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韓国の歴史教育 一第6次教育課程を中心に一 はじめに 1982年6月,日本の歴史教科書が文部省の検定によって,日本のアジアへの侵略行為が「進 出」と書き直されたという新聞報道に対して,アジア諸国から抗議が相次いだ。アジア諸国の 中で強く抗議をしたのが韓国であった。この事件がきっかけとなって,アジア諸国における歴 史教育に関心が集まった。この中で,日韓共同の研究会や交流会がつくられ,報告書や研究書 が出版されるなど,韓国の歴史教育に対して関心が高まっていった①。 このような動きに対して,自国の歴史に自信がもてるような歴史教育を,というかけ声のも とに,自説に都合のいいところだけを継ぎはぎした粗雑な認識のもとに日韓両国の教科書を批 難しているものもあるが,多くは,日本と韓国の歴史認識のずれはどこにその原因があるの か,どのようにすれぽ両国に子どもたちに共通認識が生まれるのか,というような問題を真摯 に追求しているものである。しかし,これまで韓国の歴史教育に関して刊行されたものは,韓 国の歴史教科書を取りあげたものが大部分であり,歴史教科書の骨格を規定する教育課程につ いてふれているものは数えるほどしかない(2)。 本稿は,現在韓国で施行されている第6次教育課程における歴史教育の位置づけと,その特 徴を明らかにしようとしたものである。このため,『第6次教育課程中学校教育課程』(3)と『第 6次教育課程中学校教育課程解説』(4)について検討していく。さらに,日本で施行されている 「中学校学習指導要領」と『中学校指導書社会編』(文部省,1988年7月)及び『中学校新教育 課程の解説』(文部省内教育課程研究会監修,1989年9月)をあわせて検討することにした。 この方法は,韓国歴史教育の特徴を明らかにするだけでなく,両国の中学生が学ぶ歴史の共通 認識について考える素材を提供すると考えたからである。 なお,紙幅の関係で検討する対象は,主に韓国の中学校歴史教育に限ることにした(5)。 一35一

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韓国の歴史教育

一第6次教育課程を中心に一

藤 田 昭 造

はじめに

 1982年6月,日本の歴史教科書が文部省の検定によって,日本のアジアへの侵略行為が「進

出」と書き直されたという新聞報道に対して,アジア諸国から抗議が相次いだ。アジア諸国の

中で強く抗議をしたのが韓国であった。この事件がきっかけとなって,アジア諸国における歴

史教育に関心が集まった。この中で,日韓共同の研究会や交流会がつくられ,報告書や研究書

が出版されるなど,韓国の歴史教育に対して関心が高まっていった①。

 このような動きに対して,自国の歴史に自信がもてるような歴史教育を,というかけ声のも

とに,自説に都合のいいところだけを継ぎはぎした粗雑な認識のもとに日韓両国の教科書を批

難しているものもあるが,多くは,日本と韓国の歴史認識のずれはどこにその原因があるの

か,どのようにすれぽ両国に子どもたちに共通認識が生まれるのか,というような問題を真摯

に追求しているものである。しかし,これまで韓国の歴史教育に関して刊行されたものは,韓

国の歴史教科書を取りあげたものが大部分であり,歴史教科書の骨格を規定する教育課程につ

いてふれているものは数えるほどしかない(2)。

 本稿は,現在韓国で施行されている第6次教育課程における歴史教育の位置づけと,その特

徴を明らかにしようとしたものである。このため,『第6次教育課程中学校教育課程』(3)と『第

6次教育課程中学校教育課程解説』(4)について検討していく。さらに,日本で施行されている

「中学校学習指導要領」と『中学校指導書社会編』(文部省,1988年7月)及び『中学校新教育

課程の解説』(文部省内教育課程研究会監修,1989年9月)をあわせて検討することにした。

この方法は,韓国歴史教育の特徴を明らかにするだけでなく,両国の中学生が学ぶ歴史の共通

認識について考える素材を提供すると考えたからである。

 なお,紙幅の関係で検討する対象は,主に韓国の中学校歴史教育に限ることにした(5)。

一35一

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1各教育課程における歴史教育

 現在韓国で施行されている第6次教育課程における歴史教育を検討する前に,韓国の歴史教

育がこれまでの教育課程でどのように位置づけられていたか,見ていくことにしよう。

 太平洋戦争後,朝鮮半島南部を占領したアメリカ合衆国軍は,軍政庁によって教育改革を行

なっていった。1946年,アメリカ軍政庁は,コロラド州案をモデルとした「社会生活科」

(The Social Studies)を設置し,翌年国民学校(日本の小学校にあたる),48年中学校に,そ

れぞれ「教授要目」を発表した。社会生活科は,歴史,地理,公民を統合した科目であり,歴

史の学習は,国民学校の5・6年生で韓国の初歩的な通史,中学校では1年生で東洋史,2年

生で西洋史,3年生で韓国史を学ぶことになったのである。中学4年生から6年生(高等学校

1~3年生にあたる)は,文化史を中心とする世界史と韓国史を再度学習するように編成され

ていた(6)。

 社会生活科が歴史,地理,公民の統合科目であったのに,教授要目のもとでは統合に関する

提示もなかった。しかも,民主市民の育成という教育目標があったにもかかわらず,「弘益人

間」の育成を歴史教育の目標とし,民族主義的な色彩が体系的な説明がないままに提示されて

いた,といわれている⑦。

 1948年8月に大韓民国が樹立されると,教育政策はアメリカ合衆国軍政から離れた。翌年12

月には教育法が制定され,国民学校や中学校の教育目的が明らかになった。しかし,朝鮮戦争

(50年~53年)のため,韓国で教育政策が実施されることはなかった。韓国で教育政策が実施

されたのは,第1次教育課程(1954~63年)からであった。

 第1次教育課程では,中学校社会生活科は各学年に公民,地理,歴史の各分野を週1~2時

間配置した。社会生活科の歴史的分野は,国民学校4年生で生活史的な内容,6年生で韓国史

と世界史的関連,中学1年生で「わが国の歴史」(韓国史)が設定され,2~3年生では「世

界の歴史」(東洋史と西洋史)を学ぶように編成されていた。高等学校では学年に関係なく国

史(韓国史)と世界史が必修となった。また,このときから反共教育を中心とする道義教育も

社会生活科の1分野(週1時間)として加わることになったのである。

 クーデタ=で軍事政権が成立した後に制定された第2次教育課程(1963~72年)は,「あい

まいで普遍的な民主的公民ではなく,固有の歴史と伝統をもって明確な使命感を自覚し,遂行

する大韓民国の国民育成」(8)を基本方針とし,中学校は教科活動,反共・道徳,特別活動の3

分野で構成されることになり,履修する科目はすべて必修科目となった。このとき社会生活科

の名称が社会科に変わり,1年生に地理,2年生に歴史,3年生に公民を配置し,週あたり2

~4時間をそれぞれ配当した。社会科は,生徒の経験を中心とした教育課程を設定したので,

分野別知識を体系的に教えるのにはよかったが,社会現象とか社会問題に対して各分野を総合

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的に接近させて社会認識力を養おうとする統合社会科の特徴を生かすことには至らなかったと

いう⑨。

 歴史分野は,国民学校3~4年生で郷土史的な接近がはかられ,6年生では通史的な国史を

扱うことになったが,中学校ではこれまでと大きく異なり,韓国史と世界史を統合して学習す

ることになった。このときの,「歴史教育は,単元学習や問題解決学習などの学習活動を通じ

てより広い次元で歴史を展望し省察して,世界史の中で韓国史を確認し,民族的衿持を持つ国

民を育てる目的」(10)があったという。

 第3次教育課程(1973~81年)は,1968年12月に公布された「国民教育憲章」(11)の理念を具

現化することを基本方針とし,国民的資質の育成を強調していた。これまで社会科に属してい

た国史的分野と道徳・倫理的分野が,主体性教育を強化するということで社会科から分離・独

立し,国史科と道徳科になった。世界史的分野は歴史的分野としてそのまま社会科に残ったの

である。

 第3次教育課程では,中学校社会科は1年生に地理的分野(週3時間),2年生に歴史的分

野(週2~3時間),3年生に公民的分野(週2~3時間)を配置した。国史は2年生と3年

生で週2時間ずつ履修することになった。また,国史の分離・独立によって,国民学校の3~

4年生で郷土史,5~6年生で通史的な韓国史を学び,中学校と高等学校で反復的に国史を学

ぶことになったのである。

 第4次教育課程(1882~86年)では,未来社会に期待される人間像を考慮した教育が標榜さ

れた。中学校社会科を学年別に履修分野(履修時間)を提示すると,1年生が公民と国土地理

(週3時間),2年生が世界史(近代以前)と世界地理(週2~3時間),3年生が世界史(近代

以後)と公民(週2~3時間)となる。この配置は,基礎・共通概念や社会問題などを軸とし

て時間的(歴史),空間的(地理)内容を統合した単元を構成し,各学年に2つの分野を配置

したものである。国史の履修は,2年生で学ぶのは朝鮮前期までとし,朝鮮後期以降は3年生

で学ぶことになった。

 また,第4次教育課程では国民学校のみ国史科が再び社会科に属することになり,「国民学

校は生活史中心,中学校は通史中心,高等学校は文化史中心の原則」(12)が提示された。そし

て,歴史教育は,「過去の国難克服的接近を止揚して民族史観の定立と歴史的思考力の培養が

強調され,近・現代史に重点」(13)が置かれるようになった。

 続く第5次教育課程(1987~92年)は,第4次教育課程を修正・補完する線で進行した。社

会科では,教科統合化の原則が推進され,教育課程の地域化を通じて多元的な指導をすること

を特徴とした。社会科の学年別の科目配当は,基本的には第4次教育課程のときと同様に,各

学年に2つの分野が設置された。すなわち,中学1年生では地理的分野で地誌的接近として韓

国地理と世界地理,世界史分野は中世までとして週3時間が配当され,2年生では近代から現

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代までを取り扱う世界史分野と,政治・法律・経済・社会・文化を概説的接近として取り扱う

公民分野で週2~3時間が配当された。さらに3年生では,週2~3時間で韓国地理と世界地

理からなる系統的接近と,わが国の政治・経済・社会・文化で概説的接近を取り扱うことにな

ったのである。この配置は,社会科の分野別編成の運用からくる非統合化傾向を克服しようす

るものであった。しかし,地理,歴史,公民的学習内容を学期別に分離・配置することによっ

て,不必要な混乱をもたらしたという評価もあった(14)。

 中学校国史の履修は,第4次教育課程のときと同じであった。しかし,教育課程の地域化と

いう原則によって,郷土史,郷土文化を学習する郷土単元が設定されたり,教科書の内容が豊

富になって体裁も新しくなった(15)。

2 第6次教育課程社会科教育課程

 1992年から韓国で施行されている第6次教育課程では,「この教育課程を通じて追求する人

間性は,健康な人,自主的な人,創意的な人,道徳的な人」(16)を育成することを目的とし,こ

れを具現化するため,次のような方針を立てている。

アイウエ

道徳性と共同体意識が透徹した民主市民を育成する。

社会の変化に対応できる創意的な能力を開発する。

生徒の個性,能力,進路を考慮して教育内容と方法を多様化する。

教育課程の編成・運営体制を改善して教育の質の管理を強化する。

 この方針に基づいて,中学校教育課程は教科(必修教科と選択科目からなる)と特別活動で

編成され,その特徴として「選択制を導入し,教科課程の構造を合理的に調整しただけでな

く,科学教育及び環境教育を強化し,教育内容で男女平等の意識を酒養し,生徒の学習負担を

軽減」(17)したことをあげている。

 第6次教育課程では,社会科は,「社会現象を正しく理解させ,社会知識の習得と社会生活

に必要な機能を身につけるように,民主社会構成員に要請される価値と態度を備える民主市民

としての資質を育成する教科」(18)であると規定している。このことから,中学校教育課程社会

科の性格は,「国民学校で具体的な経験を中心として形成された社会認識を基礎として,科学

的社会認識に接近できる知識と機能を伸長させながら,同時に主体的な価値観を定立させて自

らの進路を決定し,自立的な生活を営む市民としての資質を形成させるようにする」(19)として

いる。

 以上のことを踏まえて,中学校社会科の目標は,「社会のさまざまな現象を統合的資格で理

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解させ,われわれの社会の問題点などを合理的に解決するために必要な機能を育て,個人と国

家及び人類の発展に寄与できる民主市民としての基本資質を育てる」(20)ことであるとし,6項

目を掲げている。この中で歴史分野に関するものは,「各地域の特性を人間と環境の関連の中

で理解させ,人類生活の発展過程と各時代の文化的特色を把握させる」,「各時代の特色を中心

として,わが国の歴史的伝統と文化の特殊性を把握させ,われわれの文化と民族の発展性を体

系的に理解させる」(21)と2項目ある。この2項目では,歴史の学習において文化が強調されて

いることがわかるだろう。

 第6次教育課程は,独立教科であった中学・高等学校の国史を社会科に再び属することにし

た。これは,教科課程の構造を合理的に調整した一環として行なわれたものであり,その理由

を,「国際化社会で主体性の酒養とともに世界の中の韓国,先進化していく韓国をつくりあげ

るため」(22)だという。しかし,社会科の統合化のもとでも国史教育の重要性を認め,教科書は

別途編纂して使用できるようにしてあった。

 次に国史分野を社会科に回帰させた中学校教育課程の編成について見ていくことにしよう。

第6次教育課程中学校教育課程では,社会科の内容を,「完全統合指向」,「人間生活と自然(地

理的分野)」,「人間生活と変遷(世界史的分野)」,「人間と社会生活(一般社会分野)」,「国史

分野」の5つに区分し,5つの分野をさらに2つに分割して履修するようにしている。2つに

分割した分野のうち,3~4つの分野を各学年に配置するのである。学年別の分野配列は次の

とおりである。

 1年生 「地域と社会探究」(完全統合指向),「韓国とアジア及びアフリカの生活」(人間生

    活と自然),「近代以前のアジア中心の世界史」(人間生活と変遷)

 2年生 「ヨーロッパ・アメリカ・オセアニアの生活」(人間生活と自然),「ヨーロッパ史と

   近代以後の世界史」(人間生活と変遷),朝鮮前期までの韓国史(国史分野)

 3年生 「現代社会の諸問題と系統地理(韓国及び世界の都市・環境・自然などの問題)」(完

    全統合指向,人間生活と自然),「社会,文化,政治,経済の原理と実際」(人間と社

    会生活),「朝鮮後期以降の韓国史」(国史分野)

 また,『第6次教育課程中学校教育課程』には社会科教育の方法として,17項目が記載され

ている。これらには,全体として社会現象の理解と問題解決に焦点を置いた探究過程を重視

し,統合的な視角で社会認識ができることや,多様な教授・学習活動が要請されていることが

記されている。この中から歴史教育に関するものを選び出すと,次のようになる。

1 各地域であれ,国家の特性が自然環境及び産業化の特色だけでなく,歴史的,宗教

的,文化的側面も明確に見えるようにする。

2 歴史的主要事件,制度,現象などが現在の社会発展に与えた影響を認識させるように

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する。

3 各時代の政治的,経済的,社会的,文化的側面を地理的環鏡と密接に関連させて学習

させるようにする。

4 歴史の流れの中で,わが民族の発展過程ならびに未来の課題を把握できるように指導

する(23)。

 上記の1では「国家の特性」が強調され,2では「社会発展」を重視している。1~3には,

第6次教育課程の特徴である社会科統合が志向されているのがわかるだろう。また,4が歴史

教育の指導事項であることは言うまでもない。

3 中学校教育課程社会科国史分野

 第6次教育課程中学校教育課程の歴史分野は,1~2年生で学習する「人間生活と変遷(世

界史的分野)」と2~3年生で学習する国史分野からなる。国史分野の学習と目的は,「歴史学

習の意義と方法を把握させ,わが国の歴史と全般的な特性を理解させることによって,国史学

習に興味と関心を持たせながら,郷土史学習を通じて郷土愛を育てるようにする」(24)とある。

これに対して,「人間生活と変遷(世界史分野)」には,このような記述がない。「人間生活と

変遷(世界史的分野)」より国史分野の方が全般的に学習内容に関する記述が詳しいので,便

宜上これからの検討は国史分野に限ることにする。

 第6次教育課程社会科国史分野は,2~3年生にわたって15の大単元を設定している。その

内訳は,2年生では原始・古代から近世までが8つの大単元,3年生では近代から現代までが

7つの大単元である。

 各大単元には3~4の中単元があるので,限られた紙幅で国史内容の全般にわたって見てい

くことは難しい。そこで,日本の中学生も歴史分野で学習する事項を含む単元を4つ選び,比

較・検討していくことにする。すなわち,古代は「仏教の伝来(伝播)」,近世は「文禄・慶長

の役」(倭乱),近代は「江華島条約」と「3・1独立運動」を取りあげることにする。

 1)仏教の伝来(伝播)

 古代において,日本と朝鮮の文化交流の1つに仏教をあげることに依存はないだろう。r第

6次教育課程中学校教育課程』(以下,『6次中学校教育課程』と略称)では,日本への仏教伝

播を小単元「三国の伽耶文化の日本伝播」(大単元「中央集権国家」,中単元「民族の対外活動」

に属する)で取り扱っている。『6次中学校教育課程』には中・小の単元に学習の目標は書い

ていないが,大単元には説明文が付してあるので,大単元から見ていくことにしよう。

 『6次中学校教育課程』によれぽ,大単元「中央集権国家」の目標は,「中央集権国家の形成

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と発展を把握させ,民族の対内外的活動の姿を理解させることによって,民族の伝統と民族文

化に対する誇りをもたせる」(71ページ)ことである。『第6次教育課程中学校教育課程解説』

(以下,『6次中学校教育課程解説』と略称)』では,「中央集権国家」の学習目標の1つを,「三

国の輝かしい文化を仏教と古墳を通じて把握させ,民族文化の海外伝播の過程を理解させる」

(106ページ)としている。さらに,三国文化が仏教文化と古墳美術からなり,伽耶文化の特徴

を鉄器文化であるという。

 『6次中学校教育課程解説』には,各大単元に4つの主題別学習が設定されている。中単元

「民族の対外活動」では「百済の完成する海外活動の結果として形成する百済の勢力圏と三国

の海上勢力について紹介しながら,三国と伽耶文化の日本伝播の過程とその内容を取り扱」

(107~108ページ)うように主題学習で設定している。

 日本で現在施行されている「中学校学習指導要領」では,仏教伝来は中単元「国の成り立ち

と東アジアの動き」(大単元「古代国家の歩みと東アジアの動き」)に次のように触れている。

 古墳文化と大和朝廷による国の統一を扱い,国家の形成過程を理解させるとともに,当

時の人々の信仰,中国や朝鮮の情勢,大陸から移住してきた人々が日本の社会の発展に果

した役割に着目させる。

 『中学校指導書社会科編』は,「大陸から移住してきた人々が日本の社会の発展に果たした役

割」について,「彼らがもたらした文物,例えば漢字や仏教,土木・織物・冶金などの技術が,

どのように我が国の発展と関連をもったかに着目させるようにすることが大切である」(62~

63ページ)と説明している。また,r中学校新教育課程の解説一社会一』でも,中単元「国の

成り立ちと東アジアの動き」の「学習のねらいと取扱い」に書いてある説明文は,r中学校指

導書社会科編』とほぼ同じである。したがって「中学校学習指導要領」のいう「大陸から移住

してきた人々」が朝鮮半島からの渡来人を含んでいるのかがわからないし,彼らが「どのよう

に我が国の発展と関連をもったか」ということについて明確な指摘はない。さらに,『中学校

指導書社会科編』と『中学校新教育課程の解説一社会一』の記述から,『6次中学校教育課程

解説』のように,仏教が「大陸」から伝わった文化の中で主要な位置を占めている,と読むこ

とはできない。

 韓国では中学生に日本に伝えた仏教を三国と伽耶文化の海外伝播として教え,日本では仏教

を大陸からの渡来人の果たした役割の中で着目させているように,日本と韓国で仏教について

の取り扱いに相違が見られる。この相違は,両国とも古代の文化を自国中心として見ていくこ

とから生まれるものであろう。古代の文化をこのように自国を中心として取り扱うことだけで

は,日韓両国の中学生に共通認識が生まれにくいだろう。

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 2)文禄・慶長の役(倭乱)

 文禄・慶長の役は,韓国では倭乱とよんでいる。『6次中学校教育課程』では,これを倭乱

の後,満州を支配していた女真族が2度にわたる侵略(胡乱)と連続させて取り扱うことにな

っている。すなわち,中単元「倭乱と胡乱」は,小単元「壬辰倭乱」,「閑山大捷」,「義兵」,「丙

子胡乱」,「北伐論」,「通信使」からなり,「倭乱と胡乱の克服過程を理解させることによって,

国力の重要性を認識させるようにする」(72ページ)ことを目標としている。『6次中学校教育

課程解説』の主題別学習内容でも,「倭乱と胡乱」は,「士林派の問題点として惹起された国防

力の弱化とそれによる民族の試練と克服,すなわち壬辰倭乱の克服過程で出た李舜臣の閑山島

の大捷と義兵などを紹介し,丙子胡乱の過程と胡乱後の克服を紹介」(116ページ)し,韓国史

にあらわれる歴史事項を具体的にあげて「倭乱と胡乱」の学習内容とそのねらいを明確に指摘

している。

 「中学校学習指導要領」では,文禄・慶長の役(倭乱)を中単元「織田・豊臣の政治と桃山

文化」(大単元「世界の動きと天下統一」)で扱っているようである。「織田・豊臣の政治と桃

山文化」について,「中学校学習指導要領」では「織田・豊臣による統一事業及び海外との関

係のあらましを扱い,政治や社会の大きな変化を理解させるとともに,この時代の文化に対す

る海外からの影響や武将,豪商などの生活文化に着目させる」としている。この記述から文禄

・慶長の役(倭乱)に関するものを見つけるのは難しい。

 r中学校指導書社会科編』を見ると,「中学校学習指導要領」にある「この時代の文化に対す

る海外の影響」について,「積極的な海外貿易,キリスト教への対応,朝鮮への出兵などに触

れる」(69ページ)との補足があり,文禄・慶長の役と関連のあることがわかる。さらに『中

学校新教育課程の解説一社会一』には,「海外との関係のあらましについては,積極的な海外

貿易の展開,キリスト教への対応の変化,朝鮮への出兵とそのもたらしたものなどに触れるこ

ととする」(108~109ページ)と記してあるように,ここでも朝鮮の出兵について触れている。

このことから「織田・豊臣の政治と桃山文化」が豊臣秀吉の朝鮮出兵と関連のあることがわか

るが,朝鮮への出兵と「そのもたらしたもの」について具体的な指摘はない。

 『6次中学校教育課程』は倭乱(文禄・慶長の役)を中単元に設定し,2度にわたる侵略の

克服過程の理解と国力の重要性を認識することをねらいとし,『6次中学校教育課程解説』は

2度にわたる侵略を国難とし,撃退する過程とその後の克服過程にも重きを置いている。これ

に比べて『中学校指導書社会科編』と『中学校新教育課程の解説一社会一』は,文禄・慶長の

役(倭乱)に触れているが,『6次中学校教育課程』と比べて単元の位置づけだけでなく,内

容も軽いといえるだろう。それは,文禄・慶長の役(倭乱)が16世紀末における日本の国内統

一過程の一環としてではなく,その時期の文化に関するところで取り扱っているからだと思わ

れる。

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 3)江華島条約

 日本によって引き起こされた江i華島事件(1875年9月)の翌年に,日本と朝鮮で締結したの

が日朝修好条規(江華島条約)である。江華島条約は不平等条約であり,これをもとに近代日

本の朝鮮侵略の道が開かれたのである。

 『6次中学校教育課程』では,「江華島条約」を中単元に設定し,これを構成する小単元は「開

化思想」,「衛正斥邪運動」,「紳士遊覧団」,「壬午軍乱」,「甲申政変」である。中単元「江華島

条約」の大単元は,「近代化の追求」である。

 r6次中学校教育課程』では,「近代化の追求」の学習内容は,「外勢の浸透の中で展開され

た制度改革の努力と近代化の過程を把握させ,その過程で経験した時代的困難を理解」(76ペ

ージ)させるようになっている。また,r6次中学校教育課程解説』では,「江華島条約」を主

題別学習内容で,次のようにいう。

 近代社会としての内在的志向を示した朝鮮社会は,江華島条約で門戸を開放しながら,

開化と保守の葛藤と外勢の浸透によって多くの試練を経験した。政府と官僚は,近代文物

を受容する開化政策を実施し,儒生などは外勢と西洋文物の排撃を掲げながら,政府に批

判的な態度をとった。この主題では,開化と保守の葛藤・対立の中で壬午軍乱と甲申政変

が起きたことを確認させる(140ページ)。

 r6次中学校教育課程解説』では,強制された開国から1884年の甲申政変までを一貫して日

本の「外勢」と捉え,朝鮮国内の対立の中に近代化の萌芽を見出そうとしている。

 「中学校学習指導要領」から江華島条約や壬午軍乱,甲申政変に関する記述を見つけること

ができないので,『中学校指導書社会科編』によってこの時期の中国・朝鮮の動きを見ていく

ことにしよう。

 r中学校指導書社会科編』の大単元「明治政府の成立と諸改革の展開」では,明治10年代に

おける日本の外交を,「中国・朝鮮との外交における日本の立場,ロシアとの間の領土の画定,

琉球の問題や北海道開拓についても,時代的な背景や国内の事情と関連させて扱う」(77ペー

ジ)ことにしている。『中学校新教育課程の解説一社会一』で上記に関連するところを捜すと,

 この時期の中国・朝鮮との外交上の関係とわが国の立場,ロシアとの間に行われた領土

の画定,琉球の帰属に関する問題や北海道の開拓のあらましについても,国際環境にみら

れる時代的背景や国内の事情と関連させて,幅広くとらえることができるように配慮する

必要がある(115ページ)。

一43一

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とあるように,『中学校指導書社会科編』とほぼ同文である。したがって,「この時期の中国・

朝鮮との外交上の関係とわが国の立場」が明治10年代のことを示していることがわかっても,

この外のことは漠然としてよくわからない。

 4)3・1独立運動

 韓国併合後の1919年3月,朝鮮の各地で独立運動が展開された。『6次中学校教育課程』で

は,「3・1独立運動」を中単元に設定している。「3・1独立運動」の大単元である「国権回復

運動」は,「3・1独立運動」の外,4つの中単元(「民族の受難」,「独立軍と光復軍」,「民族独

立運動」,「朝鮮語学会」)で構成されている。『6次中学校教育課程解説』によれぽ,「3・1独

立運動」から,国外独立戦争(独立軍・光復軍),国内民族独立戦争(6・10万歳運動・光州学

生運動)と民族文化守護運動(朝鮮語学会・民族主義私学・震檀学会)が生まれ,これらを「国

権回復運動」とする構成をとっているので,3・1独立運動が「国権回復運動」の中で最も重

要な単元となる。また,「国権回復運動」の概観が,「日帝の国権侵略と対抗して国内外で多様

な展開をした独立運動の実情を把握することによって,民族精神を酒養させること」,「日帝の

植民地統治政策と国際情勢の変化に対応して展開した国権回復運動を,時期,主導階層,分野

別に把握させること」,「3・1独立運動と大韓民国臨時政府の意義,独立戦争路線と実力養成

路線及び民族守護運動路線を総合的に理解させること」(144~145ページ)の3つで成り立っ

ているが,この中心となるのが「3・1独立運動」であることが読み取れよう。「3・1独立運動」

の学習内容は以下のとおりである。

 日帝の懲罰警察統治に対応して,わが民族は義兵戦争を継続する一方,新民会を中心と

して海外独立基地の建設にでた。第1次世界大戦後に民族自決主義,民主主義などの流行

で有利な情勢がつくられると,宗教界,学生,農民は民族をあげて独立運動である3・1

運動をおこした(145~146ページ)。

 「中学校学習指導要領」では,3・1独立運動について江華島条約と同様に単元を設定してい

ない。3・1独立運動が属すると思われる単元を「中学校学習指導要領」から捜せぽ,中単元

「第一次世界大戦と国際関係」(大単元「二つの世界大戦と日本」)であろう。「第一次世界大戦

と国際関係」には次のような説明がある。

 第一次世界大戦とその背景にある国際関係,日本の参戦,ロシア革命,戦後の国際協調

の動きを扱い,第一次世界大戦前後の国際関係の推移のあらましを理解させるとともに,

民族運動の高まり,国際平和への努力に着昌させる。

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続いて,上記より詳しい説明を,r中学校新教育課程の解説一社会一』で見ることにしよう。

 大戦後の国際社会がどう推移したかについては,世界各国が国際平和の確立をめざして

協調関係を強め,そうした中から国際連盟の成立や軍縮条約の締結などの動きが生まれた

ことを理解させるとともに,アメリカ合衆国の影響力が強まったこと,わが国の立場は大

戦中と違ったものになったことに気づかせる。一方,中国や朝鮮において民族運動の高ま

りが見られるようになったことも着目させる必要がある(118~119ページ)。

 また,「学習指導要領」でいう「戦後の国際協調の動き」について,『中学校指導書社会科編』

では,「アメリカ合衆国の動きに着目させるとともに,大戦を終て世界各国が国際平和の確立

を目指して国際連盟の設立や軍縮条約の締結など国際協調に努力したこととアジアにおいて民

族運動が高まったことに気づかせる。」(82ページ)と記している。このように,『中学校新教

育課程の解説一社会一』とr中学校指導書社会科編』から3・1独立運動に関することを探せ

ぽ,第1次世界大戦後ともに「アジアにおいて民族運動が高まったことに気づかせる」という

記述しかない。これは「中学校学習指導要領」にある「民族運動の高まり」という記述に,「ア

ジア」という言葉が加わったに過ぎないものである。『中学校指導書社会科編』及び『中学校

新教育課程の解説一社会一』は,近代におけるアジアの民族運動に重きを置いていない,と見

ることができそうだ。

 『6次中学校教育課程』と『6次中学校教育課程解説』では,3・1独立運動を第1次世界大

戦後の民族自決主義,民主主義の流行によって有利な情勢のもとに展開された国権回復運動,

と位置づけている。「中学校学習指導要領」でも不十分であるが,第1次世界大戦後の国際関

係について平和を求める国際協調と民族運動が高まっていることについてふれている。しかし

『中学校新教育課程解説一社会一』では,3・1独立運動をアジアの民族運動と見なしているよ

うだが,第1次世界大戦後のヨーロッパを席巻した民族主義に触れていないので,3・1独立

運動の意味が曖昧になるおそれがある。

おわりに

 これまで韓国の中学校歴史教育について,教育課程に占める位置や学習内容を日本の学習指

導要領と比較検討してきたので,ここでまとめをしておこう。

 韓国の中学校歴史教育は,社会科の1分野として出発した。その後,第3次教育課程で民族

の主体性を強化するという目的で国史(韓国史)が独立した教科となり,第6次教育課程では

教科の統合化をさらに進めるため社会科に帰属したように,教育政策の変更によって国史の占

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Page 12: 韓国の歴史教育 - 明治大学 · 2012-09-27 · ることになった。このときの,「歴史教育は,単元学習や問題解決学習などの学習活動を通じ

める位置は変わっていったのである。歴史教育の性格も,第3次教育課程から「国民資質の育

成」とか,「民族史観の定立」(第4次教育課程)というように,「どちらかといえぽ普遍主義

的な傾向から,一転して民族主義的傾向」(25)を帯びるようになっていったのである。それだけ

ではなく,第5次教育課程から「韓国の伝統文化の構造的特質を世界史的普遍性と関連させて

認識する」(26)とか「民族文化の継承と国際化」(第6次教育課程)を強調するだけでなく,郷

土史の学習を通じて問題解決能力(第5次教育課程)や探求学習能力(第6次教育課程)をつ

けようとするなど,韓国史を身近に感じさせようとするだけでなく,韓国の文化を世界史の中

に位置づけるようになってきた。

 『6次中学校教育課程』には国史教育の目標として明記したものはないが,社会科教育課程

の目標にある「各時代の特色を中心としてわが国の歴史的伝統と文化の特殊性を把握させ,わ

れわれの文化と民族の発展性を体系的に理解させる」(61ページ)ことが国史教育の目的にあ

たるだろう。日本の「中学校学習指導要領」歴史的分野でこれに相当する目標は,「我が国の

歴史を,世界の歴史を背景に理解させ,それを通して我が国の文化と伝統の特色を広い視野に

立って考えさせるとともに,国民としての自覚を育てる」ことである。このように,r6次中

学校教育課程』国史教育と「中学校学習指導要領」歴史的分野の目標は,共通点が多く,相違

点は前者が「文化と民族の発展性」,後者が「国民としての自覚」を強調していることである。

『6次中学校教育課程』国史教育は,各時代の文化を中心とした概観しか記述していない「学

習指導要領」とは異なり,学習内容の指示事項が多い。したがって,『6次中学校教育課程』

を詳しく具体的に説明しているr6次中学校教育課程解説』も,「中学校学習指導要領」を詳

しく説明している『中学校指導書社会科編』や『中学校新教育課程の解説一社会一』より,そ

の記述がはるかに詳しいことはこれまで見てきたことから明らかであろう。「中学校学習指導

要領」や『中学校指導書社会科編』,『中学校新教育課程の解説一社会一』を読んでも,「中学

校学習指導要領」にある「歴史に見られる国際関係や文化交流のあらましを理解させ,我が国

と諸外国の歴史や文化が相互に深くかかわっていることを考えるとともに,他民族の文化,生

活などに関心をもたせ,国際協調の精神を養う」という歴史分野の目標にはなかなか及ぼない

ところがあるように思える。

 韓国では,「教育課程」に基づいて国定教科書が編纂されている。第5次教育課程のときに

使用されていた韓国の中学校国史教科書の特色として,「日本関係の教科書記述では,歴史事

実の羅列としてみられる傾向が強く,それをとおして民族意識を強調していると理解すること

ができ」(27)るとしている。この指摘は,これまでの『6次中学校教育課程』とr6次中学校教

育課程解説』の検討から,第6次教育課程のもとで編纂された中学校国史教科書についてもい

えそうである。

 第7次教育課程では,従来の6・3・3の教育課程を6・4・2の教育課程に改編し,現在の初

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等学校から高等学校1学年までの10年間を‘国民共通基本教育期間’とし,国史教育は中学校

1年から高等学校1年までに社会科の1科目として関連させて指導され,高等学校2,3年で

は選択教科となる。これは韓国の国史教育が世界化と社会科統合の流れの中で,従来の役割を

縮小され,再編されるものだといわれている(28)。この興味深い指摘も,まだr第7次教育課

程中学校教育課程』や『第7次教育課程中学校教育課程解説』を入手できないので検討するこ

とができない。この外,歴史教育をトータルに理解するためには,教科書の検討や高等学校国

史教育の外,教授法などについても触れなけれぽならないが,今後の課題といたしたい。

(1) 比較史・比較歴史教育研究会『日本・中国・韓国一自国史と世界史』ほるぶ出版,日韓歴史教科

  書研究会『教科書を日韓協力で考える』(大月書店,1993年),日韓合同授業研究会編による第一回

  (1995年度)から第4回(1998年度)の『交流会報告書・授業報告書』,君島和彦『教科書の思想一

  日本と韓国の近現代史』(すずさわ書店,1996年)など。

(2) 韓国の教育課程について述べているものとして,馬越徹『現代韓国教育研究』(高麗書林,1981

  年),大槻健『韓国教育事情』(新日本新書,1992),同『日韓の未来をひらく教育交流』(桐書房,1994

  年),横田安司「韓国の歴史教育」(歴史教育者協議会編『新しい歴史教育』5)がある。

(3) 韓国教育部『第6次教育課程中学校教育課程』(大韓教科書株式会社,1992年)。

(4) 韓国教育部『第6次教育課程中学校教育課程解説』(大韓教科書株式会社,1994年)。

(5) 小論は,1997年度明治大学付属明治高等・中学校の在外研究の一部である。また,この研究は,

  日韓文化交流基金歴史研究者等支援を受けた。

(6) 李元淳・允世哲・許勝一『歴史教育論』(1980年,三栄社)91ページ。

(7) 允世哲「韓国の歴史教育」(「歴史教育」第51号,1992年6月)。ここでいう「弘益人間」は,教育

  法第一条に「教育は弘益人間の理念の下に,すべての国民をして人格の理想実現に寄与させること

  を目的とする……」とあるように,韓国の古典に見られる歴史的民族思想であるという(大槻健『韓

  国教育事情』)。

(8) 『第6次教育課程中学校教育課程解説』28ページ。

(9) 『第6次教育課程中学校教育課程解説』29ページ。

(10) 『歴史教育論』93ページ。

(11) 国民教育憲章は「反共イデオロギーと経済的能率を強調して民衆の階級的要求を阻止し,民族主

  体性という新しい国民統合のイデオロギーを明らかにすることであった」(キム・ヨンチョル「国史

  教科課程の変遷とその問題点」(「歴史教育」第61輯,1997年)という。国民教育憲章の全文は次の

  とおりである(馬越徹『現代韓国教育研究』324ページ)。

   われわれは民族中興の歴史的使命をおびてこの国に生まれた。祖先の輝かしい精神を今日に生か

  し,内には自主独立の姿勢を確立し,外には人類共栄に尽くす時である。ここにわれわれの進むぺ

  き道を明らかにして教育の指標とする。

   誠実な心と健かな体で学問と技術を学び,生まれながらの各自の素質を啓発し,われわれの立場

  を躍進の踏み台として,創造の力と開拓の精神を培う。公益と秩序を優先させ,能率と実質を尊び,

  敬愛と信義に根ざす相扶相助の伝統を受け継ぎ,明朗かつ情誼あふれる協同精神を養う。われわれ

  の創意と協力によって国が発展し,国の隆盛が自己の発展の根本であることを悟り,自由と権利に

  伴う責任と義務を果たし,自ら進んで建設に参与し奉仕する国民精神を高める。

   反共民主精神に透徹した愛国愛族がわれわれの生の道であり,自由世界の理想を実現する基盤で

  ある。末永く子孫に残すべき栄光ある統一祖国の将来を見通し,信念と衿持を有する勤勉な国民と

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して,民族の英知を集め,たゆまぬ努力を続け,新しい歴史を創造しよう。

    1968年12月5日

                              大統領 朴

サ世哲「韓国の歴史教育」(「歴史教育」第51輯,1992年)。

ヲ}世哲「韓国の歴史教育」(「歴史教育」第51輯,1992年)。

サ世哲「韓国の歴史教育」(「歴史教育」第51輯,1992年)。

横田安司「韓国の歴史教育」205ページ。

『第6次教育課程中学校教育課程』1ページ。

 『第6次教育課程中学校教育課程解説』12ページ。

『第6次教育課程中学校教育課程』60ページ。

『第6次教育課程中学校教育課程』61ページ。

『第6次教育課程中学校教育課程』61ページ。

『第6次教育課程中学校教育課程』61ページ。

『第6次教育課程中学校教育課程解説』13ページ。

『第6次教育課程中学校教育課程』79ページ。

『第6次教育課程中学校教育課程』70ページ。

横田安司「韓国の歴史教育」204ページ。

横田安司「韓国の歴史教育」205ページ。

大槻健『日韓の未来をひらく教育交流』87ページ。

キム・ヨンチョル「国史教科課程の変遷とその問題点」(「歴史教育」第61輯

正 煕

1997年3月)。

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