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― ― 論文受付日 20169 23大学院研究論集委員会承認日 20161031― ― 経営学研究論集 462017. 2 専門的サービス企業である広告会社における 知識の類型化 Knowledge Typiˆcation of Advertising Agencies as Professional Service Firms 博士後期課程 経営学専攻 2012年度入学 KARASAWA Tatsuya 【論文要旨】 Recently, studies of professional service ˆrms receive much attention from those seeking who the important players are in the global service industries. This paper is a study concerning the knowledge typiˆcation of advertising agencies as professional service ˆrms. The knowledge pos- sessed by advertising agencies is special, because advertising agencies serve both advertisers and consumers. This paper reviews precedent studies concerning practical knowledge, professional service ˆrms and function of divisions in advertising agencies. And using a qualitative research, semi-structured interviews were conducted with 30 employees. Individual interviews with senior, middle, and junior level of employees suggest that practical knowledge consists of standard and sectorial knowledge utilized in their service. This paper proposes a knowledge typiˆcation of adver- tising agencies as knowledge-intensive ˆrms. 【キーワード】 広告会社( Advertising Agency ),専門的サービス企業( Professional Services Firm),知識集約型企業(Knowledge Intensive Firm),標準的知識(Standard Knowledge),部門別知識(Sectorial Knowledge. はじめに 本稿の目的は専門的サービス業である広告会社の知識について,実務に携わる対象者への聞き取 り調査の結果に基づいて,類型化することである。具体的には日系広告会社を対象に,彼らが専門

専門的サービス企業である広告会社における 知識の … › dspace › bitstream › 10291 › ...専門的サービス業の垂直統合ともいえる現象 が起こっているのである。そこで,専門的サービス業である広告会社の知識について改めてどのよ

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論文受付日 2016年 9 月23日 大学院研究論集委員会承認日 2016年10月31日

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経営学研究論集

第46号 2017. 2

専門的サービス企業である広告会社における

知識の類型化

Knowledge Typiˆcation of Advertising Agencies as

Professional Service Firms

博士後期課程 経営学専攻 2012年度入学

唐 沢 龍 也

KARASAWA Tatsuya

【論文要旨】

Recently, studies of professional service ˆrms receive much attention from those seeking who

the important players are in the global service industries. This paper is a study concerning the

knowledge typiˆcation of advertising agencies as professional service ˆrms. The knowledge pos-

sessed by advertising agencies is special, because advertising agencies serve both advertisers and

consumers. This paper reviews precedent studies concerning practical knowledge, professional

service ˆrms and function of divisions in advertising agencies. And using a qualitative research,

semi-structured interviews were conducted with 30 employees. Individual interviews with senior,

middle, and junior level of employees suggest that practical knowledge consists of standard and

sectorial knowledge utilized in their service. This paper proposes a knowledge typiˆcation of adver-

tising agencies as knowledge-intensive ˆrms.

【キーワード】 広告会社(Advertising Agency),専門的サービス企業(Professional Services

Firm),知識集約型企業(KnowledgeIntensive Firm),標準的知識(Standard

Knowledge),部門別知識(Sectorial Knowledge)

. はじめに

本稿の目的は専門的サービス業である広告会社の知識について,実務に携わる対象者への聞き取

り調査の結果に基づいて,類型化することである。具体的には日系広告会社を対象に,彼らが専門

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的サービス業として,どのような知識を集約するのかを明らかにする。このような研究の背景に

は,現代の企業活動において,グローバル化と情報技術の発達によるデジタル・マーケティングが

経営課題となっており,効率的に専門知識を活用することが不可欠であることが挙げられる。

Kotler, Kartajaya and Setiawan(2010)は,このような時代には企業の提供する価値を消費者に

共感してもらうことが必要であると提唱している。そこで,商品やサービスの顧客価値を高め,業

績を伸ばすための戦略提案をしてくれる専門的サービス企業である経営コンサルティングや,戦略

提案を消費者が共感するメッセージに変換しコミュニケーション・プログラムとして実行してくれ

る広告会社が必要となる。すでにアメリカでは,デロイト,アクセンチュアなどの経営コンサルテ

ィングがデジタル系の広告会社を買収することでデジタル・マーケティングの戦略提案から実施を

一貫して提供する体制を構築して業績をあげている。専門的サービス業の垂直統合ともいえる現象

が起こっているのである。そこで,専門的サービス業である広告会社の知識について改めてどのよ

うなものかを明らかにし,それらを類型化しておくことは学術的にも実務的にも有用であろう。

本稿の構成は以下の通りである。第 1 節では,研究の目的と背景について説明する。第 2 節で

は,実践知や専門的サービス企業におけるサービス行為および広告会社の職能に関する先行研究を

レビューする。第 3 節では,日系広告会社アサツー ディ・ケイ(ADK)における聞き取り調査の

概要について説明する。第 4 節では,聞き取り調査の結果に基づいて,専門的サービス企業であ

る広告会社の知識を類型化する。最後に第 5 節では本稿の意義と課題についてまとめる。

. 先行研究

. 実践知

知識が企業の重要な経営資源のひとつであると指摘されてから久しい。これまで,知識に関して

多くの議論がなされてきた。例えば Polanyi(1974,1983)は,知識には「超言語的」な暗黙知が

あり,個別的要因を完全に明示することができない詳記不能性があることを示した。野中・紺野

(1999)は,データとは出来事に関する慎重かつ客観的な事実(記号・数値)であり,情報とはデー

タから構成された意味や意義,知識とは情報を認識し行動に至らしめる秩序であるとデータ・情報

・知識をそれぞれ定義した。野中・紺野(1999)はその定義を前提にして,「暗黙の語りにくい知

識」である暗黙知と「明示された形式的な知識」である形式知の特性を整理した。この暗黙知と形

式知の相互作用によって知識が創造されると理論化した。

Davenport and Prusak(2000)は,知識をより実務の現場に即して捉えて,データや情報に比

べて知識に価値があるのは,より行為や行動に近い点にあるとしている。同様の視点からDixon

(2003)は,「コモン・ナレッジ(common knowledge)」を提唱し,「know what(何を知っている

か)」よりも「know how(どのように知っているか)」を重視している。理論的な知識あるいは情

報であるノウホワット(know-what)と,組織的任務に携わっている人々の経験から作られた知識

であるノウハウ(know-how)との区別が重要であり,それは行為に由来するとしている。Dixon

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図表知識集約型企業の暗黙知と形式知

個人的 集合的・組織的

暗黙知

エキスパートとしての専門性

技能(スキル)

無意識に活用している知識

日常業務の連携

諸プロセス

集合知

形式知

教 育

専門的知識

意識的に活用する知識

知的財産

製品・サービス

目的別知識

出所Leiponen (2006), p. 243.

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(2003)のいう「コモン・ナレッジ」は社員が組織の仕事から学ぶ知識である。すなわち,知識と

は行為・行動や経験と結びつく性質を持っている。金井・楠見(2012,1315ページ)は,暗黙知

は「仕事の中で経験から直接獲得された知識であり,仕事上のコツやノウハウなどである」とし,

「仕事を支えるスキルと能力」としての実践知の概念を示した。Leiponen(2006)は,暗黙知とは

基本的に個人的なものであり,「エキスパートとしての専門性」や「技能(スキル)」であるとして

いる。一方,形式知は,より容易に個人的な知識から集合的・組織的知識へと統合されるとし,知

識集約型企業の知識を整理した(図表 1 参照)。

本稿において類型化を試みる知識は広告実務の現場において創造され,共有される個人的,組織

的な実践知である。Maister(1993,p.155,翻訳158ページ)は,専門的サービス企業においては

「プロフェッショナルの知識は体系化され容易に共有されるが,プロフェッショナルのスキルは

サービスを通してのみ発達させることができる」とし,プロフェッショナルの価値とは「何を知っ

ているかではなく,何ができるか」によると指摘した。これは Dixon(2003)の提唱した「コモ

ン・ナレッジ」の概念と通底しており,プロフェッショナルのスキルは顧客へのサービス行為のた

めのノウハウである。実践知は,提供されるサービス行為と密接な関係がある。したがって次項で

は,専門的サービス企業におけるサービス行為に関する議論について検討する。

. 専門的サービス企業におけるサービス行為

個人向けや法人顧客向けなどサービス産業は多様である。Lovelock and Wright(1999)はサー

ビス・プロセスの観点からサービス行為を次の 4 つのカテゴリーに分類した。それは,◯人を対

象とするプロセス(People-processing),◯所有物を対象とするプロセス(Possession-processing),

◯メンタルな刺激を与えるプロセス(Mental-stimulus-processing),◯情報を対象とするプロセス

(Information-processing)である。◯人を対象とするプロセスは,顧客がサービス提供のシステム

の中に物理的に入る必要がある。このプロセスには旅客輸送,ヘルスケア,宿泊,レストラン,葬

祭サービスなどが含まれる。◯所有物を対象とするプロセスは,顧客の所有物へ向けられる有形の

サービス行為である。このプロセスには貨物輸送,修理・保全,倉庫・保管,小売流通,クリーニ

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図表サービス行為と顧客コンタクトのレベル

出所Lovelock and Wright (1999), Lovelock and Wirtz (2011)を参照し,

筆者作成。

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ングなどが含まれる。◯メンタルな刺激を与えるプロセスは,顧客の心,精神,頭脳に向けられる

無形のサービス行為である。このプロセスには経営コンサルティング,広告・PR,エンターテイ

メント,教育,放送・有線放送,宗教などが含まれる。Lovelock and Wright(1999,翻訳43ペー

ジ)によると◯メンタルな刺激を与えるプロセスは「人の心・精神・頭脳に関わるものはすべて,

態度を形成し行動に影響を与えるパワーを持つ」とされる。◯情報を対象とするプロセスは,無形

の財産に向けられる無形のサービス行為である。このプロセスには会計,銀行,保険,データ処理

・変換,プログラミング,法務サービス,ソフトウエア・コンサルティングなどが含まれる。

Lovelock and Wirtz(2011)は,顧客とサービス行為との直接のインタラクションが行われるひ

と区切りの時間単位を意味するサービス・エンカウンター(Service Encounters)という概念に着

目した。彼らは,顧客のコンタクトをハイ・ミドル・ローの 3 つのレベルに分け,サービス行為

をササービス従業員とのエンカウンターが重視されるものと施設・設備とのエンカウンターが重視

されるものに分けた。それらを組み合わせて 6 つのカテゴリーに分類したのが図表 2 である。こ

の 6 つのカテゴリーのなかに広告会社をプロットするならば,そのサービス行為の対象は広告主

と一般消費者の双方が存在していることが分かる。

専門的サービス企業について,これまでどのような議論がなされたかについて検討しよう。西井

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図表専門的サービス企業のサービス提供領域

出所Meister, H. D. (1993),p.22および翻訳56ページを参照し,筆者作成。

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(2013,2 ページ)は専門的サービス企業を知識集約型企業と位置づけ「『知識』をサービス提供の

材料とし,それに付加価値を加えることで,顧客に対して価値を提供する企業である」としてい

る。西井(2013)は,専門的サービス企業がかつてはサービス業の特殊な周辺的な分野とみなさ

れていたが,現在では重要なグローバル企業として関心が高まっていることを指摘した。また専門

的サービスに従事するプロフェッショナルにも注目が集まっている。大東和・Kayama(2008,

129ページ)は,専門的サービスに従事する広義のプロフェッショナルを「業務独占権は条件とさ

れず,知的労働によって創造された,新しい価値を組織内外の顧客に提供し,その対価として報酬

を得る高度職業専門人」と定義している。広告会社は,この広義のプロフェッショナルによる組織

であると言える。

Maister(1993)は,広告会社を経営コンサルティング,会計事務所,法律事務所と同じくクラ

イアント企業に対して専門知識にもとづいてサービスをおこなうプロフェッショナル・サービス組

織として位置づけている。専門知識は提供されるサービスの質に影響するとされ,知識の持続的な

創造が競争優位を獲得する上での課題となる。さらに,Maister(1993)は顧客へのサービス提供

の領域が顧客のタイプとニーズによって異なることを示した(図表 3 参照)。サービス提供の領域

は,◯「頭脳型(Brain)」,◯「経験型(Gray Hair)」,◯「効率型(Procedure)」の 3 タイプに

分類される。また,組織の人材的な配置はシニア,ミドル,ジュニアの 3 層の職務レベルからな

る。プロジェクトの立ち上がり時には◯「頭脳型」のサービス業務となる傾向が強く,スタッフィ

ングにおいてはシニアレベルおよびミドルレベルの関与が最も必要とされる。このサービス業務で

は,特定のプロフェッショナル個人の能力や名声が重視されるケースが多く,法律事務所や会計事

務所などの伝統的なサービス業務がこれに該当する。次に,◯「経験型」のサービス業務では,ス

タッフィングでは特定の問題や分野に経験が豊富なプロフェッショナルの関与が必要とされる。こ

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こでは,個人の能力よりは過去の実績や蓄積された知識を提供する組織能力が必要とされる。最後

に,◯「効率型」のサービス業務では,見慣れた定型化された問題を扱うため,効率性が重視され

る。新規性の高いプロジェクトの業務とは対局にあり,オペレーション・システムの効率化が課題

となる。

しかしながら,広告会社のサービス行為は,広告主との企業間取引的な「助言型サービス」と一

般消費者に対する広告主のマーケティング業務の「支援型サービス」のふたつのサービス行為が並

行して提供される特性がある。これは,同じ専門的サービス企業でも経営コンサルティングのサー

ビス行為(対企業)や医療機関・教育機関等のサービス行為(対個人)とは異なる点である。この

ような議論を踏まえて,次項では広告会社の中に職能とサービス行為について検討する。

. 広告会社の職能とサービス行為

Aaker and Mayers(1995)によると,現代の広告会社の中には 3 つの職能によるグループが存

在している。第 1 のグループは「クリエイティブ・サービス・グループ」である。コピーライター

など広告表現のテーマを開発し,実際に広告制作に関与する職能である。第 2 のグループは「マー

ケティング・サービス・グループ」である。彼らは媒体調査・市場調査に責任を持ち,媒体の購買

モデルなどを開発する専門家を含んでいる。最後に,営業担当責任者(Account Supervisor)を含

む「クライアント・サービス・グループ」である。このサービス・グループの役割は広告主との接

触に責任を持つということにある。具体的には,「クライアント・サービス・グループ」は広告主

の目的を理解して,それを他の 2 つのサービス・グループに伝達することであるとされる。同様

の観点から,Moeran(1996)も日本の広告会社において営業担当者(Account Executive)の専

門性は,広告主と社内の異なる部門の担当チームとの人間関係を構築する能力であると述べてい

る。その業務は「連絡(Tra‹c)」と呼ばれ,広告主のオフィスと自社の間を往復することに多く

の時間を費やすことが求められる。さらに,Moeran(1996)は,広告会社の活動においては,営

業担当者が広告主との関係を構築し,広告戦略とクリエイティブ・アイデアを提案するプレゼン

テーションの機会を得ることが,社内から重視されると指摘している。

田中(2011)は,広告会社の職能に関しては主に 5 つの部門に分類できるとしている。◯営業

部門は,広告主との折衝と社内スタッフとの調整の役割を果たしている。◯媒体部門は,新聞・雑

誌・テレビ・ラジオ他の媒体社との窓口になり,メディアプランの企画・買付け・広告素材の受け

渡しなどの役割を担う。◯クリエイティブ制作部門は,テレビコマーシャルや雑誌・新聞への広告

素材を企画・制作することが主な役割である。◯アカウント・プラニング部門は,マーケティング

計画やコミュニケーション・プランを戦略的に立案する部門であり,消費者調査なども担当する。

最後に,◯セールス・プロモーション(SP)部門は,販売促進やイベントの企画・実施を担当す

る。田中(2011)は上記の 5 つの各部門(他にも PR 関連業務や研究開発部門,国際部門なども

ある)の職能について,図表 4 のように細分化している。広告会社の各部門の職能はそのサービ

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図表広告会社における部門別職能

出所田中(2011)7176ページを参照し,筆者作成。

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ス行為の提供に必要とされ,専門知識を創造が不可欠なものとする。

日本広告業協会(2016)によると,社内・社外の各担当者のチームワークを取りまとめる営業

部門の重要性が指摘されている。しかしながら,最近では「デジタル」を基盤にした広告戦略が展

開される事例が増えており,部門間の垣根を越えてクリエイティブなアイデアを実現する人材や組

織の台頭も著しいと指摘している。このデジタル化に対応すべく,媒体部門から独立した専門組織

としてデジタル・インタラクティブ部門を充実させ,制作業務の一部も包括することが増えてい

る。アカウント・プラニング部門や研究開発部門に,ビッグデータの解析分野などの新しい職能を

付加することも見られる。営業部門の担当者も「デジタル」に対する知識がないと,広告主に最適

な広告戦略を提案できない時代になっている。

Kotler, Kartajaya and Setiawan(2010)は,製品中心のマーケティング1.0から,消費者主導の

マーケティング2.0へと移行し,価値主導のマーケティング3.0への進化を提唱した。そして,マー

ケティング3.0に影響をおよぼす要因を「参加の時代」,「グローバル化の時代」,「クリエイティブ

社会の時代」とし,企業は消費者のニーズに対して,より高い精神的な次元において価値提供する

必要があると指摘している。それは,必要とされる広告会社の職能もデジタル化やグローバル化の

ような環境変化に合わせて変化せねばならないということであり,職能に対応する専門知識につい

て研究することの意味がある。

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次節では,専門的サービス企業である広告会社の実務家に対して聞き取り調査を実施し,その結

果に基づいて,専門知識の類型化を試みる。本稿では,知識の類型化にあたって,まず担当する業

務に必要とされる知識の中身に関して確認する。そして,その知識がどのように獲得されたのか,

その知識がどのように社内・社外に共有されるのかというプロセスについてもインタビューを行

い,知識集約型企業である広告会社における専門知識の実態を明らかにする。

. 聞き取り調査

. 調査方法

聞き取り調査を実施するにあたり調査協力者の選定を行う必要がある。本稿では,先行研究を踏

まえて,図表 3 で示された Maister(1993)の専門的サービス企業のシニア・ミドル・ジュニアの

プロフェッショナルの職務レベルと図表 5 で示された田中(2012)の広告会社における◯営業部

門,◯媒体部門,◯クリエイティブ制作部門,◯アカウント・プラニング部門,◯セールス・プロ

モーション(SP)部門からなる 5 つの職能別部門を組み合わせて,調査協力者を選定した。5 つ

の職能別部門においてシニア・ミドル・ジュニアを各 2 名,合計30名に対して聞き取り調査を行

う。調査協力者は可能な限り,同一広告主の担当チームの関係者から選択するように留意した。

Maister(1993)は経営コンサルティングにおけるシニア・ミドル・ジュニアの各職能について,

シニアはマーケティングとクライアント対応する「見つけ役(the ˆnder)」,ミドルはプロジェク

トの日常的監督と調整を行う「目付け役(the minders)」,ジュニアは,各業務遂行の責任を負う

「こなし役(the grinders)」と定義した。本稿でも,シニア・ミドル・ジュニアの基準については,

この Maister(1993)の定義を採用する。このような基準で対象者をカテゴライズすることで,職

能別部門の知識のみならず,経験による知識の違いについても検討することが可能になる。

聞き取り調査の質問項目については,以下のような内容を事前に用意したが,ある程度,自由に

発言してもらうため質的アプローチによる半構造化インタビューを行った。実施時期は,2016年 7

月および 8 月の 2 ヶ月間である。場所は東京都内(港区)である。個別の聞き取り時間は 1 回90

分程度を設定し,調査協力者の許可を得て録音した。その内容を文字原稿に起こす作業を行った。

原稿は調査対象者に校正を依頼し,校正を反映させた内容を結果として提示する。聞き取り調査の

質問項目については以下の通りである。

◯氏名・所属・役職・年齢・性別・入社年数(前職があれば,それに関しても記載する)

◯主な担当業務について(担当する広告主名・プロジェクト内容など)

◯専門知識について

知識特性「担当する業務においてどのような専門知識が必要ですか」

知識獲得のプロセス「必要とされる専門知識はどのようにして,獲得できましたか」

知識共有のプロセス「専門知識は社内(同僚や部下)や社外と共有していますか」

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図表調査協力者の属性

◯営業部門

氏名 役 職 年齢 性別入社年数

備考担当広告主・(前職)など

T.E アカウント・スーパーバイザー 男性 年 自動車メーカー・時計メーカー等担当 シニア

T.K アカウント・スーパーバイザー 男性 年 自動車メーカー・時計メーカー等担当 シニア

A.M アカウント・エグゼクティブ 女性 年外資系ファッションブランド・食品メーカー(他広告会社)

ミドル

H.Y アカウント・エグゼクティブ 男性 年 タイヤメーカー・時計メーカー等担当 ミドル

M.Y 営業アシスタント 女性 年 電機・トラックメーカー・時計メーカー担当 ジュニア

A.Y 営業アシスタント 女性 年 電機・トラックメーカー・時計メーカー担当 ジュニア

◯媒体部門

氏名 役 職 年齢 性別 入社年数 備考担当広告主・(前職)など

A.T シニア・メディアプランナー 男性 年 テレビ媒体担当 シニア

K.I シニア・メディアプランナー 男性 年 テレビ媒体担当・(営業部門化粧品メーカー担当)シニア

K.T メディアプランナー(局担当) 男性 年 テレビ媒体東京キー局担当 ミドル

T.K メディアプランナー(局担当) 女性 年 テレビ媒体東京キー局担当 ミドル

K.O メディアプランナー 男性 年 テレビ媒体担当 ジュニア

M.M メディアプランナー 女性 年 テレビ媒体担当(PR 会社) ジュニア

◯クリエイティブ制作部門

氏名 役 職 年齢 性別 入社年数

備考担当広告主・(前職)など

S.F 局長 男性 年 自動車・タイヤメーカー・オンラインゲーム等担当 シニア

K.O クリエイティブ・ディレクター 女性 年自動車・商業車メーカー等,外資系消費材

(制作会社) シニア

S.W CM プランナー 男性 年 化粧品・農林水産省・自動車・ゲームメーカー等 ミドル

Y.K アート・ディレクター 女性 年 飲料メーカー・自動車・時計等(制作会社)ミドル

M.I コピーライター 女性 年 飲料メーカー・自動車・時計等 ジュニア

M.O アシスタント・プロデューサー 男性 年 ゲームメーカー・化粧品・食品メーカー等 ジュニア

◯アカウント・プラニング部門

氏名 役 職 年齢 性別 入社年数

備考担当広告主・(前職)など

T.N 局長・シニア戦略プランナー 男性 年 タイヤメーカー・自動車等担当(他広告会社)シニア

T.Y シニア戦略プランナー 男性 年 消費材・化粧品・等,中国駐在経験あり シニア

M.M 戦略プランナー(グループ長) 女性 年 自動車,時計,アニメコンテンツ ミドル

T.K 戦略プランナー(グループ長) 女性 年 ゲームメーカー・化粧品・食品メーカー等 ミドル

R.A 戦略プランナー 男性 年 自動車,時計,アニメコンテンツ,経済産業省 ジュニア

N.Y 戦略プランナー 男性 年 アパレルメーカー(他広告会社) ジュニア

◯セールス・プロモーション(SP)部門

氏名 役 職 年齢 性別入社年数 備考担当広告主・(前職)など

M.O 局長・シニア・プロデューサー 男性 年 自動車,国際見本市,欧州での海外駐在 シニア

M.K シニア・プロデューサー 男性 年 電機,時計国際見本市,発表会,新興国市場担当 シニア

Y.K プロデューサー 男性 年 電機,時計,国際見本市,発表会,欧州市場担当 ミドル

R.K プロデューサー 女性 年 自動車,化学,時計,国際見本市,発表会,中国担当 ミドル

R.A ディレクター 男性 年 自動車,時計,国際見本市,発表会,欧州市場担当 ジュニア

Y.M ディレクター 女性 年 時計,音楽コンテンツ,国際見本市,発表会 ジュニア

出所筆者作成。

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. 調査協力者の属性

図表 5 に調査協力者の30名についての属性を整理した。調査対象者が勤務するアサツーディ・

ケイ(以下 ADK,本社東京都港区)は,『ADK50年史』(2007)によると1999年 1 月に業界第 3

位の旭通信社と業界第 7 位の第一企画が合併し,株式会社アサツーディ・ケイ(ADK)として発

足した。現在は電通,博報堂 DY グループに次ぐ国内第 3 位の広告会社である。2015年度の売上

高はグループ連結で3519億円,従業員数は1853人である。調査対象者の氏名に関しては,個人情

報にも配慮してイニシャルで記載した。

. 広告会社における知識の類型化

. 発見事実

本稿の目的は,専門的サービス業である広告会社の知識について,実務に携わる対象者への聞き

取り調査から帰納法的に考察し,類型化することであった。聞き取り調査による発見事実は,次の

通りである。第 1 に専門的サービス業である広告会社の知識は,広告会社のサービス全般に共通

する標準的知識(Standard Knowledge)がある。第 2 に,標準的知識とは異なる部門別に必要と

される部門別知識(Sectorial Knowledge)がある。第 3 に,シニア・ミドル・ジュニアでは,提

供するサービス行為のレベルに対応するために必要とする専門知識が異なるということである。部

門別知識は各ステーク・ホルダー(利害関係者)からも学習されることが多く,担当業務の経験が

直接的に影響する実践知である。第 4 に,知識獲得や知識共有では個人的・自主的な活動が主流

である。明確な組織的なプロセスとして確立されたものはない。ただし,広告主の担当チームや各

部門別に勉強会やワークショップを通じて知識を獲得し,共有するという意見も得られた。各部門

に共通していたのは「誰に聞けば,この課題が解決するか」に関して知識共有の互恵的関係が存在

することである。標準的知識と部門別知識は,広告主との企業間取引的な「助言型サービス」と一

般消費者に対する広告主のマーケティング業務の「支援型サービス」のふたつのサービス行為に必

要な知識に類別される。以下,各発見事実について,聞き取り調査の結果を踏まえて詳述する。

. 標準的知識(Standard Knowledge)

広告会社は,広告主と媒体社,広告主と社外の協力会社(制作プロダクションやイベント会社,

PR 会社等)という内部と外部を連結するハブ的役割を担っている。従って,対人コミュニケーシ

ョンに関する知識は極めて重要である。「誰に」・「どのように」相談するかを知識として持つこと

は,その成果に影響を与える。以下に記述する聞き取り調査の回答において,「広告主」と「クラ

イアント」が混在しているが同義語である。

「広告主のことをよく知ることが必要です。企業文化や歴史,経営ビジョン,製品や競合関係など

は詳しく理解する必要があります。また,広告主の意思決定は誰が,どのようにするのかを知って

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おくことは重要です」営業部門1. アカウント・スーパーバイザー(シニア)

「クライアントが求めている以上の成果を出すには,社内のスタッフィングがすべてです。最適な

スタッフは誰かという社内人材の知識が必要です」営業部門4. アカウント・エグゼクティブ(ミ

ドル)

「広告会社におけるメディアバイヤーの仕事は,媒体社から広告枠の仕入れ・買い付けを行う職業

です。また単に仕入れだけでなく,効果的なメディアの発掘,媒体社との価格交渉,媒体社と広告

枠の共同開発といったことも仕事に含まれます。そのためには,テレビ局の編成部にまで食い込ん

で情報を仕入れたり,無理な依頼をねじ込んだりしなくてはいけないので,局の誰に話をすればい

いかという知識がないと仕事になりません。媒体社との人的ネットワークの知識が非常に重要で

す」媒体部門7. テレビ局長(シニア)

「広告主に関する知識を可能な限り,多くインプットすることが第一歩です。そのためには広告主

の現場に足を運びます。メーカーならば工場や販売店に必ず行きます。そこで製品と消費者がどう

関係しているかを理解して,そこから戦略を考えます」アカウント・プラニング部門21. 戦略プ

ランナー(グループ長)(ミドル)

標準的知識としては,広告主の企業文化,歴史,製品,競合ブランドや意思決定のシステム,使

用する用語や仕事における評価ポイントなどについて理解していなくてはならない。このような知

識は主に業務で経験を通して更新されている。また,社内・社外の勉強会を通しても得られる。

「担当するクライアントについては,業界紙の記者など外部専門家と勉強会を開いて,業界の状況

や専門用語などについて知識を得るようにしています」営業部門5. 営業アシスタント(ジュニア)

標準的知識として,近年,デジタル化が進む広告ビジネスにおいては,デジタル・マーケティン

グに関する基礎的な知識はすべての部門において必要とされている。SNS(ソーシャル・ネット

ワーク)を使ったコミュニケーション戦略が展開される事例が増えていることから,特にその活用

方法に関する知識は部門に関係なく必要とされる。

「担当したクライアントがデジタル系だったので,デジタル・マーケティングについては必死で勉

強しました。社内の誰が詳しいかを調べて,その人から教えてもらったりします。外部のセミナー

にも通います」営業部門6. 営業アシスタント(ジュニア)

「今はデジタル・マーケティングの時代と言われますから,クリエイティブ開発の質も変化してい

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ます。それは,素晴らしい広告表現をつくることよりも,消費者を購入行動まで導く仕掛け的なク

リエイティブ開発の知識が重視されるということです。例えば,スマートフォンのためのアプリ

ケーション・プログラミングの知識がそれに該当します」クリエイティブ制作部門14. クリエイ

ティブ・ディレクター(シニア)

. 部門別知識(Sectorial Knowledge)

各部門のサービス行為に関連した知識として得られた回答は,以下の通りである。

◯営業部門の専門知識

広告主と社内のスタッフ部門との関係構築に関する知識(スキル)が中心である。特に,広告主

の意思決定者,広告主との信頼,広告主の問題意識の把握が重視されていた。広告主の予算を最大

限有効に活用する知識である。

「営業には,広告主が提供されるサービスとその対価に納得してもらうことが必要です。それは,

自分たちの提供価値を高く買ってもらうことです。信頼関係の基になる説明責任をしっかり果たす

ための知識は重要だと思います」営業部門2. アカウント・スーパーバイザー(シニア)

「クライアントが何を問題意識としているか,それを社内・社外のスタッフに正確に伝える論理的

な思考やノウハウが必要です」営業部門2. アカウント・スーパーバイザー(シニア)

そして,広告を世に送り出すための規制,法律の知識や請求をおこなうための経理,税務などの

知識も必須である。

「広告主によって関連する規制が違います。化粧品ならば薬事法などは知識として必要ですし,キ

ャンペーンを実施するには景品表示法を理解している必要があります。広告主に請求書を出すのも

営業の仕事なので,経理・法務・税務に関する知識も必要です」営業部門3. アカウント・エグゼ

クティブ(ミドル)

「広告出稿に関しては,各媒体社の考査の基準は知識として必要です。また,広告原稿の入稿の基

準や印刷知識がないと媒体社に迷惑をかけます。最近は,デジタルの入稿ガイドラインを遵守して

作業を進めることが基本です」営業部門4. アカウント・エグゼクティブ(ミドル)

営業部門の専門知識は,広告主に代わって意思決定をするための知識でもある。また,社内スタ

ッフをまとめていくための知識でもある。その中には,暗黙知的な担当チームをマネジメントする

ための知識もあれば,広告制作に関係する規定のように形式知として整理されている知識もある。

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◯媒体部門の専門知識

担当する媒体に関しての基本的な知識に加えて,媒体社の企画内容をいち早く入手し,営業担当

者と共有して広告主に企画提案するというサービス行為のための知識である。これは,外部情報を

社内で価値変換するための知識である。

「タイム(番組提供枠)に関してはクライアントに,その番組提供がターゲット層へのアプローチ

に有効なのかを論理的に説明するための知識が必要です。競合他社の動向なども知識として必要で

す」媒体部門8. シニア・メディアプランナー(シニア)

「メディアバイイングは,業界や商品に関する幅広い知識,更に最新情報をいち早く仕入れる為の

ネットワーク構築等,かなり専門的な知識と経験を要します。独特の媒体社特有の商取引や符牒を

持った言葉などの知識を覚えることから始まります」媒体部門9. メディアプランナー(局担当)

(ミドル)

媒体部門の専門知識は,広告会社の収益源であるメディアの仕入れに関するものである。媒体部

門には新入社員から配属して,媒体社の担当(紙担,局担と呼ばれる)として,媒体社と同一歩調

で歩かせ,媒体社の特徴や傾向について時間をかけて習得していく。

◯クリエイティブ制作部門の専門知識

広告戦略に基づいて,広告主にクリエイティブ企画提案するというサービス行為の知識である。

広告主の意図や目的にそったアイデア開発をいかに行うかが重要である。

「まず何よりコンセプト開発に関する知識が必要です。コンセプトが見つかったら,次はメッセー

ジ開発なので,広告主の要望をワンフレーズで伝えるべきメッセージに収斂させるスキルが必要で

す」クリエイティブ制作部門13. 局長(シニア)

「広告作品にどのようなものがあるかは必ず,海外も含めてリサーチするようにしています。特に

担当する広告主や同じ業界については,過去の作品も含めて類似のものがないかどうか,細かくチ

ェックします」クリエイティブ制作部門18. アシスタント・プロデューサー(ジュニア)

デジタル化が広告制作の現場でも進んでいる。近年,アプリケーション開発のプログラミングの

知識なども必要とされる。また,クリエイティブ制作部門では広告作品の盗用の問題に注意が払わ

れており,類似性や著作権について事前のチェックをする方法や外部協力会社への指示に関する知

識が必要とされている。

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◯アカウント・プラニング部門の専門知識

戦略を立案するためのデータの分析や解釈,そして論理の組み立て方の知識が必要であり,それ

は優れたクリエイティブ開発に示唆を与えるような創造的な論理であることが望ましい。広告主に

とっても新しい発見があるような戦略提案であることが求められ,効果的なコミュニケーションの

仕掛けになるかどうかはプランナーの戦略提案に依存する部分が大きい。

「戦略提案には,仮説構築と検証の知識が必要です。データの定量的分析の知識と消費者のインサ

イトを探る定性的分析の知識が必要です。トレンドに対する知識も欠かせません。日頃からコツコ

ツと気になる情報を集め,デジタルツールなどを活用してネタ帳をつくります。打ち合わせを活性

化させるファシリテーションの知識も必要です」アカウント・プラニング部門19. 局長・シニア

戦略プランナー(シニア)

「担当が海外案件のため,対象となる地域や国の知識やノウハウ,ネットワークも必要です。その

ような知識は,自分がアンテナを張り,実務の中で苦労して吸収する必要があります」アカウント

・プラニング部門24. 戦略プランナー(ジュニア)

斬新な戦略をつくりあげるアカウント・プラニング部門の知識は,経営コンサルティングに近い

ある領域に特化した専門家としての経験が求められる。日頃から個人レベルで情報収集し,戦略企

画に活用する地道な方法がとられている。定量的分析と定性的分析の知識の両方が,戦略を練り上

げる上では必要になる。それらの知識は実務を通して学習することが多い。

◯セールス・プロモーション(SP)部門の専門知識

イベントなどの具体的なオペレーション実施のための協力会社との人的ネットワークに関する知

識が非常に重要である。また,国際見本市,スポーツイベント,キャンペーンのグッズ制作やサン

プリングなどの販売促進,屋外広告に精通した専門知識である。

「各個人が経験を積むことで,イベントや印刷物,プレミアムなどその分野のスペシャリストにな

り,その知識を更新していきます。マネジメントする立場としては,広告主や営業から案件が持ち

込まれた時に,最適なスタッフに担当してもらうために誰が,何が得意かという知識が必要です」

セールス・プロモーション(SP)部門25. 局長・シニア・プロデューサー(シニア)

「国際見本市の業務が多いです。欧州でも,アメリカでも,アジアでもどこでも対応できるように

プロダクションや施工会社とのネットワークが最も必要な知識です。イベントごとのレギュレーシ

ョン,その国の商慣習なども知識として必要です」セールス・プロモーション(SP)部門27. プ

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ロデューサー(ミドル)

「必要な専門知識はイベント企画と実施に特化した知識です。運営マニュアルの作成などもそのひ

とつです。経験に基づく実務知識が広告主からも営業からも信頼されます」セールス・プロモーシ

ョン(SP)部門30. ディレクター(ジュニア)

セールス・プロモーション(SP)部門の専門知識は,このように細分化された業務を実施と密

接に関係した知識である。店舗開発の担当チームには,一級建築士の資格を持つ社員も数人在籍し

ている。印刷物のことならば,この人に依頼すれば間違いないということが社内でも知識として共

有されている。セールス・プロモーション(SP)部門はそのような業務の専門家集団である。外

部の協力会社も施工会社や印刷会社など職人的な専門会社になるため,同等の専門知識が必要とな

る。

. シニア・ミドル・ジュニアの知識

シニア・ミドル・ジュニアのサービス行為による知識の違いについて説明する。シニアやミドル

は広告主の期待を上回る成果を提供するために,依頼された業務の背景や文脈を考えて行動しなけ

ればならない。そのためには広告主の担当者が何を求めているか,その担当者にとっての成果とは

何かを十分に理解してサービスを提供する必要がある。これは各部門のシニア・ミドルに共通して

求められる広告主のコンテキストを洞察するための知識である。広告会社ではミドル程度の経験を

積むと,対応する業務領域に少しずつ違いや変化が見られる。例えば,媒体部門のメディアバイイ

ングの業務においては,経験や年齢を積み重ねることによって,媒体社の担当者の職制に対応する

マネジメント型と,業務知識が増大して職人に近い知識を蓄積したバイイング・ネゴシエーターと

なるスペシャリスト型に分かれる。

「営業とはお金と時間の管理です。広告主の予算を最大限有効に活用する知識が必要です。それは

クライアントの期待値を越えた成果を提供することです。期待を越えた部分しか評価をしてもらえ

ないと考えています」営業部門3. アカウント・エグゼクティブ(ミドル)

「やはり広告主に関する知識を可能な限り,多くインプットすることが第一歩です。そのためには

広告主の現場に足を運びます。メーカーならば工場や販売店に何度か足を運びます。そこで製品と

消費者がどう関係しているかを理解して,そこから戦略を考えていきます。足で稼いだ知識が最も

説得力があると思います」アカウント・プラニング部門21. 戦略プランナー(グループ長)(ミド

ル)

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一方,ジュニアは外部のセミナーに積極的に参加することからも理解できるように,与えられた

業務の質を高めるための知識を求めている。

「担当するクライアントについては,業界紙の記者など外部専門家と勉強会を開いて,業界の状況

や専門用語について知識を得るようにしています」営業部門5. 営業アシスタント(ジュニア)

. 知識獲得と知識共有のプロセス

まず,知識獲得のプロセスについては,インフォーマルな形で,社内の上司や先輩から教えら

れ,業務を通して広告主や媒体社などから知識を獲得することが多い。セミナーや勉強会への参加

もなされており,必要に応じて知識獲得への行動がとられている。業務で必要になった時に,各個

人の判断で知識を獲得するというパターンがある。

「基本的な知識は社内の先輩から教えてもらう感じです。媒体社の担当者からも業務を通じて専門

的知識を得ました。研修的な場で知識を得るということはないです」媒体部門10. メディアプラ

ンナー(局担当)(ミドル)

「実際の担当業務をこなしながら知識を体得することが多いです。でも,それだけでは足りません

から,個人的なモチベーションによって各自で取り組んでいます。例えば,デジタル系の最新知識

は制作プロダクションのスタッフと勉強会を行うこともあります」クリエイティブ制作部門17.

コピーライター(ジュニア)

「必要な知識は,担当業務の経験からしか得られないと思います。宣伝会議や業界のセミナーなど

には出来るだけ参加するようにしています。絵画展や展覧会なども展示の方法の知識を得るには有

効だと思います」セールス・プロモーション(SP)部門28. プロデューサー(ミドル)

次に,知識共有のプロセスについては,部門別にデータ化されている知識とそうでない知識があ

る。媒体や成功事例など情報はデータ化され共有されている。サービス行為に必要な知識の共有

は,局会や部会が定期的に開かれ,連絡事項と合わせて知識を共有する。

「営業マニュアルのような形式知化されたものはないです。誰に相談すれば良いかというソリュー

ション探索のための知識は,同じ広告主を担当するチーム内では共有されています」営業部門1.

アカウント・スーパーバイザー(シニア)

「媒体情報の知識共有に関しては,基本的な情報はデータベース化されており,各自が PC の画面

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上で共有できるようになっています」媒体部門7. シニア・メディアプランナー(シニア)

「局会などで意見交換するようなことはあります。また,本部内でベスト・プラクティスのような

成功事例についてはデータ化され共有されます。新しい案件を担当するときには参考になります」

クリエイティブ制作部門16. アート・ディレクター(ミドル)

「ワークショップやセミナーなどを定期的に部門単位で行っています。また,本部内でベスト・プ

ラクティスの成功事例についてはデータ化され共有されます」アカウント・プラニング部門20.

シニア戦略プランナー(シニア)

「部門内で誰が,どのような業務の専門家であるかは共有されています。その専門家に相談をする

ことで課題の解決の糸口は見つかります」セールス・プロモーション(SP)部門29. ディレクター

(ジュニア)

本稿において類型化された標準的知識は,次のサービス行為と関連している。第 1 に広告主へ

の「助言型サービス」行為には,対人コミュニケーションに関する暗黙知と消費者の興味や流行に

関する形式知が必要である。第 2 に,一般消費者に対する広告主のマーケティング業務の「支援

型サービス」行為には,近年,デジタル・マーケティングに関する基礎的な知識はすべての部門に

おいて必要とされる。

Kotler and Keller(2007)によるとマーケティング・インテリジェンスとは,最新の市場状況に

触れ,マーケティング活動の意思決定をするための情報源であると説明している。すなわち標準的

知識は,広告会社のマーケティング・インテリジェンスとも言える。

一方,部門別知識のうち,営業部門やアカウント・プラニング部門の知識は広告主との企業間取

引的な「助言型サービス」に対応しており,コミュニケーション戦略と深く関係している。また,

媒体部門やクリエイティブ制作部門,プロモーション(SP)部門の知識は一般消費者に対する広

告主のマーケティング業務の「支援型サービス」に対応しており,より個別のコミュニケーション

施策に関係している。このように標準的知識と部門別知識が,広告会社の広告主への「助言型サー

ビス」と一般消費者に対する広告主のマーケティング業務の「支援型サービス」のふたつのサービ

ス行為を並行して提供することを可能にしている。図表 6 は,本稿の広告会社の標準的知識

(Standard Knowledge)と部門別知識(Sectorial Knowledge)の類型化を整理したものである。

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――

図表専門的サービス業である広告会社における知識の類型化

出所筆者作成。

――

. おわりに

本稿は,研究者と実務家に対して次のような意義をもっている。第 1 に学術的なインプリケー

ションとしては,これまでサービス業研究の周辺的領域の扱いであった専門的サービス業である広

告会社の知識が具体的にどのような特性を持っているかを提示し,類型化したことである。このこ

とは,専門的サービス業,知識集約型企業の研究に対して若干の貢献ができた。第 2 に実務的な

インプリケーションとしては,実務家に対する聞き取り調査によって,専門的サービス業の知識の

共有と活用を行なう際に参考となる類型化を提示したことである。特に,シニア・ミドル・ジュニ

アのサービス行為と知識の内容を関連づけたことは,組織としての集合知を開発する際にプロセス

を検討する上での示唆を与えることができた。

今後の研究課題としては,30名におよぶ聞き取り調査のデータの分析手法に関しては,客観的

・特徴的なキーワードを抽出するテキストマイニングや GTA(グラウンデッド・セオリー・アプ

ローチ)による知識の分類を試みることにより,個人的印象や直感でなく,データに基づいた結果

を得ることを検討すべきである。また,広告会社の知識が広告主や媒体社,外部の協力会社のよう

な,社内と社外の連結機能のためであるとするならば,具体的にどのように社内と社外を結びつけ

ているのかについての研究が必要となる。そのためには,ネットワークを知識へのアクセスする経

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路として捉え,社会ネットワーク分析による事例研究に取り組む必要があると考える。広告会社を

中心としたネットワークでつながる個人と組織による知識創造のメカニズムの研究に取り組みた

い。さらに,知識集約型企業としての広告会社が構築するネットワークに焦点をあてて,知識の共

有・創造プロセスに関する議論を深めたい。

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