は増えるのである。早期の研究はいいことを教えてくれた。

大脳皮質においても(Diemer,1965)、骨格筋においても(Valdivai,1958)、心筋においても

(Cassin,1966) 毛細血管の密度は増えるのである。もし本当に毛細血管が新しく作られてくる

のであれば、まことに結構な順化であるといわねばならない。

しかしヘモグロビン密度のところでも述べたように、密度は相対的なものである。周り

がーー例えば筋肉の場合であれば筋肉繊維の大きさがーー小さくなっても、毛細血管の密

度は増えるのである。さて筋肉繊維の大きさはどうであろうか。いままでの諸家の報告をまとめ

てみる。

Table 3-8 高所滞在と筋肉・毛細血管密度

筋繊維横断面積(μm^2) 毛細血管密度(no./mm^2) 著者

シェルパ 3186±521 467±22 Kayser, 1991

登山家 3108±303 542±127 Oeltz, 1986

登山後 3360±580 538±89 Hoppelar, 1990

対照 3640±260 387±25 Hoppelar, 1990

登 山 前

(OEll)

290±35 Green, 1989

登山後(OEll 335±25 Green, 1989

この成績でわかるように、毛細血管密度の上昇は筋肉量の低下をともなっている。OEllでの成

績でも同様であって、毛細血管密度は 40 日間の低圧環境滞在後、Type l 線維では 18%、

Type ll 線維では 9%上昇してはいたが、筋繊維横断面積をみると Type l 線維では 21%、

Type ll 線維では 7%減少していた。筋繊維横断面積筋線維あたりの毛細血管量は逆に減少

していたのである(Green, 1989) 。ちなみに Type l と Type ll 筋線維の比率に変化はなかった。

低圧環境下での毛細血管密度の上昇は筋肉のアトロフィーをあらわしているのであって,こう

いった高度で毛細管の新生がおこることはなさそうである。

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#ミオグロビン High O2 affinity (Fig.3-8-1)

組織に到着し赤血球から離された酸素はあとはただ拡散で細胞内のミトコンドリアま

でたどりつくわけではない。

Fig.3-8-1 に示すように、筋肉

細胞の近傍の毛細管の PO2

は 20mmHg以上あると見積も

られているが、細胞内の酸素

分 圧 は 非 常 に 小 さ い

(<5mmHg)。ミトコンドリアの機

能が低下し始める臨界点は1

mmHg であるといわれるほど

である。このとても乏しい PO2

を運ぶには通常の赤血球で

は不可能である。Fig.3-8-2 の

B のように PO2 が 20mmHg以下でも十分な酸素親和性をもつたんぱくミオグロビンが必要に

なるゆえんである。ミオグロビンの P50はたったの 5mmHgである。PO2=20mmHgのとき、赤血

球の SO2 は 35%であるのに対しミオグロビンは 75%。PO2=10mmHg のときでは、赤血球の

SO2はたったの 10%であるが、ミオグロビンはまだ 60%ある。単なる拡散に頼る場合に比べて

格段に多くの酸素をミトコンドリアへの供給するといわれる(Cole RP,1982)。PO2=10mmHgでミ

オグロビン SO2=60%ということはまた、血流が一時的に絶たれた際の酸素の貯蔵所としての

役割をもっていることを意味している。

薄い酸素を有効に利用するする

必要のある高地生息動物 Alpaka は非常

に多くのミオグロビンをもっている。ところ

がこれを平地に下ろしてくると半年で約半

分になってしまう(Raynafarje,1962)。ヒトで

も同様である。ペルー4400m に住む人々

のミオグロビン濃度は 7.03mg/g(tissue)で

あり平地人の 6.07mg/g に比べて多い

(Reynafarje,1962)。これぞ順応の一つの

形態といえる。

#ミトコンドリアの量

ミトコンドリアは細胞内のエネルギー生産工場である。多ければ多いほど、乏しい酸

素が細胞質内を拡散してきた際に巡り会う可能性が高まる。Ou and Tenny,1970 は 4250mで

Fig.3-8-1 細胞での酸素分圧

Fig.3-8-2 ミオブリビンの解離曲線

Page 45: 高所環境とその影響―――高所登山のためのテキス …1 高所環境とその影響―――高所登山のためのテキスト 文部省登山研修所編平成

45

生まれ育った牛の心筋に含まれるミトコンドリアは平地のそれより 40%も多いと報告した。これ

ぞ細胞レベルの適応である、とみな注目したのであるがそれに引き続く研究は残念ながら同じ

結論を出せていない。Kearney,1973 はウサギやモルモットのミトコンドリアを電子顕微鏡で観

察したが高所と平地で差を見いだせなかった。ヒトでは逆に減少していた。1986 年のスイスの

エベレスト隊での筋肉生検の結果をみると、筋肉量は 10%の減少、筋線維径は 15%の減少、

そしてミトコンドリア量は 26%も減少していたのである(Ward,1989)。OEllでのMacDougall,1991

の研究でも高所滞在はミトコンドリア量に影響をあたえていない。

低酸素環境下ではミトコンドリアの量が問題ではないのかもしれない。Kayser,1991 によると、

ネパールのシェルパは平地人に比べても vastus lateralis muscleのミトコンドリア量は少ない。

単位ミトコンドリア量あたりの仕事量は大きいから効率の良いエネルギー産生を行っていると

はいえるが。Kayser,1993はチベット人にも同様の傾向を見いだしている。

#細胞内酵素・ATP,PCr

細 胞

内には2つの主

要なエネルギー

産生系がある。

一つは細胞質

内で進行するグ

リコゲン・グルコ

ースから出発す

る解糖系である。

二つ目は、第一

の解糖系の産

物ピルビン酸を

酸素下で完全

に 酸 化 す る

TCA サイクルと

よばれるもので

ある。このサイク

ルには、脂肪酸

からもアミノ酸か

らも代謝物が合

流する。TCAサ

イクルで NADH

を産生する過程

FIg.3-8-3 細胞内の主要なエネルギー産生系

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46

から、電子伝達系とよばれる最後のエネルギー産生系に入る。酸素はいちばん最後に電子を

受け取る受容体であり、H2O となって反応が終結する。TCAサイクル以降はミトコンドリアの中

で行われる。FIg.3-8-3にこれらの反応経路とそれを媒介する酵素を示す。

哺乳動物のマクロファージや骨格筋細胞を低酸素下で培養し解糖系の諸酵素活性

を検討することができる。Robinらによれば、低酸素では解糖系にかんする11のすべて、とくに

PFK,PK などの律速酵素の活性が向上していた。高地居住民の赤血球での解糖系の研究で

も、慢性の低酸素下で解糖系が亢進しているという報告がある(Arnaud, 1984)。

しかし、どうもこれらの報告例外には高所滞在が解糖系の酵素活性にプラスの影響を与えたと

いう例は少ない。Green,1989 によれば.らによれば、筋肉のグリコーゲン貯蔵は保たれており、

グリコーゲンの利用はむしろ低下ぎみである。運動中の乳酸産生は、平地とくらべて逆に低下

している。嫌気的解糖系は抑制されぎみなのである。

低酸素下で TCA サイクルを効率よくまわすのは合目的的と考えられるから、

Harris,1970-hamp215 らが高所生育動物に、scccinate dehydrogenase などの酵素活性の上昇

をみたのはもっともであると思われる。Ou and Tenny,1970 らは、TCAサイクルの酵素のみなら

ず、電子伝達系の酵素の活性も高まっているという。しかし最近の報告はこれらの初期の報告

と異なっている。高地居住民をみてみよう。Hochachka,1992 は、Quechuas でも Sherpa におい

ても、解糖系および TCA サイクルの酵素活性は(平地の運動選手と比べてではあるが)低下

しているという。Kayser,1993 はチベット人においても低下した TCA サイクル酵素活性を見い

だしている。

平地居住者が短期間超高所(6000m 以上)を訪れたあとはもっと厳しい事態となっている。

1981年のスイスのローツェシャール隊においても(Cerretelli,1987),1986年のエベレスト隊にお

いても(Howald,1987) 筋肉の生検を行ってみると、登山後では TCA サイクルの酵素のみなら

ず、電子伝達系の酵素の活性も低下したという。OEll での Green,1988 の報告では、上記の

TCAサイクルの key酵素活性が減少していた。 筋肉中の ATP,ADP は運動中も枯

渇しない。Pcrは 7620mでは低下していたが、筋肉中の高エネルギー担体は高所でも十分保

たれていた。

いずれにせよ、酵素レベルの順応も簡単ではない。

Table 3-8-2#Training vs #Altitude exposure

site endurance training high altitude筋毛細血管 新生され増える 増える、しかし筋のアトロフィーのため

筋線維の太さ たぶん大きくなる 小さくなる

ミオグリビン 変化なし(ヒト) 増える(骨格筋・心筋)

ミトコンドリア 増える 減る

筋の酵素 NC in glycolytic NC at moderate altitudeincrease in oxidative decrease in extreme altitude

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第三章 高所環境への適応

第九節 高所での運動

今まで見てきたように,急性の高所滞在では筋肉細胞やミトコンドリアのレベルでの

馴化順応は起こってこない。逆に、筋繊維自体が萎縮し、解糖系や TCA サイクルや酵素活

性は抑制される。組織での拡散も好転しているわけではない。

Fig.3-5-2-1 で見たように,高度があがるにつれて運動能力は衰えてくる。最大酸素

摂取量は 1/3 から 1/4 に低下する。どのようにどの程度低下するのだろうか?これでどの程度

の運動が可能なのだろうか。実は超高所での運動能力を実際にきちんと評価した仕事はあま

りない。ここでは 1964年の Pugh,1981年の AMREE,1985年の OEllのデータを参考にしな

がら考えることにする。

エベレストの頂上に酸素補給なしで到達する条件

エベレストの頂上に酸素補給なしで到達する条件を考えてみよう。あなたは 20 歳台

の青年。身長 175cm体重 70kg とする。疲れ果てながらもチョモランマ北稜第二ステップの上

8600m地点から頂上までの最後の標高差 250mを衣類を含めて 15kgの荷物を背負って登る

とする。技術的に困難な場所は過ぎた。全くの無風快晴で雪も安定している。よれよれになり

ながらも2時間 30分かかって到達したとする。これ以上時間がかかるようなら帰ってこられない

はずである。エベレストの頂上を登るからといってなにも特別なことは起きない。必要なパワー

は単位時間当たりに重力に逆らって持ち上げた仕事であるから,

(70kg+15kg)*250m/150min=142kg*m/min

である。1W(ワット)=6.12kg*m/minであるから,

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142/6.12=23.2W(ワット)

の運動ができればよい。なにもしないで寝ているだけでも酸素を必要とする。この基礎酸素摂

取量は約 300ml/minとされる。エベレストの頂上は寒いであろうから 350ml/minは必要であろう。

運動負荷の増加に伴う酸素摂取量の増加(dVO2/dW)は一般健常人で約 10ml/W とされる

(Hansen,1987)。23W の運動では 230ml/min の酸素摂取が必要である。計 580ml/min となっ

た。

さてこの運動は一時的なものではいけない。永続させねばならない。最終キャンプ

出発後もう何時間もこのレベル以上の運動を続けてきたのであるし安全に降りるためにはまだ

余力が必要である。無酸素閾値(AT)以下の運動でなければならない。この年代ではATレベ

ルは最大酸素摂取量(VO2max)の約 60ー65%とされる。だが 10時間を越える運動などATぎり

ぎりでは不可能である。Sutton,1988 の高所運動時の乳酸産生の経過をみてみると、大体

VO2maxの 50%程度で乳酸が立ち上がってくる(Fig.3-9-1)。エベレスト頂上へ向かう最後の運

動も VO 2 maxの半分を使っているとしよう。

これでエベレストの頂上へ酸素補給な

しで到達する条件が決まったことになる。VO2max>1160ml/min であればよろしい。体重で補

正すれば 1160/70kg=16.6ml/kg/min である。なんだ簡単なことではないか。のんびりと高尾山

に登る程度のものである。

エベレスト登頂に要する換気量

Fig.3-9-2を見てみよう。各高度における VO2 と換気量の関係である。換気量は通常

BTPSという生体条件系で表されるのだが、ここではVO2,換気量ともSTPDという基準条件系

で表示してある。黒丸は最大運動時の VO2max を,白抜き丸は安静から軽い運動時の VO2

をあらわすのであるが、どの高度でも VO2 と肺胞換気量の間には一定の関係があることがわ

かる。黒丸は y=33x と表される。つまり、どの高度であっても VO2maxが 1000ml/minである運

動には(標準状態の)空気が33l/min,言い換えると(標準状態の)酸素が 33*0.21=7l/min必要

Fig.3-9-1 Fig.3-9-2

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50

となる。1.9*10^23 モル/min の酸素といってもよい。同様に安静時や軽い運動時には,y=25x

だから 25l/minの空気,5l/min=1.4*10^23モル/minの酸素が必要である。

VE(STPD)=33l/minとは,エベレストの頂上での BTPS系に直すと

33l/min*(760/243-47))*(310/273)=145l/min

145l/min もの実際の肺胞換気量が必要となる。VO2max=1160ml/min の運動では 168l/min

の分時肺胞換気量を必要とする。あなたが最大限がんばっても換気できる量は一気圧でもた

ぶんこれに及ばないはずである。ヒトの換気量は BTPS で見る限り高度が変わっても限度があ

る。OEllの成績でも 180-200l/min程度である(Table 1)。しかもこれは実際に肺胞に届く空気の

量ではない。死腔換気量をさし引かねばならない。

高所での VO2max と心拍出量

VO2max は,主として心拍出量、動脈ー混合静脈血酸素含量較差,最大換気量で

決まる。最大換気量が増やせなければ心臓ががんばればよいではないか。一気圧下では,

健常人や運動選手では VO2max は心拍出量・一回拍出量と密接な関係がある。運動時の心

拍出量の高い者は VO2max も高い。高所でも

Fig.3-5-2-2 に示したように(Reeves,1987),運動

強度(VO2)と心拍出量の関係は高所でも平地と

変わらなかった。心拍数も心筋の収縮力も落ちてはいない。しかし高所では同じ運動強度で

心拍出量を上げすぎることは,酸素の肺胞での接触時間を短縮させてしまい拡散障害をもた

らす可能性がある。(fig.3-4-2)(West,1983)。実際極高所では拡散の制限は厳しく、Fig.3-4-6

に示したように,エベレスト頂上での A-aDO2 の 4/5,酸素含量の低下分 4ml/100mlはこの拡

散障害から生まれたと見積もられる(Wagner,1989)。肺での拡散障害が不可避な高所では心

拍出量の増大は必ずしも VO2増加につながらないのである。

Fig.3-9-3 をみればわかるように混合静脈血酸素分圧はもう下げられるだけ下がって

Fig.3-9-3 Fig.3-9-4

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51

いる(West,1983)(Wagner,1989)。酸素があればそれを組織へ運ぶ準備は整えられている。こ

のような条件下では,どれだけの VO2max を稼げるかは換気が外界から酸素の絶対量をどれ

だけ取り入れられるかにかかる。

Fig.3-5-2-1 をよくみてみる。おもしろいことに,VO2max が高度とともに落ちているば

かりではなく,高い気圧(平地)でみられた VO2max のばらつきが狭い範囲に収束してきてい

る。平地での VO2max は AMREE では平均 61ml/min/kg,OEll では 51ml/min/kg,Pugh では

49ml/min/kgであったが高所では各グループの差はあまりない。グループ内部でのばらつきに

あっても同様な傾向がある。Young,1985の 4300mでの研究でも、個々人間のVO2maxのばら

つきは平地と比べて高所では小さくなっている。アスリートとノンアスリートとの(下で強い奴とそ

うでない奴の)運動能力の差が目立たなくなっている。吸入気酸素分圧が低下するに従い,

平地では大きな意味を持っていた(VO2max を増やすのに役立っていた心拍出量などの)循

環機能の貢献度が落ちてくるともいえる。実際、あのメスナーの VO2max はたかだか約

48ml/min/kg程度であって運動選手としてはとても優れているとはいえない(Oeltz,1986)。

Table 1をみてみる。どの高度でも BTPSでみる最大換気量は変わらない。どの高度

でも限界に達するまでめいっぱい呼吸している。つまり,この換気で取り入れられる標準換気

量=酸素の絶対量=最大酸素摂取量はその気圧に依存することになる。こういってもよい。

高所での最大酸素摂取量を決定するのは,外界から肺胞に到達するまでの換気という第一

関門である。心拍出量は重要な決定因子とはならない。

これは下界では慢性閉塞性肺疾患患者にみられるパターンである。これらの患者さ

んは心臓の能力や肺や組織での拡散にはまだ余裕があるのだが換気量が十分増やせない

ために仕事が少ししかできないのである。これらの患者さんが最後にはやせ衰え、脂肪組織

だけではなく筋肉も萎縮してくるのも共通点なのかもしれない。

Table 1

PB 760 464 347 282 240

VO2max 3.71 2.92 2.10 1.45 1.16

PO2 160 98 73 59 53

PIO2 150 88 63 49 43

VE(BTPS) 178 201 192 187 185

VE(STPD) 148 88 67 52 44

3 章 2 節で概観したように、外界から酸素を取り入れ細胞に渡すまで換気・肺拡散・

循環・組織での拡散という4つのステップがあった。Table 2に各ステップの酸素分圧の較差を

各高度毎に示す。

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Table 2

PB 760 464 347 282 240

1. PIO2-PAO2(Ventilation) 35 21 17 8 8

2. PAO2-PaO2(diffusion) 28 17 13 8 7

3. PaO2-PvO2(circulation) 69 21 19 14

4. PvO2(tissue diffusion) 19 12 14 14

私たち低地居住民が山に登るなどという短期的な馴化のレベルでは、1と2のステッ

プが大切なのであろう。3の循環面は何とかこなせる。4の組織細胞レベルの改善を期待する

のには滞在が短すぎる。

2のレベルでは換気と血流(V/Q)の不均等も重要である。OEll でも V/Q の不均等は

運動により悪化し、極端な例では安静時で 25%,運動時で 50%に達するシャント様効果が認

められた。不思議なことに,この V/Q 不均衡は酸素投与により改善しなかった。我々にとって

興味深いことには,平地で V/Q の不均等が大きい被験者は高所でもこれが大きい。この面は

遺伝的性質を持つのかもしれない。またこれは低酸素に対する耐性と関係している可能性も

ある。一気圧下で低酸素ガスを吸入してもこれほど厳しい V/Q の不均等には進展しないから

低圧低酸素条件自体が肺血管の調節機構を変化させている可能性があるし,この調節機構

にそもそも障害のある場合は(Kawashima,1989)肺水腫などより重篤な病状へと進みうるのだっ

た。

現時点で可能なチェック点

この1と2のステップをどのようにして改善するか、あるいは平地と同じように維持する

できるかが、エベレスト頂上を酸素補給なしで踏もうとする者が試されるべきポイントになる。現

時点で可能なチェック点としては、低圧低酸素環境下での運動に際しての

1。換気の増大反応

2。肺血管の反応

3。肺の拡散・換気血流分布の反応

が重要になるであろう。

とまれエベレストの頂上は外界から取り入れる酸素の絶対量がここでの生存に必要

な酸素消費量とかろうじて拮抗しうる限界線である。1,2,3 をうまくクリアしたからといってその他

なにかひとつでも障害があれば、それは生命の喪失につながる。

この低圧低酸素環境下での運動というのはまことに特殊な状況である。上に述べた

慢性閉塞性肺疾患患者以外には通常経験することのない事態である。これを平地でシミュレ

イトするのは特別な施設以外ではむずかしい。また、どういう運動を考えるかによっても状況は

変わる。8000M 以上でハードなクライミングを考えている人々には上で述べた”高尾山ハイキ

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ング”の状況設定はお気にめさないかもしれない。エベレスト頂上で酸素補給なしで無酸素性

筋肉運動を繰り返せるとは今までの報告からはとても考えられないから、それを目指す人々に

は上に述べた生理的制約を打ち破ってもらう必要がある。とまれ、この特殊な状況を今まで何

度も無事にこなせたひとたちが、この特殊な状況にもっとも適応してきた人たちなのであろう。

その人々の特性を抽出できればよいのであるが。

ところで、これだけは強調しておく。上に述べた推論が成り立つのは、(お金も暇も十

分ある)うまくまとまったリーダーシップのもとにある技術の優れた快活な登山隊であって、それ

以外のすべての心身の条件が十全・栄養状態も十分であり、高所で痩せるとはいえ筋力も保

ち、高度馴化も完全にこなして疲労も最小限であり、それまでのタクティクスが成功裏に進行

し、なおかつ当日は無風快晴であって気圧が予想より17ッmHgほど高いという条件があっての

ことである。

これらをすべて満たすことができるのは、人工的な気象室において以外ありえないで

あろう。実際のフィールドはかならず上記の条件をいくつも欠く。上に述べた”普通の”生理学

的条件を備えたひとが酸素補給なくエベレスト頂上から戻ってくるのは生命をかけた挑戦とい

うべきであろう。

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第三章 高所環境への適応

第十節 栄養と身体の組成

1. 体重減少(++)は食物摂取の減少だけからは説明不能である(Rose(OE2,1988,JAP))

ヒマラヤなどの高所登山を終えて帰ってきた登山者は人が変わったかと思

うほどやせ衰えている。必ずしも 8000m 以上でハードな登はんをしてきたクライマーばかりで

はなく、BC に滞在していただけのキャンプ要員でも同様にやつれてみえる。この体重減少は

脂肪の減少によるものだけではなさそうである。Yamamoto,1995によれば、チョーユー(8201m)

無酸素登山前後の体重の変化は 83.5-->71.7kg と 11.6kg(-14%)も減少していた。内訳をみ

ると体脂肪量が 13.4-->9.1kg と 4.3kg(-32%)も減少したばかりではなく、除脂肪組織量も

69.9-->62.6kgと7.3kg(-10%)と大きく減っている。VO2maxが 4.68l/min-->3.50l/minへと25%、

脚伸展パワーが 1159-->850wと 27%も激減しているのは、この筋肉量の減少によるところが大

きい。小野寺,1994の報告も同様である。

なぜこのようにやせるのであろうか?高所では食欲がなくなり摂取量がそもそも少な

い(4、18、29)こともあろう。脂肪の吸収が悪くなる(21、22、28)可能性もある。安静時でも軽度の

運動時でもエネルギー代謝が亢進している(16,21)。しかしただそれだけではなさそうである。

低酸素それ自体の作用を考える必要がある。

Rose,1988OE2-372の成績を見てみよう。この 40日間の低圧室滞在が実際の高所登

山と異なるもっとも大きなポイントの一つはその食事にあった。被験者は三度三度専用の栄養

士が用意した豊富なメニューの中から好きなだけの食事をとることを許されていた。間食も推

奨されており、水分摂取も好きなだけ可能であった。全く結構な身分というべきであるが、被験

者は被験者、毎日の摂取カロリー・その組成・摂取水分量・基礎代謝・エネルギー消費量・体

重などをチェックされるのである。体組成の変化は、入室前そして終了後 20時間以内にCTス

キャンにより検査された。被験者はエベレスト登山に必要な行動をシミュレートすべく低酸素下

で“8848m”に“登山”したのではあるが、このような条件ではやせるはずなどないと思うでしょう。

ところが、

1。カロリー摂取量は 43%減った。2。必須なビタミン・電解質・蛋白は十分摂取され

ていた。3。運動時に必要なエネルギー消費は高度が上がるにつれて増えていた。4。平均

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7.7kg の体重減少があった。この減少はカロリ摂取低下だけでは説明されない。5。低酸素の

せいか適当な運動不足のせいか食欲はみな減退した。6。脱水はほとんど認められなかった。

7。7.7kg の体重減少のうち 33%が脂肪、67%が体組織量からの減少だった。8。体脂肪はす

べての被験者で減った。9。筋肉量の減少がもっとも大きかった。10。%BFは 9.6%減った。

この快適な条件ですらこの有り様である。高所の低酸素のもつ驚くべき力を見よ。低

酸素はそれ自体で筋肉を食べてしまう!私たちはこれよりさらに厳しい状態におかれるのであ

る。下痢に悩まされるのは普通のことである。栄養士はいないし、いたとしたって、腕が振るえ

る食材などヒマラヤでみたためしがないではないか。最高の条件でこうなのである。

高所では高炭水化物食が有利ではないかという議論が昔からある。急場のエネルギ

ー産生にはグルコースが望ましいことは当然だが、それだけであろうか。長寿であるという高所

居住民は穀類を主として食べている。肺胞気酸素分圧 PAO2は次の式で与えられた。

PAO2=PIO2-PaCO2/R

PIO2は吸入気酸素分圧、PaCO2は動脈の炭酸ガス分圧、Rは呼吸商(VCO2/VO2)であった。

PAO2 をあげるためには、(PIO2は気圧で決まってしまうから)PaCO2 を小さくするか R を大き

くしてやればよい。Rは脂肪食では 0.7であるが、脂肪を全く抜いて高炭水化物食(蛋白もよろ

しい)にすると Rは理論的には 1.0 となる。標高 5800mでの PIO2は約 70mHg として

PAO2=70-30/0.7=28mmHg (PCO2=30mmHg, R=0.7 とする)

PAO2=70-30/1.0=40mmHg (PCO2=30mmHg, R=1.0 とする)

なんと 12mmHg もの差が出てしまう。Consolazio,1969 は高所での高炭水化物食群と普通食

群を比べている。高炭水化物食群で高山病の程度が低くてすみ持久力も勝っていたという。

ただ、 Rose,1988 の成績では隊員に格別の炭水化物嗜好は見られなかったというが。逆に脂

質摂取比率が増えたという。

脂質代謝に及ぼす影響はどうだろうか?Young1989)によれば、T-CHO,HDL-CHO

は“登山”期間中を通じて一貫して低下していた。Glycerolは著減したが Plasma FFAははっき

りした変化を示さなかった。TG は逆に増加した。不思議に思える。ふつう適度な運動は

T-CHO,TG の減少、HDL-CHO の上昇をもたらす(Thompson,1983)といわれているからである。

また激しい登山のあとには以上すべてのパラメーターが減少するとする報告が多い(山

本,1995)。しかしこの TG 上昇は空腹時の Insulin レベルを一貫して伴っていた。insulin の増

加が肝臓における TG合成をもたらした可能性がある。

しかし OEll はとても特殊な環境にあったのだった。あらゆる好みの食べ物が供給さ

れ、筋肉(蛋白)の喪失が脂質の減少より大きかったくらいである。厳しい環境では脂質関係

の指標はすべて減少するという多くの報告の方が正しいと思われる。登山で考えるべきは低

酸素の影響だけではないとする証拠の一つとなろう。

とまれ、どんなに快適なエベレスト登山であったとしても、今までみてきた程度の筋萎

縮を認め最大酸素摂取量を落としてしまうのである。とくに超高所では厳しい。ここに“馴化”

するのは不可能といってよい。速攻が必要である。

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