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1 軽自動車用エンジンの低燃費化への取組み 田中 竜司 (スズキ株式会社) 1.はじめに CO 2 排出量削減の対応やガソリン価格の高騰から,自動車 の燃費向上が至上命題となっている.この命題に応えるため, 軽自動車用に新型エンジン R06A [1] を開発し, 2011 1 月に新 MR ワゴンに初搭載した.2011 12 月にはアルトエコに, 2012 9 月には新型ワゴンRに, 2013 2 月には新型スペー シアに搭載した.2013 2 月のアルトエコマイナーチェンジ 車では,ガソリン車トップ 1 となる JC08 モード燃費 33.0km/L を達成した.ここでは R06A のエンジン開発と, アルトエコマ イナーチェンジ車での燃費向上技術について解説する. (※1 ハイブリッド車を除く.2013 2 月現在,スズキ調べ.) 2.エンジン開発のねらいと概要 R06A エンジンはスズキの軽自動車用4ストロークエンジ ンとして3代目にあたる.表1に示すように第一世代の F 1979 年に立上げ 20 数年にわたり生産された.第二世代の K 型は 1994 年に立上げ,現在も継続して生産中である.第三 世代であるR型の開発を始めるにあたっては, 20 年間で 1,000 万台を生産することを念頭に置いて取り組んだ.すなわち 20 年先まで見越して商品力を維持すること,大量生産でのバラ ツキを考慮したうえでの品質確保,エンジン搭載方法(FF, FR)や使用環境(乗用,商用)などの多様性を考慮するこ と,低コストとすること,これらを高次元でバランスさせな ければならない.そこで R06A エンジンは燃費向上を最優先 目標に掲げ,また1Lクラスのコンパクトカーに引けをとら ない動力性能を有すること,コンパクトカーと同等以上の静 粛性,クラス最軽量を目標として開発した. 表1.スズキ軽自動車用4サイクルエンジンの変遷 3.エンジン概要と主要諸元 基本構造ではショートストロークだった従来型 K6A に対し, 新型 R06A は燃焼室をコンパクト化し冷却損失を低減できる ロングストロークに変更した.また,膨張行程でのピストン サイドフォースを低減するため,シリンダブロックのライナ 中心とクランクシャフト軸心をずらすオフセットクランク構 造を採用した. 燃焼システムでは燃焼室冷却向上のために,軽自動車で初 となる細径 M10 ロングリーチ点火プラグ [2] を採用した.ポン ピングロス低減と低速トルク向上のために, NA では軽自動車 初となる,吸気と排気,両側への可変バルブタイミング機構 (VVT) [3] を採用した.TC は吸気側にのみVVTを採用した. 1 にエンジンの外観を,表 2 に新旧主要諸元比較を示す. 図1.R06A エンジン外観 表2.新旧主要諸元比較 Motor Ring No.36 2013 自動車技術会 http://www.jsae.or.jp/motorring/

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軽自動車用エンジンの低燃費化への取組み

田中 竜司 (スズキ株式会社)

1.はじめに

CO2 排出量削減の対応やガソリン価格の高騰から,自動車

の燃費向上が至上命題となっている.この命題に応えるため,

軽自動車用に新型エンジン R06A[1]を開発し,2011 年 1 月に新

型 MR ワゴンに初搭載した.2011 年 12 月にはアルトエコに,

2012 年 9 月には新型ワゴンRに,2013 年 2 月には新型スペー

シアに搭載した.2013 年 2 月のアルトエコマイナーチェンジ

車では,ガソリン車トップ※1となる JC08 モード燃費 33.0km/L

を達成した.ここでは R06A のエンジン開発と, アルトエコマ

イナーチェンジ車での燃費向上技術について解説する. (※1 ハイブリッド車を除く.2013 年 2 月現在,スズキ調べ.)

2.エンジン開発のねらいと概要

R06A エンジンはスズキの軽自動車用4ストロークエンジ

ンとして3代目にあたる.表1に示すように第一世代の F 型

は 1979 年に立上げ 20 数年にわたり生産された.第二世代の

K 型は 1994 年に立上げ,現在も継続して生産中である.第三

世代であるR型の開発を始めるにあたっては,20 年間で 1,000

万台を生産することを念頭に置いて取り組んだ.すなわち 20

年先まで見越して商品力を維持すること,大量生産でのバラ

ツキを考慮したうえでの品質確保,エンジン搭載方法(FF,

FR)や使用環境(乗用,商用)などの多様性を考慮するこ

と,低コストとすること,これらを高次元でバランスさせな

ければならない.そこで R06A エンジンは燃費向上を最優先

目標に掲げ,また1Lクラスのコンパクトカーに引けをとら

ない動力性能を有すること,コンパクトカーと同等以上の静

粛性,クラス最軽量を目標として開発した.

表1.スズキ軽自動車用4サイクルエンジンの変遷

3.エンジン概要と主要諸元

基本構造ではショートストロークだった従来型K6Aに対し,

新型 R06A は燃焼室をコンパクト化し冷却損失を低減できる

ロングストロークに変更した.また,膨張行程でのピストン

サイドフォースを低減するため,シリンダブロックのライナ

中心とクランクシャフト軸心をずらすオフセットクランク構

造を採用した.

燃焼システムでは燃焼室冷却向上のために,軽自動車で初

となる細径 M10 ロングリーチ点火プラグ[2]を採用した.ポン

ピングロス低減と低速トルク向上のために,NA では軽自動車

初となる,吸気と排気,両側への可変バルブタイミング機構

(VVT) [3]を採用した.TC は吸気側にのみVVTを採用した.

図 1 にエンジンの外観を,表 2 に新旧主要諸元比較を示す.

図1.R06Aエンジン外観

表2.新旧主要諸元比較

Motor Ring No.36 2013 自動車技術会 http://www.jsae.or.jp/motorring/

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4.燃費向上技術

NAエンジンを K6A から R06A(MR ワゴン搭載時仕様:4

章での解説は全てこの仕様)に変更することで,熱効率向上

により JC08 モード燃費が約 6%向上する.その内訳は,ノッ

キング抑止など燃焼改善により 2.5%向上,吸排気 VVT 採用

でポンピング損失低減により 2.5%向上,細軸クランクシャフ

トなど部品細部に至るフリクション低減により 1%の向上で

ある.

R06A の正味燃料消費率(BSFC)について,従来型 K6A から

の向上率を図 2 に示す.高圧縮比化,燃焼改善,フリクショ

ン低減によって低負荷では 10%を超える向上を得た.高負荷

ではノッキング抑止効果で向上率が高くなっている.

図2.従来型からの燃料消費率向上(NA)

燃焼系の開発は,全運転領域での燃料利用率の向上,低負

荷と内部 EGR を多く筒内に残す中負荷での燃焼期間の短縮,

低回転速度高負荷でのノッキング抑止を重点に行なった.

筒内流動はタンブル流(縦方向の渦流)を強くしたほうが

低負荷や大量 EGR 下での燃焼には有利だが,高負荷ではノッ

キングが発生しやすくなる.また,吸気ポートは NA と TC で

共通であり,高流量を維持したい.R06A では吸気ポート通路

断面積を絞ることで流動を強化するとともに,吸気バルブが

低リフト時にタンブル流が強くなる形状とした.図 3 は下死

点付近で吸気バルブが低リフトでもタンブル流を維持する流

れを形成していることを示した CFD 解析の結果である.吸気

バルブが低リフト時には,シリンダボア壁面付近の流れが抑

制され,相対的にボア中央部の流れが強くなっていることが

わかる.特に吸気行程後半の低リフト時においてもタンブル

流を維持できる特徴がある.これが筒内のタンブル流強化の

源である.

図3.低バルブリフト時の流動強化

5.エンジン改良項目

新型 MR ワゴンに搭載した R06A には上述した項目が盛り

込まれている.これをベースにして,アルトエコマイナーチ

ェンジ車では,細部に渡り見直しを施した.本章では R06A

に追加した主要なエンジン改良項目を紹介する.

5.1.バルブトレイン・カムドライブ系

R06A エンジンの持つトルク特性と CVT との制御の最適化

を行い,走行性能はそのままで,最高出力回転数を従来の

6,500rpm から 6,000rpm へと低回転化させた.これにより動弁

系の挙動限界を下げることができ,バルブスプリング荷重を

25%低減した.

また,バルブスプリング荷重の低減によりカムシャフト駆

動トルクが低減されたこととチェーンアジャスタ荷重の見直

しにより,チェーン張力を 3%低減した.

タイミングチェーンは図 4 に示すようにプレートの厚さを

増加させリンクプレートの枚数を削減し,強度低下を最小に

抑えながら細幅化を達成した.その結果チェーンとチェーン

ガイドとのフリクションを低減するとともに重量を軽減した.

図4.低フリクションタイミングチェーン

5.2.主運動系

ピストンスカート部の樹脂コーティングは,当初は均一に

塗布していた.これをパターン形状に変更し,油膜の保持性

を向上させてフリクションを低減した.パターン形状とする

ことで,ピストンスカート部のオイルの流れを制御する.エ

ンジン運転時に油膜が薄くなるピストスカート中央部のオイ

ル保持量を増加させることでフリクションを低減した.ピス

トンリング張力はさらに 5%下げ,フリクション低減を図った.

クランクシャフトのジャーナルベアリングは,最高出力回

転数の低下によりベアリングの負担が軽減したため,従来よ

りも細幅化しジャーナル摺動部面積(ベアリング幅)を 10%低

減した.またクランクシャフトのジャーナルおよびピンの面

粗度を向上し,フリクション低減を図った.

5.3.オイルポンプ

オイルポンプでは,図 5 に示すようにインナーロータの位

置決めガイドとなっているインロー部を廃止し,この部分で

のフリクションを削除した.インナーロータの位置決めはク

ランクシャフトで行う.またロータ自体のフリクションを低

減するため,ロータ外径を 5%縮小した.

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図5.オイルポンプ構造の改良

5.4.制御適合

VVTの制御は,通常の走行時には燃費優先とする設定とし

ている.主に,吸気VVTの位相設定を見直し,シリンダ内の

掃気を促進するとともに,点火時期を進角し燃焼効率を高め

ている.一方,運転者がアクセルを踏み込み高トルクを要求

した場合には,VVTの制御をトルク優先に切り換えることで

走行性能と燃費を両立させた.また,CVTの変速マップをエ

ンジンの燃料消費率が優れる領域に適合させることで,車両

としての燃費性能を向上させた.

6.車両全体での燃費向上技術

新型ワゴン R より「スズキグリーン テクノロジー」を採

用している.「スズキグリーン テクノロジー」は環境技術,

低燃費化技術,軽量化技術の総称で,図 6 に示す項目で燃費

向上を図っている.図7のアルトエコマイナーチェンジ車で

はベース車両(2WD CVT アイドリングストップ有)の JC08

モード燃費 30.2km/L に対し,約 9%の向上となる 33.0km/L を

達成した.これはガソリン車トップの燃費値※1 である.図8

に燃費向上の寄与率を示す. (※1 ハイブリッド車を除く.2013 年 2 月現在,スズキ調べ.)

図6.スズキグリーン テクノロジー

図7.アルトエコマイナーチェンジ車

図8.燃費向上寄与率

6.1.エンジン&CVTの高効率化

エンジンを従来型 K6A から新型 R06A の改良版に変更し,

フリクション低減,高効率化を図る.CVT も改良版に変更し

低粘度オイルを採用するなど,フリクションを低減している.

CVT の変速制御を見直し,パワートレーンとしてより効率の

良い回転域で走行できるようにした.

6.2.新アイドリングストップシステム

図9に新アイドリングストップシステムの作動状況を示す.

車両停止前の減速時に車速 13km/h までは燃料カットを行う.

従来はこの後一旦アイドリング状態になってから車速 9km/h

以下でアイドリングストップ(エンジン停止)していたが,

新アイドリングストップシステムでは速度が13km/h以下にな

るとエンジンを自動で停止するので,減速時のアイドリング

状態をなくすことで,減速時の不必要な燃料消費をゼロとし

ている.

図9.新アイドリングストップシステム

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6.3.エネチャージ

図10にエネチャージの減速時と走行時の作動概念を示す.

アイドリングストップ車専用の鉛バッテリーに加え,高効率

なリチウムイオンバッテリーと高効率・高出カのオルタネー

ターを新たに採用し,燃料カット中の車両減速時に集中して

発電および充電をすることを可能とした.言い換えると,燃

料を使って走行している時にはできるだけ発電せずにエンジ

ンに負担を掛けない,つまり発電のための燃料は使わないよ

うにしたものである.

図10.エネチャージ

6.4.エコクール

アイドリングストップ中,エアコンが停止し送風状態にな

った時,蓄冷材を通した冷風を室内に送ることで車室内の温

度上昇を抑制する.エンジンの再始動時期を遅らせることで

燃料消費を抑える.

6.5.軽量化

ボディ,エンジン,足回り,内装部品など,車両全体の細部

に渡り徹底した軽量化を施す.アルトエコマイナーチェンジ

車での軽量化の寄与率は図11に示すとおりであり,ボディ

と足回りで過半数を超える.車両全体では 20kg の軽量化を達

成した.

図11.車両の軽量化寄与率

6)走行抵抗低減

フロントハブ一体構造車軸ベアリングの採用に加え,リヤ

車軸ベアリングの構造見直しなどにより回転抵抗を低減する.

また低転がりタイヤの採用や空力に優れたボディ形状とし,

走行抵抗低減を図る.

7.おわりに

R06A を立上げ以降,休む間もなくエンジンの改良を続けて

いる.ここ1~2年の各社燃費競争は益々勢いを増し,留ま

るところを知らない.アルトエコでガソリン車トップの燃費

を達成したが,この記事が Web 上で公開される頃には他車に

トップの座を奪われているかもしれない.まだまだ内燃機関

は発展途上であり,改良の余地が残されていることの証しに

ほかならない.目下,内燃機関の基本に立ち戻り,如何にす

ればさらなる燃費向上が果たせるか模索中である.

なお本稿は公益社団法人自動車技術会発行の JSAE エンジ

ンレビュー Vol.2 No.4[5]

(http://www.jsae.or.jp/engine_rev/docu/enginereview_02_04.pdf)

に掲載された内容を元に,再編,加筆したものである.

参 考 文 献

[1] 田中竜司ほか:新世代軽自動車用 3 気筒ガソリンエンジン

の開発,自動車技術会シンポジウムテキスト, No.12-10, p.17-22

(2011)

[2] 島ノ上泰英ほか:高着火性細径スパークプラグの開発,

自動車技術会論文集, Vol.36, No.1, p.9-14 (2005)

[3] 加納知広ほか:感性に合う快適な走り ZR エンジンの開

発,Toyota Technical Review, Vol.55, No.1, p.90-93 (2006)

[4] 野口究ほか:4 弁エンジンの輝度解析によるノック特性の

考察,Suzuki Tech Rev., Vol.31, p.44-48 (2005)

[5] 田中竜司:新型ワゴン R 用エンジンの紹介,

JSAE Engine Review Vol.2. No.4 (2012)

Motor Ring No.36 2013 自動車技術会 http://www.jsae.or.jp/motorring/